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2013年4月28日日曜日

書評 『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』(山田純大、NHK出版、2013)-忘れられた日本人がいまここに蘇える


「命のビザ」の杉原千畝(すぎはら・ちうね)がはじめて知られるようになってからどれだけの時間がたったことだろうか。

調べてみると、未亡人(再婚相手)の杉原幸子氏による 『六千人の命のビザ-ひとりの日本人外交官がユダヤ人を救った-』(朝日ソノラマ)が出版されたのが1990年、それから23年たったことになる。

わたしが Sempo Sugihara(センポ・スギハラ)という日本人の名前をはじめて知ったのは、アメリカ留学中のことだ。「ウォール・ストリート・ジャーナル」で、その聞いたことのない日本人を顕彰する広告記事をみたときだ。帰国後の1992年に杉原幸子氏の本を読んだ頃は、まだそれほど知名度は高くなかった。だが、いまでは杉原千畝の名前を聞いたことのない日本人は少ないだろう。

わたしが本書の主人公・小辻節三(こつじ・せつぞう)の名前を知ったのは大学時代のことだ。杉原千畝は知らなくても、小辻節三は著書をもつ学者であったので、限られた少数者ではあれ知る人は知っていただろう。

おそらく小辻節三がこれまで取り上げられたことがなかったのは、杉原千畝のような外交官でもなく、樋口季一郎のような陸軍中将でもなかったためだろう。生涯を信仰者として、清貧な学者として送った一民間人であった

わたしは大学学部の卒論に中世ユダヤ史を選んだことによって、小辻節三という名前とその著書 『ユダヤ民族-その四千年の歩み-』(誠信書房、1965)の存在を知った。

1980年代前半当時は、現在と違って日本語で読めるユダヤ史関連の本はきわめて少なかったが、小辻節三によるこの本はそのなかでもきわめて良心的な内容の本であった。


(『ヒブル語原典入門』 と 『ユダヤ民族』・・マイコレクションより)


『命のビザを繋いだ男-小辻節三とユダヤ難民-』は、はじめて小辻節三その人を描いたノンフィクションである。満洲国ものを描いた作品に断片的に登場するだけの小辻節三は、なぜか限られた形でしか取り上げられたことはなかった。その意味では、うれしいサプライズ・プレゼントのようなものだ。

本書は、小辻節三の存在を知ったある日本人俳優が、その跡をたどって書きあげた小辻節三のライフストーリーであり、小辻節三を追い続けた彼自身の人生の軌跡でもある。

伝記的事実は、もっぱら小辻自身が英文で出版した回顧録をベースにし、さまざまな文献や直接の聞き取りをつうじてまとめあげたものだ。小辻の回顧録 「From Tokyo to Jerusalem」 は、キリスト教からユダヤ教に改宗後の Abraham Kotusji 名で 1964年にアメリカで出版されている。

日本語では、先にふれた 『ユダヤ民族-その四千年の歩み-』の末尾に 「私の歩んだ道」 としてわずか 6ページでしか語っていない。その意味では、本書によって、はじめて小辻節三の人生が日本語で一冊の本として語られたことになる。

なお、 『ユダヤ民族-その四千年の歩み-』は、反ユダヤ主義を掲げるナチスドイツが日本国内においても脅威となりかけていた1943年(昭和18年)に、身の危険を感じながらも勇気をふるって出版した『ユダヤ民族の姿』(目黒書店)を、戦後の1965年(昭和35年)に改訂して再刊したものである。

(小辻節三の英文自伝 『東京からエルサレムへ』・・マイコレクションより )

著者は俳優を職業とする人であり、学者による研究成果ではないので、伝記的事実についてはまだまだ書きなおされなければならないことも多いだろう。だが、小辻節三という日本人を忘却のなかから呼び戻す役割を果たしていただいたことには感謝したい。

本書の前半 2/3 は小辻節三の人生を上記の英文自伝をもとに親族をふくめた生存者の聞き取りで補強したものだが、のこり 1/3 は著者自身がイスラエルにいって聞き取りによって小辻節三の足跡をたどった記録である。この記録を読むことで、著者をしてなにが本書を完成させたチカラなのかを知ることになる。著者の情熱と行動力は称賛したい。

(小辻節三とユダヤ教のラビ3人 日本にて撮影  wiki英語版より)

「命のビザ」については、ビザを発行した杉原千畝ソ連から満洲国への入国を認めたジェネラル樋口(・・そして暗黙の了解を与えた東条英機)、日本入国と出国まで尽力をつくした小辻節三とモーラルサポートを与えた満鉄時代の元上司である外相・松岡洋右これでほぼ「命のビザ」にかかわる日本人たちがつながったことになる。

神道からキリスト教をつうじてユダヤ教へ。神の道を追い求めたその生涯について、すくなくとも外面的な生涯を描くことには成功した。ユダヤ民族の運命を自ら生きることを決意したその人物の内面の精神生活を知るにはユダヤ教を内在的に理解しなくてはならないが、これは非ユダヤ教徒にはむずかしい課題だ。

小辻節三にかんしては、ほかにもまだまだ書かれるべきことは多いと思うが、こうして一冊の本として形になったことは喜ぶべきことだ。

本書がキッカケとなって、今後その人生の軌跡と成し遂げたこの日本人の存在が、さらに顕彰されることを望みたい。








目 次

はじめに
少年期、青春期の小辻
ナチスによるユダヤ人迫害
奇想天外な『河豚計画』
満州へ
小辻と松岡洋右
杉原千畝の『命のビザ』
日本にやってきたユダヤ難民
ビザ延長のための秘策
迫るナチスの影
神戸に残ったユダヤ人
反ユダヤとの戦い
再び満洲へ
ナチスドイツの崩壊
帰国
小辻を支えた妻・美禰子
改宗の旅へ
小辻の死
エルサレムへ
あとがき
参考・引用文献、資料

著者プロフィール

山田純大(やまだ・じゅんだい)
1973年生まれ。東京都出身。俳優。ハワイの中学・高校を経て、米ペパーダイン大学国際関係学部卒。1997年、NHK連続テレビ小説「あぐり」でテレビデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

<関連サイト>

日本のユダヤ人(wikipedia日本語版)

Setsuzo Kotsuji (wikipedia英語版)


<ブログ内関連記事>

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・「なお、国策会社であった南満洲鉄道株式会社の調査部(いわゆる満鉄調査部)が、なぜユダヤ関係の報告書を翻訳ふくめて大連(満洲国)で多数出版しているのか、この理由についてはまた機会をあらためて、後日書いてみることとしたい。 あまりにも面白い話なのだが、このためには「満鉄」そのものと「フグ計画」(Fugu Plan)について知っておく必要がある。 キーパーソンの一人は、小辻節三(=小辻誠祐 a.k.a. Abaraham S. Kotsuji)である」。

書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・同書の「第2章 イスラームとの邂逅 セムの子-小辻節三との邂逅」には、世界的なイスラーム哲学の権威で日本を代表する哲学者井筒俊彦が、日本を代表する旧約学者となった関根正雄とともにヘブライ語を小辻節三の私塾「聖書原典研究所」で学んだことが記されている

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相
・・このブログ記事で取り上げた 『虹色のトロツキー(全8巻)』(安彦良和)に「フグ計画」の話もでてくる

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)
・・「ジェネラル・ヒグチといえば、「ユダヤ人を救った将軍」として知る人ぞ知る存在であったが、「ユダヤ人を救った外交官」センポ・スギハラ(杉原千畝)に比べると、日本人のあいだだけでなく、ユダヤ人のあいだでも現在の一般的な知名度は決して高くないようだ。 著者はイスラエルまででかけて、ジェネラル・ヒグチの名前が記載されているという「ゴールデン・ブック」の実物も確認している」
・・ユダヤ民族に貢献のあった人を顕彰するという、いわゆる「ゴールデンブック」に記載されていないことも原因かもしれない。それはユダヤ教徒となった小辻節三がユダヤ民族にとっての異教徒ではないからだ。

書評 『諜報の天才 杉原千畝』(白石仁章、新潮選書、2011)-インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝は同盟国ドイツからも危険視されていた!

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・「ちなみに「タルムード」研究がどういうものかについては、ハリウッド女優で歌手のバーブラ・ストライサンドが監督・製作・主演・歌唱のすべてを行った、1983年度のミュージカル映画作品『愛のイエントル』(Yentle)をご覧になっていただきたい」

『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである

書評 『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(アンドリュー&ユキコ・サター、インデックス・コミュニケーションズ、2006 改題して 講談社+α文庫 2010)

書評 『ユダヤ人エグゼクティブ「魂の朝礼」-たった5分で生き方が変わる!-』(アラン・ルーリー、峯村利哉訳、徳間書店、2010)

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?





(2012年7月3日発売の拙著です 電子書籍版も発売中!)







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2013年4月27日土曜日

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ



マリー・アントワネットといえば、「パンがないならお菓子を食べたらいいじゃない」という無邪気なセリフで有名な悲劇の王妃です。フランス革命で断頭台の露と消えました。

マンガや宝塚の『ベルサイユの薔薇』のイメージがひじょうにつよいわけでありますが、そのマリー・アントワネットが、ハプスブルク家の啓蒙専制君主マリア・テレジアの末娘としてウィーンの宮廷に生まれ育った幼い日から心に抱いていた「東洋の貴婦人」がいたのです。

それが、東洋文庫ミュージアムで現在開催中の「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」のテーマです。開催期間は、2013年3月20日(水)~7月28日(日)。

その「東洋の貴婦人」とは、なんと日本の細川ガラシャ夫人。戦国大名の細川幽斎の息子・忠興の夫人となった細川ガラシャです。本能寺の変で織田信長を殺した明智光秀の三女でした。カトリックの洗礼を受けてキリシタンとなりガラシャという洗礼名をもらいましたが、ガラシャ(Gratia)とは恩寵を意味するコトバです。神の恩寵ですね。

マリー・アントワネット(1755~1793)と細川ガラシャ(1563~1600)は奇しくも、ともにカトリックの信仰に生き、37歳を一期に非業の最期を遂げた二人の貴婦人でありました。洋の東西、時代は16世紀と18世紀と異なる時空を生きた二人でしたが、時空を超えた魂の響き合いがあったのではと空想してみてもいいのかもしれません。

マリー・アントワネットは、もしかすると死の間際に細川ガラシャのことを思い起こしていたかもしれません。というのも、キリシタンとして死んだ細川ガラシャの悲劇的生涯は、なんと殉教劇としてバロックオペラの演目としてヨーロッパではひじょうに人気が高かった(!)そうなのです。

カトリックの海外布教の先兵として挺身していたイエズス会は、カトリック大国のハプスブルク帝国が支援していたこともあり、そのイエズス会の海外布教の最大の成功例であり、かつ最大の失敗例ともなった日本布教はイエズス会にとっての意味合いは大きなものがあったのでしょう。

