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2012年11月30日金曜日

バレエ関係の文庫本を3冊紹介-『バレエ漬け』、『ユカリューシャ』、『闘うバレエ』

バレエというと、どうしても敷居が高いのか、あるいは女の子のお稽古事という位置づけのためか、なかなか日本では一般的な大人の楽しみとはなっていないようです。

そのように言うわたし自身も、ナマの舞台を観賞したのは5回くらいでバレエのファンではありません。舞台をみた回はコンサートやオペラのほうが多いでしょう。バレエを稽古したことは、いあまでまったくありません。

たまたま知り合ったプロのバレエダンサーでバレエ教師の河合かや野さんとのジョイントセミナーを開催するため、・・・・

いままで買ったまま読んでいなかったバレエ関係の文庫本をこの機会に一気に読んでみました。みなさんにとってのバレエ入門になるかもしれませんので、紹介してみたいと思います。


まずは、『バレエ漬け』(草刈民代、幻冬舎文庫、2010 単行本初版 2006)から。


バレエダンサーというよりも、いまではすかり女優として有名な草刈さんですが、ぞのむかし雑誌のインタビュー記事で「バレエに専念したいので高校中退した」という発言を読んで、「へえ~すごいなあ」と思った記憶があります。

そんな彼女が現役のバレエダンサーで「バレエ漬け」だった頃に書かれた半生記。彼女もまた幻冬舎社長の見城徹氏に口説き落とされたようですが、表現者というものは自らのカラダを使う場合も、文筆による場合も基本的に同じなのだなという印象をもちます。


つぎに、『ユカリューシャ-不屈の魂で夢をかなえたバレリーナ-』(斎藤友佳理、文春文庫、2010)


バレーダンサーには怪我はつきものですが、舞台での大怪我から奇跡的に復活したのが斎藤友佳理さん。ロシア人のバレエダンサーと結婚し、ロシア風にユカリーシャという愛称をもつバレエダンサーの半生記。

バレエの怪我の治療にかんしては、日本よりもロシア(その当時はまだソ連)のほうがはるかに上であるという点が、つよく印象に残ります。

オリジナルの単行本の副題は「奇跡の復活を果たしたバレリーナ」世界文化社、2002)となってましたが、その後について一章を書き足したものが文庫版となっています。

大怪我を乗り越えて復活し、『オネーギン』を踊るという夢を実現できたことによって「不屈の魂で夢をかなえたバレリーナ-」となったわけです。わたしは、ロシアの文豪プーシキンの代表作が原作のバレー 『オネーギン』は、ウィーン国立歌劇場で見ましたがすばらしい作品でした。


そして、『闘うバレエ-素顔のスターとカンパニーの物語-』(佐々木忠次、文春文庫、2009 単行本初版2001)


斎藤友佳理さんも所属していた東京バレエ団を率いて、日本のバレエを世界レベルにまで引き上げた功労者であるプロデューサーの佐々木忠次氏の回顧録です。

「日本のディアギレフ」と自他ともに認められている佐々木忠次氏が、若干30歳で東京バレエ団の再建を引き受け、日本の因襲的な状況と闘い続けた記録です。

華やかな舞台の舞台裏では何が行われているのかについて知ることができるだけでなく、あくまでもおカネを払って観賞してくださる観客のためにという確固とした視点から一貫して活動を続けてきたことに敬意を表したくなります。

バレエの熱心なファンでなければ、あまり興味のない場面もなくはないですが、バレエの本場であるフランスやロシアのような国家レベルの取り組みとは異なり、舞台芸術をつうじて敗戦後の日本の文化レベル向上に貢献したのは、じつは佐々木氏のような民間人であったことを知ることは大事なことだと思います。


このほか、バレエの入門書やバレエの歴史について書かれた本はたくさんありますが、ここでは割愛させていただきましょう。最近はインターネットでもいろいろ見ることができます。諸外国のバレエ事情については、『パリ・オペラ座のすべて』や、『バレエ・カンパニー』などが参考になるかもしれません。

むかしはバレエをテーマにした映画やマンガからバレエの道に入ったという人も少なくなかったようなのですが、最近はどうやらそうでもないようです。ほんとうはナマの舞台を見るにしくものはないといっていいでしょう。

とりあえず映像資料以外で簡単に入手できるバレエ関連本を文庫本で3冊紹介いたしました。文字から入ることが好きな人には、いずれもおすすめの内容の本です。







<ブログ内関連記事>

【セミナー終了報告】 「異分野のプロフェッショナルから引き出す「気づき」と「学び」 第1回-プロのバレエダンサーから学ぶもの-」(2012年11月29日開催)

【セミナー告知】 「異分野のプロフェッショナルから引き出す「気づき」と「学び」 第1回-プロのバレエダンサーから学ぶもの-」(2012年11月29日開催)

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)
・・『パリ・オペラ座のすべて』の試写会に参加したことについて書いてある




