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2015年3月29日日曜日

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)に行ってきた(2015年3月23日)-フランス印象派の名作を一挙に公開。そしてルドンの傑作も!

(ルノワールの作品 ミュージアムショップで購入したマグネット)

先週のことだが、『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)に行ってきた(2015年3月23日)。5月24日まで東京・丸の内で開催されている。

ワシントン・ナショナル・ギャラリー(National Gallery of Art)とは、アメリカ合衆国の首都ワシントンにある国立美術館である。だが、所蔵品の大半は民間からの寄贈によるものだという。残念ながらこの美術館はいったことがなかったので、所蔵品をみるのは今回が初めてだ。

日本人好みの印象派だが、アメリカ人でも好きな人はいるということだ。今回の出品の大半は、美術館の創設者でメロン財閥の総帥アンドリュー・メロンの長女エイルサの個人趣味で収集された作品の数々。
  
美術展のポスターにも使用されているルノワールの「猫を抱いた女性」が端的にそうだが、"Intimate Impressionism" (親密な印象派) そのものである。「私の印象派」というのは、コレクターであったエイルサ・メロンにとってのものであり、美術展の個々の鑑賞者にとってもそうだろう。

ルノワール、マネ、モネ、ドガ、セザンヌ、ボナール・・・。フランス印象派を代表する画家はすべて網羅されている。しかも日本初公開の作品も多々ある。

わたしも日本人なので、日本美術の大きな影響を受けたフランス印象派は基本的には好きだが、あえて美術館にまで足を運ぶ気にはなかなかならない。印象派は日本ではあまりにもポピュラーになってしまっているからだ。今回は、地方から上京した美術好きの友人を案内しての鑑賞であった。
  
といいうわけではないが、今回の展示でもっとも素晴らしいと思ったのは、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの所蔵品ではなく、三菱一号館所蔵のルドンの一枚。「グラン・ブーケ」(大きな花束)

(ルドンの「グラン・ブーケ」)

世紀末美術の代表的画家であるオディロン・ルドン、とくに後期ルドンの傑作の一つといっていいだろう。わたしは後期ルドンの大ファンなのだ。今回の展示では照明も工夫されており必見だ。

こんな機会だからこそ、所蔵品のなかでも指折りの名作として展示したのであろう。印象派なんていまさらと思う人も、このルドンの傑作をみるためにだけでも、この美術展に足を運ぶ価値はあると思った次第。






<関連サイト>

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)
・・2015年5月24日まで


<ブログ内関連記事>

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860~1900」(三菱一号館美術館)に行ってきた(2014年4月15日)-まさに内容と器が合致した希有な美術展

「カンディンスキーと青騎士」展(三菱一号館美術館) にいってきた(2010年12月) ・・三菱一号館美術館については、この記事を参照いただきたく。「フランス印象派」と対(つい)になるのが「ドイツ表現派」

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない! ・・これもまた三菱財閥のもの

書評 『岩崎彌太郎- 「会社」の創造-』(伊井直行、 講談社現代新書、2010)-"近代人"岩崎彌太郎がひそかに人知れず「会社」において実行した"精神革命" ・・三菱財閥の生みの親

満80歳を迎える強運の持ち主 「氷川丸」 (横浜・山下公園)にあやかりたい! ・・日本郵船の客船であった氷川丸は1930年に建造





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2015年3月25日水曜日

「JFK-その生涯と遺産」展(国立公文書館)に行ってきた(2015年3月25日)-すでに「歴史」となった「熱い時代」を機密解除された公文書などでたどる


「JFK-その生涯と遺産」展(国立公文書館)に行ってきた(2015年3月25日)。東京の開花宣言がでた3月23日の翌々日のことである。靖國神社のある九段まで散歩がてらに、国立公文書館の竹橋に立ち寄ってみたという次第。

平日だが、熱心な参観者が多数いて食い入るように展示品を見ていたのは、入場無料ということもあるだろうが、やはり駐日大使に娘のキャロライン・ケネディ氏が任命されて着任してから、日本でのケネディ人気が復活していることも背景にあるのだろう。その意味では時宜にかなったイベントであるといえよう。

1917年の出生から、1960年の大統領就任、そして43歳という若さでの悲劇的な最期(1963年)までを、ボストンにあるジョン・F・ケネディ大統領図書館・博物館(John F. Kennedy Presidential Library and Museum) が所蔵する貴重な展示品が特別公開されている。

とくに興味深いのは、日本とのかかわりだ。そもそもケネディ家はボストン出身なので、日本との縁はきわめて深い。ケネディ家はアイルランド系で直接は関係ないが、幕末から明治初期の日本貿易はボストンの貿易商がになっていたことはアタマにいれておいたほうがいい。

もちろん日本人にとって関心が高いのは、太平洋戦争という敵味方にわかれてのJFKと日本人との熱いかかわりだろう。

若き日のJFKは、帝国海軍の駆逐艦と衝突して大破した米海軍魚雷艇の艦長として危機を乗り切ったリーダーシップを発揮した人だ。関連する展示品がじつに貴重だ。

展示にはないが、ブッシュ大統領(父)もまた米海軍パイロットとして日本軍に撃墜された人であったことを想起する。かつての日米関係がじつに熱いものであったのは、戦争体験を共有した世代が中心にいたからだろう。その頃とくらべると、現在の日米関係に熱さがないのは当然といえるかもしれない。

ケネディ大統領が、尊敬する人物として上杉鷹三(うえすぎ・ようざん)の名前をあげたことにも展示で触れてほしかったところだ。日本人を理解するために、1908年に出版された内村鑑三の『代表的日本人』(The Representative Men of Japan)を読んでいたのだろう。

(イベントの公式サイトより)

それにしても約1,000日強のケネディ大統領の在任期間中は、冷戦が熱戦になりかねない危機的な時代であった。

展示の中心となるのは「人類危機の13日間」となったキューバ危機である。革命キューバの後見人であったソ連との核戦争の危機がかろうじて回避されたのが、1962年10月14日から28日までの行き詰まるような13日間であった。ケビン・コスナー主演で『13デイズ』として映画化されている。

この13日間の状況が、機密解除された公文書(declassified documents)を中心に展示されており、歴史ファンでなくても興味深いのではかなろうか。ラジオなどによる演説の原稿もみな、複製ではなく実物である。なんといっても、実物にまさるものはない。

