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2017年5月21日日曜日

「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館) にいってきた(2017年5月18日)-なるほど、ここから「奇想」が始まったのか!


「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館) にいってきた(2017年5月18日)。なるほど、ここから「奇想」が始まったのかという納得の得られる企画展だ。

企画展のチラシには「ゆきむら」ではなく、「せっそん」です。というコピーがある。雪村(せっそん)といっても、たしかになじみはない。水墨画といえば、雪舟(せっしゅう)というのは日本美術史を知らなくても、日本史レベルの常識だが、雪舟が亡くなった頃に生まれたのが雪村だ。

雪村は、雪村周継ともいう。「コトバンク」記載の情報によれば、以下のようにある。

室町後期・安土桃山時代の画僧。常陸生。周継は諱、別号に如圭・鶴船老人等。田村平蔵と称する。佐竹氏の一族で武家を継がず禅僧となる。周文・雪舟の画風を慕い、のち独自の特色を発揮して一家を成す。最も山水に長じ、花鳥・人物も能くした。生歿年不詳。

生没年は、wikipedia情報によれば、永正元年(1504年)? 生まれで、天正17年(1589年)頃没、とある。雪舟が、応永27年(1420年)年生まれで、永正3年8月8日(諸説あり)(1506年)なので、この両者には直接の接触はない。関東で生涯を送った雪村に対し、雪舟は西日本で活躍していた。

「奇想」といえば、ここ数年で日本でも再評価の著しい曽我蕭白(そが・しょうはく)が想起されるが、雪村はその先駆者ともいうべき存在なのだ。

雪村の全盛期の作品をみれば、それはすぐにでも納得できることだ。

まずは、「呂洞賓図」。龍のアタマの上に立って上空を見上げる仙人の容貌が、マンガ的としかいいようがない。長いひげが風になびき、ぎょろ目で上を見上げている。説明書きを読むと、壺のなかからでてきた子どもの龍を、上空から親(?)の龍が見ているのだそうだ。

「呂洞賓図」(16世紀)

つぎに、「琴高仙人・群仙図」。水中から巨大な鯉とおぼしき大魚の背中に乗って浮上してきた仙人を、左右から複数の仙人たちが眺めている構図。

「琴高仙人・群仙図」(16世紀)

いずれの仙人の表情も面白いのだが、鯉の背中にに乗っている仙人が、なんだか暴れ馬か大型バイクを乗りこなしているかのような印象を受ける。常識的にありえない構図だが、なんだかリアルな感じもして、その落差が妙に面白い。鯉の背中に乗る仙人の顔がやけに真剣なのだ(笑) 

「琴高仙人・群仙図」の中心部の拡大

つぎに、「鍾馗図」。鍾馗(しょうき)じたいは、現代の日本でも比較的知られているだろうが、虎退治をしているのではなく、虎をあやしながら、右前方の敵をにらみつけている構図なのだそうだ。日本にはいない虎を描いた絵師は多いが、この虎もなんだか大きなネコのようであるのがおかしい。

「鍾馗図」(16世紀)

「特別展」のサイトには、以下のような全体説明がある。

戦国時代、東国で活躍した画僧、雪村周継せっそんしゅうけい。武将の子として生まれながら出家して画業に専心した雪村は、故郷の茨城や福島、神奈川など東国各地を遍歴しました。その生涯は未だ謎に包まれていますが、ひときわ革新的で、また人間味あふれる温かな水墨画を描き続けた、ということだけは確かです。この展覧会は、雪村の主要作品約100件と関連作品約30件で構成される最大規模の回顧展です。伊藤若冲、歌川国芳など「奇想」と呼ばれる絵師たちの「先駆け=元祖」とも位置づけられる、今まさに注目すべき画家、雪村。雪村の「奇想」はどのようにして生まれたのか、その全貌に迫ります。

先に、18世紀の江戸時代中期の曽我蕭白(そが・しょうはく)の名を引き合いに出したが、「奇想」の系譜からいえば、さらにおなじく18世紀の伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)や19世紀の江戸時代後期に生きた歌川国芳(うたがわ・くによし)も名をあげるべきなのだ。

さらには、意外なことだが、尾形光琳なども雪村を意識していたのだという。

琳派の代表絵師である尾形光琳は、雪村を思慕し、模写や雪村を意識した作品を数多く残しました。近世には狩野派、近代では狩野芳崖、橋本雅邦らが雪村を研究します。本展は、雪村に影響を受けた後世の絵師の作品の数々もご覧いただきます。

雪村の作品は、16世紀の画家のものとしては例外的に現存しているものが多いのだという。

また、「電力王」「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門(1875-1971)や「マネジメントの父」ピーター・F・ドラッカー(1909-2005)も雪村に魅せられ作品を所蔵するなど、現代に至るまで多くの知識人たちを魅了してやみません。

『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画- 「マネジメントの父」が愛した日本の美-』(千葉市美術館) のポスターには、「ドラッカー・コレクション」から雪村の 「月夜独釣図」が使用されている。

なるほど、見る人は見ていたのだな、と思わされるのだ。

東京での展示はもう終わってしまうが、巡回展として滋賀県の MIHO MUSEUM で公開される。今回の東京での展示も、いくかいかないか迷ったすえに結局いくことにしたのだが、それはまったくもって正解だった。

日本がほこるマンガやアニメの原点として、平安時代の鳥羽僧正の「鳥獣戯画」が語られることが多いが、室町時代に中国の水墨画や禅画が日本流にローカライズされて発生してきた「奇想」というテーマ。

「奇想」の系譜は、日本人ならかならずフォローしておきたいものであると思うし、まあそういうむずかしい話は別にして、こんな奇妙きてれつで面白おかしい作品を見ないのはもったいないと思うのである。








<関連サイト>
「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館)

【巡回予定】
会場: MIHO MUSEUM (滋賀県)
会期: 2017年8月1日(火)~9月3日(日)





<ブログ内関連記事>

■曽我蕭白

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた

「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」(千葉市美術館)にいってきた


■伊藤若冲

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)-「出会い」の喜び、素晴らしさについての本


■歌川国芳

「没後150年 歌川国芳展」(六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー)にいってきた-KUNIYOSHI はほんとうにスゴイ!