イタリアやメキシコに、長崎で殉教した日本の二十六聖人を記念した教会や壁画が残っているのは、見える形で「記憶」として刻みつけることがその目的であったのでしょう。


細川ガラシャを主人公にした17世紀のカトリック殉教劇

1698年に発表された殉教劇のタイトルはラテン語で、『強き女、またの名を丹後王国の女王グラツィア』(Mulier fortis, cuius pretium de ultimis finibus, sive Gratia regni Tango Regina)といいます。この本の表紙をふくめた一部は、Google Bools で見ることができます。今回の展示においては『気丈な貴婦人』となっていますが、ラテン語を直訳すれば『強き婦人』くらいが適当ではないかと思います。


「丹後王国の女王」とは、細川ガラシャは細川幽斎が封ぜられた丹後(=現在の京都府北部)で人生を過ごしたからでしょう。ちなみにその父である明智光秀は丹波の福知山に城をもっておりました。細川幽斎の居城は丹後田辺城でありました。現在の京都府舞鶴市の西舞鶴ですね。舞鶴で生まれたわたしは親しみを感じます。

ラテン語の殉教劇 『気丈な貴婦人』は、wiki によればこんな内容のようです。

ラテン語の戯曲 『強き女...またの名を、丹後王国の女王グラツィア』 は、神聖ローマ帝国のエレオノーレ・マグダレーネ皇后の聖名祝日(7月26日)の祝いとして、1698年7月31日にヴィーンのイエズス会教育施設において、音楽つき戯曲の形で初演された。脚本は当時ハプスブルク家が信仰していたイエズス会の校長ヨハン・バプティスト・アドルフが書き、音楽はヨハン・ベルンハルト・シュタウトが作曲した。
ガラシャの改宗の様子は、当時日本に滞在中のイエズス会宣教師たちが本国に報告していたが、そのような文献を通じて伝わった情報をもとに、ガラシャの実話に近い内容の戯曲が創作される結果となった。
アドルフは、この戯曲の要約文書において、物語の主人公は「丹後王国の女王グラツィア」であると述べている。さらに、彼が執筆に際して直接の典拠としたのは、コルネリウス・ハザルト著『教会の歴史-全世界に広まったカトリック信仰-』の独訳本の第1部第13章、「日本の教会史-丹後の女王の改宗とキリスト信仰」であったことをも明記している。
戯曲では、グラツィア(=ガラシャ)の死が殉教として描かれている。夫である蒙昧かつ野蛮な君主の悪逆非道に耐えながらも信仰を貫き、最後は命を落として暴君を改心させたという、キリスト教信者に向けた教訓的な筋書きである。
この戯曲はオーストリア・ハプスブルク家の姫君たちに特に好まれたとされる。ただし、彼女たちが政治的な理由で他国に嫁がされるガラシャを自分たちの身の上に重ね、それでも自らの信仰を貫いた気高さに感銘を受けたとの解釈は、アドルフの脚本内容に基づかない日本人的な観点によるものであり、文献上の根拠は皆無である。

事実関係の記述に執筆者の個人的解釈もあって興味深い説明ですね。あまり想像をたくましくしてはうがち過ぎといったところでしょうか。

ソ連崩壊以後は、ロシア革命だけでなく、その前例であったフランス革命もまた顧みられなくなっていきましたが、フランス革命を、「革命された側」であるマリー・アントワネットの側からみるほうがドラマとしてもアピール度が高いのは、もしかするとハプスブルク大好きな人の多い日本だけではないのかもしれません。

フランスの文学者アナトール・フランスに 『神々は渇く』というフランス革命を題材にしたすぐれた文学作品がありますが、「革命する側」の精神状態を「(血を求めて)神々は渇く」と表現したわけです。その意味では、「革命された側」のマリー・アントワネットは「殉教」といっていいのかもしれません。

じっさい、フランス革命においてカトリック教会は徹底的に弾圧されることになります。修道院は破壊され、教会建築にも破壊の手が及びました。ロシア革命も文化大革命も、また日本の明治維新の際の廃仏毀釈とも共通するものがあります。

そんなことを考えながら、「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」の展示品を見るとよいでしょう。




展示品についての若干の解説

会場には、『気丈な貴婦人』の一部を再現したチェンバロによる演奏が流れています。バロック音楽に浸りながらマリー・アントワネットの生涯と細川ガラシャの生涯を偲ぶことができる構成になっています。

以下、展示の説明文をそのまま引用しておきましょう。


マリー・アントワネットが旧蔵していたという『イエズス会士書簡集』、世界に唯一現存の天草本キリシタン版『(国重文)ドチリーナ・キリシタン』細川ガラシャ自筆の和歌短冊『たつね行』中国明朝のキリシタン貴婦人の伝記『徐カンディダ伝』など天下の稀品が一堂に会します。マリー・アントワネット憧れの東洋のキリスト教世界、この機会にぜひご堪能ください。

『どちりな きりしたん』(Doctrina Christam)は、カトリックの「カテキズム」(公教要理)のこと。教義を意味するドクトリンがなまって「どちりな」となったようですね。日本語をローマ字で記した教理問答集で、1600年に日本で出版されたキリシタン文書の一つです。



『イエズス会士書簡集』は、中国関連のものを中心に日本関連のものをふくめて、平凡社東洋文庫から日本語訳され出版されています。出版を目的として書かれたイエズス会士の報告書は、18世紀のヨーロッパの知識階層でよく読まれ、ひじょうに大きな影響を与えたことが知られています。

たとえば、哲学者のライプニッツは『易経』をもとに二進法のアイデアからコンピューターの原型となる発想を得ていますし、身分や階層にとらわれない官吏の登用方法としての「科挙」はヨーロッパに大きな影響を与えています。やや中国文明を理想化しすぎたという批判もありますが、『イエズス会士書簡集』を愛蔵していたということから、マリー・アントワネットの関心のありかをさぐることもできそうです。

なお、イエズス会は海外布教方針をめぐってカトリック内部で批判にさらされ、権力闘争のすえ1773年にローマ教皇庁から解散命令を受けています。復興されたのは30年後の1814年、その時点ではすでに海外布教の主役は「パリ外国宣教会」などにとって代わられていました。

「平成27年(2015年)は「信徒発見」150年」というコピーのもと、「世界遺産候補 長崎の教会群とキリスト教関連遺産」というパンフレットが置かれていますが、長崎で隠れキリシタンがフランス人神父の前に名乗り出たのが1860年(万延元年)、その神父はパリ外国宣教会から派遣された宣教師だったのでした。


展示会場が暗くて展示品はすべてガラスケースのなかに入っているので、撮影OKなのですがなかなかよい写真がとれません。くわしい解説のある小冊子 『マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-(時空をこえる本の旅5)』をぜひ会場で購入されるとよろしいかと思います(500円)。





PS マリー・アントワネットと日本の蒔絵コレクション

マリー・アントワネットと日本とのかかわりといえば、蒔絵漆器のコレクションについて触れなくてはならないだろう。

彼女が生前愛用した化粧箱は、なんと日本製だったのだ! 蒔絵の漆器の小箱のコレクションは、「japan 蒔絵-宮殿を飾る 東洋の燦めき」展(サントリー美術館、会期:2008年12月23日~2009年1月26日)でも公開されている。

フランス国王ルイ16世王妃マリー・アントワネットは、たいへんな蒔絵のファンでした。質・量ともにヨーロッパ随一を誇るアントワネットの蒔絵コレクションの中には、輸出用の注文品ではなく、上質でありながらも、京の店先で選ばれ買われたと考えられるものもあります。(企画展案内文より)

これらの平蒔絵コレクションは、18世紀にオランダ東インド会社(VOC)を通じて日本から欧州に輸出されたものである。ロココ時代の王宮には、かならずといっていいほど中国部屋と日本部屋があるが、贅沢品としての工芸品にかんしては日本製品が王侯貴族のあいだでは愛好されていたのであった。マリー・アントワネットの平蒔絵コレクションはヴェルサイユ宮殿美術館が所蔵している。彼女の趣味の良さがうかがわれる。

なお、マリー・アントワネットの旧蔵書である『イエズス会士中国報告』のフランス語訳版は、日本の東洋文庫が所蔵している。シノワズリー(中国趣味)とジャポニスム(日本趣味)は、18世紀の王侯貴族のあいだでは東洋の贅沢品として人気を博していたのであった。いまではもはやそうではないふぁ、かつて小文字の china は陶磁器、小文字の japan は漆器を9意味していたのである。

(2016年4月5日 記す)

マリー・アントワネットの漆器趣味は、母親のハオウスブルク帝国唯一の女帝マリア・テレジアゆずりのものであった。

「蒔絵 Japan」 ~美術展めぐり MYセレクション」というブログ記事には、上記の「japan 蒔絵-宮殿を飾る 東洋の燦めき」展の紹介がある。

オーストリアのハプスブルク家の女帝マリア・テレジアは「私は、ダイヤモンドより漆器よ」と言って、日本の絵を愛し、一家の住居であったウィーンのシェーンブルン宮殿にも「漆の間」を設けたほどでした。そんな母親の影響を受けて、フランスのブルボン家に嫁いだマリー・アントワネットも漆器好きで、マリア・テレジアから50点もの蒔絵を相続すると、さらにコレクションを増やしていき、そのマリー・アントワネットのコレクションはヨーロッパでも質量と随一のものとなりました。

(参考) マリー=アントワネットの漆器コレクション ヴェルサイユ宮殿美術館(MMM)。日本の漆器はフランス語で les laques du japon このキーワードで検索をかけてみるとよい。

(2016年4月22日 記す)

日本とは浅からぬ縁のあったマリー=アントワネットであったが、日本人とは直接見たことはなかった。同時代のロシアの女帝エカチェリーナは、1791年に漂流民の大黒屋光太夫に拝謁させている。マリー=アントワネットが捕まったのは1792年で翌年には処刑されているが、はたして大黒屋光太夫の情報は耳にしていたのだろうか?