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2012年11月28日水曜日

富士山は遠くから見ると美しい-それは、対象との距離(スタンス)の取り方の問題である


昨日(2012年11月27日)の早朝に撮影した富士山です。

前日の雨、朝の空気が冷たく澄んでいるので富士山が美しい。
まさに霊峰富士ですね。

じっさいに昇ってみると瓦礫の山ですが、遠くから見ると富士山は美しい。

火山の噴火で形成されている日本の山は長い年月をかけて崩れてきたことは、作家・幸田文(こうだ・あや)の『崩れ』という作品に描かれているとおりです。

富士山もまた、時々刻々と崩壊しているのは、須走口で砂走りを体験してみればすぐに実感できることですね。スキーの滑降のように勢いよく駆け下りることができる砂走りは、そのたびに砂がどんどん流出していくのです。

「ふるさとは遠くにありて思うもの」とうたったのは金沢出身の詩人・室生犀星(むろう・さいせい)ですが、人間関係もまた近すぎるとうっとおしい。

美しいかどうかは、それを見る人の気持ちによって決まってくるもの。

その決め手は、対象との距離(スタンス)の取り方の問題でありますね。

まあ、そんなことはさておき、富士山がくっきり見えるのは、寒い冬の楽しみの一つではあります。


<ブログ内関連記事>

『崩れ』(幸田文、講談社文庫、1994 単行本初版 1991)-われわれは崩れやすい火山列島に住んでいる住民なのだ!

むかし富士山八号目の山小屋で働いていた 総目次



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2012年11月26日月曜日

タイ好きなら絶対に見逃せない写真集 『Very Thai』(とってもタイ)の増補改訂第2版が2012年12月6日に発売


タイ好きなら絶対に見逃せない写真集が 『Very Thai』(とってもタイ)。その増補改訂第2版(Second Edition)が、今年2012年の12月に出版されるらしい。

初版は2005年に出版された『とってもタイ-大衆文化百科事典-』とでも日本語版タイトルをつけておくべき本書は、写真家が自分の興味のままに撮影した大量の写真に、著者が項目を整理し、解説文をつけたもの。

わたしも自分用にもっているが、Kinokuniya や Asia Books などのバンコク市内の洋書店ではかならず取り扱いのある定番のカラー本である。

ドイツ語訳も出版されているそうだが、なぜか日本語版は出版されていない。けっして本書が白人的な視線に終始しているというわけではない。

タイを論じるにあたって日本への言及も少なからずある。かえって、タイも日本も等距離に見ているので、西洋という異文化からみたタイと日本の共通性が浮かび上がっているように思うので残念だ。

(タイの伝統的な招き姫 ナンクワック 最近は日本の招き猫に押されている)

ところで、バンコクで出版されている英文月刊情報誌 bangkok 101 の11月号をたまたま先日バンコクを訪問した際に入手したが、表紙と特集は 『Very Thai』であった。

収録されているインタビュー記事によれば、増補改訂版はたんなるアップデートではなく全面的に書き換えた章もあるらしい。この7年間のタイとバンコクの変化もそれだけ激しかったということか。あるいは著者の考察力も増したということか。

増補改訂版の出版を前に、バンコク中心部ラチャプラソーンにある百貨店 ZEN の前で、写真の一部をスピノフしてパネル展示した屋外ミュージアムが開催中である(無料 ~12月6日まで)。12月5日は国王誕生日、そしてその翌日の12月6日はわたしの誕生日である。

パネルの写真を撮影しておいたので、一部この場で公開しておこう。タイのポピュラー・カルチャーを知ることができますよ。

(ムエタイ・・いわゆるキックボクシング)

次回バンコクにいった際にはぜひ一冊購入したいと思っている。いまから楽しみである。






<関連サイト>

『Very Thai展』ZENの前で開催中(12月6日まで) (タイ国政府観光庁)


bangkok 101 (バックナンバーは電子媒体で無料で読める)


<ブログ内関連記事>

タイのあれこれ (26) タイ好きなら絶対に必携のサブカル写真集 Very Thai

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)




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2012年11月25日日曜日

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!


「宗教系ラジオ知識人」が日本の実業思想に与えた影響をさぐった、じつに興味深い研究成果である。

「経営の神様」といわれた松下幸之助翁は、自らの実業体験をもとに経営思想を語り、戦後PHPを立ちあげ、経営思想を超えた思想についても自分のコトバで多弁に語ってきた人だ。PHP とは、Peace and Happiness through Prosperity(繁栄によって平和と幸福を)の略である。

こんな松下幸之助が、じつは戦前の尋常小学校は中退し、商工学校の夜間部も「文字を書くのが苦手」で挫折。本などまったく読まない人であったことを知れば、みなさんはどう思われるだろうか。いったいどこで、どうやって思想を語るためのコトバを手に入れたのか、と。

本書によれば、ラジオが唯一の放送メディアだった戦前には、「仏教系ラジオ知識人」と呼ばれる人たちがいて、一般大衆に大きな影響力をもっていたのであるという。しかも、戦前においてはJOAK(・・現在のNHKラジオ第一放送)の一局しか存在しなかったのだ。

現代にも通じる経営哲学を説いていた幸之助翁は、じつは若き日にラジオ放送を聞くことによってみずからの「引き出し」を増やしていたようなのだ。目でみた視覚情報よりも、耳から聞いた聴覚情報である。

