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2017年7月31日月曜日

スマホの「機種変更」を実行-情報セキュリティの観点から「国産品」に変更(2017年7月29日)


ぜんぜん関係ないが2017年に8月3日に予定されている安倍内閣の「内閣改造」を前にスマホの「機種変更」をした。変更(改造)前の状態が機能不全になっていたという点は共通だが、まあこじつけではありますね(笑)

変更前は galaxy ブランド、変更後は arrows Be ブランド。変更前は韓国製、変更後は日本製。変更前はサムスン電子、変更後は富士通。共通しているのは docomo で OS は android という点だけだ。もちろん android は最新版にバージョンアップ。正式な機種名は、arrows Be F-05 J である。

基本的に根がアマノジャクな性格なので、日本ではメジャーな iPhone という選択肢はわたしにはない。しかも docomo 歴15年目前なので、通信会社変更というオプションはない。

つまるところ、いかにスマホ関連出費をおさえるかというのが課題なわけだが、各種の割引があるので「機種変更」に踏み切ったというわけだ。 なぜ arrows にしたかというと、割引メニューの「docomo with」で毎月1,500円引きの対象機種の一つであることが最大の理由だ。

特別にハイスペックなスマホは必要ない。要は、自分にとって最小限必要なアプリが動けばそれで十分ということ。しかも通信速度が高速なら言うことなし

しかも、これは重要だが、情報セキュリティの観点から中国製や韓国製は使わない方がいいという警告がセキュリティ・コンサルタントによってなされている。

位置情報などの個人情報は仕方ないが、それが知らぬ間に中国政府や韓国政府に自動的に吸い取られるのはよろしくない。というわけで、日本製に変更したいと思っていたのだ。

今回も「割引対象が富士通とサムスンの二択だったので、答えは自ずから富士通となっただけの話。選択肢が少ないと、意志決定は速い

(こんな形でアプリを使用)

かならずしも国産品愛用という観点からではない。

そもそも熱烈な愛国者ではないし、ましてや富士通ファンというわけでもない。

そもそも、家電製品(・・スマホもいまやコモディティ化しているので家電といっても差し支えあるまい)は、国産だろうが外国製であろうと、機能が優れていてしかも低価格であれば、それを選択する。

だが、IoT 時代には、すべての製品がインターネットをつうじてつながることになる。これは利便性が飛躍的に向上することを意味するが、反面では脆弱性が飛躍的に増大することを意味しているのだ。ましてやスマホは、IoT時代の最先端を走る家電製品である。

機種変更したのは先週土曜日の夕方だが、ようやく新しい機種に慣れてきた。慣れたら使い勝手は良いと実感。

まあ、arrows にはまったく問題がないわけではないが、ローン期間中の最低2年間は使うつもりだ。





<関連サイト>

arrows (携帯電話) (wikipedia)

富士通 arrows ブランド サイト


中国製ネットワークカメラが勝手に動き出して中国語が聞こえてきた怖い話(動画あり)(僕とネットショッピング、2017年8月10日)
・・個人ブログに掲載された記事。スマホであれ、すべての情報機器の中国製は情報ダダ漏れで危険!

(2017年8月18日 情報追加)





<ブログ内関連記事>

ドイツが官民一体で強力に推進する「インダストリー4.0」という「第4次産業革命」は、ビジネスパーソンだけでなく消費者としてのあり方にも変化をもたらす

書評 『ものつくり敗戦-「匠の呪縛」が日本を衰退させる-』(木村英紀、日経プレミアシリーズ、2009)-日本の未来を真剣に考えているすべての人に一読をすすめたい「冷静な診断書」。問題は製造業だけではない!




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end

2017年7月28日金曜日

古田博司教授の「産経新聞に掲載拒否された原稿」を「独占公開」!-タイトルは「現代は先見と常識で生き抜こう」

(いただいたオリジナル原稿をスキャンしたもの 1ページ目)


古田博司・筑波大学大学院教授から、産経新聞の「正論」コラム向けに書いた文章が掲載拒否されたので、その内容に賛同するのであれば、ブログにアップしてもらえないかという依頼がありました。

「内容が高度すぎて新聞向けではない」という理由で掲載を断られたとのことです。この掲載拒否にかんして、古田先生は、「新聞というものは、そこに書かれていることはすべて過去であり、未来にかんしては怯懦(きょうだ=臆病な、という意味)である」、という感想を強められたようです。

「掲載拒否された原稿」については、その内容にかんしては、わたくしも賛同しておりますので、「ブログへの掲載を快諾」した次第です。



■はじめに

いただいた原文をそのままアップしてますが、タテ書きの原稿をブログ用にヨコ書きに変換したため、読みやすくするために、以下の処理を行ってあります。

行替えを増やしたこと、漢数字をアラビア数字に変換したこと、ルビを( )のなかに入れたこと。それ以外には、「原文」にはいっさい手を入れておりません。

一読して理解しにくい用語などがあると思いますので、「原文」のあとに、必要最小限の「注釈」を「コメント&コメンタリー」という形で行ってあります。

あくまでも「解釈」は、「原文」に即して、皆さんご自身で行っていただきたいと思います。

では、「掲載拒否された文章」の「原文」に目を通していただきますよう。



*********************************


現代は先見と常識で生き抜こう      古田博司 


《理想と理念の近代は終わった》 

今日は、「先見」の有用性について語ろう。近代は理想と理念の時代だった。だが終わってみると、「社会主義」は収容所群島に成り果て、「開かれた国益」(2001年、外交理念)は北朝鮮からのミサイルに化けたではないか。我々は理想や理念にはもううんざりしている。
   
ならば先のことにうまく対処できる先見の方が、ずっと良いではないか。それにはいつも考えていることだ。コツは、「欠如・例外・近似」の三点把握である。「零戦にはなぜ防御板がないのか」(欠如)とか、「ダビデはなぜ地下水道からエルサレムを攻略したのか」(例外)とか、「前川喜平文科省前事務次官はなぜ断末魔のように吠えるのか」(近似)とか。すると、それを埋めるように直観が飛来する。
   
「あっ、そうか」と思うようなコマの到来があったら、未来過去にかかわらず、自分の「今」のカーソルをそこに当てるのである。なぜなら、外界に今はない。今があるのは私の体内時間(持続)なのだ。これが私の実存である。

そこから、カーソルを往復運動させて、記憶(自分の過去経験)と記録(他者の過去記述)の中からコマを切り出して並べ、因果の意味を見出すのである。

簡単に言えば、外の変化にサッと気づき、記憶と記録から関連のコマをパッパと切り出し、脈絡あるなと思ったら言語化する。そのとき自分の持つ未来像や俗説を色々修正し、外の変化の意味を人々に語るのである。天気予報や地震予報に似ているが、系(コマ)の中で物理法則が使えない。始まりは直観によるコマの到来になる。
  

《未来予測とは先見のことだ》
     
宮家邦彦さんは先見(フォーサイト)の達人だ。前川喜平氏の例で、「あれは日本官僚の断末魔だ」(近似)というコマに今カーソルを当て、官僚が自治王国を作ってきた過去のコマを次々と切り出す。

(1)大蔵省スーパー官庁の擬制、(2)族議員の養成、(3)勉強エリートの継続リクルートと、暴走しないようにコマはできるだけ少なく取る。こうして絶対服従と天下りと民間平均以上の生涯給与を保証することで、官僚王国の体内倫理が生まれた。
   
そしてこれをぶち壊したのが、2014年の内閣人事局設置だと、変異系のコマに今カーソルを大手のように当てるのである。これで官僚は次官ではなく、官邸に服従を誓わざるを得なくなった。