(2016年4月29日 記す)




PS オペラ『細川ガラシャ』について

日本で最初のオペラ『細川ガラシャ』を作曲したのは、カトリックのサレジオ会の司祭で日本宣教の責任者として来日したヴィチェンツィオ・チマッティ師(1879~1965)である。

音楽的才能にめぐまれていたチマッティ師は、生涯に950曲を作曲している。1926年に46歳で来日して以来、戦時中の苦難も含めて終生にわたって日本にとどまった。現在は尊者として認定されており、聖者としての第二段階である福者への申請中である。

『細川ガラシャ』は音楽ドラマとして1940年に日比谷公会堂で初演、その後1960年には80歳のチマッティ師自身の手によってオペラに改作されたものが上演されている。


(参考) ドン・チマッティ (Don Cimatti) :オペラ『細川ガラシア (ガラシャ) 』より第1幕その1(小栗克裕 (Katsuhiro Oguri) 補作・管弦楽編曲) (YouTube)




(2016年8月27日 記す)


PS2 ヴェルサイユ宮殿の全面協力のもとに作成されたマンガ

『マリー・アントワネット (KCデラックス モーニング) 』(惣領冬実、講談社、2016)が、2016年9月に出版されている。製作の経緯については、「モーニング」の副編集長による「世界志向の編集者は言語の壁を超えて、 作家が触れたことのない「異物」との接触点をつくる」(北本かおり、WIRED、2015年10月30日)を参照。(2017年6月14日 記す)




<関連サイト>

ミュージアム 財団法人東洋文庫

舞鶴田辺城 (舞鶴観光協会)

細川ガラシャ ゆかりの地を巡る - ゆったり丹後 (丹後広域観光)

イエズス会日本管区(日本語)

パリ外国宣教会 公式サイト(フランス語)










<ブログ内関連記事>

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!

「東インド会社とアジアの海賊」(東洋文庫ミュージアム)を見てきた-「東インド会社」と「海賊」は近代経済史のキーワードだ


■フランス革命

フランスの童謡 「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」(Il pleut, Il pleut, bergère)を知ってますか?
・・「雨降り」とは「革命」の到来を暗示しているという説がある

フランス国歌 「ラ・マルセイエーズ」の歌詞は、きわめて好戦的な内容だ
・・革命歌の歌詞はじつに勇ましいだけでなく残酷だ

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命から「近代」が始まった


■カトリックとイエズス会

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

イエズス会士ヴァリニャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである
・・イエズス会の創始者イグナティス・デ・ロヨラの『霊操』について

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯

「泥酔文化圏」日本!-ルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』で知る、昔から変わらぬ日本人
・・および『コリャード懺悔録』(大塚光信校注、岩波文庫、1986)

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

(2014年7月21日、2016年4月29日 情報追加)




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2013年4月22日月曜日

書評 『増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか-ルールメーキング論入門-』(青木高夫、ディスカヴァー携書、2013)-ルールは「つくる側」に回るべし!


「なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか」という問いは、多くの日本人が日頃感じていることだろう。幕末の「開国」以来、「欧米列強」(・・アナクロだがイメージ喚起力のつよい表現だ)に苦杯をなめさせられ続けた歴史がトラウマに近いものにまでなっている。

本書の主張は、ルールは守るのは当然だが、ルールはつくる側にまわってこそ大きな利益を得ることができる、ということだ。これはスポーツだけではなくビジネスでも同じことだ。

日本人の美学を認めつつも、国際世界で勝つためにはルールは守るだけでなく、つくることによって競争環境を自社に有利に仕向けることを考慮に入れるべきことを説いている。

増補新版の「あとがき」で著者も触れているが、初版出版後の読者の反応でいちばん多かったのは、ルールとプリンシプルの違いを説明した個所であったそうだ(第1章)。わたしもこの個所がいちばん面白く感じた。

図式的にいえば、ルールは外的で他律的、プリンシプルは内的で自律的、となる(P.34)。わたし的にいえば、プリンシプルが個人の内面を律する原理原則であるとすれば、ルールはしょせん決め事に過ぎないということになる。決め事であれば、環境が変われば、それに応じて決め事も変えていかなかればならないのは当然だ。

それにしても日本には、時代遅れの規定や法律がそのまま放置されていることがあまりにも多すぎるのではないだろうか。

その理由は、著者も触れているが、法律やルールは自分たちがつくるものではなく、お上(かみ)から与えられたものを順守することだという日本人のマインドセットにある。企業社会ではコンプライアンスに法令遵守という訳語が与えられたために窮屈な空気が醸成されており、とくに大企業のビジネスパーソンは窒息状態にある。それもまた、日本人のこのマインドセットに起因するのであろう。

社会科学者の小室直樹がむかしから事あるごとに主張していたが、日本国憲法を「不磨の大典」(ふまのたいてん)のごとく、一字一句も変更をゆるさずに抱え込むなどは愚の骨頂。憲法もまたルールとしての法律であって、モーゼの十戒のような律法ではない(・・日本語では、「法律」と「律法」はまったく意味が異なる。英語では Law で同じだが)。

ビジネスの世界では「仕組み」をつくった者がいちばんうまい汁を吸う、というのは「常識」である。宝くじなども、買う立場の人間よりも売る立場で「仕切る」側にいる胴元がいちばん儲かるというのも「常識」である。

これを戦略的に行っているのがEU(欧州共同体)だ。

環境規制やISOなど厳しい規制をもうけることでビジネスをつくりだす欧州の知恵に学ぶべきだという著者の主張にも同感だ。むやみやたらに競争して疲弊することは避け、高く厳しいハードルを設けることによって「真の競争」を促すのが規制ビジネスのキモだ。その規制の胴元が欧州共同体である。

低成長時代の日本が、長らく低成長を続けている欧州の知恵に学ぶべきものは多い。今後は日本が主導してさまざまなルールを率先してつくっていくべきだろう。

副題にあるように、本書はルールメーキング論「入門」である。マインドセットについて語られるが、ルールメーキングの方法論までには言及がないので、物足りなさを感じる人も多いだろう。

まずは日本人のマインドセットを武装解除することが著者のミッションであるようだ。そのためのテキストとしては、増補改訂版が出版される意味はある。




目 次

はじめに 日本人はルールを守りすぎて、損をしていないだろうか?
第1章 なぜ私たちはルール変更を「ずるい」と思うのか?
第2章 実際に「ずるい」を味わってみる
第3章 ルールを変えれば本当に勝てるのか?
第4章 ルールがあってこそ成長する
第5章 ルール作りのプリンシプル
あとがきにかえて

著者プロフィール

青木高夫(あおき・たかお)
本田技研工業(株)勤務。HONDAでは、渉外業務において税制・通商など国内外の自動車産業に関わるルール作りに参画。海外営業時代は、豪州・英国に駐在し大洋州・中近東・北中欧での販社開発・企業合併を多国籍部門のマネジメントを通じて行う。この間、海外でのレース活動にも関与した。専修大学(大学院)にて、そうした経験を基礎として主に産業政策論を講じている。また、業務や講義に関連する欧米のビジネス書を発掘・翻訳。1956年、東京都出身(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






<ブログ内関連記事>

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと

聖徳太子の「十七条憲法」-憲法記念日に日本最古の憲法についてふれてみよう!

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005)

書評 『超マクロ展望-世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人、集英社新書、2010)-「近代資本主義」という既存の枠組みのなかで設計された金融経済政策はもはや思ったようには機能しない

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?




(2012年7月3日発売の拙著です)





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2013年4月20日土曜日

書評 『超マクロ展望-世界経済の真実』(水野和夫・萱野稔人、集英社新書、2010)-「近代資本主義」という既存の枠組みのなかで設計された金融経済政策はもはや思ったようには機能しない




超長期で経済分析をすすめている異端の民間エコノミストと、国家と資本主義の関係について考察してきた気鋭の政治哲学者との刺激的な対話です。

帯には、「近代資本主義の崩壊が始まる」とありますが、「近代資本主義」が崩壊過程にあるのはたしかですが、資本主義じたいが崩壊するるわけではないのでお間違えないよう。世の中によくあるオカルト系ではありません。

エコノミスト水野和夫氏の大著 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)は、このブログでも紹介しましたが、ある程度の経済学の素養と西洋近代史の素養がないと読み切れない大著なので、なかなかチャレンジしにくいのではと思います。 

そんな人のためには、この新書本をぜひすすめたいと思います。対談本で238ページなので、読みとおすことは可能でしょう。

「近代資本主義500年の歴史」はいまや終わり、大転換期にあるという認識が必要なことを、豊富な経済データと濃密な議論で展開した読みでのある新書本です。

中世世界が崩壊して近代世界に移行した500年前の大転換期--いわゆる大航海時代のことですね--との対比で現在の状況をわかりやすく解説しています。

日本の超低金利状態は、500年前のイタリアの都市国家ジェノヴァの低金利以来のものなのです。これを「利子率革命」というのですが、すでに低金利は経済成長のとまった先進国全般に拡大しています。低利で調達された資本は先進国ではなく、成長余地の大きな新興国に流れるのは当然なことです。実体経済の成長は新興国で、金融経済は先進国でというわけです。

500年前のスペイン(=ハプスブルク帝国)とイタリア(=ジェノヴァ共和国)の関係が、現在のアメリカと日本の関係になぞらえて説明されているところなど、経済覇権国と資本提供者の組み合わせという意味ではじつに卓抜です。

この対談ではヘゲモニー論を軸に、軍事力を背景にした経済覇権と国家の関係について考察した内容になっています。こういう議論に慣れていない人は新鮮な印象を受けることでしょう。

水野氏は、「歴史の峠」に立っているという認識を」という「あとがき」でこう言っています。

このような時代の転換期において、近代資本主義の枠内だけの道具では、問題を解決することは不可能だろう。デフレという問題ひとつをとっても、おカネを刷れば一挙解決といった処方箋は、グローバル化した経済を見誤っている典型のように思われる。(*太字ゴチックは引用者=わたし による)

わたしはこの発言に賛成です。水野氏はこういうことを発言しているので、いわゆる「リフレ派」からはボロクソに批判されています。

つい先日、あたらしい総裁のもと日銀が「異次元の金融緩和」を断行しましたが、経済史を含めた西洋史を大学学部で専攻したわたしには、水野氏の発言こそまっとうに思われます。もしかすると政策決定者には隠されたべつの意図があるのかもしれませんが。

とはいっても、政策決定者ではない一日本国民には、経済政策も金融政策もコントロール不能な「外部環境」です。ですから、すでに始まっているバブル生成と崩壊を見据えたうえで、自らの行動を決めなくてはならないでしょう。そのときに備えた研究が必要なことは言うまでもありません。

しかし、その解答まではこの本には書かれていません。あるべき枠組みについての議論はあっても、自分とその関係者がサバイバルするための方法については、自分で考えて自分で実行していくしかありませんね。

いずれにせよ、まずは、「近代500年の近代資本主義」が崩壊するプロセスにあるいま、既存の枠組みのなかで設計された経済金融政策はもはや機能しないことに気がつかねばならないのです。





目 次

はじめに 市場経済だけで資本主義を語るエコノミストたちへ
第1章 先進国の超えられない壁
第2章 資本主義の歴史とヘゲモニーのゆくえ
第3章 資本主義の根源へ
第4章 バブルのしくみと日本の先行性-日米関係の政治経済学-
第5章 日本はいかに生き抜くべきか-極限時代の処方箋-
対談を終えて
 「歴史の峠」に立っているという認識を(水野和夫)
 経済学的常識への挑戦(萱野稔人)
参考文献

著者プロフィール 

水野 和夫(みずの かずお)
1953年生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科客員教授。元三菱UFJ モルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト。早稲田大学大学院修士課程経済 研究科修了。著書に『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』など(出版社サイトより)。
 

萱野稔人(かやの・としひと)
1970年生まれ。津田塾大学国際関係学科准教授。哲学博士。パリ第十大学大学院博士課程哲学科修了。著書に『国家とはなにか』など。(出版社サイトより)。



<ブログ内関連記事>

書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

書評 『新・国富論-グローバル経済の教科書-』(浜 矩子、文春新書、2012)-「第二次グローバリゼーション時代」の論客アダム・スミスで「第三次グローバル時代」の経済を解読

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方

書評 『国力とは何か-経済ナショナリズムの理論と政策-』(中野剛史、講談社現代新書、2011)-理路整然と「経済ナショナリズム」と「国家資本主義」の違いを説いた経済思想書






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2013年4月19日金曜日

「桜餅のような八重桜」-この表現にピンとくるあなたは関西人!



