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2017年7月17日月曜日

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)ー 16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する


「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)。16世紀マニエリスムの時代を知的探検する美術展だ。国立西洋美術博物館らしい好企画である。

16世紀の美術史上の「マニエリスム」を代表する画家で万能人の鬼才ジュゼッペ・アルチンボルドの日本ではじめての本格的紹介である。

主催者の国立西洋美術館による紹介文を紹介しておこう。

本展は、世界各地の主要美術館が所蔵するアルチンボルドの油彩約10点のほか、素描などおよそ100点により、この画家のイメージ世界の生成の秘密に迫り、同時代の文脈の中に彼の芸術を位置づけ直す試みです。日本で初めて、アルチンボルドのユーモアある知略の芸術を本格的にご紹介するこの機会を、どうかご期待ください。

「マニエリスム」とは美術史の用語で、後期ルネサンスとバロックの移行期の時代のことをさしている。ルネサンス的要素を濃厚にもちながらも、一方では「近代的」でもある。いや、「超近代」というべきだろか。カトリック側の「近代」であるバロック時代の到来で、マニエリスムは2世紀近くも葬り去られていたからだ。

今回の美術展の最大の目玉は、なんといっても、世界各地の美術館にバラバラに所蔵されている連作の「春夏秋冬」4作品、「四大元素」4作品が一同に並べて展示されていること! これは快挙としかいいいようがない!










(上から「冬」「春」「夏」「秋」)


すこし距離をおいて見ると不思議な肖像画だが、近くによって見ると、じつに精密に野菜や植物、動物や魚介類が描き込まれている不思議さ、奇妙さ「だまし絵」というのは、じつに知的に構築された絵画なのだ。まさに「思考のラビリンス(迷宮)」。

いろんな楽しみ方があると思うが、大人びた正統派の美術鑑賞よりも、子どもっぽい「ワオ!」精神で楽しんだほうがいいのではという気もする。まさにワンダーランド。

アルチンボルドというと「だまし絵」として知られているが、じつはこの美術展の存在を知るまでは、わたし自身も、それほど深く知っていたわけではない。

今回はマグネット(税込み540円)も購入。「司書」と「夏」。いずれも有名な「だまし絵」である。とくに「司書」はむかしから大好きな作品だ。すべて本で構成されている図書館司書の面白さ。コレクションが増えたのはうれしい。


ミュージアムショップでは、画集も販売されているが、それよりも簡潔な説明の「コンセプトブック」(税込み800円)を購入するといいだろう。





■ミラノ出身のアルチンボルドとルドルフ2世の宮廷

アルチンボルドが活躍したのは16世紀のハプスブルク家が支配していた神聖ローマ帝国。現在のドイツと地理的に重なる地域である。

この時代は「大航海時代」であり、西欧人にとっては地理上の発見と認識の拡大が実現した時代である。世界各地から珍しい物資が収集され、王侯貴族は競って「驚異の部屋」(=ヴンダーカマー)をつくっていた時代だ。(*「参考」を参照)。博物学の時代の始まりといってもいいだろう。

アルチンボルドが仕えたのが二人の皇帝。ウィーンでマクシミリアン2世、プラハでルドルフ2世。とくに深い関わりがあったのは、プラハのルドルフ2世の宮廷だ。いわゆる「ルネサンス宮廷」の最後期の存在というべきものだ。

マクシミリアン2世は自然科学好き、ルドルフ2世は奇想好き。ミラノ出身のジュゼッペ・アルチンボルド(1527~1593、イタリア・ミラノ出身)は、ただ単にお抱え絵師であっただけでなく、式典の総合プロデューサーでもあり、じつに多彩な才能をもった万能人として寵愛さえていた。


(アルチンボルドの自画像 「紙」で構成されている面白さ!)