あとは論理的に未来を語る。今や優秀な人材は官僚を志向しない。彼らを行政府に取り込めない。民間にいる人材を政策過程に取り込むしかないだろう。(宮家邦彦「国際問題第75回 前川前次官は官僚王国ニッポンの黄昏」「週刊新潮」7月6日号)
   
哲学者のハイデガーが『存在と時間』の中で、訳の分からないことを言っていた。記録(資料や史料)は、書かれているのは過去のことだが、我々が向かうときは未来なのだ、という。意味が分からないので、私は何年も考え続けた。

ある日。直観が到来した。「あっ、そうか。記録の中でも先見(プレシャンス)を使うのだ。他人の記憶だから想起は使えない!」(欠如)。
  

《先見は歴史研究にも使える》 

私は今、WILL という雑誌で、旧約聖書を社会科学するという実験を行っている。わざと勉強しないようにして直観と常識だけで読み解くのだ。
  
ダビデのエルサレム攻略のところで、変異系のコマが到来した。ダビデよ、「あなたはけっして、ここに攻め入ることはできない。かえって、めしいやあしなえでも、あなたを追い払うであろう」(サムエル記下5-6)と、敵のエブスという民族が言う。ここが変だ(例外)。

そこで私の今カーソルを記録の中で往復運動させ、関連のコマを切り出す。

(1)新約聖書のヨハネ福音書中、ベテスダという人工池で盲人、足なえが憩っている。(2)ダビデは攻めるときに、「めしいたち」を撃てと兵を鼓舞している。(3)ダビデはエブス人を滅ぼさず包摂した。ヒビという民族は、イスラエルに敗れて井戸水をくむ奴隷となったが、後に人工池を持つギベオン人になり、神の家が置かれる有力都市になった。

人工池を持つ町は有力都市だ。当時、この地方の池のほとりには、移動しにくい障碍者がいた。人は3日水を飲まないと死ぬ(常識)。ダビデは、エブス人が人工池を誇っていることに気づき、地下水道から兵をあげて攻めた。給水技術に優れた民族は滅ぼされず、包摂されたが強い民となって再生した。こんなことが「先見」でわかる。

つまり何を言いたいのと言えば、もっと「先見」と「常識」を使って、理想も理念も失われた近代以後を力強く生き抜こうという提言である。

最後に、理念や理想が、先見と常識に敗れる例を挙げておこう。

朝日新聞の社説「韓国民主化 歩み30年不断の進化を」(6月30日付)。韓国で、軍事政権に対し反体制勢力が「民主化宣言」を勝ち取り、その文脈で市民勢力が朴槿恵を弾劾・罷免した。民主化は30年間ふだんに進歩している、というのである。

どこの民主国家に大統領をやっつけて万歳し、次の大統領選挙で踊り狂っている国民がいるのか。常識がなさすぎるというものである。

(以上)

*********************************

(いただいたオリジナル原稿をスキャンしたもの 2ページ目)


以下の「コメント&コメンタリー」は、このブログのオーナーである、わたくしこと 佐藤けんいち によるものです。あくまでも個人的見解であることを、はじめにお断りしておきます。


■コメント&コメンタリー

正直いって、あまりにも圧縮された文章なので、一度目を通しただけでは理解しにくいかもしれません。ですが、虚心坦懐に2~3回繰り返して読めば、理解できる人も少なからずいるのではないでしょうか。

とはいえ、使用されている「用語」については、辞書を検索しても理解しにくいものがあるかもしれません。参考のために注釈を加えておきます。



「コマ」?

正直いって、わたくしも「コマ」が何を意味しているのかよくわからないので、古田先生に直接質問してみました。

「系(コマ)について」は、『正論』(2017年9月号)に掲載予定の連載コラム 「近代以後 no.39  「先見」は理想に代わり得るか」に書いたので、参照して欲しい、とのことです。発売日は、2017年8月1日です。

「コマ」は「フィルムのコマ」のことです。「記憶の一齣」の「齣」(こま)のことですね。「齣」とは、「枠(フレーム)のあるなかの小区画」のことです。マンガの「コマ」や、授業の「コマ」という表現もあります。


●「過去」イコール「未来」?

「哲学者のハイデガーが『存在と時間』の中で、訳の分からないことを言っていた。記録(資料や史料)は、書かれているのは過去のことだが、我々が向かうときは未来なのだ・・・」 という文章が「原文」にありますが、「近似」という観点から、補助線を引いておきましょう。

この点にかんしては、わが恩師の阿部謹也先生も、「近似」したことを言ってます。「歴史発見のおもしろさというのは、異文化との接触といってもいいし、SF的なおもしろさといってもいい」、と。『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)より引用(P.24 より)。

さすがに「過去」は「未来」であるとまでは言ってませんが、「過去」だけでなく「未来」もまた、「現在」に生きる自分という存在から見れば、「異世界」であり「未知の世界」である点においては同等なのだ、という意味でしょう。「SF的なもの」とは「先見」でありますが、かならずしも「未来」についてだけあてはまるわけではないということですね。

もちろん、その「過去」の「記録」(・・そもそも「記録」というものは他者によるものであり、すべて過去に属する)に向かう際には、「近似」だけでなく「例外」、「欠如」を念頭に置いて考えてみると、「先見」が得られるかもしれませんよ。

あるいは「異文化」へのアプローチという方法論でもよいのかもしれません。自分が属する文化を軸にして、「近似」「例外」「欠如」のすべてを総動員して理解しようという知性の働きが、「異文化理解」だからです。

とはいえ、「先見」はさておき、「常識」の働かせ方がキモになるかもしれません。「常識」にとらわれず、しかし「常識」をフルに働かせるのは、意外と難しい課題ではありますからね。

「先見」と「常識」は、「ケーススタディ」分析の基礎とすべきものでありましょう。それは言い換えれば、「実学として歴史学」ということになるのです。








<ブログ内関連記事>

■古田教授の著書

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」

書評 『使える哲学-ビジネスにも人生にも役立つ-』(古田博司、ディスカヴァー・トウェンティワン、2015)-使えなければ哲学じゃない!?

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

書評 『「紙の本」はかく語りき』(古田博司、ちくま文庫、2013)-すでに「近代」が終わった時代に生きるわれわれは「近代」の遺産をどう活用するべきか

書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける







■「原文」で言及されている関連事項

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」


■「実学としての歴史学」

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)-日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著
・・一橋大学の「歴史学」は、明治時代の東京高商時代に「実学」から出発した

JBPress連載第4回目のタイトルは、 「トランプ陣営「2人の将軍」の知られざる共通点-マティス国防長官の座右の書は古代ローマの古典」(2017年7月18日)
・・実務家にとって歴史をたんなる「教養」に終わらせないために必要なこととは?

JBPress連載第5回目のタイトルは、「歴史家」大統領補佐官はトランプを制御できるか-ベトナム戦争の「失敗の本質」を分析したマクマスター氏(2017年8月1日)
・・歴史家としての専門トレーニングを受けて歴史学で博士号(Ph.D)をもつ将軍

(2017年8月2日 情報追加)




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2017年7月27日木曜日

書評『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)ー 左右両翼の全体主義と戦った「戦闘的自由主義者」と戦後につながるその系譜


タイトルの「全体主義と闘った男」というフレーズには、しびれるものがある。

「右にも左にも怯まなかった日本人がいた!」というコピーが強烈に響く。

これが一般に「右」とみなされている産経新聞に連載され、しかも産経新聞出版から出版された単行本の帯に記されているのだからなおさらだ。

なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?

