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2010年10月3日日曜日

ドイツ再統一から20年 映画 『グッバイ、レーニン!』(2002年、ドイツ) はノスタルジーについての映画?




ドイツ統一から20年、「ユーロ危機」におけるドイツの強さと連邦主義国家の性格について

 本日2010年10月3日は、「ドイツ統一」から20年になる。テレビでもさまざまな特集が組まれて報道されている。正確にいうと「再統一」であるが、まあ慣例に従っておこう。

 昨年、11月 のベルリンのカベ崩壊から1年もたたずにドイツ統一が達成されたのは、時の首相ヘルムート・コールの決断と勢いであった。

 ベルリンでは記念祝典が開催されたようだ。アンゲラ・メルケル首相の演説の基本線は、東西格差が是正される方向にあるという、やや楽観的ともいえるトーンが語られたが、実際のところは依然として東西格差は経済的なものだけではなく、意識にかんするものとしても消え去ってはいない。

 問題の根本には、ドイツ統一に際して、東西のドイツマルク交換比率を、1:1 に設定したことにある。東ドイツ市民の歓心を買うために実行したこの政策は、短期的には歓迎されたが、二重の意味で東ドイツ地域の復興を困難にした。

 財政投入しても蟻地獄のように消えていったことが東ドイツ地域の復興につながらなかっただけでなく、西ドイツ市民の不満になっていったこと、通貨統一を行ってしまったために、ドイツ企業の新規投資が東ドイツ地域を通り越して、中東欧に向かってしまったことだ。

 もちろん、さすがに20年もたてば、格差は是正されつつある。とはいえ、かならずしもそうでないことは、ベルリンの壁崩壊から20年-ドイツにとってこの20年は何であったのか? という文章で書いておいた。

 先般発生した「ユーロ危機」では、結局のところ、ドイツが中心になって欧州の財政問題を下支えしていることは周知のとおりである。統一通貨はドイツマルクの死になったわけではなく、実質的にドイツマルク圏が欧州全域に拡大することによって、ドイツ企業にとってのメリットはきわめて大きく、であるがゆえにドイツが欧州とユーロを支えるのは当然であるわけだ。

 しかも同時に、ユーロ安がドイツ企業の輸出を支えている。

 ところが、ドイツは連邦国家であり、地域の独立性が非常に強い。ドイツと十把一絡げに捉えると見えてこないことが多いことはあらためて強調しておいたほうがいいだろう。これは西ドイツと東ドイツの違いだけではない。北ドイツと南ドイツも大きく異なる。



東ドイツとベルリンへノスタルジー?

 ドイツ統一から20年もたつと、かつて西ドイツと東ドイツという国があったことも忘れがちだ。もちろん「統一」というコトバがそれを示唆しているわけだが、このようにいう私自身、東ドイツ(DDR)という国家があったことなどふだんは忘れてしまっている。

 『東ドイツ解体工場』(杉山隆男、講談社、1991)なんてタイトルの本が出たように、国家としての東ドイツ(=ドイツ民主主義・・共和国?)は、統一によって消滅した。国家が消滅するということは、戦後世界では少ない事例である。

 ドイツ統一の年に生まれた子供はすでに20歳、統一前の記憶があるはずもない。さらに20年、50年、100年もたっていけば、歴史のひとこまに過ぎなかったという扱いになっていくことだろう。


 映画 『グッバイ、レーニン!』は、ベルリンの東ドイツ側に生まれて生きてきた青年を主人公にした恋愛をベースに、東ドイツのなかでまっとうしていた母親へのこころやさしき気遣い、東ドイツへのノスタルジーを描いた映画である。
 ドイツでは2002年に公開されて、ドイツ歴代興行記録を更新した空前のヒットになったという映画、日本で一般公開されたのは2004年だが、恵比寿ガーデンプレイスの映画館はものすごい人であった。それだけの内容のある映画で、日本人的にも十分に共感できる内容になっている。 

 映画 『グッバイ、レーニン!』のストーリーのあらましは、Wikipedia の記述を参照されたい。

 近年、日本でも「昭和ノスタルジー」について語られることも少なくないが、この映画はある意味では「東ドイツ・ノスタルジー」、「東ベルリン・ノスタルジー」といった趣のある映画だといっていいのかもしれない。

 ベルリンでは、東ドイツ時代のトラバントという国民車にのってベルリン市街ツアーを実施している旅行会社もある。私は参加してことはないが、観光客には人気だという。

 ベルリンはもともと、1872年の「ドイツ統一」の際、ドイツ帝国の中核となったプロイセン王国の首都として建設された都市だが、ドイツではもっともフランス的な都市だといわれていた。フリードリヒ大王がフランスで迫害されたユグノー(=プロテスタント)を大量に受け入れたからである。ナントの勅令廃止にとって、ユグノは欧州各地に散らばった。

 手工業者と金融業者であったユグノーを受け入れたことによって、軍事国家プロイセン王国は以後大いに繁栄したのであるが、ベルリンの東側には現在でも、ジャンダルムなど、フランス語の痕跡がいたるところに残っている。ラフォンテーヌなどのフランス風の名字は、ユグノーかフランス革命の亡命貴族の末裔であることを示している。

 ベルリン郊外ポツダムにある、フリードリヒ大王の離宮の名はサンスーシ(sans souci)、"憂い無し"という意味のフランス語である。

 ノスタルジーといっても、フリードリヒ大王の時代にノスタルジーを感じる人は、さすがにいないだろうが。





<関連サイト>

映画 『グッバイ、レーニン!』 英語字幕版トレーラー


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