ただ残念に思ったのは、ベトナム戦争への関与にかんする展示がなかったことだ。今回の展示会ではケネディ大統領のポジティブな側面だけがクローズアップされており、キューバでの反革命謀略工作であったピッグス湾や、ベトナム戦争エスカレートへの序曲となったグリーンベレー派遣などがいっさい取り上げられていなかった。

たしかに「橋を架けた大統領」としての功績と構成への遺産はきわめて大きい。すでに50年以上前の「歴史」に属する時代ではあるが、国際社会における日米関係史を振り返る意味でも意義あるイベントとなっている。

会期は5月10日まで。いい季節なので、皇居お堀近くの竹橋から九段にかけての散歩で立ち寄ってみたらいいだろう。



<関連サイト>

「JFK-その生涯と遺産」展(国立公文書館)

ジョン・F・ケネディ大統領図書館・博物館(John F. Kennedy Presidential Library and Museum) 


<ブログ内関連記事>

JFK暗殺の日(1963年11月22日)から50年後に思う(2013年11月22日)

キング牧師の "I have a dream"(わたしには夢がある)から50年-ビジョンをコトバで語るということ

「ハーバード リーダーシップ白熱教室」 (NHK・Eテレ)でリーダーシップの真髄に開眼せよ!-ケネディースクール(行政大学院)のハイフェッツ教授の真剣授業
・・ハーバード大学の行政大学院はケネディを記念してその名をつけている


ボストンと日本の深い縁

書評 『アメリカ「知日派」の起源-明治の留学生交流譚-』(塩崎智、平凡社選書、2001)-幕末・明治・アメリカと「三生」を経た日本人アメリカ留学生たちとボストン上流階級との交流

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-
・・ボストン美術館の日本美術担当キュレータをつとめた岡倉天心。そもそもボストンは幕末以来、貿易をつうじて日本との深い縁がある。貿易をつうじて蓄積された富が美術館やオーケストラなど各種の文化遺産の背景にある


かつて日米関係はきわめて熱かった

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃・・・(続編)-『マンガ 日本経済入門』の英語版 JAPAN INC.が米国でも出版されていた

フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる


もはやかつてのような熱い関係ではない安定した(?)日米関係

「日米親善ベース歴史ツアー」に参加して米海軍横須賀基地内を見学してきた(2014年6月21日)-旧帝国海軍の「近代化遺産」と「日本におけるアメリカ」をさぐる

「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに参加(2013年7月18日)-軍港クルーズと徒歩でアメリカを感じる横須賀をプチ旅行

(2015年4月4日 情報追加)



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2015年3月23日月曜日

巨星墜つ リー・クアンユー氏逝く(2015年3月23日)-「シンガポール建国の父」は「アジアの賢人」でもあった


けさ7時のNHKニュースで「シンガポール建国の父」リー・クアンユー初代首相が逝去したことを知った。2015年3月23日未明に亡くなったという。享年91歳。大往生といってもいい年齢だが、まさに巨星墜つ。わたしにとっては、青天の霹靂(へきれき)であった。
  
1965年8月にマラヤ連邦から分離独立したシンガポール。ことし2015年の8月に「独立50周年」を祝う5ヶ月前のことであった。本人にとっても、シンガポール国民にとっても、残念以外のなにものでもないだろう。
 
わたしもまた、たいへん残念に思っている。一国を代表する政治家の域を超えて、「アジアの賢人」としてその発言に傾聴すべきものが多かったからだ。シンガポールの事例を引き合いに出して、日本の将来は移民制度の拡充にかかっているというリー・クアンユー氏の主張。昨年おおいに話題になったが、日本への警鐘は最後のものとなってしまった。厳しいが親身に満ちた警告をもう聞けないのは、じつに残念である。
  
言論統制をめぐって内外でさまざまな批判があったものの、都市国家シンガポールを現在のポジションまで引き上げた功績は誰にも否定できないものがある。いまや一人当たりGDPにおいては、シンガポールは日本を抜いている国際的に賞賛されるのは「日本モデル」ではなく「シンガポール・モデル」となっているのだ。

(英語を日常言語とするリークアンユー氏はパソコンを使用して執筆)

上掲の写真2枚は、1998年に出版されたリー・クアンユー氏のメモワール(=回顧録)。ハードカバーで650ページの大著である。みずからの半生を記した自叙伝は、シンガポールの歴史そのものである。だからタイトルは The Singapore Story(シンガポール・ストーリー) と題されているのである。
  
リー・クアンユー氏が健在のうちに読んでおきたいと思っていたのだが、それを実行できないまま逝去されてしまった。まだしばらく積ん読のままとなりそうだ・・・
   
わたしがもっとも尊敬していたアジア人の一人がリー・クアンユー氏であった。心よりお悔やみ申し上げます。合掌。








<関連サイト>

Remembering Lee Luan Yew (1923~2015)
・・シンガポール政府による追悼特設サイト

REMEMBERING LEE KUAN YEW
・・シンガポールの Channel News Asia の特別番組のサイト

リー・クアンユー氏の輝き失わぬ言葉たち シンガポール建国の父が語った「日本への警鐘」(1999年7月12日号より転載) (日経ビジネスオンライン、2015年3月24日)

コラム:シンガポール建国の父死去、試される「富と幸福」の両立 (ロイター、2015年3月23日)

Lee Kuan Yew The wise man of the East Authoritarians draw the wrong lessons from Lee Kuan Yew’s success in Singapore (The Economist, Mar 28th 2015)
・・リー・クアンユー氏とその追随者(=模倣者)たちとの大きな違いについて指摘している

リー・クアンユー後のシンガポール 中国株式会社の研究(263)~真の多民族国家への道は遠い? (宮家邦彦、JBPress、2015年3月30日)
・・シンガポールをファミリービジネスとみる視点が面白い

(2015年3月28日、4月1日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

戦後アジア史の巨人たち

シハヌーク前カンボジア国王逝去 享年89歳(2012年10月15日)-そしてまた東南アジアの歴史の生き証人が一人去った

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2) ・・タイのプミポン国王ラーマ9世は「足るを知る経済」を提唱する哲人でもある

