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2011年6月26日日曜日

「生誕100年 人間・岡本太郎 展・前期」(川崎市岡本太郎美術館) にいってきた


 昨日(2011年6月24日)、「生誕100年 人間・岡本太郎 展」(川崎市岡本太郎美術館)にいってきた。

 今年(2011年)は、岡本太郎が 1911年2月26日に生まれてから 100年にあたる。

 2011年5月8日まで国立近代美術館(東京・竹橋)で開催されていた「生誕100年 岡本太郎展」を見逃した人も、常設展「生誕100年あっぱれ太郎 岡本太郎の仮面」とあわせて訪れることをすすめたい。
 
 「生誕100年 人間・岡本太郎 展」(川崎市岡本太郎美術館)が「生誕100年 岡本太郎展」(国立近代美術館)と違うのは、前者には「人間」という文字が入っていることだ。

 ポスターに掲載されている「どうしても本職というなら人間です」という岡本太郎のコトバにそれは端的にあらわれている。

 画家とか、文筆家とか、カメラマンとか他人が勝手につけたレッテルを拒否し、「職業は人間だ」と言い切る岡本太郎の啖呵(たんか)にも似た物言いにしびれる思いをするのはわたしだけではないだろう。ああ、やっぱり岡本太郎はいい! そういう気分にさせてくれる名コピーである。

 会場の川崎市岡本太郎美術館は、岡本太郎の母である作家・岡本かの子の出身地にまつわる地縁による。岡本太郎作の彫刻作品「母の塔」(1971年作)がシンボルタワーとして設置されているのは、それにまつわる彫刻としてふさわしいからだ。



 生田緑地(神奈川県川崎市)の丘のうえにある美術館までは、緑あふれる遊歩道を散策しながらの道のりとなる。

 最寄りの駅は、小田急線の向ヶ丘遊園駅。ここからタクシーでワンメーター710円乗って、日本民家園入り口で下車して、そこから5分ほど歩くのがいちばん近い。今回は、町田市に用事があったので、早めに家をでて途中下車して美術館に立ち寄った。この美術館にくるのは8年ぶり、2回目の訪問である。



 展覧会は、前期・後期の2期に分かれている。

 前期:2011年4月16日(土)~7月3日(日)は、岡本太郎と実際に会い、活動をともにした人たちを中心にしたもの。後期:2011年7月7日(木)~9月25日(日)は岡本太郎の影響を受け、岡本太郎の精神を継承する人たちを中心に紹介するもの。

 前記に正規料金900円(大人1枚)で入場したら、チケットのうらに200円割引のスタンプを押してくれる。後期の展覧会に入場する際に200円割引になるということだ。

 それも理由の一つかどうかわからないが、前期だけのカタログ(図録)はないらしい。ミュージアムショップで聞いたところ、後期がはじまった7月末に出るとのことである。ちょっと残念な気がした。


会期: 前期:2011年4月16日(土)~7月3日(日)
   後期期:2011年7月7日(木)~9月25日(日)
http://www.taromuseum.jp/exhibition/current.html
料金: 一般900(720)円/高大学生・65歳以上700(560)円/ 中学生以下 無料
   ※本料金で常設展もご覧いただけます
   ※( )内は20名以上の団体料金
休館日: 月曜日(祝日を除く) 、祝日の翌日(土日を除く)
主催: 川崎市岡本太郎美術館、NHK横浜放送局
協力: 岡本太郎記念館、すわ製作所、株式会社シュヴァン、小田急電鉄株式会社、東京急行株式会社


常設展も見逃せない

 企画展には、常設展の会場を通っていくことになる。8年ぶりの訪問だが、なんといっても楽しみは「座ることを拒否した椅子」をみて、「手の形をした椅子」に座ること。こういう遊び心にみちた彫刻作品(?)を見て、直接ふれることができるのは、子どもではなくてもワクワクするものだ。

 常設展のテーマは「生誕100年あっぱれ太郎 岡本太郎の仮面」。日本の東北や沖縄だけでなく、韓国やそれ以外の世界中の仮面の写真を撮影し、収集もした岡本太郎にとって、仮面や顔は重要なテーマの一つである。

 岡本太郎というと、大阪万博(1970年)の「太陽の塔」ばかりが有名だが、パリ時代の10年のあいだには、パリ大学で民族学者マルセル・モースのもとで民族学(エスノロジー ethnology)を学んでおり、仮面にはなみなみならぬ関心を終生もちつづけていたようだ。

 大阪万博では、人類学者の泉靖一、梅棹忠夫とともに、世界中の仮面や神像を収集するプロジェクトに深く関与していたことは、すでにこのブログでも 書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) に書いてある。

 今回の常設展で何よりもわたしの目をひいたのは、ガラスケースのなかに展示されていた『世界の仮面と神像』(岡本太郎・泉靖一・梅棹忠夫編、朝日新聞社、1970)という箱入りの大型美術本。

 大阪万博の仕事は、こういう形でも結晶していたのかという感慨とともに、この収集品が梅棹忠夫が館長として実現に奔走した国立民族学美術館(大阪・千里)の基礎になったのだと思うと、あらためて岡本太郎の仕事の意味を、絵画や彫刻にのも限定することの視野の狭さを感じるのである。




企画展「生誕100年 人間・岡本太郎 展」

 常設展が終わるところから、企画展が始まる。バナー(のぼり)に記された岡本太郎のコトバの一つ一つを読みながら進むことになる。

 こうしたバナーの一つに書かれているのが、「どうしても本職というなら人間です」という名コピー。これを目にして、またあらためて Wow !(ワオ!) という気持ちになる。

 さて、企画展は、岡本太郎と実際に会い、活動をともにした人たちを中心にした展示だ。中心にあるのは「パイラ星人」のイメージ。岡本太郎といえば目だが、その目をカラダのまんなかにもったパイラ星人とは、映画「宇宙人東京に現る」のためにデザインされたものとか。

 岡本太郎の母かの子と父一平の「聖家族」。作家・岡本かの子と漫画家・岡本一平の一人っ子として、なに不自由なく育った岡本太郎は生まれながらにして全身芸術家だったわけだ。家族にまつわる思いでの品々の展示。

