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2017年6月20日火曜日

JBPress連載第2回目のタイトルは、「怒れる若者たち」の反乱選挙敗北でメイ首相が苦境に、目を離せない英国の動向」(2017年6月20日)


2017年6月6日より始まったネットメディア JBPress での連載ですが、連載2回目のタイトルは、「ついに英国から始まった「怒れる若者たち」の反乱選挙敗北でメイ首相が苦境に、目を離せない英国の動向」 です。さる6月8日に前倒しで実施された英国の「総選挙」の結果を踏まえた記事です。

前回の連載初回では、「英国のEU離脱の衝撃は何百年と語り継がれるだろう「逆回し」で歴史をさかのぼると見えてくること」 でしたが、英国ネタが2回連続で続いたのは、それだけ注目に値する事象だと考えているからです。

2016年6月の「ブレクジット」で示された「民意」、そしてことし2017年の6月8日に前倒しされた「総選挙」で示された「民意」について、その違いについて、中長期的な歴史的観点から考察しています。

出来事の根底にあるものはなにか、その本質を知るためには「逆回し」で歴史を遡ってみることが必要ですね。一連の歴史的流れについては、新刊『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)をぜひご一読ください。

JBpressの連載は隔週の予定です。次回もまた、乞うご期待!



<ブログ内関連記事>

本日よりネットメディアの「JBPress」で「連載」開始です(2017年6月6日)

ついに英国が国民投票で EU からの「離脱」を選択-歴史が大きく動いた(2016年6月24日)





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2017年6月11日日曜日

映画  『ローマ法王になる日まで』(イタリア、2015)を見てきた(2017年6月5日)-これぞサーバントリーダーの鑑(かがみ)だ!


映画 『ローマ法王になる日まで』(イタリア、2015)を見てきた(2017年6月5日)。アルゼンチン出身で、しかもイエズス会出身ではじめてローマ法皇(・・ただしくは教皇。以下、教皇と記述する)に選出されたフランシスコ1世の半生を描いた伝記映画だ。

オリジナルのタイトルは、イタリア語で ''CHIAMATEMI FRANCESCO - IL PAPA DELLA GENTE''(=『フランチェスコと呼んで-人びとのパパ』)。映画のスクリーンには、Call Me, Francis とあった。セリフの大半はスペイン語である。ちなみにフランシスコ教皇は、イタリア移民の出身である。

「人びと(=ピープル)のパパ(=教皇)。ヨーロッパ以外から初めてというだけでない。こんな素晴らしい人物がローマ教皇に選出されたのはじつに画期的なことなのであることが、この映画をみてよくわかった。

113分のこの映画を見て思うのは、フランシスコ1世こそ、「サーバント・リーダーの鑑(かがみ)というべき人だ(!)ということだ。「ロックスター・ポープ(=教皇)」という異名をもち圧倒的な人気をもつこの人は、真に民衆の側に立つ人である。

(日本の上映館で配布されていた冊子)

「サーバント・リーダー」とは、人びとに「奉仕」する「サーバント」(=召使い)として、人びとの先頭に立つというリーダーのことである。先頭に立ってリードするという点は通常リーダーとおなじなのだが、目線と立ち位置のあり方が根本的に異なるのが「サーバントリーダー」だ。

「サーバントリーダー」は、つねに末端で苦労する声なき人びとの視点を共有しようと努力するリーダーだ。ピラミッドの頂点に立っているが、つねに視線はピラミッドの末端にある。

もともと「サーバントリーダー」という概念は、米国の実業家の実践から生まれてきた概念だ。もちろんその根底にはキリスト教がある。イエス・キリストその人が思考の原点にある。

フランシスコ1世の場合も、当然のことながらおなじである。新約聖書の「福音書」の精神に忠実に行きると、そういう道を歩むことになる。

冷戦構造時代、中南米やフィリピンなどのカトリック圏では、独裁政権のもとで苦難にあえいでいた民衆によりそう「解放の神学」に身を投じる修道士ったいが多数いた。アルゼンチンでも軍事独裁政権のもと、多くの司祭や修道士が拷問され殺害されている。

(オリジナルのイタリア版のポスター)

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの大学で化学を専攻するホルヘ・ラファエル・ビデラが、修道士として神に仕える道を決めたのは20歳のとき。イエズス会に入会したのは、なんと日本(=ハポン)で宣教したからだった。日本人としては、見ていてつよい印象を受けるシーンだ。

日本は、イエズス会にとっては最大の成功事例であり、しかも悲劇的な結末に終わったことは日本史の常識といっていいだろう。16世紀半ば、戦国時代末期の日本にイエズス会の創設者のひとりであるフランシスコ・ザビエルが来日してから爆発的に拡がったキリシタン信仰だが、17世紀前半の「島原の乱」によって、ほぼ壊滅する。

そんなストーリーを、いつどこで知ったのか映画のなかでは語られていないのが残念だが、イエズス会士となって日本に派遣されることをつよく望んでいたのだという「原点」は、彼の人生の根底にありつづけたのであろう。

日本での「キリシタン迫害」の歴史と、アルゼンチン独裁政権での苦難の道が重なり合うようようだ。その後の人生を暗示しているかのようだ。

(右は「結び目を解くマリア」・・この意味は映画のなかで語られる)

若い頃に家族との会話で、Per aspera ad astra とラテン語の格言を引用して語っているシーンがある。「苦難をつうじて星まで」という意味だが、それが並大抵の「苦難」ではなかったことは、本人も知るよしはなかった。

軍事独裁政権のもと、つねに迫られた究極の選択にどう立ち向かい、切り抜けてきたか。組織のなかで責任をもつ立場ともなれば、現実世界においてはそれなりに妥協も迫られる。

組織を維持しなくてはならないが、しかしながら、あるべき正しい道を追求すべきであること。この映画は、そんな状況のなかで、いかに最善の解決をもとめて苦闘したかの記録でもある。

(ご自身が「目覚めよ!」と呼びかけるロックのアルバム)

もっぱら外面的な側面を中心に描いており、霊的な側面についての描写は最小限に抑えられているので、非キリスト教徒であっても違和感を抱くことなく見ることのできる映画である。

このような人が同時代人として、この地球上に存在しているのだと知るとき、まだまだ世界も捨てたもんじゃないという、つよい想いを抱くのである。






■日本(ハポン)への熱い想い

映画の最後に、「(教皇となったフランシスコ一世が)日本へいく日は近い」というメッセージがテロップと音声で流れる。

イエズス会士になって日本に派遣されることを夢みていた青年時代の夢が、人生の終わりに近くなって実現しようとしているのである。

いまだ来日は実現していないが、カトリック人口の規模からいえば、アジアでは優先順位の高いフィリピンと韓国が先行したのは当然だろう。

いま現在でも来日の日程が発表されていないが、逆にいえば、それだけ教皇フランシスコにとって日本(ハポン)の意味合いが特別に大きいためかもしれない。日本人としては、なんだか不思議な感じがするのだが、キリスト教徒でもカトリックでもないわたしも、その日をおおいに待ち望んでいる。