この写真をみて「桜餅のような八重桜」ということにピンとくる人は、おそらく関西人が多いでしょう。ただ単に、甘味好きや食いしん坊かどうかとは違います。

なぜなら、関西では、桜餅といえば「道明寺」(どうみょうじ)のことを指しているから。関西人が「桜餅」と聞いてアタマのなかで連想するのは間違いなく「道明寺」のことです。

関東でいう「桜餅」は、ドラ焼きのようにアンコを包んだ形態なので、「桜餅のような八重桜」といってもピンとこないかもしれません。

まずは、関西の「桜餅」、言い換えれば「道明寺」について簡単にみておきましょう。まずは下の写真を見てください。


(桜餅道明寺、上方風桜餅 wikipedia日本語版掲載の写真)


どうです、よく似てるでしょう! しかも、見るからにうまそうですね!

おなじく桜の葉を塩漬けにしたものでくるんであっても、関西と関東では真逆といっていいほどの違いがあるのが桜餅です。わたしは道明寺の桜餅のことをいつも無意識に桜餅といっているので、関東ではどうも話が通じないことがあるようなのです。

では、関東の「桜餅」です。


(桜餅長命寺、江戸風桜餅 wikipedia日本語版掲載の写真)


こちらも「桜餅」は「桜餅」ですが、関東の長名寺小麦粉でつくった薄皮であんこをくるんだものです。関西と関東では、同じ桜餅といってもぜんぜん違うものであることがわかると思います。じつは関東の桜餅を「長名寺」ということは今回はじめて知りました。

では、なぜ関西の桜餅は「道明寺」というのでしょうか?

むかしから不思議に思っていましたが、あるとき思い立って調べてみたら答えはきわめて簡単なものでした。答えは、道明寺粉からつくった餅だから道明寺という、というもの。

ではなぜ道明寺粉とは何でしょうか?

道明寺粉とは、もち米を水洗いし水に浸しておいてから蒸し上げ、干して乾燥させたものです。米粉の一種ですね。しかも、もち米のつぶつぶが残っているので、粒あんともあわさって、じつによい食感です。関東の「お汁粉」(しるこ)に対して関西では「ぜんざい」が好まれるのと同じかもしれません。つぶつぶ感といったものでしょう。

「道明寺」というのは大阪の藤井寺市にある真言宗のお寺の名前です。もち米を乾燥させたものを干し飯(=ほしいい)といいますが、その干し飯を荒挽き粉にしたものが道明寺粉というわけです。道明寺粉は千年前から存在するのだそうですが、干し飯といえば 『伊勢物語』の東下りの場面にも登場する「かれいひ」という携帯食です。

では、関西の桜餅と関東の桜餅の境界線はどこにあるのでしょう? 日本では、関西と関東にしか住んだことがないので、その中間のどこかであるのは確かなのですが・・・








<関連サイト>

和菓子ネット(日本全国の和菓子を注文可能)



<ブログ内関連記事>

八重桜は華やかで美しい

『伊勢物語』を21世紀に読む意味

鹿児島産の「ぽんかん」を今年もいただいた
・・わたしがもっとも好きな「かるかん饅頭」について

葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。 この山道をゆきし人あり (釋迢空)

「目には青葉 山ほととぎず 初かつを」 -五感をフルに満足させる旬のアイテムが列挙された一句
・・桜の葉っぱ

(2014年6月18日 情報追加)




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2013年4月18日木曜日

「1日で巡るお遍路さん in 丸の内」に参加してきた-四国八十八か所霊場ご本尊の77年ぶりの「出開帳」(2013年4月18日)



「1日で巡るお遍路さん in 丸の内」というイベントに参加してみた。四国八十八ヶ所を一日、いや一時間くらいで一気に回ってしまおうというお気軽イベントである。

いまは亡き祖父が徳島生まれで四国にも少なからぬ「縁」のあるわたしは、20歳代の頃からぜひやってみたいと思いながら、またなんども計画をつくってみたものの、歩き遍路では最短でも40日以上はかかるため現在に至るまで断行しないで終わってしまっている。

このままでは生きているうちに一度もお遍路できずに終わってしまうかもしれないと思うと、まあこういうインスタントなお遍路でもいいのかなと思って参加してみた次第だ。

インスタントすぎてそれではお遍路したことにならないという反論もあるだろうが、チベットでもマニ車を回せばお経を読んだことになるというプラクティスもあるので、それほどおかしなことでもあるまい。

主催者のJTBによる案内文を以下に掲載しておこう。旅行会社が聖地巡礼をテーマにはじまったのは洋の東西を問わず共通である。

「77年ぶりに88か所本尊出開帳」 今日、老若男女を問わず静かなブームとなっている四国八十八ヶ所巡り。弘法大師"空海"の足跡を訪ね、寺院を巡るお遍路の旅がこの度、東京・丸の内の新ランドマーク JPタワーにやってきます。本展では、なんと77年ぶりに88体のご本尊(日本を代表する仏師松本明慶作の出開帳本尊)を一堂に出開帳。つまり東京・丸の内にて、1日で四国八十八ヶ所を巡ることと同様の体験をしていただけます。その他にも巡礼用品や四国物産の販売も併催予定。何度も巡礼の旅に出ていらっしゃる方はもちろん、巡礼の旅に出たくてもなかなか出られないという方も、この春、丸の内で貴重なお遍路体験をしませんか?

「77年ぶりに88か所本尊出開帳」、ですか! 77年前というと 1936年(昭和11年)か。そんなこともあったのかという気持ちになる。「日本を代表する仏師松本明慶作の出開帳本尊」ということは、それ以降につくられたあたらしい仏像ということだ。

「四国霊場開創1200年記念催事」ということだが、その数字がピタっと正確なのかどうかわたしにはわからない。でも1200年というのは、弘法大師空海の時代であるからそのとおりなのだろう。

まずは、「開催概要」について掲載しておこう。「同行二人」(どうぎょう・ににん)である。弘法大師と二人で巡礼する。


■名  称: 四国霊場開創1200年記念催事 「1日で巡るお遍路さんin丸の内」
http://www.jtb.co.jp/chiikikoryu/regional/ohenro/index.asp■主  催: 株式会社JTB中部、四国八十八ヶ所霊場会
■協  力: 東日本先達会
■協  賛: 四国ツーリズム創造機構
会  期: 2013年4月18日 (木) ~ 25日 (木)  会期8日間時  間: 9:00 ~ 21:00 ※時間指定制(3時間観覧)第1部 09:00-12:00 第2部 12:00-15:00
第3部 15:00-18:00 第4部 18:00-21:00
  ※各部定員700名様限定
■会  場: JPタワー【 ホール & カンファレンス (4Fフロア) & 東京シティアイ (B1フロア) 】 東京都千代田区丸の内二丁目7番2号
■入 場 料: 有料制 ※中学生以下無料
        前売券(1名様) ¥2,000(税込)
        当日券(1名様) ¥2,300(税込)
■チケット:販売方法
1.インターネット販売<JTBエンタメチケット/チケットぴあ>
2.チケット専用コールセンターでの電話販売<JTBエンタメチケット/チケットぴあ>
3.JTB店頭・JTB総合提携店での販売
4.チケットぴあ店頭での販売
5.コンビニエンス・ストアでの販売


「出開帳」というのは江戸時代にはよく行われていたそうで、成田山新勝寺の出開帳が・・・で何度も開かれていたそうだが、門外不出の秘仏を出張展示するといったものである。

写真撮影禁止ということなので一枚も撮影していないので、どんな感じかは千代田区観光協会の関連サイトをご覧いただきたい。

簡単に回れるというのだが、88体の仏像に手をあわせて真言を唱える(・・仏像にそばに書いてあるのを読むだけだが)、それでもかなりの量がある。やはりマニ車を回して終わりというようなインスタントなものではない。


(完了者に授与される「結願之証」 ただし無記名)

会場を一巡すると、出口の外で「四国八十八ヶ所霊場 お砂踏み 結願之証」という証書をもらったが、にもかかわらず、その瞬間のことだが、やはり歩いて回らなければダメだなという気持ちがわき上がってきた。つまり精神的にも肉体的にも物足りないということだ。

狭いスペースであるからよけいそう感じるのだろうが、自分のペースで歩けないのももどかしい。
体力のあるうちに、やはり一部分でもいいから歩くべきだなと痛感。もうちょっと会場が広ければ、違う感想をもったかもしれないが・・・

会場に展示されていた写真パネルにもあったが、外人さん(!)でもお遍路しておるのだから、いわんや日本人をや、である。

じつはお遍路をしてみたいとつよく思ったのは、いまから20年くらい前、アメリカに留学していたときのことだ。一緒にプロジェクトをやっていたエンジニアの白人系アメリカ人から、彼の弟が四国アイランドで巡礼(pilgrim)しているという話を聞いた。その頃はもちろん、お遍路というコトバは知っていたが、じっさいに歩いている人の話を聞いたのは初めだった。外地ではじめて日本を知るという事例でもある。

会場で「お遍路」をはじめる前に、僧侶から説明とお清めがある。お清めは塗るお香と聖水のふりかけの二つだが、その塗るお香のことを「塗香」(ずこう)というのだそうだ。その粉末のお香を左手の手のひらに受けて両手ですり合わせ、手の甲や手首に刷り込み、両手のひらを開いて全身を清めたことにする。密教系ならではのようだが、はじめて体験した。

ところがこのお香の匂いにはその後、閉口することになる。カレー粉のような匂いがこびりついて取れず、終日つきまとっていたのだ。そのまま帰宅したのであれば問題はなかったかもしれないが・・・

いろいろ感想を書いてみたが、やはり四国八十八か所は歩き遍路すべきという気持ちになっただけでも、このイベントに参加した意味はあったかもしれない。

     ***************************************************

閑話休題(=それはさておき)、イベントの会場の改築なったJPタワー(旧東京郵便局)がまたすごいものであった(下の写真)。


(JPタワー内部 吹き抜け型の商業ゾーン)

