「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2010~2017 禁無断転載!



2013年12月31日火曜日

マンガ 『きのう何食べた?⑧』(よしなが ふみ、講談社、2013)-一年に一回の楽しみはまだまだ続く!?



一年に一度の楽しみが『きのう何食べた?』の単行本発売。今回はなかなか発売が遅れていたような・・・

カバーの色が⑦から変わったことに気がつきました? ⑧はグリーンですね。①から並べてみるとよくわかります。

最新刊の⑧で取り上げられているのは、以下のような料理。


とうふとなめこのみそ汁
ほうれん草の梅びたし
カキフライ
かみなりこんにゃく
おでん
春菊のおひたし
などなど・・・・
(⑦の巻末にある⑧の予告)

いまの季節はなんといってもカキフライが旬ですね! 熱々のカキフライからジューシーなうまみ汁がでてくるのを食べるのは、ほんと冬の醍醐味ですね。

そしておでん。おでんを下ごしらえからつくるなんてことは考えたこともなかったので、そこまでやるのか(!)という驚きも。いまはおでんといえばコンビニで買うものですし、あるいは調理済みのレトルトを温めるだけということが多いのではないでしょうか。子どもの頃は、お小遣いの50円玉一つで屋台で買うのが楽しみでしたが・・・

「シロさ~ん、今日のごはん何?」
「悪いけど 今日は俺の好きな物 オンパレードだぜ!
ホタイルイカのぬたに 菜の花のおひたし それにしらすと三つ葉の卵とじだ!」
「シロさ~ん、どーしてシロさん そーいう おじさん通り越して おじーちゃみたいな献立作るの!?」 
「何だよ でも全部 お前も好きだろ!?」
「でも油全然 使ってないじゃん!!」

このくだり(P.131~132)を読んでいて思わず笑ってしまいました。このメニュー、わたしも好きなので。



カバーの色が⑦から変わったので、もしかしたら大きな変化が現れるのかな?と思ってましたが、行きつ戻りつ、「京都旅行」など劇的な変化か?と思えば、また日常に戻る。そんな繰り返しの日々がつづきます。

そうですね、主人公たちは設定されてますが、ほんとうのテーマは料理をつくって食べること

料理をつくって食べるのが「主食」であり「おかず」というストーリーマンガなのでありますね。

次巻の⑨が楽しみです。また来年のお楽しみ!






著者プロフィール
よしなが ふみ 東京都生まれ。代表作の『西洋骨董洋菓子店』は2002年、第26回(平成14年度)講談社漫画賞少女部門受賞。現在、白泉社「月刊メロディ」で『大奥』を連載中。2006年、第5回(2005年度)センス・オブ・ジェンダー賞特別賞、第10回(平成18年度)文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。 ほかの作品に、『フラワー・オブ・ライフ』『愛がなくても喰ってゆけます』『愛すべき娘たち』『こどもの体温』などがある。





<関連サイト>

きのう何食べた?"なにたべ"公式ブログ

きのう何食べた? / よしながふみ - モーニング公式サイト


<ブログ内関連記事>

『きのう何食べた?⑦』(よしなが ふみ、講談社、2012)-主人公以外がつくる料理が増えてきてちょっと違った展開になってきた





(2012年7月3日発売の拙著です)







Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。



end

2013年12月30日月曜日

書評 『明治の政治家と信仰-クリスチャン民権家の肖像-(歴史文化ライブラリー)』(小川原正直、吉川弘文館、2013)-明治期キリスト教と政治思想のかかわり


この本を手にとって読むまで、「クリスチャン民権家」という存在そのものを知らなかった。自由民権派でキリスト教徒になった者がいたことは知っていても、それが組み合わさって一つのカテゴリーとして成り立つとは考えていなかったからだ。。

本書にとりあげられた「クリスチャン民権家」は、片岡健吉、本多庸一、加藤勝弥、村松愛蔵、島田三郎の 5人だが、わたしは誰一人として知らなかった。著者はこのうちの数名については「有名だ」としているが、その分野の研究者の世界では有名だとしても、わたしも含めて一般読者はまず初見なのではないか?

ただし、この5人を語るにあたって登場する明治時代のキリスト教世界の新島襄、内村鑑三は当然として、そのほか植村正久、押川方義、山室軍平といった肖像写真とともに登場する人物たちのことは、教科書などをつうじて、すこしは耳にしたことがあるかもしれない。

著者の問題意識は、「政治を信仰が支えるのか、あるいは両者は相克するのか。政治家にとって信仰とは何か。内政・外交の現実に対してどう行動したのか」ということにある。著者の専門分野である政治思想と宗教思想が交差するテーマである。

そのケーススタディーとして取り上げられたのが、明治時代の「民権」政治家たちとキリスト教との関係。いずれもキリスト教と出会い、「改心」によって洗礼を受けた初代のキリスト教徒である。キリスト教は現在でも全人口の1%程度であるが、キリスト教が「解禁」された明治時代前半期であってもマイノリティであったことには変わりない。「世間」からの冷たい目が存在したのだ。

「クリスチャン民権家」たちは、みずからの意思で日本の伝来宗教ではなくキリスト教を選択し、キリスト教の信仰にきわめて自覚的に生きた人たちである。キリスト教国に生まれたキリスト教徒ではないことに注意しておきたい。

しかもいずれも士族を中心(・・一人は豪農出身)とした知的エリートであり、政治的「啓蒙」とキリスト教「伝道」の任にあたる立場の人たちであった。そして議会開設により、「選挙」によって選ばれた文字通りの chosen people である。

「政治家と信仰」というテーマは、こういった限定つきで論じる必要があろう。たとえキリスト教徒であろうと二代目、三代目となって「家の宗教」となっていくと、はたしてどこまで「個人の信仰」としての意味合いがあるのか、よく考えてみる必要はある。

本書で取り上げられた人物のなかで、もっとも興味深く感じられたのは村松愛蔵である。この人のこともいままでまったく知らなかった。

「「挙兵」から救世軍へ-村松愛蔵」と名付けられた章の主人公だが、まさに外面的には「戦闘的人生」。しかし前半生と後半生の転換が、疑獄事件で獄中にあったときの劇的な霊的覚醒と改心であったことであったことだ。それが興味深い。まさに「生まれ変わり」(born again)体験である。思想家ではなく実践家の人生だからこそ興味深い。

明治時代に「クリスチャン民権家」が生まれた背景は以下のようなものだ。

近代化が西欧化として開始された日本においては、軍事テクノロジーから政治制度まで西欧モデルを全面的に導入したが、それらの根底にあって精神的に支えているのがキリスト教であることは知的エリートであれば容易に理解できたことであった。キーワードでいえば、西洋、士族エリート、英学、外国人宣教師が教師、聖書、自由・平等・博愛などである。

「クリスチャン民権家」たちは、自由民権に立場からする政治的目標と、キリスト教徒としての信仰的目標をときには両輪で、ときにはどちらか一方を優先しながら人生を切り開いていった。自由民権運動は議会開設によって政治家としての活動となり、キリスト教徒であるがゆえに貧民救済や廃娼運動などの社会問題解決にも向いてゆく。

儒教や武士道によって培われた伝統的倫理を土台にして、そのうえに置かれて補完的意味をもったのがキリスト教の信仰。維新の負け組となった士族たちが自由民権運動に身を投じ、そのなかのある者はキリスト教徒にもなったのである。

さきにも書いたが、初代のキリスト教徒の「個人の信仰」と「家の宗教」となったキリスト教徒とは、当然のことながら、政治意識と宗教意識の関係もことなるはずだ。キリスト教が土着化していく過程のなかで「個人の信仰」は「家の宗教」へと変容し、一方ではキリスト教から社会主義の方向に向かっていく政治家や思想家もでてくる。

時代が大きく異なるので本書では言及されていないが、初代の「クリスチャン政治家」であった大平正芳元首相はプロテスタント系であり、すでに「家の宗教」となっていたカトリックの政治家である麻生太郎元首相とでは、政治意識と宗教意識の関係も大きくことなるのは当然だろう。

すでに「近代化」をほぼ実現してしまった日本では、政治意識と宗教意識の関係は、むしろキリスト教以外の新興宗教をテーマに考察すべきテーマであるかもしれない。明治時代の前半に
おいては、キリスト教は日本人にとって「新興宗教」であったという視点を忘れてはいけない。

新興宗教においても、初代の信者と「家の宗教」になってしまって以降の二代目、三代目では意識のうえで大きな違いがある。

宗教にかぎらずムーブメントというものがもつ性質が、個人意識にはおおきく反映するのである。しかもそのムーブメントがマイノリティな存在であればなおさらだ。





目 次

政治家と信仰-プロローグ
「立志社」から衆議院議長・同志社社長へ-片岡健吉
「賊軍」から青山学院長へ-本多庸一
「豪農」から草の根民権家へ-加藤勝弥
「挙兵」から救世軍へ-村松愛蔵
「言論人」から社会運動家へ-島田三郎
クリスチャン民権家の群像-エピローグ
あとがき
参考文献


著者プロフィール  

小川原正道(おがわら・まさみち)
1976年、長野県に生まれる。2003年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了、博士(法学)。現在、慶應義塾大学法学部准教授。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの


<ブログ内関連記事>

士族エリートとキリスト教-幕臣と東北諸藩

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点だけでなく、「女子留学生」とはアメリカで直接の知り合いであった新島襄

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある
・・「「賊軍」から青山学院長へ-本多庸一」とも関係のある旧津軽藩士とキリスト教

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう ・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となった

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点でつらなる人脈のひとつの中心は新渡戸稲造は盛岡藩士の息子


日本の「近代化」とキリスト教

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・「英語・アメリカ・キリスト教」の三位一体

書評 『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』(太田愛人、中公文庫、1992)-静岡を基点に山梨など本州内陸部にキリスト教を伝道した知られざる旧幕臣たち

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・「欧化主義」を推進した知的エリートたちと一般庶民にとっての「近代」は意味合いがおおきく異なっている

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと
・・自由民権運動


実業家とキリスト教

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・同志社の伝道によってキリスト教徒となった京都府綾部の人

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・キリスト教伝道のため来日し日本に帰化したヴォーリズ

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である

(2014年7月18日 情報追加)






(2012年7月3日発売の拙著です)





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。



end

『日本の近代社会とキリスト教(日本人の行動と思想 8)』(森岡清美、評論社、1970)は、 ぜひ復刊を望みたい基本書


『日本の近代社会とキリスト教(日本人の行動と思想 8)』(森岡清美、評論社、1970)は、ずいぶんむかしのことだが、1980年代の終わりあたりに当時は日本最大の大型書店であった八重洲ブックセンター(本店)で見つけて購入した本だ。

こういう内容のある本が、重版がかからないまま入手不能になっているのはじつに惜しい。

著者は35年後に『明治キリスト教会形成の社会史』(森岡清美、東京大学出版会、2005)という形で類似するテーマの単行本を出している。専門研究書であり、わたしは未見であるが、「目次」をチェックすると重なっている部分もあるようだ。だが、別個の著作と考えたほうがよさそうだ。

『日本の近代社会とキリスト教』は講談社学術文庫かちくま学芸文庫、あるいは岩波現代文庫あたりがぜひ文庫本として復刊していただきたいと思う。あらたに参入した文春学藝ライブラリー(文庫)でもいいかもしれない。


プロテスタントとの出会いと受容のプロセス

明治時代日本の近代社会とキリスト教の関係については、『日本の近代社会とキリスト教』の目次をみれば、おおよそのところを知ることができるだろう。

明治以降のキリスト教は、アメリカ発のプロテスタントが中心となって推進された。

受け入れたのは「維新の負け組」となった幕臣や東北諸藩の旧武士層が中心である。儒教でトレーニングされてきた知的エリートたちが、マイナスからの人生構築のために受け入れ、かれらが中心になって日本人に伝道を行っていった歴史である。

