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2011年9月29日木曜日

きょうは何の日?-ユダヤ暦5272年の新年のはじまり(西暦2011年9月28日の日没)


 「きょうは何の日?」なんていうと、TV番組のコーナーのタイトルみたいですね。

 答えは先に行っておきましょう。はい、きょうは「ユダヤ新年」のはじまりです。ユダヤ暦のお正月ですね。

 正確にいうと、昨日(西暦2011年9月28日)の「日没」から、ユダヤ新年ローシュ・ハ・シャナ(Rosh Ha Shana)が始まりました。

 したがって、本日(2011年9月29日)と明日(9月30日)は、日本国内のイスラエル大使館など政府機関などはみなお休みになります。イスラエル国内は当然のことながらお休みです。

 ちなみに、日本でも古代では、一日は「日没」から始まっていました。一日は夜明けとともに始まるという時間意識がいつごろ定着したのか知りませんが、日没から夜明けまでの「夜」を大切にするのは、古代世界には共通していたようですね。

 以前、このブログに 皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる と題して、日本を含めた各民族や宗教のカレンダー(暦)について、やや詳しく書いてみました。「ユダヤ暦」についても触れています。

 しかしなんといっても、天地創造から数える「ユダヤ暦」では 5772年(!)というのはスゴイですね。日本は皇紀 2671年、仏暦 2554年、西暦だと2011年、イスラーム世界のヒジュラ暦では 1432年になります。いかにイスラームが若い宗教であるかがわかります。
 
 ついでにいうと、イスラームの「ヒジュラ暦」は純粋太陰暦なので、太陽暦である西暦とは毎年ズレが生じますが、いっさい調整をしません。ですから、断食月であるラマダーンが今年のように真夏に重なると、なかなかやり過ごすのがたいへんなわけですね。

 ヒジュラ暦など純粋太陰暦は、365日を単位として循環している農事暦として使うには問題があるようですね。書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
で、「中東のキリスト教徒が、イスラーム世界で使われる太陰暦ではなく、太陽暦に基づく農耕暦にしたがって古代から祝祭を行ってきたということが実に興味深く思われた」という文章を書いてますが、西暦が太陽暦であることのメリットは、農事暦という観点から捉えることもできるようです。

 ユダヤ暦は太陰太陽暦で、農事暦のようです。ユダヤ教の聖典である『タルムード』の「ミシュナ」第一部「ゼライーム」(種子)は「農耕にかんする書」で全部で11章からなっています。

 『タルムード』とは、「聖書」成立以降にラビたちによって口伝で伝承されてきた記録を文字にして体系化したもの。「聖書」冒頭の「モーセ五書」(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)に規定された成文法の施行細則のようなものと考えたらよいでしょう。

 参考のために「ゼライーム」(種子-農耕にかんする書)の11書の細目を紹介しておきましょう。

1. ベラホート: 祈祷
2. ペアー: 畑の刈り残し・落ち穂
3. デマイ: 十分の一の献げ物を納めたか否か疑わしい作物
4. キルアイム: 禁忌異種
5. シュヴィイート: 安息年
6. テルモート: 祭司への献納物
7. マアセロート: 十分の一の献げ物
8. マアセル・シェニー:第2の十分の一の献げ物
9. ハッラー: 献納練り粉
10. オルラー: 植樹3年間の禁忌果実
11. ビックリーム: 初物、初穂

 新年の「ローシュ・ハ・シャナ」については、「ミシュナ」第二部の「モエード」(祭日)に規定があります。

 参考までに「モエード」(祭日-祭りにかんする書) 12書の細目を紹介しておきましょう。

1. シャバット: 安息日
2. エルヴィーン: 安息日規定の補遺
3. ペサヒーム: 過越祭
4. シェカリーム: シェケルの献納
5. ヨーマ: 贖罪の日
6. スッカー: 仮庵祭
7. ベーツァー: 祝祭日にかんする規定 
8. ローシュ・ハ・シャナー: 新年祭
9. タアニート: 断食
10. メギラー: 巻物(プリム祭における「エステル記」の扱い方
11. モエード・カタン: 祝祭日中間の規定
12. ハギガー: 祝祭日の捧げ物

 「ローシュ・ハ・シャナー」にの典拠となる「聖書」の文言は、9つあがってますが、冒頭の「出エジプト記」と「レビ記」の文言を引用しておきましょう。

エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい....」(「出エジプト記」 12・1~2)

主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に告げなさい。第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして記念し、聖なる集会の日としなさい。あなたたちはいかなる仕事もさいてはならない。燃やして主にささげる捧げ物を携えなさい」(「レビ記」 23・23~25)

(出典:『ミシュナ Ⅱ モエード(ユダヤ古典叢書)』(石川耕一郎/長窪専三訳、教文館、2005)P.324~3325) 


 「ローシュ・ハ・シャナー」の本文は以下のようなものです。読んでもとくに面白いものではないですが、『タルムード』の「ミシュナ」とはこんなものだと知るくらいの意味はあるでしょう。

「ローシュ・ハ・シャナー」第一章

新年には4つある。ニサン[の月]の朔日(ついたち)には王のためと祭日のための新年。エルル[の月]の朔日には家畜の十分の一の捧げもののための新年。ラビ・エリアザルとラビ・シモンは言う。[それは]ティシュレ[の月]の朔日[である]。ティシュレ[の月]の朔日には、年のための、ヨベルの年のための、[樹木を]植えるための、および野菜のための新年。シェヴァト[の月]の朔日には樹木のための新年。[これは]シャンマイ派の言葉に従っている。[しかし]ヒレル派は言う。その[シェヴァトの月の]15日に。・・(以下略)・・

(出典:同上 P.329~330)


 ここまでいろいろ引用しましたが、ユダヤ教徒でなければ、正直いって面白くもなんともない記述が続きます。

 まあ、これが「律法」(The Law)というものの本質でしょうか。イスラームの『ハディース』も同様ですね。

 その規定を守る立場にいれば主体的な読みも求められるでしょうが、ユダヤ教徒でもムスリムでも、そのどちらでもないわたしのような人間は「縁なき衆生」、やはり「縁なき知識」にすぎないのかもしれません。


<参考書籍>

『ミシュナ Ⅰ ゼライーム(ユダヤ古典叢書)』(石川耕一郎/三好 迪訳、教文館、2003)
『ミシュナ Ⅱ モエード(ユダヤ古典叢書)』(石川耕一郎/長窪専三訳、教文館、2005)





<ブログ内関連記事>

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・『ハディース』からラマダーンにかんする記述を抜き書き

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
・・キリスト教の暦は太陽暦であり農事暦である

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・ 「バイオダイナミック農法」(ビオデュナミ農法)としても知られている「シュタイナー農法」についても触れている。月や太陽の運行に従った自然農法である。





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2011年9月26日月曜日

「ナマステ・インディア2011」(代々木公園)に立ち寄ってみた-五感をフルにしてでインドに最接近


 ナマステ!

 昨日(2011年9月25日)の日曜日、「ナマステ・インディア2011」(代々木公園)に立ち寄ってみた。

 代々木公園で開催される恒例のお祭りで、昨年につづいて二年連続で訪問したことになる。

 毎年春の恒例のイベントとなっている「タイ・フェスティバル」が、「3-11」の影響で今年は中止になたのがまことにもって残念なのだが、まあ「インド・フェスティバル」でよしとしようか。

 「ナマステ!」(Namaste !)とは、インドだけでなく、ネパールでも使われる合掌スタイルをしながらする挨拶のコトバのことだ。

 中央ステージでは、大音響のインド音楽にあわせて、インド舞踊のパフォーマンス。見て、聞いて、そして楽しむ。とにかく楽しむのだ。平和はほんとうにありがたい。


「ナマステ・インディア2011」会場とNHKホールとの往復運動で「聴覚」と「味覚」の世界を行ったり来たり

 「ナマステ・インディア2011」会場は、物販や飲食が中心で、日本にいながらにしてインド気分を味わえる。

 来ているのは日本人が圧倒的に多いが、インド人の姿もかなり見られる。インド人は男どうし、カップルや家族などで来ている。在日インド人にとってもまた楽しいイベントだろう。

 日本人にとっては、楽しみはなんといっても本場のインド料理だろう。

 かくいうわたしも、じつはカレーを食べるのが目的でお昼の時間帯に会場に到着するようにスケジュールを調整したのだが、その直前の予定が30分以上長引きこれは断念、オペラ鑑賞の幕間(休憩時間)を利用して、インド・フェスティバルに立ち寄ってみたというわけだ。

 じつは、この日は朝からてんこ盛りのスケジュールだったのだ。

 朝から順番に、「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」に行ってから、その足で日本民藝館(駒場)まで行き、渋谷駅構内では岡本太郎の壁画「明日の神話」を見てから、原宿にいって用事をすませ、それからオペラを鑑賞するためにNHKホールについたときには、すでにオペラが始まる10分前。これじゃあとても「ナマステ・インディア2010」に立ち寄っているヒマはない。

 オペラについては、このブログに バイエルン国王ルードヴィヒ2世がもっとも好んだオペラ 『ローエングリン』(バイエルン国立歌劇場)にいってきた-だが、現代風の演出は・・・ と書いた。「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」については、「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた として書いておいた。あわせてごらんいただけると幸いである。



 オペラ会場の NHKホールでは、ワーグナーの『ローエングリン』。「ナマステ・インディア2011」会場で聴きいったのはベンガルの宗教音楽。なぜか、このベンガル音楽のリズムにカラダが動いてしまう。

 西欧と南アジア、このまったく対照的な音の世界を往復していると、あまりにも両極端だなと思いつつ、インドではインド音楽にどっぷりと浸りきり、オペラの会場にもどってオーケストラによる前奏曲を聴くと、ただちに西欧音楽の世界のまっただなかに没入する。われながら不思議な感じだ。

 少なくとも音の世界に関しては、日本人である以上、日本的な感性が DNAレベルで継承されているとはいえ、じつは明治時代以来の西洋音楽一点張りの教育で、耳は西洋音階で作られているのである。だから、西欧音楽に違和感を感じないのは当たり前なのだ。

 その意味では、むしろインド音楽のほうが違和感があって当然なのだが、これもまたワールドミュージックが大量に流れ込んできた世代に属しているわたしの世代は、多くの種類の音楽を享受できる環境にあるのが幸いしているというべきか。ジャンルを超えて、「いいものはいい」とハッキリいえるのもありがたいことだ。
 
 味覚のほうは、音楽がかかわる聴覚よりも保守的なので、ある一定以上の年齢になるとあたらしい味覚は生理的に受け付けないようだが、幸いなことにわたしの世代の人間は、20歳代はじめの頃から、世界中の料理を食べる環境に恵まれてきたので、舌が肥えているというよりも、多様な味をそのまま味わう術を身につけているといえる。

 カレーだってそうだ。日本のカレーライスはすでに日本食の定番となっている和食(?)だろうが、インドのカリーとはおおきく異なる。しかも、ナンでカリーを食べるようになったのは、そう昔のことではない

 五感をつかって洋の東西をで比較してみるのもおもしろい。日本(人)というポジションがいかにユニーク(=唯一無二)なものであるかを実感することができるわけなのだ。





<関連サイト>

「ナマステ・インディア」


<ブログ内関連記事>

「ナマステ・インディア2010」(代々木公園)にいってきた & 東京ジャーミイ(="代々木上原のモスク")見学記






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バイエルン国王ルートヴィヒ2世がもっとも好んだオペラ 『ローエングリン』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた-だが、現代風の演出は・・・