こんなにつぎからつぎへと東京では再開発で商業施設が建設されているが、はたして採算とれるのだろうかとも思ってしまう。まあ、東京駅舎の再建とあわせての丸の内再開発計画の一環だろうから勝算はあるのだろう。

むかし百貨店や商業施設の需要調査と採算計画(・・いわゆるFS:フィージビリティ・スタディのこと)の仕事をさんざんやったのでそんなことを思ってしまうのだが、「供給が需要をつくりだす」という、いわゆるセーの法則というものもある。あらたな需要を世界規模でつくりだすということを意図しているのであろう。なんといっても世界を代表する国際都市東京の表玄関が丸の内である。

JPタワーには東京大学総合博物館の常設展示「インターメディアテク」もできていた。特別展示として、古生物時代の標本や化石が展示されていた。標本や化石はすでに生命はないが、かつて生命をもっていた物体の残存物である。

八十八ヶ所の霊場をもつ四国は、それゆえに「死国」ともいわれることがある。JPタワーには、商業施設という「生」と霊場という「死」の世界の同居したわけだ。現世における欲望、来世における欲望。エロスとタナトス。

生と死はつねに隣り合わせにあるということを体感するには、いいイベントであったというべきかもしれない。


<関連サイト>

1日で巡るお遍路さんin丸の内(JTB)

四国八十八ヶ所霊場 公式サイト




インターメディアテク (東京丸の内に2013年3月21日にオープンした東京大学の学術文化総合ミュージアム)


<ブログ内関連記事>


書評 『聖地の想像力-なぜ人は聖地をめざすのか-』(植島啓司、集英社新書、2000)

庄内平野と出羽三山への旅 (10) 松尾芭蕉にとって出羽三山巡礼は 『奥の細道』 の旅の主目的であった

「企画展 成田へ-江戸の旅・近代の旅-(鉄道歴史展示室 東京・汐留 )にいってみた

「空海と密教美術展」(東京国立博物館 平成館) にいってきた

「東京大学総合研究博物館小石川分館」と「小石川植物園」を散策






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2013年4月16日火曜日

なぜいま2013年4月というこの時期に 『オズの魔法使い』 が話題になるのか?



なぜかいま 『オズの魔法使い』(The Wizard of Oz) が言及されることが多い。

先日お亡くなりになったサッチャー元首相は、在職中に発揮したリーダーシップによって「英国病」を完治し、衰退する英国に活を入れた日本ではもっぱら称賛する人が多いが、当事者である英国人のあいだには、その強引なやり方のために中流階級が弱体化したと批判している人も存在します。

サッチャーの批判勢力が「祭り」(?)を引き起こしているとTVで報道されていました。批判勢力の呼びかけで、『オズの魔法使い』の「鐘を鳴らせ 魔女が死んだ」という歌が、猛烈な勢いでダウンロードされ、英国のヒットチャートでナンバーワンになっているいうのです。

オリジナルのタイトルは、 "Ding Dong The Witch is Dead" YouTubeで映像をみるといいでしょう。主人公のドロシーが魔法の国で、アクシデントで「悪い魔女」が死んでしまったから住民が喜んでいるシーン。まさに「祭り」状態。

(DVD映像から筆者がキャプチャしたもの)

このニュースが入ってくる前には、TVの情報番組でコメンテーターをつとめる毎日新聞論説委員の福本容子氏が、『オズの魔法使い』のほんとうのテーマはデフレ経済からの脱却を願う人たちを登場人物にしたものだ、と語っていました。

「子ども向けおとぎ話と信じていた「オズの魔法使い」は何と! デフレ脱却が隠れテーマだった(説がある)というのだ。深い論争が何十年も続いていた。恥ずかしいけど、知らなかった」、と自らが執筆したコラム記事に書いておられます。

元ネタは、金融アナリスト・久保田博幸氏のブログ記事だそうです。検索してみると、「黒田日銀総裁はオズの魔法使いか」という記事がありました。詳しくはその記事を読んでみるといいでしょう。

『オズ はじまりの戦い』というディズニー映画がことしの春に公開されているようだがわたしは見ていません。オルタナティブな物語という形をとったリメイクものであって、上記のブログ記事の内容とは関係ないようです。

「デフレ脱却が隠れテーマ」というのは、やや牽強付会(けんきょうふかい)なこじつけのような気もしますが、1900年に発表された原作がテクニカラーで映画化されたのが1939年ですし、当時のアメリカは1929年の大恐慌からの経済回復期にあったことは確かです。

とはいっても、ニューディール政策による計画経済もさることながら、欧州とアジア太平洋における戦争に参戦したことによる大増産体制を実現するための財政出動によって景気回復がもたらされたのではありますが。

黒田総裁がオズの魔法使いかどうかは、わたしにはまったくわかりません(笑)。すくなくとも、「あなたの魔法だけがこの国を救える」、なんてことをクチにしたり、心のなかで思うのは危険ではないかと思うのですが・・・




『オズの魔法使い』(1939年)をDVDでみる-そのテーマは自己啓発書と同じ?

というわけで、『オズの魔法使い』(The Wizard of Oz)を DVD で見てみることにしました。まずはオリジナルを見てからでないと話がはじまらないですからね。

じつは見たのは今回がはじめてです。もちろん主演のドロシー役を演じたジュディー・ガーランドが歌っていた「虹の向こうに」(Over the Rainbow)は好きな歌なのでくちずさむことも多いですし、中学時代の英語の教科書に『オズの魔法使い』の一部が使用されていたような記憶があります。

映画のあらすじは、こんな感じです。

中西部のカンザス州の農民一家で暮らす少女ドロシー(・・どうやら両親はすでにおらず叔父叔母夫妻に育てられているようだ)は、ある日、竜巻に巻き込まれて魔法の国にいってしまう。「オズの魔法使い」に願いをたのめば家に帰れると聞いたドロシーはエメラルド宮殿を目指して、道中で出合った「知性という脳がないかかし」、「感情というハートがほしいブリキ男」、「勇気がない気弱なライオン」とともに旅をする。数々の試練を乗り越えて、ドロシーは帰宅できたことで「つよく願えばかならず夢が叶う」ことを実感し、連れの三人もみな自分が欲しいと思っていた特性(=知性・感情・勇気)はじつはすでにもっていたのだると気づく。そして「自信」(self-confidence)を取り戻すのであった。こんな内容の話をもとにしたミュージカル映画。そうそうドロシーの飼い犬トトも忘れてはいけませんね。

1939年は昭和14年、この時点ですでにテクニカラー、昔風の表現なら「総天然色」の映画が製作されていたというのはおどろきですね。日本がアメリカに戦争で負けたのは当然でしょう。

「願えばかなう」なんて、なんだか自己啓発書のテーマみたいでありますね(笑) 日本なら、サルとイヌとキジを連れて鬼退治にいってくる桃太郎となるですが、おなじロードムービーとしての成長物語であっても日米ではだいぶ趣味嗜好が違います。

アメリカ人は子どもの頃から『オズの魔王使い』で刷り込まれて育つから、ポジティブシンキング(=積極思考)志向がつよいのかな? 現在の日本人もある意味ではアメリカ色に染め上がっているようですね。

「願えばかなう」というのは一面の真理はありますが、とはいって自分がなにも努力しなければ、棚から牡丹餅というわけにはいかないでしょう。当たり前ですよね。英語で wish とは願いを意味するコトバですが、wishful thinking と熟語になるとネガティブなニュアンスを帯びてきます。日本でいえば「希望的観測」。そうあってほしいが、そうなるかどうかは自分ではコントロールできないこと。

『オズの魔法使い』の「鐘を鳴らせ 魔女が死んだ」という歌は、魔女が死んで魔法が解けるまで、反対の声をあげることもできずにいたフリークスのような小人の国の住民たちが歓喜の表現として歌い踊るものですが、おなじく魔女が死んで「解放」された魔女の館の住人たちがなにを象徴しているか考えてみるのも面白いですね。

従順だったのか、それとも怖くて異議申し立てをしないでいただけなのでしょうか。処世術として、なんらかの「空気」が存在していたようですが、なにやら洗脳とマインドコントロール状態であったような印象も受けます。

「お家がいちばんだわ」(There's no place like home.)というドロシーのセリフは、ほんとうに有名なものですね(下の写真)。「幸せは身近なところにある」というメーテルリンクの『青い鳥』を思い起こさせますが、原作が発表された1900年の時点では、まだチルチルとミチルの『青い鳥』(1908年)は出版されてません。



(1939年の映画公開からまもなく75年!-公式サイトより)

   

もしかすると、アメリカには根強い「内向き志向」礼讃かもしれません。アメリカが日本との戦争を決意した1941年12月以降なら映画は製作されなかったかもしれませんね。

『オズの魔法使い』は、子どものときに見ていたらもっと素直な感想をもったでしょうが、大人になってから見ると、なんだか不思議な内容の話に思えてしまうのでありました。

         **********************************************************

なぜいま 『オズの魔法使い』 が話題になるのか、という問いから1939年のオリジナルを見たわけですが、経済の話とは離れて、違う話になってしまいました。

デフレ脱却をテーマにした経済思想であるかはさておき、ある種のアメリカ思想を表現した作品であることは間違いないようですね。



<関連サイト>

英音楽チャート1位に「悪い魔女は死んだ」、サッチャー氏死去で(2013年04月11日 AFP)

『The Wizard of Oz』ワーナーブラザーズ公式サイト(映画はMGMが製作)

『The Wizard of Oz』フェイスブックページ(英語)

Ding Dong The Witch Is Dead (「魔女は死んだ」 『オズの魔法使い』挿入歌)

Judy Garland - Over The Rainbow (Subtitiles)(「虹の彼方に」 by ジュディー・ガーランド  『オズの魔法使い』挿入歌)





PS 「ここはカンザスじゃないみたいよ」(ドロシーのセリフ)

『続 日本人の英語』(マーク・ピーターセン、岩波新書、1990)の「Ⅱ ここはカンザスじゃないみたいよ」というドロシーのセリフについての解説がある。

英語では、Toto, I have a feeling we're not in Kansas anymore. だが、ここでいう we には飼い犬のトトも入っている。

竜巻で巻きかあげられてマンチキン国に飛ばされてから、モノクロから突然テクニカラーに変わるのだが、LSDにふけっていた1960年代のアメリカ人青年たちは、このシーンに「意識の変容」を見出していたのだという。そういう見方もあるのか、なるほどと思わされる。

アメリカでは年末になると必ず放送されるほど、誰もが知っている映画なのである。

(2013年10月9日 追記)





<ブログ内関連記事>

映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』(The Iron Lady Never Compromise)を見てきた