いや、そもそも河合栄治郎とは何者か?

河合栄治郎といわれて、すぐピンとくる人は、いまでは少ないだろう。いや、20年前でも30年まであっても、すでにそうなっていたのではないだろうか。

その意味では、2010年代後半のいま、あらためて「戦闘的自由主義者」とされる河合栄治郎という日本人について知ることの意味はある。いや、「右にも左にも怯まなかった日本人」がいたということは、いまのような時代にこそ振り返るべき人物であるというべきではないか。

以下、書評の対象とした本書、『全体主義と闘った男 河合栄治郎』(湯浅博、産経新聞出版、2016)に即して、河合栄治郎の生涯と人となりについて押さえておこう。

河合栄治郎は、思想家である。骨太の思想家である。だが、書斎に安住する思想家ではない。まずなによりも「実行家」であり、志敗れて大学教授に転じてからも、時代と正面から向き合って信念を貫き通した人だ。

まずは「左の全体主義」である「共産主義」と闘い、共産主義が壊滅後に軍部が台頭してくると、返す刀で「右の全体主義」である「ファシズム」と闘った

著書が発禁処分となり、帝大も休職処分とされたなか、時の権力と正々堂々と法廷闘争を行ったのである。だが、力尽き、そして敗れ去った。戦時中の昭和19年(1944年)に53歳の若さで病死している。壮健を誇る人物であっただけに、燃え尽きたといっていいのかもしれない。

河合栄治郎は、人生のキャリアの最初の時期から、いま目の前にある社会問題の解決のために人生を賭した人だ。

農商務省(=現在の経産省)に入省したのは、『女工哀史』に描かれたような労働者の劣悪な状態に心を痛め、「労働問題」解決のために日本初となる「工業法」制定をみずからのミッションと定めていたからだ。「工業法」制定に向けて、獅子奮迅の力で奔走したが、「官僚国家主義」に敗れ去る。法案は骨抜きにされてしまったのだ。

志敗れて官僚退官後は、在野ジャーナリストを経て東京帝大教授になるが、そこでも信念をまげることなく知行合一を貫き通したことは、すでに述べたとおりだ。

「学問に国境なし、学者に祖国あり」が河合栄治郎のモットーであったという。フランスの細菌学者ルイ・パストゥールのことばだ。一般には、「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」として知られている。愛国者ではあるが、偏狭な精神の持ち主ではない

河合栄治郎は、著者の表現ではないが、「プリンシプルの人」であったというべきであろう。プリンシプルとは原理原則という意味。日本語でいえば、一本筋の通った背骨のある人といったらいいだろうか。

河合栄治郎は、親英米のアングロサクソン派であった。なによりも英国型の自由主義の信奉者であり、社会思想家のトマス・ヒル・グリーンの思想に限りなくシンパシーを感じていたという。『自由論』の思想家J.S.ミルの系譜を引く人だ。その文脈で「自由」ということばの意味を考えるべきだ。

官僚の世界でも軍人の世界でもドイツ派が幅をきかせていた時代背景を考えれば、「自由主義思想のよりどころがどこにあったかがよくわかる。

著者が、本書執筆の前に取り上げた、吉田茂の参謀であった辰巳栄一陸軍中将もまた親英派であった。おなじく吉田茂の右腕であった白洲次郎もまた親英派だ。「プリンシプルというのは、白洲次郎の口癖であった。

河合栄治郎は、実行家であるが、おなじく実行家であった上記の二人とは肌合いが異なる印象を受ける。軍人やビジネスマンとの違いといいっていいのだろうか。

同じ合理主義とはいっても、軍人的な合理主義と現実主義、ビジネスマン的な合理主義と現実主義とは違う何かをもっていたためであろう。理想主義者であり、また情の人であったのだろう。ミッションとパッションと言い換えてもいい。

東京の商家の生まれだが、反骨精神に充ち満ちた河合栄治郎から武士的な印象さえ受けるのは、明治の男であったからだけではないだろう。戦前の一高・帝大というエリートコースをたどった人に特有のノーブレス・オブリージュ感覚かもしれない。

なによりも惜しまれるのは、河合栄治郎が戦争が終結する前に斃れたことだ。もし戦後まで生きながらえることができたなら、どう時代に対峙していったのだろかと考えてみたくなる。

だが、死してなお、その精神は生き続けている、というべきであろう。






■戦後日本への河合栄治郎の「遺産」

なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?

この問いに答えてくれるのは、「終章 戦闘的自由主義者の水脈」と題された一章を読む必要がある。まずは、「目次」の小項目を列挙しておこう。河合栄治郎亡き後の出来事の数々であり、その系譜に連なる人たちが、どう時代に対峙してきたかの軌跡である。

自由の殉教者を惜しむ
「革新幻想」に挑む自由主義
米占領下に「新憲法」批判
進歩的文化人の批判勢力として
祖国愛を語った瞬間
「秩序よりも正義」というレトリック
「中立幻想」に踊っていた
"丸山教信者" のたそがれ
空想的平和論の破綻
英雄的な思想家の素顔
独立自尊の道義国家をめざす

この「目次」だけではピンとこないかもしれないので、出版社による書籍の内容紹介を一部抜粋しておこう。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

戦後の河合人脈は政財学界に根を張り、論壇を牛耳る進歩的文化人と対峙しました。
門下生の第一世代は、経済評論家の土屋清、社会思想家の関嘉彦、政治学者の猪木正道らで、 第二世代には、碧海純一(東京大学教授)、岡野加穂留(明治大学教授)、田久保忠衛(杏林大学名誉教授)、 伊原吉之助(帝塚山大学教授)ら、京都大学では高坂正堯、勝田吉太郎、木村汎ら各氏が、この人脈に連なります。
米国に守られながら反米を叫ぶという "進歩的大衆人" の精神の歪みは、日本を漂流させてしまう--。 日本の背骨を支える揺るぎない思想とは何なのか。歴史の転換点で、圧倒的な敵に挑んだ思想家、 河合栄治郎の闘いを通して、日本のありようを考える。
この思想家を知らずして、日本の将来を語るなかれ。 産経新聞長期連載「独立不羈 河合栄治郎とその後の時代」に加筆、再構成し単行本化。

さらに付け加えれば、著者あとがきにはこうある。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

同じ社思研(=社会思想研究会)の先輩である当時の産経新聞社長、住田良能氏から、「次は何をやるんだ」と問われた。密かに決めていたテーマを説明したところ、「それよりも」と提案を受けたのが、自由主義の思想家、河合栄治郎の生涯を描くことであった。 (・・中略・・) 故人になられた住田氏の幾枝夫人から、「本棚にこんなものがあって」と、彼が収集していた資料をいただいた。生前の住田氏がこれほどまでに河合に関心を持ち続け、資料を収集していたとは思わなかった。あらためて故人に感謝の気持ちを表すとともに、本書を住田氏墓前に捧げたい。

2013年に亡くなった産経新聞社の当時の社長は、河合栄治郎の系譜に連なる社会思想研究会の会員であったという事実。なぜ産経新聞で河合栄治郎なのか?に対する答えのひとつは、ここに見ることができるだろう。

また、産経新聞じたいの評価も変わってくるのではないだろうか。もともと「産経」(サンケイ)とは「産業経済」の略であり、財界の肝いりで産業経済てこ入れされた新聞社であることを確認する必要があろう。1958年に社長となった水野成夫氏は、共産党からの転向者である。



