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2017年12月9日土曜日

映画 『悪魔祓い 聖なる儀式』(2016年、イタリア)を見てきた(2017年12月4日)-シチリアのパレルモの教会で行われる悪魔祓い(=エクソシスト)を描いたドキュメンタリー映画


映画 『悪魔祓い 聖なる儀式』(2016年、イタリア)を見てきた(2017年12月4日)。イタリア南部のシチリアのパレルモの教会で行われる悪魔祓い(=エクソシスム)の一部始終を記録したドキュメンタリー映画である。

エクソシストというと、映画『エクソシスト』のことを想起するだろうが、じっさいの悪魔祓いの現場は超常現象ではない。精神や肉体の病を抱えていながら、いかなる治療にも見放されたあげくにたどりついたラストリゾートともいうべき存在が悪魔祓いの執行者、すなわちエクソシストなのである。

カトリック国イタリアの場合は、カトリックの司祭が執り行う悪魔祓いになる。精神医学や心理療法では解決不能な問題が悪魔祓いによって解決されることもある。ただし、解決までに至る期間は人によって大いに異なる。

このドキュメンタリー映画は、背景説明もほとんどなく、悪魔祓いを行う老司祭と、悪魔祓いの対象となる人(・・女性が多い)と、その家族のやりとりを映像と音声として記録したものだ。全編がほぼ悪魔祓いの祈祷と会話でのみ成り立っている。

普段はふつうに日常生活を送っている快活な人たちが、教会で行われる悪魔祓いの儀式に参加すると、突然大声を出して暴れ出したり、地面に這いつくばって獣のような行動を示したりする。あまりの変貌ぶりには、正直いって驚かざるを得ない。衝撃的といってもいいだろう。



こういう書き方をすると、たんなる興味本位の映像作品のような印象を与えてしまうかもしれないが、悪魔祓いの対象者の人生をそのものが視野に入ってくることで、興味本位の関心ではない関心が見る者のなかに生まれてくるだろう。

とはいえ、突然の大声での絶叫には、映画を見ながら眠気をもよおした者も驚かさずにはいられない。悪魔が憑依していると思い込んでいる人たちも、教会で悪魔祓いの儀式が始まったとたんに悪魔が目覚めることになる。そういう状況のなかで、あくまでも冷静にかつ情熱を込めて祈祷文を繰り返しクチにする老司祭の姿が印象的だ。

悪魔祓いで使用される祈祷文は何度も繰り返されるだけでなくシンプルな祈願文なので、字幕を見ているとイタリア語も理解できてしまうくらいだ。つまり、悪魔祓いの儀式自体はきわめて単調なものだ。悪魔祓いによって喚起される「悪魔」と、悪魔祓いそのものは同じではない。

映画の原題は Liberami(リベラーミ)、イタリア語で「わたしたちに届けてください」という意味だ。その意味は、映画をみて考えてみるといいだろう。

(イタリア版ポスター 伝統的な悪魔のイメージが投影)

先日は、NHKのBSでも 『世界神秘紀行「イタリア エクソシスト VS.悪魔』というドキュメンタリー番組が放送されている(2017年8月5日)が放送されており私も視聴したが、映画 『悪魔祓い 聖なる儀式』(2016年)とは異なる対象を取材しているので、悪魔祓いの「事例」としては映画も見る価値がある。
 
なぜ現代人が悪魔祓いに救いを求めるのか、そしてなぜ悪魔祓いを求める需要が増大傾向にあるのか、その理由は映画ではよくわからないが、そういう傾向が確実にあるということは明らかなのだ。

悪魔祓いは、けっして超常現象でも、過去の中世の話でもない。いま、まさに現在のイタリアではさかんに実行されていることであり、映画の最後の方でローマでの研修会のシーンを見ればわかるように、世界中のカトリック司祭が関心を抱いて研修に参加しているのである。

なかにはアフリカ人司祭たちや、フィリピン人かベトナム人かとおぼしきアジア人司祭たちも映画に登場していた。ちなみにカトリック人口の多い韓国では、『プリースト 悪魔を葬る者』(2016年)という映画が製作されている。悪魔祓いは、シャマニズム傾向の強い韓国では関心も高いのであろう。

たんなる興味本位の関心からでもいいが、このドキュメンタリー映画をみることは、現代人が抱えている心の問題を考える一つのアプローチになることは間違いない。







<関連サイト>

映画 『悪魔祓い 聖なる儀式』(公式サイト)

Liberami, clip del film (イタリア語版 YouTube映像)


<ブログ内関連記事>

書評 『治癒神イエスの誕生』(山形孝夫、ちくま学芸文庫、2010 単行本初版 1981)-イエスとその教団の活動は精神疾患の「病気直し」集団のマーケティング活動
・・そもそもキリスト教は「病気治し」、しかも「心の病の治癒」から始まったのだ

ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇-知恵の象徴としての蛇は西洋世界に生き続けている

書評 『河合隼雄-心理療法家の誕生-』(大塚信一、トランスビュー、2009)-メイキング・オブ・河合隼雄、そして新しい時代の「岩波文化人」たち・・・

書評 『韓国とキリスト教-いかにして "国家的宗教" になりえたか-』(浅見雅一・安廷苑、中公新書、2012)- なぜ韓国はキリスト教国となったのか? なぜいま韓国でカトリックが増加中なのか?

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2017年12月7日木曜日

映画 『希望のかなた』(2016年、フィンランド)を見てきた(2017年12月4日)-「難民」の身に立場を置いて考えることを見る者に促す良質な映画

(渋谷のユーロスペース 筆者撮影)

フィンランド映画 『希望のかなた』(2016年、アキ・カウリスマキ監督)を見てきた(2017年12月4日)。「難民」の身に立場を置いて考えてみることを促すきわめて良質な映画だ。

アキ・カウリスマキは、フィンランドを代表する映画監督であるだけでなく、世界的な映画監督だ。その作品の多くは日本でも公開されている。フィンランドは人口550万人と「小国」だが、世界的に活躍する人物は少なくない。

カウリスマキ監督の作品を初めて見たのは、『レニングラード・カウボーイズ・ゴ・アメリカ』(1989年)である。

レニングラード・カウボーイズとは、超長いリーゼントに、先のとんがった長いブーツを履いた、ペンギンのような奇妙きてれつな出で立ちのフィンランドのロックバンドだが、日本公開されたのは1990年である。あたしが見たのは、米国から帰国後のことだったと思う。

この映画は、映画の登場人物であるレニングラード・カウボーイズそのものが興味の対象であり、監督のことはアタマのなかにはなかったようだ。日本の缶酎ハイのCMにも起用されており、レニングラード・カウボーイズが記憶のなかにある人も少なくないだろう。

その後みた映画が何か正確に覚えてないが、北欧フィンランドを舞台にしたシリアスな人生ドラマであったような記憶がある。『レニングラード・カウボーイズ・ゴ・アメリカ』のようなコミカルな作品とは真逆の印象があるが、シリアスとコミカルは両方ともカウリスマキ監督が好きなスタイルなのだろう。



■まさか自分が「難民」になるとは・・・

さて、 『希望のかなた』(2016年)だが、この映画は冒頭にも書いたように、「難民」の身に立場を置いて考えてみることを促すきわめて良質な映画だ。なぜなら、作中で登場人物がt語るように、「まさか自分が難民になるとは夢にも思わなかった」からだ(・・ただし、セリフは正確な再現ではない)。

主人公はシリア難民。シリア内戦に巻き込まれて空爆のため自宅が破壊され、婚約者も家族を失ってしまう。ボスにカネを借りて、難民業者の手引きで脱出することにする。

シリアから陸路でトルコ、さらにギリシアを経て、陸路でハンガリーに来たが、そこで唯一人の身内となっていた妹とはぐれてしまう。ハンガリーの右派政権が、難民の入国を阻止するために鉄条網を設置して強制排除に踏み切ったからだ。

