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2013年3月30日土曜日

書評 『イラク建国-「不可能な国家」の原点-』(阿部重夫、中公新書、2004)-「人工国家」イラクもまた大英帝国の「負の遺産」


つい先日のことになるが、2003年3月20日で「イラク戦争」の開戦から10年たったと報道されていた。しかも、同じ日にはオウム真理教の「サリン事件」から18年である。偶然の一致だとはいえ、なんだか不思議な感じがするのを覚えた。

いまとなっては、ネオコンのシナリオに沿って、虚偽の証拠によってでっちあげられた戦争であったことは明らかになっているが、10年前の今頃は少なからぬ日本人もイラク戦争に賛意を示したはずだ。独裁者サッダーム・フセインを倒すという大義名分があったからだ。

開戦以後、バグダッドにむけて快進撃をつづける米軍部隊の電撃作戦の戦況に興奮していたのはわたしだけではないと思う。バクダッド進撃まではまさに破竹の勢いだったからだ。

ところが、とんとん拍子で進んだのはバグダッド制圧とサッダーム・フセイン逮捕まで。その後の泥沼のイラク情勢は、同じく泥沼となったベトナム戦争、ソ連によるアフガニスタン侵攻の轍を踏んだ結果となった。

この間、戦争当事者として戦争を主導した米英では、世論は完全に逆転している。さまざまな映画も製作されてイラク戦争の真相も明らかになってきている。

当時、米国の政治を主導していたネオコンたちは、第二次大戦によって敗戦した日本再建の成功モデルをそのままイラクでも実行すると豪語していたが、結果については言うまでもない惨状である。

なぜ、アメリカはそんな夢想に引きづられてしまったのか、それにはイラクという国の成り立ちを考えてみなくてはならない。


イラクはそものもの誕生の時点から「人工国家」である

イラクは、大英帝国によるオスマン帝国分割の結果うまれた「人工国家」である。なにごとも「誕生の秘密」を知れば、その後の歴史的展開は明確に理解できることになる。

「帝国主義」時代の末期は、第一次世界大戦の結果、オスマントルコ帝国だけでなく、ロシア帝国もドイツ帝国もハプスブルク帝国も崩壊したことによって、「民族国家」なるものを大量に生み出すことになった。いわゆる「民族自決」原則による「帝国分割」である。

このような情勢のなか、衰えつつあるとはいえ世界に君臨していた覇権国である大英帝国にとっては、インド植民地の存在が最も重要なものであった。

インド植民地をめぐるアフガニスタン、イラン(ペルシャ)、そしてイラクが建国されることになるメソポタミアという地政学的状況。その動向がドミノ倒しとしてインド植民地に影響を与える可能性のあるメソポタミアは、英国海軍にとっての死活的な燃料である石油供給基地として絶対に押さえておかねばならない地域であったのだ。

だからそのメソポタミアの地に、英国の息のかかったイラク王国が建国されることになる。本書はそのプロセスを、「イラクの母」となったガートルード・ベルという知識層の独身中年女性を主人公に描いている。

『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)の第8章 女たちの大英帝国」に描きだされているように、オスマン帝国崩壊後のイラク王国成立にかんしても、植民地での戦争に参加したのは男性だけではなく、看護婦(ナース)やそれ以外の形で現地におもむいた女性たちが多数存在したのである。

日本では昔から有名な「アラビアのロレンス」もかかわっているのだが、イラク建国はロレンスにとっては夢破れた結果であり、本書での扱いもあくまでも脇役である。

英国は、少数の支配層による統治を容易にするため、民族を分断して牽制させる政策である「分割して統治せよ」(Divide and Rule)を実行してきたことは有名だが、そのため現在に至るまでマレーシアやミャンマーといった旧植民地では民族間の紛争が絶えない。

イラクは植民地ではなく、建国当初から独立国として「設計」されたが、アラブ人のあいだでもスンニー派とシーア派という対立するイスラーム勢力、さらには分断民族であるクルド人の領土をくっつけて、そのうえに外から連れてきた国王を乗せて王国としたものである。

戦後になって王政は倒れてサッダーム・フセインの独裁と推移していくが、この構造はそのまま引き継がれて現在に至る。アラブ世界では、強力な指導者を欠いていては、このような国を統治することが難しいことは、カダフィー体制崩壊後のリビアでも同様である。

「近代国家」という概念にはまったくなじまない部族支配、錯綜するイスラームの宗派争い。英国本土、インド植民地のデリー、エジプトのカイロとあいだの激しい駆け引き。アラブ人に独立を確約しながら、サイクス=ピコ秘密協定をむすび、パレスティナでは」バルフォア宣言という英国の三枚舌の秘密外交。これら複雑な状況のなかで、かろうじてできあがったのがイラクという人工国家だったのだ。

そして、人工国家という蜃気楼の製作にかかわったガートルード・ベルもロレンスも、そのプロセスのなかで苦渋に満ちた想いをしたのであり、精神的にも肉体的にも疲弊しきってしまったのであろう。その後の人生は幸せに満ちたものであったとは言い難い。


(wikipedia 掲載のイラク地図)


歴史に学ばないアメリカが繰り返す愚行・・・。そして大英帝国の負の遺産

2003年3月20日に開戦に踏みきった「イラク戦争」。10年たったいま振り返ればまさに愚行としか言いようがない。

アメリカの歴史家バーバラ・タックマンが生きていれば、その主著である『愚行の世界史』にあらたな一章を書き加えなければならなかったであろう。

アメリカは歴史の教訓を学んだのか? 学ぶだけのイマジネーションを欠いているのか?

アメリカの底の浅い知性は、英国と比較して深い洞察を欠いていると言いきってしまいたいところだが、その英国ですら、みずからが設計した「人工国家」は蜃気楼にすぎないことを知っていたというのがその真相であったことを本書によって知ることができる。

「大量兵器はなかった」という結論はすでに出ている。これもまた蜃気楼に過ぎなかったのだ。しかし、その真相はいまだに不明である。ネオコンが表舞台から消え去った現在においても、依然として英米アングロサクソの奥の院の闇は深い

そして、現在に至るまで続いている大英帝国の「負の遺産」に目を向けるべきこと。アジアだけに限っても、インド=パキスタン問題、ミャンマーの少数民族問題、マレーシアの民族問題と大英帝国の「負の遺産」は払拭されたといえるのだろうか。


本書は、2012年に「オリンパス事件」の端緒をつくりだした、月刊誌 「FACTA」(ファクタ)を主宰する博覧強記のジャーナリストによる著作である。

なぜ金融を専門に取材してきた元日経記者が、『イラク建国』などというテーマで執筆したのか。著者のコトバを借りれば以下のような構想があったようだ。

もとの構想は、1991年湾岸戦争の引き金になった80年代イラクの大量破壊兵器調達網の形成と、それを陰ながら支援した米英独仏など先進国政府の「原罪」を人物、場所、日時を特定していちいち固有名詞で書くことだった。ロンドンの金融街(シティ)には黒目の異邦人が近づけない二大聖域-石油と兵器の資金調達-の「隠れた神々」の世界がある。その秘密の「裂け目」がイラクにある と知ったのがきっかけだった。(「あとがき」・・太字ゴチックは引用者=わたし)

本書はその構想の一部、「前史」にあたるものを編集してできあがったものだという。

歴史書でも、ルポルタージュでもない。現在進行形の「現代史」をジャーナリストが描いてみせたものだ。すぐれて現代そのものを描いたノンフィクション作品である。けっして色あせることのないアクチュアリティに満ちた作品だ。事実関係を確認しながらじっくり読むと、得るところのきわめて大きい作品である

出版されたのは、まさにイラク統治の失敗が明らかになった最中の2004年であるが、9年後の2013年現在でも「国家の不可能性」の条件には、いささかの変化もない。時の試練に十分に耐えうる内容である。

単行本三冊以上にも該当する濃縮された一冊である。それでも序論にしかすぎないようであるが・・・









<付記>

サイクス=ピコ秘密協定は、大学入試の二次試験の世界史の論述問題で書いた。18歳のときのことだ。そのおかげで大学には合格することができたと考えている。30年の歳月を経て明瞭に思い出す。船橋市の文化会館館で船橋在住(?)の映画解説者・水野晴雄の解説で映画 『アラビアのロレンス』を大画面でみたのは高校3年のときだったと思う。その後、岩波新書で中野好夫の著作によってロレンスの生涯をたどった。


<関連サイト>

イラクのナジャフにある世界最大級の墓地「平和の谷」(Gigazine 2008年02月13日)
http://gigazine.net/news/20080213_wadi_al_salam/


<ブログ内関連記事>

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である
・・「イラクの母」となったガートルード・ベルもまた、知識層の独身中年女性の・・・であった。第8章 女たちの大英帝国(女たちの居場所、帝国に旅立つ女たち)を参照。「19世紀末の南アフリカにおけるボーア戦争や、オスマン帝国崩壊後のイラク王国成立にかんしても、植民地での戦争に参加した男性ではない、看護婦やそれ以外の形で現地におもむいた女性たちの視点がじつに新鮮な印象を受けるのだ」。

本年度アカデミー賞6部門受賞作 『ハート・ロッカー』をみてきた-「現場の下士官と兵の視線」からみたイラク戦争(2010年3月13日)

映画 『ゼロ・ダーク・サーティ』をみてきた-アカデミー賞は残念ながら逃したが、実話に基づいたオリジナルなストーリーがすばらしい

映画 『ルート・アイリッシュ』(2011年製作)を見てきた-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ②

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)

書評 『中東激変-石油とマネーが創る新世界地図-』(脇 祐三、日本経済新聞出版社、2008)

書評 『中東新秩序の形成-「アラブの春」を超えて-』(山内昌之、NHKブックス、2012)-チュニジアにはじまった「革命」の意味を中東世界のなかに位置づける

書評 『エジプト革命-軍とムスリム同胞団、そして若者たち-』(鈴木恵美、中公新書、2013)-「革命」から3年、その意味を内在的に理解するために ・・エジプトもまた大英帝国の植民地であった

書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009)-「エネルギー自主独立路線」を貫こうとして敗れた田中角栄の闘い
・・エネルギー問題で「奥の院」の虎の尾を踏んでしまった田中角栄

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・米英アングロサクソン世界が牛耳る国際金融市場に敗れ去った大日本帝国

早いもので米国留学に出発してから20年!-それは、アメリカ独立記念日(7月4日)の少し前のことだった ・・1992年の湾岸戦争(The Gulf War)について、戦争期間中、わたしは交戦国である米国にいた

(2014年5月28日 情報追加)





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2013年3月25日月曜日

「聖週間 2013」(3月24日~30日)-キリスト教世界は「復活祭」までの一週間を盛大に祝う




昨日(3月24日)から始まった「聖週間 2013」。キリスト教世界は「復活祭」(イースター)までの一週間を盛大に祝います。

「聖週間」とは、「パーム・サンデー」(Palm Sunday)から「復活祭」(イースター:Easter)前日までの週のことをいいます。「聖週間」というのはカトリック用語ですが、イエス・キリストがエルサレムで受けた受難を記憶するためプロテスタントでは「受難週」(Passion week)と呼ばれています。

