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2015年7月24日金曜日

ウナギはイール-英単語のなかにウナギ(eel:イール)を探せ!


以前このブログで ウサギは英語でラビット? ヘア? バニー?? という記事を書いているのだが、ウサギとカタカナで書いてあるのを見ると、どうしてもウサギをウナギと読み違えそうになる(笑)

ウサギを兎と漢字で書いたのでは読みにくいからウサギとカタカナにしたのだが、ウサギとウナギは、カタカナだとよく似ているので混同してしまうのだ。ウナギは鰻と書いてもいいのだが、あまり漢字はつかわないだろう。養鰻業といった表現においてくらいではなかろうか。

というわけで、ウナギについても何か書いておきたいと思っていたのだ。そこで、ウナギはイール(eel)-英単語のなかにウナギを探せ! という記事を書いてみることにした。

日本語のウナギと英語の eel はまったくイコールというわけではない。なぜならニホンウナギとヨーロッパウナギは、おなじウナギであっても種類が違うwikipedia英語版には unagi として項目が立てられているくらいだ。だが、そういった細かい区別は棚においておくこととしよう。

本日(2015年7月24日)は土用丑の日ということでもあるし、記事としてアップするのはちょうどよいだろう。じっさいに英単語を調べてみたのは、しばらく前のことである。


英単語のなかにウナギ(eel)を探せ!

eel(イール: ウナギ)というローマ字三文字を含んだ英語を思いつつ限りあげると以下のようなところだろうか。まずは名詞から。

reel (リール): 線、釣りのリール、フィルム、映画
heel (ヒール): かかと、ヒール
wheel (ホイール): 車輪


reel(線)は細長い線なので、ウナギと形が似ていないわけではない。


(シマノ製のスピニングリール wikipediaより)


ハイヒールの heel(=かかと)は、はたしてウナギと似ているのかどうか???

(heel shoe wikipediaより)

wheel (ホイール)は円形だが、スポークの部分は直線なので、ウナギと形が似ていないわけではない。heel に w をつけたものが wheel だが、とはいっても、やや牽強付会かな・・・。

(自転車の wheel  wikipediaより) 

動詞にも eel を含んだ単語はある。

feel (フィール): 感じる
kneel (ニール): ひざまずく、ひざまずいて祈る
peel (ピール): 皮をむく


感じるの feel、ひざまずく kneel(ニール)は関係なさそうだ。peel (ピール)は、皮をむくという意味だが、一般的に果物が対象だ。だがウナギも皮をはぐので・・・? これは eel という三文字を含んでいるが、意味的な関係はまったくなさそうだ。当たり前といえば当たり前だが・・・。



"eel" は英語としては歴史の長い固有語

そこでいったん視点をかえて、語源を調べてみよう。

eel : Origin Old English ǣl, of Germanic origin; related to Dutch aal and German Aal. (かなり古い英語で、オランダ語やドイツ語とも関連ある)

こんな表現もあった。

slippery as an eel 

「ウナギのようにニュルニュル」、これは日本人にもすぐに理解できる。



"eel" と "eal" は英語では同じ音

単語のなかに eel の三文字を含んだ英単語はほかにもあるはずだが、こういう形で英単語を探す辞書がない

そこで、eel のアタマに一文字つけたら英語になるかどうか試してみた。

Beel という単語があったが、これはベンガル語 
Geel というのはベルギーの都市名
jeel というのは英語だがめったにつかわれない。意味はゼリー
keel 船の竜骨(キール)
leel エリート中のエリート(俗語)
Neel 人名。磁気の研究で知られたフランスの物理学者
seel  調教目的で狩猟用のタカのまぶたを縫う ⇒ 目を閉じる,…を盲目にする
teel ゴマ(sesame)
veel feelに同じ
weel 狩猟用のおとり、漁獲用のやな


eel と eal は音が同じなので、音声に着目してみよう。

appeal アピール
deal  ディール 取引  
heal 癒し
meal 食事
reveal 明らかにする
seal シール、アザラシ
teal マガモなど小型のカモ、カモの羽色
veal  子牛の肉
yield 収穫
zeal 熱狂

yield は、eal ではないが、eel と同じ音なので含めておいた。

ウナギはイール(eel)-英単語のなかにウナギを探せ!というテーマで、いろいろ考えてみたが、なかなか英単語を特定できなかった。結論としては、eel 音は、ウナギとは関係ないということか・・。

同様のことは取り組んでみると面白いですよ。なかなか知的で面白い遊びですから。






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語源を活用してボキャブラリーを増やせ!-『ヰタ・セクスアリス』 (Vita Sexualis)に学ぶ医学博士・森林太郎の外国語学習法

おもしろ本の紹介 『アフリカにょろり旅』(青山 潤、講談社文庫、2009)-爆笑珍道中、幻のウナギ「ラビアータ」を捕獲せよ!

「地震とナマズ」-ナマズあれこれ
・・ウナギが希少となっている以上、養殖もされているナマズは有望




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2015年7月23日木曜日

花札の「いのしかちょう」-なるほど日本の山野には古来よりイノシシとシカが多いわけだ

(任天堂の花札「都の花」より)

「いのしかちょう」というフレーズがある。花札用語である。

いのしし(=猪)、しか(=鹿)、ちょう(=蝶)の3枚の札のことである。それぞれ、はぎ(=萩)、もみじ(=紅葉)、ぼたん(=牡丹)の花の札に対応している。

もうずいぶん長く花札はやっていないが、花札だけは所有している。花札は庶民的なゲームだが、花札に描かれた図柄が日本の自然と王朝文化であるのがいい。日本以外では植民地時代に朝鮮半島で定着したようだが、もっと海外にも知られていい。


花札と京都の任天堂

先日(2015年7月11日)、任天堂の岩田聡社長が55歳という若さで現役のまま病没された。

任天堂を NINTENDO にトランスフォームさせたのは、一族出身の先代社長の山内氏であるが、コンピュータゲーム路線を不動のものにしたのが抜擢されて42歳で社長に就任した岩田氏であった。奇しくもわたしと誕生日が同じ12月6日、この場を借りてご冥福を祈りたい。

いまでこそゲーム機メーカーで世界的に有名な NINTENDO だが、もともとは京都の花札屋である。わたしは一度だけ任天堂の本社を訪れたことがあるが、世界的なゲーム機メーカーという印象は感じられなかった。

任天堂の花札(!)は、マルフクの登録商標で現在でも販売されている。大統領の肖像画が、なぜかナポレオンであるのはご愛敬だ(笑) これは結構知られているネタだろう。(・・下掲の写真を参照)。

(任天堂の花札の大統領はナポレオン)

任天堂のサイトには、「花札の歴史・遊び方」というページがあるので、歴史の部分を一部引用しておこう。花札の歴史やゲームのやり方が書いてある。

花札の歴史は安土・桃山時代の「天正かるた」、江戸時代上期の「ウンスンカルタ」から、江戸時代中期に現在使用している花札ができたと言われています。花札ゲームの中でも2人でプレイする「こいこい」は、勝負勘・度胸・かけひき・冷静さを必要とする現代版知的ゲームです。

そもそも歌留多(カルタ)というのは当て字である。安土桃山時代にカードゲームが「カルタ」(=カード)というポルトガル語とともに南蛮文化として渡来したからだ。なぜ王朝文化が図柄のテーマになったのかはわからないが、花鳥風月のイメージとギャンブルの組み合わせが面白い。

(いの・しか・ちょう 任天堂)


人口減少と反比例に増え続けるシカとイノシシ

農村人口の減少にともなって、シカやイノシシが増えつづけているというニュースは、もはやあたらしくはないが、シカとイノシシが花札の図柄として登場するというのは、考えてみれば面白いことだ。それだけ日本では昔から当たり前の存在であるのだろう。

里山から里に下りてくるイノシシ、野山の草を食い尽くすシカ。もはや、イノシシもシカも害獣との認識が一般化しているが、そもそもはともに神の使いである。信州の諏訪大社ではシカもイノシシも、ともに供え物として首が献上されていたらしい。狩猟民族としての側面が神事に残存しているのである。

イノシシは「ゐ」の「しし」の意味。「しし」とは肉のこと。つまりイノシシは駆除したら食べるものであったのだろう。ちなみにシカの肉のことは古語でカノシシという。「か」(=シカ)の「しし」(=肉)という意味。

王朝文化の精髄である百人一首には、「奥山に もみぢかきわけ鳴くしかの・・・」というシカを題材にした和歌があるが、なぜかイノシシを歌った和歌はない。ともに神の使いであったはずなのだが・・・。

