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2017年10月30日月曜日

書評 『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)-日本とほぼ同時期に「開国」したシャム(=タイ)はどう「西欧の衝撃」に対応したのか


『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)は、元外交官で日本におけるタイ研究の開拓者、タイでの出家体験をもつだけでなく、語学の天才であった石井米雄氏の遺著と、タイ研究者の飯島明子氏が、本文への注釈と本文の分量以上の解説を合本したものだ。

『王様と私』(The King and I)というのは、言うまでもなく映画やミュージカルで有名な作品のこと。その当時はシャムといっていたタイの国王と、息子の家庭教師として雇われた英国人女性アンナとの交遊を、「異文化摩擦」としてコメディタッチで描いたものだ。ユル・ブリンナー主演の映画作品後にも、香港スターのチョウ・ユンファ主演でリメイクが製作されているが、そのいずれも、「不敬罪」の存在するタイ王国では上映禁止である。

本書のタイトル『もうひとつの「王様と私」』の「私」とは、家庭教師アンナのように有名ではないものの、カトリックのフランス人宣教師のことを指したものだ。「王様」とは現チャクリ王朝の4代目のモンクット王(=ラーマ4世)「私」」とはパルゴア神父のことだ。モンクット王は1804年生まれ、パルゴア神父は1805年生まれと年もほぼ同じであった。

パルゴア神父は、「パリ外国宣教会」からの派遣でフランスからシャムに来て、終生をシャムで過ごしバンコクに骨を埋めた人だ。若き日には、瞑想修道会のグランド・シャトルーズ修道院で修行もしたという。

本書の本文は、石井米雄教授の上智大学での「最終講義」がベースになっている。タイとかかわる以前から、ラテン語も含めた世界の言語に精通してきた石井米雄氏ならではの「作品」といえる。

というのも、扱われている材料がタイ語だけでなく、ラテン語でもあるからで、第2次世界大戦後のバチカン第二公会議以前のカトリックでは、ラテン語は公用語であった。タイ語の史料が読みこなせて、かつラテン語の元資料の読み込みもできる人など、欧米の研究者以外では日本ではそういないはずだ。

ちなみに、ナショナリズム研究の古典『想像の共同体』で有名な、インドネシア研究のベネディクト・アンダーセン教授は古典語を身につけていると自伝で語っているが、アンダーセン氏自身が、そういう教養の持ち主としては最後の世代だろうと述べている。スハルト政権によってインドネシアへの入国禁止となったアンダーセン氏には、タイにかんする著作もある。


タイと日本はほぼ同時期に「開国」

日本とほぼ同時期に「開国」を選択したタイ(当時はシャム)の背後には、モンクット王(=ラーマ4世)という傑出した知識人でもあった英明な君主が存在したのである。

日本が黒船艦隊の米国によって「開国」されたのは1853年シャムが大英帝国によって「開国」させられたのは1855年。ここで「開国」とカッコ書きにしたのは、日本はもとよりシャムも通商関係は諸外国ともっていたが(・・シャムは清朝に対して朝貢貿易も)、「自由貿易」は行っていなかったからだ。

「自由貿易」とは強者に有利な制度である。ヴィクトリア女王の時代の大英帝国は、「自由貿易帝国主義」とでも言えるような圧倒的存在であった。

下田で「日米修好条約」を締結したタウンゼント・ハリスは、シャムとの間でも同様の条約を結んでいる。英国の代表は、哲学者のベンサムの友人でもあった外交官バウリングだが、幕末に登場するパークスは日本でもタイでも登場してくる。

つまり、幕末の「開国」とシャムの「開国」は同時代の出来事であり、セットで考えたほうが理解が深まることを意味している。地理的に見れば、シャムは英国の植民地になったインドに近く、日本は中国に近いが、西欧からみれば「極東」であった。

英国にとっても、遅れてきた米国にとっても、主要な目的は巨大な市場である中国との貿易であり、中国進出に先手をかけた英国は、蒸気船の石炭の補給基地と位置づけた日本は植民地化する必要はなく、みずからが植民地化したビルマとフランスの植民地となったインドシナの緩衝地帯としてシャムの独立が維持されることになった。

だが、「開国」後に日本は「明治維新」という「革命」を断行し「近代化」=「西欧化」を全面的に遂行して「国民」形成の道を突き進んだのに対し、シャムは上層エリートは「近代化」=「西欧化」を受け入れたものの、「立憲革命」という「革命」は日本に遅れること64年、「国民」形成はそれ以降の課題となった。出発点が同じであったのにかかわらず、日本とタイで大きな差が生まれたのはこのためだ。


ラーマ4世モンクット王という傑出した知識人

では、シャムが「開国」した当時の国王であったモンクット王とはいかなる人であったのか? ミュージカルや映画の『王様と私』とは違う、本当のモンクット王とはいかなる人であったのか? 本書でそれを詳しく知ることができる。

モンクット王は、1851年に即位するまでの27年間を仏法修行者として僧院で過ごした人だ。還俗して王となったのだが、その僧院時代の経験が即位後の王の骨格を作り上げたといっていい。経典の原語であるパーリ語を習得し、僧院改革も実行、知的好奇心のおもむくまま仏教僧侶でありながらカトリックの宣教師と交遊しラテン語も習得、英語の読み書きも習い覚えた人だ。

だが、宣教師と深くつきあっても仏教を捨てることは断固として拒否している。アイデンティティのありかを仏教に置いていたからだろう。この姿勢は、国王が「仏教の擁護者」と規定されたことで、絶対王政廃止後も継承されている。歴代の国王は、即位前に必ず一時出家をすることになっている。

キリスト教との距離感は、「近代化」=「西欧化」を積極に的に推進した日本とも共通しているが、日本の場合は皇室は仏教から離れ、神道に専念することになった。国家神道が否定されたあとも、宮中祭祀は残る。天皇は日本全体の大祭司でもある。

モンクット王は、カトリックの宣教師パルゴアとは終生の友情を結んでいるが、とくに米国から派遣されてきていたプロテスタントは低く評価していたというのが面白い。独身主義をとるカトリックは、その点にかんしては戒律を守る仏教と共通しているのが、その理由だったという。(*ただし、ここで言っているのは厳密に戒律を守るタイの上座仏教の話。妻帯が当たり前となった現在の日本仏教は該当しない)。