 ルートヴィヒ2世(1845~1886)といえば、ルキーノ・ヴィスコンティ監督による『ルートヴィヒ-神々の黄昏-』(1972年製作)の印象があまりも強い。ヴィスコンティ映画で数々の主演を演じてきたヘルムート・バーガーの印象とともに強烈な印象が残存している。

 「ローエングリンの再来!」と称された美貌の持ち主であったルートヴィヒ2世が王太子時代の15歳に、バイエルン王国の首都ミュンヘンで1858年に上演された『ローエングリン』を観て魅了されたのが、後のワーグナー狂いの発端となったのであった。

 耽美主義の作家・須永朝彦氏は、『ルートヴィヒⅡ世』(須永朝彦、新書館、1980)でつぎのように書いている。

 童貞王と呼ばれたルートヴィヒは、その渾名(あだな)の通り四十年余の生涯を独身で過した。同族のバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフの公女ゾフィ-と婚約したが結婚には至らず、専ら歳若い同性(貴族の青年、俳優、馬丁など)が彼の特殊な友情にあずかった。これとは別に、ルートヴィヒにはとっておきの崇高なる精神的愛情があって、夫(それ)を享(う)けた者は、女では婚約者ゾフィーの姉に当るオーストリア皇后エリーザベトであり、男ではリヒャルト・ワーグナーであった。
 幼くしてゲルマンの英雄伝説や騎士物語に淫するように親しみ、夢想癖をたっぷりと身につけていたルートヴィヒは、少年時代の終り頃には既にワーグナーの歌劇に取り懸かれていた。父王マクシミリアン二世の急逝に遇い、若くして王位に就いたルートヴィヒは、初めのうちこそ政務に励んだものの、秘書官に行方を探索させていたワーグナーとの間に連絡がとれるや、すなわち彼を召し出し後援に乗り出す。ルートヴィヒのワーグナーへの熱中ぶりはへ当時の<芸術家とその庇護者たる王侯>という関係の埒(らち)を大きく外れたものであり、湯水のごとく金をつぎこんで惜しまなかった。このメフィストフェレスめいた音楽家との関係は、短い蜜月のあとやや冷却するが、文通と経済的援助はワーグナーが死を迎える圭で続いた。
 幼少時からのゲルマン伝説の英雄たちへのせつないまでの憧憬を、ワーグナーの歌劇によって満たされたルートヴィヒは、次にローエングリンやタンホイザーなどワーグナーの作品のタイトルロールたちが棲むにふさわしい城館の建築を思い立つ。ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ・・(後略)・・(引用は P.15)

 こうしてバイエルン王国の財政を傾けるまでに城館の建設に熱中したルートヴィヒは、政治に関心を失い引きこもりがちとなり、ついには精神病の烙印を押され、強制的に退位させられ軟禁されるのだが、その翌日には侍医とともに謎の水死を遂げる。

 この事件を題材に執筆されたのが森鴎外の『うたたかの記』である。ドイツ留学中の鴎外は、ちょうどこの事件のときみミュンヘン大学に在学していたのであった。


 現在の日本では、ルートヴィヒ自身よりも、宝塚などをつうじてエリーザベト(=通称シシー)人気のほうが高いのだが、さすがにノイシュヴァンシュタイン城は観光名所として訪れた日本人の累計は相当な数にのぼることだろう。

 バイエルン王国の財政を傾けたといわれルートヴィヒについては、その大半が一般庶民である日本人観光客たちは「なんてバカなことをしたのか」とクチにしながらも、嬉々として観光しているわけだ。
 
 だが、ディズニーの白雪城のモデルとなったといわれるこの城によって、バイエルン州に落とされる観光収入がバカにならないことは言うまでもない。絵はがきをはじめとして観光みやげには日本語表記が入っていることからもうかがわれる。

 それにつけても、バブル時代の日本は、これに匹敵できるような観光資源を資産として後生に残せたのだろうかと慨嘆せざるを得ない。

 ワーグナーがらみといえば、ルートヴィヒはリンダーホーフ城内にワーグナーの『タンホイザー』に登場する「ヴェーヌスの洞窟」を作らせていた。ワーグナーの曲を演奏させながら、みずからはローエングリンに扮して船遊びを楽しんでいたという。

 現地で売っていた複製絵はがきを三枚並べてスキャンしておいたが、とくに一番右の絵はがきは、ルートヴィヒ自ら「白鳥の騎士」ローエングリンに扮したもの。よほどローエングリンが好きだっただな、自らをなぞらえていたのだとわかる。太ったルートヴィヒはテノール歌手のようである。



 40歳で亡くなったルートヴィヒとは正反対に、40歳過ぎるまではワーグナーを遠ざけていたわたしは、ようやくワーグナーと折り合いがつけられるようになってきた。それまでは、ヒトラーも愛したという、ドイツ的で、自己陶酔的でデモーニッシュな響きのある音楽は、実のところあまり好きではなかったのだった。いまでもイタリアオペラのほうが好きであることには変わらない。

 ワーグナーは『タンホイザー』、『トリスタンとイゾルデ』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は劇場で鑑賞してきたが、『ローエングリン』を舞台で見るのはじつは今回が初めてである。


『ローエングリン』のあらすじ

 オペラのあらすじは、『ワーグナー』(高辻知義、岩波新書、1986)の第3章によれば以下のとおりである。

 あらすじは、10世紀当時、現在のベルギーの辺りのブラバント公国のエルザ公女が、魔女オルトルートの唆(そそのか)しにのった廷臣テルラムントの理不尽な求婚に悩んでいたおり、聖堂騎士団から派遣された白鳥の騎士ローエングリンが彼女の危機を救う。騎士は自分の素性を訊ねないことを条件にエルザとの愛を契り結婚生活に入るが、エルザは夫を愛するがあまり、ついに彼の名を訊ねてしまい、二人の愛は終わるという悲劇的結末である。(P.75~76)

ライン川下流地域に伝わる伝説「白鳥の騎士」をもとにしたものらしい。これはケルトにまでさかのぼるものらしい。これに聖杯騎士団がからんでくる内容。キリスト教以前の民話にキリスト教そのものである聖杯騎士団がからみあいワーグナー独特の世界が創造される。

 『ローエングリン』は、ワーグナーのオペラの中でも人気が高く、一時期はもっとも演奏機会の多い作品となっていたらしい。たしかに、第1幕、第3幕への高揚感を伴った前奏曲や『婚礼の合唱』(結婚行進曲)などは、だれもがそれとは知らずに一度は耳にしているハズである。
 

来日公演の舞台について-現代風の演出は正直いってイマイチ

 『ローエングリン』をバイエルン国立歌劇場の来日公演で鑑賞したのは、昨日9月25日(日)のことだ。

会場:NHKホール(代々木)
時間:15時~19時45分 合計演奏時間215分(休憩二回各35分)
歌唱:クリシティン・ジークムントソン(ハインリヒ王役)
   ヨハン・ボータ(ローエングリン役)
   エフゲニー・ニキーチン(テルラムント伯爵役)
   エミリー・マギー(エルザ・フォン・ブラバント役)
   ワルトラウト・マイヤー(オルトルート役)
指揮:ケント・ナガノ
演奏;バイエルン国立管弦楽団
合唱:バイエルン歌劇場合唱団

 ローエングリン役で出演予定だったヨナス・カウフマンが胸部結節の手術のため降板し、代わりにヨハン・ボータが舞台に立つことになった。このほか、テルラムント伯爵役、王の伝令も代役である。

 雑誌『選択』(2011年8月号)に掲載されていた記事「「風評被害」に泣くクラシック音楽界-有力演奏家の「来日拒否」相次ぐ」には以下のような文章がある。

「3-11」の原発事故によって、「9月に来日予定のバイエルン国立歌劇場では、歌手、合唱団、オーケストラなど総勢400人の来日メンバーのうち80人が無給休暇を取って来日を拒否しており、同劇場は他の歌劇場から急遽エキストラを募集するなどの対応に追われているという。

 こういう事情は事前に知っていたので残念ではあるが、歌手たちの「来日拒否」の心情は理解できないことはない。この事態によって、オペラの来日公演の質が維持できたのか下がったのか、熱心なオペラファンとは言い難いわたしには判断しかねるものがある。合唱団には日本人らしき顔が多かったような気がしたが。

 だが、実際に第三幕の終幕にあたっては、魔女オルトルート役のワルトラウト・マイヤーを頂点に、ローエングリン役のヨハン・ボータにも万雷の拍手が送られれた。これにはわたしもまったく異論はない。この二人はじつにすばらしい歌唱を聴かせてくれたからだ。

 米国人ケント・ナガノの指揮によってオーケストラが出す音も、まったく問題はなかった。バルコニー席からの長いラッパによる吹奏楽はステレオ効果が十分に発揮されて、音の快楽を存分に味わうことができた。

 それよりも、現代風の演出は正直いっていいとは思わなかった。カタログには音楽評論家がもっともrたしい解説記事を書いているが、内容については自分の「直観」のほうを信じたい。

 現代風に演出する理由はそれなりにあるのだろうが、ルートヴィヒ好きなな日本人にとっては違和感のみつきまとう。演出を現代風にしながら、歌詞は元もままというのもおかしなことだ。スーツを着た国王までは許されよう。しかしビジネスウーマンのようなジャケットを着た魔女オルトルートなど受け入れがたい。それならいっそのこと歌詞も現代風に改作するか、まったく別の内容で書き改めたらいいではないかと思ってしまうのだ。

 たしかにルートヴィヒはさておき、ヒトラーもまた『ローエングリン』の熱狂的な愛好者だったことを考慮に入れると、ロマン主義的な演出を忌避したくなる心情はわからなくはない。

 「ドイツのために剣をとれ!」などという合唱は、現代のドイツ人にとってもアンビバンレントな感情を抱くのだろうか?ドイツ人ではないわたしにとっては、正直いってきわめて耳障りな合唱である。

 ただ、ワグナーが作曲した当時は、いまだドイツ統一は実現していなかったからこそ意味あるセリフだったと思う。作曲から初演にいたる 1848年から1850年は、言うまでもなく「ドイツ革命」が勃発して最終的に挫折に終わった数年間である。

 繰り返しになるが、現代風演出にまつわる不快感も、第三幕にいたってはどうでもよくなった。それは音楽のもつチカラによるものである。視覚を上回る聴覚への訴えかけである。

 舞台セットと舞台衣装がどうであれ「白鳥の騎士ローエングリン」のエリーザとその弟の王子を思う心情が切々と、音楽と圧倒的な歌唱をつうじて伝わってきたからだ。わたしは思わずココロで感じ入ってしまったのだった。

 音楽のもつチカラはじつに強い。そう感じた日曜日の夜であった。







<ブログ内関連記事>

「ワーグナー生誕200年」(2013年5月22日)に際してつれづれに思うこと

書評 『指揮者の仕事術』(伊東 乾、光文社新書、2011)-物理学専攻の指揮者による音楽入門
・・「第7章 「総合力」のリーダーシップ-指揮者ヴァーグナーから学ぶこと」

書評 『起承転々 怒っている人、集まれ!-オペラ&バレエ・プロデューサーの紙つぶて156- 』(佐々木忠次、新書館、2009)-バブル期から20年間の流れを「日本のディアギレフ」が綴った感想は日本の文化政策の欠如を語ってやむことがない

語源を活用してボキャブラリーを増やせ!-『ヰタ・セクスアリス』 (Vita Sexualis)に学ぶ医学博士・森林太郎の外国語学習法

スワンがゆく-日本人にとって白鳥とは?