キリスト教でも宗派によって日本語での名称が異なるのがややこしいですね。基本的に移動祝祭日ですが、これもまた宗派によって計算方法が異なるようです。

「復活祭」を wikipedia で調べてみると、「典礼暦における位置づけ」という小項目にはつぎのような説明が書かれています。

受難の月曜日、受難の火曜日、受難の水曜日、この週の木曜日から土曜日までは特に、聖木曜日(洗足木曜日)、聖金曜日(英語でGood Friday、受難日、受苦日)聖土曜日と呼ばれ、特別の儀式が行われる。・・(中略)・・カトリックでは「過越の三日間」として、人間にあがないをもたらしたキリストの受難と復活を主の過越の出来事として祝う。「過越の三日間」は主の晩さん(聖木曜日)の夕べのミサから、復活の主日の「晩の祈り」までとし、年間を通した典礼暦の最高頂である。中でも復活徹夜祭を最も重要な祭儀として祝い、この日に入信の秘跡(洗礼、堅信、聖体)を授けることが伝統的な習慣となっている。

この間、「十字架の道行」という練り歩きが行われます。十字架を自らかついで処刑場まで歩くキリストの受難を追体験するものです。キリストの生涯を描いた映画にはかならずでてくるシーンですね。

上掲の三枚つづきの写真は、メキシコ西部の町サン・クリストーバル・デ・ラス・カサスで行われた「受難劇」。1991年に同地を訪れた際に知り合った現地の人にいただいた写真をスキャンしました。

このときの訪問時期が1月だったので、じっさいに「十字架の道行」をみたわけではないのが残念でした。中米のグアテマラ国境にも近いこの町は、原住民のインディオ比率のきわめて高い地域ですが、スペインの統治時代に完全にカトリック化されています。

カトリック信者の多い中南米やフィリピンでは盛大に祝われる聖週間スペイン語ではセマーナ・サンタ(semana santa)といいます。

「聖週間」の終わりは復活祭(イースター:Easter)。植物も息を吹き返す春ですね。復活祭とは、もともと春の祝祭なのです。キリスト教の祝祭は、そのうえに上書きされているわけです。

1992年の春にニューヨークで聖週間の受難劇の練り歩きに遭遇しました。ニューヨークにはイタリア移民も多く、またアイルランドの守護聖人の名を冠した大聖堂セント・パトリック・カテドラルがあるように、カトリック人口も少なくありません。
東南アジアでも、カトリック国のフィリピンでは「聖週間」は盛大に祝われます。世界の三大宗教の仏教、キリスト教、イスラームが入り乱れているのが東南アジア。キリスト教について知っておくこともまた重要ですね。

宗教について最低限でいいので知識をもつことは、たとえその宗教の信者ではなくても、とくに海外ビジネスに従事する人にとっては絶対に必要です。

なぜなら、ものの考え方というのは、とくにその人が信じている宗教などの価値観に大いに影響されるからです。せめて今週が「聖週間」であるということだけでもアタマのなかに入れておきましょう。


<ブログ内関連記事>

・・イスラームを排除して「純化」したスペインは海外に・・・。南米植民地を獲得した・・・

・・イエズス会士たちは大西洋を渡って南米へ、あるいはインド洋をわたって戦国時代の日本に向かう

・・「私は何の先入観なしにこの『アバター』をみているうちに、これはロバート・デ・ニーロ主演の『ミッション』だな、と思った。監督が意識していたかどうかは知らない・・(中略)・・南米では、スペイン人植民者が宣教師と軍人と行動をともにしたのと同様、西欧文明の継承者である、米国においてはビジネスマンと科学者と軍人がセットで登場するが、宣教師の枠割りは科学者が代替している。」。アバターは、滅亡に追い込まれた原住民インディオのメタファーと考えるべきではないかと思われる。南米ミッションについて、やや詳しく書いておいた

・・キリスト教を異文化の日本に布教しようとした際に考案されたことは?

書評 『治癒神イエスの誕生』(山形孝夫、ちくま学芸文庫、2010 単行本初版 1981)




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2013年3月24日日曜日

書評 『目覚める宗教-アメリカが出合った仏教 現代化する仏教の今』(ケネス・タナカ、サンガ新書、2012)-「個人のスピリチュアリティ志向」のなかで仏教が普及するアメリカに読みとるべきもの


いま、アメリカでは仏教徒が約350万人もいるのだという。もちろん圧倒的多数はキリスト教徒なのだが、いずれ人口の約2%を占めるユダヤ教徒を抜いて、全米第二位のポジションにつくことは確実と見られていると本書にある。

仏教に共感を感じる人はそのほか150万人仏教に大きな影響を受けたと感じている人が2,500万人もいるのだという。アメリカの総人口は約3億人である。

仏教徒はアジア系の移民だけではない。ハリウッドのセレブや知識階層が主導して、白人にも広がっているという。有名なところではチベット仏教徒のリチャード・ギアや、おなじくスティーブン・セガール、禅仏教に傾倒していたスティーブ・ジョブズ、おなじくシンガーソングライターのレナード・コーエン

鈴木大拙による英語による禅仏教にかんする書籍は、価値観の転換を求めるビートニク達によって再発見され、鈴木俊隆による座禅指導という実践面での貢献により、ヒッピームーブメントに代表されるカウンター・カルチャーを経て、アメリカには完全に定着した。

禅仏教と同じ程度に浸透しているのがチベット仏教。これはチベット民族の離散とダライラマの存在も大きい。そして、アメリカでひろく普及しているのが上座仏教(テーラワーダ)系のヴィッパサナー瞑想法

このように実践(プラクティス)を中心にした仏教が、個人化やスピリチュアリティ重視といった、いまのアメリカの傾向に合致して普及する原因になっているのだという。その結果、伝統的枠組みや宗教的な枠組みから自由となって、「(個人的な)目覚める宗教」となっているのである。

アメリカというと、どうしても原理主義者などのキリスト教が全面にでてくるのだが、教義中心のキリスト教にあきたりない人、違和感を感じる人は、なにもカリフォルニアだけではないらしいのだ。

本書は、日系三世の著者によるフィールドワークも踏まえた最新のアメリカ仏教事情である。『アメリカ仏教』(武蔵野大学出版、2010)をベースに再編集したものだという。著者自身は浄土真宗なのだそうだが、宗教社会学的なアプローチで、アメリカの仏教事情を記述している姿勢が違和感なく読める。

アメリカは日本とくらべると、仏教の歴史が浅く、仏教は儀礼としてよりも個人のスピリチュアリティ開発(・・目覚め)としての要素がつよいという。そのため、仏教に改宗せずに、キリスト教徒やユダヤ教徒でありながら同時に瞑想(メディテーション)など仏教の実践も行うという人も少なくないようだ。

なかでも存在感が大きいのが JUBU というユダヤ人仏教徒という存在だ。JUBU とは、Jewish Buddhist の略。wikipedia(英語版)で Jewish Buddhist という項目をみると、具体的な人名も列挙されている。

日本人なら、たいていの人が仏教の檀家でありながら神道でもあるという二重宗教、あるいは二重アイデンティティはべつに珍しくもなんともないのだが、アメリカでこういう動きがあるというは興味深い。

著者によれば、アメリカ仏教の特徴は以下の5点になるという。

1. 平等化
2. メディテーション中心
3. 参加仏教
4. 超宗派性
5. 個人化宗教

日本では出家よりも在家仏教が中心だが、アメリカでは仏教の実践者も出家志向ではなく、日本とどうように「在家」志向がつよいのだという。

たとえば、日本では仏教僧侶の妻帯は明治維新以降は当たり前になっているが、アメリカでもプロテスタント牧師は妻帯は当たり前である。妻帯を禁じているカトリックで発生している度重なる児童の性的虐待などへの嫌悪感のため、アメリカではカトリックを捨てる信者が続出しているという。

仏教者の妻帯がときに批判される日本仏教だが、アメリカと日本とのあいだにある共通点を考えると(・・この点はアメリカの影響がつよいのかもしれない)、「先進国における仏教」のかたちを考えるうえでは面白い。仏教者の妻帯が積極的に評価される日が来るかもしれない。ただし、妻帯と世襲は別個に考えるべきだろう。

その意味でも、日本の仏教は仏教界が想定しているのとは違った形、つまり「家の宗教」ではなく、アメリカ経由の「個人単位の宗教」として再輸入され、最定着していく可能性も否定できない。

アメリカで流行することは10~20年後には日本でも流行するとは、かなり以前から経験則として語られてきたことではあるが、アメリカ仏教の動きは、翻訳などをつうじて確実に日本にも影響を与えていくだろう。

アメリカと仏教という組み合わせに違和感を感じる人もいるかもしれないが、仏教だけでなく価値観の変容といった観点から、読んで得るところの多い本だといってよい。ぜひ一読をすすめたい。






目 次

第1章 アメリカで劇的に伸びる仏教人口
第2章 アメリカが仏教に出会う
第3章 仏教がアメリカに出会う
第4章 目覚める宗教としての仏教
第5章 現代社会の心の問題に応える仏教の心理学的アプローチ
第6章 アメリカで進む科学と仏教の対話
第7章 二十一世紀-グローバル化する世界での仏教の役割
あとがき

著者プロフィール  

ケネス・タナカ(Kenneth Tanaka)
1947年、山口県生まれ。武蔵野大学教授。日系二世の両親とともに1958年に渡米。スタンフォード大学卒。米国仏教大学院修士課程修了。東京大学大学院修士課程修了。同大学院博士課程退学。カリフォルニア大学(バークレー校)大学院博士課程修了。哲学博士。国際真宗学会会長。日本仏教心理学会会長。仏教キリスト教学会理事。元北カリフォルニア仏教連合会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS. この投稿記事で 1111本目となった。ぞろ目である。






<関連サイト>

Tricycle: The Buddhist Review 
・・アメリカでもっとも有名な仏教雑誌のサイト『トライシクル(三輪車)』。Facebookページもある。禅仏教とチベット仏教関連が中心だが、上座仏教その他アジア系仏教もカバーしている。ちょうどわたしが滞米中の1991年に創刊、滞米中に購読していた。紙媒体のバックナンバーは、いまでも所有している。すでに1991年頃には、政府高官にもチベット仏教信者がいたことがインタビュー記事からわかる。

(2014年8月27日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

グラフィック・ノベル 『スティーブ・ジョブズの座禅』 (The Zen of Steve Jobs) が電子書籍として発売予定

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!

