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2011年8月31日水曜日

『恋する理由-私が好きなパリジェンヌの生き方-』(滝川クリステル、講談社、2011)で読むフランス型ライフスタイル


 ニュースキャスターの滝川クリステルさんが、30歳台の日本女性向けに書いたエッセイ集です。

 最近ではモデルとしても活躍する彼女は、CMなどをつうじても露出の機会が増えたので、知名度もひじょうに向上していますね。

 夜のニュース番組で、局側の要請によって「斜め45度」という無理で不自然な姿勢を強いられていた状態から解放されて、だいぶ本来のナチュラルさを取り戻せたのではないかと思います。

 事実婚、パクス(PAKS)、結婚。フランス女性のライフスタイルには3つの選択肢があるようです。

 このなかでもパクスとはフランス独特のもの。wikipedia によれば、1999年にフランスの民法改正により認められることになった「同性または異性の成人2名による、共同生活を結ぶために締結される契約」である(フランス民法第515-1条)のことで、直訳すれば「民事連帯契約」となるようです。

 フランスでは離婚が手続きが面倒なので、事実婚やパクスを選択するカップルが多いようです。もちろん、カトリックの影響のまだまだつよく残る地方では状況は異なるでしょうが、すくなくともパリという国際都市では、状況が大きく変化しているようですね。

 本書にでてくるキーワードを羅列するとこんな感じでしょうか。

 多様化、個性的、個人主義、マイペース、自分が自分のボス、人生をオーガナイズする、自由意思、まわりと違う、己を知る、自分に自信をもつ、欠点ではなく長所を伸ばす、姿勢の良さ、オーガニック、マクロビオティク・・・

 いずれもポシティブな響きをもったコトバで、わたしも個人的にはたいへん好ましいと思っているものばかりです。わたし自身は男性ですが、こういう生き方を貫いているつもりです。

 とはいえ、こういったコトバで日本で生きるのはじつに難しいのも確かなこと。本書にも1回だけでてきますが、「世間体」のなかで生きているかどうかが、フランス人と日本人を大きく分けているのは明かですね。

 「世間体」や「世間」とは、目に見えないが日本人の言動を大きくしばっている社会的コードのようなもの。「空気」ともかなり近い存在です。

 「世間」を意識せずに生きることのできるフランス人、じつにうらやましいものがあります。もちろん、フランス社会にも、日本人には見えない社会的コードがあるでしょうから、ある意味ではフランス人が意識的に壊してきた歴史的成果といえるのかもしれません。

 じつは、フランス人のライフスタイルには、オーガニックやマクロビオティクのように、知らず知らずのうちに日本をはじめとするアジア的なるものが浸透しています。

 だから、フランスと日本と二項対立的に語っているように見えながら、フランスじたい滝川クリステルさんのような、ハイブリッドな存在になりつつあるということがいえるかもしれません。

 ほとんど対極に位置するようなフランスと日本ですが、お互いからまだまだ貪欲に学ぶべきものがあるようですね。

 もちろん、フランス人はフランス人、日本人は日本人。日本人は日本国内にいるかぎり声高に自己主張する必要はありませんが、個性的であることは自分の人生を生きることですから、コトバではなく生き方として示せばいいのです。自分らしく、しかもさりげなく。

 Amazon のレビューでは、内容にガッカリしたなどの評価がいくつかなされていますが、過剰な期待をするから裏切られ感をつよく感じるのでしょう。学者でも研究者でもない著者に、過剰な期待をもつことは、ある意味では「甘え」そのものです。日本人は、こういうマインドセットを捨てていく必要があります。

 ただ、フランス的生き方が原発による電力に大きく依存していることは、この本には書かれていませんが、アタマに片隅には入れておいた方がいいでしょうね。電気を節約するライフスタイルのフランス人ではありますが、そんなフランスの原発依存比率は7割超になっています。

 女性の生き方は、裏返せば男性の生き方でもありますね。その意味では、女性向けに書かれた本ですが、男性も目を通す意味はあるでしょう。



<初出情報>

 ブログのオリジナル記事です。


目 次

はじめに
1. 選択肢がある生き方
2. フランス的生き方
3. おしゃれ哲学
4. 美の定義
5. 仕事は「心のエネルギー」
6. サステナ美人を目指して
おわりに
日本とフランス 女性解放運動の歴史
カラー48ページ


著者プロフィール

滝川クリステル(たきがわ・くりすてる)


1977年フランス生まれ。父はフランス人、母は日本人。青山学院大学文学部仏文学科卒。フジテレビ「Mr.サンデー」MC、J-Wave「Saude! Saudade ...」パーソナリティ、NHK BS1「プロジェクトWISDOM」MC、WOWOW 「BBC EARTH」プレゼンターなど、メディアで幅広く活躍中。地球いきもの応援団(環境省)に携わりながら、動物愛護の分野でも積極的に活動している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。





<関連書読書案内>

『フランスはなぜ恋愛スキャンダルがないのか』(棚沢直子/草野いづみ、角川文庫、1999)

『日仏カップル事情』(夏目幸子、光文社新書、2005)

『パリの女は産んでいる-"恋愛大国フランス" に子供が増えた理由-』 (中島さおり、ポプラ文庫、2008)

『なぜフランスでは子どもが増えるのか-』(中島さおり、講談社現代新書、2010)

『フランスの子育てが、日本よりも10倍楽な理由』(横田増生、洋泉社、2009)

『フランス父親事情』(浅野素女、築地書館、2007)



<ブログ内関連記事>

滝川クリステルがフランス語でプレゼンした理由
・・「2020年オリンピック」の東京招致に成功した理由の一つ(2013年)

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2011年1月号 特集 「低成長でも「これほど豊か」-フランス人はなぜ幸せなのか」を読む

「特攻」について書いているうちに、話はフランスの otaku へと流れゆく・・・
・・日本とフランスの関係をサブカルチャーから考えてみる。フランスと日本は、知らず知らずのうちにお互い影響を与え合っている

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)

書評 『マイ・ビジネス・ノート』(今北純一、文春文庫、2009)
・・フランス企業で活躍してきた著者によるビジネス書。論理志向のつよいフランス社会が実感的に理解できる

書評 『言葉にして伝える技術-ソムリエの表現力-』(田崎真也、祥伝社新書、2010)

書評 『わたしはコンシェルジュ-けっして NO とは言えない職業-』(阿部 佳、講談社文庫、2010 単行本初版 2001)
・・ソムリエもコンシェルジュもともにきわめてフランス的な職業

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)
・・日本には濃厚な「世間」と「空気」、フランスとの違いを考えるうえで、世間と空気を認識することが重要だ

映画 『最後のマイ・ウェイ』(2011年、フランス)をみてきた-いまここによみがえるフランスの国民歌手クロード・フランソワ

映画 『ノーコメント by ゲンスブール』(2011年、フランス)をみてきた-ゲンズブールの一生と全体像をみずからが語った記録映画

(2014年2月10日 情報追加)




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2011年8月30日火曜日

民主党による政権交代からちょうど二年-三人目の首相となった第95代内閣総理大臣の野田佳彦氏は千葉県立船橋高等学校の出身である


 昨日(2011年8月29日)におこなわれた民主党の代表選において、決選投票で代表の座を獲得した野田佳彦氏は、本日30日、第95代内閣総理大臣として国会での首相指名選挙におおいて指名された。

 前首相の菅直人氏の退陣が事実上確定した段階で名乗りをあげた野田佳彦氏が、一時期は泡沫候補扱いされたにもかかわらず代表に選出されたのは、民主党内部の勢力争いが反映している。

 ちょうど2年前、このブログでは時事ネタとして、Be a Good Loser ! と題して「政権交代」を取り上げたが、わずか二年間で三人目の首相が誕生することになってしまった。敗れた自民党に向けたコトバが、いまでは民主党にも向けねばならない状況だ。

 すでに多くの国民と同様、民主党への失望感にあふれているわたしであるが、以下の3点において野田佳彦氏を歓迎したいと考えている。

 まず第一に、若いということである。

 1957年(昭和32年)生まれの現在54歳という年齢は、企業社会ではけっして若いとはいえないが政界では若い部類に入る。自民党の安倍晋三が50歳台で首相になったとき、「戦後生まれでは初の首相」と話題になったが、健康上の理由で政権を放り出してからは再び老人政治に逆戻りしてしまっていた。

 民主党に政権交代がされてからも、鳩山由紀夫に菅直人と、「♫ 昔の名前ででています」という類の超老政治家が続いていたのは、民主党員にすら不本意なことであったろう。ましてや、民主党員でも民主党支持でもないわたしからみればウンザリの一語に尽きるものであった。

 その意味では、54歳の野田佳彦氏は戦後生まれであっても、いわゆる「団塊の世代」ではない若い首相といえるだろう。大の日本酒好きで酒量が多いとのウワサだが、健康には留意していただきたいものだ。

 第二に、野田佳彦氏は陸上自衛隊の空挺隊員の長男(*)として生まれて育ってきた人だ。

 千葉県習志野市にある陸上自衛隊第一空挺団といえば、陸上自衛隊ではエリート中のエリートの精鋭部隊である。空挺団はパラシュート降下によって敵の最前線に突入する戦略部隊だ。

 第一空挺団に勤務する父親のもと育った野田氏が、いかなる子ども生活と思考の持ち主であるかは容易に想像できるだろう。家庭環境というものを考えてみればいい。地盤・看板・カバンの三つがない一般庶民の家庭に育ったということだ。

 しかも、ひと言で要約すれば、国防と安全保障問題については現実主義、この国のマスコミ用語をつかえばいわゆる「保守」ということになろう。

 先日も「A級戦犯は戦争犯罪人にはあたらない」という答弁をしてマスゴミによって批判めいた取り上げかたをされた。強い信念の持ち主である野田氏からは、今後も物議をかもす発言が飛び出すかもしれないが、近隣の大国におもねることなく、日本人として堂々と主張していただきたいものだ。


(*) これは事実とは違うらしい。陸上自衛隊習志野駐屯地に勤務していた自衛隊員ではあるが、「空挺団」ではなく「業務隊」に所属していたという (2014年1月21日 記す)



 第三に、これは私的なことだが、野田佳彦氏はわが母校の千葉県立船橋高等学校の先輩にあたる人である。

 野田氏は1976年(昭和49年)の卒業で、わたしの5年先輩にあたるので、直接の接点はないのだが、この事実を知って以来、政策の中身はさておいて親近感を感じてきた。これは人間として自然な感情であろう。

 わたし自身は、野田氏とは違って船橋市の出身ではないが、小学校5年のときに千葉県に移ってから、かなり長い年月を千葉県で過ごしてきた。高校は先にも書いたように船校(ふなこう)だが、八千代市から毎日通っていたので船橋市民となったのは、じつは2年前に現在地に引っ越してきたのがはじめてだ。