「素直な心」や「会社で勤勉に働くことは仏道修行そのもの」といった新仏教運動の思想を耳から聴いていた若き日の松下幸之助は、経営という実践活動にたずさわりながら、ラジオ放送の内容に触発されて、自らの経営思想を創り上げたらしい。

その松下幸之助の思想は、本で読んだ知識ではなく、耳から聞いて練り上げた「声の思想」であったというべきかもしれない。


新仏教運動の思想は、松下幸之助を代表とする実業家たちの言動をつうじて、戦後にも継承され、高度成長のバックボーンになったのである。この忘れられた事実を掘り起こしたことは本書の大きな成果であるといっていい。

新仏教運動やそれをひきついだ形になる真理運動といった、現在では忘れ去られた感のある一般大衆にむけた思想運動の担い手であった、友松圓諦(ともまつ・えんたい)や高神覚昇(たかがみ・かくしょう)といった「仏教系ラジオ知識人」の存在にふたたび脚光があたるキッカケになったことは喜ばしいことだ。

角川文庫から出版されてロングセラーを続けている『般若心経講義』(高神覚昇、角川文庫 1952、初版 1947)や、講談社学術文庫にも収録されている『法句経講義』(友松圓諦、講談社学術文庫、1981、初版1933)といった名著は、みな昭和9年(1933年)前後に、ラジオの教養番組として全国にむけて放送された法話だったのである。

浄土宗出身の友松圓諦が真理運動の代表者だとすれば、真言宗の高神覚昇はナンバー2であった。しかも、高神覚昇は西田幾多郎の弟子であったことも本書では明らかにされている。しかしながら、友松圓諦も高神覚昇もアカデミズム正統派ではない、傍流の学僧たちであった。

新仏教運動の流れをくむ真理運動のポイントは、仏教の個別の宗派にこだわらず、行動重視の実践活動であった。ある意味では、ラジオという当時では最新のテクノロジーをフル活用した説教師であり、しかもその域を超えた啓蒙思想家であったといえるだろう。

「仏教系ラジオ知識人」の存在がいかに大きかったか、すでにインターネット時代に生きるわれわれは想像しにくいのであるが、講演会などのライブや YouTube による拡散よりも、はるかに大きな影響を国民全体に与えていたことはわかる。

繰り返しになるが、戦前においてラジオは唯一のマスメディアであり、しかもJOAK一局しかないかったからだ。この点については、著者による 『ラジオの戦争責任』(PHP新書、2008)においてすでに触れている。大東亜戦争の突入したのは。ラジオによって増幅された国民の声であったことも指摘されている。

本書は、きわめて意義の高い独創的な研究である。ビジネスの世界にいるわたしのような人間にも、きわめて興味深く読み進めることができた。今後のさらなる解明を大いに期待したい。


 


目 次

序論
 本書が取り上げる問題-松下幸之助は "誰" から学んだのか
 日本経済思想史からの出発
 実業家の思想研究に存在する問題点
 松下幸之助の実業思想を研究する
 「新仏教」という思想

第一章 「新仏教運動」からのアプローチ

Ⅰ. 明治・大正期における「新仏教運動」の概要
Ⅱ. 松下幸之助と新仏教運動の具体的接点
Ⅲ. 松下幸之助と新仏教運動の類似性
Ⅳ. PHP運動と新仏教運動の相違点
小括
次章への展望

第二章 宗教系ラジオ知識人・高嶋米峰と松下幸之助

Ⅰ. ラジオ放送の開始-昭和三年頃まで
Ⅱ. ラジオ放送の展開と受信機の発達
Ⅲ. 松下電器の躍進と高嶋米峰の活躍
Ⅳ. 松下幸之助がラジオから受けた影響
小括
次章への展望

第三章 宗教系ラジオ知識人・友松圓諦と松下幸之助

Ⅰ. 青少年期の友松圓諦
Ⅱ. 友松圓諦と真理運動の展開
Ⅲ. PHP運動、新仏教運動、真理運動の比較
Ⅳ. 真理運動の戦争肯定
小括
次章への展望

第四章 宗教系ラジオ知識人・高神覚昇と松下幸之助-西田幾多郎と共に

Ⅰ. 高神覚昇の称賛
Ⅱ. 松下幸之助と西田哲学
Ⅲ. 高神覚昇と松下幸之助の人間観
小括
次章への展望

補章 河野省三の神道思想と松下幸之助

Ⅰ. 河野省三の事績と思想
Ⅱ. 松下幸之助の思想との比較
Ⅲ. 松下幸之助との相違点
小括
結論

本書の到達点
 松下幸之助の思想研究における今後の課題
 「ラジオの思想」の重要性
 声の思想史の可能性

あとがき
索引


著者プロフィール

坂本慎一(さかもと・しんいち)
1971年、福岡県生まれ。1994年、獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒業。1997年、京都大学大学院人間・環境学研究科(人間環境学専攻、人間社会論講座、経済システム論)修士課程修了。2000年、大阪市立大学大学院経済学研究科後期博士課程修了。博士(経済学)。慶應義塾大学図書館非常勤研究調査員を経て、2004年4月、PHP総合研究所(現PHP研究所)入社。現在、経営理念研究本部松下理念研究部主任研究員。専門は日本経済思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