レナード・コーエン(Leonard Cohen)の最新アルバム Old Ideas (2012)を聴き、全作品を聴き直しながら『レナード・コーエン伝』を読む
・・長年にわたって禅仏教の修行に打ち込んできたユダヤ系カナダ人アーチスト

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)

Winning is NOT everything, but losing is NOTHING ! (勝てばいいいというものではない、だけど負けたらおしまいだ)
・・MBAの戦略実行の授業で『Zen and the Motorcycle Maintenance』(日本語訳 『禅とオートバイ修理技術』)という哲学書を読めと強くすすめられたくらい、アメリカでは禅仏教は定着している

書評 『アメリカ精神の源-「神のもとにあるこの国」-』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)-アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録  ・・メインストリームのキリスト教とアメリカ人の関係を知らなければアメリカを理解したことにはならない

書評 『「気づきの瞑想」を生きる-タイで出家した日本人僧の物語-』(プラ・ユキ・ナラテボー、佼成出版社、2009)-タイの日本人仏教僧の精神のオディッセイと「気づきの瞑想」入門
・・アメリカでは仏教の枠を超えて、いまマイドフルネス(mindfulness)として、上座仏教系の瞑想が拡がっている

(2013年12月29日、2014年8月27日 情報追加)





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2013年3月23日土曜日

ボリウッド映画 『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(インド、2007)を見てきた



ボリウッド映画 『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム Om Shanti Om』(インド、2007)を見てきた。東京・渋谷のシネマライズにて。

ここのところボリウッド映画の日本での上映機会が増えてきたのはありがたい。レディー・ガガじゃなくても、「ハリウッドよりもボリウッド」のほうが面白い。なぜなら、ボリウッド映画はあまりに濃厚なインド・テイストに圧倒されるから。万人向けを狙って薄味になっているハリウッド映画を面白く感じないのは当然といえば当然なのだ。

日本での上映がありがたいのは、タミル語映画であれヒンディー語映画であれ、日本語訳字幕がつくから。日本公開ではなくてもDVDになっているものはあるが、英語字幕も読むのが面倒くさいことがある。



さて、『オーム・シャンティ・オーム』だが、2007年製作のヒンディー語映画。ボリウッド映画だから、うるさいまでに過剰、過剰、過剰なまでの濃厚なてんこ盛り。音量もでかいし、役者はしゃべりまくるし、歌に踊りのシーンがでてくるわ、そこまで描かなくてもいいだろというまであまり関係ないシーンまで登場する。

「シャンティ」とは、平和とか平安「オーム・シャンティ」で、安らぎをという意味だが、タイトルと映画とは一致しないと思って見たほうがいい。

むしろ日本語版の『恋する輪廻』のほうがふさわしい。輪廻転生の物語である。映画のなかでは輪廻転生は "cycle of life" と英語で表現されている。そして愛と復讐の物語。「何度生まれ変わっても、また君に恋をする」という日本語版の宣伝コピーが効いている。

(インド版ポスター)

内容は、映画解説の文章をそのまま引用させていただくとしよう。

ボリウッドを代表する俳優シャー・ルク・カーンが主演を務め、インドで大ヒットを記録したミュージカル・エンタテインメント。1970年代。脇役俳優のオームは人気女優シャンティに恋をするが、シャンティはプロデューサーの男と密かに結婚・妊娠していた。しかし、シャンティは、彼女を疎ましく思う夫の罠にはまり殺されてしまい、シャンティを救おうとしたオームもまた命を落としてしまう。30年後、シャンティの息子はオームと名づけられ、スター俳優として活躍するが……。

主演のシャー・ルク・カーンはムスリム(イスラーム教徒)のインド人。だが、映画のなかでは輪廻転生の結果、腕に神聖なオームの文字のスティグマが浮かび上がるというヒンドゥー教徒を演じている。こういうことを知っていて映画を見ることも面白いかもしれない。知らなくてもべつにかまわないのだが。

ヒンディー語映画なので、サンスクリット語を多少でも知っていれば、ところどころ単語が聞き取れる。また英単語や英語のフレーズがかなりでてくるので、その部分は日本語字幕を見ていれば聞き取れるだろう。英語字幕版では英語のセリフには字幕がつかないのが普通だ。

上映時間が 169分とやや長いが、編集して圧縮しないのがボリウッド流。筋にはあまり関係ない歌や踊りが入るが、いわゆるミュージカル映画というのともまた違う。伝統的なインド舞踊風あり、バングラビートあり、ディスコ調ありと音楽にかんしてもてんこ盛りだ。

最後のほうでは、『オペラ座の怪人(ファントム・オブ・オペラ)』のような曲が使われていたが、まあ最初から最後までうるさいこと。静かに鑑賞する映画ではないのがボリウッド映画ですね。


(インド版 サントラCDジャケット)


<関連サイト>

『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム Om Shanti Om』 オフィシャルサイト ・・映画内容や劇場情報については公式サイトを参照

『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム Om Shanti Om』 フェイスブックページ

Om Shanti Om - Theatrical Trailer (インド版トレーラー)

Dhoom Taana Full HD Video Song Om Shanti Om (ダンスシーン)

Om Shanti Om Full Movie (映画全編 ただし字幕なし)







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ボリウッド映画 『ロボット』(2010年、インド)の 3時間完全版を見てきた-ハリウッド映画がバカバカしく見えてくる桁外れの快作だ!

ボリウッドのクリケット映画 Dil Bole Hadippa ! (2009年、インド)-クリケットを知らずして英国も英連邦も理解できない!

ボリウッド映画 『ミルカ』(2013年、インド)を見てきた-独立後のインド現代史を体現する実在のトップアスリートを主人公にした喜怒哀楽てんこ盛りの感動大作




書評 『飛雄馬、インドの星になれ!-インド版アニメ 『巨人の星』 誕生秘話-』(古賀義章、講談社、2013)-リメイクによって名作アニメを現代インドで再生!

(2015年2月8日 情報追加)




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2013年3月21日木曜日

書評 『7大企業を動かす宗教哲学-名経営者、戦略の源-』(島田裕巳、角川ONEテーマ21、2013)-宗教や倫理が事業発展の原動力であった戦前派経営者たちの原点とは?



宗教学者の島田裕巳氏が、宗教教団分析の手法をつかって企業組織の分析を試みたという本。戦前派の創業社長たちにとって、宗教や倫理が事業発展の原動力であったという原点が確認できる内容だ。

宗教であれば開祖に該当するのが、企業の創業経営者である。開祖伝が面白いのと同様、創業経営者の伝記も面白い。創業経営者のなかでも、宗教的、倫理的な色彩の濃い人たちは、たしかに宗教教団と似たような手法で事業拡大を行っているケースも少なくない。

その典型的な例としては、本書の第1章の松下電器(現パナソニック)、第3章のトヨタ自動車、第4章のサントリーである。トヨタを除けば、パナソニックもサントリーも大阪が発祥の地である。

松下電器の松下幸之助は、まさに日本の神仏の加護をもとに事業経営を拡大した人といって過言ではない。天理教の本部でみたシーンにインスパイアされたという有名なエピソードのほか、真言密教の世界観を反映した考えをもっていたことも本書で知ることができる。サントリーもまた創業経営者の鳥井信治郎は、松下幸之助と同様の傾向をもっていた人であった。

トヨタの豊田佐吉とその息子の豊田喜一郎は、神仏というよりも、二宮尊徳の報徳思想の根強い土地柄で生まれ育った人であることが、トヨタの合理的な倹約志向の基礎になっているようだ。宗教というよりも倫理だろう

第2章のダイエーの中内功は、セツルメント運動を推進したキリスト教宣教師の賀川豊彦の影響を間接的に受けているが、とくにこれといった宗教はない。毛沢東思想の矛盾論の影響は大きく受けているが毛沢東主義者ではない。

宗教教団分析の手法をつかって企業組織の分析を試みるという切り口はよいのだが、残念ながらイマイチという感がなくもないのは、本書に取り上げられたのがなぜ「7大企業」なのかの説明はないからでもある。選択の基準が不明なのだ。

第5章の阪急電鉄は、宗教とはいっさい関係なし。
第6章のセゾングループは、元共産党員であった堤清二。
第7章のユニクロの柳井正は、団塊の世代特有の価値観の持ち主。

はっきりいって、第5章以下はあまり読む価値はないというのがわたしの個人的な評価だ。評価をするとすれば前半は星5つ、後半は星2つといったところだろう。

むしろ、戦前派の創業経営者と戦後派の創業経営者の違いを際立たせたほうが面白い読み物になったのではないかと思う。だから、すくなくとも前半だけなら読む価値はある。

宗教教団においては開祖のカリスマをそっくりそのまま継承できないことは常識であるが、企業経営においても創業経営者のカリスマは伝承できない。創業者の理念が時代の変遷にともなってどう変化したか、それは経営学や経営史の観点を踏まえなければ正確に把握できないためである。その観点を欠いた本書は、はたしてビジネスパーソンには物足りないと映るのではないだろうか。宗教学者の限界である。

わたしが同じ内容で本を書くなら、戦前派はキリスト教系であれば、グンゼの波多野鶴吉、クラボーの大原孫三郎と大原総一郎の親子、キリスト教伝道者の米国人ヴォーリズが創業した近江兄弟社、仏教系ではミツトヨの創業経営者で仏教伝道協会の創設者・沼田恵範、戦後派であれば、京セラの稲盛和夫、二黒土星ゆえ九頭龍信仰をもつ日本電産の創業経営者・永守重信などをとりあげるところだ。

重要なテーマなので、経営学者からのアプローチも、宗教学者からのアプローチも、その双方ともに今後は必要であろう。狭い意味の宗教よりも、ひろく「価値観と経営」という観点のほうが、ビジネスパーソンを中心とする読者にとっては実り多いものとなるだろう。





目 次

はじめに
 企業社会としての日本
 経営哲学や理念は共同体を動かす基本原理だ
 宗教教団と企業は同じ角度から分析できる
第1章 松下電器産業(現パナソニック)
第2章 ダイエー
第3章 トヨタ自動車
第4章 サントリー(サントリーホールディングス)
第5章 阪急電鉄(現阪急阪神ホールディングス)
第6章 セゾングループ・無印良品
第7章 ユニクロ(ファーストリテイリング)
おわりに

著者プロフィール  

島田裕巳(しまだ・ひろみ)
1953年東京生まれ。宗教学者、作家。1976年東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1984年同博士課程修了(宗教学専攻)。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

松下幸之助は「宗教」をみて「経営」を悟った どうして宗教は盛大で力強いのか (江口克彦 故・松下幸之助側近、東洋経済オンライン、2016年6月10日)

(2016年6月10日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・このブログ記事の最後に「島田裕巳という生き方」という文章を書いておいた

「やってみなはれ」 と 「みとくんなはれ」 -いまの日本人に必要なのはこの精神なのとちゃうか?
・・サントリーの創業経営者・鳥井信治郎

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・メンタームの近江兄弟社の創業者でもある

クレド(Credo)とは
・・キリスト教のほうが「ミッション」という性格がつよいためか、事業経営との親和性は明瞭にあらわれる傾向があるように思う。

書評 『叙情と闘争-辻井喬*堤清二回顧録-』(辻井 喬、中央公論新社、2009)-経営者と詩人のあいだにある"職業と感性の同一性障害とでも指摘すべきズレ"
・・共産党も宗教教団と考えれば、元共産党員も元信者という観点で分析できるはずなのだが





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2013年3月20日水曜日

映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」



伝統的な狭い共同体のなかで生きるとはどういうことか。

伝統的な狭い共同体とは、日本語でいえば「世間」そのものである。デンマークのような北欧世界でも「世間」は存在するということなのだろう。それに該当するコトバがあるのかどうかは知らないが。

この映画の舞台が具体的にデンマークのどこにあるのかはわからないが、自然豊かな土地にある小さな共同体である。時代背景はすでに21世紀であるようだ。この共同体のなかには大型スーパーマーケットもあるし、携帯電話で会話がなされる。

わかるのは、父祖以来の土地に住む者はたいがいが顔見知りで、男たちは集まってはバイキングのように酒盛りをして騒ぐ。そして、鹿を猟銃で仕留める狩猟こそが男の象徴とされつづけてきたようだ。正式にライフルを所持して射撃ができるようになることは、少年が正式に大人の男として認められること。前近代の日本でいえば元服のようなものだろう。

そんな古くて狭い共同体(コミュニティ)のなかで生きる主人公の42歳の男性は元高校教師である。離婚して職を失った結果、幼稚園の職員となった。元高校教師というインテリがつくのが適当な職なのだろうかという印象をもっているのは、主人公のまわりの人々もそうであるようだ。