その後、主人公はさらに移動を続け、警察に追われて貨物船に逃げ込む。その船がフィンランドに寄港したので上陸、フィンランドが自由な国であると聞いていたので、そこで難民申請を行う。だが
なぜか申請は却下され、強制送還が決定してしまう。

だが、主人公は収容施設から逃亡、右翼のゴロツキたちに暴行を加えられそうになるなど辛酸をなめるが、ふとしたことから、レストランのオーナーと出会って、働きながらかくまってもらうことになる。「難民」に対する態度は人によって異なるのだ。

そういうシチュエーションの映画であるためか、セリフの多くは英語である。主人公が難民友達としゃべるときはアラビア語、フィンランド側の登場人物たちはフィンランド語をしゃべる。

基本的にシリアスなテーマを扱った人生ドラマの映画だが、最初から最後までシリアスというわけではない。コミカルタッチのシーンも多い。主人公が働くことになったレストランだが、新たにオーナーとなったフィンランド人は、経営を軌道に乗せるため様々なアイデアを実行する。そのなかには、なぜか日本のスシを扱うレストランにしてみたりというシーンもある。ただし、日本人の視点から見ると、違和感がなきにしもあらずだが・・・。

難民となった主人公、難民をめぐる人間模様。人によって難民に対する態度はさまざまだが、この映画は、「もし自分が難民になったら?」という、ふだんは考えることもないテーマを見る人に考えさせる効果がある。


日本人にとって「難民」を考えるヒントとは?

映画を見たあとに想起したのは、日本人が「難民」になったケースが過去にもあったということだ。

それは、敗戦後の満洲からの「引き揚げ」かもしれない。約500万人(!)の日本人が引き揚げ者として命からがら脱出して逃避行を実行したのだ。

もちろん、難民となった引き揚げ者は日本人であり、命からがら逃げた先は母国の日本であった。だからといって、すべてがウェルカムだったというわけではない。日本本土じたいが空爆による大被害を受けて敗戦後の苦境のなかにあり、難民=引き揚げ者を受け入れる余地にはきわめて乏しかったのである。引き揚げ者の受け入れが、さらなる困難を引き受けることであったからだ。

引き揚げ者の記録には、戦後空前の大ベストセラーとなった『流れる星は生きている』(1949年初版)がある。

1945年(昭和20)8月9日、ソ連軍の参戦によって満洲から脱出を余儀なくされた引き揚げ者のなかには、作家・新田次郎の妻であった藤原ていもいた。子どもをつれての満洲から朝鮮半島を経て日本にたどりつくまでの逃避行を描いた手記である。現在でも中公文庫のロングセラーである。

一方、引き揚げ者の受け入れ先となった側にもノンフィクション作品がある。『水子の譜(うた)-ドキュメント引揚孤児と女たち-』(上坪隆 、現代教養文庫、1993)である。評論家の佐高信氏がセレクトしたノンフィクション作品の一つである。

いま手元に本がないので、初版の年月日がわからないが(*注)、満洲や朝鮮半島からの引き揚げ者が上陸した博多港には、親を失った子どもたちや、逃避行のなかで暴行を受けて妊娠した女性たちもいたのである。知られざるというよりも、忘却されていた事実を掘り起こした良質なノンフィクション作品である。

(*注)その後、本がでてきたので調べたら、1979年初版と判明した(2017年12月11日 記す)


こういった満洲や朝鮮半島からの「難民」=「引き揚げ者」の記録や映画を読んだり見たりすると、世界各国で発生している「難民問題」も、日本人自身が当事者となることがあり得ないことではないことが理解されるだろう。

ここに書いたのはひとつのヒントに過ぎないが、フィンランド映画 『希望のかなた』(2016年、アキ・カウリスマキ監督)を見て、難民問題は自分とはまったく関係ない問題とは思わないことが必要だ。

要は、イマジネーションと共感の問題なのである。





<関連サイト>

映画 『希望のかなた』(公式サイト)








<ブログ内関連記事>

祝!フィンランド独立から100周年!(2017年12月6日)-JBPress連載第14回目のタイトルは、「サンタとムーミンの国に学ぶ「小国」の生き残り術-独立100周年!人口550万人のフィンランドが日本より豊かな理由

フィンランドのいまを 『エクセレント フィンランド シス』で知る-「小国」フィンランドは日本のモデルとなりうるか?

欧州に向かう難民は「エクソダス」だという認識をもつ必要がある-TIME誌の特集(2015年10月19日号)を読む

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版、2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する

書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える





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2017年12月6日水曜日

祝!フィンランド独立から100周年!(2017年12月6日)-JBPress連載第14回目のタイトルは、「サンタとムーミンの国に学ぶ「小国」の生き残り術-独立100周年!人口550万人のフィンランドが日本より豊かな理由


JBPress連載コラム14回目は、「サンタとムーミンの国に学ぶ「小国」の生き残り術-独立100周年!人口550万人のフィンランドが日本より豊かな理由」
⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51739


12月6日は、フィンランドの「独立記念日」。100年前の1917年のこの日、「ロシア革命」後の混乱の最中にソ連から「独立宣言」が行われた。

祝! フィンランド独立100周年!

12月6日の「独立記念日」にはフィンランドを代表する作曲家シベリウスの交響詩「フィンランディア」が演奏される。ロシアの圧制下からの独立を目指していたフィンランド人を鼓舞するために作曲されたこの曲は、聞いていると腹の底から元気が出る名曲だ。

ちなみに、12月6日はキリスト教の聖者である「聖ニコラウス祭」でもある。4世紀の小アジア(現在のトルコの一部)の教父ニコラウスが、民間伝承のなかでサンタクロースに変化したとされる。奇しくも12月6日が独立記念日であるのは、サンタクロースの故郷とされるフィンランドにはふさわしいかもしれない。12月6日はコラム執筆者である私の誕生日でもある。

所得水準でみれば、1人あたりGDPが4万3000ドル(2016年)のフィンランドは世界17位、しかも人口はたったの約550万人である。人口が1億人を超えている日本の1人あたりGDPは3万9000ドルだが、その日本よりも豊かなのだ。

人口規模でみれば気候が似ている北海道とほぼ同じだが、面積ではフィンランドは北海道の約4倍である。フィンランドの人口密度はきわめて低い。

「小国」のフィンランドがなぜ成功しているのか? 今後もフィンランドに注目!

つづきは本文にて)


ぜひご一読ください。

次回のコラムは、12月19日公開予定です。お楽しみに!







<関連サイト>

フィンランド独立100周年、貧しさから脱した方法は (WSJ日本版、2017年12月5日)

(項目新設)


<ブログ内関連記事>

フィンランドのいまを 『エクセレント フィンランド シス』で知る-「小国」フィンランドは日本のモデルとなりうるか?

