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2013年10月27日日曜日

書評 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』(伊東乾、角川学芸出版、2011)-幅広く深い教養とフィールドワークによる「声によるマインドコントロール」をめぐる思考



現役の指揮者で大学教官である著者は、『さよならサイレントネイビー-地下鉄に乗った同級生-』(集英社、2006)という著書で作家としてデビューしている。

オウム真理教に参加したことによって地下鉄サリン事件にかかわり、死刑判決を受けた同級生の物理学徒について書かれた本だ。

「サイレントネイビー」とは、みずからの行為についてはいっさい弁明をしないという日本海軍の美学のようなものだが、みずからの行為について沈黙を守るのではなく、世の中にむけて弁明せよというのが著者の主張だ。だが、内容については共感できる部分と、なんだか言いようのない違和感を感じる両面があったことを覚えている。

本書 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』について話を進めると、「サウンドコントロール」というと、オーディオデバイスや音声入出力端子についての音響工学の話のようだが、内容はまったく違う。『さよならサイレントネイビー』の続編といっていい内容の本だ。

大量虐殺の発生したルワンダの裁判から始まった記述は、ソクラテスを裁いた古代ギリシャ裁判員法廷、封建制日本の裁きの場であるお白州、ナチス・ドイツのホロコースト、現代日本のマルチメディア裁判員法廷と、いっけんバラバラでとりとめのないような印象を受ける。

著者が本書で一貫して主張したいのは、「声の支配の権力性」と「音によるマインドコントロール」がもつ問題という一点に収斂(しゅうれん)される。

音声、すなわち聴覚が人間にとってより根源的な知覚であることは、本書では触れられていないがソクラテスのデルフォイの神託や、ジャンヌ・ダルクへの神の呼びかけを考えてみればわかることだろう。

声の支配によるコントロールがより根源的なものであることは、これもまた本書では触れられていないが、マスコミといえば新聞とラジオしかなかった戦前、しかもJOAK一局しかラジオ放送がなかった戦前日本のことを考えれば想像することは困難ではない。

マインドコントロールは声によって行われる。これはオウム真理教においてもマントラという形で行われていた。そもそも大乗仏教と密教には音声によるマインドコントロールが埋め込まれている。

本書は 『さよならサイレントネイビー』の続編とも言うべき内容なのだが、そのために逆に読後感があまり心地よくない。いまひとつ著者の思想には共感できないものを感じるからだ。

違和感の源泉は、著者が4代(?)つづくキリスト教の家に生まれたという出自にあるのかもしれない。圧倒的多数の一般日本人とはやや異なる視点でものをみているためもあろう。「空気」に着目した山本七平や「世間」に着目した阿部謹也のように。

わたしにとっては、著者の問題意識はアタマでは理解できなくはないのだが、なぜか言いようのない違和感が残るのは否定できない。鶴見俊輔に感じるのと同じ、共感と違和感のまじりあった感想に似ているような気がする。もしかすると、それは著者が戦略的に狙っていることなのかもしれないが・・・。

だが、取り上げられたテーマと考察そのものは、じつに知的好奇心を刺激するものが多い。

法務官僚からキリスト教に改宗した古代ローマの聖アンブロジウスがキリスト教に埋め込んだ音声による権力装置、音響学にも造詣の深かった作曲家の父をもつガリレオ・ガリレイにおける「音楽の知」など、じつに読み応えがある。クラシックの音楽家である著者は、キリスト教がその根幹にある西欧文明について熟知しているからだ。

数学や物理学と音楽は密接な関係にあるが、それにとどまらず西欧的な意味のリベラルアーツを身につけている著者の守備範囲はきわめて広くかつ深い。数学と物理学、音楽と法学と人文学の融合。まさに「文理融合の知性である。

読み方は読者次第だ。





目 次

  飛べない白鳥のイントロダクションⅠ
第1部 南へ 一九九四/二〇〇七年、ルワンダ 草の上の合議
 第1章 サバンナの裁判員
 第2章 雨のガチャチャ
  飛べない白鳥のイントロダクションⅡ
第2部 西へ 司教座と法廷 ローマからギリシャへ
 第3章 ガリレオのメトロノーム
 第4章 官僚アンブロジウスの遠謀
 第5章 玉座は蜂を駆逐する
  飛べない白鳥のイントロダクションⅢ
第3部 東へ 白い砂の沈黙 日出づる国の審判で
 第6章 石山本願寺能舞台縁起
 第7章 銀閣、二つのサイレンサー
 第8章 裁きの庭と「声」の装置
第4部 北へ メディア被曝の罠を外せ! サウンド・コントロールと僕たちの未来
 第9章 確定の夜を超えて
  跋 それでも鳥は北を目指す
あとがき

著者プロフィール 

伊東 乾(いとう・けん)
1965年、東京生まれ。作曲家、指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学理学部物理学科、同大学院総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環・作曲=指揮・情報詩学研究室准教授。第二次世界大戦時の音楽メディア情宣への批判を原点に、人間にとって「聴く」とは何かをジャンルを越えて問いつつ、作曲・演奏・基礎研究などに取り組む。第1回出光音楽賞ほか受賞多数。2006年にはオウム真理教のマインド・コントロールを追った『さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。





<ブログ内関連記事>

書評 『指揮者の仕事術』(伊東 乾、光文社新書、2011)-物理学専攻の指揮者による音楽入門

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!
戦前においてラジオは唯一のマスメディアであり、しかもJOAK一局しかないかったからだ。この点については、著者による 『ラジオの戦争責任』(PHP新書、2008)においてすでに触れている。大東亜戦争の突入したのは。ラジオによって増幅された国民の声であったことも指摘されている。

評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い! ・・戦争へと押しやった国民の声はラジオによって増幅された可能性が高い

「海軍神話」の崩壊-"サイレント・ネイビー"とは"やましき沈黙"のことだったのか・・・

書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」

【セミナー開催のお知らせ】 「生きるチカラとしての教養」(2013年6月27日)

「オックスフォード白熱教室」 (NHK・Eテレ)が面白い!-楽しみながら公開講座で数学を学んでみよう
・・アートと数学の関係についても講義

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・音楽による「洗脳」はここからはじまった。すでに不可逆の流れとして日本人の脳は西洋化されている




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2013年10月26日土曜日

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実


日本の近代化が、西洋音楽導入による日本人改造によって不可逆な流れとして達成されたことは、すでにこのブログでも 讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された として取り上げたが、文部官僚としてそれを強力に推進したのが本書の主人公・伊澤修二(1851~1917)である。

弱肉強食の国際社会で生き残るには、中央集権化によりつよい軍隊をつくる必要がある。これは倒幕運動を推進し明治国家建設にあたった指導者たちの共通了解事項であった。

大砲や軍艦を買うためには輸出によって外貨を稼がなければならない。そのためには日本人を近代産業に適した近代的身体に改造することもまた必要であった。

なによりもまず、「国民」をつくりださなければならなかった。明治初頭においては「国民」がいまだ形成されていなかったのだ。

この件については 書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門 を参照していただきたいが、「国民意識」はつくられたものなのである。

アメリカであたらしい音楽教育を学んできた文部官僚・伊澤修二が推進したのは、唱歌として結晶化された西洋音楽の七音音階とリズムによって行進が可能な近代的な身体をつくり、儒教道徳を盛り込んだ唱歌の歌詞によって「国民」道徳を注入することであった。

