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2013年11月30日土曜日

映画 『キャプテン・フィリップス』(米国、2013)をみてきた-海賊問題は、「いま、そこにある危機」なのだ!


映画 『キャプテン・フィリップス』(米国、2013)をみてきた。アカデミー賞候補の呼び声も高いということだが、その可能性はかなり高いとおもう。かなり重厚で見応えのある作品である。シナリオ、主演、映像そのすべてが三拍子でそろっているためだ。

なによりもつい最近の出来事なのである。実話なのであるいまから4年前、2009年4月12日のことだ。

ソマリア沖を航行中のコンテナ船が海賊に襲撃され、乗組員20人のために海賊の人質となったリチャード・フィリップス船長が体験した息詰まる4日間を描いた作品だ。


どこに生まれようが生き残る(=サバイバル)がテーマにならざるをえない

映画の冒頭からこの映画はサバイバルをテーマとしたものであることが暗示される。

フィリップス船長にとっては、自分の子どもたちが生きる時代のアメリカ経済の厳しさ。そしてソマリア人漁師たちにとっては、政治経済が機能不全となり無法地帯と化している破綻国家に生きるという過酷さ。

船長はアメリカ東部のバーモント州に暮らす。海賊たちは破綻国家ソマリアの元漁師たち。本来ならまったくあい交わることのなかったはずの両者が、ソマリア沖の航海において遭遇し、けっして望んだわけではない濃い日々をともにすることになる。

両者ともにサバイバルがテーマとして浮上しているのが21世紀の現状。置かれている状況はかなり異なるが、サバイバルという点においては本質的には同じなのである。

映画の前半は大型コンテナ船における海の男たちの世界、後半は船長(キャプテン)が海賊たちの人質になった結果、救命艇という閉鎖空間のなかでのサバイバルが描かれる。

映画の後半でテーマになるのが、人質になった船長自身にとっての極限状況におけるサバイバル。この段階になって、フィリップス船長にとってのサバイバルは、ソマリア人海賊たちと同じレベルになる。むきだしの人間として対等の関係になるのだ。

そう、心理学者マズローの欲求五段階説でいえば「生理的欲求」と「安全の欲求」という人間にとって最低限必要な欲求が満たされない状況にフィリップス船長は置かれたのである。


想定していた成功を得られなかった海賊たちは救命艇でコンテナ船から脱出することになるが、その際にフィリップス船長は身代金目的の人質として海賊に連れていかれる。救命艇に乗ることによって彼らは運命共同体となった。いわゆる呉越同舟であるが、同じ船に乗っていることには変わりないのだ。英語ではこれをさして We're in the same boat. という。

同じく船に乗っているという点においては、大型コンテナ船の船員(クルー)も、海賊たちが乗るモーターボートも本質においては同じ存在だ。つねに危険と背中合わせなのが海の世界、「板子一枚下は地獄」という点において。だから、フィリップス船長は同じ海の男として海賊のリーダーと対話が成り立つと踏んだのだろう。

船長(キャプテン)がその乗員すべてに対して全責任をもつことにおいては、コンテナ船だろうが豪華客船だろうが、軍艦だろうが漁船だろうが、みな同じである。国際法に通じていようがいまいが、船長というのはそういう義務を担った職務なのだ。


大型コンテナ船が舞台

大型コンテナ貨物船という、その大きさの割には乗員が男だけで、しかも20人程度しかいないという地味な世界が映画の舞台となるのは珍しい。

映画にでてくるのは世界最大の船会社マースク社(Maersk)のコンテナ船である。この船会社の大型コンテナ船アラバマ号が海賊から襲撃されたのである。デンマークに本籍のある会社でメルスクともいう。日本の港湾でもメルスクのコンテナはよく見かけるはずだ。

図らずして自社商品や自社ブランドが映像のなかに登場する広告宣伝手法のプロダクト・プレイスメントになっているわけだが、法人取引が中心の B2B企業である海運会社にとっては、ブランドを一般消費者に知らせること機会になっているかもしれない。実話をもとにした映画であるだけに怪我の功名かもしれない。



フィリップス船長の今回のミッションは、ソマリア沖を航行してアフリカ中部ケニアのモンバサまで救援物資を輸送するというもの。そのために船長はアメリカ東部バーモント州にある自宅から乗船地まで移動することになる。映画には出てこないが航空機での移動だろう。

当然のことながらフィリップス船長も海賊の危険は織り込み済みだったようだが、2009年当時はまだ一般人にとってはソマリア人海賊の話は常識とはなっていなかった

国際的な要請に基づいて、日本が海上自衛隊艦船をソマリア沖に派遣することが決定され実行に移されたのが2009年、まさにこの映画で取り上げられた海賊事件が発生した頃である。

たとえ危険地帯であっても輸送をやめることはできない。依頼主がいればそれに応えるのがビジネスというものだ。船長もまた船会社の要請でアサインされれば任務につく。船員組合に所属している船員もまた契約ベースで動く。ちなみに企業内組合が常識の日本企業であっても、船員組合だけは企業横断型の業界ベースである。

危険を承知で船を出すケースもある。かつてベトナム戦争時代に商船の船長として荒稼ぎをしたという英国人の元船長から話を聞いたことがあるが、戦争地帯であれば海上保険がつりあがる。船長や乗員も危険手当がつくので、それを承知で船にのる男たちもいるのだ。

(これがホンモノのキャプテン・フィリップス 原作本となった自著のカバー写真)

だが、フィリップス船長の今回のミッションでは、乗員たちは実際に海賊に遭遇することはアタマではその可能性については理解していても、まさか自分たちが乗った船が海賊に襲撃されるとは想像もしていなかったようだ。希望的観測というやつである。

しかも巨大コンテナ船とくらべれば、漁船をつかった海賊船はふけば飛ぶようなちっぽけな存在だ。だがマシンガンで武装した海賊たちは、ある意味ではゲリラのような存在だろう。

武装していない丸腰のコンテナ船の船腹に「脆弱性の窓」(window of vulnerability)を発見した海賊たちは、そこになんと原始的な手段だが梯子をかけて乗り込んできたのだ! 

いったん海賊たちの侵入を許してしまったが最後、コンテナ船は絶体絶命の窮地に追い込まれることになる。映画をみている観客にとっても、息詰まるシーンの連続である。




海上における「非対称戦争」とアメリカ海軍の本気度

事件が発生した2009年の前半は、まだソマリア人海賊問題が一般人のレベルでは常識となっていなかった頃だ。その海域でパトロール活動を行っていたのが、アメリカ海軍の艦船など少数に過ぎなかったこともフィリップス船長にとっても不幸なことであった。

だが、アメリカ人の生命と財産を守るというつよい意志を示したアメリカ政府が動き出すと、ソマリア人海賊に勝ち目はない。

米海軍の駆逐艦が現場に急行し、周辺海域が戦闘地域であえるという宣告がなされて海賊掃討と
人質救出作戦が実行されることになる。ここがまたこの映画の見ものである。アメリカという国家のゆるぎない意志が具体的な形で示されるからだ。

海軍特殊部隊SEALs(ネービー・シールズ) が海上でみせる特殊作戦。映画のなかではオペレーション(operation)ではなくマヌーバー(maneuver)といっていたが、まさにプロフェッショナルの仕事であった。

人質救出作戦もまた対テロ戦争と同様、非対称戦争である。いまの時代、海上においても従来型の正規戦よりも非対称戦争のほうが多い。

映画 『ゼロ・ダーク・サーティ』はウサーマ・ビン・ラディンを殺害するミッションを描いたノンフィクション映画であったが、ビンラディン殺害外作戦を実行したのは機動力をフルに活かしたネービー・シールズであった。使用された機能は、SEALs のうち L すなわち LAND(陸)とAIR(空)での特殊任務であった。

『キャプテン・フィリップス』では、海軍特殊部隊であるネービー・シールズにとっては本来の戦場である S すなわり SEA(海)での特殊作戦の遂行。これがまたすごいのだ。この映画の見どころの一つでもある。

(ソマリア沖の海賊 wikipedia掲載の図よりインド洋全域)


けっして他人事はない海賊問題

日本の海上自衛隊も艦船派遣いるが映画には出てこないのは、事件発生当時はまだ海上自衛隊艦船はまだ派遣されていなかったからだ。

ソマリア沖の海賊問題は、日本から遠く離れたアフリカの話にみえるが、日本にとってもきわめて重大な問題だ。

「食糧とエネルギー」のほとんどを大きく海外からの輸入に依存、金額ベースでみて約7割が「海上輸送」に依存しているのである。輸送時間の関係から、海上運賃は航空運賃よりはるかに安い。量ベースでみたら比率はもっと高くなるはずだ。

日本にとってシーレーンはまさに海上の生命線(ライフライン)。シーレーンはスエズ運河から日本列島までつながっている。江戸時代後期の警世家・林子平がロンドンから江戸まで水路でつながっていると言ったことを想起しべきだろう。

日本の商船隊にとってはマラッカ海峡における海賊問題だけでなく、ソマリア沖の海賊問題もきわめて重大な問題なのだ。日本人の生存は海上輸送に依存しているのである。

海賊というと映画『カリブの海賊』に代表されるファンタジーがあるが、海賊をロマンチックに語るのは現実的ではない。現代の海賊はマシンガンで武装した大義なきゲリラのような存在だ。

この映画は、「いま、そこにある危機」として、現実世界でいまなにが起こっているかを知るためにも見るべきなのだ。

ヒューマン・ドラマとっしてもすばらしいが、それ以外のさまざまな意味においても、ぜひ見るべき映画だといっておこう。




●『キャプテン・フィリップス』
●監督 :ポール・グリーングラス
●出演 :トム・ハンクス、キャサリン・キーナー
●配給 :ソニー・ピクチャーズ
●上映時間: 134分
●公開日 :11月29日より全国公開


PS 2013年度の第86回アカデミーにノミネートされながらも、残念ながら受賞は逃した『キャプテン・フィリップス』。絶対に受賞間違いなしだと思っていたのだが・・・ (2014年3月5日 記す)。








<関連サイト>

映画 『キャプテン・フィリップス』 オフィシャルサイト(日本版)

Captain Phillips - Official Trailer (HD) Tom Hanks (英語版トレーラー)

Captain Phillips (映画のフェイスブック・ページ 英語)

『本当にあった 奇跡のサバイバル60』に載った ありえない生還劇6 第1回 映画『キャプテン・フィリップス』で描かれなかったもう一人のヒーロー (ナショナル・ジオグラフィック、2014年)

ソマリア沖2009年4月12日の事件(wikipedia)
Piracy in Somalia (wikipedia英語版)

マースク社公式サイト(日本語)
・・正式社名 A.P. モラー・マースク(デンマーク語:A.P. Møller - Mærsk A/S)は、デンマークの首都コペンハーゲンに本拠を置く世界一の海運会社

Rose George: Inside the secret shipping industry (TED Talk  FILMED OCT 2013 • POSTED DEC 2013 • TED@BCG Singapore)
・・「知られざる海運業」(シンガポールにて公開録画  英語)

港のエース、ガンマンの絆 クレーン運転士・上圷(かみあくつ)茂 (NHK プロフェッショナル 仕事の流儀) (2014年4月21日 放送)
・・コンテナ輸送に不可欠の業務であるガントリークレーンの操作を行う運転士の仕事




