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2014年11月30日日曜日

書評 『裁判官と歴史家』(カルロ・ギンズブルク、上村忠男・堤康徳訳、ちくま学芸文庫、2012)-初期近代の「異端審問」の元資料を読み込んできた歴史家よる比較論


歴史家と裁判官は、資料をもとに事実関係を明らかにする職業であるという点では共通するものがある。
  
裁判官は公平無私との原則があるので、特定の立場から自分たちに有利に事を進める検察官や弁護士とは違う、とはよくいわれることだ。だが、じっさいには裁判官の公平無私という立場はタテマエの場合は少なくない。神ならぬ人間である以上、バイアスがかかるのは当然だし、100%公正な判断など下せるわけがない。

歴史家も公平無私という立場で事実に向かい合い、史実にかんするジャッジを行っているとみなされがちだ。この点において裁判官(=ジャッジ)と同じだと思われている。だが、裁判官と同様、じつはかならずしもそうではないことが多い。生きている時代やその本人の思想傾向によるバイアスが生じるのは当然といえば当然だ。

裁判官と歴史家には共通点もあるが、根本的な違いがある。

事実関係を明らかにして解釈し下し判断を示すことは共通していても、歴史家は判断材料を提供することはできるが、他者の人生を左右する意志決定まで踏み込むことはない。あくまでも間接的な仕方で影響を与えるのみだ。

一方、裁判官が下した結論は判決という形で、被告人という他者の人生に多大なる影響を与える。裁判官と歴史家の違いは、影響力が直接的か間接的かという違いであるが、裁判官の権力の根源は、司法制度という制度の枠組みのなかで担保されている。

そう考えていくと、裁判官は検察官や弁護士とそう大きくかけ離れた存在ではないし、歴史家もまた裁判官と対比されるだけでなく、検察官や弁護士と対比して考えることも不可能ではない。


初期近代の「異端審問」の元史料を読み込んできた歴史家よる比較論

これくらいの対比であれば、なにも 『裁判官と歴史家』(Il giudice e lo storico)なるタイトルの本を読むまでもないだろう。

だが、本書を読む意味があるのは、歴史家の親友が巻き込まれた20世紀後半の裁判事件を徹底的に検証する作業をつうじて、裁判官と歴史家の共通点と相違点を考察している点にある。

しかも、著者のカルロ・ギンズブルクは、ミクロストーリア(=マイクロヒストリー)という歴史学方法論を開拓し、魅力的な歴史書を発表してきた現代イタリアを代表する歴史家だ。わたしも異端審問記録を徹底的に読み込んだ成果である、『チーズとうじ虫-16世紀の一粉挽屋の世界像-』『ベナンダンティ-16~17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼-』など、初期近代のヨーロッパを生き生きと描いた作品には魅了されてきた。

親友が被告となった裁判記録を解読した感想として、歴史家としての出発時点から読み込んできた17世紀から18世紀という初期近代の異端審問記録との類似性に言及しているのは、その意味では当然といえば当然なのである。

裁判をつうじて歴史が形成される、あるいは歴史が捏造されていくプロセスを、20世紀後半の裁判記録に読み取っているのである。

(イタリア語2006年新版カバー 著者の親友アドリアーノ・ソフリ)

イタリア現代史というコンテクスト

裁判が扱っているイタリア現代史は、ドイツや日本と共通する点が多い。1960年代から1970年代にかけて激しい政治対立がテロリズムにまで発展した、いわゆる急進派の新左翼による極左テロである。

歴史家の親友は新左翼の活動家であったが、その後は足を洗っていた。だが、事件から16年後に突然出現した「告発者」の「自白」によって、警視殺害事件の黒幕とされ、裁判に巻き込まれることになる。

本書執筆のそもそもの動機の第一は、親友の無実を晴らしたいという歴史家の「個人的動機」である。

日本人読者にとっては縁のない話であるし、よほどイタリア好きか、イタリア現代史に深い関心をもっている人でなければ、極左組織「赤い旅団」による1978年のモロ元首相誘拐暗殺事件に代表される極左テロ事件の詳細については、それほどつよい関心はないだろう。わたしも、もちろん同様だ。そもそも、わたしは左翼にも新左翼にもなんの共感も感じない。

イタリアの司法制度や、警察と憲兵(=カラビニエーレ)の違いなど、日本の制度とは大きく異なる点も多いので、ディテールを理解するのはやっかいだ。イタリアの政治は複雑怪奇で・・・ その点は日本でも京都など伝統ある地域と似たようなものだ。

そもそも日本の現実でさえ理解するのがむずかしいのに、ましてやイタリアの状況を正確に理解することなど専門家でもなければ困難であるし、また関心もないだろう。

歴史家の親友が「冤罪」なのかどうかも、わたしには判断しかねるし、それほど関心があるわけではない。


歴史学方法論の考察として読む

歴史家の個人的な動機が個人的なものであったとしても、この動機が本書誕生のキッカケとなっただけでなく、この事件の解読をつうじて著者自身の歴史学方法論にかかわる考察が展開されているので読む価値があるのだ。

その意味では、「2. 裁判官と歴史家」、「6. 歴史的実験としての裁判」、「18. ふたたび裁判官と歴史家について」という3つの章が面白い。わたしが面白いと思った点をいくつか紹介しておこう。

まずは、「2. 裁判官と歴史家」では、古代ギリシアに出現した歴史(=ヒストリア)というジャンルは、医学と法学(・・とくに法定陳述としての弁論術)が交叉する地点で構成されるという指摘が興味深い。歴史の陳述においては、人物を生き生きと表象する能力が求められていたのであり、歴史学と証拠物件を扱う古物研究とは18世紀後半まで、それぞれ相互に独立していたのだという。

「6. 歴史的実験としての裁判」では、資料に語らせるためには、明確な見取り図と作業仮説が必要だという歴史家リュシアン・フェーヴルの文章を引用しながら、司法関係者と同様、歴史家においても「適切な質問を提出して訊問する能力」が必要なことが指摘される。

「18. ふたたび裁判官と歴史家について」においては、そもそも歴史と人物の伝記は古代ギリシア以来、異なるジャンルとして発展してきたことを指摘し、世界史と一体化した英雄を扱った政治史から、事件史を経て、隠蔽されてしまった次元を示唆するための歴史学の技法としての社会史に至る推移について語っている。

社会史においては、欠落した事実を推測するためのコンテクストが重要である。アイリーン・パウアーとナタリー・デイヴィスという、世代の異なる英米の女性歴史家の詳細な対比が具体的で興味深い。前者は、『中世に生きる人々』、後者は『帰ってきたマルタン・ゲール-16世紀フランスのにせ亭主騒動-』が代表作である。


裁判官が歴史家となることの危険性

歴史家が裁判官になる時代は終わっていると著者はいう。それは倫理的な意味でそうあるべきという主張のようにも聞こえるが、歴史家の役割が変化したことが背景にあるのだろう。つまり歴史家の社会的役割が大幅に減少したということだ。

むしろ、裁判官が歴史家となる危険のほうが大きいかもしれない。裁判の判決をつうじて実質的に歴史が形成されるからだ。あるいは冤罪判決がひっくり返らないまま、歴史が捏造されるといっても差し支えないケースも少なくない。最高裁までいって判決が下されると、もはや司法制度の枠組みのなかでの「歴史書き換え」は困難になる。

17世紀の異端審問と同様、後世の歴史家があらたなコンテクストのもので、史料の「読み換え」をつうじてはじめて可能となることだ。いや、じっさいにはそのような「読み換え」すら起こらないことのほうが圧倒的に多いというべきか。

「歴史家は理解、裁判官は判決」を行うという著者の指摘は、まさにそのとおりだ。現実世界においての歴史家のチカラには限界がある。人々のパーセプションを変えるのは、きわめて困難な課題なのである。

本書が提起しているテーマに「告発者の自白」というものがある。

複数の証言をもとに事実関係を明らかにすることよりも、自白の内容を重視する傾向は、著者が批判している親友の裁判だけでなく、17世紀の異端審問にも見られるものだ。魔女のサバト、空中飛行を見たという告発や証言、魔女とされた人の自白。

自白と証言は似て非なるものだが、日本の裁判制度では、自白が過度に強調されている。いわゆる「被疑者泥を吐かせ」てえられた自白を重視する傾向である。

現代のイタリアにおいても、自白に見られる心理的動機が重視される傾向がなくもないことを著者は指摘しているが、自白と証言の関係については考えなくてはならない問題が多い。

著者は、古代ギリシアにおいて歴史が医学と法学の交叉する点に出現したと指摘しているが、医学と法学のまさに核心にある因果関係の議論には深く突っ込んでいない。

この点をさらに深掘りすると、さらに面白い議論になるのではないかと個人的に考えている。





目 次

新版へのまえがき
序文
 1. 窓から舞い落ちた死体-十六年後の告発
 2. 裁判官と歴史家
 3. 予審判事ロンバルディの報告
 4. 裁判長ミナーレの追及
 5. 殺害指示
 6. 歴史学的実験としての裁判
 7. 謎の十七日間
 8. 憲兵たちの証言
 9. 闇に包まれた夜の面談
 10. ヴィンチェンツィ司祭の証言
 11. いつ始まったのか
 12. 記録からもれた面談
 13. マリーノの動揺
 14. 陰謀はあったのか
 15. 目撃証言
 16. 第三の説明
 17. ミナーレ裁判長と異端審問官
 18. ふたたび裁判官と歴史家について
 19. 結論
後記
新版へのあとがき
年譜
訳者あとがき
ちくま文芸文庫版への訳者あとがき
原注