 ちなみに船校(ふなこう)は、地元では略して県船(けんふな)ともいう。スポーツで有名な市船(いちふな:市立船橋高等学校の略)と区別するためである。県船と市船は、JR総武線の東船橋駅をはさんで南北に位置している。

 船校(・・以下、すべて千葉県立船橋高等学校をさす)は、現在では三番目になってしまっているのが残念だが、わたしが在学していた当時は千葉県では二番目の進学校であった。

 進学校はどこでも似たようなものだろうが、かなり自由な校風であった。しかも、神奈川県の進学校とは異なり、受験勉強を強制されることもないので一浪して大学に進学する者が多かった。野田氏の頃もおそらくそうだったのだろう。きょう(8月30日)のお昼の情報番組で当時の同級生が話していたが、18歳の野田氏は、髪の毛も長くてアイドル風(!)の顔立ちであった。

 大学は早稲田大学政治経済学部政治学科卒業ということで、この点は同じく船校ではわたしの先輩にあたるジャーナリストの江川紹子さん(1958年生まれ)と同じ学部である。野田氏の紹介では松下政経塾第一期生ということがよくでてくるが、大学進学以降の軌跡はわたしとはまったく異なる。

 だからというわけではないが、あえてここでは出身高校を強調しておきたいと思う。今後もマスコミでは船校の名前が出てくることはあまりないと思うが、大学や社会人になってからよりも、人間形成のもっとも重要な20歳までの時期にふれないのは適切とはいいがたい。

 そういう理由もあって、出身大学よりも出身高校が注目されるようになってきているともいう。たしかに、大学はわたしが進学した一橋大学のような比較的小規模な大学はいまでも個性が強いと思うが、野田氏の出身大学である早稲田大学は規模も大きく、かつてのようなバンカライメージではもはや捉えきれないほど、個々の学生は多様化しているだろう。

 6年前にでた本だが、『名門高校人脈』(鈴木隆祐、光文社新書、2006)という本では、当然のことながら(?)船校も取り上げられている。ただし、千葉高(=千葉県立船橋高等学校)が 35行あるのに対して、船校はたったの12行。千葉高は、政治家も共産党委員長の志位さんのような有名人を輩出していたが、ここにきて船校は首相を輩出して大逆転したわけだ。

 と思って、千葉県立船橋高等学校の公式サイトをみたら、なんだこれは見にくいったらありゃしない。せっかく総理大臣を輩出したのだから、早急に作り替えるべきだろう。この機会を捉えて、学校の広報しないでどうするのだ!

 母校出身者ならではの発言だと受け止めてほしいものである。昨日(8月29日)から急にTVでも船橋市がクローズアップされるようになっている。この機会を逃してはいけない!




野田佳彦氏に期待するものと懸念するもの

 というわけで、じつは三番目の理由を書きたいがために今回の記事を書いたのだが、期待するものが大きい一方では、同時に懸念材料も多い。

 日本の財政問題が危機的状況にあることは、わたしも数字でものを考えるビジネスマンである以上、問題の深刻さは野田氏と同様に重々承知している、しかし、いまこの現在で増税を強行するのは政策としてはいかがなものかと思う。

 消費税はとりあえず据え置きでいいのではないかと思うのだ。いずれ消費税も税率アップは不可避だが、同時に所得税の減税をするとか、セットで示すことが必要だろう。消費税のほうが、原理的には公平な税であることは、アタマではわかっているが、消費税導入を強行しようとして敗れ去り、志半ばにして命も落とした大平正芳元首相や、財政均衡を強行して、政権もみずからの命を縮めた橋本龍太郎元首相を想起してしまうのである。

 昨日(8月29日)の代表戦の演説で、子どもの頃TVでみた、浅沼社会党委員長が白昼の演説中に右翼少年に刺殺された事件に触れて、政治に「命を賭けている」と、その容貌にも似た西郷隆盛のような覚悟をしめした野田新首相であるが、信念を貫くためには妥協するところは妥協し、解散がなければ次の総選挙まで長くてあと二年、短くみれば代表の任期が一年とはいえ、在職中に命を落とすようなことはしてもらいたくない。

 未曾有の国家的危機のさなかである現時点で首相に選出されたということは、ある意味では天命であろう。国民の期待を裏切ることなく、天命は果たしていただきたいものである。

 高校の後輩からのエールだと受け止めていただければ幸いである。



PS 野田前首相は、みずから解散総選挙を実行したことで、結果として「民主党をぶっ壊した」人になったが、自民党へのふたたびの「政権交代」への道を開いた人として、自民党は大いに感謝すべきであろう。今後の再起を期したいものである。 (2014年1月21日 記す)



<読書案内>

『名門高校人脈』(鈴木隆祐、光文社新書、2006)

目 次

都道府県別高校の索引
プロローグ
1章 名門公立高校人脈(全国都道府県別)
2章 名門私立高校人脈(男子校、女子校、共学校)
3章 名門国立高校人脈
あとがき
主要参考文献

著者プロフィール

鈴木隆祐(すずき・りゅうすけ)


1966年、長野県軽井沢町生まれ。明治学院東村山高校卒。法政大学文学部日本文学科在学中より、月刊誌、週刊誌、ムック、CD-ROM の編集、制作、著述を手がける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






<関連サイト>

いよいよ税率引き上げ、野田前首相が語る消費税-8%は初めの一歩、政局の年「2015年」を懸念 (日経ビジネスオンライン、2014年3月31日)
・・「穏健保守の再生を目指す」という野田元首相。その使命にむけて、政界再編の主役となることを期待

野田 Who? 新首相はこんな人-代表選の発言を追う (日経ビジネスオンライン、2011年9月1日)
・・これまでの発言へのリンクつき

『民主の敵-政権交代に大義あり-』(野田佳彦、新潮新書、2009)  
・・「はじめに」と「目次」が立ち読みできます。 

怠ることなく続ける駅頭演説、「10年続けることは偉大なり…」
・・「日常的に街宣活動を継続してきたお陰で、衆院本会議においても原稿なしで質疑に立てるようになりました・・」・・なるほど、これが野田氏の秘密だったのか。菅直人とは大違い。



千葉県立船橋高等学校 公式サイト
・・現在は千葉県の指定で現役合格を目標とする「進学指導重点校」となっているので校風に変化が現れているかもしれない

千葉県立船橋高等学校同窓会だより

千葉県立船橋高等学校(wikipedia 日本版)
・・船校は全国各地の名門校のように、儒学を中心とする教育機関であった「藩校」に起源をもつ高校ではない。大正時代に船橋大神宮の神官がはじめた、神社の境内にあった「私立学校」がその原点だ!


野田佳彦(wikipedia 情報)略歴はこちらを参照

衆議院議員 野田よしひこ 公式サイト


<ブログ内関連記事>

船橋漁港の「水神祭」に行ってきた(2010年4月3日)
・・冒頭に掲げた写真は水神祭であいさつをする野田佳彦氏。このときはじめてスピーチをきいたが、いまでも「漁師町」でもある船橋出身の野田氏の海洋主権にかんする認識の高さには感心させられた

"昭和ノスタルジー"な一夜・・・船橋漁港直送 「いわし料理 ふなっ子」にて

船橋大神宮の奉納相撲(毎年恒例10月20日開催)を見に行ってきた

船橋大神宮で「酉の市」・・商売繁盛!を祈願

初詣は船橋大神宮で参拝、そして境内にある"木造の灯台"を見学してきた(2010年1月3日)

南極観測船しらせ(現在は SHIRASE 5002 船橋港)に乗船-社会貢献としてのただしいカネの使い方とは?

「東北関東大震災」(2011年3月11日)直後とその後-千葉県船橋市から

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた
・・ここに陸上自衛隊最強の第一空挺団が駐屯している

Be a Good Loser !
・・2009年8月30日、歴史的な「政権交代」実現の日に麻生元首相にむけたコトバ

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲) 





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2011年8月29日月曜日

書評 『修道院の断食-あなたの人生を豊かにする神秘の7日間-』(ベルンハルト・ミュラー著、ペーター・ゼーヴァルト編、島田道子訳、創元社、2011)-修道院における「断食」は、減量法を越えてスピリチュアルへの道を拓く


修道院における「断食」は、減量法を越えてスピリチュアルへの道を拓く

 ドイツのカトリック修道院で年二回開催されている「一週間の断食セミナー」に参加した、42歳のドイツ人雑誌編集長の記録である。

 著者によれば、西洋のカトリック世界では、修道院の内部を除いてすっかり世の中から忘れ去られていた「断食」が、近年は復活傾向にあるという。資本主義世界の目まぐるしい生活に疲れ果てた現代人が、スピリチュアルなものに癒しを求める志向がその背景にはあるのだろう。

 本書を読んでいると、中世以前にはキリスト教の伝統のなかに「断食」が位置づけられていたことがわかる。初期キリスト教の砂漠の修道士たちの精神をうけついだ中世ヨーロッパのベネディクト会修道院では、謝肉祭で肉を断った復活祭まえの四旬節の40日間は「断食」をすることになっていたらしい。

 興味深いのは、インドを含めた東洋的な精神世界があふれている現代の西欧世界に生きているのにかかわらず、著者が東洋の「断食」修行法にははいっさい言及せずに、キリスト教とくにカトリックのコンテクストのなかでのみ「断食」について語っている姿勢である。おかげで、東洋的な解釈に染まった「断食」ではない、本来のカトリックの修道生活における「断食」を読者が追体験することができる内容になっている。


 物質的な何かを捨てることによって、別の精神的に価値あるものを得る。肉体の欲望をコントロールすることによって、精神的に純化された境地に近づく。これは現在の日本でも流行の、禅仏教やヨーガの教えにインスパイアされた「断捨離」に通じるものがある。不要なものを捨て去り、食を断ち、目から入る雑情報を断ち、耳から入る雑音を断てば、自然と五感がフルに働き、感覚が鋭敏になってくる。より精神的な境地に近づくことになる。

 ただ読んでいて感じたのは、「断食」にかんして東洋と西洋が大きく異なるのは、東洋の「心身一如」(しんしんいちにょ)がカラダとココロを不可分のものと捉えるのに対し、西洋では(・・すくなくとも著者は)、無意識のうちにキリスト教信仰と精神をより重視しているように見受けられることだ。「断食」というカタチは似ていても、肉体と精神に対する態度が大きく異なるようだ。無意識のレベルで「天使」志向があるのかもしれない。

 著者のように「7日間」ではないが、じっさいに、日本の仏教寺院の断食道場で「断食」を体験したことのあるわたしにとっては、共感するものとそうでないものがあるのを感じたのは、わたしが西洋人のカトリック教徒ではないからだろう。キリスト教の信仰をもたない者には、読んでもいまひとつピンとこない点もあることは、正直に書いておきたい。