ソマリア沖 海賊対策厚み 東京海上日動など、保険料上げ (2009年2月5日 FujiSankei Business i)

ソマリアの「海賊ビジネス」 海賊に憧れ罪を犯す少年を救え (國井 修、日経ビジネスオンライン、2012年11月28日)

ジブチに集う欧米と日本の自衛隊 (日経ビジネスオンライン 2013年12月19日)

US Navy SEAL & SWCC—official website (ネービー・シールズ 公式サイト)
U.S. Navy SEAL & SWCC Page (ネービー・シールズ facebookページ)

『本当にあった 奇跡のサバイバル60』に載った ありえない生還劇  第1回 映画『キャプテン・フィリップス』で描かれなかったもう一人のヒーロー(ナショナル ジオグラフィック日本版、2014年4月15日)

The hidden opportunity in container shipping  By taking advantage of savings and revenue opportunities, container lines can return to profit. (McKinsey & Company, November 2014)


すしざんまい社長が語る「築地市場移転問題」と「ソマリア海賊問題」(ハーバー・ビジネス・オンライン、2016年1月18日)
・・築地すしざんまい社長の木村氏は、伝手を頼ってソマリアの海賊達と話し合い、ソマリア沖がキハダマグロの好漁場であることを知り、みずから漁船を提供しマグロ漁のやりかたを教えたうえで、みずから買い取るルートを整えて元漁民が大半の海賊たちの更正をビジンスベースで援助している、という。その結果、その海域では海賊被害ゼロが実現しているという。ただし、いまだ赤字だとのことだ。

(2014年8月29日、11月21日、2016年1月21日、5月18日 情報追加)








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end

2013年11月24日日曜日

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」


TV番組のコメンテーターとしてのおなじみの、元外交官の論客による渾身の中国論。新書本ながら内容の充実した一冊である。

中国を論じるということは、当然のことながら日本の行く末について論じることである。

日中の軍事衝突の可能性ばかりがマスコミでは取り上げられているが、いま実際に進行中なのは、見えないところでエスカレートしつつある「サイバー戦」というかたちの米中衝突である。

米中がリアルの戦争で全面衝突する事態は、米中ともに衝突は回避したいという思惑がある以上、現実的な可能性としては大きくないだろうが、偶発的な衝突が日本を巻き込んだ形で本格的な戦争に発展する可能性がゼロだとは言い切れない

もしそうなったとき、中国はいかなる「結末」を迎えることになるのか、著者はアタマの体操と称して、シナリオ思考を試みている。これくらいの蛮勇は必要だろう。現役の外務官僚が公表することはできないからだ。

「中国統一・独裁温存」から「中国漢族・少数民族完全分裂」という7つの精緻なシナリオが面白い。それにもまして、シナリオ思考の前提にいたる著者の思考が深みがあって興味深い。現実主義者の中国論、東アジア論としてじつに読み応えのある一冊だ。

以下、わたしが面白いと感じたポイントについて私見をまじえながら紹介したいと思う。


「脆弱性」と「トラウマ」というキーワードで中国と中国人をみる

日本人からみてもっとも理解しがたいのは、なぜ中国が中国本土以外にも膨張姿勢を続けているかということだ。しかも海洋で軍拡を続ける姿勢は、「海洋国家」日本にとっては脅威そのものである。尖閣諸島だけではなく沖縄まで対象に入っていると懸念されるからだ。

著者は、中国が膨張姿勢をとりつづける理由を「中華思想」などの文化論における固定観念には依存しない。これが本書の特長だ。

まず基本的な著者の歴史観は、ダイナミックな動態的な変動のプロセスで中国をみるものである。中国が弱体化すれば周辺諸民族は息を吹き返し、中国が強大化すれば領土拡張し少数民族が圧迫される。

つまり中国とはユーラシア大陸のに展開する「大陸国家」なのであり、日本がそのひとつである「海洋国家」とは根本的に異なる存在なのだ。大陸国家は海洋国家とは異なるロジックで衰亡するのである。

そう考えると、著者も言うように、中国はどうも海洋国家としては常識の「海洋自由の原則」などが感覚的に理解できていない節がある。中国が勝手に海に線引きする「第一列島線」や「第二列島線」の発想そのものが、また中国が公海上空に勝手に設定した「防衛識別圏」が、日本からみれば侵略的に映るのはそのためだ。

(中国が勝手に線引きしている「第一列島線」と「第二列島線」 wikipedia より)

著者は、中国が膨張姿勢をとりつづける理由を、いわゆる「西洋の衝撃」(Western Impact)を植民地化という形でプライドを傷つけられたトラウマに見ているいわば漢民族全体の精神分析であるが、おなじく「西洋の衝撃」をうけながらも、からくも植民地化を回避し、いちはやく近代化=西欧化をなしとげ、むしろ「西欧列強」の一員として中国大陸に軍事的進出を行った過去をもつ日本人にはなかなか理解しにくい

そもそも「面子」(メンツ)を気にするということ自体、限りなくジコチューに見える中国人が、じつはプライドが高いがゆえに傷つきやすく脆弱な性格をもっていることを示しているという著者の指摘は、まさに慧眼(けいがん)というべきだ。中国人は、けっして打たれづよい存在ではないようだ。

著者が指摘する「脆弱性」というキーワードを認識のベースに置くと、さまざまなことが見えてくる。

「改革開放」以後、経済発展路線に大きく舵を切った中国であるが、発展している地域は太平洋岸の沿海部に集中している。

江戸後期の日本の警世家・林子平ではないが、沿海部は海からの攻撃に対しては脆弱だ。冷戦時代に毛澤東が内陸部の重慶にあえて工業地帯を建設したのは、米国からの核攻撃を受けても生き延びるための戦略であったことを想起する。

攻撃の可能性があるのは、なんといっても米国海軍からだと中国はみているようだ。じっさいに米中戦争の危険が高まっているということではなく、潜在的にその可能性があると認識していることが重要なのだ。いわゆる「仮想敵国」である。しかも米国海軍の基地は日本列島に存在している。中国にとっては、いまそこにある脅威と捉えていても不思議ではない。

中国にとっては米国の存在は、日本にとっての米国とは大きく異なるようだ。米国は中国を植民地化したわけではないが、中国にとって立ちはだかる最後に残る「西欧列強」が米国という存在なのだ。

かつての植民地をすべて回復した現在(・・台湾は脇に置いておく)、もはや中国が受けたトラウマは癒えたのではないかと思うのは、米国の同盟国として過去50年以上を過ごしてきた日本人の発想に過ぎないようだ。


中近東関連のキャリアも長い外交官としての「複眼的な」知見が得難い

中国の専門家による中国論は、それこそ汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)というべきほど大量に発信されているが、いずれも帯に短したすきに長しというか、あまりにもポジショントーク的性格がつよすぎるのが難点である。

著者が凡百の論者たちと異なるのは、職業上のバックグラウンド、すなわち外交官としてのキャリアがもたらしたものも少なからずあることが推察される。

中近東関連の勤務が長いことは、今回はじめて著者プロフィールをみてわかった。宮家氏の「複眼的思考」の背景には、中国のみならず中近東があったわけだ。もしかすると、外務省が組織的に育成したのかもしれない。

さらにいえば米国も熟知しているわけであり、中国を日本からの視点、米国からの視点、そして中近東からの視点と、まさに複眼的かつ複合的に見ることができるポジションにいるわけである。

従来の「東アジア」「中東」といった縦割りの外交・安保政策立案プロセス自体も変える必要がある。いまや中東と東アジアは一つの「戦域」となりつつある。米軍が二正面作戦を戦えない以上、日本の東アジア政策と中東政策は一体となるべきなのだ。(P.243~244)

このさりげない文言は本書の主要テーマではないが、中国だけでなく中東も熟知する外交官経験をもっている著者の手前味噌と捉えるべきではない。

シーレーン防衛がもつ日本の経済安全保障にとってもつ死活的な意味を考えれば、中近東から米国まで至る、いわゆる「インド・太平洋」(Indo-Pacific)全体を安全保障の視野にいれたきわめて重要な発言だ。

また、経済専門家のワナを回避できるのは、複眼的思考と幅広い教養のたまものだ。「専門バカ」の危険を語って余りない。

中国のような開発途上国においては政治と経済は不可分の政治経済学状態であり、自由主義市場経済を前提に予測を行うエコノミストたちが政治音痴であるとして一刀両断し、専門家のワナにはまっている中国研究者たちの盲点を突く姿勢には大いに共感を覚える。


現実に影響を与えるものでなければ責任ある言論ではない

著者はみずからを「保守派」としているが、「保守派」というよりも「現実派」というべきだろう。

ビジネスパーソンに限らず外務官僚であっても、実務に従事する者はみな現実派たらざるをえない。その枠組みのなかで、いかにみずからの立ち位置を確保してリーダーシップを発揮するかが求められているわけである。

著者は中国は経済的に息詰まる局面を迎えるという予想のもと、さまざまなシナリオを想定して中国の行く末を考察するとともに、その状況に対して日本がいかに対処して、日本国憲法にうたわれている「国際社会において名誉ある地位を占める」という理念を実現するかと考える。

原理原則は、日本は海洋国家であって、大陸国家の中国とは根本的に異なる地政学的条件におかれていること。これは国際政治学者の高坂正堯(こうさか・まさたか)氏が『海洋国家日本の構想』(1965年)で明快に主張して以来、現実的にものを考える日本人の基本線になっている思考基盤である。

本書の帯には、現役の内閣総理大臣として安倍晋三氏による推薦文が掲載されている。「米国・中東も知る宮家氏の複眼的な分析力を信頼している」、とある。

一読して思うのは、安倍首相が宮家氏の見解をただしく理解しているのであれば、読者としてはそれ以上言うことはないということだ。最高指導者として政策として実行するかどうかは、その時の情勢と政治的な力学にかかっているからだ。

著者は最後の第8章の冒頭でこう言っている。

日本は東アジアのパワー・シフトを強(したた)かに生き残り、志を同じくする諸国とともに、その後の新たなる国際秩序づくりに参画することで、第二次大戦を真の意味での「歴史「としなければならないのである。(P.224)

これは、著者だけでなく、多くの日本国民が望んでいることだろう。日本国憲法にうたわれている「国際社会において名誉ある地位を占める」という理念の具現化である。

はたして日本は主体的な存在として歴史を切り開いていくことができるのか。著者の問いかけはしっかりと受け止めたいものである。





目 次

はじめに
序章 「戦闘」はすでに始まっている
第1章 沖縄の領有権は未解決だ-なぜいま中国は海軍力を増強しようとするのか
第2章 漢族の民族的トラウマ-「西洋文明の衝撃」への答えはいまだに出ていない
第3章 エコノミストたちの読み違い-経済が停滞するほど暴発の可能性は高まる
第4章 歴史が教える米中関係の「光と影」-ときには「相手の面子」を守ってやることも有効だ
第5章 米中サイバー戦の真実-日米の軍事基地がサイバー攻撃を受ける日
第6章 来るべき「第二次東アジア戦争」-はたして中国は民主化するか、それとも分裂するのか
第7章 日本は「中国の敗北」にどう向き合うか-大陸と一定の距離を置く「島国同盟」のススメ
第8章 第二次大戦を「歴史」にするために-日本はこの変化を「名誉回復のチャンス」と捉えよ
おわりに