著者プロフィール

カルロ・ギンズブルグ(Carlo Ginzburug)
1939年生まれ。イタリアの歴史家。ミクロストーリア(=マイクロヒストリー)の創始者。ボローニャ大学教授、カリフォルニア大学ロスアンジェルス校教授、ピサ高等師範学校教授などを歴任。著書に『チーズとうじ虫-16世紀の一粉挽屋の世界像-』『歴史を逆なでに読む『糸と痕跡』など。(出版社サイトより)







<ブログ内関連記事>

左派による世界的な「革命幻想」の時代

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』を見て考えたこと
・・ドイツ赤軍を描いたドイツ映画

「航空科学博物館」(成田空港)にいってきた(2013年12月)-三里塚という名の土地に刻まれた歴史を知る
・・成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港 空と大地の歴史館」についても紹介しておいた

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論


イタリア現代史

書評 『プリーモ・レーヴィ-アウシュヴィッツを考えぬいた作家-』(竹山博英、言叢社、2011)-トリーノに生まれ育ち、そこで死んだユダヤ系作家の生涯を日本語訳者がたどった評伝
・・ギンズブルクと同じくイタリア北部トリーノに生まれ育ったユダヤ人であるプリーモ・レーヴィは、ギンズブルクの20歳年長

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)
・・イタリア政治経済の複雑怪奇さが集約的にあらわれているのがバチカン銀行

(書評再録) 『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』(ロマノ・ヴルピッタ、中公叢書、2000)-いまだに「見えていないイタリア」がある!

書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集


あたらしい歴史学としての「社会史」

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著


証言と自白の違い

『形を読む-生物の形態をめぐって-』(養老孟司、培風館、1986)は、「見える形」から「見えないもの」をあぶり出す解剖学者・養老孟司の思想の原点
・・「証人が、その事態について、感情の上で同意か不同意かを、日本語は見事に表現してしまう。そうしないためには、日本語ならざる日本語、つまり官庁式答弁をするほかはない。他方、現実のその事態がどんなものかについては、ややいい加減で済む。だから、われわれは伝統的に自白を重視する。これは言語の特性だから、しかたがない。日本語は、使用者の心理状態と、ことばとの間の関節が固いのである」  告発者の「自白」と心理的動機の関係について考察するヒントになる


 



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2014年11月29日土曜日

書評 『1914年-100年前から今を考える-』(海野弘、平凡社新書、2014)-「センチュリー」(=100年)の最初の「デケイド」(=10年)をハード・ソフトの両面から振り返る


ことし2014年は、第一次世界大戦が勃発してから百年。さまざまな機会に振り返りが行われているが、一般的な日本人が想像する以上に、第一次世界大戦が時代の「大転換」になったことは、あらためて強調しておきたい。1914年当時は「第一次」でなく、人類がはじめて体験した「世界大戦」であったのである。

この本は、文化史から出発して百冊以上の本を出してきた博識の著者が、1914年に始まる「センチュリー」(=100年)の最初の「デケイド」(=10年)を振り返ったものだ。1914年についてのみ書かれた本ではない。

新書本なので、深く突っ込んだ議論がなされているわけではないが、1914年が大転換点になったことをさまざまな側面から見るオムニバス方式の内容だ。

二部構成で、前半は政治経済と軍事、情報といったハードな側面後半は、文化というソフトな側面から。1914年からの最初の10年について要領よく知りたい人は、前者はコンパクトにまとまっているので、これを読むだけで十分だろう。

ただし事実誤認と思われるような点や、参照や依拠している文献の問題点を感じざるをえない箇所が散見される。治安維持法関連の項目など、最新の研究成果を踏まえているとは言い難い。日本関連のことにかんしては、一言でいえば史観が古くさいのだ。

第一次世界大戦については、2014年には、あらたに何冊も出版されているので、別の本を読むことを薦めたい。これらについては後日このブログでも取り上げる予定だ。

むしろ、後半の文化面こそ著者本来の関心分野であるだけに、モダン・アートにかんする章など面白いものもある。ただし、総花的で薄い記述に終わっているという印象は免れえない。ラフスケッチといった印象である。

細かい事実関係の誤りなどに目をつむれば、1914年前後がいかに、大転換期になったかの概観をつかむことは可能だろう。


「100年単位」をタイムスパンとすることの意味と限界

著者も書いているように、10年はデケイド(・・著者はディケイドと書いているが間違い。英語の発音としては「デケイド」でなくてはならない)、30年は世代(=ジェネレーション)、100年(=センチュリー)は3世代強となる。

人間の一生は通常100年を越えることがないので、自分が体験していないことはイマジネーションの限界を超えている。最近よく思うのだが、30年前のことですら、ほとんど覚えていない。遠い国の話のような気もするくらいだ。自分とは関係ないような気さえする。

だから100年前のことが、かえってあたらしく感じられるのだ。自分が体験していないからこそ新鮮なのである。

だが、100年単位でみることは重要だが、わたしは、いまを考えるにあたっては、100年単位というよりも500年単位でみたほうがより正確だと考えている。現在は100年前と似ているというよりも、16~17世紀に似ていると考えるべきなのだ、と。

歴史を考えるに当たって、どの程度のタイムスケールで考えるかという問題なのだ。

出版社がつけた帯には、「歴史は再び繰り返されるのか」というキャッチコピー書いてあるが、これは愚問というべきだろう。著者もまた同様の感想を書いているが、歴史そのものは繰り返されることはない。似たようなパターンは出現しても、内容は同一ではない

歴史は短期・中期・長期でみるべきだと強調したのは、20世紀最大の歴史家フェルナン・ブローデルである。この見方は経済学を,学んだ者であれば違和感はないだろう。景気循環にかんするジュグラーの波やコンドラチェフの波など聞いたことがあるはずだ。

その意味では、100年前を振り返ることの意味はあるが、あくまでも限定された意味であると捉えるべきなのだ。100年は長期だが、さらなる長期の300年あるいは500年で見ないと見えてこないものがある現在はその500年周期の移行期と考えるべきなのだ。

したがって、本書は軽い読み物として、ざっと読み飛ばす程度でちょうどよいのである。


目 次 

プロローグ

第1章 第一次世界大戦はいかに起こったか
第2章 ヴェルサイユ条約の責任
第3章 国家の秘密と情報戦
第4章 日本と第一次世界大戦-シベリア出兵

第5章 少女趣味の時代-宝塚少女歌劇の誕生
第6章 ジェンダーとセックス-女性の出発
第7章 モダン・アートの革命-光と闇
第8章 世界は曲がりはじめた-相対性理論と量子論
第9章 生命と遺伝子-人間とはなにか
第10章 メディアが若かった時-大衆文化の神話時代
エピローグ

著者プロフィール
海野弘(うんの・ひろし)
1939年東京都生まれ。評論家。早稲田大学文学部卒業。出版社勤務を経て、美術・映画・音楽・都市論・歴史・華道・小説などの分野で執筆活動を展開。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

1914年と世界大戦

「サラエボ事件」(1914年6月28日)から100年-この事件をきっかけに未曾有の「世界大戦」が欧州を激変させることになった

書評 『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命-』(片山杜秀、新潮選書、2012)-陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは 
・・日本国民にとって「第一次世界大戦」は直接の関係はなかったが、陸軍軍人たちにとっては必ずしもそうではなかったという事実

漱石の 『こゝろ』 が出版されてから100年!-漱石と八雲の二つの Kokoro (心) (2014年)


歴史を見るタイムスパン

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
500年単位

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える

書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方

『なんとなくクリスタル』から出版されてから33年-あらためて巻末の「統計資料」に注目してみよう
・・30年前なんて遠い星の出来事のような感じがする

書評 『1995年』(速水健朗、ちくま新書、2013)-いまから18年前の1995年、「終わりの始まり」の年のことをあなたは細かく覚えてますか?
・・ついこないだと思っていたことも、じつはほとんど記憶のなかにないという驚愕の事実




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2014年11月26日水曜日

「チューリヒ美術館展-印象派からシュルレアリスムまで-」(国立新美術館)にいってきた(2014年11月26日)-チューリヒ美術館は、もっている!


