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2011年10月29日土曜日

映画「百合子、ダスヴィダーニヤ」(ユーロスペース)をみてきた-ロシア文学者・湯浅芳子という生き方



 日本映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』をみにいってきました。本日から大阪での上映も始まったということだが、東京では渋谷の「ユーロスペース」で、毎日朝10時半からの一回のみ上映です。
 

作品名:『百合子、ダスヴィダーニヤ』(日本、2011年)
監督: 浜野佐知
脚本: 山﨑邦紀
製作: 森満康巳
出演者: 菜葉菜(なはな:湯浅芳子役)、一十三十一(ひとみとい:中條百合子役)、大杉漣(百合子の夫・荒木茂役)、吉行和子(百合子の母役)、洞口依子(野上弥生子役)その他
上映時間: 102分

 『百合子、ダスヴィダーニヤ』の百合子とは、作家の宮本百合子、結婚前は中條(ちゅうじょう)百合子。ダスヴィダーニヤとはロシア語でさよならの意味。百合子に対して「ダスヴィダーニヤ」(さよなら)と呼びかけているのはロシア文学者の湯浅芳子。

 これだけでは情報が少なすぎて、まだピンとこない人も多いかもしれません。そりゃあ、そうかもしれませんね。なんせ、いまからもう 90年も前、大正末期から昭和初期にかけての物語なのですから。


 物語は、この二人のインテリ女性の出会い、熱烈な恋愛とお互いを高め合う友情、そして別離を描いたものです。友情というには濃すぎる関係、レズビアンと言ってしまうと興味本位に受け取られる恐れがなくもない。当事者の二人にのみ秘められた関係であったということでしょう。

 その後なんと100歳まで長生きした、先輩の女流作家・野上弥生子(1885~1985)の仲介で出会ったとき、中條百合子(1899~1951)は25歳、湯浅芳子(1896~1990)は28歳。百合子は新進気鋭の作家、芳子は雑誌編集者。

 17歳でデビューし「天才少女作家」と呼ばれていた百合子は、成功した建築家の娘でブルジョワのお嬢様そのもの。留学先のニューヨークで出会った15歳年上の学者に一目惚れして19歳で結婚。ブルジョワ育ちながらも、すでに自分のチカラで生計を立てていた存在

 京都の裕福な魚問屋に生まれて、養女にいった先が「お茶屋」。花街で育った湯浅芳子は、生前分与された財産で、東京で二階建ての一軒家を一人で借りるほどの資産家。東京にでて大学でロシア語を学びながらも、大学中退後は自分の生きる道を探しあぐねていた「自分探し」の途上にあった状態

 平塚らいてうなどによる『青鞜』の時代によって、すでに切り開かれていたとはいえ、まだまだ女性が主体的に仕事を選択し、自己実現を図るのが難しかった時代、お互いに強い影響を与え合いながら高め合った関係でもあったのでした。



 映画では、最初の出会いから、急速に二人の愛が深まっていくまでの40日間に集中し、共同生活のなかで愛が冷めていくプロセスや、二人で行ったソ連の首都モスクワへの 3年間の私費留学と帰国後の別離については、示唆的にのみ触れています。

 上掲のポスター写真だと、だいぶ実在の二人とは見た目が違う印象ですが(笑)、それでも監督はキャスティングにはそうとう時間をつかったようです。舞台設定やインテリア、モダン着物などの衣装にはそうとう力を入れて「大正ロマン」の再現には成功していますが、2011年の日本人が1924年(大正14年)の日本人を演じるのは、どうしてもやっぱり限界があるのは仕方ありません。善戦しているとは思いますが。

 映像として美しく仕上がっているので、百合子と芳子の二人にとっても本望でしょう。ともにソ連にかかわった二人ですが、モスクワに私費留学(・・いや遊学ですか)するだけの資産をもった、ブルジョワ階級のインテリであったというのは興味深いことです。 


