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2012年3月30日金曜日

「長靴をはいた猫」 は 「ナンバー2」なのだった!-シャルル・ペローの 「大人の童話」 の一つの読み方



「長靴をはいた猫」というのは、日本でもよく知られた童話である。

グリムのものもあるが、なんといっても読んでおもしろいのは、17世紀フランスの詩人シャルル・ペローによるものだ。

フランス文学者で幻想文学作家であった澁澤龍彦による日本語訳は、すばらしいの一語に尽きる。原文は見ていないから正確なことは言えないが、訳文にはいっさいムダがないのだ。

ペローのメルヘンは、オリジナルのグリム童話と同様に、子ども向きの童話ではないのだ。グロテスクでときどきセクシュアルできわめて残酷な話をシレっと語る。むしろ「大人の童話」というべきだろう。

しかも、それぞれのお話の最後につけられた教訓がまた皮肉たっぷりで辛辣なものばかり。大人をニヤリとさせたり、うならせるものが大いにある。

『長靴をはいた猫』(シャルル・ペロー、澁澤龍彦訳、河出文庫、1988 単行本初版 1973には、9つのメルヘンが収録されている。いずれも有名な作品ばかりだ。文庫版のカバー画は、片山健によるもの。

●猫の親方あるいは長靴をはいた猫
●赤頭巾ちゃん
●仙女たち
●サンドリヨンあるいは小さなガラスの上靴
●捲き毛のリケ
●眠れる森の美女
●青髯
●親指太郎
●驢馬の皮

サンドリヨンとは、灰かぶりのことでフランス語。つまりはシンデレラのことだ。親指太郎は英語圏ではトムサム(Tom Thumb)の名で知られている。日本でいえば『古事記』に登場するスクナビコナであろう。

さて、全部読んでいってはキリがないので、今回は「猫の親方あるいは長靴をはいた猫」を取り上げることとしよう。

「グリム童話」の「初版」にも「長靴をはいた猫」は採録されている。初版の日本語訳は 『初版 グリム童話集 ①』(吉原高志/吉原素子訳、白水社、1997)として日本語訳されており、第33話が「長靴をはいた猫」である。

グリムのものは 1812年にドイツのカッセルで採集した話らしいが、フランスのペローの影響の大きい話であるとして第二版以降は削除され、「三つの言葉」という別の話に差し替えられたとのことだ。

ペローとグリムではディテールに違いがあるが、話の内容はほぼ同じである。


「猫の親方あるいは長靴をはいた猫」のあらすじ

話のあらすじはこんな感じだろうか。

粉ひきのおやじが死んで、三人の男子が残された。だが、主人公である末っ子が遺産として受け取ったのはネコ一匹だけ

「長男は粉ひき小屋、次男はロバなのに、なぜ自分は役にたたないネコ一匹?」と文句をいったところでどうなるわけでもない。

ところが、このネコが知恵あるスグレ者だったわけだ。

なぜか作者はまったく説明していないのだが、いきなりネコが人間のコトバをしゃべる

「自分にすべてまかせろ」というネコの提案(!)を聞いて、主人公はネコに賭けてみることとする。条件は長靴を一足つくってくれということだけ。

長靴をはいたネコが知恵の限りをつくして、つぎからつぎへと難問を解決、とんとん拍子にうまくいき、最後は、主人公の三男は王の愛娘と結婚して婿殿となり、ネコは貴族となって、めでたし、めでたし。



主人公のネコへの賭けが、大当たりの金星(きんぼし)だったというお話。上に掲載したのは、有名なギュスターヴ・ドレによる挿絵である。

ざっとこんな感じのお話だが、末尾に作者ペローによる教訓がつけられているので紹介しておこう。

教 訓

父から子へと受け継がれる
ゆたかな遺産をあてにすることも
大きな利益にちがいないが
一般に、若い人たちにとっては
知恵があったり世渡り上手であったりする方が
もらった財産よりずっと値打ちのあるものです。

成金(ヌーヴォー・リッシュ)を軽蔑するカトリック社会のフランスにあっては、この物語の主人公のような生き方をほめる作者の姿勢は珍しいような気もする。

ペローは、重商主義者コルベールに認められ、ルイ14世に仕えた人だから、当然ながらユグノー(=プロテスタント)ではなくカトリックである。ルイ十四世は「ナントの勅令」を廃止して、有能なユグノーたちを国外追放した愚か者である。これ以後、フランスは経済的に世界の中心になる路がいっさい断たれることになる。ユグノー受け入れで大いに恩恵を受けたのはプロイセン王国だ。

考えてみれば主人公は、彼自身の才覚で出世したわけではけっしてないのだ。そうであれば、ペローがなぜこの童話というか寓話を書いたのかわからなくもない。

さらに教訓が一つある。

もう一つの教訓

粉ひきの息子が、こんなに早く
お姫さまの心をつかんでしまって、
ほれぼれとした目で見られるようになったのは
服装や、顔立ちや、それに若さが
愛情を目覚めさせたからであって、
こういったものも、なかなか馬鹿にはならないものなのです。

たしかに!


ビジネスパーソンなら、「長靴をはいた猫」はこう読め!

