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2014年10月29日水曜日

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト


『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)というマンガを知ってますか? 

新左翼による「革命運動」に青春を捧げた大学生たちの生き様を描いたマンガです。単行本で、2014年10月現在で第8巻まで出版されている。

作者の山本直樹は、かつては「有害図書宣告」も受けたことのある「エロマンガ家」というラベリングもされていたが、「家族崩壊」を描いた1994年の 『ありがとう』 (・・まだまだエロの要素が濃厚)などの秀作を描いている、1960年(昭和35年)生まれの現役マンガ家だ。

日本で新左翼による「革命運動」がピークを迎えたのが、日米安保条約改定が焦点となっていた1970年、(昭和45年)。いまから44年前のこの年は、大阪万博が開催された年であり、また三島由紀夫が割腹自殺というセンセーショナルな死にかたをした年でもあった。高度成長期の末期でもある。

1960年生まれの山本直樹は、新左翼による「革命運動」を同時代として体験しているわけではない。1970年にはまだ10歳なので、おそらく小学校四年生だろう。1962年生まれのわたしにとってもまたそれは同じだ。その当時は小学校二年生、「大学というものは、ゲバ棒で殴り合いをする場所」だと思い込んでいた(笑)

その意味では、当事者によるノスタルジーでもなければ悔恨の記録でもない。後続世代による冷めた視線を感じることができるはずだ。思い入れを排した、淡々とした描写がえんえんとつづく。



運動の挫折期には「運動体組織」の問題が集中的に顕在化する

このマンガの設定は、1970年にピークを迎えた新左翼の学生運動が下火になっていった時期遅れて参加してきた大学生たちが、そのためにかえって純粋に「革命運動」にのめり込んでいく悲劇(?)を描いた作品だ。その悲劇的結末は、集団リンチ殺人事件における「総括」というコトバに集約されている。

作中の登場人物にはモデルがあるが、いずれもみな最後は逮捕か死亡という形に至ることが、あらかじめ読者には示されている。その時まで「あと××日」という記述は、物語の語りとしては異例なものだろう。

いかなる組織であれ、組織が形成される初期段階においては、なんらかの理想やミッションをもっているものだ。その段階においては、内容の是非はさておき、理想が高らかに掲げられ、理想実現のために邁進する。企業組織であればベンチャーもまた運動体組織の一種である。

だが、理想実現は並大抵のことではない。運動体組織においては、挫折が重なってくると、高らかに掲げた理想と現実のギャップは増大していく。組織に属する個人と組織とのコンフリクトが顕在化してくる。

このマンガが描いている世界は、そうした運動体組織が形骸化した理想を掲げたまま、現実に破れゆくなかで遭遇する、おぞましいばかりの結末である。開放形の組織とは異なり、閉鎖的組織であるがゆえに離脱が容易ではない状況。そういう状況がもたらすものがなにか、これがこのマンガが描く世界である。

先にも書いたように、作者もわたしも学生運動の世代ではない。あくまでも浅間山荘事件などの陰惨な内部テロ事件を、お茶の間のテレビの前で傍観していた人間だ。しかも京成電鉄沿線の住民であったわたしにとっては、成田闘争という、さらに遅れてきた過激派によるテロ行為には大いに迷惑を被ったという記憶が残る。

しかし、先入観なしで、この時代を描いたこの作品を読んでいると感じるものがある。革命のために身を挺して邁進する過激派学生たちを、真綿のように自縄自縛して締め付けていく「閉鎖的な組織」についてだ。

さらに『レッド』のテーマには、2つの異なる志向性と文化をもった組織が、規模拡大のために合併したときに発生するコンフリクトも登場する。組織どうしのコンフリクト、組織に属する個人のコンフリクト、個人どうしのコンフリクトである。「個と組織」にかかわるテーマとして、一般社会でも経験することがすくなくないはずだ。


山本直樹には『ビリーバーズ』(1999年)というマンガもある。ビリーバーとは、何かを信じこんだ人間のことである。その対象は宗教のこともあるし、あるいは実現すべきと考えている理想社会などもそれに該当する。後者の場合であっても、限りなく宗教に近い。信仰者といってもいいだろう。

『レッド』は、テーマ的には『ビリーバーズ』の延長線上にある。設定を新左翼において、エロな要素をかなり抜いたのが『レッド』だといえるだろう。

「閉鎖系の組織」について考えてみることで、逆説的にあるべき組織形態について考えてみるヒントになるかと思い、あえて誤解をおそれずに取り上げてみた。

ぜひ、このマンガを読んで、「反面教師」として読むなど、さまざまな読みかたをつうじて、いろいろ考えてみてほしいと思う。かなり特異なマンガではあるが・・・。








<ブログ内関連記事>

「高度成長」関連

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・1960年の社会党委員長を刺殺したテロリストは、「遅れてやってきた右翼少年」であった

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した

書評 『「鉄学」概論-車窓から眺める日本近現代史-』(原 武史、新潮文庫、2011)-「高度成長期」の 1960年代前後に大きな断絶が生じた


左派による世界的な「革命幻想」の時代

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』を見て考えたこと
・・ドイツ赤軍を描いたドイツ映画

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・社会心理学者ミルグラムの「アイヒマン実験」についても解説してある

「航空科学博物館」(成田空港)にいってきた(2013年12月)-三里塚という名の土地に刻まれた歴史を知る
・・成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港 空と大地の歴史館」についても紹介しておいた

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・国際政治学者・高坂正堯が原論活動を行った時代は新左翼の全盛期。、『総括せよ!さらば革命的世代-40年前、キャンパスで何があったか』(産経新聞社取材班、2009)から高坂正堯氏にまつわるエピソードを紹介してある

(カバー画は、マンガ家・山本直樹によるもの)

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・「ホッファーの The True Believer: Thoughts on the Nature of Mass Movements (1951)であった。『大衆行動』というタイトルで翻訳されている」  「ビリーバー」(believer)の本質について

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ






閉鎖的組織、閉鎖的人間集団

書評 『ドアの向こうのカルト-九歳から三五歳まで過ごした、エホバの証人の記録-』(佐藤典雅、河出書房新社、2013)-閉鎖的な小集団で過ごした25年の人生とその決別の記録

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・社会心理学者ミルグラムによる「アイヒマン実験」について触れておいた。「アイヒマン実験」を世に知らしめた『服従の心理』(原題は Obedience to Authority : 権威への服従)という本は1974年に出版されている。人間というものは「権威」からの命令にはいとも簡単に従ってしまう

映画 『es(エス)』(ドイツ、2001)をDVDで初めてみた-1971年の「スタンフォード監獄実験」の映画化
・・「この映画のモデルになったのは、1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われた「監獄実験」(Stanford prison experiment)という社会心理学の実験だという。通称「アイヒマン実験」として知られる心理実験のバリエーションである」。


日本人がそのなかで生きている人間集団

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?




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2014年10月27日月曜日

マンガ 『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記 ①』(竜田一人、講談社、2014)-廃炉作業の現場を作業員として体験したマンガ家による仕事マンガ


売れないマンガ家が、アルバイトで作業員になって働く。ここまではとくに珍しいことではないかもしれない。

だが、このマンガの作者は、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故をキッカケに、被災地で働きたいという思いを抱く。どうせ働くなら被災地の役に立ちたい、しかも現地を見てみたいという好奇心に促されてのものである。

そういう思いを抱いてから、じっさいに福島第一原発、すなわちこのマンガのタイトルでもある通称「いちえふ」(=1F: Fukushima 1 の略)内部の作業に関与できるまで、なんと1年もかかったという。

この経緯もまたマンガにされているが、なぜ1年間もかかったのかということ自体がネタになる。ハローワークでの求人、そして日本の建設業界における何次にもわたる下請けという業界構造がいかなるものかを具体的に知ることができるからだ。

このマンガは、結果としてマンガによるルポルタージュとなっている。だが、鎌田慧氏がその代表であるようなルポライターやジャーナリストが、身分を偽って作業員として潜入し、現場労働を行って得た情報をもとに現状を告発するという類の内容ではない。

好奇心の強いマンガ家が、みずからも一作業員として廃炉作業に従事することで体験し、観察した事実を、こと細かにマンガとして再現してみせたものだ。文字通りのフィールドワーク(=現場作業)であり、結果として参与観察したことになる。現場作業員の世界を描いた仕事マンガでもある。

ディテールまで詳細に描き込まれているので、とばし読みするのはじつにもったいない。じっくりと絵も文字もすべて読んでいくと、廃炉作業という現場の作業内容と、作業員たちの日常の生態が浮かび上がってくる。

廃炉作業の現場は、基本的には建設現場や工事現場における解体作業である。きわめて男くさい現場である。だが、そこが放射能濃度のきわめて高い汚染地帯であるということが、フツーの作業現場との大きな違いである。

主人公はマンガ家自身であり、一人称による語りが一貫している。取材をベースにしてイマジネーションをふくらませた作品ではなく、あくまでも作者自身の観察に基づいたものだ。

たとえば、現場における防護マスクの装着感や耐え難い蒸し暑さ、ゴム手にたまる膨大な量の汗など、じっさいの体験者ならではの実感は妙にリアルである。このほかの描写もじつに実感のこもったものである。読者は五感を刺激されるだろう。

日本全国から集まってきた作業員たち、福島に生きてきた被災者でもある作業員たち。それぞれバックグラウンドの異なる男たちが「いちえふ」という現場で交錯することになる。これが作者が「いちえふ」で作業に従事していた2012年当時の日本の現実である。

マスコミやSNSをつうじて流布した情報が、限りなく都市伝説(?)に近いことが、このマンガをつうじて理解することができるはずだ。現場ならでは一次情報とはこういうものだ。

この作品はマンガだが、ルポルタージュやノンフィクション作品の棚においておくべきものだろう。2014年秋に続刊が出版されるという。楽しみだ。




目 次
第零話 「ご安全に!」
第一話 「収束していません」
第二話 「鼻が痒い」
第三話 「2011年のハローワーク」
第四話 「福島サマータイムブルース 前編」
第五話 「福島サマータイムブルース 後編」
第六話 「はじめての1F」
描き下ろし漫画


著者プロフィール  
竜田一人(たつたかずと)
職を転々としたあと、福島第一原発で作業員として働く。福島第一原発で作業員として働いた様子を描いた『いちえふ ~福島第一原子力発電所案内記~』が第34回MANGA OPENの大賞を受賞した。(出版社サイトより)



PS 『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』 の第2巻は2015年2月に発売された。

第2巻では、第1巻のつづきで2012年当時の作業の状況と、ふたたび2014年に「いちえふ」に戻ってからの状況、一回目の作業からマンガ発表当時の裏事情などが描かれている。
目 次

第七話 原発無宿
第八話 劇団いちえふ
第九話 線量役者
第十話 N-1経由1F行き
第十一話 ギターを持った作業員
第十二話 ヒーローインタビュー
第十三話 1F指輪物語
第十四話 (Get Your Kicks On) Route 6 !
第十五話 アイル・ビー・バック
番外編 取り出し作業の注意事項
番外編2 男の背中

同時進行のルポルタージュとして、ぜひ今後も長く「いちえふ」と福島についてのリポートをつづけていってほしいと思う。(2015年6月6日 記す)。






<関連サイト>

いちえふ(講談社モーニング 公式サイト)


<ブログ内関連記事>

原発事故関連

鎮魂・吉田昌郎所長-『死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日-』(門田隆将、PHP、2012)で「現場」での闘いを共にする

書評 『官邸から見た原発事故の真実-これから始まる真の危機-』(田坂広志、光文社新書、2012)-「危機管理」(クライシス・マネジメント)の教科書・事例編

書評 『原発事故はなぜくりかえすのか』(高木仁三郎、岩波新書、2000)-「市民科学者」の最後のメッセージ。悪夢が現実となったいま本書を読む意味は大きい
・・原子力産業草創期にエンジニアとしてかかわった著者の軌跡

スリーマイル島「原発事故」から 32年のきょう(2011年3月28日)、『原子炉時限爆弾-大地震におびえる日本列島-』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010) を読む

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する

書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる

書評 『津波と原発』(佐野眞一、講談社、2011)-「戦後」は完全に終わったのだ!