すでに80歳近い教皇にとって、人生の最後に近くなってようやく実現する想い。これは、本人以外には想像もできないものなのであろう。

教皇になるにあたって「フランシスコ」を選んだのは、アッシジの聖フランチェスコ(・・スペイン語ではフランシスコ)が念頭にあったのだとわたしは思い込んでいたが、もしかすると聖フランシスコ・ザビエルもまた念頭になったのかもしれない。

間違いなく、日本でも熱狂的な歓迎を受けることになろう。









<関連サイト>

映画 『ローマ法王になる日まで』(日本版 公式サイト)

ロックスター法王と呼ばれ、人々を熱狂させるローマ法王の半生を描く『ローマ法王になる日まで』予告編(YouTube)

Chiamatemi Francesco Trailer Italiano (2015) HD - YouTube (イタリア版トレーラー)

現教皇の苦悩描く映画、公開へ (カトリック新聞、May 25, 2017)


アルゼンチンで繰り返される新自由主義とポピュリズム(WEDGE、2017年6月9日)
・・「この国は新自由主義と労働者向けポピュリズムを交互に繰り返し、国力を劣化させてきた。大まかな歴史概略は次のようになる。 最初の軍事独裁新自由主義政権は、対外債務、失業、格差、インフレの4悪をばら撒き、イギリスとのマルビーナス戦争(フォークランド戦争)という大博打を打ち、敗北の後に崩壊(1983年)。その後急進党のラウル・アルフォンシンの民主政治に戻り、一時小康を得たが、ポピュリズム的傾向から財政赤字増加、5000%のハイパーインフレ、対外債務デフォルト、崩壊。再びのペロ二ズム政権(1989~99)。(・・中略・・) この国は70年前から国民は分断されており、悪循環から逃れたことは一度たりともない。なぜだろうか?(・・中略・・)この国には、他のメスティーソの南米が持つ国民の統合などはない。国民ではなく単に個人がいるだけである。」






<ブログ内関連記事>

■バチカンとローマ教皇

600年ぶりのローマ法王と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)

書評 『韓国とキリスト教-いかにして "国家的宗教" になりえたか-』(浅見雅一・安廷苑、中公新書、2012)- なぜ韓国はキリスト教国となったのか? なぜいま韓国でカトリックが増加中なのか?
・・ローマ教皇フランシスコ一世が、初のアジア訪問先として選んだのは韓国


■イエズス会

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

スコセッシ監督が28年間をかけて完成した映画 『沈黙-サイレンス-』(2016年、米国)を見てきた(2016年1月25日)-拷問による「精神的苦痛」に屈し「棄教者」となった宣教師たちの運命

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る


■アルゼンチン

書評 『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)-南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」である
・・アルゼンチン、とくにブエノスアイレスの精神風土についての洞察が深い。それは、その他の中南米諸国とは異なるものがある。そんなブエノスアイレスに生きるユダヤ系市民にとっての精神分析の意味

書評 『アルゼンチンのユダヤ人-食から見た暮らしと文化-(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻⑨)』(宇田川彩、風響社、2015)-食文化の人類学という視点からユダヤ人について考える

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた
・・フォークランド紛争で英国に敗れ去ったアルゼンチン。現地ではマルビナス諸島というが、もともとアルゼンチンは英国文化の影響圏である。アルゼンチンが英国に敗北したことで、軍事政権は崩壊する。いわば意図せざる結果がもたらされたといえようか


■聖母マリア

書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)-宗教人類学の立場からキリスト教が抱える大きな謎の一つに迫る


■アッシジのフランチェスコ

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!

アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド


■尊敬に値する人物

映画 『ダライ・ラマ14世』(日本、2014)を見てきた(2015年6月18日)-日本人が製作したドキュメンタリー映画でダライラマの素顔を知る

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜)にいってきた ・・「ダライラマ・スーパーLIVE横浜」(2010年6月26日)とでもいうべき一期一会

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)




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2017年6月10日土曜日

「逆回し」とは?--『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』は常識とは「真逆」の方法で製作された歴史書であり、ビジネス書である


つい先日の5月18日のことだが、『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン社、2017)というタイトルの本を出版した。2017年の現時点から、240年前の1776年までさかのぼった、ビジネス書のフォーマットで製作された歴史書だ。

内容は文字通り、「ビジネスパーソンのための近現代史」なのだが、コンセプト自体はもう少し長い。「ビジネスパーソンの、ビジネスパーソンによる、ビジネスパーソンのための」近現代史である。いうまでもなく、「人民の・・・」で始まる、リンカーン大統領の「ゲティスバーグ演説」の一節をもじったものだ。

なぜこのようなことを書くかというと、この3条件を備えたビジネスパーソン向けの歴史書がきわめて少ないからだ。

いわゆる「ビジネスパーソン向け」と銘打ってある本は、さまざまな分野で大量に出版されていくことだろう。だが、リアルなビジネス体験をもたない著者が書いた本は、現役のビジネスパーソンの立場から言わせてもらえば、いまひとつリアリティを欠いているといわざるをえない。

だが、それだけなら、それほどたいした特徴だとはいえないかもしれない。本書の最大の特徴は、「逆回し」という表現で「歴史を過去にさかのぼる」という手法を導入したことにあると考えている。経済学者のシュンペーター流にいえば、「新機軸」と言っていいかもそれない。


(カバーの袖に記載された本文からの引用)

 「逆回し」というのは、もちろん比喩的な表現だ。録画したビデオを「逆回し」すると、人間の動作がなんだかぎこちなく再生されてしまい、思わず笑ってしまうことがある。だが、そういう意味でつかったわけではない。ある意味では、「リバース・エンジニ アリング」の実践と考えていただいたほうがいいかもしれない。

いま目の前にある製品をバラバラに分解することで、その構造と機構、構成部品の詳細を知り、「見えない設計図」を再現する行為をさして「リバース・エンジニアリング」という。

「リバース・エンジニアリング」は、通常のものづくりの真逆の方向で行われる。最終製品をバラしてモジュールにし、モジュールを分解してユニットに、ユニットを分解して個々のパーツを取り出す。このプロセスで分解することで、逆に設計図が見えてくる。「リバース・エンジニアリング」の発想は、ものづくりのプロセスを「逆回し」にするものだ。

とはいえ、最終製品をバラバラにして取り出してきたパーツは、あくまでも断片であるに過ぎない。ユニットや、モジュールの単位まで再構成しなくては、設計図(=ストーリー)が見えてこない。ストーリーが明確でないと、アタマのなかで明確なイメージを構築できない恐れがある。執筆にあたって最大の難関はそこにあった。

「逆回し」で「さかのぼる」方法論によって制作された作品はないだろうか? なにかヒントになるものがないかと探した結果、NHKで『さかのぼり日本史』という番組が放送されていたことを知った。

2011年に放送されたこの番組は、ある特定のテーマを設定して日本史を「さかのぼる」という形式の歴史ものだ。放送後にはテーマごとに単行本化もされている。


■ヒントにしたのは「逆回し」で製作された映像作品

ほかに参考になるものがないかと探索している際に思い出したのが、韓国映画の『ペパーミント・キャンディー』(イ・チャンドン監督、1999年制作)という作品だ。

 (DVDのメインメニューより チャプター1~4)

