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2015年12月30日水曜日

書評 『講義ライブ だから仏教は面白い!』(魚川祐司、講談社+α文庫、2015)-これが「仏教のデフォルト」だ!


この本は面白い。ほんとうに面白い。

帯に記された「ニートになれ。世界を終わらせろ。」というコピーに違和感を感じたなら読むべきだ。読めば一般読者の「仏教」観は完全にくつがえされるだろう。いや、へたに「仏教」について予備知識がなければ、逆にすんなり理解できるかもしれない。

『講義ライブ だから仏教は面白い』(魚川祐司、講談社+α文庫、2015)は、もともと電子書籍版として出版されたものを、加筆修正のうえ文庫本として書籍化したものだ。

著者は1979年生まれの「仏教研究者」。ミャンマーのヤンゴンで瞑想修行の実践を行いながら仏教教理の研究をすすめている。著者が「仏教徒」と名乗らないのは、特定の宗派の立場からする説法ではないからだ。

著者は、聞き手との対話の形式をつかいながら「初期仏教」、すなわちブッダ(=仏陀)が言っていることを仏教経典に即して解説している。聞き手の合いの手がちょっと過剰ではないかという気がしないでもないが、ライブという臨場感が伝わってくるのがよい。

この本で解説されていることは、いわば「仏教」のデフォルト、つまり「初期設定」なのである。その後の「仏教」の展開は二次創作的なバリエーションだから、この初期設定についてただしく理解しておくことが大前提になるのだ。

ミャンマーは、スリランカとならんでテーラヴァーダ仏教(=上座仏教)の中心地。テーラヴァーダ仏教は、「初期仏教」の特徴を現代までよく伝えているといわれる。

そのほかタイやラオス、カンボジアという「上座仏教圏」においては、「上座仏教」は、出家者ではなくても、一般民衆の思考に多大な影響を及ぼしている。
  
さらに、いまグーグルなどアメリカのIT系大企業で社員教育の一環として本格的に導入されている「マインドフルネス研修」は、「テーラヴァーダ仏教」のウィパッサナー瞑想法を応用したものだ。マインドフルネス(mindfulness)とは「気づき」の状態に満ちていることである。

日本の「大乗仏教」に慣れている人には、本書の内容はとんでもなく奇異な印象さえ受けるだろう。現代日本人の「常識」とは相容れないからだ。だが、「初期仏教」についての理解がないと、根本的な認識を誤ることにもなりかねないはずだ。

まさに「仏教はヤバい!」のである。最近の若者風にいえば、「ヤバい!」は「スゴい!」という意味になる。ヤバいほどスゴいということだ。その意味は、本書を読んでいけば実感できるはずだ。

まあ、だまされたと思って、読んでみることを強くすすめますよ。読み終えたとき、これが「仏教」のデフォルトだと理解していることだろう。






目 次

はじめに
第1回 仏教はヤバいもの
第2回 仏教の核心
第3回 仏教の基本
第4回 無我と輪廻をめぐって
第5回 「世界」を終わらせるということ
第6回 仏教の実践
第7回 「悟り」はあるかないか問題
あとがき
解説: 宮崎哲弥


著者プロフィール

魚川祐司(うおかわ・ゆうじ)
1979年、千葉県生まれ。著述・翻訳家。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学(インド哲学・仏教学専攻)。2009年末よりミャンマーに渡航し、テーラワーダ仏教の教理と実践を学びつつ、仏教・価値・自由等をテーマとした研究を進めている。処女作『仏教思想のゼロポイント「悟り」とは何か』(新潮社)が話題となる。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





<関連サイト>

ミャンマー仏教書ライブラリー ~英緬仏教書の翻訳・公開~(著者のサイト)


<ブログ内関連記事>

書評 『知的唯仏論-マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う-』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)-内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」


上座仏教全般と初期仏教

『ブッダのことば(スッタニパータ)』は「蛇の章」から始まる-蛇は仏教にとっての守り神なのだ

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・

タイのあれこれ (4)-カオパンサー(雨安吾入り)

書評 『「気づきの瞑想」を生きる-タイで出家した日本人僧の物語-』(プラ・ユキ・ナラテボー、佼成出版社、2009)-タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門


ミャンマーの上座仏教(=テーラヴァーダ仏教)

ミャンマー再遊記(8)-熱心な上座仏教徒たち

三度目のミャンマー、三度目の正直 (6) ミャンマーの僧院は寺子屋だ-インデインにて (インレー湖 ⑤)

三度目のミャンマー、三度目の正直 (8) 僧院付属の孤児院で「ミャンマー式結婚式」に参列




(2012年7月3日発売の拙著です)








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2015年の年末に「異種ジャンル」のマンガをまとめ読み


マンガを読むときは、マンガばかり読んでいたいという気持ちがある。

それにもっとも適しているのは、続きもののマンガを第1巻から最終巻まで一気読みすることだが、ジャンルの異なるマンガを脈略なくまとめて読むのも悪くない。

前者が「通時的」(=ディアクロニック)な読みだといえば、後者は「共時的」(=シンクロニック)な読みといってもいいだろう。同時代の異なる諸相をマンガをつうじて横断的に読むのである。

というわけで、ことし2015年の年末の一日をマンガを読んで過ごした。
  
まずは、続きものの最新刊から。

『重版出来⑥』(松田奈緒子、小学館、2015)
『きのう何食べた?⑪』(よしながふみ、講談社、2015)
『いちえふ③』(竜田一人、講談社、2015)
『孤独のグルメ②』(谷口ジロー、扶桑社、2015)

それぞれザックリとしコメントをつけておこう。

『重版出来⑥』はマンガ出版の世界を描いた「仕事マンガ」の最新刊。このマンガはなかなか続きそうだ。

『きのう何食べた?⑪』はゲイカップルが主人公の「料理マンガ」。もうすでに11巻。変わらないようで、ゆっくりと確実に変化している人生を描いている。

『いちえふ③』は福島第一原発の内部を現場作業員の視点で描いた「仕事マンガ」。だが、なんとこの第3巻でひとまず終了というのは残念。作者がフィールドワークできない以上、仕方ない。

『孤独のグルメ②』は、「食事マンガ」だが、「飲食もの」ではない。なぜなら主人公は下戸だから酒を飲まない。この第2巻は、なんと18年ぶり(!)の続刊。この機会に第1巻も読み返してみたが、18年のブランクをまったく感じさせないのはプロの技だなあ。

つぎに、まったく知らないマンガをネット上の評判だけを頼りに読んでみた。

●『ねじの人々①』(若木民喜、小学館、2015)
『流転のテルマ①』(蔵西(くらにし)、講談社、2014)

『ねじの人々①』(若木民喜、小学館、2015)は「哲学マンガ」。こういうジャンルができてきたというのは面白い。意外と面白いので哲学入門にはいいかも。

『流転のテルマ①』(蔵西(くらにし)、講談社、2014)は、本格的なチベットものマンガ。これはじつに面白い。つづけて2巻と3巻も読みたくなった。作者の蔵西(くらにし)は、チベット大好き人間のようだ。もちろんチベットの漢字表記の西蔵を逆さにしたペンネーム。ことし最大の収穫かな?

 こんなふうに脈略なくマンガを読むのもよいものだ。マンガ読むときは、マンガばかり読んでいたいからね。







<ブログ内関連記事>

書評 『仕事マンガ!-52作品から学ぶキャリアデザイン-』(梅崎 修、ナカニシヤ出版、2011)-映画や小説ではなくなぜ「仕事マンガ」にヒントがあるのか?

『重版出来!①②③④⑤~』(松田奈緒子、小学館、2013~)は、面白くて読めば元気になるマンガだ!

