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2013年10月27日日曜日

書評 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』(伊東乾、角川学芸出版、2011)-幅広く深い教養とフィールドワークによる「声によるマインドコントロール」をめぐる思考



現役の指揮者で大学教官である著者は、『さよならサイレントネイビー-地下鉄に乗った同級生-』(集英社、2006)という著書で作家としてデビューしている。

オウム真理教に参加したことによって地下鉄サリン事件にかかわり、死刑判決を受けた同級生の物理学徒について書かれた本だ。

「サイレントネイビー」とは、みずからの行為についてはいっさい弁明をしないという日本海軍の美学のようなものだが、みずからの行為について沈黙を守るのではなく、世の中にむけて弁明せよというのが著者の主張だ。だが、内容については共感できる部分と、なんだか言いようのない違和感を感じる両面があったことを覚えている。

本書 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』について話を進めると、「サウンドコントロール」というと、オーディオデバイスや音声入出力端子についての音響工学の話のようだが、内容はまったく違う。『さよならサイレントネイビー』の続編といっていい内容の本だ。

大量虐殺の発生したルワンダの裁判から始まった記述は、ソクラテスを裁いた古代ギリシャ裁判員法廷、封建制日本の裁きの場であるお白州、ナチス・ドイツのホロコースト、現代日本のマルチメディア裁判員法廷と、いっけんバラバラでとりとめのないような印象を受ける。

著者が本書で一貫して主張したいのは、「声の支配の権力性」と「音によるマインドコントロール」がもつ問題という一点に収斂(しゅうれん)される。

音声、すなわち聴覚が人間にとってより根源的な知覚であることは、本書では触れられていないがソクラテスのデルフォイの神託や、ジャンヌ・ダルクへの神の呼びかけを考えてみればわかることだろう。

声の支配によるコントロールがより根源的なものであることは、これもまた本書では触れられていないが、マスコミといえば新聞とラジオしかなかった戦前、しかもJOAK一局しかラジオ放送がなかった戦前日本のことを考えれば想像することは困難ではない。

マインドコントロールは声によって行われる。これはオウム真理教においてもマントラという形で行われていた。そもそも大乗仏教と密教には音声によるマインドコントロールが埋め込まれている。

本書は 『さよならサイレントネイビー』の続編とも言うべき内容なのだが、そのために逆に読後感があまり心地よくない。いまひとつ著者の思想には共感できないものを感じるからだ。

違和感の源泉は、著者が4代(?)つづくキリスト教の家に生まれたという出自にあるのかもしれない。圧倒的多数の一般日本人とはやや異なる視点でものをみているためもあろう。「空気」に着目した山本七平や「世間」に着目した阿部謹也のように。

わたしにとっては、著者の問題意識はアタマでは理解できなくはないのだが、なぜか言いようのない違和感が残るのは否定できない。鶴見俊輔に感じるのと同じ、共感と違和感のまじりあった感想に似ているような気がする。もしかすると、それは著者が戦略的に狙っていることなのかもしれないが・・・。

だが、取り上げられたテーマと考察そのものは、じつに知的好奇心を刺激するものが多い。

法務官僚からキリスト教に改宗した古代ローマの聖アンブロジウスがキリスト教に埋め込んだ音声による権力装置、音響学にも造詣の深かった作曲家の父をもつガリレオ・ガリレイにおける「音楽の知」など、じつに読み応えがある。クラシックの音楽家である著者は、キリスト教がその根幹にある西欧文明について熟知しているからだ。

数学や物理学と音楽は密接な関係にあるが、それにとどまらず西欧的な意味のリベラルアーツを身につけている著者の守備範囲はきわめて広くかつ深い。数学と物理学、音楽と法学と人文学の融合。まさに「文理融合の知性である。

読み方は読者次第だ。





目 次

  飛べない白鳥のイントロダクションⅠ
第1部 南へ 一九九四/二〇〇七年、ルワンダ 草の上の合議
 第1章 サバンナの裁判員
 第2章 雨のガチャチャ
  飛べない白鳥のイントロダクションⅡ
第2部 西へ 司教座と法廷 ローマからギリシャへ
 第3章 ガリレオのメトロノーム
 第4章 官僚アンブロジウスの遠謀
 第5章 玉座は蜂を駆逐する
  飛べない白鳥のイントロダクションⅢ
第3部 東へ 白い砂の沈黙 日出づる国の審判で
 第6章 石山本願寺能舞台縁起
 第7章 銀閣、二つのサイレンサー
 第8章 裁きの庭と「声」の装置
第4部 北へ メディア被曝の罠を外せ! サウンド・コントロールと僕たちの未来
 第9章 確定の夜を超えて
  跋 それでも鳥は北を目指す
あとがき

著者プロフィール 

伊東 乾(いとう・けん)
1965年、東京生まれ。作曲家、指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学理学部物理学科、同大学院総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環・作曲=指揮・情報詩学研究室准教授。第二次世界大戦時の音楽メディア情宣への批判を原点に、人間にとって「聴く」とは何かをジャンルを越えて問いつつ、作曲・演奏・基礎研究などに取り組む。第1回出光音楽賞ほか受賞多数。2006年にはオウム真理教のマインド・コントロールを追った『さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。





<ブログ内関連記事>

書評 『指揮者の仕事術』(伊東 乾、光文社新書、2011)-物理学専攻の指揮者による音楽入門

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!
戦前においてラジオは唯一のマスメディアであり、しかもJOAK一局しかないかったからだ。この点については、著者による 『ラジオの戦争責任』(PHP新書、2008)においてすでに触れている。大東亜戦争の突入したのは。ラジオによって増幅された国民の声であったことも指摘されている。

評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い! ・・戦争へと押しやった国民の声はラジオによって増幅された可能性が高い

「海軍神話」の崩壊-"サイレント・ネイビー"とは"やましき沈黙"のことだったのか・・・

書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」

【セミナー開催のお知らせ】 「生きるチカラとしての教養」(2013年6月27日)

「オックスフォード白熱教室」 (NHK・Eテレ)が面白い!-楽しみながら公開講座で数学を学んでみよう
・・アートと数学の関係についても講義

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・音楽による「洗脳」はここからはじまった。すでに不可逆の流れとして日本人の脳は西洋化されている




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2013年10月26日土曜日

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実


日本の近代化が、西洋音楽導入による日本人改造によって不可逆な流れとして達成されたことは、すでにこのブログでも 讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された として取り上げたが、文部官僚としてそれを強力に推進したのが本書の主人公・伊澤修二(1851~1917)である。

弱肉強食の国際社会で生き残るには、中央集権化によりつよい軍隊をつくる必要がある。これは倒幕運動を推進し明治国家建設にあたった指導者たちの共通了解事項であった。

大砲や軍艦を買うためには輸出によって外貨を稼がなければならない。そのためには日本人を近代産業に適した近代的身体に改造することもまた必要であった。

なによりもまず、「国民」をつくりださなければならなかった。明治初頭においては「国民」がいまだ形成されていなかったのだ。

この件については 書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門 を参照していただきたいが、「国民意識」はつくられたものなのである。

アメリカであたらしい音楽教育を学んできた文部官僚・伊澤修二が推進したのは、唱歌として結晶化された西洋音楽の七音音階とリズムによって行進が可能な近代的な身体をつくり、儒教道徳を盛り込んだ唱歌の歌詞によって「国民」道徳を注入することであった。

しかも、唱歌の歌詞は東京山の手のコトバで発音を統一し、全国共通の「標準語」を普及させることが必要だった。言語が統一されていないと軍隊では命令がスムーズに行き渡らないそもそも当時は「国語」という概念も存在しなかったのである。

これらはみな中央集権国家において「国民」をつくりだすための装置だったのだ。

西洋音楽は、近代化を推進した明治日本にとって不可欠のツールだった。このことはもっとよく理解する必要がある。

結果についてはあえて言うまでもないが、日本人改造はほぼ完全なまでに成功したといってよい。いまだに尾を引いているが、日本人としてのアイデンティティにおおきなひずみとゆがみをともなうものであったにせよ・・・。

本書で面白いのは、伊澤修二の出身の高遠藩(・・現在の長野県伊那市)でも幕末に軍制改革を行っているが、伊澤修二が鼓笛隊に所属しドラムを叩いていたという事実である。最新鋭の鉄砲や大砲も発砲のリズムを音楽によって行ったためである。西洋音楽は近代軍隊にとってきわめて重要なソフトウェアであったわけだ。

そして特筆すべきは、伊澤修二が電話の発明者グラハム・ベルから「視話法」を学んだという事実だ。日本語の発音統一のために、音声としての言語に注目していたためである。音声学に基づいた日本語の発音の統一を行うことを想定していたからだ。

五音階の日本音楽を七音階の西洋音階に改造するという熱意は、当時は先進国では支配的な考えであった社会ダーウィニズムに基づくものであった。

遅れた日本が欧米にキャッチアップしなくてはならないという国家官僚としての使命感と切迫感が伊澤修二を駆り立てたわけであるが、日本近代化の原点において強力に推進された西洋音楽導入による日本人改造について、あらためて注目しておくことが必要である。

日本近代化にあたっては制度としての中央集権はフランスに、海軍は英国、陸軍は最初はフランスのとにドイツにモデルをもとめたが、国民形成の基盤的ソフトウェアに西洋音楽があったのである。

じつに興味深い内容の本である。しかもじつに読みやすい。本書に書かれた内容が国民的な常識となることが望ましい。





目 次

まえがき
第1章 鼓手としての伊澤修二-明治維新とドラムのリズム
 幕末の軍制改革-ハードとソフトの革新
 ドラムが導入されるまで
 ドラムレッスン
 ドラム譜の出版
 ドラムコールとドラムマーチ
 口伝のドラム演奏法
 信州高遠藩の軍制改革
 鼓手伊澤八弥
 民衆の客分意識
 近代的な身体をつくる音 
第2章 岩倉使節団が聴いた西洋音楽-ナショナリズムを誘発する合唱
第3章 洋学と洋楽-唱歌による社会形成
第4章 国語と音楽-文明の「声」の獲得
第5章 徳育思想と唱歌-伊澤修二の近代化構想
あとがき
年譜
主要参考文献
索引


著者プロフィール

奥中康人(おくなか・やすと)
1968年奈良県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程を単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員を経て、現在は京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター特別研究員。大阪大学・大阪芸術大学・名古屋芸術大学、非常勤講師。博士(文学)。専門は近現代日本の音楽史。 共著に『近代日本の音楽文化とタカラヅカ』津金澤聰廣・近藤久美編(世界思想社 2006)、論文に「口伝の行進曲-維新期における山国隊の西洋ドラム奏法受容とその継承」『東洋音楽研究』第70号(2005)などがある (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

京都 時代祭 2009 山国隊 (YouTube)

京都市右京区山国神社還幸祭 維新勤皇山国隊 (YouTube)
京都市右京区山国神社還幸祭 維新勤皇山国隊(2) (YouTube)
京都市右京区山国神社還幸祭 維新勤皇山国隊(3) (YouTube)
・・「錦の御旗」をもって鼓笛隊のリズムにあわせて行進する京都の「山国隊」。これが軍楽の原点


(2016年11月29日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である

書評 『傭兵の二千年史』(菊池良生、講談社現代新書、2002)-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ③
・・近代の軍制改革はオランダからはじまった

書評 『グラハム・ベル空白の12日間の謎-今明かされる電話誕生の秘話-』(セス・シュルマン、吉田三知世訳、日経BP社、2010)
・・グラハム・ベルの実験にたちあった日本人とは伊澤修二であった

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!
・・「日本にはデファクトで「標準語」扱いされている「NHK語」はあっても、フランスやイタリアのように国民統一のためにつくられた「標準語」は存在しない。たまたま東京山の手のコトバを採用しただけである。関西人が、いわゆる「標準語」のことを関東弁というのは、その意味では一理ある」