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する
・・「(神聖ローマ帝国の)ルドルフ2世は、ある意味では、後世のバイエルン王国の「狂王」ルートヴィヒ2世に比すべき奇人というべきかもしれない。皇帝でありながら生涯独身を通し、芸術を愛し、学術を愛していた。」

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「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた



 昨日(2011年9月25日)、松屋銀座で開催の「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた。

 今年2011年は、思想家・作家で「民藝」運動の推進者であった柳宗悦(やなぎ・むねよし 1889~1961)が没して50年、また立ち上げて初代館長を務めた「日本民藝館」の開設 75年という節目にあたる年である。

 展覧会の概要は以下のとおり。

会場:松屋銀座 8階イベントスクエア
会期: 2011年9月15日(木)~9月26日(月)
入場時間: 10:00~20:00 <入場は閉場の30分前まで、最終日17:00閉場>
主催: NHK、NHKプロモーション、日本民藝館
協力: 日本民藝協会
入場料: 一般1,000円 高大生700円日本民藝館

 展覧会の内容紹介の文章を引用させていただこう。

「素朴な器にこそ驚くべき美が宿る」と語った柳宗悦(1889~1961)は、無名の職人による誠実な手仕事を「民藝」(みんげい)と名づけ、沖縄から北海道まで全国各地を巡り、陶磁器・染織・金工・紙などさまざまな分野の中から、魅力的な品々を蒐集しました。
 宗悦の"美"を追い求める情熱は、様々な人々を巻き込みながら大きなうねりとなり、1936年には東京・駒場に念願の日本民藝館を開館。そして、手仕事の復権を目指す民藝運動や数多くの著書を通じて、豊かな日本文化を残すために尽力しました。
 宗悦の没後50年に当たる本年、宗悦が直観により見出した美しい器物、朝鮮時代の工芸、琉球や台湾の衣装や装身具など約250点を一堂に展観し、美の本質を求め続けた柳宗悦の生涯をたどります。
また、宗悦の長男であり、日本民藝館館長もつとめたプロダクトデザイナー・柳宗理(1915-)のデザイン作品や、雑誌『民藝』の表紙デザインも紹介し、父・宗悦、息子・宗理―2人の間に受け継がれたものに迫ります。

 この展覧会の存在は、工芸分野で会社を経営するフェイスブック上の友人から知って、急遽予定に組み込んで訪問することにした次第。

 この展覧会は、百貨店で開催される展覧会でありながら、かなり充実したものでり、行った甲斐があった。松屋銀座での開催はすでに終了してしまったが、この展覧会は日本各地を巡回する予定で、関東では横浜でもかなり長期間にわたって開催される予定なので、見逃した方はぜひ足を運んでいただければと思う。

●神奈川県・横浜そごう美術館(2011年10月22日~12月4日)
●大阪歴史博物館(2012年1月7日~2月29日)
●鳥取県立博物館(2012年4月7日~5月20日)
●広島県・奥田元宋小由女美術館(2012年5月29日~7月8日)


「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」はぜひ行くべき!

 さて話を「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」に戻すと、この展覧会は没後特集にふさわしく、柳宗悦がどういう人で何をやった人なのか、具体的な蒐集物をつうじて展示したもので、その全貌を簡単に知る上では絶好の展覧会である。価値あるものだといってよい。

 ここで、柳宗悦がどういう人であったのか、展覧会の説明文を紹介しておこう。

柳 宗悦(やなぎ・むねよし/通称 そうえつ)(1889-1961)
1910年学習院高等学科卒業の頃に文芸雑誌『白樺』の創刊に参加。1913年に東京帝国大学哲学科を卒業後、朝鮮陶磁器の美しさに魅了され、朝鮮の人々に敬愛の心を寄せる一方、無名の職人が作る民衆の日常品に美に眼を開かれた。1925年に民衆的工芸品の美を称揚するために「民藝」の新語を作り、1936年、日本民藝館が開設されると初代館長に就任。以後ここを拠点に、数々の展覧会や各地への工芸調査や蒐集の旅、旺盛な執筆活動などを展開していった。1957年には文化功労者に選ばれた。

 柳宗悦の名前を知らなくても、「民芸」というコトバは知らない人はいないだろう。「民芸品」の「民芸」である。ただ、柳宗悦に言及する場合は、「民芸」ではなく「民藝」を使うべきようだ。

 この「民藝」というコトバを作った人、そして「民藝」運動をプロモートしたのが、柳宗悦である。

 「民藝」は柳宗悦自身が記しているように、英語では folk crafts である。「民藝」については、「日本民藝協会」のウェブサイトに「民藝とは何か」というページがあるので参照していただきたい。

 手仕事による工藝品、ハンドクラフトである。名もなき職人たちがつくった工芸品。日常生活に美をさりげなく実現してきた手作りの工芸品。芸術家(アーチスト)ではなく、職人(アルチザン)。柳宗悦には『手仕事の日本』(岩波文庫、1985 初版単行本 1948)というタイトルの著書もある。

 お茶碗や湯飲み、皿、甕(かめ)や壺といった焼き物から、布や織物、衣服、染め物、湯釜、机、タンス、机といった生活用品全般から、大津絵、木喰仏(もくじきぶつ)、など柳宗悦の蒐集は広範囲におよび、地理的範囲も日本だけでなく朝鮮半島や台湾といった植民地、また沖縄や北海道の先住アイヌまで独自の文化をもった地域をひろくカバーしている。

 署名や銘の入る芸術家の作品ではなく、作品に署名は入らないが日常生活のなかに美をつくりだす職人たちの手仕事に着目した柳宗悦は、いわゆる「白樺派」から出発した人だ。だが、武者小路実篤など白樺派の文学者たちが忘却の彼方に消え去っても、おそらく柳宗悦は今後も長く生き続けることだろう。

 それは、具体的に目に見える「民藝」というカタチをつうじて精神(ココロ)を読み取ることができるからだ。たとえ文学作品は時代に合わなくなって読まれなくなっても、生活用品を使わなくなることはない。むしろ、ライフスタイルの見直しという観点から、手仕事への注目はますます高まりつつあるからでもある。値段は高くても価値あるものを持ちたいという欲求は、潜在的に多くの日本人が共有しているものだ。


 「民藝」の蒐集と、あらたな時代にむけての創作のプロモートが、多くの賛同者の協力によって成し遂げられてきたことも大きい。

 柳宗悦の「民藝運動」に共鳴した実作者たちには、板画の棟方志功、染色工芸家の芹沢圭介、陶芸家のバーナード・リーチ、富本憲吉、濱田庄司といった人たちも名を連ねている。和食用の食器として人気の高い益子焼も、濱田庄司の存在抜きには語れない。

 倉敷の大原美術館に、これら「民藝運動」にかかわった陶芸家の作品が多く所蔵されているのは、倉敷紡績(現在のクラボー)の大原孫三郎が「民藝運動」のパトロンだったこともあるようだ。大原美術館は言うまでもなく、じつは日本民藝館もまた大原孫三郎の寄付によることを今回知った。現在風にいうならフィランスロピーでるが、まさに日本語の陰徳というべき、実業家によるすばらしい行いである。


柳宗悦の「民藝運動」と思想との関係

 浄土系思想の研究者で実践者である阿満利麿氏の『柳宗悦-美の菩薩-(シリーズ民間日本学者)』(阿満利麿、リブロポート、1987)には、次のような一節がある。

・・(前略)・・<宗教的人間>であることが柳宗悦の本領なのである。宗教がどういうものであるか熟知した上で、宗教をさらに美の形で追求しようとしたのである。
・・(中略)・・「民芸」という言葉は、今日ではすっかり定着したが、それだけにまた柳宗悦が考えていた意味は忘れ去られてしまっている。「民芸運動」は柳にとっては、もともと「美の宗教」の実践運動であったのだ。
・・(中略)・・既成宗教に飽きたらず、そうかといって、自らの内部に沸きあがってくる宗教的要求に忠実であろうとする人々にとって、柳宗悦の展開した「宗教」はきっと訴えるところがあるだろう。(P.8~9 原文ママ 太字ゴチックは引用者=わたし)


 柳宗悦には『南無阿弥陀仏』という著書もあり、法然や親鸞で終わらずに一遍まで視野に入れている。

 念仏三昧の人生をおくった在家の「妙好人」(みょうこうにん)にかんする文章は、鈴木大拙のものとあいまって読む価値のあるものだ。浄土系の念仏と生活の美である「民藝」が、柳宗悦においては一つのものとなるのであった。

 鈴木大拙がその最晩年に、自分の蔵書を中心とした「松ガ丘文庫」を柳宗悦に託したことは当然といえば当然だったのだろう。柳宗悦は、学習院時代に英語教師であった鈴木大拙の教えを受けているのであった。

 柳宗悦がさまざまな文章のなかで繰り返し強調しているのが「直観」である。

 「民藝」の美を見極めるのは「直観」。銘が入っているとか、識者が推奨するとかいった「知識」に惑わされることなく、自分がいいと思った「直観」を大事にする姿勢。これには大いに励まされるものがある。自分の直観の判断に従うこと、これがじつはもっとも確かなことなのである。もちろん、見る眼そのものは、つねに磨いておかねばならないのであるが。

 日本人にとっての「美」はただたんに美しいという感情を表すだけでなく、行為における倫理を意味し、また無意識レベルにおける宗教でもある。

 真善美のなかで「美」に重点がおいてきた日本人の、この「美」というすぐれた徳が今後も研ぎ澄まされることこそが、世界のなかで日本と日本人が独自性をもって生き抜いていくための必須条件であると強く思うのである。

 その意味において、「愛と美の法則」を説く美輪明宏だけでなく、「美の法門」を説く柳宗悦の名前もともに記憶しておいていただきたいと思うのである。


ついでに日本民藝館にも初めて立ち寄ってみた

 ついでに足を伸ばして東京・駒場の日本民藝館まで行ってみた。いままで一回もいったことがなかったらからだ。

 最寄り駅は、京王井の頭線の駒場東大前駅。出口を間違えて、東大教養学部の正門前にいってしまった(笑)東大も本郷の方はなんども行っているが、駒場東大は正門をくぐったのは初めての経験であった。駅を降りるといきなり東大駒場であるということは、初めて実体験したことになる。

 日本民藝館は駅から徒歩7分くらい、閑静な住宅街のなかでも、さらに時代物のなかなか渋い建物である(下の写真)。

 展示物も「民藝」品が中心で、陳列そのものがなかなか渋い味を出している。今回訪問したときは朝鮮の民藝の展示の特集が行われていた。 

 銀座松屋で「柳宗悦展」を観覧している際に目にとまった雑誌『民藝』のバックナンバーの表紙をみて、ああそういえば、だいぶ前のことだが飛騨高山の「日下部民藝館」にいったなあ、と思い出した。『民藝』を何冊か無料でいただいたからだ。

 駒場の日本民藝館もまた、二階建てのつくりで古い日本家屋である。現在ではかえってぜいたくなライフスタイルとなっているかもしれないが、かつての日本人のフツーの生活を想像するにはふさわしい空間である。

 機会があればまた訪れてみたいと思わせる建物と展示内容であった。







<参考文献>

 比較的容易に入手できる柳宗悦の仕事で「民藝」関係のもの

『民藝とは何か』(柳宗悦、講談社学術文庫、2006 単行本初版 1941)
『手仕事の日本』(柳宗悦、岩波文庫、1985 単行本初版 1948)
『民藝四十年』(柳宗悦、岩波文庫、1984 単行本初版 1958)










