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2010年1月20日水曜日

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)


肉体的な極限状況のなか、「眠りかかろうとする意識のさらに下層ではたらいている何物かの声」で語られる、岡本太郎の「日本列島文化論」

 この本はどうしても紹介したいと思っていた。
 何といっても、このタイトルとこの表紙デザイン。東京・青山の「岡本太郎美術館」でこの本をはじめて見て、「爆発」という二文字に目が釘付けになってしまった。いまから7年前のことである。

 さっそくこの本を購入して自宅で読み始めた。予想はまったく裏切られなかった。熱い、熱い情熱。自らもフランスで民族学を修めた岡本太郎が、文化人類学者の泉靖一を前に持論をとうとうと述べ立てる

 もともとは1970年に『日本列島文化論』というタイトルで出版されたらしい。復刻版のタイトルは第五章からとられている。

 アジアの拠点として、日本に「民族学博物館」を作るという夢を共有し、ともに 1970年の大阪万博の準備のために奔走していた二人が、激務の合間をぬって、肉体的には極限状況のなかで行われた対話である。岡本太郎はいうまでもなく「太陽の塔」の建築で、泉 靖一はそこに展示して民族学博物館に収録する仮面や神像などの民族資料の収集のため。

 岡本太郎は、最終章である第五章で、対話中に過労のため、不覚にも突然居眠りを始める。本文にはこう記されている。

(ここで岡本氏、連日の疲れが重なったせいか、急にバタンと倒れ、イビキをかいて眠りはじめる)
編集部  言葉や文字からくる日本文化の特殊性はあるでしょうか。――おやすみになりましたね、続けますか?
  続けましょう。――さて、もちろん、日本文化と日本語、あるいは文字とのあいだには密接な関係があるにちがいありません。(後略)

 
 岡本太郎がいびきをかいて眠っている間も、対話者の泉 靖一はなんと本文で7ページにわたって話続けるのだ。最後に岡本太郎はむっくり起き上がって締めのセリフを吐くのだが、すごいのは岡本太郎だけではない。泉靖一もすごい。そして、あえてこの部分も活字に残して生かしましょうといったのも泉靖一であったと岡本太郎は書いている。

 泉靖一は親友との食事の際に、この本の見本をもってきてうれしそうに語り、そしてその場で倒れて不帰の客となったという。享年55歳。

 こういったエピソードもさることながら、独自の日本文化論を展開していた岡本太郎と、人生の前半を植民地時代の朝鮮半島で過ごし、済州島やインカ文明についてのフィールドワークをもとにすぐれた研究を遺した泉靖一との対談は、実に中身が濃く面白いのだ。

 序文を寄せている岡本敏子さんは、こう回想している。

(泉靖一は)幅の広い学者だった。人間的なふくらみと男らしい決断、行動力、あわせもった魅力的な方だった。岡本太郎とは肝胆相照らすという感じで、お互い認め合い、触発しあって、いい仲だった。・・中略・・男同士というよりも、男の子同士として相手を認め合う。お互い、すっくと立って、肩を組んでいる。そう私には思えた。そういう信頼の上に、この対談がひろがっていることを、いま読む人にもしってほしい。


 「極限におかれたために、眠りかかろうとする意識のさらに下層ではたらいている何物かの声」がでてきたと、泉靖一はあとがきに書いている。

 ともに肉体的に極限の状況で行われた、希有な対話だったのだ。二人とも、まさにシャマンそのものになっていたといってよいのだろうか。

 岡本太郎をただ芸術家だと思っている人は、ぜひ本書を読むべきだ。
 縄文土器の美を発見し、日本列島文化の見方を根本的に転換させたのは、岡本太郎その人なのである。

             
■bk1書評「肉体的な極限状況のなか、「眠りかかろうとする意識のさらに下層ではたらいている何物かの声」で語られる、岡本太郎の「日本列島文化論」」投稿掲載(2010年1月10日)
■amazon書評「肉体的な極限状況のなか、「眠りかかろうとする意識のさらに下層ではたらいている何物かの声」で語られる、岡本太郎の「日本列島文化論」」投稿掲載(2010年1月10日)






<書評への付記-文化人類学者・泉靖一を中心に->


 表紙写真は、岡本太郎作「縄文人」。背後で燃え上がっているのは、密教の護摩の火だろうか、すさまじまでにインパクトのあるグラフィック・デザインである。

 書評でふれた「民族学博物館」とは、大阪千里の大阪万博跡跡地にある「国立民族学博物館」(愛称 みんぱく)のことである。岡本太郎の作品「太陽の塔」とともに、遺産として後世に遺されたことは、日本国民として大いに感謝したい。関東に住んでいるとなかなか訪問する機会がないのは残念であるが。
 展示品の基礎が、1970年の大阪万博のために、学術的な見地にたって系統的に蒐集されたものであり、そして当時は学生運動が荒れまわるなかで、人類学者が植民地収奪によって成立した学問だという猛烈な批判と罵声が浴びせられていた時代であったことも記憶しておきたい。対話者の泉靖一が激務のなか斃れたのは、こういう時代状況があったのである。
 
