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2013年7月13日土曜日

鎮魂・吉田昌郎所長-『死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日-』(門田隆将、PHP、2012)で「現場」での闘いを共にする



福島第一原発の所長として、最悪の事態をギリギリの段階で回避させた吉田昌郎氏が2013年7月9日に亡くなった。享年58歳。食道ガンが発病し「現場」を離れてから約1年8カ月の闘病生活であった。

ガンとの闘病で亡くなった吉田所長はまさに「殉職」というべきではないか。「現場」で亡くなったわけではないが、もしこの人が、あの時、福島第一原発の所長ではなかったなら、千葉県に住むわたしも被曝は免れなかったであろうし、「日本は三分割」されていたかもしれない。

「日本は三分割」されていたかもしれないとは著者のインタビューに対して答えた斑目春樹・原子力安全委員会委員長(当時)の発言だが、最悪の事態としてその可能性があったことは忘れてはいけないのである。

吉田所長の訃報に際して、「福島第1原発の吉田昌郎元所長が死去、58歳 事故収束を陣頭指揮東」(MSN産経ニュース)によれば、東電はこう発表したという。

事故後の被(ひ)曝(ばく)放射線量は約70ミリシーベルト。東電は放射線医学総合研究所の見解として「被曝が原因で食道がんを発症するまでには少なくとも5年かかる。事故による被曝が影響した可能性は極めて低い」としている。

たしかに、事故とその処理の期間中に浴びた放射能とガンの発病のあいだには直接の因果関係はないかもしれない。

だが、あれだけの過酷な極限状況にあっては、ストレスの大きさは常人の想像を絶するものだったことは間違いない。たとえ放射能を浴びた量が少なかったとしてもガン発病の原因となった可能性は否定できないのではないか?

吉田所長の死は、その意味ではまさに「殉職」だとしか言いようがない。命をかけて最後まで最前線で陣頭指揮をとって頑張ってくださった吉田さんへの感謝は、感謝し過ぎることはない。いまはただ感謝とともに、ご冥福を祈るだけだ。

吉田所長のことをもっと知りたいと思い、事故後の昨年12月に出版された『死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日-』(門田隆将、PHP、2012)を読んでみることにした。

門田隆将氏は、『なぜ君は絶望と闘えたのか-木村洋の3300日-』(新潮社、2008)の著者でもある。山口県光市でおきた母子殺害事件の遺族を描いたノンフィクションを読んでいたわたしは、あの門田氏の本なら間違いないと思って読むことにした。

そしてその期待は裏切られることはなかった。

ガンとの闘病生活のあいまに行われた貴重なインタビューをもとに、吉田所長の陣頭指揮のもと、ともに最前線で闘った東電職員、関連会社職員、自衛隊員たちが描かれている。

「現場」で使命感を貫いて闘い抜いた職員のみなさまにはほんとうに頭が下がるばかりである。

「現場」力が低下しつつあるという危機感が語られる現在の日本だが、やはり日本人は「現場」ではつよいということが証明されたのが福島第一原発事故をつうじて明らかになったことだ。

その「現場」で獅子奮迅の働きをした吉田所長と部下たちの記憶が風化しないよう、まずはこの一冊が残されたことは、これからも生きていく日本人のためには不幸中の幸いであったと言わねばならない。

神は吉田昌郎という姿をとってこの地上に現れたのではないかとさえ思ってしまう。いや衆生救済のため身を呈した菩薩というべきだろうか。吉田所長と部下たちはまさに無我夢中で死を覚悟して菩薩行を実践したというべきなのだ。

吉田所長は、危機に際しても、ずいぶん腹の据わった胆力ある人だ、という思いを抱いている人は多いと思うが、「第22章 運命を背負った男」を読むとその理由がよくわかる。人生のきわめて早い時期から仏教で精神修養をしてきた人だったのだ。その修養が彼の死生観を形作り、過酷な状況のなかで精神的に支え続けたようだ。

使命感と無私の精神に貫かれたリーダーとしての吉田所長。「現場」でのギリギリの判断が100%ただしかったとは言うつもりはない。だが、この人が、あのとき、あそこにいなければ・・・。

おそらく戦前だったなら、間違いなく吉田氏は神として祀られることになっただろう。そして、祭神として神社がつくられることになったはずだ。現在の日本ではそういうことはもはやないだろうが。あるとすれば、観音菩薩像が建立されることかもしれない。