しかも、唱歌の歌詞は東京山の手のコトバで発音を統一し、全国共通の「標準語」を普及させることが必要だった。言語が統一されていないと軍隊では命令がスムーズに行き渡らないそもそも当時は「国語」という概念も存在しなかったのである。

これらはみな中央集権国家において「国民」をつくりだすための装置だったのだ。

西洋音楽は、近代化を推進した明治日本にとって不可欠のツールだった。このことはもっとよく理解する必要がある。

結果についてはあえて言うまでもないが、日本人改造はほぼ完全なまでに成功したといってよい。いまだに尾を引いているが、日本人としてのアイデンティティにおおきなひずみとゆがみをともなうものであったにせよ・・・。

本書で面白いのは、伊澤修二の出身の高遠藩(・・現在の長野県伊那市)でも幕末に軍制改革を行っているが、伊澤修二が鼓笛隊に所属しドラムを叩いていたという事実である。最新鋭の鉄砲や大砲も発砲のリズムを音楽によって行ったためである。西洋音楽は近代軍隊にとってきわめて重要なソフトウェアであったわけだ。

そして特筆すべきは、伊澤修二が電話の発明者グラハム・ベルから「視話法」を学んだという事実だ。日本語の発音統一のために、音声としての言語に注目していたためである。音声学に基づいた日本語の発音の統一を行うことを想定していたからだ。

五音階の日本音楽を七音階の西洋音階に改造するという熱意は、当時は先進国では支配的な考えであった社会ダーウィニズムに基づくものであった。

遅れた日本が欧米にキャッチアップしなくてはならないという国家官僚としての使命感と切迫感が伊澤修二を駆り立てたわけであるが、日本近代化の原点において強力に推進された西洋音楽導入による日本人改造について、あらためて注目しておくことが必要である。

日本近代化にあたっては制度としての中央集権はフランスに、海軍は英国、陸軍は最初はフランスのとにドイツにモデルをもとめたが、国民形成の基盤的ソフトウェアに西洋音楽があったのである。

じつに興味深い内容の本である。しかもじつに読みやすい。本書に書かれた内容が国民的な常識となることが望ましい。




目 次

まえがき
第1章 鼓手としての伊澤修二-明治維新とドラムのリズム
 幕末の軍制改革-ハードとソフトの革新
 ドラムが導入されるまで
 ドラムレッスン
 ドラム譜の出版
 ドラムコールとドラムマーチ
 口伝のドラム演奏法
 信州高遠藩の軍制改革
 鼓手伊澤八弥
 民衆の客分意識
 近代的な身体をつくる音 
第2章 岩倉使節団が聴いた西洋音楽-ナショナリズムを誘発する合唱
第3章 洋学と洋楽-唱歌による社会形成
第4章 国語と音楽-文明の「声」の獲得
第5章 徳育思想と唱歌-伊澤修二の近代化構想
あとがき
年譜
主要参考文献
索引


著者プロフィール

奥中康人(おくなか・やすと)
1968年奈良県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程を単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員を経て、現在は京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター特別研究員。大阪大学・大阪芸術大学・名古屋芸術大学、非常勤講師。博士(文学)。専門は近現代日本の音楽史。 共著に『近代日本の音楽文化とタカラヅカ』津金澤聰廣・近藤久美編(世界思想社 2006)、論文に「口伝の行進曲-維新期における山国隊の西洋ドラム奏法受容とその継承」『東洋音楽研究』第70号(2005)などがある (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

京都 時代祭 2009 山国隊 (YouTube)

京都市右京区山国神社還幸祭 維新勤皇山国隊 (YouTube)
京都市右京区山国神社還幸祭 維新勤皇山国隊(2) (YouTube)
京都市右京区山国神社還幸祭 維新勤皇山国隊(3) (YouTube)
・・「錦の御旗」をもって鼓笛隊のリズムにあわせて行進する京都の「山国隊」。これが軍楽の原点


(2016年11月29日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』(国立歴史民俗学博物館、2006)は、鉄砲伝来以降の歴史を知るうえでじつに貴重なレファレンス資料集である

書評 『傭兵の二千年史』(菊池良生、講談社現代新書、2002)-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ③
・・近代の軍制改革はオランダからはじまった

書評 『グラハム・ベル空白の12日間の謎-今明かされる電話誕生の秘話-』(セス・シュルマン、吉田三知世訳、日経BP社、2010)
・・グラハム・ベルの実験にたちあった日本人とは伊澤修二であった

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!
・・「日本にはデファクトで「標準語」扱いされている「NHK語」はあっても、フランスやイタリアのように国民統一のためにつくられた「標準語」は存在しない。たまたま東京山の手のコトバを採用しただけである。関西人が、いわゆる「標準語」のことを関東弁というのは、その意味では一理ある」

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!・・ラジオという音声メディア



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2013年10月21日月曜日

「われわれは社会科学の学徒です」-『きけわだつみのこえ 第二集』に収録された商大生の手紙から



本日(2013年10月21日)は、いわゆる「学徒出陣」から70年にあたるのだという。1943年(昭和18年)10月21日、土砂降りの雨のなか理工系を除くエリート大学生が徴兵され戦地へと赴き、そして散っていった。

『きけわだつみのこえ』という戦没学徒たちの手記を親しい人たちにあてた手紙が収録された本がある。初版は1949年(昭和24年)に刊行され、カッパブックスを経て、現在では岩波文庫2冊として版を重ねている。

ただ、収録されているのが当時の超エリートである東京帝大の学徒ばかりであるのが不満といえば不満だ。自分が出た大学の先輩が一人でも入っていないと、なかなか読む気にはならないのも仕方ないことだろう。

わたしにとって、その人は学徒出陣した板尾興一という人だ。はるか遠いむかしの大学の先輩という以外、なんの接点もないのだが、その存在と手紙の一節を在学中に寮生の友人から教えられて以来、その手紙を何度も読んできた。

板尾氏の手紙は2通、『第二集 きけわだつみのこえ』に収録されている。学徒出陣20周年にあたる1963年(昭和38年)に『戦没学生の遺書にみる15年戦争』と題して初版が刊行されたようだ。

『第一集』の刊行から17年後になってようやく刊行されたものであるが、上記のような不満も背景にはあったためかもしれない。「15年戦争」という左翼的な名称が時代を感じさせる。

さて、板尾興一氏だが、入隊前に父親あての手紙にある「われわれは社会科学の学徒です」という一節をわたしはなんども反芻(はんすう)してきたが。この一節を思い出し、そして遺された手紙を読むたびに身の引き締まる思いをする。

板尾興市(いたお・こういち)

昭和18年12月東京商科大学在学中入団。昭和20年2月18日日本州東方海上にて戦死。21歳。海軍中尉。

(昭和18年10月5日 父宛書簡)

・・(前略)・・

それにしてもあまりにも短い月日しか残されていないので、何ら今までの学問への努力をまとめた形で残すこともできそうになく、読みさした本にしおりをはさんで出かけなくてはなりません。

ふたたび帰って書物の前にすわるのはいつの日のことかと考えますと、まことに寂しいしだいです。

我々はあくまでも学生であり、学問をもって自己の生命とし、学をもって国に奉ずるの決心まことに堅きものがありますが、国家の要請の急なるこの時、幾多の思いを学問と国家の上に残しながら国防の第一線におもむかねばならなくなったのです。