そのイノシシがなぜ花札には登場するのか? 疑問を抱き始めると切りがないが、機会があれば本格的に調べてみたいものだ。




参考: その他文明圏でポピュラーな野生動物

・・南インドで再興したタシルンポ寺から来日したチベット仏教僧たちによる「チャム」(チ­ベット密教僧による仮面舞儀礼)。踊っているのは、仮面をかぶっているがチベットのお­坊さんです。2009年5月8日撮影。「チベット・スピリチュアル・フェスティバル2­009」(東京・新宿の常円寺)にて。2009年11月18日に筆者(=佐藤けんいち)がアップロードした映像。
日本では「猪と鹿」だが、チベットでは「牛と鹿」のようだ。 

(2015年7月28日 記す)


<ブログ内関連記事>

鹿のマークの John Deere (ジョン・ディア)-この看板にアメリカらしいアメリカを感じる

辰年(2012年)の初詣は御瀧不動尊(おたき・ふどうそん)にいってきた
・・御瀧不動尊(千葉県船橋市)には、柵のなかで鹿が飼われている! 奈良公園とは違って雄鹿の角は切られていない

・・西欧ではキリスト教の布教により、鹿の位置づけはヒツジに比べて大幅に後退し、ついには角の生えた悪魔の象徴となる


■日本人の狩猟

・・この著者はシカもイノシシも狩る。しかも古来からの狩猟方法であるワナによって

・・農作物を食い荒らす害獣とみなされたシカやイノシシは、江戸時代の農民によって鉄砲で駆除されていた


南蛮文化




王朝文化




(2015年7月30日、9月13日、2016年3月9日 情報追加)




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2015年7月22日水曜日

書評 『モリナガ・ヨウの土木現場に行ってみた!』(モリナガ・ヨウ、溝渕利明=監修、アスペクト、2011)-独特の細密イラストによる「関係者以外立ち入り禁止」の「現場」探訪フィールドワーク


独特な細密イラストで有名なモリナガ・ヨウ氏による全ページがラーの土木現場の探訪フィールドワーク。土木現場は、特別な許可がない限り「関係者以外立ち入り禁止」なので、こういう企画ものはありがたい。

最近では土木女子略してドボジョなる存在も増加中とはいえ、圧倒的多数は土木男子(・・そんな表現はない)の世界である。

現場監督から作業員にいたるまで男の世界、働くのも男なら、そんな土木現場に関心をもつのも圧倒的多数は男子であろう。なぜそうなのかと問われても答えるのはむずかしいが、わたし自身も男子なので、どうしても土木や巨大構築物には関心が高い。

このルポは「土木学会誌」に連載されたものなので、その関係者でもない限り、単行本化されないと知ることはできないたぐいのものだ。けっして系統的な構成ではないが、著者自身の関心と取材のしやすさから首都圏を中心に、日本全国の土木建設プロジェクトを回っている。

身近な道路工事から、山奥のダムまでカバーする範囲は広い。面白いのは、生コンの材料であるセメントの工場や、鉄筋コンクリートに使用される鉄筋の工場まで見学していること。こういう知られていない世界を知るのは面白い。

監修者の溝渕利明氏も取材に同行しており、各編にある対談形式の取材後記が業界関係者の視点を語っているので面白い。「第2部 土木工事の基礎知識」も、土木にかんする基本的な疑問に答えてくれるのもありがたい。日本語の「土木」というコトバは歴史を負ったものなので、なかなか味わい深い

写真のほうがわかりやすいという印象もなくはないが、イラストだからこそ描き込めるという利点もあるし、なによりも著者自身の感想がイラストで表現されているのが、メカを描いても人間味豊かな味わいをだしているのがいい。

土木であれ何であれ、「現場」にはすべてがつまっている。「現場」に始まり「現場」に終わる。「現場」こそ面白いのだ。





目 次
   
はじめに
第1部 土木工事現場見学
 01 JR新宿駅南口  東京都
 02 JR中央線 三鷹・立川間  東京都
 03 副都心線  東京都
 04 首都高速大橋ジャンクション(地上)  東京都
 05 首都高速大橋ジャンクション(地下)  東京都
 06 地下式LNGタンク  愛知県
 07 円山川・出石川の災害復旧  兵庫県
 08 セメント工場  神奈川県
 09 創成川アンダーパス  北海道
 10 大保ダム  沖縄県
 11 御前山ダム  茨城県
 12 石神井川の整備  東京都
 13 幌富バイパス  北海道
 14 島根原子力発電所(その1)  島根県 
 15 島根原子力発電所(その2)  島根県
 16 千歳川の樋門と改築工事  北海道
 17 鉄筋工場  岡山県
 18 羽田空港D滑走路  東京都
 19 圏央道 高尾橋  東京都
 20 コンクリート製品工場  栃木県
 21 新東名高速道路 猿田橋-吉原ジャンクション  静岡県
 22 小塚山トンネル  千葉県
 23 虎杖浜トンネル付近の改良工事 北海道
第2部 土木工事の基礎知識
 1. 土木って何
 2. 土木は文明とともに生まれた
 3. 土木を代表する構造物
 4. これからの土母奥を支えるのは!?
おわりに

著者プロフィール
モリナガ・ヨウ(もりなが・よう)
1966年東京生まれ。早稲田大学教育学部地理歴史専修、漫画研究会在籍。ルポイラストを得意とする。立体も年に数体作る

監修者プロフィール
溝渕利明(みぞぶち・としあき)
1959年生まれ。岐阜県出身。名古屋大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了、博士(工学)。大学卒業後鹿島建設株式会社に入社、技術研究所勤務。明石海峡大橋海中基礎建設工事等数多くのプロジェクトに参加。1993年から3年間広島支店温井ダムJV工事事務所勤務。2001年に鹿島建設を退社。法政大学に転籍。2004年に教授となる。専門は、コンクリート材料、施工法、非破壊検査技術など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

  

<ブログ内関連記事>

『前田建設ファンタジー営業部』(前田建設工業株式会社、幻冬舎、2004)で、ゼネコンの知られざる仕事内容を知る

解体工事現場は面白い!-人間が操縦する重機に「人機一体」(=マン・マシン一体)を見る
・・あたらしい構造物の建設の前には解体という作業が待っている

マンガ 『いちえふ-福島第一原子力発電所労働記 ①』(竜田一人、講談社、2014)-廃炉作業の現場を作業員として体験したマンガ家による仕事マンガ
・・原子炉関係の建設も、もちろんゼネコンの仕事

タダノの大型クレーンの商品名ピタゴラス-愛称としてのネーミングについて

スクラップ・アンド・ビルドの激しいバンコク-さらに大変貌中の大都市バンコクから目が離せない!

『崩れ』(幸田文、講談社文庫、1994 単行本初版 1991)-われわれは崩れやすい火山列島に住んでいる住民なのだ!

明治22年(1889年)にも十津川村は大規模な山津波に襲われていた-災害情報は「アタマの引き出し」に「記憶」としてもっていてこそ命を救うカギになる

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!
・・日本最初の高速道路である名神高速道路について文明論の観点から取り上げている




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2015年7月21日火曜日

「般若心経」×「ネコ写真集」 = 『般ニャ心経』 -こついにはやられたニャ~(笑)


リアルの書店にはあまり行かなくなってしまったが、たまにいくと驚きの発見がある。先日の発見は、ニャんと『般ニャ心経』(笑)。般「若」心経の「若」が「ニャ」に。神田の三省堂本店1階に山積みされていた。
      
「般若心経」×「ネコ写真集」という掛け合わせで、タイトルが『般ニャ心経』(笑) ニャるほど、さすがにこういう企画は思いつかなかった・・・。やられたニャ~(^^; 
    
すでに昨年の12月に出版されていたようです。入手したのは2015年6月の再版。6ヶ月で第2刷りはスローペースだが、じわじわと人気がでているのかな? わたしも結局、買ってしまいました。


漢訳の『般若心経』のフレーズごとに、見開き右ページにわかりやすい日本語による解説、左ページにその内容にふさわしいネコの写真とキャプション。これが絶妙の味をだしているわけ。
  

正式なタイトルは、『ラク〜に生きるヒントが見つかる 般ニャ心経』(加藤朝胤 (監修)、 リベラル社 (編集)、星雲社、2014)。監修者は、薬師寺の執事長を務めるお坊さん。「仏教」ではなく「佛教」とのこだわりあり。だから、『般若心経』の解説は信用がおけるというわけだ。

ネコ好きのための『般若心経』入門。おすすめの一冊ですニャ!






<ブログ内関連記事>

「シャーリプトラよ!」という呼びかけ-『般若心経』(Heart Sutra)は英語で読むと新鮮だ


If Your Cat Could Talk 「あなたのネコがしゃべれたら・・・」

猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)

子ネコが拉致誘拐された!ノラネコの自由を奪うな、ネコを返せ!

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について

必要は発明の母-ノラネコ合従連衡? 呉越同舟?