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜 2010年6月26日)にいってきた


客家(はっか)という存在

書評 『新・台湾の主張』(李登輝、PHP新書、2015)-台湾と日本は運命共同体である!
・・台湾の李登輝元総統は台湾客家の出身。シンガポールのリー・クアンユー氏もまた客家

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)-急激な経済発展による社会変化に追いつかない「中進国タイ」の政治状況の背景とは
・・クーデターで負われたタクシン元首相も客家出身


英語化した中国人

書評 『中国は東アジアをどう変えるか-21世紀の新地域システム-』 (白石 隆 / ハウ・カロライン、中公新書、2012)-「アングロ・チャイニーズ」がスタンダードとなりつつあるという認識に注目!
・・ほとんど英語を母語として使用してきたリー・クアンユー氏は典型的なアングロチャイニーズである

シンガポールと東南アジア

書評 『ハーバードの「世界を動かす授業」-ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方-』(リチャード・ヴィートー / 仲條亮子=共著、 徳間書店、2010)
・・「ジャパン・ミラクル」(=日本の奇跡)というケーススタディから本書が始まるのは、現在に生きる日本人ビジネスパーソンにとっては実に新鮮に写る・・(中略)・・高度成長は空前絶後であり、これほど国情と国家戦略がフィットして機能した例は他にないからだ。 この「日本モデル」とその応用発展系である「シンガポール・モデル」を押さえて進める議論は、すんなりとアタマに入りやすい」

『国際シンポジウム 混迷続くタイ政治:その先に何が待っているのか』("Thailand’s Turbulent Politics: Peering Ahead")に参加(2014年3月27日)
・・近代化を完成したシンガポールと未完成のままのタイとの大きな違い。近代化されているのはバンコクだけ。バンコクとシンガポールは、アングロチャイニーズ主導の都市として比較可能だろう

映画 『アクト・オブ・キリング』(デンマーク・ノルウェー・英国、2012)をみてきた(2014年4月)-インドネシア現代史の暗部「9・30事件」を「加害者」の側から描くという方法論がもたらした成果に注目!
・・「9・30事件」が起きた1965年の8月9日にシンガポールは独立した。ベトナム戦争が本格化するなか、シンガポールが独立したのであった


「近代化」に成功したシンガポール

日体大の『集団行動』は、「自律型個人」と「自律型組織」のインタラクティブな関係を教えてくれる好例
・・「近代化=西欧化」に完全に成功したのは日本とシンガポールだけである

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・一貫した原理原則を貫くプリンシプルの人であったがゆえに、変化する現実に対応するプラグマティストでありえたのがリー・クアンユー。英語で鍛えられたアジア人という点において白洲次郎と共通するものがある

(2015年3月28日 情報追加)




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2015年3月21日土曜日

「わたしは春をこのまない」(プーシキン)


ことしも花粉症の大爆発に苦しまされている。というより、ことしの花粉症はひどい。目も鼻もかゆい。
 
この時期になると毎年思い出すのは、「わたしは春が嫌いだ」というプーシキンの詩の一節だ。プーシキンはロシアの詩人で小説家。ロシア文学の基礎をつくった人。
 
高校時代よんでいたのが岩波文庫の『プーシキン詩集』。いま手元にないので、ひさびさに購入して、元の詩がどんなものだったかを確認してみた。
 
それは、「秋(断章)」というタイトルの詩であった。
   
1
10月が来た・・(中略)・・
2
いまがわたしの季節--わたしは春をこのまない。雪解けに心はふさぐ。むかつく臭い、深いぬかるみ--春にわたしは病む。血が駆けめぐり 心も思いもおしつけられる。むしろわたしはきびしい冬を 冬の雪をなつかしむ。あなたが月のひかりのもとに いとしい人とただふたりで 思いのままに軽いそりを飛ばせてゆくとき あなたの友はてんの毛皮に身をつつみ 若い頬をほてらせて 燃えつつふるえつつ あなたの手を握るだろう。・・(以下略)・・ (金子幸彦訳)


ロシア語の原文では я не люблю весны、訳文では「わたしは春をこのまない」となっている。「わたしは春が嫌いだ」ほどつよい表現ではないが、それはまあそれでいいとしておこう。
 
ロシアの春と日本でも関東南部の春では、だいぶ違うだろうが、それでも「春が好きではない」と明言している詩人がいるというのはうれしいことだ。

この詩句を口ずさんでも、けっして「春の憂鬱(ゆううつ)」が消え去るのではないが、それでも少しは慰め(?)にはなる、かな?

日本でも「四季の歌」という、かつてよく歌われていたものがある。

「♪ 春を愛する人は 心清き人 すみれの花のような~」という歌詞はいただけないが(笑)、「♪ 秋を愛する人は 心深き人 愛を語るハイネのような~」という歌詞である。

そこに登場する詩人はドイツのハインリヒ・ハイネであって、アレクサンドル・プーシキンではないのが残念だが・・・。
 
きょうは春分の日。だが、毎年のことながら目と鼻のかゆさに苦しんでいる。

「わたしは春が嫌いだ!」




(参考)ロシア語原文と英訳


1. ロシア語原文 

ОСЕНЬ(秋)

II
Теперь моя пора: я не люблю весны;Скучна мне оттепель; вонь, грязь – весной я болен;
Кровь бродит; чувства, ум тоскою стеснены.
Суровою зимой я более доволен,
Люблю ее снега; в присутствии луны
Как легкий бег саней с подругой быстр и волен,
Когда под соболем, согрета и свежа,
Она вам руку жмет, пылая и дрожа!

出典: http://rus.1september.ru/article.php?ID=200302108


2. 英語訳 

This is my time: I am not fond of spring;The tiresome thaw, the stench, the mud - spring sickens me.
The blood ferments, and yearning binds the heart and mind..
With cruel winter I am better satisfied,
I love the snows; when in the moonlight
A sleigh ride swift and carefree with a friend.
Who, warm and rosy 'neath a sable mantle,
Burns, trembles as she clasps your hand.

