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2014年8月5日火曜日

書評『ロボットとは何か ー 人の心を写す鏡』(石黒浩、講談社現代新書、2009)-「人間とは何か」、「自分とは何か」というロボット工学者の哲学的な問い



「ロボットとは何か」というズバリそのもののタイトルである。

そう、「ロボットとは何かと、ときには立ち止まって考えてみる必要がある。とくに多くの日本人のように、物心ついた頃から人型ロボットやネコ型ロボット(笑)が当たり前のようにマンガやアニメの主人公として活躍する国に生まれ育った人間にとってはなおさらだ。

あまりにもロボットという存在が当たり前すぎて、その意味を考えたこともないというのが、ロボット研究者や開発者以外の日本人の状況ではないか。ロボットはつねに人間と共生し、ロボットは人間を助けてくれるだけでなく、人間がそのなかに乗り込んでついには一体となるという存在。そういう「思考実験」は、日本人は子どもの頃からアニメをつうじて、当たり前のように吸収し無意識のうちに感じている。日本という「希有な環境」において。

だが、欧米人、とくにヨーロッパ人はそうではないらしい。これは著者の石黒教授自身が本書のなかで書いていることだ。ドイツ、イタリア、英国、フランスなどのメディアが頻繁に取材に訪れるだけでなく、教授が開発している「ジェミノイド」(・・上掲の帯の写真)をじっさいに見た人は、根掘り葉掘り質問してくるらしい。

ヨーロッパでは、ロボットというのはかならずしも日本人が考えているように「善なる存在」という側面だけではなく、「悪にもなる存在」にもなりうるという両義的な理解があるからではないだろうか。それはゴーレムやフランケンシュタインに端的に表れている。

だからこそ、ロボットが従うべき有名な「アシモフの三原則」なるものがあるわだ。人間への安全性、命令への服従、自己防衛を目的とする、という三原則である。だが、考えてみれば、ロボットだけではなく、人間だって善だけでなく悪にもなりうる存在ではないか。

「ロボットについて考えることは、人間について考えることである」、というのが石黒氏の基本姿勢だ。しかも人型ロボットであるアンドロイド(android)、しかも「自分」そっくりの不気味な「ジェミノイド」(geminoid・・双子座のジェミニからの造語)の開発は、「人間とは何か」だけではなく、「自分と何か」という哲学的な問いさえ誘発する。人型ロボットに対して人間は「擬人化」してしまうだけでなく、ジェミノイドには「自己」の複製、あるいは分身としてのドッペルゲンガーを見てしまうからだろう。

副題にあるように、ロボットとは自己探求を促す、まさに「人の心を写す鏡」のような存在なのだ。いや正確にいえば、鏡そのものというよりも、鏡に映った自己像を立体造形化したものだというべきであろう。

本書は、じっさいに人型ロボット開発の最先端にいる研究者が、日々感じていること、考えていることを自分のコトバで語ったものだ。じつに読みやすく、いろんなことを考えさられる。

現在じっさいに普及しているロボットの大半は、いわゆる産業用ロボットである。あくまでも人間の作業の延長線上の仕事を行い、あるいは人間にはできない、人間がやると効率的ではない仕事を代替する「機械」としての意味合いが大きい。すでに家庭でも普及しているお掃除ロボットなども、そのコンセプトが基本にある。

産業用ロボットであれ、人型ロボットであれ、ロボットの本質は「機械」であり、しかも「人工知能」で制御されている。「知能を備えた機械」がロボットなのである。

しかも自然言語処理のスピードが格段にアップしてきており、人間と人型ロボットの共生も時間の問題となりつつある。いわゆる「機械学習」によるパターン認識能力の向上により、「知能」の側面だけみれば、いずれロボットが人間を追い越すのは間違いないだろう。

ここで思い出さなくてはならないのが、「ロボットについて考えることは、人間について考えることである」という著者の基本姿勢である。ロボットと人間は、何がどう違い、共通しているのか。人間を軸にして、ロボットと動物を比較してみると見えてくるものがある。