「MOOMIN!ムーミン展-トーベ・ヤンソン生誕100周年記念-」(松屋銀座)にいってきた(2014年4月23日)

本日12月6日は「聖ニコラウスの日」

フィンランド映画 『希望のかなた』(2016年、アキ・カウリスマキ監督)を見てきた(2017年12月4日)-「難民」の身に立場を置いて考えることを見る者に促す良質な映画

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2017年12月4日月曜日

「POLO The King of Sports 写真展」(日本外国特派員協会)のレセプションに出席(2017年12月4日)-日本人の認識の盲点になっているポロという競技

(会場に展示されている写真パネル ©photo by Mika Mori)

「POLO The King of Sports 写真展」(会場:公益社団法人 日本外国特派員協会)のレセプションに出席してきた(2017年12月4日)。ポロ・ジャーナリストの森美香さんからの招待だ。「ポロ写真展」の開催期間は、2017年12月2日~2018年1月5日。

ポロ・ジャーナリストとは、馬上のフィールドホッケーともいうべきポロを専門に取材執筆するジャーナリストである。記事を書くだけでなく、みずから写真も撮影して情報発信を行っている。

このブログで森さんの著書 『ポロ-その歴史と精神-』(森 美香、朝日新聞社、1997)を取り上げて高く評価をしたことがきっけになって以来の友人である。ただし、直接お会いしたのは今回が初めてのことになる。ネットが発達した時代ならではの交友関係といえよう。

著書そのものは、出版から20年たったいまも再刊には至っていないが、日本では競技人口が数人しかいないポロが、じつは日本以外ではひじょうに人気の高いスポーツであることに変わりはない。その事実を日本人は知る必要がある。

(ポロで使用されるマレット(=スティック)と球を握る筆者の左手) 

当日会場で森さんにお聞きした話によれば、世界のポロの中心は、かつての英国ではなく、いまや米国であり、選手はポロを国技とするアルゼンチン(・・アルゼンチンはフットボールだけじゃない!)が多いそうだ。つまるところ、世界経済の中心である米国の大富豪がスポンサーとなってチームを所有している。今回の写真展で展示されている写真は、米国のフロリダで開催された「2016年ワールドカップ」のものである。

面白いことに、世界の経済覇権が米中二大大国に移行するなか、中国が台頭してきているのだという。もともとポロはペルシア帝国が発祥の地であり、ユーラシアに起源をもつ競技なのだが、近代スポーツ化したのは英国である。

その英国では貴族が斜陽化して、財力のある米国にシフトし、新興の中国は発祥の地は中国だ(!)とさえ主張する始末。フットボール(=サッカー)だけでなく、ポロもまた国際政治経済情勢を反映するスポーツなのだ。


会場は、東京・有楽町の有楽町電気ビル北館20階にある公益社団法人日本外国特派員協会のザ・メインバー会員用のバーに写真パネルが展示されている。

日本外国特派員協会(FCCJ)は、日本に派遣されている外国報道機関の特派員やジャーナリスト、報道写真家のために運営されている社団法人の会員制クラブのことだ。1945年の日本の敗戦にともなう占領期から続くものである。TVやネットでよく目にする日本外国特派員協会だが、訪れたのは今回が初めてだ。

日本外国特派員協会に行く機会があれば、ぜひ「ポロ写真展」を鑑賞していただきたい。その機会がないとしても、ポロが日本以外ではよく知られたスポーツであることを認識してほしいと思う。





<関連サイト>

Photography exhibition by Mika Mori (FCCJ:日本外国特派員協会)
・・「POLO The Sport of Kings」を取り上げた記事
開催期間は、2017年12月2日~2018年1月5日

国際ポロ連盟(英語)

ポロにのめり込む世界の大富豪たち-全米オープンポロ選手権観戦記(森美香、新潮45 2016年7月号)





<ブログ内関連記事>

書評 『ポロ-その歴史と精神-』(森 美香、朝日新聞社、1997)-エピソード満載で、埋もれさせてしまうには惜しい本

麹町ワールドスタジオ 「原麻里子のグローバルビレッジ」(インターネットTV 生放送) に出演します(2012年6月13日 21時から放送)-テーマは、『「近代スポーツ」からみたイギリスとイギリス連邦』

書評 『馬の世界史』(本村凌二、中公文庫、2013、講談社現代新書 2001)-ユーラシア大陸を馬で東西に駆け巡る壮大な人類史




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2017年11月29日水曜日

書評 『なぜ私たちは生きているのか-シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話-』(平凡社新書、2017)-人間存在の「個別性」と「一回性」という観点に立ち「見えないもの」を見る感受性を研ぎ澄ます


2017年11月の新刊 『なぜ私たちは生きているのか-シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話-』(平凡社新書、2017)という本を読んでみた。

副題にあるとおり、シュタイナー人智学の日本での第一人者である高橋巌氏とキリスト教神学(・・より正確にいえばプロテスタント神学)の佐藤優氏との3回の対話である。この組み合わせが面白いと思って読んだのだが、自分にとっての主たる関心はシュタイナーであって、キリスト教神学の方は副次的なものだ。

年齢からいったらはるかに先輩にあたる高橋巌氏が、同時代人として読書をつうじて親しみを感じてきたという佐藤優氏に教えを請うようなスタイルになっている。ホストが主催するセミナーにゲストを呼んで対話を行った記録を編集したこともあるのだろうが、やや違和感を感じないではない。

逆にいえば、高橋氏の謙虚な姿勢の現れといえるだろうが、本来的にグノーシス的な傾向のあるシュタイナー人智学への佐藤優の歩み寄りによって対話が成り立っている、という面もあるように思われた。

正直いって、この本を読んでも本書のタイトルである「なぜ私たちは生きているのか」という問いに対する直接的な答えは得られないだろう。そのためには、「見えないもの」に対する感受性を研ぎ澄まさなければならないことが両者に共通する結論であろうか。

「見えないもの」は「神」と呼んでもいいし、それ以外の表現でもいい。ただし、「なぜ私たちは生きているのか」という能動態の問いではなく、「なぜ生かされているのか」という受動態の問いの方が日本人にはしっくりくるような気がする。タイトルは編集者がつけるものだから対話者の意向かどうかはわからないが。

人間存在の、時間と空間における「個別性」と「一回性」という観点に立つ点は両者に共通している。また、ともに「道の途上」にあるという求道者性も共通している。

ともに抽象的な議論はしないという点には共感を感じる。これはキリスト教であろうが、シュタイナー人智学であろうが、仏教であろうが、その他の宗教であれ重要なことだ。

わたくし個人の感想としては、本書で論じられている「国家・資本・宗教」のうち、「宗教」は面白いと思ったが、「国家」と「資本」に関しては、違和感を感じる内容もあったと正直に書いておく。この両者はともに「経済人」ではないからだろう。とくに佐藤優氏の発言は牽強附会なものが多いのは相変わらずだ。

ともにドイツ思想の圧倒的影響下にある人たちだ。 プロテスタント神学はドイツ思想、マルクスもドイツ思想である。シュタイナーはドイツロマン派の流れのなかにある。その意味では、対話者はまったく無縁の立場というわけでもない。

シュタイナー人智学やキリスト教神学といったテーマに関心のある人にとっては読む意味のある本だと思うが、内容については是々非々の評価を下せばよい。

現在の日本では佐藤優氏のほうがはるかに知名度が高いので、本書を手に取る人は圧倒的にそちらからのアプローチが多いと思うが、この本で初めて高橋巌氏について知ることになる人にとっては、ある意味では「シュタイナー入門」の「入門」になるかもしれない。





目 次

はじめに(佐藤優)
  
 I 国家-一人ひとりの時間と空間の共同体
 道半ばを歩く者として
 見えるものと見えないもの
 キリスト教はオカルト?
 ぎりぎりのところで神と出会う
 普遍主義では世界宗教になりえない
 ドイツのキリスト教とナチス
 見えない世界を言語化する
 時間と空間は溶けるのか
 人は形而上学から逃れられない
 日米安保と北方領土問題
 個人と国家と社会
 国家における性の二重構造
 社会の力を強化する
 日本の教育と子どもの未来
 フィクションの力で他者を想像する
II 資本-お金と働くこと
 資本主義の男性原理と女性原理
 お金がすべて?
 プロテスタンティズムと資本主義は関係ない
 現象をとらえる宗教学的手法と内在論理をつかむ神学的手法
 日本文化とキリスト教の女性原理
 生活のなかに植え付けられた資本主義
 労働力の商品化
 見えるお金が見えない心を縛る
 不安定な社会だからこそ必要とされるもの
III 宗教-善と悪のはざまで
 現代人は悪に鈍感
 善と悪のはざまで生きる
 悪はどこから入りどこから去っていくのか
 破壊的な悪の力を包むには
 人間の努力を重視するグノーシス
 意志の力を超えて働く縁と召命
 音楽や本との出会いも召命
 悪は人間の言葉から生まれる
 人間関係のなかにいる神と悪
 愛をリアルに感じるためには
 なぜ私たちは生きているのか