<関連サイト>

日本民藝館
・・東京・駒場にある大原孫三郎が資金提供した日本民藝館は建物自体が渋くて趣があるもの。また内部の展示そのものにも美的感覚が生きている

大原美術館(倉敷)
・・大原孫三郎がフィランスロピーの一環として地方文化向上のため設立した美術館。コレクションリストには、工芸作品として、バーナード・リーチ、富本憲吉、河井寛次郎、濱田庄司、芹沢銈介、そして棟方志功の名前があがっている。ぜひご確認いただきたい

飛騨高山の「日下部民藝館」
・・国の重要文化財に指定されている日下部民藝館


<ブログ内関連記事>

書評 『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)-「芸能界」と「霊能界」、そして法華経
・・「愛と美の法則」を説く美輪明宏は熱烈な法華経信者、「美の法門」を説く柳宗悦は一遍上人の念仏三昧を理想としたが、実践者と思想家の違いはあれ、日本人の美意識が倫理と宗教の両面にかかわるものであることを示していた点が興味深い

「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 にいってきた (2011年)

書評 『法然・愚に還る喜び-死を超えて生きる-』(町田宗鳳、NHKブックス、2010)

「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡」展(東京国立博物館)にいってきた(2013年)

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日

書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・井筒俊彦は若き日に柳宗悦の影響を受けている

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」
・・真善美のなかでは「美」をもっとも重視したシュタイナーが遺した「思考するアート」

(2014年2月22日、4月16日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)







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2011年9月21日水曜日

「木登りネコ」の写真撮影に成功- 『不思議な国のアリス』にでてくるチェシャ・キャットを思い出した


 先日、いま住んでいる地域に生息しているノラネコを追跡していたら、ひじょうに珍しいことに、ネコが木に登ってしまいました。

 「ブタもおだてりゃ木に登る」とはよくいいますが、「ネコも追い立てれば木に登る」とでも言うべきでしょうか(笑)

 目の前から走っていったと思ったら、すぐ近くにあった木にスルスルと登って姿を消してしまいました。反対側に回り込んで木を見上げたら、高さ2.5mくらいの太い枝にネコがいました。キジネコの模様が保護色となって、なかなかネコを識別できないほどでした。

 ノラネコとして生まれ育つと、野生動物の DNA のスイッチが ON になるようですね。

 基本的に「上から目線」が大好きなネコは、高い塀の上などでリラックスしていることが多いですが、木登りネコを目撃したのは、これが生まれて初めてのことでした。しかも写真に撮ることができたのはラッキー。

 上掲の写真は、左がルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』にでてくるチェシャ・キャット、右はうちの近所の「猫町」に生息するキジネコです。ほんとうによく似ていますよね。

 チェシャ・キャットとは、アリスが道をたずねると禅問答のようなことをいって消えてゆく「木登りネコ」のことです。『アリス』に登場する動物や人物と同様、チェシャ・キャットもまた英語の慣用表現から生まれてきた存在ですね。

 もともとイギリス英語の慣用表現に to grin like a Cheshire cat (=チェシャ・キャットのようにニヤニヤ笑う)という表現があって、そこから作者のルイス・キャロルがつくりだしたキャラクターだとか。数学者のキャロルは、コトバ遊びの天才でもあったわけです。

 ただし、じっさいのネコは歯を見せて笑うことはありません。下をペロっと出してみせることはありますが、笑っているのかどうかはわかりません。飼い主やご主人を喜ばしたいという気性にあふれたイヌは、歯をみせて下もだらりと垂らして喜びを全面に表現しますが。

 なお、おなじく『アリス』に登場する「三月ウサギ」(March Hare)のことは、「ウサギは英語でラビット? ヘア? バニー??」と題してこのブログにも書いてますので、ご興味のある方はどうぞ。 





<読書案内>

『「不思議の国のアリス」の誕生(「知の再発見」双書 73)』(ステファニー・ラヴェット・ストッフル、 高橋 宏訳、創元社、1998)
・・表紙の挿絵は、チェシャキャットに道をたずねるアリス。右下にはホワイト・ラビットも






<ブログ内関連記事>

「ウサギは英語でラビット? ヘア? バニー??」






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2011年9月20日火曜日

医療ドラマ 『チーム・バチスタ 3-アリアドネの糸-』 のテーマは Ai (=画像診断による死因究明)。「医学情報」の意味について異分野の人間が学んだこと


 毎週火曜日夜10時台の医療ドラマ『チーム・バチスタ3-アリアドネの糸-』もいよいよ今夜(9月20日)で最終回。

 ドラマは原作は読んでないので結論がどうなるのか知らないが、というよりもドラマ化は原作とは結論を変えるのがいつものこと。ドラマはドラマとして最後まで楽しませてもらった。小説のドラマ化と映画化は、それぞれは別物と考えるべきなのだ。

 テーマは Ai、画像診断による死因究明。現役の医師でもある、原作者の海堂尊(かいどう・たける)氏がつくった Autopsy(検視) と Imaging(画像診断)の合成語、頭文字をとって Ai である。

 解剖すなわち死体損壊を行うことなく MRI(Magnetic Resonance Imaging)や CT(Computed Tomography)などによって画像をスキャンし、画像から死因を分析する方法らしい。これはドラマではじっさいに目に見えるものとして可視化されているので、イメージするのは容易になっている。

 1990年代以前からビジネスマンだったわたしなど、Ai ときくとまずは Artificial Intelligence (=人工知能)のことかと思ってしまうのだが、専門分野によって専門用語というものはそれぞれ違うものなのだ。だから、海堂氏はあえて Ai と i を小文字にしたらしい。iPhone や iPad などを念頭においていた山中伸弥学博士による iPS細胞(=人工多能性幹細胞)のネーミングと同じである。

 まあ、それはさておき、よくつくりこまれたドラマであった。ドラマ第一作『チームバチスタ』、シリーズ第二作目の『ナイチンゲール』、そしてシリーズ三作目となる『アリアドネの糸』は、社会的な重要性を主張してきた「死因究明」そのものずばりのテーマなので、原作者としての感慨はきわめて深いものがあることだろう。

 テレビドラマにとっては真犯人が誰であるかも大事だが、原作者にとっては Ai というコトバとその意味が少しでも視聴者に伝わったのであれば御の字ということだろう。


世の中に訴えたいテーマをエンターテインメントで発表してきた著者が放ったストレートな一球

 自分の主張したいテーマをエンターテインメント作品というカタチで世に問うことの出来る能力は、誰にでも備わったものではない。

 むしろ、Ai そのものについて書かれた『死因不明社会-Aiが拓く新しい医療-』(海堂 尊、講談社ブルーバックス、2007)のほうがストレートに問題を指摘し、提言もできるので書きやすいのではないかと思う。

 講談社ブルーバックスという器は、科学技術の分野をわかりやすく解説した老舗の新書本シリーズなので、エンターテインメントに比べたら読者層が限定されるだろうが、それでも狭い医学界よりは広い層を対象に設定できる。

 高度な内容にかんする本であるが、本名では無名に近いので、著者はあえてペンネームで出版することにしたそうだ。これは、講談社ブルーバックスにおいても珍しいケースのようだ。たしか、元ソニー取締役の土井氏が天外伺朗(てんげ・しろう)なるペンネームで、研究開発組織にかんする本を書いていたのを読んだ記憶があるが、それが先例となっているのであろう。
                      
 ただし、この本は、海堂尊名義であっても内容はエンターテイメント性は高くないが、さすが「ロジカル・モンスター」白鳥圭輔なる人物を創りだした著者だけのことはある。構成も内容もきわめてロジカルな本である。

 読めば理解できなくはないが、医学を学問として勉強したことがまっったくないわたしにとっては、これが医学の王道か、医学ではそのようにものを見るのかという新鮮なオドロキを感じた。


Ai の定義
 
 Aiの定義は、第8章「死亡時医学検索」の再建のための処方箋「Ai」で行われている。

 著者の説明をわたしなりのコトバで翻訳すれば、「Ai はスクリーニング、解剖はピンポイント」ということになろうか。Ai と解剖は相互補完関係にある。これはドラマを見ていた人にはピンとくる説明だろう。

 MRI などで遺体の全身画像を撮影し、この画像をもとに死因を究明する。それでも引っかかる点をじっさいに解剖してみるという形の補完関係である。解剖が破壊検査であるなら、Ai は非破壊検査であるともいえる。

 なんと驚くべき事に、解剖率がたった 2%台(!)という日本の現状では、たとえ解剖が行われなくても、Ai を行えば残り 97%強の遺体について死因究明を行いうることを意味しているのである。

 さてこの、『死因不明社会-Aiが拓く新しい医療-』だが、なんだか繰り返しが多いなあと思いながらも、最後まで筋を追って読み進めれば、問題の根深さに気が付かざるを得ない。それはゾッとするようなこの国の現実だ。


医療と医学の関係-プラクティスとしての医療行為とアカデミックな学問としての医学

 医療は生きている人間にたいしておこなわれるものであり、けっして無機質なモノではない

 医学用語というのは、医学を学問として勉強したことのない者にとってはなじみのない世界である。とくに「学問としての医学」が門外漢にとって新鮮なオドロキとなるのは、「医学情報」には生体と死体という二つの情報があるという認識である。

 生体にかかかわるプラクティス(=実践的行為)としての「医療」については、医学には直接かかわっていない一般人も、この側面には日常的に接しているものだ。「家庭の医学」などの「医学」はこの側面である。あくまでも生きている人間にとって有用な情報に限定される。

 しかし、生体だけではなく死体も扱うのが、アカデミックな理論体系構築を目指した「医学」である。これは著者が最初から最後まで一貫して主張していることである。

 死体から得た「医学情報」を、生体の「医療」へフィードバックすること。これが医学という学問の進歩にとって不可欠なだけでなく、生きている人間にとってもきわめて大きな意味をもつ。だからこそ、死体の検死が不可欠なのだというのが著者の主張である。

 しかしながら、日本では解剖はたったの2%、解剖ができないのであれば Ai を、しかも解剖と Ai は補完関係にあるといえるわけだ。

 医学における情報の意味を、著者は「実体情報」と「バーチャル情報」のふたつの足し算と考え、複素数で説明しているのが面白いと感じられた。たとえば、こういう式で表現されるとしている(P.160~161)。簡単に要約しながら紹介しておこう。

V info = VR + Vi

V : Vital(生体の)
R : 実数部分。生検情報や体表写真情報、血液の生化学解析など
VR :臨床検査の実体部分
i虚数部分
Vi :CT、MRI、エコー(超音波)など種々の画像診断情報。Vi は VR の影ともいえる情報だが、情報量は膨大でとても重要。

 死亡時医学検索の論理方程式は以下のとおり

N info = AR + Ai

N : Necrotic(死体の)
A : 解剖(Autopsy)。
AR :死亡時医学情報の実体部分。すなわち検案⇒解剖という従来の「死体検索」。
Ai :死亡時医学情報の虚数部分

 実数と虚数の足し算である複素数をつかって説明すると、実数以上の膨大な情報を範囲に含めることができる。著者は、虚数概念を導入することで量子力学が発達したことを例にとっているが、たしかに医学の世界も Ai によって大幅に拡張されることは間違いないだろう。

 梅棹忠夫も『情報の文明学』(中公文庫、1999 単行本初版 1991)に収録されている「情報産業論への補論」のなかで、「情報価格」を「お布施の理論」として、複素数をつかって説明している。計測可能な部分と計測不能は部分の足し算として表現されるべきだという考えに基づいている。

