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2011年8月10日水曜日

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる


 2011年8月6日に放送された「NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」を見て、広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える という記事をこのブログに書いた。

 番組のなかで元大本営参謀であった堀栄三氏の証言がでてきたので、たしかこの人の書いた本をむかし読んだことがあると思いながら視聴していたのだが、番組のなかでは著書については、いっさい触れられることがなかった。

 番組を見終わったあと、情報検索してみたら『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989)であることが確認された。

 その際、すでに文庫版もでていることを知ったが、書庫かダンボール箱のなかか、どこかに読んだはずの単行本があるはずだと思って探してみたら、一昨日(8月8日)本棚の奥からでてきた。

 さっそく、番組で言及されていた、米軍のB29による爆撃にかんする暗号解読・・・?について、単行本の本文で確認してみた。

 以下に書く内容は、広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える という記事の補足と考えていただいて構わない。

 ただし、引用するのは1989年発行の単行本初版第一刷から。文庫版をふくめたその後のエディションで訂正事項があるかもしれないが、確認していないのでわからない。


 B29 による爆撃にかんする暗号解読については、Ⅴ 再び大本営情報部へ に書かれている。B29 の B とは、Boeing(ボーイング社)のこと。B52 による北爆がおこなわれたベトナム戦争の記憶も遠くなった現在、念のために確認しておく。

Ⅴ 再び大本営情報部へ
 1. 日本軍の暗号の非能率ぶり
 2. 戦略爆撃と米軍暗号の解読
 3. B-29 のコールサインを追う
 4. 謎のコールサイン機の出現
 5. 米軍の日本本土上陸地点は?
 6. 地下に潜った陸軍特情部

 この一章を精読しなおしてみると、NHKスペシャルの内容とは微妙に違いがあることがわかる。

 堀栄三氏が所属していた大本営第二部(情報)第6課米国班は、航空本部の調査班、陸軍中央特殊情報部(特情部)と緊密な連絡をとってサイパン方面の B-29 の情報把握につとめたが、当時は米国との開戦後、米軍が変更したあたらしい暗号コード解読が完了せず、もっぱら通信傍受によって得た情報をもとに解析をおこなっていたという。すでにして、暗号戦では日本は負けていたのである。

 ちなみに大本営陸軍部は、第一部が作戦、第二部が情報、第三部が運輸・通信、そのほか特殊情報部、総務部)などがあった。昭和18年(1943年)当時の大本営第二部(情報)は、第4課が情勢判断・宣伝・謀略・防諜、第5課がソ連情報、第6課が米英情報、第7課が支那情報・測量・地図、であった。第6課の米英情報は、それまで欧米情報の一部にしかなかったということは驚くべきことだ。