 とはいえ、たんなるダイエットを越えた、「断食」のもつスピリチュアルな側面に関心のある人、「断食」を活字をとおして追体験してみたい人は読んでみるといいと思う。

 そしてできれば、修道院なり仏教寺院で「断食」を体験してみることをすすめたい。 



<初出情報>

■bk1書評「修道院における「断食」は、減量法を越えてスピリチュアルへの道を拓く」投稿掲載(2011年8月5日)
■amazon書評「修道院における「断食」は、減量法を越えてスピリチュアルへの道を拓く」投稿掲載(2011年8月5日)

*再録にあたって増補した。


ドイツ語原本

Bernhard Müller,Peter Seewald, Das Fasten der Mönche, Heyne, 2003



目 次

はじめに
第1章 修道院へようこそ
第2章 修道院の断食・小史
第3章 断食前の正しい準備
第4章 断食一日目-毒素を洗い流し、健康な体を作る
第5章 断食二日目-あたえ、断念する。そのことで翼が生えたように軽くなる
第6章 断食三日目-さまざまな誘惑と、断食がうまくいかない原因
第7章 断食四日目-自己発見:「罪」を自覚し、「罪」から清められる
第8章 断食五日目-ついにオアシスにたどりつく
第9章 断食六日目-目や耳、口、手を使ったさまざまな「断食」
第10章 断食七日目-最後には望みどおりの自分になれることを悟る
エピローグ――最後に限りない神と人生への賛美を


著者プロフィール

ペーター・ゼーヴァルト(Peter Seewald)

1954年生まれ 「シュピーゲル」、「シュテルン」、「南ドイツ新聞」の雑誌で編集者かつ筆者。ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(・・現在のローマ教皇ベネディクト16世)とのその対談本「地の塩」そして「神と世界」は16カ国語に訳された。最近出版された著書は「グリュース・ゴット(こんにちは)再び神のことを考え始めた時」。「修道僧文庫」編纂者。ミュンヒェン在住。

ベルンハルト・ミュラー(Bernhard Müller)

1961年生まれ。多くの映画およびテレビ制作会社に勤務。1987年より政治と宗教の雑誌「PUR」の編集長。アルゴイのキスレックに在住。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




<書評への付記>

 一ヶ月続くイスラーム世界の断食(ラマダーン)は、今年2011年は、本日8月29日の日没で終了した。ムスリムの皆様は、たいへんお疲れ様です。日没後はたらふく食べられるので、大いにラマダーン明けを祝って頂きたいものと思う。

 もっとも、イスラームの断食は、仏教の断食とは大いに異なり、日の出から日没までのみの断食であって、断食が数日も一週間も連続してつづくものではない。

 キリスト教のカトリックの修道院で行われる断食もまた、仏教の断食によく似ている。

 本書によれば、断食が行われているのはカトリック世界のみで、修道院のなかではずっと断食がおこなわれてきたそうだ。修道制度をもたないプロテスタント世界には「断食」は存在しない

 最近は、ヨーロッパでもスピリチュアルのブームで、断食する人も増加傾向にあるとか。ダイエット(減量)、デトックス(毒素排出)、スピリチュアル(精神生活)の三点セットで、断食(fasting)を捉えたいという人が増えてきているのだろう。  

 ちなみにドイツは、北部はプロテスタント地域、南部からオーストリアにかけてはカトリック地域である。宗教改革時代に領主の信仰によって、色分けがなされたまま現在に至るというわけだ。ちなみに、現在のローマ教皇ベネディクト16世は、俗名はヨーゼフ・ラッツィンガーといい、ドイツ南部のバイエルン出身である。

 本書の舞台となったヤコブスベルク修道院は、修道院の規則をつくったベネディクト会のもので、ライン川の河畔リューデスハイムにある。ドイツ南部のマインツから近い。

 この修道院では、復活祭前の春と秋の年二回、一週間の断食セミナーが開催されているそうだ。






<ブログ内関連記事>

「祈り、かつ働け」(ora et labora)
・・シトー会のモットー

修道院から始まった「近代化」-ココ・シャネルの「ファッション革命」の原点はシトー会修道院にあった

映画 『神々と男たち』(フランス、2010年)をDVDでみた-修道士たちの生き方に特定の宗教の枠を越えて人間としての生き方に打たれる

映画  『シスタースマイル ドミニクの歌』 Soeur Sourire を見てきた
・・ベルギーのドメニコ会修道院を舞台にした映画。修道院制度について解説を書いておいた

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)
・・フランチェスコもまた洞窟のなかで苦行を行っている

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)
・・真言宗の密教寺院で行ったわたし自身の断食体験記

書評 『千日回峰行<増補新装>』(光永覚道、春秋社、2004)
・・最初の700日目とその後の300日目にはさまれた、生まれ変わりのための激しくも厳しい、9日間の断食・断水・不眠・不臥の苦行についても語られる

「半日断食」のすすめ-一年つづけたら健康診断結果がパーフェクトになった!

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・You're what you eat. 何を食べてきたかで人間はわかる。もちろん、何を食べてこなかったかによっても

(2013年12月27日 情報追加)





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2011年8月28日日曜日

「半日断食」のすすめ-一年つづけたら健康診断結果がパーフェクトになった!


「半日断食」はじめて一年になります。
    
「半日断食」とは、夜食べてから、翌朝の朝食は抜いて、昼食まで​いっさい食事をとらない「プチ断食」のことです。

一年つづけた結果、半日断食がきわめて効果の大きなものであることがわかりました。

夜9時までに夕​食を済ませるとしたら、翌日の12時までの約15時間は、なにも食​べずに胃腸をやすませてあげることが可能になります。いいかえ​れば「一日二食」ということになりますね。

医学的な根拠は、甲田光雄(こうだ・みつお)医学博士(1924​~2008)によります。

前掲の写真は、甲田医学博士の『断食・少食健康法-宗教・医学一体論-』(甲田光雄、春秋社、新版 2003、原本 1980)です。この本には、甲田先生自身の体験もまじえて、少食健康法がなぜいいのか、そしてどう実行するのかについて詳細に書かれています。


甲田医学博士の先行者は「西式健康法」を提唱された​西勝造(にし・かつぞう)博士(1884~1959) 。「西式」(にししき)の「朝食無用論」が医学の専門家によるはじめての半日断食の提唱でしょう。

甲田博士は、この西式健康法や、断食療法、生菜食健康法など自然医学の研究のうえ、さらに桜沢式食養(・・いわゆる米国で大流行のマクロビオティック)など各種の民間健康法を自ら実践・研究し、これらを応用するユニークな健康指導医として開業されました。

右の写真は、西勝造博士の『原本・西式健康読本』(西 勝造、西 大助=校訂、早乙女勝元=解題、農山漁村文化協会、1979 原本 1949)です。

西式健康法(にししき・けんこうほう)とは、西勝造医学博士が1927年に創始した健康法、西医学(にし・いがく)、西式強健術、テトラパシーとも呼ばれているそうです。部分しか見ない部分還元主義の現代西洋医学を批判し「宗教医学一体論」を唱える総合的な健康法です。この「宗教医学一体論」を甲田博士は継承したわけですね。

西勝造博士は、上掲書の第14章「朝食廃止論」に、なぜ朝食が有害かについて、古今東西のさまざまな文献や医学的知識にもとづいて主張されています。

朝食を食べないというのは一般的な医学界の "常識" に反することですし、慣れないと空腹感を感じるかもしれません。ですが、いったん「生活習慣」となってしまえば、何の疑問も感じることなく、当たり前になってしまいます。

わたしについてですが、さすが朝起きてから昼食をとるまで水だけで過ごすこということはしていません。

朝起きたら水飲んで、あのあとは暑い紅茶飲みながら​黒砂糖をかじります。糖分を摂取しないと、アタマが働か​ないからです。ただし、健康のため精製していない黒砂糖です​。精製済みのグラニュー糖はカラダによくないのでいっさい摂取しません。


沖縄物産店のわしたやで購入した沖縄県産の黒砂糖をいろいろ試食してみましたが、現在では「西表島(いりおもてじま)の黒糖(こくとう)」に落ち着きました。わたしは一週間で一袋を消費しています。

昼食もそれほど量は食べなくなりました。午前中食べないと、昼食を食べ過ぎるのではないかと最初は思っていたのですが、前日の夜から何も食べていませんので胃が収縮してしまており、たいして食べられないのです。ちょっとでも食べ過ぎると満腹感を通り過ぎて苦しくなるくらいです。

そのかわり、夕食は栄​養バランスを考えてキチンと摂っています。

そうそう、先週、健康診断受けましたが、血液検査では「​異常なし!」。検査結果はパーフェクトでしたよ(^.^)/~~~   

自分のカラダが求める量だけ食べればいいのです​ね。フツーのお医者さんは「朝食抜くな!」とバカの一つ覚えのように言いますが、わたしは自分のカラ​ダの声に忠実に従ったほうがいいと思います。カラダが欲すれば食べる、飲む。カラダが欲しないのであれば食べなければいい。カラダが軽いと、ココロも軽い!!

朝食抜きの一日二食に慣れると、それが当たり前になります。

じつは、わたしはもともと朝食は食べない人間でした。ところが、海外出張が多くなって海外滞在が長くなるとホテルで朝食を食べてしまう。朝食代金が宿泊料に含まれていることが多いので、もったいないとばかりについつい余計なものまで食べてしまう。貧乏性でしょうね。

その結果、朝食を食べる生活習慣がついてしまい、太りすぎでダイエットしても、またじきにリバウンドするという繰り返し。これでは意味がないと、一念発起して断食に参加することとしました。成田山新勝寺の断食参籠修行の存在をインターネット検索で知りました。その体験記はこのブログに書きました。


その断食参籠修行中に、偶然のことですが、「西​式健康法」を知ったのです。そのあと「甲田式」を知りました。​そのことについては、成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (5) 断食二日目 に書きました。

一般にはそのものズバリのタイトルである『奇跡が起こる半日断食-朝食抜きで、高血圧、糖尿病、肝炎、腎炎、アトピー、リウマチがぞくぞく治っている! -(ビタミン文庫)』(甲田光雄、マキノ出版、2001)を挙げておきましょう。

サプリメントが足りない栄養分を補うという「足し算の発想」なら、断食とは余分なものは摂取しないというう「引き算の発想」です。いま日本でも流行りの断捨離(だんしゃり)に通じるものがありますね。

米国人のエグセクティブが実行しているとかいうパワー・ブレックファストなるものは、まさに愚の骨頂としかいいようがありません。早死にしたければ、贅沢して大量に食え!ということでしょうか。米国でもマドンナなど感度の高い人たちは、すでに触れたマクロビオティックなど実践していることは周知のとおりです。