そして離婚した妻は別の町に住んでおり、携帯電話の会話をとおしてのみその存在がわかる。つまり共同体外の存在なのである。



この主人公が親友の娘で幼稚園児がなにげなくついたウソによって幼児虐待、しかも性的虐待という濡れ衣をかぶせらることから人生が暗転する。思い込みは固定観念と化し、あたかも汚れたものを避けるかのように周囲の人たちからは避けられ、親友からも絶交され、共同体のなかで孤立していく姿は痛々しい。まさに日本の「村八分」そのものである。「空気」が出来上がり伝染していく。

地方においては共同体はキリスト教の教会を中心に形成されており、教会に参列する人はほとんどみなが顔見知りである。狭い共同体のなかでは、いやがおうでも顔を合わせざるを得ない。内村鑑三の名著『デンマルク国の話』というタイトルにもあるように、デンマークはプロテスタント国だ。

変態野郎とののしられ、さまざまないやがらせを陰に陽に受けながら孤立していく主人公は、まるでデンマークを代表する思想家キエルケゴールそのもののようだ。いまでこそ世界的な思想家の一人として認識されているキエルケゴールも、生前はデンマークでは徹底的に嫌われ孤立していたのであった。

人間の尊厳を最後まで失わずに頑張り続ける主人公。共同体から逃げずに踏みとどまる主人公。「世間」のなかで生きるということはどういうことか、まさに目の前につきつけられているような気にさせられる。はたして日本人ならその状況に耐えらるだろうか、と。

ハッピーエンドで終わるかに見えたが、それはラストシーンではなかった。このラストシーンは、見たあとも心のなかで何度も反芻(はんすう)している。人間の心の奥深くに存在し続ける闇について慄然とした思いを抱くことになる。

デンマーク映画といえば、『バベットの晩餐会』(1987年)という名作を思い出すが、興行的にはハリウッド映画には及ばない北欧映画にも、このようなクオリティの高いすぐれた作品があるのだ。





<関連サイト>

『偽りなき者』 公式サイト

Bunkamura ル・シネマ 『偽りなき者』


<映画の概要>

タイトル: 偽りなき者 Jagten
監督: トマス・ヴィンターベア
主演: マッツ・ミケルセン
上映時間 106分
製作:  デンマーク

即断即決!デンマークの超「結果主義」新人でもベテランでも、アウトプットがすべて!(東洋経済オンライン 2013年7月18日)

「幸福大国デンマークのデザイン思考」(ダイヤモンドオンライン連載中)
・・「世界で最も刺激的なビジネススクールとして注目されるデンマークの「The Kaospilots」に、初の日本人留学生として受け入れられた大本綾さん。彼女が世界のデザインスクール最前線での学びをリアルタイムで書き記す「留学ルポ」連載」



<ブログ内関連記事>


新装刊の月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2010年7月号を読む-今月号の特集は「アップルが、世界を変える」
・・「■北欧-その光と影 世界が羨む「理想社会」■  内村鑑三の『デンマルク国の話』以来、日本でも理想社会として讃えられてきたデンマーク。フランス人ジャーナリストが描いた幸福度ランキングNo.1のデンマークのレポートを実に興味深く読むことができました。 デンマークの現状は、記事を読む限り、かつての日本のようでもありますが、現在の日本とはほど遠い、なんだかユートピアの話を聞いているような錯覚にも陥ります・・」。

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・日本発の概念に「甘え」というものがあったが、「世間」もまた西欧語には該当するコトバがなくても現象そのものは存在するといっていいのではないかと思われる






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2013年3月17日日曜日

書評 『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2013)-「離米従中」する韓国という認識を日本国民は一日も早くもたねばならない


「離米従中」する韓国という認識を日本国民は一日も早くもたねばならない。東アジア情勢は急速に変化しつつあるのである。

韓国は朝鮮半島にある「半島国家」である。半島の地政学的条件とは大陸と陸続きであるということだ。地政学的条件は変えられないのである。たとえ大統領があたらしくなろうと、大陸国家の動向は無視できるものではない。韓国の命運を握っているのは中国だと韓国人が認識したとき、「離米従中」は不可避の動きとなる。

著者は前著 『朝鮮半島201Z年』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2010)では、まだ不確定な要素もあるので、「思考実験」の結果は近未来シミュレーション小説という形にするしかなかった。だがこの本をすでに読んだ人なら、朝鮮半島問題とはつまるところ中国問題だということが十分に理解できるだろう。

もちろんシミュレーション小説とは異なり、北朝鮮の金正日が突然死して金正恩が継承することは予想はできなかったが、地政学的条件を前にしたら政権トップが誰であろうがさほど大きな意味をもつものではない。

ウィットフォーゲルをもとにした社会科学者・湯浅赳男氏の「中心・周辺・亜周辺」フレームワークにおいては、「中心」に位置する中国、中国の「周辺」に位置するコリア(韓国・北朝鮮)にたいして、日本は「亜周辺」に位置するだけでなく、海によって「中心」から隔てられた「海洋国家」を本質とする。

韓国と日本とは、そもそも地政学的条件が違うだけでなく、価値観においても乖離(かいり)が始まっていることに注意しなくてはならないのである。

本書は、日経ビジネスオンラインの「早読み 深読み 朝鮮半島」というコラムですでに発表されているものを一冊にまとめたものだが、あらためて通読してみると、朝鮮半島問題とは中国問題なのであると痛感する。

「離米従中」する韓国は、米韓関係、中韓関係だけでなく、なんといっても米中関係という枠組みのなかで見なくてはならない。半島国家をめぐる状況はつねに複雑であり、それを見る視点も複眼的でなくてはならないのだ。

はたして韓国は日本と価値観を共有する国家といっていいのだろうか? 国家と国民のサバイバルは、その国家と国民じしんが決めることであるが、その結果が日本と日本国民にも降りかかってくる以上、注視しなくてはならないのである。

われわれにできることは、「離米従中」する韓国という認識を基本に据え、希望的観測は捨ててリアリズムに徹することである。

しかし、同時に忘れてはならないのは、中国も韓国もともに人的関係ということでいえば移民のネットワークをつうじて米国との関係が深いということだ。

米国か中国か二者択一となりがちな日本人的単細胞な発想では世の中を理解することはできないということは肝に銘じておかねばならない。






目 次

プロローグ 中国の空母が済州島に寄稿する日

第1章 「中国」ににじり寄る「韓国」の本音
 1. 米国に捨てられてきた韓国の覚悟
 2. 中国から "体育館の裏"に呼び出された韓国
 3. 「日本と軍事協定を結ぶな」と中国に脅された韓国
 4. 「尖閣で中国完勝」と読んだ韓国の誤算
 5.  【対談】漂流する韓国を木村幹・神戸大学大学院教授と読み解く

第2章 「日本」を見下す「韓国」の誤算
 1. 「7番目の強国」と胸を張る韓国のアキレス腱
 2. 「日本病に罹った」とついに認めた韓国
 3. 【対談】『老いていゆくアジア』の大泉啓一郎氏に聞く
 4. 【対談】真田幸光・愛知淑徳大学教授と「金融」から読み解く

第3章 「米国」と離れる「韓国」の勝算
 1. 韓国、「ミサイルの足かせを外せ」と米国に刃向かう
 2. 「明清交代」を受け入れる韓国人
 3. 中国包囲網目指し、米朝が野合する日
 4. 【対談】池上彰さんと語る朝鮮半島、そしてアジア

第4章 『妖怪大陸』を見つめる日本の眼
 1. 韓国は中国の「核のワナ」にはまるのか
 2. 【対談】「反日国家に工場を出すな」と主張し続けた伊藤澄夫社長に聞く

エピローグ 結局は「中国とどう向き合うか」だ

著者プロフィール  

鈴置高史(すずおき・たかふみ)
日本経済新聞社編集委員。1954年、愛知県生まれ。早稲田大学政経学部卒。1977年、日本経済新聞社に入社、産業部に配属。大阪経済部、東大阪分室を経てソウル特派員(1987~1992年)、香港特派員(1999~2003年と2006~2008年)。04年から05年まで経済解説部長。1995~96年にハーバード大学日米関係プログラム研究員、06年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)ジェファーソン・プログラム・フェロー。「中国の工場現場を歩き中国経済のぼっ興を描いた」として02年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



PS 続編の 『中国という蟻地獄に落ちた韓国』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2013)が、11月30日に出版されました。


目 次

プロローグ 米中両属の韓国
第1章 北京にひた走るソウル
第2章 「北の核」が背中を押した
第3章 よみがえる「華夷意識」
第4章 日韓は米中の代理戦争を戦う
エピローグにかえて 近未来予測・米中首脳会談
半島の「非核・中立」化で手打ち 韓国はパキスタン目指し、カンボジアに


<関連サイト>




「日韓併合100年」に想うこと (2010年8月22日)


地政学で国際情勢を考える

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える

(2014年4月8日 情報追加)







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書評 『チャイナ・ギャップ-噛み合わない日中の歯車-』(遠藤誉、朝日新聞社出版、2013)-中国近現代史のなかに日中関係、米中関係を位置づけると見えてくるものとは?


昨日(2013年3月17日)、中国共産党の第12期「全人代」(=全国人民代表大会)が終了して習近平=李克強体制が正式に確立した。

じっさいは「チャイナ7」という集団指導体制による新体制は、「噛み合わない日中ギャップ」ははたして解消できるのだろうか。この件については、残念ながらあまり期待しないほうがいいだろう。

本書は、中国共産党の「内在的ロジック」を解明してきた著者の最新作であり、とりあえずの現時点での総括といってもいい内容の本である。

中国研究者でもない元物理学者の著者が、なぜこのような内容の本をかけるのか? まずは、「おわりに-カイロ宣言に翻弄された人生」から読むことを薦めたい。一連の中国関係の書籍を執筆してた動機がどこにあるかがわかるからだ。

すべての出発点が著者が少女時代に体験した「卡子(チャーズ)」にある。

「卡子(チャーズ)」とは、敗戦による日本の撤退後、中国大陸の覇権をめぐって戦われた激しい内戦のなか、中国共産党軍は国民党軍が占拠する長春(=新京)を都市全体を封鎖、兵糧攻めによって戦闘員以外の30万人の一般民衆を餓死に追い込んだ作戦のことだ。

この極限状況における過酷な体験を文章にしたのが『チャーズ』だが、現在にいたるまで中文版の出版は中国国内では不可能であるという。中国共産党にとっては不都合な内容が記されているからだ。そして、日本のチャイナスクールの「売国奴」外交官(!)によって刺された結果、暗殺される危険を感じたためであるという。国民を守るのではなく保身のために国民を売る外交官という国家公務員の存在。

名もない一人の日本人であれば、ひそかに暗殺されてもニュースにもならないかもしれない。だから、著者は暗殺される危険を回避するため、上り詰めるところまで上り詰めたという。

一般的な日本人の耳には荒唐無稽とひびくかもしれないが、中国共産党軍の流れ弾によって身障者となりながらも「チャーズ」という悲惨な状況を生き抜き中国共産党の反日的な空気の中国で少女時代を過ごしたという過酷な人生経験をもっている人の発言である。

中国人たちもまた中国共産党統治下のもとで過酷な人生を歩んできたことを考えれば、生き残るということにかけてのエネルギーのすさまじさには敬意を表するし、理解しなくてはならないことなのだ。

そういう著者が書いた中国共産党関連本の現時点での総括といった内容が本書である。


中国近現代史のなかに日中関係、米中関係を位置づける

前置きが長すぎた。本書の内容について簡単に触れておこう。

本書の中心は「カイロ密談」である。「カイロ密談」とは、日本の戦後処理について話し合いが行われた1943年の「カイロ会議」の際に、ルーズヴェルト米大統領と中国国民党の蒋介石とのあいだで行われた「密談」である。