著者プロフィール

宮家邦彦(みやけ・くにひこ)
1953年神奈川県生まれ。外交政策研究所代表。78年東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。1976~1977年米ミネソタ大学、台湾師範大学、1979年カイロ・アメリカン大学、1981年米ジョージタウン大学で語学研修。1982年7月在イラク大使館二等書記官、1986年5月外務大臣秘書官、1991年10月在米国大使館一等書記官、1998年1月中近東第一課長、同年8月日米安全保障条約課長、2000年9月在中国大使館公使、2004年1月在イラク大使館公使イラクCPA(連合国暫定当局)に出向、2004年7月中東アフリカ局参事官などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。(*太字ゴチックは引用者=わたしによるもの)


<付論> 

Japan's Abe Seeks Friends in Asia—but Not China という 2013年11月21日付で Bloomberg BusinessWeek の記事に添付された地図。安部首相の2013年のアジア外遊を図示したものだ。



見事なまでに東南アジアと中国の周辺を集中的に訪問し、援助を約束していることがわかる。いわゆる「布石を打つ」」というやつだ。

いまそこにあるのは、中国との「影響力競争」。ハードパワーとソフトパワーの組み合わせである「スマートパワー」(ジョゼフ・ナイ教授)の実践とみることができるかもしれない。

「海洋国家」日本が生き残るためになにが必要か、この図から読み取りたいものだ。この図に中近東から日本までの海上の通商路である「シーレーン」を書きくわえれば、より戦略的な見取り図を得ることができる。さらにいえば、太平洋も右サイドに加えれば、日本がその中心に位置していることがわかる。だからこそ、この地域の戦略的意味がふたたび浮上してくるのである。

もちろん、いずれも「主権国家」だから、かならずしも日本が思うように動いてくれる保証はない遠心力と求心力をどうバランスさせるか、これは外交の話だと済ませることなく、企業経営においてもインプリケーションを読み取ることも必要ではないだろうか。


PS 中国が勝手に設定した「防空識別圏」と日本の「防空識別圏」


上記の図は「中国、新防空識別圏で対策を修正-米軍機の飛行で」というタイトルの WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)記事(2013年11月28日)に掲載されていたもの。

日本の「防空識別圏」はアメリカ占領軍が設定したものを独立回復後に引き継いだもの。つまりアメリカが設計した国際秩序であり、中国による思慮なき暴挙はアメリカに対する全面的な挑戦になるのである。 (2013年11月28日 記す)


PS2 「米国の安全保障環境認識と米軍配置状況」

報道によれば、沖縄の基地問題解決にメドがついたようだ。沖縄県知事がようやく「辺野古埋め立て」を承認するという(2013年12月25日)。自民党政権が長期化する見通しのもと、基地負担軽減策を評価したからだという。

おそらくそれだけでなく、「いまそこにある危機」を前にして、沖縄県知事としてもこれ以上反対をつづけることは国益に反するという世論の突き上げを感じているためだろう。沖縄県民も中国の脅威を体感するようになってきている。



上記の「米国の安全保障環境認識と米軍配置状況」という図は、『「普天間」交渉秘録』(守屋武昌、新潮文庫、2012)に付録としてつけられているものだ。

この図に編みかけで示されている「不安定の弧」のなかに、沖縄はまさにすっぱりと含まれているのだ。

今回の沖縄県知事の決断によって、国防体制が強化される見通しがついてきたのはじつに喜ばしい。しかし、沖縄県民がふたたび戦争の犠牲になることがないよう、日本は国家全体の意志として「いまそこにある危機」に対峙しなければらならないのだ。

もちろん戦争がいつ起こってもおかしくないという覚悟を国民一人一人がもつこともまたきわめて重要である。 (2013年12月26日 記す)




<関連サイト>

Kuni Miyake's Tenor of Tokyo (宮家邦彦氏のJBPress 英語版コラム)
・・「Former diplomat Kuni Miyake, an expert on China and Middle Eastern affairs, writes a weekly column on JBpress about politics and perceptions from key capitals including Tokyo, Beijing, Seoul and Washington in an effort to debunk myths and give readers a behind-the-scenes look into global politics.」

中国「太子党」でボロ儲けした米金融機関の手口(フォーサイト 会田弘継 2013年11月22日)
・・「いま「大戦略」を考えるときに、注目される言葉は「インド・太平洋(Indo-Pacific)だ。インド洋と西太平洋をまたぐと言う意味のこの言葉は、10年前にはほとんど使われていなかった。今やアメリカのアジア戦略を語るときには必須の言葉になってきている」。 米中をふんくんだ「大戦略」を考えるうえの好記事。

骨抜きにされた中国の防空識別圏(石 平、WEDGE  2013年12月17日)
・・日米による「防空識別圏」無力化と、中国側の面子(メンツ)をたててやった米国の振る舞いについて元中国人ならではの視点で書かれている好記事

周到に準備された防空識別圏-日本は2016年まで孤立状態が続く (イアン・ブレマー、インタビュアー=石黒千賀子、日経ビジネスオンライン 2013年12月20日)
・・イアン・ブレマー氏は、「コラム:2014年の10大政治リスク」2014’s top 10 political risks)で、第1位を「米国の同盟危機」(America’s troubled alliances)としている。「安全保障面では、米国の最友好国であるイスラエル、英国、日本にとって選択肢はほとんどない・・」(For security partnerships, America’s closest allies — Israel, Britain, Japan and others — have few options.)と書いている。「海洋国家」日本の立ち位置がいかなるものか、よく考えてみる必要がある

ビッグデータ分析で、中国政府による検閲の中身が明らかに ゲイリー・キング米ハーバード大学教授に聞く (日経ビジネスオンライン 2014年2月4日)
・・中国政府によって削除される前に入手した膨大なネット書きこみ情報を「ビッグデータ」の手法で解析することにより、検閲手法と方針が明らかになった!
「分かったことは、中国政府が監視しているのは、とにかく「団体行動」であるということです。人を扇動したり、抗議行動に駆り立てたり、政府以外の人間が他人をコントロールしようとする発言は即刻検閲されます。・・(中略)・・中国政府は恐らく、特定の話題に関するソーシャルメディアを監視していて、特定の話題が盛り上がる様子を眺め、突然投稿者たちが1つの方向で議論を始めて明らかに「炎上」した時に動くようです。団体行動を実行に移しそうな炎上の仕方が見られると、すべての炎上した投稿を削除してしまうのでしょう。それが、政府寄りだろうが、反政府寄りだろうが、関係ない。団体行動の芽が見えたらとにかく取り締まる」

The American Public's Indifference to Foreign Affairs | Stratfor Geopolitical Weekly TUESDAY, FEBRUARY 18, 2014 (George Friedman)
・・アメリカは「衰退」しているのではない。第二次大戦時や冷戦時代とは異なり、アメリカを取り巻くコンテクストが変化したため、国民が外交にも内政にも「無関心」になったのだ、という趣旨。Stratfor主筆ジョージ・フリードマン論考。コンテクストは経営用語なら外部環境と言い換えていいだろう

中西輝政が語る 25年後の米中と日本がとるべき長期戦略 (WEDGE編集部、2014年04月22日)
・・「世界の覇権国としての米国の地位は、25年後も現在とさして変わらないだろう。一方、中国に起こり得る3つのシナリオとは…」

クリミアと尖閣は表裏一体 日米同盟の緊密化が世界秩序を維持する(中西輝政・京都大学教授、WEDGE、2014年5月22日)

中国は壊滅的打撃受け、今までの発展が水の泡に 米中開戦のシミュレーション、ランド研究所が公表 (渡部悦和・元陸将、JBPress、2016年8月23日)

(2016年8月23日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『中国外交の大失敗-来るべき「第二ラウンド」に日本は備えよ-』(中西輝政、PHP新書、2015)-日本が東アジア世界で生き残るためには嫌中でも媚中でもない冷徹なリアリズムが必要だ

書評 『それでも戦争できない中国-中国共産党が恐れているもの-』(鳥居民、草思社、2013)-中国共産党はとにかく「穏定圧倒一切」。戦争をすれば・・・
・・「戦争になったら、間違いなく中国共産党は滅びる。中国共産党=中華人民共和国である以上、「亡党亡国」となるのは必定なのである。」


「大陸国家」中国の海洋進出

書評 『海洋へ膨張する中国-強硬化する共産党と人民解放軍-』(飯田将史、角川SSC新書、2013)-事実を淡々と述べる本書で正確な認識をもつことが必要だ

書評 『尖閣を獲りに来る中国海軍の実力-自衛隊はいかに立ち向かうか-』(川村純彦 小学館101新書、2012)-軍事戦略の観点から尖閣問題を考える

書評 『「普天間」交渉秘録』(守屋武昌、新潮文庫、2012 単行本初版 2010)-政治家たちのエゴに翻弄され、もてあそばれる国家的イシューの真相を当事者が語る
・・「不安定の弧」の中心でトラブルメーカーとなっているのが中国の海洋進出

書評 『続・100年予測』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、ハヤカワ文庫、2014 単行本初版 2011)-2011年時点の「10年予測」を折り返し点の2016年に読む
・・この本には面白い指摘がある。「中国は東西に4000キロの広がりをもち、14の国と国境を接している、海に面しているのは一方向だけで、北、西、南方を、事実上侵入不可能な障壁によって隔離された、太平洋の縁にはりつく細長い島と考えるとイメージしやすい」(P.251)


中国経済の見通し

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論
・・中国経済がかかえる問題を、短期・中期・長期で整理し、課題解決の可能性とその困難さについて中国での企業経営に精通したエコノミストが書いた本。中国にとって致命的なのは、人口減少がまもなく始まるという事実である

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・中国は権威主義政治体制維持のために市場を離湯尾する「国家資本主義」

書評 『中国バブル崩壊』(日本経済新聞社編、日経プレミアシリーズ、2015)-現在進行形の事象を整理するために有用な本


中国人の視点から中国を考える

ジャッキ-・チェン製作・監督の映画 『1911』 を見てきた-中国近現代史における 「辛亥革命」 のもつ意味を考えてみよう

ひさびさに宋文洲さんの話をライブで聞いてきた!-中国人の「個人主義」について考えてみる

書評 『チャイナ・ギャップ-噛み合わない日中の歯車-』(遠藤誉、朝日新聞社出版、2013)-中国近現代史のなかに日中関係、米中関係を位置づけると見えてくるものとは?
・・幼少時代を中国国民党支配下から中国共産党支配下の中国で過ごした著者は中国人の視点がいかなるものであるかを教えてくれる


書評 『拝金社会主義中国』(遠藤 誉、ちくま新書、2010)-ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人

「稲盛哲学」 は 「拝金社会主義中国」を変えることができるか?
・・「拝金社会」のもと心が折れそうになっている中国人が心のよりどころとするものはなにか?


海洋国家日本と地政学上のポジション

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)
・・海は日本の生命線!