ノラネコも寒い日はお互い助け合い

枯葉のベッドで眠るネコ二匹-ノラネコも寒い日はお互い助け合い ②

ノラネコに学ぶ「テリトリー感覚」-自分のシマは自分で守れ!

今年もノラネコの子ネコお披露目シーズンが到来!(2011年6月)





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2015年7月20日月曜日

「この実 なんの実 気になる実」-椿は花だけではありません


「この実 なんの実 気になる実」。このタイトルは日立グループのCMソングである「日立の樹」の歌い出しの一節 「この木 なんの木 気になる木」のもじりである。

元歌では、「名前も知らない木ですから~」とつづくのだが、「なんの木」かお気づきだろうか。緑の色つやの濃い常緑樹なので、もしかしたら柑橘類(?)と思われるかもしれないが、これは椿(つばき)である。椿の実である。

先日、とある場所で日照りを避けていたら、その生け垣に大きな実がなっているのが目に飛び込んできたのだ。


冒頭に掲載した写真でもわかるように、大人の手のひらの半分くらいの大きさである。触るとじつに堅い。これが椿の実なのである。7月下旬現在の椿の実である。

椿の花はよく目立つので話題になることも多いが、椿の実はなぜかあまり話題にならない。この写真の椿の実は7月下旬のものだが、これから8月にかけて熟していくこの実からタネを取り出し、油を搾り取ると、いわゆる椿油になる。椿のタネは、お茶の木のタネのような形をしている。

日本原産の椿からとれる椿油は、古来より食用油や整髪油として使用されてきた。SHISEIDO(資生堂) の TSUBAKI(ツバキ) は、オレイン酸をたっぷり含むツバキ油が保湿効果が高いことに着目した製品である。


「この実 なんの実 気になる実」と思う人は、春先に椿の花が咲いていた場所を思い出して訪れてみるとよいだろう。もちろん庭木に椿をもっている人は、あらためて椿の実をじっくり眺めてみるのも一興だろう。

じつに大きな実なのである。椿の実は!



<関連サイト>

TSUBAKIが椿オイルにこだわるワケ | TSUBAKI | 資生堂
・・熟した椿の実とタネの画像もある。椿にかんするトリビア

日立の樹 (YouTube)
・・歌詞つき映像


<ブログ内関連記事>

どれどれ 春の支度にかかりませう 赤い椿が咲いたぞなもし(北原白秋)-椿は春の訪れを告げる花

はじけるザクロ-イラン原産のザクロは東に西に

秋の夏みかん

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩




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2015年7月18日土曜日

書評 『三商大 東京・大阪・神戸-日本のビジネス教育の源流-』(橘木俊昭、岩波書店、2012)-日本のビジネス教育の系譜を「実学の府」にさぐる


「三商大」という表現にすぐにピンとくるのは、一橋大学と神戸大学、そして大阪市立大学の関係者であろう。

これらの新制大学はいずれも戦前は、それぞれ東京商科大学、神戸商業大学、大阪商科大学という名称で知られていた。いわゆる「商大」である。この3つの「商大」を総称して「三商大」というのである。「三商大」関係者でないと、すぐにはわからないかもしれない。

「三商大」の名称は、現在でも三大学のあいだではゼミナール活動や部活動をつうじて使用されており、相互に訪問しあって交流を深めている。「見えざるネットワーク」のひとつというべきであろうか。

現在では日本でもアメリカ型の大学院教育である MBA(経営学修士)が普及してきているが、それ以前はビジネス教育の担い手はもっぱら学部レベルの商学部や経営学部が担ってきた。その裾野には全国各地の商業高校やビジネス関連の各種専門学校がある。

副題が「日本のビジネス教育の源流」とあるように、本書は、戦前の「商大」時代のビジネス教育について、東京商大(=一橋大学)を筆頭に、大阪商大(=大阪市立大学)、神戸商大(=神戸大学)、そして「三大高商」(・・高商とは高等商業高校の略)と呼ばれた長崎高商、小樽高商、横浜高商についてくわしく取り上げている。

著者自身、経済学者であるだけでなく、学部は小樽商大(=小樽商科大学)出身とのことなので、このテーマを語るのはふさわしいポジションにあるといえよう。小樽商大は現在でも一橋大学とは密接な関係を保っている大学である。わが恩師の阿部謹也先生も、いちばん最初の赴任先は小樽商大であった。

わたし自身は一橋大学(=東京商大)の出身であるので、書かれている内容についてはほとんどが既知のものであるが、こういう形で一般書として全面的に取り上げていただくのはたいへんありがたい。なぜなら、一橋大学はビジネス界と受験界ではダントツの存在感がありながら、一般的な知名度がイマイチだからだ。

本書を読んでいただきたいのは、「三商大」関係者もさることながら、むしろかならずしもそうでない方々である。

というのも、いまでこそビジネス、とくに企業家が先導して世の中を変えていくという重要な事実が世の中全体で認識されるようになってきているが、「官尊民卑」の近代日本においては「民」そのものであるビジネス教育は、江戸時代から変わることなく不当にも低く位置づけられてきたためからだ。「実学」蔑視の感覚は、現在でも文部科学省には旧帝国大学に劣位する存在として、根強く残存しているという印象をわたしは抱いている。経済産業省との違いである。

じっさい、東京商大は戦前(!)においてなんども存亡の危機に遭遇しながら乗り切ってきたが、これらの危機はみな文部省サイドにおけるビジネス教育の無理解と、「官」中心の発想がもたらしたものであった。

明治維新後の「近代化」において、ビジネス教育の重要性を理解し、積極的にそれを推進したのが文教族の元祖である森有礼(もり・ありのり)といった政治家や、日本資本主義の父・渋沢栄一、そして啓蒙思想家で慶應義塾大学の創立者・福澤諭吉といった人々であった。いずれも留学やビジネスなどをつうじて米国と深くかかわっていた人たちだ。かれらが一橋大学の出発点である商法講習所の設立にかかわったのである。商法講習所は「私塾」として出発したのである。

当時の先進国は英国であり、また米国というビジネス立国であったのだが、明治日本のビジネス教育は当時最先端であったベルギーのアントワープ高等商業学校をモデルにしたという。これは意外なことかもしれない。

ロースクール(=法科大学院)における判例研究が、ビジネス教育において事例研究として「ヨコ展開」されたのが1930年代のハーバード・ビジネス・スクールであるが、日本のビジネス教育においてはケースメソッドは長く導入されなかった日本では座学中心の専門教育と教養教育が中心となったのだが、この功罪については議論のわかれるところであろう。現在はようやくケースメソッドが普及しはじめた段階だ。

「三商大」のいずれも現在では総合大学として(・・一橋大学は学部として理工系はないが研究者養成の大学院を備えた総合大学である)存在しているのは、大学という制度そのものの日本的な発展の歴史があるためである。ちなみに現在の一橋大学は、6大学院4学部体制となっている。

経済学の立場から大学の発展史について執筆してきた著者は、すでに 『早稲田と慶応-名門私大の栄光と影-』(講談社現代新書、2008)『東京大学-エリート教育機関の盛衰-』(岩波書店、2009)『京都三大学 京大・同志社・立命館-東大・早慶への対抗-』(岩波書店、2011)という著書があるが、「実学」を旨とし、そこから発展してきた高等教育として、東京工業大学(=東工大)を中心とした日本の工業教育についての本を書いていただきたいと思う。帝国大学や私立の総合大学とは異なる発展の歴史がそこにあるからだ。

現在では、一橋大学と東京工業大学は、東京医科歯科大学東京外国語大学とともに「四大学連合」を形成し、密接な提携関係にあると書きくわえておこう。時代は「実学」の時代なのである。

「実学」はハウツーではない。すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなる。「実学」を究めるためには、周辺領域の「教養」分野が必要となってくる。この順番が大事なのだ。


* 2012年に執筆済みの記事に加筆修正を加えてアップした(2015年7月18日)





目 次

はしがき
第1章 商法講習所から高等商業学校へ
 1. 江戸から明治にかけての商業、商人教育
 2. 私立と府立の商法講習所
 3. 官立商業学校の設立と高等商業学校まで
 4. 商法講習所、東京商業学校、東京高商での教育と学生
第2章 東京高商から東京商大、一橋大学へ
 1. 東京高商から東京商大昇格への運動
 2. 東京商科大学の誕生
 3. 新制・一橋大学の誕生とその後
第3章 東京商大・一橋大学の華麗な人材輩出力
 1. 一橋の名声を高めた学者群
 2. 有能な経済人を多く輩出し、異色な人も学んだ一橋大学
第4章 マルクスをも包摂した大阪商大(=大阪市立大学)
第5章 ビジネス教育を重視した神戸商業大学(=神戸大学)
第6章 三大高商の輝き(長崎・小樽・横浜)
第7章 外国のビジネス教育から学ぶこと
 1. アメリカのビジネス教育
 2. ヨーロッパのビジネス教育
第8章 現代のビジネス教育
 1. ビジネススクールでの教育がなされる以前の時代
 2. 日本でビジネス大学院教育は必要か
 3. 一橋大学の現在
あとがき
参考文献
人名索引