マンガ 『きのう何食べた ⑩』(よしながふみ、講談社、2015)-50歳台になっても自分で料理してスタイルを維持しつづける主人公

マンガ 『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記 ①』(竜田一人、講談社、2014)-廃炉作業の現場を作業員として体験したマンガ家による仕事マンガ


■マンガの全巻一気読み

マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み

マンガ 『20世紀少年』(浦沢直樹、小学館、2000~2007) 全22巻を一気読み

『取締役 島耕作』 全8巻を一気読み




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2015年12月29日火曜日

映画 『完全なるチェックメイト』(2014年、アメリカ)をみてきた(2015年12月27日)-米ソ冷戦時代を背景に世界チャンピオンとなったアメリカ人天才チェスプレイヤーの半生を描いたヒューマンドラマ


映画 『完全なるチェックメイト』(2014年、アメリカ)を東京・日比谷のTOHOシネマズ・シャンテでみてきた(2015年12月27日)。米ソ冷戦時代を背景に、チェスの世界チャンピオンとなったユダヤ系アメリカ人の天才(prodigy)の半生を描いたヒューマンドラマである。

この映画のハイライトは、なんといっても頂上対決となった1972年の世界チャンピオン決定戦。東側世界の代表であるソ連のチェス・チャンピオンのボリス・スパスキーと、西側世界の代表である米国のチェスチャンピオンのボビー・フィッシャーの、チェスボード上の死闘である。

頂上対決が行われたのはアイスランドの首都レイキャヴィク。頂上対決が行われた1972年は、ベトナム戦争末期。世の中は騒然としていたが、チェスプレイヤーには世の中の動きなど眼中にはない。ひたすら対決相手の棋譜を研究し、猛烈な演算スピードで自分の打ち手を考え抜くのみだ。


原題は、Pawn Sacrifice となっている。チェスには詳しくないとこれだけではピンとこないが、調べてみるとポーン(pawn)とは、チェスの駒のひとつで将棋でいえば「歩」(ふ)にあたるものだ。直訳すると、「ポーンの犠牲」となる。

『研究社英和辞典』には、以下のように説明されている。

【チェス】 ポーン,歩 《★ 1 ますずつ前に進む; ただし最初に動かす時は 2 ます進むこともできる; 斜め前の敵を捕獲する

(チェスの駒のひとつ「ポーン」 wikipedia掲載画像を筆者加工)


主人公のボビー・フィッシャーは、アメリカ生まれのユダヤ人。実際の人物がどうだったのかはさておき、映画の設定では両親は離婚し、母親はロシア出身のユダヤ系インテリで共産主義シンパとなっている。母子間の会話は英語だが、母親とその友人関係の会話はロシア語で行われている。

主人公ボビー・フィシャーのロシア嫌い、ソ連嫌い、共産主義嫌いのルーツがそこらへんにあることを暗示しているようだ。ボビーのチームに、チェス有段者の黒衣のカトリック司祭が同行しているのも、バチカンが反共姿勢をとっていた冷戦時代という時代背景を考えると不自然さはない。

そもそもチェス以外にはほとんど関心がないという天才肌の人物で、日本流にいうならチェスの神様に魅入られた男というべきだろう。つまるところパラノイア(=偏執的)で、限りなく狂気に近い天才ということだ。

日本公開版の公式サイトには、ボビー・フィッシャーは以下のように記述されている。

Bobby Fischer/ボビー・フィッシャー (1943年3月9日~2008年1月17日) アメリカ、シカゴ生まれ。チェスの世界チャンピオンになるも、あえてタイトルを放棄したり、事実上の国家反逆罪で国を追われ、長年にわたり世界を放浪するなど、その謎めいた行動をとり、数奇な人生を送った人物としても有名。2000年代初頭には日本の蒲田でも生活していた。晩年はスパスキーとの世界戦をおこなったレイキャビクで余生を送る。2008年、奇しくもチェス盤の目の数と同じ64歳で死去。

(米国版のポスター)

『ビューティフルマインド』の主人公の数学者ナッシュを髣髴(ほうふつ)とさせるものがある。おなじく米ソ冷戦時代の人物だが、最終的には回復してノーベル賞を受賞したナッシュと比べると、ボビー・フィッシャーは狂気の果てまで言ってしまったのか、とう気がしなくもない。

原題は、Pawn Sacrifice となっているが、犠牲にしたのはポーン(=歩)だけでなく、自らの人生だったのかもしれない。世界チャンピオン獲得の代償はあまりにも大きかったというべきか。

チェスに詳しくないわたしのような人間でも、手に汗握りながらおおいに楽しむことができた。





<関連サイト>

映画『完全なるチェックメイト』公式サイト PAWN SACRIFICE

トビー・マグワイア主演 映画『完全なるチェックメイト』予告編(YouTube)


Jew or Not Jew: Boris Spassky
・・母親がユダヤ系というウワサは本人が否定、とある

Jew or Not Jew: Bobby Fischer
・・母親がユダヤ系なのでユダヤ人なのだが、本人は反ユダヤ的な言動が多い、とある


<ブログ内関連記事>

■チェスと勝負事

書評 『謎のチェス指し人形「ターク」』(トム・スタンデージ、NTT出版、2011)-18世紀後半のオートマトンにコンピュータとロボットの原型をさぐる「知の考古学」

書評 『修羅場が人を磨く』(桜井章一、宝島社新書、2011)-修羅場を切り抜けるには、五感を研ぎ澄ませ!


冷戦時代の米ソ関係

書評 『ランド-世界を支配した研究所-』(アレックス・アペラ、牧野洋訳、文藝春秋、2008)-第二次大戦後の米国を設計したシンクタンクの実態を余すところなく描き切ったノンフィクション

書評 『ソ連史』(松戸清裕、ちくま新書、2011)-ソ連崩壊から20年! なぜ実験国家ソ連は失敗したのか?

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える
・・「反共」の立場から、バチカンと米国は同床異夢のタッグを組んでいた

⇒ 映画のなかにでてくるチェスプレイヤーの黒衣の司祭の存在は・・

「JFK-その生涯と遺産」展(国立公文書館)に行ってきた(2015年3月25日)-すでに「歴史」となった「熱い時代」を機密解除された公文書などでたどる
・・ケネディ時代にキューバをめぐって米ソは一触即発の危機を体験した


ロシア系ユダヤ人

書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?
・・創業経営者の一人セルゲイ・ブリンはソ連から米国に移住した数学者の息子

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン
・・「数学をつうじて神に近づこうとする姿勢」

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987) 
・・プログラミング能力と『タルムード』の議論で培われたユダヤ的発想との親和性


天才の運命

映画 『イミテーション・ゲーム』(英国・米国、2014年)をみてきた(2015年3月14日)- 天才数学者チューリングの生涯をドイツの暗号機エニグマ解読を軸に描いたヒューマンドラマ

最近ふたたび復活した世界的大数学者・岡潔(おか・きよし)を文庫本で読んで、数学について考えてみる
『ビューティフルマインド』の数学者ナッシュのような・・




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映画 『消えた声が、その名を呼ぶ』(2014年、独仏伊露・カナダ・ポーランド・トルコ)をみてきた(2015年12月27日)-トルコ人監督が100年前のアルメニア人虐殺をテーマに描いたこの映画は、形を変えていまなお発生し続ける悲劇へと目を向けさせる


映画 『消えた声が、その名を呼ぶ』(2014年、独仏伊露・カナダ・ポーランド・トルコ)を、東京・有楽町の角川シネマでみてきた(2015年12月27日)。100年前にトルコでおきたアルメニア人虐殺をテーマに、トルコ人映画監督が描いたヒューマンドラマだ。

いまからちょうど100年前の1915年、当時のオスマントルコ帝国の東部で、アルメニア人たちが平和に暮らしているコミュニティから物語は始まる。アルメニア人はキリスト教徒であるが、寛容の精神に貫かれたオスマン帝国においては、マジョリティのムスリムと長年にわたって平和共存してきたのだった。

豊かではないが、とくに変哲もない幸せな生活を送っていた主人公一家であったが、それは突然破られてしまう。1915年は第一次世界大戦が始まってから2年目にあたる年、ドイツ側についたトルコは英国と戦争状態にあったのだ。無慈悲にも憲兵たちに連れ去られ強制労働に従事させられる主人公、残された家族と無慈悲にも引き離されてしまうしまう。主人公の長いオディッセイはその日から始まった。

『消えた声が、その名を呼ぶ』という日本公開版のタイトルは、文字通り「声を消された」主人公の心の叫びを表現したものだ。英語タイトルはシンプルに "CUT"(カット)。ポスターにはアルメニア語の書体を模したタイトルが描かれている。


