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2018年1月16日火曜日

JBPress連載コラム17回目は、「アル中だったブッシュと、一滴も飲まないトランプ-新年会シーズンにあえて「禁酒」について考えてみる」(2018年1月16日)


JBPress連載コラム17回目は、「アル中だったブッシュと、一滴も飲まないトランプ-新年会シーズンにあえて「禁酒」について考えてみる」(2018年1月16日)
⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52058

本日(1月16日)は「禁酒の日」です。

といっても、日本は「新年会シーズン」の真っ盛りであり、飲酒の機会も多い。そう考えると、あまりにもタイミングが悪い。日本での認知度がきわめて低いのも当然でしょう。

そこで今回は、あえてこの時期に「禁酒」について、米国を中心に歴史を踏まえながら考えてみたいと思います。

悪名高い「禁酒法」がなぜ米国で断行されたのかアルコール依存症を克服したブッシュ(ジュニア)大統領とアルコールは一滴も飲まないトランプ大統領、といったエピソードを踏まえて、「禁酒」について考えます。

新年会で飲むことになっている人も、少しは酔いを醒ますことになる内容かも知れません。

次回の公開は、2週間後の1月30日(火)です。お楽しみに!







<ブログ内関連記事>

in vino veritas (酒に真理あり)-酒にまつわるブログ記事 <総集編>

マンガ 『アル中病棟(失踪日記2)』(吾妻ひでお、イーストプレス、2013)は、図らずもアル中病棟で参与観察型のフィールドワークを行うことになったマンガ家によるノンフィクション

「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人

『izakaya: The Japanese Pub Cookbook』(=『英文版 居酒屋料理帖』)は、英語で見て・読んで・楽しむ「居酒屋写真集」+「居酒屋レシピ集
・・アメリカにないのが日本の居酒屋文化

タイのあれこれ(5)-ドイツ風ビアガーデン
・・アメリカにないのが日本のビアガーデン

ユダヤ教の「コーシャー」について-イスラームの「ハラール」最大の問題はアルコールが禁止であることだ
・・ユダヤ教ではアルコールは禁止されていないが、宗教上のコーシャー(=適法)であることが求められる




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2018年1月14日日曜日

書評  『大村智-2億人を病魔から救った化学者-』(馬場錬成、中央公論新社、2012)-「旬」を過ぎた本にも価値はある


2015年度のノーベル医学・生理学賞を受賞した大村智博士の実録伝記を先週読んだが、じつに面白かった。読んで元気が出る内容だ。

タイトルは、『大村智-2億人を病魔から救った化学者-』(馬場錬成、中央公論新社、2012)。著者は、読売新聞社の科学記者だった人。知財や産学連携などに詳しいようだ。

出版年に注目してほしい。出版は2012年、ノーベル賞受賞は2015年。先読みをしたわけではない。独創的な研究を行い、世界のトップレベルの研究をリードし、日本ではいち早く知的財産の重要性に着目した研究者で、産学連携モデルと特許収入によって研究室の独立採算性を確立した人について、ぜひ世に知ってほしいという熱意から生まれた本なのである。

そんな本を、さらにノーベル賞受賞で世の中が湧いていた時から2年もたった後に読む。つまり出版から5年もたっている。だが、「旬」を過ぎた本にも価値はあることが読むとよくわかる。というのも、この本は、ノーベル賞受賞というニュースから生まれた便乗本ではないからだ。

ニュース報道されていたので、農家の長男で、そもそも大学に行く予定がなかったという大村博士の非エリートのジグザグ人生のあらましはだいたい知っていたが、それでも285ページの単行本でディテールまで知ると、人生の岐路でいかなる選択を行ったか、その動機や意志決定の中身も詳しくわかる。また、趣味や寄り道がいかに発想の幅を拡げてくれるかについても納得がいく。専門×雑学が「アタマの引き出し」の源泉になることをよく示している。

大村博士の専門である化学(ケミストリー)にかんする話は出てくるが、著者がかみくだいて説明してくれているので心配することない。ブユが媒介するオンコセルカ症という失明を招く眼病から、アフリカの2億人を救ったのがイベルメクチン。このように、どうしてもカタカナの化学物質名がたくさん登場するが、それは説明のために仕方ないことだ。

とにかく読んで元気の出る本。50歳を超えたこの歳で読んでも面白いのだから、若い人が読んだら、元気だけでなく勇気ももらえるはずだと思う。





目 次

プロローグ
第1章 自然と親しんだ小学生時代
第2章 スポーツに明け暮れた青春時代
第3章 高校教師から研究者に転身
第4章 北里研究所に入所して鍛えられる
第5章 アメリカの大学での研究生活
第6章 企業から研究費を導入して研究室を運営
第7章 エバーメクチンの発見
第8章 大村研究室の独立採算制
第9章 研究経営に取り組む
第10章 活発な研究活動と外国での評価
第11章 北里研究所メディカルセンター病院の建設
第12章 北里研究所とコッホ研究所
第13章 科学と芸術の共通性から女子美術大学の理事長へ
第14章 人材育成で社会貢献する大村研究室の活動
あとがき
大村智略歴

著者プロフィール
馬場錬成(ばば・れんせい)1940年東京都生まれ。東京理科大学理学部卒業後、読売新聞社入社。編集局社会部、科学部、解説部を経て1994年から論説委員。2000年11月に退職後、東京理科大学知財専門職大学院(MIP)教授、早稲田大学客員教授、特定非営利活動法人21世紀構想研究会理事長、文部科学省・科学技術政策研究所客員研究官、産学官連携戦略展開事業推進委員会委員、学佼給食における衛生管理の改善に関する調査研究協力者会議委員などを務める。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





<ブログ内関連記事>

書評 『「大発見」の思考法-iPS細胞 vs. 素粒子-』(山中伸弥 / 益川敏英、文春新書、2011)-人生には何一つムダなことなどない!