出典:
http://max.mmlc.northwestern.edu/mdenner/Demo/texts/autumn_pushkin.htm


<ブログ内関連記事>

書評 『ろくでなしのロシア-プーチンとロシア正教-』(中村逸郎、講談社、2013)-「聖なるロシア」と「ろくでなしのロシア」は表裏一体の存在である




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2015年3月20日金曜日

20年前の「地下鉄サリン事件」(1995年3月20日)という未曾有のテロ事件、その日の朝わたしが乗車していた丸ノ内線は・・・

(2015年3月20日放送のNHKスペシャル)


20年前の1995年3月20日の「地下鉄サリン事件」というテロ事件、その日わたしは・・・

「地下鉄サリン事件」から20年。月日の立つのはじつに早いものだが、この事件の強烈さは20年たっても自分のなかではまったく色あせることはない。
  
1995年1月には、大地震などおこるはずがないと思い込んで油断していた関西が虚をつかれ、そのわずか2カ月後に東京でおきた「地下鉄サリン事件」という未曽有のテロ事件。

関西と関東で連続した大地震と無差別殺人テロで、「終わりの始まり」となったのが1995年。まさに終末論的空気が濃厚に立ちこめた年であった。
    
当時わたしは、営団地下鉄丸ノ内線(・・当時はまだ「東京メトロ」ではなかった!)を使って毎朝通勤していたのだが、自分が乗っていた池袋駅行きの地下鉄車輌が、なぜか霞ヶ関駅に停車せずそのまま通過した(!)という体験をしている。その際、車内アナウンスもいっさいなされないままであった。ホームには駅員が数名いたような記憶がある。
  
「なぜ通過するのだ?」と乗客が不信感を抱いているその瞬間、爆弾テロか(?)と咄嗟にアタマに浮かんだのだが、勤務先に着いてから知ったのは、爆弾テロどころではない、猛毒性のサリンガスが撒かれたということであった。たいへんショッキングな事態であったのだ。
     
地下鉄サリン事件は、自分とは「同世代の人間」が中心に起こした事件だけに、いまでもこのテロ事件から目を背けてはいけないと思いつづけている。

さまざまな理由から現実世界に大きな違和感を感じ、閉鎖的組織にとじこもった結果、その組織内でしか通用しないロジックにからめとられていった高学歴の若者たち。はたして彼らは特殊な人間たちだと言い切れるのか? 

変わりたい、世の中を変えたいという若者たちの純な思いは、いつの時代も悪用される。

イスラーム過激派に走るムスリムの若者たちにも共通するものがあるのではないか、と・・・。




<関連サイト>

NHKスペシャル 未解決事件 File.04  「オウム真理教 地下鉄サリン事件」 (2015年3月20日(金)NHKG 午後7:30~8:45 放送 (公式サイト)

<番組概要>麻原彰晃(本名、松本智津夫死刑囚)を教祖とするオウム真理教が引き起こした
「地下鉄サリン事件」から20年が経つ。
日本の中枢・霞が関を狙った化学兵器による無差別テロは、世界にも大きな衝撃を与えた。
しかし、麻原ら13人の死刑が確定したいまも、事件には多くの謎が残されている。
なぜオウムはこのような事件を引き起こしたのか?
警察は事件を食い止めることはできなかったのか?
未解決事件では、2012年放送のFile.02でオウム真理教の暴走の原点に迫り、大きな反響を得た。
今回は、オウムの「終着点」となった地下鉄サリン事件にいたる過程を徹底検証。
堅く口を閉ざしてきた元捜査員や、死刑囚たちの新たな証言から、これまで知られていなかった事件の舞台裏が次々と明らかになってきた。
事件に至るまでの警察とオウムの水面下の攻防。
そして、裁判では沈黙した麻原の事件に関する「独白」…。
独自に入手した被害の全貌を示すデータや、サリン拡散のシミュレーションなどをもとに、
20年前の「3・20」を立体的に再現しながら、未曾有の事件が今に突き付ける課題を見つめていく。


<ブログ内関連記事>


「地下鉄サリン事件」を引き起こしたオウム真理教と「1995年」の意味

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ 

書評 『1995年』(速水健朗、ちくま新書、2013)-いまから18年前の1995年、「終わりの始まり」の年のことをあなたは細かく覚えてますか? 

『新世紀 エヴァンゲリオン Neon Genesis Evangelion』 を14年目にして、はじめて26話すべて通しで視聴した
・・1995年にTV放送が始まったアニメ。終末論的空気が濃厚

書評 『ゼロ年代の想像力』(宇野常寛、ハヤカワ文庫、2010 単行本初版 2008)-「アフター1995」の世界を知るために 


「地下鉄サリン事件」とその後の被害者

書評 『スイス探訪-したたかなスイス人のしなやかな生き方-』(國松孝次、角川文庫、2006 単行本初版 2003)
國松長官 スイス アタマの引き出し

『サリンとおはぎ-扉は開くまで叩き続けろ-』(さかはら あつし、講談社、2010)-「自分史」で自分を発見するということ
・・「サリン事件」際、サリンがまかれた車輌に乗り合わせたことで後遺症に苦しむ著者の手記、


閉鎖的な組織と組織内部のロジック

書評 『ドアの向こうのカルト-九歳から三五歳まで過ごした、エホバの証人の記録-』(佐藤典雅、河出書房新社、2013)-閉鎖的な小集団で過ごした25年の人生とその決別の記録

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た 
・・「『イェルサレムのアイヒマン』(1963年)で「組織と個人」の問題を考える」と「社会心理学者ミルグラムによる「アイヒマン実験」の項目を参照してほしい

映画 『es(エス)』(ドイツ、2001)をDVDで初めてみた-1971年の「スタンフォード監獄実験」の映画化

書評 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』(伊東乾、角川学芸出版、2011)-幅広く深い教養とフィールドワークによる「声によるマインドコントロール」をめぐる思考

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ


地下鉄サリン事件の実行メンバーの世代

書評 『松田聖子と中森明菜-1980年代の革命-[増補版]』(中川右介、朝日文庫、2014)-1960年代生まれの世代による1980年代前半の「革命」の意味を説き明かした時代史
・・松田聖子も中森明菜も「オウム世代」と重なる1960年前後生まれの世代。「空っぽ」時代に「空虚さ」を感じていた真面目な理系青年たちのごくごく一部が教団組織に入っていた。その時代背景とは?