 複素数による説明は、その他分野にもインプリケーションは大きいといえよう。


「経営診断」と「事故調査」-アナロジー(類比)としての「死因究明」


 経営学には、「経営診断」というコトバと実体がある。

 「診断」(ダイアグノーシス:diagnosis)という行為にかんして、おそらく医学のアナロジーを経営分析に応用した概念であろう。

 「経営診断」とは、基本的に過去数年分の財務諸表分析を中心にした定量分析に、経営者や経営幹部や従業員へのインタビュー、工場実地見学などの定性分析を加えて、経営の健康状態を総合的に判断するアプローチのことである。銀行融資の際に行われる企業審査はこの一部である。

 本書を読みながら、これまで医学の本質も知らずにアナロジーとして論じてきたことを恥ずかしく思ったことを告白しておきたい。

 「経営診断」とは基本的に、いま生きている会社の断層図を撮影して分析するというニュアンスの強いコトバだが、「生体」だけでなく倒産した会社という「死体」を観察しなくては、ほんとうの意味で「生体」の診断はできないのだということにあらためて気がつかされたのであった。

 なぜその会社は破綻したのかは、いくつかのパターンに分類されるが、破綻にいたった事情は個別性があって千差万別である。会社が破綻する原因をよく理解できれば、破綻させないための方策も考えることができる。

 もちろん、わたし自身、1990年代には集中的に会社倒産について研究していたのだが、このこと自体を医学のアナロジーで考えることができることを失念していたというわけなのだ。

 最近は流行らないが、「経営診断」のことはかつて「経営ドック」と称していたコンサル会社もある。「人間ドック」のアナロジーである。また、経営コンサルタントもかつては「経営ドクター」などという表現も行われていた。診断と治療を行うという意味においてである。

 医学のアナロジーはこのほかにも、「カネは企業にとっての血液である」などという表現にも表れている。「出血を止める」とか「輸血」などという表現がそのまま使われることもある。会社組織におけるカネ回りは、生体における血液循環の比喩として語られているわけだ。

 また、犯罪捜査と死因究明をわけて考えるべきことは、犯罪捜査と事故原因究明をわけて考えることに共通している。後者は原因分析である。
 
 事故分析とは、事故が起こってしまったあとに、事故が起きないための教訓を知識として得るための知見を得ることを目的としている。

 「事故に学び、その知識を社会で共有することで、将来の重大事故を防ぐ」という、「失敗学」の畑中洋太郎氏の表現をみると、あきらかにパラレルな関係があることがわかる。

 事故は起こらないに越したことはないが、いったん起こってしまった事故について、責任者を追求すること焦点があたりすぎて、事故原因の究明に焦点が当たらないのでは意味がない。


論文形式によるストレートな主張とエンターテイメントによる間接的な主張

 Ai というテーマそのものをストレートに把握したい人はぜひこの本を読むべきだと薦めたい。

 だが、ドラマを見てからこの本を読むのは、ハードルが高いような気もする。本書が多くの読者を獲得するのはむずかしいだろうなとも思う。小説作品とはまったく異なるし、エンターテインメントとしてのドラマや映画とは大いに異なるからだ。

 なお、今年2011年の8月には、本書の各論編として『死因不明社会 2-なぜ Ai が必要なのか-』(海堂 尊=編著、塩谷清司/山本正二/飯野守男/高野英行/長谷川 剛、講談社ブルーバックス、2011)が刊行されたので付記しておこう。より具体的に Ai をめぐる話題が、それぞれ Ai を推進する現役の医師たちによって執筆されている。概念、歴史、医療、捜査、司法、倫理という側面からみた Ai は、医学と死というテーマそのものであるといっていいだろう。

 「Ai と倫理」の章では、歴史家のフィリップ・アリエスや哲学者のジャンケレヴィッチの「死にかんする考察」が解説されており、ひさびさにアリエスの名前を目にしたわたしは懐かしく思った。わたしの大学時代は「日曜歴史家」を自称していたアリエスが精力的に日本に紹介されていた時期であったからだ。アリエスについてはまた後日取り上げることとしたい。

 ところで、ペンネーム海堂尊氏の現在の肩書きは以下のようになっている。
 
独立行政法人放射線医学総合研究所重粒子医科学センター病院臨床検査室医長...

 『チーム・バチスタ』シリーズの主要登場人物である厚労省の白鳥室長の肩書きではないが、じつに長いと絶句してしまう。とても記憶できるものではありません(笑)

 ああそうか、著者は自分のこの長い肩書きを、登場人物で再現させることをつうじて揶揄しているわけなのか。こういうお遊びができるのも、エンターテイネント作品ならではのものなのだなあ、と。









<ブログ内関連記事>

検死と鑑識について

鎮魂!「日航機墜落事故」から26年 (2011年8月12日)-関連本三冊であらためて振り返る

書評 『タイに渡った鑑識捜査官-妻がくれた第二の人生-』(戸島国雄、並木書房、2011)
・・タイ南部を襲ったインド洋大津波による大量の遺体確認をおこなった日本人鑑識捜査官の記録


テレビドラマ

連続ドラマ『夜光の階段』-松本清張生誕100年

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

アルバイトをちょっと長めの「インターンシップ期間」と捉えてみよう
・・連続テレビドラマ『フリーター、家を買う。』(2010年放送)にヒントを得て

「泣いてたまるか」
・・渥美清または青島幸夫が主演した昭和40年代前半の連続ドラマ






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2011年9月16日金曜日

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!


 わたしが20歳台にもっとも影響を受けた本の一冊を紹介します。『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)です。

 表紙には、「潜在する超パワーを引き出し、真健康とすべての武道の奥義を獲得する究極の秘術を初公開!!」 とあります。

 学研で「ムー」とかいったら、いかにもあやしい(!)という印象があるかと思いますが、中身はいたってまともです。現在でも入手可能なロングセラーの名著です。

 肥田春充(ひだ・はるみち 1883~1956年)は、実在の人物です。子どもの頃は虚弱児で「茅棒」(かやぼう)とあだ名をつけられたほど、やせて貧弱なカラダで病気がちなためいつもいじめられていたそうですが、18歳のときに本人曰く「決死的発奮!」をして肉体を鍛えるための方法論を試行錯誤で発見したという人。

 床板を踏み抜いてしまったり、三つの大学の4学部を同時に卒業したり、軍隊ではあまりの気迫に上官は一度も手をだせなかったとか、まさに「鉄人」の名のとおりのエピソードも残していますが、それだけにとどまらず「哲人」の域をも超えた「超人」としかいいようがないエピソードの数々を残すまでに至ったそうです。

 残念ながら、わたしは「超能力」は身についていないですが、この本で紹介された「強健術」は「健康法」として実践する価値は大いにあります。

 とくに、肥田式強健術の極意といわれる 「聖十字架型操練法」 など、寝ながら(!)でもできる健康法もあるので、病弱や寝たきりの方にも実践可能。

 まずは、健全なカラダつくりから始めること。哲人よりも鉄人。

 肥田式強健術を一言でいえば「中心」つくり。「正中心」とか「聖中心」とか表現していますが、この「中心」を体得したことが「超能力」につながる道を切り開いたようです。別の表現を使えば、「軸」や「背骨」となりましょうか。しかし、肥田春充の「中心」というコトバは、日本の武道や芸道でつかう「臍下丹田」(せいかたんでん)に連なるものがあるようです。

 高木一行氏のまとめでは「正中心」は以下の4つに要約されます。

1. 腰を反って腰と腹に等分の力を入れる
2. 上体絶対柔軟
3. 重心を両足の中央に落とす
4. 上体垂直

 これが、肥田式強健術の最大条件であり、唯一の根底である、と。日本の武道や芸道のカラダそのものですね。

 写真でみる肥田春充のカラダは、見た目はポテっとしてますが、伝統芸能の「日本的身体」とまったく同じで、臍下丹田のチカラはものすごいものがあるわけです。呼吸法もふくめて、すべてに通じるものがあるといっていいでしょう。ボディービルのような、見た目はスゴクてもじつは脆い筋骨隆々のカラダではまったくありません。  

 肥田式強健術とは「中心」を鍛えるメソッドなのですね。余計なことをゴタゴタ書くよりも、目次を読んでいただけば、どういう内容の本かわかると思います。


目 次

第1章 肥田式強健術は鋼鉄の肉体と超人パワーを生み出す

 肥田式強健術は東洋古来の“丹田”を発展させた絶対健康の秘鍵だ!
 正中心をつくり中心力を得れば超人的潜在パワーは思いのままだ
 肥田式強健術は虚弱体を男性美あふれる鋼鉄の体に改造一変する!
 肥田式強健術を使えばあらゆる武術の修得がスピードアップする!
 肥田式強健術は70歳を超えてまでも体力、気力、精神力を豊かに保つ!
 肥田式強健術は頭脳を明晰にし、記憶力を高める!
 肥田式強健術の修練で演劇、舞踏の極意が体得できる!
 肥田式強健術は悪筆を直す!
 肥田式強健術は荒くれ者の口を封じるほどの雄弁の才を提供する!
 肥田式強健術の修練はノイローゼ、吃音症を治す!
 肥田式強健術で精神的悟りの境地に入れる!
 肥田式強健術で人生最高の聖境が体得できる!

第2章 正中心をきわめる秘伝強健術を創始した超人・肥田春充

 虚弱体を恥じ18歳で決死的発奮をする
 完全なる理想的人体を得るシステムとはなにか?
 猛練習を通じて西欧の体操法に日本武道の精華を折り込む
 鍛え上げられた春充の肉体は軍隊の上官さえも畏怖させた
 円満無限の聖なる力を体得、杉の八分板を軽く踏み抜く!
 強健術を志して22年、40歳にして心身修養の妙諦“正中心”を体得する!
 「満身これ肝」春充の大喝が極右極左を平伏させた!
 まさに割腹寸前“正中心の宗教真理を書き遺せ”の天啓が下る!
 62歳から10年間、宇宙大学と称する実践研究に没入する
 正中心の体得はついに春充に超能力を与えた!
 超能力と天真療法で病の床に臥す人々を救う!
 前人未到の大悟の極致に達したとき、春充は決然として死を選択した

第3章 肥田式強健術修得の伝法

 肥田式強健術の練磨は1日わずか10分で十分!
 正中心とはなにか?
 肥田春充教示事項
 純自然体休養姿勢
 正中心鍛練の型
 腹胸式呼吸法
 (甲)腹式
 (乙)胸式
 簡易強健術
 正中心腰腹練修法
 聖十字架操練法

第4章 真食養と天真療法で虚弱体質が、メキメキ治る!

 低劣な人間の栄養知識を排し、生命力あふれる自然を食べよ
 真食養の第1要件=質の完全
 真食養の第2要件=分量の適度
 真食養の第3要件=摂取方法
 純健康の3大要素とはなにか?