新島襄や内村鑑三などキリスト教世界の著名人については教科書的な知識はすぐに得られるが、じっさいに、いかにしてキリスト教がひろまり、あるいは広まらなかったかは、社会学的なものものの見方が必要だ。

この本はプロテスタントのキリスト教を受け入れた側、反発した側の双方を押さえて立体的に歴史を再構成していることに意義がある。

以下、小項目をふくめて目次をすべて掲載しておこう。参考にしていただきたい。


目 次

Ⅰ. キリスト教の出現

 1. 宣教師の活動
  艦上での聖日礼拝/ハリスの日本滞在記
  日米修好通商条約第8条/宣教師の渡来
  キリスト教の日本語化/教育
  医療奉仕/宣教師を取り巻く危険
 2. キリスト教への接近
  宣教師をめぐる人々/最初の受洗者
  新しい進行を求めた層/初週祈禱会の初め
  基督公会設立さる/諜者の潜入
 3. 入信の契機とキリスト教理解
  キリストの品性と生活/宣教師の人柄
  熱誠あふれる祈禱/神との倫理的関係
  平民の入信/キリスト教の理解
  生命がけの信仰/公会規則外の三カ条
 4. 信徒に対する迫害
  迫害を避けず/衆人環視のなかの浸礼
  政府による弾圧/藩の重立ちによる糺問(きゅうもん)
  信仰ゆえの離縁/熊本バンドが受けた迫害
  死をもって棄教を迫る/座敷牢に禁固さる
  離婚か棄教か/迫害の論理

Ⅱ. キリスト教会の形成と展開

 1. 日本基督公会
  公会成立の必然性/「長老の官」
  公会の内規定/公会主義
  超教派の立場/公会の信仰
  公会の施設と財政/公会会員の出金
  東京公会の分立/各地公会の成立
  長老派と組合派の分離/公会主義の挫折

 2. 安中組合教会 (・・組合派、群馬県)
  安中教会への関心/新島襄の伝道
  安中教会の成立/安中の伝道圏
  リバイバル/信徒の分布
  四季と教会活動/キリスト教と「家」
  信徒の社会層/伝道圏の変化
  神棚と仏壇/氏神の祭祀
  僧侶の対応/キリスト教側の応戦
  倫理性の強調/高い教育を
  その後の安中教会
 3. 島村美以教会 (・・米国メソジスト監督教会系、群馬県東南端の利根川沿い)
  島村教会への関心/島村の産業
  島村養蚕業の発達/発達を支えたもの
  蚕種輸出の盛衰/蚕種業の収益性
  島村の文化的クライメート/キリスト教のおとずれ
  島村教会の成立/キリスト教の理解
  寺院と神社からの反撃/ヤソ退治
  共同体規制/教会の成長
  信徒の社会層/矯風運動
  神棚と仏壇/先祖祭祀  
  年中行事/その後の島村教会

 4. 日下部メソジスト教会 (・・カナダ・メソジスト教会系、勝沼方面)
  日下部教会への関心/教線勝沼方面に伸びる
  指導的信徒像/日下部教会の成立
  教勢伸張の背景/東方区の分割
  小野と自給独立/自給問題の背景
  自給への歩み/信徒の苦心
  自給の達成/自給達成への契機
  勝沼教会との比較/教勢の発展
  組合を足場として/禁酒運動との結合
  禁酒運動と地域社会/西保村の禁酒運動
  各地の禁酒運動

(明治期プロテスタント教会の教勢 P.176~177)

 5. 教会発展の諸条件
  教会の増加/信徒の増加
  受洗者数の推移/教会発展の諸条件
  大リバイバル/大リバイバルの源
  リバイバルの非日常性/リバイバルの功罪
  自由キリスト教の伝来/新神学の影響
  二十世紀大挙伝道/福音主義論争
  信徒層の変化/新しい信徒層

Ⅲ. キリスト教への迫害と批判

 1. 寺院とキリスト教
  北陸での迫害/敵意をもつ真宗
  『耶蘇教之無道理』/村はちぶ
  葬儀と埋葬の妨害/葬儀の自由を求めて
  墓地問題/二重帰属
  寺院側の対応/仏事禁酒

 2. 神社とキリスト教
  『浸透排斥』/偶像を拝すべからず
  神官僧侶の妨害/祭礼時の嫌がらせ
  「耶蘇退治馬鹿のしんにゅう」/背後にある国家権力
  迫害の担い手/氏子区域と氏子の義務
  児童の神社参拝/神社本来の性質/明治神宮創建是非

 3. 学校とキリスト教
  信徒の小学校教員/教師の子ども
  内村の「不敬事件」/事件あいつぐ
  教育と宗教の衝突/信徒の抵抗
  「訓令第12号」/苦境を脱す
  学校教育とキリスト教

 4. 国家とキリスト教
  宗教政策の変遷/官憲による規制
  本音の底にあるもの/『耶蘇教国害論』
  『耶蘇教亡国論』/天皇制との矛盾
  信徒の反論/『我国体と基督教』
  
Ⅳ. 近代日本におけるキリスト教

 1. 生活暦への影響
  キリスト教の影響/改暦
  安息日を守る/外人との関係
  日曜休日制の実施/その意義
  クリスマス 

 2. 婦人の地位への影響
  女子教育/西洋の技芸
  教会での婦人の地位/婦人会吏の出現
  家庭での婦人の地位/一夫一婦の倫理
  炭谷小梅/愛情にもとづく結婚
  社会での婦人の地位/廃娼運動

 3. キリスト教の土着化
  土着化の準備/土着化の試み
  さまざまな形態/現役か土着化か
  孤立か土着化か/土着化を阻むもの

略年譜
さくいん
図表・写真目次






著者プロフィール

森岡清美(もりおか・きよみ)
1923(大正12)年、三重県生まれ。東京文理科大学哲学科倫理学専攻卒業。東京文理科大学助手に就任以降、同専任講師、東京教育大学助教授、同教授、同文学部長、成城大学文芸学部教授、同文芸学部長、民俗学研究所長、淑徳大学社会学部教授、同大学院特任教授などを歴任し、学会では、日本社会学会会長、日本家族社会学会会長、日本学術会議会員(二期)などを歴任。現在は、東京教育大学名誉教授、成城大学名誉教授、大乗淑徳学園学術顧問、中央学術研究所講師。文学博士。専門分野は、歴史社会学、家族社会学、宗教社会学。著書に、、『明治キリスト教会形成の社会史』(東京大学出版会、2005)、『真宗教団と家の構造』(御茶の水書房、2006)『家族社会学』(有斐閣、編著)、『新社会学辞典』(有斐閣、編著)など多数(2012年刊行の最新著書の著者紹介から引用)。




『明治キリスト教会形成の社会史』(東京大学出版会、2005) 主要目次

第1部 明治前期の士族とキリスト教 
 序章 課題と理論モデル 
 第1章 青年士族のキリスト教入信 
 第2章 キリスト教界指導者たちの家族形成 
第2部  明治期地域社会のキリスト教 
 序章 課題・概念・方法 
 第1章 安中キリスト教会の形成と展開 
 第2章 島村キリスト教会の形成と展開 
 第3章 日下部キリスト教会の形成と展開 
 終章 地域社会におけるキリスト教の受容と定着 
第3部 明治期キリスト教の教派形成 
 序章 課題・概念・視角 
 第1章 日本基督一致教会-長老制教派の形成 
 第2章 日本組合教会-会衆制教派の形成 
 第3章 日本美以教会-監督制教派の形成 
 終章 キリスト教の制度的定着


<内容紹介>
維新の敗戦による喪失感に苦悩しながらも,新たな理想を希求してキリスト教に入信した青年士族たちがいた。試練や迫害に耐えて伝道に励み、明治半ばにはプロテスタント三大教派の礎を築き上げた。――明治近代化の壮大なドラマを個別信徒・教会・教派の三層構造にわたって描き切る。




補論 「日本の近代社会とキリスト教という問題設定」は

明治時代前期は、近代化が西洋化(=欧化)として始まった時代だ。

だが、明治時代のキリスト教を考える際は、日本全体の宗教状況がどうなっていたかを押さえておく必要がある。時代が激変するとき、宗教状況もおおきく変動するのである。

思想史の安丸良夫氏に『神々の明治維新』(岩波新書、1979)という名著があるが、幕末から明治維新にかけての時期は政治の世界だけでなく、宗教の世界でも「維新」が炸裂したのであった。

幕末から明治維新にかけては、「尊王攘夷」運動から「攘夷」が消え、「尊王」がメインストリームになった時代だ。「尊王」の「王」とは天皇のことである。

「尊王家」の先駆者は、いまではまったく顧みられることのない江戸時代中期の高山彦九郎などだが、儒教研究の古学(=古代研究)の触発を受けてはじまった国学が平田篤胤の平田国学に至って、豪農層を中心にした草の根の民衆運動のうねりを生み出す。一方、水戸藩で発展した儒教から生まれた水戸学の「尊王」思想が志士たちを支えるエネルギーとなる。

「浄化」という側面が前面に打ち出された、いわゆる「下からの近代化」である。

きわめて奇妙なかたちで融合した「尊王」思想は、明治維新体制を「祭政一致」という「神権政治」(=テオクラシー)実現の方向へと向かわせる狂的な熱情となる。島崎藤村の『夜明け前』の世界である。

このような状況のなか、「神仏分離令」(1868年)が発令され、「廃仏毀釈」の嵐が吹き荒れる。日本を日本たらしめていた「神仏習合」が暴力的に否定し断罪され、仏教寺院が徹底的に破壊された地域もある。全国レベルで仏教寺院から神社が切り離される。「神権政治」の主張者たちが、外来宗教であるとして仏教に否定的だったからである。

それは仏教を事実上の「国教」として民衆統治の核に据えていた江戸幕藩体制の全面否定という意味もあった。あくまでも比喩的な意味だが、1979年のイラン・イスラーム革命をほうふつとさせるものがあったのだ。あるいは、現代中国の「文化大革命」のような時代であったといえよう。

仏教が外来宗教であるとして排斥されただけでなく、明治維新によってキリシタンは「解禁」されたわけではなく、かえって激しく弾圧された。

キリスト教信仰が公式に認可されたのは、条約改正のために奔走していた政府が、欧米諸国による非難からしぶしぶ認めたものである。その後も、キリスト教が黙許されながらも取り締まりの対象とされていたのである。

西欧化という形で近代化を推進した明治政府の指導者たちは、西洋文明の核にキリスト教があることを重々承知していながら、キリスト教を導入するわけにいかなかった。そのため、苦肉の策としてつくりあげたのが「国家神道」であった。国家神道は宗教ではないというフィクションによって。

「国家神道」は、ある意味ではキリスト教の代替物であったことは押さえておく必要がある。従来の神概念とは合致しない近代の産物だったのである。だからこそ、それに違和感を感じる一般民衆のあいだから、天理教や大本教など、「反近代」としての教派神道がつぐつぎと発生してきたわけなのだ。

キリスト教がもつ政治的な役割は国家神道によって代替し、キリスト教はあくまでも個人の信仰という側面で意味をもつことになる。そのため、キリスト教と国家との緊張関係がその後もながく続くことになった。ただし体制内エリートと体制外ではキリスト教の意味合いは異なる。

「廃仏毀釈」で壊滅的な打撃をこうむった仏教、長年の禁圧がようやく解けて「解禁」されたキリスト教、この二つの「外来宗教」はその後お互いを意識しながら競合関係に入っていく。近代仏教が、じつはキリスト教の影響を受けていることも押さえておきたいところだ。