書評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所-』(宮田親平、河出文庫、2014)-理研はかつて「科学者の楽園」と呼ばれていたのだが・・

書評 『「できません」と云うな-オムロン創業者 立石一真-』(湯谷昇羊、新潮文庫、2011 単行本初版 2008)-技術によって社会を変革するということはどういうことか?

書評 『道なき道を行け』(藤田浩之、小学館、2013)-アメリカで「仁義と理念」で研究開発型製造業を経営する骨太の経営者からの熱いメッセージ

「史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)に科学社会の構造的問題をさぐった 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)は、「STAP細胞事件」(2014年)について考える手助けになる

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論

世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる





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2018年1月11日木曜日

『水曜日のアニメが待ち遠しい』(トリスタン・ブルネ、誠文堂新光社、2015)を読んで日本のアニメとマンガがいかに1970年代以降のフランス社会に受け入れられていったかを知る


いまさらというわけではないが『水曜日のアニメが待ち遠しい-フランス人が見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす-』(トリスタン・ブルネ、誠文堂新光社、2015)を読んだ。2年前に出版されたもので気にはなっていたが、ようやく読むことができた。昨年12月のことである。

フランス人で1976年生まれの「オタク第一世代」の日本近現代史研究者が、みずからの経験を踏まえながら、日本アニメがフランス文化に与えた影響を分析したもの。アニメについての本だが、図版はほんの少しで、ほとんどが文字ばっかりの内容だ。

「水曜日のアニメ」というのは、フランスでは著者が小学生だった当時は水曜日は学校が休みで、水曜日に集中して日本のアニメが放送されていたことを指している。当時の日本アニメのコンテンツは非常に安く(・・現在の韓国ドラマのようなものだ)、フランスでは大量に輸入されて放送されたらしい。おそらく、イタリアも同様だろう。

偶然の結果としてアニメにすっかり魅了された世代のフランス人の著者は、その後もアニメからゲーム、マンガへと日本のサブカルチャーにはまっていくが、これらのサブカルが、1970年代の幸運な最初の出会いから、1980年代のジャパン・バッシングを経て、いかにフランス社会に受け入れられていったかについて分析している。

フランス文化についての本であり、日本文化についての本でもある。日本文化が、いかにローカライズされてフランス文化の一部になっていったかについての本でもある。


■『水曜日のアニメが待ち遠しい』の「その後」

この本を読んだあと、ついでに『マリー・アントワネット』(惣領冬実、講談社KCデラックス モーニング、2016)『マリーアントワネットの嘘』(惣領冬実/塚田有那、講談社、2016)も読んでみた。

ヴェルサイユ宮殿の全面的協力で、講談社とフランスのマンガ出版社のコラボで製作されたマンガとその秘話。『水曜日のアニメが待ち遠しい』で描かれた世界の、その後のフランスの状況がよくわかる。

ルネサンス期のイタリアを舞台にした惣領冬実の歴史マンガ『チェーザレ』はまだ読んでないのだが(・・友人からは読め、読めと強く薦められてからすでに数年になる)、2000年代以降のフランスにおける新たな歴史研究を踏まえた『マリー・アントワネット』を読んで、大いに目を開かれた感じだ。もっと早く読んでおけばよかった。

マリーアントワネットが嫁入りする前から、フランスの王太子との結婚のためヴェルサイユ宮殿に入る1770年の1年間を描いたこのマンガは、ぜひ推奨したい。いままで作られてきた既成概念がガラッと崩されるのを感じるのではないかな。

とにかくディテールへのこだわりがすごいのだ。歴史書として読めるマンガだ。このマンガはぜひ読むことを推奨したい。


****************************************************************

ということで、フランス関連のアニメとマンガについての本を、3冊続けて読んでみた。

読んだから別にどうなるというわけではないが、ふだん見慣れているものとは違う観点から物事を見直すということは、じつに面白いことだ。

みなさんにも、ぜひお薦めしたい。








<ブログ内関連記事>

■マリーアントワネット関連

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ

フランスの童謡 「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」(Il pleut, Il pleut, bergère)を知ってますか?
・・「1780年に書かれたもので、歌詞にでてくる女羊飼いはマリー・アントワネットのことを指しており、雷雨や稲妻は近づきつつあったフランス革命を暗示しているのだという。フランス革命は、1789年のバスチーユ襲撃から始まった」


■フランス文化

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)

「特攻」について書いているうちに、話はフランスの otaku へと流れゆく・・・ 
・・日本とフランスの関係をサブカルチャーから考えてみる。フランスと日本は、知らず知らずのうちにお互い影響を与え合っている

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2011年1月号 特集 「低成長でも「これほど豊か」-フランス人はなぜ幸せなのか」を読む


■フランスで放送されたアニメと原作マンガ

マンガ 『めぞん一刻』(高橋留美子)の連載完了から30年!(2017年4月)


■ローカリゼーション

書評 『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか-世界で売れる商品の異文化対応力-』(安西洋之、中林鉄太郎、日経BP社、2011)-日本製品とサービスを海外市場で売るために必要な考え方とは?
・・ローカリゼーションにかんする必読書

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

由紀さおり世界デビューをどう捉えるか?-「偶然」を活かしきった「意図せざる海外進出」の事例として・・日本語と音楽の関係について

(2018年1月13日 情報追加)




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2018年1月8日月曜日

『神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展』(東京・渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム)にいってきた(2018年1月7日)-2017年に開催された『アルチンボルド展』(国立西洋美術館・上野)を補完する企画展



『神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展』(東京・渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム)にいってきた(2018年1月7日)。1月6日に始まったばかりの企画展だ。

ルドルフ2世は16世紀後半の人。帝都をウィーンからボヘミア地方のプラハに移動、ややこしい現実政治に関心を失ってから、居城に引きこもって夢想の世界に没入し、南米大陸も含めた全世界からの収集品で構築した「驚異の部屋」という独自の世界を作り上げた生涯独身男。19世紀後半のバイエルン国王、狂王ルートヴィヒ2世に比較してみることの出来る人だ。

