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2011年6月26日日曜日

「生誕100年 人間・岡本太郎 展・前期」(川崎市岡本太郎美術館) にいってきた


 昨日(2011年6月24日)、「生誕100年 人間・岡本太郎 展」(川崎市岡本太郎美術館)にいってきた。

 今年(2011年)は、岡本太郎が 1911年2月26日に生まれてから 100年にあたる。

 2011年5月8日まで国立近代美術館(東京・竹橋)で開催されていた「生誕100年 岡本太郎展」を見逃した人も、常設展「生誕100年あっぱれ太郎 岡本太郎の仮面」とあわせて訪れることをすすめたい。
 
 「生誕100年 人間・岡本太郎 展」(川崎市岡本太郎美術館)が「生誕100年 岡本太郎展」(国立近代美術館)と違うのは、前者には「人間」という文字が入っていることだ。

 ポスターに掲載されている「どうしても本職というなら人間です」という岡本太郎のコトバにそれは端的にあらわれている。

 画家とか、文筆家とか、カメラマンとか他人が勝手につけたレッテルを拒否し、「職業は人間だ」と言い切る岡本太郎の啖呵(たんか)にも似た物言いにしびれる思いをするのはわたしだけではないだろう。ああ、やっぱり岡本太郎はいい! そういう気分にさせてくれる名コピーである。

 会場の川崎市岡本太郎美術館は、岡本太郎の母である作家・岡本かの子の出身地にまつわる地縁による。岡本太郎作の彫刻作品「母の塔」(1971年作)がシンボルタワーとして設置されているのは、それにまつわる彫刻としてふさわしいからだ。



 生田緑地(神奈川県川崎市)の丘のうえにある美術館までは、緑あふれる遊歩道を散策しながらの道のりとなる。

 最寄りの駅は、小田急線の向ヶ丘遊園駅。ここからタクシーでワンメーター710円乗って、日本民家園入り口で下車して、そこから5分ほど歩くのがいちばん近い。今回は、町田市に用事があったので、早めに家をでて途中下車して美術館に立ち寄った。この美術館にくるのは8年ぶり、2回目の訪問である。



 展覧会は、前期・後期の2期に分かれている。

 前期:2011年4月16日(土)~7月3日(日)は、岡本太郎と実際に会い、活動をともにした人たちを中心にしたもの。後期:2011年7月7日(木)~9月25日(日)は岡本太郎の影響を受け、岡本太郎の精神を継承する人たちを中心に紹介するもの。

 前記に正規料金900円(大人1枚)で入場したら、チケットのうらに200円割引のスタンプを押してくれる。後期の展覧会に入場する際に200円割引になるということだ。

 それも理由の一つかどうかわからないが、前期だけのカタログ(図録)はないらしい。ミュージアムショップで聞いたところ、後期がはじまった7月末に出るとのことである。ちょっと残念な気がした。


会期: 前期:2011年4月16日(土)~7月3日(日)
   後期期:2011年7月7日(木)~9月25日(日)
http://www.taromuseum.jp/exhibition/current.html
料金: 一般900(720)円/高大学生・65歳以上700(560)円/ 中学生以下 無料
   ※本料金で常設展もご覧いただけます
   ※( )内は20名以上の団体料金
休館日: 月曜日(祝日を除く) 、祝日の翌日(土日を除く)
主催: 川崎市岡本太郎美術館、NHK横浜放送局
協力: 岡本太郎記念館、すわ製作所、株式会社シュヴァン、小田急電鉄株式会社、東京急行株式会社


常設展も見逃せない

 企画展には、常設展の会場を通っていくことになる。8年ぶりの訪問だが、なんといっても楽しみは「座ることを拒否した椅子」をみて、「手の形をした椅子」に座ること。こういう遊び心にみちた彫刻作品(?)を見て、直接ふれることができるのは、子どもではなくてもワクワクするものだ。

 常設展のテーマは「生誕100年あっぱれ太郎 岡本太郎の仮面」。日本の東北や沖縄だけでなく、韓国やそれ以外の世界中の仮面の写真を撮影し、収集もした岡本太郎にとって、仮面や顔は重要なテーマの一つである。

 岡本太郎というと、大阪万博(1970年)の「太陽の塔」ばかりが有名だが、パリ時代の10年のあいだには、パリ大学で民族学者マルセル・モースのもとで民族学(エスノロジー ethnology)を学んでおり、仮面にはなみなみならぬ関心を終生もちつづけていたようだ。

 大阪万博では、人類学者の泉靖一、梅棹忠夫とともに、世界中の仮面や神像を収集するプロジェクトに深く関与していたことは、すでにこのブログでも 書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) に書いてある。

 今回の常設展で何よりもわたしの目をひいたのは、ガラスケースのなかに展示されていた『世界の仮面と神像』(岡本太郎・泉靖一・梅棹忠夫編、朝日新聞社、1970)という箱入りの大型美術本。