この作品は、「20年間の韓国現代史を背景に、ひとりの男が絶望の淵から人生の最も美しい時期までをさかのぼっていくという手法」だと、DVDの解説文にある。

独立したが事業に失敗、悲劇的な最期をとげることになる主人公が、時間を「巻き戻し」て過去にさかのぼっていき、最後は人生でもっとも美しかった瞬間で終わるというストーリー展開だ。全体で7つの「チャプター」で構成されている。

一般的な映画とは真逆の発想だが、ハッピーエンドで終わる映画であることには変わりはない。見終わったあと、じつに不思議な印象が残る映画だ。

 (DVDのメインメニューより チャプター5~7)

似たような作品には、フランス映画の『ふたりの5つの分かれ路』(フランソワ・オゾン監督、2004年制作)がある。離婚した夫婦が、離婚からさかのぼって出会いまで時間をさかのぼるという映画だ。

映像作品はDVDで視聴する場合、チャプターごとに番号とタイトルがついているので、意識的に区分して視聴することも可能だ。チャプター内では、シークエンスごとに時間の流れにしたがって物語は展開するので違和感はない。

文字として記された書籍なら、紙の本であれ電子書籍版であれ、映像より対応しやすいのではないか? そこまで考えてから、ようやく本書の構想がまとまり、執筆を開始することができるようになったのだった。じつに3ヶ月も費やしてしまった。








■「逆回し」は、歴史書としては「常識」に反する発想だが・・・

人間にとって「さかのぼる」という行為は、じつは自然な発想なのである。

長い年月を生きてきた人なら当然のことであるが、それほど長い人生を生きていない若者だって、学校時代のことを思い出したりして懐かしい想いをするだろう。自分が「いま、ここに」存在するのは、その前に自分の親がいるからであり、その親にもまた親がいる。さかのぼれば、その連鎖は無限につづいていくことになる。

過去を振り返って出来事を思い出す。人間にとってはごく当たり前のことである。そして、人生にはいくつかの「分岐点」があることに気がつく。人生だけではない、歴史にもいくつもの「分岐点」がある

これは「現在」からさかのぼってみてはじめてわかることだ。その渦中にいるとそれが分岐点であることは正確にはわからないが、振り返ってみて、はじめてそうだと気がつくことも多い。

「逆回し」とは、「流れ」を重視する歴史書にはあるまじき非常識な試みだろう。だが、「現在」を知り、「未来」を考えるために歴史を知ることが必要であるならば、「逆回し」という発想はけっして非常識ではないはずだ。


■「現在」を起点に「未来」と「過去」を認識する

かつてブログに 書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論 という記事を書いているが、科学的認識の方向性は、現在を起点にして、過去と未来の二つの方向に展開されうることが、同書で指摘されていることを紹介した(・・下図を参照)。

(人間の認識は「現在」を起点に「未来」と「過去」に向かう)


ビジネスパーソンの活動は、基本的に「未来」に向けてのものである。

歴史家の活動は、基本的に「過去」に向けてのものである。

だが、科学的認識の方向とおなじく、これは認識の方向が異なるだけで、認識の方法そのもの基本的に同じ構造をもっているといってよい。

一般に「未来」を予測することは難しいが、自分自身が体験している「,過去」を振り返ることは比較的容易であるといえる。だから、人間は自分自身の「過去」の体験をベースにして「未来」を予測するのである。

だが、人間の体験には限界がある。自分が体験していること自体は一次情報であるが、あくまでも主観的なものである。自分が体験していないことは、あくまでも伝聞であり、情報の性格としては二次情報、あるいは三次情報となってしまうことは仕方ない。

だからこそ、イマジネーションが必要とされるのである。

未来を知るために過去を知る。過去についての正確な認識をもつためにはイマジネーションで補う。そして、「過去」と「未来」が「現在」を規定していることを知れば、まずは「過去」に「逆回し」でさかのぼることが、「現在」をより深く、かつ正確に知ることにつながることが理解されるであろう。

「逆回し」の発想とは、ただ単に振り返るだけでなく、データをもとに事実をあぶりだし、それをイマジネーションで補うことを意味しているのである。

「逆回し」という発想の実践として製作された『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』は、この機会にぜひ呼んでみて欲しいと思う次第だ。

執筆中は、『「現在」がわかる「逆回し」世界史講座-』という「仮タイトル」だったが、最終的に出版社の判断で現在のタイトルに落ち着いたというエピソードをここに書き留めておくこととしよう。






<ブログ内関連記事>

2017年5月18日に5年ぶりに新著を出版します-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(佐藤けんいち、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

「ビジネス書か歴史書か、それが問題だ!」-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』を書店のどのコーナーに並べるか?

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・「私が知る歴史家の中に、過去が現在を照らすというよりも、現在が過去を照らすのだという事実を受け入れる者はいない。大半の歴史家は、目の前で起きていることに興味をしめさないのだ。」(ホッファー『自伝』より)




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2017年6月8日木曜日

「ビジネス書か歴史書か、それが問題だ!」-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』を書店のどのコーナーに並べるか?


新著 『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)が、2017年5月18日出版から2週間たってますが、まだまだ「平積み」状態が続いています。

とはいえ、この本は「ビジネス書」なのか、「歴史書」なのか、判断に迷われる方も少なくないと思います。わたし自身も、どの棚に並んでいるのかわからないので、両方を見て歩くことにしています。

「ビジネス書か歴史書か、それが問題だ」。シェイクスピアの『ハムレット』のセリフをもじって、こんなフレーズをつぶやいてみたくなりますね。

おそらく書店員さんも迷ってしまうのかもしれません。なんせ毎日のように新刊が出版されて、つぎからつぎへと取次店からダンボール箱が入荷してくる毎日、これをどうさばくかが午前中の仕事の多くの時間を占めているからです。

ですから、「えいやっ」で決めてしまわなくてはならないわけです。


東京駅前の八重洲ブックセンター本店では、答えは「ビジネス書」にあるようです。「歴史」を扱った本ではあるが、タイトルに「ビジネスパーソンのための」とあるので、基本はあくまでも「ビジネス書」であると判断されているのでしょう。もちろん、ビジネス街に近いという「客層」も考慮に入れていると思いますが。

冒頭に掲載した写真は、八重洲ブックセンター本店の1階の「ビジネス新刊書」コーナー。2枚目の写真は、2階の「ビジネス書」フロアの新刊コーナーです。いずれも「ビジネス書」として分類されてディスプレイされています。

著者としては、「ビジネスパーソンの、ビジネスパーソンによる、ビジネスパーソンのための近現代史」というコンセプトなので、「ビジネス書」として扱っていただけるのはうれしいです。

しかも、冒頭の写真にあるように、マッキンゼー社の「将来予測本」のすぐそばという並べ方も、じつにいいセンスですね! 未来を知るには、過去の歴史を知るべし、というメッセージでもあるような気がします。

拙著の特色は、「逆回し」という形で、「現在」からさかのぼって「過去」に向かうという、一般の歴史書とは真逆の方向で製作されていますので、なおさら「ビジネス書」として扱っていただけるのはうれしいことなのです。