「仕事マンガ」関連

書評 『仕事マンガ!-52作品から学ぶキャリアデザイン-』(梅崎 修、ナカニシヤ出版、2011)-映画や小説ではなくなぜ「仕事マンガ」にヒントがあるのか?

『シブすぎ技術に男泣き!-ものづくり日本の技術者を追ったコミックエッセイ-』(見ル野栄司、中経出版、2010)-いやあ、それにしても実にシブいマンガだ!
・・ものづくり現場を舞台にしたガテン系マンガ

働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)

書評 『サラリーマン漫画の戦後史』(真実一郎、洋泉社新書y、2010)-その時代のマンガに自己投影して読める、読者一人一人にとっての「自分史」

『重版出来!①』(松田奈緒子、小学館、2013)は、面白くて読めば元気になるマンガだ!


参与観察法

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い

書評 『搾取される若者たち-バイク便ライダーは見た!-』(阿部真大、集英社新書、2006)-バイク便ライダーとして参与観察したフィールドワークによる労働社会学

マンガ 『アル中病棟(失踪日記2)』(吾妻ひでお、イーストプレス、2013)は、図らずもアル中病棟で参与観察型のフィールドワークを行うことになったマンガ家によるノンフィクション

マンガ 『プロデューサーになりたい』(磯山晶、講談社、1995)-人気TVドラマを生み出してきた現役プロデューサーがみずから描いた仕事マンガ




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2014年10月23日木曜日

新潟中越地震から10年(2014年10月23日)-児童文学の名作 『鯉のいる村』(1969年)の舞台は山古志村


2003年10月23日の新潟中越地震からはや10年。山古志村(やまこし・むら)も地震の大きな被害にあったことを忘れてはならない。
   
山古志村は、牛の角突きと錦鯉の養殖で有名な場所。山古志村そのものは、町村合併でもう存在しないが、故郷へ思いを寄せる人々の思いは強い。
   
小学校の頃、東京都三鷹市に住んでいたのだが、担任の先生に連れられて『鯉のいる村』という映画を見に行ったことを覚えている。
   
いまではインターネットでなんでも調べることができるので、その映画が、いまから43年前の1971年に製作されたものであることも、山古志村を舞台にしたものであることもわかる。
   
原作は、『鯉のいる村』(岩崎京子著、岩崎ちひろ+東本つね 絵、新日本出版社、1969)。「新日本少年少女創作文学」シリーズの一冊。まだ「民主主義」がまだ真剣に語られていた頃の作品だ。新日本出版社は左派の出版社である。

新日本出版社のウェブサイトには、『鯉のいる村』が以下のように紹介されている。この児童文学はロングセラーなのである。

友禅模様のように美しい鯉。村では鯉は重要な収入源だ。達夫も自分の鯉「クロ」をもっている。ある日、家にいとこのゆう子があずけられた。ふたりは山の池でクロを飼うことにした…。命あるものへの愛と感動を描く。他に「ぼたん」など4編。緑陰図書・芸術選奨文部大臣賞・野間児童文芸賞・サンケイ児童出版文化賞

思うに、すぐれた児童文学や名作絵本が、日本の「戦後民主主義」によって生み出されたことは否定しようがない。面白いことに、政治的には正反対の立場にあるはずのサンケイが賞を与えているのである。いいものはいい、そういう姿勢がすばらしいではないか。

わたし自身は左派の人間ではまったくないのだが、公立の小中学校似通っていたわたしは、子ども時代には無意識のうちにリベラル派の多大な影響を受けていることは十分に自覚している。
    
すでに民主主義は機能不全の状況に陥っているが、たとえ時代は変わっても、「戦後民主主義」が生み出したきわめて良質な作品は、これからも大事にしていかなくてはならないと思うのである。






<関連サイト>

鯉のいる村 | Movie Walker

山古志村ホームページ(新潟県長岡市山古志)


<ブログ内関連記事>

子どもの歌 「こんめえ馬」は「戦後民主主義」が生んだきわめて良質な遺産

『スーホの白い馬-モンゴル民話-(日本傑作絵本シリーズ)』(大塚勇三・再話、赤羽末吉・絵、福音館書店、1967)-「良質な絵本」もまた大事にしていくべき「昭和遺産」だ

「移動図書館」-これもまたぜひ後世に遺したい戦後日本の「昭和遺産」だ!



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2014年10月18日土曜日

マンガ 『プロデューサーになりたい』(磯山晶、講談社、1995)-人気TVドラマを生み出してきた現役プロデューサーがみずから描いた仕事マンガ


プロデューサーとはどんな仕事か知りたいと思っても、意外なことに就活本などを除けば、そのものずばり語った本というのがあまりない。

ずいぶん前のことだが、大型書店の元祖である東京駅前の八重洲ブックセンターのアート関連コーナーで本をさがしていたときに、ここで取り上げる『プロデューサーになりたい』(磯山晶、講談社、2004)に出会った。

おお、これこそまさに現役のTVドラマのプロデューサー本人がみずから描いたマンガであった! わたしはこのマンガを読んで、はじめてプロデューサーの仕事がどういうものかよくわかった。

著者の磯山晶(いそやま・あき)氏は、『池袋ウエストゲートパーク』、『木更津キャッツアイ』、『マンハッタンラブストーリー』などの人気TVドラマをプロデューッサーとして関与してきた人である。2013年の国民的ドラマとなったNHKの朝のテレビ小説『あまちゃん』で知名度が全国レベルになった、いまをときめくドラマ脚本家の宮藤官九郎を世に知らしめた立役者でもある。

もともとは、小泉今日子にあやかったペンネームの小泉すみれ名義で1995年に出版されたもののようだ。冒頭に掲載したカバー画はわたしが入手した新版もので、2004年の新版では作者名は本名になっている。


■TVドラマのプロデューサーは番組制作というプロジェクトのマネージャー

マンガを本職としているわけではないが、その仕事のすみずみまで熟知している現役のプロデューサーがみずから描いたマンガである。

あえて取材したわけではなくても描ける世界。だが、仕事にコミットしながらも、同時に距離をおいて自分も相対化してしまうという視点ができないことだ。社会学や人類学でいう参与観察法を無意識のうちに実践しているといってもいいだろう。

わたしはこのマンガを読んで、はじめてプロデューサーの仕事がどういうものかよくわかった。プロデュースやプロデューサー、ディレクターというカタカナコトバは、日常的によくつかう割には、意外とその中身がよくわかってないものだ。

プロデュースとは、さまざまな分野の専門家をまとめたチームとして、プロジェクトチームとして仕事を遂行することを指している。このマンガの場合は、TV局に所属するプロデューサーがTVドラマを作成するのが仕事である。、

番組制作ごとにプロジェクトが組成され、完了すれば解散する「番組製作チーム」として仕事が行われる。プロデューサーとはある意味ではプロジェクト・マネージャーでもある。

プロデューサーは、出演タレントのキャスティング、資金調達と予算管理も行う。タレント事務所や個人事務所との折衝、事前の取材や番組制作協力の取り付け、ロケ地の選択と確保など、仕事はじつに多岐にわたっている。

制作サイドでは、プロデューサー、ディレクター、音声、撮影、録画、デザイナーなどなど。外部の独立した専門家である脚本家、演出家、メイクアップなどなど。できあがった作品を広告宣伝するマーケィングや営業、広告代理店などなど。それぞれ異なる知識とスキルをもった「専門家」をまとめて、プロジェクトをスムーズに進行させるのがプロデューサーの役割である。

いわば「異質性のマネジメント」が求められる仕事である。同質性が前提とされてきた日本型組織とは異なるのである。

もちろんTV局のプロデューサーと、番組製作会社のプロデューサーでは違いもある。番組制作会社は、外部の業務委託先(=サブコントラクター)の位置づけであり、TV局と製作会社の関係はゼネコンのビジネスモデルと似ているようだ。

プロデューサー自身が番組制作のことを「モノづくり」という表現をするように、映像作品もまた「モノ」と捉えると、プロジェクトで仕事をすることが求められる傾向が強まりつつ現在、TVの世界以外でも応用可能な面もあるだろう。


女性マンガ家による仕事マンガは面白い

雑誌編集者の世界を描いた『働きマン』(安野モヨコ、小学館、2004~2007)についてはすでにこのブログでも取り上げた。また、マンガ雑誌編集者の世界を描いた『重版出来』(松田奈緒子、小学館、2013~)も面白い。

ほかにも取り上げるべき仕事マンガは多々あるのだが、なぜか女性マンガ家の作品が大いにことに気がつく。書評 『仕事マンガ!-52作品から学ぶキャリアデザイン-』(梅崎 修、ナカニシヤ出版、2011)-映画や小説ではなくなぜ「仕事マンガ」にヒントがあるのか? が取り上げた作品以外にも、『お仕事です』(柴門ふみ)や『おたんこナース』(佐々木倫子)などの作品も面白い。

男性よりも女性のほうが、働くということの意味について深く考える立ち位置にいるためだろうか。それとも仕事にコミットしながらも、のめり込みしすぎずに同時に周囲を観察することに長けているためだろうか。

男脳と女脳の話に還元してしまうのはあまりにも陳腐だが、主体的にコミットしつつ、自分からも距離をおいて冷めた観察を行うという参与観察法は、男性よりも女性のほうが得意なのかもしれない。すくなくとも女性は無意識にいつも実行しているのではなかろうか。

マンガとは直接関係ないが、そんなことも考えてみる。





著者プロフィール

磯山晶(いそやま・あき)
1967年10月7日東京生まれ。フェリス女学院高校を卒業後、1986年上智大学文学部新聞学科入学。1990年TBSテレビ入社。現在、TBSエンタテインメントに在籍中。プロデューサーとしては、’96年『Campus Note』を皮切りに、’97年には、自作漫画『プロデューサーになりたい』を自らプロデュースし、ギャラクシー賞を受賞。その後も、『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』『マンハッタンラブストーリー』などの人気ドラマを手掛ける。また、“小泉すみれ”のペンネームで漫画家としても活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

プロデューサー関連

書評 『起承転々 怒っている人、集まれ!-オペラ&バレエ・プロデューサーの紙つぶて156- 』(佐々木忠次、新書館、2009)-バブル期から20年間の流れを「日本のディアギレフ」が綴った感想は日本の文化政策の欠如を語ってやむことがない

映画 『最後のマイ・ウェイ』(2011年、フランス)をみてきた-いまここによみがえるフランスの国民歌手クロード・フランソワ
・・音楽産業とプロデューサーとの関係

書評 『世界の子供たちに夢を-タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡-』(但馬オサム、メディアックス、2013)-タツノコプロのアニメ作品を見て育ったすべての「子供たち」は必読!
・・アニメ作家とプロデューサー

書評 『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(岡田芳郎、講談社文庫、2010 単行本 2008)
・・「文化プロデューサー」として地方で活躍した人


ミッション(=仕事の目的)が明確なプロジェクトチーム型の仕事

「サッカー日本代表チーム」を「プロジェクト・チーム」として考えてみる

映画 『はやぶさ / HAYABUSA』 を見てきた-この感動を多くの人たちと分かち合いたい!