書評 『日本は世界4位の海洋大国』(山田吉彦、講談社+α新書、2010)
・・点と線ではなく、面、さらには体積をもった三次元で考えよ


・・米中関係の太さについての重要な指摘が行われている本である。あまり読まれていないのが残念だ。「2章 日米の宿命の関係 1. 同盟国から仮想敵国へ 2. 幻想のアジア 3. 米中同盟=日本の破滅 4. アメリカの日本観 5. 再び日米戦争論」は必読

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本
・・「英国に対する挑戦者としてヨーロッパ大陸から急速に勃興し英国を脅かす存在となったドイツが、何かしら日本に対して挑戦者として急速に勃興してきた中国を想起させるものがある」

書評 『モンゴル帝国と長いその後(興亡の世界史09)』(杉山正明、講談社、2008)-海洋文明国家・日本の独自性が「間接的に」あきらかに


(2014年1月31日「春節」開始の日に情報追加)
(2015年1月23日、2016年7月20日 情報追加)







(2012年7月3日発売の拙著です 電子書籍版も発売中!)







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2013年11月23日土曜日

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える


熊本の地で長年にわたって思索をつづけてきた在野の思想家・渡辺京二氏の最新刊である。基本的に講演録であるので、やわらかい語り口のためとっつきやすいだろう。

本書には5つの講演録が収録されている。熊本大学の客員教授として行われた「近代」の功罪を論じた講演3つ、熊本県立美術館で行われた講演1つ、そして横浜で行われた大佛次郎(おさらぎ・じろう)賞記念講演。

テーマは、「近代とは何であったか?」という問いについての考察である。

だが、「近代の呪い」というタイトルはややミスリーディングではないだろうか。著者はみずからの「リベラル」としての原点は維持しつつも、「近代」については功罪両面について論じているからだ。それが「子どもとしての理想」はもちつつも、現実に責任をもつ「大人としての態度」というものだろう。

いま現在の日本に生きる日本人として「近代」の成果を受け入れたうえで、その問題点について考察し、今後の人類社会を展望するための思考のヒントを得る。そういったスタンスが根本にある。

以下、感想を交えながら本書が提起する問題を考えてみたい。


「近代」の功罪-成果と問題の両面をみることが重要だ

「近代」とはなにをさしているか? この問いについては第1話によくまとまっているので、まずそれから読んでいただくのがいいだろう。「近代」の定義がはっきりしないために、無意味な議論が世の中にはまだまだ散見されるからだ。

基本的に16世紀以降の約500年が「近代」であったことは、わたしがこのブログでもさんざん書いてきたことだ。ただし、議論を明確にするためには「前期近代」(=アーリーモダン)と狭義の「近代」(=モダン)に区分したほうがいい。日本史の時代区分である「近世」は世界史でいう「前期近代」に該当し、「近現代」は「後期近代」およびその後に該当するからだ。狭義の「近代」はフランス革命以降の歴史である。以下、狭義の意味で「近代」をつかう。

「近代」が、ロシアも含む非西欧諸国においては「近代化=西洋化」であったこと、しかも近代がはじまった西洋ですら、近代化以前と近代化以後とでは異なる存在に変容していることが第2話で語られる。

非西洋諸国における「近代化=西洋化」とは、いわゆる「西洋の衝撃」(Western Impact)のことであるが、西洋文明という「特殊」が全地球レベルで「普遍」として「平均化」をもたらしたことが著者の論点である。これはわれわれ自身が日本人としての経験してきたことである。いまはその意味もわからなくなってしまっているが。

「西欧という特殊」を通じて「普遍」が創造されたのが近代であったわけだが、イスラーム圏もふくめて西欧文明が「普遍」として浸透しつつあることは誰にも否定できないことだ。テロリスト集団のアルカーイダもインターネットを駆使していることからもそれは明らかだ。ただし、どこまで「普遍」として受け入れたかは、パーセプションとして異なるものはあろう。

第2話で大事なことは、「近代」の功罪のうち「功」についてキチンと語っていることだ。

「近代化」によって人類が飢餓から解放されたという否定できない事実を著者は指摘している。現在の「飽食日本」からは想像もつかないが、日本人が安心して喰えるようになったのは、高度成長期を待たねばならなかったことを忘れてはならない。

ただし、第4話でも語られるように、「喰える」という水準が100年前に比べたらはるかに上がってしまっている。マズローの欲求段階説ではないが、「喰える」ことが保障されれば、欲求段階が上がって行くのは先進諸国に共通することだ。

だからこそ、グローバリズムが進展すればするほど国家(ステート)の役割が増大するというパラドックスにつながっている。国民に対して最低限の安心・安全を供給する役割が国家に課されてる以上、国民国家は国家間競争を勝ち抜いていかねばならないからだ。


「呪い」よりも「コスト」(=犠牲)と考えてみるべきではないか?

第4話の「近代の呪い」において著者は、近代がもたらした「進歩」の帰結として、われわれが失ったものは何か、いったい何に呪縛されるようになったのかについて思索を展開している。

「近代」は「進歩」をもたらしてきたが、それ自体がパラドックスをはらんだ存在である。世の中に存在するものでメリットしか存在しないものはない。メリットにはかならずデメリットがついて回るものだ。

「近代」の成果についても、便益とコストの両面から見た方がいいと思う。ここで「便益とコスト」という表現をつかったのは、わたしがビジネスマンだからだが、英語でいう cost-benefit analysis という表現にもとづいたものだ。

「近代化=経済化」した世界のなかでは、「専門家=実務型知識人」としての立ち位置が現代に生きる多くの人の立ち位置でもあるが、わたしの場合はビジネスマンとしてのそれが立ち位置である。

「便益」(ベネフィット)については、著者の渡辺京二氏がこの講演録のなかで何度か強調しているように、なんといっても人類が「喰えるようになった」ことにある。言い換えれば、人類の半分は飢餓から解放されたということだ。日本についてのみ話を限っても、日本人が食うために移民として海外に出なくて済むよになったのは1960年代の高度成長のおかげである。

「コスト」という表現は、経済的な意味だけではない。一般に経済合理的な観点から計量可能な数値をさしてコストということが多い。この場合のコストとは「費用」という意味である。だが、コストにはもう一つ意味がある。それは「犠牲」や「代償」という意味だ。

著者の渡辺京二氏は「近代の呪い」という表現をつかっているが、前近代社会にあった自立的で自律性の高い中間団体としてのコミュニティが崩壊し、人間を個々バラバラにすることによって成立する近代がもたらした「犠牲」や「代償」が、無意識レベルでわれわれを「呪い」として呪縛していると考えるべきなのだろう。これが現代人の生きにくさを生んでいるのは誰も否定できない。

ただ「呪い」といってしまうと、なんだか怨念のようで、むしろフツーの人たちはそこを避けてしまおうとするのではないか? むしろ、近代の「負の側面」にしっかりと向き合うというような表現でことに臨んだほうが、より積極的で生産的ではないかと思う。

現在のグローバリゼーションの波は最後のものとなるかもしれないと著者は語っている。実際問題、地球環境の限界を考えればすでにフロンティアは残り少なくなっており、わたしもその考えには同意する。

もしそうであるならば、なおさらわれわれは「近代」の負の側面には、しっかりと向き合わねばならないのである。これからの日本人があらたな道を切り拓いていくには、そこから出発するしかないだろう。それこそがフロンティアであると考えるべきなのだ。

そしてそのカギは、われわれ自身のもつローカル性にある。だからこそ、前近代を振り返ってみる必要がある。それはノスタルジーといった観点からではない。発想の源泉としてみずからを掘り下げてみるということだ。

渡辺京二氏といえば、ロングセラーとなった『逝きし世の面影』(葦書房、1998 現在は平凡社ライブラリー、2005)で知られている。わたしは初版の単行本を買ってもっているが、まだ全編とおして読んだわけではない。だが、この本が多くの日本人の江戸時代観を変えるのに大きな役割を果たしていることにはおおいに感謝している。

『逝きし世の面影』で描かれた世界は、その当時の日本人を西洋人が残したリアルタイムの記録をのとおして描いたものであるが、すでに失われた世界をノスタルジックに語っても意味はないのである。世の中はつねに変化の相のもとにあり、今後もさらに変化のスピードは加速していく。おそらく30年後から振り返れば、2013年もまた理解不能な時代になっているはずだ。

近代の「負の側面」をいかに解消していくかが今後に生きるわわれれの課題であり、そのためにみずからの過去を知ることに意味がある。実際には選択肢から排除されたが、ありえたかもしれないオルタナティブな可能性を考慮に入れることはけっしてムダなことではない


フランス革命そのものよりもナポレオン戦争が「近代」のカギであった

わたしが編集者なら、講演の順番どおりではなく、「第3話」のフランス革命は「つけたり」とあわせて、第Ⅱ部としたほうがよいのではないかと思う。その他の講演とは内容がやや離れるからだ。

「つけたり」の内容は、「近代」の起源とされることの多いフランス革命とそれ以後のフランスについて作家・大佛次郎(おさらぎ・じろう)の作品に則して横浜で語った講演である。

「第3話」ではフランス革命についての再考がなされる。ソ連崩壊後、さすがにロシア革命も、その原点とされるフランス革命も手放しで礼賛するいわゆる「進歩派」は消えていった結果、いまではフランス革命が話題になることは『ベルばら』以外ほとんどない状況だが、困ったことに一般人のフランス革命理解が「進歩派」が撒き散らした旧態依然としたものであることを著者は憂いている。

フランス革命をきっかけに近代(・・正確にいえば後期近代)がはじまるのだが、フランス革命自体はけっして近代そのものではなく、ロベスピエールに代表される「理性信仰」ともいうべき宗教であったこと、近代にとってはるかに大きな意味をもつのは国民軍の創設とナポレオン戦争のインパクトである。

国民軍の創設とは、中間団体が破壊されバラバラになったアトム的個人をまとめる求心力がそこにつくられたということだ。ここにおいて民族=国家、すなわちネーション・ステートなるあらたな形態が誕生する。フランス革命の意味とはここにあったのだ。けっして「進歩派」が主張したようなブルジョワ革命ではなかったことは、その後の英仏の経済格差と覇権国がいずれにあったかを見れば明らかなことだ。

「進歩派」歴史観の悪しき残滓(ざんし)は、まだまだ日本国民の考えに痕跡を残している。この痕跡は一日も早く一掃しなくてはならない。


「思想家・渡辺京二」入門として読む

本書を通読して思うのは、さすがに80年以上の年月を生きてきて、しかもそれ自体が「世間」である「学会」という世界ではなく、民衆のなかという「在野」の立場で根源的(ラディカル)な思索をつづけてきた人ならではのものがあるということである。

渡辺京二氏の長年の思索のすえにたどりついたこの視点は、多くの人に共有してもらいたいと思う。「入門書」であってかつエッセンスのつまった一冊をぜひみなさんにも読んでいただいたいと思う次第だ。





目 次

第1話 近代の国民国家-自立的民衆世界が消えた
第2話 西洋化としての近代-岡倉天心は正しかったか
第3話 フランス革命再考-近代の幕はあがったのか
第4話 近代のふたつの呪い-近代とは何だったのか
つけたり 大佛次郎ふたつの魂
あとがき

著者プロフィール

渡辺京二(わたなべ・きょうじ)
1930年京都生まれ。大連一中、旧制第五高等学校(熊本)文科を経て、法政大学社会学部卒業。評論家。河合文化教育研究所主任研究員。熊本市在住。主な著書に『北一輝』(毎日出版文化賞受賞、ちくま学芸文庫)、『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞受賞、平凡社ライブラリー)、『黒船前夜』(大佛次郎賞受賞、洋泉社)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