英語タイトルの Cut とは「切断」という意味だ。主人公を含めたアルメニア人の男たちは強制労働を強いられたあげく、ある日突然のこと、のどを掻き切られて処刑される。あたかも羊の息の根を一瞬にして止めるときにような遊牧民らしいやりかただ。自称「イスラーム国」の処刑のやり方もまた同じである。

のどを掻き切られて処刑されたアルメニア人の男たちだが、幸運なことに主人公だけは死を免れる。処刑執行人のトルコ人に慈悲の心があっため息の根を止められなかったのだ。主人公は生き延びることはできたが、しかし気管を切断されたため声を失ってしまう。それが日本語タイトルの「消えた声」の意味である。

「声を消された」主人公は、その後さまざまな幸運に助けられながらも砂漠を西へと横断し、東地中海はシリアのアレッポに落ち着くことになる。大戦終了後、離散した家族を求めてレバノン、そして大西洋の対岸のキューバ、北米のフロリダ、米国北西部のミネアポリス、さらにはノースダコタまで、生きる支えとなっていた双子の娘たちを探すオディッセイとして、長い長い漂流の旅が続けられる。携帯電話やスマホが普及している2015年現在では想像もつかない状態のなかで、である。

「実話にもとづく」という表示がなされていなかったので、おそらく主人公を中心とした物語はフィクションだろう。だが、その物語の背後にある「消された声」は無数にあったはずなのだ。消された声、奪われた声 を主人公である若い父親に象徴させているのであろう。


「アルメニア人虐殺」において、アルメニア側からは150万人が殺されたと主張する。「虐殺」した側とされるトルコでは6万人弱だと主張する。正確なところはわからない。いずれが正しいのかもわからない。「消えた声」の詳細はわからないまま葬りされれてしまっている。だからこそ、意訳ともいうべき日本語タイトルは、映画のメッセージをダイレクトに伝えているといえるのだ。

事件が発生した1915年という年に驚かなくてはならない。「アルメニア人虐殺」のわずか20年後にナチスドイツによる「ユダヤ人虐殺」が開始されているのである。「ユダヤ人虐殺」は、けっして「消された声」ではないが、「アルメニア人虐殺」はそれ自体が多くの人々の意識に上ることすらない。

第一次世界大戦はオスマントルコ帝国の崩壊をもたらしたが、帝国末期の混乱状況においてオスマン帝国の特色であった「寛容の精神」は失われ、不寛容の嵐が吹き荒れたのである。オスマン帝国崩壊後、支配下にあったアラブ民族もアルメニア民族も独立を果たすことになる。アラブ民族独立のために奔走したのがアラビアのロレンスであった。

この映画の前半を見ていて、いままさに進行中の自称「イスラーム国」による住民の蹂躙(じゅうりん)を想起してしまうのは、のどを掻き切る処刑シーンだけではない。英仏による帝国分割の密約にもとづいて建設されたイラク解体後の自称「イスラーム国」の支配が、ふたたび同じ問題を生み出しているからだ。

自分たちの意思にかかわりなく占領され、自由を奪われた住民たちの苦難、そのなかから、からくも難民として脱出することのできた人々のことが重ねあわされるからだ。

島国・日本に生きていると体感しにくいが、規模の大小はあれ、このような惨事がたびたび起きてきた。ユーラシア大陸でも、南北アメリカ陸でも、アフリカ大陸でも。そして犠牲になるのはいつも一般人である。大多数は「声なき人々」である。

この映画は、けっして100年前の過去を描いたものではない。虐殺した側を糾弾する内容でもない。その後の100年間に起きた、そしていまこの現在も世界各地で起きている人道上の悲劇に目を向けさせるための映画なのだ。





<関連サイト>

映画『消えた声が、その名を呼ぶ』 公式サイト

映画『消えた声が、その名を呼ぶ』 トレーラー(YouTube)
・・日本語字幕あり


僕が「アルメニア人大虐殺」を題材にした理由 ファティ・アキン監督が語るタブーへの挑戦(壬生智裕 :映画ライター、東洋経済オンライン、2016年1月9日)
・・「この映画を作ったことで、特にファシスト系の人から死の宣告を受けて、脅されることもあった。でもそんなことをされると逆にアドレナリンが放出されてくるんだ。それは最高のドラッグみたいなもんだよね。(・・中略・・) ある種のパブリックエネミー(社会の敵)になってしまったんだよね。彼らは本気で僕を殺そうとは思っていないんだろうけども、少なくとも気軽にトルコに行けなくなったという事実が僕にはある。」(ファティ・アキン)

( 2016年1月10日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

アルメニア人と中近東のキリスト教徒

ブランデーで有名なアルメニアはコーカサスのキリスト教国-「2014年ソチ冬季オリンピック」を機会に知っておこう!

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010) ・・中東においては、イスラームよりも、おなじ一神教のキリスト教のほうが歴史がはるかに長い!


■虐殺と難民発生

欧州に向かう難民は「エクソダス」だという認識をもつ必要がある-TIME誌の特集(2015年10月19日号)を読む
・・シリア難民は虐殺を逃れてきた人々だ

映画 『アクト・オブ・キリング』(デンマーク・ノルウェー・英国、2012)をみてきた(2014年4月)-インドネシア現代史の暗部「9・30事件」を「加害者」の側から描くという方法論がもたらした成果に注目!
・・1965年のインドネシアでは100万人以上が虐殺された

ボリウッド映画 『ミルカ』(インド、2013年)を見てきた-独立後のインド現代史を体現する実在のトップアスリートを主人公にした喜怒哀楽てんこ盛りの感動大作
・・インド独立後にパキスタンとの国境地帯で起きた大虐殺

ハンガリー難民であった、スイスのフランス語作家アゴタ・クリストフのこと
・・1956年のハンガリー革命後、難民となってスイスに定住したハンガリー人作家

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版、2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する


自称「イスラーム国」 

書評 『イスラム国-テロリストが国家をつくる時-』(ロレッタ・ナポリオーニ、村井章子訳、文藝春秋、2015)-キーワードは「近代国家」志向と組織の「近代性」にある

「イスラーム国」登場の意味について考えるために-2015年1月に出版された日本人の池内恵氏とイタリア人のナポリオーニ氏の著作を読む




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「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」(Bunkamura)にいってきた(2015年12月27日)-かつて隆盛を誇った産業都市リバプールの同時代の企業家たちが収集した作品の数々

(ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 「デカメロン」 1916年)

「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」(Bunkamura)にいってきた(2015年12月27日)。かつて産業革命の中心地のひとつで隆盛を誇った産業都市リバプールの企業家たちが、同時代の画家たちの作品として収集した「ラファエル前派」の作品の数々である。

港湾都市リバプールといえばビートルズを生み出した町として有名だが、彼らが生まれた頃はすでに衰退過程にあった。だが、産業都市の担い手であった企業家たちは、大きな遺産をこの町に遺したというわけだ。これこそ実業家の地域貢献の最たるものというべきだろう。かつてバブル期の日本で流行語となったメセナを地で行くものというべきだ。

今回の美術展は、リバプールにある3つの美術館の所蔵品から、「ラファエル前派」の全体像がわかるような作品が出品されている。

「ラファエル前派」とは、ちょうどいまから500年前のイタリア・ルネサンスを代表する画家ラファエロの前に戻れ(!)という意味の芸術運動である。

大学時代以来、わたしの好みのひとつである19世紀後半の「ラファエル前派」。わたしの個人的な好みは、年代順にジョン・エヴァレット・ミレイ、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、エドワード・バーン=ジョーンズ、とくに後者の二人となるのだが、今回の美術展はよく目配りのきいたものとなっている。

今回の美術展は4部構成になっている。


Ⅰ. ヴィクトリア朝のロマン主義者たち
Ⅱ. 古代世界を描いた画家たち

Ⅲ. 戸外の情景

Ⅳ. 19世紀後半の象徴主義者たち


ミレイといえば、テート美術館所蔵の「オフィーリア」がその代表作だが、今回の美術展で出品されている「春 林檎の花咲く頃」(1859年)もすばらしい。

(ジョン・エヴァレット・ミレイ 「春 林檎の花咲く頃」 1859年)

