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2014年7月7日月曜日

盧溝橋事件(1937年7月7日)から77年-北京の盧溝橋が別名マルコポーロ橋ということを知るとものの見方が変わってくるはずだ

(青木富太郎訳の『東方見聞録』)

本日は2014年7月7日、七夕(たなばた)の当日だが、あいにく今年2014年は超巨大な台風8号が接近中で七夕どころではない状況である。梅雨時の台風は大きな被害をもたらす可能性がある。

ところで年中行事としての七夕が伝来してきたのは中国からだが、その中国では、本日7月7日は盧溝橋事件の日とされているらしい。盧溝橋事件とは、日中戦争(・・当時は支那事変と呼んでいた)に直接つながるキッカケとなったものである。北京の盧溝橋(ろこうきょう)付近で発生した日中の衝突事件だ。

それはちょうどいまから77年前の1937年(昭和12年)7月7日のことであった。中国では一般的に「七七事変」と呼ばれることから、77年目にあたる2014年が特別な意味をもっていることは想像に難くない。中国人の好きな末広がりの 8 ではないが、77 で 77 である。ぞろ目のダブルである。

事件の概要は wikipediaの記述を呼んでいただければいいが、かいつまんでいえば、ささいな行き違いから起こった偶発的な事件であったというのがその本質だろう。事件の真相については議論が続いているが、いまだにどちらの側に非があったのか決着はついていないようだ。真相は「藪の中」というべきであろう。偶発事件とはそういうものだ。

今年は中国共産党の習近平主席が中国人民抗日戦争記念館で行われた式典に出席し、対日批判の演説をしたと報道されている。最高指導者の出席はきわめて異例とのことだが、政略としての「反日」を推進する習近平にとっては、またとない絶好の機会となったことであろう。


盧溝橋は別名マルコポーロ橋という

しかし思うに、中国共産党はなんと愚かなことをしているものかと言わざるを得ない。というのも、盧溝橋事件の舞台となった盧溝橋(ろこうきょう)は、西洋では別名マルコポーロ橋としても知られているだからだ。イタリア語では Ponte di Marco Polo、英語では Marco Polo Bridge という。

マルコ・ポーロ(1254~1324)といえば日本人なら知らない人はまずいないというほど有名な存在だが、イタリアのヴェネツィア商人の彼は、遠路はるばる陸路で、当時は元朝のクビライ・ハーンの宮廷まで来ているのである。13世紀のことである。モンゴルによる世界征服事業によって、この時代にはじめて東洋と西洋が一つの世界としてつながったのであった!

(東洋文庫蔵の『東方見聞録』 筆者撮影)

より正確に記せば、マルコ・ポーロは1274年にクビライに謁見し、以後17年間、1291年まで元朝に滞在していた。その間、外交使節として各地に赴いているが、基本的に元朝にいたことにある。

二度にわたる元寇(=蒙古襲来)が行われたのが1274年の「文永の役」と1281年の「弘安の役」であるから、マルコ・ポーロは、まさに日本にとってはきわめてクリティカルな時期に元朝にいたことになる。日本は鎌倉時代、『立正安国論』で蒙古襲来の危険を警告していた日蓮の時代である。

マルコ・ポーロは日本を「黄金の国ジパング」と記して世界に知らしめたことで有名だが、本人は一度も日本には来航していない。元寇が成功していれば(・・逆にいえば日本が敗退していれば)、マルコポーロも日本に来ていたかもしれない。じっさいに来ていたら、かならずしも「黄金の国ジパング」ではないことに失望していたかもしれないが・・・。

余談だが、マルコポーロのいう「ジパング」とは、日本の中国語読みの「ジーベン」がなまったものであろう。だから「ニッポン」が「ジャパン」(JAPAN)であることはなんら問題はない。

マルコポーロは『東方見聞録』(Il Milione:百万の物語)でジパングと遠征事業(=元寇)の失敗について「第5章 日本、南海諸島、南インド、インド洋の沿岸及び諸島」で語っているが、盧溝橋のことは「第2章 カタイの西部および西南部への旅」に語られている。

(盧溝橋=マルコポーロ橋 wikipediaより)

「黄金の国ジパング」については比較的よく知られているので、ここでは盧溝橋についての記述を『マルコ・ポーロ 東方見聞録』(青木富太郎訳、現代教養文庫(社会思想社)、1969)から引用しておこう。

大ハーンはマルコ・ポーロを西部の地方へ使者として派遣した。4ヶ月以上かかったその往復の途上で見たすべてのことを語ろう。ハンバリクをたって16キロ行くと大きな川につく。ブリサンギン[蘆溝]といい、大河にそそいでいるので、商品をたずさえた商人が海からのぼってくる。きわめて美しい石橋がかかっている。長さ270メートル、十頭の馬がならんで通れるくらいだから、幅は7メートル以上はあるだろう。24のアーチと橋脚があるが、美しい大理石で堅固につくられている。両側に大理石製の手すりと柱があり、その根もとに大理石製のライオンがある。柱の頂上にもライオンがおかれ、いずれも立派な彫刻だ。手すりは灰色の大理石である。(P.110 *太字ゴチックは引用者=さとう)

ハンバリクとは本によってはカンバルクと記されることもあるが、元朝の首都であった大都(だいと)のことであり、現在の北京の前身にあたる。この文章で語られている橋は、現在でも修復されたうえで使用されているが、自動車の通行は禁止されている。

(盧溝橋=マルコポーロ橋上に並ぶ獅子 wikipediaより)

マルコ・ポーロのジパングにかんする記述はあくまでも伝聞によるものなのでかならずしも正確ではないが、盧溝にかかる橋についてはじっさいに自分も渡っているので正確であると見ていいのだろう。


ヴェネツィア人マルコ・ポーロこそ日中の仲介役としてふさわしい

以上のように、盧溝橋をマルコポーロ橋と読み換えれば、マルコ・ポーロが深くかかわっていることが理解できたはずだ。

マルコ・ポーロが中国でどれほど認知されているのか知らないが、日本における絶大な知名度を考慮に入れれば、「盧溝橋事件から77年」で対日批判を行うことが、深慮を欠いた行為であることはあきらかである。

日中友好などという美辞麗句はわたしは好きではないが、それでもあえて日中の関係改善を図るのであれば、ヴェネツィア人マルコ・ポーロほどふさわしい仲介役は存在しないのではないだろうか!? もちろん「過去の人」ではあるが、直接的な利害関係のない第三者ではある。

残念ながら、戦略的深みが中国共産党指導部には欠如しているようだ。日本人そのものを敵に回すような言動が、「意図せざる結果」をもlたらすに過ぎないことを、なぜいまだに学習しないのか不思議でならない。「反日」の言動はすればするほど、日本人を「反中」に追いやることがなぜわからないのか?

歴史観の一方的な押しつけは、ジコチューという名の中華思想以外の何者でもない。

「歴史」は重要だが、過去にこだわっていては未来志向の関係を構築することが不可能なことは言うまでもない。要は、「歴史」をどこまでさかのぼるかどの時点の「歴史」で語るか、ということでもある。それが「未来」志向の基礎となる。

「日中友好」時代の中国共産党には、そういう戦略的な姿勢が存在したのだが・・・。もっと「大人」(たいじん)ぶりを示しなさい、と言いたくなる。








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(2012年7月3日発売の拙著です)








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