書評 『飛雄馬、インドの星になれ!-インド版アニメ 『巨人の星』 誕生秘話-』(古賀義章、講談社、2013)-リメイクによって名作アニメを現代インドで再生!


「仕事マンガ」関連

書評 『仕事マンガ!-52作品から学ぶキャリアデザイン-』(梅崎 修、ナカニシヤ出版、2011)-映画や小説ではなくなぜ「仕事マンガ」にヒントがあるのか?

働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)

書評 『サラリーマン漫画の戦後史』(真実一郎、洋泉社新書y、2010)-その時代のマンガに自己投影して読める、読者一人一人にとっての「自分史」

働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)

『重版出来!①』(松田奈緒子、小学館、2013)は、面白くて読めば元気になるマンガだ!


参与観察法

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い

書評 『搾取される若者たち-バイク便ライダーは見た!-』(阿部真大、集英社新書、2006)-バイク便ライダーとして参与観察したフィールドワークによる労働社会学

マンガ 『アル中病棟(失踪日記2)』(吾妻ひでお、イーストプレス、2013)は、図らずもアル中病棟で参与観察型のフィールドワークを行うことになったマンガ家によるノンフィクション


その他

書評 『ゼロ年代の想像力』(宇野常寛、ハヤカワ文庫、2010 単行本初版 2008)-「アフター1995」の世界を知るために
・・「第7章 宮藤官九郎はなぜ「地名」にこだわるのか-<郊外型>中間共同体の再構成」が面白い。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の舞台は岩手県久慈市




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2014年10月17日金曜日

書評 『搾取される若者たち-バイク便ライダーは見た!-』(阿部真大、集英社新書、2006)-バイク便ライダーとして参与観察したフィールドワークによる労働社会学



社会学を専攻する大学院生が、みずからがバイク便ライダーとなって体験しながら聞き取りを行った成果である。いわゆる参与観察法に基づいた労働社会学ということになる。

この本が出版された当時の2006年、まさに就職氷河期といわれた「ロスジェネ世代」の労働問題が大きくクローズアップされていた。バイク便ライダーは基本的に20歳代の若者が多く従事しているので、「団塊ジュニア世代」(=1971年から1974年に生まれた世代)が労働市場に参入した時期の「ロスジェネ世代」(=1993年~2005年)に該当する。

帯には、「ロスジェネ、団塊ジュニアを食い尽くす悲劇の構造」とあるが、けっしてこれはブラック企業の話ではない。ブラックな経営者が意図して搾取したわけでない。置かれた状況から生み出された職場のさまざまなルールやにおける仕組みが、バイク便ライダーたちを「自己実現系ワーカホリック」に追い込んでいるという構造というか、メカニズムが自然とできあがっているのである。

「自己実現系ワーカホリック」という著者が提示したコンセプトが興味深い。好きなことを仕事にしていれば、たとえ端から見れば過酷と思える環境であっても本人はそんなことは意識もしないというのはよく観察されることだ。自分が好きでやっているのだから、他人からとやかく言われる筋合いはない、と。

だが、問題は「自己実現」と「ワーカホリック」そのものにあるのではない。安定的な職場なら問題はなくても(・・とはいっても燃え尽きてしまうケースも少なくないことに注意すべきだ)、不安的な職場で、不安定な職場環境においては、取り返しのつかない不慮の事故に巻き込まれた場合の労働者へのツケがきわめて大きなものであることなのだ。請負労働者にには労災は適用されない。

そしてこの構造は、ケアワーカーやシステムエンジニア(SE)など、若年労働者が従事するこおtの多い職場にも当てはまると著者はいう。テレビの製作現場雑誌編集者などもこれに加えていいだろう。いずれも自発的に参加し「好き」を仕事にしたケースである。

団塊世代でも団塊ジュニア世代でもないが、比較的受験競争が厳しかった時代に生きてきたわたしは「素直で好戦的な世代」ではないが、競争状況になると無意識のうちに燃えてしまうので、このメカニズムはよく理解できる。のめり込んでしまうというやつだ。

本書は、社会学や人類学の方法論としてはよく知られている「参与観察法」によるフィールドワークのたまものである。

観察者という自分の存在が、観察対象である相手に与えてしまう影響も織り込んだ上で行われた調査である。客観的な冷めた姿勢を保ちつつ、みずからも主観的に行為者として参加するという姿勢。著者は、このフィールドワークを行うにあたって、公表を前提にバイク便ライダーたちとの会話を記録していえる。

処方箋にかんしては留保したいが、バイク便ライダーの実態の描写と分析そのものは面白い。出版社が売ろうとする趣旨は、帯に書かれたキャッチコピーに「食い尽くす」や「悲劇」といったドギツイ表現に現れているが、読者はかならずしもこの路線にに同意する必要はない。

『バイク便ライダーは見た!』という副題は、人気テレビドラマの『家政婦は見た!』を意識して出版社がつけたものだろう。だが、バイク便ライダーの世界は男子が中心である。この本には女性ライダーは一人も登場しないが、その点についての言及がなぜかない。

だが、もっとバイク便ライダーとしての著者自身の体験も盛り込んで書いてもらったほうが「物語」としての面白さもあったのではないかな、と。なんせ大半の読者にとっては、路上で目撃することはあっても、みずから体験することのないのがバイク便ライダーの世界だからだ

短いのでささっと読めてしまう本なので、先回りせずに最初のページから読んでみるといい。本書は著者自身は書いていないが、「意図せざる結果」のケーススタディにもなっている。





目 次

はじめに
第1章 いま、若者の職場があぶない!
 自己実現系ワーカホリックの時代
 ワーカホリックが不安定就業と結びつくとき
 不安定な仕事に就く若者の増加
 「極限型」としてのバイク便ライダー
 「負け組」が支えるベンチャー企業
 バイク便ライダーの仲間たち
第2章 仕事にはまるライダーたち
 1. 二種類のライダーたち-時給ライダーと歩合ライダー
 2. ミリオンライダー
 3. 時給ライダー
 4. 歩合ライダー
第3章 終わりは突然やってくる
 1. 時給から歩合へ-ワーカホリックへ向かうライダーたち
 2. あるライダーの変化
 3. 「自己実現系ワーカホリック」の副作用
 4. ライダーズ・ハイ
第4章 職場のトリック
 1. ワーカホリックのからくり
 2. 職場のトリック ① コーチのトリック
 3. 職場のトリック ② 制服のトリック
 4. 職場のトリック ③ 安定雇用のトリック
 5. 誰のトリック?
最終章 目覚めよ!雑草世代-リスク管理と連帯
 1. 職場の誘惑に抗するために-処方箋の提示
 2. 素直で好戦的な世代
 3. 僕らの弱さを強さに変えて
 4. バイク便ライダーたちへ
おわりに
調査法についての補足
参考文献
謝辞


著者プロフィール
阿部真大 (あべ・まさひろ)
1976年生まれ。岐阜県岐阜市出身。東京大学大学院後期博士課程在籍。専攻は労働社会学・家族社会学・社会調査論。大学休学中のバイク便ライダー体験をもとに、団塊ジュニア世代が直面する労働・雇用問題を、社会学的な知見を駆使して考察した本書がデビュー作となる。本書執筆後、ケアワーカーの労働実態を調査。(出版社サイトより)



<ブログ内関連記事>

書評 『仕事漂流-就職氷河期世代の「働き方」-』(稲泉 連、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-「キャリア構築は自分で行うという価値観」への転換期の若者たちを描いた中身の濃いノンフィクション

書評 『キャリア教育のウソ』(児美川孝一郎、ちくまプリマー新書、2013)-キャリアは自分のアタマで考えて自分でデザインしていくもの

書評 『失われた場を探して-ロストジェネレーションの社会学-』(メアリー・ブリントン、池村千秋訳、NTT出版、2008)-ロスジェネ世代が置かれた状況を社会学的に分析
・・帰属する安定的な職場が失われた世代

働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)
・・たとえ安定的な職場の正社員であっても、「自己実現系ワーカホリック」は、いつかは燃え尽きる


参与観察法

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い

書評 『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中島岳志、中公新書ラクレ、2002)-フィールドワークによる現代インドの「草の根ナショナリズム」調査の記録

マンガ 『アル中病棟(失踪日記2)』(吾妻ひでお、イーストプレス、2013)は、図らずもアル中病棟で参与観察型のフィールドワークを行うことになったマンガ家によるノンフィクション


意図せざる結果

「意図せざる結果」という認識をつねに考慮に入れておくことが必要だ

書評 『『薔薇族』編集長』(伊藤文学、幻冬舎アウトロー文庫、2006)-意図せざる「社会起業家」による「市場発見」と「市場創造」の回想録
・・ビジネスモデルとして意図したわけではないが成立したビジネス



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『なんとなくクリスタル』から出版されてから33年-あらためて巻末の「統計資料」に注目してみよう

(1981年の河出書房の初版)

すでに半年前の話題であるから遠い昔のような気さえするが、2014年3月31日でタモリの番組 『笑っていいとも!』が32年間の歴史を閉じた。正式な番組名は『森田一義アワー 笑っていいとも!』だが、放送が開始されたときは 『笑っていいとも!』だけだったと思う。 1982年に放送開始された『笑っていいとも!』の前番組が短命に終わった『笑ってる場合ですよ』だったからだ。

その頃は、大学の学生寮で昼飯を食いながら毎日見ていた。あの頃はフジテレビの全盛時代の前で、世は「マンザイ」ブームであった。漫才からマンザイへ。ビートたけしや島田紳助などの攻撃型ツッコミが主流になった時代であった。タモリもいまでは「いい人」扱いされているが、32年前はそうではなかったような記憶があるのだが・・・

田中康夫の『なんとなくクリスタル』が出版されたのが1981年1月いまから33年前ということになる。田中康夫はその後、 『笑っていいとも!』にもレギュラーコーナーをもって「康夫ちゃん」と呼ばれるようになる。一昔前というよりも、すでに一世代前ということになる。なんだか遠い国の出来事のような気もしてくるくらい昔の話だ。

なんとなくクリスタル』が出版されたのが1981年1月だが、わたしは1981年4月に一橋大学に入学した。一橋大学を選んだのは田中康夫とはまったく関係ない(笑) そもそも、出版されたときは大学受験直前、そんなこと考えもしなかった。入学してから、『なんクリ』のことは知った。

