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2009年8月24日月曜日

オーストリア極右政治家の「国葬」?


                         
 韓国の金大中・元大統領の国葬が、昨日(2009年8月23日)に行われた。

 私の世代ではキム・デジュンというよりも、東京九段下での拉致事件のからみもあって「きんだいちゅう」といいたいところだが、韓国では Kim Dae Jung の頭文字をとって DJ と愛称で呼ばれていたらしい。

 韓国史上、国葬は朴正煕(ぼく・せいき、パク・チョンヒ)大統領が執務中に暗殺されて以来というが、この二人は思想信条の違いは超えて、国葬に値する人物であったことは、韓国からみれば外国人である私にもまったく異論はない。

 前者がKCIAを指揮して後者の拉致を実行させた人、後者は拉致事件の被害者として死刑寸前までいった民主化リーダー。日本の国家主権を踏みにじった「金大中事件」は決して記憶の彼方にある事件ではない。

 パク・チョンヒもキム・デジュンも、日本の植民地時代に日本語教育を受けた世代であることも共通している。慶尚北道(キョンサンプクド)出身で、日本の陸軍士官学校を卒業した満洲国軍中尉・高木正雄(1917-1979)と、韓国南部の全羅南道(チョルラナンド)出身のカトリック信徒の民主政治家・豊田大中(1925-2009)。

 日本経験と、日本語経験にはもちろん違いがあるが、キム・デジュンの死をもって「日本語世代」がついに終わったのだな、という強い感慨を覚える。まさに、昭和も遠くなりにけり、だ。

 いずれにせよ、キム・デジュンという超大物政治家の国葬における弔問外交が、南北対話再会のための雪解けとなったことは喜ぶべき事である。


極右政治家ヨルク・ハイダーの「国葬」(2008年10月18日)

 ところで、フランスのオピニオン紙「ル・モンド」(Le Monde)に日本語版があるのはご存じだろうか。

 久々にウェブサイトをみていたら、最新号に非常に面白い記事が翻訳掲載されていることに気がついた。題して「ハイダーを「国葬」したオーストリアの土壌」。

 ヨルク・ハイダー(Jörg Haider)とは、オーストリアの極右政治家かつてからナチス礼賛をおこなってきたイケメン政治家である。

(ヨルク・ハイダー wikipediaより)

 酩酊状態で、スポーツカーのスピード出し過ぎで事故死したことは日本でも報道されていたが、その後のことはいままで全く知らなかった。詳しくは記事を読んでいただけばよいが、なぜオーストリアに極右政治家がいて、しかも国民的人気をはくしていたのか、いろいろ考えさせられることも多い。

 この記事にもあるように、遠い極東の日本はもとより、同じ西欧のフランスでもオーストリア関連のニュースはあまり話題にならないようだ。たしかに、実の娘を地下室に監禁し、強姦し続けた男の猟期的な事件とか、そういった特殊なニュースしか取り上げられていないが、これは日本だけではなかったのだな。


フランスからみたドイツ語圏

 フランスからみると、大国ドイツ以外のドイツ語圏というのは、どうやら何か理解しにくい地域であるようだ。

 戦後西ドイツはフランスと共同歩調をとることによって、復興欧州での地位回復を図ってきた歴史がある。高校生レベルでの交換留学制度があり、両国民の相互理解は非常に進んでいる。これはもう十数年まえのことだが、旅先のシュトラースブルク(・・フランスではストラスブール)で、同じ部屋をシェアしたドイツ青年自身から直接聞いたことのある話だ。この背景には共通語としての英語(・・欧州の場合はイギリス英語)の存在も寄与している。

 ドイツ語圏でもオーストリアのような小国は、フランスとはドイツとのあいだにあるような親密な交流はないのかもしれない。

 欧州共同体(EU:European Union)に属しているとはいえ、内部の差異は思ったよりも大きいようだ。何よりもフランス語圏とドイツ語圏とでは流通するニュースにも大きな違いがある。

 これは、Google News の各国語バージョンで検証してみたらすぐにわかることだ。フランスの旧植民地のアフリカの情報はフランス語圏では流通しても、ドイツ語圏では流通しない。国境をはさんで隣り合った地域でも、フランスのTV番組とドイツのTV番組ではだいぶ内容が違う。