ビジネスでは、「現在」から「未来」に向けて思考し行動します。そのベクトルの方向を「過去」に向ければ、「逆回し」の歴史となるわけです。方向は違うものの、あくまでも「現在」から出発するという点はおなじです。

一般的に「世界史」のコーナーで販売されているようですが、「いま、ここ」という「現在」から出発しない思考はビジネスパーソンには、あまり意味のないものだと考えております。

もちろん、ビジネスパーソン以外でも、それはおなじだといっていいと思います。

ぜひこの機会に、じっさいに手にとってみてほしいものと思います。



PS amazon の分類は「紙の書籍版」と「電子書籍版」で異なる

なぜだか理由は定かではありませんが、amazon の分類は「紙の書籍版」と「電子書籍版」で異なるようです。

「紙の書籍版」では「世界史」の分類「電子書籍版」では「ビジネス・経済」の分類。分類にしたがっているからでしょうか、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」に並んでいるタイトルが大きく異なっています。

ぜひ確認してみてください。  (2017年6月17日 記す)




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2017年5月18日に5年ぶりに新著を出版します-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(佐藤けんいち、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと




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2017年6月7日水曜日

都内の書店をフィールドワーク-「平積み」状態の新著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)


新著 『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)が、2017年5月18日出版から2週間たってますが、まだまだ「平積み」状態が続いています。

冒頭に掲載した写真は、新宿駅西口のブックファースト1階の「話題の本」のコーナー。まさに「盛り」状態ですね。

「平積み」といいうのは、見ていて気持ちがいいものですが、これだけ大量に「平積み」されているのは、著者ならずとも壮観という印象を受けるのではないでしょうか。もちろん、著者なら、これに勝る喜びはありません。



これは、JR恵比寿駅の駅ビルアトレ3階の「有隣堂書店」のもの。友人が撮影した画像を送ってくれました。こちらも「話題の本」のコーナーです。



こちらは、JR有楽町駅前の三省堂書店有楽町店のもの。ビルのテナントに入居しており、書店は2フロアを占有してますが、なんと1階の「話題の本」のコーナーに「平積み」、しかもだいぶ減っているようですね!

専門のコーナーではなく、「話題の本」のコーナーは、かならずしも目的買いのお客さんだけではないので、ふらりと入った書店で、ふと目に入った本を手にとって、しかも1,700円(税抜き)という価格にお得感を感じて購入していくのではないかな?

翻訳物ではないのに500ページ近い本というのは珍しいかもしれません。

本というものは、どう読んでも読者の自由ですから、好きなところから読み始めてもいっこうに構わないのです。もちろん、最初のページから最後まで通しで読んでいただければうれしいです。

ぜひこの機会に、じっさいに手にとってみてほしいものと思います。




<ブログ内関連記事>

2017年5月18日に5年ぶりに新著を出版します-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(佐藤けんいち、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと




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2017年6月6日火曜日

本日よりネットメディアの「JBPress」で「連載」開始です(2017年6月6日)

(2017年6月6日付けの画面 真ん中の記事が筆者によるもの)


ウェブ上のネットメディアにはいろいろありますが、本日(2017年6月6日)より執筆陣の一人として、2008年11月に誕生したネットメディアの老舗的存在の JBPress(ジェービー・プレス)で「連載」することになりました。

JBPressの趣旨は以下のものです。

「日本をもっと元気にしたい」という理念の下に誕生したWebビジネスメディア。経営者層やマネジメント層などのビジネスパーソンをコアターゲットに、国際情勢、地方経済、最新ビジネス動向、イノベーションなどの各分野における深く本質的な論考、識者からの提言や問題提起などさまざまなコンテンツを提供しています。

連載初回のタイトルは、「英国のEU離脱の衝撃は何百年と語り継がれるだろう-「逆回し」で歴史をさかのぼると見えてくること」 です。2016年6月の「ブレクジット」からはや一年、その中長期的な歴史的意味について考えます。

あさって(2017年6月8日)には「総選挙」のある英国。ここ3ヶ月テロが連続しておりますが、もっと中長期のスパンでものを見ることが必要でしょう。 たとえ下院選挙でメイ首相率いる保守党が敗退して労働党が勝利しても、「離脱」方針に変更はありません。

サブタイトルにある「逆回し」は、新著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)で導入した新機軸であり基本コンセプトです。

記事のなかでは「逆走する近現代史」として紹介されておりますが、「現在」から「過去」に「リバース」(=逆走)することで、「現在」の本質をつかむ思考法です。

JBpressの連載は隔週の予定です。乞うご期待!





(2017年5月18日発売の新著です)


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2017年5月21日日曜日

「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館) にいってきた(2017年5月18日)-なるほど、ここから「奇想」が始まったのか!


「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館) にいってきた(2017年5月18日)。なるほど、ここから「奇想」が始まったのかという納得の得られる企画展だ。

企画展のチラシには「ゆきむら」ではなく、「せっそん」です。というコピーがある。雪村(せっそん)といっても、たしかになじみはない。水墨画といえば、雪舟(せっしゅう)というのは日本美術史を知らなくても、日本史レベルの常識だが、雪舟が亡くなった頃に生まれたのが雪村だ。

雪村は、雪村周継ともいう。「コトバンク」記載の情報によれば、以下のようにある。

室町後期・安土桃山時代の画僧。常陸生。周継は諱、別号に如圭・鶴船老人等。田村平蔵と称する。佐竹氏の一族で武家を継がず禅僧となる。周文・雪舟の画風を慕い、のち独自の特色を発揮して一家を成す。最も山水に長じ、花鳥・人物も能くした。生歿年不詳。

生没年は、wikipedia情報によれば、永正元年(1504年)? 生まれで、天正17年(1589年)頃没、とある。雪舟が、応永27年(1420年)年生まれで、永正3年8月8日(諸説あり)(1506年)なので、この両者には直接の接触はない。関東で生涯を送った雪村に対し、雪舟は西日本で活躍していた。

「奇想」といえば、ここ数年で日本でも再評価の著しい曽我蕭白(そが・しょうはく)が想起されるが、雪村はその先駆者ともいうべき存在なのだ。

雪村の全盛期の作品をみれば、それはすぐにでも納得できることだ。

まずは、「呂洞賓図」。龍のアタマの上に立って上空を見上げる仙人の容貌が、マンガ的としかいいようがない。長いひげが風になびき、ぎょろ目で上を見上げている。説明書きを読むと、壺のなかからでてきた子どもの龍を、上空から親(?)の龍が見ているのだそうだ。

「呂洞賓図」(16世紀)

つぎに、「琴高仙人・群仙図」。水中から巨大な鯉とおぼしき大魚の背中に乗って浮上してきた仙人を、左右から複数の仙人たちが眺めている構図。

「琴高仙人・群仙図」(16世紀)

いずれの仙人の表情も面白いのだが、鯉の背中にに乗っている仙人が、なんだか暴れ馬か大型バイクを乗りこなしているかのような印象を受ける。常識的にありえない構図だが、なんだかリアルな感じもして、その落差が妙に面白い。鯉の背中に乗る仙人の顔がやけに真剣なのだ(笑) 