 
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2015年3月19日木曜日

映画 『博士と彼女のセオリー』(英国、2014)をみてきた(2015年3月19日)-車イスの天才物理学者ホーキング博士の人生をラブストーリーで描くヒューマンドラマ


映画 『博士と彼女のセオリー』(英国、2014年)をみてきた(2015年3月19日)。主人公は車イスの天才物理学者ホーキング博士とその妻であったジェーン。この二人の愛の物語ともいうべき伝記スタイルのヒューマンドラマである。
    
原題は The Theory of Everything、つまり「万物を説明可能とするセオリー」のこと。ホーキング博士の究極の探求テーマのことだ。
 
『博士と彼女のセオリー』だと、なんだかロマンティック・コメディ(・・日本でいう、いわゆるラブコメ)みたいなタイトルだが、この映画にかんしては日本語訳は悪くないと思う。というよりも、むしろ日本語版のタイトルのほうが内容をよく表現しているのではないか、と。もちろん、この映画の「ラブ」とは、すべてを引き受けるという意味の「愛」であるわけだが。

(日本版チラシの裏)

ブラックホールの特異点(=シンギュラリティ singurality)についての理論を発表した理論物理学者で、しかも無神論者であったが、けっしてアタマでっかちの堅物ではなかったホーキング博士。
  
愛情豊かな家庭に育ち、ワーグナー好きで、ボート部でコックスをつとめたり、ダンスパーティに参加したりなど大学時代には青春を謳歌、ユーモアやウィットに富み、人生を楽しみ、家族を愛し、男女間の微妙な機微にもけっして無縁な人ではなかったのだ。じつに人間くさい側面をみせているホーキング博士は、日本では同日に公開された『イミテーション・ゲーム』のチューリング博士は、おなじくケンブリッジ出身の天才だが、かなり異なるキャラクターだ。


ホーキング博士が苦闘してきたALS(=筋萎縮性側索硬化症)は、頭脳活動にはまったく影響がないにもかかわらず、全身の筋肉が萎縮して思うようにカラダを動かせなくなっていくという難病である。

不治の難病にかかっていたことがわかったのは、ケンブリッジ大学の学生だった21歳のとき。まさにこれからが人生の本番というときに余命2年(!)を宣告されたスティーブン・ホーキング青年の精神的な苦悩は、いったいいかなるものだったか・・・。

(英語版チラシ)

このホーキング博士の人生を支えてきたのが、愛ゆえに決意して妻となったジェーンであった。無神論者の夫と英国国教会の信者の妻というカップル。ホーキング博士の人生を、配偶者の視点からもあわせて描いている点が、この映画をヒューマンドラマだけでなく、ラブストーリーにもしている。だから、よくできた日本語タイトルだと思うのだ。

つねにギリギリの状態で頑張ってきたジェーンがもらした "I have loved you. I did my best." というセリフがずしりと重く響く(・・過去分詞を使用した英語表現のニュアンスに注目)。この映画のテーマは人間にとっての「時間」の意味についてでもあるのだ。それは最期までみたら理解できることだろう。

著名人とはいえ、72歳でいまだ健在の人物を映画で描くというのは、想像以上に大変だったのではないかと思う。この映画をみてホーキング博士のすべてがわかるわけではないが、断片的な記事をつうじてしかホーキング博士を知らなかったわたしのような者にとっては、見るべき映画だ。

主人公を演じた主演男優はもとより、出演者すべての演技が素晴らしい、お勧めの映画です。





PS 無神論者のホーキング博士が死去 

ホーキング博士が、2018年3月14日に亡くなった。享年76歳。無神論者であったので、死後の世界は信じていない人であったが、ご冥福を祈る。合掌。(2018年3月15日 記す)



<関連サイト>

映画 『博士と彼女のセオリー』(日本版 公式サイト)

The Theory of Everything - Official Trailer (Universal Pictures) HD (英語版公式トレーラー)

スティーヴン・ウィリアム・ホーキング (Stephen William Hawking 1942年1月8日~) wikipedia日本語版








<ブログ内関連記事>

ケンブリッジ大学関連

日本語の本で知る英国の名門大学 "オックス・ブリッジ" (Ox-bridge)
・・20世紀のオックス・ブリッジをインサイダーとして体験した日本人が書いた本の数々

映画 『イミテーション・ゲーム』(英国・米国、2014年)をみてきた(2015年3月14日)- 天才数学者チューリングの生涯をドイツの暗号機エニグマ解読を軸に描いたヒューマンドラマ
・・ホーキング博士よりも一世代以上前のケンブリッジ大学が生んだ天才数学者



科学的探求精神と変人性

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論
・・科学者という人間類型を突き動かしてきた知的衝動とは?

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」
・・「向こう側」は「あの世」ではない!「見えない世界」への感受性を高めることが重要だ


ALSや声を失った難病との苦闘

書評 『トラオ-徳田虎雄 不随の病院王-』 (青木 理、小学館文庫、2013)-毀誉褒貶相半ばする「清濁併せのむ "怪物"」 を描いたノンフィクション

書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」 
・・人生の絶頂期に、筋萎縮側索硬化症(ALS)という不治の病に突然冒され、10年以上にわたって闘病生活を続けるという不幸に見舞われたユダヤ系ドイツ人哲学者フランツ・ローゼンツヴァイク

・・リハビリの作業療法で、生まれてはじめて習い覚えたパソコンに向かって、左手だけで書いた文章がまとまった文章が一冊に 記憶障害はないがしゃべれない状態





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2015年3月18日水曜日

書評『イスラエルとユダヤ人に関するノート』(佐藤優、ミルトス、2015)ー プロテスタント神学 × インテリジェンスという独自のポジションから読み解く


日本人のイスラエルへのアプローチは、ビジネスから宗教や文化までさまざまなものがあるが、「プロテスタント神学 × インテリジェンス」という独自の立ち位置は、まさにこの著者ならではのものといってよい。それは言い換えれば特異な立ち位置ということでもある。

出版元はミルトス。イスラエル関係の書籍を中心に出版活動を行ってきた専門出版社である。ミルトスとは聖書にも登場する地中海原産の花木のことだ。

本書はミルトスが毎月発行している雑誌「みるとす」に連載されたものを内容別に再編集したものである。執筆期間は2007年から2014年まで足かけ7年にわたっているので、この間の国際情勢の変化もまた少なからぬものがある。そのため、現時点からみるとやや古い情報も含まれていることは否めない。

『イスラエルとユダヤ人に関するノート』というタイトルだが、『イスラエル国家とユダヤ民族』としたほうが、本書の内容に即したものとなろう。ホロコースト関連の話題を除いては、イスラエル建国以前のディアスポーラ(=離散)状態のユダヤ人についてはほとんど言及されていないからである。