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!・・ラジオという音声メディア




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2013年10月21日月曜日

「われわれは社会科学の学徒です」-『きけわだつみのこえ 第二集』に収録された商大生の手紙から



本日(2013年10月21日)は、いわゆる「学徒出陣」から70年にあたるのだという。1943年(昭和18年)10月21日、土砂降りの雨のなか理工系を除くエリート大学生が徴兵され戦地へと赴き、そして散っていった。

『きけわだつみのこえ』という戦没学徒たちの手記を親しい人たちにあてた手紙が収録された本がある。初版は1949年(昭和24年)に刊行され、カッパブックスを経て、現在では岩波文庫2冊として版を重ねている。

ただ、収録されているのが当時の超エリートである東京帝大の学徒ばかりであるのが不満といえば不満だ。自分が出た大学の先輩が一人でも入っていないと、なかなか読む気にはならないのも仕方ないことだろう。

わたしにとって、その人は学徒出陣した板尾興一という人だ。はるか遠いむかしの大学の先輩という以外、なんの接点もないのだが、その存在と手紙の一節を在学中に寮生の友人から教えられて以来、その手紙を何度も読んできた。

板尾氏の手紙は2通、『第二集 きけわだつみのこえ』に収録されている。学徒出陣20周年にあたる1963年(昭和38年)に『戦没学生の遺書にみる15年戦争』と題して初版が刊行されたようだ。

『第一集』の刊行から17年後になってようやく刊行されたものであるが、上記のような不満も背景にはあったためかもしれない。「15年戦争」という左翼的な名称が時代を感じさせる。

さて、板尾興一氏だが、入隊前に父親あての手紙にある「われわれは社会科学の学徒です」という一節をわたしはなんども反芻(はんすう)してきたが。この一節を思い出し、そして遺された手紙を読むたびに身の引き締まる思いをする。

板尾興市(いたお・こういち)

昭和18年12月東京商科大学在学中入団。昭和20年2月18日日本州東方海上にて戦死。21歳。海軍中尉。

(昭和18年10月5日 父宛書簡)

・・(前略)・・

それにしてもあまりにも短い月日しか残されていないので、何ら今までの学問への努力をまとめた形で残すこともできそうになく、読みさした本にしおりをはさんで出かけなくてはなりません。

ふたたび帰って書物の前にすわるのはいつの日のことかと考えますと、まことに寂しいしだいです。

我々はあくまでも学生であり、学問をもって自己の生命とし、学をもって国に奉ずるの決心まことに堅きものがありますが、国家の要請の急なるこの時、幾多の思いを学問と国家の上に残しながら国防の第一線におもむかねばならなくなったのです。

法文科の学生はこの戦争時にあたり、自然科学的方面の学生とは異なり用はないから戦線に送られるわけですが、我々の征く後、国家の運営はなお頭の切り換えの絶対に望まれぬ老朽政治家や、社会科学方面の知識に乏しくかつ学問精神の点で貧弱なる技術者たちに任されるわけです。それゆえ、国家の前途すこぶる多難なることを予測されます。東條首相は民大は機構よりは人だ、良きりっぱな指導者こそ必要なのだと叫びます。彼の言わんとする方向は正しいのです。何となれば人間こそ動く主体であり、動かす主体であるからです。しかし、彼が現実についてこの言を適用せんとすることは根本的に間違いです。

今や戦争の切り札は生産力、武器の生産にあります。質は学問と技術に、量は同じく学問と経済に基礎を置きます。天文学的数字はけっしてアメリカのみのお題目のみではなかったのです。それを笑った日本の陸海軍も、ついに天文学的数字を述べねばならなくなりました。要求される数量と現生産量とのギャップは大です。いかにして大量生産が飛躍的になされうるやの問題は自然科学と社会科学の全成果を必要とします。学的頭脳のない人間にけっしてこのような大きな問題を解決することはできません。我々は社会科学の学徒です我々の戦時において果たすべき学的使命は実践においてこそ真に大であります。しかし今は、学徒は指揮官として戦争に必要なのです。政府はこのさい社会科学者を大々的に動員して国家の計画を立てさすべきです。今の政治家に何を望めましょうか。学者こそ今や第一線に立つ時です。イギリスの統制経済の親玉は名にしおう理論経済学の大御所ケインズであります。

我々はあらゆる情熱に燃えて国家の実践に役立つべき学の追及に従わんと考えていましたが、こうなっては後を老朽のかたがたに任さなければなりません。

彼らの頭脳に国家の前途は託されています。彼らこそ真に国家の運命を担う責任を自覚して新たに学問の道を知るべきです。国家も文化も皆国内に残る人々が担わなければなりません。しだいに文化意思が低下してゆく現状を盛り立てていくのは誰でしょう。かつてのインテリ階級は何をしているのか、彼らに国家の大きな問題にぶつかって行く強き意思ありや。お父さん、我々こそ新しき時代の担い手です。いつの日にかふたたび学に還るの日こそ我々の雄図は実現に向かうでしょう。

・・(後略)・・

(出典:岩波文庫版 P.231~234 太字ゴチックは引用者=わたしによるもの)


全文を引用したところだが、かなり長文の手紙なので、手紙のなかほど三分の一を再録した。

これだけの深い認識をもっていた優秀な20歳(!)の学生が、自然科学ではなく社会科学専攻であったため21歳で散華(さんげ)して海の藻屑と消えていったという事実、まことにもって悔しく、悲しみにに耐えないことである。

手紙のなかにケインズ(1883~1946)の名前がでてくるが、この手紙が書かれた昭和18年(1943年)当時、近代経済学の大御所ケインズは、なんと現役の経済学者として生存中であったのだ! 30年前に学生時代を過ごしたわれわれの世代にとっては、すでに仰ぎ見るべき大経済学者の名前であったのだが。さすが東京商大である!

板尾氏の手紙はもう一通収録されている。同窓の友人にあてて書かれたものだ。そちらのほうがより明確にホンネが吐露されている。

・・(前略)・・俺たちにもいずれ順がまわってくる。
どうかおれたちが何百万死のうとも、ひるまずにぜひ優秀な研究をなしとげ、敵の科学力を圧倒してくれ。
戦は科学と物量が決する。これが俺たちの信念だ。
ではまた。

(出典:岩波文庫版 P.236 太字ゴチックは引用者=わたしによるもの)

じつは、かの有名な『きけわだつみの声』は第一集と第二集をつうじて、この板尾興一氏の文章しか読んだことがない。なぜなら、わたしは東京商科大学(=東京商大)の後身である一橋大学の卒業生だから、それ以外の文章に親しみを感じないからだ。

『きけわだつみの声』いついては戦争について書き続けているノンフィクション作家・保阪正康氏の著作『「きけわだつみのこえ」の戦後史』によって、その編纂者の左翼的エリート主義性をつぶさに知って以来、距離をおいて見ているのだが、この板尾氏の文章だけは別である。その理由は上記に記したとおりだ。

「われわれは社会科学の学徒です」というフレーズを教えてくれたのは、在学当時に一橋寮で同室だった、いまは亡きS君であるが、それ以来わたしはこのフレーズをそらんじて自分がやるべきことの指針としてきた。その当時はカッパブックス版であったと思う。

学徒出陣から70年、すでに生存する関係者も90歳を越している。しかもTV報道によれば、学徒出陣壮行会が行われた神宮外苑競技場(・・現在の国立代々木競技場)は、2020年の東京オリンピック会場の立替のため慰霊碑は移転を余儀なくされるという。

直接の当事者ではない我々以下の世代が、学徒出陣については語り継いでいかねばならないのである。英霊たちに合掌。







<関連サイト>

学徒出陣 (YouTube)
・・昭和18年10月21日に行われた文部省主催出陣学徒壮行会。土砂降りの雨、カメラアングルにも注目。壮行会に流れるのには「抜刀隊行進曲」。なぜこれほど悲壮感あふれる短調のリズムなのかという思いに駆られる。涙なくして見ることのできない映像と音楽。「抜刀隊」は陸軍分列行進曲。明治10年の西南戦争の田原坂の激戦に投入された旧会津藩士を中心とした選抜隊をテーマに明治18年につくられた曲である。ここにもまた会津落城の悲劇と大東亜戦争の敗戦という悲劇がかさなってくる


<ブログ内関連記事>

書評 『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)-いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

「敗戦記念日」のきょう永野護による 『敗戦真相記』(1945年9月)を読み返し「第三の敗戦」について考える

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学が中核にある「大学町」誕生の秘密をさぐる

書評 『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治、講談社現代新書、2013)-「革命家」西郷隆盛の「実像」を求めて描いたオマージュ

「聖徳記念絵画館」(東京・神宮外苑)にはじめていってみた(2013年9月12日)

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる
・・1964年の東京オリンピックを前に国立競技場となった場所に「ワシントンハイツ」が存在した





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2013年10月20日日曜日

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された





唱歌は讃美歌の替え歌である! これはあまり知られていないが恐るべき事実である。「唱歌の誕生は奇跡であった」と『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』の著者・安田寛氏はいう。

安田寛氏の一連の著作を読むと、日本の近代化に果たした宣教師ミッションと讃美歌がいかに大きな役割をはたしていたか、いやというほど実感されることになる。

キリスト教徒ではなく、しかもプロテスタント諸派のインサイダーではないわたしのような一般的日本人にとっては、讃美歌と唱歌がじつは同じものだということは、言われてみなければまったく気がつかない話である。

なんと、「ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた・・・」や、「たんたんタヌキの・・・」といった俗謡もまた讃美歌の旋律だというから驚きではないか! ウソだと思うならネット検索してみたらいい。

また、『蛍の光』は英米圏では Auld Lang Syne として大みそかに歌われており、日本ではスコットランド民謡として紹介されることも多いが、これもまたじつは讃美歌の旋律を利用したものだったのだ。

『故郷』、『春の小川』、『朧月夜』など日本人の郷愁を誘うのが文部省唱歌に対抗として大正時代に生まれたにが童謡だが、現代日本人にとっては、明治時代に生まれた唱歌との違いは耳で聞いただけではわからない。

『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』(安田寛、音楽之友社、1993)が、安田氏がいちばん最初に世に問うと研究成果である。

その後の関連著作はすべてここから派生したものだ。唱歌だけでなく、それ以後の日本人が作曲してきた各種の音楽もまた、明治時代の唱歌から派生してきたものだ。しかも唱歌は讃美歌の替え歌だったのである!