1981年3月に一年留年して卒業した田中康夫とは入れ違いであり、わたしは直接かぶっていない。学年としては4年違い、一浪一留している田中康夫とは6歳違う。世代とまでいかないが、この6歳の違いは意外と大きいかもしれない。

当時、一橋寮(いっきょう・りょう)という4人部屋の大学寮にいたのだが、かつて田中康夫も寮生だった(!)ということが話題になっていた。ワードローブにはジーパンが一本もない(!)という都市伝説(?)が語られており、さすが「ブランド小説」の作家だな、と寮生たちは語り合ったものだ。

その後、スキャンダル作家としての自己演出や、阪神大震災におけるボランティア実践、長野県知事になったりと、この33年間はいろんなことがあったが、大学の先輩として、直接の接点はないがつねに意識する存在であった。

大学卒業後だいぶたってから、仕事で外資系石油会社の幹部の方とお話することがあったが、田中康夫のことを好意的に語っていたのが印象に残っている。それは田中康夫が一時期とはいえモービル石油(・・現在はエクソンモービル)に勤務していたからだ。本人もどこかでサービスを提供する側の体験として石油会社の研修について語っていたと記憶している。

興銀(・・現在はみずほ銀行)から内定をもらっていながら、さる事件のため一年棒に振ったとされる。その一年間にリベンジとして図書館で書き上げたのが『なんクリ』らしい。


「カタログ小説」に時代の証言を読む

設定は「1980年6月 東京」となっている。34年前である。大衆消費文化の行き着いた先が、「ブランドという記号」が意味をもつ社会であった。

(1985年の新潮文庫版)

「ブランド小説」の形態をとった「反ブランド論」は、シニカルな視線に貫かれている。新潮文庫版の「あとがき」から引用してみよう。

どういったブランドの服を着て、どういったレコードを聴き、どういったお店に、どういう車に乗って出かけているかで、その人物が、どういったタイプの人物かを、今の若者は判断することができるのです。人は年齢に関係なく、みなそういた多の力を借りて、自分自身を証明しているのです。『私は、こういうランキングの、こういうテイストの持ち主です』ってね。日本みたいに、同じ教育レベルで、同じ生活レベルで、しかも同じ肌の色をしていたら、余計にです。

出版当時の24歳の著者がインタビューに答えた内容である。いまから約30年前は、まだこういった「同質社会」という神話が生きていたのだ。バブル崩壊前であり、その後の「失われた20年」のなかで「格差社会」が大幅に進行していることは、この時点では誰も想像すらしなかったようだ。

でも、ブランドとか場所というものは、わからない人には、まるっきり、わからないものでしょ。そうすると、本当に仲間うちだけの小説になってしまう。だから註をつけたんです。誰にでも、具体的な絵として想像できるようにね。アメリカやフランスの小説にだって、ブランドや地名が一杯出てくる。で、それらの翻訳には、ちゃんと註がついていますもの。

初版は河出書房新社で、最初に文庫化されたのも1983年の河出文庫からだが、1985年の新潮文庫版では、本文が右ページに注が左ページにまとめられ、「カタログ小説」「注釈小説」という形式がより明確になったという。じつは、わたしが最初に読んだのも、大学卒業後に出版された新潮文庫版である。

もっとも重要な註が、巻末につけられた2つの統計数字である。●人口問題審議会 「出生力動向に関する特別委員会報告」と●「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年版厚生白書」。「五十四年」とは、昭和54年のこと。昭和54年とは、1979年のことである。

(新潮文庫版 215ページより)

後者の「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年版厚生白書」からの抜粋を、さにそのまま抜き書きしてみよう。いずれも1979年時点のものである。

65歳以上の老年人口比率 1979年 8.9%
 1990年 11%(予測)
 2000年 14.3%(予想)
 (国連が定義した、『高齢化した社会』とは老年人口比率が7%以上の場合を指す)
厚生年金の保険料 1979年 月収の10.6%
 2000年 月収の20%程度(予想)
 2020年 月収の35%程度(予想)

さて、じっさいの推移はどうだったろうか。2003年(平成15年)現在で、「老年人口比率」は19.0%、2012年度の「老年人口比率」は 24.1%と、加速する一方である。この点については予想を大幅に上回る勢いで高齢化が進んでいることがわかる。

「老年人口比率」が増加するのは、高齢者の寿命が延びているからだけでなく、人口全体に占める若年層の比率が低下しているからでもある。まさに『なんクリ』世代もまた、少子化の原因をつくっているともいえなくはない。

少子高齢化のトレンドが明らかになることは、田中康夫のデビュー作『なんとなくクリスタル』(河出書房新社、1981)の巻末につけられた「注」で示されていたのである。だが、はたしてどれだけの人が気付いたことだろうか。

(1983年の河出文庫版の2013年新装版) 

景気予測ははずれることが多いが、人口動態データだけは予測からはずれることはない

『なんとなくクリスタル』が文学作品としての価値があるかどうかは、わたしには判断しかねるが、先見性を示していたことは註という形で証拠として残されているのである。

あらためてその事実を踏まえた上で、この「小説」を時代の証言として読んでみる意味もあるかもしれない。文学かどうかは別にしても、歴史的資料としての意味はあるだろう。







<補足>

当時は一橋大学社会学部教授であった社会言語学者の田中克彦が、無料で配布していた学内雑誌の「一橋マーキュリー」(1981年5月号)で、「なぜクリスタルはイモスタルなのか」と茶化していた。クリ(栗)ではなくイモ(芋)だというオヤジギャクだが(笑)、本人は音韻論的に見てそうだと書いている。内容的には、好意的な論評である。田中康夫は、「一橋マーキュリー」の編集長であった。

この一編は、『法廷にたつ言語-田中克彦エッセイ集-』(恒文社、1983) と 『ことばの自由を求めて』(福武文庫、1992)と改題した文庫版には収録されていたのだが、岩浪現代文庫からの新編集版では外されてしまったのは、歴史ドキュメントという観点からみて惜しいことだ。気になる人は古本を買うか、図書館で調べてみてほしい。

「固有名詞の復権」という論文や、『名前と人間』(岩波新書、1996) という本で「固有名詞の言語学」について書いている田中克彦だが、地名や人名は取り上げても、モノの名前としてのブランドを固有名詞という観点から論じていないのは、いったいどうしたものかとは思う。


<補足2>

身辺雑記や海外旅行、そしてみずから体験したガン闘病記などをテーマに、息長く活躍しているエッセイストの岸本葉子氏のデビュー作が、『クリスタルはきらいよ-女子大生の就職活動日記-(Orange books)』(泰流社、1985)であることを知っている人はどれくらいいるのだろうか。

岸本葉子氏はわたしより学年は一つ上なので、1986年に施行された「雇用機会均等法」以前であり、女子大生の就職がきわめて厳しい時代を体験している。その後に書かれたエッセイのなかで、保険会社に就職することができたことに触れられているが、当時の流行語のクリスタルな学生時代を送ったわけでもなく、就職には大いに苦労したという事実はここに記しておくべきだろう。

ちょうど出版された当時は就職活動の真っ最中であったわたしは、この本を近所の本屋で何度も立ち読みしたものである。わたし自身、「クリスタル」なるものには違和感を感じていたからでもある。むしろ、こういう学生のほうが大半ではなかったかと思う。


ついでに記しておくと、同時期に何度も立ち読みしていたのが、日本マクドナルドの創業社長・藤田田氏の『ユダヤの商法』(ワニブックス)であった。これは当時のロングセラーであった。この本を購入したのは数年後だが、それまでは立ち読みで済ませていたのであった。

もう一冊は、当時デビューしたばかりの新進気鋭の政治学者・舛添要一氏の『赤いバラは咲いたか』(カッパブックス)であった。もちろん髪の毛はふさふさ、眼光鋭いまなざしの東大助教授がフランス留学体験をもとに執筆したミッテラン社会党政権の話である。フランス人は狩猟を趣味とし、みずからも獲物をナイフで割くのだという記述があったことが印象に残っている。

時代の一断面を当時のロングセラーや新刊書で切り取ってみると、こんな感じになる。






<ブログ内関連記事>

書評 『石原慎太郎-「暴走老人」の遺言-』(西条 泰、KKベストセラーズ、2013)-賛否両論はあるが、きわめて「一橋的」な政治家の軌跡をたどってみることに意味はある
・・「教育社会学者の竹内洋氏に「現代思想における一橋的なるもの」というきわめて興味深い論文がある。『中央公論』に2000年に掲載されたものだが、『大衆モダニズムの夢の跡-彷徨する「教養」と大学-』(竹内洋、新曜社、2001)に収録されている。趣旨は以下のとおりだ。「教養」という概念でタイプ分けすると、「山の手知識人」と「下町知識人」という両極のあいだに、戦後の「新中間大衆」(都市型)タイプを想定することができる。「山の手知識人」の代表を丸山眞男(東京大学)、「下町知識人」の代表を吉本隆明(東京工業大学)とすれば、「新中間大衆」(都市型)のとして位置づけられる「一橋的なるもの」を代表するのは作家で政治家の石原慎太郎と田中康夫。政治的信条からいって水と油、右と左のようにみえる石原慎太郎と田中康夫だが、一橋的なるもの(平民的・町人的)で共通しているのだ、と。」

一橋大学合気道部創部50周年記念式典が開催(如水会館 2013年2月2日)-まさに 「創業は易し 守成は難し」の50年
・・「振り返ってみるに、入部したのは1981年(昭和56年)、すなわち「昭和時代」末期でありました。いわゆる「バブル時代」がはじまったのは、大学を卒業した1985年(昭和60年)からでありましたが、「バブル前夜」の当時のキャンパスといえば「西の京大 東の一橋」といわれていたものです。 ちょうどその頃に開園した東京ディズニーランドのようなレジャーランドであったと言われてました。現在からみると隔世の感がなきにしもあらずです。」

継続するということの偉業-『笑っていいとも!』が32年間の放送を終了

「東京オリンピック」(2020年)が、56年前の「東京オリンピック」(1964年)と根本的に異なること

書評 『叙情と闘争-辻井喬*堤清二回顧録-』(辻井 喬、中央公論新社、2009)-経営者と詩人のあいだにある"職業と感性の同一性障害とでも指摘すべきズレ"
・・「赤い資本家」の堤清二。「市民派」の田中康夫。ともに1980年代の「空気」をつくりだして体現していた

小倉千加子の 『松田聖子論』 の文庫版に「増補版」がでた-松田聖子が30年以上走り続けることのできる秘密はどこにあるのか?