日本の明治大帝とほぼ同時代人で、後に「大王」の称号を与えられた、息子のチュラーロンコン(のちのラーマ5世)に、西欧式教育を授けるために雇った英国人女性家庭教師アンナもプロテスタントだったようだが、彼女についての記述は本書のメインテーマではない。

「近代」とは、つまるところ後者の英米のプロテスタントが派遣を握った時代のことである。信者獲得の面では成功したとは言い難い近代日本だが、じつはプロテスタントの勤勉の精神が、江戸時代後期以来の日本型勤勉精神と親和性が高く、それが日本の近代化成功の大きな要因となったことを考えることもまた、日本とタイの歴史的個性と歴史的経験のちがいを考えるヒントになるかもしれない。


■「西欧の衝撃」の受け止め方-日本とタイの共通点と相違点

英国を先頭に西欧列強によるアジア進出が行われていた時代、西欧に比べて軍事的に非力だと自覚していたシャムは、「外交」によって生き残る道を選択する。

シャムによる選択は、幕末の江戸幕府の姿勢と共通しているが、日本は「革命」後はタイとは異なる道を選択したことは周知の通りだ。第二次世界大戦において日本は最終的に大きな挫折を味わうことになるのだが、日本と同盟を組んでいたタイは、ひそかに「自由タイ運動」の活動をつうじて連合国との関係を構築する。タイの外交巧者ぶりは、「開国」時代から現在に至るまで一貫している。

石井米雄氏による「本文」と飯島明子氏による「解説」をあわせ読むことによって、日本とタイ(シャム)が同時期に「西欧の衝撃」(=ウェスタン・インパクト)をいかに受け取り、そしてそれに対応して生き残りの道を探ったかの理解が深まることになる。

「西欧の衝撃」にかんしては、日本ではアヘン戦争後の中国との比較が行われることが多いが、日本とインド、それに日本とタイ(シャム)を比較して考えることは、アジアにとっての「近代」を考えるうえで、きわめて大きな意味をもつといえる。

拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)「第5章 「第2次グローバリゼーション」時代と「パックス・ブリタニカ」でこの時代のことを取り上げているので、ぜひあわせて読んでいただければ幸いである。







目 次

もうひとつの「王様と私」(石井米雄)

はじめに
1. 産業革命の時代
2. 若き日の「王様」
3. ビクとなったモンクット
4. シャムのカトリック
5. パルゴア伝
6. モンクットとパルゴアの出会い
7. プロテスタント宣教師
8. ワット・ボーウォンニウェート
9. モンクットとキリスト教
10. プロテスタント宣教師のシャム理解
11. シャムの知識人の宣教師観
12. 合理主義思想と仏教
13. パルゴアの仏教理解
14. モンクットの外国理解
15. 植民地主義諸国との対応
16. モンクットの登位
17. 対中朝貢の廃止
18. シャムの開国
19. フランスとの関係
20. 改定条約文をめぐる諸問題
21. モンクットと写真術
22. モンクットとカトリック
23. モンクットの西欧化教育
24. モンクットと自然科学
おわりに


解説  王様の国の内と外-19世紀中葉のシャムをめぐる「世界」 (飯島明子)

1. バウリング条約
2. 未知の砂漠
3. シャムと「ラオス」
4. シャムとビルマ
5. チェントゥン戦争
6. 王様の「私信」
7. アロー号事件
8. 王様の外交-対ヴィクトリア女王のイギリス
9. 王様の外交-ナポレオン三世のフランスとの出会い
10. モンクットと「臣民」
11. ド・モンティニー使節とのその後-カンボジア問題の始まり
12. カンボジアをめぐるフランスとの軋轢
13. モンクットと "ナポレオン"
14. 東アジア地域の国際環境-グローバルな連鎖
15. 対フランス交渉からの教訓
16. 再びモンクットとキリスト教、そして「世界」



著者プロフィール

石井米雄(いしい・よねお)
1929年東京生まれ。東京外国語大学中退後、外務省に入省。在タイ日本大使館勤務を経て、京都大学東南アジア研究センター所長・教授、上智大学教授を歴任。1997年から2004年まで神田外語大学学長。退任後(文部科学省大学共同利用機関法人)人間文化研究機構長、(独立行政法人)国立公文書館アジア歴史資料センター長を務める。法学博士。2000年文化功労者顕彰。2007年チュラーロンコーン大学から名誉文学博士号授与。2008年瑞宝重光章授章。2010年2月死去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


飯島明子(いいじま・あきこ)
1951年生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科東洋史学専門課程修士課程修了。文部省(当時)アジア諸国等派遣留学生としてタイに研究滞在。専門は歴史学、東南アジア大陸部北部の歴史、「タイ(Tai)文化圏」の歴史。現在、天理大学国際学部教授。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)







<関連サイト>

出版社サイトの書籍紹介 『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)


<ブログ内関連記事>

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・
・・石井米雄氏の名著『タイ仏教入門』を取り上げている

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)

映画 『大いなる沈黙へ-グランド・シャトルーズ修道院へ』(フランス・スイス・ドイツ、2005年)を見てきた(2014年10月9日)-修道院そのものを主人公にした3時間という長丁場のドキュメンタリー映画

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える

書評 『ヤシガラ椀の外へ』(ベネディクト・アンダーセン、加藤剛訳、NTT出版、2009)-日本限定の自叙伝で名著 『想像の共同体』が生まれた背景を知る


書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である

書評 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010)-密接な日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期にある

ベトナムのカトリック教会

(2019年9月22日 情報追加)



(2017年5月18日発売の新著です)


(2012年7月3日発売の拙著です)






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2017年10月28日土曜日

書評 『タイ 混迷からの脱出-繰り返すクーデター・迫る中進国の罠-』(高橋徹、日本経済新聞出版社、2015)-「2014年クーデター」は「混迷からの脱出」を可能としたか?