その「カイロ密談」において、ルーズヴェルトからの再三の誘いを断り、蒋介石は尖閣諸島の領有は断ったのだという。蒋介石は中国共産党との戦いを最優先としていたので日本を敵に回したくなかったのだ。蒋介石はあとになって後悔し、ひたすらその事実を隠し続けたらしいが。

著者は、なんと中国共産党系の情報サイトに「カイロ密談」について記載された記事があることを知り、しかも米国サイドにもその英文版があることを突き止めて裏付けをとることに成功する。つまり中国共産党じだいが、その事実を知っているということなのだ。

しかも重要なことは、日本と戦ったのは中国国民党であって中国共産党ではない!ということだ。そもそも、中国共産党政権が中国を制圧したのは1949年である。ややこしいのは、中国国民党は大陸の支配を失っても、いまだ消滅することなく台湾を支配しているということ。まさにねじれ現象である。

著者による指摘をを読めば、日本サイドとしては冷静に、理詰めに、相手の矛盾点をしらみつぶしに調べ上げ、全世界に公表していくことが最善の策であることが理解できる。

日中関係もまた歴史的に見ることが重要だ。日中関係においては1991年が分水嶺となったことに気がつかなくてはならないのである。P.106 の年表をよく見てみるといい。

「日中国交正常化」(1972年)、「日中平和友好条約」(1978年)、「改革開放」(1978年)と推移してきた日中関係だが、1991年のソ連崩壊によって状況は劇的に変わる。ソ連崩壊は冷戦構造の崩壊であったが、地政学的にみれば長い国境線を共有する中国にとっては北の脅威が去ったということであった。アメリカが対ソ戦略のために重視してきた日本の重要性が下がったという認識を中国を持つにいたったのである。そして、1992年には領海法が制定されることになる。

本書は、中国近現代史の読み方でもあるといっていい。カイロ密談、さらには「対華21カ条」とそれに対する反対運動である「五四運動」(1919年)とそのなかででてきた「日貨排斥」、さらには「辛亥革命」(1911年)、「日清戦争」(1895年)、「アヘン戦争」(1840~1842年)までさかのぼらないと見えてこないものがあるのだ。中国近現代史は暴力革命の歴史なのである。日本人の想像を絶する、反日暴動のすさまじいまでの破壊の背景にあるものは何かを知らねばならない。

とくに日本人がアタマのなかにたたきこんでおかねばならないのは、「第6章 米中構想を見逃すな」である。この章だけで一冊にしていいくらい重要かつ重大な指摘がなされている。米中関係を最重視してきたのはキッシンジャーだけではない、ルーズヴェルトだけではない。もちろん資本家たちだけではない。

日本も参加した「義和団事件」(1900年)の賠償金支払いにかんして、アメリカは賠償を免除するかわりに、そのカネで清華大学をはじめとする学校を中国につくらせ、親米派の人脈をつくりつづけたのである。そして、アメリカ人のキリスト教宣教師たちが中国で布教をおこなっていたことにも注意を払うべきだろう。日中関係、日米関係よりも太い米中関係があるのはそのためだ。

日中関係や日米関係だけを見ていては見えてこないものがある。米中関係を加えてこそ、複眼的な視点が可能となるのだ。

著者じしんも認めているように、やや雑な記述が目につかないわけではないが、本書に盛り込まれた治験は著者ならではのものである。この基本認識をもとに、ビジネスその他の活動にあたっての情報を分析するようにしたいものだ。





目 次

はじめに-日中領土問題解決のために

第1章 中国の対日外交-揺れ動く軸足
 1. 日中国交正常化、1972年-中ソ対立のため全面譲歩
 2. 日中平和友好条約、1978年-韜光養晦(とうこうようかい:力をつけるまでは影を潜めよ)
 3. 改革開放、1978年-日本に学べ
 4. ソ連崩壊、1991年-もう怖いものはない!

第2章 「カイロ密談」-中国、尖閣領有権主張の決定的矛盾
 1. 混乱を招いた「中華民国」と「中華人民共和国」-日本は「中華人民共和国」(現在の中国)と戦争をしたことがない
 2. 蒋介石・ルーズベルトの「カイロ密談」-蒋介石、琉球占領を何度も拒否
 3. アメリカ公文書館で見つけた恐るべき「カイロ議事録」
 4. 最初の領有権主張は在米台湾留学生から始まった
 5. Great Sea Wall(万里の防海長城)
 6. 日中国交正常化までの中国の主張-尖閣諸島は日本の領土!
 7. 2012年9月25日-中国「釣魚島」白書

第3章 愛国主義教育はなぜ始まったのか-甦った反日感情
 1. 反日から生まれた国家-暴力革命の肯定
 2. 毛沢東発言-「侵略戦争」に感謝
 3. 「領海法」制定、1992年-釣魚島(尖閣)を、中国領土に
 4. 愛国主義教育、始まる、1992年
 5. 反日、もう一つの分岐点、1995年

第4章 逆行して膨張する反日感情
 1. 反日感情はさらに加速する-5億を超えるネットパワー
 2. APEC、15分間の立ち話-外交マナーと反日暴動
 3. 愛国無罪は諸刃の剣-毛沢東の亡霊と反政府ベクトル
 4. 現代の阿Q―日本車の持ち主を殴打した新世代農民工
 5. 新世代農民工の怒り-二極化された貧と富
 6. 民間保釣連盟は反政府ベクトルから始まった

第5章 チャイナ・セブン-中国新政権と対日外交
 1. チャイナ・セブンの顔ぶれは何を語るのか
 2. 軍を掌握した胡錦濤の潔い退任-江沢民派、消滅へ
 3. なぜチャイナ・ナインからチャイナ・セブンにしたのか
 4. 習近平新政権の対日戦略

第六章 米中構想を見逃すな
 1. 中国、親米のルーツ-義和団の乱、1900年
 2. 対共産圏防衛線はもう要らない-アメリカはアジアのおいしいケーキを食べたいだけ
 3. 中国は自民党政権をどう見ているのか?
 4. 中国の軍事力は?
 5. 日中関係のゆくえ

おわりに-カイロ宣言に翻弄された人生

著者プロフィール  

遠藤誉(えんどう・ほまれ)
1941年中国吉林省長春市生まれ。1953年日本帰国。筑波大学名誉教授。東京福祉大学国際交流センター長。理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






<関連サイト>

中国共産党も知っていた、蒋介石が「尖閣領有を断った」事実 (遠藤 誉、日経ビジネスオンライン、2013年2月14日)
「人民日報」が断言していた「尖閣諸島は日本のもの」 (遠藤 誉、日経ビジネスオンライン、2013年2月22日)
・・てっとり早く事実を知りたい人は、この2つの記事を読むといい


中国問題研究家 遠藤誉が斬る (連載 2013年10月2日から現在) 


<ブログ内関連記事>

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論
・・中国経済がかかえる問題を、短期・中期・長期で整理し、課題解決の可能性とその困難さについて中国での企業経営に精通したエコノミストが書いた本。中国にとって致命的なのは、人口減少がまもなく始まるという事実である

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・米中関係の太さについての重要な指摘が行われている本である。あまり読まれていないのが残念だ。「2章 日米の宿命の関係 1. 同盟国から仮想敵国へ 2. 幻想のアジア 3. 米中同盟=日本の破滅 4. アメリカの日本観 5. 再び日米戦争論」は必読

書評 『チャイナ・ジャッジ-毛沢東になれなかった男-』(遠藤 誉、朝日新聞出版社、2012)-集団指導体制の中国共産党指導部の判断基準は何であるか?









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2013年3月16日土曜日

書評 『ドアの向こうのカルト-九歳から三五歳まで過ごした、エホバの証人の記録-』(佐藤典雅、河出書房新社、2013)-閉鎖的な小集団で過ごした25年の人生とその決別の記録




体験者にしか書けないインサイド・レポートである。東京ガールズコレクションを手掛けたプロデューサーが、入信した母親に引きずられる形で信者となって生きてきた25年間を回想した手記である。一人称の語りによるノンフィクションのような印象をもった。

評論家が書いたものではない、告発するジャーナリストが書いたものではない、研究者が書いたものでもない。そのなかに25年間、すなわち四半世紀もの長きにわたって、しかも人間成長期の9歳から35歳までを過ごした人が書いたものである。ひとつひとつの記述の迫真性、説得力が違う

「エホバの証人」は「ものみの塔」と言われることもある。かれら自身の認識においてはキリスト教のようだが、わたしはキリスト教ではないと思っていた。おそらく大半の人はカルトとみなしていることだろう。

著者はみずから25年間を過ごしたエホバの証人の信者としての人生を否定してしまうわけではない。すでに「解約」した現時点から振り返って、その意味を記憶のなかにある具体的な事実に即して解明しようとしている。

エホバの証人の擁護者からみたら、まさに「サタン」の仕業ということになるだろうし、否定的な人からみたら物足りないかもしれない。

だが、たとえ自分の人生の奥底からほとばしり出てくるものを抑圧してきたのがエホバの証人という教団であるとしても、それを全否定しては、それこそ人格崩壊をもたらしかねないし、賢明な処世とはいえない。著者が「リセット」したうえで、この手記を書くことを決意したのはぞのためだろう。

本書には、エホバの証人とマルチ商法が酷似していることに、当時はまだエホバの証人の信者だった著者が驚愕するシーンがでてくる。なんとなくそう感じている人も少なくないだろうが、さすがにエホバの証人のインサイダーであった人の話だけに説得力がある。

わたしはこのレポートを、閉鎖的な社会集団の事例研究として読んでいた。狭い社会集団は閉鎖的であるがゆえにマイノリティ(少数派)であるが、またそうであるがゆえにネットワークでつながっている同じ世界の住人とはきわめて親密な人間関係を築くことができるという逆説がある。ただし、そのネットワークは外部との接触をもたないネットワークであるのが問題ではあるのだが。

閉鎖的な組織や小集団といえば、まず想起するのはオウム真理教だろう。そして連合赤軍。新左翼の党派性の行き着いた先である。シベリア抑留者がそうであるし、さらにいえば帝国陸軍や旧東ドイツ国民、いまなおつづく北朝鮮もそのカテゴリーに含めていいかもしれない。エホバの証人が「王国」という表現をつかっているのは、ひじょうに示唆的・・・・である。

閉鎖的な社会集団は、「敵」の存在を明確化することによって、内部の結束と正統性をつくりだす。エホバの証人においては、それは「サタン」である。エホバとサタンの二項対立によって、すべて説明する二元論である。これは強弱の違いはあれ、キリスト教のなかにビルトインされたマニ教的世界観である。

世界観とは、ものの見方を規定するフレーム(枠組み)のことだ。エホバの証人ではこのほか、背教者(=アンチ・キリスト)を蛇蝎のごとく嫌い、教団外部の一般人のことを「世の人」と表現しているようだ。笑ってしまうのは、オウム真理教の事件についてのエホバの証人の反応である。カルト的な小集団のなかにいると、自分たち自身のことを相対的に把握することはできなくなってしまうようだ。

①絶対性、②純粋性、③選民性、そして④布教性、この4つを著者はエホバの証人の特性といっているが、最後の布教性がエホバの証人にはきわめてつよくあらわれている。

これに日本人に多くみられるリゴリズム的なまじめさが加わると、きわめて抑圧的に働くようなる。著者の記述によれば、アメリカの会衆(コングレゲーション)においては、日本よりもかなりリラックスしたものであるという。アメリカ人との比較から、日本人の特性が浮かび上がる。