 大阪万博の仕事は、こういう形でも結晶していたのかという感慨とともに、この収集品が梅棹忠夫が館長として実現に奔走した国立民族学美術館(大阪・千里)の基礎になったのだと思うと、あらためて岡本太郎の仕事の意味を、絵画や彫刻にのも限定することの視野の狭さを感じるのである。




企画展「生誕100年 人間・岡本太郎 展」

 常設展が終わるところから、企画展が始まる。バナー(のぼり)に記された岡本太郎のコトバの一つ一つを読みながら進むことになる。

 こうしたバナーの一つに書かれているのが、「どうしても本職というなら人間です」という名コピー。これを目にして、またあらためて Wow !(ワオ!) という気持ちになる。

 さて、企画展は、岡本太郎と実際に会い、活動をともにした人たちを中心にした展示だ。中心にあるのは「パイラ星人」のイメージ。岡本太郎といえば目だが、その目をカラダのまんなかにもったパイラ星人とは、映画「宇宙人東京に現る」のためにデザインされたものとか。

 岡本太郎の母かの子と父一平の「聖家族」。作家・岡本かの子と漫画家・岡本一平の一人っ子として、なに不自由なく育った岡本太郎は生まれながらにして全身芸術家だったわけだ。家族にまつわる思いでの品々の展示。

 このほか交友のあった芸術家の絵画作品のなかでは、岡本太郎を息子のようにかわいがっていたという北大路魯山人の陶芸作品と、岡本太郎の陶芸作品をならべた展示は興味深い。それにしても北大路魯山人の陶芸作品には圧倒される。

 写真家としての岡本太郎も、パリ時代に写真家ブラッサンスやロバート・キャパとの交友から始まっているようで、写真もまた全体活動の一つであったとともに、民族学者の目がそこにあることにあらてめて気が付かされる。

 大阪万博時代のグッズや人生相談を連載していた男性週刊誌「週刊プレイボーイ」のバックナンバー実物などが展示されている。「週刊プレイボーイ」がこれだけ大量に陳列されているのを見るのは、これはこれである意味では壮観だ。

 わたしにとって今回いちばんの収穫は、岡本太郎が手元においていた「フランス語の蔵書400冊」の一部の展示を見ることができたことだ。

 岡本太郎の死後、蔵書の大半は散逸(さんいつ)してしまったらしいのが残念だが、フランス語の蔵書だけは奇跡的に(!)残っていたらしい。

 戦前のパリ時代に収集した蔵書は、東京大空襲でぜんぶ焼けてしまったらしいが、戦後も民族学や人類学、宗教学関連の最新研究書を取り寄せて読んでいたようだ。そしてそのフランス語の専門書がまとまったままのこsれたことはじつに大きな意味をもつ。

 パリ時代に交友のあった思想家ジョルジュ・バタイユや、民族学の師であるマルセル・モースについては比較的知られていることだが、戦後の岡本太郎は宗教学者ミルチャ・エリアーデのフランス語著作を多く取り寄せて読みこんでいたらしい。これはじつに大きな発見だ。岡本太郎の戦後の作品に、エリアーデの読書から得た知見が反映さえれていると考えると、これはじつに関心をそそられる。

 じつはわたしも宗教学の目が開かれたのは大学時代に読んだ『聖と俗』や『生と再生』、『永遠回帰の神話』などだが、岡本太郎がとくに熟読していたのは大著『シャマニズム』のようだ。

 インドに留学してヨーガを習得し、世界中の宗教を研究したルーマニア出身の宗教学者エリアーデ(1907~1986)は、亡命後はフランス語で著作を発表していた。フランス語で知識を吸収していた岡本太郎の射程にエリアーデが入っていたということは言及されているのは見たことがないので、知られざる隠し球だったのかもしれない。

 この事実をしったあとは、さらに岡本太郎の「人間」としての全体像が大きく膨らんでいくことだろう。






ミュージアムショップにて

 今回の訪問目的の一つは、過去の展覧会のカタログ(図録)を購入することであった。

 『岡本太郎「藝術風土記」 Art topography by Taro Okamoto-Japan, 50 Years ago-』という 川崎市岡本太郎美術館の2007年度の企画展のカタログである。税込み 1,500円。

 『岡本太郎の沖縄』(日本放送出版協会、2000)『岡本太郎の東北』(毎日新聞社、2002)として出版されている「縄文」探索写真紀行のほかに、岡本太郎は日本全国を写真で切り取っている。長崎、京都、出雲、岩手、大阪、四国、といった日本各地の写真もまた、民族学者・岡本太郎の目をとおして切り取られた「50年前の日本」の貴重な写真の数々である。

この展覧会にいかなかったわたしは、図録だけでも入手さうたいと思っていた。増刷されることがあるのかどうかわからないので、ぜひはやいうちに入手をすることをすすめたい。

 一枚の写真がもつ情報量はきわめて多い。同じく民族学者であった梅棹忠夫の写真集『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)などと比較したいものである。

 今回は8年ぶりの訪問となったが、マグネットには面白いものがなかったのは残念。それが理由ではないが、「生誕100年 岡本太郎展」では買わなかった「太陽の塔のフィギュア」を買ってしまった。

