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2014年10月4日土曜日

書評 『有法子(ユーファーズ)-十河信二自伝-』(十河信二、ウェッジ文庫、2010 単行本初版 1959)-「新幹線の父」と呼ばれる前の満洲時代を中心とした貴重な証言


十河信二(そごう・しんじ)といっても歴史の教科書にでてくる人ではないので、一般的な知名度は高くないかもしれない。しかも「有法子」(ユーファーズ)といってもまったくピンとこないだろう。

たまたま「理科少年」」で「鉄道大好き人間」のわたしは、小学生の頃から「新幹線の父」としての十河信二の名前は知っていた。その人の『自伝』ということであれば満鉄の「特急あじあ号」の話も書かれているのだろう、、どんな人なのか知ってみたいという思いからこの本を購入した。

本書は1959年に財団法人交通協力会から出版された単行本を、東海道新幹線を運営するJR東海が発行するウェッジという新幹線の車内雑誌の出版社から復刊されたものである。そうでなければ、なかなか日の目を見なかったのではないだろうか。

1961年に執筆された「序」 (昭和34年4月)によれば、国鉄総裁としての激務のなか、国鉄総裁就任までの仕事人生を、関係する雑誌に連載した一回読み切りの文章をまとめたものだ。著者は当時すでに70代であった。

大風呂敷と呼ばれていた後藤新平との出会いで国鉄に入社して経理でキャリアを築いた、型破りの経営者の回想録であるが、なんといっても面白いのは国鉄退社後の満洲時代の回想である。

一年間の米国留学を体験して悟ったのは、日米関係においてきわめて重要なのが中国問題この思いから満洲に深くコミットし、満鉄総裁の松岡洋右というくせ者政治家や関東軍との激しいやりとりなども体験しながら、天津の電力問題を解決し、興中公司社長などを歴任しながら日中の経済関係強化に貢献する。十河信二という人は、一言居士の明治人であった。

ここで「有法子」という聞き慣れないコトバが意味をもってくるのである。「有法子」と書いて「ユーファーズ」と読ませるが、一般には「没法子」(メイファーズ」というコトバのほうが有名だ。現代中国語でも「没」は、「ない」という否定表現の「没有」(メイヨウ)とつかわれるが、「仕方ない」という意味の「没法子」(メイファーズ)は戦前の中国ではよくつかわれた表現である。

「有法子」という言葉は、古くから「没法子」と並んで、中国で盛んに用いられた言葉でありますが、中国では、いつの間にか、まだ方法はある、もっと努力しようという意味の「有法子」という言葉が棄てられて、手段が尽きた、仕方がないという意味の「没法子」という言葉だけが残ったのであります。これが中国をして悲惨な運命をたどらしめるに至った根本原因であると、私の友人の中国人が嘆いていましたが・・(後略)・・

だからこそ敗戦後の日本の若者には、「まだ方法はある、もっと努力しようという意味の「有法子」(ユーファーズ)」というコトバを伝えたいというのが著者の願いであり、タイトルに採用したのであろう。

残念ながらこの「自伝」には、「新幹線の父」と呼ばれるに至った国鉄総裁時代の回想はまったく書かれていない。国鉄総裁としての自分を国鉄関係者にもっとよく知ってほしいという観点から、総裁就任以前の人生について語っているからだ。

だが、満洲を中心に据えた昭和史の証言はじつに興味深い。満洲を媒介にした戦前と戦後のつながりが「高度成長」を実現したことはすでに常識といってよいだろう。その意味でも、半官半民の国鉄出身で日中の経済界にも大きな役割を果たした著者の証言は、満洲に深くコミットした政治家や満州国官僚の回想録とともに読むに値する。

キャリアの出発点を公益性の高い鉄道事業から開始し、営利を目的としながらも公的なるものに奉仕するという姿勢を持ち続けたひとであるだけに、「社会事業と営利事業は両立という発言は大きな説得力をもっている。

日米中の平和的関係の重要性を心底から理解し、最後は国鉄総裁として新幹線開業にむけて尽力した経済人の回想録として面白い一冊である。




目 次

序 (昭和34年4月)
生涯の職場鉄道に入る
愛と和の精神を強調
無二の親友、故種田虎雄君
独断調印の素人外交官
アメリカへ留学の時代
関東大震災後、復興院に入る
寃罪で未決監に収容さる
仙石総裁の熱意から満鉄へ
少壮軍人を刺激した「戦跡案内」
内田総裁と関東軍首脳との会談
流産となった満鉄改組案
感慨深い周作民氏との因縁
中国鉄道の国有民営を建言
華南開発の日中合弁銀行案
興中公司発足までの裏話
中国人に真の友人を作れ
天津の電力事業に新風
水泡に帰した華北開発構想
林内閣の組閣参謀長となる
学生義勇軍同志会の活動
愛媛県西条市市長となる
社会事業と営利事業は両立
戦後の経済復興に力を注ぐ
信念の国手、真鍋嘉一郎氏
大八車で夜逃げのあと始末
ネール首相にほめられた国鉄
コールさんと旧情を温める
五十年来問題の髯(ひげ)
若人の日常語に「有法子」(ユーファーズ)
宗教を通じての民族融和
中国問題から森恪(もり・いたる)君と結縁
スチール・ハンドになれ
華南戦線に散った森中尉
保守党の偉材、砂田重政君
風格の人、佐田弘治郎君
握手のまま永別の妻
母-そのひろき愛に 解説にかえて 加賀山由子


著者プロフィール

十河信二(そごう・しんじ)
 1884年(明治17)愛媛県生まれ。1909年、東京帝国大学法科大学を卒業。1912年、鉄道院に入省。26年退職後、満州鉄道理事、興中公司社長を歴任。戦後、1945年(昭和20)に愛媛県西条市市長に就任、翌年、辞任。鉄道弘済会会長をへて、1955年(昭和30)71歳で第4代日本国有鉄道(国鉄)総裁に就任した。63年退任。在任中、東海道新幹線の実現に尽力し、「新幹線の父」と呼ばれる。1981年(昭和56)没 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




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・・戦後日本の「高度成長」と満洲での実験の遺産

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・・「『危機の宰相』 のもう一つのテーマは満洲国の存在と戦後日本における意味である。 満洲国建設に人生を賭けた官僚・田村敏男は、日本の敗戦による満洲国解体後にはシベリア抑留も体験しているが、人生の意味を喪失して虚脱状態となっていた。戦後の黒子としての縁の下の活躍は、戦後日本復興と高度成長を、挫折に終わった満洲国建設の再現と考えていたのではないかと思わせるものがある。」




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