ジョン・レノン暗殺から30年、月日の立つのは早いものだ・・・(2010年12月8日) ・・ジョン・レノンが死んだのは1981年だった

書評 『現代日本の転機-「自由」と「安定」のジレンマ-』(高原基彰、NHKブックス、2009)-冷静に現実をみつめるために必要な、社会学者が整理したこの30数年間の日本現代史

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ
・・「クリスタル」なるものに違和感を感じていた若者は少なくないが、そのなかの一部は修行を重視する精神世界へ、さらにごく一部はオウム真理教などに向かった

(2014年10月30日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)









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2014年10月14日火曜日

書評 『仏教学者 中村元-求道のことばと思想-』(植木雅俊、角川選書、2014)-普遍思想史という夢を抱きつづけた世界的仏教学者の生涯と功績を "在野の弟子" が語る

(カバー写真は中村博士がもっとも讃えていた初転法輪像)

中村 元(なかむら・はじめ、1912~1999)は日本語読者にとっては、なによりも岩波文庫から出版された『ブッダのことば』などの初期仏教経典の翻訳者として知られているのではないだろうか。

「お経」というと、なんだかよくわからないむずかしい漢字が羅列された、聞くだけであくびがでてくるようなものというイメージがあるが、そのお経を耳で聞いてもわかるような平易な日本語で訳した功績はきわめて大きい。その一方で、「ありがたいお経」から神秘のベールをはいでしまったという非難もまたあるようだ。毀誉褒貶あいなかばする存在でもある。

だが、もし中村元という「知の巨人」が日本にいなかったなら、日本人の多くは原点であるブッダその人の思想を知ることなかったかもしれない。日本仏教は、ブッダその人の思想よりも、鎌倉時代に登場した宗祖の教えを最重視する「新仏教」だからだ。中村元は、お寺の出身ではないので、特定の宗派に片寄ることなく、教義学からの距離を保つことができたのである。

本書は、若き日に物理学を専攻し、人生の悩みの解決を仏教に求め、中村元が東京大学退官後の1973年につくった東方学院で学んだ、在野の篤学の仏教思想研究者が描いた「中村元入門」ともいうべき本である。

東方学院は、アカデミズムの枠を超えて、学びたい人が学ぶことのできる「場」をつくるという「夢」を実現したものである。多くの大学から学長として招聘されたがそれらをすべて断り、第二の人生の活動拠点をおいた寺子屋学問は、世のため、人のためにあるという仏教精神にもとづいた使命を実現したものでもある。学校法人ではなく、あえて財団法人としたのは、活動が制約されるのを嫌ったからだという。

中村元には、『学問の開拓-「勉め強いること」に徹して-』(佼成出版社、1986 ハーベスト出版から2012年に復刊)という自伝がある。わたしもかなり前に単行本版で読んでいたが、残念ながら1986年から没年の1999年までが書かれていない。

ブッダその人もそうであったが、中村博士もまた最後の最期までリタイアということのない人であった。『中村元選集』全40巻(!)という偉業を完成させたのち亡くなったのである。しかも、心血を注いで完成した原稿を出版社が紛失したのち、再び書き上げたという『仏教語大辞典』の改訂作業も進めていたという。その最後の10年を、東方学院の熱心な聴講生として過ごしたのが著者であった。最前列に座り、中村元の講義を一言一句も聞き漏らすまいと筆記していた著者ならではの伝記である。

死の床にあってもなお学問に精進し、昏睡状態のなかで右手を動かして文字を書く動作をしていただけでなく、訪問看護師しかいない病床で昏睡状態で45分間の「最終講義」を行ったというエピソードが本書に紹介されている。やるべきことをやり遂げた生涯だが、それでもなお精進は止むことはなかったのである。

学問が好きで好きでしょうがない、そしてその学問を世のため、人のために役立てたいという熱い思いが伝わってくる。学者とはこういう人のことをいうのだ。87歳の長寿と膨大な業績は、中村元という人が、いかに強靱な精神力と体力をもちあわせた人であったかを示している。研究対象のインドには何度も訪れながら、まったく健康に問題がなかったという。

本書はまた中村元の人を元気にさせるコトバが満載である。

40歳で仏典に使用されているサンスクリット語を本格的に学び始めた著者を励ますコトバがいい。

植木さん、それは違います。人生において遅いとか、早いとかいうことはございません。思いついたとき、気がついたとき、そのときが常にスタートですよ。

物理学を専攻した著者に対して、逝去の一年前にはこんなコトバをかけられたという。

仏教学しかやっていない人には見えないものがあります。異なることをやってこられたからこそ見えるものがあります。それによって仏教学の可能性も開かれます。だから博士号を取りなさい。

異分野だからこそ見えてくるものがあること、肩書き社会の日本では博士号が必要なことをこのような形で励ましたのだという。

本書のタイトルには「仏教学者」とあるが、ほんとうは仏教研究とインド研究をベースにして、比較思想研究をつうじて普遍思想を探求した哲学者というのが、中村元という人の本質であった。本書を読めばそのことがよく理解できる。

独創的な研究、排他的な偏狭さを排したジャンル横断型知性。サンスクリット語、パーリ語、チベット語、ギリシア語、漢文、英語、ドイツ語その他多数を駆使していた語学の達人。この点においては、同時代を生きたイスラーム研究者で哲学者であった井筒俊彦と比較されるべき存在である。

東方学院という寺子屋をベースにした権威とは無縁の姿勢。制度としてのアカデミズムにもセクショナリズムにも囚われない在野の精神。「大乗非仏論」を唱えた18世紀大阪の独創的な町人学者・富永仲基(とみなが・なかもと)を、中村元も大きく評価していたことを本書で知ったが、富永仲基は官学の藩校ではなく、町人が有志でつくった懐徳堂(かいとくどう)という私塾で学んだ人であった。

地球レベルで生きる現代人のために、東西思想を超えた「普遍思想史」という「夢」を追った「知の巨人」の生涯。仏教でもっとも重要な「慈悲」をその中心においていた人生観。

膨大な業績のごく一部しか読んでいないわたしが言うのもおこがましいが、本書は「中村元入門」として読むことをすすめたいと思う。中村博士の業績が、今後ますます重要性をもってくるのは間違いない。




目 次

はじめに
第1章 生い立ちと学問への目覚め
第2章 東京帝大入学から博士論文の完成まで
第3章 『東洋人の思惟方法』で世界へ
第4章 念願のインドの大地へ
第5章 原始仏教の研究に見る中村の独創性
第6章 『佛教語大辞典』と「中村元選集」の刊行
第7章 「比較思想」の提唱
第8章 東方研究会・東方学院にかける理想
第9章 中村元と足利学校
第10章 研究の集大成
第11章 中村元の遺志の継承
第12章 この夫人ありて、中村元あり
あとがき
読書案内-中村元の主な著訳書
参考文献
中村元 略年譜


著者プロフィール

植木雅俊(うえき・まさとし)
1951年、長崎県生まれ。九州大学理学部。九州大学大学院理学研究科修士課程修了。理学修士。東洋大学大学院文学研究科博士後期課程中退。文学修士。79年からジャーナリストとして学芸関係の執筆・編集等に携わり、仕事の傍らで仏教学を研究。86年東洋哲学文化賞受賞。91年から東方学院で中村元博士からインド思想・仏教思想論などを学ぶとともに、サンスクリット語を受講。91年、インド・ニューデリーで行なわれた『法華経』についてのシンポジウムに参加。92年、小説『サーカスの少女』でコスモス文学新人賞受賞。93年、中村元博士の紹介で日本印度学仏教学会に所属。2002年9月30日、学位請求論文「仏教におけるジェンダー平等の研究──『法華経』に至るインド仏教からの考察」でお茶の水女子大学から男性としては初の人文科学博士(博乙第179号)の学位を授与される。日本ペンクラブ会員。日本印度学仏教学会会員。仏教思想学会会員。比較思想学会会員。(著者自身のサイトから)


<関連サイト>

仏陀の国(植木雅俊氏が管理人のサイト)

公益財団法人 中村元東方研究所 東方学院
・・「設立の目的: 当研究所は、東京大学名誉教授・日本学士院会員の故中村元博士によって創立され、「東洋思想の研究およびその成果の普及」ために活動する文部科学省所管の特例民法法人です。今日その活動は広く認められ、「特定公益増進法人」の指定を受けています。
基本理念: 創立者中村元が掲げた当研究所の独自性は、以下の3点です。 1. 生きた学問としての東洋思想研究 2. セクショナリズムを越えた東洋思想研究 3. 自発的・自立的な東洋思想研究」

中村元記念館 (島根県松江市)
・・「中村元記念館は故中村元博士の生誕100周年を記念して、博士の業績の顕彰、博士によって進展した東洋思想・文化の研究、啓発普及に寄与することを目的として設立されました。博士の生誕地松江市で、命日である10月10に開館しました。 故中村元博士のご遺族から寄贈された蔵書約3万冊を中心に多くの方々から寄贈された書籍を収蔵する図書館と、博士の著作と遺品を展示する展示室の運営と、博士の著作の販売を行っています」(公式ウェブサイトより)




<ブログ内関連記事>

『ブッダのことば(スッタニパータ)』は「蛇の章」から始まる-蛇は仏教にとっての守り神なのだ
・・中村元訳の『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫、1958)の紹介



書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・井筒俊彦の最後の著書は『東洋哲学覚書 意識の形而上学-『大乗起信論』の哲学-』(中央公論社、1993)である



書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」)

書評 『知的唯仏論-マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う-』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)-内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談

「シャーリプトラよ!」という呼びかけ-『般若心経』(Heart Sutra)は英語で読むと新鮮だ

書評 『希望のしくみ』(アルボムッレ・スマナサーラ/養老孟司、宝島社新書、2006)-近代科学のアプローチで考えた内容が、ブッダが2500年前に説いていた「真理」とほぼ同じ地点に到達
・・中村元による原始仏教経典解説を読んで開眼した養老孟司氏と初期仏教のスマナサーラ長老との対談

書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)-「社会起業家」というコトバを日本に紹介した原典となる本
・・日本人には「コンパッションが欠如しているのではないか」という痛切な指摘を受けた体験を「あとがき」に記している著者。「慈悲」の精神は、仏教国・日本には不在なのか!?

「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる






(2012年7月3日発売の拙著です)








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2014年10月9日木曜日

映画 『大いなる沈黙へ-グランド・シャトルーズ修道院へ』(フランス・スイス・ドイツ、2005年)を見てきた(2014年10月9日)-修道院そのものを主人公にした3時間という長丁場のドキュメンタリー映画

映画 『大いなる沈黙へ-グランド・シャトルーズ修道院へ』(フランス・スイス・ドイツ、2005年)を見てきた。岩波ホールでの上映には間に合わなかったが、その後は地方での公開も進んでいるので、今回は千葉市の千葉劇場にて。

カトリックの修道院生活のドキュメンタリー映画である。原題はドイツ語で Die große Stille、日本語版のタイトルはその直訳である。

登場するのはフランスのアルプス山中に建てられたグランド・シャルトルーズ修道院(Grande Chartreuse)。1084年に設立された、カルトジオ会の男子修道院である。カルトジオ会とは、フランス語の名称 Ordre des Chartreux(シャルトル会)のことである。厳しい戒律で知られるという。

比較的よく知られたシトー派の修道院が12~13世紀に急速に拡大したのに対し、カルトジオ会は14~15世紀に拡大し、18世紀には最盛期を迎えたが、啓蒙主義時代には世俗君主からの攻撃を受け、20世紀には大幅に衰退していたらしい。

このドキュメンタリー映画は、修道院の一日を一人の修道士に密着して描いたものではなく、「修道院という共同体」(コミュニティ)全体を、一年の流れのなかで淡々と要素要素を撮影した映像を編集したものだ。主人公は個々の修道士ではなく、修道院そのものである。

(英語版ポスター)

