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2014年3月20日木曜日

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む


『テロルの決算』と『危機の宰相』は、「戦後」の転換点となった1960年(昭和35年)を沢木耕太郎の傑作ノンフィクションである。

1960年とは「安保反対」が国民的な運動になった年であり、そしてその挫折後に「高度成長」が「所得倍増」というスローガンのもとに開始された年でもある。

2014年という現在から振り返れば、1868年の明治維新以来の課題であった日本の「近代化」を完成させるステッピングボードになった年だといえるだろう。

『テロルの決算』と『危機の宰相』は、文春文庫からそれぞれ新装版と新刊として2008年に出版されたが、この二冊はあわせて読むべきだ。もしまだ読んだことがなければ、まずは『テロルの決算』を読み、そのうえで『危機の宰相』を読むべきだろう。

『テロルの決算』(文春文庫、2008、1982 単行本初版 1978
『危機の宰相』(文春文庫、2008 単行本初版 2006、2004 雑誌発表 1977
『未完の六月』ついに「未完」に終わった

この二冊はもともと三部作として構想されていたものが二部作で終わってしまったものなのだという。『危機の宰相』の「あとがき」で著者自身が語っているが、『テロルの決算』『危機の宰相』『未完の六月』が書かれる予定だったらしい。「安保闘争」そのものを描くはずだった『未完の六月』はついに「未完」に終わってしまった


『テロルの決算』-「苦悩と信念」

『テロルの決算』は、1960年の浅沼稲次郎(社会党委員長)暗殺事件をテーマにした超有名な傑作ノンフィクションだ。暗殺の決定的瞬間を撮影した写真はあまりにも有名だが、じつはいまのいままで読んだことがなかったのだ。


主人公のテロリスト・山口二矢(やまぐち・おとや)は17歳の憂国の右翼少年であった。多くの読者は『テロルの決算』の、とくに17歳の山口二矢に感情移入に近いものを感じるだろうなと、読みながら思った。

単行本として出版されたのが1978年、そのときわたしは16歳から17歳にかけての年であったのだが、本の存在すら知らなかったのは幸いだったのか、それとも不幸だったか。おなじく反共で右翼的傾向をもっていた1978年当時の自分が読んでいたら、いったいどんな感想をもったことだろうか。

17歳のとき読まなくてよかったかもしれないと思うのは正直なところだ。17歳男子というのは観念論に傾きがちな年頃である。高校を卒業すると踏み入れることになる「大人の世界」という清濁あわせた現実をよく知らないため、どうしても観念論が肥大化しがちであり、肥大化したな観念論はも過激な行動に結びつかないとも限らない。ピュア(純粋)といえばそのとおりなのだが、イノセントというのは無知と同義語でもある。

三〇 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

近代日本の「行動主義」の源流にそびえ立つ「革命家」西郷郷隆盛が『西郷南洲遺訓』でそう語っているとおりである。そうでないと突破力は生まれない。

1960年当時17歳(セブンティーン)であった「憂国」の右翼少年は、よくよく考えてみれば1943年(昭和18年)生まれであり、団塊世代より前の世代である。

「自分のアタマで考え、自分で実行した」この少年は、自らの命もまた自分で決めて始末(=自決)したので、「永遠の17歳」として結晶化されてしまったのだが、もし現在まで生きていたとしたら71歳(=セブンティーワン)である。セブンティーンとセブンティーワン。ふとそんなことに気がついた。

もう一人の主人公、暗殺された側の浅沼稲次郎も、暗殺されなかったらおそらく歴史に名を残すことはなかっただろう。

わたしもこの名前は暗殺された人としてのみ記憶していたが、『テロルの決算』を読みながら思ったのは、年齢の問題よりも、厳しい時代に社会主義者として彼が生きてきた人生の軌跡がじつによく描かれているからだ。

本来ならまったくなんの関係もなかった17歳の少年と61歳の庶民派の老政治家。この二人の人生を交錯させながら描いた『テロルの決算』は、傑作としか言いようがない。文体もまた完全に三人称を貫いていながら主人公の二人に寄り添ったものであり、安易な感情移入を排していながら根底には熱い思いがあることを感じさせるからだ。