法文科の学生はこの戦争時にあたり、自然科学的方面の学生とは異なり用はないから戦線に送られるわけですが、我々の征く後、国家の運営はなお頭の切り換えの絶対に望まれぬ老朽政治家や、社会科学方面の知識に乏しくかつ学問精神の点で貧弱なる技術者たちに任されるわけです。それゆえ、国家の前途すこぶる多難なることを予測されます。東條首相は民大は機構よりは人だ、良きりっぱな指導者こそ必要なのだと叫びます。彼の言わんとする方向は正しいのです。何となれば人間こそ動く主体であり、動かす主体であるからです。しかし、彼が現実についてこの言を適用せんとすることは根本的に間違いです。

今や戦争の切り札は生産力、武器の生産にあります。質は学問と技術に、量は同じく学問と経済に基礎を置きます。天文学的数字はけっしてアメリカのみのお題目のみではなかったのです。それを笑った日本の陸海軍も、ついに天文学的数字を述べねばならなくなりました。要求される数量と現生産量とのギャップは大です。いかにして大量生産が飛躍的になされうるやの問題は自然科学と社会科学の全成果を必要とします。学的頭脳のない人間にけっしてこのような大きな問題を解決することはできません。我々は社会科学の学徒です我々の戦時において果たすべき学的使命は実践においてこそ真に大であります。しかし今は、学徒は指揮官として戦争に必要なのです。政府はこのさい社会科学者を大々的に動員して国家の計画を立てさすべきです。今の政治家に何を望めましょうか。学者こそ今や第一線に立つ時です。イギリスの統制経済の親玉は名にしおう理論経済学の大御所ケインズであります。

我々はあらゆる情熱に燃えて国家の実践に役立つべき学の追及に従わんと考えていましたが、こうなっては後を老朽のかたがたに任さなければなりません。

彼らの頭脳に国家の前途は託されています。彼らこそ真に国家の運命を担う責任を自覚して新たに学問の道を知るべきです。国家も文化も皆国内に残る人々が担わなければなりません。しだいに文化意思が低下してゆく現状を盛り立てていくのは誰でしょう。かつてのインテリ階級は何をしているのか、彼らに国家の大きな問題にぶつかって行く強き意思ありや。お父さん、我々こそ新しき時代の担い手です。いつの日にかふたたび学に還るの日こそ我々の雄図は実現に向かうでしょう。

・・(後略)・・

(出典:岩波文庫版 P.231~234 太字ゴチックは引用者=わたしによるもの)


全文を引用したところだが、かなり長文の手紙なので、手紙のなかほど三分の一を再録した。

これだけの深い認識をもっていた優秀な20歳(!)の学生が、自然科学ではなく社会科学専攻であったため21歳で散華(さんげ)して海の藻屑と消えていったという事実、まことにもって悔しく、悲しみにに耐えないことである。

手紙のなかにケインズ(1883~1946)の名前がでてくるが、この手紙が書かれた昭和18年(1943年)当時、近代経済学の大御所ケインズは、なんと現役の経済学者として生存中であったのだ! 30年前に学生時代を過ごしたわれわれの世代にとっては、すでに仰ぎ見るべき大経済学者の名前であったのだが。さすが東京商大である!

板尾氏の手紙はもう一通収録されている。同窓の友人にあてて書かれたものだ。そちらのほうがより明確にホンネが吐露されている。

・・(前略)・・俺たちにもいずれ順がまわってくる。
どうかおれたちが何百万死のうとも、ひるまずにぜひ優秀な研究をなしとげ、敵の科学力を圧倒してくれ。
戦は科学と物量が決する。これが俺たちの信念だ。
ではまた。

(出典:岩波文庫版 P.236 太字ゴチックは引用者=わたしによるもの)

じつは、かの有名な『きけわだつみの声』は第一集と第二集をつうじて、この板尾興一氏の文章しか読んだことがない。なぜなら、わたしは東京商科大学(=東京商大)の後身である一橋大学の卒業生だから、それ以外の文章に親しみを感じないからだ。

『きけわだつみの声』いついては戦争について書き続けているノンフィクション作家・保阪正康氏の著作『「きけわだつみのこえ」の戦後史』によって、その編纂者の左翼的エリート主義性をつぶさに知って以来、距離をおいて見ているのだが、この板尾氏の文章だけは別である。その理由は上記に記したとおりだ。

「われわれは社会科学の学徒です」というフレーズを教えてくれたのは、在学当時に一橋寮で同室だった、いまは亡きS君であるが、それ以来わたしはこのフレーズをそらんじて自分がやるべきことの指針としてきた。その当時はカッパブックス版であったと思う。

学徒出陣から70年、すでに生存する関係者も90歳を越している。しかもTV報道によれば、学徒出陣壮行会が行われた神宮外苑競技場(・・現在の国立代々木競技場)は、2020年の東京オリンピック会場の立替のため慰霊碑は移転を余儀なくされるという。

直接の当事者ではない我々以下の世代が、学徒出陣については語り継いでいかねばならないのである。英霊たちに合掌。






PS 商大生で戦死した板尾興市(いたお・こういち)氏は高島善哉ゼミ出身であった

『高島善哉 研究者への軌跡ー孤独ではあるが孤立ではない』(上岡 修、新評論、2010)によれば、商大生で戦死した板尾興市(いたお・こういち)氏は高島善哉ゼミ出身であったらしい。高島教授は、戦死した学生のことを悼んでいたという。また、おなじく海軍士官となりながら戦死を免れたのは、おなじ高島ゼミ出身の村上一郎氏であった。


(2022年2月19日 記す)


<関連サイト>

学徒出陣 (YouTube)
・・昭和18年10月21日に行われた文部省主催出陣学徒壮行会。土砂降りの雨、カメラアングルにも注目。壮行会に流れるのには「抜刀隊行進曲」。なぜこれほど悲壮感あふれる短調のリズムなのかという思いに駆られる。涙なくして見ることのできない映像と音楽。「抜刀隊」は陸軍分列行進曲。明治10年の西南戦争の田原坂の激戦に投入された旧会津藩士を中心とした選抜隊をテーマに明治18年につくられた曲である。ここにもまた会津落城の悲劇と大東亜戦争の敗戦という悲劇がかさなってくる


<ブログ内関連記事>

書評 『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)-いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

「敗戦記念日」のきょう永野護による 『敗戦真相記』(1945年9月)を読み返し「第三の敗戦」について考える

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学が中核にある「大学町」誕生の秘密をさぐる

書評 『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治、講談社現代新書、2013)-「革命家」西郷隆盛の「実像」を求めて描いたオマージュ

「聖徳記念絵画館」(東京・神宮外苑)にはじめていってみた(2013年9月12日)

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる
・・1964年の東京オリンピックを前に国立競技場となった場所に「ワシントンハイツ」が存在した



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2013年10月20日日曜日

讃美歌から生まれた日本の唱歌 ー 日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された


唱歌は讃美歌の替え歌である! これはあまり知られていないが恐るべき事実である。「唱歌の誕生は奇跡であった」と『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』の著者・安田寛氏はいう。

安田寛氏の一連の著作を読むと、日本の近代化に果たした宣教師ミッションと讃美歌がいかに大きな役割をはたしていたか、いやというほど実感されることになる。

キリスト教徒ではなく、しかもプロテスタント諸派のインサイダーではないわたしのような一般的日本人にとっては、讃美歌と唱歌がじつは同じものだということは、言われてみなければまったく気がつかない話である。

なんと、「ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた・・・」や、「たんたんタヌキの・・・」といった俗謡もまた讃美歌の旋律だというから驚きではないか! ウソだと思うならネット検索してみたらいい。

また、『蛍の光』は英米圏では Auld Lang Syne として大みそかに歌われており、日本ではスコットランド民謡として紹介されることも多いが、これもまたじつは讃美歌の旋律を利用したものだったのだ。

『故郷』、『春の小川』、『朧月夜』など日本人の郷愁を誘うのが文部省唱歌に対抗として大正時代に生まれたにが童謡だが、現代日本人にとっては、明治時代に生まれた唱歌との違いは耳で聞いただけではわからない。

『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』(安田寛、音楽之友社、1993)が、安田氏がいちばん最初に世に問うと研究成果である。

その後の関連著作はすべてここから派生したものだ。唱歌だけでなく、それ以後の日本人が作曲してきた各種の音楽もまた、明治時代の唱歌から派生してきたものだ。しかも唱歌は讃美歌の替え歌だったのである!