湯浅芳子という「孤高の人」(瀬戸内寂聴)について

 ところで、宮本百合子ときいてピンとくる人は、いまでは果たしてどれくらいいるのでしょうか? また、湯浅芳子といっても、現在ではほとんど忘却されているでしょうねえ。 

 文学愛好家ではないわたしは、"プロレタリア作家" 宮本百合子の作品はまったく読んでいません。また、宮本百合子と聞けば「ああ宮本顕治の妻か」とピンとくる人もいまではそう多くはないかもしれません。日本共産党書記長を長く務めた宮本顕治というだけで避けたくなるのは、わたしだけではないでしょう。

 原作でもあり映画のタイトルにもなった、沢部ひとみ氏の『百合子、ダスヴィダーニヤ』は、学陽書房の女性文庫(1996)で読んだのはいまか10年前くらいでしょうか。ふとしたキッカケでこの本の存在を知ったのは、宮本百合子ではなく、湯浅芳子というロシア文学者には多大な関心があったからです。

 高校時代から大学時代にかけてロシア文学はあらかた読んでいたわたしにとって、岩波文庫のロシア・ソ連文学の翻訳者としての湯浅芳子の名前は、ずっと気になる存在でした。とくに、チェーホフやゴーリキーなど、帝政ロシア末期からソ連にかけての世界的文学者の作品を多く訳しています



 いまではロシア文学者としての湯浅芳子の名前は、ソ連の児童文学作家サムイル・マルシャークによる名作 『森は生きている』(岩波少年文庫、1953)のものとして、かろうじて生き残っているくらいでしょう。そもそもロシア文学じたい、『カラマーゾフの兄弟』の新訳によるプチ・リバイバルがあっても、メジャーな存在ではなくなって久しいですから。 

 わたしの場合は、共産主義はキライでもロシアは好きで、しかもソ連好きな小学校教員などの影響もあって、けっこうロシアソ連にはけっこう詳しいのです。しかも愛読していたのはイリンとセガールによる『人間の歴史』(岩波書店の愛蔵版)。じつは、このセガールはマルシャークの実の弟で、しかもユダヤ系であるとしったのは後年のことですが。

 「湯浅芳子って、いったいどんな人なのだろう?」と思っていたのは、そういう背景があるのです。

 ちょうど時期を同じくして、瀬戸内寂聴さんによる湯浅芳子のの回想録 『孤高の人』が出版されてすぐに読みました。湯浅芳子の印象はこの本でほぼ固まったといっていいでしょう。現在は、ちくま文庫に収録されています。 

 「孤高の人」とは湯浅芳子を評して、まさに言い得て妙と言ったところかもしれませんね。自らを「いっぴき狼」と称した湯浅芳子にはふさわしい。プライドの高い、「凜」とした女性だったのでしょう。

 わたしは湯浅芳子には「精神の高貴さ」を感じます。比喩としては適切かどうかわかりませんが、永井荷風と同じ「精神の高貴さ」を死ぬまで持ち続けたひとだったのではないかと。湯浅芳子は老人ホームで亡くなったのが永井荷風とは違いますが。

 『孤高の人』は、この文章を書く前にもう一回読み返したいと思ったのですが、探さないとでてこないので、瀬戸内寂聴さんの回想としては、そのかわりに『奇縁まんだら 続』(瀬戸内寂聴、横尾忠則=画、日本経済新聞出版社、2009)に収録された湯浅芳子を紹介しておきましょう。

 横尾忠則による肖像画が三枚収録されていることから、新聞連載は3回に及んだのでしょう。おそらく、瀬戸内寂聴と湯浅芳子の交友は通り一遍のものではなかったからでしょう。小見出しは新聞社がつけたのかもしれませんが、参考のためにあげておくと、「レズビアンの先駆者は男装のロシア文学者」、「犬までリリーと名づける百合子への純愛」、「開拓者の孤独と誇りと栄光」。