だが、『テロルの決算』についてのみ感想を記すのはすごくむずかしい。主人公の少年が暗殺者でありテロリストであるからだ。

『テロルの決算』には、「事件後」のてんまつとして、つぎのような記述がある。

玉川学園は二矢(おとや)がかつて在籍したことを隠したり恥じたりするようなことはしなかった。小原国芳(おばら・くによし)は事件後も二矢を自分の大切な生徒とみなし、山口夫妻をその両親として以前と少しも変わらぬ暖かい遇し方をした。(P.302)

高校を中退して「縁」が切れていたはずの少年を、「事件後」も自分の生徒として受け止めた教育者の大きな「愛」に深い感銘を受けたと書いておきたい。


『危機の宰相』-「夢と志」

『危機の宰相』の主人公は、「所得倍増」というスローガンで「高度成長」を実現した自民党の池田勇人首相を中心とした三人の明治生まれの元大蔵官僚たちである。


池田勇人を支えた二人とは、「高度成長」のイデオローグとなった官庁エコノミストの下村治、池田勇人と下村治をつなぐ役割を果たした自民党の宏池会事務局長であった田村敏男

『危機の宰相』の主人公は、みな大蔵官僚出身で旧制高校と東京帝大の出身者という絵に描いたようなエリートである。だが共通するのはそれだけではない。みな病気やその他の理由で、キャリアと人生において大きな挫折を経験した「敗者」(=ルーザー)であったという点だ。

日本じたいが「敗戦」によって大きな挫折を経験したのである。広い意味でいえば大東亜戦争の敗戦によって、日本人すべてが「敗者」となったわけである。

だが、大きな挫折を経験し、敗者として傍流に追いやられた人たちだからこそ、民族のエネルギー解き放ち、日本の復興と発展を実現するプロモーターになったという逆説。これが『危機の宰相』に一貫して流れるテーマである。

『危機の宰相』は、「ジャパン・ミラクル」誕生の物語でもある。ハーバード・ビジネススクールのヴィートー教授は、日本の「高度成長」を空前絶後の「ジャパンミラクル」と呼んでいる。

西欧先進国にキャッチアップするという明治維新以来の夢は、東京オリンピック(1964年)と大阪万博(1970年)というセットによって実現し、大東亜戦争の敗戦でいったん大きく「挫折」した日本にとっての「近代」という見果てぬ夢は、1970年前後にはほぼ完成することになる。まさにこの「軌跡」は「奇跡」(ミラクル)であったのだ。

『危機の宰相』という本は、借り物ではなく独自の理論を生み出したにかかわらず、世に知られることがなかった経済学者・下村治を正当に評価したいという「義侠心」が出発点にあると著者自身が語っている。 『テロルの決算』の主人公・山口二矢を書いたのとおなじ「義侠心」である。

『危機の宰相』 のもう一つのテーマは、満洲国の存在と戦後日本におけるその意味である。

満洲国建設に人生を賭けた官僚・田村敏男は、日本の敗戦による満洲国解体後にはシベリア抑留も体験しているが、人生の意味を喪失して虚脱状態となっていた。戦後の黒子としての縁の下の活躍は、戦後日本復興と高度成長を、挫折に終わった満洲国建設の再現と考えていたのではないかと思わせるものがある。

「敗者」となっても、それを精神的なバネとして再起を図ること。その意味を読む人につよく感じさせるノンフィクションなのでもある。

『危機の宰相』は人物ノンフィクションでありながら、すぐれた文章による経済ノンフィクションでもある。著者が経済学部出身であるだけでなく、じつに綿密に取材を行い、経済文献も読みこんでいるからだ。


『テロルの決算』と『危機の宰相』はあわせて読むべき

「1960年」という戦後の転換点になった年を人物に即して描いた二部作。この二冊はあわせて読むべきだ。もしまだ読んだことがなければ、まずは『テロルの決算』を読み、そのうえで『危機の宰相』を読むべきだろう。

「反米」意識をつよくもっていた左翼、「反共」の立場でつよい危機感を感じていた右翼、ともにナショナリストの心情から発した「アンチ」という性格を根底にもった政治姿勢であったことは共通している。

その左右両翼の政治的ナショナリズムを最終的に無力化したのが、自己肯定感に満ちた「経済ナショナリズム」であった。「アンチ」というネガティブな感情ではなく、経済成長というポジティブな意識。

左翼でも右翼でもない中道保守路線への鮮やかな転換。「所得倍増」というスローガンに率いられた「高度成長」の物語。「所得倍増」という卓抜なスローガンを国民の多くが支持したからこそ、日本の復興は実現したのである。

