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2011年7月8日金曜日

特別展「孫文と日本の友人たち-革命を支援した梅屋庄吉たち-」にいってきた-日活の創業者の一人でもあった実業家・梅屋庄吉の「陰徳」を知るべし


 中華民国(台湾)建国百周年記念特別展「孫文と日本の友人たち-革命を支援した梅屋庄吉たち-」が、東京・白金台の台北駐日経済文化代表処公邸「芸文サロン」で開催されている。

【開催期間】2011年6月17日(金)~7月14日(木)
【会場】台北駐日経済文化代表処公邸「芸文サロン」
    東京都港区白金台 5-20-2  TEL:03-3280-9717
     http://www.roc-taiwan.org/JP/
【開館時間】10:00~16:00(入場は15:30まで)
【休館日】無休  
【入場料】無料
【主催】台北駐日経済文化代表処
【共催】台湾孫文紀念館/國民党党史館
【後援】財団法人 交流協会/日華親善協会全国連合会/日本中華聯合総会
【協力】愛知大学東亜同文書院大学記念センター/梅屋庄吉の曾孫 小坂文乃/株式会社ムラヤマ



 今週月曜日(7月5日)、いまだ梅雨明けとはならぬものの、かんかん照りの太陽が照るつけるなか、台北駐日経済文化代表処に立ち寄ってみた。

 訪問するのは今回がはじめて。受付で慣れない筆ペン書きで記帳している際に聞いてみたら、だいたい毎日100人くらいが来場しているようだ。「写真はどんどん撮ってくさい」ということなので、遠慮なく撮影させていただいた。

 孫文(1866~1925)についてはあえて説明するまでもあるまい。ことしで100周年をむかえる中華民国(=台湾)の建国の父でもあり、広い意味の「中国革命」の父でもある。

 歴史用語としては「辛亥革命」が正しいのだろうが、わたしは 1911年の革命こそ「中国革命」とよぶにふさわしいと考えている。したがって、「中国革命」とは「辛亥革命」のことを指していると思って、以下の文章を読んでいただきたい。

 梅屋庄吉(うめや・しょうきち 1868~1934)とは日本の実業家でアジア主義者である。歴史の教科書にでてくる知名人ではないので、wikipedia の記述を引用させていただこう。内容は、2011年7月6日現在のキャッシュである。

略 歴 
 1868年、長崎に生まれる。幼少期、土佐藩経営の土佐商会の家主もあった貿易商・梅屋家に養子入りする。一時は米穀相場に失敗して中国へ退転したが、写真術を学んで写真館を経営するなど、香港に貿易商として地位を築いた。
 中国革命を企図した孫文に多額の資金援助をし、辛亥革命の成就に寄与している。革命後も、孫文と宋慶齢との披露宴を主宰するなど、たびたび日本に亡命した孫文への援助を続けた。また、頭山満(とうやま・みつる)、犬養毅(いぬかい・たけし)、山田純三郎、宮崎滔天(みやざき・とうてん)らアジア主義者らと集い、フィリピンの独立運動にも関与している。
 その後、映画事業に取り組んで白瀬中尉の南極探検や辛亥革命の記録映画を製作し、これらの事業で得た多額の資金を革命に投じている。
 晩年は、千葉県夷隅郡岬町の別荘にて静養した。日中関係の悪化の際に、外相・広田弘毅に改善の談判に赴こうとした途上、別荘近くの三門駅にて急死した。

その他
 孫文に対する革命への資金援助額については、現在の貨幣価値で1兆円に及ぶとされる。
 日比谷松本楼創業者・小坂梅吉と姻戚関係にある。また、日活の前身の一つであるM・パテー商会の起業家の1人でもある。
 孫文との交友を記した日記や書簡は、日中関係への配慮から1972年の日中国交正常化まで遺族は公開しなかった。
 孫文の死後、4つの銅像を広州、黄甫、南京、マカオに建立した。銅像は文化大革命期に撤去される危機に見舞われたが、周恩来の尽力で守られている。


 梅屋庄吉の略歴にでてくる「頭山満、犬養毅、山田純三郎、宮崎滔天らアジア主義者ら」は、そのままそっくり「孫文の日本の友人たち」の中核をなすメンバーであった。

 これに亡命先のロンドンで知り合った南方熊楠(みなかた・くまぐす)を加えれば、ほぼその中核はカバーしたことになる。



 現代人の感覚からいえば、アジア主義者は右翼というレッテル張りがなされそうだが、明治時代においては、自由民権運動の末裔の、いわゆる国権派とよばれた人たちが、同時にアジア主義者であったことに注意しなければならない。

 欧州とは異なる東洋(=東アジア)においては、とくに中国においては漢民族復興というスローガンが、そのまま孫文たちの革命のスローガンとなりえたのである。

 この間の消息については、志敗れた宮崎滔天(みやざき・とうてん)の『三十三年の夢』(島田虔次/近藤 秀樹=校注、岩波文庫、1993 原本出版は 1902)で知ることができる。

