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2013年3月3日日曜日

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である



2013年度のNHK大河ドラマ 『八重の桜』は、幕末の会津藩に砲術師範の家に生まれた一人の女性を主人公にしたドラマです。

砲術師範の家を継いだ兄にあこがれ、きわめてつよい意思を貫いて砲術を学びことになった山本八重(のちの新島八重)は、当時はもとより現代にあっても、きわめて個性のつよい日本女性であったといえるでしょう。

彼女の前半生が、東北の会津の地において砲術に人生をささげたものであったとすれば、後半生は兄をたよって京都の地で同志社の創立者である新島襄とともにキリスト教布教に人生をささげた人生となります。

前半生が武器をつうじた西洋近代化、後半生はキリスト教という精神面での西洋近代化。どこまで意識していたかは別にして、アメリカの影響のもとにあった人生でありました。

前半生において人生の中心を占めていた技術としての砲術と鉄砲について、意外と知られていない事実が多いのもまた事実です。

1543年に南蛮船によって種子島に鉄砲が伝来したことは、「以後よさん刀は止めて種子島」と年表を暗記した記憶の持ち主の方も少なくないことでしょう。「大航海時代」という「第一次グローバリゼーション」時代のことでありました。

火縄銃が「国産化」され量産されるようになると「タネガシマ」という名称で国際的に知られるようになり、長篠の戦においては鉄砲隊を組織した信長が武田勝頼を打ち破ったと日本史の教科書に書かれています。これは世界的な事件であったのだと。

そして、天下分け目の戦いとなった関ヶ原の戦いも、実体は火縄銃による銃撃戦によるもので、東西双方あわせて2万人近い戦死者がでたちともいわれています。

そんな戦国時代もおわると、秀吉以降の刀狩りの影響もあって、日本から鉄砲がほとんど消えたというのが一般人の常識となっているかもしれません。

しかし、なぜ会津藩に砲術師範なる職種があったのか、会津藩だけではなく全国の藩において砲術師範が置かれていたのか、歴史の教科書ではキチンと説明されていないような印象をもっています。じつは火縄銃は江戸時代をつうじて鉄砲鍛冶によって生産されつづけたのです。

ところが、種子島以降の技術革新はあったのかどうかについても、『火縄銃から黒船まで-江戸時代技術史-』(奥村正二、岩波新書、1970)『鉄砲と日本人-「鉄砲神話」が隠してきたこと-』(鈴木眞哉、洋泉社、1997)といった例外を除いては、あまり語られてこなかったようです。

その意味では、『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の幕末に至るまでの鉄砲の歴史を知るうえで、きわめて重要な史実を、モノをつうじて解説したなレファレンスといっていいでしょう。

これは、2006年度に国立歴史民俗博物館で開催された企画展のカタログです。この企画展は、全国3か所の地方博物館でも巡回展示されました。それぞれ香川県立歴史博物館、和歌山市立博物館、長浜市長浜城歴史博物館です。

残念ながらわたしはこの企画展の存在を知らず、見ることができなかったのですが、カタログを入手することができました。

目次は以下のようになっています。これは展示会の構成にしたがっています。

第一部 鉄炮の受容と定着(鉄炮伝来から近世の初めまで)
 ◆鉄砲の伝来
 ◆鉄砲の伝播と軍用化
 ◆大型砲の出現
 ◆コラム
第二部 銃砲技術の発達と鉄炮鍛冶(鉄炮鍛冶職人の技術と社会)
 ◆鉄砲の基礎知識
 ◆鉄砲制作の技術
 ◆鉄砲鍛冶の組織
 ◆独自技術の開発
 ◆科学の目で見た鉄砲
 ◆コラム
第三部 幕末の動乱と軍事技術の革新(幕末維新期における西洋軍事技術の習得)
 ◆海防の強化と西洋砲術の導入
 ◆ペリー来航の衝撃と軍制改革
 ◆高まる外圧と改革の進展
 ◆氾濫する欧米の諸銃と戊辰戦争
 ◆コラム

比較的よく知られている戦国時代末期と天下一統の時代をべつにして、いきなり戊辰戦争まで飛んでしまうのが日本における鉄砲にかんする歴史記述でした。

この企画展カタログによれば、江戸時代ををつうじて火縄銃が生産されていたことや、幕末の動乱期には大量の鉄砲が同時代のアメリカやヨーロッパから輸入され、最先端の技術に接触することになったことが、具体的なモノをつうじて理解することができます。

幕末という1860年代前後はアメリカでは南北戦争、ヨーロッパではイタリア統一やドイツ統一など、戦争の時代であったのです。幕末の日本にも、南北戦争で使用された銃器が輸入されたとのことです。

NHK大河ドラマ『八重の桜』で、砲術について関心をもたれた方はぜひこのカタログをご参考にされるとよろしいかと思います。

このカタログですが国立博物館では完売となってますが、和歌山市立博物館には在庫があるようです。御関心のある方は、ぜひ問い合わせてみてください。一部 2,000円(送料 340円)で頒布されています

このほかビジュアルな銃器の歴史としては、『世界の銃 BOOK & DVD 歴史編』(小林宏明、, 中井邦彦=編集、学研パブリッシング、2012)があります。ややマニア向けな内容ですが、技術の観点から銃器の歴史について解説したものです。

なお、この記事では「鉄砲」を表記しましたが、ただしくは「鉄炮」と表記するのが歴史的にはただしいようです。一言書き添えておきます。








<関連サイト>

NHK大河ドラマ 『八重の桜』(公式サイト)

国立歴史民俗博物館 「歴史のなかの鉄炮伝来」(2006年度企画展示)



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書評 『鉄砲を手放さなかった百姓たち-刀狩りから幕末まで-』(武井弘一、朝日選書、2010)-江戸時代の農民は獣駆除のため武士よりも鉄砲を多く所有していた!

書評 『ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語-』(ヴィトルト・リプチンスキ、春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF、2010 単行本初版 2003)-「たかがねじ、されどねじ」-ねじとねじ回しの博物誌
・・種子島で鉄砲を知った日本人は初めて「ねじ」の存在を知った

書評 『傭兵の二千年史』(菊池良生、講談社現代新書、2002)-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ③
・・近代ヨーロッパ史とは銃器発達の歴史でもある



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