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2014年5月17日土曜日

書評『抵抗と協力のはざま-近代ビルマ史のなかのイギリスと日本-(シリーズ 戦争の経験を問う)』(根本敬、岩波書店、2010)-大英帝国と大日本帝国のはざまで展開した「ビルマ独立」前後の歴史


「ビルマ独立」とその後の歴史において、日本が演じてきた役割はきわめて大きい。これは戦時中の日本のコミットメントの大きさを物語るものであり、ビルマ独立の志士たちと日本軍の人的な関係によるものである。この濃厚な関係は1988年の軍政開始まで強固に続いていた。

こういった関係は、大日本帝国の植民地であった韓国や台湾と似た面もあるが、ビルマやインドネシアが違うのは、西欧諸国による植民地支配から脱して「独立」したという点にある。

日本は大東亜戦争を有利にすすめるために「植民地からのアジア解放」を理念として掲げ、独立派をとくに軍事面にかんして物心両面で支援したのである。そこにあったのは、民族独立を願う現地ナショナリストたちとの「協力」である。

だが一方、現地には「抵抗」もあった。日本が介入する前は宗主国の支配が長く続いていたわけであり、その体制下で生きるには積極的にコミットして生きるという生き方もあるからだ。つまり英国派という生き方である。

つまり、植民地であったビルマにおいては、英国と日本がビルマをめぐって激しくつばぜり合いを演じていたのであった。これは軍事面だけでなく、いかに現地の人心を引きつけるかという競争でもあった。ビルマ人から見れば、いかに日本を使って英国から独立を果たすかという戦いでもあったわけだ。

こういった状況を著者は「抵抗と協力のはざま」と表現している。日本ではなくビルマに主語を置けば、当然こういう見方が重要になる。独立はロマンティックな夢というよりも、リアリズムに立脚した、したたかな戦いであったのである。

とかく自分に都合のいいような見方をするのが人間であり、日本人はその傾向が強いと思うが、現在のミャンマーとの関係においても十分に心しなければならない重要な視点でありマインドセットなのである。

日本とビルマ(=ミャンマー)の関係も一筋縄でいくものではない。タイと同様、いやそれ以上に中国とインドという地域大国と国境を接するミャンマーである以上、したたかに生き延びてきた歴史をもつのである。

思い込みほど危険なものはない。心して肝に銘じておかねばならないのである。


ビルマ独立と「抵抗と協力のはざま」

本書に登場するのは、初代首相バモオ、国民的英雄アウンサン、その「暗殺者」ウー・ソオ、そしてコミュニストや、ビルマ人高等文官という英国統治下のエリート官僚たちである。

とくに重要なのはビルマ独立の父アウンサン将軍であるが、対日協力者で日本の敗戦後はタイを経て一時期日本に亡命していたバモオ博士、かつては協力者でありながら政敵となったウー・ソオについても、人物像や言行もくわしく取り上げられており興味深い。

アウンサン将軍と日本の関係について書いておこう。アウンサン将軍は、いうまでもなく民主化指導者アウンサンスーチーの父親である。ビルマ独立戦争を戦い、ビルマ国軍の基礎を築いた英雄である。


ビルマ独立の志を抱いた青年たちをとりまとめて指導したのが、帝国陸軍の情報将校であった鈴木敬司大佐であった。対ビルマ謀略工作は正式に認められて南機関というコードネームをつけられ、アウンサンら30人のビルマ独立運動の志士を英国官憲の目をかいくぐって密出国させ、海南島で厳しい軍事訓練を行う。

こうして訓練をうけたアウンサンと30人のビルマ独立義勇軍が、鈴木大佐の指導下にラングーン(現在のヤンゴン)に進軍、英国植民地軍に打ち勝つが、対英領インド作戦の前線基地としてビルマを支配下におきたい陸軍主流は、アウンサンらの夢を踏みにじり、軍政を敷くこととなる。泰緬鉄道が建設されたのは、兵站基地として確保したタイから物資をビルマに輸送するためであり、インパール作戦実行のため建設が加速された。

