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2014年7月31日木曜日

アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで!

(Uncle Sam)

君はアンクル・サムを知っているか?

英語で書けば Uncle Sam、日本語でいえば「サム叔父さん」ということになる。冒頭に掲げたポスターで君に向かって指さしている人物のことだ。陸軍の志願兵募集ポスターに登場する人物である。

アンクル・サムは実在の人物だったのだ!
アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった!

じつはわたしもその事実を知るまでは、アンクル・サムはアメリカ合衆国を擬人化した架空の人物だと思い込んでいた。Uncle Sam の頭文字をとって略すと US となる。そう、United States の US と同じだ。アメリカ合衆国のことだ。

いまはもうほとんどつかわないが、かつて典型的な英国人がジョン・ブル(John Bull)と擬人化して呼ばれていたように、フランス女性の擬人化がマリアンヌと呼ばれているように、アンクル・サムもそのようなものだと思い込んでいたのだ。

わたしがアンクル・サムが実在の人だと知ったのは、彼が住んでいたニューヨーク州トロイに住むことになったからだ。その地にある米国最古の工科大学であるレンセラー工科大学(通称 RPI)に、MBA取得のため留学したからである。いまから24年前の1990年のことだ。

アンクル・サムは本名をサミュエル・ウィルソン(Samuel Wilson)という。1776年9月13日にマサチューセッツ州アーリントンに生まれたスコットランド系移民の出身。トロイに移住して兄弟と精肉業者(meat packer)として独立、成功した起業家となり、地域の発展に大いに貢献した人物だ。その結果、存命当時からサミュエル・ウィルソンはアンクル・サムとして土地の人から慕われていたという。

(1990年にトロイで購入したポストカード)


アンクル・サム伝説が生まれたのは、1812年の米英戦争(・・第二独立戦争ともいう)がキッカケである。

精肉業者のアンクル・サムは米国陸軍への大口の食肉供給契約を受注した。それはハドソン川沿いのトロイという土地が、水運が物流の中心であった当時においては物流の結節点であったからである。アンクル・サムの精肉会社が供給する食肉は新鮮で品質が高かったという。

肉をつめた樽には EA-US と刻印されていたそうだが、トロイ出身の兵士たちは US を United States ではなく Uncle Sam のことだと思ったらしい。それがアンクル・サム伝説が生まれることにつながったという。偉大なる勘違いというやつである。

サミュエル・ウィルソンがトロイで亡くなったのは1854年7月31日。享年 87歳。本日(2014年7月31日)は、没後160年ということになる。


ニューヨーク州トロイはオランダ人が入植して開発した

アメリカ産業革命発祥の地トロイ(Troy)は、ハドソン川沿いの交通の要衝。風光明媚な土地である。

トロイとはトロイの木馬のトロイのことで、古代ギリシアの都市のことであり、シュリーマンが少年時代の夢を実現するため私産を投じて発掘した都市のことである。詳細は自叙伝の『古代への情熱』に詳述されている。

(ハドソン川からみたトロイ wikipediaより)

現在は物流の中心は航空貨物と鉄道とトラックによる陸運が中心になっているが、19世紀前半のアメリカにおいては水運が中心であった。またエネルギー源は石炭火力から19世紀末には水力発電に移行しつつあった。

ハドソン川がニューヨークのマンハッタンと縁が深いことを知っている人は多いと思うが、ハドソン川をすこし北にさかのぼれば、ドイツのライン川のような風光明媚な土地になることは、あまり知られていないかもしれない。陸軍士官学校のウェストポイントはハドソン川左岸の台地に立地している。ハドソン川流域は、とくに秋の紅葉シーズンが美しい!