『タイ 混迷からの脱出-繰り返すクーデター・迫る中進国の罠-』(高橋徹、日本経済新聞出版社、2015)を、積ん読状態2年後にようやく読了。

日本経済新聞の記者としてバンコク駐在した著者が、2010年から2015年までの5年間の取材記録を中心に、混迷するタイ現代史を記録したものだ。本書の出版後の2016年10月にはプミポン国王が崩御その一年後には「火葬の儀」がつつがなく終了しているが、当然のことながら本書の内容には反映されていない。

単行本で460ページは正直いって長い。分厚い。タイに関わっている人、関わったことのある人でなければ、はっきりいって面白くもなんともないだろう。

しかも、日経記者が書いたものだけに、政治経済ビジネス関連が中心となる。この方面に関心のない読者には無縁かもしれない。しかも、あまりにもディテールが細かすぎる。万人向けの内容ではない。

だが、このテーマに関心のある者にとっては、自分自身のリアルな体験を追体験しながら、あるいはバンコクの不在期間をトレースしながら興味深く読むことができる。その意味では、私には面白い内容であった。

もうタイではクーデターはないだろうと誰もが思っていた2006年に17年ぶりに起こったクーデター。この時には解決できなかった政治的対立問題は、結局はさらに2014年のクーデターでリセットするしかなかったというのが著者の見解だ。タイは、クーデターによるリセットを1932年の「立憲革命」以来、12回も成功させてきたのだから。
  
おそらくそう受け取るのが真っ当だというべきだろう。それほど、赤と黄の対立は解決不可能なまでに進展していたのである(下図参照)。その意味では、タイトルにある「混迷からの脱出」は、ある程度まで成功したといえるかもしれない。

(ブックカバーの袖に記載されているもの)

とはいえ、現在はまだ「軍政」が続いているので一時的な停戦状況であるというべきかもしれない。「民政移管」後には総選挙が実施されるが、はたしてどうなるのだろうか?

本書の出版後の状況だが、国民投票にかけられた新憲法案が賛成多数で通過し、新国王の署名も終わって了承されたので、あとは民政移管と総選挙のスケジュールがいつになるかに関心は移っている。

クーデター直前まで首相であったインラック・チナワット前首相が国外逃亡するなど、タクシン派の前途が不透明になった。勢いに陰りが出るだろうという希望的観測の状況は、政治対立が終息に向かうのではないかという期待感を引き出しているのだが・・・。

だが、本書のなかで紹介されているインタビューで、クーデターの首謀者で現在の暫定首相であるプラユット退役大将は、含みのある発言をしている。ふたたびクーデターによって政治対立をシャッフルしてリセットするという選択肢が消えることはなさそうだ

かつて駐タイ王国全権大使を務めた外交評論家の岡崎久彦氏は、駐タイ大使を務めた外交評論家の岡崎久彦氏は、大使在任中に発生した「1991年クーデター」を現地で体験し、『クーデターの政治学 政治の天才の国タイ』 (中公新書、1993)で、タイ政治におけるクーデターの機能を高く評価している。

もちろん、現在は1991年とは時代環境も大幅に変化している。隣国のミャンマーでさえ「民主化」が進んでいる状況にあることを考えれば、手放しでクーデターを礼賛するつもりはない。

とはいえ、タクシン政権後の政治対立状況がエスカレートしていた近年のタイの状況を肌身を通じて知っていれば、クーデターもやむなしという気持ちにさせられるのだ。


タイ人エリートを構成する華人系の実態についてもっと掘り下げるべきだった

本書には残念ながらまったく言及がないが、奇しくもチナワット家のタクシンも、その妹のインラックも、政敵の民主党のアピシットも、近年の首相体験者の多くが「客家(ハッカ)系」だ。

タイの華僑華人の大半が大陸の広東省を中心とした「潮州系」であることを考えれば、政治志向のきわめて強い「客家系」の意味を掘り下げるべきなのである。

こういった華人系の出自についての理解不足は、タイの政治経済を見るうえで欠点となる。なぜなら、今後ますます中国の影響力が増して行くであろうタイにおいては、これら華人系政治家や華人系経済人の動向(とくに中国観)には注意して観察する必要があるからだ。

政治家や経済人などのエリートや中間層は、ほとんどすべてが、血の濃度に違いはあれ、華人系であるといっても言い過ぎではない。

まあ、そういった感想もないことはないが、前国王ラーマ9世の葬儀がつつがなく終了し、つぎは新国王ラーマ10世の即位式、そして「民政移管」となる。「民政移管」へのロードマップはできているが、スケジュールがいまだ不明だ。

タイに限らず、この日本も含めて、世界中どこにいっても「混迷」状態でありますねえ。はたして世界全体が「混迷」から脱出できるのはいつの日になることやら・・・。





目 次

プロローグ
第1章 19度目の政変
 (1)  2014年5月22日午後4時半
 (2)  目撃者たち
 (3)  諦めと抵抗
第2章 「タイ式民主主義」の系譜
  (1) 王国の源流
 (2) 列強進出と立憲革命
 (3) 開発独裁と反共の砦
 (4) 民主化の優等生
第3章 CEO宰相の栄光と蹉跌
 (1) サクセスストーリー
 (2) 創造か、破壊か
 (3) 最南部で上がった火の手
第4章 戦車と法廷のクーデター
 (1) 終わりの始まり
 (2) シーソーゲーム
 (3) 恩讐の深層
第5章 カラード・ポリティクスの実相
 (1) バンコク騒乱
 (2) 地域対立と階級闘争
第6章 出口なき混迷
 (1) 「クローン」の登場
 (2) パンドラの箱
 (3) 首都封鎖
 (4) 政治空白
第7章 タクシノミクスの落日
 (1) バラマキの虚実
 (2) 暴走するポピュリズム
 (3) 「景気の番人」との確執
第8章 「微笑みの国」の針路図
 (1) 大いなるパラドックス
 (2) 外交巧者
 (3) 王国の未来
 (4) 「陸ASEAN」の要
エピローグ-アジア新興国と民主主義
関連図表
年表
参考文献


著者プロフィール

高橋徹(たかはし・とおる) 
日本経済新聞社 東京本社編集局 国際アジア部次長。 1968年生まれ、香川県出身、横浜国立大学経営学部卒。 1992年日本経済新聞社入社、名古屋支社編集部、東京本社編集局産業部、日経産業消費研究所、産業部を経てバンコク支局長(2010年~14年)、アジア編集総局発足に伴い同総局キャップ(~15年3月)。15年4月より現職。 著書:『21世紀 次世代自動車の行方~環境・エネルギー問題への挑戦』(1998年、日経産業消費研究所・日本経済新聞社)、『ゼネコン 最後の攻防」(共著、2003年、日本経済新聞社)、『ホンダ 「らしさ」の革新』(共著、2005年、日本経済新聞社)。
本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>

タイのラーマ9世プミポン前国王の「火葬の儀」がバンコクで行われた(2017年10月26日)

タイ王国のラーマ9世プミポン国王が崩御(2016年10月13日)-つひにゆく道とはかねて聞きしかど・・・

タイで8年ぶりにクーデター(2014年5月22日)-今後の推移を考えるには、まずは前回2006年の「9.19クーデター」のおさらいから始めるのが第一歩だ

「タイ・フェスティバル2010」 が開催された東京 と「封鎖エリア」で市街戦がつづく騒乱のバンコク・・2010年5月

「バンコク騒乱」について-アジアビジネスにおける「クライシス・マネジメント」(危機管理)の重要性

書評 『誰も語らなかったアジアの見えないリスク-痛い目に遭う前に読む本-』(越 純一郎=編著、日刊工業新聞、2012)-「アウェイ」でのビジネスはチャンスも大きいがリスクも高い!