■戦後になってからも河合栄治郎の著作は文庫本でも入手可能だった

個人的な話をすれば、じつは、河合栄治郎の名前は高校時代から知っていた。当時購入した『マルキシズムとは何か』(現代教養文庫、1960)の著者として。


(いまはなき現代教養文庫 マイ・コレクションより)

高校時代は1970年代の最後で、1979年のアフガン侵攻前のソ連は、冷戦時代において盤石の存在だと思われていた。「反共」(=反共産主義)の家に育っていたこともあり、共産主義についてはつねに意識せざるを得なかったということもある。だからこそ、共産主義とはなにかについてきちんと理解したいと思っていたために、この本を購入したのだろう。定価160円と書いてあるから、当時の高校生のお小遣いでも十分に買えたというわけだ。

この本は全部読んだわけではないが、なぜ日本であれだけ共産主義が浸透したのか考えるために、じつに貴重な見解が述べられていることに感心した記憶がある。

河合栄治郎は、その理由を以下のように説明している。わたしなりに要約しておこう。

マルクス主義は経済だけでなく歴史哲学まで含めた首尾一貫した「体系」であり、このような壮大なスケールをもつ「体系」に匹敵できるものは、マルクス主義以前には日本にはなかった。だからこそ、日本の青年たちは、すっかり虜(とりこ)になってしまったのであろう、と。

この指摘はじつに鋭いと感じている。ほぼすべてが説明されていると感じたのであった。

なお、この本は、昭和6年(1931年)になされた講演の速記録をもとに編集されたと「解説」にある。まさに左右両翼の「全体主義」が激化するなか、全体主義との戦いのまっただ中でなされた講演なのであった。

残念ながら「現代教養文庫」はいまはもう存在しない。かつては文庫の棚をそれなりに占めていた存在で、数多くの良書を提供していたのだがまことにもって残念だ。出版元の「社会思想社」が2002年に倒産してしまったためだ。

その「社会思想社」とは、河合栄治郎ゆかりの人びとがつくった「社会思想研究会」の出版部門であったことを、「あとがき」ではじめて知った。なるほど、そういうことだったのか。だから、河合栄治郎の著作が現代教養文庫に多数収録されていたのか、と。

現在は、インタープレイブックスから、「現代教養文庫ライブラリ」という形で、電子書籍化されているタイトルもある。






■(付録) 「言論の自由」を守れ!-右であれ左であれ「全体主義」には反対だ

先日のことだが、6月に行われるわが母校の学園祭で、某ベストセラー作家の講演会が中止に追い込まれたというニュースがある。講演会開催に反対する署名運動が学内で行われ、その圧力で中止に追い込まれたのが真相らしい。

憲法で「言論の自由」が保障されているこの国で、発言の機会まで奪ってしまうという愚挙である。まさに目に見えない圧力という暴力の行使にほかならに。

「ヘイトスピーチ」だという一言で片付け、ラベリングして済ませている単細胞思考、思考停止状態。あるいは言い方を変えれば、過剰なまでの「言葉狩り」であり、歴史上の事象にあてはめれば魔女狩りや異端諮問に類似している。

その言論が間違っていると思うのなら、正々堂々と言論でもって反論すればよいではないか! 講演者の見解が間違っているのなら、その見解を正すような形、たとえば座談会やディベートなどで講演会を演出すればよいではないか! その上で、判断は聴衆自身にまかすべきである。

学園祭ではあるとはいえ、講演会を期待していたのは学生だけでなく、一般市民もそうであったはずだ。ベストセラー作家だけに、大学周辺の書店でも販売されており、読者も少なからずいるだろう。

講演会中止は、そういった人びとの期待ちを踏みにじった行為である。あまりにも学生や一般市民を馬鹿にしているとしかいいようがない。大学人が知的選良だという思い込みは無意識であるにせよ傲慢であるが、外部からみれば滑稽でしかない。

わたし自身は、そのベストセラー作家の作品は一冊も読んでいないので作品の良否についてはコメントのしようはない。ただ、そのネトウヨ的暴言にはウンザリしていることは否定しない。とはいえ、それとこれとは別の話だ。

このような「言論抑圧」がわが母校で行われたことは、卒業生としては、まことに残念としかいいようがない。「思考停止状態」に陥っている大学と、「劣化する大学人」の末期的症状をそこに見るのは、本書の読者であれば賛同いただけることだろう。

このようなことを書くのは理由がある。

一橋大学の前期課程の学生寮である一橋寮には「紫紺の闇」という「寮歌」が伝承されてきた。そしてその最後のフレーズには、「自由は死もて守るべし」とある。

一橋大学の前身は東京商科大学であるが、ファシズムによる弾圧のひどかった戦時中に、予科の学生によって作詞作曲された寮歌にこそ、「自由主義」の神髄があると、寮生であったわたしはつよく感じてきた。じっさい、一橋寮は自治の精神によって運営されており、自由と責任はクルマの両輪であることを、目に見える形で実践していた。

ビジネスに自由な活動とそれを支える自由な思考は不可欠である。商科大学ならではの自由主義がそこにある。この自由主義の立場に立つからこそ、最近の母校での「残念な出来事」には、まことにもって嘆かわしいと言わざるを得ないのだ。

東京商大(=商大)の前身は東京高等商業学校(=高商)は帝大経済学部に飲み込まれそうになった歴史がある。学生の徹底抗戦で回避できたが、自由と自治を守るという精神は、いまでも息づいているはずだと感じたいのだが・・・。

河合栄治郎のように雄々しく闘った人だけでなく、違う形で全体主義に抵抗した人たちもいたのだということは、ここに記しておきたい。





目 次

序章 進歩的大衆人が日本を漂流させる
第1章 理想主義と反骨精神
第2章 孤軍奮闘の農商務省時代
第3章 帝大経済学部の「白熱教室」
第4章 二年八カ月の欧州留学
第5章 「左の全体主義」との対決
第6章 ファシズムに命がけの応戦
第7章 正面から放った軍部批判の矢
第8章 名著『学生に与う』誕生
第9章 戦後を見通した「有罪願望」
終章 戦闘的自由主義者の水脈
あとがき
河合栄治郎略年譜
参考文献






<関連サイト>

KODAIRA祭 百田尚樹氏講演中止 (一橋新聞、2017年6月5日)

ルポ : 百田尚樹講演会中止騒動の真相 …「言論の自由」をめぐる論争から私たちは何を学ぶか
(清義明 · 2017年6月11日)
・・「一橋大学の学園祭「KODAIRA祭」で予定されていた百田尚樹氏の講演会が中止になった騒動が議論を呼んでいる。」

【百田尚樹氏講演会中止問題】  「講演会中止」の波紋広がる 反対の“圧力”で学生動揺も 門田隆将氏「言論の自由や大学の自治が失われた」(産経新聞、2017年6月5日)

作家・百田尚樹氏が会見(全文1)ヘイトスピーチや差別扇動、一度もしてない | THE PAGE(ザ・ページ)
・・作家の百田尚樹氏が7月4日東京の外国特派員協会で記者会見。「私は、これは非常に恐ろしい問題だと思います。つまり民間の団体が一般学生を監視し、そして彼らが定義するところの差別というふうに見なし、そしてそれを通報する。これはスターリン時代の秘密警察にも似ています。あるいは民間ということで言えば中国の紅衛兵にも似てるかもしれません。」(発言から)

【正論】百田尚樹さん講演を阻んだ大学人は何も考えていない 文系教授は「考えない足」(筑波大学大学院教授・古田博司、産経新聞、2017年7月26日)