著者プロフィール

橘木俊詔(たちばなき・としあき)
1943年兵庫県生まれ。小樽商科大学卒、大阪大学大学院修士課程修了、ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。京都大学教授を経て、同志社大学経済学部教授。その間、仏米英独で教育・研究職。専攻は経済学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<関連サイト>

旧三商大(wikipedia項目)


<ブログ内関連記事>

実業界と「実学」教育

書評 『渋沢栄一 上下』(鹿島茂、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-19世紀フランスというキーワードで "日本資本主義の父" 渋沢栄一を読み解いた評伝
・・商法講習所(=一橋大学)についても1章を割いている

書評 『渋沢栄一-社会企業家の先駆者-』(島田昌和、岩波新書、2011)-事業創出のメカニズムとサステイナブルな社会事業への取り組みから "日本資本主義の父"・渋沢栄一の全体像を描く
・・大学設立と支援もまた社会事業であった

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る
・・「近代化」を商工業の点から実行していくためのリーダ育成もまた使命の一つであった


東京商科大学と一橋大学

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学が中核にある「大学町」誕生の秘密をさぐる

書評 『「大学町」出現-近代都市計画の錬金術-』(木方十根、河出ブックス、2010)-1920年代以降に大都市郊外に形成された「大学町」とは?

ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇-知恵の象徴としての蛇は西洋世界に生き続けている
・・東京商大のシンボルであるヘルメス(ーマーキュリー)は商業の神。現在の一橋大学にも引き継がれている


近代日本の「実学」教育

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!
・・福澤諭吉は一橋大学の出発点である商法講習所開設の趣意書を執筆している


米国の「実学」教育

レンセラー工科大学(RPI : Rensselaer Polytechnic Institute)を卒業して20年

書評 『私が「白熱教室」で学んだこと-ボーディングスクールからハーバード・ビジネススクールまで-』(石角友愛、阪急コミュニケーションズ、2012)-「ハウツー」よりも「自分で考えるチカラ」こそ重要だ!

慶応大学ビジネススクール 高木晴夫教授の「白熱教室」(NHK・ETV)
・・ケースメソッドによるビジネス教育

書評 『世界はひとつの教室-「学び」×「テクノロジー」が起こすイノベーション-』(サルマン・カーン、三木俊哉訳、ダイヤモンド社、2013)-「理系」著者によるユーザーフレンドリーな学習論と実践の記録

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?
・・西欧の初期近代において、大学は衰退し、実学中心のアカデミーがそれとってかわっていたという歴史的事実。この本のなかでは森有礼は、あくまでも初代文部大臣として帝国大学モデルを作り上げた人としてしか登場しないことに違和感を覚える





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2015年7月13日月曜日

書評 『IB教育がやってくる!-「国際バカロレア」が変える教育と日本の未来』(江里口歡人、松柏社、2014)-「国際バカロレア」は生徒一人一人の自発性と内発的動機を重視した「総合的な学習」である


「IB教育」(アイビー教育)について耳にする機会も増えてきたのではないだろうか。文部科学省が「グローバル人材育成」の観点から本腰を入れるようになってからは、注目度も上がってきているようだ。

 IB(アイビー)とは International Baccalaureate の略、日本語では「国際バカロレア」と訳されている。1968年に創設されたスイスのジュネーブに本部をおく財団法人のことで、この民間団体が提供する教育プログラムとディプローマ(=証明書)のことも指している。

大学などでフランス語を学んだことのある人なら、バカロレアについては耳にしたことがあるだろう。バカロレア(Baccalaureate)とは、フランスの入試制度において、大学入学資格とその試験のことをさしたフランス語だ。リセ(lycee)などの中等教育の最終学年に受ける国家試験のことである。これがないと大学には入学できない。ナポレオンによる教育改革の一環として18世紀初頭に制度化された。

ところが、「国際バカロレア」は、フランスのバカロレアとは関係ない国家試験でもない文部科学省のウェブサイトによれば、「チャレンジに満ちた総合的な教育プログラムとして、世界の複雑さを理解して、そのことに対処できる生徒を育成し、生徒に対し、未来へ責任ある行動をとるための態度とスキルを身に付けさせるとともに、国際的に通用する大学入学資格(国際バカロレア資格)を与え、大学進学へのルートを確保することを目的として設置」、とある。定義としては、こんなところだろう。付け加えれば、英語(あるいはフランス語、スペイン語)によって授業が行われる。

だが、これだけでは、日本の現状を国際標準に合わせるという意味合い以上のものは感じられない。国際バカロレア(IB)を実践している学校では、じっさいにどのようなことが行われているのか知るのは、『IB教育がやってくる!-「国際バカロレア」が変える教育と日本の未来』(江里口歡人、松柏社、2014)など読んでみる必要があるだろう。

この本は、この国際バカロレア(IB)に、日本ではきわめて早い段階から取り組んでいる玉川学園の関係者が執筆したものである。玉川学園は「全人教育」というコンセプトを実践してきた「最後の私塾」といわれる。著者によれば、IB教育の理念と実際は、玉川学園が実践してきた「全人教育」と親和性が高いという。だから、IB教育に取り組むことにしたのだ、と。

「自分のアタマで考えて、自分で行動する」人材は、現在の日本の教育では、なかなか育成できない。なぜなら、日本の従来型の教育は、カリキュラムをこなすことが目的となっており、生徒(あるいは学生)の興味や自主性をうまく引き出すタイプの教育ではないからだ。

IB教育が重視する、生徒一人一人の内発的動機を重視する授業は、教師から生徒への一方通行のブロードキャスティング型授業ではまったくない。教師はあくまでもファシリテーターとして、生徒一人一人とのインタラクションを重視する。しかも、教室での学びであるから、「気づき」をつじた、生徒どうしのインタラクションも活性化されるわけである。

授業の進め方は教師に一任され、「総合的な学習」が実現している。きわめて個性的な一回限りの授業が実現するわけだ。すべての授業が英語で行われるわけではなく、日本語による授業も行われるので、英語漬けを目的とした、いわゆるイマージョン教育とは異なる。

日本での取り組みはまだ始まったばかりであり、実績が出だしたばかりという段階のため、どうしても「期待先行」というきらいがなくもない。IB教育実施のためには、クリアすべき問題が多いが、なによりも教員養成の問題は避けて通れないだ。ファシリテーター型の教師像は、日本ではまだまだ主流とは言い難い。「ハーバード白熱教室」で有名になったサンデル教授のようなスタイルが、実行するに当たってはいかにむずかしいか、一度でもじっさいに試みた人なら理解できることだろう。

読んでいて思うのは、IB教育の内容が、拙著『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』と大きく重なるという点だ。身近なものに「なぜ?」という疑問をもち、自分で調べるという姿勢。観察を重視し、仮説検証を繰り返していく姿勢。アウトプット重視でインプットを行うという姿勢が共通しているからだ。

著者も強調しているが、IB教育は、けっしてエリート養成の教育プログラムではない(!)ことに注意しておきたい。結果として真のエリート育成につながるかもしれないが、「全人教育」がそうであるように、エリート教育は「目的」ではないのである。あくまでも「結果」である

「グローバル人材」というはやりコトバから注目されている国際バカロレア(IB)だが、「全人教育」という観点から注目すべきなのではないかと思うのだ。





目 次 

序章 「IB教育がやってきた」
第1章 「もう、詰め込み教育は終わりにしよう」
 1. 教育が行き詰まってきた
 2. 完璧すぎる指導要領
 3. 個性とは何か
 4. 世界市民という考え方
 5. 教育ということばの意味
第2章 「IBの現場」
 1. 先生は授業の司会進行役
 2. 生徒の発言はすべて Good Job !
  3. 日本の英語教育のおかしさ
 4. 答えを出さない授業
 5. 山頂への道はひとつではない
 6. 知識は詰め込むものではなく、使いこなすもの
 7. 日本の学校で優秀な子
第3章 「IBと社会と企業」
 1. 英語コンプレッックスをなくせ
 2. 阿吽の呼吸を説明できますか
 3. 企業が求める新しいタイプの人材
 4. 授業の出席率がいい最近の大学生
 5. クリエイティブが意味するところ
第4章 「生きる力」
 1. 国が示した定義
 2. 学校教育ありきではない
 3. 受験のトラウマ
 4. コミュニケーション英語って何
 5. 学校は生き方を教える場であってほしい
 6. IBの理想的クラスサイズ
 7. 総合的な学習が目指したもの 
第5章 「IBのカリキュラムと実践」
 1. IBへの期待と不安
 2. 大学入試制度を問う
 3. IB導入の認定
 4. 教員養成の問題
 5. 自由に授業を進めても構わない
第6章 「さらば受験の時代」
 1. 我が受験生時代
 2. 東京大学という場
 3. 東大を評価しない人たち
 4. 受験勉強でセルフエスティームは育たない
 5. クオリティ・オブ・ライフ
参考文献