雪村もコレクションしていたドラッカー

『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画- 「マネジメントの父」が愛した日本の美-』(千葉市美術館)に行ってきた(2015年5月28日)-水墨画を中心としたコレクションにドラッカーの知的創造の源泉を読む
・・ポスターには、雪村周継 「月夜独釣図」





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2017年5月15日月曜日

2017年5月18日に5年ぶりに新著を出版します-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(佐藤けんいち、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

(著者の元に出版社から届いた見本)

2017年5月19日に5年ぶりに新著を出版します。『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017) です。

「ビジネスパーソンの、ビジネスパーソンによる、ビジネスパーソンのための歴史書」というのが本書のコンセプト。タイトルは、「ビジネスパーソンのための」という最後のポイントを強調したものとなっていますが、著者のわたくしは、歴史家でも、予備校教師でも、ジャーナリストでもない、という点を強調しておきたいと思います。あくまでも現役のビジネスパーソンです。

構成と執筆には、まる1年かかりましたが、構想8年。ある意味では、この本はわたしににとってはこの8年間の軌跡であり決算書でもあります。再編集して大幅 に書き直してありますが、2009年から書き始めたこのブログ 『「アタマの引き出し」は生きるチカラだ』 から多くの記事を材料として使用しています。

書き上げた原稿を担当編集者にしたあとの第一報は、「傑作です!」。そんな評価をいただきました。

校正刷りの原稿を受け取りに出版社を訪問した際には、「編集の都合上3回読み返したが、何度読んでもその都度面白い」、と。編集者もある意味では内輪ですから、その評価は多少は割り引いて聞く必要があろうかと思いますが、著者のわたしもまた「この本は面白い!」と思います。自分自身が書いたものでありながら、出版社から送られてきた「見本」をついつい読んでしまいます。

もちろん、判断は読者の皆様におまかせするしかありません。ぜひじっさいに手にとってみていただけますよう。


「目次」や「参考文献」いれたら、500ページ近くもある大著となってしましましたが、印刷された書籍を手にもつとズシリと重い。すごく分厚い本です。 この分厚さで、なんと定価1,836円(消費税含む)! まさにコンペティティブ・プライシングというべきでしょう。お買い得だと思いますよ。

書店店頭に並ぶのは、2017年5月19日の予定です。詳しい書籍内容は、amazon等のネット書籍のサイトなどご覧ください。

ぜひよろしくお願いします!





目 次

序章 なぜ「逆回し」で歴史を見るのか?
  
第1章 2016年の衝撃-ふたたび英米アングロサクソン主導の「大転換」が始動する
   
第2章 「現在」の先進国の都市型ライフスタイルは いつできあがったのか?
   
第3章 「第3次グローバリゼーション」時代とその帰結(21世紀)-冷戦終結後、秩序の解体と崩壊によって混迷が深まる
 1 「グローバリゼーション」と「ネーション・ステート」の関係
 2 「現在」を地政学の考えで空間的に把握する
 3 「時代区分」としての21世紀 冷戦終結後の四半世紀をひとまとめで考える
 4 オバマ大統領の8年間を振り返る 米国は「内向き志向」を強めた
 5 米国は本当に衰退しているのか?
 6 「冷戦構造」の崩壊(1991年)と「ポスト冷戦期」
 7 「人工国家・ソ連」の74年間の「実験」
 8 日本「高度成長期」の奇跡
 9 「1979年」の意味-「サッチャー革命」「イラン革命」「アフガン侵攻」の影響が現在まで続いている
  
第4章 「パックス・アメリカーナ」 20世紀は「植民地なき覇権」の米国が主導した
 1 米国の覇権体制と「パックス・アメリカーナ」
 2 「成長の限界」と「持続的成長」の出発点としての1970年代
 3 「米ソ冷戦構造」の時代と「アジア太平洋」の時代の始まり
 4 「第二次世界大戦」(1939~1945年) 覇権国は英国から米国へと移動した
 5 「大恐慌」(1929年)は米国から始まり欧州と日本に飛び火した
 6 「第一次世界大戦」(1914年~1919年)で激変した世界 ここから実質的に新しい時代が始まった
 7 「第一次世界大戦」……「西欧の没落」の始まりと米ソの台頭1 「ビジネス立国」米国は急成長した
 8 「第一次世界大戦」……「西欧の没落」の始まりと米ソの台頭2 ロシア革命でソ連が誕生する
 9 「第一次世界大戦」が引き起こした「帝国」の崩壊と「民族自決」
 10 「帝国の解体」とイスラエル誕生への道
  
第5章 「第2次グローバリゼーション」時代と 「パックス・ブリタニカ」 19世紀は「植民地帝国」イギリスが主導した
 1 大英帝国が世界を一体化した
 2 「交通革命」と「情報通信革命」で地球が劇的に縮小
 3 大英帝国内の大規模な人口移動
 4 帝国主義国による「中国分割」と「アフリカ分割」
 5 英米アングロサクソンの枠組みでつくられた「近代日本」
 6 「西欧近代」に「同化」したユダヤ人とロスチャイルド家
 7 「産業革命」は人類史における「第二の波」
 8 「ナポレオン戦争」が「近代化」を促進した
 9 「フランス革命」で「ネーション・ステート」(=民族国家・国民国家)と「ナショナリズム」は「モデル化」された
 10 「アメリカ独立」は、なぜ「革命」なのか?
  