イタリア系英国人ダンテ・ガブリエル・ロセッティもまた「ラファエル前派」を代表する画家で詩人だが、古代の女預言者を描いた 「シビラ・パルミフェラ」(1865~1870年)もすばらしい作品だ。

 (ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 「シビラ・パルミフェラ」1865~1870年)

「ラファエル前派」の後期を代表するエドワード・バーン=ジョーンズの作品としては、「レバノンの花嫁」(1891年)という大作、 「フラジオレットを吹く天使」(1878年)がすばらしい。

(エドワード・バーン=ジョーンズ 「レバノンの花嫁」 1891年)


(エドワード・バーン=ジョーンズ 「フラジオレットを吹く天使」1878年)


日本でも最近ふたたび「ラファエル前派」の人気が高まっているが、今回はいわゆる定番の作品ではなく、日本ではまだまだ知られていない作品が多く出品されているのが特色というべきだろう。

なんと挿絵画家として著名なケイト・グリーナウェイの作品も1点展示されていることも付記しておこう。

「ラファエル前派」という19世紀後半の英国に始まった美術運動は、500年前のラファエロに始まる「近代」以前の「中世」に戻れという方向性、すなわち「脱近代」という方向性だけでなく、じつは産業社会が生み出した成果を存分に使用するという性格のものであった。復古ではなく、あらたな創造なのである。

だからこそ、同時代の成功した実業家たちが「ラファエル前派」の画家たちの作品を購入したのではないかと思うのである。「ラファエル前派」は、資本主義の先進国であった英国において、当時の最先端をいくものであったのだ。そんな観点から鑑賞してみるのもいいかもしれない。







<関連サイト>

「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」(Bunkamura)公式サイト


(マイコレクションから D.G. ロセッティによる Be Loved ただし今回の出品ではない)



<ブログ内関連記事>

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860~1900」(三菱一号館美術館)に行ってきた(2014年4月15日)-まさに内容と器が合致した希有な美術展
・・ラファエル前派の

500年前のメリー・クリスマス!-ラファエロの『小椅子の聖母』(1514年)制作から500年
・・「ラファエル前派」とはイタリア・ルネサンスを代表する画家ラファエロの前に戻れ(!)という意味の運動である

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である ・・この本はぜひ読むべき本

聖なるイメージ-ルブリョフのイコン「三位一体」、チベットのブッダ布、ブレイクの版画
・・英国の象徴派の画家で詩人のブレイクの作品「創造神」も紹介

「天使のトランペット」は、秋に咲く黄色で下向きのラッパ状の花
・・バーン=ジョーンズの「フラジオレットを吹く天使」のテーマ

「ホイッスラー展」(横浜美術館)に行ってきた(2015年1月24日)-フランス人でもなく英国人でもないアメリカ人ホイッスラーの「唯美主義」と「ジャポニスム」
・・アメリカ生まれで英国とフランスに定住したホイスッラーは・・

映画 『ターナー、光に愛を求めて』(英国・ドイツ・フランス、2014)を見てきた(2015年7月1日)-英国が生んだ風景画家の巨匠ターナーの知られざる後半生を描いた「動く絵画」
・・英国美術史においてラファエル前派の前の時代を代表する画家ターナー。ラファエル前派は写真的な写実性も追及した




(2012年7月3日発売の拙著です)








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2015年12月27日日曜日

地面に点在する「モグラ塚」-足元を見よ!③


地面にこんもりと土が盛り上がっている。こんな穴が点在しているとき、それは「モグラ塚」であるとわかる。

「足元を見よ」シリーズの3回目は、コンクリートやアスファルトで舗装された硬い地面ではない。比較的やわらかい地面で目にするものだ。「モグラ塚」は英語では molehill(モールヒル)という。mole(モール) はモグラのこと。

モグラは地下世界の住人である。地下にトンネルを掘って、そのなかで生きている。「潜る」という動詞の変化形が「潜ら」なのであろうと思いたくなるが、そうではないようだ。地下に潜るモグラはトンネル工事の象徴としてマスコット扱いされることも多い。

目がちっこくてかわいい(?)モグラの姿形は誰もが知っているにもかかわらず、めったに地上に姿を現すことはない。じっさいにホンモノのモグラを見た人はそう多くはないのではないか?

ごくたまにだが、「モグラ塚」の近くで、モグラが仰向けになってひっくりかえっているのを目にすることがある。

それはたまたま地上近くに這い出てきたときに、ノラネコが穴から引きずり出したからだ。生まれながらのハンターであるネコは、狭い穴のなかに入ってネズミだけでなくモグラも捕まえる。ただし、捕まえることに意義があっても、捕食することには関心がないようだ。だから、死んだモグラがそのまま放置されているわけだ。

「人間はゲームセンターでモグラを叩くが、ネコはモグラを引きずり出す」、というわけですな(笑)。とはいえ、モグラ退治には「ネコの手」も借りたい(?)というのは、あんがい人間のホンネかもしれない。

「アリの穴」と違って「モグラ塚」は比較的大きいので目に付くものだ。土の地面のを歩くときには足元に目を向けてみるのもいいだろう。だが、なかなかモグラを目にすることはないだろうが・・・








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アリの巣をみる-自然観察がすべての出発点!

書評 『土の科学-いのちを育むパワーの秘密-』(久馬一剛、PHPサイエンス・ワールド新書、2010)-「土からものを考える視点」に貫かれた本


足元を見よ!

秋が深まり「どんぐり」の季節に

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩

マロニエはマロン(栗)にあらず


足元の十字を見よ!-足元を見よ!①

足元の「G」に注目-足元を見よ!②




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足元の「G」に注目-足元を見よ!② 


足元を見よ!①では、「足元の十字を見よ!」と題して、ふだんは目にすることがないであろう、十字を刻んだ小型の石柱について取り上げた。

さて、今回は同様に日本のいたるところに存在する、足元の「G」のマークに注目していただくこととしよう。

先のブログ記事では「十字」を取り上げたことから、読者のなかには「G」といえば例のあれだな、とすぐにピンと人も来る少なくないだろう。

結論を先に述べておくと、足元の G は Gas(ガス)の G である。つまりガス管がこの下に埋まってますよという標識だ。フリーメーソンに登場するGではないので念のため(笑)。

道路工事をする際に問題になるのが、地下になにが埋まっているのかじっさいに掘ってみないと正確にはわからないことがあるということだ。地下には水道管や下水道管、NTTの通信ケーブルなどさまざまな管が埋められている。近年は電線地下化の動きもあるので、道路の下はさらに複雑化する傾向にある。

地下埋設物のなかでも、もっとも危険なのがガス管だ。ガス管を切断してしまったっりするとガス漏れが発生し、火災や爆発事故にもつながりかねない。だから、ガス管の存在を示すための標識が道路に設置されているのである。

ガス管を示す G は、だからそれほど重要な存在なのである。

さきにフリーメソンの G のマークについて言及したが、フリーメーソンにおいても G の存在はきわめて大きく重要なものがある。



(フリーメーソンのシンボルマーク wikipediaより)

フリーメーソン(Freemason)というと秘密結社というイメージだけが一人歩きしているが、もともと中世ヨーロッパの建築ギルドであったフリーメソンは、建築に必要な計測のための定規とコンパスをシンボルにしている。メーソン(Mason)とは石工職人のことである。

中央の「G」は至高存在を意味し、大文字で始まる神(God)と幾何学(Geometry)、栄光(Glory)、寛容(Grandeur)なども意味しているという。さらにはグノーシス(Gnosis)の意味も込められているという説もある。グノーシスは霊と肉体の二元論を説く古代宗教で、キリスト教世界では異端とされてきた。

フリーメーソンは啓蒙主義の担い手として、フランス革命においては大きな役割を果たしたことも知っておくべきことだ。啓蒙主義は近代を方向づけた思想である。

連想ついでに記しておくが、まんなかにGのマークがくるのは、プロ野球の読売ジャイアンツロゴデザインもそうである。読売ジャイアンツのロゴは読売(Yomiuri)の「Y]とジャイアンツ(Giants)の「G」を組み合わせたもので、おそらく大リーグのニューヨーク・ジャイアンツの真似だと思うが、奇しくもフリーメーソンのシンボルマークと似ているのは不思議なことだ。

(読売ジャイアンツのロゴ wikipediaより)


本年度は優勝できなかったとはいえ、「巨人軍」もまた野球界に君臨する存在である。「G」というグレート(Great)で至高の存在(?)に対する強いこだわりが、潜在意識のなかに存在するのかもしれない、かな? 足元を引っ張る作用の重力(Gravity)もまた「G」であるしね。

そんなことを想起しながら、足元を見ながら歩いてみると面白いかもしれない。とはいえ、足元に気を取られてると危険ですよ。くれぐれも前方には気をつけるように!