 瀬戸内寂聴さんの文章を引用させていただきましょう。

 湯浅芳子と宮本百合子(結婚前は中條)のレズビアンの関係は、当人たちが隠しももせず公表しているので、天下周知のことであった。
 山原先生と同棲するまでに、湯浅さんは数々の華麗とも呼べる女性遍歴をしている。その中で生涯、誰よりも愛したのが宮本百合子であった。そして最も残酷な裏切りを与えられたのも百合子からであった。二人の仲は百合子のほうから湯浅さんに惹かれ、情熱的に迫って結ばれたものであった。
 最初の夫との仲が冷えた心の隙に湯浅さんへの恋をしのびこませ、意識的にあおって、燃え上がらせたのは百合子の情熱であった。
 二人の愛にピリオドを打たせたのは、9歳年下の若かりし日の宮本顕治の出現であった。

(出典:『奇縁まんだら 続』(瀬戸内寂聴、横尾忠則=画、日本経済新聞出版社、2009)P.77


 瀬戸内寂聴さんは、湯浅芳子はわがまま三昧な人だったと回想していますが、翻弄されつづけながらも、死ぬまでつきあいのあった瀬戸内寂聴という人もまた、興味深いものがありますね。 



映画「百合子、ダスヴィダーニヤ」にからめて書く、ロシア文学と大正時代についてのよしなしごと

 もともと湯浅芳子への関心から原作を読み、そして映画も見ることになったので、湯浅芳子がらみでいくつか書いておこうと思います。

 フェイスブックの友人からこの映画を教えられるまで、じつは映画化されたことはまったく知りませんでした。
 
 聞くところによれば、浜野監督は14~15年から映画化したかったそうですが、反対が強くてできなかったそうですね。製作資金の調達だけでなく、2007年に宮本顕治が亡くなるまでは、映像作品としては扱いにくいテーマにかかわっていたことは否定できないでしょう。

 いまではすでに「歴史」となったから可能となったわけですね。
 
 ところで、湯浅芳子の翻訳については今後も生き残るかどうかといわれれば、否定的にならざるを得ませんね。

 むかしからロシア文学においては、神西清(じんざい・きよし)のものが名訳とうたわれてきました。とくにプーシキンやチェーホフについては、岩波文庫では改版したうえで発行し続けていますが、チェーホフの戯曲については、湯浅芳子訳は新訳でリプレースしています。

 神西清のチェーホフの翻訳は新潮文庫に収録されているので、いまでも読むことができます。作家・堀辰雄の親友で、作家でもあった神西清の日本語が、とても翻訳だとは感じさせないほど透明で、すばらしいものであるのと比べると、湯浅芳子の訳文が、語学的な面はさておき、劣っているのは仕方がないでしょう。しかも、ソ連文学はソルジェニーツィンなどの例外を除けば、果たして今後も読まれることがあるかどうか。

 なぜ湯浅芳子の翻訳が岩波文庫にたくさん収録されていたかは、「岩波文化人」の大御所であった野上弥生子の存在抜きには考えにくいと思います。野上弥生子の夫の能楽研究家・野上豊一郎、息子のイタリア文学者野上素一ともども「岩波文化人」です。

 ちばみに映画の冒頭に百合子と芳子を引き焦るシーンで、野上弥生子がソーニャ・コヴァレフスカヤについて言及していますが、ソーニャは帝政ロシア時代の女性数学者で、岩波文庫には野上弥生子訳で、英訳からの重訳として『ソーニャ・コヴァレフスカヤ-自伝と追想-』が収録されていました。

 こんなところにも、ロシア・ソ連が、大正末期から昭和初期当時の文化人・知識人のあいだでどう受け止められていたか知ることもできるのではないでしょうか。

 昭和初期はまさに「モボ・モガ」の時代。モボとはモダンボーイ、モガとはモダンガールの略。女性のあいだでは洋装や断髪が流行した時代でした。これが 1929年(昭和4年)の「世界大恐慌」の到来以降は、マルクスボーイ・マルクスガールの流行となっていきますが、この後、共産党が徹底的に弾圧されたことは周知の事実でしょう。宮本百合子もまた、結婚してすぐに配偶者の宮本顕治が獄中の人となり、12年間の別離を強いられることになり、大いに苦労をすることとなります。

