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2010年9月23日木曜日

庄内平野と出羽三山への旅 (9) 月山八号目から月山山頂を経て湯殿山へ縦走する




わずか3日のうちに再び月山に登る。今度は行者姿ではなく、登山靴にアタックザックで。

 翌朝、ふたたび月山山頂に向かう。すでに一度、地下足袋で昇っているので、今度は単独なので自分のペース(=マイペース)で昇れるし、登山靴をはいているので気が楽だ。

 なんといっても、「山伏修行体験塾」で登ったのは風雨のなか、しかも修行体験期間中はカメラを持参できないので、写真がぜんぜん撮れなかったのだ。
 その意味では、ふたたび月山山頂に立つのは意味のあることだった。二度手間などとはクチにすまい。

 朝は5時過ぎに目覚める。ちょうど東に向けて立っている参籠所から御来光を拝むことができる。


 「成田山新勝寺の断食参籠修行」に参加して以来、西式健康法に従って「半日断食」を続けてきた私は、ふたたび朝食を食べない生活に復帰するため、御田原参籠所でも「朝食は要らないので、そのかわりおにぎりを作ってほしい」と頼んでおいた。そのおにぎりを貰って支払いを済ませ、参籠所をあとにする。

 時間は朝の6時15分である。早く立てば早く着く。登りはできるだけ朝の涼しい時間帯に済ませておきたいもの。
 昨日寝る前は全身筋肉痛状態でどうなるやらと思ったが、朝起きてみれば何とかなるものだ。登山靴履いて動き出すととくに問題はない。


 昨日は快晴であったが、さすがに本日はやや曇りがちだ。それにしても台風は日本列島全体を覆っている高気圧のためにコースがそれたらしい。月山は晴れている日はそれほど多くないというので、雨がないだけでもありがたい。


現在の月山登山道は明治維新の「神仏分離と廃仏毀釈」以前のものとは違う

 「また、月山への登山道にあった夥(おびただ)しい石仏を、人足に命じて谷へ突き落とさせた」らしい。そのように、安丸良夫の『神々の明治維新』の出羽三山の記述にはあった(・・引用文全体は (7) を参照)。

 この文章を読み返してこのくだりを発見したのは、「庄内平野と出羽三山への旅」から戻ってきた殻のことだが、登山道を歩いているときにはまったく考えていなかった。
 
 いま月山の登山道に残っているのは、「賽の河原」のみである。


 高山にはよくあるケルンのように見える石積みは、実は近代の登山者が作ったものではなく、信仰登山の対象である月山に、信徒たちが積み上げてきたものであると聞く。
 月山は本質的に死者の山であり、魂が帰って行く場所と考えられていたようだ。いわゆる山中他界というやつである。

 「♪ ひとつ積んでは母のため~ ふたつ積んでは父のため~」、私が子供の頃よく耳にして、その情景をきわめてリアルなものだと感じていた「賽の河原地蔵和讃」。最近の子供は知っているのかどうか、賽の河原を渡るため、死んだ子供が石を積む。しかし石を積み上げたと思ったら、鬼がやってきては崩してしまう。積んでも積んでも崩されるこのむなしさは、ギリシア神話でいえばシジュポスのものである。
 月山の場合、せっかく積んだ石を蹴散らした鬼とは、「神仏分離と廃仏毀釈」の実行者であった西川須賀雄その人のことになるのだろうか。
 九合目の山小屋周辺には、まだまだお地蔵様などの石仏、そしてお墓が多く残っている。あるいは、昭和になってからあらたに担ぎ上げたものだろか。かつての月山に充ち満ちていたという、不気味な死者の国の雰囲気を髣髴(ほうふつ)とさせるものがある。

 九合目を過ぎると、行者返しという急坂がある。かつて信仰登山の対象であった月山に登る行者が力尽きてここで引き返したという難所だ。たしかに雨風の日に地下足袋で登るのは(・・その昔はわらじだろうが)、岩が濡れて滑りやすくなかなか大変だったろうと思う。登山靴で登るぶんにはそれほど大きな問題はない。


 行者返しを過ぎれば、あとは再び平坦なゆるい上り坂となり、そのうちに山頂の小屋が見えてくる。


再びの月山山頂。今度はなんと快晴であった!