<ブログ内関連記事>

足元の十字を見よ!-足元を見よ!①

地面に点在する「モグラ塚」-足元を見よ!③


書評 『陰謀史観』(秦 郁彦、新潮新書、2012)-日本近現代史にはびこる「陰謀史観」をプロの歴史家が徹底解剖
・・「本書で取り上げられる「陰謀説」は、「田中上奏文」(・・いわゆる田中メモランダム) 、張作霖爆殺事件、第二次世界大戦、東京裁判、コミンテルン、CIA、ユダヤ、フリー メーソンといった日本近現代史の定番といった数々である。」




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2015年12月25日金曜日

足元の十字を見よ!-足元を見よ!① 


足元を見よ! 足元の十字を見よ!

ふだんは目にすることもないだろうが、たまには足元に目を向けてみるとよい。日本中いたるところに十字を刻んだ小型の石柱が目に入ってくるはずだ。

上掲の写真は標識だ。境界線を明確にするための境界標識である。境界杭ともいう。一般にコンクリート境界杭が使用されている。

このタイプの境界標識のことを天面刻印、という。コンクリート境界杭の天面に十字が刻印されている。

前近代の日本では、道祖神がその役割を果たしていた。道祖神は旅情を誘うアイテムとして紹介されることも多いが、本来の役割は共同体の境界を明示し、外部からの侵入を防ぐことにある。だから道祖神は別名「くなどの神」ともいう。「くなど」とは「来るな」という意味である。


(道祖神のような道路標識 筆者撮影)

そう考えれば、境界標識に十字が刻印されているのは、明治時代以降にキリスト教が解禁されたからか(?)という考えるのも不自然ではないかもしれないが、おそらくこの十字はキリスト教とは関係ないだろう。交差点の十字路の十字か、あるいは「田」という漢字の「口」のなかの「十」ではないか?

日本マクドナルドの創業社長で戦後二本を代表する起業家の一人であった藤田田(ふじた・でん)の名前の「田」は、キリスト教徒であった母親の願いが込められているのだというエピソードがある。「口は災いの元」という格言が日本語にはあるが、息子がそうならないように、口のなかに十字架を入れたのだとか。そう本人がどこかに書いていた。

(田の字は口のなかに十字)

十字(クロス cross)は、そもそも交差するという意味だ。十字路は交差点の意味である。だから、道路標識や土地の境界線に十字の標識が使用されるのは自然なことだ。英語では、十字路も十字架もおなじく CROSS である。

境界と教会、なんていうと、ダジャレというわけではないが、少なくとも日本語人には同音異義語である。ある意味では似たようなものかもしれないというと言いすぎかも知れないが、ともに異物が出会う場所であることは共通している。境界は異人(=他者)と出会う場所、教会は現世と来世の出会う場所である。

ついでに書いておくと、左右のバーと上下のバーの長さが同じなのは「ギリシア十字」という。スイスの国旗はギリシア十字をもとにデザインされている。横木より軸木のほうが長いのが「ラテン十字」で、イエス・キリストが磔になった十字架をイメージしている。日本人がイメージする十字架は後者の方であろう。境界標識にお寺のマークである卍(まんじ)はない。当たり前といえば当たり前だが。

(スイス国旗はギリシア十字)

「ギリシア十字」と「田のなかの十字」は奇しくも基本的なデザインが同じだが、あくまでも偶然の一致である。偶然の一致としてはこのほかに、ダビデの星とカゴメがある。三角形と逆三角形の組み合わせのデザインだが、伊勢神宮の石柱にも刻印されている。カゴメは籠目(かごめ)であって、ユダヤ教のダビデの星とはまったく関係ないことは言うまでもないことだ。

足元の十字をめぐっては、話はいくらでも膨らませることはできるのだが、きりはないのでここらへんでいったん終わりにしておこう。

たまには足元を見ながら歩いてみるといろんな発見があるはずだ。ぜひおすすめしたい。

ただし、くれぐれも前方には気をつけるように!






<ブログ内関連記事>

世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる

プラクティカルな観点から日本語に敏感になる-藤田田(ふじた・でん)の「マクド」・「ナルド」を見よ!

ノラネコに学ぶ「テリトリー感覚」-自分のシマは自分で守れ!
・・ノラネコ世界には境界標識はない

東南アジアでも普及している「ラウンドアバウト交差点」は、ぜひ日本にも導入すべきだ!
・・十字路ではない交差点もある

「エンプレス・ショーケン・ファンド」(Empress Shoken Fund)を知ってますか?-国際社会における日本、その象徴である皇室の役割について知ることが重要だ
・・昭憲皇太后と日本赤十字


足元の「G」に注目-足元を見よ!②

地面に点在する「モグラ塚」-足元を見よ!③

(2015年12月29日 情報追加)




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2015年12月24日木曜日

Season's Greetings (2015年12月24日)-なぜヒイラギがクリスマスと結びついているのか?


Merry Christmas and a Happy New Year !!!

新年にはまだ早いですが、皆様のご多幸を願って「季節のご挨拶」(Season's Greetings)として送ります。クリスマスにつきものの赤い実のついたセイヨウヒイラギを添えて。

ところで、なぜ赤い実のついたヒイラギがクリスマスにつきものなのでしょうか? しかも、赤い実がつくのは、ふつうの家庭でも生垣として植えられているヒイラギではなくてセイヨウヒイラギであることを知ってますか?

こういうときに役に立つのが 『イメージ・シンボル辞典』(アト・ド・フリース、山下共一郞他訳、大修館書店、1984)。西欧世界のイメージについては、個々の項目については的確な知識を得ることができる辞典です。

ではさっそく、「holly ヒイラギ」の項を見ておきましょう。そもそも holly という名称じたい、holy なものであることを連想させますね。聖なるヒイラギ(holy holly)。重要なポイントをあげておきます。

1. 常緑樹の1つ。ヨーロッパでこの属は、地質年代初期にはもっと豊富であった。(・・後略・・)
2. 一年の後半、とくに冬至を表す。
 a. サトゥルナリア祭(Saturnalia)で、サトゥルナリアの棍棒はヒイラギで、一年の後半を表す。ローマでは、サトゥルナリア祭のとき、ロバをヒイラギで殺して生贄とした。
 b. ケルトの緑の騎士との関連: 緑の騎士はヒイラギの騎士で、(夏至の「新年」に)冬至の新年から支配したオークの騎士(ガーウェイン)に代わる。(・・後略・・)
 c. クリスマス: 初期のキリスト教徒はクリスマスを表すために、サトゥルナリア祭のヒイラギをそのまま使った。ヒイラギは常緑樹なので永遠の生命を表す。歓待を表す。とげがあることから懺悔を表す。ヒイラギはオークよりも貴重なものとされる。ヒイラギはTと対応し十字架刑と関連する。赤い実はキリストの血、死にいたる愛を表す。オークに関連をもつ聖ヨハネ(祝日:6月24日)を、ヒイラギに関連をもつキリスト(クリスマス)が追う(・・後略・・)

ざっとこんな感じでしょうか。この記述から読み取れるのは、ヒイラギを飾るのは、キリスト生誕日というクリスマス以前の信仰のうえに乗っかったものであること、古代ヨーロッパにおいてヒイラギはオーク(=落葉樹の楢、常緑樹の樫)と対をなす存在であったこと、などです。

ヒイラギのもつ象徴性については、まさにそのとおりだというべきでしょう。ヒイラギの棘の存在は日本でも同じようにみなされてきました。魔除けとしての機能ですね。

ただし、日本に在来のヒイラギは棘棘の出た葉っぱの形がよく似てますが、セイヨウヒイラギ(Ilex aquifolium)とはまったく別種の植物です。日本のヒイラギ(Osmanthus heterophyllus)はモクセイ科モクセイ属に属します。

西欧文明はキリスト教文明ですが、キリスト教が普及する以前の古代の信仰を大幅に取り入れています。ときに「ヨーロッパの縄文」と称されることもある先住民のケルト文明、そして地中海文明としての古代ローマの多神教世界

とくにケルトにかんしては、ヒイラギが関係する冬至や夏至だけでなく、収穫祭であるハロウィーンや、メーデーの起源など枚挙に暇(いとま)がありません。

そう考えると、クリスマスはかならずしもキリスト教のものだとも言い切れないのかもしれませんね。

ではあらためて、メリー・クリスマス!