 このほか交友のあった芸術家の絵画作品のなかでは、岡本太郎を息子のようにかわいがっていたという北大路魯山人の陶芸作品と、岡本太郎の陶芸作品をならべた展示は興味深い。それにしても北大路魯山人の陶芸作品には圧倒される。

 写真家としての岡本太郎も、パリ時代に写真家ブラッサンスやロバート・キャパとの交友から始まっているようで、写真もまた全体活動の一つであったとともに、民族学者の目がそこにあることにあらてめて気が付かされる。

 大阪万博時代のグッズや人生相談を連載していた男性週刊誌「週刊プレイボーイ」のバックナンバー実物などが展示されている。「週刊プレイボーイ」がこれだけ大量に陳列されているのを見るのは、これはこれである意味では壮観だ。

 わたしにとって今回いちばんの収穫は、岡本太郎が手元においていた「フランス語の蔵書400冊」の一部の展示を見ることができたことだ。

 岡本太郎の死後、蔵書の大半は散逸(さんいつ)してしまったらしいのが残念だが、フランス語の蔵書だけは奇跡的に(!)残っていたらしい。

 戦前のパリ時代に収集した蔵書は、東京大空襲でぜんぶ焼けてしまったらしいが、戦後も民族学や人類学、宗教学関連の最新研究書を取り寄せて読んでいたようだ。そしてそのフランス語の専門書がまとまったままのこsれたことはじつに大きな意味をもつ。

 パリ時代に交友のあった思想家ジョルジュ・バタイユや、民族学の師であるマルセル・モースについては比較的知られていることだが、戦後の岡本太郎は宗教学者ミルチャ・エリアーデのフランス語著作を多く取り寄せて読みこんでいたらしい。これはじつに大きな発見だ。岡本太郎の戦後の作品に、エリアーデの読書から得た知見が反映さえれていると考えると、これはじつに関心をそそられる。

 じつはわたしも宗教学の目が開かれたのは大学時代に読んだ『聖と俗』や『生と再生』、『永遠回帰の神話』などだが、岡本太郎がとくに熟読していたのは大著『シャマニズム』のようだ。

 インドに留学してヨーガを習得し、世界中の宗教を研究したルーマニア出身の宗教学者エリアーデ(1907~1986)は、亡命後はフランス語で著作を発表していた。フランス語で知識を吸収していた岡本太郎の射程にエリアーデが入っていたということは言及されているのは見たことがないので、知られざる隠し球だったのかもしれない。

 この事実をしったあとは、さらに岡本太郎の「人間」としての全体像が大きく膨らんでいくことだろう。






ミュージアムショップにて

 今回の訪問目的の一つは、過去の展覧会のカタログ(図録)を購入することであった。

 『岡本太郎「藝術風土記」 Art topography by Taro Okamoto-Japan, 50 Years ago-』という 川崎市岡本太郎美術館の2007年度の企画展のカタログである。税込み 1,500円。

 『岡本太郎の沖縄』(日本放送出版協会、2000)『岡本太郎の東北』(毎日新聞社、2002)として出版されている「縄文」探索写真紀行のほかに、岡本太郎は日本全国を写真で切り取っている。長崎、京都、出雲、岩手、大阪、四国、といった日本各地の写真もまた、民族学者・岡本太郎の目をとおして切り取られた「50年前の日本」の貴重な写真の数々である。

この展覧会にいかなかったわたしは、図録だけでも入手さうたいと思っていた。増刷されることがあるのかどうかわからないので、ぜひはやいうちに入手をすることをすすめたい。

 一枚の写真がもつ情報量はきわめて多い。同じく民族学者であった梅棹忠夫の写真集『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)などと比較したいものである。

 今回は8年ぶりの訪問となったが、マグネットには面白いものがなかったのは残念。それが理由ではないが、「生誕100年 岡本太郎展」では買わなかった「太陽の塔のフィギュア」を買ってしまった。

 どうも、1970年の大阪万博で「太陽の塔」に魅了されてしまった小学生は、40年たったいまでも「太陽の塔」には呪縛さえれつづけているようだ。もちろん、いい意味の呪縛だが(笑)。





<関連サイト>

NHKスペシャル 太郎と敏子-瀬戸内寂聴が語る究極の愛-(2011年6月23日放送) 
・・なぜ岡本(旧姓平野)敏子は岡本太郎の養女になったのか、やっとその理由がわかった。じつはプラクティカルな意味もあったのだった。


<ブログ内関連記事>

「生誕100年 岡本太郎展」 最終日(2011年5月8日)に駆け込みでいってきた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・この本の表紙は「縄文人の彫刻」であある

書評 『ピカソ [ピカソ講義]』(岡本太郎/宗 左近、ちくま学芸文庫、2009 原著 1980)

本の紹介 『アトリエの巨匠に会いに行く-ダリ、ミロ、シャガール・・・』(南川三治郎、朝日新書、2009)

マンガ 『20世紀少年』(浦沢直樹、小学館、2000~2007) 全22巻を一気読み・・大阪万博の太陽の塔を見ることのできた少年たち、見ることのできなかった少年たち

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた
・・パブリック・アートとしてのメキシコの「壁画運動」。岡本太郎もその影響を大きく受けており実作もしている。メキシコで発見され里帰りした壁画は、2008年以降は渋谷駅に展示され、有るべき姿でよみがえった

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・宗教学者エリアーデの『聖と俗』について、ややくわしく言及してある

書評 『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)
・・民族学者・梅棹忠夫が撮影した写真の数々








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2011年6月24日金曜日

書評『「鉄学」概論 ー 車窓から眺める日本近現代史』(原 武史、新潮文庫、2011)ー「高度成長期」の 1960年代前後に大きな断絶が生じた


鉄道を軸にみると「高度成長期」の 1960年代前後に大きな断絶が生じたことがわかる

 『「鉄学」概論 ー 車窓から眺める日本近現代史』は、歴史学者・原武史の「鉄学」概論である。「鉄学」とは哲学をもじった表現、いうまでもなくここでいう「鉄」とは「鉄道」の「鉄」のことである。