この展示会は、そんなルドルフ2世とその時代を、お抱えの天才アーチストのアルチンボルドなどによる絵画作品や、ティコ・ブラーエやケプラーなどの天文学をはじめとする科学者や魔術師たちの書籍やアイテム、その他もろもろの収集品で再構成しようとした試みだ。

昨年、東京国立西洋美術館で開催された 16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する企画であった 「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野) を補完するような内容であるといえようか。

ただ、期待していたのとは違って、ちょっとがっかりしたというのが正直なところだ。『アルチンボルド展』で展示されなかった「ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像」(上掲のポスターの画像)を見ることができたのは良かったのだが、「驚異の部屋」というには、あまりにもその要素が欠けていたから。

美術と科学とガラクタがおもちゃ箱のように混在しているのが、17世紀を中心に西欧の王侯貴族のあいだで大流行した「驚異の部屋」(ドイツ語で Wunderkammer ヴンダーカマー)というもの。だが今回の企画展で、それが再現されていたとは言い難い。

いっそのこと、すべて複製品でいいいから「ルドルフ2世の驚異の部屋」を再現するか、あるいは CG を使用した 3D映像で VR(バーチャル・リアリティ)体験させるような企画のほうがよかったのではないか?

まあ、そんなことはわたしの勝手な夢想だが、今回の展示でよかったのは、出口の前の特別展示スペースに置かれていた、現代美術家フィリップ・ハース氏による、アルチンボルドの『四季』の立体3D彫刻作品だ。ファイバーグラスに着彩したもので2000年の作品である。この作品だけは写真撮影OK(下記の写真参照)。

(アルチンボルドの『四季』の立体3D作品 筆者撮影)


(アルチンボルドの「冬」による彫刻 筆者撮影)

(アルチンボルドの「春」による彫刻 筆者撮影)

この試みをさらに一歩進めれば、わたしが夢想するような「ルドルフ2世の驚異の部屋」ができたかもしれないのに・・・。

とはいっても、美術館にそれを期待してもムリかもしれない。この手の企画展は、動物の剥製や鉱物などふんだんに所蔵している国立科学博物館で開催した方がよかったのではないかと思うのだ。ミュージアムはミュージアムでも、「美術」館ではなく「博物」館の方である。


ところで、収集という行為は資本主義そのものだと水野成夫氏ならいうだろう。だが、ルドルフ2世の収集活動を資本主義とムリに結びつける必要はないと思われる。

いつの時代でも、収集に熱中し、浮き世離れしてしまう者は、洋の東西を問わず、時代の新しい古いを問わず存在してきた。しかもその大半は男性だ。したがって、収集行為における性差を考えれば、むしろ資本主義を超越した普遍的なテーマというべきではないだろうか? ルドルフ2世もまた、現実逃避傾向のある独身男性だったことを想起すべきである。

話はそれたが、ルドルフ2世という際だった個性のコレクターとその時代を知るには好企画ではある。また、コレクションの本質について考えるのも面白い。この企画展は、そんな機会として活用してほしい。






<関連サイト>

『神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展』 公式サイト






<ブログ内関連記事>

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する

書評 『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』(小宮正安、集英社新書ヴィジュアル版、2007)-16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで流行した元祖ミュージアム ・・まさにアルチンボルドとルドルフ2世の時代精神そのもの

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡 
・・この本もぜひ。おなじく17世紀から18世紀にかけてのフランスを中心に

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-西欧人の無意識が反映した「文化」をさぐる解剖学者の知的な旅の記録
・・カトリックの擁護者であったハプスブルク家の「心臓信仰」を取り上げている。また、プラハのユダヤ人墓地の話も面白い。あえて付け足せば、ゴーレム伝説は16世紀のプラハのカバリストによるものであり、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の時代のプラハであったことを企画展でも取り上げて欲しかった

「大英自然史博物館展」(上野・科学博物館)にいってきた(2017年4月19日)-子どもはもちろん、大人も知的興奮を隠せない絶対に見にいくべきイベントだ!
・・この博物誌的収集活動は大英帝国が主導した資本主義そのものだが、その前史としてルドルフ2世も想起するといい

『生誕150年企画展 南方熊楠 100年早かった智の人』(国立科学博物館 東京・上野)に行ってきた(2017年12月22日)-「グローカル」で「智の巨人」であった南方熊楠の全体像を知る企画展





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2018年1月7日日曜日

映画 『ラサへの歩き方 祈りの2400km』(2015年、中国)をアンコール上映で見てきた(2018年1月7日〉-チベット人一家の五体投地による「カイラス山巡礼」


イメージフォーラム(東京・渋谷)で映画『ラサへの歩き方 祈りの2400km』(2015年、中国)をアンコール上映で見てきた(2018年1月7日)。

2016年に日本で公開されたようだが、公開されたこと自体をまったく知らなかったのだ。この機会に見ることができたのは、ほんとよかった。チベットものであるからには見逃したくないからだ。

チベット人の一家11人による「カイラス山巡礼」を、セミドキュメンタリータッチで描いたロードムービーだ。

居住地から、まずはラサを目指して巡礼を開始。なんと「五体投地」(!)でゆっくりと着実に進めていく巡礼行。トラブル続きで、艱難辛苦を絵に描いたような旅だが、そうであればこそ、なおさら得られる功徳は大きい。

最初はアスファルトで舗装された車道を、舗装が途切れるとがれきの道を、水があふれた道もまた、マニ車を回しながら先導する老人について、大人も子どもも妊婦も(!)、みな五体投地で進んでゆく。その日の行程が終われば、トラクターで引いてきたテントを張って露営する。


巡礼行の途中で新たな生命が誕生し(・・なんと出産シーンまで登場!)、そしてそれと引き替えのように、老いた生命が消えてゆく。「人生は旅」とはよく言われるが、まさに「旅こそ人生」といった感じの道中である。

ラサでカネを使い尽くした一行は、男たちが2ヶ月間ラサで肉体労働をしたのち、巡礼行を再開する。カネがなくては巡礼はできないのだ。テントで露営するから宿代は浮かせるが、巡礼者も飯は食う。