「チューリヒ美術館展」(国立新美術館)にいってきた。「フェルディナント・ホドラー展」 と同時開催のこの美術展は、日本とスイスの国交樹立150年を記念するイベントの一環として開催されているものだ。

この美術展の感想を一言で言えば、「チューリヒ美術館は、もっている!」、とでもなるだろうか。

ポスターに掲示されているモネ、セザンヌ、ゴーギャン、ドガ、シャガールといった日本人好みの印象派とポスト印象派の画家たちや、ピカソ、ミロ、ダリ、ムンクといった20世紀の大物カンディンスキー、モンドリアン、キリコ、ジャコメッティといった現代美術まで網羅しているからだ。

(モネの「睡蓮の池、夕暮れ」がデザインされたチケット)

ポスターには登場していないが、スイスの国民画家ホドラーの作品も展示スペース一つ分が確保されている。ホドラー展とあわせて鑑賞すべきだろう。半券があれば互いの美術展は100円引きになる。スイス出身の画家ではこのほか、パウル・クレーやセガンティーニの作品も展示がある。

さらにいえば、わたしの好きなドイツ表現主義ではベックマン、さらにウィーン分離派のオスカー・ココシュカの展示もある。さすが、ドイツ語圏のなかでも特筆されるべき文化都市チューリヒの美術館ならではだな、と思わされるのだ。

(会場図面 水色が「巨匠の部屋」 黄色は「時代の部屋」)

ドイツ世界の文化都市といえば、ドイツのベルリンとオーストリアのウィーンはまず誰もが想起することだろう。そして南ドイツのミュンヘン、ミュンヘンから近いザルツブルクといったところだろうか。

だが、「ドイツ語」世界ということでいえば、チェコのプラハやスイスのチューリヒも入ってくるようだ。国書刊行会から1987年に出版された『ドイツの世紀末』というシリーズがあるが、全五巻の内容は、①ウィーン、②プラハ、③ミュンヘン、④ベルリン、⑤チューリヒ、となっている。

たまたま内容紹介のパンフレットがあるので、スキャンして掲載しておこう。『ドイツの世紀末Ⅴ チューリヒ-予兆の十字路-』(土肥美夫編、国書刊行会、1987)の紹介文には、ドイツ語圏におけるスイスとチューリヒの意味が書かれている。


スイスは、そもそもドイツ語圏とフランス語圏を中心に盟約で結成された連邦国家であり、しかも永世中立国である。民族主義(=ナショナリズム)の色合いの強いドイツやオーストリアとは異なるインターナショナルな風土がある。さらにチューヒりはスイスの他の都市と異なる性格があるという。

静かな湖畔にあるスイス最大の都市チューリヒとその周辺には、世紀末以来国内はもとより国外からも、圧政に追われ、ナショナリズムに病んだ思想家や芸術家たちが往来し、寄留し、あるいはまた転進していった。人文主義の伝統を背負うバーゼルと異なり、ここには重荷になるほどの伝統もなく、あらゆる文化の国際的な普遍主義が形づくられる。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

チューリヒとはそういう都市なのである。芸術分野でみてもダダイズムを生み出した都市でもあるのだ。ダダというとパリという連想があるが、じつは第一次大戦中のチューリヒから生まれたものである。

チューリヒは、ビジネスパーソンにとっては、まず第一に「チューリヒの小鬼(=グノーム)たち」というフレーズで象徴されるファイナンシャル・シティー(=金融都市)だが、同時に芸術都市でもある。この関係は、英国のロンドン、米国のニューヨークは当然、イタリアの金融都市ミラノも同様だ。もちろん日本の東京もそうだ。資本が集中する都市に美術品が集積し、芸術都市としてのインフラも形成されるのだ。

チューリヒといえば国際金融都市、チューリヒといえばレーニンの亡命地、チューリヒといえばユング派心理学など、それぞれ連想するものは異なるだろうが、美術館もまたチューリヒを代表する施設のようだ。

「のようだ」と書いたのは、チューリヒには国際列車の乗り換え時間の数時間を利用して英語の市内ウォーキングツアーに参加しただけなので、残念ながらチューリヒ美術館には一度も行ったことがないからだ。

その意味でも、チューリヒ美術館の収蔵品の粋を鑑賞できる今回の企画展は、わたしにとってはありがたい企画であった。

ざっと駆け足で見るだけでもいい。行く価値のある美術展である。






<関連サイト>

「チューリヒ美術館展」
 ●東京展: 2014年11月26日~12月15日 国立新美術館(東京・六本木)
 ●神戸展: 2015年1月31日~5月10日 神戸市立博物館(神戸)


<ブログ内関連記事>

「フェルディナント・ホドラー展」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年11月11日)-知られざる「スイスの国民画家」と「近代舞踊」の関係について知る

「カンディンスキーと青騎士」展(三菱一号館美術館) にいってきた

「ドイツ表現主義」の画家フランツ・マルクの「青い馬」


スイス関連

「小国」スイスは「小国」日本のモデルとなりうるか?-スイスについて考えるために

書評 『ブランド王国スイスの秘密』(磯山友幸、日経BP社、2006)-「欧州の小国スイス」から、「迷走する経済大国・日本」は何を教訓として読み取るべきか

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005)


美術関連

書評 『ピカソ [ピカソ講義]』(岡本太郎/宗 左近、ちくま学芸文庫、2009 原著 1980)-岡本太郎の語る芸術論は、そのまま人生論となっている

本の紹介 『アトリエの巨匠に会いに行く-ダリ、ミロ、シャガール・・・』(南川三治郎、朝日新書、2009)

 



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2014年11月23日日曜日

解体工事現場は面白い!-人間が操縦する重機に「人機一体」(=マン・マシン一体)を見る


解体工事現場は面白い。小学生でなくても、解体現場というのは、なぜだが興味津々でついつい見入ってしまうものだ。とくに男子ならその気持ちはわかると思う。

この現場で解体しているのはRC造(=鉄筋コンクリート)の建造物。コンクリートを破砕して、コンクリートと鉄筋を分別する作業を行っていた。これは、なかなか大変な作業だ。鉄筋コンクリート造の建造物が頑丈なのは当然だ。

(重機の先端部分のアタッチメントは着脱自由)

油圧ショベル(重機)の先端に装着されたアタッチメントのグラップルの形が面白い。グラップルというのはハサミのことだが、この現場で使用されているグラップルは鳥のアタマのようだ。

クレーンは鳥のツルという意味だが、パワーショベルは怪鳥のようである。怪鳥がクチバシでガリガリとコンクリートの塊をかみ砕いていくさまは見応えがある。破砕音や振動、ガソリンの匂いなど五感を再現できれば臨場感が増すのだが、やはり観察はリアルな現場に限るのである。


建築と解体は対(つい)で考えることが必要

鉄筋コンクリート(RC:Reinforced Concrete)は、コンクリートの補強として鉄筋を入れたものだが、鉄筋とコンクリートが融合しているので、鉄筋に錆がでて劣化しない限り、きわめて堅固なものである。

建築の際には、いかに堅固な建築物を構築するかばかりを考えるものだが、解体の際には、コンクリートの瓦礫から鉄筋を分別するのがいかに大変であるかがわかる。それほど、鉄筋コンクリートは基本的に頑丈なのである。

解体した建築廃材(=ガラ)は分別したうえで、産業廃棄物として処分される。解体業は産廃事業であり、いわゆる静脈(じょうみゃく)産業である。これは、人体をめぐる血管のアナロジーとして命名された産業分類だ。動脈と静脈は対(つい)の関係にある。

同様に、建築と解体は対(つい)にして考えるべきなのだと、あらためて納得する。スクラップ・アンド・ビルドという表現があるが、建築が解体され更地となるだけでなく、解体のあとには建築が行われることも多々あるのだ。




人機一体(=マン・マシン一体)

パワーショベル(重機)で作業している現場を見ていると、人間が操縦する巨大なロボットを連想させるものがある。重機という機械と、操縦する人間が一体化しているのだ。

小学生が引き込まれるのもそのためだろう。かつて小学生だった大人だってワクワクするのも当然だ。重機の操縦はバランスをとるのが、なかなかむずかしそうだ。

「人馬一体」という表現がある。乗り物としての馬と、それに乗る人の息がピッタリとあって一体化しているさまを表現したものだ。自動車が馬車の延長線上にあることは、技術史の常識である。

この表現になぞらえれば、重機の場合は「人機一体」だ。「マン・マシン一体」である。マン・マシン・システムというと、一般には人とコンピュータの一体化のことをいうが、重機もコンピュータ(・・そもそもの意味は計算機)も機械であることは共通している。

かつて「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた田中角栄という首相がいたことを思い出した。1970年前後の話であるが、現在の重機は電子制御化が進んでいるので、文字通り「コンピューター付きブルドーザー」となっている。

とはいえ建設機械の大半は無人化された自動操縦ではない。アームの操作によって作業を行う点は産業用ロボットに似ているが、自動運転ではなく人間が操縦するのでロボットではない。人工知能ではなく、人間の頭脳が状況を判断し、手でスティックを握って操作するのである。重機という道具(ツール)もまた、手の延長線上にあるわけだ。

原子炉の内部などは無人化したロボットの導入が行われているが、市街地の解体現場に無人化した重機が登場することはあるのだろうか?