キリスト教人口は1%を越えることなく推移しているが、キリスト教の影響は日本のすみずみにまでゆきわたり、「キリスト教的なるもの」にどっぷりつかっているのがいまの日本人である。しかし、最初からそうだったわけではないのである。





<ブログ内関連記事>

「神々の明治維新」

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・明治維新以前の神仏習合について安丸良夫の『神々の明治維新』を踏まえて書いた。以下、該当箇所を再録しておく。

 民衆思想史の安丸良夫はが著書のタイトルに『神々の明治維新-神仏分離と廃仏毀釈-』(岩波新書、1979)と使っているように、明治維新は政治経済上の革命であったとともに、宗教革命としての様相を色濃く帯びていた。
 幕末にイデオロギーとして急成長した国学と水戸学、この本来なら相容れるはずのない両者が融合し、「神権国家」構想を現実すべく、新政府への働きかけに成功するや、近代国家のイデオロギーを求めていた新政府との野合が生じたのである。それは短い期間であったが、この間に行われた「文化破壊」が取り返しのつかないものであったことは繰り返し、繰り返し指摘しておきたい。
 「神仏分離」は一言で言ってしまえば、近代には発生しがちな、純化(purification)と合理化(rationalization)の実にストレートな表現である。すなわち、神仏習合状態から、仏を分離して廃棄せよ、という主張に他ならない。
 新政府の方針は、中国や朝鮮とは違う、民族国家として日本を確立するという命題、近代化=合理化であったが、その際に手を組んだ平田派国学が、いきすぎた「祭政一致」の方向に一気に突っ走ろうとした。彼らの脳裏には、ある意味ではイラン・イスラーム革命のような、「神権政治」(テオクラシー)確立を目指していたといってもいいのかもしれない。

書評 『仏教徒 坂本龍馬』(長松清潤、講談社、2012)-その死によって実現することなく消え去った坂本龍馬の国家構想を仏教を切り口に考える
・・明治時代における「仏教復興」

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)
・・江戸時代に民衆統治の手段として幕藩体制下において公認されていた仏教。以下、該当箇所を再録しておく。
しかし真相は、江戸時代には「仏教はほぼ国教」の位置づけがされていたのである。明治新政府は革命政権としてのイデオロギー明確化の必要からも、徹底的に江戸時代を否定し、近代国家化と神道国教化という奇妙なアマルガムとしての政策を突き進み、大東亜戦争で大きく破綻することになる。
 こういう理解を欠いていると、なぜ明治維新において「神仏分離と廃仏毀釈」という、実質的には激しい仏教弾圧が発生したのか理解できないのである。これについては、修験道について体験記を書いた際に、庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ と題して、全面的に取り上げているので参照していただけると幸いである。
 近世初期に仏教が葬祭儀礼(葬式)をがっちりと握って以来、いまに至るまで、儒教も神道も葬式で主導権を握ることはできないままである。江戸時代においても徳川幕府が葬式は仏教式以外は認めなかったので、本居宣長などの国学者も菩提寺に葬られている。したがって、神道式の葬儀も明治以前は公式には存在しなかったわけだ。
 また、儒者たちも墓は儒教式の置き石にしているが(・・実見はしていないが、東京に大塚先儒墓所がある)、葬儀そのものを朝鮮のような儒教式に行えなかった。この事実から、儒教はあくまでも統治のための学問的基礎を与えただけであって、民衆レベルまで浸透していなかったことが明白である。浸透したのは、世俗倫理という形だけであって、儒教にとって肝心要の魂の問題には踏み込めなかったわけだ。
 「葬式仏教」と揶揄(やゆ)され、ときに非難されているが、知識人の世界とは違って、民衆宗教のレベルでは、依然として冥界についてどう捉えるかという課題は避けて通ることはできないのである。だから「葬式仏教」は根強く生き残っていく。仏教のワクがはずれれば、スピリチュアルに流れるだけの話だ。
 儒教の本質と、日本における儒教の意味については、書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007) に、<書評への付記>として「先祖供養」とはいったい何か?として書いておいた。
 また、書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) にも、日本が儒教国ではないことを朝鮮との対比で書いておいた。
 もうそろそろ、明治維新史観神話の呪縛という洗脳から、われわれは解放される必要があるのではないか? こういったやや巨視的な歴史理解をもとに、これからの日本再生も考えていかねばならないだろう。」

「日本の近代社会とキリスト教」

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点だけでなく、「女子留学生」とはアメリカで直接の知り合いであった新島襄

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・「英語・アメリカ・キリスト教」の三位一体

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある
・・「「賊軍」から青山学院長へ-本多庸一」とも関係のある旧津軽藩士とキリスト教

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう ・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となった

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点でつらなる人脈のひとつの中心は新渡戸稲造は盛岡藩士の息子

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・「江戸時代後期の国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)は、禁書であった漢訳聖書と漢訳キリスト教文献をひそかに入手し、影響を受けているらしい」

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・抜書きしておいた「日本におけるキリスト教の不振」にはぜひ目を通していただきたい。文化人類学者・泉靖一氏の見解に説得力がある

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに


書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・「欧化主義」を推進した知的エリートたちと一般庶民にとっての「近代」は意味合いがおおきく異なっている


日本では「習俗化」したキリスト教

書評 『日本人とキリスト教』(井上章一、角川ソフィア文庫、2013 初版 2001)-「トンデモ」系の「偽史」をとおしてみる日本人のキリスト教観

書評 『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)-日本的宗教観念と商業主義が生み出した建築物に映し出された戦後大衆社会のファンタジー
・・キリスト教的なるものという西洋への憧れは依然として日本女性のなかにポジティブなイメージとして健在

書評 『ミッション・スクール-あこがれの園-』(佐藤八寿子、中公新書、2006)-キリスト教的なるものに憧れる日本人の心性とミッションスクールのイメージ

書評 『普通の家族がいちばん怖い-崩壊するお正月、暴走するクリスマス-』(岩村暢子、新潮文庫、2010 単行本初版 2007)-これが国際競争力を失い大きく劣化しつつある日本人がつくられている舞台裏だ
(2014年7月18日、8月22日 情報追加)






(2012年7月3日発売の拙著です)






Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!



end

書評 『西洋が見えてきた頃(亀井俊介の仕事 3)』(亀井俊介、南雲堂、1988)-幕末の「西洋との出会い」をアメリカからはじめた日本


アメリカ研究者として有名な亀井俊介氏の仕事に幕末から眼時時代にかけての日本人と英語のかかわりを研究した一連の仕事がある。

アメリカ文化研究にかんしては、高校時代、当時は文春文庫からでていた『サーカスがきた』(・・現在は平凡社ライブラリーから2013年に復刊)という名著を読んで、おおいに目を開かれた思いをしたものだ。

その後じっさいにアメリカで暮らしてみてわかったが、『サーカスがきた』に書かれていることは、もちろん変化していることが多いが、一方では変化していないこともあるとことがわかった。本質的なものが捉えられているということだろう。遠くない将来、この本のことも紹介してみたいと考えている。

本書もその一冊である「亀井俊介の仕事」は、以下のラインアップになっている。

『荒野のアメリカ (亀井俊介の仕事 1)』(1987年)
『わが古典アメリカ文学(亀井俊介の仕事 2)』(1988年)
『西洋が見えてきた頃(亀井俊介の仕事 3)』(1988年
『マーク・トウェインの世界(亀井俊介の仕事 4)』(1995年)
『本めくり東西遊記(亀井俊介の仕事 5)』(1990年)

わたしは、一般常識程度の知識以外はとりたててアメリカ文学には関心はないので、買って読んだのはこの『西洋が見えてきた頃(亀井俊介の仕事 3)』(1988年)だけである。

高校時代から大学時代にかけて、さらには社会人になってからも、アメリカを知るためにさまざまな本を読んだが、いわゆる「英語名人世代」の新渡戸稲造・内村鑑三・岡倉天心にはおおいに関心をもちつづけてきた。

じっさいにアメリカに行く前に、時代を異にするさまざまな日本人が書いたアメリカ滞在記などを読み漁っていたのも、みずからの内なる問題意識からでてきたものだ。

1980年代後半はバブル時代だと片づけられてしまう傾向があるが、その一方では強大化する日本に対するアメリカからの「日本異質論」という猛反発がものすごい時代であり、開戦前夜のような空気すらあった。 その当時もまた日本人はナショナリズムをつよく刺激されていたのである。

現在はナショナリズムが向かう方向が中国に向かっているが、本質的にはアメリカに対しての愛憎関係が中核にあるといっていいだろう。日中関係はじつは日米関係であり米中関係である。アメリカを媒介変数にしないと日中関係も理解できないのだ。

『西洋が見えてきた頃』には、1963年から1985年まで20年間のあいだにさまざまな媒体に発表された文章が収録されているが、西洋との出会いを幕末から始まるアメリカとの出会いとして描いている。このテーマじたいが著者の内発的な動機から生まれたもののようだ。

幕末漂流民から川路聖謨、水野忠徳といった秀才官僚たちの功績、坂本龍馬、そして「キリスト教を見出した儒者」としての横井小楠と中村敬宇(正直)、アメリカ的なプラグマティズムと呼応するものの多い福澤諭吉、渋澤栄一、前島密に触れ、「二つのJ」(Jesus & Japan)を主張した内村鑑三という「開かれた精神のナショナリスト」に西洋文明と出会って以降の明治精神の精華を見出す。

亀井俊介氏は、なかでも内村鑑三について突っ込んで取り上げている。本書に収録された「内村鑑三-英文ジャーナリストの大憤慨録」と「明治の英語-西洋が見えてきた頃の「思想の営み」」であるが、その前史となる幕末から明治初期にかけての「日本人と西洋のの出会い」の衝撃について取り上げた文章がそのための導線となっている。

英文ジャーナリストとして論説を書きまくった時代の内村鑑三が興味深い。英文で日本に住む英米人たちにたたきつけた論説のなかに熱くたぎるようなナショナリズム! キリスト教徒にあるまじき不道徳、蛮行を非難、返す刀で日本人も批判する過激で孤独なジャーナリストぶりは、同時代の宮武外骨にも共通する「過激にして愛嬌あり」なのだ。

「西洋の衝撃」(Western Impact)は日本人だけではなく、中国人も朝鮮人もその他のアジア人もみな受けたわけだが、なぜ日本人だけがいちはやくその挑戦を真正面から受け入れ、苦難と苦闘をへながらも乗り越えることができたのか。たとえ精神の奥底には衝撃のトラウマがあるかもしれないにせよ。

そしてまた、なぜ日本はアメリカの影響を受け、その後は旧世界であるヨーロッパの影響を受けて「脱亜入欧」し、こんどはアジアに向かい、そしてまたアメリカの影響を受け・・・と振幅のブレが激しいのか?

本書で取り上げられた事例を其の他のアジア各国における反応と比較することには大いに意義があることだろう。それにしても、幕末から明治初期にかけての日本人の精神のあり方には感嘆するばかりではないか!