(ハドソン川とモホーク川が分岐する地点にトロイがある wikipeiaより)


ハドソン川の上流に位置するトロイは、対岸の首都オルバニーにも近く、運河が掘削されて五大湖の一つエリー湖ともつながっているトロイは物流の結節点に位置していたのである。現在ならニューヨーク・シティからもボストンからも、クルマで3時間くらいの距離である。

(トロイ周辺図 wikipediaより)

トロイ周辺には、先住民のネイティブ・アメリカン風の地名が痕跡として残存している。たとえばモホーク(Mohawk)というのはじつに美しい響きだから、そのまま地名として残されたのだろう。モホーク族のモホークである。北海道に残るアイヌ語が起源の地名と似ているのかもしれない。

初期のアメリカ文学を代表する作家にワシントン・アーヴィング(Washington Irving)という人がいる。『スケッチブック』という短編集に、「リップ・ヴァン・ウィンクル」という作品がある、アメリカ版浦島太郎のような伝説を小説にしたものだ。主人公はオランダ系移民に設定されている。

「リップ・ヴァン・ウィンクル」の舞台がハドソン川沿いのキャッツキル(Catskill)という山中のことなのだが、この kill というのは川のことをさす表現のようで、もっぱらニューヨーク州のみで使用される方言らしい。語源はオランダ語だそうだ。(kill (noun) Chiefly New York State. a channel; creek; stream; river: used especially in place names: Kill Van Kull. Origin: 1660–70, Americanism; &; Dutch kil, Middle Dutch kille channel)。

このようにハドソン川流域はオランダ人が入植して開拓した土地であった。そもそもニューヨークはニューアムステルダムと呼ばれていたのである。最初に入植したのはオランダ人であったが、その後アメリカは英国の植民地となった。

わたしが留学したレンセラー工科大学のレンセラー(Rensselaer)とは、創立者であったオランダ人入植者の大地主 スティーヴン・ヴァン・レンセラー(Steven Van Resselaer 1764~1839)から命名されたものだ。当時は全米で第10位の資産家。政治家でもあり、みずからの資産で、その後レンセラー工科大学となる実科学校(ポリテクニーク)を1824年に創立したのである。ポリテクは、ナポレオンがつくった理工系の実科学校がモデルである。

プラグマティックなオランダ人らしい実学志向の学校であり、この工科大学モデルが人材育成をつうじて「アメリカ産業革命」に大きく貢献したことはいうまでもない。アメリカ的な実学志向は、アングロサクソンだけではなく、オランダ的なものも、その源流にあったことがわかる。

アメリカ産業革命の発祥の地であるトロイも、その後の産業中心地の西への移動によって一時期は衰退していたが、現在はベンチャーの孵化器であるインキュベーションセンターとテクノロジーパークの設置が成功したことにによって、地域再活性化モデルとしての重要性が再確認されるに至っている。

わたしが留学したのは、日本ではまだインキュベーションの重要性があまり認識されていなかった頃のことだ。四半世紀たって状況が大幅に変化したことは、まことにもってうれしい限りだ。



明治時代初期にトロイで学んだ日本人がいた!

専修大学の創設者の一人となった目賀田種太郎(めがた・たねたろう)などの日本人留学生がトロイ・アカデミーという学校で勉強していたという。これはニューヨーク州トロイのことである。

専修大学の関係者ではないので、たまたまトロイ関連で検索に引っかかったのでその存在を知った。目賀田種太郎という人物は、じつにすごい経歴の人なのだ。

目賀田種太郎(1853~1926)は、wikipeiaの記述によれば、専修学校(・・現在の専修大学)の創始者の一人であるだけでなく、東京音楽学校(・・現在の東京藝術大学)の創設者の一人でもある。政治家・官僚・法学者・裁判官・弁護士・貴族院議員・国際連盟大使・枢密顧問官・男爵という、なんともすごい経歴。官職としては、司法省附属代言人、判事、大蔵少書記官、大蔵省主悦官、横浜税関長、韓国政府財政顧問、枢密顧問官を歴任している。旧幕臣の出身だが、少年時代は神童と謳われていたという。

(目賀田種太郎 ハーバード大学蔵)

大学南校第1回国費留学生となってハーバード法律学校(・・現在のハーバード大学)を卒業しているが、ハーバード入学前にトロイで学んでいたらしいのだ。

「専修大学を生んだ若い4人の夢と志」 によれば、こうある。

目賀田はニューヨーク郊外トロイのアカデミーやボストンで語学を身につけると明治5年(1872)、ハーバード法律学校(現・ハーバード大学)に入学。必須条件とされた「キリスト教徒であること」に対して一歩も譲らずに意を述べて、入学許可を得た。