冬から短い春を経て夏へ、そして短い秋を経てふたたび冬へと至る一年間の修道院。藁のベッドとストーブしかない小さなセル(=独房!)で祈りと瞑想の日々を送る修道士たち。食事も独房の外から差し入れられたものを、独房のなかで一人で食べる。清貧を絵に描いたようなシンプルライフである。

修道士は、日曜の昼食後と散歩の時間しか互いにクチをきいてはいけないことになっているので、この映画にはほとんど会話が収録されていない。ただし食事を共にする機会や、共に祈る機会はある。ときに修道院の外に出て会話する機会もあるようだ。そんなおりの修道士どうしの会話が、そのままフランス語の音声として収録されている。

とはいえ、音声といえば、基本的にビデオが拾った自然音と、時を知らせる鐘の音、そして祈りのつぶやきのみ日課としての聖書の朗読と聖歌くらいである。しかもグレゴリオ聖歌なので伴奏はなく、文字通りのアカペラである(・・a cappella とは教会にてというラテン語)。聖歌の響きは美しい映像もまた自然光だけで撮影されたものだ。

しかしなんといっても169分は長い。約3時間は長すぎる。眠気が襲ってくるのはどうしても避けられない。ナレーションがなく、劇的な展開もいっさいなく、映画を盛り上げるための効果音もないからだ。

ひとつひとつのシークエンスは短いが、映像はひたすら淡々としたものだ。四季(・・というよりも冬と夏)折々の変化はあるが、画面にはフランス語とドイツ語で書かれた聖句が何度も何度も繰り返し同じ文言として字幕にでてくる。

監督は意図してそれを行っているのだろう。修道士の毎日は、寒い冬であろうが暑い夏であろうが、決められた日課を365日淡々と送るものだからだ。それも修道院に受け入れられた日から死ぬ日まで

修道士は独房で過ごすから、修道院のことを Monastery という。Mono(単独)で過ごす修道士たちの集まりが修道院である。修道院は「共同体」なのである。フランス語で communauté(コミュノテ)なのである。コミュニティなのである。

だがそれは、生まれながらそこに存在している村落共同体ではなく、あくまでも個人の自由意志によって自由を放棄(!)し、規律と秩序のなかで生涯を送ることになる共同体である。それが修道院なのである。西欧文明の心髄がそこにあるといえよう。

新たに入会してくる修道士たちがいれば、そのなかで死んで行く修道士もいる。修道院は、ホスピスでもあるわけだ。そういう見方も可能だろう。


ドキュメンタリー映画であることの意味について考える

このドキュメンタリー映画は、監督・脚本・撮影・編集すべてをドイツ人監督のフィリップ・グレーニング氏が一人で手がけている。撮影として修道院に入ることを許可されたのが一人だけだったからでもある。

監督によれば、修道院に撮影を申し込みんだのは1984年、門が開かれるまでには、なんと16年間も待つことになる。そして映画が公開されたのは2005年。最初の申し込みから映画の公開まで21年。日本公開はそれからさらに9年。このスピード時代においては、なんとも息の長い話である。

以下、このドキュメンタリー映画について、やや距離をおいた観点からコメントしておこう。礼賛一方ではバランスを欠くからだ。

この映画を見ているとわかるのは、グランド・シャトルーズ修道院は11世紀の創設だが、現在の建築物は中世そのものではないということだ。建物の外観も何度も改築や増築を経ているという。映像で見る限り、修道院内部の床のフローリングも、あたらしく張り替えられているようだ。

(グランド・シャトルーズ修道院全景 wikipediaより)

野菜を栽培して調理するシーンはでてくるが、家畜は登場するものの、乳を搾ってチーズをつくったり、家畜を屠るシーンは出てこない。

ドキュメンタリー映画といっても、そこに「編集」が加わっている以上、まったくのありのままではない。それがわたしには残念に感じられた。監督が見たい、見せたい映像しか出てこないのである。

この修道院の経済構造がどうなっているのか、それも映画からはわからなかった。これはわたしの個人的関心であるが、共同体として存在する以上、経済的な基盤なしでは成り立たないからだ。食糧は自給できても、それ以外の器具などは自家製とはいくまい。

唯一の所有物は小さなブリキの箱だけと映画解説にはあるが、ディテールを細かく見ていると、ボールペン、スニーカー、ペットボトル、書見台のライト、腕時計、電気バリカン、水道が登場し、中世そのものではないことがわかる。編集が加わっているとはいえ、ドキュメンタリー映画のドキュメント性が露呈する瞬間である。

この修道院は、近代文明を完全に否定しているわけでもなさそうだ。この点は、アメリカに移住したアーミッシュのなかでも厳格派とされる人たちとは異なる

ただし、外界との通信は手紙のみ。電話も、スマホも携帯も iPadも登場jしない。映画には登場しないが、事務所には電話やパソコンもあるのだろうとわたしは推測しているのだが・・・。

とにかく3時間の長丁場である。正直いって、わたしはこの映画にとくに感動といったものは感じなかった。

だが、この映画は、現代でもこういう生き方をしている人たちもいるという、一つのドキュメントとして見るべきではないか、と思うのである。

その意味では、修道院内部を詳細に撮影したドキュメント作品としては大いに評価すべきだ。監督の努力と手間に対してだけでなく、内容に対して3時間かけてでも見る意味はある。

(グランド・シャトルーズ修道院図面 小部屋が修道士の独房 wikipediaより)



<関連サイト>

映画 『大いなる沈黙へ グランド・シャトルーズ修道院へ』 公式サイト (日本版)

映画『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』 予告編

Into Great Silence / Die Große Stille [HD US Trailer] (YouTube)

フィリップ・グレーニング監督の言葉 (公式サイトより)

容易なことではない。ほとんど会話がなく、通常、映画を成立させるべき言葉からも出来るだけ離れ、考えられる制作プロセスがまったく通用しない作品を作り上げるというのは、本当に容易ではない。
 言葉を使わず、通常の制作論理や劇作法、映画監督としての自分の能力からもかけ離れたところで映画を作るというのは容易ではない。修道院を映像化するのに、映画を修道院そのものにしてしまう以外にどんな方法があるだろうか?どうだろう?
 今でもなお、正解は分からない。言えるのは、やれば出来るということだけだ。この作品は、ある時期からうまく形作られていった。
 ナレーションもなく、あの空間だけで、映画が修道院そのものになった。雲のようにつかみどころのない映画、私が最初にこの作品のアイデアを思いついた時、こう表現していた。そしてこの考えは、1984年に私が初めてカルトジオ会の修道士に会った時も、1年後に、彼らに「今はまだ早すぎる、10年か13年後であれば」と言われた時も、2000年に、修道院から「まだ興味を持ってくれているなら」と電話をもらった時もまったく変わっていなかった。
 そうだ。そうなんだ。雲とは何か?その答えは難しい。雲には様々な種類がある。どれもまったく違っているが、その一つ一つどれもが正しい。間違った雲など見たことはない。
 結局、私は6ヶ月近くをグランド・シャルトルーズ修道院で過ごした。修道院の一員として、決められた日々の勤めをこなし、他の修道士と同じように独房で生活をした。この、隔絶とコミュニティーの絶妙なバランスの中で、その一員となったのだ。
 そこで映像を撮り、音を録音し、編集した。それはまさに、静寂を探究する旅だった。






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(2014年11月1日 情報追加)





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2014年10月8日水曜日

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!


梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)がついに文庫化された。中央公論社から刊行されている自選の『著作集』に収録されているとはいえ、単著として手軽な形で読めようjになったことは、じつに喜ばしいことだ。

わたしはこの「幻の名著」をオリジナルの単行本を古本で入手したが、なぜいままで文庫版を含めた別バージョンで出版されないのか不思議でならなかった。その意味でも講談社学術文庫から文庫化されたのはありがたいことだ。ウメサオタダオの本は、『狩猟と遊牧の世界-自然社会の進化-』『生態学入門』(共編著)が講談社学術文庫が発足した 1976年 に出版されているが、それ以来ということになる。

『日本探検』というネーミングは1960年前後では、ひじょうに新鮮かつ斬新なものであったようだ。そもそも「探検」とは、未知なる世界で行うものでって、既知であるはずの世界を「探検」するとはどういうことか、と。

たしかに、未踏の地(terra incognita)が消滅し、未踏峰の高山も、未開の森林もなくなりつつあったのが1960年代であったが、完全になくなってしまう前に、既知であるはずの世界をあえて「探検」するという姿勢で取り組んだ先駆的な意味は大きい。

(1960年刊のオリジナル単行本 マイ・コレクションより)

『日本探検』がいかなる意味で「幻の名著」であるかについては、講談社BOOK倶楽部のウェブサイトに掲載されている踏み切った「紹介文」を読んでいただくのがよいだろう。学術文庫編集部の思いが伝わってくるはずだ。

知の巨人は「日本」をどう見たか。『文明の生態史観』 と 『知的の生産技術』の間に書かれた梅棹学のターニングポイント、文庫化!

梅棹忠夫こそは、戦後日本に屹立する知の巨人です。若き日に『モゴール族探検記』『文明の生態史観』『知的生産の技術』をひもといた人は多いのではないでしょうか。しかし、ここにもう一冊、あまり知られていないスゴイ本があります。それが本書『日本探検』です。

1955年のカラコルム・ヒンズークシ学術探検、1957年の第一次東南アジア探検から1961年の第二次東南アジア探検までの数年間、梅棹には一見「小休止」ともみえる時期があります。しかし、そんなことはありません。この期間にも彼の知的関心はやむことなく、その視線は「日本」に向いていました。それまでの探検で培った比較文明的、巨視的手法でみずからの生まれた社会を対象化したのです。

1959年に『中央公論』誌上ではじまった連載は7回にわたり、そのうちの4回分が翌年に単行本となりました(著作集では第5回の「事務革命」を除くものが収録され、新たに著者自身による解説的な新稿が付されています。今回の文庫はそれに基づきます)。このあと梅棹は国立民族学博物館の設立という大事業に乗り出していくわけですが、「日本探検」は梅棹学が生態学から文明学、情報学へとフィールドを拡げていくうえでの転換点であったと位置づけられます。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

「「日本探検」は梅棹学が生態学から文明学、情報学へとフィールドを拡げていくうえでの転換点であったと位置づけられます」、とある。この点については、『日本探検』を直接読んで実感していただきたいと思う。


(京都大学人文研をリードした桑原武夫の推薦文 単行本カバー袖より)


「なんにもしらないことはよいことだ」(ウメサオタダオ)

『日本探検』の冒頭に収録された「福山誠之館」は、以下の文章が導入となっている。まずは文庫版からではなく、1960年出版の単行本から引用を行っておこう。この段階ではまだ漢字の使用が多い

何にもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の眼でみて、その経験から、自由に考えを発展させることができるからだ。知識は、あるきながら得られる。歩きながら本を読み、読みながら考え、考えながら歩く。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしは考えている。わたしはいままで、日本の外を歩く機会が多かった。そこで、いつもこういう勉強の仕方をしてきた。

まさに名言である。これこそフィールドワークを学問の中心においたウメサオタダオの方法論である。知らないからこそ、知りたいのである。知りたいというのは人間の本能である。子どものような好奇心をもって観察する。これが学問の原点なのである。