著者プロフィール

高木一行(たかぎ・かずゆき)

様々な瞑想法、健康法、能力開発法、武術等について、約30年に渡り深く研鑽を積み、かつては雑誌への寄稿、単行本の出版、不特定多数の人々を対象としたセミナー等を通じての啓蒙活動に従事。その後世間との接触を断ち、心身錬磨のトレーニングと並行して、長短の断食を行ない、シャーマニックな修業を試み、深山にこもり、あるいは南海の珊瑚礁や国内外各地の聖地に身をおいて感覚を開放するなど、豊かな心身修養ライフを楽しみつつ今日に至る。ヒーリング・ネットワークというヴィジョンの元、いやしのアートを分かち合う活動を2009年より開始。広島県在住。(http://www.healing-network.com/hn_con より引用)。






<書評への付記>

肥田春充の思想的・精神的バックボーンと日本型キリスト教関係者たち

 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)の「第5章 自己修養の道」の「2. 川合信水と基督心宗教団」で取り上げられた川合信水(かわい・しんすい 1867~1962)は、肥田春充の実兄である。

 この本には肥田春充にかんする記述はいっさないのが残念だが、肥田春充がなぜ郡是製絲株式会社(=現在のグンゼ株式会社)で強健術の指導を行うことになったのかを考えるヒントにはなる。それは、キリスト教指導者であった川合信水が、郡是製絲株式会社から請われて教育部長として着任し、女工を中心とする労働者の指導にあたっていたことからだろう。

 そもそも郡是製絲株式会社は、グンゼ株式会社の社史によれば、創業者・波多野鶴吉(1858~1918)が地域産業振興を目的に京都府何鹿郡(現京都府綾部市)に設立した会社だ。わたしの生まれた舞鶴にも近いので親近感を感じる。

 波多野鶴吉は、キリスト教の理念で会社経営を行った経営者である。この意味において、鐘紡(=現在のカネボウ)の武藤山治や倉敷紡績(=現在のクラボウ)の大原孫三郎ほど有名ではないが、もっと知られてしかるべき存在かもしれない。

 労農派の経済学者で経済史家であった土屋喬雄の名著 『日本経営理念史(新装復刻版)』(土屋喬雄、麗澤大学出版会、2002 原著 1964・1967)の「第三部 キリスト教倫理を基本とする経営理念」の「第二章 波多野鶴吉の経営理念」によれば、会社設立の6年前からすでに同志社の伝道でキリスト教徒となっていた波多野鶴吉は、明治42年(1909年)に東京で独立伝道をしていた川合信水牧師を職工教師として招聘しただけでなく、みずからも川合信水の教えを受けて自己の修養に努めたらしい。

 招聘されてはじめて面談したとき、川合信水は波多野鶴吉にこう言ったという。「職工を善くしたいと思うなら先ずあなたご自身がよくならなければなりません」。その結果、社長以下すべての従業員の修養団体のようになったという。「女子寮」というコトバと実体をつくったのも波多野鶴吉が初めてのようだ。「模範工場」としても知られていた。

 かの有名な『女工哀史』(細井和喜蔵、岩波文庫、1954 改版 1980)が最初に単行本として改造社から出版されたのが 1925年(大正14年)のことであるから、波多野鶴吉のキリスト教理念を徹底した工場経営がいかに時代をはるか先にいくものであったかが理解できるだろう。波多野鶴吉の「模範工場」は、同じく紡績工場を舞台にした『あゝ野麦峠』(山本茂実、1968)が描いた時代よりもあとの時代になる。

 「肥田式強健術」の極意の型といわれるものに「聖十字架操練法」という技法があり、また「聖中心」というターミノロジーの点からいっても、日本型の「精神修養」をバックボーンとしてもちながらも、実兄の影響でキリスト教の影響も受けていたといえるのではないだろうか?

 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』にはこういう記述がある。

宣教師が日本の宗教性を否定して喧伝した排除型神学とはまったく対照的に、川合は、儒教や仏教の伝統には、キリスト教徒の生活に取り入れることのできる高い価値があると訴えた。基督心宗教団で、瞑想と強健術(瞑想と並んで重要な身体訓練と修行の形態)が霊的成長の重要な方途となったのはそれゆえである。(P.115) (*太字ゴリックは引用者=わたしによる)

 なお、『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』には、東京・小石川の「学生修道院」で強健術の早朝修行を行う学生(1925年)という写真が挿入されている(P.116)。「学生修道院」」で肥田春充が指導している別の写真は『鉄人を創る肥田式強健術』にも挿入されている。

 『鉄人を創る肥田式強健術』の P.43 には、押川方義(おしかわ・まさよし)を間に春充と実兄の川合信水という写真が挿入されている。 押川方義(1852~1928)もまた日本型キリスト教を代表する人物の一人である。

 肥田春充の信仰は正確にはわからないが、こういった点からいっても、実兄の川合信水の影響はきわめて濃厚なものであったことが推測されるのである。

 神道系でも、仏教系でもないところが興味深い。





<関連サイト>

ヒーリング・ネットワーク・・本書の著者・高木一行氏が主催する心身修養の活動。なお、「ヒーリング・ムービー」と題したビデオ映像には、No.8 に肥田式強健術のものがある

「聖中心道 肥田式強健術」(YouTube映像 音声なし モノクロ映像 昭和11年 1936年 54歳)
・・郡是製絲株式会社(=現在のグンゼ株式会社)にて



<ブログ内関連記事>

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)
・・「第5章 自己修養の道」の「2. 川合信水と基督心宗教団」で取り上げられた川合信水は、肥田春充の実兄である。この本には肥田春充にかんする記述はいっさいないのが残念だが、強健術の精神的背景を知る上では必読であろう

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・中心、軸、背骨、プリンシプル...

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・この記事をもとに経営理念の側面に焦点をあてて波多野鶴吉の理念について書いたもの






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2011年9月14日水曜日

書評 『タイに渡った鑑識捜査官-妻がくれた第二の人生-』(戸島国雄、並木書房、2011)-「鑑識36年」の著者がタイで体験したマッチョで無茶な生き様


タイ警察で鑑識実務を実地指導してきた「鑑識36年」の著者によるマッチョで無茶な生き様をつづった貴重なドキュメント

 単身でタイ社会に飛び込んで、カラダを張ってタイ警察で鑑識実務を実地指導してきた「鑑識36年のベテラン」の著者による、マッチョで無茶な生き様をつづったドキュメントである。

 あくまでも「現場」に徹底的にこだわりつづけた著者のエピソードが満載、内容も盛りだくさんで、単行本三冊分以上にも相当する。読んで面白い、じつに貴重なレポートである。

 最愛の妻を病気で亡くし、茫然自失の日々を送っていた54歳の日本警察の鑑識捜査官は、JICA(国際協力機構)が募集していたタイ国派遣事業に応募し合格する。新天地の仕事で気分一新しようと思い立った著者は、二年間の任期の新しい仕事にとりかかるのだが、これが最初から「想定外」のことばかりで、読んでいるこちらがハラハラしてくるほどだ。

 現地での仕事は、基本的に数ヶ月に一回の鑑識セミナーの実施のみ。しかしそれに飽き足りない著者は、一大決心のもと現場に飛び込んで肌身をつうじてタイの現状を把握することからはじめる。「上から目線」の教えてやるではなく、「現場」に飛び込んで現地の鑑識捜査官たちとともに汗を流すことが必要だと悟ったからだ。

 本書で語られているのは先駆者の苦労の数々というべきだが、それにしても、著者が現場で指導するまでのタイ警察の実態には驚かされることばかりだ。著者がタイに飛び込んだ1995年当時は、警察の鑑識などあってないようだと言っても言い過ぎではなかったのだ。タイ人特有の「マイペンライ」意識のいいかげんさと同時に、プロ意識も濃厚なタイ警察の警察官たちの素顔も面白い。

 著者みずからが「現場」に飛び込んでかかわったエピソードのひとつひとつはとてもハンパなものじゃない。数多くの殺人事件、運河でのバラバラ遺体発見、スラム街での火事、バンコクにいる日本の暴力団との命がけの渡り合い、タクシン首相時代の「麻薬撲滅作戦」、クーデター、プーケットを襲った2004年の「インド洋大津波」での膨大な遺体の鑑識作業などなど。まさに、日本人鑑識捜査官によるタイ王国事件簿とでもいったらいいような内容だ。灼熱の国タイは事件においても原色の世界なのだ。

 観光ガイドにはけっして書かれることのないタイとタイ人のほんとうの姿を知りたい人、鑑識捜査官の仕事の実際について知りたい人、タイ人を部下にもっている人、南部のリゾート地に大被害をもたらした2004年のインド洋大津波の被災地の現場がどんな状態であったかを知りたい人にはぜひ薦めたい一冊である。

 ただし、挿入された写真にはボカシが入れてあるが、文章にはボカシはいっさいない。心臓の弱い人は読まない方がいいかもしれないと付け加えておこう。


<初出情報>

■bk1書評「タイ警察で鑑識実務を実地指導してきた「鑑識36年」の著者によるマッチョな無茶な生き様をつづった貴重なドキュメント」投稿掲載(2011年9月13日)
■amazon書評「タイ警察で鑑識実務を実地指導してきた「鑑識36年」の著者による貴重なドキュメント」(2011年9月13日)





目 次

序 消えた「微笑み」

第一部 鑑識技術に国境はない
 タイ赴任初日の大失態
 謎の言葉「マイペンライ」
 日本人の腎臓を狙った怪事件?
 日本とタイの鑑識の壁
 事件現場につきものの「葬儀団」
 タイに受け入れられた日本の鑑識技術
 やっとタイの食べ物が合ってきた?
 やさしい笑顔
 タイ警察の有名人「トチャイ将軍」
 「日本のヤクザなら撃ち殺せ」
 いまどきの日本の若者
 行方不明になった日本の大学生
 タクシー強盗に間違われる?

第二部 眠らない街バンコク
 チャイナタウンの殺人事件
 運河に漂流する肉片
 蜂に襲われた警官
 タイの麻薬撲滅作戦
 部下がくれた黄金のお守り
 チャオプラヤー川の船舶火災
 長い長いタイの葬式
 邦人殺害事件
 軍事クーデター勃発
 年越しの大火災
 五つ星ホテルの盗難

第三部 悪夢のインド洋大津波
 被災地への出動命令
 「これから何をすればよいのか?」
 津波発生三日目、指紋採取を開始
 刑務所行きを覚悟の「指紋採取」
 スピードアップした指紋採取
 やっと交代できる……
 被災地で迎えた六四歳の誕生日
 初めて出会った日本人ジャーナリスト
 ついに感染症の危険
 足りない棺桶
 日本の鑑識チームと合流
 久しぶりの入浴
 霊がさまよう村
 ボランティアを知らないボランテイア
 世界の歴史に残る仕事をやり遂げた
 長い夜
 事件は続く……

終わりに
著者略歴


著者プロフィール

戸島国雄(とじま・くにお)

1941年1月1日生まれ。1960年自衛隊に入隊、第一空挺団に所属。1965年警視庁巡査。1970年警視庁刑事部鑑識課現場写真係。三島由紀夫割腹事件、三菱重工爆破事件、ホテル・ニュージャパン火災、日航123便墜落事故、オウム真理教関連事件などを担当。警視総監賞部長賞等107回受賞。1995年、JICA(国際協力機構)の専門官として、タイ内務省警察局科学捜査部に派遣され、犯罪捜査および現場鑑識の指導にあたる。1998年帰国。警視庁似顔絵捜査官が設立され、犯人手配用の似顔絵専門捜査官001号の任命証を警視総監より受理。2001年警視庁を定年退職。2002年3月 JICA のシニアボランティアとしてふたたびタイに渡る。警察大佐を拝命。2004年12月、スマトラ島沖地震による大津波発生の直後から被災地に入り、遺体の身元確認に従事。2011年7月帰国。『似顔絵捜査官001号(仮題)』の出版も予定(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 副題には「妻がくれた第二の人生」とあるが、感傷じみた記述はいっさいない、ハードボイルドな男の第二の人生の記録というべき内容だ。