技術の進歩は経済性との関数でもあるので、将来の解体現場がどのようなものになるのか判断がつきかねるものがある。だが、当分のあいだは、「人機一体」の解体シーンを観察することができそうだ。






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・・廃炉作業もまた解体作業の一種

書評 『馬の世界史』(本村凌二、中公文庫、2013、講談社現代新書 2001)-ユーラシア大陸を馬で東西に駆け巡る壮大な人類史
・・「人馬一体」から「人機一体」へ

書評 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物
・・「Ⅳ章 馬から機械へ」では、動力源の変化が、馬から機械への転換を促し、その移行期においては馬のメタファーが使用されていたことが指摘されている。馬力(horse power)という英単語が端的にその事情を表現している」


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ヘクソカズラ(=屁糞葛)というスゴイ名前の植物は、日本中いたるところに生えている


秋になると茶色いつぶつぶの実がなっているので目に入ってくる植物がある。

葉っぱの形や、つるになっていること、実のつぶつぶ具合から、もしかしてヤマノイモかなという一瞬思って見たりもするが、ヤマノイモの場合はタネが入っている実ではなく、子芋がなるので違うのである。

そう、これはヤマノイモではない。ヘクソカズラである。

ヘクソカズラは漢字で書くと屁糞葛。屁に糞でヘクソ。スゴイ名前である。葉や茎に悪臭があることから、そう名付けられたという。アカネ科ヘクソカズラ属の蔓性多年草である。

ヘクソというと、ヘクサゴンというコトバを想起する。ヘクサゴン(hexagon)は六角形のことだ。音の響きが悪いねえ。ギリシア語なんだが。

このほか「クソ」を含むコトバにはタクソノミー(taxonomy)というものもある。これは分類(学)という意味だ。これもギリシア語が起源。タックス(tax)を含んでいるが、税金学ではないので念のため。

どうもギリシア語には X(クス)音を含んだ単語が少なくないようだ。日本語は、この X(クス)音に母音がつけてさまざまなコトバを作り出しているが(・・正確には ks ではなく kus)、クサ(草)、クシ(串、櫛)、クス(楠)、クセ(癖)、クソ(糞)と並べてみると、それぞれ関係がありそうな気もしてくる。クスを濁音化するとクズ(葛)、グズ(愚図)となる。

コトバの響きというものは、ポジティブなものばかりではない。だが、ネガティブな響きをもった名前こそ生命力が強いといえるかもしれない。いわゆる悪名というやつだ。憎まれっ子世にはばかる、というコトワザもある。

ヘクソカズラもまた、日本中どこにでもある、じつに生命力の強い植物である。





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2014年11月21日金曜日

有名人の「なりすまし」からの友達リクエストに要注意!-ビジネス用途のリンクトイン(LinkedIn)でも「419詐欺」が横行


フェイスブックやラインなどSNS(=ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を舞台にしたトラブルや詐欺事件があとを断たない.。アカウントの乗っ取り以外にも、大小さまざまな詐欺が横行している。

被害者を装った内容とか、難病で苦しんでいる人を助けてほしいとか、人の善意につけ込んだ詐欺が SNS上ではあとを断たない。慣れれば、「ああ、あれだな」とすぐにわかるのでシカトすればいいのだが、最初はあやうくダマされかかることも少なくないだろう。しかも英語で書かれていれば、なおさらだ。

仕事を主目的としたSNSであるリンクトイン(LinkedIn)でも同様の詐欺が発生している。たんなる「つながり」であれば、いとも簡単にできてしまうのが SNS の特徴だが、だからこそ敷居が低いとはいえる。

わたしが最近リンクトインで遭遇したのは、いわゆる「なりすまし」である。著名人になりすまして友達リクエストを送ってくるタイプの詐欺である。「なりすまし」は英語で Identity theft という。文字通り他人の「身分を窃盗」する行為である。乗っ取りである。

リアルな空間ではなかなか交友関係にはなれない著名人と、ネット空間で簡単に「知り合い」になることができることもあるのだが、よくよく考えれば、リアル世界ではめったにないレアケースであることに、なかなか気がつかないのは不思議ですらある。

フェイスブックでは有名人の「なりすまし」には、かつてよく遭遇していたが、リンクトインでも「なりすまし」に遭遇するとは考えていなかった。

わたし自身も最近、とある著名人から友達リクエストがあって、それに応じてしばしやりとりを行ったので、その事例について紹介しておきたいと思う。


「なりすまし」事例の紹介

2014年11月3日のことだ。LinkedInにて、Yinluck Shinawatra と名乗る人から友達リクエスト(friend request)があった。日本語で表記すればインラック・チナワットである。。タイ王国の前首相である。プロフィール写真も前首相のものである。

先のクーデターで政権の座を追われてから半年、政治の世界から足を洗って(?)ビジネスに戻ったのだろうと考えてリクエストを承諾した。リクエスト承諾はボタンをクリックするだけなので簡単だ。名刺マニアではないが、有名人もリストに加えておこうくらいの軽い感覚である。

その後、Yinluck Shinawatra氏からメールがあった。アメリカの大学院時代の「学友」かという質問がその内容であった。同姓同名の人違いなのだろうと考えて、「残念ながら学友ではなく、別の大学院の卒業だ。だから学友ではないが、タイでビジネスをやっていたので、あなたのことはよく知っている」、と返信。

そのメールに対する返事がきたが、文章の最後が、Who are you ? とあったので、失礼だなと思った。本人はタイ人で英語を母語としているわけではないので、多少は割り引いて考える必要があるかな、などと好意的に考えることにした。この段階の人間心理というのは、自分のことでありながら不思議なものだ。だが、返事は出さずそのままにしておいた。

そしたらその翌日(2014年11月4日)の朝、ふたたびメールがきた。「日本で高額のプロジェクトがあるので、ストラテジストを探しているが、あなたたは関心あるか?」、という内容だ。

リンクトインのプロフィールには、Yinluck Shinawatra氏は現在、不動産会社のCEO職とある。高額のプロジェクトとは不動産がらみのことか? 「直接連絡を取りたいのでスカイプのアドレスを教えてほしい」という要請もあった。

午後には返事をしなくてはならないだろうなあと思ってアタマの片隅に置いておいたが、まったくの偶然のことだが、同じ日にフェイスブック上で、「東久邇宮記念文化褒賞」なるものを受賞した人の報告がアップされていた。「東久邇宮記念文化褒賞」?? なにか匂うな、と直観的に感じたネットで調べてみたら、わたしの直観どおりのものであるようだ。

そこでふとリンクトインの一件を思い出された。そこで、Yinluck Shinawatra と LinkedIn など複数ワードでグーグル検索してみたら、下記のアラートがでてきたのだ。英語の文章の文言もそっくりではないか!! わたしが受け取った文面は省略するが、きわめて酷似している。それなりにカスタマイズ(!)されていたが・・・。




ここに画像として掲載した文言には、2014年7月31日現在なのに「タイ王国首相」と書いてある。すでに5月22日の時点でクーデターによって職を解かれていたので首相ではなかったのだが・・・。これは送信側のあきらかなミスである。

わたしにきたメールには、さすがに、Best Regards, Yingluck Shinawatra, ex-Prime Minister, Kingdom of Thailand(タイ前首相) と変えられていた。最初は何の記載もなかったのに、二回目以降のメールにはしっかりとそう記されていた。

オレオレ詐欺も実在の息子を騙った「なりすまし」(identity theft:身分窃盗)の一種だが、詐欺の手口で多いのが、政治家や王族、その他の著名人やセレブが関係しているようにみせる手口だ。「M資金」詐欺などその最たるものだが、日本だと旧宮家がらみのものも少なくないようだ。

わたしのケースでも、リンクトインに記載されたタイ王国の元首相のプロフィールに間違いはない、ポートレート写真も同じである。事実関係に間違いはない。だが、だからといって、それが本人のものだという保証はない

有名人のプロフィールは公開されているので、その点について偽造する必要はないのだ。事実関係を押さえて、それに基づいてストーリーを構築すればいいというわけだ。

わたしが遭遇したケースは、アメリカ留学中の大学院時代の学友かとたずねてからはじまるストーリーであった。手口がなかなか巧妙である。この対応は個別対応というカスタマイズ以外のなにものでもない。

また、散見される英単語のつづりの間違いや英語表現の未熟さも、母語として使用しているのではないというニュアンスさえ感じさせる手口(?)である。こちらは意図的なものかどうかはわからないが、もしそうだとすると巧妙すぎる。

今回の件が詐欺だとわかった時点で、即座にリンクトインの「つながりリスト」から削除したことはいうまでもない。知らずに「友達」のままにしている日本人もいるようだが・・・。「知らぬが仏」というべきか。だが、わたしの知り合いではないので注意勧告はしない。そんなことは余計なお世話であろう。


中途半端に英語ができると詐欺に遭いかねない

おなじく atwing というサイトだが、別の投稿には,「Received and invitation to connect from Yingluck Shinawatra, Ex-minister of Thailand ? It’s a Ghana based scam. Beware. via LinkedIn」とある。日付は、2014年8月1日付けだ。(追記:この投稿も Not Found 状態)。


どうやら「ガーナ詐欺」(Ghana based scam)という名称で知られた詐欺(scam)のようだ。またの名を「419詐欺」(419 scams)というらしい。

ガーナはアフリカの独立国。チョコレートの原料のカカオ豆の生産で有名だが、ガーナはもともと英国の植民地であったから公用語は英語である。なるほど、いわゆるナイジェリア国際詐欺と同じ構造なわけだな。