<ブログ内関連記事>

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門
・・近代の産物であるナショナリズムの入門書

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・日本人の「飢餓との戦い」とその先に夢見たユートピアの二度にわたる破綻

書評 『国力とは何か-経済ナショナリズムの理論と政策-』(中野剛史、講談社現代新書、2011)-理路整然と「経済ナショナリズム」と「国家資本主義」の違いを説いた経済思想書
・・グローバリズムが進展すればするほどナショナルな枠組みが強化されるというパラドックスについて

書評 『世界史の中の資本主義-エネルギー、食料、国家はどうなるか-』(水野和夫+川島博之=編著、東洋経済新報社、2013)-「常識」を疑い、異端とされている著者たちの発言に耳を傾けることが重要だ


書評 『超マクロ展望-世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人、集英社新書、2010)-「近代資本主義」という既存の枠組みのなかで設計された金融経済政策はもはや思ったようには機能しない

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い
・・工業化のすすむタイを筆頭にした東南アジアは、近代化が進行しつつ都市部ではすでに後近代状況も

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ
・・1970年の大阪万博を推進した梅棹忠夫がついに書けなかった『人類の未来』という本

書評 『苦海浄土-わが水俣病-』(石牟礼道子、講談社文庫(改稿版)、1972、初版単行本 1968)
・・文庫版の解説を渡辺京二氏が執筆している

(2014年3月21日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)





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2013年11月22日金曜日

JFK暗殺の日(1963年11月22日)から50年後に思う


冒頭に掲載したのはアメリカを代表する週刊誌 TIME(タイム) の今週号の表紙です。The Moment That Changed America とあります。「アメリカを変えた瞬間」、いや「世界を変えた瞬間」から、そうか、もう50年もたったのか・・・。

1963年11月22日、JFKことケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのでした。スナイパーによる狙撃の瞬間、飛び散った脳漿をかき集めようとする動揺したジャクリーンの映像はいまみても衝撃的すぎます。このシーンは日本でも衛星中継をつうじて日本でも視聴した人が少なくなかったようです。

すでに生まれていたとはいえ、もちろんわたしの記憶にはありません。ですが、ケネディを尊敬していた父親からは、ケネディの話はよく聞かされたものです。たとえば、ケネディ家では食卓でいつも食事をしながら議論をしていたとか、ボウル一杯のサラダを食べていたそうだ、とか。

先日(11月15日)に着任した愛娘のキャロライン・ケネディ駐日大使は、この日本で「その日」を迎えることになるわけです。アメリカ国内はもとより、世界的にも注目度の高い「ケネディ神話」がまさにここ日本でも復活するのを感じるのはわたしだけではないでしょう。

なにより証拠に、アメリカ大統領からの信任状をたずさえて皇居に馬車で向かったキャロライン大使をみるために数千人が集まったというのですからすごいものです。

1960年の安保闘争前後、若き日にケネディに代表される理想主義にひかれた人が日本にも多かったであろうことは容易に想像できます。敗戦国のナショナリズムの発揚と理想主義が、当時は両立していたわけです。

JFK暗殺関連の情報は2039年に解禁されるようですが、「その日」をわたしは迎えることができるのかどうか? ぜひ「真相」を知りたいと思います。


歴史的ディベイトとされるケネディ対ニクソンのTV選挙戦

ジョン・F・ケネディの就任演説もまた名言をのこしています。Ask not what your country do for you, ask what you can do for your country. (国があなたにしれくれることではなく、自分が国のために何ができるか尋ねてほしい)。これは1961年のものです。

この演説も音声できくと理想主義にあふれ格調高く、英語学習教材としても定番のものですが、大統領選挙戦におけるケネディ対ニクソンのTVディベートもまた、これ以上のものはないと言われるほど有名なものです(写真を参照)。これは1960年に行われたものです。



わたしはこの4回にわたっておこなわれたTVディベートで英語を勉強しました。通勤電車のなかでほとんど内容も覚えてしまうくらい何度も何度も繰り返し繰り返しウォークマンでテープを聞きこみました。大学を卒業して社会人になった1980年代後半のことです。テープから iPod などに媒体が変化しようとも、いまでも英語の勉強法はこれに尽きると考えています。  

この教材は音声教材なので、ラジオでの視聴のような感じです。たしかに弁護士出身でプロの政治家であったニクソンは説得力がありますが、ややだみ声のニクソンに対し、声質にかんしてもケネディのほうがフレッシュなだけでなく、チェンジ(変化)を求めるアメリカ国民に訴えるものが大きかったのではないかという印象をもったものです。

もちろん、その後のウォーターゲート事件で大統領を辞任することになったニクソンのことを知っているのでバイアスがかかっているのかもしれませんが・・・。

"I have a dream."(わたしには夢がある) のキング牧師とケネディは同時代のアメリカ人で、理想肌であったことも共通しています。もちろんケネディについては国家の最高のポジションに就いていた大統領でしたから、実際は汚い側面にも関与していたようですが、それはここでは問いません。

この二人がともに凶弾に倒れたことは、まさに「アメリカの悲劇」としかいいようがありません。


愛娘のキャロラインもまたリベラル派

リベラルがネガティブに語られることが多い現在の日本ですが、そもそもアメリカという人工国家は、旧世界から自らを解放した人々がつくった国だということは忘れないほうがいいでしょう。

リベラルのもともとの意味は左派ではなく、自由派ということです。JFK自身もリベラルではありましたが同時に現実主義者でもありました。ベトナム戦争に本格介入したのは大きな問題ではありましたが。

もちろん1958年生まれの愛娘キャロラインも JFK の衣鉢を継ぐ存在でしょう。その点がオバマ大統領と価値観を同じくするところなのでしょう。オバマ大統領自身、チェンジ(変化)を訴えて大統領に選出された人です。

政治家経験も外交経験もないことを問題視する評論家も少なくありませんが、コロンビア大学のロースクール卒業で弁護士としてのキャリアをもつ人ですし、その点は心配する必要はあまりないと思います。

弁護士は短時間で膨大な資料を読み込み、訴訟戦略を策定して実行するのがその職業の根幹にあるからです。キャロラインもその能力をフルに発揮することでしょう。実務に精通した優秀な「ナンバー2」やスタッフたちに恵まれれば、予想を超えた働きをする可能性だって否定できません。すでに公式ツイッターでは日本語版まで発信されています。

意外とタフニゴーシエーターかもしれませんよ。たんなるお飾りの "プリンセス" だと思ったら大間違いではないでしょうか。


「ケネディ次期駐日米国大使から日本の皆さんへ」 というビデオメッセージが着任前に公開されています。着任前にビデオメッセージを作成し公表するのは初めてだそうです。わかりやすい英語で(*日本語字幕つき)、好感度の高いビデオメッセージです。



なお、画面中央ではなく画面の右寄りで、しかもすこし斜めにすわっているのは、威圧感を与えないとの配慮だそうです。

着任前から話題になっていたキャロライン駐日大使。「ケネディ神話」は現在でもやはり生きていたわけですね。ここのところあまりしっくりとはいっていない日米関係ですが、キャロラインを駐日大使に選んだ作戦は、まずは初戦でオバマの勝ちといったところでしょうか。

キャロライン自身、日本には多大の関心をもっているということですが、JFK自身も太平洋戦争では帝国海軍の駆逐艦と衝突して大破した米海軍魚雷艇の艦長として危機を乗り切ったリーダーシップを発揮した人です。ブッシュの父もまた海軍パイロットとして日本軍に撃墜された人であったことを思い出させます。そもそもケネディ家はボストン出身ですから、日本との縁はきわめて深いファミリーなわけです。

日米関係がよりよい方向に発展することは、日米双方にとって重要なことですね。おおいに期待したいと思います。「ケネディ神話」復活によって、わたしもアメリカへの関心がふたたびよみがえってきたのを感じています。







<関連サイト>

SHOCKING: Video unreleased JFK assassination
・・ビデオがはじまってから6分前後で狙撃の瞬間がカラー映像で見れます。ショッキングな映像です。
The 1st Kennedy/Nixon Presidential Debate - Part 1/4 (1960)
・・ケネディ対ニクソンのTVディベート映像

ケネディ次期駐日米国大使から日本の皆さんへ
・・ビデオ・メッセージ(YouTube)

キャロライン・ケネディ駐日米国大使 キャロライン・ケネディ駐日米国大使
認証済み twitter アカウント @CarolineKennedy

対中国外交でも生かすべき米「リベラル・ホーク」人脈執筆者(「フォーサイト」、青柳尚志 2013年11月28日)
・・キャロライン・ケネディもまた「リベラル・ホーク」(リベラル・タカ派)であることが書かれている


PS ブログ記事執筆から3ヶ月後に記す(2014年2月19日)

なぜオバマ政権の大使は「無知」なのか-米国の外交に暗雲をもたらす選挙功労人事 (古森義久、JBPress、2014年2月19日)
・・「2009年から現在までの、オバマ政権における大使の政治任用は全体の53%という高い水準を記録した。ブッシュ政権では30%、クリントン政権では29%、先代ブッシュ政権では30%、レーガン政権は38%である。これらの数字で明らかなように、オバマ政権がキャリア外交官を大使に選ばず、外部からの政治任用者を登用する比率は異様に高い」  

このブログ記事を書いてから3カ月、最初の三カ月は蜜月(ハネムーン)として見守るものだが、さすがにキャロライン・ケネディ大使の資質に疑問符がつくようになってきいた。 和歌山県太地町のイルカ漁反対、その他もろもろ。上記の古森義久氏執筆の記事を読むと、オバマ政権の突出した異常(?)ぶりが明らかになる。古森氏は「大使人事が“カネ”の額で左右されている」と書いている。恩賞人事の最たるものである。  (2014年2月19日 記す)。


(追加)

「JFK-その生涯と遺産」展(国立公文書館)に行ってきた(2015年3月25日)-すでに「歴史」となった「熱い時代」を機密解除された公文書などでたどる

(2015年3月26日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

キング牧師の "I have a dream"(わたしには夢がある)から50年-ビジョンをコトバで語るということ

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・映画には直接でてこないが、イスラエルでアイヒマン裁判が行われたときアメリカではまさにケネディ大統領時代であった

書評 『ランド-世界を支配した研究所-』(アレックス・アペラ、牧野洋訳、文藝春秋社、2008)-第二次大戦後の米国を設計したシンクタンクの実態を余すところなく描き切ったノンフィクション
・・冷戦時代の1960年代はまた「合理主義」全盛時代でもあった

「ハーバード リーダーシップ白熱教室」 (NHK・Eテレ)でリーダーシップの真髄に開眼せよ!-ケネディースクール(行政大学院)のハイフェッツ教授の真剣授業
・・ハーバード大学の行政大学院はケネディを記念してその名をつけている

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-
・・ボストン美術館の日本美術担当キュレータをつとめた岡倉天心。そもそもボストンは幕末以来、貿易をつうじて日本との深い縁がある。貿易をつうじて蓄積された富が美術館やオーケストラなど各種の文化遺産の背景にある

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた

Two in One, Three in One ・・・ All in One ! -英語本は耳で聴くのが一石二鳥の勉強法

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!
・・ラジオによる声のチカラ

書評 『小泉進次郎の話す力』(佐藤綾子、幻冬舎、2010)-トップに立つ人、人前でしゃべる必要のある人は必読。聞く人をその気にさせる技術とは? ・・オバマ演説の秘密についても一章をさいて解説

シビリアン・コントロールということ-オバマ大統領が政権批判したアフガン駐留の現地司令官を解任

冬の日の氷雨のなか、東京のど真ん中を走る馬車を見た
・・プリンセスと呼ばれることの多いケネディ新大使と馬車はよく似あっていた

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい




(2012年7月3日発売の拙著です)





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2013年11月15日金曜日

拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』が、"電子書籍の本命" アマゾンの Kindle(キンドル)版としてリリースされました!(2013年11月15日)


拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(佐藤けんいち、こう書房、2012)ですが、先週の iBookstore(アップル)に引き続きアマゾンの Kindle(キンドル)版が登場です! 発行日は 2013年11月15日です。

Kindle(キンドル)は電子書籍の本命です。予定より大幅に遅れましたが、無事リリースにこぎつけました。ながらくお待たせしました! 