 1945年(昭和20年)8月6日、広島に投下された「原爆」が「原爆」と判明したのはいつか、該当箇所を引用して確認しておこう。

 午前8時15分、広島市上空に一大閃光とともに原子爆弾が投下された。
 「ああ、万事休す」
 第六課の米国班の堀たちが追跡した正体不明機は、原爆投下という特殊な任務機であったことを、最後まで見抜けなかった。
 山下大将(引用者注:山下奉文大将。フィリピンで戦犯処刑)が、リンガエン全部にかけるような投網が欲しい、と言った投網は米軍の方が先に使ってしまった。
 硫黄島基地に「われら目標に向って前進中」の電話を傍受した時点で、特情部は防空部隊に警戒を促す情報を送っていたが、最後まで特殊任務が何であったかを見破れず、その上、無線封止と、従来の戦法の裏をかいた侵入方向で、日本軍の防空部隊までが欺かれて虚をつかれてしまった。
 あのときの「ニューメキシコ州で新しい実験が行われた」という外電情報が、原爆実験であったと結びついたのは、広島に原爆が投下されてから数時間たっての反省と悔悟の結果であり、確実に原爆と堀たちが確認したのは、8月7日早朝ワシントンでトルーマンが正式に発表した放送内容を特情部がキャッチしたときであった。われわれは、沢山の情報の中の一粒の金を見失っていた。ただそれが金であると見抜く能力がなかったのだ。正体不明、特殊任務の内容がはっきりしたときには、広島市民の生命はすでに失われてしまっていた。
 予備知識の程度でも、また原爆の「ゲ」の字のかけらでも、われわれの知識の片隅にあったら、また米国内の諜報網が健在していたら・・(中略)・・。
 「あそこまでは出来ていた」という言い逃れは、戦争の中での情報の世界では通用しない。判断の間違いは直接敗戦の導火線に点火してしまうからだ。
 原爆投下を、たとえ半日でも前に情報的に見抜けなかったことは、情報部の完敗であり、広島、長崎市民犠牲に何ともお詫びの言葉もなく、さらにこれが日本始まって以来の敗戦の導火線に点火してしまったことを思うと、情報の戦争に対する責任も、作戦課と同罪であって、ただただ恐縮この上ない。
 いずれにしても情報の任に当る者は、「職人の勘」が働くだけの平素から広範な知識を、軍事だけでなく、思想、政治、宗教、哲学、経済、科学など各方面にわたって、自分の頭のコンピューターに入力しておかなければいけなかった。
 堀たちの頭に、原爆という語は、その当時かけらほどもなかったことを告白する。山下大将がバギオで、「投網が欲しい」と言ったとき、堀はまだ「面をつぶす兵器」と考えただけで、それ以上に深く考えなかったことが反省される。想い出しても、想い出しても残念であり、その罪の大なるを感じている。再び、「日本よ、将来とも情報を軽視してほならない」と言いたい。M-209暗号機(引用者注:スウェーデンを経て入手したと堀氏が書いている)の解読で、「ヌクレア(核の)」という文字が出たのは正確には8月11日のことであった。陸軍特情部も地団駄踏んで悔しがったがすでに遅かった。
(引用は、単行本 P.217~219 太字ゴチックは引用者=わたし)

 まさに It's too late. 遅すぎたのであった。「われわれは、沢山の情報の中の一粒の金を見失っていた。ただそれが金であると見抜く能力がなかったのだ」という告白のコトバは痛切なものがある。

 引用文中に「堀」とあるのは、著者の「堀」栄三氏本人のことである。一人称ではなく、三人称の固有名詞によって、あえて自分を突き放して、客観的姿勢を示そうとしたのであろうか。とはいえ、堀栄三氏自身は戦後の自衛隊時代もふくめて一貫して「情報畑」の人であり、どこまで正しいことを書いているのかはわからない。当然のことながら書いていない、書けないことが多々あるはずだ。

 ところで余談だが、わたしの祖父は、大正時代の "忘れられた戦争" である「シベリア出兵」に陸軍兵士として出征している。人を撃つのはイヤなので、志願して通信兵になったと聞いたことがある。敵として対面していたのは革命政権側のパルチザン部隊。敵の通信傍受がその基本任務であったようだ。そのために軍隊内の教育でロシア語を猛勉強したといっていたが、暗号解読についての話は聞きそびれたのでわからない。

 このように日本帝国陸軍にとって、仮想敵国は一貫してソ連であった。同じ大正年間の 1919年(大正8年)には、米国は「オレンジ作戦」の立案を開始している。「オレンジ作戦」とは、太平洋をはさんだ日本を仮想敵国の一つと想定した戦争計画であった。

 そしてほぼ一貫して陸軍は「親ドイツ」であった。とくに陸軍幼年学校出身者は、一般中学出身者とは異なり、英語を勉強していなかったのである。これらが英語による英米情報の組織的収集と分析が弱かった理由である。

 堀栄三氏の記述によれば、大東亜戦争がはじまってから泥縄式に英米情報の分析を始めたというが、あまりにも遅きに失したというべきだろう。

 一方、交戦国であった米国は、情報にかんしてはきわめて神経質であった。さきに引用した文章のあとに記述されているが、堀栄三氏たち第6課がたてた米軍の日本本土上陸作戦の予想があまりにも正確だったので、米軍サイドで情報漏洩がなかったかどうか、しつように取り調べられたという。1985年になってもまた同じ件で、別の米軍関係者から取材をうけたことが書かれている。