「琴高仙人・群仙図」の中心部の拡大

つぎに、「鍾馗図」。鍾馗(しょうき)じたいは、現代の日本でも比較的知られているだろうが、虎退治をしているのではなく、虎をあやしながら、右前方の敵をにらみつけている構図なのだそうだ。日本にはいない虎を描いた絵師は多いが、この虎もなんだか大きなネコのようであるのがおかしい。

「鍾馗図」(16世紀)

「特別展」のサイトには、以下のような全体説明がある。

戦国時代、東国で活躍した画僧、雪村周継せっそんしゅうけい。武将の子として生まれながら出家して画業に専心した雪村は、故郷の茨城や福島、神奈川など東国各地を遍歴しました。その生涯は未だ謎に包まれていますが、ひときわ革新的で、また人間味あふれる温かな水墨画を描き続けた、ということだけは確かです。この展覧会は、雪村の主要作品約100件と関連作品約30件で構成される最大規模の回顧展です。伊藤若冲、歌川国芳など「奇想」と呼ばれる絵師たちの「先駆け=元祖」とも位置づけられる、今まさに注目すべき画家、雪村。雪村の「奇想」はどのようにして生まれたのか、その全貌に迫ります。

先に、18世紀の江戸時代中期の曽我蕭白(そが・しょうはく)の名を引き合いに出したが、「奇想」の系譜からいえば、さらにおなじく18世紀の伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)や19世紀の江戸時代後期に生きた歌川国芳(うたがわ・くによし)も名をあげるべきなのだ。

さらには、意外なことだが、尾形光琳なども雪村を意識していたのだという。

琳派の代表絵師である尾形光琳は、雪村を思慕し、模写や雪村を意識した作品を数多く残しました。近世には狩野派、近代では狩野芳崖、橋本雅邦らが雪村を研究します。本展は、雪村に影響を受けた後世の絵師の作品の数々もご覧いただきます。

雪村の作品は、16世紀の画家のものとしては例外的に現存しているものが多いのだという。

また、「電力王」「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門(1875-1971)や「マネジメントの父」ピーター・F・ドラッカー(1909-2005)も雪村に魅せられ作品を所蔵するなど、現代に至るまで多くの知識人たちを魅了してやみません。

『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画- 「マネジメントの父」が愛した日本の美-』(千葉市美術館) のポスターには、「ドラッカー・コレクション」から雪村の 「月夜独釣図」が使用されている。

なるほど、見る人は見ていたのだな、と思わされるのだ。

東京での展示はもう終わってしまうが、巡回展として滋賀県の MIHO MUSEUM で公開される。今回の東京での展示も、いくかいかないか迷ったすえに結局いくことにしたのだが、それはまったくもって正解だった。

日本がほこるマンガやアニメの原点として、平安時代の鳥羽僧正の「鳥獣戯画」が語られることが多いが、室町時代に中国の水墨画や禅画が日本流にローカライズされて発生してきた「奇想」というテーマ。

「奇想」の系譜は、日本人ならかならずフォローしておきたいものであると思うし、まあそういうむずかしい話は別にして、こんな奇妙きてれつで面白おかしい作品を見ないのはもったいないと思うのである。








<関連サイト>
「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館)

【巡回予定】
会場: MIHO MUSEUM (滋賀県)
会期: 2017年8月1日(火)~9月3日(日)





<ブログ内関連記事>

■曽我蕭白

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた

「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」(千葉市美術館)にいってきた


■伊藤若冲

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)-「出会い」の喜び、素晴らしさについての本


■歌川国芳

「没後150年 歌川国芳展」(六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー)にいってきた-KUNIYOSHI はほんとうにスゴイ!


雪村もコレクションしていたドラッカー

『ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画- 「マネジメントの父」が愛した日本の美-』(千葉市美術館)に行ってきた(2015年5月28日)-水墨画を中心としたコレクションにドラッカーの知的創造の源泉を読む
・・ポスターには、雪村周継 「月夜独釣図」





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2017年5月15日月曜日

2017年5月18日に5年ぶりに新著を出版します-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(佐藤けんいち、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

(著者の元に出版社から届いた見本)

2017年5月19日に5年ぶりに新著を出版します。『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017) です。

「ビジネスパーソンの、ビジネスパーソンによる、ビジネスパーソンのための歴史書」というのが本書のコンセプト。タイトルは、「ビジネスパーソンのための」という最後のポイントを強調したものとなっていますが、著者のわたくしは、歴史家でも、予備校教師でも、ジャーナリストでもない、という点を強調しておきたいと思います。あくまでも現役のビジネスパーソンです。

構成と執筆には、まる1年かかりましたが、構想8年。ある意味では、この本はわたしににとってはこの8年間の軌跡であり決算書でもあります。再編集して大幅 に書き直してありますが、2009年から書き始めたこのブログ 『「アタマの引き出し」は生きるチカラだ』 から多くの記事を材料として使用しています。

書き上げた原稿を担当編集者にしたあとの第一報は、「傑作です!」。そんな評価をいただきました。

校正刷りの原稿を受け取りに出版社を訪問した際には、「編集の都合上3回読み返したが、何度読んでもその都度面白い」、と。編集者もある意味では内輪ですから、その評価は多少は割り引いて聞く必要があろうかと思いますが、著者のわたしもまた「この本は面白い!」と思います。自分自身が書いたものでありながら、出版社から送られてきた「見本」をついつい読んでしまいます。

もちろん、判断は読者の皆様におまかせするしかありません。ぜひじっさいに手にとってみていただけますよう。


「目次」や「参考文献」いれたら、500ページ近くもある大著となってしましましたが、印刷された書籍を手にもつとズシリと重い。すごく分厚い本です。 この分厚さで、なんと定価1,836円(消費税含む)! まさにコンペティティブ・プライシングというべきでしょう。お買い得だと思いますよ。

書店店頭に並ぶのは、2017年5月19日の予定です。詳しい書籍内容は、amazon等のネット書籍のサイトなどご覧ください。

ぜひよろしくお願いします!





目 次

序章 なぜ「逆回し」で歴史を見るのか?
  
第1章 2016年の衝撃-ふたたび英米アングロサクソン主導の「大転換」が始動する
   
第2章 「現在」の先進国の都市型ライフスタイルは いつできあがったのか?
   