「ナイジェリアの手紙」という項目がwikipedia日本語版に立てられているので、詐欺の性格について引用しておこう。

ナイジェリアの手紙またはナイジェリア詐欺 (Nigerian money transfer fraud, Nigerian scam, 419 scam) とは、アフリカ地域(主にナイジェリア)を舞台に多発している国際的詐欺の一種であり、先進国など豊かな国に住む人から、手紙やファクシミリ、電子メールを利用して金を騙し取ろうとする詐欺である。現在では電子メールで行われることが多い。 419事件という別名もあるが、これは、この手の詐欺がマネーロンダリングを規制するナイジェリア刑法第419条に抵触することに由来している。 この手の詐欺の原型として、16世紀の「スパニッシュ・プリズナー(スペインの囚人)」や日本の「M資金詐欺」などがあるが、1980年代半ばから、ナイジェリアから先進国を狙った手紙・ファックスを使った信用詐欺がおこり、他のアフリカ諸国や欧米に住むナイジェリア人らも巻き込んで世界に広がった。 もともと詐欺師たちは、1980年代には企業オーナーや教会指導者ら個人に手紙を送り話を持ちかけていたが、電子メールの発達にともない、低いコストで不特定多数の一般人に対して詐欺を仕掛けることが可能になった。 2001年頃から世界中でこの「ナイジェリアからの電子メール」による被害が多発し、日本の個人のメールボックスにも英文で書かれた丁寧な申し出が多数届くようになり、受取人を困惑させている。(*太字ゴチックは引用者=さとう)


まったくもって「生兵法は怪我の元」(A little learning is a dangerous thing.) だなとつくづく思う。へたに英語なんかできると、かえって詐欺の被害にあう可能性が高まるというのは皮肉なことだ。

「横文字なんか見る気もしない」という健全な(?)精神の持ち主なら、即座にシカトすることろう。だから、結果として詐欺に巻き込まれることもない。英語を勉強すればいいことだらけというのは幻想に過ぎないのでありますよ

詐欺というのは、詐欺師の側もさることながら、詐欺の「被害」にあう側にも問題があるということ。「問題がある」という表現には「問題がある」かもしれないが、騙す側の騙そうとする意図と、騙される側の騙されやすい状況や傾向がジャストミートしたとき、詐欺が成立するということだ。ミクロ経済学の「需要供給の法則」のようだが・・・。

それは、「オレオレ詐欺」にひっかかる認知症傾向のケースもあれば、ある程度の英語ができるという能力の持ち主の場合もある。万人が騙される詐欺というのは、それほど多くはない。それぞれの能力や状態に応じて、対応すべき詐欺の種類は異なるということだ。

いずれにせよ用心、用心!!





(追記)

詐欺だと発覚したのは、awing というサイトであったが、なぜか投稿だけでなく、サイトじたいが消えている 404 Not Found 状態だ。なぜ?

http://atwing.com/wp/scam-alert-if-you-are-contacted-by-tho-stake-profile-on-050814-819-am-yingluck-shinawatra-wrote-thanks-for-your-urgent-response-mr-i-am-yingluck-sh/
Not Found
The requested URL /wp/scam-alert-if-you-are-contacted-by-tho-stake-profile-on-050814-819-am-yingluck-shinawatra-wrote-thanks-for-your-urgent-response-mr-i-am-yingluck-sh/ was not found on this server.
Additionally, a 404 Not Found error was encountered while trying to use an ErrorDocument to handle the request.
Apache/2.2.27 (Unix) mod_ssl/2.2.27 OpenSSL/1.0.1e-fips DAV/2 mod_bwlimited/1.4 Server at atwing.com Port 80

もしこの投稿を見ていなかったら、詐欺だとわかるまで、もうしばらく時間がかかったかもしれない。






<ブログ内関連記事>

泣く子も黙る IRS より督促状!?
・・アメリカの内国歳入庁(・・日本でいえば税務署)からの督促状。これもあきらかに詐欺

「セルフブランディング」と「セルフプロデュース」、そして「ストーリー」で「かたる」ということ-「偽ベートーベン詐欺事件」に思う
・・2014年2月に発覚した詐欺事件。このケースは、ストーリーで「騙る」行為を長年にわたってつづけてきた佐村河内守という詐欺師の話。多くの人を騙すデクニックのオンパレードである

書評 『毒婦。木嶋佳苗 100日裁判傍聴記』(北原みのり、朝日新聞出版社、2012)-これは「女の事件」である。だから「女目線」でないとその本質はわからない
・・なぜ次から次へと男たちはいとも簡単に騙され殺されていったのか?

書評 『地獄へようこそ-タイ刑務所/2700日の恐怖-』(コリン・マーティン、一木久生訳、作品社、2008)-無実の罪で投獄された白人ビジネスマンが手記につづるタイの刑務所の恐るべき実態
・・海外在住の白人が白人を騙す詐欺にひっかかった著者の手記。騙す側と騙される側に共通点があると、詐欺が成立しやすい

三度目のミャンマー、三度目の正直 (10) 特別講義:「即席ミャンマー人なりすまし」作戦
・・ミャンマーで外見からミャンマー人になりすますための指南

史上空前規模の論文捏造事件」(2002年)に科学社会の構造的問題をさぐった 『論文捏造』(村松 秀、中公新書ラクレ、2006)は、「STAP細胞事件」(2014年)について考える手助けになる
・・学術論文の中身の捏造問題。これも詐欺まがいの話である

英語よりも日本語をキチンと教育してもらいたい!-「英語至上主義」と訣別し、人的資源の有効活用策を考えるべし

(2015年12月31日 情報追加)



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2014年11月17日月曜日

クレーンはツルである-アナロジーによるネーミング(=類推による命名)


 (東京・お台場のテレコムセンターから)

クレーンとは重量のあるモノをつり上げて、所定の位置におろすための機械のことだ。日本語で起重機というが、一般的に使用されるコトバではない。

一般人がふだん目にするのは、工事現場や建設現場の大型クレーンだろう。一般にラフタークレーンが使用されているが、このタイプのクレーンは、車輪がついた自走式である。クレーン自体を運転して移動させることができる。

港湾施設で活躍しているクレーンは、正式にはガントリークレーンという。コンテナヤードで貨物船とのあいだでコンテナの積み替えを行うための機械である。このタイプのクレーンは据え付け型であり移動はできない。


クレーンはすっかり日本語として定着しているが、そもそもクレーンはどういう意味なのか、どういうスペリングなのか考えることはあまりないのではないだろうか。英語だとクレーンは crane とつづる。Crane を辞書で調べてみよう。

まずでてくる意味は動物のツルだろう。そう、クレーンとはツルのことなのである。起重機のクレーンは、形がツルに似ているので一般名詞でクレーンと命名されたようだ。アナロジーによる命名である。

アナロジーとは類推や類比という意味で、ひらたくいえば、「~のような」を表現するレトリックのことだ。クレーンの例でいえば、起重機は「クレーン(=ツル)のような」形をしているからクレーンとよぶ、ということになる。

身近な例でいえば、コンピュータのマウスは、形がマウス(=ネズミ)に似ているので、マウスと命名されている。実験用のマウスは日本でもマウスとそのまま呼ばれている。

ほかにもさまざまなケースがあると思うので、探してみるといいだろう。

マウスについては、いまでは日本人はネズミのことだとすぐにわかるが(・・ただし、マウス mouse とラット rat の違いまでは認識していないかも)、クレーンがツルのことだとは、なかなか思いつかないかもしれない。

とはいえ港湾のコンテナヤードに設置されているガントリークレーンは、クレーンではあるものの、どう見てもツルという感じではないなあ。

わたしはガントリークレーンを見ると、いつもタカアシガニ(=高脚蟹)を連想してしまうのだが・・・。






PS 日本語には鶴嘴(つるはし)がある

この記事を書いたときには想起していなかったが、日本語には鶴嘴(つるはし)という名称の道具がある。工事現場などで硬い地面などを砕くために使用されるが、先端がとがった形状は、たしかにツルのくちばしのようである。

高度成長期を代表するスポ根アニメの名作 『巨人の星』で、星飛雄馬の父親の星一徹が土木現場で汗水たらしながら働いているシーンを想起するが、現在では重機を使用して掘削を行うのがあたりまえなので、鶴嘴(つるはし)の出番も少なくなった。だが、それでも狭い場所を掘る時には人間の手で鶴嘴を使用することもある。

英語ではツル(=クレーン)のくちばしは吊り上げ機器として、日本語ではツルのくちばしは道具として名称に活かされているわけだ。こういう異文化論(?)は雑学として面白い。

(2015年10月15日 記す)






<関連サイト>

港のエース、ガンマンの絆 クレーン運転士・上圷(かみあくつ)茂 (NHK プロフェッショナル 仕事の流儀) (2014年4月21日 放送)
・・コンテナ輸送に不可欠の業務であるガントリークレーンの操作を行う運転士の仕事


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タダノの大型クレーンの商品名ピタゴラス-愛称としてのネーミング