断食が意味をもつのは、マイナスをポジティブに評価するという発想であることも銘記しておきたいものです。




『奇跡が起こる半日断食-朝食抜きで、高血圧、糖尿病、肝炎、腎炎、アトピー、リウマチがぞくぞく治っている! -(ビタミン文庫)』(甲田光雄、マキノ出版、2001)

目 次

序章 断食との出会い
第1章 半日断食のやり方
第2章 半日断食のすごい効果
第3章 半日断食で驚くほどやせて健康になった10人
第4章 半日断食で難病が治った、奇跡が起きた20人
第5章 半日断食の効果を高める西式健康法
第6章 半日断食なんでも Q&A
付録 断食・絶食療法が受けられる主な施設全国リスト


著者プロフィール

甲田光雄(こうだ・みつお)


1924年、東大阪市に生まれる。大阪大学医学部卒。元大阪大学非常勤講師。日本綜合医学会会長、医学博士、甲田医院院長。中学、陸軍士官学校以来、病弱のため、しばしば休学をくり返す。その間、現代医学の治療を続けながら回復せず、これに絶望を感じ、以来、西式健康法、断食療法、生菜食健康法など、自然医学の研究に向かう。その後、桜沢式食養など各種の民間健康法を自ら実践・研究し、これらを応用するユニークな健康指導医として開業。もっぱら現代医学では難治とされる種々の疾患に挑戦して多くの治験例を挙げている。2008年に逝去。



<関連サイト>

甲田光雄 NPO法人日本食養協会

西式健康法通信(西式公認)

断食参籠修行 - 大本山成田山

朝食害毒論(西勝造、中庸出版社、昭和12年=1937年) 国会図書館「近代デジタルライブラリー)







カントの規則正しい独身生活-散歩、会食、チーズ(樋口直哉、ダイヤモンドオンライン、2014年10月9日)
・・・「1日に1度しか食事をしない彼は、夕方から人々を集めた会食という形をとった。 カントはこう言っている。 「1人で食事をすることは、哲学する学者にとっては不健康である」。 食事中、哲学や学問の話は厳禁。世間話に終始した。食事はカントにとって頭を休める大切な時間だったのだ」。
  半日断食どころか一日一食である!


一流アスリートが「朝食を食べない」理由。 実践したら、なぜかわかった (現代ビジネス、2014年12月21日)

(2014年10月9日、2015年1月27日 情報追加)







<ブログ内関連記事>

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)

書評 『千日回峰行<増補新装>』(光永覚道、春秋社、2004)
・・最初の700日目とその後の300日目にはさまれた、生まれ変わりのための激しくも厳しい 9日間の断食・断水・不眠・不臥の苦行についても語られる

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!
・・著者の高木一行氏は1カ月間の断食を実行している(・・これは真似しないよう!)

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・イスラームの断食は断食月の1カ月間、日の出から日没のあいだだけ。日没後は飲食可能

書評 『修道院の断食-あなたの人生を豊かにする神秘の7日間-』(ベルンハルト・ミュラー著、ペーター・ゼーヴァルト編、島田道子訳、創元社、2011)-修道院における「断食」は、減量法を越えてスピリチュアルへの道を拓く
・・キリスト教もカトリックには断食が存在する

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう! ・・東洋医学や断食にも関心の深かったジョブズ

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・You're what you eat. 何を食べてきたかで人間はわかる。もちろん、何を食べてこなかったかによっても

(2014年1月28日 情報追加)





(2017年5月19日発売の新著です)


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2011年8月27日土曜日

書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!


「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!

 「歴史にはイフはない」とは凡庸な歴史家たちの常套句である。だが、歴史が人間の営みの軌跡である以上、その時点その時点における判断と意志決定がその後の歴史の流れを大きく左右していく。

 その判断と意志決定がなぜ、いかなる状況のもとでなされたかを、当事者意識でもって自分のアタマで考えることこそが、ほんとうの歴史を知ることの意味であるのだ。

 これは政治リーダーだけではなく、日本国民の一人一人に求められていることだ。なぜなら、国民は投票や世論形成など、その他さまざまな形によって意思表示し、歴史の流れを変えることも不可能ではないからだ。

 この「授業」は、受験界でも有名な私立男子校・栄光学院の歴史研究部のメンバーを対象に行ったものだそうだが、ビジネスマンのわたしからみると、ある意味ではハーバード・ビジネス・スクールで用いられる経営史のケーススタディにも近いものがある。歴史を傍観者としてではなく、当事者として考えて見よという姿勢が一貫しているからだ。

 とはいえ、そのときどきの政治指導者や軍事指導者の立場にたって、最善の政策を考えよという授業は高校生にはきわめてヘビーなものだっただろう。大人でも考えながら読むのはヘビーなのだから(笑)。しかし、知的好奇心が強く、向上心のある人間にとっては最高に刺激的な授業であろう。

 順序に従って「まえがき」と「序章」から読み始めたが、第3章からはがぜん面白くなり始めた。大衆社会が進展するなか、その当時はまだ男子に限られていたとはいえ、一般人が歴史の動きに、さまざまな方法によって参画し始めることが可能となってきたためであろう。

 英雄豪傑や傑出した指導者の人物史ではなく、本書の主人公はじつは「日本国民」そのものである。その時代、その時代を、地政学的条件や社会資本の蓄積がいまだ十分ではないといったさまざまな制約条件のもとで精一杯生きてきた日本国民である。それはわれわれ自身であり、われわれの父母や祖父母、そしてそのまた先の世代の話でもある。

 明治維新以来、徴兵制や義務教育の普及によって「国民国家」(nation state)の「国民」(nation)として成長してきた「日本国民」。名もなき市井の一般人が「国民」の一人として「声」を持ち、「声」の集合がチカラを発揮していったプロセスが日本近現代史そのものである。

 このプロセスは、日清戦争と日露戦争からすでに始まっていたことが著者によって示される。国民の意思が何らかの形で反映していたのである。「総力戦」の時代においては、すでに戦争は政治家と軍人のものだけではなくなっていたのである。戦死という多大な犠牲を払うことになる国民の支持なくしては、たとえ軍部といえども勝手に動くわけにはいかなかったのである。これが著者のいう「社会契約」というものだ。戦争へという「空気」をつくりだしたのは、じつは国民自身による世論であった。

 第3章と第4章がとくに面白いのは、今年(2011年)初頭から始まった中東世界の「民主化革命」、中国やタイの状況を、デジャヴュー感覚でみているような気がするからだろう。

 「フランス革命」後のナポレオン時代のフランスがその典型であったが、国民国家は国民統合の求心力を外敵との戦争に求めやすい傾向がある。軍が権力の中心にいて、農民比率の高い社会というのは、近代化をすすめる発展途上国ではよくある話だ。もちろん安易な比較は禁物であるが。

 第3章と第4章にくらべて、第5章がやや精彩を欠くのは、分量的にすくなく、やや物足りない気がするだけでなく、誰もがその破局的な結末を十分すぎるほど知りすぎているからかもしれない。

 「大東亜戦争」(・・著者は「太平洋戦争」としているが)の結末を知らないという前提で、昭和16年(1941年)までの状況を直観的に理解するのは、じつはなかなか困難な課題なのだ。本書でも、後付けの説明にならないように、著者もかなり努力をして説明を行っているのだが、読者の側にそうとう程度の知的な取り組みとイマジネーションがなければ、ありのままの事実を受け止めるのは難しい

 本書は、かなり刺激的なタイトルであるが、中身はいたってロジカルなレクチャーと議論がぎっしり詰まった本である。著者の主張に賛成であれ反対であれ、「アタマの体操」として、ぜひ一度は読んでみることを多くの人にすすめたい。



<初出情報>

■bk1書評「「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!」投稿掲載(2011年8月21日)
■amazon書評「「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!」投稿掲載(2011年8月21日)




目 次

はじめに
序章 日本近現代史を考える
  戦争から見る近代、その面白さ
  人民の、人民による、人民のための
  戦争と社会契約
  「なぜ二十年しか平和は続かなかったのか」
  歴史の誤用
1章 日清戦争-「侵略・被侵略」では見えてこないもの
  列強にとってなにが最も大切だったのか
  日清戦争まで
  民権論者は世界をどう見ていたのか
  日清戦争はなぜ起きたのか
2章 日露戦争-朝鮮か満州か、それが問題
  日清戦後
  日英同盟と清の変化
  戦わなければならなかった理由
  日露戦争がもたらしたもの
3章 第一次世界大戦-日本が抱いた主観的な挫折
  植民地を持てた時代、持てなくなった時代
  なぜ国家改造論が生じるのか
  開戦にいたる過程での英米とのやりとり
  パリ講和会議で批判された日本
  参加者の横顔と日本が負った傷
4章 満州事変と日中戦争-日本切腹、中国介錯論
  当時の人々の意識
  満州事変はなぜ起こされたのか
  事件を計画した主体
  連盟脱退まで
  戦争の時代へ
5章 太平洋戦争-戦死者の死に場所を教えられなかった国
  太平洋戦争へのいろいろな見方
  戦争拡大の理由
  なぜ、緒戦の戦勝に賭けようとしたのか
  戦争の諸相
おわりに
参考文献
謝辞


著者プロフィール

加藤陽子(かとう・ようこ)


1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。1989年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。専攻は日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS 2016年6月に新潮文庫から文庫化された。(2016年7月18日 記す)




<書評への付記>

 正直いって前評判どおり面白かった。いや前評判以上というべきだろう。以下に、書評に書ききれなかったことをいくるか書いておきたい。


「人口膨張」が戦前の日本にとっては大きな問題であった

 地政学的状況、安全保障の観点からの「植民地拡大」という戦略を採用した日本国家。「海洋国家」という地政学的条件について、本書ではあまり強調されていないのが残念だ。

 英国にとってのインドが、日本にとっての台湾と朝鮮、そして満洲であった。日本はそれ以外の植民地は、まさに「海洋国家」としての「安全保障」の観点から、面ではなく、点と線で押さえていたに過ぎない。

 あとは膨張する人口問題解決という意味もあったことは、もっと強調すべきであった。

 現在は、人口減少トレンドにある日本だが、かつては膨張する人口をどう食わせるかが、最大の課題だったのだ。だからこそ、移民問題で米国とは険悪な関係になったのである。


民主主義が未発達であったために戦前の日本は・・・

 本書のなかで重要なポイントだと感じたのは、日本の場合は国会で第一党をとったナチス党のドイツとは異なるということだ。このドイツの事例は、ワイマール共和国体制の崩壊は民主主義そのものによってなされた「民主主義の鬼子(おにご)」だという議論がよくなされている。
 
 これに対して、日本では、政党政治では要求を満たされなかった農民や中小商工業者を中心とした国民大衆が、軍部を支持したことにあったのだ。これが第4章の内容であり、きわめて重要なことである。

