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2009年10月21日水曜日

船橋大神宮の奉納相撲(毎年恒例10月20日開催)を見に行ってきた(2009年10月20日)




 船橋大神宮の奉納相撲に行ってきた。奉納相撲は毎年10月20日と決まっており今年は火曜日の開催、子供相撲は日曜日に設定される。奉納相撲を見に行ったのは今回が初めて、昨日20日は天気にめぐまれた秋の一日であった。奉納相撲自体は今回が見学初体験である。

 船橋大神宮の境内をじっくり歩いたのは実は今回が初めてだが、船橋大神宮そのものは高校時代、毎週のようにその前を通っていた。わが母校、千葉県立船橋高等学校は大神宮の宮司がはじめた私立学校が前身らしい。そのため、大正時代には船橋大神宮の境内にあったという。高校は、現在では徒歩で10分以上の別の場所にグランドとともにあるが、こういう経緯も知っていたので、船橋大神宮には昔から親近感をもっていた。

 今回、千葉県に引っ越したのを機会にいろいろ歩き回っているが、船橋大神宮も訪れるのは高校卒業以来となる。実に、実に久々だ。



 京成電車の大神宮下(だいじんぐうした)駅で下車3分。現在は高架のうえにあがってしまったが、私の高校時代はまだ地面を走っていた。各駅停車しか止まらないので、もしかしたら京成線の利用者でも知らない人がいるかもしれない。成田空港行きのスカイライナーは始発を除いて京成船橋駅に停車するようになったので、高架のまま通過する次の駅が大神宮下駅である。



船橋大神宮は正式には意富比神社(おほひ・じんじゃ)という


 船橋大神宮は、調べてみると正式には意富比神社(おほひ・じんじゃ)といい、今年が創建1897年という由緒ある神社である。3年後には、なんと創建1900年(!)となる。すごいなー。

 全国的な知名度は必ずしも高くないだろうが、式内社であり、延喜式では葛餝郡意富比神社の名称で登場する、とのことだ。お正月にTV・CM流している神社や厄除け大師は、広告宣伝にカネかけているからマスコミ露出度が高いが、知名度が高いものが必ずしも由緒あるものだとは限らない。
<由緒>
 当船橋大神宮は、景行天皇の御代四十年に、皇子日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が御東征の途次、船橋湊郷に到着なされ、東国平定の目的成就を御祈願なされたのを以てその御創建とされます。
 当時たまたま住民がひでりに苦しんで居り、尊は併せて祈雨の由を念じられますと、一天俄にかき曇り雷雨起り、土地が潤ったと言われて居ります。其の後、景行天皇東国へ御巡幸の折、その御事績を偲ばれて意富比神社の御社号を賜り後には延喜式、三代実録にも記されて居ります。
 清和天皇貞観13年(871年)3月には、勅願により天下泰平・五穀豊饒を御祈念なされるため奉幣使の下向あり、また後冷泉天皇の御代天喜年間には当宮を修造、また仁平元年(1151年)には船橋六郷の地に御寄附の院宣を賜り、当宮を再興せられ、其の時の文書には「船橋伊勢大神宮」と記されて居ります。
 以後、将軍家等からも御崇敬極めて篤く、明治天皇におかれましては、習志野練兵場、三里塚御料牧場へ行幸の都度、勅使を以て幣帛料を御奉奠なされました。
 現在の御社殿は、明治維新の戦火によって焼失し、明治6年に本殿、同22年(拝殿)と順次御造営せられ、以後大正12年、昭和36年、更に昭和50年、昭和61年と各々に本殿、拝殿、末社、玉垣、参道、大鳥居、控殿等の造改修を経て今日に及んで居ります。
 この度平成24年に御鎮座1900年の慶祝の年を迎えるにあたり、前回の改修以来20余年経過し著しく老朽しました諸施設の改修整備を以て御神威一段の発揚を図るべく・・(後略)・・
(出典:「船橋大神宮 記念奉賛事業趣意書」を一部字句をいじってある)

 ちなみに、私がもっている、1836年刊行の『江戸名所図絵』(鈴木棠三・朝倉治彦=校注、角川文庫、1968)の第六巻には、江戸時代後期の船橋大神宮(=意富比神社 おほひじんじゃ)社殿の挿絵がでている。