この本は収録論文が古いものでは1963年とすでに50年前のものも含まれているが、単行本化するにあたって周到な編集を行っており、内容的にもけっして古さを感じさせない。できれば文庫化してほしいと思うのだが、関心のある人は単行本で関心のある文章を読んでみるといいと思う。





目 次

東洋の不思議な国-アメリカの教科書に見る鎖国日本(1963年)
アメリカを発見した日本人たち-幕末漂流民の運命(1963年)
横井小楠-「尭舜の政治」への志(1975年)
川路聖謨と水野忠徳-秀才官僚たちの功績(1975年)
坂本龍馬-手紙に見る維新の自由人(1978年)
文明はいずこに-日本におけるアメリカ対ヨーロッパ(1972年)
中村敬宇-『西国立志編』の世界(1978年)
開化の心の展開-福沢諭吉、渋沢栄一、前島密の自伝(1981年)
日本的キリスト教の成立-西洋文明教をのりこえて(1978年)
内村鑑三-英文ジャーナリストの大憤慨録(1985年)
明治の英語-西洋が見えてきた頃の「思想の営み」(1983年)
あとがき
初出一覧


著者プロフィール

亀井 俊介(かめい しゅんすけ)
1932年岐阜県生まれ。1955年東京大学文学部英文科卒業。1963年東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了。文学博士。東京大学専任講師、助教授、教授、東京女子大学教授を経て、東京大学名誉教授、岐阜女子大学教授。専攻はアメリカ文学、比較文学。著書はきわめて多数(2013年の最新著書の著書の経歴から)。



<ブログ内関連記事>

「西洋の衝撃」と日本人-「英語・アメリカ・キリスト教」

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・「敗者」(=負け組)となった旧士族たちがキリスト教を選択したのはなぜか?

「五箇条の御誓文」(明治元年)がエンカレッジする「自由な議論」(オープン・ディスカッション)

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・日本に紹介した中村正直は幕臣で儒者出身のキリスト教徒

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点だけでなく、「女子留学生」とはアメリカで直接の知り合いであった新島襄

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・「英語・アメリカ・キリスト教」の三位一体

書評 『アメリカ「知日派」の起源-明治の留学生交流譚-』(塩崎智、平凡社選書、2001)-幕末・明治・アメリカと「三生」を経た日本人アメリカ留学生たちとボストン上流階級との交流

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある
・・「「賊軍」から青山学院長へ-本多庸一」とも関係のある旧津軽藩士とキリスト教

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう ・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となった

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門
・・残念ながらこの本には内村鑑三は取り上げられていない

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点でつらなる人脈のひとつの中心は新渡戸稲造は盛岡藩士の息子

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・「江戸時代後期の国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)は、禁書であった漢訳聖書と漢訳キリスト教文献をひそかに入手し、影響を受けているらしい」

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに


「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー vol.32 フォーリン・アフェアーズで日本を考える-制度改革か、それとも日本システムからの退出か 1986-2010」(2010年9月)を読んで、この25年間の日米関係について考えてみる






(2012年7月3日発売の拙著です)





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。



end

2013年12月29日日曜日

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について


1871年(明治4年)、日本初の国費による「女子留学生」として「岩倉使節団」とともに渡米した5人の少女たち。日本の「近代化」推進のため、先進的な教育制度に学ぶべく男子留学生たちとともにアメリカに送り出されたエリート候補生たちであった。

北海道開拓長官となった薩摩藩出身の黒田清隆の思いつきで発案されたのが「女子留学生」である。だが急募ということもあり、日本全国から「女子留学生」に応募したのは、たった5人(!)しかいなかったという。

たとえ国費による留学であるとはいえ、自分の娘を10年間(!)も遠い異国にやる親など、現在でもまずいないだろう。いまから140年前は、インターネットでリアルタイムにつながる現在からはまったく想像もできない時代だったのだ。

応募したのは、いずれも「維新の負け組」となった士族の娘たちである。応募者があまりにも少なかったので全員渡米することとなった。10年間の修学予定であったが、年長の2人はホームシックで体調を崩して初年度に帰国を余儀なくされる。結局、最後までアメリカで勉強をつづけたのは3人だけであった。

まずは英語を身につけなくてはアメリカでは生きていけない。そのため、3人一緒ではなく、べつべつにアメリカ人の家庭に預ける必要があると、薩摩藩出身で駐米代理公使であった森有礼(もり・ありのり)はホストファミリー探しに奔走した。在米留学生の監督がその主要任務であったからだ。

英語を日本の「国語」にせよなどという主張を行い、極端な「欧化主義者」であったとして過激な「国粋主義者」によって暗殺されることとなった森有礼。ネガティブなレッテルが貼られたままの森有礼であるが、英語が堪能でキリスト教の影響を深く受けていた彼がアメリカ東部のエリート層のあいだに築いたネットワーク、彼を中心に形成された日本人留学生ネットワークが日本近代化に果たした役割はきわめて大きい

「女子留学生」としてミッションを果たした3人の女性にとっても森有礼の存在と、渡米の際に途中まで行動をともにした「岩倉使節団」の一員であった長州藩出身の伊藤博文の存在は、日本帰国後に意味をもつのである。伊藤博文もまた幕末に密航して英国留学した経験をもつ開明派であった。



■津田梅子と大山捨松の勉強と帰国後の「逆カルチャーギャップ」

「女子留学生」のなかでもっとも有名なのが津田塾大学の創立者・津田梅子(1864~1929)であろう。

梅子が渡米したのはなんと満6歳(!)成長期の11年間をアメリカで過ごし、ハイスクールを終え18歳で帰国した頃には、すっかり日本語を忘れてしまっていたという。日本の家族とのコミュニケーションにも難儀したらしい。日本語は学び直さなくてはならなかったようだ。

11歳で渡米し名門ヴァッサー・カレッジをアジア人女性としてはじめて卒業(!)した会津藩家老の娘・山川捨松(・・のちの大山捨松 1860~1919)である。

捨松のほうは、もう一人の「女子留学生」益田繁子(・・のち瓜生繁子 1862~1928、三井物産初代社長・益田孝の妹)とヴァッサーカレッジで同窓で、イエール大学を卒業した兄・山川健次の厳命で毎日1時間は日本語会話する習慣をつづけていたので日本語を忘れることはなかったようだ。だが、生涯にわたって日本語の読み書きには苦労したらしい。

ちなみに、益田繁子はヴァッサーでは実技系の音楽を専攻し、卒業にこだわった梅子や捨松よりも一年前に帰国し、おなじくアメリカ留学組で、のちの海軍大将・瓜生外吉男爵と結婚している。帰国後はピアニストとして活躍していたようだ。

わたしは大学院時代にアメリカで教育を受けたが、英語でうけた教育内容は英語で理解していたものなので、それを日本語でどう表現するのかときに悩むことがある。日本帰国後もしばらくは苦労したことを思い出す。

20歳代後半の2年間ですらそうなのだから、多感な10代の時期に10年間もアメリカにいて英語漬けになっていた「女子留学生」たちの帰国後の苦労は、想像を越えたものと言わざるを得ない。

国費で留学した彼女たちはアメリカで勉強した成果をもって、祖国に貢献したかったからアメリカにとどまり続けるつもりはなかったのだ。そもそも出発前には皇后陛下(・・没後は昭憲皇太后)から激励されて送り出されたのである。

その彼女たちが日本帰国後に体験したのは、まさに浦島太郎のようなものだったのだろう。アメリカ流も英語もつうじない日本での苦労と苦闘がしのばれる。


(ヴァッサー・カレッジ時代の捨松 アーカイブより)

近代化が開始された頃に渡米してアメリカで教育を受けた女性たちの生涯を追っていくと、140年前のこととはいえ、まったく別世界の話という感じがしない。

異文化に適応しても帰国後に味わうことになる逆カルチャーショック、慣れ親しんだ英語と日本語とのコミュニケーションギャップ・・・。まさに「帰国子女」を先取りした存在といえるだろう。「帰国子女」は、当時でも現在でも日本社会においてはマイノリティの存在であることに変わりはない。

自分の思うこと、考えることが伝わらないという焦り、苦しみ。国費で留学して、いざ祖国日本のために貢献しようと意気揚々と帰国したのに、まったく期待されていないことを知った時の落胆、挫折感

同時期の男子留学生たちが官僚や学者としてエリートコースに乗っていったのと違い、戦略性のない単なる思いつきで送り出された女子留学生たち。日本帰国後の彼女たちがみずからの進む道を見出すまでは、失望以外のなに感じることができなかったのは痛いほどわかる。


みずからの内面は親しいアメリカ人に英語で語っていた

梅子や捨松が、みずからの心の内面を親しいアメリカ人にあてた手紙で英語で(!)つづっていたのは当然といえば当然だろう。英語なら自由に自分を表現できるが、日本語では意思疎通に問題があったからだ。

だがそれだけではない。明治初期においてはいまだ「国語」としての日本語、つまり「標準語」が確立していなかったのだ。大河ドラマではそれぞれが方言を喋りながらも意志疎通ができているという設定になっているが、はたしてじっさいはどうだったのだろうか。しかも、口語体でものを書くというスタイルは確立していなかったのだ。

ちなみに言文一致による日本初の小説『武蔵野』(山田美妙)が発表されたのは明治20年(1888年)のことである。森有礼が英語を日本の「国語」にせよなどという主張を行ったり、おなじく「明六社」メンバーの西周(にし・あまね)が日本語のローマ字表記化や日本の郵便制度の父・前島密が日本語のかなもじ表記を主張したり、日本語の表記体も確立していなかった時代でもあった。

ローマ字入力で漢字かな変換できるワープロ機能のある現在なら、梅子や捨松も比較的ラクに日本語を書くことができたであろう。わたしも日本語を学習した外国人とは、ローマ字化された日本語でやりとりすることもある。

だが明治初期は、英語をはじめとする西欧語の概念を日本語化するために、ローマ字化を主張した西周などの「欧化主義者」の啓蒙家たちによって、「和製漢語」が大量に作り出された時代でもある。

戦後の「国語改革」を経た現在の漢字仮名交じり文からは想像できないほど難読語の使用が多く、そうとう勉強をしなければ読み書きが自由にできない時代でもあった。

そういう時代であったこともまた、英語で教育を受けた彼女たちにとっては、英語のコミュニケーションのほうが、はるかに自分の内面や意志を伝えやすかったと考えてもまったく不思議ではない。

梅子や捨松の手紙が日本語の著作のなかで読むことができるようになったのは、関係者による伝記執筆によるところが大きい。

『津田梅子』(大庭みな子、朝日文芸文庫、1993 単行本初版 1990)は、1984年に津田塾大学の物置のなかから偶然発見された、ホストファミリーの育ての母ともいうべきアメリカ人女性にあててつづられた、膨大な量の英文の手紙をもとに執筆された伝記文学だ。

『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松-日本初の女子留学生-』(久野明子、中公文庫、1993 単行本初版 1988)は、忘れ去られていた大山捨松の生涯を探索するなかで発見されたアメリカ人の親友にあてて書かれた英文の手紙をもとに執筆された伝記だ。

ほぼ同時期に出版された二冊の本だが、『津田梅子』の著者の大庭みな子氏が津田塾の卒業生であるなら、『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松-日本初の女子留学生-』の著者の久野明子氏は大山捨松のひ孫にあたる人。ともに女性で、ともにそれぞれの人物にゆかりの人である。


NHK大河ドラマ『八重の桜』の登場人物でもあた大山捨松(=山川捨松)と津田梅子。せっかくの機会なので、買ったまま20年間(!)読まないままになっていた『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』と、ついでに入手した『津田梅子』をあわせて読んでみた。

はじめて気がついたが、似たような素材をもとに再現された二人の女性の生涯であり、文庫化されたのも1993年とまったく同じ年だ。しかも。津田梅子と大山捨松のあいだにはアメリカ留学に出発して以来、40年ちかく親しく付き合いのあった仲でもある。当然ながら二人で話すときは英語であったようだ。

『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松-日本初の女子留学生-』を1993年に新刊として購入したのは、わたしが1992年にMBAを取得してアメリカから帰国した頃だったからだろう。



津田梅子と大山捨松の帰国後の「キャリア」(=軌跡)

『モダンガール論』(斎藤美奈子、文春文庫、2003)の単行本初版(2000年)は、副題に「女の子には出世の道が二つある」とあった。

立派な職業人になることと、立派な家庭人になること。職業的な達成(労働市場で自分を高く売ること)と家庭的な幸福(結婚市場で自分を高く売ること)は、女性の場合、どっちも「出世」なのである。したがって、女の子はいつも「二つの出世の道」の間で揺れてきた(単行本 P.8)