一橋大学社会学部(絶望日本、2015年1月7日)
・・個人ブログの投稿記事。投稿者は1990年頃の卒業生のようだ。1985年卒業のわたしのときもひどかったが、そのときよりもさらに社会学部の「左傾化」がひどくなっている様子がうかがわれる。おそらくソ連崩壊前後だったから、よけいそうだったのかもしれないが・・・。バカを「再生産」する仕組みが構築されていたのか? こんな悪性腫瘍のような学部なら不要であると、卒業生として言わざるを得ない。「山岸(俊男・・社会心理学者)も学生時代に幾度となく嫌な思いをさせられたことを書いている。茨の道だ。」とブログ記事にはある。なるほど、そうなるべくして、「百田事件」は発生したというべきだろう。

一橋大学社会学部(2)(絶望日本、2015年1月19日)
・・「私が一橋大学社会学部に対して最も腹立たしく感じるのは、先に書いたような「左翼の巣窟」とでも呼びたくなるような実態が学外に知られないように極力隠蔽しているとしか思われない点だ。」 激しく同意! この場をつかって、この情報を拡散することにしたい。

一橋大大学院に進学 シールズ奥田愛基は「政治学を猛勉強中」 (週刊文春 2017年5月4・11日号)
・・こんなこと、きょうのきょうまで知らなかった(=2017年8月18日)。政治学といえば社会学部だろう。社会学部の大学院はゲタをはせて入学させたのではないか? 世も末だね。一橋大学社会学部創業であることが恥ずかしい。



米国を沸騰させる英国から来た右翼の新貴公子 ロリコン常習者擁護、同性愛、そしてトランプ信奉、イアノポウロスの言い分 (高濱 賛、JBPress、2017年8月2日)
・・米国のカリフォルニア大学バークレー校でも「百田事件」が起こっていた。バークレーが誇る「言論の自由」が泣くというもんだ

(2017年8月2日・19日・23日 情報追加)



◆なお、百田尚樹氏の著作については、小説好きではないわたしはまだ一冊も読んでいないのだが、その件について言及しているブログ記事が2本あるので紹介しておく。

ミツバチについて考えるのは面白い!-玉川大学農学部のミツバチ科学研究センターの取り組み
・・「『風のなかのマリア』というスズメバチを主人公にした作家の百田尚樹氏は、スズメバチの生態をくわしく知るために玉川大学の小野正人教授になんども取材したのだそうだ。その二人の対談記事が面白い。」

「人間尊重」という理念、そして「士魂商才」-"民族系" 石油会社・出光興産の創業者・出光佐三という日本人
・・「『海賊とよばれた男』を読むのもいいかもしれませんね。いままで出光佐三のことを知らなかった人には驚きのエピソードの連続でしょう。」



<ブログ内関連記事>

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯
・・著者の前著

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・白洲次郎は親英派だが親米派ではなかった。占領軍である米軍の高級将校に「あなたの英語は下手だ」と言ってのけた爽快なエピソードがある

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・「堀栄三氏が所属していた大本営第二部(情報)第6課米国班は、航空本部の調査班、陸軍中央特殊情報部(特情部)と緊密な連絡をとってサイパン方面の B-29 の情報把握につとめた」

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・河合栄治郎の系譜に連なる第二世代のひとり

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本はサラリーマンの世界ですら、「社会主義幻想」「革新幻想」が充満した時代であった。大学はなおさらのこと。それは、ソ連が崩壊するまで続いていた

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む(2010年12月26日)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・「わたしは、君の言うことに反対だが、君がそう主張する権利は死んでも守る」という、しびれるようなセリフを吐いたのがヴォルテールだ

映画 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(ドイツ、2015年)をみてきた(2015年10月28日)-失敗に終わったヒトラー暗殺を単独で計画し実行した実在のドイツ人青年を描いたヒューマンドラマ

(2017年7月30日・31日 情報追加)


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2017年7月26日水曜日

『遍歴放浪の世界』(紀野一義、NHKブックス、1967)はいつになっても全編読み通せない。その理由は・・・


今週のことだが熱帯夜のある日、朝3時頃に目が覚めてしまった。それから眠れなくなってしまったので、寝室にある書棚の本を整理しはじめたら、とある本が目に入ったので手にとって読み始めた。

『遍歴放浪の世界』(紀野一義、NHKブックス、1967)がその本だ。

いつになっても全部読み通したことがない本なのだが、その理由は内容が難しいからではない。 読み始めると、「人生」について切実にいろいろ考えてしまうことが多いからなのだ。だからその時点で本をいったん閉じてしまうと、その先を読めなくなってしまうのだ。立ち止まって考えてしまうのだ。

紀野一義氏は、宗派に関係ない立場で、広く大乗仏教の教えを説きつづけてきた人。本来は『般若心経』のサンスクリット原文からの原典訳などの実績のある仏教学者なのだが、平易な語り口で人生講話的な法話をつづけてきた人だ。この本も、素材は仏教に限らず文学全般に幅広く求めている。

じつはお目にかかったことも、肉声は一度も聞いたことがなく、しかも読んだ本はそのごく一部にしか過ぎないのだが、どの一節であれ読むたびに深く「人生」について考えてしまわざるをえない仏教は、生きるということは「苦」であると明言しているからであろうか。

スマホで検索してみたら、紀野一義さんは、すでに2013年にお亡くなりになっていた。そうだったのか。いや、そうだろうなあ。この本の奥付には、1922年生まれとあるから。戦中派で学徒動員の世代なのだ。しかも出征中に広島の家族は原爆で全員亡くなっているらしい。

自分がもっているのは、1993年の「新装版」なのだが、「新装版」のあとがきで、著者は44歳のときに書いた本で、自分はすでに70歳だと書いている。

そうか、50歳をまえに書かれた本だったのか・・・。迷い、惑い、不安に満ちた40歳代。この事実じたいが、なんだかまたいろいろ考えさせられてしまう。40歳代でこんな本を書ける人だったのか。

初版がでた1967年は、いまからちょうど50年前、新装版からもすでに24年。時がたつのは、じつに早い。この本を買ったとき、自分はまだ30歳を少し過ぎたぐらいだったのか、とあらためて知る。

もちろん、多くの日本人にとって「遍歴放浪」は憧れであっても、実行できる人は少ない。でも、それでいいのだろう。

そんな「遍歴放浪」に身を投じた、西行法師や一遍上人、芭蕉や山頭火など、過去の日本人の軌跡をたどることで、一般人もまた空想のなかであっても「放浪遍歴」に身をゆだねることができる。それでいいのだろう。

そんなことを思いつつ、二度寝することにした。







<ブログ内関連記事>

「シャーリプトラよ!」という呼びかけ-『般若心経』(Heart Sutra)は英語で読むと新鮮だ
・・中村元・紀野一義訳の岩波文庫版は繰り返し読んできた

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・人生の前半を「放浪生活」に送った哲学者

書評 『目覚める宗教-アメリカが出合った仏教 現代化する仏教の今』(ケネス・タナカ、サンガ新書、2012)-「個人のスピリチュアリティ志向」のなかで仏教が普及するアメリカに読みとるべきもの
・・個人単位の仏教実践がアメリカ流

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」




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2017年7月24日月曜日

たしかに「神の意志」は「忖度」(そんたく)しなけりゃわからない-『神の意志の忖度に発す-科学史講義』(村上陽一郎+豊田有恒、朝日出版社、1985)を読んでみた


「2017年度の流行語大賞」候補(だと、わたしが勝手に決めている)「忖度」(そんたく)ですが、タイトルに「忖度」が入った本はないかなと amazon で検索してみたところ、引っかかった数少ない本がこれ。