日本語のタイトルが『ラサへの歩き方』となっているが、ラサは巡礼の最終地点ではない。ポタラ宮のあるラサは聖地ではあるが、あくまでも通過点に過ぎないのだ。巡礼の最終目的地はカイラス山である。 ラサまで1,200km、ラサからカイラス山までさらに1,200km。想像を絶する距離である。

(オリジナル中国版のポスター Wikipediaより))

チベット人が聖山とするカイラス山、一生に一度は巡礼したいと願うのがカイラス山オリジナル中国語タイトルは『冈仁波齐』(・・繁体字だと『崗仁波斉』)は、ガン・リンポチェ、すなわちカイラス山のことだ。標高6656mの高山であり聖山である。この聖山を仰ぎ見ながら五体投地で右回り(=時計回り)で一周するのだ。

チベットは中国の領土内にある。ラサもカイラス山も中国領だ。中国人監督による中国映画だから、セリフの大半がチベット語であっても、ダライラマの「ダ」の字も出てこない。中国政府の検閲が厳しいから仕方がない。そういうものだと受け止めるべきだろう。

(カイラス山のノースフェイス Wikipediaより)

とはいえ、この映画は中国ではなんと300万人以上が見た大ヒットになったという。一般の中国人にも、巡礼に命をかけるチベット人の生き様と、そしてチベット仏教に、なにか感じるものがあるに違いない。現在に生きる中国人の多くが、スピリチュアルなものを求める精神的な飢餓状況にあるのだろうか。

わたし自身は、当然のことながら五体投地ではないが、いまから20年以上まえの1995年にラサには巡礼している。まだこの目で見ぬ、映画のなかで見る白銀のカイラス山がとても美しく、かつ神々しい。おそらく生きているうちにカイラス山に行く機会はないだろうが、巡礼映画のなかで見るだけでも十分に満足だ。

(映画よりビデオキャプチャ amazonサイトより)

テーマ音楽も効果音もほとんどない、自然音とチベット語のセリフだけで2時間の映画だが、チベット人一家とともに巡礼をともにしている気分にさせてくれた。

中国のチベットものには『ココシリ(可可西里)』(2004年)などすぐれた作品もある。ダライラマを拒否する中国の映画だから見ないというのはもったいない。ぜひ見るべき映画だと思う。








<関連サイト>

ラサへの歩き方 祈りの2400km 公式サイト

ラサへの歩き方 祈りの2400km 映画.com

映画「ラサへの歩き方」 (1)プラ村
・・ブログ記事 「stod phyogs トゥーチョク」掲載のもの


冈仁波齐 (2015)  
导演: 张杨 编剧: 张杨 主演: 尼玛扎堆 / 杨培 / 索朗卓嘎 / 次仁曲珍 / 色巴江措 / 更多... 类型: 剧情 制片国家/地区: 中国大陆 语言: 藏语 / 汉语普通话 上映日期: 2017-06-20(中国大陆) / 2015-09-15(多伦多电影节) 片长: 117分钟 又名: Paths of the Soul / Kang rinpoche
監督・脚本:チャン・ヤン
出演: チベット巡礼の旅をする11人の村人たち
2015年、中国、115分、チベット語
配給・宣伝:ムヴィオラ





<ブログ内関連記事>

「チベット・フェスティバル・トウキョウ 2013」(大本山 護国寺)にいってきた(2013年5月4日)

映画 『ルンタ』(日本、2015)を見てきた(2015年8月7日)-チベットで増え続ける「焼身」という抗議行動が真に意味するものとは

映画 『ダライ・ラマ14世』(2014年、日本)を見てきた(2015年6月18日)-日本人が製作したドキュメンタリー映画でダライラマの素顔を知る 
・・おなじく日本人が作成したチベット関連映画。これも必見!

「チベット蜂起」 から 52年目にあたる本日(2011年3月10日)、ダライラマは政治代表から引退を表明。この意味について考えてみる

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜 2010年6月26日)にいってきた

チベット・スピリチュアル・フェスティバル 2009 ・・ 「チベット密教僧による「チャム」牛と鹿の舞」と題して、YouTube にビデオ映像をアップしてある。ご覧あれ http://www.youtube.com/watch?v=jGr4KCv7sAA

書評 『聖地の想像力-なぜ人は聖地をめざすのか-』(植島啓司、集英社新書、2000)-パワースポット好きな人、聖地巡礼が好きな人に一読をすすめたい

アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ
・・11世紀のチベットの聖者ミラレパについて

「稲盛哲学」 は 「拝金社会主義中国」を変えることができるか?
・・現在に生きる中国人の「精神的空虚」と「精神的飢餓」状態が、儒教や稲盛哲学を求めているのか?
 




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2018年1月6日土曜日

ドラマと原作のあいだ-2018年の年末年始にドラマ 『逃げる恥だが役に立つ』を全部見てから原作を読んでみた


2018年の年末年始に再放送されたTVドラマ『逃げ恥』(=『逃げる恥だが役に立つ』)は、昨年2017年の今頃は超多忙でドラマ見てるヒマがなかったので、今回初めて11話全部つづけて見たのだが、あまりにも面白かったし、なぜ大ヒットしたのかもよくわかった

そのあと気になって、海野つなみ による原作マンガも読んでみた。amazon だと kindle むけの第1巻が「無料」で読める(・・ただし、2018年1月6日の状況)。

意外というか、案の定というか、やはりドラマと原作とでは違いがある。

主人公みくりの脳内妄想シーンや、登場人物たちの脳内モノローグはどちらも同じだ。女性マンガ家による、基本的には女性のためのマンガで、しかも連載の媒体が女性向けにコミック誌だから当然というべきかな。

ドラマと同様にマンガのほうも、主人公たちの年齢に近い20歳代でも30歳代でも、脇役の年齢層に近い40歳代や50歳代でも、男女に関係なく感情移入しやすいように出来ている。主人公の親たちの世代の60歳代も同様だろう。

(電子書籍版 第1巻の最初のページをキャプチャ)