『2010年中流階級消失』(田中勝博、講談社、1998) - 「2010年予測本」を2010年に検証する(その1)
・・金融ビッグバンを英国で体験した著者による予測本

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい

書評 『終わりなき危機-君はグローバリゼーションの真実を見たか-』(水野和夫、日本経済新聞出版社、2011)-西欧主導の近代資本主義500年の歴史は終わり、「長い21世紀」を生き抜かねばならない

書評 『新・国富論-グローバル経済の教科書-』(浜 矩子、文春新書、2012)-「第二次グローバリゼーション時代」の論客アダム・スミスで「第三次グローバル時代」の経済を解読

書評 『マネー資本主義-暴走から崩壊への真相-』(NHKスペシャル取材班、新潮文庫、2012 単行本初版 2009)-金融危機後に存在した「内省的な雰囲気」を伝える貴重なドキュメントの活字版






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2013年4月15日月曜日

「第76回 GRIPSフォーラム」でタイの政治家スリン博士の話を聞いてきた(2013年4月15日)-前ASEAN事務総長による「日本待望論」



「第76回 GRIPSフォーラム」で、前ASEAN事務総長でタイの政治家スリン博士の話を聞いてきた。GRIPSとは、東京・六本木にある政策大学院大学のことである。スリン氏は現在GRIPSのシニア・フェローになっている。

日時: 2013年4月15日(月)16:40~18:10
場所: 政策研究大学院大学1階 想海楼ホール
講演者: スリン・ピッスワン氏(前ASEAN事務総長)
演題:「New Japan in a New Asia」         
言語:英語(日本語同時通訳付き)

スリン氏については知らない人も少なくないだろう。GRIPSによる略歴を掲載しておこう。

スリン・ピッスワン(Dr. Surin Pitsuwan)


1986年 タイ王国下院議員に初当選
(ナコンシータマラート県、以後88、92、95、96年に当選)
1986-88年 タイ王国下院議長秘書官
1988-91年 タイ王国内務大臣秘書官補
1992-95年 タイ王国外務副大臣
1997-2001年 タイ王国外務大臣2001-2005年 タイ王国下院議員(民主党比例代表20位)
2005-2006年 タイ王国下院議員(ナコンシータマラート県)
2006-2007年 タイ王国国家立法議会議員(任命)
2008-2012 ASEAN 事務総長

上掲の略歴には政治家としての経歴しかないので wikipedia英語版情報 をもとに増補(日本語版はなし)しておこう。英語の敬称に Dr. がつくのは博士号をもっているからだ(・・ただし、以下の記述では博士ではなく氏と表記する)。

1949年 タイ王国ナコン・シー・タマラートに生まれ(マレー系タイ人)
学歴は、タマサート大学、クレアモント・マッケンナ・カレッジ(米国)、ハーバード大学から修士号取得後、アメリカン大学カイロ校で研究生活、ハーバード大学で政治科学で博士号取得。その後、タイの大学で講師をつとめたのち下院議員に当選。

数年前のことになるが、ASEAN事務総長時代のスリン氏の講演を「日経フォーラム」に参加して聞いたことがある。タイ人にしては発音明瞭な英語を身ぶり手ぶりをまじえたダイナミックに話しぶりは、ハーバード大学で博士号を取得した経歴をもつ国際派ならではである。

タイの政治家には米国や英国で学位を取得した人は少なくない。いわゆる "最高学府" の法学部を卒業していても、日本をふくめて英米で博士号取得した者が政治家には少ない日本とは大きな違いだ。





講演タイトルは 「New Japan in a New Asia」

さて講演についてだが、タイトルは「New Japan in a New Asia」。こういう簡潔な英語のタイトルはかえって日本語には訳しにくい。以下、私見をまじえながら要約しておこう。

もともとは、「Cool Japan in Hot Asia」とするつもりだったとスリン氏は冗談を飛ばされていたが、たしかに再びの政権交代で自民党の安倍晋三が首相として「復活」し、最初の外遊先を東南アジアにしたことで、日本の政治がもはや「ASEANには冷たい(cool)」とはいえないだろう。もちろん、ここでいう cool は「格好いい」を意味するクール・ジャパンであるが。

スリン氏は、この20年のあいだ日本は引きこもり(retreat)していたという。ASEANからみれば、日本は国内問題を重視して内向きになっていたというのだ。だが、この20年のあいだの東アジアの変化はすさまじい。中国を中心にした東アジアに世界の主要国の関心が集中するようになったという変化がある。日本の存在感が相対的に低下してしまっていたのだ。

振り返ってみれば、第二次大戦後の日本は、米国の覇権のもと東南アジアに経済的な活路を見出すことになった。1970年代の田中角栄首相訪問の際に遭遇した日本製品ボイコットを契機に、経済関係だけではなく、政治もふくめた密接な関係を結ぶことを意図した「福田ドクトリン」の時代となる。日本とASEANの蜜月がはじまったのである。

その後も、カンボジア復興支援、インドネシアからの東ティモール独立、タイからはじまった「1997年アジア通貨危機」の解決ににおいても日本のプレゼンスは大きかった。

ASEANにおける日本のプレゼンスは、ビジネスや経済関係を除けば小さくなっていたのはたしかなことだ。日本が内向きになっただけでなく、中国やインドという超大国が復活してきたからでもある。環境は激変しているのである。

そんな状況のなか、ふたたび日本は表舞台に復帰してきたのであるが、なんといっても大きな変化は ASEAN共同体への方向だろう。すでに「ASEAN経済共同体」(AEC)構想が2015年の実現にむけて着々と進行中である。ビジネスパーソンのあいだでも関係者以外の認識が低いが、政治家の認識はさらに低いようにわたしには思われる。

経済関係についていえば、ASEANとして、すでにアジア太平洋地域では日本をふくめた6カ国とFTAを締結しており、市場としての意味も大きくなっている。中流階級の成長、クオリティ・オブ・ライフの向上した状況では、投資をふくめてビジネス面でのさらなる日本のコミットメントが求められるわけだ。

だが、経済が発展するためには政治的安定が不可欠である。2008年には 「ASEAN憲章」(ASEAN Charter)も発効しており、ASEAN内部での紛争解決の枠組みはできている。ASEAN域内の二国間関係もその枠組みのなかで解決される。

中国とインドという超大国のはざまにあるASEANにこそ、国境を接しない大国に期待される役割がある。その意味では、オーストラリアにもニュージーランドにも、韓国にもむずかしい役割だ。米国やロシアはまた超大国すぎて適切なプレイヤーとはいえまい。日本が存在感を発揮しなくてどうするというのだ、というわけだ。

スリン氏による日本への熱い「期待」である。「日本待望論」といっていいだろう。その呼びかけにどう応えるかは日本人にかかっているといってよい。

以上、スリン氏の英語による講演内容をわたしの個人的感想もまじえて要約した。スリン氏の講演内容そのものではないことをお断りしておく。




なお、『ASEAN 経済共同体-東アジア統合の核となりうるか-』(石川幸一/助川成也/清水一史、ジェトロ、2009)には、ASEAN事務総長時代のスリン氏が「発刊によせて」という文章を寄稿していることを付記しておこう。

この本の、第一部「ASEAN経済共同体の意義と実現への道程」は、有用な情報が書かれているので、ビジネスパーソン以外にもぜひ読むことをすすめたい。

また、「2015年のASEAN経済統合」の意味をアタマのなかに入れておこう という記事もブログに書いているので御参照いただけると幸いである。
 

スリン氏はマレー系タイ人でムスリム

スリン氏は、前首相のアピシット氏と同様、学者から政治家へというキャリアを歩んだ人だが、さらにもう一つの特色は、タイのマジョリティである仏教徒ではなく、南部出身のマレー系ムスリムであることもあげられる。

wikipedia英語版によれば、マレー式には Surin Abdul Halim bin Ismail Pitsuwan という名前をもつ。タイの人口の約4%はムスリムであり、キリスト教徒よりも多い。

イスラーム教徒であっても高い地位につくことができるというのは、タイという国の面白いところだ。じつに懐が深い。わたしの知る限りでは、先のクーデターで戒厳司令官のポストについたソンティ陸軍大将(当時)は南部ではなくバンコク出身のムスリムであった。

スリン氏は民主党政権のもとで外務大臣を歴任している。その後、ASEAN事務総長を歴任されたわけだが、世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシアのほか、マレーシアやブルネイ、そしてフィリピン南部などムスリム人口の多いASEANの議長としては最適であったといてもいいだろう。ASEANの常駐代表委員会はインドネシアの首都ジャカルタである。

講演のなかで面白いことを言っていた。日本とタイの共通性についてである。植民地になったことのないというのが、アジアでは稀有なことであるが、そのためにかえって弱点もあるというのがスリン氏の見立てである。

日本もタイも、もっと外の世界に開かれた姿勢をもつことが大事だと強調されていたのが印象にに残った。スリン氏のような人は、タイでも例外的な存在の国際人であるので、よけいにそう思うかもしれないが・・・






<関連サイト>

Surin Pitsuwan (wikipedia英語版 日本語版なし)

Secretary-General of ASEAN Surin Pitsuwan (ASEAN)

Dr.Surin Pitsuwan (フェイスブックのコミュニティページ)


<ブログ内関連記事>


「第67回 GRIPSフォーラム」で、タイ前首相アピシット氏の話を聞いてきた(2012年7月2日)

「GRIPS・JBIC Joint Forum"After Fire and Flood: Thailand's Prospects"」と題したタイの政治経済にかんする公開セミナーに参加してきた(2012年2月3日)

GRIPS特別講演会 「インドネシア経済の展望」(2012年10月11日)に参加してきた-2025年にGDP世界第12位を目標設定しているインドネシアは、内需中心の経済構造

シンポジウム「これからの日中関係」(GRIPS主催 2012年9月27日)に参加してきた-対話のチャネルはいくらでもあったほうがいいのは日中関係もまた同じ


東南アジア世界と日本

「2015年のASEAN経済統合」の意味をアタマのなかに入れておこう

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論

書評 『「海洋国家」日本の戦後史』(宮城大蔵、ちくま新書、2008)-「海洋国家」日本の復活をインドネシア中心に描いた戦後日本現代史

書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009)

書評 『中国は東アジアをどう変えるか-21世紀の新地域システム-』 (白石 隆 / ハウ・カロライン、中公新書、2012)-「アングロ・チャイニーズ」がスタンダードとなりつつあるという認識に注目!

書評 『皇室外交とアジア』(佐藤孝一、平凡社新書、2007)

『東南アジアを学ぼう-「メコン圏」入門-』(柿崎一郎、ちくまプリマー新書、2011)で、メコン川流域5カ国のいまを陸路と水路を使って「虫の眼」でたどってみよう!