おわりに(高橋巖)


著者プロフィール
佐藤優(さとう・まさる)1960年生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、2009年最高裁で執行猶予付有罪が確定し失職。2014年、執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。2005年発表の『国家の罠』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。著書に『自壊する帝国』(新潮社、大宅壮一ノンフィクション賞)など多数。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


高橋巖(たかはし・いわお)東京・代々木生まれ。ミュンヘンでドイツ・ロマン派美学を学ぶなか、ルドルフ・シュタイナーの著書と出会う。73年まで慶應義塾大学で美学と西洋美術史を担当。その後シュタイナーとその思想である人智学の研究、翻訳を行う。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

■シュタイナー関連

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる

シュタイナー研究家の西川隆範氏による仏教書は、教団や教派とは関係のないフリーな立場に身を置いた個人ベースのスピリチュアリティ重視の仏教を志向する

子安美知子氏の「シュタイナー教育」関連本をまとめて読んで「シュタイナー教育」について考えてみる


■プロテスタント神学関連

書評 『聖書を語る-宗教は震災後の日本を救えるか-』(中村うさぎ/ 佐藤優、文藝春秋、2011)-キリスト教の立場からみたポスト「3-11」論

『はじめての宗教論 右巻・左巻』(佐藤優、NHK出版、2009・2011)を読む-「見えない世界」をキチンと認識することが絶対に必要


■宗教学関連

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む




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2017年11月24日金曜日

いきなりビール瓶で殴られそうになったら?-日馬富士の「泥酔暴行事件」に関連して「護身術」を紹介(2017年11月)

("Dynamic Aikido" by Gozo Shioda より)

横綱・日馬富士(はるまふじ)による「泥酔暴行事件」だが、この事件は報道されている内容による限り言語道断と言わざるを得ない。

後輩モンゴル人力士・貴ノ岩に対して、泥酔状態で暴行したこの事件は、九州場所の前半で最初に報道されてから情報が二転三転している。だが、ビール瓶で殴ったかどうかは定かではないものの、少なくとも日馬富士が素手で殴って暴行を加えたことは否定できなようだ。

だがなぜこのような事件が発生するのか? ただ単に相撲界だけの問題ではなかろう。 この背景にあるものは何か? まず言えるのは、モンゴルが「泥酔文化圏」にあることだ。

日本人はかつてのようにあまり酒を飲まなくなったようだが、それでも酒の席での無礼講が黙認される傾向がなくなったわけではない。

私はこれを指して「泥酔文化圏」といっているのだが、「泥酔文化圏」は日本から、朝鮮半島を経由して、モンゴル、そしてロシアと連続して分布している。 この件については、ブログ記事を参照いただきたい。 「アタマの引き出し」は生きるチカラだ!: 「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人

もちろん、酒の上の無礼講が暴力騒ぎにつながることが皆無とは言わないが、暴力沙汰は言語道断であることは言うまでもない。社会的な潤滑油である飲酒だが、過ぎたるは及ばざるがごとし、である。


いきなりビール瓶で殴られそうになったら?

泥酔した日馬富士がモンゴル人の後輩力士をビール瓶で殴ったとされる暴行事件。

もしそれが事実であれば、たとえ故意ではないとしても、一歩間違えば被害者が死亡していた可能性も否定できない。ビール瓶でアタマを殴ることは、金属バットで殴るのと同じようなものだ。

実際にそういう場面に出くわすことは滅多にないと思うが、念のために、いきなりビール瓶で殴られそうになった際の「護身術」を紹介しておこう。

("Dynamic Aikido" by Gozo Shioda より)

合気道養神館の館長であった塩田剛三(しおだ・ごうぞう)先生(故人。 開祖・植芝盛平翁の高弟)の英文著書 Dynamic Aikido には、Practical Application (応用編)として、「いきなり飲み屋で隣の席に座っているヤツからビール瓶で殴られそうになる」というシチュエーションが写真入りで解説されている。

("Dynamic Aikido" by Gozo Shioda より)

画像が薄くてわかりにくいかもしれないが、左に座っている男がいきなりビール瓶を振り下ろしてきたとき、咄嗟に男の首を左手で押さえる。シンプルだが役に立つと解説にある。

「そういう場面に出くわさないことがベター」であり、そんな場合でも「戦わずして逃げるのがベスト」ではありましょう。とはいえ、こういうシンプルなワザが非常時には役に立つということで。

ちなみにこの本は、アメリカの大学に留学中、縁あって大学生に Aikido を指導する際の参考書として購入したものだったと記憶している。日本語の原題はわからない。もちろん、学生にはこんな応用技は教えてませんよ。

ちなみに、わたくしは塩田剛三先生ではなく、開祖植芝盛平晩年の内弟子であった合気会本部の有川定輝先生の不肖の弟子です。





PS  日馬富士が引退を表明(2017年11月29日)

日馬富士が先手を取って相撲からの引退を表明した(2017年11月29日)。引退勧告が出る前にみずから引退を申し出たのは賢明であったといえよう。いまだ真相は明らかではないが、動機がいかなるものであれ暴行を振るった事実は本人も認めているのであり、なんらかの処分は免れなかったためだ。そえにしても横綱・朝青龍に続いてのモンゴル出身力士の暴行事件がらみの引退、見苦しいものがあると言わねばなるまい。(2017年11月30日 記す)。



<ブログ内関連記事>

合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋

一橋大学合気道部創部50周年記念式典が開催(如水会館 2013年2月2日)-まさに 「創業は易し 守成は難し」の50年

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである

『武道修行の道-武道教育と上達・指導の理論-』(南郷継正、三一新書、1980)は繰り返し読み込んだ本-自分にとって重要な本というのは、必ずしもベストセラーである必要はない




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2017年11月22日水曜日

久々に JSA というコトバをニュースで聞いて、韓国映画 『JSA』(日本公開2000年)のことを思い出した(2017年11月)


つい最近(2017年11月13日)のことだが、朝鮮半島の「DMZ」(=南北非武装地帯)の「JSA」(=共同警備区域)で北朝鮮軍の兵士が亡命、北朝鮮軍によって銃撃され40発も銃弾を撃ち込まれたが瀕死の重傷を負いながらも、九死に一生を得たという事件が発生した。 JSAからの亡命は10年ぶりのことだという。

久々に「JSA」というコトバを聞いたなと思ったが、その際に韓国映画に『JSA』という作品があったことを思い出した。 おなじく南北問題をテーマにしたアクション娯楽大作『シュリ』に次いで日本でも公開された作品だ。1999年製作で日本公開は2000年だから、いまからもう17年も前の映画である。

(DVD 『JSA』の特典映像をキャプチャ)

映画『JSA』は、南北間での銃撃戦とその真相の解明がテーマであったが、当時の感想としては『シュリ』ほど面白くなかったのがは正直なところだ。日本では『シュリ』メガヒットにはならなかったと記憶している。韓国内の反応と日本での反応が異なるのは当然というべきだろう。



映画が日本公開されたのは「韓流ブーム」以前のことで、しかもその「反動」(?)としての「嫌韓派」などというコトバも実体もなかった頃の作品だ。1997年の「IMFショック」で瀕死状態にあった韓国経済だが、韓国映画には勢いがあった。キム・デジュン(金大中)大統領のもと、「太陽政策」という北朝鮮政策を含めて大きな転換があった。

(DVD 『JSA』の特典映像をキャプチャ)

「JSA」(=Joint Security Area)は南北境界線の板門店(パンムンジョム)の周囲に設定されている。韓国軍を中心とする国連軍と北朝鮮軍が向き合っている。1999年か2000年だったと思うが、わたしも板門店には行ってみた

「JSA」には「中立国監視委員会」が設置されており、現在でも中立国のスイスとスウェーデンから将校が派遣されている。 映画では、イ・ヨンエ演じる朝鮮系スイス人のスイス軍の女性将校が真相解明にあたるという内容であった。

