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2013年1月16日水曜日

書評 『狂言サイボーグ』(野村萬斎、文春文庫、2013 単行本初版 2001)-「型」が人をつくる。「型」こそ日本人にとっての「教養」だ!




狂言師の野村萬斎の著書 『狂言サイボーグ』 が文庫化されたのであらためて読んでみたが、この本は薄いが、ほんとうに内容の濃い一冊だ。

冒頭からいきなり一発かましてくれる。

私にとっての教養とは、「生きていくために身につけるべき機能」のことである。知識として暗記したものは教養ではない。狂言であれば、狂言師が舞台をつとめるための教養は「型」である。その「型」を個性・経験でアレンジしながら使っていくことで表現になる。これが狂言の一つの道筋である」(「序にかえて」 より 太字ゴチックは引用者=わたし)

じつに含蓄のある表現ではないか! しかも、この文章が執筆されたのは、いまから12年前、野村萬斎が34歳のときのものである。

日本人を日本人たらしめてきた「型」のもつ意味について考えるため、ほんとうの「教養」とはなにかを考えるため、この小さな本こそためになるものはないのではないかと思う。

まずはカラダから入ること。形から入ることが重要なのだ。

「型」を完全に身につけることによって、人は「自由」になる。ここは勘違いしないことが重要だ。基礎のできていない人間の個性などまったく意味はない。

そしてその中心は、臍下丹田(=へそ下三寸)を鍛えることに尽きる。これは武道も芸事もみな共通している。

つまらない自己啓発書を読むヒマがあったら、この本こそ読むべきだ。





目 次

狂言とコンピュータ-序にかえて-
1 狂言と「身」 「体」
 武司でござるクロニクル 1987 ‐ 1994
2 狂言と「感」 「覚」
 萬斎でござるクロニクル 1995 ‐ 2000
3 狂言と「性」 「質」
僕は狂言サイボーグ-あとがきにかえて-
文庫版あとがき
解説 日本の行く先を指し示す身体(斎藤孝)


著者プロフィール

野村萬斎(のむら・まんさい)
1966年東京生まれ。狂言師。祖父、故六世野村万蔵および父、野村万作に師事。重要無形文化財総合指定者。「狂言ござる乃座」主宰。東京藝術大学音楽学部卒業。三歳で初舞台後、国内外で多数の狂言・能公演に参加、普及に貢献する一方、現代劇や映画・テレビドラマの主演、舞台『敦―山月記・名人伝―』『国盗人』など古典の技法を駆使した作品の演出、NHK『にほんごであそぼ』に出演するなど幅広く活躍。1994年に文化庁芸術家在外研修制度により渡英。1999年文化庁芸術祭演劇部門新人賞、2005年紀伊國屋演劇賞など受賞多数。2002年より世田谷パブリックシアター芸術監督を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<付記-「教養」について>

著者の野村萬斎氏の「教養」のとらえ方は、歴史学者・阿部謹也の『教養とは何か』(講談社現代新書、1997)における「教養」の定義とまさに重なるものを感じる。

阿部謹也先生は、農民や漁民がカラダで身に付けた「知恵」に近いものとして「教養」をとらえているような印象を受けるが、わたしも、その意味においてなら「教養」というコトバをつかいたいと思う。

単なるひけらかしのための知識は、教養ではない。その人が生きる道において、血肉となっているものをこそ「教養」というのだ。

そのような明確な「型」をもたないのが、現代のサラリーマンの悲劇である。このようなことを阿部謹也先生は書いておられる。この意味をじっくりと考えてみたいものである。







<ブログ内関連記事>

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである・・東洋だけではなく、西洋でもじつはすべてが模倣から始まるのである

『武道修行の道-武道教育と上達・指導の理論-』(南郷継正、三一新書、1980)-自分にとって重要な本というのは、必ずしもベストセラーである必要はない

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!

第12回 東京大薪能(たきぎ・のう)を見てきた(2009年8月13日)

お神楽(かぐら)を見に行ってきた(船橋市 高根神明社)(2009年10月15日)

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)


書評 『模倣の経営学-偉大なる会社はマネから生まれる-』(井上達彦、日経BP社、2012)-「学ぶとは真似ぶなり」とは、個人でも会社でも同じこと

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について

(2014年8月26日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)





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