 専門である近代天皇制についての研究は、趣味の域を超えた鉄道研究(・・基本的に乗り鉄)と大きな相乗効果をあげていることは、原武史の読者であればよくご存じのことであろう。一言でいえば、「鉄道×日本近現代史」である。

 タイトルにひかれて手にとった読者も、すでに原武史の著作を何冊か読んできた者にとっても、十二分に楽しめる内容の読み物になっているといえよう。また本書から逆に原武史個々の作品に読書の幅を拡げていくのもいいかもしれない。原武史のエッセンスが本書に凝縮されているからだ。

 この本に取り上げられたテーマを列挙するなら、鉄道紀行文学、鉄道沿線と作家、近代天皇制、東西日本の私鉄沿線宅地開発、住都公団による鉄道沿線の団地開発、路面電車の廃止による首都東京の記号化、といったことになるだろうか。

 本書を読んでいて強く印象を受けたのは、鉄道を軸にして考えると、第二次大戦を境にした戦前と戦後の断絶よりも、1960年代を前後にした断絶のほうがはるかに大きいということだ。

 1960年代とはいうまでもなく「高度成長期」、この時代にはモータリゼーションの急激な進展にともなって渋滞緩和のために高速道路が建設され、路面電車である都電は廃止され地下鉄によって代替され、住宅供給の目的で私鉄沿線には多数の団地が建設された。

 東京への一極集中がさらに進んだなかで、1970年代前半には新宿駅を舞台にした暴動や、都内各地や高崎線上尾駅での通勤者による暴動も発生したのであった。2010年代のいまからはまったく想像もできないような状況が、民営化前の国鉄(当時)には存在したのである。著者と同じく1962年生まれの私には、肌感覚をもって理解できることも多い。

 鉄道を軸にして日本近現代史を考える、あるいは日本近現代史を鉄道をつうじて見る。そのどちらでもいいのだが、とくに「高度成長期」とは何だったのかを考えることのできる内容になっている。

 文庫本なので、ぜひ車中で読みたい本である。


<初出情報>

■bk1書評「鉄道を軸にみると「高度成長期」の1960年代前後に大きな断絶が生じたことがわかる」投稿掲載(2011年3月9日)
■amazon書評「鉄道を軸にみると「高度成長期」の1960年代前後に大きな断絶が生じたことがわかる」投稿掲載(2011年3月9日)





目 次

はじめに
第1章 鉄道紀行文学の巨人たち
第2章 沿線が生んだ思想
第3章 鉄道に乗る天皇
第4章 西の阪急、東の東急
第5章 私鉄沿線に現れた住宅
第6章 都電が消えた日
第7章 新宿駅一九六八・一九七四
第8章 乗客たちの反乱
参考文献


著者プロフィール

原 武史(はら・たけし)

1962(昭和37)年、東京都生れ。早稲田大学政治経済学部卒業。国立国会図書館、日本経済新聞社勤務を経て東京大学大学院博士課程中退。現在、明治学院大学教授、専攻は日本政治思想史。著書に『昭和天皇』(司馬遼太郎賞受賞)、『滝山コミューン一九七四』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『「民都」大阪対「帝都」東京』(サントリー学芸賞受賞)、『大正天皇』(毎日出版文化賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 この書評は、初出の日付を見て頂ければわかるように、2011年3月9日に書いたものだ。「3-11」の二日前である。

 時代区分の問題について、戦前戦後を話題にしているが、すでに「3-11」を経験したわれわれは、いわゆる「戦後」はすでに終わりを告げ、「3-11」以後の世界に生きているという認識を多くの人が持ち始めていることと思う。

 わたし自身も、すでにこのブログで 「歴史の断層」をみてしまったという経験-「3-11」後に歴史が大転換する予兆 と題した文章を書いて、その感覚について記している。

 とはいえ、書評のなかで指摘した「鉄道を軸にして考えると、第二次大戦を境にした戦前と戦後の断絶よりも、1960年代を前後にした断絶のほうがはるかに大きい」という感想は、とくに現時点では変更する必要はなさそうだ。

 すでに経済学者の吉川洋が『高度成長-日本を変えた6000日-((20世紀の日本)』(読売新聞社、1997 現在は中公文庫)でも指摘しているように、日本独特の流通制度や農業など、江戸時代以来の産業が、明治維新後でも敗戦後でもなく、「高度成長期」に劇的に変化したことは、もうそろそろ「常識」となってもいいのではないかと思う。

 鉄道の変化も、その意味では「高度成長期」に激変したことは、おなじく同期(シンクロナイズ)した現象といっていいのかもしれない。


<ブログ内関連記事>

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 

「歴史の断層」をみてしまったという経験-「3-11」後に歴史が大転換する予兆

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・遅れてきた右翼少年によるテロをともなった「政治の季節」は1960年に終わり、以後の日本は「高度成長」路線を突っ走る。「世界の静かな中心」というフレーズは、 『危機の宰相』で沢木耕太郎が引用している三島由紀夫のコトバである。

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと
・・三島由紀夫と同時代の1960年代は、日本でもドイツでもイタリアでも「極左テロの季節」であった

「やってみなはれ」 と 「みとくんなはれ」 -いまの日本人に必要なのはこの精神なのとちゃうか?
・・三島由紀夫の割腹自決の一年前の1969年に創業70年を迎えたサントリー、これを記念して開高健が執筆した「やってみなはれ」は「高度成長」期の日本人のメンタリティそのもの

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した

書評 『鉄道王たちの近現代史』(小川裕夫、イースト新書、2014)-「社会インフラ」としての鉄道は日本近代化」の主導役を担ってきた

(2014年8月14日、2016年7月23日 情報追加)


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2011年6月23日木曜日

今年もノラネコの子ネコお披露目シーズンが到来!(2011年6月)


 今年もノラネコの子ネコお披露目シーズンが到来!
 