 午前8時半前には月山山頂。山伏修行体験塾でも登ったので一日おいて二回目。今日の山頂は快晴ありがたい。九合目付近はガスがかかっていて、この調子だと・・・と危ぶんだが、山頂にきてみれば見事なまでに、あっけらかんとした快晴であった。ありがたい。


 月山神社本宮でお祓いを受ける。実は二回目。でもまあいいや、なんとなくお祓いを受けておいた方がいいだろうという直観に従う。


 せっかくなのでお守りでも買うか、とおもって見ていたら「つき守り」を発見。500円にて購入。「つき」とは、月山の月のことだが、月はツキに通じる。つまりこのお守りは、「これはついてる!!」というお守りだと勝手に解釈して喜ぶ。月山の動物はうさぎである。これはきわめてわかりやすいロジックだ。
 ついでに、臥牛(がぎゅう)の火除けお札を購入。200円。臥牛(がぎゅう)とは reclining bull のこと、庄内平野から出羽三山をみると、牛が臥せているように見えるから別名臥牛(がぎゅう)というらしい。ガギューというのは語感がよい。

 月山山頂にて持参のおにぎりを食べる。「半日断食」といっても、運動をしたあとは腹が減る。12時の予定を大幅に前倒しして昼食。水筒に入れてきたペットボトル水を飲む。水が減るにつれて荷物が軽くなって行くのはありがたい。

 最近は山に登ってなかったけど、やはり山はいい。それになんといっても月山だ。ありがたさは並のバワースポットの比ではないのだ!! 聖地である聖山。


 八紘一宇(はっこういちう)という石碑がそのまま残っているのが、なんだか不思議な感じだ。戦時中のごく短い時期に一世を風靡したスローガン八紘一宇。英語でいうと "all the world under one roof" という八紘一宇の石碑がなぜ撤去されないのか? 不思議でしょうがない。
 「神仏分離と廃仏毀釈」の際には、容赦なく阿弥陀仏も石仏も撤去されたというのに・・・


月山山頂からは、あとは湯殿山にむけて尾根伝いにひたすら下るだけ

 面前に拡がる光景はまさにスイスアルプス。平坦な縦走路はいい。多少のアッップダウンは変化があってむしろ心地よい。


 なんといってもほとんどすれ違う人がいないというのは快適だ。
 なぜしばらく山に行かなくなっていたかというと、山でする挨拶がいやなのだ。
 たまにすれ違う人や、追い抜く人がいたら挨拶するのは礼儀として当たり前だが、猫も杓子も「こんにちは~」と挨拶しなければならないのは正直いって面倒くさいのだ。まあこんなこというとひんしゅく買いそうだが・・


 月山から尾根伝いに湯殿山方面へ下る。
 しかし、一方的な下り道になってくるとくたびれる。
 私は下りがキライなのだ。ヒザがガクガクにならないように、気をつけながら下る。


 そんなときにかすかに聞こえてきた渓流のせせらぎ。これはほんとうに癒される。カラダが疲れているし、それに同調してココロも疲れている。ココロが癒されると、カラダも軽くなる。
 さらに下っていくと、登山道を渓流が横切っている。腰をかがめて渓流に手を浸してみると、山から流れてくる雪解け水は、実に冷たい。
 せせらぎの音と水の冷たさが、ほんとうの癒しになる。
 いまそのときに撮影録音したせせらぎの音をバックで流しながら書いているが、ほんとうに山は生命を回復させるための源だ。


 さらに歩くと鎖場へ。現在ではスチール製のハシゴがかけられているので、登るのはそれほど苦ではないだろうが、ハシゴを下るのは結構緊張するのでくたびれるものだ。ほとんど誰ともすれ違わないのをいいことに、ハシゴに腰掛けて一休み。

 山伏修行で山のなかに入り、そのあとも単独で山のなかを歩く。
久々に本格的に山歩きをしてみて、山で生命がよみがえることの意味を、あらためてココロとカラダで実感した。

 
平均時間を大幅に超過して、やっとのことで「湯殿山のご神体」に対面-月山のタナトスの先に、湯殿山のエロスがある

 出羽三山の奥の院といわれてきた湯殿山。そのご神体にようやく対面するときがきた。
 羽黒山が現世の山、月山が死の山で過去世であるなら、湯殿山は再生の山で未来世の山である、と。だからこそ、この三山をすべて踏破した意味があるのだ。


 山道を下っていくと滝がみえる。滝には注連縄(しめなわ)がかけられている。自然物である滝じたいがご神体でもある。
 湯殿山のご神体は、もう少し下ったところにある。

 湯殿山神社の神域には裸足でないと入れない。歩き疲れた足を休ませ、登山靴と靴下を脱ぎ裸足になる。これは快適だ。受付で500円を払って、湯殿神社本宮でお祓いを受ける。人形(ひとがた)でカラダを祓って払ってから、息を吹き込んで水に流す。

 このあと裸足で神域に入り、御神体に拝礼。これは驚き!!