閉鎖的な社会集団の特性としては、思考停止状態、組織への依存症、クリエイティビティ欲求の抑圧、感覚の鈍磨などをあげることもできよう。世界終末の日であるハルマゲドンを待つだけの受動的な生き方になりがちなことも指摘されている。どうせ世界が滅びるのであれば、頑張っても仕方ないではないか」という態度である。

面白いのは、これはとくに日本人の場合なのだろうが、たいていは女性から入信し、その子どもが巻き込まれ、最後に配偶者もというパタンが日本人の場合は多いようだ。著者の場合もそうだが、とくに海外駐在員の妻(・・いわゆる「駐妻」)は現地での就労ビザがないので、することがなく精神的に満たされない。物質的な欲望に飽き足りないと、その一つの方向性として宗教に向かうう傾向もなくはないようだが、それがたまたまカルトであるということなのだ。

わたしはこの本を読んでいて後半になってくると、おなじようにキリスト教系の閉鎖的な社会集団であるアーミッシュを思い出した。資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」についてを参照していただきたい。シンプルな生き方にあこがれる人も少なくないだろうが、ものをあまり考えないシンプルマインド状態となってしまうと、それは無知蒙昧の一歩手前といっても言い過ぎではない。

多かれ少なかれ、どんな人でもある特定の価値観のもとに生きているわけである。生きてきた軌跡そのものであり、それは経験と知識によって形成されているものだ。

その価値観を相対化できるかどうかが、自由にモノを考えることができるかどうかの分かれ道になる。その意味では、自分のアタマで考え、自分で行動するとはどういうことかについても考えさせてくれる本である。

ページ数も多くてやや重い内容であるが、ぜひ読むことをすすめたい。





目 次

はじめに-35年前の8ミリビデオ
第1章 カルト生活の幕開け
第2章 自己アイデンティティの上書
第3章 信者としての自覚の芽生え
第4章 信者としてのアイデンティティ
第5章 激動の活動時代
第6章 芽生える疑問
第7章 アイデンティティとの闘い
第8章 脱宗教洗脳
第9章 ミッション・インポッシブル―親族洗脳解約
第10章 死と再生-人生バージョン2.0
おわりに
推薦図書



著者プロフィール  

佐藤典雅(さとう・のりまさ)
株式会社1400グラム代表取締役。ロス在住。1971年広島県生まれ。少年期の大半をアメリカで過ごし、ハワイの高校を卒業。グラフィックデザイナーとしてキャリアを開始させる。医療業界でのコンサル営業、BSデジタル放送局を経てヤフーに入社。2005年にブランディング社に入り、LAセレブ、東京ガールズコレクション、キットソン等のプロデュースを行う。2010年に独立し事業戦略のコンサルを手掛けて現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。





<関連サイト>

『ドアの向こうのカルト』著者インタビュー ベンチャー企業もカルト!? 元「エホバの証人」ビジネスパーソンが語る“社会の中の洗脳”



PS. 文庫化

『カルト脱出記-エホバの証人元信者が語る25年間の記録-』 (河出文庫)と改題したうえで2017年1月に文庫化された。(2017年2月10日 記す)





<ブログ内関連記事>

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について
・・「Devil's Playground(日本未公開)という映画がある。 http://www.youtube.com/watch?v=n518iLqRekM&feature=fvst  ロバート・レッドフォードが主催するサンダンス映画祭で、オフィシャル・セレクションとなったドキュメンタリー映画である。製作公開は2003年。『目撃者-刑事ジョンブック』とは異なる視角から、アーミシュの若者たちの人生選択の姿を描いた、すぐれたドキュメンタリーとなっている。10代後半の男女は、今後もアーミシュとして生きるか否かという、人生の選択を意志決定する前に、「完全な自由」を与えられることになる。こうして若者たちは連日パーティーにふけり、酒やドラッグに浸り、やりたい放題、好き放題の生活をしばらく送るのだが、大半の者がだんだんと「無制限の自由」に虚しさを感じて、アーミッシュのコミュニティーに戻る道を選択していく・・・。Devil's Playground とはアーミッシュが、彼らのコミュニティのソト側の世界を表現したコトバである」。

エホバの証人の場合は、本書の記述によれば、アーミッシュのような巧みな仕組みはないようだ。教団の歴史の長さも関係するのだろう。もちろん、電気を否定するアーミッシュはインターネットに接触する機会もないのだろうが。

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」


マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト
・・閉鎖的組織が生み出す悲劇はカルトに共通する

(2014年1月16日、2015年7月25日 情報追加)




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書評 『飛雄馬、インドの星になれ!-インド版アニメ 『巨人の星』 誕生秘話-』(古賀義章、講談社、2013)-リメイクによって名作アニメを現代インドで再生!



『巨人の星』がインドでリメイクされるらしい、という情報を知ったのは昨年のことである。

『巨人の星』というアニメ(・・当時は「テレビまんが」といっていたと思う)をリアルタイムで見ていた世代なら、違和感なく受け止めたのではないだろうか。『巨人の星』は、あまりにも熱い、熱すぎるほど熱いドラマだからだ。

主人公の星飛雄馬(ほし・ひゅうま)は、貧しい三人暮らし。母親は亡くなり、日雇労働者である一徹という名の頑固者の父親と明子という姉がいる。父親の星一徹はジャイアンツの元選手で息子をスパルタ教育で徹底的にしごいて一流の野球選手として育成するというストーリー。まさに高度成長期のスポ根ドラマである。スポ根とはスポーツ根性の略だ。

生徒会長もつとめる中小企業経営者の息子・伴宙太という盟友。宿命のライバルとなるのは、おなじく中小企業の金持ち坊ちゃんの花形満。多くの弟妹をかかえ主人公以上に貧しい家庭の左門大作。そこにあるのは、まさに格差社会そのものである。

だから、『巨人の星』がインドでリメイクされるという話を聞いて、日本以上に壮絶なまでの格差社会である現在のインドでも十分に可能だろうなと思ったわけなのだ。

『飛雄馬、インドの星になれ!-インド版アニメ 『巨人の星』 誕生秘話-』(古賀義章、講談社、2013)は、『巨人の星』をインドで放映するという夢を実現させたビジネスパーソン自身の手になる手記である。ビジネス・クリエーションの物語でもある。

2012年12月23日より、『巨人の星』のリメイク版 『SURAJ The Rising Star』(スーラジ、ライジング・スター)がインドで放映開始された。毎週日曜ゴールデンタイムの放送だという。

アジアで圧倒的な人気を誇る 『ドラえもん』などは、セリフを現地語に吹き替えるだけで、主題歌は日本語のまま(!)で放映されている。だが、残念ながら『巨人の星』で中心テーマとなる野球はアメリカや中米諸国、日本を中心とした東アジアでしか行われていない。

インドではなんといってもクリケットなのだ。だから、インド人に受け入れられるために主人公をクリケット選手にすることであった。文化マーケティングは、ローカライズは避けられないのである。そして人口規模の規模の大きなインドをメインターゲットにすることによって、クリケットがさかんな英連邦諸国での展開も視野に入ってくる。



著者は、講談社の雑誌 『クーリエ・ジャポン』の初代編集長。2009年2月号の特集「"日本人化"するインド人の暮らし」(上掲写真)はわたしはいまでも保存しているが、著者にとっては「編集者生活にとってのピリオド」となるものだったらしい。なぜなら、著者は大学時代にインドに長期滞在して以来のインドびいきなのであった。インド好きをなんとかビジネスに結び付けたいという夢があったのだという。

『巨人の星』の版権は勤務先の講談社がもっているので実現しやすい環境にあったことはあるだろう。だが、この一大プロジェクトを発想し、構想し、実現までもっていくのがいかにたいへんなことであったか、その発端と前史から実現にいたるまでをつづった本書を読むとそれが実感される。

日本サイドのプロジェクト推進体制構築、日本とは異なるインド現地のアニメ製作現場との激しい議論、困難を極めたスポンサー獲得交渉など、なんども挫折しかけながらの難産であったのだ。最終的には、自動車メーカーのスズキや全日空などをはじめとして現地に進出している日本の大企業がスポンサーとなった。

願わくば、インド版『巨人の星』が成功することを! これが日本企業によるインドビジネス成功の試金石にもなるからだ。まずは、本書によって現在進行形のビジネスストーリーの前史を知っておきたいものだ。





目 次

はじめに
第1章 見切り発車で始まったプロジェクト
第2章 いつかこの地で―インドでの誓い
第3章 飛雄馬をクリケット選手に
第4章 崖っぷちからの逆転
第5章 大リーグボールと、ちゃぶ台返し
終章 今始まる『ライジングスター』による挑戦
おわりに

著者プロフィール    

古賀義章(こが・よしあき)1964年、佐賀県生まれ。1989年、明治大学卒業後、講談社入社。『週刊現代』編集部、『フライデー』編集部を経て、2001年渡仏。2004年、『クーリエ・ジャポン』創刊編集長に就任。現在、国際事業局担当部長としてインド事業を担当。インド版アニメ『スーラジ ザ・ライジングスター』のチーフ・プロデューサーを務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

「巨人の星、インドで人気の理由講談社の仕掛け人、古賀義章氏に聞く」(東洋経済オンライン 2013年2月26日)

日本クリケット協会(公式サイト)


SNEAK-PEEK: EPISODE-1 #SURAJ - THE RISING STAR(インドでの放映先 Colors のサイト。なお Colors はアメリカのViacom傘下)

『巨人の星』オープニング(Dailymotion)



<ブログ内関連記事>

ボリウッドのクリケット映画 Dil Bole Hadippa ! (2009年、インド)-クリケットを知らずして英国も英連邦も理解できない!

麹町ワールドスタジオ 「原麻里子のグローバルビレッジ」(インターネットTV 生放送) に出演します(2012年6月13日 21時から放送)-テーマは、『「近代スポーツ」からみたイギリスとイギリス連邦』
・・このブログ記事は、この放送でしゃべったものベースに加筆修正したものです。

⇒ YouTubeに録画がアップされてます。オンデマンドで無料(フリー)ですので、お好きな時間にご試聴ください。放送を視聴していただくと、情報量も多いので、よりいっそう理解しやすいかと思います。
http://www.ustream.tv/recorded/23284174#utm_campaign=t.co&utm_source=23284174&utm_medium=social 

ボリウッド映画 『ロボット』(2010年、インド)の 3時間完全版を見てきた-ハリウッド映画がバカバカしく見えてくる桁外れの快作だ!
・・2012年日本公開。これはタミル語映画。

書評 『必生(ひっせい) 闘う仏教』(佐々井秀嶺、集英社新書、2010)-インド仏教復興の日本人指導者の生き様を見よ!

アッシジのフランチェスコ (4) マザーテレサとインド

『クーリエ・ジャポン レビューコンテスト 第6回』 で、【編集長賞】 をいただきました!!