 出版社の並木書房は、軍関係や警察関連書が中心の出版社だが、その趣味をまったくもたない人には、タイ関連の本でこれほど良書がでたことを失念してしまう可能性があると思い取り上げた。というより、中身はめちゃくちゃ面白い。

 書評にも書いたが、「観光ガイドにはけっして書かれることのないタイとタイ人のほんとうの姿を知りたい人、タイ人を部下にもっている人」には、ぜひ薦めたい

 専門が何であれ、日本人とタイ人は、同じアジア人仏教徒といっても相違点もかなり多い。この状況を肌身をつうじて体感してきたからこそ語ることのできる内容が満載なのだ。

 とくに興味深いのは、このブログでも何回か書いているが、死体にたいする日本人とタイ人の感覚の大きな違いである。日本人は死体と遺体を完全に区別しているが、タイ人の死体感覚は、ある意味ではキリスト教の欧米人に近いものもある。タイの上座仏教徒は、火葬後はハイを川に流すか山に蒔くかして墓をつくらないのだ。

 「微笑みの国」タイの仏教徒なら、人を殺すハズなどないだろうなんて思う常識は捨てたほうがいい。いとも簡単に人が殺されるのがタイ社会である。なんせ人口比で日本の 7倍も殺人事件が発生するタイである。これは銃器が自由売買されているという事情も大きい。この点にかんしては、日本よりも米国社会に近い上座仏教のは自力救済の世界である。

 しかも、血だらけの死体の写真がタイ語のタブロイド紙には平然と掲載される。死体とか血に対する感覚がどうも日本人とは違うのだ。いや、ある意味では平安時代末期までの日本に近いのかもしれない。

 本書にも、鑑識のために遺体安置所に入るシーンが何回かでてくるが、著者は魚市場のように無造作に死体が積まれていると、光景を描写している。読んでいるだけで、視覚と嗅覚を中心に五感を刺激される内容だ。

 本書には、日本人がらみでも表沙汰にならない事件が多数紹介されている。現地紙にはでても日本では報道されない事件や、もみ消される事件も少なくないのだ。その意味でも「バンコク事件簿」として目を通しておくことを奨めたい。

 鑑識捜査官の観点から、タイが日本よりもすぐれているのは、タイ国民は15歳になったら全員が指紋を登録しなければならないという制度の存在だ。おかげで、2004年のインド洋大津波で 10名の部下を率いて最初に被災地に入り3カ月間にわたって従事した遺体の身元確認では、これが大いにものをいう結果となったのだ。
 
 バンコクに駐在する日本人ビジネスパーソンたちのように、安全な日本人居住区に住むわけではなく、しかも運転手つきのクルマが提供されるようなご身分ではない。

 著者は、職場ではみずからエアコンのない大部屋で積極的に部下たちと接触し、部下とともに現地食を食べ、実地でタイ語を覚えていくという日々を送っていた。

 完全にタイ社会のなかにどっぷりと溶け込んだ生活が、技術移転を成功に導いただけでなく、肌感覚あふれるタイ社会の内部レポートに結実したといいっていいだろう。



<関連サイト>

【著者に聞きたい】戸島国雄さん『タイに渡った鑑識捜査官』(産経新聞、2011年9月4日)


<ブログ内関連記事>

書評 『地獄へようこそ-タイ刑務所/2700日の恐怖-』(コリン・マーティン、一木久生訳、作品社、2008)-無実の罪で投獄された白人ビジネスマンが手記につづるタイの刑務所の恐るべき実態 (2014年1月18日 追加)

書評 『地雷処理という仕事-カンボジアの村の復興記-』(高山良二、ちくまプリマー新書、2010)
・・あくまでも「現場」に徹底的にこだわりつづける著者と同じマインドをもった、元自衛官によるボランティアの記録

鎮魂!「日航機墜落事故」から26年 (2011年8月12日)-関連本三冊であらためて振り返る
・・遺体鑑識の現場についての報告が『墜落遺体-御巣高山の日航機123便-』(飯塚訓、講談社+α文庫、2001 単行本初版 1998)にある。戸島氏は御巣高山での鑑識作業にもかかわっている

タイのあれこれ (23) DVDで視聴可能なタイの映画-① ムエタイもの、② バイオレンス・アクションもの
・・タイ映画に多いバイオエンス・アクションものは絵空事ではない。その背景をしるためにも本書は必読だ

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)

書評 『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』(山下文男、新日本出版社、2008)







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2011年9月12日月曜日

書評 『津波と原発』(佐野眞一、講談社、2011)-「戦後」は完全に終わったのだ!


「戦後日本」と訣別する第一歩となる本。メルトダウンした日本でいま何を考えるべきかが見えてくる

 「3-11」については、これまで饒舌に語ってきた多くの論者が沈黙してしまった。あるいは発言したにせよ、その内容はリアリティのない空虚な響きしかもたないコトバの羅列に過ぎないのではないか?

 そう思う人はこのノンフィクション作品を読むことをすすめたい。

 「品格」を欠いた表現が少なくないし、しかも「こじつけ」が多いのではないかという理由で佐野眞一が好きではないにしても、この作品だけは今後のために読んでおくべきだと言っておきたい。

 「3-11」の東日本太平洋岸の大地震と大津波、そして最悪の事態となった福島第一原発のメルトダウン。ともに同時期に発生した大災害であるが、前者が千年に一度とさえいえる巨大自然災害であったのに対し、後者は明かに「人災」である。前者が目に見えるかたちで大きな被害をもたらしたのに対し、後者は今後数十年にわたって見えない恐怖を与え続けることになる放射能被害である。

 とくに原発事故は、「戦後日本」そのものが、そっくりそのままメルトダウンしたのではないかという、シンボリックな意味さえ帯びるにいたっている。さらに言えば「近代日本」そのものがメルトダウンしたのではないか、とさえ思われるのである。

 わたしが本書を読むことにした理由の一つは、『東電OL殺人事件』(新潮社、2000)を書いた佐野眞一が、原発事故と東電についてどのような発言をしているのか知りたいと思っていたことにある。

 しかも、『巨怪伝』(文藝春秋社、1994)では読売新聞社主となった正力松太郎と「戦後大衆社会」をあますことなく描ききった佐野眞一だ。「テレビの父」だけでなく、「原発の父」でもあった正力松太郎について語ることは、そっくりそのまま戦後日本と東電を中心とした原発につながるのである。原発による電力があってこそ、「戦後大衆社会」が成立してきたことは、うかつなことに、本書を読むことで、はじめて強い印象とともに気が付かされた。

 戦後の理想教育を主導しながら挫折した無着成恭、戦後大衆消費社会を実現させた実業家・中内功、戦後大衆社会をリードしてきた石原慎太郎や小泉純一郎といった自民党政治家、そして戦後社会の実験場であった満洲に、戦後のつけが集約されてきた沖縄。これまで佐野が描いてきた戦後日本を扱ったノンフィクションを列挙してみると、佐野眞一が一貫して「戦後日本」とそれを準備した「近代日本」そのものを、時代を象徴するさまざまな人物をとおして描いてきたことがわかる。

 「3-11」とは、まさにその「戦後大衆社会」がすでに液状化し、崩壊していたことを明らかにした自然災害であり、それに付随して発生した取り返しのつかない「人災」であったことが本書によって確認されている。その意味で、「3-11」は暴力的に「戦後」を終わらせたのである。本書は、佐野眞一の集大成とまでは言わないが、これまで「戦後」を多面的に描いてきた蓄積があったからこそ書けた内容だといえるだろう。
 
 この本を読むと、われわれがいまどういう地点に立っているのか知ることができる。何をすべきなのかが明確に示されたわけではないにせよ、何を考えるべきかがおぼろげながらも見えてくるだろう。すくなくともそのキッカケにはなるはずだ。

 その意味で、ぜひ一読することをすすめたい。もはや「戦後」は終わったのだ。


<初出情報>

■bk1書評「「戦後日本」と訣別する第一歩となる本。メルトダウンした日本でいま何を考えるべきかが見えてくる」投稿掲載(2011年9月6日)
■amazon書評「「戦後日本」と訣別する第一歩となる本。メルトダウンした日本でいま何を考えるべきかが見えてくる」投稿掲載(2011年9月6日)





目 次

第一部 日本人と大津波
  重みも深みもない言葉 
  志津川病院の中に入って
  おかまバーの名物ママの消息
  壊滅した三陸の漁業
  熱も声もない死の街
  「何も考えずに逃げる」
  “英坊”は生きているか
  「ジャニーズ」の電源車
  高さ十メートルの防潮堤
  嗚咽する“定置網の帝王”
  日本共産党元文化部長・山下文男
  九歳で昭和大津波に遭遇
  「津波は正体がわからない」

第二部 原発街道を往く
 第一章 福島原発の罪と罰
  逮捕覚悟で原発地帯に入って
  浜通りと原発銀座
  東電OL・渡辺泰子とメルトダウン
  現代版「原発ジプシー」
  無人の楢葉町役場と「天守閣」
  満開の桜と野犬化したペット
  禁止区域に立ち入る牧場主
  地獄の豚舎にあった「畜魂碑」
  原発には唄も物語もない
  ホウレン草農家の消息
  陸軍の飛行場が原発に
  天明の飢饉と集団移民
 第二章 原発前夜-原子力の父・正力松太郎
  原子力の父と「影武者」
  読売新聞の原子力キャンペーン
  核導入とCIA
  原子力平和利用博覧会
  英国からの招待状
  欧米の原子力事情視察
  東海村の火入れ式
  天覧原子炉
  正力の巨大な掌の上で
  「原子力的日光浴」の意味するもの

 第三章 なぜ「フクシマ」に原発は建設されたか  
  フクシマと「浜通り」の人びと
  塩田を売却した堤清次郎の魂胆
  木川田一隆と木村守江の接点
  原発を導入した町長たち
  反対派町長・岩本忠夫が「転向」した理由
  東京電力の策謀
  原発労働はなぜ誇りを生まないか
  浜通り出身の原子炉研究者

あとがきにかえて


著者プロフィール

佐野眞一(さの・しんいち)

1947年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。編集者、業界紙勤務を経てノンフィクション作家となる。1997年、民俗学者宮本常一と渋沢敬三の生涯を描いた『旅する巨人』(文藝春秋)で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年、『甘粕正彦乱心の曠野』(新潮社)で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<書評への付記>

 正直に告白すると、ほんとうはこの本は読むつもりはなかったのだ。だが、読み始めるとけっきょく一気に読み通してしまった。

 日経ビジネスオンラインに掲載されていた著者に聞く 「司馬遼太郎」も「松本清張」も津波で流された『津波と原発』を出版した佐野眞一さんに聞く(黒沢正俊、日経ビジネスオンライン 2011年8月1日)を読んで、「これだ!」と思うところがあって急遽読むことにしたのだ。

 佐野眞一のノンフィクション作品は大半を読んでいるが、それはわたしがビジネスマンであることも大きいと思う。ダイエーの中内功の本などはじつに面白かった。ダイエーが大きくなっていたプロセスを観てきたわけではない世代にとっては、戦後の消費をリードした傑出した経営者であった中内功はじつにまぶしい存在であったからだ。晩節を汚して、寂しく世を去ったのはまことにもって残念なことであったが。

 さて、本書にかんしては、書評のなかで書いたが、あいかわらず「品格」に欠け、やや「こじつけ」と思わざるを得ないような記述もないとは言わないが、『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』の著者で、元日本共産党の山下文男に、大津波から救出されて入院していた病室で行ったインタビューの話は面白い。いまでは、自分を救出してくれた自衛隊に大いに感謝しているという老人になっている。これはぜひ読んでほしいと思う。