『神の意志の忖度に発す-科学史講義-(LECTURE BOOKS )』(村上陽一郎+豊田有恒、朝日出版社、1985)。 いまから32年前の1985年(昭和60年)に出版された本です。バブル前ということになります。

内容は科学史。日本を代表する科学史家の村上陽一郎教授と、SF作家の豊田有恒氏との対話。「アマゾン・マーケットプレイス」に1円の出品があったので、合計258円でゲット。さっそく読んでみました。

 「神の意志の忖度」とはなにかというと、西欧の「17世紀科学革命」はキリスト教の枠組みの中で生まれて発展したことをさしたもので、なんとか「神の意志」を知りたいという強い思いが自然研究者たちの研究を促し、科学(サイエンス)を発展させてきたという歴史的事実をさしたものです。

なるほど、「神の意志」は、たぶんそうだろうなと推測して「忖度」するしかありませんねえ。預言やお告げ(オラクル)という形で直接神の声を耳にするごく少数の人以外は。その「忖度」によってみずからが構築した「仮説」を、観察と実験で検証するのがサイエンスというものです。

なお、「神の意志の忖度」というフレーズを使用しているのは豊田氏で、本書のなかで3回使用しておりました。(*太字ゴチックは引用者=さとう による)

人間というものは、神の意志がどこにあるかと言うことを忖度しようと思ったことが科学の進歩のもとになったということなんですね。(P.104)

それは科学というものを築こうというものじゃなくて、単なる神の意志を忖度するということの働きから起こってきたんですね。(P.106)

それも、ヨーロッパ世界では、神の意志を忖度するようなものがあって、それと進歩史観が絡み合うから、一番簡単なものから進歩してきたというふうに考えたいという、潜在意識的な操作が働いているのでしょうね。(P.175)


村上陽一郎氏は、豊田有恒氏の問いかけに対して「はい」と答えてはいるものの、さすがに自身ではそのような不用意な表現はつかってません。たぶん編集者が「これだ!」と膝を打ってタイトルに入れたのでしょう。

サイエンスがキリスト教のなかから生まれたのに、なぜ中国やイスラーム圏では生まれなかったのか? この問いとそれに対する答えは、すでに日本の教育でも常識になっていると思いたいのですが、はたしてどうでしょうか。答えは、本書のタイトル通り、「(キリスト教の)神の意志の忖度」にあるわけですがね。

ひさびさに充実した内容の「科学史」の本を読んで、アタマが整理されたのはよかったのですが、残念ながら「忖度」そのものの理解は深まらなかったというのが今回のオチでしょうか。いや、それで済ませてしまうわけにはいきませんよね。つづけましょう。

現代の世俗的な日本社会では、神ならぬ権力者の「意志を忖度する」のであります。権力者は、明示的な形で命令も要請もしないので、証拠はいっさい残らない。文字として残らないだけでなく、ICレコーダーで秘密に録音されることもない。語らずして悟らせる、これですね!

「空気」を読むことに長け、「行間」を読む能力に長けた日本人には、「忖度」など得意中の得意技ではありましょう。「忖度」もまた、コミュニケーションの一種ではあります。「あうんの呼吸」。「忖度」できる部下は、上司から寵愛されるわけです。

とはいえ、西欧人にも「神の意志を忖度」してきた人たちもいるわけですから、「忖度」なる意識の働きは、けっして日本特有のものとはいえないと結論しても間違いではないでしょう。

まあ、それが結論というところでしょうか。






PS 「2017年度の流行語大賞」は「忖度」に決まり!

2017年度の「ユーキャン新語・流行語大賞」に、「インスタ映え」とともに「忖度」が選出された。古くて新しいコトバとして、今後もしばらくは使用されることだろう。 (2018年2月15日 記す)




<ブログ内関連記事>

■世間と空気

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?

映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」

ネット空間における世論形成と「世間」について少し考えてみた


■科学史

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」

書評 『失われた歴史-イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった-』(マイケル・ハミルトン・モーガン、北沢方邦訳、平凡社、2010)-「文明の衝突」論とは一線を画す一般読者向けの歴史物語

書評 『インドの科学者-頭脳大国への道-(岩波科学ライブラリー)』(三上喜貴、岩波書店、2009)-インド人科学者はなぜ優秀なのか?-歴史的経緯とその理由をさぐる

書評 『こころを学ぶ-ダライ・ラマ法王 仏教者と科学者の対話-』(ダライ・ラマ法王他、講談社、2013)-日本の科学者たちとの対話で学ぶ仏教と科学

書評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所-』(宮田親平、河出文庫、2014)-理研はかつて「科学者の楽園」と呼ばれていたのだが・・



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2017年7月18日火曜日

JBPress連載第4回目のタイトルは、 「トランプ陣営「2人の将軍」の知られざる共通点-マティス国防長官の座右の書は古代ローマの古典」(2017年7月18日)



本日’2017年7月18日)よりウェブメディアJBPressの連載コラム第4回の公開です。今回も前回に引き続き米国です。

 「トランプ陣営「2人の将軍」の知られざる共通点-マティス国防長官の座右の書は古代ローマの古典」  *クリック ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50528 

「二人の将軍」とは、海兵隊退役大将のマティス国防長官と現役の陸軍中将マクマスター大統領補佐官のこと。この二人の共通点は、軍人であることは言うまでもありませんが・・・

それは「歴史学」なのです。

詳細はぜひ本文を読んでいただきたく思います。

それにしても、博覧強記のマティス国防長官の「教養人」ぶりを知れば、「某国の幼稚でお粗末な防衛大臣」(・・誰のことを際しているか言わずもがな、ですね)とは何という違いであることかと慨嘆するのではないでしょうか。

軍人にとっての「戦史」は、ビジネスパーソンにとっっては「ケーススタディ」。マティス長官の座右の書は、哲人皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』なのです。

「現在」の本質を知るためには「逆回し」で歴史を遡ってみることが必要ですが、アメリカ合衆国の設計図ともいうべき「アメリカ合衆国憲法」についても新刊『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)の最終章で触れています。ぜひご一読ください。

JBpressの連載は隔週の予定です。次回もまた、乞うご期待!










<ブログ内関連記事>

本日よりネットメディアの「JBPress」で「連載」開始です(2017年6月6日)

ついに英国が国民投票で EU からの「離脱」を選択-歴史が大きく動いた(2016年6月24日)

JBPress連載第2回目のタイトルは、「怒れる若者たち」の反乱-選挙敗北でメイ首相が苦境に、目を離せない英国の動向」(2017年6月20日)


■アメリカ独立記念日(=インデペンデンス・デイ)

本日(2013年7月4日)はアメリカ独立=建国から237年。いや、たった237年しかたってない「実験国家」アメリカ

本日(2011年7月4日) は「アメリカ独立記念日」(Independence Day)-独立から 235年のアメリカは、もはや若くない!?