英文般若心経(Heart Sutra)


<ブログ内関連記事>

書評 『知的唯仏論-マンガから地の最前線まで ブッダの思想を現代に問う-』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)-内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談
・・「唯仏論」という表現は、すでに仏教系ラジオ知識人の高神覚昇が1947年に使用している

松下幸之助の 「理念経営」 の原点- 「使命」を知った日のこと

永続事業の条件は、「経営能力」と「経営理念」のかけ算である

書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!
・・戦争へと押しやった国民の声はラジオによって増幅された可能性が高い

NHK連続ドラマ小説 『花子とアン』 のモデル村岡花子もまた「英語で身を立てた女性」のロールモデル
・・「ラジオのおばさん」として全国民に親しまれていた児童文学者・村岡花子は、戦後になってから『赤毛のアン』の翻訳で有名になる

(2014年8月19日 情報追加)




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書評『知的唯仏論 ー マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)ー 内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談


現代に生きる日本人が日本語で仏教について考えるとはいったいどういうことなのか、それについての試みであるといってよい。

仏教の内部にいながら特定の宗派には属さない宮崎氏仏教の外側にありながら古今東西の思想につうじている呉氏の対談は、特定の宗派の宗論ではない仏教論として知的に面白い。

「知的唯仏論」とは、言うまでもなく「史的唯物論」のもじりであろう。ある一定以上の年齢層ならピンとくるはずだ。史的唯物論とは唯物史観ともいう。

「唯仏論」とは「ただ仏陀のみ」という意味で、呉智英氏はつかっている。そのとおりである。団塊世代の呉氏のことであるから、「唯物」のもじりであるということは自覚的であろう。

本書『知的唯仏論 ー マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う』にはまったく言及がないが、わたしが「唯仏論」という文字をはじめて目にしたのは、角川文庫に収録されている名著でロングセラーの『般若心経講義』(高神覚昇)を大学時代に読んだときであり、すでに30年近く前のことになる。『般若心経講義』の初版は1947年であるが、呉智英氏が知っていたのかどうかは知らない。

それはさておき、儒者を自認していた呉智英氏が仏教に本格的に取り組んだということはオドロキであった。

『バカにつけるクスリ』以来の読者であるわたしは、呉氏の思考や発想には慣れ親しんでいたが、まさか仏教を論ずるとは。それは前著 『つぎはぎ仏教入門』(筑摩書房、2011)として発表されている(・・わたしは読んでいない)。

一方、宮崎哲弥氏はTVでもよく目にする気鋭のコメンテーター。わたしと同年齢、つまり同世代の人間だ。仏教についての造詣が深いことは、かなり以前から知っていたが、宮崎氏の仏教関連の著作を読むのは始めてだ。

世代の異なる二人の評論家が仏教をテーマに、マンガから思想まで語り尽くすといった趣(おもむき)の対談集である。まずはわたしが読んでいない宗教マンガの傑作について語られるあたり、マンガ評論では大御所の呉氏らしいし、それについてくる宮崎氏もサブカル論者らしい。

二人の論者はともに、本来あるべき仏教、本来そうであったはずの原始仏教(=初期仏教)に焦点を据えて論じている。しかし、仏教は時代とともに変容し、日本の大乗仏教においては、原始仏教とはほど遠い状況にあるのが現状だ。だからどうしても日本の大乗仏教の各宗派には批判的なトーンとなるのは当然である。

とはいえ、宮崎氏は大乗仏教の立場であることを明言しておられる。そのうえで、原始仏教という原点から論じる姿勢には共感を覚える。原始仏教から異なる発展をとげた上座仏教についての言及がほとんどないが残念だが。

かなりラディカル(根源的)な発言の応酬がつづく対談なので、伝統的な日本仏教に親しんでいる人にとっては理解不能な面も多々あるのではないだろうか。ただし、日本人仏教徒の多数を占める浄土真宗とキリスト教徒の親和性などの議論もあるので参考になるかもしれない。

たとえば、「人生は苦である」という認識。仏教はすべてここから始まる。生きるということは修羅である。意識するしないにかかわらず、修羅場をくぐりぬけてなんとか生きているというのが実態なのだ。

「3-11」後、仏教ブーム(?)が到来しているといわれる日本だが、果たして仏教はただしく捉えられているのか? そもそも仏教というものがいったいなにを指しているのかよくわからないというのが、いまこの日本における現状だろう。

根源的な立場からの批判でもある本書は、はたして日本で仏教が生き残っていくことができるのかどうか、そしてそのためにはどうあるべきなのかの模索でもある。

仏教を知的に考えてみたい人にはぜひ薦めたい。



画像をクリック!