19世紀アメリカの生物学者ルイ・アガシーの Study nature, not books ! に匹敵する名言だとわたしは考えている。まずは知的好奇心となる対象が自分のなかで生まれ、それを観察し、考察を深めるために本を読むのである。本の知識で語るのは本末転倒なのである。まずは一次情報を最重要に位置づけなくてはならないのだ。

つぎに文庫版から同じ箇所の引用を行っておこう。文庫版は、1990年の『梅棹忠夫著作集 第7巻』を底本としている。30年後のバージョンでは、さらに漢字が減っていることに気がつくはずだ。

なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。わたしはいままで、日本のそとをあるく機会が多かった。そこで、いつもこういう勉強の仕かたをしてきた。

小学生でも読める文章になっていると思うが、漢字を極限まで減らしたこの文章は、みずからもその一役を担った事務合理化の流れのなかで登場したワープロの発明が、日本語文章に不要な漢字を増やしてしまったことへのアンチテーゼではないだろうか。日本後論については別にブログ記事として書いているので、そちらを参照していただきたいが、1990年段階のつぎは、ローマ字化を想定していたと考えられる。

(企画展「ウメサオタダオ展にて筆者撮影)

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)では、会場にこの名言が展示されていたのは当然といえば当然だろう。

この方法論は、「1957年の第一次東南アジア探検から1961年の第二次東南アジア探検までの数年間」に行われた 『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) では、「移動図書館」として実践されている。現在なら、気になったらすぐにスマホで検索し、さらに詳しく知るために本を読むという方法論になるだろう。問題意識の深め方として、これほどすぐれた方法論はない

梅棹忠夫自身は、文庫版に収録されている「『日本探検』始末記」で、「主著となっていたはずの本」だと、振り返っている。

出版当時は、書評では好意的に取り上げられたのにかかわらず重版がかからなかったままだったらしい。現在でも「良書」にはよくありがちなことだが、1960年当時もそうであったわけだ。

文庫化されることなく、単行本未収録の4本を「続編」として出版する計画も、Tradition & Modernity in Japanese Civilization というタイトルでオックスフォード大学出版局から英訳版を出す計画も頓挫(とんざ)している。そのための定本となる日本語合本版もも実現することなく終わったという。

もしこの『増補改訂 日本探検』と英訳版が出版されていたら、この『日本探検』の仕事は、わたしの著作のなかでも主著のひとつとなったであろう。(『日本探検記』始末記 より)

梅棹忠夫には、実現しなかった「未刊行」の企画が多いことに気がつかされる。みずからの遅筆のせいだとしているが、まことにもって残念なことである。

たとえば、 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) がその最たるものだが、企画をつめてメモもつくりながら結局は書けずじまいになってしまった。この本は、 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012) として没後に編集されて刊行されている。

本書に関連した主題で、1962年に創刊された中公新書から『日本群島』というタイトルで出版される予定があったが、これも企画倒れに終わっていると本人が述懐している。じつに残念なことだ。

ちなみに中公新書の創刊時に出版されてベストセラーとなり現在でも読み継がれているロングセラーとなったのが、おなじく京都学派の歴史学者・会田雄次の『アーロン収容所』である。


『日本探検』はフィールドワークによる「日本文明論」構築の軌跡

『日本探検』と銘打って「中央公論」で連載されたタイトルは以下の7つである。

① 「福山-殿様と学校」
② 「綾部・亀岡-大本教と世界連邦」
③ 「北海道独立論-根釧原野」
④ 「高崎山」
⑤ 「事務革命」
⑥ 「名神道路」
⑦ 「出雲大社」

なんだかバラバラなテーマがならんでいるようにみえるが、これは著者自身の知的好奇心を最優先にされたためである。

単行本の「あとがき」には以下にようにある。

とりあげた主題は、一見それぞれまるでバラバラである。しかし、わたしとしては一貫して、現代日本の文明史的課題を追求しつづけているつもりである。説きつくされた日本の歴史も、比較文明論の立場から見れば、またいくらかは新しい見方もでてくるであろう。未来のことをいうならば、人類史の未来に日本文明は何を寄与しうるか、あるいはまた、日本文明における新しい可能性は何か、というのがわたしのほんとうの主題である。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

日本近代化と日本文明の関係という一貫した大きなテーマを、個々の具体的な小さなテーマを深掘りすることによって解明しようという、ある種のケーススタディ作成を想定していたのではないだろうか。

その意味では、せっかくの文庫版刊行であったが、きわめて残念なことに、⑤ 「事務革命」が収録されていない「日本探検 事務革命」を収録しなかったのは編集方針としては大きな誤りであったと言わざるを得ない

たしかに、梅棹忠夫自身が書いているように、「事務革命」は「日本語論」に近いので『著作集』では「日本語論」として自身の判断によって日本語論の巻に収録している。「事務革命」は、『著作集』のほか、単行本としては『日本語と事務革命』(くもん選書、1988)に収録されている。内容的には、『知的生産の方法』にも重なるものである。

だが、「事務革命」は大阪本町のビジネス街の「探検」記であり、聞き取りを中心にしたフィールドワークの記録であることに変わりはない。

もちろん個々の論考はケーススタディであるのでバラして読んでも差し支えはないが、なぜこのようなテーマを選択したのかという著者自身の当初の問題意識を探るうえでは大きな問題なのだ。

さらに、「日本探検」には着手されながら活字化されなかった「日本探検⑧ 近江菅浦」がある。梅棹家の発祥の地である琵琶湖畔の近江菅浦の「探検」記である。「初公開・草稿」として、 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)に収録されている。

文庫版に収録された「「日本探検」始末記」によれば、さらに「日本探検⑨」として「陶」(すえ)が予定され、現地探訪も文献調査も行っていたとある。岐阜県の洋陶の発祥の地を取り上げたこの論考が書かれていれば、「近江菅浦」とともに、人類学的手法による近代日本経営史のよいケーススタディとなったのではないかと惜しまれる。

(「日本探検」はいまだバラバラのまま一冊になっていない!)

梅棹忠夫の意志に反してでも、『著作集』を再度バラして編集担当者がコメントをつける形で再編集し、オリジナルを復元すべきであったとわたしは思う。かならずだれかに実現してほしいので、豪腕の編集者が現れることを期待したい。

文庫版には単行本には掲載されていた写真がいっさいないのが残念だ。権利処理が面倒だから省いてしまったのもしれないが、これまたじつに残念なことだ。そのかわりとして、単行本のカバー袖にある著者近影をアップしておこう。

 (出版当時40歳の著者 単行本カバー袖より)



文庫版に収録された「日本探検」について

文庫版に収録された「日本探検」の諸編について簡単にコメントを記しておこう。


① 「福山誠之館」(ふくやませいしかん)は、江戸時代の福山藩の藩校である。現在の広島県福山市である。

福山誠之館については、福山出身ではないわたしはまったく知らなかった。福山出身の友人知人もいるが、その名を聞いたこともない。あるいは聞いても忘れてしまったのかもしれない。

藩校という「封建時代」の発明品が、「近代と前近代」「伝統と近代」「中央と地方」「集中と分散」といった、いっけん二項対立的にみえるものをつなぐ存在であることが明らかにされる。

日本近代が突然変異的に発生したものではなく、日本文明には封建制が存在したがゆえに近代化が可能であったという逆説的な事実を、1960年という時点で示したことの意味について意識すべきだろう。

すでに近代が終わっている現在からみればあたりまえと見えることも、唯物史観が猛威を振るっていた1960年当時の「近代」においては、じつに勇気のいる発言であった。ある意味では蛮勇をふるった発言でもあったのである。狭義の歴史学者ではないからこそ可能であったかもしれない。


② 「大本教」は、近代日本で徹底的に弾圧された神道系の新宗教である。

大本教は、京都府の亀岡と綾部に本部があり、ともに京都が始発の山陰本線の途中にある。

個人的な話だが、綾部はわたしの生まれ故郷の舞鶴からも近い。京都始発の列車は綾部駅でスイッチバックして舞鶴線に入る。現在では亀岡はすっかり京都の通勤圏となっている。

大本教を取り上げたのは、梅棹忠夫が京都のエスペランティストであったことが根本にある。戦前から大本教はエスペラントの熱心な推進者であったからだ。

世界平和、人類愛、エスペラント、心霊主義といった広範なテーマを有する大本教の名誉回復を行った文章にもなっている。戦前のモンゴル調査で出会った紅卍会(こうまんじかい)や戦後のベトナム調査で訪れたカオダイ教などの話題もでてくるこの論考は、日本文明の世界への発信という点でも興味深い。

『美意識と神さま』(中公文庫、1985)にも大本教関連として、戦前の国家神道のもとにおける大本教弾圧事件をモデルにした長編小説高橋和巳の『邪宗門』の書評が収録されている。

日本近代を国家の中枢から推進した国家神道とは対立関係にあった大本教を取り上げたことは、日本文明の二元的構造を示した好例といえるかもしれない。



③ 「北海道独立論」は、大東亜戦争の敗戦後、樺太(サハリン)という辺境を失った日本列島において、あらたに辺境(フロンティア)となった北海道を取り上げたものだ。

とりあげられた根室と釧路に拡がる根釧平原は、アメリカやデンマークの影響を受けた近代農業を全面的に展開した、まさに「近代」そのものといえるような地域である。内地ではかならじしも実現しなかった近代化の実験地であったともいえる。

だが、一方では先住民のほかに、近代以前から内地からの流れ者が定住を行ってきたことも事実であり、漁業関係者や商工業者はエリートによる近代化とは異質の存在である。内地からの定住者は近代以降も増加し、その意味では北海道も内地化しているわけである。

「北海道独立」の実現性についての考察が行われているが、なぜか沖縄への言及がまったくない。北海道と沖縄は日本文明における位置づけが異なる共通しているが、日本近代における位置づけはそれぞれ異なるものであった。沖縄への言及がないのは、当時の沖縄は米軍の軍政下にあったためでもあろうか。

2014年には英国からのスコットランドの分離独立に向けての国民投票が大きなイシューとなったが、北海道の場合も独立よりも連邦制のなかでの自治権強化の方向が現実的というべきだろう。あるいは「道州制」(大前研一)の議論につなげて考えることも面白い。

梅棹忠夫が鋭くも指摘しているように、分離独立は経済基盤の確保がカギとなることは言うまでもない。


④ 「高崎山」は、日本のサル学を世界最高水準のものとした伊谷純一郎の名著『高崎山のサル』(1954年)で知られている高崎山のことである。『高崎山のサル』は、講談社学術文庫から2010年に再刊されている。

高崎山というと日本のサル学の聖地という印象がつよいが、もともとは自治体の首長の発想で開発された自然環境を観光資源化したサル山なのである。現在なら下北半島の「スノーモンキー」が世界的に有名だが、当時の日本国内では高崎山が先駆者としてもっとも有名であった。

サル学は日本独自の「土着科学」である。それは研究対象となるニホンザルが日本国内というフィールドに存在するだけでなく、日本人の自然観が無意識のうちに大いに反映した科学だからでもある。

日本文明におけるサルの位置づけは、キリスト教世界とは異なり、親近感に満ちたものである。人間のつぎにサルがあるという自然序列観は日本人には不思議でもなんでもない。「河童駒引」や柳田國男の『孤猿随筆』などへの言及もあるが、サル学はナチュラル・ヒストリーの復権という意味合いもあることを梅棹忠夫は記している。