早いもので米国留学に出発してから20年!-それは、アメリカ独立記念日(7月4日)の少し前のことだった(2010年7月4日)

アメリカ独立記念日(7月4日)


■経営学者・野中郁次郎教授

書評 『経営管理』(野中郁次郎、日経文庫、1985)-日本の経営学を世界レベルにした経営学者・野中郁次郎の知られざるロングセラーの名著

(2017年7月25日 情報追加)




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2017年7月17日月曜日

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)ー 16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する


「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)。16世紀マニエリスムの時代を知的探検する美術展だ。国立西洋美術博物館らしい好企画である。

16世紀の美術史上の「マニエリスム」を代表する画家で万能人の鬼才ジュゼッペ・アルチンボルドの日本ではじめての本格的紹介である。

主催者の国立西洋美術館による紹介文を紹介しておこう。

本展は、世界各地の主要美術館が所蔵するアルチンボルドの油彩約10点のほか、素描などおよそ100点により、この画家のイメージ世界の生成の秘密に迫り、同時代の文脈の中に彼の芸術を位置づけ直す試みです。日本で初めて、アルチンボルドのユーモアある知略の芸術を本格的にご紹介するこの機会を、どうかご期待ください。

「マニエリスム」とは美術史の用語で、後期ルネサンスとバロックの移行期の時代のことをさしている。ルネサンス的要素を濃厚にもちながらも、一方では「近代的」でもある。いや、「超近代」というべきだろか。カトリック側の「近代」であるバロック時代の到来で、マニエリスムは2世紀近くも葬り去られていたからだ。

今回の美術展の最大の目玉は、なんといっても、世界各地の美術館にバラバラに所蔵されている連作の「春夏秋冬」4作品、「四大元素」4作品が一同に並べて展示されていること! これは快挙としかいいいようがない!










(上から「冬」「春」「夏」「秋」)


すこし距離をおいて見ると不思議な肖像画だが、近くによって見ると、じつに精密に野菜や植物、動物や魚介類が描き込まれている不思議さ、奇妙さ「だまし絵」というのは、じつに知的に構築された絵画なのだ。まさに「思考のラビリンス(迷宮)」。

いろんな楽しみ方があると思うが、大人びた正統派の美術鑑賞よりも、子どもっぽい「ワオ!」精神で楽しんだほうがいいのではという気もする。まさにワンダーランド。

アルチンボルドというと「だまし絵」として知られているが、じつはこの美術展の存在を知るまでは、わたし自身も、それほど深く知っていたわけではない。

今回はマグネット(税込み540円)も購入。「司書」と「夏」。いずれも有名な「だまし絵」である。とくに「司書」はむかしから大好きな作品だ。すべて本で構成されている図書館司書の面白さ。コレクションが増えたのはうれしい。


ミュージアムショップでは、画集も販売されているが、それよりも簡潔な説明の「コンセプトブック」(税込み800円)を購入するといいだろう。





■ミラノ出身のアルチンボルドとルドルフ2世の宮廷

アルチンボルドが活躍したのは16世紀のハプスブルク家が支配していた神聖ローマ帝国。現在のドイツと地理的に重なる地域である。

この時代は「大航海時代」であり、西欧人にとっては地理上の発見と認識の拡大が実現した時代である。世界各地から珍しい物資が収集され、王侯貴族は競って「驚異の部屋」(=ヴンダーカマー)をつくっていた時代だ。(*「参考」を参照)。博物学の時代の始まりといってもいいだろう。

アルチンボルドが仕えたのが二人の皇帝。ウィーンでマクシミリアン2世、プラハでルドルフ2世。とくに深い関わりがあったのは、プラハのルドルフ2世の宮廷だ。いわゆる「ルネサンス宮廷」の最後期の存在というべきものだ。

マクシミリアン2世は自然科学好き、ルドルフ2世は奇想好き。ミラノ出身のジュゼッペ・アルチンボルド(1527~1593、イタリア・ミラノ出身)は、ただ単にお抱え絵師であっただけでなく、式典の総合プロデューサーでもあり、じつに多彩な才能をもった万能人として寵愛さえていた。


(アルチンボルドの自画像 「紙」で構成されている面白さ!)

「ルドルフ2世の宮廷」に集められたお抱えの知識人の面々は、じつに多岐にわたっている。いずれもルネサンスに花開いた「新プラトン主義」の影響下にある人たちである。

膨大な観測結果を残したティコ・ブラーエ(1546~1601、デンマーク)や、その助手でティコのデータを使用して天動説を導き出したヨハンネス・ケプラー(1571~1630、ドイツ・シュヴァーベン地方)といった天文学者も。

錬金術師で占星学者のジョン・ディー(1527~1608、イングランド)。ケプラーも占星術師であった

ジョルダーノ・ブルーノ(1548~1600、イタリア・ナポリ出身)は、哲学者でドメニコ会修道士、地動説を擁護。宇宙の無限を主張し、のち異端として処刑された。思想の自由を守った闘士とみなされてきた。

ルドルフ2世は、ある意味では、後世のバイエルン王国の「狂王」ルートヴィヒ2世に比すべき奇人というべきかもしれない。皇帝でありながら生涯独身を通し、芸術を愛し、学術を愛していた。

実権を弟のマティアスに奪われ、その後、「プラハ城窓外事件」が「三十年戦争」勃発の引き金となる。ボヘミアの宗教戦争が発端となった。「三十年戦争」が終結した1648年以降、神聖ローマ帝国は衰亡の道を歩みつづけることになる。






■アルチンボルドの評価

「マニエリスム復権」をリードした『迷宮としての世界-マニエリスム芸術』(グスタフ・ルネ・ホッケ、種村季弘・矢川澄子訳、岩波文庫、2011)の下巻は、アルチンボルドによる「ルドルフ2世像が表紙カバーとして使用されている(下図)。

すべて野菜で構成されている「だまし絵」だ。こんな画像を製作させていたルドルフ2世という人物への興味を抱かざるを得ないではないか! じつに不思議である。


(アルチンボルドによるルドルフ2世像)


それだけではない。いきなり「19 ルドルフ2世時代のプラーハ」という章から始まり、「20 アルチンボルドとアルチンボルド派」、「21 擬人化された風景と二重の顔」と続く。マニエリスムにおいて、アルチンボルドの存在は、ある意味では別格なのだ。

グスタフ・ルネ・ホッケは、アルチンボルドについて以下のように表現している。簡潔で要を得た説明である。

アルチンボルドはまた、技師で、機械設計家で、仮面や衣装のデザイナーでもあった。ひとびとは彼の「幻想的な衣装のスケッチを、何枚も複写した。それはバロック演劇の舞台装置に影響を与えた。それほど多彩であったので多彩であったので、アルチンボルドは、同時代人の間では、「八宗兼学」(はっしゅうけんがく)の「鬼才」とされ、その点でレオナルドと比較された

「八宗兼学」(はっしゅうけんがく)は、イタリア語の「ウニヴェルサーレ・レットラ」(universale lettura)、「鬼才」は、「アクティシモ・インゲーニョ」(acutissimo ingegno)の訳語である。

「八宗兼学」(はっしゅうけんがく)とは、物事を多岐にわたって深く学んで理解しているという意味だが、もともとは日本仏教の8つの宗派の教義をすべて学ぶことを指したことばだ。いかにも奇想好きの種村季弘らしい訳語の選択である。

種村季弘が苦心してひねり出した豪華絢爛な訳語もまたマニエリスム的である、と文庫版の解説者で高山宏氏が書いている。ひいきの引き倒しの感もなくはないが、森鴎外以来のペダンティックな趣味嗜好の延長線上にあるものといえるかもしれない。







■美術史におけるマニエリスム

マニエリスムは、英語表記だと「マンネリズム」(mannnerism)になる。「様式」(manner)のイズム(ism)、すなわち「様式主義」である。「型にはまった」という否定的表現だ。日本語の「マンネリ」は「マンネリズム」の短縮形。つまり、マニエリスムにはあまりいい意味が付与されていなかったのだ。