 いまでは日本とロシアの関係は、ロシア側の日本への一方的な片思いばかりで日本側はロシアにはつれない状態が続いていますが、1920年代にはそうではなかったことを知ってから、この映画を見ると時代背景がよよく理解されることでしょう。

 湯浅芳子が京都生まれであることに関連して、京都生まれの同時代人について一言触れておきたいものがあります。それは歴史学者の上原専禄についてです。

 上原専禄(1899~1975)は、湯浅芳子(1896~1990)の3歳下になります。宮本(中條)百合子(1899~1951)と上原専禄は同年生まれになります。上原専禄は、わたしの大学学部時代の先生であった阿部謹也先生のの、さらに先生にあたる人です。

 直接の接点があったのかどかどうかわかりませんが、湯浅芳子と上原専禄は、ほぼ同じ頃に京都の商家に生まれ、青春時代と職業人生を東京で過ごした京都人という共通点があることに興味がひかれます。

 上原専禄はドイツ中世史研究のために、関東大震災後の1923年(大正12年)12月から第一次大戦後のウィーンに留学して1925年(大正15年)に帰国、湯浅芳子は中條百合子とともにモスクワに私費留学したのは 1926年(昭和2年)、3年間の滞在ののち、「世界大恐慌」の始まった 1929年(昭和4年)に帰国しています。

 したがって、欧州での遭遇はなかったことになりますが、湯浅芳子と中條百合子はウィーンも旅行しているので、同じ空気を吸ったといってもいいでしょう。もちろん、海外留学したということは、当時としてはきわめてレアな体験の持ち主であることはいうまでもありません。また、留学当時のソ連はスターリンによる大粛清が行われる以前であったことにも触れておく必要があるでしょう。

 思想信条に違いはあっても、同時代人というものはおなじ「空気」のなかに生きていたという点で、なにかしら共通点をもっているものです。

 岩波書店からでている『座談会 明治・大正文学史』(岩波現代文庫、2000)の第三巻では「明治から大正へ」という座談会があって、上原専禄が招かれて発言していますが、上原専禄の発言を読むと明治時代とも、昭和時代前半とも異なる、「大正時代」の雰囲気がなんとなく伝わってくるものを感じます。



<関連サイト>

映画 「百合子、ダスヴィダーニヤ」公式ウェブサイト

湯浅芳子と宮本百合子 | 『百合子、ダスヴィダーニヤ』オフィシャルサイト


<参考文献>

映画「百合子、ダスヴィダーニヤ」カタログ(株式会社旦々社、2011)

『百合子、ダスヴィダーニヤ-湯浅芳子の青春』(沢部ひとみ、学陽書房女性文庫、1996 単行本初版   1990 文藝春秋社)
・・なお、2011年に静山社文庫から新装改訂版による復刊予定。

『孤高の人』(瀬戸内寂聴、筑摩書房、1997 現在は、ちくま文庫 2007)

『奇縁まんだら 続』(瀬戸内寂聴、横尾忠則=画、日本経済新聞出版社、2009)

『断髪のモダンガール-42人の大正快女伝』(森まゆみ、文春文庫、2000 単行本初版 2008)
・・「湯浅芳子-女が女を愛すること」と「中條百合子-生きぬく!書きぬく!」を参照。

なお、上原専禄については、『クレタの壺-世界史像形成への試読』(上原専禄、評論社、1975)に収録された「本を読む・切手を読む」(1974)によった。





<ブログ内関連記事>

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・・「上原専禄(1899~1975)は、湯浅芳子(1896~1990)の3歳下になります。宮本(中條)百合子(1899~1951)と上原専禄は同年生まれになります。上原専禄は、わたしの大学学部時代の先生であった阿部謹也先生のの、さらに先生にあたる人です。 直接の接点があったのかどかどうかわかりませんが、湯浅芳子と上原専禄は、ほぼ同じ頃に京都の商家に生まれ、青春時代と職業人生を東京で過ごした京都人という共通点

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(2014年1月19日 情報追加)



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