出版順に並べると以下のようになる。

●『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』(安田寛、音楽之友社、1993)
●『日韓唱歌の源流-すると彼らは新しい歌を歌った-』(安田寛、音楽之友社、1999)
●『「唱歌」という奇跡 十二の物語-讃美歌と近代化の間で-』(安田寛、文春新書、2003)
●『日本の唱歌と太平洋の讃美歌-唱歌誕生はなぜ奇跡だったのか-(奈良教育大学ブックレット)』(安田寛、東山書房、2008)

これらの書籍で明らかにされた事実をもとに、「西洋音階による近代化」の内実を簡単に見ていくこととしよう。


明治時代前半はアメリカから伝来したプロテスタンティズムの時代

NHK大河ドラマ『八重の桜』の後半は、八重自身の後半生と重ね合わせて展開しているが、その後半生とは新島襄の妻としてのものである。新島襄は学校設立によって、日本の近代化とプロテスタントのキリスト教を日本に布教させるという使命の両立を実現すべく奮闘する。

ドラマを見ている人はお気づきだと思うが、明治時代の教会で重要な意味をもっているのがオルガンと聖歌だ。シーンとしてはわずかなものであっても、初期の同志社に併設されていた礼拝堂でオルガンを弾くシーンがある。

安田寛氏によれば、じつは新島襄は讃美歌を歌うのは下手だったらしい。それもそのはず、彼が生まれ育った時代には、日本には西洋音階はまったく普及していなかったのだ! 日本の伝統的音階は、いわゆるヨナ抜き音階であった。プロテスタントでは牧師になるために音楽は必須だったが、新島襄も音楽だけは苦手だったようだ。

『絶対音感』(最相葉月、新潮社、1998)というノンフィクション作品が話題になったことがあったが、第二次大戦時における帝国海軍では絶対音感をきわめて重視していたというエピソードがでてくる。飛行機などの機械音に敏感になることが、敵発見のためのきわめて重視されたのだ。レーダーはすでに開発されていたが日本では完全に普及しておらず、人間の能力に依存せざるを得なかったわけである。

このエピソードには、英米と全面戦争を戦った大東亜戦争時代には、すでに西洋音階が日本人にとって不可欠かつ不可逆なものとなっていたことを示している。それが明治維新以後約70年後の近代日本だったのである。

大東亜戦争の敗戦からもすでに70年、唱歌が讃美歌から生まれたものだという安田氏の著作をを読んだ以上、日本人が戻ることができるのは、もはやそこにしかないのかという、なんともいえない気分にならざるを得ない。

それほど西洋音楽による日本人改造は不可逆なものとして完成しているわけなのだ。


■16世紀の「宗教改革」が「近代」をつくりだした

讃美歌は、さかのぼれば16世紀の宗教改革とプロテスタント教会の発生にまで行き着く。

プロテスタントの特徴は、カトリックのような聖歌隊が歌う聖歌に身を浸すのではなく、信者(=平信徒)自身が歌うことにある。いわば全員参加型である。自らが讃美歌を歌うことにより、その主体的な行為が信仰を内面化し、旋律と歌詞によって信仰を深めていくというメカニズムである。

そう考えると、唱歌を歌い童謡を歌うという行為は、無意識のうちに讃美歌のリズムで歌っていることになるわけで、われわれの身体には、知らず知らずのうちにキリスト教が浸透していることを痛感せざるをえない。

音楽は生理レベルでの体験であるから、それが幼少時からの反復体験である以上、もはや身体から切り離すことはできないのである。

そしてこれは日本だけの状況ではないのだ。

日本の植民地となった韓国もまたそうであった。キリスト教普及度の高い韓国であるが、キリスト教普及以前に日本から唱歌という形でその旋律は入っていた。日本の唱歌によって、韓国独自の唱歌の発展が困難になったと安田氏はいう。

だがより広い視野で見るなら、16世紀の宗教改革に起源をもつ讃美歌によって、日本・韓国をはじめ、台湾・中国を巻き込んだ、いわゆる漢字文化圏の歌謡が19世紀後半から20世紀初めにかけて大きく変わることを余儀なくされた歴史が見えてくるわけだ。

これはキリスト教、とくにプロテスタンティズムの影響のきわめて小さい中近東世界やインド世界の音楽を思い浮かべてみればすぐにわかることだ。アラブ音楽やインド音楽は、西洋音楽とはまったく異なる性格をもつものであり、これらの音楽はいまなお再生産されつづけている。

アメリカが伝道対象として重視していたのは中国である。日本よりも人口規模が大きいためである。これは義和団事件以後さらに強化されることになるが、アメリカと中国の見えざるつながりはキリスト教伝道にあるわけだ。

そしてまた、太平洋地域の島々もまた讃美歌の旋律が伝統音楽を駆逐してしまったのだ。讃美歌の旋律が、文字通りモダン(=近代的)に響いたからであろう。

すでに近代が終わった現在では、当たり前すぎて感激もなにもない状態ではあるのだが。


唱歌の本質は「旋律は讃美歌で歌詞は儒教の徳目」

もちろん当然のことながら、西洋音楽がすんなりと明治時代の日本人に受容されたわけではない

近代日本の教育を私学という形で切り開いた宣教師たちのミッションスクールでは讃美歌が歌われていたわけだが、教会関係者以外の一般人にとっては違和感だけではなく、かなり長いあいだ排斥の対象でもあった。

髷を切り洋装するというスタイルが一般庶民にまで普及するのは時間がかかったが、西洋音楽もまた感性に直接かかわるものだけに、受容されるには時間がかかったのである。明治時代にもっとも流行っていたのは娘浄瑠璃であり、森鴎外も熱心なファンであった。

唱歌を日本に導入することにあたって多大な貢献を果たしたのは薩摩藩出身の森有礼(もり・ありのり)であったが、彼は伊勢神宮での「不敬事件」という言いがかりをつけられて右翼の壮士に暗殺されている。森有礼は一橋大学の出発点である商法講習所という私塾を開設した人であるが、彼自身は留学中にキリスト教徒になっていた。

わたしが子どもの頃、「アーメン、そうめん、冷そうめん」というフレーズが、よく子どもどうしでクチにされていたが(・・最近はどうなのだろうか?)、明治時代の状況もだいたい想像がつくというものだろう。

日本の場合、近代化は西欧化として開始されたが、これは遅れて近代化がはじまったドイツやロシアなどと同様、上からの啓蒙という形で実行されたが、最大の難問は、西洋文明の根幹に位置しているキリスト教をどう扱うかという問題であった。

弱肉強食の国際社会で生き残るためには近代化は不可避、しかしキリスト教を中核に据えるわけにはいかないと判断した結果、政権内部での熾烈な争いを経て、近代国家日本の中核に据えたのは、儒教による国民教化と国家神道であった。

仏教やキリスト教という宗教とは次元の異なるのが神道を非宗教化した「国家神道」であり、仏教でも神道でもなく、ましてやキリスト教は論外、国民道徳は儒教によって行うというのが明治国家の結論であった。儒教による国民教化は明治20年代以降、「教育勅語」と「軍人勅諭」によって行われることとなる。

このように国民教化という点にかんしては、明治国家の内部で、キリスト教対儒教という対立がきわめて激しい対立状態にあったのだ。近代化と国民創生をどう両立させるか?