タイのあれこれ (21) バンコク以外からタイに入国する方法-危機対応時のロジスティクスについての体験と考察-
・・「黄色シャツ」による空港占拠というクライシスの体験談

書評 『クーデターとタイ政治-日本大使の1035日-』(小林秀明、ゆまに書房、2010)-クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール
・・2006年クーデター後のタイ

書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)-「タイ式」民主主義の機能不全と今後の行方
・・「首都封鎖」を体験したバンコク

書評 『赤 vs 黄-タイのアイデンティティ・クライシス-』(ニック・ノスティック、めこん、2012)-分断されたタイの政治状況の臨場感ある現場取材記録 ・・「黄色」=バンコク大都市部の支配層と都市中間層(前近代+後近代)と、「赤色」=東北部と北部の農民層(前近代+近代化まっただなか)の対立が反映されていると考えることも可能

「バンコク騒乱」から1周年(2011年5月19日)-書評 『イサーン-目撃したバンコク解放区-』(三留理男、毎日新聞社、2010)

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)
・・関連書もふくめて、ややくわしくタイの政治経済に言及

来日中のタクシン元首相の講演会(2011年8月23日)に参加してきた


タイのあれこれ 総目次 (1)~(26)+番外編





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2017年10月27日金曜日

タイのラーマ9世プミポン前国王の「火葬の儀」がバンコクで行われた(2017年10月26日)

(煙につつまれる火葬塔 The Nation の動画よりキャプチャ)

2017年10月26日、タイのラーマ9世プミポン・アドゥンヤデート前国王(通称プミポン国王)の「火葬の儀」(Royal Cremation)が行われた。文字通り誇張なく、タイ全土が涙に包まれた一日となった。これが最期のお別れとなる。合掌。
   
タイ現地時間の午後11時(=日本時間では27日の午前1時)、現国王で長男のラーマ10世ワチラロンコーン国王が火葬塔の薪に点火、前国王は荼毘に付された(冒頭の画像)。

火葬塔(Royal Crematorium)は高さ50メートルと歴代のタイ国王の葬儀のなかでは最長で総工費は5億バーツ(日本円で約16億円)、仏教の世界観を表現した須弥山(しゅみせん)を象ったものだ。つまりは仏教式なのだが古代インドの宇宙観であり、その意味においては限りなくヒンドゥー教的でもある。タイの王権は、カンボジアなどと同様に、ヒンドゥー教の王権神授説にのっとったものである。

(須弥山を象った「火葬塔」の宇宙観 The Nation サイトより) 


(須弥山の構造 wikipediaより)

ゴールドで輝く豪華絢爛な構築物で、ディテールに至るまで細かい装飾が施されたもの。この火葬塔のなかに安置されたご遺体が焼かれたのである。「大王」にふさわしい葬儀である。


(シンガポールの Channel NewsAsia のLIVE中継をキャプチャ)


■「火葬の儀」のスケジュール

葬儀は念入りに計画されたもので、一連の儀式は10月25日から29日まで5日間にわたる。26日は国民の公休日となった。式次第は以下のとおりだ。情報は、タイの英文日刊紙 The Nation の記述に基づく。

<葬儀の式次第>

10月25日(水) 
  17:30 宮殿に安置された御遺体へのタンブン(A royal merit-making ceremony)とお別れの祈り。 ご遺体の移動準備

10月26日(木) 
  7:00 宮殿から火葬場への御遺体移動
  17:30 仮火葬式(The symbolic Royal Cremation)
  22:00 本火葬式(The actual Royal Cremation)

*この間、18時から翌朝6時までの12時間にわたって、前国王に別れを告げ捧げるために、タイの古典仮面舞踊劇のコーン、人形劇、オーケストラの演奏などのパフォーマンスが王宮(サナーム・ルアン)で行われる

10月27日(金)
  6:00 ご遺骨(Royal Relics)と御遺灰(Royal Ashes)の収集。ご遺骨を納めた骨壺が宮殿に移動、ご遺灰は容器に移されワット・プラケーオ(=エメラルド寺院。いわゆる「エメラルド・ブッダ」が納められた寺院)のプラ・シー・ラッタナ・チェディー(Phra Sri Rattana Chedi)に移送

10月28日(土)
  17:30 宮殿でご遺骨へのタンブン(A royal merit-making ceremony)

10月29日(日)
  10:30 ご遺骨が宮殿内の Heavenly Abode in Chakri Maha Prasat Throne Hall に安置されるために移送
  17:30 ご遺灰が2つの寺院、ワット・ラチャボピット(Wat Rajabopidh)とワット・ボーウォンニウェート(Wat Bovoranives)に安置されるために移送


(10月26日の「ご遺体」移送経路 The Nation サイトより

火葬後のご遺骨(Royal Relics)と御遺灰(Royal Ashes)は、別の扱いを受けることになるようだ。

タイ国内からインターネットで生中継されていたのだが、仕事の関係上でリアルタイムの視聴は一部に限られたのは残念だった。だが、幸いなことに動画や画像はネットで視聴可能である。royal cremation で検索してみるといいだろう。

(シンガポールの Channel NewsAsia 画面からキャプチャ)

葬儀の中心は10月26日で、この日はゴールドで装飾された豪華絢爛な、船を象った霊柩を移動。英国のバッキンガム宮殿の近衛兵のような兵士が護送役にあたっている。霊柩車が船の形をしているのは、さすが「水の民」である。

(シンガポールの Channel NewsAsia 画面からキャプチャ)

だが、日本の天皇の神道式の葬儀と比べると、だいぶ違う印象を受けるのではないだろか。近代以前の天皇の葬儀は仏式だったが、タイのような豪華絢爛なものでなかったことは確かだ。