 梅雨空の合間をぬって晴れた日には、母ネコが子ネコを連れ出してピクニック(?)にでてくる。春に生まれた子ネコのうち、現時点で生き残ったものが、もう連れ歩いても安心とばかりにオモテに連れ出されるのだ。

 わたしがいま住んでいる地域は「猫町」みたいなものだ。これはフェイスブックでノラネコの写真を紹介しているうちに、フェイスブックの友人から命名されたものだ。村上春樹の小説『IQ84』にでてくるのだという。




 冒頭にかかげた母子ネコのツーショット。ウルウル光線だしまくりの子ネコがかわいい。この写真では、そういうわが子をみつめる母ネコの慈(いつく)しみにみちたまなざしにも注目したい。デジカメ越しに人間でるわたしをみる母ネコのまなざしとはまったく違う。




 たまたま風で飛ばされて落ちていた洗濯物のうえでくつろぐネコの家族。なんだかピクニックみたい。




 母ネコと三匹のきょうだいの集合写真。ネコの家族には「父親不在」。ネコどうしの親密な関係は、基本的に母子関係だけだという。きょうだいどうしのじゃれあいも、大人になるまでの学習期間のみ。

 よく見れば、似たような子ネコもそれぞれ模様が微妙に違う。個体ごとの違いは性格にも反映している。つまり個性が存在するわけだ。この子ネコたちもまた、ノラネコとしてたくましく育っていくことを期待したい。

 ノラネコと人間との共生、これもまた一つの生態系のなかでのものである。人間中心の考えを捨てて、ノラネコが生きる生態系のなかで生きているのが人間(?)という逆転した視点でものを眺めてみるのも、ときには面白いものである。


<ブログ内関連記事>

猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)

猛暑の夏の自然観察 (3) 身近な生物を観察する動物行動学-ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)

If Your Cat Could Talk 「あなたのネコがしゃべれたら・・・」

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について

子ネコが拉致誘拐された!ノラネコの自由を奪うな、ネコを返せ! 

ノラネコに学ぶ「テリトリー感覚」-自分のシマは自分で守れ!

必要は発明の母-ノラネコ合従連衡? 呉越同舟?

動物は野生に近ければ近いほど本来は臆病である。「細心かつ大胆」であることが生き残るためのカギだ

ノラネコも寒い日はお互い助け合い

今年もありがとうございました(2010年12月31日)



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2011年6月20日月曜日

書評『漢字が日本語をほろぼす』(田中克彦、角川SSC新書、2011)ー 異端の社会言語学者・田中克彦の「最初で最後の日本語論」


異端の社会言語学者でモンゴル学者・田中克彦の「最初で最後の日本語論」

 ラディカルな本である。コトバの本来の意味で、日本語のありかたについて根源的な問いかけを行っている本である。

 せっかく受け入れたフィリピンやインドネシアからきた外国人看護士を実質的に閉め出しているのは、医療関係者以外は日本人でもまったく読めも書けもしないような難しい漢字の専門語をクリアしなくてはならないからだ。

 ワープロの使用によって、不必要なまでに変換されてしまう漢字にみちみちた文章。これは日本語への世界的な普及には、むしろ大いに逆行する現象だ。

 現在の日本語の状況は、ビジネス界の流行語をつかえば「ガラパゴス化」とでも言うしかない。

 本書でとくに重要なのは、「漢字に苦しめられてきた中国」にかんする第3章だろう。中国語をローマ字で表記するピンイン、そして簡体字。その先には、漢字の産みの親である中国ですら、漢字の廃止というビジョンが根底にあることを知るべきなのだ。本書には、中国語をローマ字のみで表記する少数民族の存在が紹介されているが、その大きな例証となっている。

 いわゆる「漢字文明圏」で、いまでも漢字を使い続けているのは、現在ではもはや日本と中国、そして香港と台湾のみとなっている。はやくからローマ字を採用しているベトナムはいうまでもなく、北朝鮮はハングルのみ、韓国もハングル中心で漢字はほとんど使わなくなった。

 そもそも言語というものは、耳で聞いてわかるものでなければ意味はない。日本人は漢字という表意文字に依存し、視覚に頼りすぎるので、外国語習得が得意ではないのは当然といえば当然である。

 著者の田中克彦は、言語学者でありモンゴル学者である。

 後者のモンゴル学者としての視点が面白いのは、漢字を拒否し続けた中国の周辺諸民族をふくむ、「ツラン文化圏」(トゥラニズム)にまで至る壮大な文明論に言及していることだ。

 西端は欧州のフィン族やハンガリーから東端は日本にまで至る、ユーラシア遊牧民につらなる「ツラン文化圏」。戦後日本ではほとんど言及されることのないこの概念に、あらたに息を吹きこもうというこの試みには、モンゴル研究にかかわった日本人としての「見果てぬ夢」を感じ取るものである。

 英語が優勢のグローバル世界のなか、人口減がそのまま日本語の話者の減少にもつながっていく。このような状況のなかで日本語を守るためには、漢字を段階的に廃止する方向にもっていかなければならないというのが著者の主張である。この主張の是非については、間違いなく反対論が多数派であろう。本書もまた、「品格」がないとして、多くの反発を生むことのではないか? 

 この「屈折した逆説的な日本語への愛」が、なかなか世間一般にはストレートには拡がらないのは、ある意味では仕方がないことだ。

 タイトルに強い違和感(!)を感じた人は、ぜひ手にとって読んでみてほしい。著者の主張の是非はさておき、日本語のありかたについて根源的に考えるための、耳を傾けるべき主張がそこにはある。


<初出情報>

■bk1書評「異端の社会言語学者でモンゴル学者・田中克彦の「最初で最後の日本語論」」投稿掲載(2011年6月2日)




目 次

はじめに
第1章 日本語という運命
第2章 「日本語人」論
第3章 漢字についての文明論的考察
第4章 「脱亜入欧」から「脱漢入亜」へ
あとがき
参考文献
人名索引


著者プロフィール

田中克彦(たなか・かつひこ)

1934年兵庫県生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科修了。一橋大学名誉教授。専門は社会言語学とモンゴル学。言語学をことばと国家と民族の関係から総合的に研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS 『言語学者が語る漢字文明論』と改題され「講談社学術文庫」から再刊!