この分類にしたがえば、職業的な達成を目指しその道を切り開いたのが津田梅子であり、後者の家庭的な幸福を選択したのが大山捨松(=山川捨松)ということになる。

アメリカで芽生えた女子教育を日本で行うという捨松の夢は、帰国後の日本では実現にはほど遠いことを悟らざるを得ず、現実的な戦略に切り替える。

現実的とは、陸軍高官の大山巌と結婚し、上流階級の婦人として社会的な存在となり、そのポジションをつうじて利用してできることをキャリアとしたということだ。上流階級の一員として明治国家を支える形での貢献に姿を変えて自己実現をはかったといえるだろう。鹿鳴館での活躍もその一環であった。思い通りの人生とは言い難いものがあったにせよ。

そして本来の自分の夢は、津田梅子の志を陰に陽に助ける形で実行されることになる。ある意味で、それは「内助の功」といえるのかもしれない。今回この2冊の伝記を読まなかったら、その重要な事実を知らないで終わっていたかもしれない。陰徳というものは見えにくいからだ。

日本の女子高等教育における津田梅子の功績はあまりにも大きいが、いわば「内助の功」として陰に陽に支援を惜しまなかった大山捨松の貢献がいかに大きなものであったか。

アメリカで教育を受けた人ならではの高い「貢献意識」に打たれるものがある。What can you contribute ?(=あなたはなにを貢献できるのか?)という問いは、耳にたこができるほどアメリカで叩き込まれる

『モダンガール論』(斎藤美奈子)でも指摘されているが、「良妻賢母」は前近代のものではないのだ。あくまでも「近代イデオロギー」の産物だということには注意しておく必要がある。「良妻賢母主義」を国是とすべしと提唱したのは、伊藤博文内閣で初代文部大臣となった森有礼である(1885年)。

そもそも儒教が武士の倫理規範を越えて全国民的なものとなったのは、明治時代半ばの教育勅語と軍人勅諭の施行以降である。だからこそ、戦後日本では儒教道徳はあっけなく消え去ったのである。


(1871年 一番右が山川捨松10歳、ひざ上に津田うめ6歳 wikipediaより)


大山捨松と津田梅子は、ともに武士の娘である。そして、ともに家庭内で西洋と接する環境にあった。

捨松は会津藩国家老の娘、捨松の長兄・山川浩は幕末に幕府の使者と同行してロシアへ渡航、ヨーロッパ諸国を見聞して世界の大勢を知っていた人。次兄・山川健次は会津戦争後、捨松に先だって国費でアメリカのイエール大学に留学、物理学を専攻。

梅子の父は幕臣、蘭学が奨励されていた佐倉藩士として生まれ、洋学や砲術を学び、その後は娘の影響でキリスト教徒となり青山学院大学の設立にもかかわった人。同志社大の創始者新島襄、人間の自由と平等を説いた東京帝国大学教授の中村正直とともに、“キリスト教界の三傑”とうたわれた、という。

大山捨松と津田梅子、ともに大学では生物学を好んで学んでいる。

捨松はヴァッサーカレッジではリベラルアーツを修めたが、生物学と生理学の授業を多くとっていたという。ヴァッサーカレッジはニューヨーク州のポーケプシーにあるが、この地名はおなじくニューヨーク州の州都オルバニーに近いトロイにいたわたしには懐かしい響きである。ハドソン川沿いの風光明媚な土地だ。

津田梅子は二度目のアメリカ留学でフィラデルフィア郊外のブリンマー・カレッジ (Bryn Mawr College) で生物学を専攻している。ブリンマーもリベラルアーツ・カレッジだが、のちにノーベル賞を受賞することになる教授と「カエルの卵の細胞分裂」について論文を執筆しているのだそうだ。

大山捨松と津田梅子、ともにアメリカでキリスト教の洗礼を受けている。

捨松は、森有礼の奔走でニューヘイブンの名士であった理想肌の会衆派(=コングレゲーションナル)の牧師ベーコンの家庭をホストファミリーとし、キリスト教の洗礼を受けている。牧師の娘アリスとは生涯にわたって親友として付き合いつづける。捨松が英語の手紙を送っていたのはアリスあてであった。

梅子もまた、森有礼の部下であったワシントン近郊ジョージタウンのアメリカ人家庭をホストファミリーとし、特定の宗派に属さないフィラデルフィアの独立教会で洗礼を受けている。梅子の父も洗礼を受けているのは、もともと蘭学をつうじて西欧文明に精通していたことまおろう。

捨松・梅子・アリスの3人は後々までも親友として、また盟友として交流を続け、日本の女子教育の発展に寄与していくことになる。1900年に梅子が私塾の女子英学塾を立ち上げ塾長となったとき、捨松は顧問として梅子を助けアリスは教師として2年間無給で(!)梅子を助けたのであった。


(左から梅子・アリス・瓜生繁子・捨松 1900年の日本での再会)


大山捨松と津田梅子は、「英語・アメリカ・キリスト教」、という三位一体的なフレーズで要約することも可能だろう。欧州諸国とは別個に、この太い流れが幕末と明治初期から一貫していることをあらためて知るべきなのだ。

日本ではキリスト教は洗礼を受ける者は少ないので、ある意味ではキリスト教の神は「見えざる神」として存在し続けているといえるかもしれない。

近代になってアメリカ発のキリスト教が日本にもたらしもののなかで特筆すべきものは、「人格」と男女平等」という概念であり、それを前提にした「女子教育」であったといえるのではないだろうか。

その理念を実学教育として実践したのが女子英学塾であり、のちに梅子を記念した津田塾と改名されることになる。



津田梅子と女子「英学」塾(=津田塾)-「実学」と「教養」

『津田梅子』を書いた大庭みな子という小説家のことは名前は知っていたが、これまで一冊も読んだことがなかった。

なぜか日本経済新聞社から全集が出版されたことは、ビジネスマンで日経新聞を読んでいたのでアタマの片隅にあったが、大庭みな子(1930~2007)という作家が1949年に津田塾に入学した卒業生であったことは、この本を入手するまでまったくしらなかった。、

文庫版にある「巻末エッセイ 二つの世界の人」で、評論家の鶴見俊輔氏は以下のように書いている。

生涯つづけた学習にもかかわらず、その日本語の力は、どれほどついたか。私はうたがいをもつ ・・(中略)・・ 彼女は、その生涯の終りまで、英語世界を内面にもって、一個のコスモポリタン=ナショナリストとして、日本でくらした人ではなかったか。

みずからも15歳から20歳という若年時にアメリカに滞在し、ハーバード大学を卒業している鶴見俊輔ならではの見解だろう。


(津田塾創立100年記念に制作されたCD 梅子の英語スピーチ音声が収録)

たまたま、津田塾創立100年記念」として2000年に制作されたCDを津田塾関係者からいただいて所有しているのだが、CDにはSPレコードに吹き込まれた梅子の肉声が復元されて収録されている。内容は以下のとおりである。


1. 卒業生への塾長式辞(5"57") The Principal's Address to the Graduates (1913) 津田梅子
2. 詩 The Building of the Ship の末節(1'50") 朗読: 津田梅子
3. 女子英学塾校歌 アルマ・マータ Alma Mater (2'46")  作曲: 不明(イギリスの民謡) 作詞: アナ・ハーツホーン 合唱: 一橋大学・津田塾大学混声合唱団ユマニテ女性有志

2000年にこのCDをいただいてさっそく聞いてみたとき、津田梅子のスピーチが英語だったのは、津田塾大学の英文科では、卒論は英語で執筆してタイプ打ちするのだと、大学在学中に津田塾の学生から聞いていたので、そういう背景なのだろうと思っていた。

津田梅子の肉声は YouTube などでは公表されていないのが残念だが、CDに収録された英語スピーチと詩の朗読の音声を聞くと、じつに流暢でうつくしいアメリカ英語であることがわかる。

英語による卒業式の式辞をレコードに吹き込んでも、日本語のものを遺さなかったのは、鶴見俊輔氏が書いているように、梅子が生涯にわたって日本語に自信がなかったためかもしれない。

女子英学塾は、女性の職業としての英語教師を養成するという実学志向の学校として出発、日本で女子教育を普及させるという津田梅子の夢を実現したものであった。

大庭みな子の『津田梅子』によれば、津田塾大学と梅子が二度目のアメリカ留学で学んだブリンマー・カレッジはよく似ているのだそうだ。郊外の小規模リベラルアーツ女子大学というコンセプトだけでなく、、キャンパスの雰囲気も似ているのだという。

津田塾大学のウェブサイトによれば、津田塾の建学理念は All-round Women だという。その心は、「1900年、創立者の津田梅子は開校式で専門知識を身につけることの大切さとともに、幅広い視野をもち、自立して社会に貢献できる「オールラウンドな女性であれ」と語りました」。

つまり英語を中核においた「実学」であり、実学をささえるのは幅広い「教養」(=リベラルアーツ)ということなのだ。

(1871年 外交官として米国駐在時24歳!の森有礼 wikipediaより)

さきにも触れたが、津田梅子のホームステイ先はワシントンの、初代代理公使として駐在していた森有礼の部下のアメリカ人の家庭であった。森有礼は、教育の重要性をひじょうに深く認識しておりのちに初代文部大臣となったことはすでに述べたとおりだ。アメリカ駐在から帰国後の1875年には、のちの一橋大学になる「商法講習所」の生みの親となっている。

商法講習所は、恩師の歴史学者・阿部謹也先生によれば、「日本を商慣習の点から近代化する」というミッションを実現するためにつくられた私塾であり、初期においては教育はすべて英語で行われていた。

一橋大学と津田塾大学は東京都小平市にあって近隣校として交流が深いが(・・現在は一橋大学前期課程は国立市に移動)、この両者のつながりが、そもそも1871年のアメリカにあったことを知ると、いろいろな感慨をもつのである。

津田塾と津田梅子についてはそれなりに知っているつもりであったが、津田梅子と大山捨松が自分の内面世界を英語で書きつづった手紙を読み解いた伝記を読んだことで、元祖「帰国子女」の日本人女性たちが生きた時代と、彼女たちが背負うことになった特異な人生を知ることができたのは幸いであった。

津田梅子、大山捨松(=山川捨松)、そして森有礼(・・洗礼は受けていなかったようだ)は、「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点をもっている。あたらしい物事は、このような狭い人間関係のつながりのなかから生まれるものだろう。

かれらが「欧化主義」の側にありながらも、盲目的な西洋崇拝とは無縁な明治のナショナリストであったのは、いずれも士族出身者であったことも影響しているのであろう。当時の「小国日本」のために尽くした生涯を送っている。

津田梅子、大山捨松(=山川捨松)、そして森有礼という3人の名前は、ぜひセットとして記憶しておきたいと思う。







<関連サイト>

津田梅子大山捨松森有礼については、wikipedia の記述は正確でかつ充実している。とくに会津藩家老の娘である大山捨松については、山川きょうだいの一人であることもあって、じつによくまとまった読み物になっている

津田梅子については津田塾の創立者であり、津田塾大学のウェブサイトにさまざまな資料がある

Vassar College (捨松が卒業したヴァッサー・カレッジのウェブサイト)
・・このサイトから Sutematsu Oyama を検索するとアーカイブ資料を見つけることができる。ヴァッサーカレッジは、現在でも最難関のリベラルアーツ・カレッジである。1969年に女子大から共学化された。著名な卒業生にはメリル・ストリープ(女優)、ルース・ベネディクト(人類文化学者)など多数

Princess Oyama (Vassar Encyclopedia)
・・ヴァッサー・カレッジ卒業生(class of 1882’s)であった大山捨松(Stematz Yamakawa)にかんする詳細なバイオグラフィーがあり、アメリカ的な視点で滞米中の捨松を身近に感じられる内容になっている。

以下のような記述もある。

Several classmates claimed that she and Shige practiced their native language frequently, but she herself wrote in an essay on her return to Japan that she had nearly forgotten her Japanese and took a month to recover it. What is certain that she wrote home to her mother every day and also communicated with a sister at the Japanese embassy in Russia, though those letters were in French. 