結論はきわめて折衷的なものであった。曲は讃美歌、歌詞は儒教の徳目という奇妙な折衷である。これが唱歌の本質だったのである。唱歌は讃美歌の替え歌でなのである!

日本の近代化に隠されていたこの事実。この事実は学校で教えられることはないが、きわめて重い。


日本人の脳は西洋音階に「洗脳」された

弱肉強食の国際社会で生き残るには中央集権化によりつよい軍隊をつくる必要もあった。そのためには、国民一人一人を近代的身体に改造することが必要であった。

幕末に軍制改革を行った諸藩がオランダ式の近代軍隊化を行った際、最新鋭の鉄砲や大砲だけでなく、鼓笛隊も導入したことは重要だ。これは発砲のリズムを音楽によって行ったためである。現在でも京都の時代祭りで見ることができる。

明治維新以後、身分制度が解体されて武士階級がなくなると、つぎは徴兵制が視野に入ってくる。国民皆兵というフランス革命以後の近代国家を成り立たしめる原理の一つである。

音楽にあわせてカラダを動かす。軍隊においては、これはまず行進において行われる。いわゆる行進曲(マーチ)である。

近代軍隊における体格改造は、このように音楽と体育の密接な関係のもとに実行された。

音声による洗脳と刷り込みは、もっぱら聴覚によって行われる。視覚よりも聴覚のほうが、人間にとってはより根源的な知覚であるからだ。

音楽というもっとも見えにくい、しかし人間にはもっとも深い部分に無意識に影響をあたえるものをつうじて日本人は身体改造されてきたわけだが、それは「洗脳」と「刷りこみ」という形で行われたことに気がつかねばならない。

幼少時からお遊戯や行進という形で、音感改造が行われたのである。もはや後戻りはできない不可逆の動きなのである。

日本人改造計画は、日本人の脳の改造から始まっていたのだ!

さまざまな社会制度が西洋から導入された明治時代初期に近代化は音楽をつうじて実行されたわけだが、讃美歌が唱歌として受容されたことにより、アメリカから入ってきたプロテスタンティズムは知らず知らずのうちに日本人のなかに定着してしまっている。

人間精神の根幹において、日本人は西欧化されてしまっているのである。いやすでに明治時代において「アメリカ化」が開始されていたというべきかもしれない。けっして敗戦後にアメリカナイズが始まったわけではないのだ。

もちろん、西洋音階による「洗脳」で、脳内がすべてが消去され書き換えられてしまったわけではない。近代以前の痕跡は日本人のDNAのなかに保存されていることは、日本人の音楽家の演奏に日本的なものがかいま見られると西洋人が指摘することでそれはわかる。

だが、安田氏の一連の著作が発表される以前に書かれた国語学者・金田一春彦による「唱歌」関連の著作などは全面的に書き直される必要がある。

唱歌の歌詞だけみていても、本当のことはなにもわからないのだ。

残念ながら、安田氏の著作は現在ほとんど品切れになっているが、心ある出版社はぜひ文庫化という形で復刊していただきたい。

日本人がいつから現在のような日本人になったかを知るためには、「唱歌誕生の秘密」を知らなくてはならないのだ。



<文献一覧>

『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』(安田寛、音楽之友社、1993)


<目 次>

プロローグ
第1章 庭の千草も虫の音も
第2章 たんたんたぬきの
第3章 蛍の光 窓の雪
第4章 うつくしきわがかみのこは
第5章 夢は今もめぐりて
エピローグ
あとがき
引用文献および参考文献









『日韓唱歌の源流-すると彼らは新しい歌を歌った-』(安田寛、音楽之友社、1999)


<目 次>

プロローグ 金日成の模範的革命歌謡
第1章 演歌朝鮮半島起源説の真偽
第2章 東アジアに越境した唱歌
第3章 リズムのDNA鑑定
第4章 日本唱歌の起源
第5章 宣教団体「アメリカン・ボード」讃美歌伝道
第6章 軍歌讃美歌発生説
第7章 大衆が熱狂的に支持した軍歌
第8章 韓国唱歌の不動の型になった軍歌
第9章 讃美歌の繁殖力の秘密
第10章 二重の洗礼
第11章 韓国唱歌の遺伝子鑑定
エピローグ 讃美歌の洗礼を受けたミクロネシアの島々
主要参考文献
あとがき
図版・楽譜・写真の出典および所蔵一覧




『「唱歌」という奇跡 十二の物語-讃美歌と近代化の間で-』(安田寛、文春新書、2003)


<目 次>

はじめに
1. 「むすんでひらいて」
2. 「蛍の光」
3. 「蝶々」
4. 「数え歌」
5. 「海ゆかば」
6. 「君が代」
7. 「さくらさくら」
8. 「法の御山」
9. 「一月一日」
10. 「故郷」
11. 「真白き富士の根」
12. 「シャボン玉」
図版・楽譜・写真の出典および所蔵一覧
あとがき





『日本の唱歌と太平洋の讃美歌-唱歌誕生はなぜ奇跡だったのか-(奈良教育大学ブックレット)』(安田寛、東山書房、2008)


目 次

はじめに
1. FM古都
2. 唱歌と童謡
3. 研究の面白さ
4. 唱歌という奇跡
5. 唱歌誕生は奇跡だった
6. インターディシプリン
7. 「蝶々」の場合
8. アジア太平洋の讃美歌と唱歌
9. キリスト教海外伝道とは
10. 伝道にとっての音楽
11. 讃美歌集の仕事
12. 宣教師は歌が上手だったのか
13. どんな人が宣教師になったのか
14. アンドリュウ
15. 讃美歌は簡単に受け入れられたのか
16. 土地の古くからの歌との関係は
17. 唱歌はなぜ他所では生まれなかったのか
18. 唱歌の劇的な誕生
19. アジア太平洋で唱歌が果たした役割
20. 今後の研究について
あとがき





著者プロフィール

安田 寛(やすだ・ひろし)
1948年、山口県生まれ。国立音楽大学声楽科卒、同大学院修士課程で音楽美学を専攻。山口芸術短期大学助教授、弘前大学教育学部教授を経て、2001年より奈良教育大学教育学部教授。19世紀、20世紀の環太平洋地域の音楽文化の変遷について研究中。著書に、『唱歌と十字架』(音楽之友社、1993)、『日韓唱歌の源流』(音楽之友社、1999)、『原典による近代唱歌集成』(編集代表、CD30巻+楽譜+資料、ビクターエンタテイメント、2000)、『唱歌という奇跡 十二の物語』(文藝春秋、2003)、『日本の唱歌と太平洋の讃美歌-唱歌誕生はなぜ奇跡だったのか』(奈良教育大学ブックレット第2号、2008)などがある。2001年に第27回放送文化基金賞番組部門個別分野「音響効果賞」、2005年に第35回日本童謡賞特別賞を受賞。奈良市在住。最新刊は『バイエルの謎-日本文化になったピアノ教則本』(音楽之友社、2012)。



