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2012年3月10日土曜日

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった



「フェルメールからのラブレター展」にいってみた。ウィークデーの17時前なので比較的ゆったりと絵を見て回ることができたのは幸いであった。

美術展の副題は「コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ」。フェルメールの「手紙を読む女」が、三点同時に展示されているのが今回の目玉である。

「フェルメールからのラブレター」も、どうせなら「フェルメールからのメール」なんていうおふざけなタイトルにしたらどうだろう、なんてことが思い浮かんだが、それは企画したフリーの美術キュレーター林綾野さんに失礼だろう。そもそもフェルメール(Vermeer)とメールmail)は、つづりがまったく違うので、日本語でしかつうじないダジャレである。失礼。

林綾野さんがフェルメール展の企画を担当していることは、昨年8月に放送された、TBSテレビの「情熱大陸」で知った。林さんは、絵画作品に取り上げられた料理を再現するのが趣味というクリエイティブ系の人である。放送に登場したのは京都の美術館であったが、巡回展の最後が東京になる。

わたしは特別にフェルメール好きというわけではないし、現存する作品が30数点しかないフェルメールの作品をすべて見るために世界中を回るなどという情熱はもちあわせていない。ごくごくふつうの美術ファンである。

いままで見た作品もたかだか5点だけだ。おそらく生きているうちにすべての作品を見ることはないだろう。

だが、フェルメールの絵がすばらしいことには同意する。フェルメール作品のキーワードは光である。

(フェルメール作品の世界分布図)


今回の目玉は「手紙」という切り口で、フェルメール作品が3点同時に展示

今回の美術展では、フェルメールだけでなく、日本では無名だが、フェルメールと同時代に活躍した17世紀オランダの画家たちの作品が一緒に展示されている。

テーマは、羽ペンによる肉筆の手紙による双方向のコミュニケーションと活版印刷による出版物の読書だ。メインテーマは前者の手紙だが、後者の印刷物にも注意を払いたい。フェルメール以外の作品に活版印刷による書物が多数登場している。

17世紀当時の国際貿易国家ネーデルラント(・・現在のオランダ)は貿易商人によって支えられた「新興国」であった。ネーデルラントとは低地という意味であり、スペインのハプスブルク帝国から独立して間もなかったのである。最終的に独立が承認されたのは1648年のウェストファリア条約である。

国際貿易国家の商人にとって不可欠だったのは、文字の読み書きであった。しかも、カトリックのスペインから独立したオランダは基本的にプロテスタントの国である。カトリックとは違って、プロテスタントにおいては、自分で聖書を読むことが奨励されていたので、まずはプロテスタント聖書の出版(*)を中心に活版印刷術が発達することになる。

(*)オランダ語の聖書が出版されたのは1637年のことだ。「公定オランダ語訳聖書」(Statenbiibel)が完成、北部諸州と南部諸州の協議で共通語が推進された。この聖書は20世紀まで使用されていたという。ちなみにイングランドで「欽定訳聖書」が出たのは1611年であり、ドイツでルター訳聖書が完成したのは16世紀半ばのことだ。(2020年9月22日 追記)

ちなみに、経営学者で社会生態学者のドラッカーは、オーストリアの首都ウィーンに生まれた人だが、先祖はオランダで聖書を専門にしていた印刷業者であったという。『ドラッカー自伝』によれば、オランダにはいまでも Drucker という名字をもつファミリーが多いそうだ。

活版印刷による書物から、フェルメール展のテーマである肉筆の手紙に戻ることにしよう。

けっして絵画作品そのものに、つよい自己主張があるわけではないのだが、フェルメールの3つの作品、とくに「手紙を書く女」と「手紙を読む青衣の女」の2作品の、静かでありながら生き生きとした感情を感じることができる。その他の通俗画家たちとは違うという気にさせられる。

