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2013年11月4日月曜日

映画『es(エス)』(ドイツ、2001)をDVDで初めてみた ー 1971年の「スタンフォード監獄実験」の映画化


映画 『es(エス)』(ドイツ、2001)をはじめてみた。なぜか今年に入るまでこの映画の存在を知らなかったので、もちろんDVD版である。

アメリカのリメイク版が 2010年に製作されているそうだが、このオリジナルのドイツ版のほうがはるかに面白いという評判があるのでドイツ版をみることにした次第だ。ドイツ人ならではの徹底性がみられることを期待してのことだ。

原題はドイツ語で Das Experiment、日本語版の es とは精神分析の世界にくわしい人なら、すぐにあれだなと気づくであろう。「エス」とは「自我」のことだが、ドイツ語では非人称主語である。英語圏では id(イド) とラテン語が使用されている。

「世界を震撼させた心理実験」という紹介文がDVDに書かれている。監視カメラつきの模擬刑務所という設定で、被験者を看守と囚人に区分し、それぞれの役割分担を明確にしたロールプレイングによる実験である。

この映画のモデルになったのは、1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われた「監獄実験」(Stanford prison experiment)という社会心理学の実験だという。通称「アイヒマン実験」として知られる心理実験のバリエーションである。


(ドイツ版 映画案内)

被験者がすべて男性で、新聞広告によって募集された。募集条件は以下のとおりである。

●拘束時間: 2週間
●報酬: 4000マルク
●応募資格: 不問
●実施場所: 大学内模擬刑務所

実験にあたって被験者たちが守るべきルールが決められているので、ここに書いておこう。

ルール①: 囚人は番号で呼びあわなければならない
ルール②: 囚人は看守に対して敬語を使わなければならない
ルール③: 囚人は消灯後、会話を一切交わしてはならない
ルール④: 囚人は食事を残してはならない
ルール⑤: 囚人は看守のすべての指示に従わなければならない
ルール⑥: 囚人はルール違反を犯した場合、囚人には罰が与えられる

看守役は看守の制服に警棒と手錠、囚人役はいわゆる囚人服を着せられ、いったん決められた役割の交代はない

時間がたつにつれて看守サイドも囚人サイドも、それらしく振る舞うようになっていく。看守サイドには上位者(・・この実験の場合は心理学者)から発する「権威」があり、囚人サイドには看守の「権威」に従わざるを得ないという非対照的な関係となる。

ささいないざこざから始まった看守サイドにも囚人サイドの対立がじょじょに鬱積しながらエスカレートしていくのだが、双方にいちじるいしい人格変容が発生していくさまを観察することができる。




この実験においては、とくに看守役の「人格変容」が著しいまさに「権威への服従」(obedience to authority)である。

権威を身にまとった看守の監視下で囚人もまたより囚人らしくなっていく。

だが、監視役の看守たちですら、24時間の監視モニターをつうじて監視されているのである。視線が発するとことが、真の意味で「権威」が発生する場である。

看守サイドは、より秩序維持を目的にした権威主義的パーソナリティに人格変容、あるものはサディスティックな本性をよびさまされ秩序維持のために自然にリーダーシップを発揮する者まででてくるのだ。

囚人サイドは、主人公などを除いて、ほぼすべてがあきらめ感に慣れてゆき、従順なパーソナリティへと人格変容していく。

いずれに立場においても、シャバでの職業や学歴など関係なく、割り振られた役割に応じた人格が変容していくのだ。人間集団のもつ相互作用が促進するのであろう。集団同調圧力というやつだ。日本語でいう「空気」が醸成されたような印象も受ける。

「地位は人をつくる」とはよく言われることだが、閉鎖空間のなかではその変化が急速に進行するのである。まさに急速にできあがった「空気」に支配されるのである。

囚人役になかに現役の空軍軍人が入っているのだが、彼が主人公に対して、軍からのカネで行われている実験なのだと漏らしていた。撃墜されてパイロットが敵の捕虜となったときのための心理的な対応方法を研究するためのデータ収集が目的だという。じっさいにベトナム戦争では米軍パイロットが捕虜となって抑留されているのでありうる話だ。

実験期間は2週間とされていたが、7日目で実験は中止を余儀なくされる。そのとき模擬監獄のなかで起こったのは・・・・!?

ここから先は見てのお楽しみだが、想像はつくのではないかと思う。いや想像を超えた事態がもたらされることになるのだ!

もちろん現在では、このような実験は倫理にもとるものだとして禁止されている。これはこの映画を最初から最後まで見たら十二分に納得のいくことだ。実話をもとにしたものだけに、下手なサイコホラーよりはるかに恐ろしい。

社会心理学者スタンリー・ミルグラムによる「アイヒマン実験」もそうであったが、人間というものは「権威」からの命令にはいとも簡単に従ってしまうことがこの映画からも手に取るように実感される。

DVD特典に収録された出演者インタビューによれば、出演者も狭い空間のなかで長時間過ごしているため、だんだんと精神的に追い詰められていったという。そのため迫真ある演技となったのであろう。

これはかならず見るべき映画であると実感した。「世間」と「空気」の形成を考えるための材料となるだろう。この映画の実験においては当初予定の2週間が継続不可能となり、その結果、「空気」が持続的な「世間」に転化するまでは観察できなかったが・・・。

「世間」も「空気」もけっして日本だけの現象ではない





<関連サイト>

「スタンフォード監獄実験」の逆は実行できるか (グレッグ・マキューン、ダイヤモンドハーバードビジネス、 2014年5月14日)
・・「社会心理学者が行った「スタンフォード監獄実験」「ミルグラム実験」は、悪しきシステムが善良な人を変えてしまうという教訓を残した。ではその反対、つまり善意や意欲を生む好循環をつくることは可能だろうか。その事例と実践方法を紹介する」 英語原文は Can We Reverse The Stanford Prison Experiment? 

(2014年5月14日 項目新設)


PS スタンフォード監獄実験の考案者がその詳細を描いた 『ルシファー・エフェクト-ふつうの人が悪魔に変わるとき-』(フィリップ・ジンバルドー、海と月社、2015)という本が出版された。 (2015年8月10日 記す)。



<ブログ内関連記事>

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・「『イェルサレムのアイヒマン』(1963年)で「組織と個人」の問題を考える」と「社会心理学者ミルグラムによる「アイヒマン実験」の項目を参照してほしい

書評 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』(伊東乾、角川学芸出版、2011)-幅広く深い教養とフィールドワークによる「声によるマインドコントロール」をめぐる思考

書評 『ドアの向こうのカルト-九歳から三五歳まで過ごした、エホバの証人の記録-』(佐藤典雅、河出書房新社、2013)-閉鎖的な小集団で過ごした25年の人生とその決別の記録

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト
・・閉鎖的組織が生み出す悲劇はカルトに共通する

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について

映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」
・・「世間」も「空気」も特殊日本的現象ではない

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・「世間」とは持続性のある相互監視の視線であり、「空気」とは持続性はないが濃度の濃い相互監視の視線の集まりと考えてよいのではないだろうか

映画 『アクト・オブ・キリング』(デンマーク・ノルウェー・英国、2012)をみてきた(2014年4月)-インドネシア現代史の暗部「9・30事件」を「加害者」の側から描くという方法論がもたらした成果に注目!
・・「大義」の存在によって、いとも簡単に悪に荷担してしまう人間という存在について

(2014年5月14日、2015年7月25日 情報追加)


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