<参考>

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) というブログ記事でわたしは以下のように書いている。

・・「日本におけるキリスト教の不振」についての文化人類学者・泉靖一の発言が興味深い。

「中国と朝鮮では、朱子学が村落レベルまで浸透しました。朱子学の発想には二元論的発想がととのえられています。だから、中国と朝鮮のキリスト教化のために、朱子学が論理的地ならしをしたと、皮肉ることもできます。ところが、日本の場合は、これと趣きを異にします・・(後略)・・」。

以下は、わたしが書いた文章の再録である。

「ただし、岡本太郎の、「岡本 そうですね。それを考えると、日本人ってのはまったく不思議な民族だと思いますね。これだけ融通無碍でありながら、みじんも影響されていない。」、という認識は必ずしも正しくない。
 日本人は、キリスト教徒と名乗る人が全人口の1%程度であるというだけの話であって、日本人のものの考え方に、知らず識らずのうちにキリスト教が浸透していると私は考えている。
 明治維新以降、日本の思想家はキリスト教との格闘をつうじて、ある者は全面的に取り入れ、ある者は全面的に排斥したが、多くの者は外国文学などをつうじてキリスト教に触れている。そして多くの一般人は、無意識のうちにキリスト教の影響を受けているのが実態である。・・(中略)・・まあ、こんな風に考えていくと、今後も日本ではキリスト教徒は増えることはないだろう。自分にとって都合のいいもの、受容しやすい部分だけ、無意識に取捨選択して、すでに十分に取り入れてしまっているからだ」。

この時点の発想にはまだ限界があったのだ。唱歌=讃美歌をつうじて、日本人は感性レベルにおいても、不可逆の影響をキリスト教、とくにプロテスタンティズムから受けてきたのである。ただし、教義も信仰も受け入れなかったのではあるが。しかし、それが「日本近代」というものの本質でもあろう。



<ブログ内関連記事>

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・キリスト教伝道のため来日し日本に帰化したヴォーリズ

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・まず日本に入ってきたのは漢訳聖書であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となる

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・同志社の伝道によってキリスト教徒となった京都府綾部の人

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・翻訳者の中村正直は儒者として身を立てたが英国留学を機会にキリスト教徒となった

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した! ・・ラジオの説教は耳からの洗脳

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・「日本におけるキリスト教の不振」についての文化人類学者・泉靖一の発言が興味深い。「中国と朝鮮では、朱子学が村落レベルまで浸透しました。朱子学の発想には二元論的発想がととのえられています。だから、中国と朝鮮のキリスト教化のために、朱子学が論理的地ならしをしたと、皮肉ることもできます。ところが、日本の場合は、これと趣きを異にします・・(後略)・・」。

書評 『傭兵の二千年史』(菊池良生、講談社現代新書、2002)-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ③
・・世界でもっともはやく近代的な軍政改革を行ったのはオランダ

「秋季雅楽演奏会」(宮内庁式部職楽部)にいってきた(2012年10月19日)
・・宮内庁式部職楽部は西洋音楽のクラシックも演奏する。明治時代初期にかれらが最初に決断したことである

「築地本願寺 パイプオルガン ランチタイムコンサート」にはじめていってみた(2014年12月19日)-インド風の寺院の、日本風の本堂のなかで、西洋風のパイプオルガンの演奏を聴くという摩訶不思議な体験
・・浄土真宗とプロテスタント教会の教会音楽が結びつく

 (2014年12月20日 情報追加)


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end

2013年10月16日水曜日

夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い


夢野久作の快作 『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い。

前半生を悔い改めた元暴力団員たちのキリスト教伝道団(!)が自らの反省を語った刺青クリスチャン 親分はイエス様』(ミッション・バラバ、講談社プラスアルファ文庫、2001)という抱腹絶倒だがえらくまじめな自伝集があるが、それよりもはるかに面白いのが『近世怪人伝』に登場する元福岡藩士の奈良原到(ならはら・いたる)という無名人の語りである。

「青空文庫」に全文がアップされているので、ぜひ読んでいただきたいが、「まえがき」と聖書にまつわる語りだけでも紹介しておこう。

夢野久作は、主人公による語りが特徴の独特な文体をもった作家であった。読みやすくするため改行を増やしておいた。かなり長い引用になるが、夢野久作については後述する。まずは引用文を読んでいただきたい。

まえがき

筆者の記憶に残っている変った人物を挙げよ……という当代一流の尖端雑誌新青年子の註文である。もちろん新青年の事だから、郵便切手に残るような英傑の立志談でもあるまいし、神経衰弱式な忠臣孝子の列伝でもあるまいと思って、なるべく若い人達のお手本になりそうにない、処世方針の参考になんか絶対になりっこない奇人快人の露店を披(ひら)く事にした。

とはいえ、何しろ相手が了簡(りょうけん)のわからない奇人快人揃いの事だからウッカリした事を発表したら何をされるかわからない。新青年子もコッチがなぐられるような事は書かないでくれという但書(ただしがき)を附けたものであるが、これは但書を附ける方が無理だ。奇行が相手の天性なら、それを書きたいのがこっちの生れ付きだから是非もない。サイドカーと広告球(アドバルン)を衝突させたがる人間の多い世の中である。お互いに運の尽きと諦めるさ。

・・(中略)・・

奈良原到

前掲の頭山、杉山両氏が、あまりにも有名なのに反して、両氏の親友で両氏以上の快人であった故奈良原到(ならはら・いたる)翁があまりにも有名でないのは悲しい事実である。のみならず同翁の死後と雖(いえど)も、同翁の生涯を誹謗(ひぼう)し、侮蔑(ぶべつ)する人々が尠(すくな)くないのは、更に更に情ない事実である。

奈良原到翁はその極端な清廉潔白と、過激に近い直情径行が世に容(い)れられず、明治以後の現金主義な社会の生存競争場裡に忘却されて、窮死(きゅうし)した志士である。つまり戦国時代と同様に滅亡した英雄の歴史は悪態(あしざま)に書かれる。劣敗者の死屍(しかばね)は土足にかけられ、唾(つばき)せられても致方(いたしかた)がないように考えられているようであるが、しかし斯様(かよう)な人情の反覆の流行している現代は恥ずべき現代ではあるまいか。

・・(中略)・・

国府津(こうづ)に着いてから正宗の瓶と、弁当を一個買って翁に献上すると、流石(さすが)に翁の機嫌が上等になって来た。同時に翁の地声がダンダン潤おいを帯びて来て、眼の光りが次第に爛々炯々(らんらんけいけい)と輝き出したので、向い合って坐っていた二人が気味が悪くなったらしい。箱根を越えない中(うち)にソコソコと荷物を片付けて、前部の車へ引移ってしまったので、翁は悠々と足を伸ばした。世の中は何が倖(しあわせ)になるかわからない。筆者もノウノウと両脚を踏伸ばして居ねむりの準備を整える事が出来た。その二人の脚の間へ翁が又、弁当箱の蓋にオッ立てた蝋燭(ろうそく)の火を置いたので、筆者は又、油断が出来なくなった。