(『江戸名所図絵』より意富比神社)

 先に引いた由緒書にもあるように、戊辰戦争の際、新政府軍と旧幕府軍のあいだで"船橋戦争"というのがあって、江戸無血開城後の本格的な戦闘となったらしい。その戦争において船橋大神宮の社殿が焼け落ちたということのようだ。このあと上野の山で旧幕府軍の彰義隊が破れた後の旧幕府側の敗退については、会津落城の悲劇、徹底抗戦の末の長岡落城について多く語られているので、一般にもよく知られているだろう。

 旧幕府側について鳥羽伏見の戦いで敗れ去った、京都の貧乏公家の末裔である私としては複雑な気持ちではあるが、船橋でも歴史的な戦争があったことを高校時代に知ったとき、なんだかうれしい気がするのも否定できない気がしたことを記憶している。

  『江戸名所図絵』には市川、船橋あたりまでは、広い意味で江戸の名所としてカバーされている。そこから先は成田山新勝寺への成田参詣路となるので、別のカテゴリーになるようだ。

 "日本一小さい大神宮"という異名があるらしいが、そんなことはありえない。比較的大きな神社である。


 なお末社として、常磐神社、浅間神社、大鳥神社があり、それぞれ祭礼があるようだ。船橋大神宮は、主祭神が天照皇大神(アマテラスオオミカミ)で、西に万幡豊秋津姫命(ヨロヅハタ・トヨアキツヒメノミコト)、東に天手力雄命(アメノタヂカラヲノミコト)を配祀する。アメノタヂカタヲは天の岩戸開きの際に、アマテラスを引っ張り出した神でチカラとスポーツの神様、トヨアキツヒメは機織りに関係する神様で、伊勢神宮の内宮の配置に同じ。つまり、船橋大神宮は伊勢神宮系統である。

 また、徳川家康公、徳川秀忠公も合祀しているように、徳川幕府からも崇敬も篤かったことは、奉納相撲の歴史とも密接な関係がある。

(末寺の大鳥神社は祭神がヤマトタケルゆえ)


 由緒書にあるように、そもそのも創建がヤマトタケルに始まることから、いわゆる"白鳥伝説"と結びついた大鳥神社(おおとりじんじゃ)があって、酉の市(とりのいち)となるわけだ。このことはいままでまったく知らなかった。なんと今年の一の酉は私の誕生日の12月6日(日)である・・。これは商売繁盛のためにも、ぜひ訪れなくては、と思ったのだった。


漁師町・船橋
 
 高校時代、アニメ『ど根性ガエル』の登場人物・町田先生ではないが、"教員生活25年"が口癖の数学教師が、昔は教室の窓から海が見えましたといっていたが、たしかに埋め立てが進んで海が遠くなってしまったものの、船橋は基本的に漁師町でかつ宿場町なのである。大神宮の燈台を頼りにして夜の航海を行ったという。

 漁業組合の組合員は200名、そのうち100名は現役の漁師で、毎日出漁しているというのだから、ここで採れた魚介類が新鮮でうまいのは当たり前だ。東京湾もずいぶんキレイになったから問題ない。

 なかでもとくにアサリは名産で、船橋のアサリは実に美味い(!)、これは自信を持って推奨できる。おとといもアサリのスパゲッティで食べたが、プリプリの身に、貝から出てくるうまみエキスは、天下一品である。船橋のアサリは天然物だから美味いのは当たり前なのだ。

 奉納相撲からの帰途、ふと思いついて船橋漁港まで歩いてみた。埋め立てが進んだとはいえ、あっというまに港である。高校時代、美術の授業で写生にいったりした記憶があるし、また部活で海まで走ったことも何度もある。港にいってみたのも高校卒業後はじめてである。あんまり変わっていないような感じもした。埋め立て事業はすでにその当時には終わっていたためだろうか。

 船橋大神宮の重要な行事に、4月3日の水神祭があるようだ。船橋漁港で行われる大漁祈願の祭礼である。これもぜひ来年は訪れてみたいものだ。


奉納相撲とは?