この記述によれば捨松は、日本語は繁子とつかっていたが、帰国後に日本語を思い出すのに一カ月かかったこと、捨松は母親あての手紙と在ロシア日本大使館にいた妹あての手紙はフランス語で書いていたとある。

Sutematsu (Yamakawa) Oyama, Vassar Class of 1882, the first Japanese woman to receive a Bachelor of Arts degree; Vassar College Archives, Archives and Special Collections Library, Vassar College. 
・・ここに大学時代のポートレートがある






<ブログ内関連記事>

アメリカ留学関連

書評 『アメリカ「知日派」の起源-明治の留学生交流譚-』(塩崎智、平凡社選書、2001)-幕末・明治・アメリカと「三生」を経た日本人アメリカ留学生たちとボストン上流階級との交流
・・森有礼がアメリカで築いた人的ネットワーク、日本人アメリカ留学生とのあいだに形成され人的ネットワークの意味について

レンセラー工科大学(RPI : Rensselaer Polytechnic Institute)を卒業して20年
・・RPIはわたしが卒業した大学。ヴァッサーカレッジと同じくニューヨーク州のハドソン側沿岸にある。この地帯は水運が交通と物流の中心であった頃、先進地帯として発展の最中にあった

アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで! ・・ニューヨーク州トロイにあるRPIは1824年創立のアメリカ最古の工科大学。この町にあるトロイ・アカデミーにて目賀田種太郎(・・専修大学の創設者の一人)などの日本人留学生が勉強していたという


日本語と表記法

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実
・・西洋音階の導入により音声としての日本語を標準化し日本語を確立する課題を追求

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!
・・「あるいは書生が「日本の言語は不便利にして文章も演説もできぬゆえ、英語を使い英文を用うる」なぞと、取るにも足らぬ馬鹿をいう者あり。按ずるにこの書生は日本に生まれて未だ十分に日本語を用いたることなき男ならん。国の言葉はその国に事物の繁多なる割合に従いて次第に増加し、毫も不自由なきはずのものなり。なにはさておき今の日本人は今の日本語を巧みに用いて弁舌の上達せんことを勉むべきなり」(十七編 人望論) 
明治初期はこういう時代であった。だが、日本語の表現能力に限界があったことは確かなことで、その後、啓蒙主義の運動のなかで漢字語が大量につくられることになる


「英語・アメリカ・キリスト教」

書評 『西洋が見えてきた頃(亀井俊介の仕事 3)』(亀井俊介、南雲堂、1988)-幕末の「西洋との出会い」をアメリカからはじめた日本

NHK大河ドラマ 『八重の桜』もついに最終回-「戦前・戦中・戦後」にまたがる女性の生涯を戊辰戦争を軸に描いたこのドラマは「朝ドラ」と同じ構造だ

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実
・・アメリカ留学組の国家官僚・伊澤修二はキリスト教の影響を最小限にとどめようと努力した

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③
・・津田梅子の父・津田仙は佐倉藩士の子として生まれ、のち養子として幕臣になった人。蘭学から英学に切り替えた人である。そういう家庭に育ったのが津田梅子であった

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点だけでなく、「女子留学生」とはアメリカで直接の知り合いであった新島襄

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点でつらなる人脈

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である

書評 『岩倉具視-言葉の皮を剝きながら-』(永井路子、文藝春秋、2008)-政治というものの本質、政治的人間の本質を描き尽くした「一級の書」
・・岩倉具視は息子をアメリカに留学させている


アメリカの本質

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい

書評 『アメリカ精神の源-「神のもとにあるこの国」-』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)-アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録
・・メインストリームのキリスト教とアメリカ人の関係を知らなければアメリカを理解したことにはならない

書評 『黒船の世紀 上下-あの頃、アメリカは仮想敵国だった-』 (猪瀬直樹、中公文庫、2011 単行本初版 1993)-日露戦争を制した日本を待っていたのはバラ色の未来ではなかった・・・

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる

「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」 (片岡義男)
・・「人生に成功をおさめるためにぜったいに欠かせない最大の条件は言葉に習熟することだ、という伝統的な考え方が、アメリカにはある。この考え方は、いまでもつづいている」(片岡義男・日系三世)




(2012年7月3日発売の拙著です)





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。



end

2013年12月28日土曜日

書評 『アメリカ「知日派」の起源-明治の留学生交流譚-』(塩崎智、平凡社選書、2001)-幕末・明治・アメリカと「三生」を経た日本人アメリカ留学生たちとボストン上流階級との交流


アメリカ東海岸のニューイングランド地方には、明治時代初期には日本からの留学生が集中していた。本書は、マサチューセッツ州の州都ボストンに集まっていた日本留学生と、「ブラーミン」(=バラモン)と呼ばれていたボストンの上流階級との交流を描いた歴史探究ものである。

ボストンというとボストンマラソンを連想する人や、ハーバード大学や MIT(マサチューセッツ工科大学)などの世界的な有名大学、ボストン美術館やボストン交響楽団などの文化を連想する人もいるだろう。

大学や美術館などがボストンに集中しているのは、じつはボストンはもともとアメリカが植民地だった頃からの歴史ある都市で、中国や日本との国際貿易や金融で富を蓄積した都市だったからである。

そのボストンの上流階級がインドのカースト制の頂点に位置する「ブラーミン」(Brahmin)と呼ばれていたのは、「狭いボストンの中でも限られた高級住宅地に屋敷を構え、結婚やビジネス、社交活動などを通して緊密なネットワークで結ばれていた」(P.31)からだ。

ボストン美術館に招聘されて中国・日本美術の責任者であった岡倉天心とも密接な関係のあったフェノロサやビゲロー自前の天文台で冥王星の存在を予言し日本研究家でもあったパーシヴァル・ローウェルなど、みなボストン・ブラーミンである。お雇い外国人として来日し、大森貝塚を発見したエドワード・モースもまたこの人脈につらなる「知日派」だ。

本書で特筆すべきは、極端な「欧化主義者」であったとして過激な「国粋主義者」によって暗殺されることとなった森有礼(もり・ありのり 1847~1889)の初代日本代理公使としての活動が、アメリカではおおいに評価されていたことを描いていることだろう。

(1871年 外交官として米国駐在時24歳!の森有礼 wikipediaより)

薩摩藩から英国に留学し、のちアメリカにわたって高度な英語能力を身につけキリスト教徒になった森有礼は、初代日本代理公使として主にアメリカとの交際事務と在米日本人留学生の監督が任務であったが、アメリカでは広範囲にわたる人脈を築き上げ文化広報の役割も果たしていた。

不平等条約改正を目的とした「岩倉使節団」とともに渡米した初代女子国費留学生の山川捨松(=大山捨松)や津田梅子のホストファミリー探しに奔走したり、日本理解を促進するための講演活動、英文著作の出版など、さまざまな文化戦略活動を行っていたのが森有礼である。一橋大学の前身である商法講習所は森有礼の創設であるがり、初期の講師陣は森有礼のアメリカ人脈を駆使したものであったことは意外と知られていない。

ボストン・ブラーミンだけでなく、日本側においても森有礼を中心としたアメリカ留学組の人的ネットワークが陰に陽に影響力をもっていたのである。この事実は意外と知られていない。

このほか、日露戦争の講和条約の仲介役を果たしたセオドア・ローズヴェルトのハーバード大学時代の同級生であった金子堅太郎(1853~1942)。彼は英語スピーチの研鑽にもはげんでおり、詩人ロングフェローとの親しい交流など、著者が滞米中に記者として調べ始めて発掘した日米交流誌の黎明期のエピソードが一冊にまとめられている。

(1872年 米国留学中19歳の金子堅太郎 wikipediaより)

「終わりに」で著者が述べている感想が面白い。

明治の留学生たちは、言わば「三生」を経験したといえるのではないか。江戸と明治とアメリカと。この類い稀な経験の持ち主である彼らが、今まで相応な扱いを受けてきたとは思えない。その意味で、本書で彼らの未知の部分に光を当てることができたとすえれば幸いである。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

「三生」(さんせい)とは、福澤諭吉の「一身にして二生(にせい)を経(ふ)る」というフレーズを踏まえたものだろう。たしかに、幕末から明治初期にアメリカ体験があるといっても、学生として滞米経験がある日本人留学生たちと、公的な使節団の一員として渡米した福澤諭吉とは、経験の内容と質が異なるのは当然だ。

そして明治初期に留学した「知米派」が消え去ろうとしていた頃、「岩倉使節団」がアメリカを訪問した1871年の70年後の1941年、ついに日米は開戦にいたる。

日米戦争の敗戦後に生きるわれわれは、どうしてもその歴史的事実を考慮の外に置くことはできないが、全身全霊でアメリカから貪欲に学ぼうとしていた頃の日本と、日本びいきであったアメリカ東部の上流階級との交流を知ることは日米関係史の原点を知るうえで重要だ。

ところどころに重要な指摘や仮説が提示されているので、近代日本の出発点を知るためには読む価値のある本である。





目 次
   
はじめに
第1章 ニューイングランド史に登場する日本
第2章 ジャポニズムの源流
第3章 ボストンの婆羅門、ブラーミン
第4章 西からの訪問者たち-日本人留学生
第5章 日本人の友、アトウッド
第6章 武士とブラーミン
第7章 知の饗宴、岩倉使節団歓迎晩餐会
第8章 留学生の架け橋
終わりに
参考文献
主要人名索引

著者プロフィール

塩崎 智(しおざき・さとし)
1961年、愛媛県生まれ。上智大学文学部史学科卒業、国際基督教大学大学院比較文化研究科修士課程を修了。渡米し、全日制日本人学校ニューヨーク育英学園教員を経て、邦字新聞、雑誌などを媒体に歴史ジャーナリストとして活躍。現在は、拓殖大学外国語学部教授(日米文化交流史)、武蔵大学人文学部非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-
・・ボストン美術館の日本美術担当キュレータをつとめた岡倉天心。そもそもボストンは幕末以来、貿易をつうじて日本との深い縁がある。貿易をつうじて蓄積された富が美術館やオーケストラなど各種の文化遺産の背景にある

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた
・・当然のことながら岡倉天心とボストンの知的世界との関係についても触れてある。幕末以来、ボストンと岡倉天心の生まれた横浜とは貿易をつうじて密接な関係がある。フェノロサ、ビゲローはいわゆる「ボストン・ブラーミン」であった

JFK暗殺の日(1963年11月22日)から50年後に思う
・・南北戦争頃までは、いわゆるアングロ・サクソン系白人の牙城だったボストンも、次第に政治的にはアイルランド系、経済的にはユダヤ系の台頭を見る。ワスプは舞台裏に追いやられるようになり・・」( 『アメリカ「知日派」の起源』 P.31)

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは
・・ハーバードの学部の授業。大学院と学部は異なる存在。ハーバード・カレッジはリベアラルアーツ教育に専念

シリコンバレーだけが創造性のゆりかごではない!-月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2012年1月号の創刊6周年記念特集 「未来はMITで創られる」 が面白い


「一橋大学 昭和60年会(昭和56年入学)卒業25周年記念大会」(2010年11月13日)に出席
・・一橋大学の前身の商法講習所は森有礼の創設にかかる。初期の教師陣は森有礼のアメリカ人であった

アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで! ・・ニューヨーク州トロイにあるRPIは1824年創立のアメリカ最古の工科大学。この町にあるトロイ・アカデミーにて目賀田種太郎(・・専修大学の創設者の一人)などの日本人留学生が勉強していたという

書評 『岩倉具視-言葉の皮を剝きながら-』(永井路子、文藝春秋、2008)-政治というものの本質、政治的人間の本質を描き尽くした「一級の書」

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・幕末に密出国した新島襄は偶然からボストンで学ぶことになるが、新島襄はアメリカンボード系の人脈であり、三位一体を否定するユニテリアン派が多数を占めるボストン・ブラーミンとは縁がなかった

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実
・・キリスト教徒にならなかった留学生

書評 『西洋が見えてきた頃(亀井俊介の仕事 3)』(亀井俊介、南雲堂、1988)-幕末の「西洋との出会い」をアメリカからはじめた日本




(2012年7月3日発売の拙著です)





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。



end

2013年12月26日木曜日

書評 『アメリカ精神の源-「神のもとにあるこの国」-』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)-アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録



副題にある神のもとにあるこの国」(this nation, under Godとは、リンカーン大統領のコトバだそうだ。かの有名なゲティスバーグ演説のなかの一節だ。

そういえば米ドル札や貨幣には In God We Trust と印刷や刻印されていることを思い出す。「われわれは神を信じる」というアメリカ合州国の国是(モットー)である。

ここでいう God(神)とは大文字ではじまる単数形、つまり一神教の神、さらに具体的にいえばキリスト教の神であり、キリスト教が生まれてきた母体のユダヤ教の神でもある。アメリカ人がいう「ユダヤ=キリスト教」的な神ということになる。

1776年に英国から独立してから200年強しかたっていない「近代国家」そのものアメリカ合州国であるが、その根本精神は「旧大陸」のヨーロッパで形成されたキリスト教文明の延長線上にある。

だからアメリカ人は、直接的な系譜として中世ヨーロッパからローマ帝国、さらには聖書世界の古代ユダヤを身近に感じる心性(メンタリティ)をもっているのだ。そこに『アメリカ精神の源』があるからだ。

God(=神)に "l" という一文字をくわえて Gold(=黄金)を信仰していると揶揄されることもある「資本主義国アメリカ」だが、その根本精神に大陸からもたらされた一神教があり、個々人の精神の内奥で神との絶えざる対話が行われてきたことを指摘している著者の語りには、おおいに耳を傾けるべき価値があると思うのである。

そうでないと、アメリカとアメリカ人というものを見誤ってしまうだろう。


アメリカ人ではなく、カトリックの日本人だからこそ書けた内容

1998年に出版された本書は購入したまま、いつか読もうと思うながらそのままになっていたのだが、アメリカについてもう一回しっかりと考え直そうと思った際に手にとって読み始めた。あまりにも興味深いので、一気読みはできなかったが、続きを読むのが楽しみで最後まで読み終えてしまった。

著者のハロラン芙美子氏は日米関係を中心にノンフィクショ作品を多く執筆されてきた方。本書出版当時はハワイに在住していたようだ。そのためフィールドワークはハワイを中心にしているが、米本土にもたびたび足を運んで行っている。

本書は、カトリックの洗礼を受けた日本人で、かつ結婚に際してカトリックの配偶者を選んだという立場から、アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録であり、個人的な心の旅といった内容にもなっている。「私がカトリック教徒だとわかると、アメリカ人は一様にはっとした表情を見せる」(P.22)と著者は書いている。その意味では、アメリカ人ではなく日本人だからこそ書けた内容の本であるといっていいかもしれない。

政治・経済・社会と宗教のかかわりについては、日本語でもよめる本は多い。だが、アメリカ人の宗教にかんする客観的な学術研究ではこぼれおちてしまうのが個人の内面の探求だ。

本書のように、アメリカのキリスト教とユダヤ教について個々のアメリカ人の精神の内奥にまで踏み込んだ本はなかなかない。特定の個人の回想や信仰告白の本は多いが、信者でない限り、その手の本はなかなか読みたいという気持ちにはならない。

もちろん著者というフィルターを濾過したものであるから、著者がどういう人であるか、本書に書かれたプロファイルを読めば、十分に納得のいくものとなる。


■アメリカ人の精神「三重構造」

「第9章 天使の助け」で著者は、アメリカ人の精神を「三重構造」でみている。この見方はひじょうに興味深い。重要な指摘だと思うので、著者の文章を引用させていただくこととしよう(P.274~277)

一番上の層は、誰でも見聞する世俗文化である。高層ビル、ハイウェイ、自動車の洪水、ロボットからコンピュータまで、日に日に機械化されてゆく日常生活、物質生活の快適さを追及することにかけては、アメリカ人は創造力と実行力に溢れている。
 ・・(中略)・・
ところがその世俗文化のすぐ下に、その世俗の欲望を否定し、自己愛をいましめ、この世は「あの世」への過渡にすぎないと繰り返すキリスト教の世界が横たわっている。しかもこの二番目の層は、表面にもしばしば出てきて、日常世界の中で渾然としている。つまり、欲望の権化のような人間でも、心のどこかにそれ以外の価値観が投影しているところがある。最初は二番目の層が一番上にあったのだが、ここ半世紀のうちにいつのまにか、それがひっくり返った。
 ・・(中略)・・
一番下にある層は、二番目と重なっているところもあるが、いわば「超自然意識」とでもいえる合理的、科学的でない神秘、超自然、夢、予感の世界である。・・(中略)・・ 教会が異端として排斥してきた占星術、超能力、秘儀、幻術、魔術は、排斥されればされるほど、地下底流として流れ続けてきた。・・(中略)・・ ここ10年ほどアメリカでは確実に、非科学的、非合理的な世界への関心が深まってきている。論理だけではなく直観、予感、夢、信仰の力といったものの受容がひろまり、真剣に取り上げられている。なかでもマスコミに取り上げられるのが信仰と健康の関係である。・・(後略)・・
(*太字ゴチックは引用者=さとう) 

本書が出版されたのが1998年であるから、それからすでに15年たった現在では、「一番下にある層」はすでに一大潮流となっているといっても言いすぎではない。

この流れは「第10章 神のもとにある国」で取り上げられているトラピスト修道会の修道士トマス・マートン(Thomas Merton 1915~1968)の著作もその流れを準備してきたものであるようだ。「戦後のアメリカ人、それも朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、公民権運動、社会変革の波に翻弄された世代の霊的探求にもっとも深い影響を与えた人」と著者は記している。

現代人にとってのスピリチュアリティの意味を問いかけてきたトマス・マートンの精神遍歴の著作はアメリカではひじょうに普及しており、アメリカに留学していた頃、わたしも何冊か買って読んでいる。東洋の宗教にも目を開いたマートンは、アメリカに英語で禅仏教を紹介した鈴木大拙(D.T. Suzuki)とも親しく交友関係にあった人だ。旅先のバンコクで53歳で事故死したのは残念なことであった。

ただし、『アメリカ精神の源』を探求する本書は、仏教についても現在は増加傾向にあるイスラームについても言及はない。あくまでアメリカ社会のメインストリームについての探求に限定している。

本書のメッセージで重要なのは、どんな人でもかならず神や魂について考えており、語ることができるのがアメリカ人だということだ。つねに内なる神との対話をつづけているのである。本来は宗教的であるにかかわらず、それを意識していない日本人との大きな違いである。

そういうアメリカ人と文化や政治経済をつうじてかかわってきたということを日本人は大いに意識すべきであろう。本書で描かれたようなアメリカ人像をベースにものを考えることが重要だろう。「精神の源」を知らなくては、ほんとうの相互理解はありえないからだ。アメリカで暮らしたことのあるわたしも、本書の内容には大いに納得しながら読み進めた。

品切れになっているのがじつに惜しい本だ。ぜひ重版してほしいし、そうでなくても、古本を購入するなり図書館で借りるなりして、ぜひじっくりと読み進めてほしいと思う。




目 次
プロローグ
第1章 魂の沈黙の旅
第2章 感謝祭
第3章 至聖の場所へ向けて
第4章 さまざまな礼拝
第5章 栄光と権力
第6章 ダビデの星
第7章 無償の愛
第8章 マグダラのマリア
第9章 天使の助け
第10章 神のもとにある国
エピローグ

著者プロフィール
ハロラン芙美子(はろらん・ふみこ)
1944年1月11日生まれ。ノンフィクション作家。 長崎県大村市生まれ。旧本名・森史子。1962年、福岡県立修猷館高等学校卒、1966年、京都大学文学部史学科卒、1970年、コロンビア大学大学院修士課程修了、1973年まで同大学東アジア研究所勤務、1976年まで日本国際交流センター勤務、1978年、米国人ジャーナリストのリチャード・ハロラン(元ワシントン・ポスト東京支局長、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長)と結婚。1977年から1979年まで、ジャパン・エコノミック・インスティテュート勤務。1980年、『ワシントンの町から』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。1990年よりハワイ州ホノルルに住む(wikipedia日本語版より)。


PS アメリカの宗教人口デモグラフィック

プロテスタントの国というイメージのつよいアメリカだが、宗派別でもっとも人口が多いのはカトリックで全人口の約1/4、プロテスタント諸派はそれぞれが独立した宗派で統一体はないので、このような結果となる。これはアタマにいれておくといいだろう。


<関連サイト>

History of 'In God We Trust' (US Department of Treasury)
・・ アメリカ合州国のモットーである In God We Trust の歴史



<ブログ内関連記事>

「ビジネス文明」国アメリカ

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい


アメリカのビジネス文明とキリスト教・ユダヤ教

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・ユダヤ教、キリスト教と資本主義ビジネスの関係について、ユダヤ教とキリスト教を区分して考えるべきことを私が解説。「ユダヤ・キリスト教」という表現は、誤解を生みやすい。

・・アメリカのビジネスマンでかつユダヤ教ラビの著者による月曜朝の「5分間講話」。現代社会に生きるビジネスパーソンのためのスピリチュアル・リーダーシップのすすめ

マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)
・・ユダヤ教とそれを源流とする、キリスト教、イスラームという一神教の経済倫理について


オカルトと宗教テロリズム

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」
・・アメリカを中心とした英語圏に特有のオカルト思想について

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!
・・いわゆる「ニューエイジ」宗教の影響の濃厚なジョブズとカリフォルニア

『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる
・・限りなく宗教的といってもいい英語圏に特有の環境運動の根底にある思想


明治時代の日本人にとっての「英語・アメリカ・キリスト教」

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・アメリカ資本主義とプロテスタンティズムの関係が濃厚にあらわれた明治時代のキリスト教日本布教活動

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・「英語・アメリカ・キリスト教」

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃、多くの関連本が出版されていた-『誇りてあり-「研成義塾」アメリカに渡る-』(宮原安春、講談社、1988)
・・"神の国"を築くために集団で米国に移民として渡った(!)日本人キリスト教徒たち


キリスト教世界アメリカと仏教

・・本書ではほとんど触れられていない「アメリカの仏教」について日本語でよめる一冊。最近のアメリカ人の精神的傾向も知ることができる

書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)
・・「著者は米国で30年近く過ごしてきた写真家だが、はじめて米国に住み始めた頃、ある米国人から米国人と比較したときの日本人の特性として、日本人には「コンパッションが欠如しているのではないか」という痛切な指摘を受けた体験を「あとがき」に記している。 コンパッション(compassion)とは、著者の表現を使えば「単なる同情を越えて他人の気持ちを思いやり苦しみも喜びも分かち合う」という意味だ。米国ではキリスト教をつうじて社会全体に当たり前のように定着している。コンパッションは仏教でいえば「慈悲の心」、ダライラマ14世が英語の説法でよく使用するコトバでもあるが、仏教国であるはずの現代日本人にコンパッションが欠けていると米国人の眼にうつるというのは、私自身もつらいものを感じる」