第3章 「第3次グローバリゼーション」時代とその帰結(21世紀)-冷戦終結後、秩序の解体と崩壊によって混迷が深まる
 1 「グローバリゼーション」と「ネーション・ステート」の関係
 2 「現在」を地政学の考えで空間的に把握する
 3 「時代区分」としての21世紀 冷戦終結後の四半世紀をひとまとめで考える
 4 オバマ大統領の8年間を振り返る 米国は「内向き志向」を強めた
 5 米国は本当に衰退しているのか?
 6 「冷戦構造」の崩壊(1991年)と「ポスト冷戦期」
 7 「人工国家・ソ連」の74年間の「実験」
 8 日本「高度成長期」の奇跡
 9 「1979年」の意味-「サッチャー革命」「イラン革命」「アフガン侵攻」の影響が現在まで続いている
  
第4章 「パックス・アメリカーナ」 20世紀は「植民地なき覇権」の米国が主導した
 1 米国の覇権体制と「パックス・アメリカーナ」
 2 「成長の限界」と「持続的成長」の出発点としての1970年代
 3 「米ソ冷戦構造」の時代と「アジア太平洋」の時代の始まり
 4 「第二次世界大戦」(1939~1945年) 覇権国は英国から米国へと移動した
 5 「大恐慌」(1929年)は米国から始まり欧州と日本に飛び火した
 6 「第一次世界大戦」(1914年~1919年)で激変した世界 ここから実質的に新しい時代が始まった
 7 「第一次世界大戦」……「西欧の没落」の始まりと米ソの台頭1 「ビジネス立国」米国は急成長した
 8 「第一次世界大戦」……「西欧の没落」の始まりと米ソの台頭2 ロシア革命でソ連が誕生する
 9 「第一次世界大戦」が引き起こした「帝国」の崩壊と「民族自決」
 10 「帝国の解体」とイスラエル誕生への道
  
第5章 「第2次グローバリゼーション」時代と 「パックス・ブリタニカ」 19世紀は「植民地帝国」イギリスが主導した
 1 大英帝国が世界を一体化した
 2 「交通革命」と「情報通信革命」で地球が劇的に縮小
 3 大英帝国内の大規模な人口移動
 4 帝国主義国による「中国分割」と「アフリカ分割」
 5 英米アングロサクソンの枠組みでつくられた「近代日本」
 6 「西欧近代」に「同化」したユダヤ人とロスチャイルド家
 7 「産業革命」は人類史における「第二の波」
 8 「ナポレオン戦争」が「近代化」を促進した
 9 「フランス革命」で「ネーション・ステート」(=民族国家・国民国家)と「ナショナリズム」は「モデル化」された
 10 「アメリカ独立」は、なぜ「革命」なのか?
  
終章 「自分史」を「世界史」に接続する




著者プロフィール

佐藤けんいち(さとう・けんいち)
ケン・マネジメント代表。1962年、京都府に生まれる。一橋大学社会学部・社会理論課程で「歴史学」を専攻、「社会史」研究のパイオニア阿部謹也教授のゼミナールで3年間まなぶ。1985年に、『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』を提出して卒業。大学卒業後は一貫して民間企業に身を置いてきた。銀行系と広告代理店系のコンサルティングファーム勤務を経て、成長する中小企業では取締役経営企画室長として社長業以外のすべての機能を「ナンバー2」の実務担当者としてカバーした。その間、タイ王国では現地法人を立ち上げて代表をつとめた。2009年に独立して現在にいたる。1992年には米国最古の工科大学であるレンセラー・ポリテクニーク・インスティチュート(RPI)で経営学修士号(MBA)を取得、専攻はマネジメント・オブ・テクノロジー(MOT)。
著書には、『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012)、同書の中文繁体字版 『一個人的策展年代:串聯社群、你需要雜學資料庫』(世茂出版社、2013)がある。


<ブログ内関連記事>

都内の書店をフィールドワーク-「平積み」状態の新著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと

(2017年6月2日 項目新設)
(2017年6月8日 情報追加)




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2017年5月14日日曜日

「資本主義」の機能不全と「資本主義後」の時代への芽生え-『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』、『物欲なき世界』、『資本主義の「終わりの始まり」』の三冊をつづけて読む-資本主義のオルタナティブ(4)


2008年の「リーマンショック」以後、「資本主義」が機能不全状態にあることは疑いの余地はないが、はたして「資本主義」が終わるのかどうか、判断を下すのは時期尚早ではないかと思う。

「資本主義」が終わろうが終わるまいが、「人類」が滅亡しないで生きている限り、「経済」が消えてなくなってしまうことはない。これは確実にいえることだ。なぜなら、「近代資本主義」の歴史はたかだか500年程度しかないのであって、人類史全体を視野に入れれば、「近代資本主義」発生以前の歴史のほうがはるかに長いから。

とはいうものの、「資本主義」後がどうなっていくのかについては考えておいて損はないと思うし、考えておくべきだと思う。

というわけで、買ったまま「積ん読」になっていた本を、ちょっと前の話になるが、5月の連休中に読んでみた。その際に書いたFBの投稿を編集しなおして、このブログでもあらためて取り上げることにしたい。


まず読んだのは、『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」-タルマーリー発、新しい働き方と暮らし-』(渡邉格、講談社+α文庫、2017)。単行本は2015年の出版。 たった2年で文庫化された。

著者が偶然のキッカケから読んだ『資本論』から得た教訓は、マルクスのいうように、「生産手段」をもたないから労働者は搾取されるのであって、「生産手段」をもてば主体的に生きることができるということ。まさに発想の転換だ。

そこで著者が選んだのがパン屋だが、そうはいっても並大抵のパン屋とはちがう。本当のほんまもんの「天然酵母」でパンをつくるという試みだ。地域に根ざして「地産地消」で(・・酵母菌もまたその土地のもの!)、「循環経済」を実践するチャレンジの日々である。作家ミヒャエル・エンデの思想も著者を後押ししている。

著者は、資本主義そのものを否定するわけではなく、資本主義のカラクリを知ることによって、搾取されない生き方を模索している実践者なのである。この生き方は、けっしてあたらしいものではないが、「ブラック労働」が社会問題化している現在、あらたな脚光を浴びるものとなっているのも当然だ。



次に読んだのが、『物欲なき世界』(菅村雅信、平凡社、2015)。出版当時、話題になっていた本だが、どうやら2015年に、この手の本の出版ブームが始まっているのかもしれない。

「ライフスタイル」という時代のトレンドに敏感な雑誌編集者が、疑問を解決するために人に会い、本を読み、現場に足を運び、一冊にまとめたカタログのような本。「日常生活」をよりよいものにしていきたいという「ライフスタイル」重視の姿勢。これは、成熟経済の日本では、すでに当たり前のものととなって久しい。北欧のライフスタイルの影響も大きいだろう。

書かれている内容には、とくに違和感はない。まったくもって、そのとおりだと思う。これは日本だけでなく、米国の西海岸のポートランドでも、中国の上海のような消費都市でも、同じような傾向があるようだ。

「欲望」が満たされてしまった状態では、「物欲なき世界」になるのは当然だ。モノよりももっと価値がある したがって、「欲望」を原動力とする「資本主義」が減速していくのも当然と言えば当然だろう。

だが、著者も最後に書いているように、そうすんなりと「資本主義」の終わりがソフトランディングになるかどうかは現時点では不明だ。あくまでも強欲な資本主義を追求する資本主義者が消滅したわけではないし、せめぎ合いのまっただなかにあるのが、現在という時代なのであろう。



最後にあげるのは、『資本主義の「終わりの始まり」-ギリシャ、イタリアで起きていること-』(藤原章生、新潮選書、2012)。「欧州金融危機」で疲弊してしまったギリシアとイタリアという南欧からのレポートだ。