フェルメールの作品をみていつも思うのは、有名な割にはひじょうにサイズが小さな絵であることだ。しかも、描かれているテーマが、17世紀オランダの、ごくごく日常的な生活を切り取っているものである。ふだんの生活のなかの、なにげない小さな幸せを描いていた画家であることがまた、日本での人気の高さにつながっているのであろう。

(左上から 「手紙を読む青衣の女」、「手紙を書く女」、「手紙を書く女と召使い」)


フェルメールが生きた時代の17世紀オランダは「黄金期」であった

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer:1632~1675年)は、17世紀オランダ最盛期の画家である。

当時のオランダは、世界最古の株式会社といわれる「東インド会社」の拠点をバタヴィア(・・現在のインドネシアの首都ジャカルタ)に構えていた。同時代の日本は、戦国時代末期から徳川幕府確立にかけての時期であり、オランダ東インド会社は長崎の出島に拠点を確保し、日本との貿易を独占し、日本から輸入した銀によって国際貿易を有利に進めていたのである。

17世紀は、オランダが国際貿易によって世界経済の一つの中心になっていた黄金期であった。1637年には世界市場発のバブルとその崩壊を体験している。いわゆる「チューリップ・バブル」である。しかしながら最盛期は意外と短く、覇権は英国に奪われることになる。

17世紀のオランダは、欧州における貿易と情報流通の中心地であったのだが、その最盛期に花開いたのが、フェルメールやレンブラントなどの絵画作品でもある。17世紀の経済情勢については、背景知識としてもっと強調すべきことであろう。

経済や芸術だけでなく、哲学や科学においてもオランダは最先端を走っていた。

同時代には、『エチカ』で有名な哲学者スピノザ1632~1677年)がいる。同時代というよりも、同じ年に生まれてほぼ同じ年まで生きた文字通りの同時代人である。スピノザ家は、ポルトガルから移住してきたセファルディム系ユダヤ人である。1492年のスペインからのユダヤ人追放後、ユダヤ人が体験することになったのである。

ユダヤ人は国際貿易を担った商人でもあり、当時のアムステルダムには経済的富が集積していた。1675年に完成したポルトガル・シナゴーグはその精華であり、当時は世界最大のシナゴーグ(=ユダヤ教会堂)であった。同時代に生きた大画家レンブラント(Rembrandt Harmensz. van Rijn、1606~1669年)の作品にユダヤ人が多く描かれていることも比較的よく知られていることであろう。

展示をみたあとミュージアムショップに立ち寄ったら、『フェルメールとスピノザ-<永遠>の公式-』(マルタン(ジャン=クレ)、杉村昌昭訳、以文社、2011)という本が目に入った。やはりこういう視点でものをみる人はいるのだなと感心し、さっそくその場で購入した。

スピノザは、宗教から自由に思考するフリー・シンキング(free thinking)によってユダヤ教会から破門された人だが、精神のあり方においてフェルメールと共通するものをもっていたという見方は興味深い。年譜によれば、フェルメールは結婚を機会にカトリックに改宗していることを知った。


フェルメールの時代はまた光学と視覚の時代の始まりでもあった

10年ほど前だが、『真珠の首飾りの少女』(Girl with a Pearl Earring)という映画が日本でも公開された。フェルメールの同名の作品を歴史小説にしたものが原作の、美しい映像美で描かれた映画だが、わたしにとっては、フェルメールというとその映画の印象がひじょうにつよい。

映画の終わりのほうで(*)、フェルメールが「真珠の首飾りの少女」をモデルに、暗室でカメラ・オブスキューラをつかうシーンがでてきたのをおぼえている。カメラ・オブスキューラとは現在の写真機のことであるが、カメラとはもともとラテン語で部屋という意味だ。

(*)確認したら開始から32分頃のシーンであった。全体で104分の上映時間の最初の1/3に該当する。記憶のみに頼って書くことは問題だなとあらためて感じている次第。(2020年9月22日 追記)
(『真珠の耳飾りの少女』より筆者がキャプチャ)