出版順に並べると以下のようになる。

●『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』(安田寛、音楽之友社、1993)
●『日韓唱歌の源流-すると彼らは新しい歌を歌った-』(安田寛、音楽之友社、1999)
●『「唱歌」という奇跡 十二の物語-讃美歌と近代化の間で-』(安田寛、文春新書、2003)
●『日本の唱歌と太平洋の讃美歌-唱歌誕生はなぜ奇跡だったのか-(奈良教育大学ブックレット)』(安田寛、東山書房、2008)

これらの書籍で明らかにされた事実をもとに、「西洋音階による近代化」の内実を簡単に見ていくこととしよう。


明治時代前半はアメリカから伝来したプロテスタンティズムの時代

NHK大河ドラマ『八重の桜』の後半は、八重自身の後半生と重ね合わせて展開しているが、その後半生とは新島襄の妻としてのものである。新島襄は学校設立によって、日本の近代化とプロテスタントのキリスト教を日本に布教させるという使命の両立を実現すべく奮闘する。

ドラマを見ている人はお気づきだと思うが、明治時代の教会で重要な意味をもっているのがオルガンと聖歌だ。シーンとしてはわずかなものであっても、初期の同志社に併設されていた礼拝堂でオルガンを弾くシーンがある。

安田寛氏によれば、じつは新島襄は讃美歌を歌うのは下手だったらしい。それもそのはず、彼が生まれ育った時代には、日本には西洋音階はまったく普及していなかったのだ! 日本の伝統的音階は、いわゆるヨナ抜き音階であった。プロテスタントでは牧師になるために音楽は必須だったが、新島襄も音楽だけは苦手だったようだ。

『絶対音感』(最相葉月、新潮社、1998)というノンフィクション作品が話題になったことがあったが、第二次大戦時における帝国海軍では絶対音感をきわめて重視していたというエピソードがでてくる。飛行機などの機械音に敏感になることが、敵発見のためのきわめて重視されたのだ。レーダーはすでに開発されていたが日本では完全に普及しておらず、人間の能力に依存せざるを得なかったわけである。

このエピソードには、英米と全面戦争を戦った大東亜戦争時代には、すでに西洋音階が日本人にとって不可欠かつ不可逆なものとなっていたことを示している。それが明治維新以後約70年後の近代日本だったのである。

大東亜戦争の敗戦からもすでに70年、唱歌が讃美歌から生まれたものだという安田氏の著作をを読んだ以上、日本人が戻ることができるのは、もはやそこにしかないのかという、なんともいえない気分にならざるを得ない。

それほど西洋音楽による日本人改造は不可逆なものとして完成しているわけなのだ。


■16世紀の「宗教改革」が「近代」をつくりだした

讃美歌は、さかのぼれば16世紀の宗教改革とプロテスタント教会の発生にまで行き着く。

プロテスタントの特徴は、カトリックのような聖歌隊が歌う聖歌に身を浸すのではなく、信者(=平信徒)自身が歌うことにある。いわば全員参加型である。自らが讃美歌を歌うことにより、その主体的な行為が信仰を内面化し、旋律と歌詞によって信仰を深めていくというメカニズムである。

そう考えると、唱歌を歌い童謡を歌うという行為は、無意識のうちに讃美歌のリズムで歌っていることになるわけで、われわれの身体には、知らず知らずのうちにキリスト教が浸透していることを痛感せざるをえない。

音楽は生理レベルでの体験であるから、それが幼少時からの反復体験である以上、もはや身体から切り離すことはできないのである。

そしてこれは日本だけの状況ではないのだ。

日本の植民地となった韓国もまたそうであった。キリスト教普及度の高い韓国であるが、キリスト教普及以前に日本から唱歌という形でその旋律は入っていた。日本の唱歌によって、韓国独自の唱歌の発展が困難になったと安田氏はいう。

だがより広い視野で見るなら、16世紀の宗教改革に起源をもつ讃美歌によって、日本・韓国をはじめ、台湾・中国を巻き込んだ、いわゆる漢字文化圏の歌謡が19世紀後半から20世紀初めにかけて大きく変わることを余儀なくされた歴史が見えてくるわけだ。

これはキリスト教、とくにプロテスタンティズムの影響のきわめて小さい中近東世界やインド世界の音楽を思い浮かべてみればすぐにわかることだ。アラブ音楽やインド音楽は、西洋音楽とはまったく異なる性格をもつものであり、これらの音楽はいまなお再生産されつづけている。

アメリカが伝道対象として重視していたのは中国である。日本よりも人口規模が大きいためである。これは義和団事件以後さらに強化されることになるが、アメリカと中国の見えざるつながりはキリスト教伝道にあるわけだ。

そしてまた、太平洋地域の島々もまた讃美歌の旋律が伝統音楽を駆逐してしまったのだ。讃美歌の旋律が、文字通りモダン(=近代的)に響いたからであろう。

すでに近代が終わった現在では、当たり前すぎて感激もなにもない状態ではあるのだが。


唱歌の本質は「旋律は讃美歌で歌詞は儒教の徳目」

もちろん当然のことながら、西洋音楽がすんなりと明治時代の日本人に受容されたわけではない

近代日本の教育を私学という形で切り開いた宣教師たちのミッションスクールでは讃美歌が歌われていたわけだが、教会関係者以外の一般人にとっては違和感だけではなく、かなり長いあいだ排斥の対象でもあった。

髷を切り洋装するというスタイルが一般庶民にまで普及するのは時間がかかったが、西洋音楽もまた感性に直接かかわるものだけに、受容されるには時間がかかったのである。明治時代にもっとも流行っていたのは娘浄瑠璃であり、森鴎外も熱心なファンであった。

唱歌を日本に導入することにあたって多大な貢献を果たしたのは薩摩藩出身の森有礼(もり・ありのり)であったが、彼は伊勢神宮での「不敬事件」という言いがかりをつけられて右翼の壮士に暗殺されている。森有礼は一橋大学の出発点である商法講習所という私塾を開設した人であるが、彼自身は留学中にキリスト教徒になっていた。

わたしが子どもの頃、「アーメン、そうめん、冷そうめん」というフレーズが、よく子どもどうしでクチにされていたが(・・最近はどうなのだろうか?)、明治時代の状況もだいたい想像がつくというものだろう。

日本の場合、近代化は西欧化として開始されたが、これは遅れて近代化がはじまったドイツやロシアなどと同様、上からの啓蒙という形で実行されたが、最大の難問は、西洋文明の根幹に位置しているキリスト教をどう扱うかという問題であった。

弱肉強食の国際社会で生き残るためには近代化は不可避、しかしキリスト教を中核に据えるわけにはいかないと判断した結果、政権内部での熾烈な争いを経て、近代国家日本の中核に据えたのは、儒教による国民教化と国家神道であった。

仏教やキリスト教という宗教とは次元の異なるのが神道を非宗教化した「国家神道」であり、仏教でも神道でもなく、ましてやキリスト教は論外、国民道徳は儒教によって行うというのが明治国家の結論であった。儒教による国民教化は明治20年代以降、「教育勅語」と「軍人勅諭」によって行われることとなる。

このように国民教化という点にかんしては、明治国家の内部で、キリスト教対儒教という対立がきわめて激しい対立状態にあったのだ。近代化と国民創生をどう両立させるか?

結論はきわめて折衷的なものであった。曲は讃美歌、歌詞は儒教の徳目という奇妙な折衷である。これが唱歌の本質だったのである。唱歌は讃美歌の替え歌でなのである!

日本の近代化に隠されていたこの事実。この事実は学校で教えられることはないが、きわめて重い。


日本人の脳は西洋音階に「洗脳」された

弱肉強食の国際社会で生き残るには中央集権化によりつよい軍隊をつくる必要もあった。そのためには、国民一人一人を近代的身体に改造することが必要であった。

幕末に軍制改革を行った諸藩がオランダ式の近代軍隊化を行った際、最新鋭の鉄砲や大砲だけでなく、鼓笛隊も導入したことは重要だ。これは発砲のリズムを音楽によって行ったためである。現在でも京都の時代祭りで見ることができる。

明治維新以後、身分制度が解体されて武士階級がなくなると、つぎは徴兵制が視野に入ってくる。国民皆兵というフランス革命以後の近代国家を成り立たしめる原理の一つである。

音楽にあわせてカラダを動かす。軍隊においては、これはまず行進において行われる。いわゆる行進曲(マーチ)である。

近代軍隊における体格改造は、このように音楽と体育の密接な関係のもとに実行された。

音声による洗脳と刷り込みは、もっぱら聴覚によって行われる。視覚よりも聴覚のほうが、人間にとってはより根源的な知覚であるからだ。

音楽というもっとも見えにくい、しかし人間にはもっとも深い部分に無意識に影響をあたえるものをつうじて日本人は身体改造されてきたわけだが、それは「洗脳」と「刷りこみ」という形で行われたことに気がつかねばならない。

幼少時からお遊戯や行進という形で、音感改造が行われたのである。もはや後戻りはできない不可逆の動きなのである。

日本人改造計画は、日本人の脳の改造から始まっていたのだ!

さまざまな社会制度が西洋から導入された明治時代初期に近代化は音楽をつうじて実行されたわけだが、讃美歌が唱歌として受容されたことにより、アメリカから入ってきたプロテスタンティズムは知らず知らずのうちに日本人のなかに定着してしまっている。

人間精神の根幹において、日本人は西欧化されてしまっているのである。いやすでに明治時代において「アメリカ化」が開始されていたというべきかもしれない。けっして敗戦後にアメリカナイズが始まったわけではないのだ。

もちろん、西洋音階による「洗脳」で、脳内がすべてが消去され書き換えられてしまったわけではない。近代以前の痕跡は日本人のDNAのなかに保存されていることは、日本人の音楽家の演奏に日本的なものがかいま見られると西洋人が指摘することでそれはわかる。

だが、安田氏の一連の著作が発表される以前に書かれた国語学者・金田一春彦による「唱歌」関連の著作などは全面的に書き直される必要がある。

唱歌の歌詞だけみていても、本当のことはなにもわからないのだ。

残念ながら、安田氏の著作は現在ほとんど品切れになっているが、心ある出版社はぜひ文庫化という形で復刊していただきたい。

日本人がいつから現在のような日本人になったかを知るためには、「唱歌誕生の秘密」を知らなくてはならないのだ。



<文献一覧>

『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』(安田寛、音楽之友社、1993)


<目 次>

プロローグ
第1章 庭の千草も虫の音も
第2章 たんたんたぬきの
第3章 蛍の光 窓の雪
第4章 うつくしきわがかみのこは
第5章 夢は今もめぐりて
エピローグ
あとがき
引用文献および参考文献









『日韓唱歌の源流-すると彼らは新しい歌を歌った-』(安田寛、音楽之友社、1999)


<目 次>

プロローグ 金日成の模範的革命歌謡
第1章 演歌朝鮮半島起源説の真偽
第2章 東アジアに越境した唱歌
第3章 リズムのDNA鑑定
第4章 日本唱歌の起源
第5章 宣教団体「アメリカン・ボード」讃美歌伝道
第6章 軍歌讃美歌発生説
第7章 大衆が熱狂的に支持した軍歌
第8章 韓国唱歌の不動の型になった軍歌
第9章 讃美歌の繁殖力の秘密
第10章 二重の洗礼
第11章 韓国唱歌の遺伝子鑑定
エピローグ 讃美歌の洗礼を受けたミクロネシアの島々
主要参考文献
あとがき
図版・楽譜・写真の出典および所蔵一覧




『「唱歌」という奇跡 十二の物語-讃美歌と近代化の間で-』(安田寛、文春新書、2003)


<目 次>

はじめに
1. 「むすんでひらいて」
2. 「蛍の光」
3. 「蝶々」
4. 「数え歌」
5. 「海ゆかば」
6. 「君が代」
7. 「さくらさくら」
8. 「法の御山」
9. 「一月一日」
10. 「故郷」
11. 「真白き富士の根」
12. 「シャボン玉」
図版・楽譜・写真の出典および所蔵一覧
あとがき





『日本の唱歌と太平洋の讃美歌-唱歌誕生はなぜ奇跡だったのか-(奈良教育大学ブックレット)』(安田寛、東山書房、2008)


目 次

はじめに
1. FM古都
2. 唱歌と童謡
3. 研究の面白さ
4. 唱歌という奇跡
5. 唱歌誕生は奇跡だった
6. インターディシプリン
7. 「蝶々」の場合
8. アジア太平洋の讃美歌と唱歌
9. キリスト教海外伝道とは
10. 伝道にとっての音楽
11. 讃美歌集の仕事
12. 宣教師は歌が上手だったのか
13. どんな人が宣教師になったのか
14. アンドリュウ
15. 讃美歌は簡単に受け入れられたのか
16. 土地の古くからの歌との関係は
17. 唱歌はなぜ他所では生まれなかったのか
18. 唱歌の劇的な誕生
19. アジア太平洋で唱歌が果たした役割
20. 今後の研究について
あとがき