著者プロフィール

江里口歡人(えりぐち・かんど)
1956年、愛媛県松山市に生まれる。1982年東京大学農学部卒業、1985年東京大学教育学部卒業。88年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教育学大学院に入学、90年教育修士課程、93年同博士課程修了、95年同大学院より教育学博士号を取得(Ph.D.)。1994年4月より玉川大学学術研究所講師。玉川学園国際教育センター副センター、同学園研修センター副センター長を経て、玉川大学教育学部教育学科准教授。玉川学園での国際バカロレア・プログラム導入に携わり、本年度玉川大学大学院教育学研究科にIB教員養成コースを立ち上げる。文部科学省「国際バカロレアTOKに関する調査研究会議」有識者メンバーなどを歴任。 共著書に『子供の心を強くする本ーセルフ・エスティームの子育て論』(PHP研究所)、『学校教育制度概論』(玉川大学出版部)、 『親から子への幸せの贈りもの』(共訳、玉川大学出版部)がある。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連記事>

 「優秀な学生を2倍にする」国際バカロレア、日本への導入は進むのか? (ライフハッカー編集部、2016年2月18日)

(2016年2月19日 項目新設)


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書評 『伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力』(橋本 武、日本実業出版社、2012)-「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」!
・・これぞ本来の意味の「総合的学習」だ!

書評 『エリートの条件-世界の学校・教育最新事情-』(河添恵子、学研新書、2009)-世界の「エリート教育」について考えてみよう!
 ・・ほんとうのエリート教育は詰め込みではない!

『モチベーション3.0』(ダニエル・ピンク、大前研一訳、講談社、2010) は、「やる気=ドライブ」に着目した、「内発的動機付け」に基づく、21世紀の先進国型モチベーションのあり方を探求する本
・・「内発的動機」こそが人間を成長させるドライブだ

「人間の本質は学びにある」-モンテッソーリ教育について考えてみる
・・世界のエリートでモンテッソーリ教育体験者は多い

ヨーロッパの大学改革-標準化を武器に頭脳争奪戦に
・・IB教育もヨーロッパ発の「標準化」のひとつといえる

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは
・・教師はファシリテーター

ダイアローグ(=対話)を重視した「ソクラテス・メソッド」の本質は、一対一の対話経験を集団のなかで学びを共有するファシリテーションにある

NHK・Eテレ 「スタンフォード白熱教室」(ティナ・シーリグ教授) 第8回放送(最終回)-最終課題のプレゼンテーションと全体のまとめ
・・創造性を養うための授業は、いっけんすると小学校の授業のようだ



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2015年7月12日日曜日

書評 『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)-南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」である


アルゼンチンといえばタンゴ、元大統領夫人をミュージカル化した『エビータ』、「神の手」でアルゼンチンをワールドカップで優勝に導いたサッカー選手マラドーナ、「世界の穀倉地帯」で放牧にたずさわる牧童ガウチョといったイメージだろうか。

現在なら、欧州以外でははじめて選出された現在のローマ教皇フランシスコ一世ををそれに加えるべきかもしれない。フランシスコ教皇の本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ、イタリア系移民の家族に生まれたカトリックである。マラドーナもまた、イタリア系移民の家族に生まれた人だ。

『母を尋ねて三千里』という物語は、イタリアの国民作家デ・アミーチスの『クオレ』のなかに挿入されているものだが、貧しかったイタリアからアルゼンチンに出稼ぎにでかけた人が多かった時代の作品である。そのアルゼンチンは、現在では累積債務に苦しむ経済となってしまっている。

だが、アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスには、「精神分析の都」という側面もあることを教えてくれるのが『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)である。わたしはこの本の存在を、 『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)で知った。

1987年から3年間ブエノスアイレスに滞在していた著者によれば、南米のブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」なのだという。精神分析といえばフロイト。フロイトはいうまでもなくユダヤ系である。ニューヨークは、一名ジューヨークと呼ばれるほどユダヤ系人口の多い都市である。イタリア系の多いアルゼンチンであるが、ユダヤ系人口が多いことは意外と知られていない。

統計数字でみておこう。ユダヤ系人口がもっとも多いのはイスラエルであるのは当然のことして、アルゼンチンもまた多いことは注目に値する。アルゼンチンは、ユダヤ系人口が世界で7番目(!)に多い18万人を数えている。

1. イスラエル 5,309,000
2. アメリカ 5,275,000

3. フランス 492,000
4. カナダ 373,000
5. イギリス 297,000
6. ロシア 228,000
7. アルゼンチン 184,000
8. ドイツ 118,000
9. ブラジル 96,000
10. オーストラリア 88,831
(出所:wikipedia項目「ユダヤ人」日本語版 2015年7月現在)

スペインの植民地であったアルゼンチンは、カトリックのイタリア系移民が多数派だが、ロシアにおける迫害から逃れてきた移民を中心としたユダヤ系市民は首都のブエノスアイレスに集中している。ブエノスアイレスのイスラエル大使館が自爆テロの標的になったのは1992年のことだ。

アルゼンチン出身のユダヤ人でもっとも著名なのは、ピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムであろう。ロシア出身のユダヤ系移民の両親のもとにブエノスアイレスで生まれた。

ピアニストのマルタ・アルゲリッチも母方の祖父母がロシアからのユダヤ系移民である。ユダヤ系の音楽家は世界中に多いが、アルゼンチンもまたその一翼を担っている。

さて、本書の主題である「精神分析の都」に触れておこう。

著者は、精神分析は、ユダヤ人が西欧文明のなかで「同化」するなかで体験してきた葛藤を克服するために開発されたものだとしている。南米のアルゼンチンもまた西欧文明の延長線上にあるが、西欧そのものではない。この点が重要だ。

旧大陸での精神分析への文化上の抵抗は、新大陸ではあまり見られなかった。とくにニューヨークやブエノスアイレスのように、種々雑多な人種が次から次へと移民してきたような雑居地域では、ユダヤ人だけでなく非ユダヤ人までもが精神分析を喜んで受けるという事態が起こったのである。それは、伝統のない自由な新世界には旧社会の偏見がなかったから、ということではない。むしろ、移民やその子孫たちが、旧世界の伝統から離脱した一方で、新世界にも馴染めぬ宙ぶらりんの人間となったこと、その宙ぶらりんの状態が彼らをして言い知れぬ孤独と不安に陥らせた、ということによるのである。精神分析は、そういう社会と伝統を喪失した不安定な個人に、一種の自己構築作業を施すことで、心的安定を与える役目を果たしてきたのである。(P.11)

この文章にすべてが言い尽くされている。アルゼンチンの日系人について、精神分析を受けたなら日系人もユダヤ人のようにアルゼンチンで活躍できるのにと著者は書いているが、ひじょうに示唆的な発言である。

本書では著者自身による精神分析体験についても具体的に紹介されているが、著者は精神分析の効能について、「言語化」というキーワードで説明している。

著者によれば、精神分析とは、無意識を意識レベルに引き上げて、それを言語化することで意識に統合する作業である。それは言語化されていない深層意識(・・井筒俊彦的にいえば「言語アーラヤ識」とでもいうべきか)にうごめく想念を、言語化することによって、意識化することである。

この作業は、見たくないこと、考えたくないことを意識化させる行為であり、できれば避けたいと思うのが人間のさがである。しかしながら、この作業を行わない限り、宙ぶらりん状態がえんえんとつづくことになり、精神的な不安は解消されないのである。

アルゼンチンの日系人だけでなく、日本本国に生きている日本人もまた、「無意識の言語化」を避ける傾向がきわめて強い。自分のことをキチンと見つめようとしない日本人、反省しない日本人、敗因分析をしない日本人、失敗経験から学ばない日本人。思い当たるところは多々あるではないか。

フロイトが開発した精神分析には、もちろん限界があるが、たとえ精神分析そのものを体験しなくても、見たくないものを見ること、考えたくないことを考えること、無意識レベルを言語化し意識化することは、振幅の激しい経済社会に生きる現代人にとっは、精神的な安定をたもつうえで重要であることは否定できない。