(DVD 『JSA』の特典映像をキャプチャ)

まあ、韓国に対しては、わたし自身は好きでもキライでもなく、あくまでも「中立」の立場に立ちたいと思っている。曇りなき目で見るために。









(付録)韓国映画 『JSA』日本公開時の感想


ニフティで開設していた「ホームページ」(・・なつかしい響きだ)に投稿した「つれづれなるままに」(2001年5月27日)の記事を以下に再録しておこう。

韓国映画『JSA』と異文化マーケティング というタイトルで投稿した記事だ。

ニフティのホームページは現在は削除されたため閲覧ができなくなってしまった。ホームページ(正確にはウェブサイト)を故人で開設することがブームになった頃の話である。

原文には一切手を加えていない。記事作成時点と現在では考えに変化があるとしても、記事の歴史性を重視するためである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つれづれなるままに(2001年5月27日)

韓国映画『JSA』と異文化マーケティング

JSAとは、Joint Security Area の略である。つい昨日封切られたばかりの韓国映画のタイトルでもある。韓国と北朝鮮を隔てる非武装地帯の板門店(パンムンジョム)に設けられた国連統治下の共同警備区域のことで、南北会談の会議場としてつかわれる部屋は、日本のTVでもおなじみである。

韓国で大ヒットを飛ばし、日本で公開されてもヒットしたハリウッド張りの娯楽大作『シュリ』を超える大作、とのプロモーションが連日行われているのでご存知の方も多いと思う。私もさっそく封切り初日にロードショーを見に行ってきた。

映画の内容は見てのお楽しみ、としておきたいが、乱暴に要約すれば、日々対峙する立場にある、国境最前線の南北の兵士たちの間に芽生えた「奇妙な友情」とその「劇的な破綻」、およびその「悲劇的な幕切れ」、とでもいっておこうか。もちろん、南北の兵士の間の友情というのは、あくまでも虚構であって実際にはありえない設定である。しかし、こういう虚構を設定することによって見えてくるものがあり、これが折からの南北和解ムードのなかで、特に若い韓国人を中心に大いに受け入れられた結果大ヒットになったのであろう。

しかし、日本では『JSA』は『シュリ』を超えることはないだろう。『シュリ』も同じく南北対立という現実に、北の女性工作員と南の男性警察官との恋愛という虚構(しかしこの虚構はありえなくはない設定だが)をからませた作品だが、基本的に「北が敵であるという大前提」は崩していないので、そう感じている多くの日本人にとっては、ある意味では安心してみることのできる娯楽映画であったといえる。だから日本でも大ヒットした。

それに対して『JSA』は、実はかなり重い映画だ。むしろ従来型の韓国映画の枠組みのなかにあるといっていいかもしれない。字幕という制約もあるが、日本人の観客からもれる笑い声も少なく、最後まで緊張感を強いられた。

先に触れた虚構を軸にしているとはいえ(その虚構じたい、韓国人の濃密な人間関係の意味をしらないと理解しにくい)、テーマそのものはきわめて重い。韓国が置かれている現状、とくに南北問題の軍事的な意味と経緯、徴兵制がとくに若い韓国人男女にとってもつ意味、挿入主題歌が韓国人の若者にとってもつ意味・・・といったいわば韓国人にとっての「常識」、いいかえれば韓国に特有の文脈を理解することなく、大作映画の一つとして日本で流通させることは難しいのではないだろうか。

『JSA』には激しい戦闘シーンがあるが、通常の戦争映画につきもののある種の快感を感じることがまったくなかった。「奇妙な友情の劇的な破綻」をきっかけに勃発した、南北の国境警備隊の間でマシンガンの激しい応酬が数分間つづくが、なぜ自分はこのシーンをみていて快感を感じることがないのか、映画を見終わったあとしばらく考えていた。おそらく、北が敵なのか、南が敵なのか、そのどっちも敵なのか、あるいは敵でないのか、見ている人間にわからなくなってしまうためだろう。何のための戦闘なのかわからなくなってしまうのである。そういう意味では監督の力量はきわめて高いといわざるをえない。韓国で大ヒットした理由はこのあたりにあるのではないか。南北対立など民族にとってはまったく無意味なのだと、大上段にふりかぶって説教することなく生理的に訴えているから。

とすると、おそらく大半の日本人にとって、この映画の意味は、頭ではある程度まで理解できても、体感することはきわめて難しいだろう。韓国特有の文脈を超えた、普遍的な要素があるとはいえ、これがそのままこの国で大衆的なヒットになるとは考えにくい。

異文化のソフトをコンテクストの異なる他国の市場で流通させることは、ハードの製品の海外展開よりはるかに難しい。とはいえ、『JSA』は、2002年のワールドカップをひかえ、韓国人をより深いレベルで理解する必要のある日本の若い世代にはぜひ見てもらいたい。そしてこの映画をきっかけにいろいろ韓国と韓国人について勉強してもらいたいものだ。 (5月27日)。

(以上)


(NHKの国際情報番組よりキャプチャ 2017年11月19日)



<ブログ内関連記事>

「斬首作戦」は韓国軍の特殊部隊が実行すべき作戦-未遂に終わった1971年のキム・イルソン暗殺作戦をテーマにした韓国映画『シルミド』(2003年)を見るべし!

書評 『朝鮮半島201Z年』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2010)-朝鮮半島問題とはつまるところ中国問題なのである!この近未来シミュレーション小説はファクトベースの「思考実験」

書評 『日米同盟 v.s. 中国・北朝鮮-アーミテージ・ナイ緊急提言-』(リチャード・アーミテージ / ジョゼフ・ナイ / 春原 剛、文春新書、2010)

韓国映画 『八月のクリスマス』(1998年)公開から15年





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2017年11月21日火曜日

JBPress連載コラム13回目は、「31歳のイケメン首相誕生か?オーストリアに注目せよ-「ハプスブルク帝国」崩壊から100年、今も中欧で求心力を発揮」(2017年11月21日)


JBPress連載コラム13回目は「31歳のイケメン首相誕生か?オーストリアに注目せよ-「ハプスブルク帝国」崩壊から100年、今も中欧で求心力を発揮」
⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51624


先日の2017年10月15日にオーストリアで実施された総選挙(下院選挙)で第1党の座を確保した国民党の党首セバスティアン・クルツ氏が、世界中の注目を浴びている。

その理由は、クルツ氏がなんとまだ31歳という若さで、しかも貴公子然とした甘いマスクのイケメンだからだ。

栗色の髪の毛をオールバックにしたヘアスタイルが個性的だが、若き日のバイエルン国王ルートヴィヒ2世を想起させるものがある(下の写真)

(左がクルツ氏、右はルートヴィヒ2世 筆者作成)

中欧のオーストリアでは中道右派が総選挙で第一党になり、右派ポピュリスト政党との連立交渉の真っ最中にある。ポーランドでもハンガリーでも右派政権。オーストリアの翌週に総選挙が実施されチェコでも中道右派が第1党になり第2党の極右政党よ連立交渉中だ。

中欧で相次ぐ右派政権誕生は「共振現象」か?

ハプスブルク帝国が崩壊した1918年11月11日から今年は100年目。 ハプスブルク帝国は、現在のハンガリーとチェコ、スロヴァキア、ポーランドの一部、ウクライナの一部、スロヴェニア、クロアチアなど広範囲にわたって支配した中欧の帝国であった。

オーストリアを中核にした「中欧」に注目!

つづきは本文にて)


ぜひご一読ください。

次回のコラムは、12月5日公開予定です。お楽しみに!