<ブログ内関連記事>

柊(ひいらぎ)も新芽はやわらかい

西欧文明と植物

つたのからまるチャペル?- なぜか欧米イメージがまとわりついるが、ツタは日本に自生する植物である

書評 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物

秋が深まり「どんぐり」の季節に
・・西洋世界におけるオーク(=樫は常緑樹、楢は落葉樹)

マロニエはマロン(栗)にあらず

ケルト起源のハロウィーン-いずれはクリスマスのように完全に 「日本化」 していくのだろうか?(2011年10月31日)

「パンプキン詐欺」にご用心!-平成のいまハロウィーンは完全に日本に定着した(2015年10月31日)

5月1日は メーデー(May Day)


クリスマス関連

本日12月6日は「聖ニコラウスの日」

歌人・九條武子による「聖夜」という七五調の「(大乗)仏教讃歌」を知ってますか?

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督

500年前のメリー・クリスマス!-ラファエロの『小椅子の聖母』(1514年)制作から500年

(2016年3月24日 情報追加)




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2015年12月20日日曜日

書評 『使える哲学-ビジネスにも人生にも役立つ-』(古田博司、ディスカヴァー・トウェンティワン、2015)-使えなければ哲学じゃない!?


タイトルは『使える哲学』、副題は「ビジネスにも人生にも役立つ」。出版社はディスカヴァー・トウェンティワン。ユニークな内容のビジネス書でヒットを連発している出版社から出た本だ。哲学分野の「実用書」というべきか。

内容は、前著の『ヨーロッパ思想を読み解く』(ちくま新書、2014)を一般向けにさらにわかりやすく説いたもの。図版を豊富に使用したうえに、語り口が「ですます調」なので読みやすい。「ですます調で」通したのは、もしかして著者にとっては初の試みかもしれない。

目次は以下のとおり。

1. 日本人には見えなかった西洋哲学の秘密
2. 「向こう側」からイノベーションが起こる
3. 「使える学問」と「使えない学問」
4. 仕事の意味、生きる意味を見つける

本書のキーワードは「向こう側」である。さらにいえば、「有用性」あるいは「効用」もまたキーワードであるといえよう。

今回の新著によって、西洋哲学を読み解くカギとして著者が提示するキーワード「向こう側」の意味がより理解しやすくなったのではないかと思う。 とくに、「向こう側」の説明が図解によって明快になったといえる(・・ただし、わたしなら「向こう側」という表現よりも、「この世にありながら目に見えないもの」(invisible in this world)と表現したいところではある。無意識のうちに「世間」にからめとられている日本人には、なかなか著者のいう「向こう側」が見えてこない。

著者は、戦後日本の社会科学や人文科学の発想を規定してきたドイツ哲学にネガティブな評価を下し、それに対してイギリス哲学の有用性を高く評価している。

1962年生まれのわたしは、まさに社会科学研究がドイツ流から英米流へと転換する端境期(はざかいき)を体験しているので、著者が言わんとすることはよく理解できる。だが、一世代前の1953年生まれの著者がその渦中にあった、ドイツ的思考方法が支配していた時代は、著者にとってはまさに災難としかいいようがないのであろう。そんな著者にとっては、哲学というと、いまだにカントやヘーゲルが引き合いに出されることにヘキエキしているはずだ。

カントやヘーゲルが代表する19世紀のドイツ観念論は、18世紀の「先進国」英国が完成していた「近代哲学」のバリエーションに過ぎないことは、すでに日本を代表する哲学者の一人であった廣松渉(ひろまつ・わたる)氏が述べていると著者は注記している。参考のために、ここで廣松氏自身のコトバを引用しておこう。

思い切った言い方をすれば、近代哲学は基本的には18世紀のヒュームあたりで終わっているという言い方もできると思うんです。その後、後進国ドイツで、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルというドイツ観念論の大展開がありますけれども、これは先進国イギリスで一巡した近代哲学の後進国におけるヴァリエーションにすぎないという見方も可能だと思います。(・・後略・・)
(出典: 『哲学に何ができるか』(廣松渉/五木寛之、中公文庫、1996) P.28 なお、初版は1978年の出版。当時の廣松氏は45歳)

日本ではイマイチ知名度が低い英国の哲学者ヒュームであるが、廣松渉氏の発言には大いに耳を傾ける価値がある。哲学に限らず、近代日本ではドイツ流が幅を利かせてきたのは、日本もまた「後進国」だったからだといえるわけだ。

全体的にかなり思い切った大胆な発言が多いので、「そこまで言ってしまっていいのか?」という声も上がるだろう。だが、哲学なんてこむずかしくひねくり回すものではないのだという著者の主張に賛同する人も少なくないと思う。

読みやすいがゆえに、突っ込みどころは多々あろう。それは著者との読者との対話のキッカケにもなりうる。たとえば、個人的には「希望」についての著者の姿勢には賛成しかねるものがある(p.121)。 「希望より勇気」というのがわたしの信条であるからだ。これはアメリカの在野の哲学者エリック・ホッファーの主張でもある。


科学的発明に限らず、いままでにない新しいこと、イノベーションなるものは、この世に存在していながら「見えないもの」を、「見える化」すなわち可視化することによって実現されるものだ。

著者自身は「向こう側」と名づけているが、「向こう側」を見る方法として著者があげている「超越」「直観」「にじり寄り」「マーカー総ざらい」のそれぞれについては、読者が自分自身の経験に照らし合わせて実感してみるのがよいだろう。おそらく、無意識のうちに実践している方法も少なくないはずだ。要は自覚的に方法論として実行することだ。

たとえば、これらの方法論は「モデル化」や「仮説設定」などでじっさいに取り組んでいる人も少なくないはずだ。「しらみつぶし」や「ローラー作戦」などの時間と労力を要する、ある種のチカラワザであっても、ビッグデータ時代にかえって脚光を浴びている地味な手法もある。

「哲学が役に立つのかどうか」という設問よりも、「役に立つためにはどう哲学を使うのか」を考えるほうが賢明である。本書は、自分で考えるためのひとつの道筋をつけてくれる独自の入門書だといっていいかもしれない。





著者プロフィール

古田博司(ふるた・ひろし)
1953年生まれ。筑波大学人文社会系教授。専門は政治思想・朝鮮政治。著書に『東アジアの思想風景』(岩波書店、サントリー学芸賞受賞)『東アジア・イデオロギーを超えて』(新書館、読売・吉野作造賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






<ブログ内関連記事>

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」
・・本書のもとになった著作

その他の古田博司教授関連

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

書評 『「紙の本」はかく語りき』(古田博司、ちくま文庫、2013)-すでに「近代」が終わった時代に生きるわれわれは「近代」の遺産をどう活用するべきか

書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける


ドイツ的思考と英米的思考

書評 『ドイツリスク-「夢見る政治」が引き起こす混乱-』(三好範英、光文社新書、2015)-ドイツの国民性であるロマン派的傾向がもたらす問題を日本人の視点で深堀りする
・・目の前にある現実よりも、あるべき姿や理想、そして夢を追い求める傾向がドイツ人にはあるようだ。これは英米流の事実重視の志向とは異なる

書評 『白い航跡』(吉村昭、講談社文庫)-脚気撲滅に情熱をかけた知られざる海軍軍医・高木兼寛の生涯を描いた伝記小説
・・ドイツ医学 vs イギリス医学

書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)-「複眼的思考法」は現代人にとっての知恵である!
・・ファクト・ベースでものを考えるという英米流思考法

書評 『ことばを鍛えるイギリスの学校-国語教育で何ができるか-』(山本麻子、岩波書店、2003)-アウトプット重視の英国の教育観とは?