 『旅する巨人』(文藝春秋、1996)では、日本中を旅して歩いた民俗学者宮本常一とそのメンターであった民族学者で大蔵大臣を務めたこともある澁澤敬三の生涯を描いているが、佐野眞一の「民俗学の手法」がいかなるものであるかよく理解できる良書である。

 本書『津波と原発』で発掘された、相馬中村藩の飢饉と移民受け入れの話は、わたし自身まったく知らなかっただけに、調べて書いた佐野眞一だけでなく、オドロキの事実の連続に圧倒されることだろう。ここにはまさに「民俗学的手法」がフルに活かされている。

 大飢饉のさなかの人肉食の凄惨な話や、激減した生産人口を回復するために、禁令を犯して、遠く日本海側の因幡や北陸から誘致した移民は、浄土真宗の布教とあいまった移民政策のたまものであったのだ。ちなみに、この相馬中村藩は、幕末に二宮尊徳が開発政策に大きく関与したことで知られている。

 「戦後日本」はすでにメルトダウンした。いや「近代日本」もすでにメルトダウンすたというべきだろう。これをシンボリックに表現したのが、「「司馬遼太郎」も「松本清張」も津波で流された」という表現である。

 「戦後日本」だけでなく、「近代日本」に引導を渡すべきときが来ているのではないか、その時期が顕在化したことに一日も早く気づくべきではないのかと、わたしは強く思うのだ。



<関連サイト>

著者に聞く 「司馬遼太郎」も「松本清張」も津波で流された-『津波と原発』を出版した佐野眞一さんに聞く(黒沢正俊、日経ビジネスオンライン 2011年8月1日)


<ブログ内関連記事>

書評 『私の体験的ノンフィクション術』(佐野眞一、集英社新書、2001)-著者自身による作品解説とノンフィクションのつくり方

書評 『あんぽん 孫正義伝』(佐野眞一、小学館、2012) -孫正義という「異能の経営者」がどういう環境から出てきたのかに迫る大河ドラマ

「沖縄復帰」から40年-『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一、集英社、2008)を読むべし!

「歴史の断層」をみてしまったという経験-「3-11」後に歴史が大転換する予兆 (2011年4月16日)
・・「いわゆる時代区分としての「戦後」は終わったと考えるべきだ」。

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・「近代日本」に訣別する意思表示

書評 『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』(山下文男、新日本出版社、2008)
・・本書でも、今回の大津波で辛くも生き残った山下文男に病室でインタビューしている

『緊急出版 特別報道写真集 3・11大震災 国内最大 M9.0 巨大津波が襲った発生から10日間 東北の記録』 (河北新報社、2011) に収録された写真を読む

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日) (4) 間奏曲-過去の断食参籠修行体験者たち
・・二宮尊徳について比較的くわしく触れている

(2014年8月22日、12月27日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)








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2011年9月11日日曜日

「9-11」から10年の本日は、「3-11」からちょうど半年にあたる(2011年9月11日)


 たまたま、「9-11」から10年の本日は、「3-11」からちょうど半年にあたる。

 まったくの偶然である。だが、この2つの事件には共通点がある。前者は米国の中枢部におけうテロ事件、後者は日本における自然災害とそれがキッカケとなった人災であるが、日米それぞれの国民の精神に大きなダメージを与えたという点に共通性があるのだ。

 とくに米国にとっては、計り知れないダメージを与えたことは容易に想像できる。あの日本ですら、米国本土の攻撃はできなかったのを、アルカーイダがいとも簡単にやってのけたからだ。

 こういう形で日本が引き合いにだされるのは、不本意な気もしなくもないが、歴史的事実としては、米国が正面切ってその中枢部に攻撃を受けたことははじめての経験であることは紛れもない事実であり、間違いなく深層意識(Psyche)の領域で大きなトラウマとなったことは疑いえないことなのだ。

 同様に「3-11」は日本と日本人の精神の奥底に、癒しがたいトラウマを産み付けた。気が付かぬ人も、気が付かないふりをしている人も少なくないだろうが、精神の深層領域に間違いなく澱(おり)のように溜まっている。いついかなるといきに噴き出すかだれにもわからない。

 ところで、一部には「9-11」テロの映像は捏造だなどと主張している人たちもいるが、あきらかに「トンデモ」の類だろう。つい先日も、アポロ11号の月着陸の詳細な画像や映像が NASA から公開されて、「トンデモ」論者の主張は永久に葬り去られた。

 ただし、「9-11」が限りなく謀略に近いという気はしている。日本によるパールハーバー(=真珠湾)奇襲攻撃は、ルーズベルト大統領は事前に知っていて、米国を第二次大戦に参戦させるために、日本に攻撃をさせて参戦世論を喚起することを狙っていたというのは、現在ではほぼ定説となっている。日本側の暗号情報はつつぬけになっていたからだ。

 そう考えると「9-11」テロについても同様の推論が成り立つのは不自然ではない。


「9-11」直後に「政府官邸」に送付した意見書を読み直してみる

 先日、パソコンのハーディスクを整理していたら、10年前に作成した文章がでてきた。

 「テロリストの再報復についての万全の対応を求めます(特に東京その他大都市においてのガス・化学・細菌兵器対策としての万全の治療体制を)」と題して、「9-11」から10日後の2001年9月21日に「政府官邸」(・・現在は首相官邸)に投稿フォームから送付した意見書だ。投稿した文章をコピーしておいたのだ。

 当時の首相は自民党の小泉純一郎だった。国民の圧倒的な支持を受けていた小泉元首相は、歴代はじめてメルマガを発行し、国民との対話を実現した点で画期的な存在であった。

 10年前の自分の文章を読み直すのは興味深い。参考のために全文を掲載させていただこう。なお、文章に手はいっさい入れていない。

テロリストの再報復についての万全の対応を求めます(特に東京その他大都市においてのガス・化学・細菌兵器対策としての万全の治療体制を)

2001年9月21日に「政府官邸」あてに投稿

佐藤賢一 38歳


今回の米国のテロ攻撃に対しては同盟国として、日本国が米国を全面的に支持するのは当然であると考えます。

しかし重要なのは軍事力だけでなく、特にテロリストとの戦いで重要なイマジネーションの力です。テロリストは米国の報復に対して、いかなる再報復を行ってくるか。米国だけでなく、特に英国、フランス、ドイツ、そして日本に対してそれは行われると考えるのが当然でしょう。

日本はすでにサリンガスによるテロを経験しています。
米軍基地や原発だけでなく、特に首都である東京やその他大都市でのテロ対策を十分にしていただきたい。
一国の政府の存在理由は、その国民の生命・財産を保護することにあります。

テロリストによる再報復は、ニューヨークおよびワシントンで行われたと同様の方法がとられることはないでしょうから、おそらくサリンガスか、化学兵器か、細菌兵器による攻撃でしょう。
これに備えるため、東京その他大都市の病院の治療体制を万全にしていただきたい。
前回は聖路加病院にしか治療体制がなかったのではなかったでしょうか(記憶違いかもしれません)。

以上は、日本国の納税者として当然の要求です。
テロは未然に防げればそれに越したことはありませんが、テロが起こってしまったときの対策も万全にお願いします。冒頭に述べましたように、テロとの戦いは軍事力・警察力だけでなく、イマジネーションの力にかかわるものです。テロリストが考えうる以上の想像力が日本国政府に求められていると考えます。

以上


 あくまでも個人の意見書であり、政策に反映したかどうかはまったく不明である。

 当時から、文化人や評論家の多くが、小泉純一郎はブッシュのポチ(笑)だと罵っていたが、わたしは明確に日本の政策を支持しているのである。「日米同盟なくして日本の安全保障なし」という考えに揺るぎはない。その意味では、わたしは首尾一貫している。

 ただ、いま読み返してみて思うのは、内容的にはまったく修正する必要を感じないのはさておき、むしろ10年後の「3-11」ではテロ以上の破壊がもたらされたのにかかわらず、ほとんど何も対応できていない日本政府にはいらだちと怒りを感じるということだ。

 日本政府はこの10年間いったい何をやっていたのだ!?、と。

 そろそろ日本政府には目を覚ましてもらいたい。まだ手遅れではないと信じたいから。あくまでも「信じたい」と言わねばならないのはつらいところだが・・・


米国による「9-11」からの10年間の終わらせかた

 米国は「9-11」からの10年間を力づくで終わらせた。言うまでもなく、アルカーイダのリーダーであったオサマ・ビンラディンを殺害したことだ。共和党のブッシュ前大統領からつづく課題を、民主党のオバマ大統領が国家的課題として引き継いでケリをつけた。

 パキスタン国内のオサマ・ビンラディンのアジトを海軍特殊部隊(Navy Seals)が急襲し、オサマ・ビンラディンを殺害し、遺体を海軍艦艇から海葬した。今年の5月2日のことだ。

 イスラエル型の「暗殺戦略」への移行か?という議論も直後になされた。スティーブン・スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン』を思わせるような、ピンポイントの報復劇であったからだ。おそらくオサマ暗殺作戦も遠くないうちに映画化されることだろう。

 事の是非はさておき、とにかく一区切りついたのは確かだ。オサマも死ねば、影響力は間違いなく消えていく。これはオサマ暗殺実行から4ヶ月たったいま、すでにそのとおりになっている。オサマもあっという間に過去の人となってしまった。その意味では、オサマ暗殺によって、シンボリックな意味でもケリがついたといえるだろう。

 そもそも、イスラーム世界においても、「アラブの春」といわれた「民主化革命」は、すでにアルカーイダ流のテロ戦略が無意味化したことを意味している。チュニジアで始まり、エジプトに飛び火した「民主化革命」は、イスラーム世界においては、もはやテロによる問題解決の時代は過ぎ去ったと捉えるのが常識的な見解であろう。

 かつて、第二次大戦の敗戦後の日本で、共産党が「暴力革命」を実行しようと固執したために、一般民衆の支持を急速に失っていった軌跡に似ている。

 また、1980年代のピークを迎えた大学生を中心とした韓国の過激な「民主化闘争」も、一般市民はエスカレートする過激な大学生たちからじょじょに距離を取り始めたことも思い出す。生活人の反応というのはそういうものだ。世の中は「常識」で類推できること、推測できることは多い。


では、「3-11」後の日本はどうなっていくのか?

 想起されるのは、チェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年のことだったが、それから5年後の1991年にはソ連が崩壊した歴史的事実のことだ。

 「歴史は繰り返す」という言い方がされることも多い。もちろん、そのままそっくり繰り返されることはないが、似たようなパターンが発生することは、経験則としても無視できないものがあるのではないか?

 制度疲労による動脈硬化。これは日本という組織体にも当てはまらないとは誰がいえることだろうか?

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。この金言はしかとアタマに刻み込んでおかねばなるまい。



<関連サイト>

スティーブン・スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン』トレーラー(絵米国版 英語 字幕なし)

映画 『ハートロッカー』トレーラー(絵米国版 英語 字幕なし)
・・アカデミー賞受賞作品。イラクでの爆弾処理班の日常を描いたリアリズム映画


<ブログ内関連記事>

書評 『グローバル・ジハード』(松本光弘、講談社、2008)

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する

書評 『民間防衛-あらゆる危険から身をまもる-』(スイス政府編、原書房編集部訳、原書房、1970、新装版1995、新装版2003)




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