<ブログ内関連記事>

書評 『ハプスブルク帝国、最後の皇太子-激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯-』(エーリッヒ・ファイグル、北村佳子訳、 朝日選書、2016)-第一次世界大戦後から冷戦構造崩壊までのヨーロッパ現代史

「サラエボ事件」(1914年6月28日)から100年-この事件をきっかけに未曾有の「世界大戦」が欧州を激変させることになった

オーストリア極右政治家の「国葬」?
・・オーストリア共和国の政治風土の一端について取り上げた

バイエルン国王ルートヴィヒ2世がもっとも好んだオペラ 『ローエングリン』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた-だが、現代風の演出は・・・




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2017年11月20日月曜日

書評 『ハプスブルク帝国、最後の皇太子-激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯-』(エーリッヒ・ファイグル、北村佳子訳、 朝日選書、2016)-第一次世界大戦後から冷戦構造崩壊までのヨーロッパ現代史


 『ハプスブルク帝国、最後の皇太子-激動の20世紀欧州を生き抜いたオットー大公の生涯-』(エーリッヒ・ファイグル、北村佳子訳、 朝日選書、2016)という本を読んだ。 ヨーロッパ現代史の知られざる裏面を明らかにした生き証人の記録だ。

第一次世界大戦の原因となったハプスブルク帝国(=オーストリア=ハンガリー二重帝国)は、敗戦の結果として崩壊し中欧の大国は解体された。6歳のオットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンは「ハプスブルク帝国最後の皇太子」となり、以後2011年に亡くなるまで激動のヨーロッパの一世紀を生き抜くことになる。

日本人でオットー大公と交友関係があったのが、意外な組み合わせのように思えるかもしれないが、実業家で国士であった田中清玄氏であった。わたしは『田中清玄自伝』で、オットー大公のことを知ってから20年たつ。この二人は、じつは反共で伝統主義者であることが共通していた。

オットー大公の生涯は、この本に収録された1992年のインタビューで本人が語っているように、まさに「ヒトラーと共産主義との戦いの生涯」であった。 亡命生活のなか、オットー大公は米国のルーズヴェルト大統領を動かし、英国のチャーチル首相を動かすことで、第二次世界大戦後の欧州でのオーストリア再興に尽くす。まさに「ノーブレス・オブリージュ」の発揮である。この間のスリリングな状況は、まるでドラマのようだ。

いわゆる「ハル・ノート」という無理難題を記した事実上の「最後通牒」で日本を対米開戦に追い込んだ米国の国務長官コーデル・ハルは、オットー大公による「オーストリア再興」の邪魔をした人物として本書に何度も登場する。オーストリアはナチス・ドイツに「併合」されたが、大戦後の「再興」のためにオットー大公は奔走していたのだ。この事実は本書で初めて知った。ハルっていうのは、そういうヤツだったのか、と不快感と怒りを新たにする。ここに特記しておきたい。

日本は第一次大戦ではオーストリア(=ハプスブルク帝国)の敵国、第二次世界大戦ではドイツと同盟国になったために、ナチスを敵に回したオットー大公とは反対側に立つことになったのであるが、昭和天皇に拝謁した際には、オットー大公はどのような話をされたのだろうか? 交友関係のあった田中清玄氏とは、はたして国務長官ハルのことは話題にしたことがあったのだろうか? そんな想像をしてみたくなる。

(ドイツ語原書 1992年刊)

第2次大戦後に「オーストリア再興」というミッションを見届けた後は、欧州議会の議員としてEU統合のために身を尽くすことになる。交友関係があったリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の「汎ヨーロッパ主義」に共鳴していたオットー大公もまた、同じような志向をもっていたのである。ちなみにクーデンホーフ=カレルギー伯爵の母親は日本人である。

「ベルリンの壁崩壊」(1989年)につながったのが「汎ヨーロッパ・ピクニック」というイベントだが、このイベントを思いつき主催したオットー大公は、ヨーロッパでの冷戦構造崩壊の功労者なのである。オーストリアとハンガリーの国境が開放され、東ドイツ人を含む東側の人たちが大量に西側に脱出した「事件」である。

オーストリア=ハンガリー二重帝国ゆえに、ハプスブルク家はハンガリーの君主でもあった。オットー大公が関与していた件は、ずいぶんと前のことだが「NHKスペシャル」で取り上げていた記憶がある。


歴史を深く知ることで、未来への「先見性」が磨かれる

インタビューで語られるオットー大公の発言には、深い洞察と教養にもとづいた金言のようなフレーズがちりばめられている。さすが欧州で650年つづいた帝国のハプスブルク家は違うなあ、という感慨を抱くのである。

オットー大公は、1992年のインタビューで次のように語っている。

「私が長い政治家としての人生から何かを学んだとしたら、それは政治の世界には二つの言葉、「決して(し)ない」という言葉と、「恒久的な(永遠に)」という言葉は見当たらないということです。「恒久的」なのは神であり、歴史を少しでも知る人であればおわかりでしょうが、その根本法則は変化です。この根本的なことはどれほど強調してもしすぎることはありません」(P.366 太字ゴチックは引用者=さとう)

歴史を深く知ることで、未来への先見性が磨かれるのである。それを体現してたのがオットー大公であった。深い関わりをもったチャーチル英首相も、EU構想の父であるクーデンホーフ=カレルギー伯爵もまた、歴史の素養の深い「教養人」であった。

オットー大公の判断の軸となっていたのがキリスト教であり、しかもカトリック信仰であったことは、カトリックの保護者であるハプスブルク家ならではといえるだろう。

ハプスブルク帝国(=オーストリア=ハンガリー二重帝国)が1918年11月11日に崩壊してから今年で100年になる。それは、第一次世界大戦後から第2次世界大戦を経て、冷戦構造の成立から崩壊後まで含んだ激動の一世紀である。

1912年11月20日に生まれて、2011年7月4日に98歳で亡くなったオットー大公は、まさにこの激動の一世紀を体現した人物であった。本日(2017年11月20日)は、奇しくもオットー大公の生誕105年に当たる。





目 次

オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンの人生(関口宏道=監訳者)
第1章 幼年時代(1912~1929)
 第1節 オーストリア=ハンガリー帝国
 第2節 レケイティオ
第2章 青年時代(1929~1940)
 第1節 ヒトラーの演説を聞く
 第2節 国家社会主義と対峙
 第3節 シュテーノッケルゼール
第3章 アンシュルス(=ドイツによるオーストリア併合 1938)
 第1節 コードネームは「オットー作戦」
 第2節 極秘文書、ドイツ国防軍司令部発ヒトラーの指示
第4章 パリ(1939~1940)
 第1節 オーストリア再興のために
 第2節 パリへ向かう
 第3節 「オーストリア代表部」「亡命オーストリア人部隊」設立に動く
 第4節 フランスはオーストリア再興の必要性を承認
第5章 挑戦し続けるオットー(1940)
 第1節 最初のアメリカ行き
 第2節 パリ。オットーによる救出作戦
 第3節 「ナーハ ヴェスト」(西へ)
第6章 再びアメリカへ(1940~1944)
 第1節 オーストリア救援に力を尽くす
 第2節 政治力と情報戦
第7章 オーストリア再興のための戦い 
 第1節 アメリカのオットー、ロンドンのローベルト
 第2節 オーストリア大隊編成をめぐる反対勢力の詭弁
第8章 中央ヨーロッパの命運(1943~1944)
 第1節 ケベック会議
 第2節 パン・ヨーロッパへの始動
第9章 モスクワ宣言発効(1944)
 第1節 ロンドンライン
 第2節 アメリカを関与させる
第10章 ハンガリー
 第1節 オットーの尽力
 第2節 ハンガリー、ソ連の最初の犠牲になる
第11章 第二次世界大戦終結後(1945~1991)
 第1節 ヨーロッパへの帰還
 第2章 ヨーロッパの国々の中で
 第3節 統一ヨーロッパへ
 第4節 共産主義崩壊後の世界
 第5節 オリエントへの旅
第10章 東西冷戦終結
 第1節 パン・ヨーロッパ・ピクニックはこうして始まった
 第2節 ハンガリーの「聖シュテファンの王冠」
訳者あとがき
ハプスブルク=ロートリンゲン家略系図
オットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン年譜
人名索引