イノベーション

書評 『「無分別」のすすめ-創出をみちびく知恵-』(久米是志、岩波アクティブ新書、2002)-「自他未分離」状態の意識から仏教の「悟り」も技術開発の「創出」も生み出される




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2015年12月16日水曜日

街路樹のプラタナスもまた紅葉する

 (歩道橋の上から撮影したプラタナスの紅葉)


紅葉といえばもみじ、というのは固定観念。街路樹に多い落葉樹のプラタナスもまた紅葉します。

プラタナスはスズカケノキともいいますが、どうしても西洋という連想がさまざま歌の財お良となってきました。

プラタナスというと、「プラタナスの枯葉舞う冬の道で~」という歌詞の一節がすぐに思い浮かびます。フォークソング全盛時代の1969年に発表された「風」という曲です。はしだのりひことシューベルツの代表作のひとつですね。わたしよりひとつ上の世代の愛唱曲でしょう。

(紅葉と黄葉が同じ木に現れるプラタナス)

たしかに、プラタナスの枯葉を目にすることは多いのですが、それはすでに枯れてカラカラになって散っている枯葉です。

街路樹のプラタナスが紅葉することは、目線の上の出来事なのでなかなか目に入ってこないのかもしれません。

この写真は、歩道橋の上から撮影したプラタナス。歩道橋の高さに立てば、プラタナスの紅葉を目の当たりにすることができるわけです。

紅葉狩りは近所でも可能ですね。たまには「上を向いて歩」いてみましょう。




<関連サイト>

風 はしだのりひことシューベルツ (YouTube)


<ブログ内関連記事>

枯葉 Les feuilles mortes

京都土産は紅葉で-禅寺の東福寺の紅葉が美しい

つたのからまるチャペル?- なぜか欧米イメージがまとわりついるが、ツタは日本に自生する植物である

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩




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2015年12月15日火曜日

書評 『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス-』(ティム・パークス、北代美和子訳、白水社、2007)-「マネーとアート」の関係を中世から近代への移行期としての15世紀のルネサンス時代に探る


イタリアルネサンスの中心地フィレンツェは、15世紀当時の国際金融の中心都市でもあった。
   
現代イタリアの金融都市といえばミラノだが、中世末期のルネサンス期においては花の都フィレンツェがそうであったのだ。日本においても江戸時代は世界初のコメの先物市場をもっていた大坂が金融の中心であったのに対し、明治時代以降は東京に移ったことにも似ている。

『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス-』のテーマは「マネーとアート」の関係である。より広くいえば、「経済と文化」の関係である。「なぜ金融業者メディチ家は、芸術分野で後世に残るような多大な貢献をなしたのか?」という問いだ。
  
現代でも、金融業者に対する憎悪が存在する。額に汗して働いているのではないという批判的なまなざしである。この事情は、近代以前も変わらない。というよりも、むしろ激しい憎悪が中世からルネサンス期には存在したことが本書を読むとよくわかる。
  
ルネサンスという時代は、時代の「移行期」であった。中世末期から近代初期にかけてのこの時期においては、中世的な価値観と近代的な価値観がせめぎあっていた。この時代に生きた絶頂期のメディチ家当主ロレンツォは、「遅れてきた中世人であり、早すぎた近代人」であったわけなのだ。

(ヴェロッキオによるロレンツォ・ディ・メディチの彫刻 wikipediaより)

当時の西欧社会では、利子を取ることがカトリック教会から禁止されていたが、じっさいには金融業者は、金融取引に現物取引をかませるなどのさまざまなテクニックを駆使して利子を取り、蓄財を図っていた。いつの時代も、法の網をかいくぐる者がいる。

本書には直接の言及はないが、これらのテクニックは、イタリア商人が当時の先進文明であるイスラーム世界の商人から学んだものである。イスラームでは利子徴収は禁止されているが、買戻し契約付き売買などの利子回避のテクニックは「ヒヤル」として当時の西欧世界でも知られていた。

カトリック全盛時代の中世のウズラ(= usura 高利)はインテレスト(= inter-est 利子)へと転換し、初期近代に入ってからはカルヴァンは利子を全面的に是認することになる。ルネサンスは、金融にかんしても移行期でもあったのである。
  
ルネサンス期もまた、法制度と経済の実態とのあいだに大きなギャップが生まれていた時代である。メディチ家が全盛期を誇った時代のフィレンツェは二重通貨制度でもあった。フィレンツェもまたそのひとつであった都市国家どうしの合従連衡がさかんで、戦争はカネで雇った傭兵にやらせる時代であった。金融で設けるチャンスが大きかったわけだ。

ヨーロッパ域内貿易と金融はヨーロッパ全域にネットワークをめぐらせていたローマ教皇庁との関係を抜きには不可能であったが、フィレンツェのメディチ家とローマの教皇庁とは同床異夢のパートーナシップであった。金融業者はあくまでも黒子の存在でなければならなかったのである。

中世末期のルネサンスは、カネ儲けが地獄行きに値する後ろめたい行為だとみなされていた時代でもあった。だからこそ、金持ちは散財することによって、批判者からの攻撃をかわす
  
キリスト教的な贖罪という観点から自分自身とファミリーの精神的安定と魂の救済をはかり、かつプレスティージを誇示するために、芸術、とくに教会建築と宗教画にパトロンとして多大な投資を行った。その結果、フィレンツェにルネサンス美術が花開いたというわけなのだ。
    
ルネサンス時代においては、美術はビジネスとは化していなかったことに注意しておきたい。アートがビジネスになったのは、19世紀以降の「印象派」以降の話であり、15世紀のアートはパトロンの存在なしではありえなかったのである。
  
本書には、金融ビジネスの成り上がり者が、貴族へとロンダリングするプロセスも描かれている。カーネギー家やロックフェラー家など、アメリカの財閥ファミリーはみなメディチ家を模範として、芸術活動へのパトロン活動に私財を投じてきた。もちろん現代世界では「節税」という観点も無視できない。
   
本書の帯に、資生堂名誉会長の福原義春氏が推薦文を書いているのは、メセナ(あるいはフィランスロピー)の分野でのメディチ家の存在が大きいこともあるだろう。福原氏ほど「経済と文化」について語ることのできるビジネス関係者は他にはいない。

臨場感を出すためであろう、過去形をいっさい使用せず、現在形を使用する文体については、好き嫌いが大きく分かれるだろう。また、現代と過去を合わせ鏡にして場面転換させる手法は、映画ならまだしも、本としては読みやすいとはいい難い。

この文体は、正直いって私の好みではないが、著者の意図は、あくまでも歴史を「現在」として捉えようということにあるのだろう。遡及的に過去の歴史に審判を下すのではなく、人物と事物が交差する現場で「現在形」で叙述するという姿勢だ。この文体を使うことによって、歴史には別の可能性(オルタナティブ)があったのではないかということを示したいのだろう。

「マネーとアート」の関係、「経済と文化」の関係について関心のある人は、読んでみるといいだろう。





PS 2015年4月にいってきた「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)をキッカケに、購入したまま「積ん読」となっていた本を読んだ。その際に書いたメモがさらに放置したままとなっていたが、「マネーとアート」の関係を考える好材料としてブログ記事としたものである。(2015年12月15日)





目 次

メディチ家系図
年表
第1章 「ウズーラ」によって
第2章 交換の技法
第3章 権力獲得
第4章 「われらが都市の機密事項」
第5章 貴族の血統と白い象
第6章 壮麗なる衰退
文献案内
訳者あとがき


著者プロフィール

ティム・パークス(Tim Parks)
1954年イギリス、マンチェスター生まれ。作家、エッセイスト。ケンブリッジ、ハーヴァード両大学で英文学を修めた後、生活をイタリアに移し、現在、ヴェローナ在住。大学で英文学を講じ、モラヴィア、カルヴィーノ、タブッキら、イタリア現代作家の翻訳者としても名高い。"Tongues of Flame" (サマセット・モーム賞、ベティ・トラスク賞受賞)、"Loving Roger" (ルエリン・リース賞受賞) "Europa"
(ブッカー賞最終候補)をはじめ12作の小説と、7作のエッセイを発表している。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