「ルドルフ2世の宮廷」に集められたお抱えの知識人の面々は、じつに多岐にわたっている。いずれもルネサンスに花開いた「新プラトン主義」の影響下にある人たちである。

膨大な観測結果を残したティコ・ブラーエ(1546~1601、デンマーク)や、その助手でティコのデータを使用して天動説を導き出したヨハンネス・ケプラー(1571~1630、ドイツ・シュヴァーベン地方)といった天文学者も。

錬金術師で占星学者のジョン・ディー(1527~1608、イングランド)。ケプラーも占星術師であった

ジョルダーノ・ブルーノ(1548~1600、イタリア・ナポリ出身)は、哲学者でドメニコ会修道士、地動説を擁護。宇宙の無限を主張し、のち異端として処刑された。思想の自由を守った闘士とみなされてきた。

ルドルフ2世は、ある意味では、後世のバイエルン王国の「狂王」ルートヴィヒ2世に比すべき奇人というべきかもしれない。皇帝でありながら生涯独身を通し、芸術を愛し、学術を愛していた。

実権を弟のマティアスに奪われ、その後、「プラハ城窓外事件」が「三十年戦争」勃発の引き金となる。ボヘミアの宗教戦争が発端となった。「三十年戦争」が終結した1648年以降、神聖ローマ帝国は衰亡の道を歩みつづけることになる。






■アルチンボルドの評価

「マニエリスム復権」をリードした『迷宮としての世界-マニエリスム芸術』(グスタフ・ルネ・ホッケ、種村季弘・矢川澄子訳、岩波文庫、2011)の下巻は、アルチンボルドによる「ルドルフ2世像が表紙カバーとして使用されている(下図)。

すべて野菜で構成されている「だまし絵」だ。こんな画像を製作させていたルドルフ2世という人物への興味を抱かざるを得ないではないか! じつに不思議である。


(アルチンボルドによるルドルフ2世像)


それだけではない。いきなり「19 ルドルフ2世時代のプラーハ」という章から始まり、「20 アルチンボルドとアルチンボルド派」、「21 擬人化された風景と二重の顔」と続く。マニエリスムにおいて、アルチンボルドの存在は、ある意味では別格なのだ。

グスタフ・ルネ・ホッケは、アルチンボルドについて以下のように表現している。簡潔で要を得た説明である。

アルチンボルドはまた、技師で、機械設計家で、仮面や衣装のデザイナーでもあった。ひとびとは彼の「幻想的な衣装のスケッチを、何枚も複写した。それはバロック演劇の舞台装置に影響を与えた。それほど多彩であったので多彩であったので、アルチンボルドは、同時代人の間では、「八宗兼学」(はっしゅうけんがく)の「鬼才」とされ、その点でレオナルドと比較された

「八宗兼学」(はっしゅうけんがく)は、イタリア語の「ウニヴェルサーレ・レットラ」(universale lettura)、「鬼才」は、「アクティシモ・インゲーニョ」(acutissimo ingegno)の訳語である。

「八宗兼学」(はっしゅうけんがく)とは、物事を多岐にわたって深く学んで理解しているという意味だが、もともとは日本仏教の8つの宗派の教義をすべて学ぶことを指したことばだ。いかにも奇想好きの種村季弘らしい訳語の選択である。

種村季弘が苦心してひねり出した豪華絢爛な訳語もまたマニエリスム的である、と文庫版の解説者で高山宏氏が書いている。ひいきの引き倒しの感もなくはないが、森鴎外以来のペダンティックな趣味嗜好の延長線上にあるものといえるかもしれない。







■美術史におけるマニエリスム

マニエリスムは、英語表記だと「マンネリズム」(mannnerism)になる。「様式」(manner)のイズム(ism)、すなわち「様式主義」である。「型にはまった」という否定的表現だ。日本語の「マンネリ」は「マンネリズム」の短縮形。つまり、マニエリスムにはあまりいい意味が付与されていなかったのだ。