こうした考察をつづった本書を読んでいると、理論から出発するのではなく、実体験を「言語化」す著者の姿勢におおいに共感するとともに、アルゼンチンについて複眼的に見る視点を与えてくれる貴重な一冊であるという感想ももつ。

どれだけ読まれた本であるか知らないが、このまま埋もれてしまうには惜しい本だ。タイトルにもう一工夫があったらよかったのに、と思うのだが。




目 次

Ⅰ 精神分析の都ブエノス・アイレス
Ⅱ ディヴァン(長椅子)からの思索
Ⅲ ブエノス・アイレス絵画幻想
Ⅳ 哲学者集団BAAB
Ⅴ 五年後のいま
あとがき

著者プロフィール

大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ。1980年東京大学大学院博士課程(比較文学比較文化)修了。バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリで教鞭を執った後、現在福岡大学人文学部教授。専攻は比較文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

Museo de la Deuda Argentina (The Museum of Foreign Debt)
・・ブエノスアイレス大学構内にある「債務博物館」。経済変動の激しいアルゼンチンでは、1827年のデフォルト(=債務不履行)以来、累積債務問題が国民を苦しめている。こうした経済状況が精神的ストレスを生んでいることもある

(2015年7月18日 項目新設)



<ブログ内関連記事>

書評 『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)-ユダヤ系フランス人にとっての「西欧近代」と日本人にとっての「西欧近代」
・・『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-』の著者による本

書評 『アルゼンチンのユダヤ人-食から見た暮らしと文化-(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻⑨)』(宇田川彩、風響社、2015)-食文化の人類学という視点からユダヤ人について考える
・・本ブログ記事を執筆後に出版されたもの。ただし、この本には『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-』への言及はいっさいない


アルゼンチン関連

600年ぶりのローマ法王と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である
・・欧州以外からはじめて選出された新教皇フランシスコ一世は、アルゼンチンのイエズス会出身者

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る
・・ブラジルとアルゼンチンの緩衝地帯であったパラグアイで成功したイエズス会ミッション

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた
・・フォークランド紛争で英国に敗れ去ったアルゼンチン。現地ではマルビナス諸島というが、もともとアルゼンチンは英国文化の影響圏である

書評 『ポロ-その歴史と精神-』(森 美香、朝日新聞社、1997)-エピソード満載で、埋もれさせてしまうには惜しい本
・・英国文化の影響のつよいアルゼンチンではポロは国技となっている

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・ユダヤ人虐殺の責任者であるアイヒマンは、逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの情報機関モサドによって拘束されイスラエルに連行された

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)
・・エンデに大きな影響を与えた「忘れられた経済思想家」のシルビオ・ゲゼルは、アルゼンチンに渡って実業家として成功したドイツ移民で、景気変動の激しいなかで破産もせず生き残った人である


ユダヤ関連

書評 『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(アンドリュー&ユキコ・サター、インデックス・コミュニケーションズ、2006 改題して 講談社+α文庫 2010)

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・この本の著者も、日本語に堪能な日本在住ユダヤ人

書評 『未来の国ブラジル』(シュテファン・ツヴァイク、宮岡成次訳、河出書房新社、1993)-ハプスブルク神話という「過去」に生きた作家のブラジルという「未来」へのオマージュ
・・ウィーン出身のユダヤ系小説家が夢見たブラジルの未来

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである
・・アルゼンチンのユダヤ人の多くは、迫害を逃れてロシアから移民してきた人たち

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えている。民族の「精神分析」というアプローチが興味深い

(2015年7月17日、11月12日・15日 情報追加)




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書評 『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)-ユダヤ系フランス人にとっての「西欧近代」と日本人にとっての「西欧近代」


1999年に購入してすでに読んでいたが、内容をすっかり忘れ去っていた本を再読すると、これがものすごく面白い。再読した現在(*)のわたしの関心とジャストフィットしているからだろう。

この本に著者のメッセージは、以下の一文に尽きるだろう。

二つの民族の共通性を挙げるなら ・・(中略)・・ 私の考えでは少なくともひとつあります。それは、ユダヤ人も日本人も長いあいだ伝統的な共同体生活をしてきたのだが、急に西欧近代社会と接することになり、そこで「近代化」の葛藤を経験してきたということです。この近代における運命の共通性は、知れば知るほど私たちの現在を知ることに役立つし、私たちの今後を考える指針にもなり得ると思います。
ゲットーの共同生活から近代社会に出ていったユダヤ人たちの状況は、鎖国状態から西欧文明との出会いを通じて近代化を強いられた日本人の状況に比することができる。したがって、西欧世界との葛藤から生まれた近代ユダヤ思想は、少なからず似たような道を歩んできた日本人にとって、意味があると思うのです。(P.15~16)

集中居住地域とされていたゲットーから解放され、19世紀初頭から遅れて西欧社会に入ってきたユダヤ人は、自分たちの「伝統」を守るため、西欧社会との「同化」をどう実行し、しかしそのために多くの「葛藤」を味わっただけでなく、ホロコーストという悲劇に巻き込まれることとなる。

いわゆる「鎖国」が実現した「パックス・トクガワーナ」で平和を享受していた日本人は、19世紀後半から西欧社会に参入し、「上からの近代化」によって西欧社会との「同化」を実行するが、そのために多くの「葛藤」を味わっただけでなく、原爆投下という悲劇に巻き込まれることになる。

こうした大きな悲劇がユダヤ人と日本人に起こったということは、ある意味では両方とも共通の近代をあゆんできたということから理解できます。両民族とも西欧近代の文明そのもののに挑戦したがために、「出る釘は打たれる」の論理で罰せられたのです。(P.187)

もちろん、これは単純化した図式的理解ではあるが、おなじく「非西欧民族」が西欧近代化を通じてたどった軌跡として、比較するに値することだ。

本書は、『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)とシンプルなタイトルだが、聖書やタルムードなどから「ユダヤ的思考」を抽出するといったタイプの本ではない。

アルゼンチンでユダヤ人とユダヤ思考に出会ったことによって救われたという著者が、フランス系ユダヤ人の思考の軌跡を追っていくいことで、おなじく「近代化」を体験してきたユダヤ人の体験と思想から、日本と日本人について考察した内容のものだ。

その意味では、「ユダヤ人にとっての「近代」 日本人にとっての「近代」といったような副題をつけたほうが、読者には親切だったのではないだろうか。さらにいえば、「フランス系ユダヤ人にとっての「西欧近代」といったほうが、より正確に内容を表現したものとなる。

たとえば、哲学者アンリ・ベルグソンが、かなり早くから日本で受容された理由と、それでもなお読みこめていない理由の記述が興味深い。ドイツのユダヤ系の哲学者フッサールと同時代人であったベルグソンについては、国際連盟をつじて深いかかわりのあった新渡戸稲造についての言及がないのは残念だが。

そして社会学者エミール・デュルケーム。『自殺論』というフランス社会学の古典的名著の著者であるデュルケームは、ユダヤ教の聖職者であるラビの家系に生まれながら、ラビの人生を選択しなかった人だ。デュルケーム社会学のエッセンスは、既存の秩序が崩壊する際に出現するアノミー状態(=規範なき状態)の考察にあるが、彼の出自を考えれば納得するものがある。

ちなみに、日本にも大きな影響を与えてきた社会学者で人類学者のマルセル・モースや、歴史学者のマルク・ブロックは、デュルケームの親類にあたる人たちだ。いずれもドイツとフランスの境界にあるアルザス地方の出身である。

このほか取り上げられているユダヤ系フランス人の思想家は、レヴィ=ブリュエルやレヴィ=ストロース、シモーヌ・ヴェイユなど多数あるが、いずれも「近代西欧」の震源地であるフランスにおいて、現実と格闘しながら生きて考えつづけたユダヤ人である。

フランス革命という「近代化」の震源地となったフランスと、「フランス革命」の影響を受けながらも国家統一までの道のりが長く、かなり遅れて「近代化」が始まったドイツとでは、そのなかで生きたユダヤ人にとってもおのずから意味合いが異なっていることにも気づかされることだろう。人は環境の影響をつよく受ける生き物でもあるからだ。

その意味では、本書では取り上げられることのない、アメリカという普遍文明(?)で全面的に開花した「普遍志向のユダヤ人」についての思考はまた別途なされるべきものだろう。アメリカ文明(・・とくに北米のアメリカ合衆国)は西欧文明の延長線上にあるとはいえ、欧州と米国の違いはかなり大きい。著者自身は南米アルゼンチンでの体験を別途詳細に語っている

西欧近代との関係において、合わせ鏡のような関係にある日本人とユダヤ人。本書では、もっぱら共通性についてさまざまな事例をつうじて論じられているが、もちろんこの両者には大きな差異がある。