 「孫文の死後、4つの銅像を広州、黄甫、南京、マカオに建立した。銅像は文化大革命期に撤去される危機に見舞われたが、周恩来の尽力で守られている」という記述が wikipedia にあるが、その銅像のひとつは広州の中山紀年堂にある。

 孫文は日本亡命中に孫中山(そん・ちゅうざん)と号することにしたので、中山紀年堂というネーミングとなったのである。たまたま目にした表札に中山(なかやま)とあったので拝借したということらしい。


 これは、2008年秋の「広州交易会」のついでにいってみた、広州の中山紀年堂で撮影したもの。

 ことしは中国共産党結成から奇しくも90年、中華人民共和国においても孫文は中国革命の父として現在にいたるまで尊敬の対象であることは知っておきたいものだ。

 梅屋庄吉は、wiki の略歴にもあるように、来年2012年には創業百年を迎える現在の日活(にっかつ)の創業者の一人として成功した起業家である。日活は、旧社名を日本活動写真株式会社といった。梅屋庄吉は、映画事業の成功によって得た莫大な資産から、孫文の革命運動に巨額の資金援助を行った。

 なんと現在価値にして約1兆円にのぼる資金を孫文に援助したのである。現代ならさしづめ「赤い資本家」といったところだろうか。だが、東洋における革命は Revolution の訳語ではなく、漢語の「革命」であったことに注意しておきたい。

 梅屋庄吉は、孫文という男そのものに惚れ込んだのである。出会ってすぐに意気投合し、「君は兵を挙げたまえ、我は財を挙げて支援す」と孫文にむかって宣言したという。うるわしき友情ではないか。これが遺言の一節、「ワレ中国革命ニ関シテ成セルハ孫文トノ盟約ニテ成セルナリ」が意味するところである。

 孫文をひそかに援助していた「陰徳」の持ち主であった、成功した実業家・梅屋庄吉。「陰徳」とはひらたくいえば「あしながおじさん」のことである。

 梅屋庄吉については、一昨年(2009年)に曾孫にあたる小坂文乃氏が、「ワレ中国革命ニ関シテ成セルハ孫文トノ盟約ニテ成セルナリ。コレニ関スル日記、手紙ナド一切口外シテハナラズ」という故人の遺志に反して(!)、『革命をプロデュースした日本人』(小坂文之、講談社、2009)を出版した結果、ようやくひろく世に知れ渡ることとなった。

 わたしはこの本じたいは読んでいないが、小坂氏の講演会に参加する機会があって、小坂氏の経営する日比谷松本楼に保存されている貴重な写真の数々はスライドで拝見している。

 なお、小坂氏の出版以前にも、読売新聞関西版に連載された記事をまとめた『盟約ニテ成セル-梅屋庄吉と孫文-』(読売新聞西部本社、海鳥社、2002)があり、わたしはこの本によって梅屋庄吉と、孫文との盟友関係については、はじめて知った。

 今回の特別展を見る機会のない方は、ぜひ写真が満載されたこの本で、梅屋庄吉をはじめとする「陰徳」をつんだ明治の日本人を回想していただきたいと思う。








<関連サイト>

日活の沿革

台北駐日経済文化代表処

日比谷松本楼の公式サイト
・・ここに「梅屋庄吉と孫文」というページがある


<ブログ内関連記事>

「やってみなはれ」 と 「みとくんなはれ」 -いまの日本人に必要なのはこの精神なのとちゃうか?
・・戦前の創業経営者は「陰徳」の持ち主だった人が多い。サントリーの創業者・鳥井信治郎もまたそうであった。「陰徳」とはひらたくいえば「あしながおじさん」のことである。

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと
・・自由民権運動は、のちに民権派と国権派にわかれたが、源流は西郷隆盛にさかのぼるという重要な事実について言及



P.S. 東京国立博物館で開催されている「誰モ見テイナイ写真-100年前の中国と日本 特別展 孫文と梅屋庄吉」に立ち寄ってみた


 東京国立博物館で開催されている「誰モ見テイナイ写真-100年前の中国と日本 特別展 孫文と梅屋庄吉」に立ち寄ってみたが、正直いってたいへんガッカリした。

 時間のやりくりして、しかも 800円も払って入場したのに、展示会としての内容はさっぱり。どこがいったい「誰モ見テイナイ写真」なのか??

 特別展「孫文と日本の友人たち-革命を支援した梅屋庄吉たち-」より、展示されている写真は多いのだが、ぜんぜんアピールするものがなかった。孫文と梅屋庄吉の関係を掘り下げた内容ではなく、ただ単にセピア色の写真をあつめただけに過ぎないからだ。

 せっかくなので、図録も精査してみたが、購入する価値はないと判断。この図録を買うなら、上掲の『盟約ニテ成セル-梅屋庄吉と孫文-』(読売新聞西部本社編、海鳥社、2002)のほうがはるかに資料性も高い。

 展示会では紫禁城を撮影した写真は興味深いものを感じたが、写真資料だけなら図録ではなくウェブサイトですべてまとめて公開すべきだろう。そのほうが閲覧性があってよい。  (2011年8月23日 記す)




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