書評 『消費するアジア-新興国市場の可能性と不安-』(大泉啓一郎、中公新書、2011)-「新興国」を消費市場としてみる際には、国全体ではなく「メガ都市」と「メガリージョン」単位で見よ!

東南アジア入門としての 『知らなくてもアジア-クイズで読む雑学・種本-』(アジアネットワーク、エヌエヌエー、2008)-「アジア」 とは 「東南アジア」 のことだ!



タイのムスリム

タイのあれこれ (18) バンコクのムスリム

日本のスシは 「ハラール」 である!-増大するムスリム(=イスラーム教徒)人口を考慮にいれる時代が来ている





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2013年4月14日日曜日

「NHKラジオ 法然の『問答集』をよむ」(2013年4月~2014年3月)を聴く-法然は仏教を一般庶民のものとした革命的イノベーター



法然上人がいなければ、その教えを発展させた親鸞(しんらん)もいなかったでしょうし、反対の立場に立つ日蓮もでなかったことでしょう。いずれもみな比叡山というバックグラウンドをもった僧侶たちです。

膨大な仏教経典のなかから、「南無阿弥陀仏」の5文字を拾い出した法然。これさえ唱えれば極楽浄土にいいけるという念仏。仏教を一般庶民のものとした法然は、まことにもって日本仏教においては「革命的イノベーター」としかいいようがありません。

その法然について、あらためて関心が高まりつつあるのは、たいへん喜ばしいことです。


本日(2013年4月14日)から始まった 「NHKラジオ 法然の『問答集』をよむ」 もまたその一つでありましょう。

ラジオ第2放送で第2日曜午前8:30~9:00、再放送は、翌週の第3日曜日の午後6:30~7:00 から。講師は大正大学名誉教授の石上善應(いしがみ・ぜんのう)氏。

もちろんインターネットでも聴けます。「NHKラジオ らじる★らじる」 のウェブサイトを開いてクリックすれば聴くことができます。インターネットの音声はクリアです。
http://www3.nhk.or.jp/netradio/

関心のある人は、テキストだけでも買っておくといいでしょう。


2013年度の前半はテキストの(上)としてすでに出版されています。目次を掲載しておきましょう。

はじめに
第1回 涙する法然-師・叡空との対話-(2013年4月14日)
第2回 凡夫の往生-弟子・信空との対話-(2013年5月12日)
第3回 仏の光明はあまねく照らす-容義問答から-(2013年6月9日)
第4回 二河白道の教え-容義問答から-(2013年7月14日)
第5回 諸法は一つ-容義問答、十二問答から-(2013年8月18日)
第6回 同体の念仏-熊谷直実の往生、阿波介の念仏-(2013年9月8日)

以下、第7回から12回までは、残念ながら(下)が出版されるまでまでわかりません。出版は2013年9月です。

著作の数が少ない法然ですが、「問答」が残っているようです。このラジオ講座では、その問答を取り上げています。

仏教の問答といっても禅問答ではありません。現代語でいえば「対話」に近いものでしょう。しかも対話者のあいだでは、「いま、ここ」での一回限りのものかもしれず、真剣勝負でもある。

インタラクティブな師と弟子たちとの対話。その様子は、冒頭に掲載したテキストの表紙にうかがうことができます。千差万別の身分に属する弟子たちが法然のもとに集っている姿。

浄土宗のサイトに「一百四十五箇条問答」の現代語による概要が掲載されています。もちろん浄土宗のものですから、異なる解釈をする人もいることでしょう。

ただ重要なのは、法然という人が、仏教を一般庶民のものとするためにいかに戦った人であったかということです。悟りのできない凡夫(ぼんぷ)とは、まさにどこにでもいるフツーの人という意味。凡夫が往生するということは、法然が出現するまでは日本仏教の視野にはまったく入っていなかったのです。

いま生きている現代人にとっては、あまりにも当たり前に聞こえる教えも、鎌倉時代初期においてはいかにラディカルなものであったか、じっくりと考えてみたいものです。法然その人こそを考えてみたいのです。





PS 第7回以降の放送内容

「NHKラジオ 法然の『問答集』をよむ 下」が出版されています。



第7回以降の放送内容は以下の「目次」のとおりです。

はじめに
第7回 さてそれをば、いかがし候べき-明遍の問い、選択集の基調-(2013年10月13日)
第8回 よくよくお念仏し候べきなり-一百四十五箇問答から-(2013年11月10日)
第9回 仏教には忌(いみ)という事なし-一百四十五箇問答から-(2013年12月8日)
第10回 愚に還る-一百四十五箇問答から、還愚の思想-(2014年1月12日)
第11回 女人往生-教えを請う女性たち-(2014年2月9日)
第12回 この事言わばあるべからず-晩年の法然、悪人往生-(2014年3月9日)
法然年譜
法然関係書
参考文献

「仏教には忌(いみ)という事なし」、「還愚の思想」、「女人往生」、「悪人往生」と法然の思想が語られます。なぜ法然があの時代に熱狂的に受け入れられたのか、そして最晩年に念仏停止(ちょうじ)の処罰を受けるという弾圧を受け、四国に配流となった法然の波乱万丈の生涯が語られます。

(2013年10月4日 記す)




<ブログ内関連記事>

「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 にいってきた(2011年)

『選択の人 法然上人』(横山まさみち=漫画、阿川文正=監修、浄土宗出版、1998)を読んでみた

書評 『法然の編集力』(松岡正剛、NHK出版、2011)

書評 『法然・愚に還る喜び-死を超えて生きる-』(町田宗鳳、NHKブックス、2010)

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味
・・法然が生きた時代は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけてであった

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)
・・日本人の一般常識を変える内容。法然の浄土宗をふくめた「鎌倉新仏教」も一般民衆にまで完全に定着したのは江戸時代になってからである






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2013年4月13日土曜日

書評 『仏教徒 坂本龍馬』(長松清潤、講談社、2012)-その死によって実現することなく消え去った坂本龍馬の国家構想を仏教を切り口に考える



『仏教徒 坂本龍馬』。 おお、すごいタイトルではないか!

書店の店頭ではじめてその存在を知った本である。

奥付をみたら、2012年8月、まだいまから半年前の出版である。まったく知らなかったのは、拙著『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012年7月)のプロモーションで、この時期に出版された本が視野に入ってなかったのかもしれまない。

さっそくその場で購入を決めた。そして、さっそく読んでみた。

坂本龍馬は仏教徒だったといっても、えっ(!?)という反応か、だからどうした(?)という反応かのどちらかではないだろうか。

倒幕と明治維新への道を拓いた坂本龍馬が、道半ばにして非業の死を遂げたことは知らぬ人はいないだろう。それはドラマや小説でできあがったイメージにほかならない。坂本龍馬にはそれほどいれあげたことのないわたしも、そういった断片的なイメージで坂本龍馬像を自分のなかに構築していた。

本書は、坂本龍馬にほれ込んだ現役の仏教僧侶が書いたものだ。著者もご多分にもれず、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にはまった人であるらしい。

しかし、それだけなら、たとえ仏教僧であっても、とくにめずらしい存在ではないかもしれない。

違うのは、著者の5代前の先祖が坂本龍馬の同時代人で、海援隊による出版物であるのにかかわらず、一般に知られることなく消されてしまった『閑愁録』(かんしゅうろく)に出合い、大いにインスパイアされて書き写した仏教者であったという偶然である。

その人の名は長松清風(ながまつ・せいふう 1817~1890)。無知ゆえにわたしは知らなかったが、幕末に在家中心の仏教教団をつくりあげた、その後に多く発生した法華系新宗教の先駆者のような人物であった。著者は、その長松清風が立ち上げた本門佛立宗の僧侶なのである。

本書の P.150 から P.155 まで現代語訳とともに収録されている『閑愁録』(かんしゅうろく)の原文は、きわめてロジカル、きわめて簡潔明瞭、きわめて説得力のある文章だ。龍馬存命中に海援隊名義で海援隊が出版した公式文書であり、執筆者がだれであれ坂本龍馬自身が納得していた内容であるのは著者の言うとおりだろう。

その内容は、明治維新直後に吹き荒れた、ファナティック(狂信的)な復古神道とは大違いの、仏教の教えを根本にすえた政治構想なのであった。

独り仏法は、無辺(むへん)之(の)鳥獣 そう木に至るまで済度すべし、何ぞ況(いわん)や、有縁(うえん)之(の)衆生(しゅじょう)に於いをや。然(しかれば)則(すなわち)其(その)旨広し

エリート主義の政治ではなく、一般民衆の声が反映される政治思想の裏付けとなる仏教の教えである。
故に仏法は天竺の仏法とのみ言べからず、乃(すなわち)皇国の仏法なり

『閑愁録』(かんしゅうろく)にあるこの一節が、日蓮上人の『立正安国論』と合致するとつよく感じた長松清風は、坂本龍馬の抱いていた思想のうち、一般衆生を仏教で救うというミッションを終生追い続けることになる。

『閑愁録』(かんしゅうろく)においては、海援隊が活動した長崎で盛んになっていたキリスト教への警戒感が明確にあらわれているが、維新の負け組みであった幕臣や佐幕派の藩士たちの少なからぬ者たちがキリスト教徒になったことを考えれば皮肉なことだ。文明開化という時代のなか、坂本龍馬の近親者や民権運動家も含めてキリスト教徒になった者は少なくない。

また、出身地である土佐藩が薩摩藩と同様、激しい廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐を経験したことを考えると、歴史というものがいかに偶然的な要素によってコースが変えられてゆくものであるかと思わざるをえないものがある。

明治維新とはいったい何であったのか? 
明治維新から疑え! 「維新」などと安易にクチにすべきではない! 