終章 「自分史」を「世界史」に接続する




著者プロフィール

佐藤けんいち(さとう・けんいち)
ケン・マネジメント代表。1962年、京都府に生まれる。一橋大学社会学部・社会理論課程で「歴史学」を専攻、「社会史」研究のパイオニア阿部謹也教授のゼミナールで3年間まなぶ。1985年に、『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』を提出して卒業。大学卒業後は一貫して民間企業に身を置いてきた。銀行系と広告代理店系のコンサルティングファーム勤務を経て、成長する中小企業では取締役経営企画室長として社長業以外のすべての機能を「ナンバー2」の実務担当者としてカバーした。その間、タイ王国では現地法人を立ち上げて代表をつとめた。2009年に独立して現在にいたる。1992年には米国最古の工科大学であるレンセラー・ポリテクニーク・インスティチュート(RPI)で経営学修士号(MBA)を取得、専攻はマネジメント・オブ・テクノロジー(MOT)。
著書には、『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012)、同書の中文繁体字版 『一個人的策展年代:串聯社群、你需要雜學資料庫』(世茂出版社、2013)がある。





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2017年5月14日日曜日

「資本主義」の機能不全と「資本主義後」の時代への芽生え-『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』、『物欲なき世界』、『資本主義の「終わりの始まり」』の三冊をつづけて読む-資本主義のオルタナティブ(4)


2008年の「リーマンショック」以後、「資本主義」が機能不全状態にあることは疑いの余地はないが、はたして「資本主義」が終わるのかどうか、判断を下すのは時期尚早ではないかと思う。

「資本主義」が終わろうが終わるまいが、「人類」が滅亡しないで生きている限り、「経済」が消えてなくなってしまうことはない。これは確実にいえることだ。なぜなら、「近代資本主義」の歴史はたかだか500年程度しかないのであって、人類史全体を視野に入れれば、「近代資本主義」発生以前の歴史のほうがはるかに長いから。

とはいうものの、「資本主義」後がどうなっていくのかについては考えておいて損はないと思うし、考えておくべきだと思う。

というわけで、買ったまま「積ん読」になっていた本を、ちょっと前の話になるが、5月の連休中に読んでみた。その際に書いたFBの投稿を編集しなおして、このブログでもあらためて取り上げることにしたい。


まず読んだのは、『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」-タルマーリー発、新しい働き方と暮らし-』(渡邉格、講談社+α文庫、2017)。単行本は2015年の出版。 たった2年で文庫化された。

著者が偶然のキッカケから読んだ『資本論』から得た教訓は、マルクスのいうように、「生産手段」をもたないから労働者は搾取されるのであって、「生産手段」をもてば主体的に生きることができるということ。まさに発想の転換だ。

そこで著者が選んだのがパン屋だが、そうはいっても並大抵のパン屋とはちがう。本当のほんまもんの「天然酵母」でパンをつくるという試みだ。地域に根ざして「地産地消」で(・・酵母菌もまたその土地のもの!)、「循環経済」を実践するチャレンジの日々である。作家ミヒャエル・エンデの思想も著者を後押ししている。

著者は、資本主義そのものを否定するわけではなく、資本主義のカラクリを知ることによって、搾取されない生き方を模索している実践者なのである。この生き方は、けっしてあたらしいものではないが、「ブラック労働」が社会問題化している現在、あらたな脚光を浴びるものとなっているのも当然だ。



次に読んだのが、『物欲なき世界』(菅村雅信、平凡社、2015)。出版当時、話題になっていた本だが、どうやら2015年に、この手の本の出版ブームが始まっているのかもしれない。

「ライフスタイル」という時代のトレンドに敏感な雑誌編集者が、疑問を解決するために人に会い、本を読み、現場に足を運び、一冊にまとめたカタログのような本。「日常生活」をよりよいものにしていきたいという「ライフスタイル」重視の姿勢。これは、成熟経済の日本では、すでに当たり前のものととなって久しい。北欧のライフスタイルの影響も大きいだろう。

書かれている内容には、とくに違和感はない。まったくもって、そのとおりだと思う。これは日本だけでなく、米国の西海岸のポートランドでも、中国の上海のような消費都市でも、同じような傾向があるようだ。

「欲望」が満たされてしまった状態では、「物欲なき世界」になるのは当然だ。モノよりももっと価値がある したがって、「欲望」を原動力とする「資本主義」が減速していくのも当然と言えば当然だろう。

だが、著者も最後に書いているように、そうすんなりと「資本主義」の終わりがソフトランディングになるかどうかは現時点では不明だ。あくまでも強欲な資本主義を追求する資本主義者が消滅したわけではないし、せめぎ合いのまっただなかにあるのが、現在という時代なのであろう。



最後にあげるのは、『資本主義の「終わりの始まり」-ギリシャ、イタリアで起きていること-』(藤原章生、新潮選書、2012)。「欧州金融危機」で疲弊してしまったギリシアとイタリアという南欧からのレポートだ。

著者は執筆当時、イタリアの首都ローマで特派員として勤務していた新聞記者。 『ギリシャ危機の真実-ルポ「破綻」国家を行く-』(藤原章生、毎日新聞社、2010)については、このブログでも取り上げている。

最初に取り上げた二冊で紹介されている日本の事例も米国の事例も、いずれも「先進国」のものだが、最後のこの本で取り上げられている事例のギリシアもイタリアも、経済という点からみたら「先進国」とは言い難い混迷状態にある。

南欧世界で、いまなにが起こりつつあるのか、映画監督や思想家などの知識人、政治家にインタビューして思索した内容が記されている。「五つ星運動」の主導者である政治風刺コメディアン、ペッペ・グリッロの早い段階におけるインタビューは意味あるものだろう。

ギリシアもイタリアも、ともに「前近代性」を濃厚に残している地中海世界である。こんな状況でも人間がたくましく生きているのは、オモテの経済には出てこないアングラ経済が存在するからだ。プレモダン(=前近代)が後近代(=ポストモダン)に直結している南欧世界。

そう考えると、資本主義後の世界というよりも、「近代化」に成功しなかった圧倒的大多数の世界にとっては、意味ある現象と言えるかもしれない。米国や日本と同一視することは難しいのではないか。



以上、三冊を読んできて実感するのは、行き着くところまで行ってしまった「勝ち組」(?)の国々と、挫折して「負け組」(?)になってしまった国々と、いずれにおいても「資本主義」のもたらす歪みと機能不全状態があらわになってきている。

カネがあってもモノを買わない社会、カネがないからモノを買わない社会。カネのあるなしの違いはあるが、モノを買わない状況にかんしては共通している。大量生産時代だが、大量消費時代ではなくなった現在、需要が供給より下回っている状態では「モノ余り」の状況に変わりはない。

今後の世界がどうなっていくか、ビジネスパーソンでなくても気になる事態が定着しつつある状況だ。答えがすぐに出る問題だとは思えないが、手探りで進むしかないのだろう。




<書籍関連情報>


●『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」-タルマーリー発、新しい働き方と暮らし-』(渡邉格、講談社+α文庫、2017)