個体識別という方法論が、日本のサル学を世界的なものとした。餌付けによってサルとの関係を構築し、一匹一匹ごとに識別してサル社会の生態を明らかにしたのである。

日本のサル学の成果は、すでに日本では「一般常識」として共有された財産になっている。日本以外ではかならずしもそうではないだろう。

『高崎山のサル』(伊谷純一郎)はわたしも高校時代か大学時代かに読んだが、あわせて読んでおきたい名著である。とくにサルがイモを海水で洗って塩味つきで食べる「文化」が群れ全体に伝播し、その「文化」が世代を超えて継承されていく姿は、ドーキンズの「ミーム」(=文化遺伝子)論を先行しているというべきだろう。 



⑤ 「事務革命」は、講談社学術文庫版には収録されなかったが、内容について説明しておこう。

日本語の近代についての論考である。近代ビジネスと日本語の表記方法との戦いの歴史が、事務革命というイノベーション生み出した源泉となった。

 「日本探検-事務革命」には、総合商社伊藤忠の伊藤忠兵衛が登場する。 若き日に欧米を体験して、ローマ字による事務処理が日本語の漢字かなまじり文の事務処理とは、段違いに効率的であることを痛感していた伊藤忠兵衛は、熱心なカナモジ論者となり、社内でもカナモジ化をみずから推進したのであった。 梅棹忠夫は、この二代目伊藤忠兵衛(1886~1973)を隠居先に訪問してくわしく話を聞き取っている。

『知的生産の方法』ではなぜか黙殺されてきた第7章「ペンからタイプライターへ」にぐっと接近した内容である。 もしわたしが 『実業家の思想』 というアンソロジー集を編集することがあれば、実業家自身が書いた文章ではないが、ぜひ入れたい一編である。

日本文明における日本語の表記法というテーマは、梅棹忠夫においてはカナ文字論やローマ字論として展開されているが、英語全盛時代のなかで日本文明が生き残るための課題として、もっと論じられてよいテーマである。

(くもん選書から出版された「日本語三部作」)



⑥ 「名神高速道路」は、モータリゼーションという「近代化」について、道の文明史の視点で書かれたものだ。

もし「日本探検」がつづけて執筆されていれば、1964年の東京オリンピック開催にあわせて開業した「東海道新幹線」について書かれていたかもしれないと考えてみるのも面白い。

だが、京都中心主義者の梅棹忠夫にとっては、東京を中心にして関西を結んだ東海道新幹線よりも、京都を始点にした国道一号線のバイパスとして建設された名神高速道路のほうが意味があったのかもしれない。

自動車は馬車の延長線上にある発想であるが、ウマが存在しながら馬車が生まれなかった日本文明においては高速道路という発想も生まれてこなかった。日本にはひとが歩く歩道の発想は生まれても、クルマが走る道路という発想が脆弱なことが、現在にいたるまで尾を引いているような気もする。

この論考で展開されている「建設の論理」と「存在の論理」という二項対立も興味深い。「建設の原理=未来志向=近代化」とすれば、「存在の論理=現在と過去=伝統」、と整理できるが、近代がすでに終わっている現在、ますます「存在の論理」がふたたび前面にでてきていることは当然といえば当然だろう。

国土の制約性の強い日本における日本文明と、広大な未開拓地をもつアメリカのアメリカ文明の根本的に異なる点である。この点、ヨーロッパも日本と近い。


⑦ 「出雲大社」は、『日本探検』のなかでは「大本教」と対(つい)になるものであろう。

京都人の梅棹忠夫にとっては、出雲は意外と心理的に近いものを感じていたのではないだろうかという解説者・原武史氏の指摘にはうなづくものがある。山陰本線の夜行特急「出雲」が、京都が始発であったことを想起すればよい。

「日本文明の二元構造」についての指摘が重要だ。幕藩体制における天皇と将軍、中央と地方、東京と京都、国家神道と大本教、そして伊勢と出雲。

同じ関西でも京都や奈良の神社をとりあげず、冥界の主となったオオクニヌシを主神とする出雲大社を取り上げたことに大きな意味を感じる。

縁むすびの神さまとして有名な出雲大社だが、根本にあるのは稲作と密接な関係をもつ農業神であって、縁むすびは神学とは無縁の一般庶民の信仰である。

時代が変われば、神信仰のあり方も変わる。この論考は家族制度についてのテーマでもあり、風俗史でもあり、庶民信仰の話でもある。多彩なテーマを出雲大社という軸で描いている点に梅棹忠夫ならではのものがあるといっていいだろう。

『美意識と神さま』(梅棹忠夫、中公文庫、1985)に「家庭における神と芸術」という一章があるが、収録された文章のタイトルをみれば、この「出雲大社」と問題関心のありかた重なっていることがわかるだろう。

「神々のまきかえし作戦の成功と失敗」
 [追記] 神前結婚の起源
神さまの格づけと小型電気洗濯機について
工業的大量生産と神々の復活
 [追記] 産業化社会のアニミズム
機能的デザインと洗濯ものの美学
三種の神器と嗅覚的芸術 

「近代化」は完成し、すでに「近代」の終わっている日本であるが、日本文明は今後どのように展開し、世界に貢献できるのか、本書を読みながら考えてみたいものだ。

(未完に終わった「近江菅浦」 『梅棹忠夫』(河出書房新社、2011)所収)


『日本探検』の続きは読者みずからの「日本探検」を!

「単行本あとがき」には以下のようにある。

できることなら、まだ当分はこれを続けてゆきたいと思っている。あるいはまた、このまま国外の探検に接続してゆくことになるかもしれないが、そのときはそのときで、それでもよいと思っている。

じっさいにこのとおりとなってしまったわけだが、『日本探検』以降も、さまざまな「探検」が著者によって国内外を問わずに行われている。その記録は『著作集』に結実しているわけだが、失明してからも「探検」は続けられた 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)にまとめられた体験と観察の記録である。

未知の世界を知りたいという知的好奇心。人間の本能に根ざしたこの欲求は、すべての人間に本来そなわっているものだ。

『知的生産の技術』もそうだが、『日本探検』を手引きにして、読者みずからが自分のフィールドのなかで「探検」を続けていくことこそ、フィールドワークの科学者であった著者自身の願いであったのではないかと思う。

そのための方法論は『知的生産の技術』に結晶しているが、その萌芽が『日本探検』にもある。ぜひ多くの人に読んでもらい、みずからの「日本探検」をブログなどでどんどん発信していってほしいと思う。

「日本探検」のネタは、ぜったいに尽きることなどないのだから。わたしのこのブログもまた「日本探検」の一つである。






目 次

福山誠之館
 福山
 誠之館
 藩校
 東京の福山
 創業三百年
 地方と中央
  追記 「福山誠之館」その後
大本教
 山陰道
 世界連邦
 大本教
 世界を結ぶことば
 神々の国会
 国を超えるもの
  追記 「大本教」その後
北海道独立論
 津軽海峡のかなたに
 根釧原野をたずねて
 失われた開拓線
 異質化と同質化
 分離か、統合か
 開発論争
 独立への道
  追記 「北海道独立論」その後
高崎山
 高崎山
 幸島・都井岬  
 ウマ・シカ・サル
 個体識別  
 モンキー・センター
 世界への進出
 サルと自然観
  追記 「高崎山」その後
中央公論社刊『日本探検』のためのあとがき

(以下、単行本未収録)
名神高速道路
 過去の道・未来の道
 高速道路
 道の文化史
 未来をひらくもの
  追記 「名神高速道路」その後
出雲大社
 天下無双の大廈(たいか)
 神とひとの歴史
 縁むすびの神さま
 神がみの復活
空からの日本探検

『日本探検』始末記
解説 (原武史)


著者プロフィール

梅棹忠夫(うめさお・ただお)

民族学者。1920年、京都西陣に生まれる。京都府立京都第一中学校、第三高等学校を経て京都帝国大学理学部に学ぶ。はじめ動物学を専攻。今西錦司の薫陶を受け、北部大興安嶺探検隊に参加。モンゴルで牧畜調査に従事する。敗戦で帰国後、大阪市立大学助教授となる。1955年、京大カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊に参加(この記録が翌年『モゴール族探検記』[岩波新書]となる)。1957年「文明の生態史観序説」を『中央公論』2月号に発表し、大きな反響をよぶ(『文明の生態史観』刊行は1967年)。1965年京都大学人文科学研究所に転ずる。1969年『知的生産の技術』(岩波新書)を刊行。国立民族学博物館の設立に尽力し、1974年に初代館長となる。1986年、ウイルスによる球後視神経炎のため両眼の視力を喪失するも旺盛な著作活動を展開する。1991年文化功労者、1994年に文化勲章受章。2010年、90歳で死去。主な著作は「梅棹忠夫著作集」(全22 巻 別巻1 中央公論社)に収められている。(出版社サイトより)



(追記) 2015年12月に講談社学術文庫から梅棹忠夫の『日本語と事務革命』が文庫化された。




<ブログ内関連記事>


梅棹忠夫関連

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録


梅棹忠夫の「科学論」

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論
・・進化論

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)にいってきた-日本科学未来館で 「地球時代の知の巨人」を身近に感じてみよう!
・・「「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるのである」(梅棹忠夫)


梅棹忠夫の「日本語論」

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)


「封建制と藩校」関連

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③
・・千葉県立佐倉高校は佐倉藩の藩校であった

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!


「大本教」関連

合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋
・・合気道開祖・植芝盛平は大本教の出口王仁三郎聖師のもとで精神修行をしていた

書評 『「悲しき熱帯」の記憶-レヴィ-ストロースから50年-』(川田順造、中公文庫、2010 単行本初版 1996)-『悲しき熱帯』の日本語訳者によるブラジルを多角的、重層的に見つめる人類学的視点
・・人類教教会

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・綾部と郡是(グンゼ)


「北海道と近代化」関連-アメリカとデンマーク

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・近代化とアメリカ。津田梅子らをアメリカに送り込んだのは北海道開拓使であった黒田清隆である

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である
・・岩波文庫版に一緒に収録されている「デンマルク国の話」とあわせて読むべき

書評 『クオリティ国家という戦略-これが日本の生きる道-』(大前研一、小学館、2013)-スイスやシンガポール、北欧諸国といった「質の高い小国」に次の国家モデルを設定せよ!

「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた


「高崎山のサル」関連

『サル学の現在 上下』(立花隆、文春文庫、1996)は、20年後の現時点で読んでもじつに面白い-「個体識別」によるフィールドワークから始まった日本発の「サル学」の全体像

『新版 河童駒引考-比較民族学的研究-』(石田英一郎、岩波文庫、1994)は、日本人がユーラシア視点でものを見るための視野を提供してくれる本

「石に描かれた鳥たち-ジョン・グールドの鳥類図譜-」(玉川大学教育博物館)にいってきた(2013年1月26日)-19世紀大英帝国という博物学全盛時代のボタニカルアート
・・英国の動物学の前提には博物学(ナチュラルヒストリー)がある

猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)
・・個体識別をノラネコに応用する


出雲関連

『水木しげるの古代出雲(怪BOOKS)』(水木しげる、角川書店、2012)は、待ちに待っていたマンガだ!

(2016年8月11日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)








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