ドラマ版は、生身の俳優が演じているわけだから、原作を読んだ個々の読者が膨らましたイメージとのズレが発生するのは当然のことだ。ゆりちゃん役の石田ゆり子(・・奇しくも役柄と本名が同じ)の演技は、あまりにも実感がこもっているので、演技を超えているような気がしたのはわたしだけではないだろう。

だが、ここで言いたいのはそういうことではない。

TVドラマ版は、放送コードの関係もあるのだろうが、表現がマイルドで、オブラートに包んだようなものになっていることだ。公共の電波をつうじて不特定多数の人が視聴するドラマ版というものは、そういうものだから、ある意味では仕方がない。その点は、TVドラマは映画よりも表現にかんしては厳しいはず。

(高齢童貞や高齢処女といった表現はドラマでは使用されてない)

それはそれでいいのだが、マンガのほうがけっこうストレートな表現つかっているので、「いまという時代」の現実とか、主人公たちが抱えている問題について考えるには、原作のマンガのほうがいいような気がした。逆に原作マンガのほうが、生身の人間を感じたりするシーンも多々ある。

気になる人は、kindle版でまずは第1巻読んでみるといいと思う。2巻以降は、amazon の「なか見、検索」や、出版元の講談社のサイトで、それぞれの巻ごとに1話がまるごと「試し読み」できるのでご参考まで。







<関連サイト>

『逃げ恥』年越し2日間で全話再放送が決定 年末年始はガッキー&星野源「恋ダンス」三昧に 



<ブログ内関連記事>

医療ドラマ 『チーム・バチスタ 3-アリアドネの糸-』 のテーマは Ai (=画像診断による死因究明)。「医学情報」の意味について異分野の人間が学んだこと

アルバイトをちょっと長めの「インターンシップ期間」と捉えてみよう
・・連続テレビドラマ『フリーター、家を買う。』(2010年放送)にヒントを得て

『ドクターX 外科医・大門未知子』(テレ朝系列)が面白い-TVドラマからみえてくる大学病院という「日本型組織」の病理現象




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2018年1月5日金曜日

「羊飼い」と「聖ベルナール」は性格が真逆の大型犬(2018年の干支はイヌ③)

(蘇生用のアルコールのミニ樽を首に掛けた救助犬としてのセントバーナード wikipediaより)

「羊飼い」と「聖ベルナール」がイヌとどういう関係があるのか?

これは、「シェパード」と「セントバーナード」と言い換えてみれば、すぐにわかるはずだ。それぞれ洋犬の種類の名称である。

シェパード(shepherd)は羊飼いのこと。羊(sheep)を飼う(herd)のが羊飼いだ。そこから転じて、猛犬のシェパードの意味に転化したのである。ジャーマン・シェパード(German Shepherd ドイツ語では Deutscher Schäferhund)は、ドーベルマンと並んで、非常にどう猛な大型犬である。

日本の南洋捕鯨を執拗に妨害し続ける「シー・シェパード」(Sea Shepherd)とは、文字通りの意味は「海の羊飼い」ということになる。おそらく、狼(=日本の捕鯨船)から羊たち(=クジラ)を守るシェパード(=羊飼い)というのが、彼らの自己認識なのだろう。そしてまた、キリスト教の影響下にある欧米諸国では無意識レベルに訴えるものがあるのだろう。

(中型のジャーマンシェパード Wikipediaより)

「セントバーナード(St. Bernard)は、聖ベルナールのことである。ベルナールというのは英語のバーナードのフランス語読みである。いや、もともとはフランスの聖者なので聖ベルナールというのが本来の形だ。

12世紀の聖者であるクレルヴォーの聖ベルナールは、ラテン語で聖ベルナルドゥスという。異端撲滅に使命感を燃やし、まずはアルビジョワ派を攻撃、次に反イスラームの立場から、西欧各地を回って熱狂的に十字軍を呼びかけた人でもある。

シェパードとは違って、見るからにおとなしい大型犬のセントバーナードは、聖ベルナールのような印象ではないが、なぜ、セントバーナード犬は、そういう名前になったのだろうか?

じつは、スイスとイタリアの国境にある西アルプスの難所の峠と、モンブランからも近いフランスとイタリアの国境にある難所の峠の2カ所にある2つのホスピス(=休息所)の名前から来ているのである。前者は大セントバーナード、後者は小セントバーナードという。

(英国人画家が描いた救助犬としてのセントバーナード Wikipediaより)

遭難者のための休息所を設けたのが、おなじく12世紀のベルナール・ド・マントン (Bernard of Menthon)という聖者である。聖ベルナールではあるが、十字軍を勧誘した方の聖ベルナールではない。ちなみに、彼が設けたホスピスは、ターミナルケア(=終末期医療)の意味で使用さえるホスピスの語源でもある。

休息所に待機している救助犬がセントバーナードであるが、セントバーナードと呼ばれるようになったのは19世紀以降とのことだそうだ。大サン・ベルナール修道院にちなんでサン・ベルナールと命名されたのである。つまりセントバーナードである。

シェパードとセントバーナードという西欧の大型犬は、ともにキリスト教と密接な関係があるのだ。たまには、そんなことを思い浮かべながら、大型犬に接してみるのもいいだろう。






(参考) 聖ドメニコの誕生とイヌ

映画 『シスタースマイル ドミニクの歌』 Soeur Sourire を見てきた というブログ記事に、聖ドメニコの出生伝説について書いているので引用しておこう。聖ドメニコの出生とイヌが密接な関係にあるのだ。

ヨーロッパ史においては、ドメニコ会の存在はけっして小さなものではない。聖ドミニコは、異端のアルビジョワ派(カタリ派)が拡がっていたフランスのラングドック地方での伝道を命じられ、裸足で説教して回った。

ドミニコ会士というと異端撲滅と判を押したようにでてくるが、それは神学の研究に励み、著名な学者を多く輩出したためであり、ドミニコ会から異端審問の審問官に任命されることが多かったからである。