目 次

はじめに
第1部 腐らない経済
 第1章 何かがおかしい(サラリーマン時代の話・祖父から受け継いだもの)
 第2章 マルクスとの出会い(父から受け継いだもの)
 第3章 マルクスと労働力の話(修業時代の話1)
 第4章 菌と技術革新の話(修業時代の話2)
 第5章 腐らないパンと腐らないおカネ(修業時代の話3)
第2部 腐る経済
 第1章 ようこそ、「田舎のパン屋」へ
 第2章 菌の声を聴け(発酵)
 第3章 「田舎」への道のり(循環)
 第4章 搾取なき経営のかたち(「利潤」を生まない)
 第5章 次なる挑戦(パンと人を育てる)
エピローグ
文庫版あとがき


著者プロフィール  

渡邉格(わたなべ・いたる)
1971年東京都生まれ。フリーターだった23歳のときに学者の父とハンガリーに滞在。食と農に興味を持ち、25歳で千葉大学園芸学部入学。卒業後就職した農産物卸販売会社で妻・麻里子と出会う。31歳でパン職人になる決意をし修業を開始。2008年に独立し千葉県で「パン屋タルマーリー」を開業。2011年東日本大震災を機に岡山県真庭市勝山に移転。2015年、パン製造に加え、地ビール事業に取り組むべく、鳥取県八頭郡智頭町に移転した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






●『物欲なき世界』(菅村雅信、平凡社、2015)

目次

まえがき-ほしいものがない世界の時代精神を探して
1. 「生き方」が最後の商品となった
2. ふたつの超大国の物欲の行方
3. モノとの新しい関係
4. 共有を前提とした社会の到来
5. 幸福はお金で買えるか?
6. 資本主義の先にある幸福へ
あとがき-経済の問題が終わった後に

著者プロフィール

菅付雅信(すがつけ・まさのぶ)
編集者、グーテンベルクオーケストラ代表取締役。1964年宮崎県宮崎市生まれ。法政大学経済学部中退。『月刊カドカワ』『カット』『エスクァイア日本版』編集部を経て独立。雑誌「コンポジット」「インビテーション」「エココロ」の編集長を務め、出版からウェブ、広告、 展覧会までを編集する。書籍では、朝日出版社「アイデアインク」シリーズ、電通の「電通デザイントーク」シリーズ、 平凡社のアートブック「ヴァガボンズ・スタンダート」シリーズを編集。著書に『はじめての編集』『中身化する社会』など。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)






●『資本主義の「終わりの始まり」-ギリシャ、イタリアで起きていること-』(藤原章生、新潮選書、2012)

目 次  

第1章 アンゲロプロスが遺した言葉
第2章 危機の中の緩く、もの悲しいギリシャ
第3章 捨てられた首相
第4章 福島の影響
第5章 「扉」の手前で何かが動き出した
第6章 「扉」の向こう側
第7章 家族、コミュニティーの復活
第8章 資本主義の危機
第9章 イタリア、ギリシャとつながる福島
あとがき


著者プロフィール  
藤原章生(ふじわら・あきお)
1961年生まれ。北海道大学工学部卒業後、住友金属鉱山の技師を経て毎日新聞記者。アフリカ特派員、メキシコ市支局長の後、2008~12年、ローマ支局長。『絵はがきにされた少年』(集英社)で第3回開高健ノンフィクション賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





<ブログ内関連記事>

■「近代資本主義の500年」

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?

書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない


■資本主義のオルタナティブ

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)
・・エンデその人よりも、ドイツ人実業家で経済思想家のゲゼルの「老化するおカネ」の理論が重要

『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと-時間・お金・ファンタジー-』(池内 紀・子安美知子・小林エリカほか、新潮社、2013)は、いったん手に取るとついつい読みふけってしまうエンデ入門

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』

マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について

書評 『フリー-無料>からお金を生み出す新戦略-』(クリス・アンダーソン、小林弘人=監修・解説、高橋則明訳、日本放送出版協会、2009)-社会現象としての FREE の背景まで理解できる必読書





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書評 『服従』(ミシェル・ウエルベック、河出文庫、2017 単行本初版 2015)-「自発的隷従」をテーマにしたこの近未来小説は面白すぎる!


5年ぶりに出版される新著の執筆生活から「解放」されたので、今年の五月の連休には、仕事に関係のない本を片っ端から読んだ。そのなかでも、『服従』(ミシェル・ウェルベック、河出文庫、2017)が、あまりにも面白いので「一気読み」してしまった。

2015年パリの「シャルリ・エブド事件」の際に、ほぼ同時期に出版されて大きな話題になったフランスの小説だが、つい最近になって文庫化された。2017年5月のフランス大統領選をビジネスチャンスと捉えたからだろう。だが、この小説のテーマはテロ事件ではない。「西欧社会のイスラーム化」がテーマである。

この小説は、2022年のフランス大統領選を舞台にした「近未来小説」フランスにイスラーム政党代表の大統領が連立によって誕生するという設定だが、細部にわたってじつによく構築された構成であり、しかもディテールまで、あまりにもリアルに描かれているので、話の展開にまったく無理がない

(『服従』(Soumission)のフランス語パーパーバック版カバー)

主人公はパリ在住の大学教授で、フランス文学の研究者。専門は、19世紀フランスの自然主義作家 J.K.ユイスマンス。この設定がまた、この小説の醍醐味でもある。

澁澤龍彦訳の『さかしま』をはじめ、そのほか『彼方』『出発』といった作品がユイスマンスの代表作だ。ユイスマンス作品の多くは日本語に翻訳されており、じつはわたしも大好きでむかしよく読んだ作家なのだが、日本での知名度としてはあまり高くないかもしれない。澁澤龍彦のファンなら当然しっているだろう。耽美派の描く世界に限りなく近いのだが、耽美派ではない。エミール・ゾラとおなじく自然主義の作風である。

オカルティズムや神秘世界を自然主義の手法で描いた作品は、独特の世界を構築している。トラピスト修道会での「リトリート」(=瞑想目的の短期間の滞在)体験を描いた『出発』は、大著であるがすばらしい作品だ。映画化できないものかと、映画監督でもないのに、かつて夢想していたこともある。