『テロルの決算』につづけて『危機の宰相』を読むことで、「政治の季節」にとどめ刺したのが一本の短刀であったことを立体的に理解できる。どちらか一方だけでは足りないのである。その意味では、『テロルの決算』と『危機の宰相』はセットなのである。

ほんとうは安保闘争そのもの描くはずだった『未完の六月』があったらよかったのだろうが、安保闘争についてはあまりにも多くのことが語られてきたので、それはそれでいいだろう。別に読むべき本はたくさんある。

『テロルの決算』には、17歳の少年と61歳の老政治家という二人の人生の一瞬の交錯に「生から死への跳躍」がある。『危機の宰相』には、「所得倍増」にかけた三人の「敗者」(=ルーザー)に、死から生への道をつけた情熱がある。そして共通するのは、いずれも信念と志をもった人たちであったということだ。

1960年前後を描いたこの二冊は、「1960年」という年が「戦前」と「戦後」をつなぐ年であっただけでなく、1868年の明治維新以後の日本近代史を一貫して流れるテーマが凝縮した年であったといえるかもしれない。

そう思うのは、この二冊の主人公の五人が、いずれも「戦前」の生まれであったことだ。「戦前」と「戦後」は当然のことながら断絶しているわけではない。若い順に並べてみよう。

山口二矢(やまぐち・おとや 1943~1960) 右翼少年
下村治(しもむら・おさむ 1910~1989) エコノミスト(経済学博士)
池田勇人(いけだ・はやと 1899~1965) 自民党総裁
浅沼稲次郎(あさぬま・いなじろう 1898~1960) 社会党書記長
田村敏男(たむら・としお 1896~1963) 宏池会事務局長


『危機の宰相』では1960年までの国家官僚は「国士」としての意識を濃厚にもっていたことが語られている。国のために尽くす、国と国民のために貢献したいというつよい思い。

右翼少年の山口二矢は当然のことながら、浅沼稲次郎もまた国家社会主義として出発した人であり、国士的なものをもっていた。

そう、みな「国士」だったのだ。ナショナリズトだったのだ。しかも、みな「敗者」であり「傍流」であり「時代への違和感」をつよく感じていた人たちであった。だからこそ、「自分のアタマで考え、自分で実行した」人たちとなったのかもしれない。とかく少数派はものを考えざるをえない

忘れてはならないのは、生き残った「敗者」たちの背後にある大きな犠牲についてだ。日本近代史は、きわめて大きな犠牲のうえに成り立っているということ。高度成長もまた同じだ。

いまさら「1960年」なんてむかしのことを考えてどうするのだという疑問もあるだろう。だが、日本と日本人が「世界の静かな中心」として生き続けていく限り、民族の底力がどこにあるかを感じとるためにも、沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 は読む必要があるのだとつよく思うのである。

「世界の静かな中心」というフレーズは、 『危機の宰相』で沢木耕太郎が引用している三島由紀夫のコトバである。




『テロルの決算』

目 次
序章 伝説
第1章 十月の朝
第2章 天子、剣をとる
第3章 巡礼の果て
第4章 死の影
第5章 彼らが見たもの
第6章 残された者たち
第7章 最後の晩餐
終章 伝説、再び
あとがきⅠ
あとがきⅡ
あとがきⅢ
主要参考文献




『危機の宰相』

目 次
序章 ささやかな発端
第1章 黄金時代
第2章 戦後最大のコピー
第3章 第三のブレーン
第4章 敗者としての池田勇人
第5章 敗者としての田村敏雄
第6章 敗者としての下村治
第7章 木曜会
第8章 総理への道
第9章 田文と呉起
第10章 邪教から国教へ
第11章 勝者たち
第12章 やがて幕が下り
終章 世界の静かな中心
あとがきⅠ
あとがきⅡ
主要参考文献
解説 父が見た「危機の宰相」(下村恭民)

著者プロフィール

沢木耕太郎(さわき・こうたろう)1947年東京生まれ。1970年に横浜国立大学経済学部卒業。若きテロリストと老政治家のその一瞬までのシーンを積み重ねることで、浅沼稲次郎刺殺事件を描ききった『テロルの決算』で79年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『一瞬の夏』(1981年 新田次郎文学賞)、『凍』(2005年 講談社ノンフィクション賞)など常に方法論を模索しつつノンフィクションに新しい地平を開いてきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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