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2017年11月20日月曜日

書評 『ハプスブルク帝国、最後の皇太子-激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯-』(エーリッヒ・ファイグル、北村佳子訳、 朝日選書、2016)-第一次世界大戦後から冷戦構造崩壊までのヨーロッパ現代史


 『ハプスブルク帝国、最後の皇太子-激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯-』(エーリッヒ・ファイグル、北村佳子訳、 朝日選書、2016)という本を読んだ。 ヨーロッパ現代史の知られざる裏面を明らかにした生き証人の記録だ。

日本人でオットー大公と交友関係があったのが、意外な組み合わせのように思えるかもしれないが、実業家で国士であった田中清玄氏であった。わたしは『田中清玄自伝』で、オットー大公のことを知ってから20年たつ。この二人は、じつは反共で伝統主義者であることが共通していた。

第一次世界大戦の原因となったハプスブルク帝国(=オーストリア=ハンガリー二重帝国)は、敗戦の結果として崩壊し中欧の大国は解体された。6歳のオットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンは「ハプスブルク帝国最後の皇太子」となり、以後2011年に亡くなるまで激動のヨーロッパ史を生き抜くことになる。

オットー大公の生涯は、この本に収録された1992年のインタビューで本人が語っているように、まさに「ヒトラーと共産主義との戦いの生涯」であった。 亡命生活のなか、オットー大公は米国のルーズヴェルト大統領を動かし、英国のチャーチル首相を動かすことで、第二次世界大戦後の欧州でのオーストリア再興に尽くす。この間のスリリングな状況は、まるでドラマのようだ。

いわゆる「ハルノート」という最後通牒で日本を追い詰め、大東亜戦争に向かわせたコーデル・ハルは、オットー大公のオーストリア再興の邪魔をした人物として本書に何度も登場する。ハルってヤツは、そういう人物だったのか、と不快感と怒りを新たにする。この事実は本書で初めて知った。特記しておきたい。

オーストリアにとっては、日本は第一次大戦では敵国、第二次世界大戦ではドイツとの同盟でオットー大公とは敵対する側に回ったのであるが、昭和天皇に拝謁した際には、オットー大公はどのような話をされたのだろうか? 交友関係のあった田中清玄氏とは、ハルのことは話題にしたことがあったのだろうか? そんな想像をしてみたくなる。

(ドイツ語原書 1992年刊)

オーストリア再興というミッションを見届けた後は、欧州議会の議員としてEU統合のために身を尽くすことになる。交友関係があったリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の「汎ヨーロッパ主義」に共鳴していたオットー大公もまた、同じような志向をもっていたのである。ちなみにクーデンホーフ=カレルギー伯爵の母親は日本人である。

「ベルリンの壁崩壊」(1989年)につながったのが「汎ヨーロッパ・ピクニック」というイベントだが、このイベントを思いつき主催したオットー大公は、ヨーロッパでの冷戦構造崩壊の功労者なのである。オーストリアとハンガリーの国境が開放され、東ドイツ人を含む東側の人たちが大量に西側に脱出した「事件」である。この件は、ずいぶんと前のことだが「NHKスペシャル」で取り上げていた記憶がある。

インタビューで語られるオットー大公の発言には、深い洞察と教養にもとづいた金言のようなフレーズがちりばめられている。さすが欧州で650年つづいた帝国のハプスブルク家は違うなあ、という感慨を抱く。

オットー大公は、1992年のインタビューで次のように語っている。

「私が長い政治家としての人生から何かを学んだとしたら、それは政治の世界には二つの言葉、「決して(し)ない」という言葉と、「恒久的な(永遠に)」という言葉は見当たらないということです。「恒久的」なのは神であり、歴史を少しでも知る人であればおわかりでしょうが、その根本法則は変化です。この根本的なことはどれほど強調してもしすぎることはありません」(P.366 太字ゴチックは引用者=さとう)

歴史を深く知ることで、未来への先見性が磨かれるのである。それを体現してたのがオットー大公であった。深い関わりをもったチャーチル英首相も、EU構想の父であるクーデンホーフ=カレルギー伯爵もまた、歴史の素養の深い「教養人」であった。