著名なドミニコ会士には、学問重視の姿勢が反映して、著名人が綺羅星のごとく並んでいる。アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アクィナス、マイスター・エックハルト、ジローラモ・サヴォナローラ、ジョルダーノ・ブルーノ、トマーゾ・カンパネッラ、フラ・アンジェリコ、バルトロメ・デ・ラス・カサス・・・。このなかには逆に異端として断罪された人物も含まれる。

13世紀のヤコブ・デ・ウォラギネ作『黄金伝説』(Legenda aurea)によれば、聖ドミニコの出生伝説は以下のようなものである。

母は、この子(=聖ドミニクス)をみごもった時、口に燃える松明(たいまつ)をくわえた一匹の子犬が体内をかけめぐる不思議な夢をみたという。子犬は、やがて母のカラダから出て行くと、その松明(たいまつ)で全世界に火を点じた。また、洗礼に立ち会った婦人は、ひとつの明るい星がこの子の額に光っているのを見た。この星は、その後世界中を煌煌(こうこう)と照らしたのである。 (引用は、『黄金伝説』(前田敬作/西井武訳、平凡社ライブラリー、2006) P.104)

白象が降りてきて右脇からカラダのなかに入ってくる夢を見たという、お釈迦さまの母マーヤ(摩耶)夫人(ぶにん)の例もある。キリスト教でも同様な例があるのは面白い。
聖ドミニコの母ヨハンナの体内か胎内か、日本語訳からはわからないが、母親の体内をかけめぐった子犬は、聖ドメニコの性格を暗示しているようだ。

こういう伝説があるので、ドミニコ会士は、迷える羊を主人の牧場に連れ戻す犬の役目を果たしているわけなのだ。つまり異端を説得し、正統な信仰に引き戻す役目である。 もっとも有名なのがアルビジョワ派への説教である。アルビジョワ派とは、別名カタリ派といい、南フランスのラングドック地方を中心に広がった、極端な禁欲思想を説いた教えである。 聖ドメニコはアルビジョワ派へ説教を通じて、カトリック伝道には異端派と同様の熱情と厳格主義が必要だと悟って、清貧の生活に入る。聖フランチェスコとは別のアプローチだが、同時代の時代風潮をよく反映しているのではなかろうか。





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『ニッポンの犬』(岩合光昭、平凡社、1998)-イヌは日本犬に限る!(2018年の干支はイヌ①)

狛犬はイヌじゃない。ほんとはライオンだ!(2018年の干支はイヌ②)



修道院から始まった「近代化」-ココ・シャネルの「ファッション革命」の原点はシトー会修道院にあった

『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる
・・シー・シェパード(Sea Shepherd)の字義通りの意味は「海の羊飼い」

「近代化=西欧化」であった日本と日本人にとって、ヒツジのイメージはキリスト教からギリシア・ローマ神話にまでさかのぼって知る必要がある

書評 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物 
・・西欧文明におけるヒツジのイメージについて。家畜化された動物の代表として羊。群れとしての存在の羊と羊飼いのイメージが、キリスト教のもとにおいては聖界と俗界の両面にわたっての支配のメタファーとして機能

フランスの童謡 「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」(Il pleut, Il pleut, bergère)を知ってますか?

(2018年1月7日 情報追加)




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2018年1月4日木曜日

狛犬はイヌじゃない。ほんとはライオンだ!(2018年の干支はイヌ②)

(船橋大神宮の狛犬 筆者撮影)

狛犬はイヌじゃない。ほんとはライオンだ! 上掲の狛犬をじっくり見て欲しい。明らかにそれはイヌではないことがわかるはずだ。右足で球体を押さえている狛犬は、獅子舞の獅子の顔にそっくりではないか!

そう、狛犬は唐獅子だ。獅子である。つまるところ、それはライオンなのだ。

日本人は、見たことのない獅子(ライオン)の像を、狛犬と名付けて神社の守護として安置してきたのである。

唐獅子ということは、つまるところ中国の獅子ということだ。では、中国の寺院には獅子はいるのか?

中国の首都・北京に、雍和宮(ようわきゅう)という巨大なチベット仏教寺院がある。もともとは、清朝初期の康熙帝の時代、皇子時代の雍正帝の居館として建築されたものだ。チベット仏教寺院と中国式建築の折衷的要素がある。

その境内に獅子の像が安置されている。右足で球体を押さえた獅子の像。よく見て欲しい。狛犬とまったく同じではないか!

(北京最大のチベット仏教寺院 雍和宮の獅子像 筆者撮影)

狛犬らしきものはタイにもある。バンコクの王宮には、前足で球体を押さえてはいないが、似たようなポーズの狛犬(唐獅子?)がある。タイは基本的にインド文明圏に属するのだが、タイが位置するインドシナ半島という名称が示しているように、インドとシナ(=中国)が陸続きで交差する地域でもある。この唐獅子も、中国文明がもたらしたものだろう。

(バンコクの王宮にて 筆者撮影)

沖縄にシーサーという魔除けがある。姿形を見れば明らかにそれが獅子であることがわかる。唐獅子である。シーサーとは獅子(しし)がなまったものであろう。狛犬とそっくりだが、それを狛犬とは言わずにシーサー(獅子)という。

中国から伝来したものだろうが、唐獅子とも言わないのも興味深い。空手はかつては唐手と表記していたらしい。中国大陸から伝来した武術だからだ。だが、なぜだかシーサーには唐はつかない。

本土の狛犬と、沖縄(琉球)のシーサーは、別ルートで伝来したのだろうか?