翁は一服すると飯を喰い喰い語り出した。

「北海道の山の中では冬になると仕様がないけに毎日毎日聖書を読んだものじゃが、良(え)え本じゃのう聖書は …… アンタは読んだ事があるかの ……」

「あります …… 馬太(マタイ)伝と約翰(ヨハネ)伝の初めの方ぐらいのものです」

「わしは全部、数十回読んだのう。今の若い者は皆、聖書を読むがええ。あれ位、面白い本はない」

「第一高等学校では百人居る中で恋愛小説を読む者が五十人、聖書を読む者が五人、仏教の本を読む者が二人、論語を読む者が一人居ればいい方だそうです」

「恋愛小説を読む奴は直ぐに実行するじゃろう。ところが聖書を読む奴で断食をする奴は一匹も居るまい」

「アハハ。それあそうです。ナカナカ貴方(あなた)は通人ですなあ」

「ワシは通人じゃない。頭山や杉山はワシよりも遥かに通人じゃ。恋愛小説なぞいうものは見向きもせぬのに読んだ奴等が足下にも及ばぬ大通人じゃよ」

「アハハ。これあ驚いた」

「キリストは豪(えら)い奴じゃのう。あの腐敗、堕落したユダヤ人の中で、あれだけの思い切った事をズバリズバリ云いよったところが豪(えら)い。人触(ふ)るれば人を斬り、馬触(ふ)るれば馬を斬るじゃ、日本に生れても高山彦九郎ぐらいのネウチはある男じゃ」

「イエス様と彦九郎を一所(いっしょ)にしちゃ耶蘇(やそ)教信者が憤(おこ)りやしませんか」

「ナアニ。ソレ位のところじゃよ。彦九郎ぐらいの気概を持った奴が、猶太(ユダヤ)のような下等な国に生れれば基督(キリスト)以上に高潔な修業が出来るかも知れん。日本は国体が立派じゃけに、よほど豪い奴でないと光らん」

「そんなもんですかねえ」

「そうとも …… 日本の基督教は皆(みな)間違うとる。どんな宗教でも日本の国体に捲込まれると去勢されるらしい。愛とか何とか云うて睾丸(きんたま)の無いような奴が大勢寄集まって、涙をボロボロこぼしおるが、本家の耶蘇はチャンと睾丸(きんたま)を持っておった。猶太(ユダヤ)でも羅馬(ロウマ)でも屁とも思わぬ爆弾演説を平気で遣(や)りつづけて来たのじゃから恐らく世界一、喧嘩腰の強い男じゃろう。日本の耶蘇教信者は殴られても泣笑いをしてペコペコしている。まるで宿引きか男めかけのような奴ばっかりじゃ。耶蘇教は日本まで渡って来るうちに印度洋かどこかで睾丸(きんたま)を落いて来たらしいな」

「アハハハハ。基督の十字架像に大きな睾丸(きんたま)を書添えておく必要がありますな」

「その通りじゃ。元来、西洋人が日本へ耶蘇教を持込んだのは日本人を去勢する目的じゃった。それじゃけに本家本元の耶蘇からして去勢して来たものじゃ。徳川初期の耶蘇教禁止令は、日本人の睾丸(きんたま)、保存令じゃという事を忘れちゃイカン」

筆者はイヨイヨ驚いた。下等列車の中(うち)で殺人英傑、奈良原到翁から基督教と睾丸(きんたま)の講釈を聞くという事は、一生の思い出と気が付いたのでスッカリ眼が冴えてしまった。

奈良原到翁の逸話はまだイクラでもある。筆者自身が酔うた翁に抜刀で追っかけられた話。その刀をアトで翁から拝領した話など数限りもないが、右の通(とおり)、翁の性格を最適切にあらわしているものだけを挙げてアトは略する。

因(ちなみ)に奈良原翁は嘗(かつ)て明治流血史というものを書いて出版した事があるという。これはこの頃聞いた初耳の話であるが、一度見たいものである。


どうだ、まいったか!?(笑) 

野卑で下品でグロテスクなまでの表現に満ち満ちていますが、それは奈良原翁本人の語りであるので悪しからずご了承いただきたく。

ちなみに上記の文章に登場する高山彦九郎(1747~1793)とは、江戸時代中期の熱烈な尊王思想家。戦前の修身の教科書に登場していた人物だそうですが、現在ではまったく知名度がありません。京都の三条大橋のそばに、ひざまずいて皇居(・・当時は京都)を望拝する銅像があります。

しかしまあ、イエス・キリストを「奇人」として知られていた高山彦九郎になぞらえるとは・・・

(京都の三条大橋そばの高山彦九郎像 筆者撮影)


奈良原翁の述懐は、幕末維新の白刃のもとを駆け抜けた武士のキリスト教と聖書との出会いの一例でありますね。

旧士族、とくに負け組となった旧士族のなかにはキリスト教徒になった者が多々ありますが、いずれもまじめくさったものが多いなか、新撰組出身の結城無二三(ゆうき・むにぞう)や、この奈良原到のようなテロリストのなれの果てのような例もあったことは記憶の片隅にでもおいておきたいものではありませんか?(・・ただし、奈良原到がキリスト教徒になったかどうかは、わたしにはわかりません)。

イエス・キリストを、「キリストは豪(えら)い奴じゃのう。あの腐敗、堕落したユダヤ人の中で、あれだけの思い切った事をズバリズバリ云いよったところが豪い」。また、「猶太でも羅馬(ロウマ)でも屁とも思わぬ爆弾演説を平気で遣やりつづけて来たのじゃから恐らく世界一、喧嘩腰の強い男じゃろう」と、心の奥底から共感しているのは、みずからも前半生を重ね合わせているのでしょうか。

なぜ武士が明治になってからキリスト教に出会って惚れこんだのか、その一つの解答にはなっているのではありますまいか?


「クリスチャン」という表現にまとりつくステレオタイプなイメージを壊すべき

この文章をあえて長々と引用したのは、わたしは「クリスチャン」という日本語が嫌いだからです。

英語の christian をそのままカタカナにしたのがクリスチャンですが、英語の christian とは違い、日本語でクリスチャンというと、どうしてもまじめだが融通の利かない人というイメージが固定化しているように思えてなりません。

わたし自身はキリスト教徒ではありませんが、わたしの知っているキリスト教徒の日本人は、かならずしもステレオタイプな「クリスチャン」ばかりではありません。いや、むしろそうでない人のほうが多いでしょう。

だからわたしは、「クリスチャン」ではなく「キリスト教徒」とという表現をいつもつかっているのです。仏教徒といえば千差万別であることはこの日本では自明なのに、クリスチャンというとイメージが固定していしまうのは避けるべきではないか、と。

カトリックには作家の遠藤周作のようにシリアスな純文学を書く一方で、ユーモア小説を量産していた人もいますが、それは個人的特性だと言って片づけられてしまう恐れがあるのではないでしょうか。

どう捉えるもその人の自由。わたしも奈良原翁と同様、イエス・キリストはかなり暴力的な人であったという印象をもっております。


夢野久作について

この文章が江戸川乱歩も連載をもっていた探偵小説の雑誌『新青年』に発表されたのは1935年(昭和10年)、その時代もまた幕末と同様にテロが横行した時代でありました。

翌年の1936年2月26日には日本を震撼させた二二六事件が勃発していますが、その直後の3月11日に夢野久作は急逝しています。享年48歳でした。

(夢野久作 wikipedia より)

「この本を書くために生きてきた」という述懐の 『ドグラマグラ』(1936年)という巨編を残して世を去った夢野久作は、右翼の巨頭であった杉山茂丸(すぎやま・しげまる)の長男でありました。