著者は執筆当時、イタリアの首都ローマで特派員として勤務していた新聞記者。 『ギリシャ危機の真実-ルポ「破綻」国家を行く-』(藤原章生、毎日新聞社、2010)については、このブログでも取り上げている。

最初に取り上げた二冊で紹介されている日本の事例も米国の事例も、いずれも「先進国」のものだが、最後のこの本で取り上げられている事例のギリシアもイタリアも、経済という点からみたら「先進国」とは言い難い混迷状態にある。

南欧世界で、いまなにが起こりつつあるのか、映画監督や思想家などの知識人、政治家にインタビューして思索した内容が記されている。「五つ星運動」の主導者である政治風刺コメディアン、ペッペ・グリッロの早い段階におけるインタビューは意味あるものだろう。

ギリシアもイタリアも、ともに「前近代性」を濃厚に残している地中海世界である。こんな状況でも人間がたくましく生きているのは、オモテの経済には出てこないアングラ経済が存在するからだ。プレモダン(=前近代)が後近代(=ポストモダン)に直結している南欧世界。

そう考えると、資本主義後の世界というよりも、「近代化」に成功しなかった圧倒的大多数の世界にとっては、意味ある現象と言えるかもしれない。米国や日本と同一視することは難しいのではないか。



以上、三冊を読んできて実感するのは、行き着くところまで行ってしまった「勝ち組」(?)の国々と、挫折して「負け組」(?)になってしまった国々と、いずれにおいても「資本主義」のもたらす歪みと機能不全状態があらわになってきている。

カネがあってもモノを買わない社会、カネがないからモノを買わない社会。カネのあるなしの違いはあるが、モノを買わない状況にかんしては共通している。大量生産時代だが、大量消費時代ではなくなった現在、需要が供給より下回っている状態では「モノ余り」の状況に変わりはない。

今後の世界がどうなっていくか、ビジネスパーソンでなくても気になる事態が定着しつつある状況だ。答えがすぐに出る問題だとは思えないが、手探りで進むしかないのだろう。




<書籍関連情報>


●『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」-タルマーリー発、新しい働き方と暮らし-』(渡邉格、講談社+α文庫、2017)

目 次

はじめに
第1部 腐らない経済
 第1章 何かがおかしい(サラリーマン時代の話・祖父から受け継いだもの)
 第2章 マルクスとの出会い(父から受け継いだもの)
 第3章 マルクスと労働力の話(修業時代の話1)
 第4章 菌と技術革新の話(修業時代の話2)
 第5章 腐らないパンと腐らないおカネ(修業時代の話3)
第2部 腐る経済
 第1章 ようこそ、「田舎のパン屋」へ
 第2章 菌の声を聴け(発酵)
 第3章 「田舎」への道のり(循環)
 第4章 搾取なき経営のかたち(「利潤」を生まない)
 第5章 次なる挑戦(パンと人を育てる)
エピローグ
文庫版あとがき


著者プロフィール  

渡邉格(わたなべ・いたる)
1971年東京都生まれ。フリーターだった23歳のときに学者の父とハンガリーに滞在。食と農に興味を持ち、25歳で千葉大学園芸学部入学。卒業後就職した農産物卸販売会社で妻・麻里子と出会う。31歳でパン職人になる決意をし修業を開始。2008年に独立し千葉県で「パン屋タルマーリー」を開業。2011年東日本大震災を機に岡山県真庭市勝山に移転。2015年、パン製造に加え、地ビール事業に取り組むべく、鳥取県八頭郡智頭町に移転した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






●『物欲なき世界』(菅村雅信、平凡社、2015)

目次

まえがき-ほしいものがない世界の時代精神を探して
1. 「生き方」が最後の商品となった
2. ふたつの超大国の物欲の行方
3. モノとの新しい関係
4. 共有を前提とした社会の到来
5. 幸福はお金で買えるか?
6. 資本主義の先にある幸福へ
あとがき-経済の問題が終わった後に

著者プロフィール

菅付雅信(すがつけ・まさのぶ)
編集者、グーテンベルクオーケストラ代表取締役。1964年宮崎県宮崎市生まれ。法政大学経済学部中退。『月刊カドカワ』『カット』『エスクァイア日本版』編集部を経て独立。雑誌「コンポジット」「インビテーション」「エココロ」の編集長を務め、出版からウェブ、広告、 展覧会までを編集する。書籍では、朝日出版社「アイデアインク」シリーズ、電通の「電通デザイントーク」シリーズ、 平凡社のアートブック「ヴァガボンズ・スタンダート」シリーズを編集。著書に『はじめての編集』『中身化する社会』など。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)






●『資本主義の「終わりの始まり」-ギリシャ、イタリアで起きていること-』(藤原章生、新潮選書、2012)

目 次  

第1章 アンゲロプロスが遺した言葉
第2章 危機の中の緩く、もの悲しいギリシャ
第3章 捨てられた首相
第4章 福島の影響
第5章 「扉」の手前で何かが動き出した
第6章 「扉」の向こう側
第7章 家族、コミュニティーの復活
第8章 資本主義の危機
第9章 イタリア、ギリシャとつながる福島
あとがき


著者プロフィール  
藤原章生(ふじわら・あきお)
1961年生まれ。北海道大学工学部卒業後、住友金属鉱山の技師を経て毎日新聞記者。アフリカ特派員、メキシコ市支局長の後、2008~12年、ローマ支局長。『絵はがきにされた少年』(集英社)で第3回開高健ノンフィクション賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





<ブログ内関連記事>

■「近代資本主義の500年」

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?

書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない


■資本主義のオルタナティブ

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)
・・エンデその人よりも、ドイツ人実業家で経済思想家のゲゼルの「老化するおカネ」の理論が重要

『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと-時間・お金・ファンタジー-』(池内 紀・子安美知子・小林エリカほか、新潮社、2013)は、いったん手に取るとついつい読みふけってしまうエンデ入門

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』

マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について

書評 『フリー-無料>からお金を生み出す新戦略-』(クリス・アンダーソン、小林弘人=監修・解説、高橋則明訳、日本放送出版協会、2009)-社会現象としての FREE の背景まで理解できる必読書





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書評 『服従』(ミシェル・ウエルベック、河出文庫、2017 単行本初版 2015)-「自発的隷従」をテーマにしたこの近未来小説は面白すぎる!