著者プロフィール

エーリッヒ・ファイグル(Erich Feigl)
1931年ウィーン生まれ。テレビドキュメンタリーの映像作家であり著述家でもある。ツィタ皇后とオットー大公に直接インタビューをし、また多くの資料を入手し、ハプスブルク家に関する著作やフィルムを数々作成。その優れた仕事に対して学問と芸術における栄誉賞を授与され、またウィーンの市民として金の栄誉賞も受けている。2007年死去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
日本語訳者プロフィール

北村佳子(きたむら・よしこ)

1974年早稲田大学第一文学部ドイツ文学専攻卒業。ゲーテ・インスティテュート東京上級クラス修了。ウェラ化粧品、コメルツ銀行東京支店などに勤務。ドイツ人役員や支店長の秘書として翻訳通訳業務を行う。2001年コメルツ銀行退職。現在はフリーランスとしてドイツ語の翻訳業務に携わる。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





<ブログ内関連記事>

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-西欧人の無意識が反映した「文化」をさぐる解剖学者の知的な旅の記録
・・「第1章 ハプスブルク家の心臓埋葬-ヨーロッパの長い歴史は、無数の死者と共にある、 第2章 心臓信仰-日本人には見えない、ヨーロッパの古層 でハプスブルク家の「心臓埋葬」について取り上げられている。オットー大公の心臓もまた同様の扱いとなったようだ

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著 ・・失敗に終わった「1848年革命」をウィーンを舞台に描く

「サラエボ事件」(1914年6月28日)から100年-この事件をきっかけに未曾有の「世界大戦」が欧州を激変させることになった

書評 『未来の国ブラジル』(シュテファン・ツヴァイク、宮岡成次訳、河出書房新社、1993)-ハプスブルク神話という「過去」に生きた作家のブラジルという「未来」へのオマージュ

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)
・・1909年ウィーンに生まれたドラッカーは、第一次大戦に敗戦し帝国が崩壊した都市ウィーンの状況に嫌気がさして17歳のとき(1926年)、商都ハンブルクに移っている

書評 『西洋史学の先駆者たち』(土肥恒之、中公叢書、2012)-上原専禄という歴史家を知ってますか?
・・歴史家の上原専禄は、ハプスブルク帝国崩壊後の1923年からウィーンに留学している

書評 『ヒトラーのウィーン』(中島義道、新潮社、2012)-独裁者ヒトラーにとっての「ウィーン愛憎」

映画 『悪童日記』(2013年、ハンガリー)を見てきた(2014年11月11日)-過酷で不条理な状況に置かれた双子の少年たちが、特異な方法で心身を鍛え抜きサバイバルしていく成長物語

ハイテク界の巨人逝く(2016年3月21日)-インテル元会長のアンドリュー・グローヴ氏はハンガリー難民であった

オーストリア極右政治家の「国葬」?
・・オーストリア共和国の政治風土の一端について取り上げた

書評 『レッドブルはなぜ世界で52億本も売れるのか-爆発的な成長を遂げた驚異の逆張り戦略-』(ヴォルフガング・ヒュアヴェーガー、長谷川圭訳、日経BP社、2013)-タイの 「ローカル製品」 を 「グローバルブランド」に育て上げたストーリー ・・レッドブルの本社はオーストリアのザルツブルク近郊にある

JBPress連載コラム13回目は、「31歳のイケメン首相誕生か?オーストリアに注目せよ-「ハプスブルク帝国」崩壊から100年、今も中欧で求心力を発揮」(2017年11月21日)

(2017年11月21日 情報追加)




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2017年11月19日日曜日

オスネコの本能である「エクスカーション」を知る-「NHKダーウィンが来た-生き物新伝説」で全2回の「ネコ特集」!(2017年11月12日・19日)

(大怪我を負って戻ってきたノーブル君 筆者撮影)

「NHKダーウィンが来た-生き物新伝説」で、待望の「ネコ特集全2回」が放送された。猫島として有名な福岡県の相島(あいのしま)に生きる、茶猫のノラネコの若いオスの生態を追ったものだ。その若いオスネコは、個体識別法により「コムギ」と名付けられている。

第1回(11月12日)は、本能にプログラムされたオスネコの「エクスカーション」、第2回(11月19日)は「猫口密度」の高い狭い島で、オスネコがあらたに身につけた「社会性」とでもいうべき新発見を扱っている。

とくに第1回の放送は、この番組はノラネコ研究のいいおさらいになった。『わたしのノラネコ研究』(山根明弘、さえら書房、2007)の著者で、フィールドワークによるノラネコ研究の第一人者・山根明弘氏が監修している。

かつて、うちに近くにいたオスのノラネコ「ノーブル君」が大けがして戻ってきたことがあったが、あれは「エクスカーション」だったのだ(上掲写真)。

(高貴なたたずまいの若いオスネコ「ノーブル君」 筆者撮影)

「エクスカーション」とは、オスが自分のいつもの居場所から離れて「遠征」にいくことだ。数日から十数日にわたる遠征には突然ふいと出かけてしまうだけでなく、突然戻ってくるものの怪我をしていることもあるので飼い猫の飼い主を驚かせることがある。飼い猫といえでも、オスネコの本能は消えることはないのである。

(土足で他ネコの領域に踏み込む傍若無人なノーブル君 筆者撮影)

高貴なたたずまいだったので、私が勝手に「ノーブル君」と命名していたのだが、やや無謀なところのある、眼光鋭い若武者だった「ノーブル君」は、けっして逃げないネコだった。

激しいキャッツファイトで負傷したのだろう。その後、彼は姿を消して二度と戻ってこなかった。いまから6年前、2011年のことだ。

ノラネコ観察中に撮影したオスネコどうしの激しいケンカのシーンを動画に撮影しているので、ここであらためて紹介しておこう。タイトルは、「炸裂するキャッツ・ファイト!オスネコどうしのガチンコ対決」。おお、なんと視聴回数が10万回を超えているではないか! 

コンテンツとして評価されているのだろう。NHKではキャッツファイトそのものは残酷という批判を恐れて放送しないのだろうか?ぜひご覧いただきたい。


今回の2回の放送には3年間をかけているという。これまた密度の濃い番組なのだ。またいつの日か、「NHKダーウィンが来た-生き物新伝説」でのネコ特集の放送を大いに楽しみにしていう。




<ブログ内関連記事>

猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)

ノラネコに学ぶ「テリトリー感覚」-自分のシマは自分で守れ!

ハイエナは英語でなんというの?
・・「NHKダーウィンが来た-生き物新伝説」で取り上げられたハイエナ





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2017年11月15日水曜日

「歴史の三層構造」の視点を用いて歴史を見る必要性-「Hello, Coaching」連載中の「逆回し」で見えてくる「現在」の本質!」の最終回が公開(2017年11月13日)



コーチング関連の専門サイト 「Hello, Coaching」(コーチA)に連載中の「「逆回し」で見えてくる「現在」の本質!」

今年(2017年)5月に出版した拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の「書籍紹介」の形で、文字通り「ビジネスパーソンのための近現代史の読み方」について紹介します。

いよいよ今回が最終回。全5回の第5回です。

「第5回 「歴史の三層構造」の視点を用いて歴史を見る必要性」が公開。

第5回 「歴史の三層構造」の視点を用いて歴史を見る必要性
⇒ https://coach.co.jp/books-intro/20171113.html

 「「短期」であれ「中期」であれ、「現在」に生きるビジネスパーソンは、英米アングロサクソンがつくりだしてきた歴史と密接な関係にある。ビジネスの範囲が日本国内に限定されようと、中国や東南アジアであろうと、英米アングロサクソンが作り出してきた日常に私たちは浸かって生きているのだ。・・・ (つづきは本文