後期ルネサンスと初期バロックへの「移行期」の時代である。ルネサンス的な公共精神が後退し、王侯貴族の趣味的世界のなかに生息しえたのがマニエリスムである。

英文学者の河村錠一郎氏による「美術史」を大学学部時代に受講していたので、ルネサンス後期のミケランジェロからバロックに至る前の「マニエリスム時代」については一通りの知識は得ていたが、アルチンボルドへの言及があったかどうかは記憶にない。もっぱらミケランジェロの彫刻作品について、新プラトン主義とマニエリスムの観点からスライドを使用しながらのレクチャーがなされたことは記憶にあるのだが・・・・

河村教授は、『ルネサンス様式の四段階-1400年~1700年における文学・美術の変貌-』(サイファー、河出書房新社、1976)の翻訳を出していることをあとから知った。サイファーによるこの本は、マニエリスム理解を大幅に前進させたとされている。

マニエリスムの時代は、旧秩序崩壊の時代であり、動揺と不安の時代でもあった。過渡期や移行期というものはそういうものだ。16世紀前半からはじまった「宗教改革」の時代は、気候学的にみても厳しい時代だっととされる。

マニエリスムがどういう時代であったのか、その特徴を捉えるために、美術史家の若桑みどり氏の名著 『マニエリスム芸術論』(若桑みどり、ちくま学芸文庫、1994 初版 1980)から、引用しておこう。とくにバロックとの対比で明らかになる。バロックとはカトリックによる「対抗宗教改革」時代の美術のことであり、それは図像を使用した上からの「民衆教化」の時代であった。エリート主義とは真逆の大衆化をもたらすものであった。(・・太字ゴチックは引用者=さとうによる)。

王のための芸術は、市民のための芸術とはまったくことなっている。また、少数の知的、文化的エリートにむけた宮廷芸術の制作にあたっては、大衆の一般的理解は不必要であり、かえって芸術家の創意工夫による独自性や変わった個性が珍重された。秘密なことばが喜ばれ、難解さが高級なものとされた。芸術家がこのときほど大衆から「自由」であったことはない。(P.47) 


バロックの本流は、これらの錯綜したアレゴリーを廃棄処分にすることからはじまった。(P.38)


1585年ごろに早くもおそってきたバロック芸術によって、このわずか半世紀ほどの特異な芸術の庭園は、いばらに囲まれるか、梯子をとられるかしてしまった。バロック芸術は、その起こりには、何にもまして大衆化運動をはじめたローマのカトリック教会の文化運動が働いていたので、芸術はたちまちにして大衆的なものとなり、当然、自然発生的でセンチメンタルな表現を占めていった。マニエリスムの生き残れる場所は宮廷にしかなかったが、それも大型化して絶対君主が一国の強権を握るようになるといっせいに大衆化していってしまった。そうして、ごく特殊な言葉で、低く語っていたこの芸術のことばを、読める人間が居なくなってしまったのである。(P.30)


 カトリック教会は信仰と布教における聖画像の有効性を肯定したが、プロテスタントによって批難された官能的、異教的要素を宗教画から排除し、民衆教化にふさわしい新たな宗教表現のプログラムを掲げ、異端審問をさかんにおこなって不適切な宗教表現を告発し、芸術の統制をおこなった。(P.48)


バロックがふたたび、社会と現実へと芸術を復帰させた。バロック芸術とは、反宗教改革と絶対主義王政の芸術である。マニエリスムも、その二つの因子をもっていなかったわけではない。だが、バロックは、マニエリスムに生き残っていた夢想的な新プラトン主義的人文主義を現実的政策によって打ち砕いた。すでに終わりかけていた人文主義とルネサンスの「夜」を、最終的に終わらせ、すべてにわたる現実主義的精神が、この新たな体制づくりに加担した。(P.51)


マニエリスムが、ルネサンスとバロックのはざまに生まれた「(あだ)花」(?)であり、カトリック教会と絶対王政という権力の裏付けをともなったバロックという一大潮流によって完全に否定され、2世紀以上にわたって歴史に埋もれてしまったのは、そのためなのだ。革命する側は、される側を徹底的に否定するものなのだ。

ルネサンス研究の深まりによって、後期ルネサンスの行き着いた先がマニエリスムであったこと、そしてその流れがバロックによって押し流されたことは、ただたんに美術史のみであなく、西欧近世を考えるうえで重要なことなのだ。

バロックのなかにもマニエリスム的要素があることは、エル・グレコの作品からうかがい知ることができる。





<参考>


このごった煮のわけのわからん空間は、一つの世界観、あるいは宇宙観といったものを表現した部屋であったのだ。ルネサンス的な万能主義。一切智。大航海時代以降のエキゾチズム礼賛。

それは、子どもが自分の世界を狭い空間のなかに表現するのと同じことだ。理路整然と整理された空間ではなく、すべてが未分離の、分節化されていない混沌としたカオス的空間。そしてそこからなにかが生まれてくるかもしれない予感。

ヴンダーカンマーがどんなものだったかについては、 Google で Wunderkammer とそのままドイツ語で画像検索してみてほしい。じつに多種多様な実例をみることができるはずだ。

ヴンダーカンマーに渦巻いているのは、子どものような「好奇心」とコレクションへの「情熱」である。自分にとって関心のあるものをとにかく集める。これは人間の本性に基づくものだ。わたしなら、雑学を「見える化」したものがヴンダーカマーだと表現したい。

わたしは小学生の頃から家でも学校でも、「机の上が整理されていないヤツはアタマが悪い!」といわれ続けてきたが、いまでも机上はぐちゃぐちゃだ。そんな人も少なくないと思うが、気にすることなかれ! 雑学人間にとって、ヴンダーカンマーはまさにヴンダバールな世界である。

日本にも、そんなヴンダーカンマーの最後のきらめきが痕跡として残されていることをご存じだろうか。東京丸の内の JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテクに足を伸ばしてみるといい。東京大学総合研究博物館の分館だ。



<関連サイト>

「アルチンボルド展」 公式サイト (国立西洋美術館)



<ブログ内関連記事>

書評 『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』(小宮正安、集英社新書ヴィジュアル版、2007)-16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで流行した元祖ミュージアム
・・まさにアルチンボルドとルドルフ2世の時代精神そのもの

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡 
・・この本もぜひ。おなじく17世紀から18世紀にかけてのフランスを中心に

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る
・・16世紀のルネサンスと大航海時代(=第一次グローバリゼーション時代)のいわゆる「ユマニスム」

「知の風神・学の雷神 脳にいい人文学」(高山宏 『新人文感覚』全2巻完結記念トークイベント)に参加してきた


■アルチンボルドの同時代人

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう ・・バロック絵画の代表作品を描いたエル・グレコ(1541~1614)が活躍したのは1600年前後、大航海時代である。マニエリストとして、アルチンボルドの同時代人である

『カラヴァッジョ展』(国立西洋美術館)の初日にいってきた(2016年3月1日)-「これぞバロック!」という傑作の数々が東京・上野に集結!
・・・・同時代人だがカラヴァッジョ(1571~1610)より30歳年上のエル・グレコ(1541~1614)

All the world's a stage(世界すべてが舞台)-シェイクスピア生誕450年!
・・シェイクスピア(1564~1616)もまた同時代人

(19世紀江戸時代幕末の浮世絵師・歌川国芳への影響関係は?)

■日本における奇想の系譜

「没後150年 歌川国芳展」(六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー)にいってきた-KUNIYOSHI はほんとうにスゴイ!

「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館) にいってきた(2017年5月18日)-なるほど、ここから「奇想」が始まったのか! 

「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」(千葉市美術館)にいってきた

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)-「出会い」の喜び、素晴らしさについての本

(2017年7月29日 情報追加)


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