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2012年12月30日日曜日

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ


ウィットフォーゲルと梅棹忠夫。生涯まったくかかわりのなかったドイツの社会科学者と日本の民族学者は、まったく別個のアプローチから出発したのであるが、奇しくも同じ1957年にほぼ同じ結論に達したのである。これは本書の第5章「ウィットフォーゲル理論の残したもの」に記されている、じつに興味深い事実である。

ウィットフォーゲルは「東洋的専制論」で展開した「水利社会論」によって、梅棹忠夫は「生態史観」によって。いまだマルクス主義のイデオロギーが学問世界で幅を利かせていた戦後のアカデミズムの世界において、両者はともに徹底的にたたかれた

梅棹の「生態史観」については知っている人も多いだろう。一方、ウィットフォーゲルといってもピンとこない人も大いに違いない。なぜなら、ソ連崩壊後のいまも、いまだに名誉回復がいまだになされていないまま黙殺されつづけたのがウィットフォーゲルだからだ。

本書は、ウィットフォーゲルの復権のために力を注いできた著者による渾身の一冊である。

ユダヤ系ドイツ人で元共産党員であったウィットフォーゲルは、その主著である『オリエンタル・デスポティズム』(東洋的専制主義)で、水利社会論から中国社会の本質を解明している。残念ながらこのわたしは大著を読んではいないのだが、翻訳者でもある著者の解説によって、そのおおまかなことを知ることができる。

ウィットフォーゲルの理論の原点には、文明を風土との関係でみる視点がある。着目したのは「水の管理」という観点である。これによって、遊牧、牧畜、天水農法、灌漑農法が区分され、灌漑農法のもとにおいては官僚制による管理が成立する。その典型が中国であり、これはユーラシア内陸部にあるロシアもまた「東洋的専制主義」そのものであることが指摘される。

つまり、生態系(エコシステム)でものを考える視点から出発しているといってもよい。この点もまた梅棹忠夫と同じである。

とかく人間は近視眼的にものを見がちだが、スパンを長くとれば、人間よりも生態系、地理学、地質学でのアプローチが重要となる。そういえば、マルク・ブロックと並んで、アナール派歴史学を主導したリュシアン・フェーヴルは地理学者であり歴史学者でもあった。第2世代にあたるフェルナン・ブローデルもまた歴史学者ではあるが地理学の成果を全面的に取り入れている。

自然科学の知見に基づかない風土論がいかに虚妄にみちたものであるかは、『梅棹忠夫 語る』に収録された、「(『風土』を書いた)和辻哲郎はスカタン」という梅棹忠夫の放言に端的に表現されている。

ウィットフォーゲルが理論化した「亜周辺」という概念はきわめて有効である。この概念を駆使した湯浅赳男氏の仕事については、書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?を参照されたい。

いちおう説明しておくと、「亜周辺」というのは、ウィットフォーゲルの理論をもとにした分析フレームワークである。「中心(core)-周辺(margin)-亜周辺(submargin) という三層」で文明を論じたもので、日本は「亜周辺」に位置づけられる。著者自身の表現を引用しておこう。

<亜周辺>とは文明史において、その文明を成立させた地域の外側で、その文明の強制を受けることなく、その文明の諸要素を自由に受け入れた地域、具体的にはユーラシア大陸の西端の西ヨーロッパと東端の日本を指すものである(ウィットフォーゲル)。そこでは、中心の文明に教条的に制約されることなく、先行する社会を下敷きにして、独自な文化を展開させることができた。この前近代の歴史において観察される文明のメカニズムから近代文明の未来を考える上でのヒントとして利用できるものがある。(出典:「亜周辺と知識人-『「東洋的専制主義」論の今日性』を書き終えて-」(2008年4月1日 「本と社会」 新評論社のニューズレターより 太字ゴチックは引用者=さとう)

中国社会の研究者であるウィットフォーゲルは、「日本は東洋的世界ではない」としているのである。

さらに湯浅氏は、「封建制」と「武人社会」がもたらした多元的社会は、専制国家である中国・コリアとは根本的にことなることを強調している。封建制が「亜周辺」である西ヨーロッパと日本においてのみ出現したことの意味を考えるヒントがこのフレームワークにあるのだ。海洋国家日本とユーラシア大陸の根本的な違いと言い換えてもいいだろう。

「封建制」をめぐる議論においても、ウィットフォーゲルの「東洋的専制論」と梅棹忠夫の「生態史観」は、ほぼ同じ結論を導き出しているのである。この点については、書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!も参照いただきたい。梅棹忠夫は、「日本文明」は「中国文明」とは異なると主張している。

梅棹忠夫のフィールドワークはモンゴル(=内蒙古)から始まったものだが、中国大陸のほぼ全域はみずから観察している。ウィットフォーゲルも梅棹忠夫も中国研究というコア(核)を発想の根本に据え、遊牧民の世界史的役割を熟知していたことも共通しているのだ。

以上、梅棹忠夫の「生態史観」とのかかわりを中心にウィットフォーゲルについて書いてみたが、ウィットフォーゲル復権のために書かれた本書は、著書の学問への情熱と真理探究への思いの結晶ともいえる内容である。そしてこれは、異なるサイドから梅棹忠夫の「生態史観」を補強することにもつながる行為である。