フランスでは、「フランス革命」において「反カトリック」を極限まで進めたこともあり、フランス革命後にはカトリック教会の衰退が始まっているが、それでも精神的な飢餓感を感じる人には、19世紀でも修道院での瞑想体験の扉は開かれていた。ユイスマンスもそのひとりであった。もちろん、現在でも修道院での瞑想のためのリトリートは可能だ。

ユイスマンスの作品世界を知っていたら、この小説はより深く楽しむことができる。19世紀のフランスと、21世紀のフランスの違いを否が応でも知ることになるからだ。現在では、ユイスマンスが滞在した修道院の近くにはフランス国鉄が誇る高速鉄道TGVが走り、修道院から静寂さは失われている。ユイスマンスの描いた世界は、すでに過去のものとなっている。そんな現代の風景が、残酷なまでに描き出されている。主人公もまた、そんな状況に失望を覚えることになる。

ユイスマンス当時のフランスとは異なり、21世紀現在のフランスは、すでにカトリックはほぼ衰退し、歴史人類学者のエマニュエル・トッドが『シャルリとは誰か?-人種差別と没落する西欧-』(エマニュエル・トッド、堀茂樹訳、文春新書、2016)で指摘しているように、「ゾンビ・カトリシズム」(!)の世界なのである。宗教的に比較的熱心なのは、旧植民地からの移民がその大半を占めるイスラーム教徒や、ユダヤ系フランス人くらいなものなのだ。ちなみに、主人公の恋人はユダヤ系フランス人に設定されているが、この設定もなかなか意味のあるものだ。


イスラームとユダヤ教という、この二つの宗教がそれぞれ結びつけている人間関係が、この小説を読んでいるとひじょうに健全で、健康的にさえ見えてくる。「家族」という価値観が21世紀の現在でも強固に生きているからだ。それは、フランスの行き過ぎた「個人主義」とは対極にある価値観である。フランス的個人主義においては、たとえ家族といえども成人後は「個人」意外の何者でもない。「個」は「孤」そのものですらある。

主人公は完全に脱宗教化され、世俗化されたフランス人であり、その意味ではカトリックに対しても、イスラームに対しても、宗教的な関心が深いわけではない。そんな主人公がイスラーム化された近未来のフランスで、イスラームの世界に限りなく接近し、取り込まれてゆくのは、もっぱら大学の教授職をめぐる世俗的な利害関係に過ぎないのだが、それだけではないのかもしれない。
   
(映画『O嬢の物語』のDVD版)

男性読者であるわたしは、主人公とおなじ立場にあったなら、間違いなくおなじ行動をとるだろうと思う。小説のなかでは、映画化もされているポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』(澁澤龍彦訳、河出文庫、1992)を引用する形で、「服従」(・・本書のタイトルでもある)のメカニズムについて説明されている。

「人間は習慣の奴隷」というフレーズもあるように、当初は違和感を感じる環境であっても、慣れてくるに従って人間は無意識の習慣として繰り返していき、疑問を感じなくなっていくのである。主人公は、けっして強制されてイスラームに接近していくのではない。「他律的」とはいえ、なかば「自発的」に受容していくのである。

これは、「自発的隷従」と言い換えてもいいだろう。17世紀フランス思想家ド・ラ・ポエシによる『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫、2013)は、日本でも数年前にはじめて翻訳がでた著作だが、この小説のテーマである「服従」は、まさに「自発的隷従」とよぶのがふさわしい。


正直いって、この小説は評価は大きく分かれるだろう。イスラームの描き方についても、資産のあるオトコにとって有利なメリットばかりが強調されるからだ(・・あえてここには書かないが、何を意味しているかは想像していただくしかない)。

フランスやヨーロッパに関心があるならもちろん、そうでなくても読む価値ある本だ。「イスラーム政権誕生」のシミュレーションとして、アタマの体操になるはずだ。

知的エンターテインメント小説として、ぜひ読むことを薦めたい。





著者プロフィール

ミシェル・ウエルベック(Michelle Houellebecq)
1958年フランス生まれ。1998年長篇『素粒子』がベストセラーとなり、世界各国で翻訳、映画化される。現代社会における自由の幻想への痛烈な批判と、欲望と現実の間で引き裂かれる人間の矛盾を真正面から描きつづける現代ヨーロッパを代表する作家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

翻訳者プロフィール
大塚桃(おおつか・もも)
現代フランス文学の翻訳家。訳書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)









PS この投稿で累計1,800本目の投稿となる(2017年5月20日 記す)


<関連サイト>

マクロン新大統領の茨の道-ルペン落選は欧州ポピュリズムの「終わりの始まり」か?(Newsweek日本版、2017年5月08日)

フランス大統領選挙-ルペンとマクロンの対決の構図を読み解く(Newsweek日本版、2017年4月29日)


Histoire d'O • trailer (by eic)
・・フランス映画『O嬢の物語』(1975年)トレーラー)







<ブログ内関連記事>

「13日の金曜日」にパリで発生した大虐殺(2015年11月13日)-「テロとの戦い」に重点を置いたフランス共和国の基本を知る
・・「シャルリ・エブド事件」のあとフランスでは無差別テロ事件が発生

「習慣の奴隷」(きょうのコトバ)-たとえ「よい習慣」であっても「目的」の再確認を!

書評 『アラブ革命はなぜ起きたか-デモグラフィーとデモクラシー-』(エマニュエル・トッド、石崎晴己訳、藤原書店、2011)-宗教でも文化でもなく「デモグラフィー(人口動態)で考えよ!

