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2010年7月29日木曜日

書評 『イルカを食べちゃダメですか?-科学者の追い込み漁体験記』(関口雄祐、光文社新書、2010)




「捕鯨は日本文化である」ではなく、「日本には捕鯨文化がある」という立場は重要だ

 沿海小型捕鯨業とイルカ漁業が許可されている港は、現在でも太平洋沿岸を中心に日本では複数存在している。そのなかでもっとも有名なのは、「クジラの町」を掲げる和歌山県太地町であろう。太地町には町立の「くじらの博物館」もあり、江戸時代以来の古式捕鯨は、形を変えながらも小型鯨類やイルカの追い込み漁として現在まで太地町には生きている。

 本書は、この太地町で15年間にわたって、フィールドワークの一環としてイルカ追い込み漁の漁船に複数回乗せてもらった、元水産庁調査員のイルカ行動学の研究者が、イルカを含めたクジラ類と太地町との400年以上にわたる密接なかかわりを、捕獲から解剖、食肉流通(・・それも市場外流通)など多方面にわたって書き記した記録である。
 内容は多岐にわたり、しかも随筆的な書き方なので、まとまりを欠く感がなくもないが、「捕鯨は日本文化である」という立場ではなく、「日本には捕鯨文化がある」という立場を前面に出したことは評価していいのではないかと思う。文化とはあくまでもローカルなものであり、食文化も含めた捕鯨文化は必ずしも日本全体が共有する文化ではない、あくまでも地域限定のものであるからだ。

 ただし、おそらく出版社がつけたのであろう、売らんかなという意図が見え見えのタイトルは、はっきりいってミスリーディングである。
 日本での公開に先立って物議を醸した、アカデミー賞受賞映画『ザ・コーヴ』の向こうを張った内容かと思ったらさにあらず。
 この本を手にとった読者がおそらく期待するであろう、イルカを食べたという話は全然でてこない。食べた話がでてくるのはクジラばかりである。

 とはいえ、タイトルに引っかけられた読者も、最後まで読むことをすすめたい。そのうえで、付録の太地町ガイドを参考にして、太地町にまで足を運んでもらい、ぜひ「くじらの博物館」を訪れて欲しいものである。
 「太地町の文化」であるクジラ文化について、「捕鯨は日本文化である」といったナショナリズムに基づいた声高な主張からではなく、太地町という土地に根ざしたローカルな文化である「捕鯨文化」の意味を感じ取るキッカケになれば、著者冥利につきるというものだろう。

 こう理解すれば、映画『ザ・コーヴ』の評価も、自ずから定まるというものではないだろうか。


<初出情報>

■bk1書評「「捕鯨は日本文化である」ではなく、「日本には捕鯨文化がある」という立場は重要だ」投稿掲載(2010年7月25日)
■amazon書評「「捕鯨は日本文化である」ではなく、「日本には捕鯨文化がある」という立場は重要だ」投稿掲載(2010年7月25日)






<書評への付記>

 私はイルカの肉は食べたことはないし、特に食べたいとは思わない。

 イルカの肉を食べたいとは思わないのは、かわいそうだからとかそういう理由ではなくて、ただ単純に「なにもイルカを食べなくても・・・」と思うからに過ぎない。
 過去には、カリブ海でウミガメのステーキやスープも食べたことがあるし(・・『不思議の国のアリス』にでてくる「偽ウミガメスープ」を思い出しながら)、オーストラリアではカンガルーのステーキも食べた。ウミガメはうまいと思ったが、カンガルーはあっさりしすぎてあまりうまいとは思わなかったが。

 結局、何を食べて何をうまいと思うかというのは食文化に属することであり、「文化」(カルチャー)とはローカルなものである。これが「文明」(シビリゼーション)との大きな違いである。
 和歌山県太地町でイルカの追い込み漁がなされ、地元でイルカが食されようと、それはその土地の習慣と趣味嗜好の話であり、それ以外の地域の人たちがとやかくいうべき話ではない。
 長野県では蜂の子を食べるし、東南アジアでは虫も食べる。それが好きかどうかは、外野がとやかくいうべき話ではない。

 こういった地域限定の「文化」に対して、「文明」の立場から大上段に振りかぶって、頭から否定してかかるメンタリティーや態度には不快なものを感じるのは、私だけではないだろう。
 イルカが知性が高くて、かわいい存在であることは誰も否定しないが、地域の文化を頭ごなしに否定するのはやめたほうがいい。
 イルカ保護運動の人たちが「善意」からやっていることは理解できなくはないが、その「善意」が押しつけと映るのは好ましいことではない。彼らの姿勢が「イルカ保護」というよりも、「反日」と受け取られかねないのは、彼らにとっても望ましいことではかなろう。
 彼らは無意識なのだろうが、どうしてもキリスト教を背景にした「十字軍」的匂いを感じるのは不快な話である。彼らの原理主義的情熱については、ぜひ『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみるをご参照願いたい。

 もちろん、捕鯨やイルカ漁についても、あくまでもその土地の原住民(indigenous people)にとっての文化という観点から日本列島近辺の沿海漁業に限定し、南氷洋の調査捕鯨は自粛するべきではないのかという著者の見解には、私も賛成を感じるようになってきた。それこそ「事業仕分け」の対象として俎上に乗せるべきではかなろうか。

 それはともかく、一度はぜひ「太地町立くじらの博物館」を訪問することをお薦めしたい。「くじら文化」を捕鯨から、骨格標本、生態、食文化までトータルに捉えた、文字通り「くじらの総合博物館」である。私は数年前に一度だけだが訪問して、お土産として、民芸品の「くじら車」を買って帰った。

 文化と文明の違いについて考えるうえでも、イルカ漁は試金石になるものだといえるだろう。


<参考サイト>

世界一のスケールを誇る「太地町立くじらの博物館」

【調査】まずは疑って係!/和歌山県太地町にアポなし突撃取材敢行!イルカって、食べたことないんですけど……。(月刊チャージャー8月号) (2010年8月17日追加)

NHKスペシャル「クジラと生きる」(2011年5月22日 放送)
・・『ザ・コーヴ』というでっち上げ映画公開以降の和歌山県太地町の6ヶ月間を描いた特集。ローカルの食文化を圧殺することを一顧だにしない、イデオロギーに凝り固まった「反捕鯨活動家」たちの無意識に醸し出す醜さが、おのずから画面からにじみ出ていた。(2011年5月22日追加)



<関連サイト>

クジラを食べ続けることはできるのか 千葉の捕鯨基地で見た日本人と鯨食の特別な関係(連載「食のニッポン探訪」)(樋口直哉、ダイヤモンドオンライン、2014年9月3日)
・・日本人は家畜の解体には違和感を感じても、マグロやクジラの解体には違和感を感じないのは「文化」によるものであり、「慣れ」の問題でもあろう。【動画】外房捕鯨株式会社 鯨の解体 は必見!

(2014年9月3日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

映画 『ザ・コーヴ』(The Cove)を見てきた

『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる

書評 『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009)第3章 調査捕鯨船団 vs. 環境テロリスト、南氷洋の闘い 




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