もし坂本龍馬が生き延びて、「王政復古クーデター」を阻止できていれば、明治維新以後の日本は現在とは異なるものになっていた可能性もゼロであったとは言い切れまい。

もちろん、複合的な要因がはたらき、せめぎ合うのが歴史という複雑系である以上、坂本龍馬の構想がそのままそっくり実現することはなかったであろうが。

本書が特筆に値するのは、左翼の立場からではない、仏教者の立場からの明治維新批判、平田復古神道批判、国家神道批判であることだ。オルタナティブな歴史の可能性について論じたものでもある。

「神国日本」という物語をつくり、復古神道のプロモーターとなった平田篤胤(ひらた・あつたね)の評価は現在においても一筋縄ではいかない。多才な文人であったが、一方では古代史や魂の行方にかんしての創作というか捏造など問題もきわめて多い。キリスト教から素材を換骨奪胎したしたことも最近では知られるようになってきている。

著者の見解については、かならずしも同意しないものも多々ある。たとえば、勝海舟については、晩年は限りなくキリスト教に近づいていたという説もあることは指摘しておきたい。また、第7章における著者の持論については、かならずしもしっくりくるきたわけではないことを書いておく。だが、すくなくとも第6章までは読んでみる価値はある

「仏教徒」と「坂本龍馬」という異質にみえる組み合わせも、本書を読み終わった時点では違和感なく納得できるものとなっていることだろう。坂本龍馬のいままで知られていなかった側面に光をあてたことは大いに評価したい。





目 次 

まえがき
第1章 坂本龍馬伝
第2章 海援隊の真価
第3章 龍馬の国家ビジョン
第4章 海援隊蔵板『閑愁録』
第5章 隠された龍馬の思想
第6章 長松清風の『閑愁録』
第7章 仏教ルネサンス
あとがき
参照資料

著者プロフィール  

長松清潤(ながまつ・せいじゅん)
本化院日桜。昭和44年(1969)生まれ。京都出身。本門佛立宗横浜妙深寺・京都由緒寺院長松寺住職。(財)佛立生活文化研究所代表理事。佛立研究所研究員。海外弘通特別委員。立正高校を経て帝京大学で教育学を専攻。大学在学中、プロジェットスキーヤーとして活躍。映画出演、世界選手権出場の他、全日本ジェットスキー学生連盟初代会長。大学卒業後、京都本山宥清寺にて止宿、佛立教育専門学校卒業。海外弘通僧として、イスラエル、米国、インド、スリランカ、シンガポール、イタリア、フランス、ブラジル、韓国と世界を駆ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<ブログ内関連記事>

皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる
・・「「紀元」(=はじまり)という意識と発想である。それは正統性の根拠として言明されることが多い。元外交官の法学者・色摩力夫(しかま・りきを)がよく使っていた「出生の秘密」(status nascens)というライプニッツのコトバがあるように、その紀元に何をもってくるか、その紀元の本質が何であるか、によってその後の「歴史」はすべて決定されてくるのである」。

書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)-近代日本史だけでなく、発展途上国問題に関心のある人もぜひ何度も読み返したい本

書評 『岩倉具視-言葉の皮を剝きながら-』(永井路子、文藝春秋、2008)-政治というものの本質、政治的人間の本質を描き尽くした「一級の書」

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・「江戸時代後期の国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)は、禁書であった漢訳聖書と漢訳キリスト教文献をひそかに入手し、影響を受けているらしい」

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・明治維新以前の神仏習合について安丸良夫の『神々の明治維新』を踏まえて書いた

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)
・・日本人の一般常識を変える内容。明治維新以降の「近代」の解毒剤となる本

特別展 「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師・狩野一信」 にいってきた

「白隠展 HAKUIN-禅画に込めたメッセージ-」にいってきた(2013年2月16日)

「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡」展(東京国立博物館)にいってきた

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む




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2013年4月12日金曜日

「バークレー白熱教室」が面白い!-UCバークレーの物理学者による高校生にもわかるリベラルアーツ教育としてのエネルギー問題入門




「バークレー白熱教室」が面白い! アメリカ西海岸の名門大学 UCバークレーの物理学者が語る、高校生にもわかるエネルギー問題入門である。

政治哲学者のマイケル・サンデルの授業の爆発的ブームによってシリーズ化したNHK・Eテレの「白熱教室」も、スタンフォードやコロンビアといった有名大学につづいてバークレーの出番となった。

UCバークレーは、正式にはカリフォルニア大学バークレー校(University of California at Berkley)という。日本ではむかしから有名な UCLA(ロサンゼルス校)など多数あるUCの本部がバークレーである。

サンフランシスコから都市交通の バート(BART: Bay Area Rapid Transit) で一本のバークレーもまた日系移民が多かった場所で、日系移民たちは「麦嶺」と表記していたことを現地で知った。だが、発音はバークレーというよりもバークリーといったほうが原音に近い。

夏でも霧がかかって肌寒いサンフランシスコはすぐ近くであるのにかかわらず、バークレーのキャンパスは陽光のあふれるいかにもカリフォルニア的なキャンパスである。

UCバークレーについては、「バークレー白熱教室」のウェブサイトから引用しておこう。

アメリカ屈指の名門校、カリフォルニア大学・バークレー校。創立は1868年10校あるカリフォルニア大の系列でここが本校、最も古い歴史を誇る。サンフランシスコのベイエリアを臨む、4.8平方キロメートルという東大の4倍を超える巨大なキャンパスで、3万6千人が学んでいる。 

創立の1868年は明治元年である。東海岸からはじまった領土拡張の動きが西海岸に達してからその地に大学が設立されることになった。UCはいずれも州立大学である。

じつは、1990年の7月から8月まであしかけ二カ月、わたしは英語の勉強のためバークレーのキャンパスに滞在していた。このことはまたのちほど触れることとしよう。

「バークレー白熱教室」についての説明をおなじく番組のウェブサイトから引用しておこう。(太字ゴチックは引用者=わたし)

ここで学生の投票でベスト講義に選ばれたのが、リチャード・ムラー教授の物理学の講義。今回、ムラー教授は、番組のために「大統領を目指す君のためのサイエンス」というコンセプトで特別講義を行った。大統領ならエネルギー、原子力、地球温暖化、テロなどあらゆる危機に瞬時に判断を下さねばならない、そのために必要な知識、考え方をレクチャーしていく。

ムラー教授は、「物理は法の原理より先にくる」をモットーとしている。どれほど強い軍隊の最高司令官であろうと大統領であろうと、物理の法則には従うしかない。それが、この地球を動かすルールなのだから。 5回の講義は、今世界にとって最も切実な問題である、「エネルギー」を中心テーマに据える。これまでの思い込みがサイエンスベースに覆される知的快感にあふれた、5回に渡る特別講義である。

毎週金曜日23時から。全5回のタイトルは以下のとおり。

第1回 エネルギー 君なら何を選ぶ?(2013年4月5日)
第2回 クリーンエネルギーを検証する(2013年4月12日)
第3回 地球温暖化の真実(2013年4月19日
第4回 原子力を知る(2013年4月26日
第5回 エネルギーの未来 大統領に提言せよ(2013年5月3日)


第1回の授業から見始めたが、内容がいま日本でも関心の高いエネルギー問題であるというだけではない。物理学者であるため物理の重要性を解いているだけでなく、説明のためにはあえて厳密さは犠牲にして数式をつかわず簡単な、見える化によるわかりやすい説明を一貫している。

もちろん、いままでの「白熱教室」と同様、学生たちとのインタラクティブな授業であることは言うまでもない。学部の文系学生向けのリベラルアーツの授業であるからだ。内容的には高校生でも十分に理解できるはずだ。

授業の中身とは直接は関係ないが、階段型教室であることはさておき、いまだに黒板にチョーク(!)というスタイルが妙に印象に残ったのであった。ホワイトボードに専用マジックというスタイルではないのが、むかしながらの授業のようでなんだか不思議な感じがした。

授業のなかで何度も日本や福島の原発事故に言及されるのは、これがNHK制作のオリジナル番組であるためだろう。

今夜(4月12日)から、いよいよエネルギー問題のホットイシューに入っていくので楽しみである。物理学の立場から、マスコミなどで流通している通説にも容赦なく切り込んでいくことだろう。

アメリカ流のリベラルアーツの授業がどんなものであるか知るにはいい実例だと思う。これが現代世界を生きていくうえでほんとうに必要な「教養」である。いわゆる「教養主義」とは縁もゆかりもないものだ。

(第5回放送から シェールガス開発技術の功罪についてディスカッション)


講師プロフィールを番組のウェブサイトから引用しておこう。

リチャード・ムラー教授(Professor Richard Muller)カリフォルニア大学バークレー校物理学教授。コロンビア大学を経て、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得。1982年、「天才賞」と呼ばれるマッカーサー・フェロー賞受賞。長年にわたり、原子力、エネルギー、粒子宇宙物理学の分野でアメリカ政府関係や NASA などの科学顧問を務めている。地球温暖化の証拠の見直し、全地球の温度を100年以上にわたり検証したプロジェクト「バークレーアース」の創設者。文化系学生を対象にした物理学の講義「PHYSICS FOR FUTURE PRESIDENTS」は学生の年間投票によってバークレー校のベスト講義に選ばれている。この講義をもとにした著書は、『今この世界を生きているあなたのためのサイエンスⅠ、Ⅱ』として邦訳されている。ほか邦訳に、『サイエンス入門Ⅰ、Ⅱ』『エネルギー問題入門-カリフォルニア大学バークレー校特別講義-』(いずれも楽工社刊)。









1990年のUCバークレーのキャンパス

先にも書いたが、わたしは1990年にUCバークレーのサマー・エクステンションでビジネス英語の講座に参加した。

同じ年の秋から東海岸のレンセラー工科大学(RPI)で始まるMBAの授業のため、まずは語学学校で英語を学ぶことが会社から認められていたので、せっかくだから西海岸の名門校で学んでみることにしたわけだ。

もう20年以上キャンパスは訪れていないが、「バークレー白熱教室」のキャンパス紹介の画像から見る限り、基本的には変わっていないようだ。

1960年代後半のベトナム戦争時代、Freedom of Speech 発祥の地として知られるUCバークレーリベラルな校風は現在でも変わらないようだ。わたしより上の世代であれば、映画『いちご白書』のロケ地といえばピンとくるはずだ。



だが、いまのようなデジカメやスマホ時代とは違って、1990年当時のバークレーキャンパスの写真を撮影していなかったのは残念なことだ。周辺にエクスカーションにいった際の写真は残っているが、現像を前提の撮影ではどうしても撮影枚数にブレーキがかかってしまうもの。

たまたま手元にUCバークレーのゲストハウス(学生寮)のパンフレットが残っていたのでスキャンして掲載しておこう。なんとなく雰囲気がつかめるのではないかと思う。

1990年当時のバークレーは、映画 『卒業』そのものであった。ダスティン・ホフマン主演の映画である。恋人役のキャサリン・ロスが学んでいたのがバークレーであった。映画の主題歌はサイモン&ガーファンクルのミセス・ロビンソンその他の名曲ぞろい。



わたしがバークレーに到着してから数日、イラクがクウェートに侵攻したというニュースが入った。その後、本格的な勉強を始めた東海岸のレンセラー工科大学からは軍籍をもつ学生が何人も湾岸戦争に出征していた。

リベラルな校風のバークレーはどうだったのだろうか。当時はまったく考えもしなかったが、いまこの文章を書きながらふと思い出した。



<関連サイト>

「バークレー白熱教室」 公式ウェブサイト (NHK・Eテレ)

The Strawberry Statement Trailer (『いちご白書』(1970年)トレーラー)

The Graduate Trailer (『卒業』(1967年)トレーラー)
・・DVDだとチャプター8から9までバークレーのキャンパスが舞台。学生運動がさかんだった当時の時代背景のなかでノンポリであった主人公




(1990年のバークレー:左がBARTのカード、右は学生寮のミールカード)



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(2014年8月30日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)





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