日本の敗色が濃くなった1945年3月、真の独立を目指すアウンサンらは、日本軍に対して反旗をひるがえし、その後英軍はラングーンを奪還する。さまざまな経緯を経て、1947年ビルマ独立にかんする協定がアウンサンと英国とのあいだに結ばれ、独立に向けて準備をしていたまさにその最中に、アウンサンは政敵ウー・ソオの放った刺客の銃弾に倒れて非業の死を遂げることになる。享年32歳、アウンサンの死がいかに独立ビルマにとって痛手となったかはいうまでもない。

ここにみられるのは日本とアウンサン将軍との深い「縁」であるが、「日本を利用し英国と戦う」という思想と姿勢である。そして大英帝国におけるインド植民地とビルマの関係もまた、ビルマ独立に有利に働いたことである。

インド独立がすでに既定路線であり、インド独立後にはインド植民地への食糧と燃料供給基地であったビルマの重要性が下がることがあきらかであったこと、連合国東南アジア司令部最高司令官であったマウントバッテンがビルマのナショナリストたちには好意的であったことも大きい。マウントバッテン伯爵は現在のチャールズ皇太子の叔父にあたる人であった。

(アウンサンスーチーさんが少女時代を過ごしたヤンゴンの邸宅 筆者撮影)


独立後のビルマと日本との関係、英国との関係

「独立後」のビルマが、政敵による暗殺によって「独立の父」アウンサン将軍を失ったことがいかに大きな痛手であったかはすでに記したが、それは日本との関係だけでなく、英国にとっても同じことであったと思われる。

なぜなら、本書に書かれているように、英国はアウンサンに対して信頼を置いていたからこそ、ビルマを独立に向けてスムーズに移行させることができたからだ。アウンサンは、多民族の連邦国家をまとめていく度量と人格の持ち主であった。

アウンサンの娘であるアウンサンスーチーが教育を旧英国領であったインドでまず受け、その後は英国に渡ってオックスフォード大学を卒業し、英国人と結婚したことは周知のとおりである。もしアウンサンが暗殺されることがなければ、ビルマの英連(Commonwealth of Nations)加盟もあったかもしれない(・・現在に至るまでミャンマーは英連邦に加盟していない)。英国にとってアウンサンスーチーの存在が大きなアセットであることは言うまでもない。

アウンサンの暗殺後、おなじく「ビルマ独立の志士」の一人であったネ・ウィンによる独裁が1988年まで(!)続くことになるが、日本がネウィン体制を支持し続けたのは戦時中の深くて濃い関係が前提にあったからだ。もしアウンサンが生きていれば日本との関係はどうなっていたのだろうか・・・。

紆余曲折を経て、ようやくミャンマーは鎖国体制を解いて「民主化」と経済改革に動き出したわけだが、日本政府がようやく大手を振ってふたたび全面的にコミットを表明し、日本企業が「最後のフロンティア」としてラッシュ状態になったのは本書が出版された2010年には想像もできなかったことである。

そんななか、旧宗主国の英国も着々と関係改善にむけて動き出している。

2014年3月には、世界最大の会計士組織である英国勅許公認会計士会(ACCA: Association of Chartered Certified Accountants)は、ミャンマー商工会議所連合会(UMFCCI)と覚書を締結し、会計制度の発展に協力することを約束、4月には英国系インターナショナルスクール(The British International School Yangon)がヤンゴンに開校、英国の外務省関連機関のほか、公的文化交流機関であるブリティッシュ・カウンシルなどが駐在事務所を再会している。

ビルマと英国の関係といえば、『1984年』という逆ユートピア小説で全体主義を描いた作家ジョージ・オーウェルが若き日に英領ビルマで警察官をしていたことが知られているが、のちに『ビルマの日々』(Burmese Days)という小説にまとめている。

英国は旧宗主国の立場よりもソフトパワーを前面に打ち出して関係再構築を図っているのであろう。いずれミャンマーが英連邦に加盟することも視野に入ってきたのではあるまいか。

ミャンマーとシンガポールがじつは思っている以上に関係が深いことは知る人ぞ知ることだ。これは、旧大英帝国ネットワークという「見えざるネットワーク」の存在あってこそのものである。軍事独裁政権においても軍の高官が治療を受けるのはシンガポールであった。シンガポールに在住するミャンマー人は多い。