(2014年3月22日 情報追加および項目再編集)




(2017年5月18日発売の新著です)


(2012年7月3日発売の拙著です)






Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!



end

2013年12月25日水曜日

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督


映画監督の大島渚氏が亡くなったのは、ことし2013年の1月のことであった。

世代的な関係から、「日本のヌーベルヴァーグの旗手」といわれていた大島渚監督の、1960年代から70年代にかけての作品を見てきたわけではない。だが、『戦場のメリークリスマス』(1983年)以降、つぎつぎと話題作を製作していた頃の大島渚監督はTV番組をはじめさまざまな媒体で積極的に発言をしていたのであった。

だから、大島渚といえば、わたしにとっては、なんといっても『戦場のメリークリスマス』なのである。いまから30年前の作品だ。

大島渚監督は、作曲家でテクノ系バンド YMO の坂本龍一ブリティッシュ・ロックのデビット・ボウイ、そして「オレたちひょうきん族」が放送されていた頃のお笑い芸人のビートたけしを映画デビューさせるという離れ業をやってのけたのである。きわめて個性的なキャラクター抜きでこの映画は成り立たない。いまみても、これ以外のキャスティングはあり得ないのではないかというほどまったく違和感がない。

その後、『戦場のメリークリスマス』(Merry Christmas Mr. Lawrence)の原作ローレンス・ヴァン・デル・ポストの『影の獄にて』(The Seed and the Sower)を読む機会があったが、どうしても映画の印象がつよすぎて重ね合わせてしまう。とくにハラ軍曹を演じたビートたけしの演技は、これ以外は考えられないといったものだからだ。



ローレンス・ヴァン・デル・ポスト(Laurens van der Post)は南アフリカ生まれた英語作家である。名前が示しているようにオランダ系移民のボーア人(=ブール人)の末裔。若き日に日本の船長(キャプテン)と知り合い、友人とともに日本に渡航したことのある日本通であった。

第二次大戦がはじまると志願して英国陸軍のコマンド部隊の大佐として各地を転戦することになる。皮肉なことに、日本軍政下のインドネシアのジャワで日本軍に捕まり収容所で捕虜生活を送ることになる。

日本に原子爆弾が投下されたことで日本が降伏し、ヴァン・デル・ポストも収容所から解放されることになるのだが、その件についてはだいぶ前に 原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』 に書いたとおりだ。

(英国陸軍大佐としてのヴァン・デル・ポスト)


ジャワ島での収容所体験をもとに書かれた作品が、『種子と蒔くもの』(オリジナルタイトル:The Seed and the Sower  1963年)という「クリスマス三部作」に収録された3つの中編小説であある。

「第一部 影の獄にて-クリスマス前夜」(The Bar of Shadow)、「第二部 種子と蒔くもの-クリスマスの朝」(The Seed and the Sower)、「第三部 剣と人形-クリスマスの夜」(The Sword and Doll)のうち、大島渚監督は映画『戦場のメリークリスマス』の製作にあたって、最初の2作品を基にしている。

ジャワ日本軍捕虜収容所での英国軍人ローレンスと捕虜虐待を行う日本人鬼軍曹ハラとの逆説的な出会いと友情、戦友セリエと日本人将校ヨノイとの同性愛、セリエと弟との秘話にあかされる人間の裏切りと愛・・・。相反するものたちのコンフリクトと合一。人間存在の不思議さ。

「種子と蒔くもの」は、フランスの画家ミレーの名作 「種まく人」のことである。もともとは『新訳聖書』の「マタイによる福音書」の13章にある寓話からきている。

「影の獄にて」の「影」とはユング派心理学でいう「影」のことである。単行本の帯には、「ユング的世界と人類学的世界の類い稀な小説化」とある。

作家ローレンス・ヴァン・デル・ポストは、東南アジアでの軍務を終えて英国に渡航した際、ロンドンでユングと知り合いになりすっかり魅了されてしまう。。のちにユングの伝記 Jung and the Story of Our Time を執筆しているが、ユングの影響を大きく受けているわけだ。

人間は自分の「影」という監獄につながれた囚人である。そういう認識が『影の獄にて』という小説のタイトルに反映しているわけだ。

「人類学的世界」とは南アフリカに生まれたヴァン・デル・ポストのたぐいまれな異文化理解能力のことをさしている。この小説は捕虜体験という参与観察による日本人の文化人類学的研究を小説化したといってもいいような作品なのだ。

この原作と大島渚監督との出会いこそが、このすばらしい映画が成立する条件であったのだ。




『影の獄にて』について

『影の獄にて』の内容については、映画のあらすじを見ていただければわかると思うが、もちろん原作の小説と映画は同じものではない。

映画には反映されていない「第三部 剣と人形-クリスマスの夜」も捨てがたい作品である。これはぜひ読んでほしいと思う。

『影の獄にて』の日本語訳の翻訳者・由良君美氏は、「本書は(ヴァン・デル・ポスト)氏の多くのファンの間で、英米ではとくに評判の悪いものであるが、心ある人は、氏の小説における傑作のひとつとしている。われわれは逆に、この本こそ、ヴァン・デル・ポスト世界への、日本人のための最良の入り口と考え・・」と書いている。


またこうも書いている。「・・われわれの無意識の深層に眠るものは変わらない。その日本的心性の古態型(アーキタイプ)を、本書の第一部ぐらい、想像的共感によって、美事に造形した作品は少ない。第二部も、<イニシエーション>を描く部分のごとき、凡百の文化人類学者で<通過儀礼>を学ぶよりも、はるかに迫真的に、その実体を味あわせてくれるものがあろう」。
.
日本語訳は由良君美氏と富山太佳夫氏によるもので、第一部と第三部は由良、第二部は富山の分担になっているが、「ただお断りすべきは、第二部末尾の二ページ分は、戦中の神道美学を濃厚に意識した原文であるため、戦中派である由良が訳したことである」という。日本語訳では最後の3ページ分である。


では、「第二部 種子と蒔くもの-クリスマスの朝」の最後の文章を読んでみよう。主人公の日本人将校ヨノイが原作では戦犯に問われることなく釈放され、戦争終了後、故郷の神社に参拝して奉納したという想定の短詩である。英語そのものも味読していただきたい。英語で日本的なものがここまで表現できるのである。


社前に赴いて深く礼をし、鋭く柏手うって、祖先の御霊に帰朝を報告し、祖霊に読んで頂くべく、つぎの詩を奉納してきた、と。

Presenting himself at the shrine, bowing low and clapping his hands sharply to ensure that the spirits knew he was there, he had deposited his verse for the ancestors to read:


春なりき。
弥高(いやたか)き祖霊(みたま)畏(かし)こみ、
討ちいでぬ、仇なす敵を。
秋なれや。
帰り来にけり、祖霊(みたま)前、我れ願う哉(かな)。
嘉納(おさめ)たまえ、わが敵もまた。


In the spring,
Obeying the August spirits.
I went to fight the enemy.
In the Fall,
Returning I beg the spirits,
To receive also the enemy.


「第二部」の結びの文章は以下のようになっている。相反する反対物の一致について語られている。

「風と霊、台地と人間の命、雨と行為、稲妻と悟得、雷(いかづち)と言葉、種子と蒔く者―すべてのものはひとつだ。自分の種子を選んで欲しいと言い、あとは、内部の種子蒔く者に、みずからの行為のなかに蒔いて欲しいと祈ればよい。それだけで、ふくよかな黄金(こがね)なす実りは、すべての人のものとなるのだ」と。

"Wind and sprit, earth and being, rain and doing, lightning and awareness imperative, thunder and the word, seed and sower, all are one: and it is necessary only for man to ask for his seed to be chosen and to pray for the sower within to sow it through the deed and act of himself, and then the harvest for all will be golden and great."


ユング派心理学にも通じ、日本を深いレベルで知っていた行動と思索の人ローレンス・ヴァン・デル・ポストにとって、人生はまさにあざなう縄のごとしであったのだろうか。日本を愛し、そして日本を敵として戦って捕虜となり、そしてまた日本との絆が深まったのである。

彼の日本とのかかわりは、A Portrait of Japan (1976) のほか、Yet Being Someone Other という自伝的作品にも書き込まれている。





映画 『戦場のメリークリスマス』だけでなく、ぜひ映画の原作と読み比べてほしいものである。『戦場のメリークリスマス』は、このヴァン・デル・ポストの原作と大島渚監督があってこそ生まれた傑作だからだ。

大東亜戦争における英国人捕虜を題材にした英米合作映画 『戦場にかける橋』(1957年)が反日的色彩の濃いものであるのに対し、 『戦場のメリークリスマス』は、日本人を熟知した作家と日本人映画監督のコラボレーションといってもいい。

だからこそ、日本人のいやな面も描きこんでいるとはいえ、いたずらに美化することもなく、ありのままの日本人を描いているから日本人が見ても違和感がないのである。稀有な作品といえるだろう。

思索社から「ヴァン・デル・ポスト選集」が出版されているのだが、この知日派の英語作家の作品はどれくらい日本人のあいだで知られているのだろうか。現在は品切れとなってしまっているようだが・・・。

ぜひローレンス・ヴァンデルポストという作家の作品は読んでほしい。








<関連サイト>

『戦場のメリークリスマス』(Merry Christmas Mr. Lawrence 1983年) トレーラー

戦場のメリークリスマス ED - Merry Christmas Mr. Lawrence Ending
・・戦争終了後の1946年、立場が完全に入れ替わったローレンスとハラ軍曹の再会と別れ。戦犯となったハラ軍曹はクリスマスの翌朝、処刑が執行される。ローレンスにむけた最後のセリフが Merry Christmas Mr. Lawrence !



PS 追悼デビッド・ボウイ(1947~2016)

『戦場のメリークリスマス』で英国将校の役を演じたデビッド・ボウイが2016年1月10日に69歳で亡くなった。追悼の意味をこめて フランスの女優イサベル・アジャーニが歌う「ボウイのように美しい」(Beau oui comme Bowie)-追悼デビッド・ボウイ(1947~2016) という記事を書いた。あわせてご覧いただければ幸いである (2016年1月23日 記す)



<ブログ内関連記事>

原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』
・・ジャワの捕虜収容所で「終戦」を迎えたヴァン・デル・ポスト

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・同じような警句を発している鶴見俊輔について触れている。鶴見俊輔は大東亜戦争中、海軍の軍属として通訳官としてインドネシアのジャワにいた。ローレンス・ヴァンデル・ポストとは接点はないが・・

書評 『河合隼雄-心理療法家の誕生-』(大塚信一、トランスビュー、2009)-メイキング・オブ・河合隼雄、そして新しい時代の「岩波文化人」たち・・・ 
・・ユング派の臨床心理学者の河合隼雄


オランダ領東インドと日本

書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか

書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド
・・『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』の2年後に日本で翻訳出版された。ともに健忘症の日本人への警鐘と受け取りたい。重要なことはバランスのとれた「ものの見方」。夜郎自大にならず、卑屈にも自虐的にもならず

書評 『帰還せず-残留日本兵 60年目の証言-』(青沼陽一郎、新潮文庫、2009) ・・主にインドネシアの事例を取り上げている


大英帝国の東南アジア植民地と日本

映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!

書評 『裁かれた戦争裁判-イギリスの対日戦犯裁判』(林博史、岩波書店、1998)-「大英帝国末期」の英国にとって東南アジアにおける「BC級戦犯裁判」とは何であったのか ・・「英国主導の「BC級戦犯裁判」においては、「泰緬鉄道関連」もさることながら「華僑虐殺裁判」が中心となったという」事実

(2015年8月13日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)









Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!



end