2017年8月10日に『言語学者が語る漢字文明論』と改題され「講談社学術文庫」から再刊されるという予告がでている。さすがに『漢字が日本語をほろぼす』というセンセーショナルな煽り系のタイトルそのままというわけにはいかないだろうが、「目次」を見る限り中身は角川SSC新書版とほぼ同じである。内容がきちんと評価された上での学術文庫入りというわけだろう。まことにもってめでたいことである。(2017年7月15日 記す)





<書評への付記>

 本書は、すくなからぬ読者には、きわめて大きな不快感を与えているようだ。

 試みに本書の amazon レビューなどを見てみるといいだろう。圧倒的に否定的な論評が目白押しである。まともなレビューを書いたところで、レビューの内容ではなく、「漢字廃止派」だとアタマから決めつけて拒否反応が即座にでてくるようだ。面白い(笑)

 おそらく少なからぬ日本人の神経を逆なでする内容だからだろう。日本人はなぜか舶来の漢字をなくすことには抵抗感が強いらしい。不思議な話だ。

 ただし、タイトルは出版社の編集者がつけるもの。著者の本意とは微妙なズレがあるのは当然だろう。タイトルだけで判断するのは問題があるが、それもまた仕方ない面もある。著書は漢字全廃とまでは言い切っていない。むしろ慎重にすらみえる。

 わたしもいま漢字を使っているが、それは現在においては、漢字かなまじり文で書く以外、日本語を書くのがきわめて難しいからだ。カナモジであろうが、ローマ字であろうが、漢字語のせいで同音異義語がきわめて増殖してしまった現代日本語を、漢字抜きで表記するのはきわめてむずかしい。

 ただし、必要以上に漢字はつかわないように、意識的に大幅に漢字は制限している。目安としては、漢字対かな比率は、3:7 といったところか。

 もし漢字を廃止するなら、ひらかなあるいはカタカナでわかち書きをするか、ローマ字でわかち書きをすることが必要だろう。これは韓国のハングル表記をみれば一目瞭然である。ハングルもむかしはわかち書きをしていなかった。

 田中克彦の日本語にかんする言及はこれが初めてではなく、ずいぶんむかしから、さまざまな発言をつづけてきた。これまでに書かれた内容を編集して一冊にまとめる作業も必要かもしれないと思う。

 本書はあらたな書き下ろしであるが、問題提起としてはきわめて重要なポイントをついている。ただ、一冊のまとまった書籍としては、これが最初で最後ということだろう。このテーマで出版できただけでも、まだ出版界も捨てたものではない、という気にもさせられる。

 本書は、基本的に問題提起の本として受け止めるべき内容である。


「日本語という肉体に深くささったとげ」である漢字(田中克彦)

 田中克彦は、かつてこのような発言もしている

漢字は日本語という肉体に深くささったとげであると感じている。このとげを抜こうとすると肉体そのものも出血多量で死んでしまいかねないほど、それは急所の奥深くまで入り込んでいる

出典:『ことばのエコロジー』(農山漁村文化協会、1993)

 まったくそのとおりであると思う。それほど、抜き差しならぬところまで漢字という舶来品が入り込んでしまっているのだ。
 
 だから、本書でも田中克彦は「漢字を全廃せよ!」などとは一言も述べていない。むしろ、漢字全廃にかんしては、師匠や弟子筋のほうが徹底しているというべきだろう。田中克彦自身は、自分の名前を、ひらかなで表記するようなことはいっさいしていない。

 別の本では、漢字の造語力についても、冷めてた見方をしている。たしかに、日本人は明治維新後、西洋文明を貪欲に取り入れるにあたって、膨大な量の新語を漢字熟語によってつくりだした。社会や会社などの概念もそうである。その多くが中国に逆輸入されていることは、知る人は知っている事実である。

 最近は日本人の漢字運用能力が低下し、造語力が落ちているという議論が保守派からなされるが、これはかならずしもそうとはいえない。

 田中克彦が造語能力にかんしてよく例に出しているのは、モンゴル語とドイツ語である。漢字熟語の簡潔さはないものの、ともに既存のコトバを組み合わせてあたらしいコトバをつくりだすことはつねに行われている。ドイツ語の場合はめちゃくちゃ長い単語になってしまうし、この点についてはタイ語も同様である。


漢字語の魅力あるいは魔力になんとなくわかった気分にさせられやすい

 漢字語を使用したがる知識階層については、思想家の鶴見俊輔は、「ことばのお守り的使用法について」(1946年)という、日本の敗戦後いち早く書いた論文でも批判的に捉えていることを紹介しておこう。
 
 戦争中、「八紘一宇」「皇道」「肇国の歴史」「国威を宣揚する」・・・・。敗戦後も「民主主義的」「自由」などが「お守り言葉」として使われていた。意味もよくわからないまま、そのコトバを使用することで、何か発言したような気分になり、その時々の時流に合わせることで、世の中から後ろ指をさされることがない「お守り言葉」として。 

 この件については、スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929) に書いておいた。

 漢字研究にかんしては世界に誇る存在であった碩学・白川静博士は、漢字の起源はそのそも宗教的な呪術にあったことを、さまざまなところで明確に述べておられる。

 呪術としての漢字は、21世紀にいたっても日本人を呪縛し続けているようだ。中国の簡体字に拒否反応を示すのもそのためだろう。何を隠そう、わたしも正直なところ簡体字は好きになれない。慣れの問題といってしまえばそれだけなのだが。

 こういうことも一度は考えてみたほうがいい。


言語の本質は音声にある

 じつは本書で展開された考えは、なぜ日本人が外国語学習が不得意なのかを説明していることになる。

 文字ではなく音声(オト)重視の学習法をとらない限り、日本人が外国語に習熟することは難しい。これは、中国語をふくめてだ。徹底的に耳を開発し、聴くチカラを強化しなくてはならない。

言語というものは、本質的に音声言語なのであるという命題。田中克彦の立場は、ソシュール以来の正統的な言語学の立場にたっている。

 しかも、あくまでも民衆の側に立つという立場である。難しい漢字をちりばめてペダンティックなものいいをする評論家を、一貫して否定的に見てきた人である。

 世の中には、言語の本質が音声であることを、日本語をみていない論であるとして退けるひとが少なくないが、言語道断である。さきに音声があって、その後習得される文字によって足かせがはめられる、これが人間の言語の特徴である。