著者プロフィール

安田 寛(やすだ・ひろし)
1948年、山口県生まれ。国立音楽大学声楽科卒、同大学院修士課程で音楽美学を専攻。山口芸術短期大学助教授、弘前大学教育学部教授を経て、2001年より奈良教育大学教育学部教授。19世紀、20世紀の環太平洋地域の音楽文化の変遷について研究中。著書に、『唱歌と十字架』(音楽之友社、1993)、『日韓唱歌の源流』(音楽之友社、1999)、『原典による近代唱歌集成』(編集代表、CD30巻+楽譜+資料、ビクターエンタテイメント、2000)、『唱歌という奇跡 十二の物語』(文藝春秋、2003)、『日本の唱歌と太平洋の讃美歌-唱歌誕生はなぜ奇跡だったのか』(奈良教育大学ブックレット第2号、2008)などがある。2001年に第27回放送文化基金賞番組部門個別分野「音響効果賞」、2005年に第35回日本童謡賞特別賞を受賞。奈良市在住。最新刊は『バイエルの謎-日本文化になったピアノ教則本』(音楽之友社、2012)。






<参考>

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) というブログ記事でわたしは以下のように書いている。

・・「日本におけるキリスト教の不振」についての文化人類学者・泉靖一の発言が興味深い。

「中国と朝鮮では、朱子学が村落レベルまで浸透しました。朱子学の発想には二元論的発想がととのえられています。だから、中国と朝鮮のキリスト教化のために、朱子学が論理的地ならしをしたと、皮肉ることもできます。ところが、日本の場合は、これと趣きを異にします・・(後略)・・」。

以下は、わたしが書いた文章の再録である。

「ただし、岡本太郎の、「岡本 そうですね。それを考えると、日本人ってのはまったく不思議な民族だと思いますね。これだけ融通無碍でありながら、みじんも影響されていない。」、という認識は必ずしも正しくない。
 日本人は、キリスト教徒と名乗る人が全人口の1%程度であるというだけの話であって、日本人のものの考え方に、知らず識らずのうちにキリスト教が浸透していると私は考えている。
 明治維新以降、日本の思想家はキリスト教との格闘をつうじて、ある者は全面的に取り入れ、ある者は全面的に排斥したが、多くの者は外国文学などをつうじてキリスト教に触れている。そして多くの一般人は、無意識のうちにキリスト教の影響を受けているのが実態である。・・(中略)・・まあ、こんな風に考えていくと、今後も日本ではキリスト教徒は増えることはないだろう。自分にとって都合のいいもの、受容しやすい部分だけ、無意識に取捨選択して、すでに十分に取り入れてしまっているからだ」。

この時点の発想にはまだ限界があったのだ。唱歌=讃美歌をつうじて、日本人は感性レベルにおいても、不可逆の影響をキリスト教、とくにプロテスタンティズムから受けてきたのである。ただし、教義も信仰も受け入れなかったのではあるが。しかし、それが「日本近代」というものの本質でもあろう。



<ブログ内関連記事>

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・キリスト教伝道のため来日し日本に帰化したヴォーリズ

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・まず日本に入ってきたのは漢訳聖書であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となる

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・同志社の伝道によってキリスト教徒となった京都府綾部の人

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・翻訳者の中村正直は儒者として身を立てたが英国留学を機会にキリスト教徒となった

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した! ・・ラジオの説教は耳からの洗脳

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・「日本におけるキリスト教の不振」についての文化人類学者・泉靖一の発言が興味深い。「中国と朝鮮では、朱子学が村落レベルまで浸透しました。朱子学の発想には二元論的発想がととのえられています。だから、中国と朝鮮のキリスト教化のために、朱子学が論理的地ならしをしたと、皮肉ることもできます。ところが、日本の場合は、これと趣きを異にします・・(後略)・・」。

書評 『傭兵の二千年史』(菊池良生、講談社現代新書、2002)-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ③
・・世界でもっともはやく近代的な軍政改革を行ったのはオランダ

「秋季雅楽演奏会」(宮内庁式部職楽部)にいってきた(2012年10月19日)
・・宮内庁式部職楽部は西洋音楽のクラシックも演奏する。明治時代初期にかれらが最初に決断したことである

「築地本願寺 パイプオルガン ランチタイムコンサート」にはじめていってみた(2014年12月19日)-インド風の寺院の、日本風の本堂のなかで、西洋風のパイプオルガンの演奏を聴くという摩訶不思議な体験
・・浄土真宗とプロテスタント教会の教会音楽が結びつく

 (2014年12月20日 情報追加)






(2012年7月3日発売の拙著です)





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end

2013年10月16日水曜日

夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い


夢野久作の快作 『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い。

前半生を悔い改めた元暴力団員たちのキリスト教伝道団(!)が自らの反省を語った『刺青クリスチャン 親分はイエス様』(ミッション・バラバ、講談社プラスアルファ文庫、2001)という抱腹絶倒だがえらくまじめな自伝集があるが、それよりもはるかに面白いのが『近世怪人伝』に登場する元福岡藩士の奈良原到(ならはら・いたる)という無名人の語りである。

「青空文庫」に全文がアップされているので、ぜひ読んでいただきたいが、「まえがき」と聖書にまつわる語りだけでも紹介しておこう。

夢野久作は、主人公による語りが特徴の独特な文体をもった作家であった。読みやすくするため改行を増やしておいた。かなり長い引用になるが、夢野久作については後述する。まずは引用文を読んでいただきたい。

まえがき

筆者の記憶に残っている変った人物を挙げよ……という当代一流の尖端雑誌新青年子の註文である。もちろん新青年の事だから、郵便切手に残るような英傑の立志談でもあるまいし、神経衰弱式な忠臣孝子の列伝でもあるまいと思って、なるべく若い人達のお手本になりそうにない、処世方針の参考になんか絶対になりっこない奇人快人の露店を披ひらく事にした。

とはいえ、何しろ相手が了簡(りょうけん)のわからない奇人快人揃いの事だからウッカリした事を発表したら何をされるかわからない。新青年子もコッチがなぐられるような事は書かないでくれという但書(ただしがき)を附けたものであるが、これは但書を附ける方が無理だ。奇行が相手の天性なら、それを書きたいのがこっちの生れ付きだから是非もない。サイドカーと広告球(アドバルン)を衝突させたがる人間の多い世の中である。お互いに運の尽きと諦めるさ。

・・(中略)・・

奈良原到

前掲の頭山、杉山両氏が、あまりにも有名なのに反して、両氏の親友で両氏以上の快人であった故奈良原到(ならはら・いたる)翁があまりにも有名でないのは悲しい事実である。のみならず同翁の死後と雖(いえど)も、同翁の生涯を誹謗(ひぼう)し、侮蔑(ぶべつ)する人々が尠(すくな)くないのは、更に更に情ない事実である。

奈良原到翁はその極端な清廉潔白と、過激に近い直情径行が世に容(い)れられず、明治以後の現金主義な社会の生存競争場裡に忘却されて、窮死(きゅうし)した志士である。つまり戦国時代と同様に滅亡した英雄の歴史は悪態(あしざま)に書かれる。劣敗者の死屍(しかばね)は土足にかけられ、唾(つばき)せられても致方(いたしかた)がないように考えられているようであるが、しかし斯様(かよう)な人情の反覆の流行している現代は恥ずべき現代ではあるまいか。

・・(中略)・・

国府津(こうづ)に着いてから正宗の瓶と、弁当を一個買って翁に献上すると、流石(さすが)に翁の機嫌が上等になって来た。同時に翁の地声がダンダン潤おいを帯びて来て、眼の光りが次第に爛々炯々(らんらんけいけい)と輝き出したので、向い合って坐っていた二人が気味が悪くなったらしい。箱根を越えない中(うち)にソコソコと荷物を片付けて、前部の車へ引移ってしまったので、翁は悠々と足を伸ばした。世の中は何が倖(しあわせ)になるかわからない。筆者もノウノウと両脚を踏伸ばして居ねむりの準備を整える事が出来た。その二人の脚の間へ翁が又、弁当箱の蓋にオッ立てた蝋燭(ろうそく)の火を置いたので、筆者は又、油断が出来なくなった。

翁は一服すると飯を喰い喰い語り出した。

「北海道の山の中では冬になると仕様がないけに毎日毎日聖書を読んだものじゃが、良(え)え本じゃのう聖書は …… アンタは読んだ事があるかの ……」

「あります …… 馬太(マタイ)伝と約翰(ヨハネ)伝の初めの方ぐらいのものです」

「わしは全部、数十回読んだのう。今の若い者は皆、聖書を読むがええ。あれ位、面白い本はない」

「第一高等学校では百人居る中で恋愛小説を読む者が五十人、聖書を読む者が五人、仏教の本を読む者が二人、論語を読む者が一人居ればいい方だそうです」

「恋愛小説を読む奴は直ぐに実行するじゃろう。ところが聖書を読む奴で断食をする奴は一匹も居るまい」

「アハハ。それあそうです。ナカナカ貴方(あなた)は通人ですなあ」

「ワシは通人じゃない。頭山や杉山はワシよりも遥かに通人じゃ。恋愛小説なぞいうものは見向きもせぬのに読んだ奴等が足下にも及ばぬ大通人じゃよ」

「アハハ。これあ驚いた」

「キリストは豪(えら)い奴じゃのう。あの腐敗、堕落したユダヤ人の中で、あれだけの思い切った事をズバリズバリ云いよったところが豪(えら)い。人触(ふ)るれば人を斬り、馬触(ふ)るれば馬を斬るじゃ、日本に生れても高山彦九郎ぐらいのネウチはある男じゃ」

「イエス様と彦九郎を一所(いっしょ)にしちゃ耶蘇(やそ)教信者が憤(おこ)りやしませんか」

「ナアニ。ソレ位のところじゃよ。彦九郎ぐらいの気概を持った奴が、猶太(ユダヤ)のような下等な国に生れれば基督(キリスト)以上に高潔な修業が出来るかも知れん。日本は国体が立派じゃけに、よほど豪い奴でないと光らん」

「そんなもんですかねえ」

「そうとも …… 日本の基督教は皆(みな)間違うとる。どんな宗教でも日本の国体に捲込まれると去勢されるらしい。愛とか何とか云うて睾丸(きんたま)の無いような奴が大勢寄集まって、涙をボロボロこぼしおるが、本家の耶蘇はチャンと睾丸(きんたま)を持っておった。猶太(ユダヤ)でも羅馬(ロウマ)でも屁とも思わぬ爆弾演説を平気で遣(や)りつづけて来たのじゃから恐らく世界一、喧嘩腰の強い男じゃろう。日本の耶蘇教信者は殴られても泣笑いをしてペコペコしている。まるで宿引きか男めかけのような奴ばっかりじゃ。耶蘇教は日本まで渡って来るうちに印度洋かどこかで睾丸(きんたま)を落いて来たらしいな」

「アハハハハ。基督の十字架像に大きな睾丸(きんたま)を書添えておく必要がありますな」

「その通りじゃ。元来、西洋人が日本へ耶蘇教を持込んだのは日本人を去勢する目的じゃった。それじゃけに本家本元の耶蘇からして去勢して来たものじゃ。徳川初期の耶蘇教禁止令は、日本人の睾丸(きんたま)、保存令じゃという事を忘れちゃイカン」

筆者はイヨイヨ驚いた。下等列車の中(うち)で殺人英傑、奈良原到翁から基督教と睾丸(きんたま)の講釈を聞くという事は、一生の思い出と気が付いたのでスッカリ眼が冴えてしまった。

奈良原到翁の逸話はまだイクラでもある。筆者自身が酔うた翁に抜刀で追っかけられた話。その刀をアトで翁から拝領した話など数限りもないが、右の通(とおり)、翁の性格を最適切にあらわしているものだけを挙げてアトは略する。

因(ちなみ)に奈良原翁は嘗(かつ)て明治流血史というものを書いて出版した事があるという。これはこの頃聞いた初耳の話であるが、一度見たいものである。


どうだ、まいったか!?(笑) 

野卑で下品でグロテスクなまでの表現に満ち満ちていますが、それは奈良原翁本人の語りであるので悪しからずご了承いただきたく。

ちなみに上記の文章に登場する高山彦九郎(1747~1793)とは、江戸時代中期の熱烈な尊王思想家。戦前の修身の教科書に登場していた人物だそうですが、現在ではまったく知名度がありません。京都の三条大橋のそばに、ひざまずいて皇居(・・当時は京都)を望拝する銅像があります。

しかしまあ、イエス・キリストを「奇人」として知られていた高山彦九郎になぞらえるとは・・・

(京都の三条大橋そばの高山彦九郎像 筆者撮影)


奈良原翁の述懐は、幕末維新の白刃のもとを駆け抜けた武士のキリスト教と聖書との出会いの一例でありますね。

旧士族、とくに負け組となった旧士族のなかにはキリスト教徒になった者が多々ありますが、いずれもまじめくさったものが多いなか、新撰組出身の結城無二三(ゆうき・むにぞう)や、この奈良原到のようなテロリストのなれの果てのような例もあったことは記憶の片隅にでもおいておきたいものではありませんか?(・・ただし、奈良原到がキリスト教徒になったかどうかは、わたしにはわかりません)。

イエス・キリストを、「キリストは豪(えら)い奴じゃのう。あの腐敗、堕落したユダヤ人の中で、あれだけの思い切った事をズバリズバリ云いよったところが豪い」。また、「猶太でも羅馬(ロウマ)でも屁とも思わぬ爆弾演説を平気で遣やりつづけて来たのじゃから恐らく世界一、喧嘩腰の強い男じゃろう」と、心の奥底から共感しているのは、みずからも前半生を重ね合わせているのでしょうか。

なぜ武士が明治になってからキリスト教に出会って惚れこんだのか、その一つの解答にはなっているのではありますまいか?