作家・志茂田景樹氏が『専修大学創立者物語(仮題)』取材の一環としてトロイを取材したらしい。専修大学育英会のサイトに「アメリカ取材を終えて」というインタビュー記録が掲載されている。すこし長いが貴重な証言なので引用させていただこう。

- 大変精力的に取材をされましたが、一番印象に残っていることはなんでしょうか。 

志茂田先生: 訪ねたどこにも無駄な場所はなかったけれど、取材後半で訪ねたトロイでのことが一番でしょうか。ここは本当に予想以上の収穫でしたね。
このトロイという所は、目賀田種太郎がハーバード大学の Law School に入学する前に、英語や普通科を学んだ学校があるんだけれど、その学校のあった場所が現存しているかどうかも分からない状態で訪ねたんですね。そこで偶然見つけた観光協会のようなところで、歴史協会を教えてもらったの。1870年代という昔のことなら、とね。
それこそ、アポイントなしの突撃取材だったのですが、そこで分かったのは、これまで目賀田が通っていたのは「トロイのアカデミー」と大学の記録にはありましたが、正式名称は「トロイアカデミー」だということや、場所も特定できたんです。今は「HEALTH BUILDING」という建物になっていましたが、そこは、ゆるやかな丘の上にあって、実におだやかで静かな印象でした。当時の目賀田も、こんないい環境の中で学んだのだと思います。その頃すでに作られていた教会が今も現存しており、実際に訪ねてみました。多分、目賀田も通ったのではないかと思います。歴史を感じさせる教会でした。
調べていただいた歴史協会には、その頃の地図や住所録(電話帳のようなもの)があって、そこから確認できたのですが、本当に予想外の展開で、僕もワクワクしてしまいました。 (*太字ゴチックは引用者=さとう)

ちなみに明治時代の政治家では、目賀田種太郎のほか金子堅太郎がハーバード・ロースクールを卒業している。ただし、目賀田種太郎はLLB(=Bachelor of Law)であり学部レベルの学位である。

志茂田景樹氏は作家的想像力を発揮して、「その頃すでに作られていた教会が今も現存しており、実際に訪ねてみました。多分、目賀田も通ったのではないかと思います」と語っているが、キリスト教徒でないにもかかわらずハーバードへの入学を認めさせたという記述と矛盾しているのだが・・・。

『専修大学創立者物語(仮題)』は、最終的には『蒼翼の獅子たち』というタイトルで河出書房新社から2008年に出版されている。志茂田景樹氏というと、一時期は奇抜なファッションでテレビに登場するカゲキな人として有名であったが、歴史小説も執筆しているわけだ。この本のことは、専修大学の関係者なら周知の事実だろう。


トロイよいとこ一度はおいで!

先日、レンセラー工科大学(RPI)を卒業してから22年ぶり(!)に、日本人留学生や客員研究員(visiting scholar)として滞在されていた面々と東京の居酒屋で同窓会を行った。もちろん話題はトロイの話ばかり。きわめてローカルな話題に終始したことはいうまでもない。

そのときの話題は「トロイはいい」という懐旧談に終始したことだ。だが、これだけはじっさいに住んでみないとわからないことだ。トロイには古き良き赤レンガの建築物やウォーターフロントの倉庫群が残っており、日本でいえば小樽や舞鶴のようなレトロな風情もある。

トロイをロケ地に使用した映画には Most Popular Titles With Location Matching "Troy, New York, USA" によれば、現在39本のタイトルが列挙されている。

わたしが卒業する寸前にはスコセッシ監督の『エイジ・オブ・イノセンス』(1993年公開)の撮影が赤レンガの倉庫街を利用してで行われていた。1870年代のニューヨークが舞台だが、その当時の雰囲気を残しているのがトロイのダウンタウンだからだ。ちょうど目賀田種太郎が語学学校に通っていた頃だから、彼はリアルタイムで体験していたことになる。

毎年のように 大学からは reunion(=同窓会)のインビテーションがメールで来ているのだが、残念ながら卒業以来一度も再訪していない。2024年の建学200年祭(!)にはぜひかけつけたいと思っている。いまから10年後が楽しみだ。

トロイよいとこ一度はおいで! アンクル・サムの町トロイへようこそ!