 とくに1925年には25歳以上の成人男子に限定されたとはいえ、「普通選挙」が実現したが、現在2011年の状況と同様、政党政治に対するきわめて大きな失望感が世の中全体にみなぎるに至った。


事実をベースにした是々非々の「対話」が必要だ
 
 ところで、Amazon でも、bk1 でも、わたしがネット書店に投稿した書評(レビュー)でも賛否両論のようだ。どうもい著者の好き嫌いが、そのまま発言の好き嫌いに反映しているようだ。

 加藤陽子は「贖罪史観」だとかいって非難する論者もいるが、そんなことはどうでもいいことだ。この授業の記録を読んでみれば、かならずしもそうでないことがわかるはず。

 このような非難をする論者は、自分色の色眼鏡をかけたまま、曇った目でレッテル貼りをして、虚心坦懐に読むという知的行為を放棄しているに過ぎないことを、悲しいかな、みずから露呈しているわけだ。

 書評のなかでも書いているように、わたしは「大東亜戦争」と書くべきだという意見の持ち主なので、「太平洋戦争」と書く著者には、その点においては賛同できない。これは、かつてこのブログでも、書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006) でも書いたことである。現在の東南アジアを舞台に、英国やオランダと戦われた戦争が太平洋戦争ではないからだ。

 米国との戦争は、その大半が「太平洋」を舞台にしたものであり、「太平洋戦争」というのも不思議ではない。ただ、米国に完膚無きまでにたたきのめされたという日本人の記憶が、占領中の米軍による「洗脳工作」とあいまって、日本人の脳裏に焼き付いてしまったのだろう。この点は、江藤淳が明らかにした「米軍による手紙検閲」など、すでに定説となっている。

 そういった点はあるにしても、日本近現代史を「対話型授業」でやってのけた著者の能力と暴勇(?)は、素直に賞賛すべきである。読者は、授業に参加したつもりになって著者や高校生たちとの知的格闘を楽しむべきなのだ。

 ただし、「対話型授業」とはダイアローグ(対話)をベースにしたものであり、ダイローグはディベートではない。これを混同している人が多いので注意が必要だ。

 ものの見方は多元的、複眼的であるべきこと、これこそ歴史を学ぶ意義である。



(amazon レビュー 2011年8月28日現在 右クリックで拡大)


<関連サイト>

日本史近代を楽しむ野島研究室のページ
・・論文執筆名は加藤陽子、戸籍名は野島陽子とのこと。プロフィールと研究活動の履歴など


<ブログ内関連記事>

民衆(ピープル)が「声」をもっていくのが歴史の不可逆の流れ-これがただしい歴史観というものだ

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと
・・民なくして国家なし、されど国家なくして国民なし、とは言っていい。

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門
・・ナショナリズムは「近代」の産物

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命そのものよりもナポレオン戦争が「近代」のカギであった

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 
・・日本近代史を100年単位で、連続性と断絶をみる

エジプトの「民主化革命」(2011年2月11日)
・・ついにアラブ世界でも「主権在民」の流れがメインストリームに

書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)
・・いかなる政治的思惑があろうと、大衆に「声」を与えたタクシン元首相は、ただしい歴史観の持ち主だ

映画 『イメルダ』 をみる
・・「ピープル革命」といえばフィリピン。革命された側の視点も重要だ

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む 
・・「応仁の乱」以降の日本史についての、内藤湖南の発言を引用しておいた。


日本近現代史と戦争

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・加藤陽子氏が文庫版の解説を執筆している

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない
・・無謀な戦争であったが、その事実を直視するためには「大東亜戦争」と名付けた当時を想起しなくてはならない

書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2) 

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)

書評 『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)-いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!


「対話型授業」とダイアローグ(対話)

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは

ダイアローグ(=対話)を重視した「ソクラテス・メソッド」の本質は、一対一の対話経験を集団のなかで学びを共有するファシリテーションにある

「◆未来をつくるブック・ダイアログ◆『国をつくるという仕事』 西水美恵子さんとの対話」に参加してきた-ファシリテーションについて

書評 『ハーバードの「世界を動かす授業」-ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方-』(リチャード・ヴィートー / 仲條亮子=共著、 徳間書店、2010)
・・これは経済史の授業。加藤陽子教授の授業に近いかもしれない。ただしエグゼクティブ向け

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ

(2014年7月24日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)









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2011年8月26日金曜日

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅 博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯


吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯

 知られざる英米派の陸軍参謀・辰巳栄一の生涯が、はじめて一冊の本として本書にまとめられた。

 みずからを「敗軍の将」としてオモテに出ることを潔よしとせず、きわめて大きな役割を戦中戦後に果たしながらも、みずからの意思で歴史のなかへ姿を消していった陸軍情報将校

 同じ英米派で先輩にあたる本間雅春中将がノンフィクション作家の角田房子によって取り上げられ、『いっさい夢にござ候』という名評伝が書かれているのは、フィリピンで戦犯として処刑されたという悲劇的な死を迎えただろう。これに対し、みずからの意思で歴史から姿を消し、最終的に天寿をまっとうした辰巳中将は、伝記が書かれたことはこれまでなかった。

 著者の表現を借りれば、「情報力の有無とそれを使いこなす政治指導者の重要性に着目していた」(P.9)辰巳中将は、もっと世に知られてしかるべき情報将校の一人だろう。最後まで読んでみて、強くそう思った。

 敗戦後の日本の保守政治のレールを引いたのはワンマン宰相とよばれた吉田茂である。吉田茂には二人の有力な「ロンドン人脈」があった。

 一人は、GHQによる日本占領下、主権と独立を回復するために、吉田茂の右腕となって活躍した白洲次郎。そしてもう一人は、吉田茂の軍事顧問として活躍した本書の主人公・辰巳栄一であった。

 通産省(現在の経産省)をつくり、電力自由化などの経済政策に大きく関与した白洲次郎が吉田茂のオモテの右腕であったとすれば、敗軍の将としてウラに徹した辰巳栄一は吉田茂の私的な軍事顧問であった。

 著者の表現を借りれば、白洲次郎は「経済の密使」で辰巳栄一は「影の参謀」の役目を演じきったといえよう。辰巳栄一は日本の再軍備においてきわめて大きな役割を果たすことになる影の功労者である。

 なんといっても、本書で読者の関心がいちばん深いのは、副題にもなっている「吉田茂の軍事顧問」としての後半生であろう。この時代の情報は、米国立公文書館の「タツミ・ファイル」によるものだという。

 米軍による占領下の日本でインテリジェンス活動を行っていた対敵諜報部隊(CIC)が収集した情報である。自衛隊の前身である警察予備隊創設も、辰巳栄一の存在なくしてあり得なかったことがよくわかる。その間に展開された種々の暗闘も。

 残念ながら本書は、新聞連載の文章をもとにしたためであろう、単行本においてもやたら「である」という現在形を多用する新聞文体のままであり、けっして読みやすくない。

 連載中の「産経新聞」の読者にとっては意味があるだろう各種の文言も、単行本の読者にとっては正直なところ冗長であり、大幅に再編集してから出版していただくべきであった。

 また、知られざる人物の本格的な紹介でありながら、資料としての年譜もたった1ページと不十分であるのは読者にとっては、はなはだ不親切である。

 とはいえ、本書は先駆的な仕事としては意味あるものといっていい。本書を踏み台にして、吉田茂のロンドン人脈、そして「情報」という観点によるすぐれた評伝やドラマが、これから書かれることになるのであれば、本書の存在意義があったということになろう。



<初出情報>

■bk1書評「吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯」投稿掲載(2011年8月21日)
■amazon書評「吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯」投稿掲載(2011年8月21日)

*再録にあたって一部加筆した。




目 次

序章 首相には「影の参謀」がいた
第1章 葉隠精神と破天荒の時代
第2章 情報戦争の渦の中へ
第3章 吉田茂との運命的な出会い
第4章 英米派の孤独な戦い
第5章 風雲急を告げる日米“一触即発”
第6章 帝都防衛、学童疎開
第7章 敗戦―占領軍がやってきた
第8章 鉄のカーテンが降ろされた
第9章 吉田が目指した日本独立
第10章 「歴史に消えた参謀」
終章 吉田ドクトリンを超えて

辰巳栄一略歴
あとがき
参考文献


著者プロフィール

湯浅 博(ゆあさ・ひろし)


産経新聞特別記者・論説委員。1948年東京都生まれ。中央大学法学部卒、プリンストン大学 Mid-Career Program修了。産経新聞入社後に千葉支局、経済部を経てワシントン特派員、外信部次長、ワシントン支局長、シンガポール支局長を歴任。2002年7月から現職。産経新聞に「世界読解」「東京特派員」などのコラムを執筆中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 先日はじめて読んだ『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹)に、総力戦研究所の設立に大きなチカラのあった辰巳栄一の名前がでていることに気が付いた。

 『大本営参謀の情報戦記』を書いた堀栄三もまた、その著書のなかで、敗戦後は辰巳栄一の引きによって情報担当として自衛隊に入ったと書いている。

 さまざまなところに、ちょっとだけがでてくるが、その全体像がわからなかった辰巳栄一。

 吉田茂を中心とした「ロンドン人脈」。元外交官の政治家と経済人そして元軍人の三人が、戦後日本の方向性を決定づけたといっても言い過ぎではないかもしれない。ちなみにこの三人の年齢は、吉田茂(1878~1967)を筆頭に、辰巳栄一(1895~1983)、白洲次郎(1902~1985)とつづく。それぞれ世代の異なる三人であった。

 著者は、序章で以下のように述べている。

 辰巳栄一元中将はこれらの文書で、合理的な組織がもつ情報の上に、洞察力と決断力のある政治指導者を得ていたか否かが、日英を分けていると記していた。とりわけ元中将は、情報力の有無とそれを使いこなす政治か指導者の重要性に着目していた。
 彼は、昭和40年(1965年)に、齢90でこの世を去ったチャーチルに敬意を抱きながら、痛嘆の思いを込めて語っている。
 「英国にとって、未曾有の危機であったあの大戦間、信念の強い、聡明達識の英雄チャーチルによって戦争を指導されたことは、英国民にとって幸せだったと思う」 (P.9)

 「合理的な組織がもつ情報の上に、洞察力と決断力のある政治指導者を得ていたか否か」、この文言は昭和20年(1945年)の敗戦から66年たった、今回の「第三の敗戦」においてもまた、あまりにも重く響く。

 辰巳栄一は本人の意思にかかわらず、三度のロンドン駐在という異例のキャリアの持ち主である。三度目のロンドンで体験したドイツによる爆撃、いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」の経験が、日本帰国後には本土空襲防衛と学童疎開を推進する役割を演じることになる。

 副題から「影の参謀」にどうしても関心が集中してしまうだろうが、学童疎開を推進したことの異議はきわめて大きい。戦後の復興がスムーズにいった理由の一つに、若い人的資源が温存されたこともあげなくはなるまい。


PS 2013年7月に文庫化されて文春文庫から出版されることになった。これによって、辰巳栄一の名前はさらに広く知られることになるであろう。(2013年7月7日 記す)






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「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について

映画 『英国王のスピーチ』(The King's Speech) を見て思う、人の上に立つ人の責任と重圧、そしてありのままの現実を受け入れる勇気
・・第二次大戦中に英国国民を鼓舞しつづけた国王の半生

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)・・必読書!