「クリスチャン」という表現にまとりつくステレオタイプなイメージを壊すべき

この文章をあえて長々と引用したのは、わたしは「クリスチャン」という日本語が嫌いだからです。

英語の christian をそのままカタカナにしたのがクリスチャンですが、英語の christian とは違い、日本語でクリスチャンというと、どうしてもまじめだが融通の利かない人というイメージが固定化しているように思えてなりません。

わたし自身はキリスト教徒ではありませんが、わたしの知っているキリスト教徒の日本人は、かならずしもステレオタイプな「クリスチャン」ばかりではありません。いや、むしろそうでない人のほうが多いでしょう。

だからわたしは、「クリスチャン」ではなく「キリスト教徒」とという表現をいつもつかっているのです。仏教徒といえば千差万別であることはこの日本では自明なのに、クリスチャンというとイメージが固定していしまうのは避けるべきではないか、と。

カトリックには作家の遠藤周作のようにシリアスな純文学を書く一方で、ユーモア小説を量産していた人もいますが、それは個人的特性だと言って片づけられてしまう恐れがあるのではないでしょうか。

どう捉えるもその人の自由。わたしも奈良原翁と同様、イエス・キリストはかなり暴力的な人であったという印象をもっております。


夢野久作について

この文章が江戸川乱歩も連載をもっていた探偵小説の雑誌『新青年』に発表されたのは1935年(昭和10年)、その時代もまた幕末と同様にテロが横行した時代でありました。

翌年の1936年2月26日には日本を震撼させた二二六事件が勃発していますが、その直後の3月11日に夢野久作は急逝しています。享年48歳でした。

(夢野久作 wikipedia より)

「この本を書くために生きてきた」という述懐の 『ドグラマグラ』(1936年)という巨編を残して世を去った夢野久作は、右翼の巨頭であった杉山茂丸(すぎやま・しげまる)の長男でありました。

杉山茂丸や、その盟友で右翼結社・玄洋社の社長であった頭山満については、このブログでも 『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし! で取り上げてあります。いずれも明治維新に際して藩主の優柔不断のために苦杯をなめることになった旧福岡藩士です。

 『近世怪人伝』(1935年)は上掲の奈良原到は言うまでもなく、頭山満と杉山茂丸といた両巨頭から無名人に至るまで、最初から最後までとおして読んでいただきたい傑作なのであります。

冒頭に掲載したのは福岡の葦書房が創業25年記念として非売品として配ったものを古書店で購入したもの。わたしが読んできたのは、『夢野久作全集11』(ちくま文庫、1992)です。いずれも入手困難ですが、さいわいにもネット上の「青空文庫」で無料で読むことができます。

わたしは、この本を手にとってしまったが最後、そのたびについつい読みふけってしまうのであります。それほど面白いのです。抱腹絶倒しながら読めば、なぜか不思議な元気がでてくる内容です。

ぜひこの文章の前もふくめた全文をお読みいただきたいと思う次第です。




PS 2015年6月19日に文春学藝ライブラリーより、『近世怪人伝』が久々に復刊されます。青空文庫でも無料で読めますが、書籍の形で読みたい人はぜひ! (2015年6月17日 記す)






<ブログ内関連記事>

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!
・・「夢野久作といえば『ドグラマグラ』という小説で知られているが、その父は杉山茂丸という右翼の巨頭であった。茂丸の交友関係のなかに登場する最重要人物が頭山満であり、その姿は『百魔』(講談社学術文庫、)に活写されているだけでなく、息子の夢野久作(・・本名・杉山泰道)の『近世怪人伝』(昭和10年)に愛情をこめて描かれていることは知る人ぞ知ることだ。わたしの愛読書の一冊でもある。現在は、ちくま文庫に収録されているので、興味のある方はぜひお読みいただきたい」(・・ちくま文庫版は現在は入手困難。本文中に書いたように青空文庫で)

書評 『霊園から見た近代日本』(浦辺登、弦書房、2011)-「近代日本」の裏面史がそこにある

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門 ・・まずはこの一冊というべきナショナリズム入門

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・まず日本に入ってきたのは漢訳聖書であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

「旧江戸川乱歩邸」にいってみた(2013年6月12日)-「幻影城」という名の「土蔵=書庫」という小宇宙

「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは
・・夢野久作の傑作『ドグラ・マグラ』などについて触れてある




(2012年7月3日発売の拙著です)




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2013年10月15日火曜日

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

(表紙カバ-は、宣教師フルベッキと若き武士たち)

明治時代はキリスト教の時代といわれるほど、じつに多くの青年や若い女性がキリスト教に触れ、キリスト教の洗礼を受けたのであった。

それはキリスト教を伝道する側の熱情だけではなく、キリスト教を受け入れる側にも生まれていた熱情からきたものなのであった。第二次グローバリゼーションの大波のなか、近代化を西洋化として開始した日本にとって、キリスト教はそのバックボーンとして、受け入れるにせよ排除するにせよ、けっして無視できない存在であった。

本書は、オランダ人宣教師フルベッキからはじまる流れを、人物中心のエピソード集として一冊にまとめたものである。基本的にキリスト教宣教の立場から書かれているので、やや主張の展開に強引ではないかと思う個所がなくもないが、幕末維新から明治時代前半にかけての流れを知るには手ごろな一冊といえるだろう。

『武士道』(Bushido)の新渡戸稲造や、『余は如何にして基督信徒となりし乎』の内村鑑三がその典型であるが、明治時代以降キリスト教徒になった初期の日本人には旧武士階級出身者が多い。

第一次グローバリゼーションの戦国時代末期に伝来したカトリックとは異なり、聖書を読むことに重きをおいていたプロテスタント諸派にとって、儒教を中心として漢学を修めていたことで武士階級は基礎学力があった点で伝道相手としては格好の存在であったことだろう。

旧武士階級、なかでも精神のよりどころを求めていた没落士族にとっては「干天の慈雨」というべきものだったのだろう。渇きを求めた精神は水を吸うようにキリスト教を吸収したのであった。

終章で福澤諭吉を取り上げているのは、著者が慶應義塾大学卒業というだけではない。キリスト教排撃論者として知られていた福澤諭吉は、じつはキリスト教には理解があり、のちには自分の考えを改め、それを新聞論説で公表している。

おそらくかの有名なフレーズ「天は人の上に・・・」にでてくる「天」は、キリスト教の「天」(Heaven)も念頭にあったのかもしれない。

著者は言及していないが、西郷隆盛の有名な「敬天愛人」もキリスト教と関係があるという説もあるくらいだ。『自助論』の翻訳者・中村正直をつうじて知ったものらしい。中村正直は儒者でキリスト教徒となった人だ。

個々の人物についての深掘りはないのがやや物足りないが、一般にはあまり知られていないエピソードを多くとりあげている点はよい。

NHK大河ドラマ『八重の桜』の後半を見て、明治時代とキリスト教の関係について気になった人には、読んで損はない一冊として薦めておきたい。





目 次

はじめに
プロローグ
第1章 洋上に浮かんでいた聖書
第2章 坂本竜馬を斬った男-今井信郎
第3章 自由民権運動の嵐の中で-坂本直寛
第4章 梅子、八歳のアメリカ体験-津田梅子
第5章 欧米使節団と密航青年-新島襄1
第6章 小刀で漢訳聖書を求める-新島襄2
第7章 会津のジャンヌダルク-新島八重
第8章 十字屋を開いた元・与力の商才-原胤昭
第9章 少年よ大志を抱け-クラーク博士の教え子たち
第10章 イエスを愛し日本を愛す-内村鑑三
第11章 われ太平洋の架け橋とならん-新渡戸稲造
第12章 一万円のあの人の話-福沢諭吉
エピローグ

著者プロフィール 

守部喜雅(もりべ・よしまさ)
1940年、中国上海市生まれ。慶応義塾大学卒業。1977年から97年まで、クリスチャン新聞・編集部長、99年から2004年まで月刊『百万人の福音』編集長。ジャーナリストとして、四半世紀にわたり、中国大陸のキリスト教事情を取材(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

敬天愛人の原拠(田村貞雄 日本近代史)
・・西郷隆盛といえば「敬天愛人」。この「敬天愛人」の根拠は漢訳聖書にあるらしい。直接の典拠は儒者でキリスト教徒であった中村正直にあるようだ。さらにさかのぼれば康煕帝の「敬天愛人」に


<ブログ内関連記事>

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・まず日本に入ってきたのは漢訳聖書であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となる

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・同志社の伝道によってキリスト教徒となった京都府綾部の人

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・翻訳者の中村正直は儒者として身を立てたが英国留学を機会にキリスト教徒となった

書評 『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』(太田愛人、中公文庫、1992)-静岡を基点に山梨など本州内陸部にキリスト教を伝道した知られざる旧幕臣たち

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!

書評 『なんでもわかるキリスト教大事典』(八木谷涼子、朝日文庫、2012 初版 2001)一家に一冊というよりぜひ手元に置いておきたい文庫版サイズのお値打ちレファレンス本

(2014年7月18日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)





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2013年10月14日月曜日

書評 『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』(小林節+伊藤真、合同出版、2013)-「主権在民」という理念を無視した自民党憲法草案に断固NOを!