しめやかに行われる日本、豪華絢爛に行われるタイ。おなじ「仏教国」といっても、内実は大きく異なる。大乗仏教と上座仏教の違いだけではなく、それ以外の要素も大いに反映していると考えるべきだろう。

先に見たように、タイ国王は現在でも「神聖にして絶対不可侵」の存在である。すでにそうのような存在ではない天皇も、近代以降は神道式の葬送儀礼となっている。


■これから名実ともに「新しい時代」が始まることを期待

タイ国民から絶大の信頼と敬愛の的であったプミポン国王が崩御されたのは、一年前の昨年(2016年)の10月13日。享年88歳。在位70年目(!)であった。」

タイ史上では最長であることはもちろん、英国のエリザベス二世女王(現在最高齢の91歳)の在位65年よりも長い。タイ現代史、とくにここ40年ほどは、まさにプミポン国王の時代であったといっても過言ではない。

その意味では、この日をもって名実ともに一つの大きな時代が終わったのである。日本近現代史でいえば、明治大帝が崩御したあとの「大正時代」、あるいは昭和大帝が崩御したのちの「平成時代」に該当するが、はたして今後のタイは「大正時代」なのか「平成時代」なのか、それとも・・・??

「火葬の儀」が無事つつがなく終了したあとには、新国王の即位式が待っている。現時点(10月26日現在)では、来る12月1日の可能性が高いとされている。

前国王のラーマ9世の兄で、悲劇的な死を遂げた前々国王のラーマ8世の葬儀(1946年)の際は、3年間にわたって喪に服すことが求められたが、さすがにグローバル資本主義のまっただ中に置かれた現在のタイには不可能な話だ。葬儀の5日間が終わる29日で1年間の服喪期間は終わる。30日からは、黒づくめだったタイにはふたたび明るい色彩が戻ってくる。

「2014年クーデター」による軍政下のもと、現在は議会が停止中のタイであるが、新憲法の批准はすでに終わり、あとは民政移管と総選挙がいつ行われるかが焦点になっている。

粛々と平常化への道を歩むことを期待したい。









<関連サイト>

Phra Meru Mas (the royal crematorium) for the late King Bhumibol Adulyadej
・・歴代の国王葬儀のための火葬塔の写真あり

Thailand's royal cremation ceremony caps year of mourning(CNN、October 27, 2017)
・・動画あり

【AFP記者コラム】プミポン前国王の葬儀で見えた秘密と不敬罪の国(AFP、2017年12月12日)

(情報追加 2017年12月12日)


<ブログ内関連記事>

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)


タイ王国のラーマ9世プミポン国王が崩御(2016年10月13日)-つひにゆく道とはかねて聞きしかど・・・

タイのあれこれ(17) ヒンドゥー教の神々とタイのインド系市民

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

タイのあれこれ (8)-ロイヤル・ドッグ
・・「タイ語のマンガ版が興味深いのは、タイ王国憲法では、「神聖にして絶対不可侵」の存在である国王陛下を(・・戦前の大日本帝国憲法と同じ)、いかにマンガに登場させるかという点にかんして作者が大いに悩んだという。その結果、国王陛下はすべて白塗りで、透明人間のような描き方となった」

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)-急激な経済発展による社会変化に追いつかない「中進国タイ」の政治状況の背景とは

書評 『皇室外交とアジア』(佐藤孝一、平凡社新書、2007)-戦後アジアとの関係において果たした「皇室外交」の役割の大きさ
・・「火葬の儀」に日本からは秋篠宮ご夫妻が参列。ブータン国王夫妻も参列

成田山新勝寺の 「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)」に参加し、火渡り修行を体験してきた(2014年9月28日)
・・火のもつ力について




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2017年10月24日火曜日

JBPress連載第11回目のタイトルは、「これだけ事件が起きても米国で銃規制が進まない理由-特殊すぎる国、米国は今も「中世」を生きている」(2017年10月24日)


連載第11回目のタイトルは、「これだけ事件が起きても米国で銃規制が進まない理由-特殊すぎる国、米国は今も「中世」を生きている」
⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51375

2017年10月1日、ラスベガスで58人が射殺され500人近くが負傷するという米国史上最悪の乱射事件が発生した。64歳の白人男性が、野外コンサート会場に集まった観客に向けて、近接するホテルの32階の部屋から6分間にわたって半自動火器を無差別に乱射したのである。

「銃規制」はオバマ前大統領が積極的に取り組んだテーマであったが、実現するどころか、むしろ後退さえしていたのが事件前の状況であった。だが、ラスベガスの乱射事件をきっかけに、再びさまざまな銃規制対策の提案が持ち上がっている。銃規制反対の急先鋒で、全米最大のロビー団体でもある「全米ライフル協会」(NRA)ですら、連射可能な「バンプストック」販売禁止規制という提案を出してきたほどだ(・・上掲の写真が「バンプストック」)

そんな状況のなか、銃規制をめぐって、首都ワシントンで議会工作を行うロビー会社同士の激しい攻防戦を描いたハリウッド映画『女神の見えざる手』(2016年、フランス・アメリカ合作)が10月20日に日本で公開された。 濃密で濃厚に作り込まれた非常に面白い社会派サスペンスで、時間が経つのを忘れるくらいにのめり込んで見てしまった。ぜひ皆さんにも見ることをお薦めしたい。

米国の銃規制問題を考えるにあたって、これ以上ないほど時宜を得た映画といってよい。 今回は、銃規制問題からみた米国社会の特質についてあらためて考えてみたい。米国がいかに異質で特殊な価値観をもった国であるか理解できるはずだ。

つづきは本文で


今回のコラムの趣旨は「アメリカ特殊論」。そのキモは「米国は中世である!」ということ。阿部謹也先生のもとで、大学学部に西洋中世史を専攻した私ならではのものだと思います。

ぜひご一読ください。

次回のコラムは、11月7日公開予定です。お楽しみに!


(拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』第5章より)





<関連サイト>

私が6歳の娘に銃を教えた理由-“射撃女子”を巡る銃所有のリアル(日経ビジネス、2018年3月19日)

(2018年3月19日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

映画 『女神の見えざる手』(2016年、フランス・米国)を試写会で見てきた(2017年10月4日)-「銃規制」をめぐって米国社会を二分するテーマをロビイストを主人公にして描いた社会派サスペンス

書評 『鉄砲を手放さなかった百姓たち-刀狩りから幕末まで-』(武井弘一、朝日選書、2010)-江戸時代の農民は獣駆除のため武士よりも鉄砲を多く所有していた!