翻訳者プロフィール

北代美和子(きただい・みわこ)
1953年生まれ。翻訳家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える ・・この美術展をきっかけに本書を通読

書評 『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)-「よく本を読み、よく旅をすること」で「知識」は「教養」となる
・・美術を勉強するためにフィレンツェに留学した著者の自分史

書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集
・・ローマ帝国を書く以前はイタリアルネサンスを題材にした作品を多数執筆している塩野七生

500年前のメリー・クリスマス!-ラファエロの『小椅子の聖母』(1514年)制作から500年

映画 『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)-「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ
・・王妃マルゴの兄シャルル9世の母后がメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスである

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える


「アートとマネー」の関係

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)に行ってきた(2015年3月23日)-フランス印象派の名作を一挙に公開。そしてルドンの傑作も! ・・アメリカを代表する財閥の一つメロン家のパトロネージが生んだ美術コレクション

映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)-ウィーンとロサンゼルスが舞台の時空を超えたユダヤ人ファミリーの物語 ・・「世紀末ウィーン」の芸術にパトロンとして関与したのがユダヤ系実業家たちである

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・ドイツのハンブルクの銀行家ファミリーのユダヤ系ヴァールブルク家の長男は、家督相続を放棄してルネサンス美術史研究の一大ライブラリーを作った

書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く
・・「唐様で売り家と書く三代目」を地で行った渋沢家三代の歴史を描いたノンフィクション作品


「利子禁止思想」

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』
・・<書評にかんする付記-「卒論」で取り扱ったテーマ>として、わたし自身が「利子禁止思想」で卒論を書いた際の研究成果の一部を抜粋して書いておいた




(2012年7月3日発売の拙著です)










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2015年12月13日日曜日

映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)-ウィーンとロサンゼルスが舞台の時空を超えたユダヤ人ファミリーの物語


映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)。

家族の思い出が詰まった名画を取り戻すため、前例のない国際裁判でオーストリア政府を訴えることになった老齢の一女性と、彼女の依頼でタッグを組んだ孫世代の駆け出し弁護士の実話にもとづいた映画化である。いわゆる法廷ものの要素もあるヒューマンドラマであり、60年の時空を交錯して展開する重厚な歴史ドラマでもある。

舞台は1998年のアメリカ西海岸のロサンゼルスとオーストリアのウィーン。そして1938年当時のウィーンナチスドイツによるオーストリア併合によって難民として脱出したユダヤ人のファミリーヒストリーでもある。家族の思い出のつまった名画「黄金のアデーレ」はオーストリア・ナチスによって略奪されたのであった。

「黄金のアデーレ」とは「世紀末ウィーン」を代表する画家の一人グスタフ・クリムトの傑作である。ウィーンのベルヴェデーレ宮殿美術館の至宝とさえてきた。全面を金箔で装飾された、メランコリックな表情をうかべる美女の肖像画。そのモデルの女性が、ウィーンに生まれ育った主人公の伯母にあたる人だった。正式名称は、「アデーレ・ブロッホ=バウワーの肖像」という。


(クリムトの「アデーレ・ブロッホ=バウワーの肖像」1907年 wikipediaより)

「世紀末ウィーン」の文化芸術活動を支えてきたパトロンには製鉄業で財を成したウィトゲンシュタイン家などユダヤ系の実業家が多かったが、製糖業で財を成したブロッホ=バウワー家もそのひとつだった。ウィトゲンシュタイン家は、クリムトにマルガレーテ・ウィトゲンシュタインの肖像画を依頼している。ちなみにマルガレーテは、哲学者ルートヴィヒの姉である。

だが、その世紀末ウィーンで屈辱に満ちた青春を送っていたのが美術学生崩れのアドルフ・ヒトラーであったことが、その後のユダヤ人に過酷な運命をもたらしたことは誰が知っていたであろうか。

ブロッホ=バウワー家は実業家のファミリーであったが、親戚にあたる若き弁護士の名はショーンバーグ。「世紀末ウィーン」が生み出した作曲家アルノルト・シェーンベルクの孫にあたるという。ショーンバーグはシェーンベルクの英語読みだ。弁護士の彼は、アメリカ人そのものである。


この物語は、旧世界オーストリアのウィーンから新世界アメリカへの移民の物語でもある。ドイツ語世界から英語世界への移住の物語でもある。その意味では、難民を含めた移民によって成り立ってきた新大陸の国アメリカへの価値観の礼賛という要素もある。

最終的に名画を取り戻すことができたのでサクセスストーリーといえるかもしれないが、ラストまでハラハラしどうしのスリリングな内容で飽きさせない。

だが、取り戻したのは名画だけではなかったのだ。とくに感動を求めて見に行ったわけではないのに、ラストシーンで感動したのはそのためだ。ユダヤ人の歴史を超えて、人間として普遍的なものを感じるからだろう。 おそらく映画製作者もそう考えて、あえて主人公にはユダヤ系の俳優を使っていないのかもしれない。

背景や歴史について熟知していればなおさら、そうでなくても十分に楽しめる作品である。あるいはこの映画を出発点にして、第一次世界大戦で崩壊する前の「世紀末ウィーン」の芸術や、近現代のユダヤ史について知ることは大いに意味のあることだといえよう。

(英語版のポスターのほうが映画の内容をよく表現している)





PS ディテールに注目

映画のなかに登場する家族の思い出のひとつに一冊の絵本がある。

日本語訳もされているこの絵本のタイトルは、『ぼうぼうあたま-ちいさいこどものおもしろいはなしとおかしなえ (子どもの近くにいる人たちへ)』(ハインリッヒ・ホフマン作)というものだ。ドイツ語では Struwwelpeter(シュトゥルヴェルペーター)という。

ドイツでは昔から読まれてきた絵本で教訓話なのだが、内容はすごく怖い。絵も怖い。

英語版も読まれており、これがドイツ語世界と英語世界のブリッジにもなっている。映画演出上のの小道具ともいえようか。

この映画をより楽しむためのディテール注目の一例として取り上げてみた。これから『黄金のアデーレ』を映画館で見る際、あるいはDVD化された際には、この絵本が登場するシーンをじっくり見てみるといいだろう。





<関連サイト>

映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』  公式サイト



<ブログ内関連記事>

書評 『ナチスの財宝』(篠田航一、講談社現代新書、2015)-トレジャーハンターからみた戦後ドイツ裏面史
・・ナチスに戦利品として略奪された美術品と財宝

映画 『ミケランジェロ・プロジェクト』(米国、2014年)をみてきた(2015年11月8日)-ナチスの破壊から美術品を救出した特殊部隊「モニュメンツ・メン」の知られざる偉業
・・こちらはフランスとベルギーで略奪された絵画と彫刻作品

リヒャルト・シュトラウスのオペラ 『ナクソスのアリアドネ』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた
・・このオペラは世紀末ウィーンを代表するユダヤ系の作家ホーフマンスタールと作曲家リヒャルト・シュトラウスのコラボレーション

書評 『ヒトラーのウィーン』(中島義道、新潮社、2012)-独裁者ヒトラーにとっての「ウィーン愛憎」

書評 『未来の国ブラジル』(シュテファン・ツヴァイク、宮岡成次訳、河出書房新社、1993)-ハプスブルク神話という「過去」に生きた作家のブラジルという「未来」へのオマージュ
・・ウィーン出身のユダヤ系作家ツヴァイク

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)-ドラッカー自身による「メイキング・オブ・知の巨人ドラッカー」
・・ウィーン出身でアメリカに移民したドラッカーもユダヤ系

欧州に向かう難民は「エクソダス」だという認識をもつ必要がある-TIME誌の特集(2015年10月19日号)を読む
・・2015年のシリア難民は、第二次世界大戦時のユダヤ難民に匹敵する規模である

聖なるイメージ-ルブリョフのイコン「三位一体」、チベットのブッダ布、ブレイクの版画
・・黄金により聖なるイメージの絵画作品3点





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