電子書籍リーダーの Kindle Paperwhite(ニューモデル)もアマゾンからリリースされたばかりですので、もしまだお持ちでなければ、ぜひこの機会にぜひ一緒にご購入いただけるとよろしいかと思います。



基本的に印刷版と電子書籍ではコンテンツそのものは同じですが、読んでみてなにがどう違うか、あるいはどう同じであるか、すでに書籍版をご購入の方もそうでない方も、ぜひ体験してみてください。


(サンプルページから目次)

指をつかって文字を拡大することもできますよ。

価格については、電子書籍版は(*)税込1,000円(2013年11月15日現在)と、書籍版の 1,470円とくらべて、なんと 32%オフ! 良心的な価格設定となっております。 

その他、以下の電子書籍販売書店からも同時にリリース開始です。

● BookLive !(デジタル・ドクショ) ← 立ち読みできます(クリック!)
● Book☆Walker ← 立ち読みできます(クリック!)
Yahoo!ブックストア ← 立ち読みできます(クリック!)
● 紀伊国屋 Kinoppy ← 立ち読みできます(クリック!)
● ニコニコ静画 ← 立ち読みできます(クリック!)
漫画全巻ドットコム ← 立ち読みできます(クリック!)

アップルの iBookstore でも販売してますよ!


電子書籍販売書店によっては、購入の際の違いがあります。また電子書籍リーダーについてそれぞれ異なる場合もありますので、自分のもっとも適したものをお選びください。購入するとポイントがつく場合もありますのでぜひチェックしてみてください。

よろしくお願いします!



(2013年11月15日発売の電子書籍版です)



(*)税込1,000円(2013年11月15日現在)という表現について

・・「税込」という表現は、正確にいうとただしくありません。アマゾンはサーバーがアメリカ国内にあり、消費者はアメリカ国内から通信回線をつうじてダウンロードするので(・・しかも、電子書籍の所有権は移転しない)、消費税が日本国内では発生しないのです。ですから、アマゾンにおいては税抜き価格表示となっているわけですが、説明が面倒なのでここでは税込と表現しました。 (2013年11月16日 記す)



<関連サイト>

話の引き出しが多い人が実践していることとは?(ガジェット通信)

出版元のこう書房のサイトでは『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』 が、なんと最初の39ページまで無料で閲覧することができます!



<ブログ内関連記事>

『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』の出版前の2012年4月に受けたインタビューを再録します

拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012) が、iBookstore から「電子書籍化」されました!(2013年11月1日)

書評 『電子書籍の衝撃-本はいかに崩壊し、いかに復活するか?-』(佐々木俊尚、ディスカヴァー携書、2010)-コンテンツの性格から考える「本」と「雑誌・新聞」との違い
・・「佐々木氏は明確には述べていないが、私見では、電子ブックが普及したとしても、印刷媒体の本がすぐになくなるわけではないし、新しい形での共存が可能なのではないだろうかと考えている」と書いたが、さてどうなるか? 3年後の現在でもまだ決着はついていない。

書評 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール、工藤妙子訳、阪急コミュニケーションズ2010)-活版印刷発明以来、駄本は無数に出版されてきたのだ

グラフィック・ノベル 『スティーブ・ジョブズの座禅』 (The Zen of Steve Jobs) が電子書籍として発売予定

アマゾンの在籍年数はたった1年!-いまや米国企業の在籍年数はこんなに短くなっている

拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012) が、2013年8月に台湾で翻訳出版されました!
・・はたして中文繁体字版は電子書籍化されるか?? 台湾と香港だけでなく、亚马逊中国(Amazon China)でも『一個人的策展年代-串聯社群,你需要雜學資料庫-』は入手可能です




(2012年7月3日発売の拙著です)





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2013年11月13日水曜日

書評 『こころを学ぶ-ダライ・ラマ法王 仏教者と科学者の対話-』(ダライ・ラマ法王他、講談社、2013)-日本の科学者たちとの対話で学ぶ仏教と科学


2012年11月6日と7日の二日間にわたって開かれた「ダライ・ラマ法王と科学者の対話 日本からの発信」の記録が書籍化されたものだ。

じつに多岐にわたる科学のテーマをまるまる二日間にわたって真摯に耳を傾け、的確なコメントをしていくダライ・ラマ法王の好奇心のつよさと知的体力、そして対話能力にはおおいに感嘆しながら読んだ。

ダライ・ラマは、まさに現代における仏教精神の真の体現者であるというべきだろう。科学一般に開かれた自由な精神、健全な懐疑精神、ゆるぎない信念、そして知性を行動に結びつける情熱・・・。これだけ兼ね備えた仏教者は、はたしてほかにいるだろうか?

子どもの頃から「科学少年」であったダライ・ラマは、宇宙学、天文学、生物学、とくに量子物理学へのつよい関心をもち、西洋の第一級の科学者たちとの真剣な対話を過去数十年つづけてきた。

「こころと科学との統合」こそがいま求められているとお考えのダライ・ラマは、日本の科学者たちとのセッションを心待ちにしておられたという。

西欧社会においてキリスト教から生まれた「近代科学」であるが、科学的思考法を身に付けた日本人科学者たちには西洋人の科学者にはないものを期待されているようだ。つまり、西洋的な思考方法を身につけながらも、根底には仏教をふくめた東洋的なものの考え方があるだろうと。

ダライ・ラマは西洋人の科学者たちとの対話は、「仏教と科学」ではなく、「仏教科学と科学」との対話だとしている。仏教は科学との親和性は高いものの科学そのものではないからだ。

仏教は科学上の発見によって世界観を修正されるべきである一方、仏教がこころの科学の発展に貢献できるものがきわめて大きいものがあるのだ、という。その意味で量子物理学的なものの見方にダライ・ラマ自身が多大な関心を抱いておられようだ。

天体望遠鏡で宇宙をみていた「科学少年」であるだけでなく、14世ダライ・ラマとして少年の頃ころから、チベット仏教のゲルク派の最高指導者として徹底的な仏教教育を受けてきたからでもある。

ダライラマが言うには、チベット仏教の系譜はインドのナーランダの僧院に起源をもつもので、中観派のナーガールジュナ(龍樹)以来の懐疑精神が根本にある。徹底的に論争する伝統がチベット仏教にはあるのだ。これは日本仏教との大きな違いでもある。

二日間のセッションは以下のとおりである。

序章 村上和雄 「今こそ日本人の出番」と法王様はおっしゃった

セッション1  「遺伝子・科学 / 技術と仏教」
 ダライ・ラマ法王: オープニング・スピーチ
 村上和雄(遺伝子科学): 「遺伝子オンでいのちを輝かす」
 志村史夫(半導体工学): 「佛教が唱え、物理学が明らかにしたこと」

セッション2  「物理科学・宇宙と仏教」
 佐治晴夫(天文学):  「“こころ”が結ぶ科学と宗教」
 横山順一(素粒子物理学):  「たくさんの宇宙」
 米沢富美子(理論物理学):  「“あいまいさの科学”と人間」

セッション3  「生命科学・医学と仏教」
 柳沢正史(分子薬理学・神経科学):  「睡眠の謎」
 矢作直樹(緊急医学):  「病は気から」
 河合徳枝(精神生理学):  「"幸福感の脳機能" を測ることは可能か?」

セッション4  「新たな科学の創造への挑戦 ~日本からの発信~」
 安田喜憲(環境考古学)、棚次正和(哲学)、大橋力(文明科学研究所所長)

司会: 下村満子(ジャーナリスト)


第一人者たちが最先端の科学をわかりやすくかみくだいて説明してくれるのはたいへんありがたい。「セッション2」のビッグバンとゆらぎの話や、「セッション4」のトランス状態にあるバリ島人の脳科学の話はひじょうに興味深く感じた。

第一級の科学者たちは、科学ができることの限界を知っているということが重要だ。科学ができること、これまでの科学ではアプローチできないことを自覚することが大事なのだ。

その意味では、科学者たちの発言だけでなく、ダライラマ自身の「健全な懐疑精神」にこそ敬意を払うべきだろう。科学者たちのなかには、このセッションではかなり抑制的ではあるものの、疑似科学すれすれの発言もなくはない。そんな発言に対するダライラマの切り換えしや、ユーモアをまじえたはぐらかしはさすがである。

聴衆からでている輪廻転生についての質問に対しても、ダライラマの姿勢は同じだ。ご興味のある方は、本文を読んでダライ・ラマの解答をお読みいただきたい。

また、ダライラマが繰り返し言及している「縁起」や「因果」にかんする話は大乗仏教の真髄である。縁起とは相互依存性であり、因果とは原因と結果の科学のことだ。この点からも、仏教と科学は親和性が高いことがわかるはずだ。

その意味でも、科学知識をもちあわせた現代人にとっての仏教はこうあるべきだという一つの姿をダライ・ラマに見出すのは不自然なことではない。

「世界の平和をリードするのは、日本だ。今こそ日本人の出番だ!」というダライ・ラマ法王のコトバ、日本人はしかと心に刻みつけるべきである。ぜひ一読をすすめたい。





著者プロフィール

対話に参加した日本の科学者の肩書は以下のとおり

村上和雄: 筑波大学名誉教授
志村史夫: 静岡理工科大学教授
佐治晴夫: 鈴鹿短期大学学長
横山順一: 東大大学院医学系研究科付属ビッグバン宇宙国際研究センター教授
米沢登美子: 慶應義塾大学名誉教授
柳沢正史: 筑波大学、テキサス大学、サウスウェスタン医学センター教授
矢作直樹: 東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授
河合徳枝: 早稲田大学研究院客員教授


<ブログ内関連記事>

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜)にいってきた
・・「ダライラマ・スーパーLIVE横浜」(2010年6月26日)とでもいうべき一期一会

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)

「チベット蜂起」 から 52年目にあたる本日(2011年3月10日)、ダライラマは政治代表から引退を表明。この意味について考えてみる

「チベット・フェスティバル・トウキョウ 2013」(大本山 護国寺)にいってきた(2013年5月4日)

チベット・スピリチュアル・フェスティバル 2009
・・ 「チベット密教僧による「チャム」牛と鹿の舞」と題して、YouTube にビデオ映像をアップしてある。ご覧あれ http://www.youtube.com/watch?v=jGr4KCv7sAA

『ブッダのことば(スッタニパータ)』は「蛇の章」から始まる-蛇は仏教にとっての守り神なのだ

「無計画の計画」?
・・量子力学的世界観と仏教

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・真言密教的世界観における因果と偶然による縁起

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」

書評 『知的唯仏論-マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う-』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)-内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談




(2012年7月3日発売の拙著です 電子書籍版も発売中!)