ストーリーも簡単だし、教訓もそれなりに筋の通ったものである。

では何が面白いのだと問われるだろう。そもそもネコが人間のコトバをしゃべったり、農民に命令したり、王様に獲物を献上したりするという設定は童話ならではのものだが、現実味に乏しいのではないか、と。

人間としてのわたしは、無意識のうちに、ご主人様の視点にたってネコをあくまでも「家来」としてのみ見ていた。たいていの人はそうでしょう。

だがあるとき、ネコの立場からみたら、ご主人様はネコにとっては、自分が生き残るために利用する対象であることに、突然気がついたのだ。

そう、「長靴をはいた猫」は「ナンバー2」なのであった!

「主人あっての家来」というだけでなく、「家来あっての主人」だったのだ。このネコがいなければ、粉ひきの三男も、何に対しても不平不満をもらす、ただのつまらぬ男として終わっていたのは間違いない。

ネコにしても、自分のいうことを全面的に受け入れて任せてくれる主人がいなければ、本来は食われて毛皮になってしまうハズだったのだ。

「ナンバー2」としてのネコは、主人に取引をもちかける。プロポーザル(=提案)ではあるが、限りなくディール(=取引)に近い。「わたしの言うとおりにしたら、ご主人さまをお金持ちの幸せ者にしてあげますよ」という if-then(もし~なら~) 提案だ。条件を満たすために必要な投資は、長靴一足を職人につくってもらってネコに提供することとのみ。

主人は、ネコの提案を全面的に受け入れることにする。

賢くて決断力にすぐれたネコはつぎからつぎへと策を弄し、着実に結果を出していく。最終的に主人が成功をつかむことを可能とする。

ネコは、最後の最後までご主人様を持ち上げて「ナンバー2」の地位にとどまっているのだが、ご主人様も、ネコがいなければその地位にはつけなかったことは、よおくわかっているので、けっしてネコを粗末に扱うことはない

ところで、哲学者ボーヴォワールの名著『第二の性』に、「主人と奴隷の弁証法」という話がでてくる。大学時代に友人から聞いた話だ(・・あくまでも耳学問)。

奴隷は主人あっての奴隷だが、奴隷がいなければ主人は主人ではない、ということ。つまり主人と奴隷は、お互いのその存在を必要としているのであり、その関係は弁証法的な「正-反-合」という関係にあるということ。精神病理学的にいえば「共依存」に似ているが、弁証法なので二者関係からの発展がある。

「長靴をはいた猫」においても、ご主人様とネコの関係は、「ナンバー1」と「ナンバー2」の関係であり、この関係が逆転することはいっさいない。ネコはあくまでも「ナンバー2」の地位に徹しきることでその地位を保全し、「ナンバー1」のご主人さまをして、永遠にネコに感謝しつづけさせることに成功する。

めでたし、めでたし。これそ、「ナンバー2」の鑑(かがみ)「ナンバー2」は、知恵に富んだ参謀であり、「ナンバー1」にかわって汚れ役を演じているのだ。

わたし自身、長く「ナンバー2」としてやってきたキャリアをもっていながら、うかつなことに、ついつい「ナンバー1」の目ですべてを見ていたことに気がつかされた。

「こんな賢いネコが家来ならなんとラクなことか」、なんて思っていたのだ(汗)。

だがあるとき、「しかし、この主人はすべてをネコにゆだねたからこそ成功を手にすることができたのであって、もしネコに全面委任しなかったらどうなっていたことか・・」と思ったのだ。「いや、自分にはネコにぜんぶまかせるなんてできるのだろうか・・・?」、と。

長靴をはいたネコが「ナンバー2」だとわかった瞬間、すべてが解けたのを感じたのだった。


シャルル・ペローによる教訓にもうひとつ付け加えてみる

では、ペローが「猫の親方あるいは長靴をはいた猫」という話につけた二つの教訓に、さらにわたしが作った教訓をつけ加えておこう。

教訓その3

「ナンバー2」となる者には
全面的に信頼してまかせるべきです。
才能あり、知恵ある者は
かならずや、あなたを助けるはずですから。
ただし、その者を全面的に信頼して、
すべてを任せるのが条件です。
たとえ、それがネコであっても。




<関連サイト>

Le Maître chat ou le Chat botté(Wikipedia フランス語版)
・・『ネコの親方、あるいは長靴をはいたネコ』。なんといってもフランス語版が情報量は多く充実している。

松岡正剛の千夜千冊 第七百二十三夜【0723】2003年02月28日 シャルル・ペロー『長靴をはいた猫』(1973 大和書房 澁澤龍彦訳)
・・こういう読み方もあるということで。もちろん、これが唯一の読み方ではないことは、わたしが上記の記事に書いたとおり

なお、「長靴をはいた猫」にかんしては、臨床心理学で物語論を展開した河合隼雄が『猫だましい』のなかで「猫マンダラ」の一つとして解釈している。 『猫だましい』(河合隼雄、新潮文庫、2002) それもひとつの解釈として捉えるべきものだろう。

なお、「長靴をはいた猫」は英語では Puss in Boots となり、DreamWorks のアニメーション映画『シュレック』のキャラクターのひとつ。

「プス」がスピンオフして全米で公開された(2011年11月)が、オリジナルの「長靴をはいた猫」とは関係ない。映画『長ぐつをはいたネコ』の日本での公開は、2012年3月から。


映画 『長ぐつをはいたネコ』 予告編(YouTube)





PS 読みやすさを考えて加筆修正を行い、写真を大判に変更した (2014年3月24日 記す)。





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(2014年3月24日 情報追加)






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