小見出しは以下のとおりです。

「すでに世界はネットワークによってほぼ完全に「一体化」している
「現在」とは英米アングロサクソンが主導する世界
20世紀最高の歴史家ブローデルによる「歴史の三層構造」
「歴史の三層構造」の視点を用いて歴史を見る

「歴史の三層構造」」とは、20世紀最高の歴史家とされる、フランスの歴史家フェルナン・ブローデルによるものです。

   
全5回は以下のとおりです。あらためて第1回から通読していただけると幸いです。

第1回 「現在」を知るために「歴史」をさかのぼる
第2回 トランプ大統領が誕生した裏には、どんな潮流があったのか
第3回 今の都市型ライフスタイルは、どんな風につくられてきたのか
第4回 都市型ライフスタイルを送る現代人特有の「2つの意識」
第5回 「歴史の三層構造」の視点を用いて歴史を見る必要性


さらにいえば、ぜひ拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)を直接お手にとって読んでいただければ、幸いそれにすぐるものはありません。(終わり)



<ブログ内関連記事>

2017年5月19日に5年ぶりに新著を出版します-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(佐藤けんいち、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

都内の書店をフィールドワーク-「平積み」状態の新著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)

「逆回し」とは?--『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』は常識とは「真逆」の方法で製作された歴史書であり、ビジネス書である

「ビジネス書か歴史書か、それが問題だ!」-『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』を書店のどのコーナーに並べるか?

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方




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2017年11月13日月曜日

シュタイナー研究家の西川隆範氏による仏教書は、教団や教派とは関係のないフリーな立場に身を置いた個人ベースのスピリチュアリティ重視の仏教を志向する


「お彼岸」だからというわけではないが、ここのところずっと仏教書ばかり読んでいる。以前から読んでいる本を読み返している(*注)

といっても、普通の仏教書ではない。いまは亡き西川隆範氏による仏教書だ。西川氏はルドルフ・シュタイナーの著作や講演録の翻訳者として、膨大な業績を残してくれた。

だが、西川隆範氏は20歳代の前半に出家して、高野山で伝法阿闍梨灌頂(でんぽうあじゃり・かんじょう)を受けている人だ。ベースは仏教にある。しかも、大乗仏教の最終段階である密教である。その後、シュタイナー思想と出会って、シュタイナー思想の精力的な伝道者となった。

すでに西欧近代化されてしまっている日本人にとって、旧来型の仏教がいまいちしっくりこないのは当然といえば当然だ。その意味では、西欧神秘主義のシュタイナー思想とその実践にも精通している西川氏が説く仏教が現代人にアピールするものがあるのは当然ではないだろうか?

そんな西川氏の『生き方としての仏教入門』(河出書房新社、1998)は知られざる名著といっていいと思う。初期仏教から大乗仏教への展開、浄土・禅・密教をベースに「生き方としての仏教」を淡々と平易に語ったものだ。まったく説教臭くないのが最大の特徴といっていいかもしれない。スピリチュアリティとしての仏教である。

『薔薇十字仏教-秘められた西方への流れ-』(国書刊行会、1998)という本は、なんだかオカルトめいた風変わりで奇妙なタイトルだが、内容はきわめて面白い。仏教は、インドから発して東南アジアや中国(その後、朝鮮と日本)、そしてチベット(さらにモンゴル)に伝わったというのが常識だが、じつは「東方」だけでなく、インドから「西方」にも拡がっていたのである。

その痕跡がキリスト教のなかに残存しているのだ。内容について詳しくは書かないが、シュタイナー派の解釈による仏教書で、きわめて異色の仏教書だ。日本の既存の教団や教派とは「無縁」の存在である。そこにあるのは、霊的次元におけるキリスト教と仏教との深いレベルでの相互関係(インタラクション)

つい最近知ったのだが、『仏教は世界を救うか-[仏・法・僧]の過去/現在/未来を問う』(地湧社、2012)という本があることを知った。「東京自由大学特別企画《現代霊性学講座》連続シンポジウム」の記録である。

パネリストは、井上ウィマラ、藤田一照、西川隆範の3氏で、司会は鎌田東二氏。それぞれ上座仏教、禅仏教、密教とシュタイナー、宗教学が専門。西川隆範氏の発言を読みたくて入手して読んでみたら、その他二人の仏教者のパネリストだけでなく、神道だけでなく仏教にも精通した司会者の発言もたいへん興味深いものがあって、没入して読み込んでしまった。

西欧人には理解しがたいようだが、日本人にとっては神道プラス仏教という「神仏習合」が本来のあり方であり、もちろんこのわたしも例外ではない。この点にかんしては、明治維新以前に戻る必要がある。 

西川隆範氏は、不治の病に冒されて、このシンポジウムの翌年の2013年に60歳でお亡くなりになっている。「人生100年時代」などというフレーズが横行しているが、人間はいつ死ぬかわからない存在だ。いつでも死を迎えることができるように準備をすることがいかに大事なことか、西川氏の生き方(=死に方)そのものが語っているような気がする。

西川隆範氏の仏教書のなかでは、『生き方としての仏教入門』をイチオシにしたいところだが、残念ながら「品切れ重版未定」だ。『薔薇十字仏教』は敬遠してしまう人も少なくないだろう。その意味では、最後にあげた『仏教は世界を救うか-[仏・法・僧]の過去/現在/未来を問う』は、さまざまな観点から現代人にとっての仏教の意味を考えるうえで、大いに得るものがある。ぜひ読むことをすすめたい。

 「仏教」と「仏教教団」はわけて考えなくてはならない。スピリチュアリティとしての仏教と宗教(レリジョン)としての仏教もまたイコールではない

教団や教派とは関係のない、フリーな立場に身を置いた個人ベースのスピリチュアリティ重視の仏教だ。そんな立場にある個人が、何事にも束縛されない自由な立場で語り合う。

こういうあり方が、現代人にはもっともフィットしたものではないかと思う。


*(注)アップするのが遅れてしまったが、このブログ記事を書いたのは、2017年9月の「お彼岸」である。





プロフィール

西川隆範(にしかわ・りゅうはん)
1953年、京都市に生まれる。青山学院大学仏文科卒業、大正大学大学院(宗教学)修士課程修了。奈良西大寺で得度、高野山宝寿院で伝法潅頂。ゲーテアヌム精神科学自由大学(スイス)、キリスト者共同体神学校(ドイツ)に学ぶ。シュタイナー幼稚園教員養成所(スイス)講師、シュタイナー・カレッジ(アメリカ)客員講師を経て、多摩美術大学非常勤講師。シュタイナーの著作の日本語訳が多数ある。2013年に逝去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに追加)。







<ブログ内関連記事>

シュタイナー関連

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる

子安美知子氏の「シュタイナー教育」関連本をまとめて読んで「シュタイナー教育」について考えてみる


■仏教関連

書評 『知的唯仏論-マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う-』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)-内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談

書評 『仏教学者 中村元-求道のことばと思想-』(植木雅俊、角川選書、2014)-普遍思想史という夢を抱きつづけた世界的仏教学者の生涯と功績を "在野の弟子" が語る

書評 『「無分別」のすすめ-創出をみちびく知恵-』(久米是志、岩波アクティブ新書、2002)-「自他未分離」状態の意識から仏教の「悟り」も技術開発の「創出」も生み出される

マンガ 『月をさすゆび ①~④』(永福一成=原作、能條純一=作画、小学館、2015~2016)-この「仏教マンガ」は人生の岐路にある人すべての心の奥底に触れるものがある

書評 『講義ライブ だから仏教は面白い!』(魚川祐司、講談社+α文庫、2015)-これが「仏教のデフォルト」だ!

書評 『「気づきの瞑想」を生きる-タイで出家した日本人僧の物語-』(プラ・ユキ・ナラテボー、佼成出版社、2009)-タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」





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