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2013年10月27日日曜日

書評 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』(伊東乾、角川学芸出版、2011)-幅広く深い教養とフィールドワークによる「声によるマインドコントロール」をめぐる思考



現役の指揮者で大学教官である著者は、『さよならサイレントネイビー-地下鉄に乗った同級生-』(集英社、2006)という著書で作家としてデビューしている。

オウム真理教に参加したことによって地下鉄サリン事件にかかわり、死刑判決を受けた同級生の物理学徒について書かれた本だ。

「サイレントネイビー」とは、みずからの行為についてはいっさい弁明をしないという日本海軍の美学のようなものだが、みずからの行為について沈黙を守るのではなく、世の中にむけて弁明せよというのが著者の主張だ。だが、内容については共感できる部分と、なんだか言いようのない違和感を感じる両面があったことを覚えている。

本書 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』について話を進めると、「サウンドコントロール」というと、オーディオデバイスや音声入出力端子についての音響工学の話のようだが、内容はまったく違う。『さよならサイレントネイビー』の続編といっていい内容の本だ。

大量虐殺の発生したルワンダの裁判から始まった記述は、ソクラテスを裁いた古代ギリシャ裁判員法廷、封建制日本の裁きの場であるお白州、ナチス・ドイツのホロコースト、現代日本のマルチメディア裁判員法廷と、いっけんバラバラでとりとめのないような印象を受ける。

著者が本書で一貫して主張したいのは、「声の支配の権力性」と「音によるマインドコントロール」がもつ問題という一点に収斂(しゅうれん)される。

音声、すなわち聴覚が人間にとってより根源的な知覚であることは、本書では触れられていないがソクラテスのデルフォイの神託や、ジャンヌ・ダルクへの神の呼びかけを考えてみればわかることだろう。

声の支配によるコントロールがより根源的なものであることは、これもまた本書では触れられていないが、マスコミといえば新聞とラジオしかなかった戦前、しかもJOAK一局しかラジオ放送がなかった戦前日本のことを考えれば想像することは困難ではない。

マインドコントロールは声によって行われる。これはオウム真理教においてもマントラという形で行われていた。そもそも大乗仏教と密教には音声によるマインドコントロールが埋め込まれている。

本書は 『さよならサイレントネイビー』の続編とも言うべき内容なのだが、そのために逆に読後感があまり心地よくない。いまひとつ著者の思想には共感できないものを感じるからだ。

違和感の源泉は、著者が4代(?)つづくキリスト教の家に生まれたという出自にあるのかもしれない。圧倒的多数の一般日本人とはやや異なる視点でものをみているためもあろう。「空気」に着目した山本七平や「世間」に着目した阿部謹也のように。

わたしにとっては、著者の問題意識はアタマでは理解できなくはないのだが、なぜか言いようのない違和感が残るのは否定できない。鶴見俊輔に感じるのと同じ、共感と違和感のまじりあった感想に似ているような気がする。もしかすると、それは著者が戦略的に狙っていることなのかもしれないが・・・。

だが、取り上げられたテーマと考察そのものは、じつに知的好奇心を刺激するものが多い。

法務官僚からキリスト教に改宗した古代ローマの聖アンブロジウスがキリスト教に埋め込んだ音声による権力装置、音響学にも造詣の深かった作曲家の父をもつガリレオ・ガリレイにおける「音楽の知」など、じつに読み応えがある。クラシックの音楽家である著者は、キリスト教がその根幹にある西欧文明について熟知しているからだ。

数学や物理学と音楽は密接な関係にあるが、それにとどまらず西欧的な意味のリベラルアーツを身につけている著者の守備範囲はきわめて広くかつ深い。数学と物理学、音楽と法学と人文学の融合。まさに「文理融合の知性である。

読み方は読者次第だ。





目 次

  飛べない白鳥のイントロダクションⅠ
第1部 南へ 一九九四/二〇〇七年、ルワンダ 草の上の合議
 第1章 サバンナの裁判員
 第2章 雨のガチャチャ
  飛べない白鳥のイントロダクションⅡ
第2部 西へ 司教座と法廷 ローマからギリシャへ
 第3章 ガリレオのメトロノーム
 第4章 官僚アンブロジウスの遠謀
 第5章 玉座は蜂を駆逐する
  飛べない白鳥のイントロダクションⅢ
第3部 東へ 白い砂の沈黙 日出づる国の審判で
 第6章 石山本願寺能舞台縁起
 第7章 銀閣、二つのサイレンサー
 第8章 裁きの庭と「声」の装置
第4部 北へ メディア被曝の罠を外せ! サウンド・コントロールと僕たちの未来
 第9章 確定の夜を超えて
  跋 それでも鳥は北を目指す
あとがき

著者プロフィール 

伊東 乾(いとう・けん)
1965年、東京生まれ。作曲家、指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学理学部物理学科、同大学院総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環・作曲=指揮・情報詩学研究室准教授。第二次世界大戦時の音楽メディア情宣への批判を原点に、人間にとって「聴く」とは何かをジャンルを越えて問いつつ、作曲・演奏・基礎研究などに取り組む。第1回出光音楽賞ほか受賞多数。2006年にはオウム真理教のマインド・コントロールを追った『さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。





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書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!
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評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い! ・・戦争へと押しやった国民の声はラジオによって増幅された可能性が高い

「海軍神話」の崩壊-"サイレント・ネイビー"とは"やましき沈黙"のことだったのか・・・

書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」

【セミナー開催のお知らせ】 「生きるチカラとしての教養」(2013年6月27日)

「オックスフォード白熱教室」 (NHK・Eテレ)が面白い!-楽しみながら公開講座で数学を学んでみよう
・・アートと数学の関係についても講義

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・音楽による「洗脳」はここからはじまった。すでに不可逆の流れとして日本人の脳は西洋化されている




(2012年7月3日発売の拙著です)





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