 ご神体は「写真撮影禁止!」である。デジカメをポケットに入れて神域に入ったが、あえて撮影するのはやめたのは、別に敬神の心からではない。これは写真に収めても意味はないと思ったからだ。

 芭蕉は『奥の細道』のなかで、「惣而此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとゞめて記さず」いっているが、これはことさら mystificate してもったいぶるのが目的というよりも、それこそ文字通り五感を通じて感じ取るしかない聖地であるためなのだ。芭蕉と『奥の細道』における出羽三山については、次回 (10) で詳しく書くことにする。

 このご神体は、熱い温泉が湧きだしている、こんもりした山のような巨岩である。
 巨大な岩は、長年にわたる湯ノ花のために、茶褐色というよりも、はなはだ感覚的な表現であるが、まさに肌色に染まった巨岩である。ピンクがかった茶褐色というべきなのだろうか。
 いつから温泉がわき出ているのか知らないが、おそらく縄文時代に遡るのではないか。有史以来といってよいのだろう。誰かが発見して以来、信仰の対象として祀られてきたに違いない。

 その形は、まさに女性性器。ここからお湯だけでなく、すべての生命が生まれて来るという秘所。生命の根源が生まれてくるところ。
 まさに語の本来の意味のエロチックともいうべき、官能的な、不思議で奇妙な巨岩である。エロスとは、元もともとの意味は、生み出すチカラのことだ。セクシーという意味ではない。

 芭蕉は、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」という句を詠んでいる。オモテの意味は、「湯殿山でのあまりの感動に袂(たもと)を涙で濡らした」と注釈書では説明されるが、ウラの意味はかなりエロチックな、官能的なもののようだ。

 月山のタナトスの先に、湯殿山のエロスがある。羽黒山の現世、月山の過去世、湯殿山の来世。出羽三山は見事なまでに、生命の輪廻の輪を回しつづけているのである。このサイクルは未来永劫にわたって繰り返されるものである。
 芭蕉は、生命の神秘を、生きることの意味を、最終的に湯殿山で感じたのではないか?

 ご神体の拝礼は、なんとご神体そのものを、ご神体の左脇から裸足で登って、また下りることが求められる。ご神体の上を歩いていいなんて!
 ご神体からわき出るお湯は実に熱く、裸足ではとても耐えられないくらい熱い。あまりにも熱いのでやけどしそうだ。立ち止まることは不可能、登り続けるしかない。
 ご神体は、目で見て驚くだけでなく、足の裏で感じ取り、匂いを嗅ぎ、森の発する音を耳で聴きながら、五感すべてをつうじて感じ取るものなのである。
 だからこそ、直接体験するにしくはないのだ。

 だからこそ、有史以来、ここで見たことは人に語るなといわれてきたわけなのだろう。

 生まれ変わり、蘇りの聖地。

 同じく蘇りの聖地である熊野の「湯の峰」もそうだが、地表すれすれにマグマが来ているところは、間違いなく聖地として祀られてきた。
 通常は、火山の噴火ということでしかみることのできない大地の働き。これが、地表スレスレにあるというのは古代人でなくても新鮮な驚きと感動を感じるものだ。マグマがすぐそこまで来ているのだ。


 写真撮影不可となっているので、ムリに隠し撮りしても意味はなかろうと思った。この写真は、少し上から撮影してみたもの。しかし巨岩は写らなかった。
 実際どんなものか知りたければ、Google 「湯殿山 ご神体」で画像検索してみればいい。世の中には「不届き者」が多数いるので、写真が多数アップされている。
 それよりも、直接いって自分の目で見て、歩いて、お湯の熱さを感じることだ。

 ご神体の拝礼を済ますと、足湯がある。この足湯がまた、縦走して疲れた足を癒してくれるのだ。ありがたい。気持ちがいいので、しばらく足湯に浸かっていた。

 しかし、このご神体も、夏が終わると急速に寒くなっていく出羽三山においては、冬期は完全に豪雪に閉ざされてアクセス不能となるらしい。これもまた、自然の不思議という感覚、センス・オブ・ワンダーを感じさせてくれる。

 
ご神体からは参詣バスで大鳥居までいく。この道路は参詣バス以外は一般通行禁止である。


 そのあと本宮参拝バスで参籠所へ。最初は、さらに参道を歩いて下るつもりだったが、バスを見たら一気にその気は失せてしまった。参宮バスに乗り、一気に大鳥居までいく。片道200円。あっという間だ。
 なお、大鳥居と湯殿山神社本宮までの道路は本宮参拝バス以外は通行禁止である。
 湯殿山参籠所はすぐ目の前にある。本日はここで泊まる。


 15時の予定よりも早く到着したが、参籠所にチェックインして荷物を降ろし、さっそく温泉で疲れを癒す。 湯殿山から引いてきたお湯をそのまま使用した、丹生鉱泉御神湯。
 ああ、温泉はありがたい。極楽、極楽・・・である。日本人ここにきわまれり、というものだ。

 火山国に生まれた喜びを噛みしめる瞬間。




 次回 (10) では、出羽三山の旅を『奥の細道』の中核に据えた松尾芭蕉について書いておかねばなるまい。


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書評 『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(岡田芳郎、講談社文庫、2010 単行本 2008)

「山伏修行体験塾 2011 東京勧進」 に参加-ヤマガタ・サンダンデロ(銀座)にて山形の食材をふんだんにつかった料理とお酒を存分に楽しんできた(2011年11月11日)

「お籠もり」は何か新しいことを始める前には絶対に必要なプロセスだ-寒い冬にはアタマと魂にチャージ! 竹のしたには龍がいる!

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)


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