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である

書評 『傭兵の二千年史』(菊池良生、講談社現代新書、2002)-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ③
・・近代ヨーロッパ史とは銃器発達の歴史でもある

自動小銃AK47の発明者カラシニコフ死す-「ソ連史」そのもののような開発者の人生と「製品」、そしてその「拡散」がもたらした負の側面





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2017年10月23日月曜日

「逆回し」で見えてくる「現在」の本質! というタイトルで、コーチングの専門サイト 「Hello, Coaching」に連載します(全5回)


コーチング関連の専門サイト Hello, Coaching」(コーチAで5回にわたって集中連載します。

といっても、内容はコーチングについてでは、ありません、

タイトルは、「逆回し」で見えてくる「現在」の本質!

今年(2017年)5月に出版した拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の「書籍紹介」の形で、文字通り「ビジネスパーソンのための近現代史の読み方」について紹介します。

初回は、第1回 「現在」を知るために「歴史」をさかのぼる
⇒ https://coach.co.jp/books-intro/20171016.html
10月16日(月)にアップされました。

本日(10月23日)、第2回 トランプ大統領が誕生した裏には、どんな潮流があったのか
⇒ https://coach.co.jp/books-intro/20171023.html
がアップされました。




以後、週に1回のアップとなります。

「連載予定」は以下の通りです。

第1回 「現在」を知るために「歴史」をさかのぼる
第2回 トランプ大統領が誕生した裏には、どんな潮流があったのか
第3回 今の都市型ライフスタイルは、どんな風につくられてきたのか
第4回 都市型ライフスタイルを送る現代人特有の「2つの意識」
第5回 「歴史の三層構造」の視点を用いて歴史を見る必要性


お楽しみに!


<ブログ内関連記事>

2017年5月19日に5年ぶりに新著を出版します-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(佐藤けんいち、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

都内の書店をフィールドワーク-「平積み」状態の新著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

「逆回し」とは?--『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』は常識とは「真逆」の方法で製作された歴史書であり、ビジネス書である

「ビジネス書か歴史書か、それが問題だ!」-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』を書店のどのコーナーに並べるか?




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書評『ボコ・ハラム ー イスラーム国を超えた「史上最悪」のテロ組織』(白戸圭一、新潮社、2017)ー アフリカの人口大国ナイジェリアのいまを知る好著



『ボコ・ハラム-イスラーム国を超えた「史上最悪」のテロ組織-』(白戸圭一、新潮社、2017)を読んだ。

「首都ラッカ」の陥落で「自称イスラーム国」がほぼ壊滅した現在、いまだ活動がやまない「ボコ・ハラム」について知っておきたいと思ったからだ。アフリカのサブサハラの大国ナイジェリアで活動する「史上最悪の国際テロ組織」である。

2014年に中高一貫の女子校の寄宿舎から女子生徒を200人以上も拉致誘拐したことで、世界中のメディアに取り上げられるようになった「ボコ・ハラム」というテロ組織。かれらは、1年間でなんと6000人以上のイスラーム教徒を殺害している「史上最悪のテロ組織」なのだ。

なぜ、かれらはそんなことをするのか?
なぜナイジェリア政府は誘拐された少女たちの奪回に成功していないのか?

こういった疑問はマスコミ報道だけでは理解できない。だからこそ本書のような、まとまった形のノンフィクション作品を読む必要がある。

「ボコ・ハラム」の「ボコ」とは、現地語で「西欧式で非イスラーム式の教育」を意味する。「ハラム」とはアラビア語で「罪」の意味。「ハラール・フード」の「ハラール」の反対語である。正式名称は、「宣教及びジハードのためのスンニ派イスラム教徒集団」、つまり極端な反西欧主義、反キリスト教の信奉者ということになる。

ナイジェリア北部のイスラーム地域でイスラーム反体制運動として誕生した組織が、指導者が警察にリンチ殺害されたことでカルト化していき、2001年の「9・11」後の状況で、「アル・カーイダ」のネットワークに参入して国際テロ組織に衣替えする。 ウサーマ・ビン・ラディンが暗殺されアルカーイダが劣勢になると、今度は「イスラーム国」(ISIS)のフランチャイズに鞍替え。まあ、ざっとこんな経緯で現在に至るわけだ。

この本を読むと、ナイジェリアという西アフリカの経済大国で人口大国の問題が浮かび上がる。 石油輸出国の2004年以降のナイジェリアは資源価格高騰で急激な高度成長を実現したが、「人口爆発」状況によって経済格差は拡大。なんと、中国・インドに次いで世界第3位の人口大国になると予想されているのだ。

さかのぼれば、大英帝国の植民地であったナイジェリアは1960年に独立したのだが、独立に際して北部のイスラーム地域と南部のキリスト教地域が分離されることなく誕生した「人工国家」であった。これが、問題を生み出す根源にあることが理解される。ナイジェリアはキリスト教人口とイスラーム人口がほぼ拮抗している。

こういう状況は、おなじく英国の植民地であったイラクやミャンマー(ビルマ)、マレーシアなどにも共通する問題点だ。「分割統治」の後遺症である。「ネーション・ステート」(=国民国家、民族国家)になりきっていない、いや多民族・他宗教であるがゆえになりえないという問題である。

ナイジェリア北部は、14世紀にイスラームが伝来して以来のイスラーム地域だが、英国は植民地統治を行うに当たって、少人数での支配を可能とするために「間接統治」を実施、現地の既存の勢力をうまく活用するだけでなく、シャリーア(=イスラーム法)の適用も認めていた。英国植民地当局は、ナイジェリア南部にはキリスト教の布教も認めていたが、北部でのキリスト教布教は禁じていたという。

昨年は、おなじくかつて英国の植民地であったバングラデシュで日本人を巻き込むテロ事件が発生している。旧インド植民地にかんしては、インド独立にあたってヒンドゥー教とイスラームが分離されたが、イスラーム過激派によるテロは、大英帝国の「負の遺産」といえるかもしれない。ロヒンギャ問題を抱えるミャンマーもイスラーム過激派によるテロが懸念される。