 かつては、文盲率が高い時代や地域があったが、日本語は問題なく使われていた。音声言語としての日本語については、話ことばとしての方言を考えてみればすぐに理解できるはずだ。


トゥラン文化圏について

 田中克彦が「トゥラン文化圏」について言及していることに対し、モンゴル研究にかかわった日本人としての「見果てぬ夢」だと書いたのは、わたしもかつてこの「ツラン文化圏」なるものにたいへん魅力を感じた経験があるからだ。

 日本語の起源、日本人の起源を考えると、かならずや半島から大陸にかけての遊牧民の存在がそのひとつの流れであることにゆきつく。


 『ツラン民族圏』(今岡十一郎、龍吟社、1942)という本がある。

 ツランとはトゥラン(Turan)のこと。この本は、戦前のハンガリーで日本びいきを多くつくりだした貢献者の元外交官が書いた分厚い本だ。昭和17年という戦時中の出版物であり、箱書きにもあるように、「大東亜共栄圏」というコンテクストをまとっているが、中身はいたって学術的なものである。このような形で、かつて連帯感の表明が日本でもなされたことがあるのだ。

 数年前になるが、ハンガリーを再訪した際、英語でかわした会話だが、ある初老のハンガリー人から、若き日の昭和天皇の愛馬がハンガリー産であることが話題になったことがある。われわれが思っている以上に、ハンガリー人は、同じアジア人としての日本人を見ているようだ。これもまた「ツラン文化圏」議論の名残であろう。

 なお、ツラン主義(ツラニズム)については、『陰謀と幻想の大アジア』(海野弘、平凡社、2005)の第2章 ウラル・アルタイ民族で取り上げられているので、ぜひ参照されたい。大東亜共栄圏のコンテクストで語られたツラニズムを、切り捨ててて見てみないふりをするのは、けっして好ましい態度ではない。日本人はもっと歴史的な重層性に目をむけなくてはならない。
 
 その意味では、この2011年という時点で、あえて「トゥラン文化圏」に言及した田中克彦の試みはじつに興味深い。


田中克彦と梅棹忠夫はモンゴルつながり

 書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)に、わたしは以下のようなことを書いておいた。

 ロングセラーの『知的生産の方法』(1969年)で、ずっと黙殺され続けてきたローマ字論について、そもそもの思想的根拠がどこにあるかがわかって興味深い。とくに、エスペラント語をめぐっての、モンゴル学者で言語学者の田中克彦との対談では、梅棹忠夫が筋金入りのエスペランティストであったことの理由が明確に語られており、ある意味では田中克彦よりもはるかにラディカルな言語思想家で実践家でったことがわかる。耳で聞いてわかる日本語の改革に生涯をかけて精力を注いでいたことに、失明後も旺盛な知的生産を行うことのできた秘密の一端があるようだ。

 この点については、あらためて「梅棹忠夫の日本語論」について書く際にあらためて触れたいと思うが、米国嫌いでモンゴル好きという点がこの二人に共通している。

 日本語の改革については、もともと理系であった梅棹忠夫のほうがはるかに過激であったといっていいだろう。本書ですら、梅棹忠夫のローマ字論やカナモジ論にくらべたら、言語学の専門家が書いたかどうかの違いだけで、内容的には過激さは低いとさえ思える。

 本書のあとがきで田中克彦は梅棹忠夫のことを、「最後まで果敢にたたかった、梅棹忠夫さんのようないたましい例」(P.264)と述べている。もうすこしくわしく引用しておこう。

 また、文字は人々の日常の慣習に深く根をおろしているから、文筆で地位を得ている人たちは、その足元をゆるがすような批判を加えるようなことは許しがたいから、文字を改革しようなどというあらゆる試みは不快であるだけでなく強く嫌悪し、敵視する。そして、このような本を書く私も、そのような文筆の徒の一人としてふるまわなければならないという深い矛盾をかかえている。こうした根本的矛盾をかかえながらも、最後まで果敢にたたかった、梅棹忠夫さんのようないたましい例も私のすぐ身近にある。

 梅棹さんのような素朴で明快で単純な果敢さを、私はそのまま引きうけて実行するわけにはいかないが、その精神を私のことばに翻訳して次のような-のスローガン=こころえとしてかかげ、読者の共感を得たいのである。

一、漢字をたくさん使って書かれた文章は、そうでないものよりもりっばで価値が高いという考えを捨てよう。漢字の多さは、むしろ書き手のことばの力のまずしさを示しているのだと思おう!
二、もっと問題なのはその人の国語力のみならず、漢字を使っていぼる人は、自分の言っていることをごまかし野心をかくそうという、はしたない考えの持ち主であるから、国語力だけでなく、徳性においても劣っているのだと思うことにしよう!

--とこう言っても、私じしんが今のところ漢字をきっぱりやめることはできないが、心がければ、時間はかかっても、目標に近づいて行けるだろう。(P.264~265)

 このように田中克彦は書いているが、わたしの印象では梅棹忠夫に言っていることとイコールでないのは当然である。

 ただし、ワープロの使用が漢字廃止を大幅に後退させたこと、ピンインという中国のローマ字化の試みとと簡体字の導入、国際語としての日本語についての見解など、梅棹忠夫と田中克彦には共通するものも多い。

 田中克彦のコトバでわたしが好きなのは、「かわいい日本語には旅をさせよ」というものだ。日本語が国際化することによって、日本語は日本人のものだけではなくなる。英語がそのような体験をしたように。

それ以前は、漢字を知らないアマテラスやアメノウズメやヒミコの時代であり、その時代の記憶をしっかりととどめているのが、ほかでもない私たちの日本語である。この日本語の可能性をよみがえらせることが、私たち日本語人の可能性を保障するのである。(P.261)

 田中克彦はこのように本書を締めくくっている。日本人ではない、「日本語人」である。

 梅棹忠夫のローマ字論については、あらためて取り上げることにしたい。



PS 梅棹忠夫のローマ字論について

この記事を執筆後、梅棹忠夫のローマ字論については以下の記事を執筆しているので、ぜひご覧いただきたい。(2014年7月18日 記す)


梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)







<ブログ内関連記事>

日本語と表記法

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)
・・カナ文字からローマ字へ。モンゴル学にかしては梅棹忠夫は田中克彦と先輩にあたる。二人の対談が収録されている

書評 『お馬ひんひん-語源を探る愉しみ-』(亀井孝、小出昌洋=編、朝日選書、1998)-日本語の単語を音韻をもとに歴史的にさかのぼる
・・田中克彦の言語学の師が かめい たかし(亀井孝)。日本語分かち書きも実際に行っている

書評 『日本語は亡びない』(金谷武洋、ちくま新書、2010)-圧倒的多数の日本人にとって「日本語が亡びる」などという発想はまったく無縁
・・たしかに日本語話者は減少するが「絶滅言語」になどなるわけがない


モンゴルとシベリア、そしてユーラシア

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)
・・モンゴル学者×社会言語学者としての田中克彦

書評 『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)-ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ
・・モンゴル学者×社会言語学者としての田中克彦

書評 『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)-戦前の日本人が描いて実行したこの大構想が実現していれば・・・

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

ハンガリーの大平原プスタに「人馬一体」の馬術ショーを見にいこう!
・・「トゥラニズム」の西端はハンガリーである

(2014年7月18日 情報追加)


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2011年6月18日土曜日

書評『近世の仏教 ー 華ひらく思想と文化(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)ー はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思い。「近代日本」の解毒剤としても服用をすすめたい


はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思い。「近代日本」の解毒剤としても服用をすすめたい一冊

 戦国時代末期から江戸時代末期にかけての近世は、一般に思われているように「儒教の時代」ではなく、あくまでも「仏教の時代」であった。これが著者の基本認識であり、本書の主要テーマである。

 このテーマを、実に多岐にわたって、かつきわめて簡潔に叙述した本書は、「近世の仏教」については、ほとんど知識をもっていない私のような一般読者にとっては、とにかく初めて知ることだらけなので、大きく目を開かれたという思いでいっぱいだ。いままでの常識が大きく崩れてゆくのを感じる内容の本である。

 仏教伝来から奈良仏教、平安仏教を経て、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗といった、現在でも主流の仏教教派が誕生したいわゆる「鎌倉新仏教」から、いきなり江戸時代を飛び越えて現在にきてしまうのが、学校で勉強する日本仏教であるが、実際はそう簡単なものではない。

 織田信長による比叡山焼き討ちや石山本願寺との攻防戦、豊臣秀吉の切支丹弾圧などにみられるように、近世初期は宗教勢力と世俗勢力が激しくぶつかり合った時期であった。

 こののちに成立した徳川幕府は、徹底的に宗教を管理する方向に向かい、檀家制度を導入して、宗門人別改帳(しゅうもんにんべつ・あらためちょう)で一般民衆を管理する。しかも、葬式は仏教式以外はいっさい認めなかったので、仏教は一般民衆のものとして完全に定着した。

 中国や朝鮮とは異なって、儒教はあくまでも倫理の側面にとどまらざるをえなかったのが、東アジアにおいては日本の特色なのである。

 仏教寺院が徳川幕府と癒着して支配の道具になっていたというのは、実は革命政権である明治維新政府によるネガティブ・キャンペーンであり、われわれは学校教育をつうじてずっと洗脳されてきたのであったが、百数十年を経たいま、その呪縛からようやく覚めつつあるというわけだ。

 とくに本書で興味深いのは、中国大陸から江戸時代初期にあらたに伝えられた、座禅と念仏を行う黄檗(おうばく)宗の影響と、木版活字印刷の発展による出版文化の隆盛である。仏教の学問研究が深まり、一般には知られていないが、宗教意識のきわめて高かった仏教僧も多数現れている。これらをつうじて、仏教は信仰として民衆世界にまで広く浸透したのである。

 著者が指摘するように、江戸時代には、仏教がほぼ「国教」に近い存在であったことを知ると、なぜ明治維新に際して、「神仏分離と廃仏毀釈」によって、仏教が徹底的に弾圧されたかが、逆説的な形で理解されるのだ。

 幕末になると儒教の水戸学と復古神道が勢力を増してきて、ついには尊皇攘夷イデオロギーとして猛威を振るうことになったのだが、革命政権というものは、打倒した前政権を徹底的に否定するものだからだ。

 本書を読みながら、何度も「そうだったのか!」と目を開かれる思いがしたが、この思いを多くの人に共有してもらうことによって、「江戸時代の仏教」の存在が一日も早く一般常識となる日が来ることを願うばかりだ。ぜひ一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思いをした」投稿掲載(2010年10月5日)
■amazon書評「はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思いをした」投稿掲載(2010年10月5日)



 

目 次

近世仏教を見なおす-プロローグ
 ・近世仏教は堕落仏教か
 ・新しい近世仏教像へ
 ・中世仏教観の転換

中世から近世へ
 中世仏教の展開
 信長・秀吉と仏教
 徳川幕府の宗教政策
 天海と家康信仰
 儒教と仏教

開かれた近世
 キリシタンの時代
 キリスト教と仏教の論争
 黄檗(おうばく)宗のもたらしたもの
  明末仏教の興隆/隠元の来日/隠元の教説
 ケンペル、シーボルトと日本の宗教

思想と実践
 大蔵経(だいぞうきょう)の出版
  写本から版本へ/鉄眼版の開版/了翁による鉄眼版普及
  /出版文化のもたらしたもの
 教学の刷新
  文献主義の興隆/霊空の本覚思想批判
 戒律の復興
  具足戒と大乗戒/戒律復興運動と安楽律騒動/普寂と慈雲の場合
 批判的研究
  鳳潭の華厳研究/普寂の鳳潭批判/富永仲基の大乗非仏説
 世俗の倫理
  鈴木正三の職分仏行説/ 盤珪・白隠・慈雲/仏教世俗化の問題点
 諸教との交渉
  排仏論の動向/新井白石の『鬼神論』
  /仏教側の三教一致論と『旧事本紀大成経』