 文化人類学者の泉靖一については、アイヌ関係の著作を多数出版している藤本英夫による『泉靖一伝-アンデスから済州島へ-』(藤本英夫、平凡社、1994)参照。絶版品切れ状態が残念であるが。
 この本には、泉靖一が前半生を過ごした、植民地時代の朝鮮半島への限りない愛着の念が詳細にたどられている。人類学的研究の大著『済州島』(東京大学出版会、1966)の著者・泉靖一が斃れることなく韓国のシャマニズム研究に回帰できていたら、実に魅力的な研究がなされたのにと思うと残念でならない。

 岡本太郎自身、『岡本太郎が愛した韓国』(平井敏晴、岡本敏子=監修、河出書房新社、2004)にまとめられた韓国紀行を残しており、なお同書は、岡本太郎自身が撮影した貴重な民俗芸能などの写真が満載で、手元に置いておきたい一冊である。泉靖一が亡くなったため、同行することがかなわなかったのはまことにもって残念だったというしかない。

 せっかく機会なので、広い視野をもってフィールダワークに従事していた人類学者・泉靖一の語り口を紹介しておきたい。「日本におけるキリスト教の不振」にかんする見解と、取捨選択に当たっての「無意識の主体性」というコンセプトは実に魅力的である。

第5章 日本人は爆発しなければならない(同書:P.199~203)(*読みやすくするために、引用者の判断で適宜行がえを行った)

日本におけるキリスト教の不振

 それからさっきちょっと問題になった、日本になぜキリスト教が浸透しなかったかということ、これはやはり非常に大きな問題です。
岡本 そうですね。それを考えると、日本人ってのはまったく不思議な民族だと思いますね。これだけ融通無碍でありながら、みじんも影響されていない。
 もちろん東アジアの文明国には、それほど強くキリスト教が入れなかったのは事実でです。しかし、その中でも日本が最も入っていない。それでいて日本の文化は見かけだけだと非常に西欧化されています。
 日本になぜキリスト教が浸透しなかったかという最も大きな原因あるいは結果は、イデオロギーの立場からいって、多元論から二元論への切り換えができなかったことです。また、そういう機運が西欧的イデオロギーに接する前に起こらなかったからともいえましょう。七、八世紀に入ってきた仏教が、仏教か、しからざれば死か・・・・という二元論的発想で、日本列島を仏教一色に塗りつぶすことはできなかった。社会の上層から入ってきた仏教を歯止めしたのは、日本の多元論的な土着宗教であり、それが、内的には多元論的仏教と習合したのが、七、八世紀以降の日本的イデオロギーであるともいえましょう。この状態はある程度中国でも、朝鮮でも、またベトナムでも同じだったように思います。
 ところがそうなった場合、当然かようにして定着した古代の既成宗教は、封建体制のうちで、強力な権力の核になってくる。ヨーロッパではキリスト教の修道院や寺院が大きな寺領をもっていましたが、日本でも中国、朝鮮またはベトナムでも、仏教寺院が不可侵の寺領をもっていて、諸侯や国家にたいして、経済的にも政治的にも、外側からの力をもっていた。
 仏教と寺領をなんとかしないかぎり、東アジアにおける国家権力は存続しえなかったことは事実です。いいかえれば、王朝は仏教と対決せざるを得なかった。その場合、中国と朝鮮では、王朝の政治権力は寺領の権力と対抗し、いっぽう、それだけではやはり弱いので、イデオロギーのうえでは、新興の朱子学が仏教と対決することにより、仏教体制を敗者として山の中に追いこみ、平野の生産性の高い寺領を取り上げて、国家の財政体制をととのえたのです。その結果、中国と朝鮮では、朱子学が村落レベルまで浸透しました。朱子学の発想には二元論的発想がととのえられています。だから、中国と朝鮮のキリスト教化のために、朱子学が論理的地ならしをしたと、皮肉ることもできます。
 ところが、日本の場合は、これと趣きを異にします。寺領に煩され続けた戦国大名たちは、信長をはじめとして、寺院に焼き討ちをかけ、イデオロギー上の対抗者としてキリスト教を使い、やがてキリスト教を追放して、勢力の弱まった仏教をキリスト教にあい対立するものとして明治維新まで使います。
 この間、朱子学も入ってきましたが、それは武士のみだしなみ、武家の倫理または政治哲学にとどまって、村落レベルまで浸透して習俗化されませんでした。この点が、ベトナムはよくわかりませんが、中国・朝鮮と日本のイデオロギーの大きな違いです。
 だからこそ、多元論的なものが、日本では明治以後にもそのまま残ってしまったのです。そしてヨーロッパ文明、機械文明が明治維新になって入ってきたとき、それらを価値の体系のなかで整理をしないで、「よきをとり、悪しきを捨て」て、あっというまに先進国の仲間入りをした、というのが真相ではありますまいか?
岡本 確かにその通りだと思いますが、それにしても・・・・やっぱり不思議ですねえ。世界中がキリスト教にやられちゃったんだからなあ。今までの日本式やり方だったら、表面だけでももっと受け入れて、混淆するところでしょう。どうしてあんなにケロリとしていたのか、これは面白いテーマですね。