一時期と比較すると経済成長のスピードが鈍化したとはいえ、アフリカは人口増加地域で経済成長が期待できる地域である。しかし、同時にテロや紛争多発地域でもある。 遠いアフリカで活動するテロ組織といえども、「国際テロ組織」として活動する以上、日本とまったく関係ないわけではないのである。

また、なぜ「ボコ・ハラム」のようなテロ組織が急拡大したのか、その理由と急拡大のメカニズムを知ることは、アフリカ以外の地域、たとえばインドや東南アジアでも応用可能な生きた知識となる。

わたし自身は、ナイジェリアはおろかアフリカ大陸には行ったことはないし、アフリカには直接かかわることもないと思うのだが、強い関心をもって読み終えることができた。




目 次

プロローグ ワイドショーが取り上げた武装組織
第1章 女子生徒集団拉致事件の衝撃
第2章 舞台装置「ナイジェリア」の誕生
第3章 イスラーム反体制運動の進展
第4章 「テロ組織」への発展
第5章 ボコ・ハラムはどこへ向かうのか
第6章 サブサハラ・アフリカと過激主義の行方
エピローグ アフリカと日本のためのテロ対策
あとがき
ボコ・ハラム関連年表
主要参考文献


著者プロフィール

白戸圭一(しらと・けいいち)
1970年生れ。立命館大学国際関係学部卒。同大学大学院国際関係研究科修士課程でアフリカ政治研究を専攻。毎日新聞社入社後、鹿児島支局、福岡総局(現西部本社報道部)、外信部などを経て、2004~08年、南アフリカ・ヨハネスブルク特派員。ワシントン特派員を最後に退社し、現在は三井物産戦略研究所欧露・中東・アフリカ室長、京都大学大学院客員准教授。著書に日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞を受賞した『ルポ資源大陸アフリカ暴力が結ぶ貧困と繁栄』(東洋経済新報社、のちに朝日文庫)、『日本人のためのアフリカ入門』(ちくま新書)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




<ブログ内関連記事>

テロ関連

書評 『グローバル・ジハード』(松本光弘、講談社、2008)-対テロリズム実務参考書であり、「ネットワーク組織論」としても読み応えあり
・・改定新版が出版さえている教科書

映画 『ゼロ・ダーク・サーティ』をみてきた-アカデミー賞は残念ながら逃したが、実話に基づいたオリジナルなストーリーがすばらしい 
・・オサマ・ビンラディン殺害作戦を描いた映画

書評 『イスラム国-テロリストが国家をつくる時-』(ロレッタ・ナポリオーニ、村井章子訳、文藝春秋、2015)-キーワードは「近代国家」志向と組織の「近代性」にある


■国際メディア

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある 
・・「第3章 21世紀最大のメディアスター-ビンラディン」「第4章 アメリカの逆襲-対テロ戦争」「第5章 さまようビンラディンの亡霊-次世代アルカイダ」を参照。アルカーイダとの「情報戦」は今後も続く。テロ報道とメディアの関係


■人口爆発

書評 『自爆する若者たち-人口学が警告する驚愕の未来-』(グナル・ハインゾーン、猪俣和夫訳、新潮選書、2008)-25歳以下の過剰な男子が生み出す「ユース・バルジ」問題で世界を読み解く

自動小銃AK47の発明者カラシニコフ死す-「ソ連史」そのもののような開発者の人生と「製品」、そしてその「拡散」がもたらした負の側面
・・アフリカのシオラレオーネ(旧英国植民地)の状況


■アフリカ

映画 『キャプテン・フィリップス』(米国、2013)をみてきた-海賊問題は、「いま、そこにある危機」なのだ! 
・・「破綻国家」ソマリアを牛耳るアルカーイダに強いられて海賊となった元漁民たちと民間コンテナ船の船長との攻防戦

書評 『南アフリカの衝撃(日経プレミアシリーズ)』(平野克己、日本経済新聞出版社、2009)-グロ-バリゼーションの光と影

山口昌男の『道化の民俗学』を読み返す-エープリルフールといえば道化(フール)②
・・文化人類学者の山口昌男が調査対象に選んだのは、ナイジェリアのヨルバ族。その成果は、『アフリカの神話的世界』(岩波新書、・・・)にまとめられている


■大英帝国の「負の遺産」

書評 『巨象インドの憂鬱-赤の回廊と宗教テロル-』(武藤友治、出帆新社、2010)-複雑きわまりないインドを、インドが抱える内政・外交上の諸問題から考察

書評 『イラク建国-「不可能な国家」の原点-』(阿部重夫、中公新書、2004)-「人工国家」イラクもまた大英帝国の「負の遺産」



*大英帝国が植民地統治にあたって採用した「間接統治」と「分割統治」にかんしては、拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)「第5章 「第2次グローバリゼーション」時代と 「パックス・ブリタニカ」 19世紀は「植民地帝国」イギリスが主導した」を参照されたい。



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2017年10月22日日曜日

書評 『日本教の社会学』(山本七平/小室直樹、ビジネス社、2016 単行本初版 1981)-「日本教」というキーワードで日本社会をあざやかに分析した濃密かつ濃厚で骨太な議論


晴耕雨読というわけではないが、台風接近中の土曜日は読書に専念。2017年10月22日(日)は衆議院総選挙の投開票日だが、季節外れの超大型台風が日本列島を直撃している。

昨年末に購入したが未読だった『日本教の社会学-戦後日本は民主主義国家にあらず-』(ビジネス社、2016)を読む。

この本は、規格はずれの「知の超人」であった小室直樹氏と、おなじく在野の骨太の思想家であった山本七平氏の共同作業による共著。1981年に出版された本だが、長らく絶版となっていたものが昨年ようやく復刊されたものだ。

山本七平が提示した「日本教」というキーワードを、小室直樹が社会科学の観点から現実分析のツールとして鍛え上げた試みである。

「神学」という観点からみた「日本教」の分析はきわめて知的刺激に富んでいる。教義(ドグマ)、救済儀礼(サクラメント)、神議論(テオディツェー)。いずれも聞き慣れない用語だが、有効な分析概念だ。キリスト教徒で聖書関係の出版社を経営していた山本七平と、超人的ともいえる学者・小室直樹の対談形式だが、濃厚で濃密な内容で飽きが来ない。

「日本教」というのは、日本人が暗黙のうちに従わざるを得ない「見えない宗教」のようなものだ。仏教だろうが、キリスト教だろうが、結局は日本流に改造されてしまう理由がそこに求められる。マルクス主義もまた同様だ。