書評 『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる-日本人への警告-』(エマニュエル・トッド、堀茂樹訳、文春新書、2015)-歴史人口学者が大胆な表現と切り口で欧州情勢を斬る

『パリのモスク-ユダヤ人を助けたイスラム教徒-』(文と絵=ルエル+デセイ、池田真理訳、彩流社、2010)で、「ひとりの人間のいのちを救うならば、それは全人類を救ったのと同じ」という教えをかみしめよう

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版、2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する


フランスの女優イサベル・アジャーニが歌う「ボウイのように美しい」(Beau oui comme Bowie)-追悼デビッド・ボウイ(1947~2016)

「幻想耽美-現在進行形のジャパニーズエロチシズム-」(Bunkamura ギャラリー)に行ってきた(2015年6月18日)-現代日本の耽美派アーティストたちの作品を楽しむ

(2017年5月19日 情報追加)




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2017年5月13日土曜日

書評  『キャスターという仕事』(国谷裕子、岩波新書、2017)-「日本語の文脈のなかで日本語で伝えることの難しさ」を意識しつづけた23年の軌跡


 『キャスターという仕事』(国谷裕子、岩波新書、2017)を読んだ。「NHKクローズアップ現代」の23年間をキャスターをつとめた国谷さん自身による振り返り。

いろんな読み方が可能だと思うが、番組そのものの誕生の経緯から2016年の最終回までの23年間は、日本社会の転換期であったこと、日本語よりも英語のほうが得意な「帰国子女」にとっての日本でのキャリア形成の物語、映像重視のテレビ番組でのコミュニケーションの意味、日本語の文脈のなかで日本語で伝えることの難しさ、などが印象に残る。

「NHKクローズアップ現代」という番組は、国谷裕子さんという一本筋の通った個性的な「キャスター」(・・これは和製英語。英語ではアンカー)あってこその番組であったが、チームによる番組製作の舞台裏を知ることができたのはおおきな収穫だった。組織に属さないフリーの立場からみた組織の問題など微妙な問題もきちんと取り上げている。

岩波新書らしく硬派な内容で、読み応えのある本だった。それにしても、「NHKクローズアップ現代」が終わってしまったのは、かえずがえずも残念だ。

アメリカに住んでいたときからNHKの国際放送で英語のニュースを読む国谷裕子さんのことは知っていた。「NHKクローズアップ現代」がはじまる前のことだった。そのときからのファンだったので、「NHKクローズアップ現代」から降板になったのは残念で仕方がないのだ。

だが、いまこうして、23年間の軌跡を振り返った本書としてまとめられたことは、降板になったからこそ実現したともいえなくはない。「禍を転じて福となす」。その意味では、大いに意義あることだというべきだろう。国谷さん、執筆いただいて、ありがとうございました。






読者のみなさんへ 国谷裕子 (岩波書店の書籍案内サイトより)

番組を離れて10か月が経ち,〈クローズアップ現代〉に自分なりの区切りをつけたいと思いました.私には,次に向かって進むために,番組とともに過ごしてきた時間を整理することが必要だったのです.番組との出会いと別れ.キャスターの仕事とは何かと悩んだ日々.記憶に残るインタビューの数々.そしてテレビの報道番組が抱える難しさと危うさ.偶然のようにしてキャスターになり,大きな挫折も経験し,そのことへのリベンジとしてキャスターをやめられなくなった私.番組を制作する人々の熱い思いに突き動かされながら,様々な問いを出し続けてきました.この本は,言葉の力を信じて,キャスターという仕事とは何かを模索してきた旅の記録です.



目 次    

第1章 ハルバースタムの警告
第2章 自分へのリベンジ
第3章 クローズアップ現代
第4章 キャスターの役割
第5章 試写という戦場
第6章 前説とゲストトーク
第7章 インタビューの仕事
第8章 問い続けること
第9章 失った信頼
第10章 変わりゆく時代のなかで
終章 クローズアップ現代の23年を終えて
あとがき

著者プロフィール

国谷裕子(くにや・ひろこ)
大阪府生まれ。1979年、米国ブラウン大学卒業。1981年、NHK総合“7時のニュース”英語放送の翻訳・アナウンスを担当。1987年からキャスターとしてNHK・BS“ワールドニュース”、“世界を読む”などの番組を担当。1993年から2016年までNHK総合“クローズアップ現代”のキャスターを務める。1998年放送ウーマン賞’97、2002年菊池寛賞(国谷裕子と「クローズアップ現代」制作スタッフ)、2011年日本記者クラブ賞、2016年ギャラクシー賞特別賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>

さらば「NHKクローズアップ現代」-23年間の幕を閉じ、良き番組がまたひとつ消えた・・(2016年3月17日)

書評 『言葉でたたかう技術-日本的美質と雄弁力-』(加藤恭子、文藝春秋社、2010)-自らの豊富な滞米体験をもとに説くアリストテレス流「雄弁術」のすすめ

「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」 (片岡義男)

書評 『小泉進次郎の話す力』(佐藤綾子、幻冬舎、2010)

書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)

書評 『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003)

書評 『言葉にして伝える技術-ソムリエの表現力-』(田崎真也、祥伝社新書、2010)

1980年代に出版された、日本女性の手になる二冊の「スイス本」・・・犬養道子の『私のスイス』 と 八木あき子の 『二十世紀の迷信 理想国家スイス』・・・を振り返っておこう
・・海外経験の長い、とくに欧米経験の長い女性たちの意見に耳を傾ける





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書評 『骸骨考-イタリア・ポルトガル・フランスを歩く-』(養老孟司、新潮社、2016)-欧州ラテン系諸国の「骸骨寺」めぐり


前著の『身体巡礼』の続編に当たる本書は、おなじく欧州大陸の「カトリック圏」だが、ラテン系諸国をめぐったものだ。イタリア、ポルトガル、フランス(パリのみ)が取り上げられている。いわゆる「骸骨寺」めぐりである。

なぜこのなかに、スペインが出てこないないのか、著者はなにも説明していない。いまこれを書いているわたしも、理由はよくわからない。「聖遺物」ということであれば、カトリック国のスペインもまた本場であるのだが(・・わたしは、アビラで聖テレジアの右手(?)を見たことがある)。

この本の楽しみは二つある。まずは表題にある「骸骨」というテーマそのもの。その点にかんしては、72ページもあるカラー写真だけ眺めるのもよい。写真集として楽しむ。本文はその説明と訪問記である。

もうひとつは「養老節」。いつもの「養老節」であるが、もはや「名人芸」の領域に近い。しゃべりことばを活字化したもののようだが、「ですます調」をつかわないからこそよいのだろう。
  
鎌倉出身の著者の口調は、「ぶっきらぼう」な語り口なのだが、内容にはフィットしている。なぜなら、教科書を説明するのではなく、骸骨と納骨堂を目の前にして考えたことを、限りなく「仮説」に近い形で語っているからだ。すでにできあがった知識ではなく、生成途上の思考を言語化したものに「ですます調は」はふさわしくない。「ですます調」はいっけん丁寧な物言いに聞こえるが、じっさいは「上から目線」を糊塗するための方便でしかないケースが多い