後期ルネサンスと初期バロックへの「移行期」の時代である。ルネサンス的な公共精神が後退し、王侯貴族の趣味的世界のなかに生息しえたのがマニエリスムである。

英文学者の河村錠一郎氏による「美術史」を大学学部時代に受講していたので、ルネサンス後期のミケランジェロからバロックに至る前の「マニエリスム時代」については一通りの知識は得ていたが、アルチンボルドへの言及があったかどうかは記憶にない。もっぱらミケランジェロの彫刻作品について、新プラトン主義とマニエリスムの観点からスライドを使用しながらのレクチャーがなされたことは記憶にあるのだが・・・・

河村教授は、『ルネサンス様式の四段階-1400年~1700年における文学・美術の変貌-』(サイファー、河出書房新社、1976)の翻訳を出していることをあとから知った。サイファーによるこの本は、マニエリスム理解を大幅に前進させたとされている。

マニエリスムの時代は、旧秩序崩壊の時代であり、動揺と不安の時代でもあった。過渡期や移行期というものはそういうものだ。16世紀前半からはじまった「宗教改革」の時代は、気候学的にみても厳しい時代だっととされる。

マニエリスムがどういう時代であったのか、その特徴を捉えるために、美術史家の若桑みどり氏の名著 『マニエリスム芸術論』(若桑みどり、ちくま学芸文庫、1994 初版 1980)から、引用しておこう。とくにバロックとの対比で明らかになる。バロックとはカトリックによる「対抗宗教改革」時代の美術のことであり、それは図像を使用した上からの「民衆教化」の時代であった。エリート主義とは真逆の大衆化をもたらすものであった。(・・太字ゴチックは引用者=さとうによる)。

王のための芸術は、市民のための芸術とはまったくことなっている。また、少数の知的、文化的エリートにむけた宮廷芸術の制作にあたっては、大衆の一般的理解は不必要であり、かえって芸術家の創意工夫による独自性や変わった個性が珍重された。秘密なことばが喜ばれ、難解さが高級なものとされた。芸術家がこのときほど大衆から「自由」であったことはない。(P.47) 


バロックの本流は、これらの錯綜したアレゴリーを廃棄処分にすることからはじまった。(P.38)


1585年ごろに早くもおそってきたバロック芸術によって、このわずか半世紀ほどの特異な芸術の庭園は、いばらに囲まれるか、梯子をとられるかしてしまった。バロック芸術は、その起こりには、何にもまして大衆化運動をはじめたローマのカトリック教会の文化運動が働いていたので、芸術はたちまちにして大衆的なものとなり、当然、自然発生的でセンチメンタルな表現を占めていった。マニエリスムの生き残れる場所は宮廷にしかなかったが、それも大型化して絶対君主が一国の強権を握るようになるといっせいに大衆化していってしまった。そうして、ごく特殊な言葉で、低く語っていたこの芸術のことばを、読める人間が居なくなってしまったのである。(P.30)


 カトリック教会は信仰と布教における聖画像の有効性を肯定したが、プロテスタントによって批難された官能的、異教的要素を宗教画から排除し、民衆教化にふさわしい新たな宗教表現のプログラムを掲げ、異端審問をさかんにおこなって不適切な宗教表現を告発し、芸術の統制をおこなった。(P.48)


バロックがふたたび、社会と現実へと芸術を復帰させた。バロック芸術とは、反宗教改革と絶対主義王政の芸術である。マニエリスムも、その二つの因子をもっていなかったわけではない。だが、バロックは、マニエリスムに生き残っていた夢想的な新プラトン主義的人文主義を現実的政策によって打ち砕いた。すでに終わりかけていた人文主義とルネサンスの「夜」を、最終的に終わらせ、すべてにわたる現実主義的精神が、この新たな体制づくりに加担した。(P.51)