日本とミャンマーの関係を二国間関係の狭い視野だけで見るのではなく、インドや中国、そして英国や米国といった大国間の複雑な関係と見るたことが必要であり、そのためにも独立前後のビルマ史は知識として知っておかねばならない

その意味において、本書はじつにインフォーマティブで、しかも役に立つ。歴史書を読む意味はそういうところにもあるのだ。



* いったん書いておいた「書評」ファイルを一年以上前にパソコン事故によって消去してしまった・・。今回まったく異なる観点から、あらためて全面的に書きおろしてみた。




目 次

序章 抵抗と協力のはざま
 1. 本書の目的
 2. 対英協力と対日協力が有した意味
 3. 植民地期のビルマ人政治・行政エリート
 4. 依拠史料と構成

第1章 強制された国家のなかで-植民地ビルマの特徴とナショナリズムの展開
 1. 英緬戦争とビルマの植民地化
  英緬戦争の経過/植民地ビルマの誕生
 2. 近代国家の強制
  「国家の合理化」/英国による支配の特徴
 3. ビルマ人中間層の登場
  ビルマ人中間層という存在/政治運動への傾斜
 4. 自治の段階的付与とビルマ・ナショナリズムの展開
  両頭制の導入/新たな展開/ビルマ統治法/
  ビルマ人エリート間の権力闘争
 5. タキン党に見るビルマ・ナショナリズムの思想
  タキン党の結成/思想的特質
 6. 日本占領期がもたらした変化
  日本軍のビルマ侵攻/日本軍政下のビルマ/
  パサパラの結成と抗日武装蜂起
 7. 戦後の対英独立交渉
  英国統治の復活/アウンサンの台頭/
  アウンサン暗殺からビルマ独立へ
第2章 バモオ-知識人政治家の光と影
 1. 日本占領期の歩み
 2. 「独立」ビルマの国家元首に
 3. 抵抗と協力のはざまにあって
 4. 大東亜会議への出席
 5. 戦後の低い評価としの理由
 6. 戦後日本とバモオ
第3章 アウンサン-国民的英雄への道
 1 .学生運動の世界へ
 2. タキン党幹部となる
 3. 日本軍と組む
 4. 抗日の決断とその帰結
 5. 対英独立交渉の先頭に立つ
 6. 暗殺の悲劇と「英雄の座」の恒久確保
第4章 ウー・ソオ-ナショナリストと暗殺者のはざま
 1. 政治家への道
 2. 日本との関係
 3. 政治資金、私兵団、議会内闘争
 4. 英領ビルマの首相となる
 5. 英国訪問と真珠湾、そしてアフリカでの軟禁
 6. 戦後の帰国とアウンサン暗殺事件の暗闇
第5章 ビルマ人コミュニスト-反日と「苦渋の親英」のはざま
 1. ビルマ共産党の結成
 2. 日本軍侵入前夜
 3. コミュニストたちの抗日準備
 4. パサパラの結成とビルマ共産党
 5. 英国復帰後の混乱と分裂
第6章 ビルマ人高等文官-対英協力者とナショナリストのはざま
 1. ビルマ人高等文官の採用
 2. 行政の現地化をめぐって
 3. ビルマ人高等文官の出自と学歴
 4. ビルマ・ナショナリズムとの接点
 5. 独立後の高等文官
終章 独立後の英国・日本との関係-軍の政治的台頭のなかで
 1. 独立後のビルマ-混乱と軍の台頭
  ウー・ヌ時代-「社会主義国家」をめざして
  内乱
  軍の台頭
  クーデター
  ビルマ式社会主義の下で
  国軍の政治化
  民主化運動の封じ込め、そして軍政へ
 2. 英緬関係-遠のく旧宗主国の影
  ミニマムな外交関係
  マウントバッテン
  関心の高まり
  政経分離
  希薄化する英国のプレゼンス
 3. 日緬関係-影を落とした戦時中の人脈
  戦後のビルマ米輸入
  賠償交渉
  膨らむODA供与
  「援助に値する国」?
  「特別の関係」
  1988年以降の変化-「特別の関係」の終焉