信仰の広がり
 畸人と仏教
  畸人と僧侶/売茶翁高遊外/良寛の漢詩
 女性と仏教
  仏教における女性/祖心尼/橘染子
 民衆の信仰
  多様な庶民信仰/地下信仰と新仏教
 真宗の信仰
  真宗の特殊性/肉食妻帯論/三業惑乱の論争/妙好人の信仰
 信仰と造形
  円空と木喰/仏教絵画の自由表現/『仏像図彙』とギメの仏像収集 

近世から近代へ-エピローグ
 ・仏教から神道へ
   近世思想の変遷/平田篤胤の死生観
 ・近代仏教の形成
   明治初期の神仏関係/島地黙雷と新教の自由
   /近代仏教の重層性
 ・改めて近世を問う
   近世の位置づけ/「顕」と「冥」から見た思想史

あとがき
参考文献

(*江戸時代以降で重要と思われる「小見出し」のみ再録しておいた) 


末木文美士(すえき・ふみひこ)

1949年、山梨県に生まれる。1978年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、国際日本文化研究センター教授。主要著書は、『鎌倉仏教展開論』、『仏典を読む』。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 表紙に描かれているのは、現在の日本では知名度も人気の高い伊藤若沖(いとう・じゃくちゅう)による仏画である。白像の背中にのる普賢菩薩(ふげんぼさつ)像だ。

 伊藤若沖といえば、奇想天外なテーや超絶技巧によって知られるが、じつは熱心な在家仏教信者でもあったらしい。釈迦三尊像なども描いているし、なによりも多く描かれた白像も、実見したものではなく仏教説話からのものだろう。このほか野菜涅槃図なども、仏教的世界の表現であるようだ。

 近年、日本でも伊藤若沖や、曾我蕭白(そが・しょうはく)、また狩野一信(かのう・かずのぶ)といった「奇想画」の系列に属する絵師の作品が再評価され人気が高いが、これらは著者の表現を借りれば、世俗的な「顕」の背後にあらわれた「冥」の世界観の表現であるといえよう。

 本書は近世、とくに江戸時代の仏教の真相を知るうえでは出色の一冊といっていい。わたし自身も、大きく蒙を啓かれた。織田信長の激しい大弾圧によって、宗教としての仏教は弱体化したという固定観念をもっていたからだ。

 日本の仏教史の一般的な教科書的な理解としては、仏教伝来以来の奈良仏教に、平安時代初期に現れた空海と最澄という二大天才的宗教家が流れを作り(真言宗と天台宗)、鎌倉時代に展開した、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、禅宗、日蓮宗といった、いわゆる鎌倉新仏教が、現代にいたるまでの日本仏教の根幹をなしている、と。

 つまり鎌倉時代から、いきなり明治時代以降の現代まで飛んでしまう。鎌倉時代と明治時代にはさまれた近世、すなわち室町時代後期の戦国時代から江戸時代末期までの仏教は、特筆すべき特徴はないのか、という疑問がでてくるのだが、日本史の教科書では、徳川幕府が導入した檀家制度によって、仏教は形骸化して今日にに至るというような、はなはだしい誤解を与える教育がなされてきた。

 しかし真相は、江戸時代には「仏教はほぼ国教」の位置づけがされていたのである。明治新政府は革命政権としてのイデオロギー明確化の必要からも、徹底的に江戸時代を否定し、近代国家化と神道国教化という奇妙なアマルガムとしての政策を突き進み、大東亜戦争で大きく破綻することになる。

 こういう理解を欠いていると、なぜ明治維新において「神仏分離と廃仏毀釈」という、実質的には激しい仏教弾圧が発生したのか理解できないのである。これについては、修験道について体験記を書いた際に、庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ と題して、全面的に取り上げているので参照していただけると幸いである。

 近世初期に仏教が葬祭儀礼(葬式)をがっちりと握って以来、いまに至るまで、儒教も神道も葬式で主導権を握ることはできないままである。江戸時代においても徳川幕府が葬式は仏教式以外は認めなかったので、本居宣長などの国学者も菩提寺に葬られている。したがって、神道式の葬儀も明治以前は公式には存在しなかったわけだ。

 また、儒者たちも墓は儒教式の置き石にしているが(・・実見はしていないが、東京に大塚先儒墓所がある)、葬儀そのものを朝鮮のような儒教式に行えなかった。この事実から、儒教はあくまでも統治のための学問的基礎を与えただけであって、民衆レベルまで浸透していなかったことが明白である。浸透したのは、世俗倫理という形だけであって、儒教にとって肝心要の魂の問題には踏み込めなかったわけだ。

 「葬式仏教」と揶揄(やゆ)され、ときに非難されているが、知識人の世界とは違って、民衆宗教のレベルでは、依然として冥界についてどう捉えるかという課題は避けて通ることはできないのである。だから「葬式仏教」は根強く生き残っていく。仏教のワクがはずれれば、スピリチュアルに流れるだけの話だ。

 儒教の本質と、日本における儒教の意味については、書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007) に、<書評への付記>として「先祖供養」とはいったい何か?として書いておいた。

 また、書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) にも、日本が儒教国ではないことを朝鮮との対比で書いておいた。

 もうそろそろ、明治維新史観神話の呪縛という洗脳から、われわれは解放される必要があるのではないか? こういったやや巨視的な歴史理解をもとに、これからの日本再生も考えていかねばならないだろう。

 本書は、近代日本の解毒剤としても服用をすすめたい一冊である。




(宇治の黄檗山万福寺で購入した文鎮)


<ブログ内関連記事>

特別展 「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師・狩野一信」 にいってきた

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・このなかで紹介した『神々の明治維新』(安丸良夫、岩波新書)は必読書

書評 『お寺の経済学』(中島隆信、ちくま文庫、2010 単行本初版 2005)
・・経済学者による「お寺の経済」。歴史的背景もよく調べて書かれており檀家制度の意味を考える意味でも必読

書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007)
・・「先祖供養」とはいったい何か?について書いておいた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・日本は儒教国ではない!ということ

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・近代のくびきを離れたいま、ようやく江戸時代のほんとうの姿がわれわれに見えるようになってきた


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