杉山茂丸や、その盟友で右翼結社・玄洋社の社長であった頭山満については、このブログでも 『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし! で取り上げてあります。いずれも明治維新に際して藩主の優柔不断のために苦杯をなめることになった旧福岡藩士です。

 『近世怪人伝』(1935年)は上掲の奈良原到は言うまでもなく、頭山満と杉山茂丸といた両巨頭から無名人に至るまで、最初から最後までとおして読んでいただきたい傑作なのであります。

冒頭に掲載したのは福岡の葦書房が創業25年記念として非売品として配ったものを古書店で購入したもの。わたしが読んできたのは、『夢野久作全集11』(ちくま文庫、1992)です。いずれも入手困難ですが、さいわいにもネット上の「青空文庫」で無料で読むことができます。

わたしは、この本を手にとってしまったが最後、そのたびについつい読みふけってしまうのであります。それほど面白いのです。抱腹絶倒しながら読めば、なぜか不思議な元気がでてくる内容です。

ぜひこの文章の前もふくめた全文をお読みいただきたいと思う次第です。




PS 2015年6月19日に文春学藝ライブラリーより、『近世怪人伝』が久々に復刊されます。青空文庫でも無料で読めますが、書籍の形で読みたい人はぜひ! (2015年6月17日 記す)






<ブログ内関連記事>

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!
・・「夢野久作といえば『ドグラマグラ』という小説で知られているが、その父は杉山茂丸という右翼の巨頭であった。茂丸の交友関係のなかに登場する最重要人物が頭山満であり、その姿は『百魔』(講談社学術文庫、)に活写されているだけでなく、息子の夢野久作(・・本名・杉山泰道)の『近世怪人伝』(昭和10年)に愛情をこめて描かれていることは知る人ぞ知ることだ。わたしの愛読書の一冊でもある。現在は、ちくま文庫に収録されているので、興味のある方はぜひお読みいただきたい」(・・ちくま文庫版は現在は入手困難。本文中に書いたように青空文庫で)

書評 『霊園から見た近代日本』(浦辺登、弦書房、2011)-「近代日本」の裏面史がそこにある

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門 ・・まずはこの一冊というべきナショナリズム入門

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・まず日本に入ってきたのは漢訳聖書であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

「旧江戸川乱歩邸」にいってみた(2013年6月12日)-「幻影城」という名の「土蔵=書庫」という小宇宙

「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは
・・夢野久作の傑作『ドグラ・マグラ』などについて触れてある

書評 『彦九郎山河』(吉村昭、文藝春秋、1995)-「戦前」は賞賛され「戦後」は否定され忘却された高山彦九郎という人物を現代に蘇らせる

(2019年12月17日 情報追加)


 
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2013年10月15日火曜日

書評『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

(表紙カバ-は、宣教師フルベッキと若き武士たち)

明治時代はキリスト教の時代といわれるほど、じつに多くの青年や若い女性がキリスト教に触れ、キリスト教の洗礼を受けたのであった。

それはキリスト教を伝道する側の熱情だけではなく、キリスト教を受け入れる側にも生まれていた熱情からきたものなのであった。第二次グローバリゼーションの大波のなか、近代化を西洋化として開始した日本にとって、キリスト教はそのバックボーンとして、受け入れるにせよ排除するにせよ、けっして無視できない存在であった。

本書は、オランダ人宣教師フルベッキからはじまる流れを、人物中心のエピソード集として一冊にまとめたものである。基本的にキリスト教宣教の立場から書かれているので、やや主張の展開に強引ではないかと思う個所がなくもないが、幕末維新から明治時代前半にかけての流れを知るには手ごろな一冊といえるだろう。

『武士道』(Bushido)の新渡戸稲造や、『余は如何にして基督信徒となりし乎』の内村鑑三がその典型であるが、明治時代以降キリスト教徒になった初期の日本人には旧武士階級出身者が多い。

第一次グローバリゼーションの戦国時代末期に伝来したカトリックとは異なり、聖書を読むことに重きをおいていたプロテスタント諸派にとって、儒教を中心として漢学を修めていたことで武士階級は基礎学力があった点で伝道相手としては格好の存在であったことだろう。

旧武士階級、なかでも精神のよりどころを求めていた没落士族にとっては「干天の慈雨」というべきものだったのだろう。渇きを求めた精神は水を吸うようにキリスト教を吸収したのであった。

終章で福澤諭吉を取り上げているのは、著者が慶應義塾大学卒業というだけではない。キリスト教排撃論者として知られていた福澤諭吉は、じつはキリスト教には理解があり、のちには自分の考えを改め、それを新聞論説で公表している。

おそらくかの有名なフレーズ「天は人の上に・・・」にでてくる「天」は、キリスト教の「天」(Heaven)も念頭にあったのかもしれない。

著者は言及していないが、西郷隆盛の有名な「敬天愛人」もキリスト教と関係があるという説もあるくらいだ。『自助論』の翻訳者・中村正直をつうじて知ったものらしい。中村正直は儒者でキリスト教徒となった人だ。

個々の人物についての深掘りはないのがやや物足りないが、一般にはあまり知られていないエピソードを多くとりあげている点はよい。

NHK大河ドラマ『八重の桜』の後半を見て、明治時代とキリスト教の関係について気になった人には、読んで損はない一冊として薦めておきたい。





目 次

はじめに
プロローグ
第1章 洋上に浮かんでいた聖書
第2章 坂本竜馬を斬った男-今井信郎
第3章 自由民権運動の嵐の中で-坂本直寛
第4章 梅子、八歳のアメリカ体験-津田梅子
第5章 欧米使節団と密航青年-新島襄1
第6章 小刀で漢訳聖書を求める-新島襄2
第7章 会津のジャンヌダルク-新島八重
第8章 十字屋を開いた元・与力の商才-原胤昭
第9章 少年よ大志を抱け-クラーク博士の教え子たち
第10章 イエスを愛し日本を愛す-内村鑑三
第11章 われ太平洋の架け橋とならん-新渡戸稲造
第12章 一万円のあの人の話-福沢諭吉
エピローグ

著者プロフィール 

守部喜雅(もりべ・よしまさ)
1940年、中国上海市生まれ。慶応義塾大学卒業。1977年から97年まで、クリスチャン新聞・編集部長、99年から2004年まで月刊『百万人の福音』編集長。ジャーナリストとして、四半世紀にわたり、中国大陸のキリスト教事情を取材(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

敬天愛人の原拠(田村貞雄 日本近代史)
・・西郷隆盛といえば「敬天愛人」。この「敬天愛人」の根拠は漢訳聖書にあるらしい。直接の典拠は儒者でキリスト教徒であった中村正直にあるようだ。さらにさかのぼれば康煕帝の「敬天愛人」に


<ブログ内関連記事>

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・まず日本に入ってきたのは漢訳聖書であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となる

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・同志社の伝道によってキリスト教徒となった京都府綾部の人

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・翻訳者の中村正直は儒者として身を立てたが英国留学を機会にキリスト教徒となった

書評 『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』(太田愛人、中公文庫、1992)-静岡を基点に山梨など本州内陸部にキリスト教を伝道した知られざる旧幕臣たち

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!

書評 『なんでもわかるキリスト教大事典』(八木谷涼子、朝日文庫、2012 初版 2001)一家に一冊というよりぜひ手元に置いておきたい文庫版サイズのお値打ちレファレンス本

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