テーマそのものだが、同じカトリック圏とはいっても、『骸骨考』のラテン世界のイタリア・ポルトガル・フランスと、『身体巡礼』で取り上げられたゲルマン世界のドイツ、オーストリア、チェコとは異なるものがあることがわかる。そもそもカトリックはラテン語の世界で、地中海世界のものだから、ラテン世界のほうが本来的なあり方に近いのではないかと思う。遅れてキリスト教化されたゲルマン世界は、ゲルマン本来の個性を反映しているためか、やや重い。

わた自身についていえば、「骸骨寺」の存在をはじめて知ったのはアンデルセンの『即興詩人』であった。森鴎外訳の文語体のものではなく、中学生の時に読んだ口語体の新訳であったが、奇妙な印象がつよく記憶に刻まれたのであった。その記憶があったので、1990年代のはじめに、はじめてイタリアにいったときには訪問して見学している。

本書ではじめてしったのだが、イタリアには第一次世界大戦の死者を悼むために、戦死者の骸骨で内装を飾った礼拝堂があるのだそうだ。サン・マルティーノ納骨堂である。ソルフェリーノという小さな町にあるという。フィレンツェの北、ミラノの東だそうだ。

本書は、常識的にいえば西欧中世史のテーマもあり、西欧近世史のテーマでもあるが、解剖の専門家から見た訪問記はまた違った解釈が示されるのが面白い。具体的なモノ(・・この場合は骸骨)をつうじて、とくに転換期の「死生観」が「見える化」されているカトリック教会の寺院。
  
本書では、養老氏は、イエズス会経営の栄光学院出身であることを本書でカミングアウト(?)しているが、その意味でも本書のようなテーマについて語るにはふさわしいのかもしれない。





目 次

第1章 死者は時間を超越する
第2章 イタリア式納骨堂
第3章 ウソ学入門
第4章 フィレンツェと人体標本
第5章 ポルトガルの納骨堂
第6章 王の最後の姿 崩れゆく肉体を
第7章 墓とはなにか 「使った地図が古かった」
第8章  感覚の優位
写真の場所について
あとがき






<ブログ内関連記事>

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-西欧人の無意識が反映した「文化」をさぐる解剖学者の知的な旅の記録

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る

「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?

書評 『唯脳論』(養老孟司、青土社、1989)-「構造」と「機能」という対比関係にある二つの側面から脳と人間について考える「心身一元論」

『形を読む-生物の形態をめぐって-』(養老孟司、培風館、1986)は、「見える形」から「見えないもの」をあぶり出す解剖学者・養老孟司の思想の原点

書評 『見える日本 見えない日本-養老孟司対談集-』(養老孟司、清流出版、2003)- 「世間」 という日本人を縛っている人間関係もまた「見えない日本」の一つである




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2017年5月12日金曜日

書評 『ゲゲゲのゲーテ-水木しげるが選んだ93の「賢者の言葉」-』(水木しげる+水木プロダクション、双葉新書、2015)-これぞホンモノの生きた「教養」だ!



『ゲゲゲのゲーテ』とは、もちろん出版社がつけたタイトルだが、『ゲゲゲの鬼太郎』の「ゲゲゲ」と、かの世界的大文豪の「ゲーテ」がなぜ、そしてどう結びつくのか、ピンとこない人が多いかもしれない。たんなる語呂合わせにしては、あまりにもかけ離れた存在ではないか、と。

だが、漫画家の水木しげる先生は、ゲーテによって「自己形成」した人なのである。つまり、ゲーテを徹底的に読み込んだ人なのである。帯には、「水木さんの人生は80%がゲーテです」とあるように、それは水木しげるにとっての「自己認識」であるのだ。

妖怪ものだけでなく、戦記ものでも多くの名作を残している水木しげるだが、戦記ものは徴兵されて兵士としてラバウル島での実体験がベースになっているものが多い。

水木しげる自身は、旧制高校から大学に進学して学徒動員されたわけではないが、当時の知識青年と同様に、生きるとは何か、死ぬとはどういうことかに煩悶し、自分なりの答えを得たいともがき苦しんでいた。大東亜戦争に突入していた日本は、「徴兵イコール戦死」が、規定コースとみなされていた状況であったのだ。

片っ端から哲学書を読みまくったという。当時は「教養主義」の時代であった。そんなかで出会い、自分にもっともあっていると感じたのがゲーテであり、とくにゲーテの言行録であるエッカーマンの『ゲーテとの対話』(岩波文庫)であったのだという。ほとんど暗記するまで読み込んだということだ。

岩波文庫の三冊本は、出征の際も背嚢(はいのう)に入れてもっていったという。戦地で読むことはなかったので、ある意味、お守りとしての意味があったようだ。戦争から復員してからも、30歳代までゲーテは何度も読み返していたそうだ。

水木しげるにとって、まさにゲーテが血肉と化したのである。これぞホンモノの「教養」というべきだろう。「教養主義」的な「教養」でもなく、飾り物でもなく、たんなる知識でもない。カルチャーとしての教養ではない、ホンモノの「教養」がそこにある。

「ゲーテはひとまわり人間が大きいから、読むと自分も大きくなった気がするんです」(水木しげる)。本書のためにおこなわれたインタビューで出てきた発言である。ゲーテと比べると、ニーチェやションペンハウアーは小さく見えるという発言には説得力がある。ゲーテは82歳まで生き抜いた人。水木しげるは、93歳まで生き抜いた。

本書に選択されているゲーテの名言で、わたしが気に入ったものをさらに精選してしておこう。なお、出典は水木しげるが読み込んだ岩波文庫の旧版ではなく、山下肇訳の岩波文庫の新版から。

「精神の意志の力で成功しないような場合には、好機の到来を待つほかない」

「大事なことは、すぐれた意志をもっているかどうか、そしてそれを成就するだけの技能と忍耐をもっているかどうかだよ」

「探求と過ちは結構なことだ。探求と過ちを通して人は学ぶのだからね」

「われわれはただ(・・中略・・)黙々と正しい道を歩みつづけ、他人は他人で勝手に歩かせておこう。それが一番いいことさ」

ゲーテというと「世界の大文豪」として、読まれないまま図書館の配置される存在になってしまいがちだが、それではもったいない。水木しげるのゲーテには違和感も感じる人がいるかもしれないが、それもまたもったいない。

『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』といった作品もさることながら、「ゲーテの言葉」に親しむための入門として格好の存在ではないだろうか。水木しげるファンであれば、なおさらうれしい「遺著」である。




目 次     

水木しげるインタビュー
第1章 ものを創り出すこと
第2章 働くこと・学ぶこと
第3章 生きることはたいへんです
第4章 死の先にあるもの
水木しげる×武良布枝インタビュー






PS 本書が出版されたとき、すでに水木しげる先生は亡くなっていた?