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

書評 『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)-いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!





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2011年8月24日水曜日

来日中のタクシン元首相の講演会(2011年8月23日)に参加してきた


 昨日(2011年8月23日)、タイ王国のタクシン元首相の講演会に参加してきた。

 主催は、一般社団法人 日本・中国・ASEAN経済文化研究会。会場は、東京・神保町の学士会館、個人は会費2,000円。18時から20時までの予定であったが、タクシン氏の都合で、約15分遅れで開始、いきなりタクシン氏の講演で始まった。

 会場には 250人くらいだろうか、ほぼ満員であった。タクシン元首相が一躍また「時の人」に返り咲いただけでなく、タイの政治経済にかんする関心が強いからだろう。実妹のインラック氏が、タイ国政においては発の女性首相となったことをうじて、日本だけでなく世界的に「時の人」に返り咲いたわけだ。

 座席の前半分は記者と会社関係、後ろ半分が一般人と学生に用意されていた。わたしは「個人」の資格で参加した。法人だと 5,000円の会費は高すぎる。

 ところで、2006年のクーデター後、タクシン氏はタイから追放されて海外亡命中で、現在はモンテネグロ政府の発行するパスポートでドバイを拠点に世界中を飛び回っている。

 今回の講演会場は、セキュリティが甘すぎるのではないかと危惧された。海外亡命中の政府要人が暗殺の対象になるのは常識である。それにしては、「かばんのなかを見せてください」というだけで、金属探知機も設置していないセキュリティ体制の甘さには正直なところ驚いた。あらかじめ想定してかなり早く会場にはいったのは意味がなかったか? タイの日本大使館でも金属探知機によるセキュリティ・チェックが行われている。

 タイの政治家で、クーデターなどで国外逃亡して亡命生活を送った人は多い。たとえば、戦時中から戦後にかけて大きな政治力を誇ったピブーン元帥(・・正式にはプレーク・ピブーンソンクラーム)は、最終的に亡命先の相模原市で没している。ピブーンの政敵であったプリーディー摂政は、亡命先の中国で客死している。いずれも、終生タイに戻ることはできなかった。

 そうしたタイの政治史を考えれば、タクシンは例外中の例外とはいえ、国内には依然として反対勢力もつよく、冗談抜きでいつ暗殺されてもおかしくない。平気で政治的謀殺が行われる風土のあるタイである。もちろん、会場には SP と思われる関係者がちらちらしていたが、日本のセキュリティ感覚の甘さは国際的な非常識ではないかと思う。


■タクシン氏の講演内容

 講演タイトルは 「今後のタイ情勢に臨んで」。講演は英語で、しゃべるごとに通訳が入る形式。いまどき、同時通訳ではないのは珍しい。内容は、講演が約40分弱に、質疑応答が一時間。

 案内文にはタクシン・シナワトラと書かれているが、これは英語読みで、ただしくはタクシン・チナワット。タクシンが名前、チナワットはファミリーネームである。タイ人はファーストネームのみを使うのがふつう。

 現在62歳のタクシン元首相は、亡命疲れなどみじんもみせず、かなり精悍でまだまだ現役という感じをプンプンさせていた。クチでは「もはや自分の世代ではない」などと殊勝なことを述べていたが(笑)、政治的な野心を失って枯れたとはほど遠い印象。とても政治亡命中とは思えない感じであった。それなりの財産を国外に持ち出すことに成功したようであり、まだ財産は底を着いていないのであろう。

 講演の内容は、おもにタイ経済と 日タイ経済関係について。

 話題の中心は、実妹のインラック首相が推進するポピュリスト政策の追認。最低賃金の 25%引き上げの件。この政策はインラック氏の発案か、それともタクシン氏の発案かはわからないが、最低賃金の引き上げによって所得向上を図り、ひいては国内消費の拡大につなげるという政策は、経済的には理にかなっているものだ。

 講演のなかでも言っていたように、最低賃金引き上げ策は、ある意味では「BOP戦略」である。BOP とは Bottom of the Pyramid の略。ピラミッドの底辺にむけて行う販売戦略のことで、たとえば石けんのサイズを小さくしたり、小分けにすることで底辺の人間でも買いやすいよいうに仕向けるものだ。

 底辺層は、向上した所得の大半が貯蓄ではなく所得に回る傾向が高いので、最低賃金引き下げによって内需振興を図ることは、これから行おうとしているタイだけでなく、中国もすでに取り組んでいる。

 ただし、最低賃金引き上げ策がポピュリスト的な大衆迎合型の政策であり、政治的にはかなりの反発も招く可能性のあること。経済的にはインフレをもたらす傾向があることが懸念されるところだ。

 何よりも企業経営者からは、最低賃金の25%(!)賃上げは、労働集約型産業にとっては致命的な影響を及ぼす。タイもまた中国や先進国シンガポールのように、労働集約型産業から知識産業へのシフトを青写真として描いているのだろうが、そうすんなりとはいかないだろう。

 実際のところ、在タイの日系企業の多くが、受け入れがたいと捉えていると聞いている。労働集約型あるいは資本集約型の中間的色彩のつよい製造業が中心の日系企業では当然だろう。

 講演では、自分が首相だった時代に手がけた OTOP についても言及していた。日本の大分県で始まった「一村一品」運動のタイ版である。OTOP とは One Tambon One Product の略。タンボン(tambon)とは、タイの行政単位のことである。これには JETRO が全面協力している。

 このほか、自動車産業や農業などにかんして、具体的な取り組みと日本の SME(=small and mid-sized companies:中小企業)への期待がつよく述べられた。

 全体的には、BOI(=タイ投資委員会)を代弁したような内容の話であったが、実際のところ実妹のインラック首相をつうじて政策実行を間接的に行使できるポジションからの発言であると受け取っても問題はないだろう。

 さすが、かつて 「CEO首相」といわれただけに、何ごとも企業経営のアナロジーで語るタクシン氏の話はわかりやすい。こういうタイプの政治家が日本にもほしいものだと思ったものだ(笑)

 タイの国内政治について内政干渉的な発言は慎みたいが、タクシン氏が起業家であり、タイを代表する通信会社のオーナーであったことからも、あたらしいインラック政権がビジネス寄りの政権であることに期待は大きい。


タクシン氏の今後について


 「日本では禁錮刑判決を受けた外国人へのビザ発給を原則禁止しており、日本政府はタイ政府の要請に応じタクシン氏を特例扱いしたことを認めている」と、ある新聞記事にあった。

 日本政府としては、「タイ政府の要請に応じ」という文言で責任回避を計ろうとしているが、実際のところは、関係再構築に動き出したと見るべきだろう。

 2006年のクーデター後、タクシン氏は一回タイに戻ってきている。そのときに、最高裁の判決がでて禁錮刑判決がでたが、再び国外逃亡して現在に至っている。前回の「帰国」のとき、わたしはタイにいて、TVや新聞で一部始終をみていたが、さすがに現在の状況のまま帰国を強行すれば、間違いなく騒動を引き起こすことになるだろう。

 国王誕生日の12月5日を無事にやり過ごしたあと、今年の年末までに帰国するかが山場になるのではないだろうかと考えている。もしかすると、もっと早まるかもしれないが、「急いては事をし損じる」という日本語のコトワザを教えてあげる必要があろう。


/////////////////////////////////////////////////////////

 ところで、後援会の会場となった「学士会館」だが、なかに入るのは今回が初めて。内部は古色蒼然とした建築で、道路をはさんで斜向かいにある、わが母校の「如水会館」のほうがはるかに立派だなあと、内心ニンマリしたのでありました。これは余計な発言か(笑)。



<ブログ内関連記事>

書評 『クーデターとタイ政治-日本大使の1035日-』(小林秀明、ゆまに書房、2010)
・・タクシンなどタイの政治家の肉声を再現した元外交官の回想録

番外編 書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009) 
・・タクシン時代のタイは、日本の小泉政権とパラレルに動いていた「新古典派経済学」の時代であった

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010) (2010年11月28日追加)

「タイ・フェスティバル2010」 が開催された東京 と「封鎖エリア」で市街戦がつづく騒乱のバンコク(2010年5月27日)

「バンコク騒乱」について-アジアビジネスにおける「クライシス・マネジメント」(危機管理)の重要性

「バンコク騒乱」から1周年(2011年5月19日)-書評 『イサーン-目撃したバンコク解放区-』(三留理男、毎日新聞社、2010)

シンポジウム:「BOPビジネスに向けた企業戦略と官民連携 “Creating a World without Poverty” 」に参加してきた
・・BOPビジネスについて





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2011年8月23日火曜日

書評 『松井石根と南京事件の真実』(早坂 隆、文春新書、2011)-「B級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった


「B級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった

 松井石根と書いて、まつい・いわね、と読む。「B級戦犯」として極東軍事裁判(東京裁判)で死刑を宣告され絞首刑となった 7人の一人だ。現在では知っているひとはそう多くはないのではかもしれない。

 本書は、心ならずも「南京事件」における「虐殺」の責任者とされた「悲劇の将軍」を正面きってとりあげた評伝である。そしてまた、「南京事件」を中心に、松井石根という一人の中国通の情報将校の目をとおして描いた日中関係史でもある。

 ではなぜ松井中将が「悲劇の将軍」となったのか? 松井将軍が心の底から中国を愛し、日中友好こそがアジア安定の要であるという固い信念をもっていたにもかかわらず、日中関係が悪化の一方をたどった時代に生きた職業軍人であったことが、その原因の一つである。松井将軍は、59歳で予備役から戻されて、上海攻略戦の総司令官となったのであった。

 しかも、1937年(昭和12年)の「南京事件」は、松井将軍の意に反して行われたものであった。「上海事変」で中国側の激しい抵抗にあった日本軍は、からくも勝利を収めたあと、一部の司令官がなしくずしで開始した南京攻略戦を追認せざるをえなくなる。軍隊にあっては絶対にあってはいけないはずの「指揮命令系統の混乱」が生じたのは、そもそも戦争目的があいまいであったこと、戦争の「出口戦略」が見失われたことも大きい。