5年ぶりに出版される新著の執筆生活から「解放」されたので、今年の五月の連休には、仕事に関係のない本を片っ端から読んだ。そのなかでも、『服従』(ミシェル・ウェルベック、河出文庫、2017)が、あまりにも面白いので「一気読み」してしまった。

2015年パリの「シャルリ・エブド事件」の際に、ほぼ同時期に出版されて大きな話題になったフランスの小説だが、つい最近になって文庫化された。2017年5月のフランス大統領選をビジネスチャンスと捉えたからだろう。だが、この小説のテーマはテロ事件ではない。「西欧社会のイスラーム化」がテーマである。

この小説は、2022年のフランス大統領選を舞台にした「近未来小説」フランスにイスラーム政党代表の大統領が連立によって誕生するという設定だが、細部にわたってじつによく構築された構成であり、しかもディテールまで、あまりにもリアルに描かれているので、話の展開にまったく無理がない

(『服従』(Soumission)のフランス語パーパーバック版カバー)

主人公はパリ在住の大学教授で、フランス文学の研究者。専門は、19世紀フランスの自然主義作家 J.K.ユイスマンス。この設定がまた、この小説の醍醐味でもある。

澁澤龍彦訳の『さかしま』をはじめ、そのほか『彼方』『出発』といった作品がユイスマンスの代表作だ。ユイスマンス作品の多くは日本語に翻訳されており、じつはわたしも大好きでむかしよく読んだ作家なのだが、日本での知名度としてはあまり高くないかもしれない。澁澤龍彦のファンなら当然しっているだろう。耽美派の描く世界に限りなく近いのだが、耽美派ではない。エミール・ゾラとおなじく自然主義の作風である。

オカルティズムや神秘世界を自然主義の手法で描いた作品は、独特の世界を構築している。トラピスト修道会での「リトリート」(=瞑想目的の短期間の滞在)体験を描いた『出発』は、大著であるがすばらしい作品だ。映画化できないものかと、映画監督でもないのに、かつて夢想していたこともある。


フランスでは、「フランス革命」において「反カトリック」を極限まで進めたこともあり、フランス革命後にはカトリック教会の衰退が始まっているが、それでも精神的な飢餓感を感じる人には、19世紀でも修道院での瞑想体験の扉は開かれていた。ユイスマンスもそのひとりであった。もちろん、現在でも修道院での瞑想のためのリトリートは可能だ。

ユイスマンスの作品世界を知っていたら、この小説はより深く楽しむことができる。19世紀のフランスと、21世紀のフランスの違いを否が応でも知ることになるからだ。現在では、ユイスマンスが滞在した修道院の近くにはフランス国鉄が誇る高速鉄道TGVが走り、修道院から静寂さは失われている。ユイスマンスの描いた世界は、すでに過去のものとなっている。そんな現代の風景が、残酷なまでに描き出されている。主人公もまた、そんな状況に失望を覚えることになる。

ユイスマンス当時のフランスとは異なり、21世紀現在のフランスは、すでにカトリックはほぼ衰退し、歴史人類学者のエマニュエル・トッドが『シャルリとは誰か?-人種差別と没落する西欧-』(エマニュエル・トッド、堀茂樹訳、文春新書、2016)で指摘しているように、「ゾンビ・カトリシズム」(!)の世界なのである。宗教的に比較的熱心なのは、旧植民地からの移民がその大半を占めるイスラーム教徒や、ユダヤ系フランス人くらいなものなのだ。ちなみに、主人公の恋人はユダヤ系フランス人に設定されているが、この設定もなかなか意味のあるものだ。


イスラームとユダヤ教という、この二つの宗教がそれぞれ結びつけている人間関係が、この小説を読んでいるとひじょうに健全で、健康的にさえ見えてくる。「家族」という価値観が21世紀の現在でも強固に生きているからだ。それは、フランスの行き過ぎた「個人主義」とは対極にある価値観である。フランス的個人主義においては、たとえ家族といえども成人後は「個人」意外の何者でもない。「個」は「孤」そのものですらある。

主人公は完全に脱宗教化され、世俗化されたフランス人であり、その意味ではカトリックに対しても、イスラームに対しても、宗教的な関心が深いわけではない。そんな主人公がイスラーム化された近未来のフランスで、イスラームの世界に限りなく接近し、取り込まれてゆくのは、もっぱら大学の教授職をめぐる世俗的な利害関係に過ぎないのだが、それだけではないのかもしれない。
   
(映画『O嬢の物語』のDVD版)

男性読者であるわたしは、主人公とおなじ立場にあったなら、間違いなくおなじ行動をとるだろうと思う。小説のなかでは、映画化もされているポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』(澁澤龍彦訳、河出文庫、1992)を引用する形で、「服従」(・・本書のタイトルでもある)のメカニズムについて説明されている。

「人間は習慣の奴隷」というフレーズもあるように、当初は違和感を感じる環境であっても、慣れてくるに従って人間は無意識の習慣として繰り返していき、疑問を感じなくなっていくのである。主人公は、けっして強制されてイスラームに接近していくのではない。「他律的」とはいえ、なかば「自発的」に受容していくのである。

これは、「自発的隷従」と言い換えてもいいだろう。17世紀フランス思想家ド・ラ・ポエシによる『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫、2013)は、日本でも数年前にはじめて翻訳がでた著作だが、この小説のテーマである「服従」は、まさに「自発的隷従」とよぶのがふさわしい。


正直いって、この小説は評価は大きく分かれるだろう。イスラームの描き方についても、資産のあるオトコにとって有利なメリットばかりが強調されるからだ(・・あえてここには書かないが、何を意味しているかは想像していただくしかない)。

フランスやヨーロッパに関心があるならもちろん、そうでなくても読む価値ある本だ。「イスラーム政権誕生」のシミュレーションとして、アタマの体操になるはずだ。

知的エンターテインメント小説として、ぜひ読むことを薦めたい。





著者プロフィール

ミシェル・ウエルベック(Michelle Houellebecq)
1958年フランス生まれ。1998年長篇『素粒子』がベストセラーとなり、世界各国で翻訳、映画化される。現代社会における自由の幻想への痛烈な批判と、欲望と現実の間で引き裂かれる人間の矛盾を真正面から描きつづける現代ヨーロッパを代表する作家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

翻訳者プロフィール
大塚桃(おおつか・もも)
現代フランス文学の翻訳家。訳書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)









PS この投稿で累計1,800本目の投稿となる(2017年5月20日 記す)


<関連サイト>

マクロン新大統領の茨の道-ルペン落選は欧州ポピュリズムの「終わりの始まり」か?(Newsweek日本版、2017年5月08日)

フランス大統領選挙-ルペンとマクロンの対決の構図を読み解く(Newsweek日本版、2017年4月29日)


Histoire d'O • trailer (by eic)
・・フランス映画『O嬢の物語』(1975年)トレーラー)







<ブログ内関連記事>

「13日の金曜日」にパリで発生した大虐殺(2015年11月13日)-「テロとの戦い」に重点を置いたフランス共和国の基本を知る
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「習慣の奴隷」(きょうのコトバ)-たとえ「よい習慣」であっても「目的」の再確認を!

書評 『アラブ革命はなぜ起きたか-デモグラフィーとデモクラシー-』(エマニュエル・トッド、石崎晴己訳、藤原書店、2011)-宗教でも文化でもなく「デモグラフィー(人口動態)で考えよ!

書評 『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる-日本人への警告-』(エマニュエル・トッド、堀茂樹訳、文春新書、2015)-歴史人口学者が大胆な表現と切り口で欧州情勢を斬る

『パリのモスク-ユダヤ人を助けたイスラム教徒-』(文と絵=ルエル+デセイ、池田真理訳、彩流社、2010)で、「ひとりの人間のいのちを救うならば、それは全人類を救ったのと同じ」という教えをかみしめよう

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版、2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する


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(2017年5月19日 情報追加)




(2017年5月18日発売の拙著です)



(2012年7月3日発売の拙著です)







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