この観点から分析すると、近代以降の日本社会は「戦前」も「戦後」も基本的に変化していないとわかる。いままさに総選挙の最中だが、日本社会はほとんど何も変わっていないのだなと思わざるを得ない。だが逆にいえば、日本社会の基本的構造とメカニズムが理解するには、これ以上ないといっていいほどの分析ツールになっていると思う。

本書のなかで、なんといってもいちばん興味深いのは最終章である「第9章 日本資本主義精神の基盤-崎門(きもん)の学」で詳細に取り上げられている浅見絅斎(あさみ・けいさい)の思想だ。
  
浅見絅斎は、17世紀後半から18世紀にかけて生きた儒学者で独創的な思想家だが、その圧倒的影響が「明治維新革命」につながったとする議論。なぜか現在では、ほぼ完全に忘れ去られて顧みられることのない思想家だが、その「(政治的)正統性」にかんする議論が「尊皇思想」を生み出した点は、大いに注目しなくてはいけないだろう。

小室直樹と山本七平の両氏は、1980年代には当時の「知的ビジネスマン」(・・あえてマンと書いておく)に多大な影響力のあった人たちだが、すでに亡くなってから久しい。したがって、1981年に出版された本書の内容も、出版当時の時事的話題など部分的には古くなっている点は否定できないが、それでも内容的には現在でも十二分に説得力がある。

山本七平氏は、日本人を無意識に動かしている「空気」について最初に指摘した人として現在でも記憶されているだろう。さらに「日本教」という概念を提示した点も記憶されるべきだろう。

骨太な議論が好きな人には、ぜひ薦めたい本だ。





目 次

まえがき(小室直樹)
第1部 日本社会の戦前、戦後
 第1章 戦後日本は民主主義国家ではない
 第2章 戦前日本は軍国主義国家ではない
第2部 神学としての日本教
 第3章 宗教へのコメント
 第4章 日本教の教義(ドグマ)
 第5章 日本教の救済儀礼(サクラメント)-自然、人間、本心、実情、純粋、序列、結婚
 第6章 日本教における神議論(テオディツェー)
 第7章 日本教ファンダメンタリズム
第3部 現代日本社会の成立と日本教の倫理(エティーク)
 第8章 日本資本主義の精神
 第9章 日本資本主義の基盤-崎門(きもん)の学
「まとめ」-あとがきにかえて(山本七平)



著者プロフィール

山本七平(やまもと・しちへい)
1921年東京生まれ。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。以後、「日本人論」で社会に大きな影響を与えてきた。その日本文化と社会を分析する独自の論考は「山本学」と称される。評論家。山本書店店主。1991年逝去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


小室直樹(こむろ・なおき)
1932年東京生まれ。京都大学理学部数学科卒業。大阪大学大学院経済学研究科、東京大学大学院法学政治学研究科修了(東京大学法学博士)。この間、フルブライト留学生として、ミシガン大学、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学各大学院で研究生活を送る。2010年逝去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)







<ブログ内関連記事>

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・山本七平といえば「空気」

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む
・・これぞ本当の「知の巨人」であった小室直樹

書評 『異端力のススメ-破天荒でセクシーな凄いこいつら-』(島地勝彦、光文社文庫、2012)-「常識に染まらず、己の道を行く」怪物たちの生き様
・・「著者は、集英社インターナショナル社長時代に、小室直樹には『痛快!憲法学』、『日本人のための憲法原論』や『日本人のためのイスラム原論』など書かせた編集者」

書評 『見える日本 見えない日本-養老孟司対談集-』(養老孟司、清流出版、2003)- 「世間」 という日本人を縛っている人間関係もまた「見えない日本」の一つである

書評 『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治、講談社現代新書、2013)-「革命家」西郷隆盛の「実像」を求めて描いたオマージュ

『雨夜譚(あまよがたり)-渋沢栄一自伝-』(長幸男校注、岩波文庫、1984)を購入してから30年目に読んでみた-"日本資本主義の父" ・渋沢栄一は現実主義者でありながら本質的に「革命家」であった
・・本書の「まとめ」で、日本の近代資本主義を用意した「勤労のエトス」と「町人的合理性」、そして「下級武士のエトス」を合わせ持っていた具体的人物として渋沢栄一を取り上げている

『論語と算盤』(渋沢栄一、角川ソフィア文庫、2008 初版単行本 1916)は、タイトルに引きずられずに虚心坦懐に読んでみよう!



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2017年10月21日土曜日

「disruption」 を「破壊的」と訳すのは適当ではない

(Disrupt yourself before someone else does.)

「破壊的テクノロジー」という日本語が定着してしまっている。

ハーバード・ビジネス・スクール教授であったクリステンセン教授のベストセラー『イノベーションのジレンマ』キーコンセプトが「Disruptive technology」。そしてこれが、「破壊的テクノロジー」と日本語化されたためだ。

英語の disruptive は動詞 disrupt の形容詞形。名詞形は disruption である。

だが、英語のニュアンスからすると、「disrupt」 は中断するとか、断絶するという意味なので、「破壊的」というと、なんか違うのではないか、と疑問がわく。日本語の「破壊」というのは、「壊して粉々に砕く」というニュアンスがあるためだ。

むしろ、 「断絶するテクノロジー」というのがニュアンス的には近いと思う。従来の、既存のテクノロジーの延長線の流れを断絶してしまう、断ち切ってしまうテクノロジーというのが本来の意味に近いのではないか?

そんな疑問をつねづねもっていたが、「disruption」 を理解するのに、いい画像を見つけた。 冒頭に掲載した写真だ。

キャプションには、Disrupt yourself before someone else does. (= disrupt される前に自分が disrupt してしまえ)とある。誰か他の者にされる前にしてしまえ、といった意味だろう。GE中興の祖であったジャック・ウェルチの名言 Control your destiny or someone else will. に通じるものがある。

つまり、「disruption」とは「破壊的」というよりも、「断絶的」といったほうが正しいことが「見える化」されているのである。

同様の例はほかにもある。

たとえば、「Virtual Reality」 が「仮想現実」と訳されて定着してしまっているが、これもニュアンスが違う。「virtual」というのは「実質的に」という意味。「仮想」でも間違いではないが、ニュアンスが異なる。

そのようなものだ、といってしまえばそれまでだが、英語の本来のニュアンスが正しく伝わっていないということは、アタマのなかに入れておいたほうがいいだろう。





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