 捕虜の虐待や民間人に被害を与えないよう、上海と南京の攻略戦をつうじて、松井将軍が何度も「戦時国際法」に基づいて軍紀を守るよう、くどいほど念を押していることが本書を読むと確認できる。

 とはいえ、軍紀に厳しい理想肌の松井将軍の下にいたのは、内心ではそんな松井将軍をせせら笑っていた下克上的風潮のつよい将校たちであった。

 南京事件は、「カリスマなき誠実な理想主義者」がリーダーとして現場でトップに立ったときに引き起こされた悲劇というべきかもしれない。そして、その後の松井将軍の生涯は、この南京攻略戦が原因となった東京裁判での死刑判決と絞首刑によって完結することになる。

 終生、親中国の姿勢を変えることのなかった松井将軍。みずから意図したものとは正反対の結果を生み出し、死後もなお誤解が解けることがない「悲劇」の人生。日本側がみて良かれと思ったことが、けっして現地住民が心から歓迎するものではないことに思い至らなかったイマジネーションの欠如、認識ギャップが存在したことが否定できないのもまた事実である。この点もまた、軍人としては優秀であっても、政治への洞察力に欠けるものがあったというべきだろうか。

 松井将軍にまつわる中国側の誤解が解ける日は、残念ながら半永久的に来ることはないだろう。だが、せめて日本側においての評価が「正常化」し、「名誉回復」がなされることを望みたい。そのためにも、本書には一読の価値がある。



<初出情報>

■bk1書評「「B戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった」投稿掲載(2011年8月21日)
■amazon書評「「B級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは陸軍きっての中国通で日中友好論者だった」投稿掲載(2011年8月21日)




目 次

序章
第1章 日中友好論者への道
第2章 大亜細亜協会の台頭
第3章 上海戦
第4章 南京戦
第5章 占領後の南京
第6章 興亜観音
第7章 東京裁判
最終章 歿後
あとがき
主要参考文献


著者プロフィール

早坂 隆(はやさか・たかし)


1973年、愛知県出身。ルポライター。『昭和十七年の夏 幻の甲子園-戦時下の球児たち-』(文藝春秋)で「第21回ミズノスポーツライター賞最優秀賞」及び「第2回サムライジャパン野球文学賞ベストナイン賞」を受賞。日本文藝家協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 むかし『東京裁判』というドキュメンタリー映画を見たが、そのなかに陥落後の南京に入城する馬上の松井石根(まつい・いわね)将軍のシーンがでてくたような記憶がある。

 けっして偉丈夫というのではない、枯れた感じの風貌。かの「南京事件」の司令官にしては意外な感じがしたのが印象に残っている。このときの写真は、本書第5章の扉に掲載されている。

 松井石根がそもそも陸軍士官学校では、その当時の多数派であったドイツ語でもロシア語でもなく中国語で通した人であり、陸軍大学では成績優秀のため恩賜の軍刀を賜り、参謀本部第二部長として中国通の情報将校としての輝かしいキャリアをつんだ人であったことは記憶しておきたい。

 早坂隆氏は、昨年は樋口季一郎をとりあげている。書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)。 彼もまた、ドイツ語畑でロシア語を独習で完璧に身につけた情報将校であった。意図的に取り上げているのかどうかわからないが、どうも昭和期の陸軍軍人では、作戦参謀よりも情報参謀のほうが、緻密で冷静な印象を受ける。

 これは「情報」(インテリジェンス)というものがもつ性格からくるのだろうか。ここでいう「情報」には、「諜報」も「謀略」も含まれる。「戦術」重視の作戦参謀の問題は、すでにさんざん指摘されてきたことではあるが、さらに検討を加える必要があろう。日本の軍人は、「情報」を軽視した「作戦」(!)という、部外者からみたらナンセンスとしか思えないことを平気でやっていたのだ。

 孫文の「中国革命」成就までは、ほぼ完全に一致していた日中双方の中国感が、かくも乖離していったのはなぜか。日本近現代史の「不幸」は、まさに「日中関係悪化」が止められなかった歴史にあるといっても過言ではない。

 松井石根が推進した「大亜細亜協会」に端的にあらわれているのだが、日本側が良かれと思ったことは、けっして現地住民が心から歓迎するものではないことに思い至らないのは、イマジネーションの欠如と言わねばなるまい。やはり、ある種の固定観念や予断がつきまとっていることに無自覚であったということだろう。善意にもとづく日中友好論であっただけに、この認識ギャップが致命的な過ちを招いたのではないかと思われる。軍人としてのイマジネーションの限界だろうか。

 上海事変の戦死者が日本側でも一万人!以上に及んだこと。この戦いはいったい何であったのか。問い直すのであれば、南京事件だけでなく、上海事変も見直さねばならないだろう。

 とにかく国民党の蒋介石を排除すべしという、松井将軍の信念は、もしうかすると愛憎関係が逆転したものか。当時の近衛文麿首相の「蒋介石を相手にせず」と同じ認識をもっていた松井将軍の認識についても、正直なところ、あまりにも軍人的な発想であるように思うのだが・・・。

 まだまだ、簡単に評価を下しがたいのが松井石根という一軍人の生涯である。


<関連サイト>

東京裁判名場面(YouTube 映像)


<ブログ内関連記事>

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)
・・同じ著者による帝国陸軍の情報将校の評伝

「海軍神話」の崩壊-"サイレント・ネイビー"とは"やましき沈黙"のことだったのか・・・
・・「A級戦犯」で死刑宣告され絞首刑となった7人のリストを掲載してある

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・大本営「情報」参謀が書いた「失敗から学ぶ」回想録。必読書!


<読書ガイド>

 本文で触れた、大東亜戦争(太平洋戦争)の将軍たちの伝記を、絶版も含めて紹介する。現在もっとも入手しやすいエディションを掲載しておく。

『山下奉文-昭和の悲劇-』(福田和也、文春文庫、2008)
・・文芸評論家・福田和也による山下奉文大将

『責任-ラバウルの将軍 今村均-』(角田房子、ちくま文庫、2006)
『一死、大罪を謝す-陸軍大臣阿南惟幾-』(角田房子、PHP文庫、2004)
『いっさい夢にござ候-本間雅晴中将伝-』(角田房子、中公文庫、1975)
・・ノンフィクション作家・角田房子による今村均大将、阿南惟幾大将、本間雅晴中将の伝記

『散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道-』(梯久美子、新潮文庫、2008)
・・梯(かけはし)久美子による栗林忠道中将、




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2011年8月21日日曜日

『報道災害【原発編】-事実を伝えないメディアの大罪-』 (上杉 隆/ 烏賀陽弘道、幻冬舎新書、2011)-「メディア幻想」は一日も早く捨てることだ!


「報道災害」とは?

 「報道災害」とは、対論者の一人であるフリージャーナリスト烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏の造語である。

 「3-11」における原発事故という巨大な「人災」を、これほど的確に表現したコトバもないだろう。

 東電や経産省から流される情報を検証することもなく、「記者クラブ情報」を、ただたんに垂れ流しにした「広報」の役目しか果たしていないのが、新聞社とその系列にある大手マスコミの現実である。

 これが「3-11」以後に迷走をつづける状況のなか、すべてが露わになってしまった。この国は、66年前の大東亜戦争の敗戦という失敗から、なにも「学習」していないではないかという疑問がわきあがりつつある。

 「報道災害」とは、まさにこの状況の真因がどこにあるかを的確に表現したキャッチフレーズである。

 烏賀陽氏は「人災」を分類して、「報道災害」、「官僚災害」、「情報災害」の三つに区分している。

 「報道災害」とは、「報道がその機能を果たさないことによって多数の身体や財産が損害を受ける災害のこと」。
 「官僚災害」とは、「規制や法律、官僚組織の欠陥によって身体や財産が毀損(きそん)される災害のこと」。
 「情報災害」とは、「デマが広まる、避難所や放射線の情報が届かないことなど、情報伝達の錯誤によって身体や財産が毀損(きそん)される災害のこと」。

 本書で主に扱われるのは「報道災害」である。「もう日本の新聞やテレビは脳死状態」という烏賀陽氏の発言には全面的に同意する。まったく異議なしである。カール・マルクスではないが「すべてを疑え!」というマインドセットが不可欠となった。

 われわれができるのは、いや、いままで以上にしなければならないのは、個々の記事というマイクロコンテンツを精査し、一次情報や海外情報も含めたダブルチェック、トリプルチェックといったクロスチェックを徹底することだ。情報参謀なみに。

 しかしながら、「記者クラブ経由」の情報にかんしては、ほぼすべての新聞で「情報共有」(笑)がなされている実態が、本書のなかで上杉氏によって暴露されている。新聞を読み比べるなんてことじたいが、悲しいかなナンセンスでしかないことなのだ。日本の大新聞にかんしては。

 たしかに、Google News をみていると、どの新聞社もおなじ内容の記事ばかり書いていることが手に取るようにわかるハズだ。



現在の日本の状況は、米国の1980年代の状況と酷似しているようだ

 この本はじつに」面白い。ネット世界での超有名ジャーナリスト二人が、はじめて徹底的に対論した3回の記録を編集して一冊にまとめられたものだからだ。対論が行われたのは、2011年4月27日、28日、5月27日の3回である。

 上杉隆氏、烏賀陽弘道氏それぞれの議論は、ネットでは前者は「ダイヤモンドオンライン」で「週刊・上杉隆」、後者は「JB Press」で「ウオッチング・メディア」 という連載をもっている。これらは無料で読める記事であり、多くの読者に読まれている。

 ネットの世界では当たり前の議論だが、書籍という印刷物として流通することの意味はきわめて大きい。多くの人に読まれてほしいと思う。

 なぜなら、ネットなどみない人間が、まだまだ日本人では大多数だからだ。

 情報源を、印刷版の新聞とテレビにのみ依存している人が国民の大多数を占める現状では、かれら二人の議論は極端でかつ「頭の愉快な人」(笑)たちの戯れ言にしか聞こえないかもしれない。

 上杉隆も烏賀陽弘道も、そんな名前は聞いたこともないという人こそ、一度この本を読んでみるとよい。異論反論だけでなく、オチョクリ精神には強い不快感を感じるかもしれないが、わたしはかれらのいうことは概ね正しいと感じている。この思いは、「3-11」を経たことでさらに強まった。

 とくにわたしが興味深く読んだのは、「第3章 アメリカジャーナリズム報告2011」だ。

 烏賀陽氏のリポートによれば、大震災が起こるまえの 2011年2月に米国ジャーナリズム界の長老にインタビューしたそうだが、日本の状況を説明したら、その長老はこう言ったという。「それは1980年代のアメリカのケーブルテレビが起こした変化と同じだな」、と。

 1980年代の米国では、いままで見えなかったものが見えた途端、メインストリームメディアに騙された、裏切られたという気持ちを一般人が強くもったらしい。

 日本ではケーブルテレビはそれほど普及しなかったが、いまインターネット時代になって、米国と同じ状況になってきているということだ。つまりは、米国には 30年遅れで、巨大な地殻変動が起こり始めたということだ。われわれは、まだその始まりにいるにすぎないということなわけだ。

 米国の1980年代の状況が示唆するものは大きい。


「組織の内部にどっぷりと浸かっていると外が見えなくなる」-そのこと自体にすら気が付かなくなる(!)というホラーストーリー

 記者クラブ制度に一貫して反対してきた上杉氏の強みは、情報を取る側だけではなく、情報を出す側の議員秘書を実務担当者として経験し、複眼的にものを見ることができる点にあるのだろう。

 烏賀陽氏の強みは、朝日新聞という大企業組織の内部に20年弱在籍した経験をもち、記者クラブ制度についても熟知していることだろう。

 人間というものは、悲しいかな、ずっと内部にいると外部の常識がわからなくなってくるのだが、恐ろしいことは、内部にいるとそのこと自体がわからなくなっていることに気が付かないことだ。

 これはかつて「ゆでガエル症候群」とよばれたものだ。ぬるま湯に浸かっているカエルは、徐々に温度を上げていっても気が付かず、ついには茹で上がってしまうという笑い話である。

 まさに、高給取りの大新聞社やその系列のテレビ局は「ぬるま湯」そのもの。沸騰していることに気が付かないのだろうか? まだ最終段階までいってないだけか?