*2015年11月に新潮文庫から文庫化された。(2015年11月29日 記す)。



<付録> トークショーに参加(2012年11月23日)

『知的唯仏論』(サンガ刊)刊行記念イベント 宮崎哲弥 × 呉智英 トークショー&サイン会(
2012年11月23日(金) / 蔦屋書店1号館 1階 総合インフォメーション)に参加してきた。 http://tsite.jp/daikanyama/event/001289.html
しゃべり過ぎの呉氏に対して、ややイラつき気味の宮崎氏でありましたが、本になっている対談のほうが、内容についても校正されているのでライブのトークショーよりもよいと思います。

(共著者のサイン会)

目 次

第1部 仏教をめぐる、やや通俗的な入り口
 仏教とは 
 宗教を描く
 輪廻の解釈学とオカルト批判
 宗教家の力;ブッダと日本仏教)
第2部 宗教と「この私」
  仏教学と体験性
 神秘体験と救済
 実存を問う病
 愛と渇愛
 現代人の四苦
第3部 仏教と社会
 善悪の彼岸)


著者プロフィール 

宮崎哲弥(みやざき・てつや)
1962年、福岡県生まれ。評論家。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。政治哲学、仏教論、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

呉 智英(くれ・ともふさ)
1946年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒業。評論家。マンガ評論、知識人論等の分野で執筆活動を展開。日本マンガ学会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

英文般若心経(Heart Sutra)



<ブログ内関連記事>

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)

書評 『講義ライブ だから仏教は面白い!』(魚川祐司、講談社+α文庫、2015)-これが「仏教のデフォルト」だ!

シュタイナー研究家の西川隆範氏による仏教書は、教団や教派とは関係のないフリーな立場に身を置いた個人ベースのスピリチュアリティ重視の仏教を志向する

「釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭 2012」 に一部参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)

書評 『お寺の経済学』(中島隆信、ちくま文庫、2010 単行本初版 2005)

「法然セミナー2011 苦楽共生」 に参加してきた-法然上人の精神はいったいどこへ?

(2017年12月28日 情報追加)


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2012年11月23日金曜日

公開講演会『海のことは森に聞け-コトの本質に迫るには-』(畠山重篤)にいってきた(国際文化会館 2012年11月17日)-「生きた学問」とはまさにこのことだ!


今年もまた生ガキのうまい季節になりました。

冬の生ガキといえば、関東では三陸海岸の宮城県産が定番だったのですが、一気に供給不足になってしまったのは1年8ヶ月まえの「3-11」。大津波に飲み込まれて、カキの養殖場も流されてしまったからなのです。

「『海のことは森に聞け』~コトの本質に迫るには」でお話をされた宮城県のカキ養殖家でNPO法人の代表をつとめる畠山重篤さんもまた、「3-11」を境に人生が激変した人の一人です。

その話はまたあとでするとして、まずは講演会について書いておきましょう。


[新渡戸国際塾 公開講演]
「『海のことは森に聞け』~コトの本質に迫るには」
講師: 畠山重篤(NPO法人森は海の恋人 理事長)
日時: 2012年11月17日(土) 1:30~3:00 pm
会場: 国際文化会館講堂
会費: 無料
用語: 日本語(通訳なし)



1943 年上海生まれ。高校卒業後より気仙沼湾で家業である牡蛎、帆立の養殖に従事する。1989年より漁民による植林活動「森は海の恋人」運動を進めると同時に、環境教育の手助けとして子
どもたちを養殖場に招く体験学習にも力を入れている。2012年、国連森林フォーラム(UNFF)から森林の育成や林業の健全な発展などに貢献した人物に与えられる「フォレスト・ヒーローズ」の、初代受賞者の一人に選出される。


畠山さんは、NPO法人「海は森の恋人」の中心を担ってきた方です。そのキッカケはつぎのようなストーリーです。

カキがよく生育する環境は、淡水と海水がまじりあう、いわゆる汽水域とよばれる場所です。

畠山さんは家業であるカキ養殖をついだのはいいのですが、高度成長時代の公害による環境汚染や生活排水の悪影響で海が汚染され赤潮が発生するようになって、カキの養殖事業にダメージを被るようになってきました。

問題はそれだけではなく、ダム開発で上流から流れてくる豊かな栄養分を含んだ水が海に流れてこなくなったことにもあったのです。

畠山さんがそのことに気づき、動き始めるまで、海の民は上流の森の民のことを知らず、森の民は下流の海の民のことは、お互いにほとんど没交渉のまま過ごしていたのでした。

一人の漁民が動き始めてつながったのが、川の上流にある森と、川の下流にある海。

海と森が相互に交流するようになって、はじめて川でつながっているという実感をお互いに抱くようになり、森に木を植える運動をつうじて人々の意識が変わり、ひいては豊穣な海が取り戻されていったわけです。

カキ養殖の立場から、カキの生育に必要なものが何かを突き詰めて考えていくうちに、川をさかのぼり森にまで至ったというわけですね。

源流へ、源流へとさかのぼることで視点の転換が行われる。森からみた海、海からみた森。そして森と海をつなぐのは川。そう、すべてはつながっているのです。「六次のへだたり」とか、そんなアタマでっかちな話ではありません。

自分の立ち位置であるカキ養殖場から発して、川へ森へとさかのぼり、地域でさかんであった和歌と出会い、「海は森の恋人」というコンセプトに結実していったわけです。そこには、理科系と文化系の垣根もありません。まさに文理融合です。