 それほど、米軍ないし米国は、インテリジェンスにかんして重きを置いているのである。これは、米系の外資系企業の情報管理の実態を知っていれば納得できることだ。

 本書の副題にあるように「情報なき国家」とは日本のことだ。「情報なき国家」の「悲劇」はいまにいたるまで、あまり変化がないようにさえ思われる。

 昭和20年(1945年)当時、最大の組織であった帝国陸軍は、「作戦」を重視しながらも、「情報」を「兵站」よりも軽視し、情報を収集しながらも情報を活かせなかった巨大組織が帝国陸軍であった。

 敗戦から66年、日本はふたたび敗戦した。しかも今度は米国に対する敗北というよりも、自壊であり、自滅である。

 「失敗から学ぶことを先送りし、失敗から何も学ばない日本型エリートの病理」について、出版当時には大いに話題になった本である。文庫版としてもロングセラーとして20年近く読み継がれてきたのも、その理由はあきらかだろう。
 
 著者は、まえがきでこう書いている。

 本文中では再々、戦略・戦術・戦場という昔の軍隊用語が出てくるが、もし企業の方が読まれる場合には、戦略は企業の経営方針、戦術は職場や営業の活動、戦場は市場(マーケット)、戦場の考察は市場調査(マーケッティング・リサーチ)とでも置き換えて読んでくだされば幸いである。

 戦略・戦術は、これが書かれた 1989年当時からすでに20年以上たったいまビジネス用語として完全に定着している。しかし、戦略と戦術の意味を正確に把握して、かつ情報との関係を明確に認識し、情勢判断と意志決定に活かしている人はいったいどれだけいるのだろうか?

 また、ビジネスの世界で「情報」というと、「情報システム」のことしか思い浮かばない固定観念のもちぬしが多い。たんなるデータや情報のままでなく、情報どうしをつき合わせて付加価値のついた情報に加工することが行われなければ意味がないのだが、いまだに「情報」の意味がわかっていないのではないかという印象がつよいのだ。

 ぜひ、文庫版で全文に目を通して、大いなる反省材料として、日々の業務に役立てたいものである。




目 次

まえがき
Ⅰ 陸大の情報教育
Ⅱ 大本営情報部時代(一)
Ⅲ 大本営情報部時代(二)
Ⅳ 山下方面軍の情報参謀に
Ⅴ 再び大本営情報部へ
Ⅵ 戦後の自衛隊と情報
Ⅶ 情報こそ最高の“戦力”
あとがき


著者プロフィール

堀 栄三(ほり・えいぞう)

1913年(大正2年)~1995年(平成7年)は、日本の奈良県吉野郡西吉野村(現五條市)出身の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。情報参謀。昭和18年(1943年)10月1日から大本営陸軍部第2部参謀として、アメリカ軍戦法の研究に取り組み、その上陸作戦行動を科学的に分析して『敵軍戦法早わかり』を作成した。正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、「マッカーサー参謀」とあだ名された。戦中の山下奉文陸軍大将、そして戦後は、海外の戦史研究家にもその能力を高く評価されている(wikipedia日本語版に記述による)。



<ブログ内関連記事>

原爆関連

広島の原爆投下から66年-NHKスペシャル 「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 をみて考える 
・・この記事は今回の記事の補足としてぜひ目をとおしてほしいと思う


インテリジェンス関連

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅 博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)

書評 『グローバル・ジハード』(松本光弘、講談社、2008)

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)

書評 『731-石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く-』(青木冨貴子、新潮文庫、2008 単行本初版 2005)
・・敗戦後日本における激しいインテリジェンス・ウォー

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010) 
・・ドイツ語畑でありながらロシア語を猛勉強しロシア専門家になった、ある情報将校の伝記



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