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2013年11月12日火曜日

書評 『私とは何か-「個人」から「分人」へ-』(平野啓一郎、講談社現代新書、2012)-「全人格」ではなく「分割可能な人格」(=分人)で考えればラクになる



おおいに共感する内容の本です。人間関係に悩んでいる人現実に違和感を抱いている人自分に自信がもてない人など、ぜひ読むことをすすめたいと思います。

「本当の自分」など幻想だ! 著者はこう言い切っています。ですから「本当の自分」を求めて「自分探し」することなど、じつは意味がないのです。

なぜなら、人格は分割可能だから。人によって違う自分を見せているのは、心理学でいうようなペルソナ(=仮面)を掛け替えているからではなく、自分と他者との関係において、それぞれ異なる自分が存在するからなのだ、と。

つまりすべての人に対して同一の自分があるのではなく、他者との関係ごとに異なる自分が複数あると考えたほうが自然ではないか、というのが著者の結論です。

著者はこれを「分人」(ぶんじん)と名付けました。「個人」に対して「分人」複数の「分人」があわさって一人の「個人」になる。「個人」は複数の「分人」のネットワークであると捉えることもできる。

「個人」は英語の in-dividual(分割不可能)が語源です。それ以上わけることのできない存在が「個人」なのであると。「分人」とは in のない dividual、つまり「分割可能」という意味です。

本書では触れられてませんが、歴史学者の阿部謹也によれば、西欧で「個人」が生まれたのは11世紀のことです。キリスト教の世界観のなかではじめて「個人」が誕生したわけですが、かならずしもスムーズに浸透したわけではなかったようです。「個人」が定着するまで、西欧でも人は「世間」のなかで生きていたわけです。

「個人」という概念が「近代化=西洋化」とともに明治時代に導入されましたが、これがずっと日本人を苦しめてきた根源にあることは、おそらく多くの人にとって納得のいくことでしょう。そもそも日本にはなかった概念だからです。全人格で捉えられる「個人」が息苦しいのです。

もちろん個体レベルでは人体は分割不可能です。全体があってはじめて一つのシステムとなるからです。肉体を分割したらバラバラになってしまい、全体としての生命を維持することはできません。

しかし意識はそうではない。意識は人格や魂と言い換えてもいいかもしれませんが、意識は分割可能だと考えても不思議ではないでしょう。そもそも意識は肉体とは違って目に見えない存在ですから。肉体が物質であるならば、意識は「情報」といいかえてもいいでしょう。

「分人」は、あくまでも他者との関係において、その相互作用の蓄積がつくりだすものだと著者は言ってます。親子のあいだ、高校時代の友人、恋人やパートナー、職場の関係などなど、それぞれ他者との関係が異なるのは当然ですし、関係の濃い薄いにも違いがありますし、また自分も他者も変化しつづけるのでその関係も変化していくのは当然といえば当然でしょう。

だからこそ、複数の場で異なる関係をつくっておけば、どれか一つの「分人」に依存しなくても済むので、その結果、精神的に煮詰まらずに済むわけです。心を病んだり、思いつめて死を選ぶ必要などなくなります。

わたし自身は、「分人」という概念をもちださなくても、「一にして多・多にして一」という人間の多面性が意識されていれば十分だと考えていますが、多くの人にとっては「分人」という考えの方が理解しやすく受け入れやすいかと思います。一つのものの見方として。

わたしとしては、この本は人間関係に悩んでいる人だけでなく、とくに会社など組織でしかるべきポジションにある人にも読んでもらいたいと思います。

そうでなくても日本人がつくる組織においては、見えない「世間」が組織内に入り込み、息苦しさを生んでいるわけですが、その理由が構成メンバーを全人格的に支配したくなる気持ちが、無意識レベルかもしれませんが、あきらかに存在するからです。そのほうが管理する側からみればラクだから。一元的管理への誘惑はきわめてつよいものがあることは否定できません。

ワークライフバランスという概念もありますが、組織にいて仕事をしているときの「分人」と、仕事を離れた私生活の「分人」が違ってもまったく問題はないはずです。いや、むしろそれは組織として積極的に促進すべきでありましょう。

たとえ「分人」という表現はつかわなくても、全人格を一元的に管理しようなどと考えなければ、従業員の息苦しさは解消されるでしょうし、うつ病が発生することもないでしょう。そして、そうであればあるほど自由にものを考え、あらたなアイデアもでてくるようになるはず。

職場にる自分もまた自分、職場を離れた自分もまた自分。これらがつねに同一でなければならない必然性などまったくありません。

「自分」は異なる「分人」の集まりである。そう考えれば、おおいに気が楽になることでありましょう。「個」も「組織」も。





目 次

まえがき
第1章 「本当の自分」はどこにあるか
第2章 分人とは何か
第3章 自分と他者を見つめ直す
第4章 愛すること・死ぬこと
第5章 分断を超えて
あとがき
補記 「個人」の歴史

著者プロフィール

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)
1975年、愛知県生まれ。小説家。京都大学法学部卒。1999年、在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第一二〇回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<ブログ内関連記事>

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・「世間」とは持続性のある相互監視の視線であり、「空気」とは持続性はないが濃度の濃い相互監視の視線の集まりと考えてよいのではないだろうか。いずれにせよ日本人の人間関係を息詰まるものにしている正体について

映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」
・・「世間」も「空気」も特殊日本的現象ではない

朝青龍問題を、「世間」、「異文化」、「価値観」による経営、そして「言語力」の観点からから考えてみる
・・「品格」なる「全人格」評価で断罪された朝青龍について「世間論」で考える

書評 『普通の家族がいちばん怖い-崩壊するお正月、暴走するクリスマス-』(岩村暢子、新潮文庫、2010 単行本初版 2007)-国際競争力を失い、大きく劣化しつつある日本人がつくられている舞台裏

書評 『会社で心を病むということ』(松崎一葉、新潮文庫、2010 単行本初版 2007)-社員のメンタルヘルス状態が改善すれば生産性も向上する。急がば回れ!
・・組織内に発生する「空気」、いつの間にか支配的になっている「世間」に注意すること!

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ
・・まさに「分人」の実践!

(2014年6月5日 情報追加)


PS 「縁」という「相互依存性」の概念で捉えると、「個人」ではなく「関係」としての人間存在が理解可能となる

仏教でいう「縁」という概念は、人と人との「関係」、すなわち「相互依存性」と言い換えれることができます。そう捉えると、普遍的な概念として理解可能なものとなるでしょう。

「人格」や「個人」という西欧社会で確立した概念が、日本人の肌合いにはかならずしもフィットしていない。人と人との「関係」によって意識の志向性が変わり、それによって相互依存的な「個人」は、著者のいう「分人」としての様相も見せると理解しておけばよいでしょう。人間は、あくまでも関係性のなかに存在するとうのは、仏教に限らずユダヤ教でも同じようです。書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」 を参照してください。

記事にも書きましたが、わたしは、かならずしも「分人」にこだわる必要はないと思います。「分人」と捉えたほうが理解しやすいし、説明もしやすいので著者の試みに賛同するわけです。いわば「方便」として。

(2013年11月13日 付記)




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2013年11月10日日曜日

書評 『ヒトラーのウィーン』(中島義道、新潮社、2012)-独裁者ヒトラーにとっての「ウィーン愛憎」

(1938年のウィーン進駐で凱旋するヒトラー)

現在では偏屈で特異な哲学者として有名な(?)著者が語る「ヒトラーのウィーン愛憎」である。

わたしが著者の名前をはじめて知ったのは、いまから23年前に出版された『ウィーン愛憎-ヨーロッパ精神との格闘-』(中公新書、1990)という本だった。出版されてすぐ、アメリカに留学するまえに読んだ。はじめての海外生活を前に、参考となるものならなんでも読んでおきたいと思ったこともあったと思う。

『ウィーン愛憎』は、いつまでたっても目の出ない33歳の著者が、乾坤一擲(けんこんいってき)の思いで賭けたウィーン私費留学の記録をつづった読み物であった。22歳でさっさと就職したわたしから見れば、なんと遠回りの人生を送っている人かと思ったのは正直なところだが、観光客向けではない、ウィーンに生きる人々のナマの姿を知ることができたのは面白く感じたので内容のすみずみまで記憶にある。

その14年後に出版された『続・ウィーン愛憎-ヨーロッパ、家族、そして私-』(中公新書、2004)は、「その後いろいろありました」という内容の本であったが、アメリカで留学生活を送ったわたしも異文化体験していたので面白く感じられた。ヨーロッパで暮らす日本人の生態を知ることができる。

『ヒトラーのウィーン』は、ふたたび原点であるウィーンを追体験するために長期滞在中の著者が書いた「ウィーン愛憎」ものである。おなじく「ものになろう」と意気込んで上京しながらも挫折し、失意のうちにウィーンを去った青年ヒトラーを描いたものだ。いわば「ヒトラーのウィーン愛憎」といっていい。

ヒトラーが故郷のリンツからハプスブルク帝国の首都ウィーンに上京したのは1908年で19歳のとき。紆余曲折をへながらも1913年まで5年間そこで生き抜いた。時代はまさに「世紀末ウィーン」であったが、成功したユダヤ人が多かったブルジョワ階層や知識人にとってのウィーンは、住居環境の悪い社会の下層で生きていた浮浪者に近いヒトラーにってはまったく無縁の存在であったようだ。

著者はヒトラーが書いたものを読みこみながら、ヒトラーが記した足跡を、みずからも熟知しているウィーン各地にたどる。読者は本書の地図を参考に一緒に移動してみるといいと思う。わたしもウィーンは何回か訪れて歩き回ったので多少の土地勘はある。ヒトラーの青年時代を追体験できた。

けっして知的な人間ではなかったが、大都市ウィーンの底辺に近いところで生き抜いたヒトラーは、抜群の人間観察力を身に付けたようだ。どうやら自分でついたウソもそのまま信じ込んでしまう「平気でウソをつく人」であったようだが、その後もおよそ歴史上の独裁者らしからぬ潔癖性を維持し続ける。ヒトラーを特異視せず、等身大の若者として虚心坦懐にみつめようという著者の視線が好ましい

20世紀初頭のウィーンではユダヤ人嫌いは当たり前に存在したようだ。その版図のなかに多民族をかかえたハプスブルク帝国は、とくに首都ウィーンは多民族のふきだまりで、ヒトラーにとっては美しい風土の故郷とは似ても似つかぬ居住環境の悪さとともに、不快感の源泉となっていたのであろう。死ぬまで潔癖症であったヒトラーである。

本書は「ウィーン案内」として読むのもいい。

日本人好みのウィーンといえばウィーン西部のシェーンブルン宮殿がある。そのシェーンブルン宮殿前の公園で若きヒトラーが毎日かよって読書していたということを知ると、いろいろ想像してみたくなるものだ。