共通性と相違性の両者から、日本人とユダヤ人の比較を考えてみることは、日本人が21世紀以降に生きていくうえで不可欠なことだという著者の論旨には全面的に賛成である。



(*注)  2013年に書き始めた文章である。2015年のいま、再編集しながら書き直した。




目 次

第1章 「考える心」とは何か
第2章 共通の記憶を求めて
第3章 近代の病
第4章 神話的論理の可能性
第5章 文明人の中の原始人
第6章 「社会」の発見と創造
第7章 悲劇からの再生
あとがき


著者プロフィール

大嶋 仁(おおしま・ひとし)
1948年生まれ。1980年東京大学大学院博士課程(比較文学比較文化)修了。バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリで教鞭を執った後、現在福岡大学人文学部教授。専攻は比較文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

書評 『精神分析の都-ブエノス・アイレス幻視-(新訂増補)』(大嶋仁、作品社、1996)-南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、北米のニューヨークとならんで「精神分析の都」である


フランス系ユダヤ人と「西欧近代」

映画 『ノーコメント by ゲンスブール』(2011年、フランス)をみてきた-ゲンズブールの一生と全体像をみずからが語った記録映画
・・スラブ系ユダヤ人ピアニストの父をもつフランスのアーチスト。ベルグソンもまたポーランド系ユダヤ人ピアニストの父をもつフランスの哲学者

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る
・・日本びいきの人類学者レヴィ=ストロースも、日本に多大なる影響を与えてきた人

書評 『日本の文脈』(内田樹/中沢新一、角川書店、2012)-「辺境日本」に生きる日本人が「3-11」後に生きる道とは?
・・おなじフランス系思想をベースにしたものであっても、内田樹の『私家版 ユダヤ文化論』より『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁)のほうがはるかに面白く感じられる。それは問題意識のあり方の違いであろう


ドイツ系ユダヤ人と「西欧近代」

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・「西欧人でありながらユダヤ人であることに悩みつづけた著者は、ハンブルクの著名な銀行家ヴァールブルク家の長男に生まれながら家督相続を拒否し、さらにはユダヤ教からも遠ざかるのですが、いくら自分の意識のなかでユダヤ性を遠ざけても、自分を見る周囲の目にはユダヤ人でしかないという矛盾を感ぜずにはいられないのでした。こうした自己認識と他者認識のズレが繊細な精神をもつ著者を、最終的に精神の病に追い込んだようです。
ドイツ人という西欧人であるはずの自分のなかに棲むユダヤというオリエント性、それは「魔術からの解放」されたはずの近代人の「合理性」のなかにひそむ古代人の「非合理性」を発見せざるをえないことのキッカケになったのかもしれません。
近代西欧世界に生きてききたユダヤ人の宿命、これは強いられた開国によって近代化=西欧化の世界に生きることになった日本人と共通する問題かもしれません。しかし、みずからの内なる古代性を発見するのに、日本人の場合は北米のインディアン(=ネイティブ・アメリカン)を見る必要はなかったといっていいでしょう。なぜなら、近代日本においてもそこらじゅうに古代日本が転がっているからです。これは21世紀の現在でも変わりません。」

書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」
・・フランス革命以降の啓蒙精神のなか、ドイツに「同化」したユダヤ人」が、20世紀になってから「同化」を捨て、父祖の宗教であるユダヤ教にアイデンティティを見いだす自己探求の旅の思索は、日本人にとっても無縁ではない、いやむしろ共感さえ覚えるのである

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・ベルリンの主任ラビを務め、第二次大戦後アメリカに移住したレオ・ベックが説く「ユダヤ教の本質」は、じつによく日本(教)と似ていることに驚かされる


日本人と「西欧近代」

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・「近代世界のメインストリームである欧米西洋社会に入ってきた新参者としての苦労と悲哀、成功と失敗、いまなお残る差別。これは表層をみているだけではけっしてわからない、精神の深部に沈殿している憎悪である。畏怖からくる差別感情であろう。日本民族より少し前に、欧米中心の近代世界のなかに参入し、畏怖とともに差別されてきたが、したたかにかつ毅然と生き抜いてきたユダヤ民族から学ぶべきものはきわめて大きい」 基本的な問題関心のあり方に 『ユダヤ人の思考法』(大嶋仁、ちくま新書、1999)と共通するものがある

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・とくに津田梅子は帰国した時点でほぼ完全に日本語を忘れていたのである

語源を活用してボキャブラリーを増やせ!-『ヰタ・セクスアリス』 (Vita Sexualis)に学ぶ医学博士・森林太郎の外国語学習法
・・「津和野の人 森倫太郎」として死んだ鴎外にとっては西欧近代は上半身にしか過ぎなかったのか?

詩人・佐藤春夫が、おなじく詩人・永井荷風を描いた評伝  『小説 永井荷風伝』(佐藤春夫、岩波文庫、2009 初版 1960)を読む
・・永井荷風にとっての「西欧近代」とは「個」に徹底的にこおだわることであった

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想
・・近代化する日本との相克に身を引きちぎられる思いをしていた

書評 『「肌色」の憂鬱-近代日本の人種体験-』(眞嶋亜有、中公叢書、2014)-「近代日本」のエリート男性たちが隠してきた「人種の壁」にまつわる心情とは
・・非西欧人としての日本人の実存

(2015年7月17日 情報追加)





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2015年7月11日土曜日

「前橋汀子のバッハ無伴奏 ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲」(神奈川県立音楽堂)に行ってきた(2015年7月11日)-心技体の一体化した入神の演奏に満場の拍手は鳴り止まず


「前橋汀子のバッハ無伴奏 ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲」(神奈川県立音楽堂)を聴いてきた(2015年7月11日)。本日は梅雨の晴れ間の真夏日。そんな土曜日の午後に、日本を代表する国際的バイオリニスト前橋汀子氏が、3時間弱という長丁場を無伴奏で演奏し尽くした。

前橋汀子はバイオリンの小品の名曲を発掘してコンサートやCDとして発表してきたが、やはりなんといってもバッハの無伴奏ソナタ&パルティータ全曲が代表作だろう。

無伴奏ソナタ&パルティータ全曲は、二枚組のCDで何度も何度も繰り返し聞き込んだ。購入したのがいつか正確な記憶はないが、録音が1988年、CDの発行年が1993年とあるので、それ以降であることは確かだ。1990年代の半ばくらいではないだろうか。約20年目にしてナマで聴けることとなったのはじつにうれしい。まさか生演奏を聴けるとは思っていなかったからだ。

演奏会場は、横浜市の神奈川県立音楽堂。「近代建築」の第一人者・前川國男による設計。おなじく前川の設計になる東京文化会館と同様、音響のすばらしさでは定評のあるコンサートホールである。

しかも、バッハに代表されるバロック音楽は「西欧近代」そのもの。「西欧近代」そのものを究めるのには、理想的な演奏会場といえるかもしれない。神奈川県立音楽堂は訪れるのは今回が初めてだが、音響のすばらしさは、無伴奏のバイオリン演奏だからこそ価値あるものであるといっていいかもしれない。


本日のプログラムは以下のとおり。

ソナタ第1番 ト短調 BWV1001(全約17分)
パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002(全約25分)
ソナタ第2番 イ短調 BWV1003(全約21分)
パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006(全約17分)
 (休憩) 25分
ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005(全22分)
パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004(全32分)

J.S.バッハによる作品の通し番号である BWV に注目していただきたいが、本日のプログラムでは BWV番号どおりにはなっていない。BWV番号の最後にくるはずのパルティータ第3番 ホ長調 BWV1006 を「休憩」前にもってきて、順番を変えてパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004 を最後にもってきているのだ。

これはじつに心憎い演出である。なぜなら、パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004 の第5曲シャコンヌこそが、「バロック音楽のバイオリン曲では最高傑作」と評されているものだからだ。

それだけに超絶技巧の要求される難曲であるが、前橋汀子の演奏は、最後の最後にいたって、まさに神がかり的といっていいほどの心技体が一体化した入神状態のものであった。すでに70歳を越えているとは信じがたい入神の演奏。

無伴奏ソナタ&パルティータ全曲を弾き通したフィナーレがシャコンヌとは、計算し尽くされたものであるだけでなく、聴く側としてもすばらしいの一語に尽きる。満場の拍手が鳴り止まなかったも、当然といえば当然だろう。

前橋汀子は日本の至宝である。クラシック音楽が日本の「伝統芸能」ではないので人間国宝となることはないが、個人的にはそれに値するアーチストだと思っている。本日もあらためてその感をつよくしたのであった。





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前橋汀子(まえはし・ていこ)・・(Kajimoto アーチスト)



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「前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.9」(2013年7月14日)にいってきた-前橋汀子は日本音楽界の至宝である!