(屋根に設置されたシーサー Wikipediaより)

沖縄のシーサーは、もともとは獅子。さらにいえば、獅子とは、サンスクリット語のシンハーがなまったものだという。シンハといえばタイを代表するシンハ・ビールのロゴを想起する。日本人はシンハ・ビールというが、タイ人はビア・シンという。


(シンハ・ビールのロゴ)

ローマ字で Singha と書いて「シンハ」と読む。だが、鼻濁音の g音をリエゾンで発音すれば「シンガ」である。シンガといえばシンガポールシンガポールの観光名物といえばマーライオン。クチから水を吐き出している上半身がライオン、下半身が人魚のような怪物(?)である。マーライオン(merlion)のマー(mer)とは、マーメイド(mermaid)のマーと同じだ。

(シンガポールのマーライオン Wikipediaより)

シンガポールのマーライオンは観光目的として作られたのであって寺院を守っているわけではない。だが、おなじ東南アジアでもミャンマーにいけば、お寺には必ずといっていいほどあるのがライオンだ。日本の神社と同じように、二頭で対になって安置されていることが多い。正式名称をなんというのか知らないが、日本人はミャンマー・ライオンといっている。

(ミャンマーのチャウタン水中寺院にて筆者撮影)

寺院以外でも正門にライオン像が置かれているこtもある。日本の三越百貨店の銀座本店のライオン像が有名だが、HSBC(香港上海銀行)本店にもライオン像がある。これは中国というよりも、英国的なライオンというべきか。ちなみに、三越百貨店銀座店のライオン像は、英国の彫刻家によって製作されたものだ。

(HSBC香港本店ビル前のライオン像 筆者撮影)

狛犬はイヌではなく、ライオンなのだということは、東アジアから東南アジアに」脚を伸ばしてみれば一目瞭然である。

『獅子-王権と魔除けのシンボル- (アジアをゆく)』(荒俣宏、 大村次郷=写真、集英社、2000)という写真集を見れば、さらに南アジアから中東に至るまでライオンが魔除けのシンボルであったことがよくわかる。

南アジアのインドのシク教徒は、すべてシン(Singh)という名前である。プロレスラーのタイガー・ジェット・シンもまたシク教徒だ。

中東から西に移動すれば、西欧では伝統的に王家や貴族の紋章にライオンが描かれていることは周知の事実であろう。英国王室の紋章は、ライオンとユニコーン(一角獣)が向かい合ったデザインになっている。

(英国国章 Wikipediaより)

狛犬はイヌではなく、ライオン。そう考えて狛犬に接すると、東アジアから東南アジア、南アジアから中東、さらには西欧に至るまで、じつにユーラシア全域に拡散したシンボルの一つとして位置づけられることが見えてくるのである。

文化の伝播という観点から、日本独特と思いがちな事物について再考してみることをお薦めしたい。

日本は、シルクロードの吹きだまりと言われるが、陸路か海路かは問わず、たしかにその通りなのだ。日本は島国だが、けっして文化的に孤立しているわけではないのだ。

(船橋大神宮の狛犬の左隣に百度石 筆者撮影)





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『ニッポンの犬』(岩合光昭、平凡社、1998)-イヌは日本犬に限る!(2018年の干支はイヌ①)

「羊飼い」と「聖ベルナール」は性格が真逆の大型犬(2018年の干支はイヌ③)


『新版 河童駒引考-比較民族学的研究-』(石田英一郎、岩波文庫、1994)は、日本人がユーラシア視点でものを見るための視野を提供してくれる本
・・ユーラシアと馬の関係

初詣は1月2日にするものだ!-2018年の初詣は久々に船橋大神宮(=意富比神社)にて
・・太陽神信仰は東アジア全域に拡がっていること

(2018年1月6日 情報追加)




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2018年1月3日水曜日

JBPress連載コラム16回目は、「「米中G2時代」の現実から目をそらしてはいけない-日本人が想像する以上に長くて深いアメリカと中国の関係」(2018年1月2日)


JBPress連載コラム16回目は、「「米中G2時代」の現実から目をそらしてはいけない-日本人が想像する以上に長くて深いアメリカと中国の関係」(2018年1月2日)
 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51980

こと北朝鮮問題に関しては、実質的に「米中G2」状況になっているのである。米中関係こそ問題解決の中心にあることは、日本国民も理解するようになってきた。

覇権国の米国に「世界の警察官」の役割を依存してきた日本人にとって、中国の急速な台頭に不安感を抱くのも当然といえば当然であろう。だが、「米中G2時代」という現実から目をそらしてはいけない事実を事実として認識することが重要だ。

自分を思考の軸に置くのは当然だが、バイアスの存在そのものは意識しておく必要がある。好き嫌いに関係なく、自分にとって見たいもの、都合のいい側面だけを見てしまう傾向が人間にはあるからだ。

米中関係もまた、好き嫌いとは別に、事実は事実として見るということを「常識」にすべきだろう。

極端な立場に偏することなく、「競争と協調」というビジネスパーソンのマインドセットで中国に対応していくべきだろう。

(以下、本文につづく


年頭にふさわしい、すこしハードで大きめのテーマで書きました。

内容的には、それほど特異なものではないと思います。むしろ「常識」といっていいものでしょう。しかし、その「常識」がはたして「常識」となっているのかどうか、冷静に考えて見る必要があるのでは?

思い込みや希望的観測を捨て、勇気をもって手探りであっても前へ進むこと。そして、さらなる知的体力の増強が求められる一年となることでしょう。 

まだ仕事モードではないとは思いますが、こういう時期だからこそ、ぜひご一読いただきますよう。引き続き、今年もよろしくお願いします。


(昨年12月までのコラムのバックナンバー


<ブログ内関連記事>

■日米関係と日中関係

書評 『中国は東アジアをどう変えるか-21世紀の新地域システム-』 (白石 隆 / ハウ・カロライン、中公新書、2012)-「アングロ・チャイニーズ」がスタンダードとなりつつあるという認識に注目!