 たとえ志の高い記者であっても、最前線の現場を離れて管理職になると、組織の論理にからめとられてしまうようだ。これは新聞社やテレビ局だけでなく、官僚組織もそうである。銀行組織もまた同じであることは、ごく身近で観察してきたわたしにはよくわかる。


「情報」そのものはあくまでも「情報」に過ぎない。それが「事実」であるかどうかは別物だ

 その「情報」が「事実」であるかどうかには、徹底的にこだわらなければならない。その「情報」にもとづく「判断」および「意志決定」がいかなるカタストロフィーをもたらすかは、70年前の「大本営発表」でいやという味あわされているはずである。

 この件については、『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる という記事を参照していただきたい。「失敗からの貴重な学習」という意味で。

 「思考停止状態」で、垂れ流し情報をそのまま鵜呑みにすることほど、気楽でかつ危険なことはない。 新聞情報については、かなり以前のことだが、ある石油会社の重役からこういう話を聞いたことがある。「日経新聞の一面は、政府発表の垂れ流し記事なので真に受けないことだ。とくに月曜日の一面の記事はほとんど意味がない。なぜなら、これといった大ニュースがないときでも紙面を埋めないとならないからだ」、と。

 つねに原油や為替動向をみずからチェックしている最前線のビジネスマンならではの貴重な教えとして、わたしのなかに刻まれている。日経にかぎらず、どの大新聞も同様だろう。下世話な表現をつかえば、新聞一面は大本営発表と変わらないということだ。

 本書にかんしても、著者が好き嫌いだとかそういった次元の話ではなく、是々非々で事実究明に専念すべきではないだろうか?本書に展開されている議論ですら、100%正しいかどうかわからないという立場にたつべきだろう。

 いまこそ、自分のアタマで考え、自分で行動することが求められる状況となったのだ。日々の自覚が重要だ。 





<初出情報>

 ブログのオリジナル記事です。


目 次

巻頭によせて 畠山理仁
最悪の形で 上杉隆
負の記念碑 烏賀陽弘道

第1章 繰り返された悪夢-70年目の大本営
 第1節 日本の報道は何のためにあるのか
 第2節 3-11で露呈したこと
第2章 日本に民主主義はなかった
 第1節 海外メディア戦いの歴史
 第2節 自由報道協会の意味
 第3節 ソーシャルメディアを可能にするもの、不可能にするもの
第3章 アメリカジャーナリズム報告2011
 第1節 アメリカのジャーナリズムは劣化したか
 第2節 日米メディアリテラシー比較)
第4章 死に至る病 記者クラブシンドローム
 第1節 信じられない!シリーズ
 第2節 王様は裸だ
第5章 報道災害からいかにして身を守るか
 第1節 今こそ変わらなければ次はない
 第2節 多様性こそすべて

最後の希望 烏賀陽弘道
日本人が背負った課題 上杉隆


著者プロフィール

上杉 隆(うえすぎ・たかし)

1968年福岡県生まれ。NHK報道局、鳩山邦夫公設秘書、ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者を経て、2002年よりフリージャーナリスト。ゴルフジャーナリストとしても活躍。2011年いっぱいでのジャーナリスト無期限休業を宣言している。自由報道協会暫定代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)

1963年京都市生まれ。京都大学経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部、「AERA」編集部などを経て、2003年に早期定年退社。1992年にコロンビア大学国際関係大学院に自費留学、国際安全保障論で修士号(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




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・・大本営でも作戦参謀ではなく、情報参謀であった著者による必読書

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)





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2011年8月18日木曜日

『うずまき』(伊藤潤二、小学館、1998-1999)-猛暑で寝苦しい夜にはホラー漫画でもいかが?


 このホラー漫画の主題と主人公は「うずまき」そのものである。

 「うずまき」とは漢字で書けば「渦(うず)巻き」である。

 自然界に存在する「うずまき」が。これでもか、これでもかと登場して、人間の主人公・五島桐江(ごしま・きりえ)とその周辺の登場人物が、つぎからつぎへと「うずまき」に巻き込まれていくというホラー物語だ。

 よこぞこれだけ「うずまき」だけで、20話も描いたと思うのだが、読んでいるうちに、こちらもだんだんと目が回って気分が悪くなってくる。

 マンガに登場する「うずまき」は、自然に存在する物でいえば、植物のぜんまい、かたつむりなどの巻き貝、蛇のとぐろ、人間の耳の内耳(ないじ)。自然現象としては竜巻に台風、鳴門の渦潮(うずしお)など。

 人工物なら、カールした長い髪の毛、ばね(=スプリング)やぜんまい(金属製)、灯台のらせん階段もまた自然界を模倣したものだ。

 赤塚不二夫の『天才バカボン』の主人公バカボンのほっぺたにも「うずまき」が! だが、残念ながら(・・いや当然ながら?)、このマンガにはでてこない。また、「アース渦巻」という商品もあったが、なぜか、蚊取り線香はこのマンガにはでてこない。


「うずまき」に巻き込まれていく感覚、吸い込まれていく感覚

 自然界に存在する「うずまき」でもっとも危険なものといえば、鳴門の渦潮や竜巻や台風だろうが、周辺から中心にむかってらせん状に巻き込まれていくのが、ホラー(恐怖)が発生する源泉なのだ。中心に吸い込まれていくという感覚

 そうそう、「うずまき」を描いた作品といえば、米国の詩人で小説家 エドガー・アラン・ポー(Edgar Alan Poe)に「メールストローム」(Maelstrom)というホラー短編小説がある。ノルウェーの沖に発生する渦潮の恐怖を扱った作品だ。ちなみに、エドガー・アラン・ポーから江戸川乱歩というペンネームがつくられた。

 逆にいえば、うずまきは、中心かららせん状に回転しながら拡大していく構造をもっているのだが、その中心はじつは固定しているわけではなく、中心そのものが連続的に発生してくる。泉の水がわき出てくるように。

 そう、うずまきはカオスである。混沌という訳語がつけられがちなギリシア語のカオス(Χάος : chaos)は、反秩序を意味するアンチ・コスモスではなく、そこからすべてのもの生成してくる原点である。

 物理学のカオス理論でいえば、ベナール対流というやつだ。このマンガの主人公の男友達の父親のように、試みにコップのななの水をおはしをつかってかき混ぜてみたらいい。すぐに渦が生成されるのを目撃することになるだろう。

 うずまき(渦巻き)を意味する英語は vortex(ヴォルテックス)という。渦巻きや旋風を意味するコトバだが、転じて社会運動などの渦巻きも意味するようになっている。He was drawn into the vortex of politics [revolution, war]. 彼は政争[革命, 戦乱]の渦中に巻き込まれた. という例文が『研究社 新英和中辞典』 にあがっている。


マンガの解説は初出情報などの書誌以外は不要ではないか?

 わたしが読んだ『うずまき』は、2010年に刊行された合冊版だが、巻末の佐藤優による解説は不要だろう。

 ムリヤリ資本論と格差社会に結びつけようとする牽強付会(けんきょうふかい)な文章で、こういう文章は黙殺していっこうにかまわない。こういう解釈でマンガを読むのはひとつの読み方ではあるが、邪道というものではないか?解釈の幅があまりにも狭すぎるからだ。版元の小学館もどうかしているのではないか?

 そもそもマンガであれ小説であれ、意図的にプロットを設定して執筆に取りかかったところで、作者自身のうちなる無意識が作用して、かってにキャラクターが動いてゆくものだ。いったん作者の手を離れたら、作品をどう読もうが読者の勝手である。

 だから、資本主義うんぬんよりも、集合無意識の世界観を描いた作品とうけとるのが素直な態度だろう。

 うずまきは自然界にフツーに存在するものあるのにかかわらず、気になりだすと、すべてのうずまきに追いかけられるようになっていく。催眠術のように。


巻き込むとは? 巻き込まれるとは? 

 むしろ現在では、意識的に「巻き込む」ことの意味さえ考えたくなるのが、ソーシャルネットワーク時代に生きるわれわれである。一方的に巻き込まれているというわけではないだろう。あるいは「マキコミ」とカタカナ書きで表記することもある「巻き込み」

 有名なものでは、デレク・シヴァーズ 「社会運動はどうやって起こすか」(TED Youtube 映像)がある。これは、鳩山前首相が首相を辞任した直後のツイートで、「裸踊り」として有名になった映像。ある一人のイノベーターからフォロワーが生まれていくプロセスを映像にしたものだ。


 『うずまき』はホラーといえども、なんだか不思議な笑いを含んだ作品である。読者は純粋に恐怖と覚えると同時に、こんなのあり得ないことだと、笑いつつ突き放して読めばよい

 そういうわたしも、ちょっと余計なことを書きすぎたようだ。まずは、先入観なしで読んで恐怖を感じることだろう。きょうみたいな、猛暑日で寝苦しい夜には。




<関連サイト>

デレク・シヴァーズ 「社会運動はどうやって起こすか」(TED Youtube 映像)
・・鳩山前首相が「裸踊り」としてツイートして有名になった映像。人の「巻き込み方」とは?-これをある一人のイノベーターからフォロワーが生まれていくプロセスを映像にしたもの

天才バカボン 入り口 - 赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ!!
・・バカボンとはじめちゃんのほっぺたに「うずまき」が!(笑)


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(2014年8月29日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)








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