無意識の主体性

 つまり、中国や朝鮮のように二元論的な朱子学のイデオロギー体系が定着したところでは、ヨーロッパの文化が入ってきたときに、これと対決し、価値としてのヨーロッパ体系に抵抗していますよ。「よきをとり、悪しきを捨て」ではなく、中国や朝鮮では全体として批判し、拒否しています。
 ところが、日本は体系論はほとんどせず、有用なものをとりあげ、有害なものを捨てて、ともかく技術的経済的側面でぐんぐん伸びていったため、東アジアの他の国は、ついてゆけなくなったのです。しかも、西ヨーロッパの価値体系の核をなしているキリスト教については、ある場合は「悪しき存在」として、ある場合は多数中の一つの信仰として処理されてきたわけです。キリスト教と、溶鉱炉や大砲は、日本ではまったく次元の違うものとして扱われてきました。
編集部 そうすると、日本に伝わった段階での仏教というものは宗教といえるでしょうか。
 古代に伝った仏教はもちろんそういえます。一番問題なのは儒教とくに朱子学は宗教であるかどうかということです。祖先や天を祭ることは、明らかに宗教ですが、習俗化された葬式その他各種の儀礼になるとむずかしい。
編集部 たとえば今の日本を考えた場合、結婚式は教会で挙げる、葬式は仏教でやるというような形が残されているのですが、それはおっしゃったように都合のいいところだけ取るというだけの話で、宗教とは別問題なんですね。
 いや、むしろその背後に排他的でない土着の宗教またはイデオロギーがある。だから、結婚式はキリスト教、七五三は神道、そして葬式は仏教式であるのは、無意識の主体性があるからです。その主体性自体が土着の宗教だとみることもできるでしょう。
編集部 それはかなり特殊な文化ということがいえるでしょうか。
 特殊文化というよりも、文化の古代性といったほうがいいかもしれません。余談ですが、このような古代的イデオロギーを心臓のまわりの脂肪みたいにもっている連中が、横文字をふりかざして、ヨーロッパ人みたいな顔をしているのをみると、ヘドがでそうです。
岡本 構造的にみても、こういう文化圏というのはちょっとほかには見あたらないですね。
 やはり古代東アジアの特徴といえるかもしれませんが、まえに述べたように日本が最もそれが強いですね。
 おそらくベトナムは日本に似ているでしょう。中国仏教が朱子学に塗りつぶされていないという点では、ベトナムをあげられようと思います。
 またいっぽう、中国仏教の勢力は朱子学に圧殺されたが、土着の信仰=シャマニズムが、女性の社会に脈々と生きている点では、朝鮮でしょう。

(ここで岡本氏、連日の疲れが重なったせいか、急にバタンと倒れ、イビキをかいて眠りはじめる)・・・以下、7ページにわたって、泉靖一の発言が続く・・・


 「日本におけるキリスト教の不振」にかんして、中華文明圏の中国・韓国(朝鮮)・日本・ベトナムを視野に入れた上でのこの発言は、傾聴に値するといえる。この点にかんして、こういう形で説明したものはあまり見ないので貴重である。