映画 『キャプテン・フィリップス』(米国、2013)をみてきた-海賊問題は、「いま、そこにある危機」なのだ!
・・貨物船とコンテナ

「千葉港めぐり観光船」に乗ってきた-潮風に吹かれて海から京葉工業地帯をみる
・・港湾のコンテナヤード

『ドキュメント アジアの道-物流最前線のヒト・モノ群像-』(エヌ・エヌ・エー ASEAN編集部編、エヌ・エヌ・エー、2008)で知る、アジアの物流現場の熱い息吹

ウサギは英語でラビット? ヘア? バニー??
・・マウスとラットの違いも同様

『前田建設ファンタジー営業部』(前田建設工業株式会社、幻冬舎、2004)で、ゼネコンの知られざる仕事内容を知る

書評 『モリナガ・ヨウの土木現場に行ってみた!』(モリナガ・ヨウ、溝渕利明=監修、アスペクト、2011)-独特の細密イラストによる「関係者以外立ち入り禁止」の「現場」探訪フィールドワーク

(2015年10月15日 情報追加)



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2014年11月15日土曜日

「夢の島」にはじめて上陸(2014年11月15日)-東京都江東区の「夢の島」に日本戦後史の縮図をみる

(東京湾の夢の島マリーナ)

「夢の島」に初めていってきた。たまたま夢の島公園に用事があったからだ。島といっても陸続きなので、クルマでなくても新木場駅から歩いて行ける範囲にある。

東京都江東区にある夢の島といえば、わたしのイメージは東京都のゴミ捨て場で、ゴミによって埋め立てたてられた人工島というものであった。

汚いゴミの埋め立て地につけられた「夢の島」(ドリーム・アイランド)というネーミング。現実ではなく願望を込めたネーミングだろうが、小学生でも、現実とコトバのギャップのあまりにも大きな違いには敏感に反応していたものだ。夢の島とは笑っちゃうよね、と。

コトバが指し示す対象とコトバそのものの関係は恣意的であると喝破したのは言語学者のソシュールだが、ゴミの島という現実と夢の島というコトバのズレは、1970年前後の高度成長時代末期にはピークに達していたのであった。

夢の島はゴミの島というイメージは、小学生5年生の4月まで東京で過ごしていたわたしのなかで、40年以上も固定観念となったまま凍結していたのだ。


夢の島へのメタモルフォーシス

ところが、現在の夢の島は、そこがかつての夢の島であったという痕跡をほとんど感じさせないものとなっていた。陸上競技のフィールドを中心にした公園に熱帯植物園、バーベキュー場や東京湾に面したマリーナまであり、公園をつかったイベントまで開催される、文字通り「夢の島」となっていた。



正直いって驚いた。わずか40年でここまで「進化」するものなかのか、と。「進化」でも「成長」でもない、生物学用語をつかえば、「変態」というべきだろう。幼虫がさなぎを経て美しい蝶になるようなメタモルフォーシスである。

夢の島に熱帯植物園があるのは、ゴミ焼却の廃熱を利用しているからだ。小学生の頃から井の頭植物園に通い詰めていたほどの植物園大好き人間のわたしは、ぜひ夢の島の植物園にも入りたかったが、時間がなかったので断念。後日の楽しみとして取っておこう。

(夢の島熱帯植物園の手前は耕作地)

熱帯植物園が可能となったのは土壌が劇的に変化したからでもある。なんと夢の島には畑まであるのだ! しかもミツバチまで飼っているのだという。

(夢の島の畑に掲示された注意看板)

ゴミ捨て場に投棄されたゴミが、バクテリアの働きによって分解され、40年間をかけて黒土層に変化していたのだという。

すごいねバクテリア! 人間が踏み込むことがなかたのがよかったのだという。人間の手を加えずに実現された黒土化は、ある意味では自然治癒力のようなものだろうか。夢の島は、見事なまでに緑の島にメタモルフォーシスしていた。

ゴミの島から緑の島へ。夢の島の歴史は、日本戦後経済史を見事に反映している。

1960年代の高度成長という日本近代化の最終局面に吹き出た負の側面が、その後の長期にわたる安定成長と、一時的な狂熱状態があったとはいえ、長い経済停滞停滞によってもたらされた成熟経済。

大量生産が大量消費を生み、大量消費が大量廃棄を生むという悪循環。「もったいない」というフレーズを復帰させたいという動きがあるものの、100円均一商品があふれるなか、使い捨てによるゴミの大量発生状態が鈍化したわけではない。

発展途上国での引き合いから発生した資源ゴミの輸出と、ダイオキシンを発生させない焼却技術の進歩とがあいまって、現在の状態に落ち着いているのだろう。ゴミは宝の山という認識は浸透しつつある。


夢の島にある「第五福竜丸展示館」は必見!

夢の島には絶対にはずせない施設がある。それは、都立第五福竜丸展示館だ。トラジャコーヒーで有名なトラジャ風というか、ニューギニア風あるいはポリネシア風の建築物である。

(ポリネシア風建築の第五福竜丸展示館)

いまから60年前の1954年3月1日、太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカの水爆実験の放射能被害を受けたマグロ漁船である。最近でこそあまり話題に登らなくなっていたが、わたしが小学生の頃は、第五福竜丸はひんぱんにマスコミでも言及されていた。

ことし2014年にはアメリカで映画ゴジラのリメイク版が公開されて話題になっていたが、水爆実験から生まれたという想定のゴジラは、あの時代の空気を知っている大人たちがつくったものなのだ。・当時の子どもたちは、あまり意識していなかたが・・・。

「3-11」後はふたたび関心が高まっているようで、第五福竜丸展示館は入場無料ということもあるのだろうが、朝からかなりの入場者であふれていた。

(後部からみた第五福竜丸)

第五福竜丸が木造の大型船であることは今回はじめて知った。なにごとも百聞は一見にしかず、である。第五福竜丸は総トン数140トン、全長約30メートル、高さ15メートル、幅6メートル。これだけ大きな木造船は、ノルウェーのバイキング博物館でみたバイキング船以来のような気がする。

(側面からみた第五福竜丸)

説明書きによれば、もともとカツオ漁船として和歌山県で建造されたが、マグロ漁船に改造され、静岡県の焼津港を母港として太平洋で遠洋漁業を行っていたのだという。

水爆実験の被害に巻き込まれたのは1954年(昭和29年)、敗戦から9年後の日本はまだまだ貧しかった。貴重なタンパク源としてマグロやクジラが捕獲され、食卓に登っていた時代だ。

この当時のマグロは、冷凍技術が未発達な関係から、刺身ではなく煮物として食べられていたのであった。また加工されてツナ缶として輸出もされていた。

(第五福竜丸の甲板後部)

第五福竜丸の事件をキッカケに反原水爆運動が世界的に盛り上がったことも、この展示館のパネル展示で知ることができる。この事件もその一つのキッカケとして反米ナショナリズムが高まった時代である。

とにかく現物をみることだ。木造船が遠洋漁業に使用されていたという事実と、その大きさに驚かされるとともに、敗戦後の戦後日本がいかなる状態であったのかが手に取るように理解できるからだ。かならずしも反原水爆といった立場に立つ必要もない。

第五福竜丸は1954年の水爆被爆後も使用されていたこともはじめて知った。練習船に改造されて東京水産大学で使用されたあと、1967年に廃船になったという。第五福竜丸展示館が建設されたのは、1976年のことである。


「夢の島」に日本戦後史の縮図をみる

夢の島は、もともと東京湾に飛行場建設のための埋め立て地だったのだという。戦前の1939年(昭和14年)のことだ。だが、2年後の1941年には大東亜戦争に突入したこともあって、資材不足で工事は中止された。その後しばらくの海水浴場となっていたらしい。

ゴミの島となったのは1957年。第五福竜丸の事件から3年後である。ゴミの埋め立ては1957年から10年後の1967年まで続いた。奇しくも、第五福竜丸が廃船になったのと同じ1967年である。

「夢の島」というネーミングがいつ付けられたのか知らないが、その当時のことだろう。埋め立てが終わったのは高度成長末期である。

(1974年と2010年の夢の島 説明看板より)

埋め立てが終わってから11年後、1978年には東京都立夢の島公園が開園することになる。この頃のことはまったく知らなかったが、最初に埋め立てが始まってから40年後のことになる。

わたしがはじめて夢の島にいったのは公園が開園してから36年後ということになる。なるほど、夢の島がゴミの島であったのは、遠い昔のこと。若い世代がその当時のことなどまったく知らないのも無理はない。

「夢の島」の建設が1939年から始まってことし2014年で75年。節目の年というわけではないが、「夢の島」に日本戦後史の縮図をみることも可能だろう。

「夢の島」がゴミの島だと思い込んでいる人なら、一度はいってみる価値のある公園だ。その見事なまでのメタモルフォーシスに驚くはずである。








<関連サイト>

【東京都】夢の島公園 夢の島熱帯植物館(公式サイト)

都立 第五福竜丸展示館 Official Site





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2014年11月14日金曜日

「フェルディナント・ホドラー展」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年11月11日)-知られざる「スイスの国民画家」と「近代舞踊」の関係について知る

(ミューレンから見たユングフラウ山(1911年) 美術展ポスターより)