ハプスブルク帝国の崩壊と小国オーストリアの誕生

 かつてのハプスブルク帝国(=オーストリア・ハンガリー二重帝国)も第一次世界大戦後に崩壊、帝国の版図内にあった中欧諸国が次々と独立していった結果、オーストリア(ドイツ語では Österreich: エスターライヒ=東方の帝国)という小国になってしまった。

 私はウィーンが好きで何度もいっているが、オーストリアでそれ以外の地方というと、ウィーンから日帰りでいける範囲しかいったことがない。ドナウ川をさかのぼったメルクにある美しいバロック修道院と、ザルツブルクくらいだ。

 ザルツブルクはウィーンからいくよりも、南ドイツのミュンヘンからのほうが近い。数年前にミュンヘンのオクトーバーフェストとザルツブルク、インスブルックを回る旅行を計画したが中止。それ以前には、ウィーン西駅からハンガリーのブダペストへ二回、ウィーン南駅からスロヴェニアのリュブリャーナへ一回、鉄道でオーストリアを陸路横断したくらいである。

 ひとことでいってしまえば、ハプスブルク帝国の帝都であったウィーンとそれ以外の地域はまったく異なる、ということである。アルプスの北側に位置するオーストリアは、ある意味スイスに似て風光明媚だが、住んでいる人間はかなり保守的な農民が中心ということのようである。ウィーンはそのなかに浮かぶ例外的な国際都市ということになる。




 ドイツ映画 『野ばら』(Der Schönste Tag meines Lebens:我が生涯で最も美しかった時、1957年 映画の一部に描かれたウィーン少年合唱団、ハリウッド映画『サウンド・オブ・ミュージック』(The Sound of Music、1965)の世界は実はそんなところだろう。

Michael Ande & Wiener Sängerknaben - Ave Maria 1957

 『サウンド・オブ・ミュージック』は、第二次大戦中、ナチス第三帝国に占領されたオーストリアで抵抗運動を行う退役海軍大佐(!)が家族をつれて命からがら脱出するという内容の映画で、撮影場所と成ったザルツブルクと英国人女優ジュリー・アンドルース本人が歌うオスカー・ハマースタイン二世の親しみやすく美しいメロディが素晴らしい。


 まあ、日本人だけではなく、世界的にもオーストリアのイメージは、ウィーン以外は風光明媚なチロル地方、というのがごく一般的なイメージなようだ。

The Sound of Music | #TBT Trailer | 20th Century FOX

 ところが、地元のオーストリアではこの映画は不評だ、というのを以前何かで読んだことがある。


ドイツ語圏におけるドイツとオーストリアの関係

 オーストリアとドイツの関係は一筋縄ではいかないようで、1872年「ドイツ統一」の際も、プロイセン王国の宰相ビスマルクは、オーストリア(ハプスブルク帝国)を除外した「小ドイツ主義」によってドイツ帝国を建設する道を選択した。ハプスブルク帝国が、ドイツ民族以外のスラブ民族やハンガリー民族など多数の異民族を含んでいたためである。

 このため、ナチスドイツによるオーストリア併合(1938年)は、オーストリアでは歓迎された(!)ことは、当時のドキュメントフィルムには、オープンカーで凱旋するヒトラー総統をウィーン市民が熱狂的に歓迎する姿が映像として残されており、一目瞭然である(映像は各種ある )。




 神聖ローマ帝国の領土を継承することによって、ドイツ帝国に次ぐ、ドイツ第三帝国が完成したのだというのだろう。

 このような国で、『サウンド・オブ・ミュージック』のような反ナチス映画が諸手をあげて歓迎されるはずがない。国家が選択した国際社会での生き残り戦略と、一般市民の歴史認識にはズレが存在するからだ。

 したがって、オーストリアがナチスの被害者だと主張するのにはムリがある。

 第二次大戦後は、スイスと同じく永世中立国という選択を行い、国際的にはポジティブなイメージを振りまいてきたオーストリアも、ワルトハイム元国連事務総長がかつてナチスの突撃隊(SA)に属していたと暴露されてスキャンダル発生以降、国際的には疑問符のつく存在となっている。