水木しげる先生が亡くなったのは、2015年11月30日。この本が出版されたのは、奥付によれば2015年12月20日。初版の年月日は、だいたい実際の年月日よりも先になっているので、この本が出版された時点では、まだご存命だったのかどうかわからないが、手元にある第2刷(2016年1月8日)時点では、プロフィールに加筆されていない。まあ、妖怪もの作家の水木さんのことだから、「こちら側」だろうが「あちら側」だろうが、あまり違いはないのかもしれないが・・・・



<ブログ内関連記事>

■水木しげる関連

水木しげる先生がついに「あちら側」の世界へ行ってしまった(2015年11月30日)

水木しげるの「戦記物マンガ」を読む(2010年8月15日)

マンガ 『ビビビの貧乏時代-いつもお腹をすかせてた!』(水木しげる、ホーム社漫画文庫、2010)-働けど働けど・・・

『水木しげるの古代出雲(怪BOOKS)』(水木しげる、角川書店、2012)は、待ちに待っていたマンガだ!


■ゲーテ関連

ルカ・パチョーリ、ゲーテ、与謝野鉄幹に共通するものとは?-共通するコンセプトを「見えざるつながり」として抽出する

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩
・・ゲーテの『西東詩集』より。イチョウの記事では意図したわけではないが、奇しくも与謝野鉄幹の配偶者であた与謝野晶子とゲーテを一緒に扱うことになった。

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」
・・ゲーテの圧倒的な影響を受け血肉化していたのは、ドイツ語圏の思想家ルドルフ・シュタイナー。「精神世界」の探求者であるシュタイナーは、水木しげるに似ている側面がある。水木しげるが『神秘家列伝』でゲーテその人を取り上げていないのは、あまりにも血肉化しているために、対象として設定することができなかったためかもしれない




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マンガ 『きのう何食べた?⑫』(講談社、2016)-まだまだ続くよこのマンガ


『きのう何食べた?』の最新刊は第12巻。すでに昨年(2016年)の10月に出版されているのだが、多忙のため、半年間も読まないままになっていた。

マンガだから、すぐにでも読もうと思えば読めなくはないのだが、なんとなく時間の余裕のあるときに読みたいという気持ちがある。それができるのは単行本であり、電子版であろう。連載中のマンガとはちがう楽しみ方を堪能したいのである。

さて、もうすでに12巻目である。料理と飲食というテーマは、人類に普遍的なものであって、その意味ではネタは尽きることはない。

人間は生まれたその瞬間から(・・いや、受胎したその瞬間からというべきか)、死ぬ直前まで生きるためにものを食べて飲む。料理をつくるのが誰であれ、一緒に食べる人がいようがいまいが、人は食べて飲む。TVのグルメ番組が定番ものであるのはそのためだ。マンガも同様である。

料理ものや飲食ものは、テーマじたいは普遍的であるとはいえ、キャラクターの設定と舞台設定がものをいう。その意味では、『きのう何食べた?』はじつに絶妙な設定である。作者本人もこれだけ長くつづくとは想定していなかったのではないかな。

このマンガが面白いのは、料理もさることながら、時間の推移をきちんと反映させている点。そもそも料理も飲食もプロセスであり時間を含むものだが、登場人物たちが永遠に年を取らない設定ではなく、主人公二人の男性の加齢と同時に、その人間関係も微妙に変化していく点にある。

第12巻では、美容師のケンジがあらたに始めた「出張カット」の話が登場する。自分を指名してくれるお得意さんもまた、年を取っていくのである。美容院まで行くのがおっくうになってきたお得意さんのカットのために自宅まで出向くサービス。時代の先端をいくサービスがナチュラルな形で開始されるのである。こういった時代の動きをさらっと取り入れたディテールが、このマンガの魅力の一つでもある。料理マンガであり、仕事マンガでもあるわけだ。

もちろん、料理とそのレシピも情報価値は高い。「スキヤキ」における牛肉としらたきの関係、「いかなっとうのアボガド丼」、「トマたま炒め」、「さつまいもご飯」など、食べてみたい、作ってみたいレシピが満載。

まだまだ連載はつづきます。






<関連サイト>

きのう何食べた?"なにたべ"公式ブログ

きのう何食べた? / よしながふみ - モーニング公式サイト

祝!画業20周年記念サイト よしながふみの漫画世界 (白泉社)
・・立ち読みできます!


<ブログ内関連記事>

2015年の年末に「異種ジャンル」のマンガをまとめ読み

マンガ 『きのう何食べた ⑩』(よしながふみ、講談社、2015)-50歳台になっても自分で料理してスタイルを維持しつづける主人公

マンガ 『きのう何食べた? ⑨』(よしなが ふみ、講談社、2014)-平凡な(?)人生にも小さなトラブルはつきもの

マンガ 『きのう何食べた?⑧』(よしなが ふみ、講談社、2013)-一年に一回の楽しみはまだまだ続く!?

『きのう何食べた?⑦』(よしなが ふみ、講談社、2012)-主人公以外がつくる料理が増えてきてちょっと違った展開になってきた

『きのう何食べた?⑥』(よしなが ふみ、講談社、2012)-レシピは読んだあとに利用できます

『きのう何食べた? ⑤ 』(よしなが ふみ、講談社、2010)

『きのう何食べた? ④ 』(よしなが ふみ、講談社、2010)

『きのう何食べた?』(よしなが ふみ、講談社、2007~)


『檀流クッキング』(檀一雄、中公文庫、1975 単行本初版 1970 現在は文庫が改版で 2002) もまた明確な思想のある料理本だ

『こんな料理で男はまいる。』(大竹 まこと、角川書店、2001)は、「聡明な男は料理がうまい」の典型だ





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