本書は立場を異にする二人の憲法論の論客が自民党憲法草案に「赤ペン先生として添削を行い、そのうえで憲法改正をめぐって対談を行ったもの。たいへん読みやすく、論旨明快だ。

わたしは小林節教授の「(護憲的)改憲論」という立ち位置に賛同だ。世代的には、わたしはむしろ司法試験受験界での知名度の高い伊藤真氏に近いのだが、伊藤氏の手放しの「護憲論」には賛成しかねる。したがって、小林教授の赤ペン修正事項に賛成だが、伊藤氏の赤ペン修正事項にはやや違和感を感じる。

(小林教授と伊藤真氏による赤ペン添削の例 憲法前文から真っ赤)


憲法改正というとむかしから憲法9条の交戦権の項目ばかりに目が行くのが問題ではあるのだが、重要な事項であるので簡単にみておこう。

憲法9条について小林教授は、「権力者はやりたい放題、国民の義務ばかりが増える-日本人が知らない自民党憲法改正案の意義とリスク――小林節・慶應義塾大学法学部教授に聞く」 (ダイヤモンドオンライン 2013年7月26日)というインタビューで簡潔に語っているので紹介しておこう。

小林教授は以下のように述べている。

(1)「侵略戦争はしない」、(2)「ただし独立主権国家である以上、侵略を受けたら自衛戦争はする」、(3)「そのために自衛軍を持つ」、(4)「国際国家として国際貢献もするが、それには国連決議の他に事前の国会決議も必要とする」と明記すればいいのではないか。そうすれば、日本を狙っている国に対しては牽制になるし、日本を恐れている国に対しては安心感を与えられます。あらゆる意味において、世界は納得するのです。

小林教授の発言はしごくまっとうなもの。憲法9条の改正は、わたしも全面的に賛成。自衛隊は実質的に軍隊であり、国際的にも国内的にも法的な性格を明確化するのがのぞましい。改正なしの憲法解釈だけでもいいのだが、やはり改正してスッキリすべきだろう。

ただし、小林教授は「第96条改正」というのは姑息な手段だとして斬り捨てておられる。この立場にも大いに賛同。改正は 2/3以上というのは国際標準だからだ。1/2以上で改正OKなど言語道断だ。改憲の前に、まずは最高裁で違憲判決のでている「一票の格差是正」が先決事項である。

「憲法改正を唱えて来たのは復古主義の自民党世襲議員たち」という小林教授の発言は、きわめてただしい認識だ。

わたしは「戦後」にまったく問題がなかったとは言うつもりはないが、現在のさまざまな社会問題の原因が現行憲法にあるというかれらの論法には強い違和感を感じる。そもそも、この両者には時間的な並行関係はあっても、因果関係が成り立つかどうかは大いに疑わしい。だから、現行憲法の改正は慎重に行うべきだと考える。

明治憲法は天皇陛下から臣民に下賜された欽定憲法であったが、現行の日本国憲法がアメリカに押し付けられたというのはあまりにも一面的で、明治時代の「自由民権運動」で前面に打ち出された「主権在民」という絶対に譲れない理念が結晶化されたものだという積極的な側面もあることに注意を喚起しなくてはならない。

「主権在民」という基本理念を捻じ曲げようとする現在の「自民党改正案」にはわたしは断固反対である。「民権」よりも「国権」を上位に置く発想は、根本的に間違っていると言わざるをえない。それは政治家の発想だけでなく、「民」を蔑視する「官」の発想でもある。

そもそも憲法(The Constitution)とは主権者である国民が権力の暴走を防ぐための装置であり、国の構成や成り立ち(constitution)を成文法として規定したものだ。主権は為政者ではなく、あくまでも国民の側にあることを誤解してはいけない。

しかも、現行憲法は施行されてからすでに66年、すでにデファクトな規範として日本国民に共有され定着している。改正すべき点は改正しても、その根幹は残すべきなのだ。

たとえ反対派といえども、あえて対話の機会をもち、その結果として、議論が落ち着くべき所に落ちついていくのがただしい民主主義(デモクラシー)のあり方だという姿勢。これを身をもって体現している小林教授と伊藤氏によるこの共著はぜひ読んでいただきたいと思う次第だ。

「主権在民」という理念を無視した「自民党憲法草案」に断固NOを!





目 次

はしがき(伊藤 真)
第1部 添削編-自民党憲法改正草案への赤字添削
第2部 対談編-小林節×伊藤真「自民党憲法改正草案はなぜダメなのか」
あとがき(小林 節)
あとがき(伊藤 真)
【巻末資料】 日本憲法改正草案(現行憲法対照)

著者プロフィール

小林 節(こばやし・せつ)
1949年生まれ。元ハーバード大学研究員。憲法学。テレビの討論番組でも改憲派の論客としてお馴染み。自民改憲草案作成プロセスに関わりながら、出てきた草案をみて、あまりの復古主義の強い、立憲主義を逸脱した内容に仰天する。共著に『対論!戦争、軍隊、この国の行方』(青木書店)『「憲法」改正と改悪 憲法が機能していない日本は危ない』(時事通信社)など多数。

伊藤 真(いとう・まこと)
伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長。1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、憲法や立憲主義について、論理的でわかりやすい説明はつとに有名で、全国各地へ講演に奔走している。『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)『憲法の力』(集英社新書)『中高生のための憲法教室』(岩波ジュニア新書)など多数。




<関連サイト>

「権力者はやりたい放題、国民の義務ばかりが増える-日本人が知らない自民党憲法改正案の意義とリスク――小林節・慶應義塾大学法学部教授に聞く」 (ダイヤモンドオンライン 2013年7月26日)

「お坊ちゃま改憲論」安倍政権の危険な解釈改憲駐在先の手先になった外交官、稚拙なロビーイングでは中韓に対抗できぬ-小林節氏」 (JBPress 2014年2月28日)

日本国憲法改正草案(自民党公式サイト)



日本国憲法(日本語全文) (法務省)

THE CONSTITUTION OF JAPAN (首相官邸)



NHK、天皇陛下の「お言葉」を恣意的に一部カットして報道~蜜月・安倍政権への“配慮” (Business Journal  2014年1月23日) 
・・「削除された天皇の「お言葉」の該当部分は以下のようなくだりだ。 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」」


(参考) 「天皇陛下お誕生日に際し(平成25年)」 

 「天皇陛下の記者会見」
 会見年月日:平成25年(2013年)12月18日
 会見場所:宮殿 石橋の間

(記者会見をなさる天皇陛下 出所:宮内庁)

(日本語) 
   ⇒ http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h25e.html
 (英文) Press Conference on the occasion of His Majesty's Birthday (2013)  ⇒ http://www.kunaicho.go.jp/e-okotoba/01/press/kaiken-h25e.html
 (情報出所:宮内庁)

(宮内記者会代表質問)
(問1) 陛下は傘寿を迎えられ、平成の時代になってまもなく四半世紀が刻まれます。昭和の時代から平成のいままでを顧みると、戦争とその後の復興、多くの災害や厳しい経済情勢などがあり、陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事や、傘寿を迎えられたご感想、そしてこれからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせ下さい。
【陛下】 80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。
私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。
After the war, Japan was occupied by the allied forces, and based on peace and democracy as values to be upheld, established the Constitution of Japan, undertook various reforms and built the foundation of Japan that we know today. I have profound gratitude for the efforts made by the Japanese people at the time who helped reconstruct and improve the country devastated by the war. I also feel that we must not forget the help extended to us in those days by Americans with an understanding of Japan and Japanese culture.
戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。 傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地で様々に我が国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。既に80年の人生を歩み、これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが、年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたいと思っています。
80年にわたる私の人生には、昭和天皇を始めとし、多くの人々とのつながりや出会いがあり、直接間接に、様々な教えを受けました。宮内庁、皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。 天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。 これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います。

(問2) 両陛下が長年続けられてきた「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設訪問について、来年を最後に若い世代に譲られると宮内庁から発表がありました。こうした公務の引き継ぎは、天皇陛下と皇太子さまや秋篠宮さまとの定期的な話し合いも踏まえて検討されていることと思います。現在のご体調と、こうした公務の引き継ぎについてどのようにお考えかお聞かせ下さい。
【陛下】 「こどもの日」と「敬老の日」にちなんで、平成4年から毎年、子どもや老人の施設を訪問してきましたが、再来年からこの施設訪問を若い世代に譲ることにしました。始めた当時は2人とも50代でしたが、再来年になると、皇后も私も80代になります。子どもとはあまりに年齢差ができてしまいましたし、老人とはほぼ同年配になります。再来年になると皇太子は50代半ばになり、私どもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。この引き継ぎは体調とは関係ありません。 負担の軽減に関する引き継ぎについては、昨年の記者会見でお話ししたように、今のところしばらくはこのままでいきたいと思っています。

(問3) 今年は五輪招致活動をめぐる動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが、陛下は皇室の立場と活動について、どのようにお考えかお聞かせ下さい。
【陛下】
日本国憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定されています。この条項を順守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています
。 しかし、質問にあった五輪招致活動のように、主旨がはっきりうたってあればともかく、問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合、参与も宮内庁長官始め関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を順守する立場に立って、事に当たっていくつもりです。

(関連質問) 質問させていただきます。先日、陛下は皇后さまとインドを訪問され、日印の友好親善を更に深められました。53年ぶりとなったインド公式訪問の御感想をお聞かせ願うとともに、国際友好親善に際して陛下が心掛けていらっしゃることについても併せてお聞かせ下さい。
【陛下】 この度のインドの訪問は、(昨年が)インドとの国交60周年という節目の年に当たっておりましてインドを訪問したわけです。 インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が日本を国賓として訪問されたことに対する答訪として、昭和天皇の名代として訪問したわけです。当時は、まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから、私が天皇の名代として行くことになったわけです。 当時のことを思い起こしますと、まだインドが独立して間もない頃、プラサド大統領は初代の大統領でしたし、これからの国造りに励んでいるところだったと思います。ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。それからネルー首相と、世界的に思想家としても知られた人たちでしたし、その時のインドの訪問は振り返っても意義あるものだったと思います。 そして、私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは割合に本を読んだりしていましたが、その間に横たわる地域の歴史というものは本も少なく、あまり知られないことが多かったわけです。この訪問によって両地域の中間に当たる国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。 今度のインドの訪問は、前の訪問の経験がありますので、ある程度、インドに対しては知識を持っていましたが、一方で、日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているということを感じました。 ネルー大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで非常に立派なディスカッションだったように思います。また、公園で会ったインドの少年が、地域の環境問題を一生懸命に考えている姿も心に残るものでした。 そういう面で、これからインドとの交流、また、インドそのものの発展というものに大きな期待が持たれるのではないかという感じを受けた旅でした。

以前2006年のことであるが、日本将棋連盟会長で東京都教育委員の米長邦雄氏が日本中の学校で国旗を揚げて、国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます。今、頑張っております」と申し上げたのに対して、 「やはり強制になるということでないことが望ましいと思います」と天皇陛下が御答えになったということを忘れるべきではない。

天皇陛下の御言葉を勝手に削除して報道するような行為は、天皇陛下をないがしろにする、まことにもって「不忠」にして「不敬」なものと言わねばならない。

わたしはいわゆる「護憲派」ではなく「改憲派」であるが、不忠で不敬な行為をつづける自称「保守派」の人たちには、きわめてつよい違和感を感じている。「改憲」は正々堂々と議論して実施に向けて推進するべきだ。

近代日本の出発点は「五箇条の御誓文」である。

「我国未曾有の変革を為さんとし、朕(ちん)躬(み)を以て衆に先(さきん)じ、天地神明に誓ひ、大に斯 (この)国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆亦此(この)趣旨に基き協心努力せよ」と述べられた明治天皇の御心をいまいちど想起しなくてはならならない。「五箇条の御誓文」に込められた「理念」がすべて実現してきたわけではないが、自由な議論を圧殺する政治には怒りを感じる。

「主権在民」の日本国憲法の本質をもっとももよく理解しておられるのが今上天皇陛下であろう。わたしも含めた一般国民以上に。

(2014年1月24日 記す)



(参考) 皇后陛下お誕生日に際し(平成25年)

  宮内記者会の質問に対する文書ご回答

(日本語) ⇒ http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h25sk.html
(英語) ⇒ http://www.kunaicho.go.jp/e-okotoba/01/press/gokaito-h25sk.html
 (情報出所:宮内庁)