お話を聞いていて、まさに 「すべてはつながっている」ということを実感させてくれる「生きた学問」ともいうべき、いい内容の講演でした。


「3-11」後の三陸海岸のカキ養殖について

この講演を聞く前に、すでに畠山さんの存在や代表作である『森は海の恋人』(文春文庫、2006 単行本初版1994)は読んでいました。

このブログにも書評を載せようと思っていたのでしたが、「3-11」で畠山さんの養殖場も壊滅的被害を受けたということをTVでみて、断念したのでした。

ですが、今回のお話をきいて安心しました。

すでにカキもホタテも養殖は完全に復活。むしろ、想像以上に早い生育を示して、予定よりも早い大量収穫が可能となったそうです。

大津波で海底がかきまわされたこともあるのでしょうか、植物性プランクトンが大量に発生し、豊穣の海が早くも戻ってきたようなのです。

まさに、自然の回復力のすごさを感じさせてくれるようなお話でした。人智を超えた自然のパワーというべきでしょう。そして、いままでの運動が意味あるものであることも再確認されたのだとか。

だからこそ、なんども大津波に襲われながらも、漁師は海辺を離れないのだとも。リアリティの裏付けのある説得力のあるお話です。

そして、いまや「海は森の恋人」の活動を全世界に拡げるために、英語での発信も始めたそうです。

そしてできたのが次の英文。The forest is longing for the sea, the sea is longing for the forest. 森は海を恋慕し、海は森を恋慕する、といった意味です。皇后美智子様の示唆もあったそうです。 

「森は海の恋人」の、ほんとうにすばらしい英訳ですね。

ぜひこの運動が、全世界にひろまっていきますよう!







<ブログ内関連記事>

”粘菌” 生活-南方熊楠について読む-
・・鶴見和子の名著によって「南方マンダラ」というネーミングが拡がったことにより、「すべてはつながっている」ことが真言密教的理解のもとに把握されていたことが常識となったが、畠山はそれとは関係のないところから作りあげた「生きた学問」である・・・・



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2012年11月20日火曜日

「企画展示 日本と西洋-イメージの交差」(国立国会図書館)にいってみた(2012年11月17日)



先週土曜日(2012年11月17日)、「企画展示 日本と西洋-イメージの交差」(国立国会図書館)にいってみた。国会図書館勤務の友人に、こんな展示会があると教えてもらったので。

ちょうど前日の11月16日に野田首相によって「国会解散」(=衆議院の解散)が行われたことにより、国会図書館もすいているようであった。ひさびさにいってみたので正確な情報ではないが、そんな立ち話を小耳にはさんだ。

野田佳彦は、「バカ野郎解散」の吉田茂、「郵政解散」の小泉純一郎と並んで、解散を断行した首相として歴史に残ることだろう。レトリックとして掲げた小泉純一郎とは異なり、自らが属する民主党をほんとうにぶっ壊してしまうことになる解散を断行したとして。

政治談義はさておき、さて本題に入ろう。

「日本と西洋」とは、かなり大胆なタイトルである。いやすこし陳腐なタイトルかもしれない。アジアの時代、あえて「日本と西洋」と、日本を全面に出すのは、なんだかすこしなつかしいような印象さえある。

現在のように中国が超大国として復活する前は、日本が東洋世界の代表者として西洋社会のなかで孤軍奮闘している時代がかつてあった。

首脳会議であるサミットで、米欧の西洋人の集団のなかに、日本の首相が苦笑いのようなつくり笑顔で場違いな感じで一人ぽつんと立っているという構図に、いろいろ思わされた時代に「日本と西洋」というテーマは流行っていたのであった。

だから、「日本と西洋」というタイトルは、いまどき珍しいほどアナクロニズムな響きをもっているという感じがするのだ。でも、こういうタイトル設定に意味がないわけではない。

戦国時代末期と江戸時代末期という時代の大転換期に、西洋文明の巨大インパクトを受けてきた日本にとって、このテーマは日本と日本人のアイデンティティそのものにかかわるものだからだ。

第一次グローバリゼーションによって西洋と出会った日本、第二次グローバリゼーション(・・いわゆる「開国」)後に近代化=西洋化を推進した日本である。

展示会の内容は、西洋人が日本を見てきた視点と、日本人が西洋を見てきた視点を書物と、そのなかに収録された図像で比較し、交錯させてみせるものである。いずれも国会図書館の蔵書である。

いわゆる東西交渉史をタテ軸に、視覚の歴史をヨコ軸にしてみた「日本と西洋」というべきだろうか。

この分野では、英国人の日本学者タイモン・スクリーチ氏の仕事を紹介してきた高山宏氏や、その仕事に触発されてきた田中優子氏の江戸ものが面白い。

具体的な書籍や画像ということであれば、東洋文庫や国立歴史民俗学博物館などで見ることができるので、展示品じたいは、ここだけでしか見れないといったレアなものではない。

だが、いずれも国会図書館の蔵書であることに意味がある。意外な本が所蔵されているものだと感心した次第だ。

国会図書館は日本で出版された本はすべて所蔵していることはよく知られていることで、拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012)もすでに所蔵されているのだが、江戸時代の和綴じ本や、同時代の西洋で出版された書籍まで所蔵されているとは知らなかった。