基本的に、民主主義という価値観を共有するイスラエルを支持すべし、という著者の主張には賛同する。そうでなければ、いわゆる「国策捜査」による逮捕による獄中から解放後に、つぎつぎと発表されたインパクトの強い初期の著作はさておき、とくに佐藤優氏のファンでもないわたしが読むはずもない。

著者の主張で重要なのは、インテリジェンス関連の話題だろう。とくに重要なのは、外務省内の「アラブ・スクール」がらみの問題についての指摘である。

反イスラエルのプロパガンダに「洗脳」されているといっても過言ではない、すくなからぬ数の外務省内のアラビスト(=アラビア語専門家)たち。ここには記さないが、具体的な人名をあげての告発は読者もテイクノートしておくべきだろう。


プロテスタント神学者の「聖書の大地」への特別な想い

だが、冒頭に記したように、著者の立ち位置が特異なものであることは考慮に入れておいたほうがいい。

それは、聖書の大地である「イスラエルへの特別の思いを語るプロテスタント神学者」であるという立ち位置だ。カトリックとは違ってプロテスタントは、ローマではなくエルサレムを見ているのである。

じっさいわたしがイスラエルにいった際にも、欧州からも米国からの観光客で出会うのは、大半が「聖地巡礼ツアー」に参加している人たちであった。アメリカの原理主義的なキリスト教徒のなかには、信仰を突き詰めていった結果、ユダヤ教の超正統派に改宗してイスラエルに移住する者もいる。

だから、キリスト教徒でも、福音派のプロテスタントでもない一般読者は、その点を意識して読む必要があることは言うまでもない。

どんな立ち位置であれ、いわゆるポジショントークとなるのは当然のことであり、著者のようなキリスト教経由のユダヤ理解もまた、特有のバイアスがかかっていることは、あらかじめ理解しておいたほうがよい。


著者のイスラエル観はアメリカ経由ではない

この本を読んでいて気づいたことがある。個人的なものだが、わたし自身のイスラエルとユダヤ人観が、なにをつうじて形成されたかについてだ。

世代的なものもあるだろうが、反ソ反共の家に生まれ、マルクス主義の影響をほとんど受けず、キリスト教徒でもないわたしは、著者とは2歳しか違わないのだが、真逆の環境で育ったわけだ。高校時代からアメリカを代表する週刊誌 TIME(タイム)を読んでいた。

TIMEを推奨する「英語道」を提唱し実践する松本道弘氏の書くものに親しんでいるうちに、おのずから親イスラエルになっていたというのが正直なところだ。アメリカにとって中東問題は、冷戦時代においても対ソ戦略上きわめて重要な意味をもっていた。ソ連は中東諸国に肩入れしていた。

本書でも大きく取り上げられるマサダ要塞における「玉砕」は、松本道弘氏の著書をつうじて知った

著者は「殉教」という表現を使用しているが、松本氏は「マサダ・シンドローム」(Masada Syndrome)という表現を使用していたと記憶している。これは追い詰められ感と背水の陣ともいうべき心理状態のことだ。英語では siege mentality という。だから、その後わたしはイスラエルを訪れた際も、マサダは絶対にはずさなかった。百聞は一見にしかず、だからだ。

ユダヤ教徒でも、キリスト教徒ではない日本人がイスラエルに関心をもつのは、モサドなどの情報機関を中心としたサバイバルというテーマからである。この関心を持っている人は、日本人でも少なくないだろう。

著者のアプローチは、一般的な日本人とは異なり、ドイツ語をつうじた「プロテスタント神学」、そして外務省で特訓によって身につけたロシア語を駆使しての「ロシア経由のイスラエルとユダヤ人へのアプローチ」である。

英語もアメリカ英語ではなくイギリス英語。こういうアプローチはあまり多くないので貴重だといえよう。ソ連崩壊後にイスラエルに移住した、ロシア系ユダヤ人の存在は大きい


国益とビジネスの関係は?

国家公務員である外交官であった著者に欠けているのは、ビジネスという実利にもとづく思考である。国益という抽象的なもので語りすぎているのは、外務省出身者であるので、仕方がないといえば仕方がない。

その昔、日本人にとてのイスラエルといえば、映画 『栄光への脱出』であり、社会主義的な農業生産共同体キブツの農業であった。現在ではオランダとならんで、ビジネス的なハイテク農業の世界の中心的存在となっている。

日本人のイスラエルへのアプローチが、最近はビジネス面からも活発になってきたことは喜ばしい。とくにセキュリティ分野を中心としたソフトウェア開発に注目が集まっている。

まずは実利から入る、これが健全なアプローチではなかろうか。その後に文化や宗教に関心をもってゆくのもよいだろう。そして、著者のような問題関心があることもアタマの片隅においておくべきなのだ。

プロテスタント神学にかかわる、きわめて狭い世界における議論がいかなるものであるかを知ることができるとはいえ、わたしのような局外者からみれば、「コップのなかの嵐」のような印象さえ受けるのは正直なところだ。だが、こういう議論もあるという認識は、知識としてもっていて損はないだろう。

イスラエルへの特別な想いを抱いていなくても、民主主義という価値観を共有し、地政学的にみて日本と似たようなポジションにあるイスラエルに注目する必要があることは、繰り返し強調しておく必要がある。

イスラエルについて考えることは、日本について考えることである。これは本書についても同様である。






<ブログ内関連記事>

イスラエル関連

書評 『大使が書いた 日本人とユダヤ人』(エリ・コーヘン、青木偉作訳、中経出版、2006)-空手五段の腕前をもつコーヘン氏の文章は核心を突く指摘に充ち満ちている

Pen (ペン) 2012年 3/1号(阪急コミュニケーションズ)の「特集:エルサレム」は、日本人のための最新のイスラエル入門ガイドになっている

『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介
・・佐藤優氏とは立ち位置を異にする、パレスチナ支持のイスラーム研究者による異色のイスラエル論

書評 『中東新秩序の形成-「アラブの春」を超えて-』(山内昌之、NHKブックス、2012)-チュニジアにはじまった「革命」の意味を中東世界のなかに位置づける
・・中東地域のメインプレイヤーはサウジアラビア、トルコ、イラン、そしてイスラエル


ユダヤ人とインテリジェンス関連


書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える
・・神道の家に生まれ、キリスト教から最終的にユダヤ教に改宗したヘブライ語学者・小辻節三は、杉原ビザをもったユダヤ人難民を救出した重要な人物である

ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・満洲とユダヤ人の関係はじつに面白い。その一部を書いてみた


国際社会における日本人とユダヤ人のサバイバル

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・日本人とユダヤ人の共通点と相違点

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・日本人とユダヤ人の相違点に注目!