マニエリスムが、ルネサンスとバロックのはざまに生まれた「(あだ)花」(?)であり、カトリック教会と絶対王政という権力の裏付けをともなったバロックという一大潮流によって完全に否定され、2世紀以上にわたって歴史に埋もれてしまったのは、そのためなのだ。革命する側は、される側を徹底的に否定するものなのだ。

ルネサンス研究の深まりによって、後期ルネサンスの行き着いた先がマニエリスムであったこと、そしてその流れがバロックによって押し流されたことは、ただたんに美術史のみであなく、西欧近世を考えるうえで重要なことなのだ。

バロックのなかにもマニエリスム的要素があることは、エル・グレコの作品からうかがい知ることができる。





<参考>


このごった煮のわけのわからん空間は、一つの世界観、あるいは宇宙観といったものを表現した部屋であったのだ。ルネサンス的な万能主義。一切智。大航海時代以降のエキゾチズム礼賛。

それは、子どもが自分の世界を狭い空間のなかに表現するのと同じことだ。理路整然と整理された空間ではなく、すべてが未分離の、分節化されていない混沌としたカオス的空間。そしてそこからなにかが生まれてくるかもしれない予感。

ヴンダーカンマーがどんなものだったかについては、 Google で Wunderkammer とそのままドイツ語で画像検索してみてほしい。じつに多種多様な実例をみることができるはずだ。

ヴンダーカンマーに渦巻いているのは、子どものような「好奇心」とコレクションへの「情熱」である。自分にとって関心のあるものをとにかく集める。これは人間の本性に基づくものだ。わたしなら、雑学を「見える化」したものがヴンダーカマーだと表現したい。

わたしは小学生の頃から家でも学校でも、「机の上が整理されていないヤツはアタマが悪い!」といわれ続けてきたが、いまでも机上はぐちゃぐちゃだ。そんな人も少なくないと思うが、気にすることなかれ! 雑学人間にとって、ヴンダーカンマーはまさにヴンダバールな世界である。

日本にも、そんなヴンダーカンマーの最後のきらめきが痕跡として残されていることをご存じだろうか。東京丸の内の JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテクに足を伸ばしてみるといい。東京大学総合研究博物館の分館だ。



<関連サイト>

「アルチンボルド展」 公式サイト (国立西洋美術館)



<ブログ内関連記事>

書評 『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』(小宮正安、集英社新書ヴィジュアル版、2007)-16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで流行した元祖ミュージアム
・・まさにアルチンボルドとルドルフ2世の時代精神そのもの

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡 
・・この本もぜひ。おなじく17世紀から18世紀にかけてのフランスを中心に

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る
・・16世紀のルネサンスと大航海時代(=第一次グローバリゼーション時代)のいわゆる「ユマニスム」

「知の風神・学の雷神 脳にいい人文学」(高山宏 『新人文感覚』全2巻完結記念トークイベント)に参加してきた


■アルチンボルドの同時代人

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう ・・バロック絵画の代表作品を描いたエル・グレコ(1541~1614)が活躍したのは1600年前後、大航海時代である。マニエリストとして、アルチンボルドの同時代人である

『カラヴァッジョ展』(国立西洋美術館)の初日にいってきた(2016年3月1日)-「これぞバロック!」という傑作の数々が東京・上野に集結!
・・・・同時代人だがカラヴァッジョ(1571~1610)より30歳年上のエル・グレコ(1541~1614)

All the world's a stage(世界すべてが舞台)-シェイクスピア生誕450年!
・・シェイクスピア(1564~1616)もまた同時代人

(19世紀江戸時代幕末の浮世絵師・歌川国芳への影響関係は?)

■日本における奇想の系譜

「没後150年 歌川国芳展」(六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー)にいってきた-KUNIYOSHI はほんとうにスゴイ!

「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館) にいってきた(2017年5月18日)-なるほど、ここから「奇想」が始まったのか! 

「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」(千葉市美術館)にいってきた

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)-「出会い」の喜び、素晴らしさについての本

(2017年7月29日 情報追加)


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