あとがき
参考文献一覧
関連ビルマ人名一覧/関連英語名称一覧
関連年表
索引

著者プロフィール

根本 敬(ねもと・けい)
1957年生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程中退(文学修士)。東京外国語大学教授を経て、上智大学外国語学部教授、ビルマ近現代史。ビルマ関連の著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内

三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
・・「アウンサン将軍がラングーン(=ヤンゴン)で凶弾に斃れたのは32歳、われらが坂本龍馬が京都で斬殺されたのは33歳、早すぎる死が惜しまれるのは、ともに大きな志(こころざし)をもちながら、若くして志半ばで非業の死を遂げたからである。まこともって「虎は死して皮を残す、人は死して名を残す」とは、まさにこのことを指している。
 そして、その京都には、アウンサン将軍の娘であるアウンサンスーチーが客員研究者として京大に1年間滞在、父親の足跡をたどって日本人関係者とのインタビュー調査を行っている。なにやら因果は巡る、とでもいうような不思議な話である。このインタビュー調査の記録が、いまだに研究として発表されていないのは実に残念なことだ」

映画 『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』(2011年、フランス・英国)をみてきた

書評 『銃とジャスミン-アウンサンスーチー、7000日の戦い-』(ティエリー・ファリーズ、山口隆子/竹林 卓訳、ランダムハウス講談社、2008)

日本語の本で知る英国の名門大学 "オックス・ブリッジ" (Ox-bridge)
・・アウンサンスーチーさんも卒業しているオックスフォード大学のPPEについて触れている

お茶は飲むもの、食べるもの-ミャンマーのティーハウスと食べるお茶ラペットウ

ミャンマーではいまだに「馬車」が現役だ!-ミャンマーは農村部が面白い

書評 『ポロ-その歴史と精神-』(森 美香、朝日新聞社、1997)-エピソード満載で、埋もれさせてしまうには惜しい本
・・インドとビルマとは縁の深いマウントバッテン伯爵(=チャールズ皇太子の叔父)もまたポロ好きであった

会田雄次の『アーロン収容所』は、英国人とビルマ人(=ミャンマー人)とインド人を知るために絶対に読んでおきたい現代の古典である!


旧大英帝国ネットーワーク内の人口移動

書評 『裁かれた戦争裁判-イギリスの対日戦犯裁判』(林博史、岩波書店、1998)-「大英帝国末期」の英国にとって東南アジアにおける「BC級戦犯裁判」とは何であったのか
・・大英帝国と英領マラヤ(シンガポール含む)を中心にみる。英国にとってのマラヤとビルマの違いとは?

「タイガーバーム」創業者の「タイガー・カー」(改造車)
・・ビルマ(=ミャンマー)とシンガポールは旧大英帝国ネットーワークという「見えざるネットワーク」のなかにある。 「当時は、ビルマもシンガポールも香港も英国の植民地であり、胡兄弟は、英国の植民地統治システムをフルに活用して財をなしている。これは、イラクのバクダッドが起源の、セファルディム系のユダヤ系財閥サッスーン家(Sassoon)も同様である。サッスーンの主家は、バグダッド(イラク)⇒ボンベイ(インド)⇒上海(中国)と移動している」 マレーシアのペナン島にもビルマ仏教寺院がある


大東亜戦争と東南アジア(=南洋)、そして英国

書評 『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』(吉川利治、雄山閣、2011 初版: 1994 同文館)-タイ側の機密公文書から明らかにされた「泰緬鉄道」の全貌

書評 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010)-密接な日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期にある

映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・原作は南アフリカ出身の英国陸軍コマンド部隊大佐、ジャワ島の日本軍捕虜収容所を舞台にした日英の相克と奇妙な友情の物語

原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』
・・原爆投下による日本降伏によって捕虜収容所から生きて出ることができたと考える著者の回想録。同様の意見を表明する元捕虜は少なくない

本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)-インドシナに関心のある人の必読書
・・この男がシンガポールにおける華僑虐殺の主張者なのだが、この本じたいは面白い

三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
・・日本軍占領下のビルマで発行されたルピー軍票に書かれた大日本帝国の文字

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本
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