正直いって、マルクス主義陣営のこまごまとしたエピソードなど、わたしだけでなく多くの読者にとってどうでもいいような話題だろうが、ソ連という「東洋的専制国家」崩壊以前、いや崩壊後もいまだに残滓を引きづっている日本の社会科学が戦後どのような状況にあったのか、その「時代の空気」を感じ取ることもできる内容にもなっている。

またウィットフォーゲルの亡命先であったアメリカの政治状況や知的風土もいまから振り返ると異常な状態であった。とくにモンゴル研究者で中国研究の権威であった米国人オーウェン・ラティモアがいかなる人物であったかを徹底的に明らかにしたことに本書の意義があるといえる。マッカーシー旋風という赤狩りのなか、命運をわけた中国専門家の二人であるが、『アジアの解決』(1945)で示したラティモアの反日姿勢は記憶しておくべきだ。

文明の相互関係を「中心-周辺-亜周辺の三重構造」にまで突きつめたウィットフォーゲルの「東洋的専制論」は、日本に生きる日本人にとって、東アジアの「中国大陸-朝鮮半島-日本列島」間の関係を考えるうえで大きな示唆を与えてくれるものである。

社会主義でありながら市場をフル活用した「国家資本主義」を推進する中国は、まさにウィットフォーゲルのいう「中心」世界であり「東洋的専制国家」以外のなにものでもない北朝鮮も韓国もまた「周辺」世界であり、「亜周辺」の日本とは異なる世界である。

「東アジア共同体」などという安直な発想にくみしないためのには知的鍛錬が不可欠である。そのためにもぜひ押さえておきたいのがウィットフォーゲルの理論と湯浅氏の解説だ。





目 次

まえおき
本書の要点
第1章 今なぜウィットフォーゲルなのか?
 1. ウィットフォーゲルに対する歪曲・中傷
 2. ウィットフォーゲル再評価の契機
第2章 ウィットフォーゲル理論の到達点
 1. 風土と文明・・「水力社会」論、「征服王朝」論、ロシアの東洋的専制主義
 2. 文明の類型
 3. 単一中心性と多数中心性
第3章 ウィットフォーゲルの学問の展開(1)-『中国の経済と社会』まで
 1. 青年時代
 2. ドイツ共産党員として
 3. 歴史像とマックス・ウェーバー
 4. ドイツ共産党の転換と中国革命
 5. 「アジア的生産様式」)
第4章 ウィットフォーゲルの学問の展開(2)-『オリエンタル・デスポティズム』まで
 1. 共産党の拘束衣のなかで
 2. ファシズムとの闘い
 3. アメリカに定住
 4. 共産党との決別と研究の進展
 5. ロシアとスターリニズム
 6. ロシアへのアプローチ
 7. 激浪のなかでの理論的確立
第5章 ウィットフォーゲル理論の残したもの
 1. 梅棹とラティモア
   ウィットフォーゲルと梅棹の世界史上における先駆的発見
   ウィットフォーゲルとラティモアの生き方の違い
 2. イデオロギーの役割

あとがき
概念・事項索引
固有名詞索引


著者プロフィール  

湯浅赳男(ゆあさ・たけお)
1930年、山口県生まれ。文学青年。サラリーマン時代、1956年のハンガリー事件で感動し、歴史学を志す。フランス革命研究で学問的登攀訓練を行ったのち、ロシア革命の真相解明をめざし、その勝利が国内戦によるものであることを明らかにした『革命の軍隊』(1968、三一書房)を処女出版。新潟大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えているが、文庫化されることがないのはじつに残念なことだ

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である! 

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・京都大学教授であった国際政治学者の高坂正堯(こうさか・まさたか)氏は1964年に発表した論文で日本のことを「東洋の離れ座敷」と表現している。「島国として大陸から距離があることを、著者は「東洋の離れ座敷」と表現しているが、この地理的条件のおかげで、中国文明、西洋文明、アメリカ文明の圧倒的影響を受けながらも、日本人による取捨選択を容易にしただけでなく、直接国土を蹂躙(じゅうりん)されることもなく今日までやってこれたのである。」

書評 『銃・病原菌・鉄-1万3000年にわたる人類史の謎-(上・下)』(ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、2000)-タイトルのうまさに思わず脱帽するロングセラーの文明論
・・環境という切り口から人類史と文明史を考察した大きな構想の本

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・ライプツィヒ大学では歴史学者ランプレヒトの弟子であったウィットフォーゲル。上原専禄の師匠であった三浦新七はランプレヒトの高弟で助手をつとめていた。いろんなことが見えないところでつながっている

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本を支配した「空気」がいかなるものであったか

書評 『紳士の国のインテリジェンス』(川成洋、集英社新書、2007)-英国の情報機関の創設から戦後までを人物中心に描いた好読み物
・・「第Ⅱ部 祖国を裏切ったスパイ」に共産主義シンパとなった英国人エリートについての記述あり

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える ・・「地政学」の認識枠組みと、梅棹忠夫の生態史観、ウィットフォーゲルの東洋的専制主義論を重ね合わせて考えてみると面白いだろう

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・「国家資本主義」の中国。資本主義と民主主義がイコールだという「近代」の常識を裏切るのが中国という「東洋的専制国家」

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」

(2014年4月9日、2015年6月4日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)





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