オットー大公の判断の軸となっていたのがキリスト教であり、しかもカトリック信仰であったことは、カトリックの保護者であるハプスブルク家ならではといえるだろう。

ハプスブルク帝国(=オーストリア=ハンガリー二重帝国)が1918年11月11日に崩壊してから今年で100年になる。それは、第一次世界大戦後から第2次世界大戦を経て、冷戦構造の成立から崩壊後まで含んだ激動の一世紀の歴史である。

1912年11月20日に生まれて、2011年7月4日に98歳で亡くなったオットー大公は、まさにこの激動の一世紀を体現した人物であった。本日(2017年11月20日)は、奇しくもオットー大公の生誕105年に当たる。





目 次

オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンの人生(関口宏道=監訳者)
第1章 幼年時代(1912~1929)
 第1節 オーストリア=ハンガリー帝国
 第2節 レケイティオ
第2章 青年時代(1929~1940)
 第1節 ヒトラーの演説を聞く
 第2節 国家社会主義と対峙
 第3節 シュテーノッケルゼール
第3章 アンシュルス(=ドイツによるオーストリア併合 1938)
 第1節 コードネームは「オットー作戦」
 第2節 極秘文書、ドイツ国防軍司令部発ヒトラーの指示
第4章 パリ(1939~1940)
 第1節 オーストリア再興のために
 第2節 パリへ向かう
 第3節 「オーストリア代表部」「亡命オーストリア人部隊」設立に動く
 第4節 フランスはオーストリア再興の必要性を承認
第5章 挑戦し続けるオットー(1940)
 第1節 最初のアメリカ行き
 第2節 パリ。オットーによる救出作戦
 第3節 「ナーハ ヴェスト」(西へ)
第6章 再びアメリカへ(1940~1944)
 第1節 オーストリア救援に力を尽くす
 第2節 政治力と情報戦
第7章 オーストリア再興のための戦い 
 第1節 アメリカのオットー、ロンドンのローベルト
 第2節 オーストリア大隊編成をめぐる反対勢力の詭弁
第8章 中央ヨーロッパの命運(1943~1944)
 第1節 ケベック会議
 第2節 パン・ヨーロッパへの始動
第9章 モスクワ宣言発効(1944)
 第1節 ロンドンライン
 第2節 アメリカを関与させる
第10章 ハンガリー
 第1節 オットーの尽力
 第2節 ハンガリー、ソ連の最初の犠牲になる
第11章 第二次世界大戦終結後(1945~1991)
 第1節 ヨーロッパへの帰還
 第2章 ヨーロッパの国々の中で
 第3節 統一ヨーロッパへ
 第4節 共産主義崩壊後の世界
 第5節 オリエントへの旅
第10章 東西冷戦終結
 第1節 パン・ヨーロッパ・ピクニックはこうして始まった
 第2節 ハンガリーの「聖シュテファンの王冠」
訳者あとがき
ハプスブルク=ロートリンゲン家略系図
オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン年譜
人名索引

著者プロフィール

エーリッヒ・ファイグル(Erich Feigl)
1931年ウィーン生まれ。テレビドキュメンタリーの映像作家であり著述家でもある。ツィタ皇后とオットー大公に直接インタビューをし、また多くの資料を入手し、ハプスブルク家に関する著作やフィルムを数々作成。その優れた仕事に対して学問と芸術における栄誉賞を授与され、またウィーンの市民として金の栄誉賞も受けている。2007年死去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
日本語訳者プロフィール

北村佳子(きたむら・よしこ)

1974年早稲田大学第一文学部ドイツ文学専攻卒業。ゲーテ・インスティテュート東京上級クラス修了。ウェラ化粧品、コメルツ銀行東京支店などに勤務。ドイツ人役員や支店長の秘書として翻訳通訳業務を行う。2001年コメルツ銀行退職。現在はフリーランスとしてドイツ語の翻訳業務に携わる。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





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