 船橋大神宮の毎年恒例の奉納相撲は、天正18年(1590年)徳川家康が東金に大好きな鷹狩りに行く途中、船橋御殿に宿泊した際に、漁師の子供達による素人相撲をみて家康が大変喜んでこれを賞し、家康の信仰篤かった船橋大神宮に奉納して以来、今日まで伝承されている、という。こうした経緯があり、幕府みずからが勧進元となった由緒ある奉納相撲であったということだ。
 


 このブログでお神楽について取り上げた際、芸能の起源は神事にあり、と書いたが、相撲もまた起源は神事にある。というよりも、相撲自体が実は芸能であり、神事なのである。注連縄(しめなわ)をかけると、その内側は聖なる空間になるのと同様、土俵の内部は聖なる空間である。あとで触れるが、神官による土俵の清祓いの神事を見学することができた。

 また、四股を踏むとは邪鬼を踏みつけることであり、不動明王が邪鬼を踏みつけている姿を思い起こせばよい。

 そもそも、相撲の起源は、きわめて古い。どこの民族でも格闘技の歴史は古いが、もちろん日本の場合も相撲の起源はきわめて古い。

 『古事記』には、建御雷神(タケミカヅチ)の葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の際、建御名方神(タケミナカタ)ととった神々のあいだの相撲が、相撲の起源とされている。

 旧約聖書の『創世記』には、人間であるヤコブが唯一神のヤーヴェと相撲をとった話がでてくるが、このようにユダヤ教でも極めて似たような挿話があり面白い。日本とユダヤでは、話としてはどちらが古いかわからないが、文字になった記録としてはユダヤの方が紀元前であり、はるかに古い。

 参考までに、旧約学者・関根正雄のヘブライ語原文からの訳を掲載しておく。
そしてヤコブひとり後に残った。ところが一人の人が現れて、明け方になるまでヤコブと角力(すもう)をとった。その人はどうしたかというと、自分がついにヤコブに勝つことができないのを見てとって、ヤコブのもものつがいに触ったのである。それで角力をとっている中に、ヤコブのもものつがいははずれてしまった。(後略)
(出典:『旧約聖書 創世記』(岩波文庫、1967改版)第32章25節~26節)

 このあと神は自らの正体を明かし、ヤコブはイスラエルと命名される。

 さて、人間どうしの相撲は、『日本書紀』によれば、垂仁天皇7年(BC23年)の旧暦7月7日に野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)との闘いが起源とされている。宿禰(すくね)は相撲の始祖として祭られており、奈良の当麻寺の近くに碑がたっていたのを思い出した。

 もちろん、一対一の取っ組み合いチカラ比べは、太古の昔からあったはずである。神事である以上、神話上の起源を特定することが必要になるわけだ。

(背中には「敬神」 ニッポンは「神の国」!)


 "神事相撲"は、農作物の豊凶を占い、五穀豊穣を祈り、神々の加護に感謝するための農耕儀礼である。奉納相撲の主催者たちの法被(はっぴ)に"敬神"と書かれているのは象徴的だ。

 "日本は神の国だ"と講演のなかで発言して物議をかもした元首相がいるが、ここでいう神とは小文字で始まる god であり、しかも複数形の gods のことだろう。不用意な発言といえなくもないが、日本語では単数形と複数形の区別は一般的にしないので、"神の国"といっても間違いとはいえない。神々という表現は単なる2柱以上の複数ではなく、かなり数が多い状態をさしている。一にして多、多にして一、というのが、その本質だろう。

 聖アウグスティヌスのいわゆる civitas Dei (ラテン語) が日本語では"神の国"と訳されているが、英語だと City of God であり、ニュアンスが違うのではないだろうか。

 まあ、"神々の国"といったほうが無難ではある。これなら基層としての多神教世界であったギリシアを母に、"欧州の縄文"であるケルトを父にもったアイルランド人・ラフカディオ・ハーン(=小泉八雲)風で、まったく問題ないだろう。