問1  東日本大震災は発生から2年半が過ぎましたが,なお課題は山積です。一方で,皇族が出席されたIOC総会で2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まるなど明るい出来事がありました。皇后さまにとってのこの1年,印象に残った出来事やご感想をお聞かせ下さい。
皇后陛下この10月で,東日本大震災から既に2年7か月以上になりますが,避難者は今も28万人を超えており,被災された方々のその後の日々を案じています。
7月には,福島第一原発原子炉建屋の爆発の折,現場で指揮に当たった吉田元所長が亡くなりました。その死を悼むとともに,今も作業現場で働く人々の安全を祈っています。大震災とその後の日々が,次第に過去として遠ざかっていく中,どこまでも被災した地域の人々に寄り添う気持ちを持ち続けなければと思っています。
今年は10月に入り,ようやく朝夕に涼しさを感じるようになりました。夏が異常に長く,暑く,又,かつてなかった程の激しい豪雨や突風,日本ではこれまで稀な現象であった竜巻等が各地で発生し,時に人命を奪い,人々の生活に予想もしなかった不便や損害をもたらすという悲しい出来事が相次いで起こりました。この回答を準備している今も,台風26号が北上し,伊豆大島に死者,行方不明者多数が出ており,深く案じています。世界の各地でも異常気象による災害が多く,この元にあるといわれている地球温暖化の問題を,今までにも増して強く認識させられた1年でした。
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
 It seems to me that this year, before and after the Constitution Memorial Day in May, we saw more active discussion regarding the constitution than in previous years. As I followed the discussion, mainly in the papers, I recalled the Itsukaichi Constitution Draft, which we once saw at the Folk Museum of Itsukaichi during our visit to Itsukaichi in Akiruno City. Many years before the Meiji Constitution was promulgated in 1890, the local elementary school teachers, village heads, farmers, and other common people gathered together, and after much deliberation, drew up a private draft constitution. The constitution contains 204 articles, including those about respect for basic human rights, guarantee of freedom of education, the obligation to receive education, equality under law, as well as freedom of speech and freedom of religion, and it also mentions local autonomy. I was told that similar draft constitutions were drawn up by the people in more than 40 places across Japan at the time. I was deeply impressed by the strong desire for political participation of the people who lived at the dawn of modern Japan and their passionate hopes for the future of our country. As a document of how ordinary citizens in Japan had already developed an awareness of civil rights at the end of the 19th century, in a country which was just opening up after years of closure, I think it is a rare cultural asset in the world.
オリンピック,パラリンピックの東京開催の決定は,当日早朝の中継放送で知りました。関係者の大きな努力が報われ,東京が7年後の開催地と決まった今,その成功を心から願っています。
世界のあちこちで今年も内戦やテロにより,多くの人が生命を失い,又,傷つけられました。取り分けアルジェリアで,武装勢力により「日揮」の関係者が殺害された事件は,大きな衝撃でした。国内では戦後の復興期,成長期に造られた建造物の多くに老朽化が進んでいるということで,事故につながる可能性のあることを非常に心配しています。
この1年も多くの親しい方たちが亡くなりました。阪神淡路大震災の時の日本看護協会会長・見藤隆子さん,暮しの手帖を創刊された大橋鎮子さん,日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテ・ゴードンさん,映像の世界で大きな貢献をされた高野悦子さん等,私の少し前を歩いておられた方々を失い,改めてその御生涯と,生き抜かれた時代を思っています。
先の大戦中,イタリア戦線で片腕を失い,後,連邦議会上院議員として多くの米国人に敬愛された日系人ダニエル・イノウエさんや,陛下とご一緒に沖縄につき沢山のお教えを頂いた外間守善さん,芸術の世界に大きな業績を残された河竹登志夫さんや三善晃さんともお別れせねばなりませんでした。
この10月には,伊勢神宮で20年ぶりの御遷宮が行われました。何年にもわたる関係者の計り知れぬ努力により,滞りなく遷御せんぎよになり,悦ばしく有り難いことでございました。御高齢にかかわらず,陛下の姉宮でいらっしゃる池田厚子様が,神宮祭主として前回に次ぐ2度目の御奉仕を遊ばし,その許で長女の清子も,臨時祭主としてご一緒に務めさせて頂きました。清子が祭主様をお支えするという,尊く大切なお役を果たすことが出来,今,深く安堵しております。  (以下略)
(2015年8月13日 追加)



憲法学者・竹田恒泰の憲法改正講義(上) 「日本人は愛国心をいかにして取り戻すべきか 96条改正と集団的自衛権の真の論点を語ろう」 (ダイヤモンドオンライン、2014年3月26日)
・・「率直に言って、96条の先行改正には反対です。それは逆に、憲法改正にとって遠回りになると思えるからです」 ⇒ 大いに安心

憲法学者・竹田恒泰の憲法改正講義(下)「象徴天皇や愛国心にまで踏み込んではいけない改憲ありきではなく、守るべきものを議論せよ」  (ダイヤモンドオンライン、2014年4月2日)
・・「(質問者):国体が護持された結果、天皇と日本人の関係は何も変わっていないということですね。天皇については、憲法の条文を変える必要がないと。 (竹田):その通りです」 ⇒ 大いに安心
・・「今必要なのは、まさに「護憲的改憲」の考え方です。す。96条の先行改正を唱えた自民党のように「改憲のための改憲」になってしまってはいけません」 ⇒ 大いに賛同。竹田氏の考えは、基本的に小林教授のものに近いことがわかる

(2014年4月3日 記す)


《発言全文》 安保法案「違憲」とバッサリ、与党推薦の長谷部教授が語った「立憲主義」 (弁護士ドットコム、2015年6月5日)
・・「国会で「安保法制」の審議が行われている最中の6月4日に開かれた衆議院の「憲法審査会」で、自民党、公明党が推薦した憲法学者の長谷部恭男・早稲田大大学院法務研究科教授が、与党の安保法制に「違憲」の評価を突きつける、異例の事態が起きた」(記事冒頭の一文)

(2015年6月6日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・この本に収録された安倍晋三と石破茂という、1950年代中期生まれの「ポスト団塊世代」の二人の自民党政治家こそ、小林教授のいう「憲法改正を唱えて来たのは復古主義の自民党世襲議員たち」である。政治家としての能力と思想は是々非々で区分しなくてはならない。 「1954年生まれの安倍晋三、1957年生まれの石破茂という「ポスト団塊世代」の政治家二人。奇しくも復活した第二次安倍内閣で総理大臣と自民党幹事長という要職についている二人である。安倍晋三は満洲国で統制経済を主導した「革新官僚」岸信介の孫である。石破茂は大陸や半島に海を挟んで最前線のある島根出身の政治家である。著者は、団塊世代と団塊ジュニアにはさまれた「ポスト団塊世代」に、「戦前・戦中」と「戦後」をつなぐものがあるとみているのだろうか?「戦前・戦中」と「戦後」はいっけん断絶したようにみえて、じつは根底のところでつながっているのである」

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと
・・民権>国権か、民権<国権か、この議論は明治時代に近代化が始まって以来の争点である

「五箇条の御誓文」(明治元年)がエンカレッジする「自由な議論」(オープン・ディスカッション)

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!
・・国権主義者と目される頭山満であるが、もともとは民権思想家の中江兆民とは親友であり、頭山満の思想とは民権は国権が主導してこそ実現するという趣旨すべしというもので、民権派との違いはバランスの力点の置き方の違いであったことに注意したい

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

『足尾から来た女』(2014年1月)のようなドラマは、今後も NHK で製作可能なのだろうか?
・・安部政権の進める公共放送への介入に大いなる懸念を抱く

書評 『憲法改正のオモテとウラ』(舛添要一、講談社現代新書、2014)-「立憲主義」の立場から復古主義者たちによる「第二次自民党憲法案」を斬る

「国境なき記者団」による「報道の自由度2015」にみる日本の自由度の低さに思うこと-いやな「空気」が充満する状況は数値として現れる

(2014年2月3日、2015年8月1日、13日 情報追加)




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『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える


『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)は二部作として連続して読むのが面白い。「戦前」と「戦後」を連続性のあるものと捉える視点が重要だからだ。「王道楽土」とは、日本人がその夢を大陸に託した満洲国の建国理念のことである。

吉田司という山形出身のノンフィクション作家は、偽悪派の仮面をかぶった事実探求者である。これまでに東北の宮澤賢治や沖縄のひめゆりなどにまつわる「神話」を破壊してきた実績の持ち主である。

基本的な姿勢がリベラル左寄りの「神話破壊者」で、しかもふざけた文体(笑)ゆえに毛嫌いする人も少なくないようだが、かなり重要で難しいテーマを正面から取り組んできた人なので吉田司の作品はほとんど読んできた。

この二部作は、近代日本が「満洲国」で実現できたこと、できなかったことを探求したものだ。そしてその根底にある日本人の不安と夢と欲望という情念と島国日本のメンタリティ。これらが投影されたものが「満洲国」であった。

近代日本は貧しく、飢餓に苦しみ、腹いっぱい食うことが一般庶民にとっては最優先事項であったのだ。そして弱肉強食の西洋列強に追い詰められて、生き延びるために歯を食いしばって頑張ったのはエリートから庶民まで共通していた。遅れてきた近代国家日本。その反動が大陸侵攻となって暴発したのであった。

近代日本を推進した明治維新体制とはいったい何であったのか、そしてその行きついた先は? さらには敗戦後に60年間つづいた現代とは?

「戦前・戦中」と「戦後」のコンセプトを、本書の内容に即して要約すれば以下のようになるだろう。

戦前・戦中: 「神の国」そして「聖戦」
●戦後:(「戦前・戦中」を密教化した)「密教体制」

たしかに「神の国と聖戦」思想により無謀な戦争に突入し、敗戦という見るも無残な結果に終わった大東亜戦争であるが、敗戦によってすべてが変わってしまったわけではない。これは「戦後篇」を読むとおおいに実感される。「戦後体制」を見えないところで動かしてきた「密教体制」という捉え方だ。

この見方は、当事者である日本人とは異なり、距離をとってものをみることのできる諸外国のほうが正確な認識を持っていたであろうことは、「日本は軍事では挫折したが、経済で侵略を再開した」というような言説が1980年代にはかなり存在していたことからも裏付けられるだろう。

経済人はさんざんこんな事を聞かされてもまったく黙殺していたのだが、しかし案の定、バブルは崩壊して「第二の敗戦」となったのであった。因果はあざなえる縄のごとし。


コラージュ・ノンフィクションという手法

本書は内容もさることながら、コラージュ・ノンフィクションという手法が面白い。

かなりの情報がデジタルテキストとしてインターネットのなかに存在するようになった現在、リアルとバーチャルの区別がかなりあいまいになっているだけでなく、歴史的事実にかんしても、10年前だろうが100年前だろうが現在からみたた等距離の過去となっている。現時点で検索すれば時間差はあまり意識さえなくなってしまったからだ。

本書は、こういう状態の時代に、いかに「見えない歴史」を浮かび上がらせるかという課題に挑戦した作品であるといっていい。歴史学という固有の枠組みにとらわれた歴史学者には制約がってできない仕事である、なによりも引用された発言や文章がじつに興味深いのだ。

薩長主導の政治体制において「賊軍」とされた東北が、日本近代のナショナリズムにおいていかなる意味をもっていたかについてに書かれた箇所が興味深い。

戊辰戦争で敗れた「奥羽列藩同盟」に参加した東北諸藩は、大東亜戦争で敗れた日本を先取りしていたようにも、わたしには思えてくる。歴史は繰り返さないが、似たようなパターンは繰り返し出現する。

この事情を象徴するのが石原莞爾という存在であろう。山形は庄内出身の石原莞爾は、その特異な日蓮主義による「世界最終戦論」を唱えた軍人思想家であったが、東北が生み出した政治家や軍人たちの怨念と情念の系譜のなかに位置づけることも可能だ。この視点は山形出身の著者ならではの説得力をもつ。


(帯に引用された文章 上は「戦前・戦中篇」、下は「戦後篇」)


本書が出版されたのは2005年だが2013年のいまを予測していたのだろうか?