PS トロイの対岸のオルバニーについて

トロイの対岸のオルバニーは、オランダ植民地時代には毛皮交易の中心地としておおいに栄えた場所。オルバニーにはオラニエ砦というものがあったそうだ。このことは、『毛皮と人間の歴史』(西村三郎、紀伊国屋書店、2003)を読んではじめて知った。

ハドソン川を北にややさかのぼったコーホーズでハドソン川とモーホーク川は分岐する。モーホークはいうまでもなく先住民の部族名である。ハドソン川の河口はマンハッタン。現在のニューヨークはかつてはニューアムステルダムであった。オランダ西インド会社(West India Company)が関与していた。オランダ人による入植についてはwikipediaの記述を参照。

オランダ人が撤退したあとは、フランス人と英国人が中心となる。この地域は英国領となった。



(ニューネデルラントの紋章は高級毛皮のクロテン wikipediaより)


オランダ植民地時代の「ニューネーデルラント」(New Netherland)については、wikipediaの記述が参考になる(英語版)。そのなかに以下のような一節がある。

The inhabitants of New Netherland were Native Americans, Europeans, and Africans, the last chiefly imported as enslaved laborers. Descendants of the original settlers played a prominent role in colonial America. For two centuries, New Netherland Dutch culture characterized the region (today's Capital District around Albany, the Hudson Valley, western Long Island, northeastern New Jersey, and New York City).

そういう土地柄なのである。東部のリベラルな風土は、オランダが持ち込んだ宗教に寛容な姿勢をベースにしたものだ。清教徒(ピューリタン)のような排他的で原理主義的な姿勢とはまったく異なるものである。

(17世紀のオランダ人入植者たちの居留地 wikipediaより)

Manifested, and occasionally embraced, as multiculturalism in late twentieth-century United States, the concept of tolerance was the mainstay of the province's mother country. The Dutch Republic was a haven for many religious and intellectual refugees fleeing oppression as well as home to the world's major ports in the newly developing global economy. Concepts of religious freedom and free-trade (including a stock market) were Netherlands imports. In 1682, the visiting Virginian William Byrd commented about New Amsterdam that "they have as many sects of religion there as at Amsterdam".

RPIの創立者スティーヴン・ヴァン・レンセラーもまた、Manor of Rensselaerswyck という大規模な土地を所有していた、オランダ系植民者の末裔として、地域の発展に大いに貢献したのである。実用性を重視したオランダ人らしい学校創立であった。

(2016年5月12日 記す)



<関連サイト>

Welcome to the City of Troy, NY | Official Website

Samuel Wilson (wikipedia英語版)

Harvard in the 1870s  Tanetaro Megata at Harvard, 1872-1874 (Harvard University Archives Research Guides)

ニューネーデルラント(wikipedia)
・・オランダ植民地時代のアメリカ東海岸についての記述。





(2016年5月12日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

レンセラー工科大学(RPI)

レンセラー工科大学(RPI : Rensselaer Polytechnic Institute)を卒業して20年

『レッド・オクトーバーを追え!』のトム・クランシーが死去(2013年10月2日)-いまから21年前にMBAを取得したRPIの卒業スピーチはトム・クランシーだった

早いもので米国留学に出発してから20年!-それは、アメリカ独立記念日(7月4日)の少し前のことだった


アンクル・サムのビジネスであった精肉業関連(ミート・パッカー)

書評 『世界屠畜紀行 The World's Slaughterhouse Tour』(内澤旬子、解放出版社、2007)-食肉が解体される現場を歩いて考えた自分語り系ノンフィクション

書評 『牛を屠る』(佐川光晴、双葉文庫、2014 単行本初版 2009)-「知られざる」世界を内側から描いて、働くということの意味を語った自分史的体験記


アメリカ東部(東海岸)

書評 『アメリカ「知日派」の起源-明治の留学生交流譚-』(塩崎智、平凡社選書、2001)-幕末・明治・アメリカと「三生」を経た日本人アメリカ留学生たちとボストン上流階級との交流

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について



(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)

(2012年7月3日発売の拙著です)


 



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