東京・上野の国立西洋美術館で開催中の「フェルディナント・ホドラー展」にいってきた。日本とスイスの国交樹立150年を記念するイベントの一環としての美術展である。

フェルディナンド・ホドラー(1853~1918)は、スイスの首都ベルンに生まれた「スイスの国民画家」。日本では40年ぶりの大回顧展というが、つい最近までホドラーについてはまったく知らなかった。だが、思い切っていってみてよかった。日本での知名度の低い「知られざる画家」を大々的に取り上げ、企画展示を実行した国立西洋美術館の見識には敬意を表したい。

今回の展示会までまったく知らなかったわたしには、ホドラーについて語る資格はないが、実際にその絵画作品を見た感想くらいは述べることは許されるだろう。

ユングフラウをはじめとするスイスアルプスを描いた風景画は、ある意味では日本人好みのものといえるかもしれない。

だがホドラーの風景画は単なる風景画ではない。視覚で知覚する世界よりも、その視覚像をつくりあげる構造や原理に着目した「パラレリズム」(平行主義)に基づいて描かれた風景画だ。画家自身の内的世界の反映とえいえるかもしれない。

パラレリズムは、ホドラー自身による絵画理論である。


「オイリュトミー」という絵画作品に表現されたリズム

だが、今回の美術展でもっとも印象が強かったのは、なんといってもオイリュトミーをテーマとした作品群だ。踊る女性や男性を描いた作品群である。このテーマは、20世紀以後のホドラーが最後まで探求していたものだ。

オイリュトミー(Eurythmy)とは、リズムを意味するギリシア語のリュトミスにドイツ語の接頭語のオイをつけてできた造語で、よきリズムという意味である。1895年に制作した5人の老人を描いた作品にホドラー自身が名付けている。

オイリュトミーといえばルドルフ・シュタイナーという連想が浮かぶが、ホドラーはシュタイナーとは直接関係なく、しかも先行してオイリュトミーをテーマとする絵画の制作に取り組んでいた。スイス人の音楽家エミール・ジャック=ダルクローズ(1865~1950)からインスパイアされたのだという。

オイリュトミー=シュタイナーという固定観念をいったんはずして、虚心坦懐にホドラーを味わってみると、近代舞踊(モダンダンス)というパフォーミングアーツと絵画との関係が見えてくるダンスが生み出すリズムを絵画で表現したのがホドラーである。

(1905年の作品「感情Ⅲ」)

古代ギリシアの壺絵に描かれた舞踊する女性を思わせる近代舞踊は、西洋における唯一の芸術舞踊であった、「型」を重視したバレエを否定するところから始まったものである。19世紀半ばから始まり、20世紀になってから文化現象として社会的に認知されるようになった。近代舞踊は、心身一元論の哲学に基づく。

ホドラーがオイリュトミー関連の作品を制作するようになったのも20世紀前後からで、その意味では近代舞踊運動とパラレルな関係にあったことがわかる。ジャンル横断型の芸術運動と理解すべきなのかもしれない。

絵画という静止画像でありながら、そこに動的でかつ静的な要素を同時に表現したホドラーの作品。フランスの画家マティスの『ダンス』ほど大胆ではないが、ダンスをテーマにした作品としては、かなり早い時期のものといえるだろう。

美術展を見たあとに立ち寄ったミュージアムショップの一角には、オイリュトミーとシュタイナー関連書の販売コーナーも設けられていた。さすが国立西洋美術館のキューレーターの見識は高い!

シュタイナーも最晩年はスイスのドルバッハに建設したゲーテアヌムを活動拠点としたので、スイスとは縁が深い人である。シュタイナーの思想と芸術は、スイス出身の画家パウル・クレーやロシア出身のカンディンスキーにも大きな影響を与えている。

思想的にはホドラーとシュタイナーは影響関係がなかったようだが、同時代のスイス、同時代のドイツ語圏という文脈を考えれば、まったく無縁ではなかったと考えてもいいのではないだろうか。


「スイスの国民画家」という意味

スイス出身だスイス以外に活動拠点をもとめたパウル・クレーやジャコメッティとは異なり、終生スイスを活動拠点にしていたホドラーは「スイスの国民画家」とよばれているそうだ。

その最たる作品が「木を伐る人」(1910年)であろう。

(スイス中央銀行が発行する銀行券のデザイン)

労働者を描いたこの作品は、スイスのお札のデザインとして制作されたらしい。美術展にはホンモノのお札が展示されていたが、スイス国立銀行が発券する銀行券として、1911年の使用開始から1958年まで、なんと47年間(!)にもわたってホドラーのデザインが使用されていたそうだ。なるほど、「国民画家」たるゆえんでもある。

ホドラーという「知られざる画家」と冒頭に書いたが、じつは大正時代の日本では白樺派の芸術家たちがホドラーの絵を好んで日本に紹介していたという。白樺派の趣味も悪くないなと感じるのは、わたしだけではないだろう。

40年ぶりという大回顧展なので、日本では長いあいだ「知られざる画家」となっていたのも無理はないが、この機会にホドラーという画家について知る機会を得たことは、わたしにとっては大いに幸運なことであった。

東京以外では兵庫県立美術館でも開催されるので、ぜひ足を運んで鑑賞していただきたいと思う。「目録」も内容が充実しているので、あわせて購入することを薦めたい。

(コルビジュエの建築物を背景に 国立西洋美術館)






<関連サイト>

【東京展】 2014年10月7日(火)~2015年1月12日(月・祝) 国立西洋美術館
【兵庫展】 2015年1月24日(土)~4月5日(日) 兵庫県立美術館



「チューリヒ美術館展」(国立新美術館)にいってきた(2014年11月26日)-チューリヒ美術館は、もっている!
・・こちらの美術展ではホドラー作品も展示スペースを設けて展示されている


<ブログ内関連記事>

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」
・・オイリュトミーといえばシュタイナーを連想するだけでなく、晩年はスイスのドルナッハで過ごした人智学者ルドルフ・シュタイナーは、ドイツ表現主義のロシア人カンディンスキーやスイスのパウル・クレー、ドイツのヨーゼフ・ボイスといったアーチストたちをインスパイアしてきた

「カンディンスキーと青騎士」展(三菱一号館美術館) にいってきた

「ドイツ表現主義」の画家フランツ・マルクの「青い馬」


「アート・スタンダード検定®」って、知ってますか?-ジャンル横断型でアートのリベラルアーツを身につける

フイギュアスケート、バレエ、そして合気道-「軸」を中心した回転運動と呼吸法に着目し、日本人の身体という「制約」を逆手に取る

バレエ関係の文庫本を3冊紹介-『バレエ漬け』、『ユカリューシャ』、『闘うバレエ』

「小国」スイスは「小国」日本のモデルとなりうるか?-スイスについて考えるために

書評 『ブランド王国スイスの秘密』(磯山友幸、日経BP社、2006)-「欧州の小国スイス」から、「迷走する経済大国・日本」は何を教訓として読み取るべきか



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2014年11月12日水曜日

映画 『悪童日記』(2013年、ハンガリー)を見てきた(2014年11月11日)-過酷で不条理な状況に置かれた双子の少年たちが、特異な方法で心身を鍛え抜きサバイバルしていく成長物語


東京・有楽町のTOHOシネマズ シャンテで、映画 『悪童日記』(2013年、ハンガリー)を見てきた。この映画は絶対に見ておきたかった。その期待はまったく裏切られることはなかった。いや、期待を大幅に上回る衝撃作であった

過酷で不条理な状況に置かれた双子の少年たちの物語だ。そこから逃れることのできない宿命と受け止め、特異な方法で心身を鍛え上げながら、したたかに、タフにサバイバルしていく濃厚な一年。ハードボルドな成長物語でもある。

そこに貫かれているのは、どんなことがあっても生き抜くという、強烈な意志のチカラである。哲学者ニーチェの著書のタイトルを借りれば、『チカラへの意志』」であり、少年たちが最終的に到達したのは、自分たち以外は何も信じないという『善悪の彼岸』である。

善悪ではなく美醜という価値観。そして価値観の転倒と混乱。美しい少年たちによる、美しくない行為。美しさを生き残りの手段につかうが、その美しさゆえに破壊される登場人物たちもいる。「神」がすでに教会にはいないこともまた、徹底的に確認される。

さすがヨーロッパ映画。一般大衆受けを狙ったハリウッド映画とはまったく違う。安楽死と自殺幇助にかかわるテーマも含めた、芸術的なテイストをもちながらも、哲学すら感じる重厚な映画である。


第二次世界大戦末期から敗戦後のハンガリー

『悪童物語』というのは原作の日本語版のタイトルにあわせている。原作のオリジナルのタイトルは、フランス語で Le grand cahier、つまり大判のノートブックのことだ。双子の少年たちは、このノートブックに日記をつづるのだが、『悪童物語』という日本語版のタイトルは秀逸であったといえる。   

『悪童物語の主人公の双子の少年たちは、たしかに「悪童」そのものである。ワルガキ以外の何者でもない。だが、彼らが置かれている状況は平時ではない。有事なのだ。第二次世界大戦末期の1944年のハンガリーである。当時は、本来は同盟国であったはずのナチスドイツに占領されていた。