本書には、安倍晋三と石破茂という二人の自民党政治家のインタビュー記録が収録されている。

●『戦前・戦中篇』の「5章 島に咲く華」の[補遺①] 現代の肖像 安倍晋三 (インタビュー実施 2002年)
●『戦後篇』の「4章 列島改造」の[補遺①] 現代の肖像 石破茂(インタビュー実施 2004年)

自民党がふたたび復活した2013年の時点で読むと、なにやら不思議な感じがしなくもない。

1954年生まれの安倍晋三、1957年生まれの石破茂という「ポスト団塊世代」の政治家二人。奇しくも復活した第二次安倍内閣で総理大臣と自民党幹事長という要職についている二人である。

安倍晋三は満洲国で統制経済を主導した「革新官僚」岸信介の孫である。石破茂は大陸や半島に海を挟んで最前線のある島根出身の政治家である。

著者は、団塊世代と団塊ジュニアにはさまれた「ポスト団塊世代」に、「戦前・戦中」と「戦後」をつなぐものがあるとみているのだろうか?

「戦前・戦中」と「戦後」はいっけん断絶したようにみえて、じつは根底のところでつながっているのである。日本人の「飢餓との戦い」と、その先に夢見たユートピアの二度にわたる破綻が本書には描かれているわけだが、一般庶民の不安と夢と欲望は、「戦後」にはあるものは解消され、しかしあるものは依然として残存している。

断絶とみえながらじつは連続しているのが歴史の本質。そういう歴史のダイナミズムを本書で味わっていただきたいものである。安倍晋三なるもの、石破茂なるものをどう評価するかは、読者自身が考えるべき課題である。

著者の文体と思想は嫌いだとしても、読む価値は大いにある。






目 次


『戦前・戦中篇』
はじめに
1章 夢の中へ
2章 島に散る華 
3章 アラモ系の人びと
4章 ヒルコ系の人びと
5章 島に咲く華
 1. 蒙古の嵐、再び・・・
 2. 日本一の大天狗
[補遺①] 現代の肖像 安倍晋三
6章 魂立国
 1. 狐の里・靖国の都
 2. 石原莞爾の「世界最終戦争論」
引用参考文献
『戦後篇』
1章 ピカドン・プレゼント
2章 鉄道立国-満州からのプレゼント
3章 王様の家来たちの物語
 1. 戦後経済体制の下半身
 2. 自動車と戦争
 3. 戦後の<植民地>文学
4章 列島改造-八百万の神々の<征伐>戦争
[補遺①] 現代の肖像 石破茂
5章 バブルの中の「三つの王国」
6章 万物は流転する
引用参考文献

著者プロフィール

吉田 司(よしだ・つかさ)
1945年、山形県生まれ。早稲田大学在学中に映画監督小川紳介とともに小川プロを結成。『三里塚の夏』などを製作。1970年から水俣に住み、胎児性の水俣病患者らと「若衆宿」を組織する。水俣での体験をまとめた『下下戦記』(白水社、文春文庫)で、1988年、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

PS この投稿で1221本目となった。左右対称のシンメトリーのぞろ目である。まだまだ書きますよ!


<ブログ内関連記事>

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?

書評 『黒船の世紀 上下-あの頃、アメリカは仮想敵国だった-』 (猪瀬直樹、中公文庫、2011 単行本初版 1993)-日露戦争を制した日本を待っていたのはバラ色の未来ではなかった・・・

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)

書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える
・・小辻節三は満鉄調査部に招聘され、満鉄総裁・松岡洋右の右腕としてユダヤ問題対策にあたっていた

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相
・・『虹色のトロツキ-』というマンガもぜひ読むことを薦めたい

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

庄内平野と出羽三山への旅 (2) 酒田と鶴岡という二つの地方都市の個性
・・吹浦(ふくら)に石原莞爾の墓所をたずねた記録。庄内藩は西郷隆盛との関係がきわめて太い。そういった近代日本の側面にも触れておいた

「敗者」としての会津と日本-『流星雨』(津村節子、文春文庫、1993)を読んで会津の歴史を追体験する
・・会津戦争の敗戦に太平洋戦争(≒大東亜戦争)の敗戦を重ねる

「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」 と 「And the skies are not cloudy all day」

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学が中核にある「大学町」誕生の秘密をさぐる
・・ここにも満洲の痕跡がある




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2013年10月13日日曜日

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学を中核にした「大学町」誕生の秘密をさぐる



国立にある国立大学が一橋大学である。最初の国立は「くにたち」と読む。両隣の国分寺と立川から一字づつとって国立と命名されたのは、そこがもともと未開発の雑木林であったからだ。

その一橋大学を中核(コア)にした市街地が「くにたち大学町」である。

一橋大学(当時は東京商科大学)が、神田一ツ橋から国立(くにたち)に移転したのは、1923年(大正12年)の関東大震災でキャンパスが被災したからである。キャンパス拡充と震災復興の目的でまとまった土地を確保するには東京都心部ではもはや不可能で、東京西郊に求めざるを得なかったのであった。

本書は、国立市民である著者が、「くにたち大学町」の誕生の経緯を、満鉄総裁であった後藤新平、東京商科大学校長であった佐野善作、民間デベロッパーであった堤康次郎との関わりから、知られざる歴史をさぐった好読み物である。本書の存在はネット書店アマゾンからのレコメンドで知った。

「くにたち大学町」と堤康次郎のかかわりについては、比較的有名な事実なので知っている人も少なくないだろう。現在は東京都知事をつとめる作家の猪瀬直樹氏の1980年代の著作、『ミカドの肖像』『土地の神話』をつうじて、デベロッパーとしての堤康次郎の剛腕ぶりについてはよく知られるようになったと思うが、その大きなキッカケをつかんだのがこの「くにたち大学町」の開発であったことが本書でくわしく知ることができる。

本書を読んでいてなによりも驚くのは、国立駅前のロータリーと大学通り緑地帯の土地すべてが、いまだに株式会社プリンスホテルの所有地だということだ。プリンスホテルは『ミカドの肖像』の主要テーマそのものだが、プリンスホテルの所有地になる前は箱根土地、そしてコクドの所有あったという。

この事実は、一橋大学卒業生のわたしも、いまのいままでまったく知らなかった。国立市民にとっての共有地のような並木通りが私有地だったとは! いまさらほかに転用のしようはないと思うが、そんなところにもいまだに堤康次郎の息がかかったままだとはなんというべきか・・・

(JR国立駅ホームからみた「くにたち大学町」 ロータリーの先が大学通り)


「大学町」の計画そのものは、当時の東京商科大学学長の佐野善作のつよい意向が働いていたという。堤康次郎の役割は構想そのものというよりも、大学の郊外移転にともなう大規模土地開発をビジネスチャンスと捉えた商才にこそあったとういうべきだろう。

しかもその背後に大きな影を表しているのが後藤新平なのだ。

関東大震災後の震災復興にあたって、帝都大改造計画のマスタープランを提示したのが後藤新平だが、その構想は「大風呂敷」だとして一部が実現するのみで終わってしまったことは、「3-11」後の平成の後藤新平待望論の際にふたたび知られるようになったのではないだろうか。

『「大学町」誕生』の著者・木本十根氏は、「「国立大学町」は、堤に託された「大風呂敷」の切れ端、だったのかもしれない」(同書 P.58)と述べているが、そういう形で後藤新平がかかわっていたというのは、また大きな驚きである。

佐野善作も後藤新平も、ともに留学体験をもち海外事情に明るかった人たちである。彼らの「大学町」構想にヨーロッパやアメリカの大学町がモデルにあったことは容易に想像できることだ。

しかも、「くにたち大学町」はなんと満洲国の首都・新京(=長春)にそっくりである。鉄道駅から垂直に中央道が走り、ロータリーから放射状に延びる道路。新京(=長春)の都市計画は初代満鉄総裁の後藤新平の指示によるものだ。

後藤新平は、専門の衛生学の観点から都市計画にはおおいに関心をもち、みずから研究するとともに、部下にも研究させていた人である。その後藤の念頭にはベルリンのウンター・デン・リンデン大通りやパリのシャンゼリゼ通りがあったのは間違いないと著者は見ている。わたしも同感だ。


 (写真の左右方向がベルリンの「ウンター・デン・リンデン」通り 筆者撮影)

それにしても、「くにたち大学町」が満洲とつながっている可能性が大きいというのも驚きではないか! 在学中には考えもしなかったことだが、言われてみればそのとおりだなと納得するばかりだ。

しかし、「くにたち大学町」は「大学町」であるがゆえに、第二次大戦末期にも米軍の空襲対象からはずれたようである。満洲とのかかわりは知られないままでよかったのかもしれない。

かならずしも著者の推測が資料的に裏付けされているわけではないが、国立市民や一橋大学の関係者だけでなく、満洲やその他の事項に関心のある人は一読をすすめたい好著である。

東京の地方出版からでている本だが、アマゾンでも購入できることを付け加えておこう。




目 次 

はじめに
第1章 「くにたち大学町」と後藤新平
第2章 「大学町」を考えたのは誰か
第3章 『国立市史』の謎
第4章 「くにたち大学町」のまちづくりの独創性
第5章 国立駅舎の謎と設計者の謎
第6章 中島陟(のぼる)による「くにたち大学町」の魅力
第7章 佐野善作、堤康次郎、藤田謙一をめぐって
あとがき
資料

著者プロフィール

長内敏之(おさない・としゆき)
1954年12月4日北海道釧路市で書店の長男として生まれる。 北星学園大学経済学部で学ぶ。札幌で就職。1982年3月から転勤で東京勤務になり国立市に住む。1987年から1996年まで国立市学童保育連絡協議会、事務局長、副会長、会長を歴任。1989年から1996年、「くにたち秋の市民まつり」副実行委員長。1995年から地域自治会国立市三和会役員、2007年から現在まで国立市三和会会長。自治体問題研究会会員。 共著に『エライコッチャてんてこまい─学童父母会奮戦記』(くにたち市学童連絡協議会30年史編集委員会) (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS ベルリンの「ウンター・デン・リンデン」通りの写真を挿入した。(2016年10月25日 記す)


<関連サイト>

国立の達人:一橋大学:佐野善作 (一橋新聞のサイト)
・・初の生え抜き校長となった佐野善作。専門は会計学と経済学

国立「三角屋根の駅舎」復活までの長い道のり 解体保存の部材使い復元、2020年完成めざす(東洋経済オンライン、2017年5月16日)

(2017年5月16日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『「大学町」出現-近代都市計画の錬金術-』(木方十根、河出ブックス、2010)-1920年代以降に大都市郊外に形成された「大学町」とは?
・・第一章で「くにたち大学町」が「大学町」の代表例として取り上げられている


書評 『震災復興の先に待ちうけているもの-平成・大正の大震災と政治家の暴走-』(山岡 淳一郎、2012)-東日本大震災後の日本が「いつか来た道」をたどることのないことを願う
・・後藤新平について

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・いまから約30年前、卒論を書くにあたって一橋大学付属図書館の蔵書を調べ上げたのだが、ユダや関連では満鉄調査部から寄贈された図書がかなり所蔵されていた。在学中は「くにたち大学町」じたいが満洲の新京の都市計画との類似性があるとは考えもしなかった。一橋大学(=東京商科大学)と満洲の縁は不思議な奇縁というべきか

ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇-知恵の象徴としての蛇は西洋世界に生き続けている
・・一橋大学の校章は東京商科大学時代一貫して「ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇」。ヘルメスはマーキュリーともいう商売の神。CCは Commercial College の略

東南アジアでも普及している「ラウンドアバウト交差点」は、ぜひ日本にも導入すべきだ!
・・JR国立駅前から放射状にのびる道路網の中心にあるロータリーは「ラウンドアバウト交差点」のバリエーションと考えることもできる

写真集 『妖怪の棲む杜 国立市 一橋大学』(伊藤龍也、現代書館、2016)で、ロマネスク風建築にちりばめられた建築家・伊東忠太の「かわいい怪物たち」を楽しむ

(2014年2月17日、2017年9月30日 情報追加)





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