ビジネスからみたイスラエル

書評 『アップル、グーグル、マイクロソフトはなぜ、イスラエル企業を欲しがるのか?』(ダン・セノール & シャウル・シンゲル、宮本喜一訳、ダイヤモンド社、2012)-イノベーションが生み出される風土とは?
・・日本人とユダヤ系イスラエル人の相違点に注目!

『イスラエルのハイテクベンチャーから学ぶ会』」に参加-まずはビジネスと食事から関心をもつのがイスラエルを知る近道であろう

ユダヤ教の「コーシャー」について-イスラームの「ハラール」最大の問題はアルコールが禁止であることだ
・・キリスト教を抜きに考えたほうが、ユダヤ教とイスラームの共通性を理解しやすい


佐藤優氏の著作




キリスト教土着

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに
・・本書で取り上げられている、イスラエルを支持する日本のキリスト教団体である幕屋(まくや)についても「第6章 第二波の土着運動」のなかで「 3. 手島郁郎と原始福音運動」として取り上げられている


 
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2015年3月17日火曜日

書評『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)ー 福澤諭吉の「脱亜論」から130年、いま東アジア情勢は「先祖返り」している


福澤諭吉の『脱亜論』(明治18年3月16日)が発表されてから130年になる。東アジアの国際環境が厳しさを増すなか『脱亜論』が甦ってきたというべきだろう。
   
すでに7年前の出版であるが、『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)という本が出版されているので、この機会にあらためて本書を紹介しておきたい。

著者の渡辺利夫氏は、『韓国-ヴェンチャー・キャピタリズム-』(講談社現代新書、1986)『社会主義市場経済の中国』(講談社現代新書、1994)などをつうじて、アジア経済にかかわるビジネスパーソンなら少なくとも名前くらいは知っているはずだし、開発経済学でこの人の名を知らなかったらモグリともいうべきパイオニア的存在の人だ。

厳しい言論統制を敷いていたシンガポールや、かつて戒厳令下にあった韓国や台湾などアジア諸国において、急速な経済発展をもたらした「開発独裁」というコンセプトを世に知らしめた功績は強調してもし過ぎることはない。

そんな渡辺利夫氏が拓殖大学学長に就任し、しかもこのような内容の本を書かれるとは思いもしなかったというのが、2008年に本書が出版されたときの感想である。

だがよくよく考えてみれば、拓殖大学は台湾統治を成功させた後藤新平以来の伝統をもつ大学だし、渡辺氏自身も福澤諭吉が設立した慶應義塾の出身であり、東南アジアも東アジアも経済を軸に熟知しているからこそ、『新 脱亜論』なるタイトルの本を発表するに至ったのだと深く納得した次第である。つよい危機感が背景にあるのだ。

たんに経済についてのみ語っていては済まない時代にわれわれは生きているのである。政治と経済は不可分の関係にある。「政治経済学」として捉えなくてはならないのだ。

内容は、福澤諭吉の時代からの日本近現代史を、著者なりに振り返って「再編集」したもの。書かれている歴史的事実そのものはべつに目新しいものではないが、『新 脱亜論』というタイトルによって「再編集」された、著者の一貫した史観にもとづく歴史叙述こそ読むべき内容となっているのである。

まずは目次をご覧になっていただきたい。日本は中国やロシアのような「大陸国家」ではなく、島国の「海洋国家」であるという地政学の認識が最重要であることが強調されている。そしてこれは、明治の先人たちのリアリズムに基づいた認識でもあったのだ。
      
第1章 先祖返りする極東アジア地政学
第2章 陸奥宗光の日清戦争-機略と豪気
第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉
第4章 東アジア勢力確執の現実-果てしなきロシアの野望
第5章 日露戦争と日英同盟-海洋国家同盟成立の意味
第6章 韓国併合への道程-併合は避けられたか
第7章 台湾割譲と近代化-日本の統治がもたらしたもの
第8章 第一次世界大戦とワシントン体制-追い込まれる日本
第9章 中国とはいかなる存在であったか-分裂と挑発
第10章 海洋国家同盟か大陸国家提携か-日本の選択
第11章 「東アジア共同体」という錯誤-中国の地域覇権主義を見据えよ
第12章 日米海洋国家同盟を守る-自衛権とは何か
おわりに 

著者の思いは以下の一文に集約されている。
    
近代日本の先人たちは極東アジアの国際環境をいかに観察して行動して、日本の独立自尊を守ったのか。このことを日本の若者にどうしても伝えておきたい。

日本の地政学上のポジションは「海洋国家」。中国のような「大陸国家」でも韓国・朝鮮のような「半島国家」でもない。「海洋国家」としていかに厳しい国際環境のなかを生き抜いていくか。そのために学ぶべき先人たちのリアリズムに立脚した認識と意志決定を若者向けに描き下ろした内容である。
    
なぜ、福澤諭吉は『脱亜論』を書かなければならなかったのかについては、この本のとくに「第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉」を読むと手に取るように理解できると思う。韓国併合による韓国近代化についての著者の筆致は、開発経済学者らしく冷静である。

厳しい国際情勢のなかでの「近代日本」の成功と手痛い失敗について本当のことを知りたい若者だけでなく、若者ではなくてもぜひ一読して、若者たちに薦めていただきたい本である。  






目 次 (詳細)

