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2014年7月22日火曜日

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る


17世紀から18世紀にかけてのバロック時代のグロテスク・リアリズムというべきか、解剖学の成果を蝋人形として再現した、イタリアはフィレンツェにあるラ・スペコラ博物館の解剖学蝋人形の写真集である。

蝋人形といえば18世紀後半から19世紀にかけて活躍したマダム・タッソーだが、実物を思わせる蝋人形であっても人体の中身まで見せるわけではない。社会主義国のトップリーダーたちの遺体が現在でも展示されているが、わたしが見た毛沢東、レーニン、ホーチミンのいずれも蝋人形のようであった。ワックスでコーティングしているのは間違いないだろう。

ラ・スペコラ博物館の解剖学蝋人形は、人体の中身までみせてくれるのが大きな違いだ。立体模型による人体内部の「見える化」である。遺体から直接型どりしたらしいので、内蔵も神経もあまりにもリアルである。

この写真集は、南阿佐ヶ谷に住んでいた頃、書原本店で購入したと記憶しているが、すでに20年前のことになるわけだ。

グロテスクでありながらエロスの匂いを濃厚に醸し出しているこの写真集は、むかしなら「禁断の書」とでもいうべきレッテルが張られてしかるべきものだといっていいだろう。「エロスとタナトス」なんていったら、あまりにも陳腐ですらあるが・・・。

わたしは、17世紀と18世紀のヨーロッパは、日本人にとっての認識の空白地帯であると考えている。それは、1613年に「キリシタン禁教令」が出されてから、西欧との直接の接点が大幅に縮小されてしまったためである。しかもカトリック勢力とは敵対的なオランダのみとの通商であったので、カトリック地帯で生まれたバロックを、日本人はその初期段階しかリアルタイムで体験できなかったからだ。


日本人にとっての人体解剖

解剖学(アナトミー)については、『解体新書(ターヘル・アナトミア)』の翻訳者である蘭方医の杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らは、小塚原の刑場において罪人の腑分け(=解剖)として人体内部を実見したのが、1771年(明和8年)のことといわれている。

18世紀後半は、ラ・スペコラ博物館の解剖学蝋人形が製作された後期に該当する。

日本においては、18世紀の後半になって、オランダ経由の蘭学をつうじて、ようやく西欧の解剖学の成果の一端に触れる窓口が開かれたわけだが、好奇心旺盛な日本人とはいえ、解剖学による知識がそのまま日本人全般のものとなったわけではけっしてなかった。

学校の教室に、骨格標本や人体模型が導入されたのは明治時代以降だと思うが、そもそも牧畜文化圏ではない日本は、人間を含めた動物の内部構造には精通していなかったわけである。

牧畜文化圏は、西欧だけでなく、中近東から中国まで含めたユーラシア全体がそうなのだが、島国である日本はそうではない。去勢の方法も宦官の制度もなぜか日本には導入されなかった。現在でもイヌネコの去勢に抵抗感が少なからずあることにそれは表れているのだろう。

ラ・スペコラ博物館の解剖学蝋人形は、グロテスクであるがリアルそのものである。日本人は、ほんとうはこういうものがすごく好きなのくせに、見たいという欲望はあからさまにオモテに出さないのがよろしいとされてきた。これは文化というものだろう。

だが、アジア人であっても、タイ人もまたこういう即物的なものが好きだし(・・事故現場の写真がそのまま新聞にカラーで出る)、中国人もまた即物的なものが好きなようだ。すくなとも日本人の目にはそう映る。もしかすると、日本人の感覚だけが、その他の文化圏とは違うのかもしれない。


バロック時代についての認識の必要性

バロック音楽の癒しのある美しい響きと、一歩間違えばグロテスクなまでのバロックの視覚芸術が同じ「バロック」というコンセプトでくくられている意味について考えてみる必要があるのではないかと思う。

バロック時代の17世紀と18世紀ヨーロッパとのリアルタイムの接点を大幅に欠いている日本人は、「開国」後の19世紀後半以降のヨーロッパで考えてしまうクセがついてしまっている。これはきわめて残念なことだ。

バロックの全体像を把握するためには、視覚芸術のなかでも建築や彫刻や絵画だけでなく、解剖学蝋人形なども視野に収めておいたほうがいいのではないかと思うのである。

この写真集は、現在は河出書房新社から2005年に再刊されている。これは絶対に買っておきたい。とくにすごいのが、クレメンテ・スジーニ作の「解体されたヴィーナス」の名がつけられている、子宮に胎児が入ったままの若い美女の蝋人形だ。さまざまな角度から撮影されており、腹のフタをはずすと出てくる臓器を見ていると、妙に生々しくエロチックですらある。

知識はネットから書籍から得ることができるが、感覚は実際に見て、可能なら触って体感をつうじて「感じる」のが一番だ。バロックを解説した書籍は日本語でも入手が容易になってきている。

まだ現物を見ていないので、いつか必ずフィレンツェを再訪した際にはラ・スペコラ博物館に行ってみたいと思っている。





写真家プロフィール

佐藤 明(さとう・あきら) 
1930年、東京麻布生まれ。1953年、横浜国立大学経済学部卒業。1959年、奈良原一高、東松照明、川田喜久治、細江英公、丹野章とグループ「VIVO」を結成。1963年7月、ニューヨークに渡る。1964年、ヨーロッパに渡る。1965年2月、帰国。1966年「おんな」と「白夜」によって写真批評家協会作家賞受賞。1998年、日本写真協会年度賞受賞。2002年4月、71歳で病没 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



PS おなじテーマを扱った『解剖百科(タッシェン・アイコンシリーズ)』(フィレンツェラスペコーラ美術館、タッシェンジャパン、2002)もぜひそろえておきたい。日本語版は品切れだが、英語版などは現在でも入手可能。





<ブログ内関連記事>

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-西欧人の無意識が反映した「文化」をさぐる解剖学者の知的な旅の記録

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡
・・16世紀から18世紀にかけてのヨーロッパの知られざる世界

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る

『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)で、18世紀メキシコで花開いた西欧のバロックと土着文化の融合を体感する

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)

スワイン・フルー-パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大における「コトバ狩り」について
・・ダニエル・デフォーの知られざる作品『ペスト』とエドガー・アラン・ポーの『赤死病の仮面』について触れてある

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③
・・日本が解剖学を含めた西洋医学に本格的に接したのは19世紀になった以降である

(2014年7月25日 情報追加)






(2012年7月3日発売の拙著です)









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