ただし、ヒトラーは「音楽の都ウィーン」にいながらオペラはワーグナーしか聴きに行かなかったという。まったくもって偏屈なること、著者と同じではないかと思うのはわたしだけではないだろう。

あまり肩の凝らない読み物として楽しむといいと思う。





目 次

はじめに
第1章 ウィーン西駅
第2章 シュトゥンペル通り三十一番地
第3章 造形美術アカデミー
第4章 シェーンブルン宮殿
第5章 国立歌劇場
第6章 ウィーン大学
第7章 国会議事堂
第8章 浮浪者収容所
第9章 独身者施設
第10章 リンツ
第11章 ブラウナウ
第12章 英雄広場
あとがき
主要参考文献一覧

著者プロフィール

中島義道(なかじま・よしみち)
1946年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了。哲学博士。電気通信大学人間コミュニケーション学科教授の職を2009年3月に退官。専攻は時間論、自我論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS 2015年1月7日に、ちくま文庫より文庫化されます(2014年12月29日 記す)




著者のウィーン関連本は中公新書より2冊出版されています。






<ブログ内関連記事>

・・第一次大戦後の1923年から1925年までウィーンに留学した西洋史家・上原専禄

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著 ・・失敗に終わった「1848年革命」をウィーンを舞台に描く

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ
・・ハプスブルク家に生まれてフランス王室に嫁ぐまでウィーンで過ごしたマリー・アントワネット

マロニエはマロン(栗)にあらず
・・ウィーン南駅近くの公園で撮影したマロニエの実の写真

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・ウィーン南駅近くの公園で撮影したシュタイナー(1861~1925)を記念するプレートの写真


・・ナチスを払拭しなかったオーストリアの戦後を象徴する存在であったハイダー

映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)-ウィーンとロサンゼルスが舞台の時空を超えたユダヤ人ファミリーの物語
・・裕福なユダヤ系ブルジョワジー一家の運命

書評 『未来の国ブラジル』(シュテファン・ツヴァイク、宮岡成次訳、河出書房新社、1993)-ハプスブルク神話という「過去」に生きた作家のブラジルという「未来」へのオマージュ
・・『昨日の世界』の追憶に生きたウィーン出身のユダヤ系作家シュテファン・ツヴァイクは、富裕なユダヤ系ブルジョアジー家庭の出身

書評 『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)
・・1909年ウィーンに生まれたドラッカーは、第一次大戦に敗戦し帝国が崩壊した都市ウィーンの状況に嫌気がさして17歳のとき(1926年)、商都ハンブルクに移る。そしてロンドンへ。ヨーロッパの旧世界は積極に捨て去り、新大陸の米国に新天地を見いだす。このことからも上記ツヴァイクの「ハプスブルク神話」が過去に生きる旧世代のものであることは歴然だ

(2016年9月20日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)





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2013年11月9日土曜日

『中島みゆき 「夜会VOL.17 2/2」 劇場版』 (2011年11月)をイオンシネマでみてきた(11月9日)-これは日本語による魂のセラピーなのだ


『中島みゆき『夜会VOL.17 2/2』劇場版』を、初日にイオンシネマでみてきました。イオンシネマとは、旧ワーナー・マイカルのことです。日本全国に店舗網のあるイオンシネマのみでの公開のようです。

「夜会」とは、「コンサートでも演劇でもない「言葉の実験場」というコンセプト」で、1989年から開催している舞台のこと、1998年以降は不定期の開催になっています。もちろん、曲もストーリーもアパフォーマンスもすべて中島みゆきのオリジナル作品。編曲はすべて瀬尾一三.

1995年と1997年と、過去2回上演され映画化されたそうだが(・・わたしは知らなかった)、今回の上映は、演目「2/2(にぶんのに)」の3度目の上演となった第17回目の「夜会」(2011年11月)だそうです。

「コンサートでも演劇でもない「言葉の実験場」というコンセプト」ですが、たしかに中島みゆきによる歌詞と曲と歌唱が一体となって、日本語のもつチカラが徹底的に引き出された作品なのだと見終わって実感しますね。

すでに10数年近く中島みゆきの曲はTV主題歌以外はあまり聞いていなかったし、「夜会」はナマでもDVDでも見たことなかったのですが、今回の劇場版をみて、中島みゆきはすごいなと思いをあらためてしています。


中島みゆきは「夜会」もコンサートもチケット入手がたいへんなので一度も見たことがありません。その意味では、たいへんありがたい企画です。

ストーリーは、紹介文をそのまま引用すればこんな感じです。

見えない何かの存在により幸せになることを妨げられてきた女性が、傷心旅行で降り立った異国の地から帰国できなくなってしまい、そのことから自らの過去や見えない何かの正体を知ることになる姿を描く。

これだけでは抽象的でわかりにくいでしょう。ひとつだけヒントを言っておくと、ジャスミンの花は日本語で茉莉花(まつりか)といいますが、これが「夜会 Vol. 17」で取り上げられた「2/2(にぶんのに)」のメインテーマです。ヒントはこれくらいにとどめておきましょう。

最後の曲を聴いていながら、なんだか魂が洗われるような、なんだか浄化されるような感でいっぱいになってきました。これはアリストテレスがギリシア悲劇について指摘した「カタルシス」というものでしょうが、ある意味ではセラピーのプロセスそのものかもしれません。

すぐれた芸術作品とはそういうものなのでしょう。生と死、男と女、そこで問題になるのは肉体もさることながら魂の問題であるのですから。




初日は土曜日でしたが、観客の大半は中島みゆきと同世代の60歳以上(・・1952年生まれの中島みゆきもすでに還暦すぎているわけだ!)の方々が多いように見受けられました。

TV主題歌でしか中島みゆきを知らない人にとっては、あまりにも濃厚な中島みゆき世界にとまどうかもしれませんが・・。

中島みゆきのファンであるなしに限らず、男女や年齢にかかわらず見るべきだと思いますよ。2,500円はちょっと高いかもしれませんが(・・わたしは前売り券 2,000円を買ってありましたが)、その価値は十二分にあるといっていいでしょう。





<関連サイト>

『中島みゆき『夜会VOL.17 2/2』劇場版』 公式サイト

中島みゆき「夜会 vol.17 2/2」劇場版 トレーラー (YouTube)



中島みゆきファンとして思うこと(付録)

いまではすっかり大衆化し、なんだか「国民歌手」とでもいうべき存在の大御所になってしまった中島みゆき。日本語を母語とする日本国民全体に元気を与えてくれる「歌姫」としては、それもまた役割の一つかもしれないのだが・・・。

だが、1980年代から1990年代までの濃いファンであったわたしのような人からすると、ちょっと違和感がなくもない。先日、NHKのBSプレミアムで中島みゆきの特集があったが、BSであっても取り上げられた曲は一般受けするものながかりで、ちょっとガッカリな気がしたのはわたしだけではないのではないかもしれない。

NHKの『プロジェクトX』の主題歌「ヘッドライト テールライト」はわたしも好きだが、あの曲が「応援歌歌手」として日本国民に認知される決定的転換点になったのかもしれない。歌詞の内容もストレートなはげましがつよすぎるような気がする。

『ファイト!』がいまでも人気の上位にあるのはうれしい。この曲も応援歌ではあるのだが、かならずしもストレートに励ますのではなく、人間の弱さを肯定したうえで、逆説的にはげます歌詞だから。基本的に日の当らないところで一所懸命に生きている人に光をあてたいという、『ヘッドライト テールライト』のテーマにも一貫している。

わかりやすいといえばそのとおりなのだが、「逆説的に元気をくれる」というタイプの歌詞が少ないのは、テレビという不特定多数向けのメディアである以上しかたないかもしれない。

人間の暗さや弱さをそのままじっくりと見つめ、凝視することが、逆説的に見えながらも、じつは自己治癒(=セルフ・ヒーリング)として元気を回復するための第一歩だということを、歌詞と曲とみずからの歌唱でもって示してきたのが中島みゆきだと思っているから。

これはある意味ではセラピーのプロセスそのものだ。「夜会」もその意味では、日本語によるセラピーなのだと思う。

人間は生きている以上、成長し続けるものだし、現役のアーチストであるならばなおさら日々進化をとげるのは当然だ。中島みゆきは、おそらく生涯現役を貫くのだろう。

「♪ 年をとるのはステキなことです そうじゃないですか~」(『傾斜』)という老婆を歌った有名な歌詞もあることだし。なんと、これはなんと彼女が29歳のときのものだ。

いまの日本で「歌姫」と自他ともに認められるのは中島みゆきと中森明菜だけだと思うが、中森明菜が情念に身を任せがちであるがゆえに自己破壊傾向が高いのに対し、中島みゆきは情念について歌っているのであって、情念そのものを歌っているわけではない

それは評論家の呉智英が「中島みゆきは中山みきである」という文章のなかで、かなり以前に言っているように、中島みゆきが巫女(=シャマン)的な存在を体現しているからだろう。つまり、みずからの主張を全面に打ち出すのではなく、他者の存在をすべて引き受け、彼らにかわって歌うという姿勢。憑依するのではなく、憑依される存在

初期の中島みゆきについては、それこそ作家や詩人や評論家、さらには熱心な一般人のファンまでが語りつくしており、わたしもそんな本に読みふけっては大いに学ばせていただいたので、ことさら付け加えるものはない。

たとえば、もう30年前のものだが、『中島みゆき ミラクルアイランド』(谷川俊太郎他、創樹社、1983)など現在は新潮文庫版(1986年)も絶版になっているが、関心のある人はぜひ古本をさがして読んでみてほしい。



参考のために、『中島みゆき ミラクルアイランド』の目次を掲載しておこう。

1. 中島みゆきの素顔
2. 中島みゆき讃
3. 中島みゆきの宇宙(コスモス)
4. サウンドからみた中島みゆき
5. 中島みゆき現象
6. "中島みゆき" アンケート


以下に掲載した『中島みゆき全歌集』は1989年の出版でいまでもマイコレクションの一つ。「詩集」ではなく「歌集」というのがポイント。いずれも日本語の「詩」としては一級品だと思う。すばらしい。


ちなみに、『中島みゆき全歌集Ⅱ 1987~1998』(中島みゆき、朝日新聞社、1998)も所有している。いずれも文庫化されていたが、現在は残念なことに品切れ状態だ。

East Asia(=東アジア)、とくに華人圏でもっともカバーされているのが中島みゆきの曲。ただし、それは日本語の歌詞の内容ではなく、情感性のつよいサウンドそのものに共感するものが多いからだろう。香港の歌手は広東語で、それ以外は普通話であらたに歌詞が書かれたものを女性歌手が歌っている。

日本語の歌詞と切り離しても、きわめて日本ローカルだと思っていた中島みゆき的世界は、じつは日本を越えて通用するわけだが、「夜会」のように歌詞カードを見ないで、耳だけで日本語を聴いて感じるのはなかなかむずかしいかもしれない。

日本語のもつ言霊(ことだま)は、曲と声(=歌唱)が一体となって日本語人の魂にバイブレーションするものだから。それは古代以来つづく日本語の特性なのである。





<関連サイト>

中島みゆきオフィシャルサイト

中島みゆき好きですか? 22年前の曲が今ヒットのワケを徹底追跡 (つのはず誠、日経ビジネスオンライン、2014年10月2日)


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