「前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol. 7」(2011年7月30日) にいってきた-低価格のコンサートを開催すること意味について考えてみた

前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.6 (2010年6月20日)

前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.5 (ピアノ:イーゴリ・ウリヤシュ)


バロック芸術

「グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家」(国立西洋美術館)に行ってきた(2015年3月4日)-忘れられていた17世紀イタリアのバロック画家がいまここ日本でよみがえる!

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう






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2015年7月9日木曜日

書評 『こんにちは、ユダヤ人です』(ロジャー・パルバース/四方田犬彦、河出ブックス、2015)-ユダヤ人について知ることは日本人の多様性についての認識を豊かにしてくれる


『こんにちは、ユダヤ人です』という、なんだかえらく軽いノリのタイトルだが、ひじょうに中身の濃い一冊だ。読み応えのある一冊である。

ロジャー・パルバース氏は、ニューヨーク生まれで、オーストラリア国籍を取得した「ユダヤ人」である。対談相手の四方田犬彦氏は、大量の著書をもつ博覧強記の人。世界中を旅して滞在して、現地感覚も豊富に持ち合わせている人。その滞在先の一つがイスラエルである。この二人は知り合ってから34年の友人だという。

日本人向けの英語関連本を大量に執筆しているパルバース氏だが、この対談では最初から最後まで日本語で行っている。日本で暮らし、日本語も堪能な小説家のリービ英雄、プロデューサーのデイブ・スペクター、ロック評論家のピーター・バラカンや数学者で大道芸人のピーター・フランクルなど日本で活躍するユダヤ人は多数いるが、みずからユダヤ人と名乗っていない人も多い。

パルバース氏は、みずからのルーツについて、東欧からアメリカに移住した家族の歴史をナラティブ(=語り)として語っている。だからこそ、この本は面白い。「自分史」として両親の家族の歴史を語ることは、民族全体について語ることにもつながるからだ。

パルバース氏が、単数形の「アイデンティティ」ではなく、複数形の「アイデンティティーズ」にこだわっているのは、ステレオタイプな見方をされたくないためだろう。じっさい、どんな人間も単一のアイデンティティで成立していることなどありはしない。小説家の平野啓一郎氏が、 『私とは何か-「個人」から「分人」へ-』(平野啓一郎、講談社現代新書、2012)で展開している「分人」という概念も、人格は複数の要素によって構成されていることを主張しているのであり、複数形の「アイデンティティーズ」と共通するものがあるといっていいだろう。

この本が面白いのは、パルバース氏の語りだけでなく、対談相手の四方田氏もまた博覧強記の人であることもある。とくに映画や芸能関係の話題は豊富というよりも膨大であり、ユダヤ人を広いパースペクティブとコンテクストのなかに位置づけることに貢献している。この本に登場するユダヤ人の名前をすべて知っている人は、よほどのユダヤ通でもない限り、まずいないだろう。

とはいえ、話題の領域が膨大であるがゆえに、四方田氏の発言には、やや雑な発言が目につくのは仕方がない。初めて目にする固有名詞については、読者がネット検索して確認すればよい。この対談本は教科書ではないので、多様なものの見方の一つくらいに受け取っておくべきだろう。

本書のメッセージで重要なものに、「イスラエル人=ユダヤ人ではない」、というものがある。パルバース氏自身の立ち位置でもある。ユダヤ系米国人のスピルバーグ監督もまた、イスラエル建国に肯定的な『シンドラーのリスト』と、イスラエルのモサドの情報活動に批判的な『ミュンヘン』のあいだで揺れ動いている。

国家成立後のイスラエル人は、その他の地域に生きるディスポーラ(=離散)のユダヤ人とは異なる存在になっている。イスラエル以外のユダヤ人はマイノリティとして存在するので「見えにくい存在」であるのに対して、イスラエルにおいてはユダヤ人はマジョリティである。この違いは大きい。「イスラエル建国は、ユダヤ史の曲がり角」という認識はただしい。

「日本人はイスラエルについては知っているが、ユダヤ人全般についての知識は増えていない」というパルバース氏の問題意識には耳を傾ける必要があるだろう。多様な言説があふれながらも、具体的なユダヤ人との接触がない日本人は、少なくとも知識レベルを増やす必要はある。

対談のなかで、これぞユダヤ的だとパルバース氏が引き合いに出している「センメルヴェイスの手」のエピソードにも注目したい。偉い人のいうことを鵜呑みにするのではなく、身近なことにらの疑問をもち、あらたな発見をする。これは「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)の発想と同じである。

アメリカ出身にせよ、ロシア出身にせよ、世俗的なユダヤ人は世俗的な日本人によく似ているという印象を受けるのはわたしだけではないと思う。伝統文化を完全に否定するわけではないが、伝統の重圧からは脱出している存在。

ユダヤ性というエスニシティに徹底的にこだわって生きるか、ユダヤ性というエスニシティを出さずに同化する生き方を選ぶか、それは個々人の生き方にかんする戦略の問題だ。これはユダヤ人に限らず、普遍的なものといっていいだろう。

だが、まだまだ日本人にはダイバーシティ(=多様性)が欠けているのではないだろうか? 日本人の認識に欠けているものを補ってくれるのが、ユダヤ人という存在ではないだろうか。「ユダヤ人がいることで世界は豊かになる」のである。

話題のテーマが文化面に片寄りすぎている点にやや不満があるが、ぜひ膨大な固有名詞の海のなかで溺れながら、ユダヤ的思考法のエッセンスをつかみ取ってほしいと思う。





目 次 

1 私はユダヤ人としてどう育ったか
2 イスラエルはユダヤ人を代表できるか
3 ユダヤ人はアメリカにどう受け入れられたか
4 言語でも、信仰でも、国籍でもなく、ユダヤ人
あとがき
 「遠くにある敷居」-四方田犬彦の世界(ロジャー・パルバース)
 30年目の対談(四方田犬彦)


著者プロフィール

ロジャー・パルバース(Roger Pulvers)
1944年ニューヨーク生まれ。ベトナム戦争への批判からアメリカを離れ、1976年、オーストラリア国籍を取得。オーストラリア国立大学、東京工業大学などで教える。小説・エッセイの執筆、宮沢賢治、井上ひさしなどの英訳、劇作・演出など多様に活動。野間文芸翻訳賞を受賞 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

四方田犬彦(よもた・いぬひこ)
1953年大阪生まれ。建国大学(ソウル)、コロンビア大学、ボローニャ大学、明治学院大学、テルアヴィヴ大学などで教える。サントリー学芸賞、伊藤整文学賞、桑原武夫学芸賞、芸術選奨などを受賞。著書は130冊を越える(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<参考> 本書に登場する話題のいくつかについて

●森鷗外の『舞姫』

四方田氏は「仕立屋」とあればわかるだろうと発言している。
舞姫のテキストをチェックしてみると、舞姫エリスの父親の名前はエルンスト・ワイゲルトとある。おそらく Ernst Weigert というつづりだろう。この名字はユダヤ人のものだ。つまりドイツ系ユダヤ人ということになる。
鷗外が翻訳したアンデルセンの『即興詩人』の主人公のアヌンツィアータ(=受胎告知)という名前をもちながら「猶太をとめ」となっていたことを想起する

ジューイッシュ・アクセント(Jewish accent)

ジューイッシュ・アクセントは、日本語でいえば大阪弁のようなものか。イディッシュなまりの英語だと、社会的タブーを無視した批判的トークも受け入れられやすいというアメリカ社会の土壌。タブーなきユダヤ系コメディアンの一人にスタンダップ・コメディアンのサラ・シルバーマン(Sarah Silverman)がいる。アメリカを理解するために、これは知って損はない情報。

●ローレン・バコールがユダヤ系であることは知っていたが、ヘディ・ラマールという女優も、ウィーン出身のユダヤ系であることも知らなかった



<ブログ内関連記事>

書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える

書評 『諜報の天才 杉原千畝』(白石仁章、新潮選書、2011)-インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!

『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介
・・イスラエルに批判的なスタンスだが、読みではある

書評 『イスラエルとユダヤ人に関するノート』(佐藤優、ミルトス、2015)-プロテスタント神学 × インテリジェンスという独自のポジションから読み解く
・・「聖書の大地であるイスラエルへの特別の思いを語るプロテスタント神学者であるという立ち位置」からくるバイアスは考慮に入れて読む必要がある。イスラエル熱愛派というべきか

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである
・・ロシア系ユダヤ人について知る

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

書評 『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(アンドリュー&ユキコ・サター、インデックス・コミュニケーションズ、2006 改題して 講談社+α文庫 2010)

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・この本の著者も、日本語に堪能な日本在住ユダヤ人

書評 『怪奇映画天国アジア』(四方田犬彦、白水社、2009)-タイのあれこれ 番外編-
・・博覧強記の四方田氏は映画史が専門




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