すでにアジアの時代といわれてひさしいが、日本が孤軍奮闘しながら西洋社会とつきあってきた近代だけでなく、前近代の西洋社会において理想化され絶賛されていた日本を知るのもいいことである。

無料の展示会であるが、訪れて損はないと思う。






<関連サイト>

「企画展示 日本と西洋-イメージの交差」(国立国会図書館)
http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/1196027_1376.html

日本と西洋-イメージの交差 出展資料リスト(Pdfファイル)
http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/list121113.pdf

国会図書館の蔵書検索ページ


<ブログ内関連記事>

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

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国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①

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2012年11月13日火曜日

鹿児島はおいしい、文句なしにうまい!(2012年10月25日~28日)

(吾愛人本店にて薩摩郷土料理を堪能 地鶏がうまい)

鹿児島はおいしい、文句なしにうまい!

「英国はおいしい」などと、愚にもつかぬピントのはずれたことを書いた作家がいるが、食にかんしては薩英戦争の勝利者はあきらかに鹿児島に軍配が上がる。食材にかんしては、両者のあいだには雲泥の差があることは言うまでもない。

農業王国鹿児島は、料理以前の食材そのものが絶品なのだ。

まずは何といっても薩摩黒豚だろう。

(黒豚そば 吹上庵)

鹿児島現地の人によれば、新幹線が鹿児島まで開通してから、黒豚のしゃぶしゃぶ店がやたら増えたらしいが、たしかに黒豚そばに入っている薄切りの黒豚も旨い。写真は、吹上庵というそばのチェーン店にて。

(黒豚トンカツに薩摩汁)

鹿児島は桜島生まれの友人に連れて行ってもらったのが、黒かつ亭。このお店で黒豚トンカツセットを注文してみた。ロースとヒレが半々なのだが、食べてみてしまったと思った(笑) ロースの脂身がとろけるようなうまさだったので、ロース定食にすべきだったな、と。

また、別のお店で食べた黒豚のコロッケもじつに美味かった。

(指宿の民宿ででてきた海魚の塩焼き・・名前は忘れた)

もちろん、黒豚だけではない。山の幸である野菜類だけでなく、海に面した鹿児島は当然のことながら海の幸にも恵まれている。指宿温泉にもいってみたが、そこの民宿でだされた刺身や焼き魚もうまかった。

今回は枕崎までは行ってないが、聞くところによると、枕崎は鰹節の生産では日本一だという。高知県がそうだと思っていたわたしは自分の無知を恥じるばかりだ。

ところで、冒頭に掲載した写真は、さつま郷土料理の老舗 「吾愛人」(わかな)の本店でのもの。セレブたちによる寄せ書きが所狭しと飾っている本店である。

薩摩郷土料理を一通り食べてみたがじつに美味かった。地鶏の刺身はいうまでもなく、何の変哲もない鳥の唐揚げも食材のもつパワーだろう、じつに美味かったのだ。どうやら、地元の人は鹿児島の食材がこれほどうまいことに気がついていないようだ。

わたしは個人的には、東北の山形と九州の鹿児島が、食材そのもののうまさでは際立っていると感じている。

鹿児島の老舗百貨店に山形屋というのがあるが、鹿児島と山形の関係はけっこう長い歴史がある。

wiki の記述によれば、山形屋の「創業は宝暦元年(1751年)。創業者は近江商人の血を受け継ぐ現在の山形県庄内地方の北前船商人で、薩摩藩主の許可を得て開業した鹿児島城下唯一の呉服商が現在の山形屋の前身といわれる」そうだ。

また、庄内藩と薩摩藩は西郷隆盛を介してつながっていることについては、庄内平野と出羽三山への旅 (2) 酒田と鶴岡という二つの地方都市の個性 にも書いておいたが、それ以外にも食材という点でも大いに共通性があるようなのだ。これはけっして牽強付会な見解ではないと思う。

うまいものはうまい! この単純さに惚れるのである。





<ブログ内関連記事>

鹿児島産の「ぽんかん」を今年もいただいた

庄内平野と出羽三山への旅 (2) 酒田と鶴岡という二つの地方都市の個性

書評 『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(岡田芳郎、講談社文庫、2010 単行本 2008)

山形の庄内藩士と薩摩藩の西郷隆盛との関係については、
「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲)

書評 『日本は世界5位の農業大国-大噓だらけの食料自給率-』(浅川芳裕、講談社+α新書、2010)




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2012年11月12日月曜日

指宿温泉の「砂むし風呂」を初体験(2012年10月26日)




先週の2012年10月25日から11月3日まで、「西日本縦断ツアー」と銘打って、拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012)のプロモーションを兼ねて、鹿児島から京都まで高速バスをつかった長旅を行った。

旅の出発点は鹿児島にしたが、まずはその前に温泉で英気を養いたい、しかもこの機会を利用して、まだ一度も行ったことのない指宿温泉にはぜひ訪れたいと思っていた。なにごともツーインワン(Two-in-One)で行うと固定費削減につながる。日本語でいえば一石二鳥である。

指宿と書いて「いぶすき」と読む。読み方を知らなければ、なぜ指宿が「いぶすき」なのかわからないが、「ゆびしゅく」が「いぶすき」になまったと考えれば納得できるものだ。