第1章 先祖返りする極東アジア地政学 
ポストモダニズムの落とし穴
 「先祖返り」する極東地政学
 生存リアリズムの欠如-北朝鮮
 反米、反日、親北の制度化-韓国
 「侮日政策」の在処(ありか)-中国
 「ペトロステート」-ロシア
第2章 陸奥宗光の日清戦争-機略と豪気
 激怒する福澤諭吉
 華夷秩序への挑戦、日本の自衛
 尊皇攘夷と衛正斥邪
 清韓宗属関係の破壊を狙う陸奥
 天津条約-「李鴻章対日政策の一大錯誤」
 陸奥、開戦への決意
 帝国主義にめざめた清国の「東征論」
第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉 
 「独立自尊」
 外国人からみた李氏朝鮮
 清韓宗属関係とは何か
 金玉均の登場
 朝鮮の独立自尊、福澤の政治的課題
 金玉均、福澤との邂逅
 壬午事変
 借款交渉進展せず
 国王高宗と金玉均
 甲申事変
 李朝近代化のラストチャンス
 日本滞在十年
 金玉均暗殺
 高まる反清感情
第4章 東アジア勢力確執の現実-果てしなきロシアの野望 
 ロシアに傾斜する朝鮮
 東学党の乱
 機先を制する日本
 日清戦争勝利
 三国干渉
 「他策なかりしを信ぜんと欲す」
 内閣弾劾上奏案
 閔妃暗殺
 ウィッテと李鴻章
 露清密約
第5章 日露戦争と日英同盟-海洋国家同盟成立の意味 
 ロシアの対清圧力
 小村、露清協約の廃棄への努力
 義和団事変と日本
 在清公使館付武官 柴五郎
 第一次小村意見書
 日英同盟成立
 ロシア、満洲から撤兵せず
 第二次小村意見書
 小村の開戦外交
 開戦へ
 戦費調達
 ポーツマスへの道
第6章 韓国併合への道程-併合は避けられたか 
 ポーツマス条約と韓国「自由処分」
 韓国の「保護国化」
 ハーグ密使事件
 韓国併合へ
 反日義兵闘争
 併合に対する韓国内の支持
 韓国併合と発展基盤の形成
第7章 台湾割譲と近代化-日本の統治がもたらしたもの 
 化外の地、化外の民
 牡丹社事件と台湾出兵
 洋務派官僚による台湾開発
 日清戦争と台湾割譲
 後藤新平
 米糖経済
 教育制度の拡充
 日本統治の終焉
第8章 第一次世界大戦とワシントン体制-追い込まれる日本 
 交流から凋落へ
 「黄禍」日本
 日本人移民排斥運動、ハリマンの満鉄買収計画
 ノックス満鉄中立化提議
 第一次世界大戦根の参戦
 対支二十一ヵ条は愚策だったか
 五・四運動と対中国世論強化
 ワシントン体制と日本の孤立化
第9章 中国とはいかなる存在であったか-分裂と挑発  
 四分五裂
 シベリア出兵に意義はなかったか
 なおつづく四分五裂
 「対支政策綱領」
 済南事件
 満洲事変へ
 満洲国建国から国際連盟脱退へ
 通州事件
 南京事件
 暴支膺懲
第10章 海洋国家同盟か大陸国家提携か-日本の選択 
 中国茫々
 佐藤鉄太郎の海洋国家思想
 日英同盟廃棄の慚愧
 「文明の生態史観」とアジア経済学
 文明の生態史観と現代
第11章 「東アジア共同体」という錯誤-中国の地域覇権主義を見据えよ 
 東アジア経済統合の時代
 共同体とは何か
 東アジア共同体は可能か
 中国の地域覇権主義をどうみるか
第12章 日米海洋国家同盟を守る-自衛権とは何か 
 集団自衛権-保有するが行使できない?
 個別的自衛権-これこそが問題である
 触らぬ神に祟りなし-非核三原則
おわりに 


著者プロフィール
渡辺利夫(わたなべ・としお)

拓殖大学学長。1939年山梨県甲府市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。同大学院博士課程修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授を経て現職。おもな著書に『成長のアジア 停滞のアジア』(吉野作造賞)『西太平洋の時代』(アジア・太平洋賞大賞)『開発経済学の時代』(大平正芳記念賞)『神経症の時代』(開高健賞・正賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


 


 <関連サイト>

中国、外国教材の実態調査に着手-「西洋的価値観」排除へ(ウォールストリートジャーナル日本版、2015年3月17日)
・・おろかな対応をとる中国共産党

新・脱亜論 「内なる中国」と闘え(平野聡・東京大学大学院教授、文藝春秋 SPECIAL 2015秋、2015年09月09)
・・「日本が近代国家として台頭したこと自体が、国際社会における権力と知識の偏在に風穴を開け、非西洋世界にも多種多様な言論を巻き起こし、独立と自由を鼓舞したことも事実である・・(中略)・・戦前の日本は、外交秩序と文明観の両面において、中国的な「神政府」の発想=価値の独占を否定しようとして、その実いつの間にか、自らの成功物語に基づく新たな「天下」志向、明治体制に組み込まれた価値の独占志向=日本国体論にとらわれ、かつての中国文明と全く同じ陥穽に陥ったものと考える。戦後の日本の平和で自由な国家としての歩みが、そのような「内なる中国」を自省して距離を置くものであったと信じたい。」(平野聡) 

(2015年9月9日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた

「海洋国家・日本」は大陸国家でも半島国家でもない

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)には以下の記述がある。
「アジア太平洋問題に関する首相の私的懇談会が設置され、私も委員の一人に指名された。第一回の懇談会のゲストスピーカーとして梅棹忠夫氏が出席した。「日本が大陸アジアと付き合ってろくなことはない、というのが私の今日の話の結論です」と話を切り出して、委員全員が呆気に取られるというシチュエーションを私は鮮明に記憶している」(P.272)
「ユーラシア問題に深入りするな!」というのは、海洋国家日本にとって国是とすべきなのである。これが、日本近代史から引き出すべき最大の教訓の一つである。

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ


書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えているが、文庫化されることがないのはじつに残念なことだ

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・ライプツィヒ大学では歴史学者ランプレヒトの弟子であったウィットフォーゲル。上原専禄の師匠であった三浦新七はランプレヒトの高弟で助手をつとめていた。いろんなことが見えないところでつながっている


戦後日本を支配してきた悪しき思想風潮

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本を支配した「空気」がいかなるものであったか


東アジアの国際情勢

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・「国家資本主義」の中国。資本主義と民主主義がイコールだという「近代」の常識を裏切るのが中国という「東洋的専制国家」

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論 

書評 『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2013)-「離米従中」する韓国という認識を日本国民は一日も早くもたねばならない

書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける


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