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2013年3月10日日曜日

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む


文化人類学者・山口昌男氏がお亡くなりになった。けさ(2013年3月10日)のことだという。享年81歳。お悔やみを申し上げます。

1981年に大学に入学して以来、山口昌男の著作はいったいどれだけ読んだことだろうか。ほとんど読んでいると思うのだが。あえて羅列することもないと思う。もっとも影響を受けた学者・知識人の一人であった。

当時はまだあった一橋大学小平分館附属図書館の開架式スペースでみつけて読みふけっていたのが、せりか書房から出ていた大型本 『人類学的思考』(1971)の初版である。筑摩書房版では多くの論文が削除されてしまったので、この初版のほうが重要なのだ。かなり戦闘的であった頃の山口昌男である。

『道化の民俗学』『文化と両義性』といった著作もあるが、わたしはとくに『知の遠近法』(岩波書店、1978)は枕元においていつも読みふけっていた。「地の遠近法を学にたまえ」という一章からつけられたタイトルだが、早いうちにこういう文章を読んでおくとアタマの柔軟性が確保されるものだと、いまになって思うのだ。

このほか、当時は文庫本で簡単に入手できた『本の神話学』(中公文庫、1977) や 『歴史・祝祭・神話』(中公文庫、1978)もなんども読んでは大きな影響を受けたものだ。このほかにも『アフリカの神話的世界』(岩波新書、1971)などフィールドワークから編み出された文化人類学の理論を扱った著作も勉強になった。『二十世紀の知的冒険』(岩波書店、1980)という世界の知性との対談集にも読みふけったものだ。

1980年代の「ニューアカ」(=ニュー・アカデミズム)ブームを牽引した浅田彰や中沢新一の師匠筋にあたるのが山口昌男。さらにその精神的師匠といえば編集者で思想家の林達夫ということになる。そのいずれの著作にも親しんでいたのは、1980年代前半の知的風景であったと思う。バブルがはじまる前のことだ。

そんなこともあって、大学学部の後期課程ではなにを専攻するかにあたっては、歴史学か人類学か言語学にするかおおいに迷っていたのだが、結局は歴史学にすることにしたのは、すでに大学二年の前期ゼミで阿部謹也先生のゼミをとっていたこと、『地の遠近法』に収録されていた中世史のジャック・ルゴフなどのフランスの歴史学者の日本における講演にかんする文章で、「歴史人類学」というカテゴリーを知っていたことも大きいかもしれない。

『地の遠近法』に収録された「第10章 歴史人類学或いは 人類学的歴史学へ-J・ル・ゴフの「歴史学と民族学の現在」をめぐって-」である。後期課程の阿部謹也ゼミナールで講読したのが、このなかでも紹介されているル・ロワ・ラデュリーの『モンタイユ』であったのも、なにかの縁だろうか。もちろん当時は『モンタイユ』の日本語訳はなかったので、ゼミナール参加者はフランス語あるいはそのドイツ語訳で読んだ。




いまこそ 『「敗者」の思想史』を読むべきだ

岩波書店の編集者で、山口昌男や河合隼雄と「伴走」した大塚信一氏(元社長)は、『山口昌男の手紙-文化人類学者と編集者の四十年-』(トランスビュー、2007)のなかで、『挫折の昭和史』以降の後期の著作については、初期の論争的なものが失われて好事家的だと批判的であるが、わたしはこれから生きていく日本人にとっては、むしろ 『「敗者」の思想史』以降の一連の著作のほうが意味があると考えている。

『「敗者」の思想史』のつぎは『挫折の昭和史』(岩波書店、1995)そして三部作の最後となる『内田魯庵山脈―「失われた日本人」発掘』(晶文社、2001)。そしてこれから派生していった一連の著作。

たとえば、NHKでの放送をもとにした 『知の自由人たち』(NHKライブラリー、1998)、『敗者学のすすめ』(平凡社、2000)、経営者の精神史というありそうでなかった分野に踏み込んだ 『経営者の精神史-近代日本を築いた破天荒な実業家たち-』(ダイヤモンド社、2004)なども面白い。これはわたしがビジネスマンであることも理由の一つであろうが。

その 『敗者学のすすめ』(平凡社、2000)の出版社による紹介文は以下のようになっている。

近代日本の“タテ型社会”からはみ出しもうひとつの道を選んだ維新の敗者たち。歴史の闇に埋もれ、顧みられることのなかった彼ら敗者たちが築いた“知のネットワーク”を山口人類学が鮮やかな手法で掘り起こす。

出発点となったのが、大著 『「敗者」の思想史』(岩波書店、1995)なのである。「精神史」などという文言がタイトルに入っているが敬遠する必要はない。維新の敗者、つまり負け組となった人びとが築き上げたさまざまなネットワークを、埋もれていた古書のなかに求めて再浮上させた試みだと捉えたらいい。歴史人類学の成果である。

出版されたのは1995年、雑誌連載されたのは1991年から1994年にかけて。バブル崩壊で精神的虚脱状態に陥っていた日本人に、オルタナティブな違う生き方がるのだよと指示してくれた本であるといっていいと思う。

この大著は、現在は岩波現代文庫として二冊本となっているので、さらに読みやすくなった。目次を掲載しておこう。

1 明治モダニズム-文化装置としての百貨店の発生(一)
2 近代におけるカルチャー・センターの祖型-文化装置としての百貨店の発生(二)
3 軽く、そして重く生きる術-淡島椿岳・寒月父子の場合(一)
4 明治大正の知的バサラ-淡島椿岳・寒月父子の場合(二)
5 敗者たちの生き方
6 敗者たちへの想像力
7 明治出版界の光と闇―博文館の興亡
8 青い眼をした人形と赤い靴はいてた女の子の行方―日米関係のアルケオロジー
9 二つの自由大学運動と変り者の系譜
10 大正日本の「嘆きの天使」-吉野作造と花園歌子
11 小杉放庵のスポーツ・ネットワーク-大正日本における身体的知
12 「穢い絵」の問題-大正日本の周縁化された画家たち
13 西国の人気者-久保田米せんの明治
14 幕臣の静岡-明治初頭の知的陰影
結びに替えて
主要参考文献
主要人名索引

この本にでてくる人名は、ほとんど知られていないものも多いし、一読しても忘れてしまうものも多々ある。だが、記憶のなかに残る人名もきっとあることだろう。いつの時代でも「負け組」として生きるということは出世街道から下りてしまうことを意味していたが、趣味人として生きるという道もあることなどさまざまな道があったことがわかるのだ。

ことしのNHK大河ドラマは『八重の桜』という、維新の負け組となった会津藩士たちのその後を描いたものだが、『「敗者」の思想史』の「5 敗者たちの生き方」と「6 敗者たちへの想像力」を読めば、新島八重(=山本八重)もさることながら、その兄であった山本覚馬という人が、いかに立派な人であったかがわかるはずだ。

明治になってから旧幕臣や佐幕派の武士たちがキリスト教徒になった者が少なくないのはなぜか、その理由と意味についても「敗者」という視点を入れることで見えてくるものがあるのだ。

戊辰戦争の鳥羽伏見の戦いで薩摩藩の捕虜となった山本覚馬が、首都移転後の京都の再興に大いに貢献したこと、その友人となったキリスト教宣教師の新島襄が同志社設立するに際して京都にもっていた土地を提供したこと、その関係で山本八重が新島襄と結婚したことなども本書に書かれている。

なぜ同志社の歴史のなかで山本覚馬や山本八重が表舞台に登場しないかは、『敗者学のすすめ』(平凡社、2000)を読むといい。そこには熊本バンドとよばれた旧武士階級のキリスト教徒たちが同志社の実権を握ったことによって、会津藩関係者が退けられていったのではないかという推測が書かれている。

旧会津藩士たちは西南戦争に参加することによって薩長に復讐するつもりが、熊本で大暴れしたことによって熊本の人たちのうらみを買ったことになるらしい。まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」、である。

わたし自身が、維新の負け組の末裔であるということもあるが、たとえ「負け組」あるいは「敗者」となってもそれで人生のすべたが終るのではないこと、オルタナティブな生き方も可能であることを教えてくれる本なのである。

中心ではなく周縁あたらしいことやイノベーションはつねに周縁から始まるのである。敗者もまた、周縁に位置する者たちだ。

だからこそ、これからの日本人にとって 『「敗者」の思想史』は読み継がれていくべきだし、その著者である山口昌男氏のことも記憶に残ってほしいと思うのである。









<関連サイト>

文化人類学者の山口昌男さん死去 日本の知の世界牽引“ニューアカデミズムの祖”(MSN産経 2013年3月10日)

NHK大河ドラマ 『八重の桜』 (公式サイト)





<ブログ内関連記事>

『本の神話学』 と 『歴史・祝祭・神話』が岩波現代文庫から復刊!-「人類学的思考」の実践のために

山口昌男の『道化の民俗学』を読み返す-エープリルフールといえば道化(フール)②

書評 『学問の春-<知と遊び>の10講義-』(山口昌男、平凡社新書、2009)-最後の著作は若い学生たちに直接語りかけた名講義

書評 『河合隼雄-心理療法家の誕生-』(大塚信一、トランスビュー、2009)-メイキング・オブ・河合隼雄、そして新しい時代の「岩波文化人」たち・・・
・・「西洋中世史のゼミナールに属しながらも、自分自身を西洋人にはまったくアイデンティファイできない私は、どちらかというと文化人類学的な思考方法には大きく惹かれていたし、1980年代初頭にいわゆるニューアカ(・・ニューアカデミズムの略称)とよばれた浅田彰や中沢新一の出現を準備したともいえる山口昌男の『知の遠近法』(岩波書店、1979)は、大学一年のときからベッドの枕もとのミニ書棚において、寝る前にしょっちゅう読んでいたものである」・・山口昌男の『知の遠近法』を読みふけっていた当時の回想である

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)-もうひとつの「ノモンハン」-ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた
・・敗者トロツキーとフリーダ・カーロ

ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇-知恵の象徴としての蛇は西洋世界に生き続けている
・・ヘルメス(=マーキュリー)は山口昌男のトリックスター論の典型

エープリル・フール(四月馬鹿)-フールとは道化のこと
・・山口昌男の『道化の民俗学』を参照

「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた・・敗者と人類学者の関係

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

「敗者」としての会津と日本-『流星雨』(津村節子、文春文庫、1993)を読んで会津の歴史を追体験する

Tommorrow is another day (あしたはあしたの風が吹く)
・・「南北戦争」の「敗者」であるアメリカ南部

(2014年2月21日、2016年6月19日 情報追加)





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2013年3月9日土曜日

書評 『世界の子供たちに夢を-タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡-』(但馬オサム、メディアックス、2013)-タツノコプロのアニメ作品を見て育ったすべての「子供たち」は必読!