ローマ字で表記すれば Yubi-shuku が Yibu-suki に音韻変化したと考えればいい。だから、ほんとうは Ibusuki ではなく Yibusuki と書けばその変化がわかるのである、おそらく、実際の発音もそのようだったのだろう。該当するカナがないので表記のしようがないであるが。




指宿では、その最大の訪問目的である「砂むし風呂」を初体験してきた。

わたしが少年時代を過ごした昭和40年代(・・1960年代~1970年代)には、指宿温泉の全国的な知名度はいまよりももっと高かったように思う。いまでは九州の温泉といえば湯布院温泉の知名度が圧倒的だが、いまから40年くらい前はそうではなかった。

砂のなかに生き埋めのようになる砂むし風呂。そのイメージは長いあいだ焼き付いたままであった。

鹿児島を訪れたのは今回が三回目だが、なかなか指宿まで足を伸ばす機会に恵まれなかったのである。まあ、三度目の正直とでも言うべきだろうか。




指宿温泉まちづくり公社が運営する「砂むし会館 砂楽(さらく)」は、気軽に利用できる砂むし風呂&温泉である。

そこでもらったパンフレットに与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌が4首掲載されているので、孫引きになるが引用させてもらおう。この歌でイメージをつかめると思うから。

星月夜 海もなぎさも 白けれど
葦簀(よしず)の屋根の 暗き砂風呂 (与謝野寛)

砂風呂に 潮さしくれば かりそめの
葦簀(よしず)の屋根も 青海に立つ (与謝野寛)

しら波の 下に熱沙(ねっしゃ)の 隠さるる
不思議に逢へり 揖宿(いぶすき)に来て (与謝野晶子)

来て立つや 沙(すな)の身すらも 極熱(ごくねつ)の
おもひを持てる 揖宿(いぶすき)の磯 (与謝野晶子)

いずれも『霧島の歌』(昭和4年)に収録されているものだという。いまから80年以上前の指宿の砂むしだが、基本的には大きな変化はない。

いまでも、砂浜で高温のお湯がでているので、近づかないようにという看板がでている。


(屋根付きの全天候型 砂むし)

砂むし会館「砂楽」では、900円で砂むし1回と温泉を楽しむことができる。

会館のなかで砂むし専用のゆかたに着替えて、砂むし場に向かう。このゆかたは砂まみれになるので1回しか利用できない。うまくできた仕組みでもある。





砂むし場にいくと、木枠で囲ったスペースに8人くらいが仰向けになって寝ることになる。

横たわるとすぐに係の人がスコップで砂をかけてくれるのだが、砂は想像していたよりも熱く、また重かった。ずしんとくる重さである。

首だけだして生き埋めというスタイルだが、これが垂直に埋められたのであれば、自力で砂のなかから出るのはむずかしいだろう。それくらい砂というものは重い。

砂むしは10分間が限度だと、くどいように念を押される。

時間は、砂むし場に設置された時計で自分で確認するのだが、じっさいは尻が焼けるような感じになってくるので、10分もたたないうちにそろそろやめようという気持ちになってくる。砂むしとはカラダに荷重をかけながら行うサウナのようなものだ。

10分たったのを確認して、自分で砂をどけて起き上がる。しばらくは風に吹かれて気を静める。あっという間に終わった不思議な体験であった。

パンフレットによれば、さまざまな効能があり、医学的な検証も行われているようだ。いちいちあげることはしないが、10分間の砂むしで静脈血流がきれいになるという。デトックス効果はきわめて大きいようだ。

砂むしが終われば、専用のゆかたの砂を払って温泉に入浴。この温泉もまたたいへん気持ちのよいものであった。海水温泉のためかやや塩分のかんじられるまろやかなお湯である。



砂むしのまわりでは、ピーヒョロヒョロと、とんびの鳴く声。海辺でとんびがたくさん飛んでいる光景もなんだかめずらしい。かもめではなく、とんびである。

(足湯)

指宿温泉には、無料で入れる足湯も多数ある。

指宿温泉が「東洋のハワイ」(?)というニックネームで売りだそうとしたようだが、果たしてこの比喩はいまでも効能があるのだろうか? 

それよりも、砂むしの指宿温泉と言い切ったほうが、高齢化社会でのアンチエージング目的の観光客や湯治客を呼び込むことができるのではないかと思う。

(独特の風合いの指宿の石壁)

「西日本縦断ツアー」ではこのあと愛媛県の松山にも立ち寄った。松山といえば道後温泉。この「西日本縦断ツアー」をさして温泉めぐりみたいという感想をくれた方がいるが、当たらずとも遠からず。先にも書いたように、一石二鳥を狙っているのは言うまでもない。

人生で一度は体験しておきた指宿温泉の砂むしで。その夢(?)が実現し、満足な気分が続いている。


<関連サイト>

「砂むし会館 砂楽(さらく)」


<ブログ内関連記事>

三年ぶりの別所温泉-"信州の鎌倉" は騒々しさとは無縁の温泉郷

「西日本縦断ツアー」(2012年10月27日~11月2日)の全日程を終了しました-10日間のあいだに考えたこと





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