文字通り物理的な意味で生き延びるために、過酷な状況をサバイバルするためには「悪童」という生き方しか、選択肢にはなかったのだ。



舞台はオーストリア国境に近いハンガリーの田舎町。ハンガリーは、基本的にプスタと呼ばれる広大な草原が拡がる農業地帯である。都会育ちの少年たちが暮らしていたのは、おそらく国際都市ブダペストという想定だろう。ハンガリーもまた、都市と農村ではまったくの別世界である。

ハンガリーは中欧の一小国。その存在そのものが現代世界のなかで翻弄されてきた。陸続きの大陸国の宿命としかいいようがない。

第一次世界大戦で敗戦するまでは正式名称をオーストリア=ハンガリー帝国、通称ハプスブルク帝国の一翼を担う存在であった。敗戦後の共産革命、そしてその反動の独裁政治を経て、失地回復のためナチスドイツと手を組んで第二次世界大戦に参戦したのであったが・・・

映画でも1944年から1945年という設定以外の事実は明らかにされていない。十分な知識をもたない少年たちの視点としては不思議なことではない。映画を見る側も、そういった知識にこだわる必要がないのは、サバイバルという普遍的なテーマが一貫しているからだ。

その後の敗戦国ハンガリーは、戦勝国ソ連の衛星国としての社会主義政権となるが、1956年には「ハンガリー革命」においてソ連軍と激しい戦う。冷戦構造の崩壊によって西側に復帰するが、経済政策の失敗で失業者が増大し、ふたたび極右の台頭を招くという、左右への振幅の激しい国であることを書き加えておこう。

(フランス語版のオリジナル『悪童日記』 「映画化」とカバー下にある)


「過酷な日常」は戦前のヨーロッパの文脈で捉えるべき

第2次世界大戦下の過酷な時代を生き抜いた双子の日記を通して世界を見つめた映画である。

過酷な環境は、少年たちを肉体的にも精神的にも特異な方法で鍛え上げる。互いに平手打ちしながら肉体も精神も鍛え上げる訓練。

「殴れるものなら殴ってみろ」という、すさまじまでの挑発的な凄味あるセリフ。「右の頬を打たれたら、左の頬をさしだしなさい」という、新約聖書のイエスのコトバをそのまま文字通りつかったものだ。

双子たちの唯一の読み物であった古い聖書からイエスからの引用だが、イエスがこのフレーズに込めた真意を知ったような気もする。そう、このセリフは挑発なのだ。

肉体を鍛錬すれば、気迫が生まれる。心身二元論ではない、心身相関の哲学である。誰から教わったのでもない、自分たちみずからが体験から編み出した哲学とその実践だ。

この哲学が生み出されてきたのは、疎開先の祖母から日常的に平手打ちされるだけでなく、見知らぬ他人から泥棒扱いされ、強烈な平手打ちされる体験からでもある。

映画を見ていて思ったのだが、ヨーロッパでも第二次大戦の頃までは、平気で鞭打ちをしたり、厳しく折檻していたのである。修道院の孤児院が舞台の映画ならかならずでてくるシーンだ。この映画の主人公である双子の少年たちも、実質的に「戦災孤児」といってもかまわない。

平手打ちというと、わたしの少年時代までは、当たり前のように行われていた。「踏ん張って腹にチカラを入れろ! 歯を食いしばれ!」、といわれてから往復ビンタを食らっていた。教師による生徒の平手打ちで、生徒の鼓膜が破れる事件が続出して教室での平手打ちは下火になったが・・。

日本の軍隊では平手打ち(=ビンタ)は当たり前だったが(・・日本の初等中等教育は戦前の軍隊の影響が強い)、もしかすると、平手打ちはヨーロッパが起源なのかもしれない。江戸時代の日本にはさまざまな「お仕置き」があったとはいえ、平手打ちがあったという話は聞かないからだ。

ドイツでは、日本人女性が、なんと2001年時点でドイツ人女性から平手打ちされたケースもある。表沙汰にならないだけで、いまだにヨーロッパでは平手打ちは消えていないのかもしれない。

シンガポールで以前、国際的問題になったアメリカ人の「悪童」に対する鞭打ちも、じつは植民地時代に英国がシンガポールに持ち込んだものだ。スイスでも教育家のペスタロッチが登場する以前は、暴力は当たり前だったようだ。

ヨーロパ全体で、教育現場においてすら暴力は当たり前だったと考えるべきだろう。




原作を読んでいても映像作品から受ける衝撃は大きい

原作を読んでいなければ、衝撃の大きさは計り知れないだろう。原作をすでに読んでいても、映画版は勝るとも劣らない内容に衝撃を受ける。

原作の『悪童物語』は、1956年の「ハンガリー革命」で難民となってスイスに移住することを余儀なくされたアゴタ・クリストフによるものだ。移住したのはスイスのフランス語圏。著者はサバイバルのために必死になって身につけたフランス語で自己表現を試みる。みずから「敵語」とよぶフランス語でだ。

フランス語で発表したために世界的ベストセラーとなり得たが、映画版は全編ハンガリー語(=マジャール語)で通している。これは正解ではないかと思う。すでに著者は亡くなっているが、もし生きていたら喜んだのではないだろうか。さすがに著者も、母語のハンガリー語では書けなかったかもしれない内容だ。

おそらくハンガリー以外では、欧州諸国でも市場ごとに吹き替えしてしまうのだろうが、幸いなことに日本ではハンガリー語のまま日本語字幕つきで見ることができる。ドイツ人将校がしゃべるドイツ語以外は、最初から最後までハンガリー語のみだ。

わたしはハンガリー語はほとんど理解できないが、それでもまったく構わない。こういう根源的なテーマは、やはりその民族の母語でないと表現できない。母語ならではの息づかいを感じることができればそれでいいのだ。同じようなテーマの日本映画でも、もしセリフが英語に吹き替えられていたら、興ざめだろう。

原作にあって映画では割愛さえているシーンも多々ある。さすがに映像表現としてはためらわれるシーンだからだろう。それでもこの映画は凄い。

むかし角川文庫のキャッチコピーに、「見てから読むか、読んでから見るか」というものがあったが、『悪童日記』もまた小説と映画の双方を味わってほしいと思う。

原作をすでに読んでいる人にも、ぜひこの映画は見るべきだといっておきたい。






<附録>

『悪童日記』(ハヤカワ文庫epi、2001)は、単行本初版は 1991年の出版、フランス語オリジナル は 1986年の出版である。

原作は数ページの小編で構成されている。双子の少年たちが日々の出来事を「大判ノート」に綴った内容という設定だ。目次を紹介しておこう。

目 次

おばあちゃんの家に到着する
おばあちゃんの家
おばあちゃん
労働
森と川
不潔さ
体を鍛える
従卒
精神を鍛える
学校
紙と鉛筆とノートを買う
ぼくらの学習
ぼくらの隣人とその娘
乞食の練習
兎っ子
盲と聾の練習
脱走兵
断食の練習
おじいちゃんのお墓
残酷なことの練習
ほかの子供たち

郵便配達夫
靴屋さん
万引き
恐喝
非難
司祭館の女中
入浴
司祭
女中と従卒
外国人将校
外国語
将校の友人
ぼくらの初舞台
ぼくらの見世物(スペクタル)の発展
芝居
警報
"牽(ひ)かれて行く" 人間たちの群れ
おばあちゃんの林檎
刑事
訊問
監獄で
老紳士
ぼくらの従姉(いとこ)
宝石
ぼくらの従姉とその恋人
祝福
逃走
死体置場
おかあさん
ぼくらの従姉の出発
新しい外国軍の到着
火事
終戦
学校再開
おばあちゃん、葡萄畑を売る
おばちゃんの病気
おばあちゃんの宝物
おとうさん
おとうさんの再訪
別離

淡々とした、そっけないような簡素な文体。フランス語の原文はみてないが、あえてそうしたという側面と、母語ではないことよる限界の両方があるのだろうか。

続編の『ふたりの証拠』『第三の嘘』とあわせて三部作は、間違いなく今後も生き続ける作品だろう。あまり文学作品を読まないわたしですら衝撃を受けた。






<関連サイト>

映画 『悪童物語』 公式サイト(日本版)

A nagy füzet(映画のハンガリー語タイトル wikipedia英語版)



<ブログ内関連記事>

ハンガリー難民であった、スイスのフランス語作家アゴタ・クリストフのこと

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版,2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する

ハンガリー映画 『人生に乾杯!』(2007年)-年金問題は社会問題ではあるが、個人個人の人生にとっての大問題

ハンガリーの大平原プスタに「人馬一体」の馬術ショーを見にいこう!

ウニクム(unicum)は、ハンガリーの "養命酒" で "国民酒"


サバイバルもの

映画 『キャプテン・フィリップス』(米国、2013)をみてきた-海賊問題は、「いま、そこにある危機」なのだ!

映画 『コン・ティキ』(2012年 ノルウェー他)をみてきた-ヴァイキングの末裔たちの海洋学術探検から得ることのできる教訓はじつに多い

アムンセンが南極に到達してから100年-西堀榮三郎博士が説くアムンセンとスコットの運命を分けたチームワークとリーダーシップの違い・・ノルウェーの探検家アムンセン

(2015年10月6日 情報追加)




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