書評 『黒船の世紀 上下-あの頃、アメリカは仮想敵国だった-』 (猪瀬直樹、中公文庫、2011 単行本初版 1993)-日露戦争を制した日本を待っていたのはバラ色の未来ではなかった・・・

書評 『海洋へ膨張する中国-強硬化する共産党と人民解放軍-』(飯田将史、角川SSC新書、2013)-事実を淡々と述べる本書で正確な認識をもつことが必要だ

書評 『尖閣を獲りに来る中国海軍の実力-自衛隊はいかに立ち向かうか-』(川村純彦 小学館101新書、2012)-軍事戦略の観点から尖閣問題を考える


■中国とキリスト教

「稲盛哲学」 は 「拝金社会主義中国」を変えることができるか? 
・・精神的飢餓感が儒教やキリスト教、その他の宗教に向かう現在の中国

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) 
・・「泉 朱子学の発想には二元論的発想がととのえられています。だから、中国と朝鮮のキリスト教化のために、朱子学が論理的地ならしをしたと、皮肉ることもできます。・・(中略)・・つまり、中国や朝鮮のように二元論的な朱子学のイデオロギー体系が定着したところでは、ヨーロッパの文化が入ってきたときに、これと対決し、価値としてのヨーロッパ体系に抵抗していますよ。「よきをとり、悪しきを捨て」ではなく、中国や朝鮮では全体として批判し、拒否しています」

書評 『韓国とキリスト教-いかにして "国家的宗教" になりえたか-』(浅見雅一・安廷苑、中公新書、2012)- なぜ韓国はキリスト教国となったのか? なぜいま韓国でカトリックが増加中なのか?
・・「日本でも中国でもそうであったが、キリスト教が直面したのは御先祖さまをどう扱うか、つまり祖先祭祀をどう捉えるかという問題であったのは、韓国もまた同様であった。日本では祖先祭祀は仏教が吸収したのでキリスト教が入り込む余地がなく、中国では「典礼問題」を起こしながらも(・・これがバチカンによるイエズス会禁止の原因となった)、キリスト教は祖先祭祀との折り合いをつけた。


■中国系米国人

エスニシティからアメリカ社会を読み解く-フェイスブック創業者ザッカーバーグというユダヤ系米国人と中国系米国人のカップルが写った一枚の結婚写真から

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2018年1月2日火曜日

初詣は1月2日にするものだ!-2018年の初詣は久々に船橋大神宮(=意富比神社)にて

(船橋大神宮の本殿前にて 筆者撮影)

元旦は何もしないというポリシーの家に育ったので、初詣は元旦にはしないことにしております。猛烈なワーカホリックで知る人ぞ知る日本電産の永守社長すら元旦は働かない、ということですからね。何事も「●●初め」は2日からです。

というわけで本日(1月2日)に初詣。久々に初詣で船橋大神宮にいってきました。

船橋大神宮の正式名称は、意富比神社(おほひ・じんじゃ)。ずいぶん変わった名称ですね!

公式ウェブサイトによれば古代の太陽神信仰にさかのぼることが可能なのだとか。のちに皇室の先祖神である天照大神の信仰と結びついたようです。したがって、意富比神社の御祭神は、天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)となっているわけですが、そもそもはそうではなかったわけですね。きわめて古代的な信仰を残存させているわけです。

船橋大神宮は、「大神宮」という名称で知られていますが、敷地面積は広いとは言えません。由緒ある「世界最小の大神宮」(?)というべきでありましょう。

(社務所に貼ってあったポスター 筆者撮影)

わたくしは、日本以外では対外的には面倒なので「ブディスト」(=仏教徒。文字通りの意味は仏陀主義者)で通してますが、ごく普通の日本人ですので当然のことながら神社にもお参りする。日本人としては当たり前でも、日本人以外には理解しにくいでしょうけどね。

(沿道にはケバブなど各種の露天が並ぶ 筆者撮影)

正月の船橋大神宮は、神社の境内には露天が大量に出店。なんだか縁日みたいな感じです。

なんとケバブの露天が2店も出店。靖國神社にすら韓国チヂミの露天が出てますが、トルコのドネウケバブもねえ。なんと「伝統の味」と書いてあります。神社の境内の縁日風景は、移り変わる日本人の消費の実体を現してますね。

まあ、これが日本というものでしょう。いっけん排他的でありながら、気に入ったものはなんでも受け入れて融合してしまう。日本古来の民族宗教とされる神道(しんとう)も、じつはそういうものなのです。宗教学でいうシンクレティズム(折衷主義)という現象です。神道の起源が日本以外だという節も濃厚です。

(白梅と見まごう?おみくじの花 筆者撮影)

太陽神信仰は、日本の伊勢神宮だけでなく、朝鮮半島でも古代から存在します。北朝鮮の金日成(キム・イルソン)の「日」(イル)、金正日(キム・ジョンイル)の「日」(イル)は、政治的正当性を現すために太陽神信仰を体現した象徴的ネーミングなのだとか。三代目の金正恩(キム・ジョンウン)には、「日」(イル)がでてきませが、その理由はいかに?

この意富比神社(おほひ・じんじゃ)も、もともとは太陽神信仰から始まったもの。初日の出やご来光という形で、日本人の無意識レベルにも浸透している太陽神信仰

政治的に整理される以前の、アジア全域にわたる古代的な信仰を残しているといえそうです。たまにはそんなことを考えてみるのも、いいかもしれませんね。




<関連サイト>

意富比神社(船橋大神宮)について (公式サイトの項目)
・・「意富比の古い読みは「おほひ」であり、上代特殊仮名遣いの上から「日」は「比」等で表され、「火」は「肥」等で表される点を考慮し、さらに歴史的にみても意富比神社が古くから太陽信仰と深い関係をもっていたことを考察に加えて、意富比神は「大日神」すなわち「偉大な太陽神」が原義であるとする説(三橋健「意富比神考」)が登場します。つまり中世から幕末までは一般に「船橋神明」と称され、主祭神を天照皇大御神とする意富比神社も、原初は古代のこの地方最大の太陽神であったとするもので、現時点では最有力な説となっています。」




<ブログ内関連記事>

初詣は船橋大神宮で参拝、そして境内にある"木造の灯台"を見学してきた(2010年1月3日)

船橋大神宮で「酉の市」・・商売繁盛!を祈願 (2009年12月の酉の日)

船橋大神宮の奉納相撲(毎年恒例10月20日開催)を見に行ってきた(2009年10月20日)




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