 オーストリア国内の認識と国際社会の認識のズレがこういうところにあらわれているのであろう。

 その土地の人間の認識と、映画など各種メディアをつうじて知る外部の人間のあいだには大きな認識ギャップが存在するのである。


ナチス時代の「過去」をめぐる歴史認識のズレ

 歴史認識にかんしてはなおさらだろう。

 ドイツ語圏といっても、過去の歴史への対応は、旧西ドイツ、旧東ドイツ、スイス、オーストリアでは大きく異なるようである。

 また、旧ハプスブルク帝国領の中欧諸国は現在でも中高年以上は英語よりもドイツ語が得意なドイツ語圏だが、ドイツに占領されたチェコ(スロヴァキア)やポーランドといったスラブ民族と、二度の対戦においてドイツと軍事同盟を結んだハンガリーとでは、かなりの温度差があるようだ。

 どこの国であれ、歴史認識をめぐる問題は難しい。歴史とは過去の問題ではなく、現在の、そして未来に直結した問題であるからだ。

 安直にドイツがモデルだなどといわないほうがよいのではないか? 広くドイツ語圏とはいわずとも、東西再統一後のドイツにおいてすら歴史認識をめぐっては必ずしも一致しているわけではない。ましてや・・・



PS 読みやすくするために改行を増やし、あらたに小見出しを加えた。ただし、内容にはいっさい手は加えていない。なお、「ブログ内関連記事」の項目を新設した。(2015年2月8日 記す)     






PS オーストリア総選挙で中道右派が勝利(2017年10月16日)

オーストリア総選挙で中道右派の国民党が過半数は取れなかったが、得票率で第一党となった。党首はなんと31歳のゼバスティアン・クルツ氏。極右のハイダー氏もそうであったが、オーストリア国民はドイツ国民とは違って、イケメン政治家が好きなようだ。

(ゼバスティアン・クルツ氏 wikipediaより)

さらに、第二党には極右政党の自由党。この両者が連立を組んで右派連合が結成されると予想されているが、このブログ記事を読んだ人なら、なんら違和感を感じないだろう。ドイツのメルケル政権が中心となって進めたEUの難民受け入れ政策への反発がこういう結果をもたらしたのである。

なお、あらたにハイダー氏とクルツ氏の写真を挿入し、その他の画像を拡大版とした。すでに視聴不可能となっている動画は削除し、あらたなものに入れ替えた。基本的に本文には手は入れていない。

(2017年10月16日 記す)


<関連サイト>

ハイダーを「国葬」したオーストリアの土壌 (ピエール・ドーム特派員(Pierre Daum) ジャーナリスト、訳:日本語版編集部)
・・「ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2009年7月号」


<ブログ内関連記事>

オーストリアとウィーン

書評 『ヒトラーのウィーン』(中島義道、新潮社、2012)-独裁者ヒトラーにとっての「ウィーン愛憎」

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著 ・・失敗に終わった「1848年革命」をウィーンを舞台に描く

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)
・・1909年ウィーンに生まれたドラッカーは、第一次大戦に敗戦し帝国が崩壊した都市ウィーンの状況に嫌気がさして17歳のとき(1926年)、商都ハンブルクに移っている

書評 『レッドブルはなぜ世界で52億本も売れるのか-爆発的な成長を遂げた驚異の逆張り戦略-』(ヴォルフガング・ヒュアヴェーガー、長谷川圭訳、日経BP社、2013)-タイの 「ローカル製品」 を 「グローバルブランド」に育て上げたストーリー ・・レッドブルの本社はオーストリアのザルツブルク近郊にある

戦後ドイツの歴史認識

・・ドイツの日本人学校の校長による歴史教育のレポート

・・旧西ドイツと旧東ドイツの歴史認識のズレ


■ファシズム・右派・極右

・・リアルタイムでファシズムを観察していたドラッカーは、イタリアのファシズムとドイツのナチズムが別物であることを的確に見抜いていた

(書評再録) 『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』(ロマノ・ヴルピッタ、中公叢書、2000)-いまだに「見えていないイタリア」がある!




フランス人のドイツ観

・・「ドイツは、普遍主義的なヨーロッパ的態度を取ることができないのです。・・(中略)・・ドイツは、巨大なドイツ語系スイスのようなものだと、言っているのです」(トッド)

(2015年2月8日 項目新設)
(2016年12月4日 情報追加)




(2017年5月18日発売の新著です)


(2012年7月3日発売の拙著です)







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