タツノコプロ創立50年、その創始者であった吉田竜夫が亡くなって35年になるという。そして著者もまた50歳。いまこれを書いているわたしも50歳だ。

吉田竜夫が亡くなったのは、わたしが15歳のときということになるが、タツノコプロについては、そのタツノオトシゴをかたどったロゴとともに目に焼き付けられていても、吉田竜夫が亡くなっていたことは知らなかった。

タツノコプロのアニメを見て育ったわたしの世代は、小学校から中学校にかけてどっぷりとその世界にはまっていたことになる。

『マッハ GoGoGo』、『おらあグズラだど』、『ドカチン』、『ハクション大魔王』、『紅三四郎』、『みなしごハッチ』、『いなかっぺ大将』、『カバトット』、『アニメンタリー 決断』、『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』、『樫の木モック』、『科学忍者隊ガッチャマン』、『けろっこデメタン』、『新造人間キャシャーン』、『タイムボカン』、『ヤッターマン』・・・これら草創期から黄金時代のタイトルはすべてリアルタイムの放送で見ていたことになる。マンガよりもアニメの世代なのである。カラオケでもつい当時のアニソン(=アニメソング)を歌いたくなる(笑)

だから、本書の前半を占めるマンガ家時代の吉田竜夫は正直いってあまり面白くなかった。たしかに、京都に生まれ、敗戦後の解放感のなか米兵がもたらしたアメコミの世界にどっぷりつか、上京して紙芝居の世界を経験してマンガ家として誕生したのが吉田竜夫であるという指摘や、『タイガーマスク』の辻なおとが同郷の友人であったこと、梶原一騎の原作で書いた数々のマンガなどは、その前史をしるうえでは重要なことだ。

だが、吉田竜夫といえばタツノコプロ。分業によるプロダクション・システムという組織形態で「テレビまんが」(=アニメ)の世界を切り開いっていった先駆者としてこそ意味があるからだ。マンガからアニメへの過渡期にいたアニメ制作の先駆者なのである。

アニメにくわしくない人にとっては、アニメといったら現在なら宮崎駿、むかしは手塚治ということになるのだろうが、わたしだけでなく同世代のかつての「子供たち」にとっては、圧倒的にタツノコプロの影響が大きいのではないかと思う。

それは、アクションものあり、ギャクものあり、メルヘンものあり、しかも戦争ものもありということで、コアとなる作品群が多岐にわたっていることも大きいと思う。だからアクションものは男の子向けだったとしても、メルヘンものは女の子も見ていたわけであり、とくに後者は親も一緒に見ることのできる安心できる作品だったわけだ。

また、タイトルの選択にあたっての音感の良さ、これは吉田竜夫が趣味で音楽をやっており、作詞作曲もしていることを本書で知ることができる。

この本に収録された数々の貴重な証言を読んでいくと、タツノコプロは創立当初はアニメの素人集団であったにもかかわらず、手抜きをしない職人仕事と試行錯誤をかさねた挑戦の末に、「映像革命」を起こしたことを知ることになる。

そしてその創始者で代表であった吉田竜夫は、クリエーターであり経営者でもあり、夢の実現のため苦労に苦労をかさね命を縮めて47歳で亡くなったのであった。なんせスポンザーも決まらないうちに制作を始めていたというケースが何本もあるのだ。いま生きていれば82歳ということになるが、あまりにも早いその死を悼まないわけにはいかない。

著者もわたしとおなじく50歳ということだが、『アニメンタリー 決断』をリアルタイムでは見なかったという。あの当時、おなじクラスの男の子のあいだではいつも話題になっていたあの名作を見なかった人がいたというのは正直いって驚きだ。その後、まったく再放送されない幻のアニメとなったのは残念なことだが(・・現在はDVD化されているし、一部はYouTubeでも視聴可能)、『決断』の経験が『ガッチャマン』で活かされたということを知ってなるほどと思った。

大学時代に西武多摩湖線沿線に住んでいたので、わたしも国分寺には慣れ親しんでいたが、吉田竜夫の在世当時のおもかげがまだ残っていたように思う。『ゴルゴ13』のさいとうたかおプロの「北口派」とタツノコプロの「南口派」という対比も面白い。

いまでこそ日本はアニメ大国で、クールジャパンの代名詞のように語られる日本アニメだが、子ども時代はそんなことは知るよしもなく、無意識のうちに「世界最高峰の実験」に視聴者として全面参加していたわけなのだと思うと、あの時代の日本に生まれたことを心から幸せに思うのである。

「世界の子供たちに夢を」というのが、ある意味ではミッションでありビジョンであった吉田竜夫とタツノコプロである。そう、夢を与えることが彼の夢だったのだ。

アニメで人間形成(!)したわたしと同じ世代はもちろん、それ以降の世代の人もまた、タツノコプロのアニメ作品を見て育ったすべての「子供たち」は必読だ。先人たちの苦労の軌跡を振り返る意味でも、ぜひおすすめしたい一冊である。






目 次
プロローグ
第1章 京都に生まれて
第2章 浅草の夕日
第3章 異説『鉄腕リキヤ』
第4章 絵物語からマンガへ
第5章 それぞれのハリス無段
第6章 国分寺のパースペクティブ
第7章 その名は宇宙エース
第8章 マッハGoGo“剛”
第9章 進化するタツノコ・ギャグ
第10章 ハッチの音楽会
第11章 泣くも笑うも決断ひとつ
第12章 白い翼の
第13章 鏡の中の顔
第14章 宇宙へ
第15章 そして夢
あとがき
解説 まんがからアニメへ駆け抜けた怪男児(星まこと)
参考文献

著者プロフィール
但馬オサム(たじま・おさむ)文筆人・出版プロデューサー。昭和37年、東京生まれ。映画およびマンガの解説、B級犯罪、官能、猫、文化批評、近現代史など多岐にわたって執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

タツノコプロ 作品紹介(タツノコプロ)

タツノコプロ 公式サイト


吉田竜夫(よしだ たつお、本名:吉田龍夫(読み方は同じ)1932年3月6日~1977年9月5日)は、日本の昭和時代中期から後期の漫画家、アニメ原作者。アニメ製作会社竜の子プロダクション(タツノコプロ)の設立者・初代社長。 京都府京都市出身。(wikipedia情報)



<ブログ内関連記事>

京都国際マンガミュージアムに初めていってみた(2012年11月2日)- 「ガイナックス流アニメ作法」という特別展示も面白い

『新世紀 エヴァンゲリオン Neon Genesis Evangelion』を14年目にして、はじめて26話すべて通しで視聴した




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2013年3月7日木曜日

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある


「牧師にして小野派一刀流第17代宗家」という肩書がまずもって異色である。というよりも、すぐにはアタマのなかで結びつかない意外性をもっている。

著者の笹森建美師が牧師をつとめる駒場エデン教会は、プロテスタントのメソジスト派の教会であるが、その教会で説教が終わったあとは、教会がそのまま小野派一刀流の道場になるそうだ。

柳生宗矩(やぎゅう・むねのり)創始の柳生新陰流とならんで将軍家御流儀の剣術として採用された小野派一刀流である。牧師として信者の魂を導き、かつ師範として剣術の免許皆伝を授けることのできる宗家でもある!

本書は、そんな著者のライフストーリーを織り交ぜながら、なぜこのような異色の組み合わせが青森県弘前の地で誕生するに至ったか、そして日本人のDNAにあるはずの武士道精神とキリスト教精神には重なり合うものがあると説いた興味深い本である。

『武士道』といえば、キリスト教徒でクエーカー派であった新渡戸稲造の名前がすぐにでてくるだろう。原書は BUshido という英文著作である。また、『余は如何にして基督教徒となりしか』の著者で無教会派の思想家で実践者であった内村鑑三の名前を想起する人もいるだろう。この二人はともに士族、すなわち旧武士階級の出身である。

著者もまた、明治維新以降のキリスト教布教にあたって旧武士階級出身者が多かったことについて、はじめの2章をさいて説明している。

明治初期に来日したアメリカ人宣教師には南北戦争を体験した軍人が少なくなかったこと、幕末には官学であった朱子学ではなく、実践を旨とした陽明学がひろく普及していたことが、武士階級がキリスト教を受け入れた理由として指摘しており、なるほどと納得するのである。これは、内村鑑三の名著 『代表的日本人』に西郷隆盛が取り上げられていることでもわかる。

さらにいえば、本書には指摘はないが、維新の負け組となった幕臣や佐幕派出身者にキリスト教徒になった武士が多かったことを付け加えておこう。NHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公で会津藩の新島八重(=山本八重)もまたその一人である。いずれもカトリックではなくプロテスタント諸派である。

キリスト教徒ではないわたしにとっては、第3章の「どんな相手でも倒す剣術を求めて」がなんといっても面白く読めた。

小野派一刀流の極意「切落」(きりおとし)の説明からはじまり、170あるという型の稽古によって、無理と無駄のないシンプルな剣さばきを身につけることは、剣術にかぎらず武道武術のすべてにあてはまることであるし、さらには日本の芸事すべてに共通することである。わたしはこの章を読んでいて、古武術えおベースにあらたな身体運動を広めている甲野善紀(こうの・よしのり)氏の話を思い出した。

武士の「切腹」とキリスト教徒の「殉教」に共通性を見出す第6章にはなるほどと感心させられた。著者はプロテスタントのメソジスト派の牧師であるが、カトリックにも目配りした説明は説得力があるだろう。

たしかに著者のいうように、武士道には死生観はあっても、あくまでも深い精神性そのものは存在しない。だからこそ、宮本武蔵の「剣禅一如」などの表現にもあるように禅仏教を心のよりどころとすることもあり、合気道もそうであるが、神道を精神的支柱にするケースもある。その意味では、著者のようにキリスト教をバックボーンとする剣術があってもけっしておかしくはないわけだ。

現代の日本人は、教会式結婚式などのように、「キリスト教っぽい」ものは好きだが、キリスト教やその精神そのものはかならずしも好きではないようだ。もちろん、近代化を受け入れた時点で、すでに見えない形でキリスト教化が進んでいるとはいえ。

著者にとっては残念だろうが、日本ではキリスト教人口が今後も増えるとは考えにくい。しかも、日本のキリスト教のなかには、すでに土着化して変容してしまっているものさえある。

わたし自身、キリスト教徒になるつもりは今後もまったくないが、武士道とキリスト教に共通するものがあるということを知ることは重要ではないかと思うのである。ともに「道を極める」ということに深い共通性があるからだ。

武士道とキリスト教、そのどちらか一方か、あるいはその両方ともに関心のある人はぜひ読むことをすすめたい。





目 次

はじめに
一 「武」とは戦いを止めること
二 勇気と自己犠牲の先にあるもの
三 どんな相手も倒す剣術を求めて
四 武士道とキリスト教が同居した心
五 格好だけ良いのは本物でない
六 キリスト教は「切腹」を認めるか、武士道に「愛」はあるか
七 武士道が教えない「私」に向き合う
おわりに

著者プロフィール

笹森建美(ささもり・たけみ)
1933(昭和8)年青森県生まれ。牧師。小野派一刀流第17代宗家。大長刀直元流、居合神無想林崎流宗家も受け継ぎ、日本古武道協会常任理事を務める。早稲田大学哲学科、米国デューク大学大学院神学部卒業。拠点は駒場エデン教会。著書に『神への道・神からの道』などがある(出版社サイトより)。


<関連サイト>

REPRESENTATIVE MEN OF JAPAN by Kanzo Uchimura (内村鑑三の『代表的日本人』原文)






<ブログ内関連記事>

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに
・・「日本的キリスト教」の道は土着化の道であり、すでにキリスト教ではなくなっているものも少なくない

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!
・・「肥田式強健術」を全面的に取り入れたのが、この郡是製絲株式会社(=グンゼ)で、そのミッシングリンクが郡是製絲株式会社に教育部長として招かれた川合信水牧師だったのでした。川合信水の実弟が肥田春充(ひだ・はるみち)。人脈をたぐりよせると、見えない「つながり」が見えてくるという面白い話でもあります。

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

書評 『大使が書いた 日本人とユダヤ人』(エリ・コーヘン、青木偉作訳、中経出版、2006)
・・「イスラエルは人口比でみたら、日本以上に各種の日本武道が普及している国であるという。この意味においては、正確には日本人と”ユダヤ系イスラエル人”に共通するものが多い、というべきかもしれない」。バックボーンはユダヤ教であっても構わないわけだ。

合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋
・・合気道の開祖・植芝盛平は古神道系の大本教の出口王仁三郎師のもとで精神修業した

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである・・カトリックの『キリストにならいて』や『霊操』に日本の「型」と同じ思考パタンをみる

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲)
・・陽明学の西郷隆盛




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