吉田昌郎という名前は、われわれが生きている限り、記憶に刻み込まれなければならないい名前である。歴代の首相の名前は忘れ去っても、この人のことは絶対に忘れてはならない

その死を悼み、ご冥福を祈ります。合掌。





目 次

はじめに
プロローグ
第1章 激震
第2章 大津波の襲来
第3章 緊迫の訓示
第4章 突入
第5章 避難する地元民
第6章 緊迫のテレビ会議
第7章 現地対策本部
第8章 「俺が行く」
第9章 われを忘れた官邸
第10章 やって来た自衛隊
第11章 原子炉建屋への突入
第12章 「頼む!残ってくれ」
第13章 一号機、爆発
第14章 行方不明四十名!
第15章 一緒に「死ぬ」人間とは
第16章 官邸の驚愕と怒り
第17章 死に装束
第18章 協力企業の闘い
第19章 決死の自衛隊
第20章 家族
第21章 七千羽の折鶴
第22章 運命を背負った男
エピローグ
おわりに
関連年表
参考文献

著者プロフィール  

門田隆将(かどた・りゅうしょう)
1958年高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。 政治、歴史、司法、事件、スポーツなど幅広いジャンルで執筆。 2010年『この命、義に捧ぐ』(集英社)で第19回山本七平賞を受賞。主な著書に『裁判官が日本を滅ぼす』『なぜ君は絶望と闘えたのか』(以上、新潮社)、 『甲子園への遺言』(講談社)、『康子十九歳 戦渦の日記』(文藝春秋)、『太平洋戦争 最後の証言』(第一部~第三部)『尾根のかなたに』(以上、小学館)などがある。






PS 「吉田調書」の流出と全面公開

故人の遺志に反する結果となったが、「吉田調書」という名称で、故・吉田昌郎氏が「政府事故調」の聴取に答えた記録が、朝日新聞による「スクープ」として2014年5月に流出した。

政府は「吉田調書」を全面公開することを決定し、朝日新聞の「誤報」が明るみになったことは記憶に新しい。9月11日のことである。朝日新聞は、「当該の記事を撤回し、謝罪する」という前代未聞の謝罪会見と、編集幹部の更迭を発表したのであった。

『死の淵を見た男』の著者・門田隆将氏は、当初から朝日新聞による「誤報」と「捏造」を強く批判していたが、『「吉田調書」を読み解く-朝日誤報事件と現場の真実-』(PHP研究所、2014)を出版した。

ここに重要な情報として付記しておくこととしたい。 (2014年12月31日 記す)





<関連サイト>

吉田昌郎(よしだ・まさお) wiipedia日本語版

故・吉田昌郎さんは何と闘ったのか(門田隆将 BLOGOS 2013年7月14日)


本当に救国の英雄だったのか? 東電・吉田昌郎元所長を「総括」する(黒木 亮、現代ビジネス、2015年7月22日)
・・作家の黒木亮氏が、『ザ・原発所長』の執筆の取材の2年間で知った故・吉田昌郎氏についての情報。吉田昌郎氏を「神格化」しないためにも必要な作業であろう



(2015年7月25日 情報追加)




<ブログ内関連記事>

映画 『加藤隼戦闘隊』(1944年)にみる現場リーダーとチームワーク、そして糸川英夫博士
・・「死なば共にと 団結の 心で握る 操縦桿」

書評 『官邸から見た原発事故の真実-これから始まる真の危機-』(田坂広志、光文社新書、2012)-「危機管理」(クライシス・マネジメント)の教科書・事例編

書評 『原発事故はなぜくりかえすのか』(高木仁三郎、岩波新書、2000)-「市民科学者」の最後のメッセージ。悪夢が現実となったいま本書を読む意味は大きい
・・原子力産業草創期にエンジニアとしてかかわった著者の軌跡

スリーマイル島「原発事故」から 32年のきょう(2011年3月28日)、『原子炉時限爆弾-大地震におびえる日本列島-』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010) を読む

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する

書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる

書評 『津波と原発』(佐野眞一、講談社、2011)-「戦後」は完全に終わったのだ!

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない




(2012年7月3日発売の拙著です)





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