カメラの球体レンズをとおしてあらわれた歪みを描いた絵というと、同じく17世紀オランダの画家であったフランク・ハルスのほうが印象がつよいのではないかと思うが、今回の展示のテーマではないので登場していない。

さきに名を出したスピノザも、哲学者としてではなく、当時は腕利きのレンズ磨き職人として名を知られていた。ユダヤ教のラビになる道を捨てたスピノザは、生計をたてるために手仕事に従事していたのである。フェルメールが使用したカメラ・オブスキューラのレンズを磨いたのがスピノザかどうかはわからないが、接点があったという説もある。『フェルメールとスピノザ』という本では、フェルメールの「天文学者」のモデルがスピノザであるとしているが、真偽のほどは判断しかねる。

高校物理で学習する、波動にかんする「ホイヘンスの原理」のホイヘンスもまたその時代のオランダ人の物理学者で天文学者だが、天文学の観察に使用したレンズについてスピノザと話をしたこともあるようだ。

ニュートンが『光学』という著作を発表したのは1704年になってからだが、光学のプリズム実験を行っていたのは、1665年頃であった。17世紀が光学の時代であったことは、超英文学者の高山宏が『近代文化史入門-超英文学講義-』(講談社現代文庫、2007)で語り尽くしているとおりである。同書ではフェルメールの手紙を読む女の意味についても言及している。

17世紀オランダが、同時代の英国に大きな影響を及ぼしたのである。高山宏が強調しているように「1660年代のオランダのインパクト」がいかに大きかったかを知る必要がある。同時代のオランダとのみ関係をもっていた日本に与えた影響も、日本がオランダに与えた影響とともに意識しておきたいことだ。

当時は世界経済の中心であった17世紀オランダは、科学研究の中心にもなっていたのだ。

フェルメール作品のキーワードは光と光学。今回のテーマである手紙という双方向コミュニケーションだけでなく、フェルメールはやはりこういった側面からも見ておきたいのである。






<関連サイト>

「フェルメールからのラブレター展」は巡回展で、京都と仙台、そして東京で開催される。

京都: 2011年6月25日(土)~10月16日(日)、仙台: :2011年10月27日(木)–12月12日(月) 
はすでに終了している。
東京も、3月14日まで。お忘れなく。


『真珠の耳飾りの少女』については、フェルメールの世界を映像美として味わいたかったらこの映画を見るのがいちばん。
https://www.youtube.com/watch?v=8awflTA4QYE



日蘭交流の歴史 (オランダ大使館・オランダ総領事館) (日本語)
・・400年に及ぶ二国間関係の歴史が詳細に記されている

江戸時代の日蘭交流 (国立国会図書館 電子展示館 2009年)
・・「第1部 歴史をたどる」「第2部 トピックで見る」 国会図書館の豊富な蔵書をもとにした電子展示館

(2016年2月24日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

書評『誰も語らなかったフェルメールと日本』(田中英道、勉誠出版、2019)-17世紀の「オランダの黄金時代」に与えた同時代の日本の影響

書評 『オランダ風説書-「鎖国」日本に語られた「世界」-』(松方冬子、中公新書、2010)
・・なぜ17世紀オランダが世界経済の一つの中心地であったのか、その理由の一つが日本との貿易を独占していたことは日本人の常識とならねばならない。今回の出品にも、当時のオランダで流行した日本の着物の影響をうけたゆるいガウンが公証人を描いた作品に登場している

書評 『チューリップ・バブル-人間を狂わせた花の物語』(マイク・ダッシュ、明石三世訳、文春文庫、2000)-バブルは過ぎ去った過去の物語ではない!
・・17世紀オランダの「チューリップ・バブル」

書評 『ニシンが築いた国オランダ-海の技術史を読む-』(田口一夫、成山堂書店、2002)-風土と技術の観点から「海洋国家オランダ」成立のメカニズムを探求

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(2016年2月24日、5月18日、2020年9月21日 情報追加)


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