奉納相撲のスケジュール

 話がそれてしまった。奉納相撲のスケジュールについて書いておこう。パンフレットをもとに、実際の進行にあわせて修正した。
 
9:00~開会式  
  ①土俵の清祓いの神事
  ②国旗掲揚(陸上自衛隊・旗衛隊のラッパとともに)
  ③主催者、来賓あいさつなど
 9:40~参加選手朝食
 11:00~奉納相撲競技開始(個人戦) 
 12:30~大納川相撲甚句会による相撲甚句
 13:00~競技再開 団体戦
 14:40~閉会式  表彰・国旗降下・奉納相撲終了手締式

 昔は漁師たちが選手としても観客としても大勢参加し、たいへん熱気のあるものだったという。行司の判定に意義を唱えて行司を殴り倒すなんてこともあったらしい。それが別名"ケンカ相撲"の由来になったらしい。


 現在は、自衛隊が全面的に関与している。相撲選手として現役の自衛官が海上自衛隊下総航空基地と陸上自衛隊習志野第一空挺団から送り込まれ、ラッパ旗手の吹奏のもとに行われる国旗掲揚セレモニー、広報担当官が来賓として参加しており、地域社会とのパブリック・リレーションズづくりの場となっている。



 奉納相撲は午前の個人戦の部だけ見学したが、私の座っていた見学席のすぐ前が選手の控え場所になってしまったので、それこそ"フンドシ一丁"の若い男たちの尻と熱気がムンムンしたなかに置かれてしまい、汗臭いようななんともいえない気分になる。こんなにたくさんの男の尻を見るのは滅多にないことではあるが、私にはその手の趣味はないので誤解なきよう(笑)。



 個人戦では、一発勝負だけでなく、三人抜き、五人抜きがあり、それぞれ金一封がでるのは参加選手にとっては大きな励みだろう。

 いい取り組みもけっこうあり、バシっ、バシっと選手どうしがぶつかる音は素人相撲とはいえ、なかなか見応えがある。けっこう投げ技もでるので土俵から転がり落ちる選手もいる。ちゃんと受け身がとれないと土俵が高く作られているので危険だろう。

 もちろん私は参加するつもりはないので、無料で振る舞われる甘酒を飲みながら見学するのみである。お昼には赤飯も無料で振る舞われたのはたいへんありがたいことであった。この場を借りて、ごちそうさまでした、と関係者の皆様には申し上げておく。


楽しみは相撲甚句

 さて、相撲だけでなく、相撲甚句(すもうじんく)の披露もあり、これも楽しませていただいた。

 相撲甚句は、地方巡業する力士たちのことをアカペラで歌う江戸時代以来の邦楽で、日本語のもつチカラをフルに活かした節回しである。まあ今風にいえばコンサートツアーでの挨拶を歌でやるようなものだろう。相撲は広い意味の芸能なのである。芸能が神事であること、この原点を想起させてくれる、重要な場面である。

 船橋大神宮の奉納相撲の相撲甚句をパンフレットから転載しておこう。

船橋大神宮奉納相撲

ケンカ相撲の呼び名も高いヨ
ここは船橋大神宮
十月二十日の大祭に
江戸のころより伝わりし
奉納相撲の賑わいは
近郷近在の腕に覚えの若者の
力と技のせめぎ合い
心整え礼尽くし
土俵踏み締め胸あわせ
浜っ子たちの心意気
まわし一本男気の
内がけ外がけよりたおし
下手差してのすくいなげ
八十二手なる決め技に
わきにわいたる境内は
実りの秋の風涼し
今年も豊年大漁の 
海山幸の有り難き
民の幸せ守りたる
大神宮の大社(おおやしろ)
千代に八千代に栄えあれよ

(*一区切りがついて息継ぎをするところで、歌い手のまわりで柏手をうちながら、"ハァ~ア ドスコイ ドスコイ" という合いの手が入る)

 船橋の愛好家の皆さんが、このほかの相撲甚句もいいノドで聞かせてくれた。現役の大相撲の行司の方もおり、相撲界は芸能界なのだ、と実感させられる。

 相撲甚句、なかなかいいじゃないっすか。すっかりファンになってしまったな。

(大納川総師範が唄う「当地興行」甚句)


