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2011年12月8日木曜日

「ニイタカヤマノボレ」 と 「トラ・トラ・トラ」-真珠湾攻撃(1941年12月8日)から70年!


 本日は12月8日、大日本帝国が 「大東亜戦争」 に突入した日であります。1941年(昭和16年)12月8日ですから、なんと 70年前になります。

 「大東亜戦争」 なんていうとウヨクか(?)と思われるかもしれませんが(笑)、そうではなく歴史的な名称を語っているに過ぎないのです。

 たしかにアメリカ合州国と戦ったのは太平洋戦争ですが、しかし戦線は太平洋だけではなく、中国大陸では中国とソ連、そして東南アジア(・・当時は南方)では大英帝国(当時)と戦ったのであり、これらを総称して「大東亜戦争」といったほうが、内容的にも正確なのです。

 12月8日というと、ハワイの「真珠湾(=パールハーバー)攻撃」 がどうしても強調されがちですが、同時並行で「マレー作戦」が開始されており、じつは真珠湾攻撃の数時間前にはマレー半島強襲上陸を行われています。当時は大英帝国領であったマレーシアからは上陸できないので、中立国タイを説き伏せてタイのカンポンから上陸作戦を敢行したのです。翌年2月15日には、大英帝国の植民地シンガポールが陥落します。

 とはいっても、山本五十六を主人公にした映画がまた製作されたりしているので、どうしても目は太平洋に向がちなのは仕方ないでしょう。しかも、4年後にはアメリカによって完膚無きまでにたたきのめされたことから考えれば、日本人の多くが太平洋戦争というのもムリはありません。


「ニイタカヤマノボレ一二〇八」と「トラ・トラ・トラ」

 掲載した図は wiiki からとった 「真珠湾 大日本帝国海軍艦隊の航跡図」。地図で押さえると、なるほどこんな長距離を移動した作戦だったか、と驚かされます。ロジスティクスの観点からいっても、日本はそうとうなムリをしたことが見て取れます。


 「ニイタカヤマノボレ一二〇八」は、12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」の意の符丁。ニイタカヤマとは新高山のことで、当時は日本の植民地であった台湾の最高峰のことです。

 「トラ・トラ・トラ」の意味は「ワレ奇襲ニ成功セリ」。

 わたしは、小学生のとき日米合作の映画 『トラ!トラ!トラ!』を見ました。1970年公開ですから、この映画じたい製作されてから41年! 当時の小学生は男の子であれば、「ニイタカヤマノボレ」や「トラ・トラ・トラ」の意味などだれもがみな知っていました。 

 この映画が上映されたのは、戦争が終わってからまだ25年しかたってなかったのかと思うと、なんだか感慨深いものがありますね。当時はまだ 「傷痍軍人」(しょういぐんじん)という存在が当たり前でした。悲しげな音楽を流しながら、賽銭箱をまえにおいて、白衣を着て座っていた人たちのことです。 

 2011年時点でも戦争映画が製作されてますが、当時の日本人をまったく感じられません。なにかが違うのですね。おそらく現代日本人は一本通った筋がないので、姿勢がよくないのですね。

 映画 『トラ!トラ!トラ!』(1970年)ですが、日米両サイドから描いたこの映画は、いまみてもやはりスグレものなのはそのためでもあるのでしょう。もともと日本サイドは黒澤明が監督の予定だったのですが、思いとおりにできないので降板、かわりに深作欣二監督がメガホンをとりました。


同姓同名の人物が真珠湾攻撃に参加していた!

 ちなみに、わたしと同姓同名の佐藤賢一という人が、真珠湾攻撃部隊に参加すてハワイ上空を飛行していたのです。

 国会図書館の所蔵書籍のデータベースに、『ハワイの夜景は美しかった : 真珠湾攻撃の体験日記 遺稿』という本がでてきます。

タイトル: ハワイの夜景は美しかった : 真珠湾攻撃の体験日記 遺稿
責任表示: 佐藤賢一著

責任表示: 田中亮三郎〔編〕
出版地: 江刺
出版者: 菊地佐江治
出版年: 1980.8
形態: 79p ; 19cm
注記: 昭和16年12月7日~昭和17年2月2日
注記: 著者の肖像あり
注記: 付:佐藤賢一略歴

 残念ながらこの本の実物は見ていませんが、おそらく、第二次攻撃隊(167機)第一集団 水平爆撃隊九七式艦上攻撃機54機(嶋崎重和海軍少佐指揮)に参加した海軍中尉のパイロットのことだと思われます。1916年生まれとありましたので、1941年には25歳、まさに若鷲といった年齢です。

 現在ではもちろんハワイは観光で訪れる場所ですが、攻撃目的で上空を飛んだ日本人たちもいたわけなのですね。真珠湾攻撃というと源田実(げんだ・みのる)や淵田美津雄(ふちだ・みつお)といった著名人だけでなく、一般隊員についてももっと知りたいものです。

 さて、「Tora! Tora! Tora!」 は、米国版のトレーラーでお楽しみください! 



 数年前にハリウッド映画の『パールハーバー』という駄作が日本でも公開されましたが、日本人なら『トラ!トラ!トラ!』を見るべし、といっておきましょう。





<関連サイト>

「Tora! Tora! Tora!」 は、米国版のトレーラー

『アニメンタリー 決断』から「第1話 真珠湾奇襲」
・・『アニメンタリー 決断』は、タツノコプロによって1971年製作。アニメによるドキュメンタリーの意味。左右から批判され、再放送はまったくされたことのない幻の名作アニメ。当時の小学生はみな毎週コーフンしながら見入っていたものだ

『アニメンタリー 決断』主題歌(YouTube)
・・「人生でもっとも貴重な瞬間、それは決断の時である」というナレーションで始まる軍歌調のオープニングテーマ


<ブログ内関連記事>

なぜ内陸部に「海軍の標柱」があるのか?-かつて船橋の内陸に「海軍無線電信所船橋送信所」が存在した
・・「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電波は、「海軍無線電信所船橋送信所」から発信された!

映画 『加藤隼戦闘隊』(1944年)にみる現場リーダーとチームワーク、そして糸川英夫博士

書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!

大東亜戦争の開戦決定に至るまでの、集団的意志決定につきまとう「グループ・シンク」という弊害について

書評 『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)-いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)

本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)

早いもので米国留学に出発してから20年!-それは、アメリカ独立記念日(7月4日)の少し前のことだった

「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」 には続きがあった!-山本五十六 その2

(2019年3月19日 情報追加)


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