コトバを理解するという点においては、動物よりもロボットのほうが人間に近い。動物は音声信号でコミュニケーションをとりあっているが、人間が使用する自然言語そのものを理解しているわけではない。動物は、直観的に人間の感情を読み取り反応する能力はもっているが、コトバは理解していない。コンピューターどうしのコミュニケーションはすでに行われており、ロボットとロボットどうしのコミュニケーションも可能だろう。

ロボットにも五感という知覚機能はあるが、現状においてはもっぱら視覚と聴覚が中心である。触覚や嗅覚についても将来的には実装可能だろう。とはいえ、人間の五感に追いつくことがはたして可能かどうかはわからない。ましてやロボットが動物の五感を越えるのは困難なことだろう。ロボットが直観力をもつことになるのかどうかもわからない。

肉体を備えているという点では、人間もまた動物である。この点においては、人間とロボットが大きく異なる点だろう。だが、肉体の定義いかんによっては、そうもいえないかもしれない。「肉体」とはなにかという問いも必要になってくるかもしれない。これは心身問題でもある。エネルギー源として電気を使用しない点も、人間と動物は共通している。そしてこの両者には「死」が存在する。

最終的に、人間とロボットをわかつものは、「魂」の問題になるのではないか? ロボットには死は存在しない。そもそもロボットに「生命」があるように見えても「生命」そのものではなくしたがってロボットには「死」も存在しないのだ。「生命」は「魂」と密接な関係がある。

では、ロボットは「魂」をもちうるのか? そもそも「魂」とは何であるのかという議論が必要になってくるが、これはきわめて難しい。

人間ではない動物、人間ではないロボット。動物とロボットはともに、人間とはなにかを考えるための鏡というか参照系のようなものだ。

ロボットについて考え出すと切りがない。根源的な問いを突きつけられるからだ。「ロボットについて考えることは、人間について考えることである」。

いずれ人型ロボットが家庭に普及するようになると、「ロボットと人間の共生とは何か」を当事者として考える人が増えていくことを意味している。まずは、読者自身がさまざまな「思考実験」を行うのが現在の段階であろう。

本書は読みやすいが、さまざまな問いを誘発する良書である。ぜひ読むことをすすめたい。





目 次

プロローグ ロボットは人の心の鏡
第1章 なぜ人間型ロボットを作るのか
第2章 人間とロボットの基本問題
第3章 子供と女性のアンドロイド
第4章 自分のアンドロイドを作る
第5章 ジェミノイドに人々はどう反応し、適応したか
第6章 「ロボット演劇」
第7章 ロボットと情動
第8章 発達する子供ロボットと生体の原理
第9章 ロボットと人間の未来
エピローグ ロボット研究者の悩み
謝辞


著者プロフィール

石黒 浩(いしぐろ・ひろし)
1963年、滋賀県生まれ。山梨大学工学部卒業、同大学院修士課程修了。大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了。工学博士。現在、大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授。文部科学省グローバルCOEプログラム「認知脳理解に基づく未来工学創成」拠点リーダー。ATR知能ロボティクス研究所客員室長。JST・ERATO浅田共創知能プロジェクト・グループリーダー。知能ロボットと知覚情報基盤の研究開発を行い、次世代の情報・ロボット基盤の実現をめざす。人間酷似型ロボット研究の第一人者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

「不気味の谷」 by 森 政弘 (GetRobo) (1970年、エッソ・スタンダード石油の広報誌「Energy(エナジー)」(第7巻第4号、上の写真は表紙)に掲載されたもの)
・・『ロボットとは何か』でも、ジェミノイドが不気味な印象を与えることにかんして、日本のロボット工学の父・森正弘博士の「不気味の谷」(uncanny valley)仮説とその概念図が掲載されている。まだ人間型ロボットが登場する以前の1970年に発表されたこの仮説は、その発想が直観的なだけでなく、一般人も十分に共有できるものだろう。森博士へのインタビューも掲載されているので、ぜひ目を通してほしい。森博士は「自律分散型」ロボット開発の先駆者である。

(uncanny valley wikipedia英語版より)


「人間とは何か」に迫る、それがロボット研究の原動力  大阪大学 教授の石黒浩氏に聞く (シリーズ ロボティクスの探求者たち、日経テクノロジーオンライン、2014年8月26日)



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