 ただし、岡本太郎の、「岡本 そうですね。それを考えると、日本人ってのはまったく不思議な民族だと思いますね。これだけ融通無碍でありながら、みじんも影響されていない。」、という認識は必ずしも正しくない。
 日本人は、キリスト教徒と名乗る人が全人口の1%程度であるというだけの話であって、日本人のものの考え方に、知らず識らずのうちにキリスト教が浸透していると私は考えている。
 明治維新以降、日本の思想家はキリスト教との格闘をつうじて、ある者は全面的に取り入れ、ある者は全面的に排斥したが、多くの者は外国文学などをつうじてキリスト教に触れている。そして多くの一般人は、無意識のうちにキリスト教の影響を受けているのが実態である。
 これは、まさに岡本太郎がいうように、日本人の融通無碍(ゆうづうむげ)さの現れである。ただし、「みじんも影響されていない」というのは、やや無知な発言といわざるをえない。泉靖一がいうよいうに「無意識の主体性」のもとに、取捨選択して取り入れているのではないだろうか。
 幕末の復古神道のパイオニア・平田篤胤(ひらた・あつたね)自身が、ひそかに漢籍文献をつうじて知りえた、キリスト教のアダムとイヴの創世神話を、大胆にも換骨奪胎(かんこつだったい)して、自分の教節内容に取り入れてしまっているくらいである。イザナギ・イザナミに置き換えるわけだ。
 まあ、こんな風に考えていくと、今後も日本ではキリスト教徒は増えることはないだろう。自分にとって都合のいいもの、受容しやすい部分だけ、無意識に取捨選択して、すでに十分に取り入れてしまっているからだ。

 現在の韓国はフィリピンに次ぐ、アジアのキリスト教国であり、総人口の三分の一がキリスト教徒である。仏教徒も多いとはいえ、先の引用にもあるように、儒教によって仏教寺院が山に追いやられてしまっているので、都市部だけをみると、キリスト教会が非常に目立つのが韓国の状況である。
 それにしても、泉靖一が斃れることなく、韓国シャマニズム研究が実現していれば、現在韓国のキリスト教で主流を占めるプロテスタント系で多い、カリスマ的キリスト教についての、非常に魅力的な研究がありえたかもしれないので、たいへん残念だ。
 韓国で土着化したメシアニズム系のプロテスタント教会は、シャマン的な牧師の個人的カリスマの存在が大きいことは、比較的よく知られている。

 東アジアというくくりで、中国・韓国との比較だけを見ていては視野が狭いのだが、もちろんそのなかでさえ、日本が儒教圏とはいいがたいことは、韓国・朝鮮の政治思想の専門家・古田博司が、華麗な文体で語っているとおりである。
 その著書『東アジアの思想風景』(古田博司、岩波書店、1998)には、「世に流布する浅はかな儒教理解は木っ端微塵に粉砕される」と題して、私がごく短く簡潔な書評を書いている。bk1 はこちらから、amazon はこちらから。あまり売れなかったようで、長期品切れ状態であるのが残念だ。
 かつて、いわゆる"韓流ブーム"発生よりはるか前に、韓国・朝鮮関連の本を大量に読み込んだことがあるが(・・合計100冊は下らないはずだ)、古田博司の著作を数冊じっくりと読み込めば、それで必要にして十分だという結論をもつに至っている。もちろんビジネス関係や時事問題の情報は別であるが。参考までに、筑波大学の古田研究室のウェブサイトを掲載しておく。
 古田博司を読むと、いかに朱子学が朝鮮半島にネガティブな影響を与えたか、いやというほど感じさせられるであろう。日本人の目からみると、ほとんど理解不能な世界が李氏朝鮮時代を支配していたこと、その痕跡は現在にいたるまで韓国だけでなく北朝鮮にも濃厚に残存していることが理解できる。
 岡本太郎が愛した韓国は、朱子学が徹底的に排除してきた民衆世界である。この世界は女性によるシャマニズムの世界ときわめて親和性が高い、きわめて濃厚なアジア世界そのものである。そしてこの世界こそが、くたびれた日本人に元気を入れてくれる世界なのだ。韓国は、縄文世界ではないが・・・


 泉靖一の発言の引用が非常に長いものとなったが、数日にわたって断続的に書き写しながら思ったのは、「ベトナムの儒教」についてもっと知りたい、という思いである。
 ハノイにある文廟(孔子聖堂)は訪問したが、現在の中国よりはるかに活気があるように感じた。共産中国では文化大革命で徹底的に批判されてから、儒教は完全に回復していないような印象を受けるからだ。中国では、仏教寺院は熱烈な信者が集まっているが、孔子の聖堂には誰も人がいない。東京の湯島聖堂とは大違いである。
 ベトナムでカトリックが普及していることはすでにこのブログでも書いたとおりだが、その理由はもしかすると、ただ単にフランスによる植民地化だけが原因ではないのかもしれない。朱子学における天の概念が、天主教(カトリック)の天帝の概念の受容を容易にしたはずであるからだ。
 いずれにせよ、中国と、私の表現による「中華文明の三点セット」(儒教・道教・大乗仏教)を受容した韓国、日本、ベトナムをあわせて、はじめて有効な比較ができるのである。

 今回ふれなかった、岡本太郎の民族学の先生であったマルセル・モースについては、長くなりすぎたので、またさらに別の機会に書くこととしたい。


P.S. 読みやすさを増すため、行替えなどの作業を行った。ただし、一部に字句を補足した以外は、本文には手を入れていない(2011年6月8日)




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