秋はお神楽の季節

 神楽殿からお神楽の響きが聞こえてくるので気もそぞろになる。どうもお囃子には抗しきれない何者かがあるのだ。

 日本に生まれて、日本で成長した、日本語を母語とする日本人である私のなかのDNAが無意識のうちに反応、共鳴してしまうのだ。

 篳篥(ひちりき)に太鼓。子供の頃から、横笛を吹く牛若丸に憧れていたので、篳篥は習ってみたいと思っているのだが・・・篳篥の音色は私にとっては、ハーメルンの笛吹き男の笛の音だなあ。
 雅楽をルーツとしている、ということは遠くペルシアまで及ぶ西域の音楽につらなるわけで・・・
 
 奉納相撲の主催者から、相撲甚句はお神楽が終わってからにします、というアナウンスがあったので、席をたって神楽殿に移動。順序は逆になるが、お神楽の紹介で本日を締めることとしよう。


 こちらの神楽は先週みた高根神明社のものとはやや異なり、かなり本格的である。神官二人が衣冠束帯姿で登場、お囃子と対座して座り続け、その間の空間を神楽が舞う。

 船橋大神宮には10座伝承されているという。①みこ舞、②猿田舞、③翁舞、④知之里(ちのり)舞、⑤天狐(てんこ)舞、⑥田の神舞、⑦蛭子(ひるこ)舞(=恵比寿舞)、⑧恵比寿大黒舞、⑨笹舞、⑩山神(さんじん)舞。

(お神楽 アメノウズメの舞 おかめの面で舞う)

 山神舞では餅撒き(もちまき)があり、今回は丸餅2個をゲットした。防腐剤の入っている市販の餅とは違って、弾力性があってうまいのだ。ありがたい。

(お神楽 山神舞 山神が丸餅を撒く)

 日本の秋祭りを、御神輿(おみこし)などのTVでもよく取り上げられるような側面ではなくて、氏子にとって本当に重要な祭礼を、ライブで見学することができるのはたいへん勉強になる。私自身が氏子ではないので観察者としての立場に身を置くことができる。

 日本というものはいったい何であるのか、これは生きている限り考え続けることになるテーマだ。このテーマを考えるにあたって、神道儀礼をあえて対象化して観察することに徹すると、実に面白い発見が多いのだ。神道儀礼というものは、日本人が必ずしも宗教儀礼とは認識していないことの多い、生活に密着した儀礼であるためだ。

 もちろん篳篥(ひちりき)の音色に感じ入ったり、お神楽の餅撒きの餅をゲットしようとしたりする行為にみられるように、純然たる観察者に徹するということはありえない。参加型のライブ感覚に満ちていて、これがまた面白いのだ。自らの"内なる日本"再発見の機会になる。

 ♪ハァ~ア ドスコイ ドスコイ

 ここのところ、しばらく日本に長期滞在しているので、あらためて日本について考えていることの多い、今日この頃である。



<付記>
 YouTube に神楽の映像を2本アップしましたので、ご覧いただきたく(2009年11月20日)
 ① アメノウズメの舞
 ② 山神舞


PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判にした。あらたに『江戸名所図絵』から挿絵w一枚を挿入した (2014年8月26日 記す)。



<関連サイト>

甚句の名手、大納川総師範が唄う「当地興行」 (YouTube)
・・たまたま相撲甚句の音声を録画として残していただいた方がいる。「甚句の名手、大納川(だいなかわ)総師範が唄う「当地興行」。平成21年10月20日、船橋大神宮に­於いて。相撲甚句の真髄を極め続け、歴々の角界人も驚愕したこの歌声は国宝級である」というコメントがついている。期せずして、世界最高の(・・日本最高ということは相撲甚句においては世界最高ということだ)歌声を聞かせていただいたことになる。相撲甚句は18世紀の享保年間以来の歴史があるということだ。

喜びも哀しみも...総師範の大納川さんによる甚句(魁皇断髪式) (2012年5月27日)
・・ついでにこれも聴いておきたい

(2014年8月26日 項目新設)

意富比神社 船橋大神宮 公式サイト
・・2013年に開設されていたようだ

(2016年1月2日 情報追加)



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(2014年8月26日 項目新設)





(2012年7月3日発売の拙著です)








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