 どうも、1970年の大阪万博で「太陽の塔」に魅了されてしまった小学生は、40年たったいまでも「太陽の塔」には呪縛さえれつづけているようだ。もちろん、いい意味の呪縛だが(笑)。





<関連サイト>

NHKスペシャル 太郎と敏子-瀬戸内寂聴が語る究極の愛-(2011年6月23日放送) 
・・なぜ岡本(旧姓平野)敏子は岡本太郎の養女になったのか、やっとその理由がわかった。じつはプラクティカルな意味もあったのだった。


<ブログ内関連記事>

「生誕100年 岡本太郎展」 最終日(2011年5月8日)に駆け込みでいってきた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・この本の表紙は「縄文人の彫刻」であある

書評 『ピカソ [ピカソ講義]』(岡本太郎/宗 左近、ちくま学芸文庫、2009 原著 1980)

本の紹介 『アトリエの巨匠に会いに行く-ダリ、ミロ、シャガール・・・』(南川三治郎、朝日新書、2009)

マンガ 『20世紀少年』(浦沢直樹、小学館、2000~2007) 全22巻を一気読み・・大阪万博の太陽の塔を見ることのできた少年たち、見ることのできなかった少年たち

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた
・・パブリック・アートとしてのメキシコの「壁画運動」。岡本太郎もその影響を大きく受けており実作もしている。メキシコで発見され里帰りした壁画は、2008年以降は渋谷駅に展示され、有るべき姿でよみがえった

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・宗教学者エリアーデの『聖と俗』について、ややくわしく言及してある

書評 『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界の歩き方』(小長谷有紀・佐藤吉文=編集、勉誠出版、2011)
・・民族学者・梅棹忠夫が撮影した写真の数々








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2011年6月24日金曜日

書評 『「鉄学」概論-車窓から眺める日本近現代史-』(原 武史、新潮文庫、2011)-「高度成長期」の 1960年代前後に大きな断絶が生じた


鉄道を軸にみると「高度成長期」の 1960年代前後に大きな断絶が生じたことがわかる

 歴史学者・原武史の「鉄学」概論である。「鉄学」とは哲学をもじった表現、いうまでもなくここでいう「鉄」とは「鉄道」の「鉄」のことである。

 専門である近代天皇制についての研究は、趣味の域を超えた鉄道研究(・・基本的に乗り鉄)と大きな相乗効果をあげていることは、原武史の読者であればよくご存じのことであろう。一言でいえば、「鉄道×日本近現代史」である。

 タイトルにひかれて手にとった読者も、すでに原武史の著作を何冊か読んできた者にとっても、十二分に楽しめる内容の読み物になっているといえよう。また本書から逆に原武史個々の作品に読書の幅を拡げていくのもいいかもしれない。原武史のエッセンスが本書に凝縮されているからだ。

 この本に取り上げられたテーマを列挙するなら、鉄道紀行文学、鉄道沿線と作家、近代天皇制、東西日本の私鉄沿線宅地開発、住都公団による鉄道沿線の団地開発、路面電車の廃止による首都東京の記号化、といったことになるだろうか。

 本書を読んでいて強く印象を受けたのは、鉄道を軸にして考えると、第二次大戦を境にした戦前と戦後の断絶よりも、1960年代を前後にした断絶のほうがはるかに大きいということだ。

 1960年代とはいうまでもなく「高度成長期」、この時代にはモータリゼーションの急激な進展にともなって渋滞緩和のために高速道路が建設され、路面電車である都電は廃止され地下鉄によって代替され、住宅供給の目的で私鉄沿線には多数の団地が建設された。

 東京への一極集中がさらに進んだなかで、1970年代前半には新宿駅を舞台にした暴動や、都内各地や高崎線上尾駅での通勤者による暴動も発生したのであった。2010年代のいまからはまったく想像もできないような状況が、民営化前の国鉄(当時)には存在したのである。著者と同じく1962年生まれの私には、肌感覚をもって理解できることも多い。

 鉄道を軸にして日本近現代史を考える、あるいは日本近現代史を鉄道をつうじて見る。そのどちらでもいいのだが、とくに「高度成長期」とは何だったのかを考えることのできる内容になっている。

 文庫本なので、ぜひ車中で読みたい本である。


<初出情報>

■bk1書評「鉄道を軸にみると「高度成長期」の1960年代前後に大きな断絶が生じたことがわかる」投稿掲載(2011年3月9日)
■amazon書評「鉄道を軸にみると「高度成長期」の1960年代前後に大きな断絶が生じたことがわかる」投稿掲載(2011年3月9日)





目 次

はじめに
第1章 鉄道紀行文学の巨人たち
第2章 沿線が生んだ思想
第3章 鉄道に乗る天皇
第4章 西の阪急、東の東急
第5章 私鉄沿線に現れた住宅
第6章 都電が消えた日
第7章 新宿駅一九六八・一九七四
第8章 乗客たちの反乱
参考文献


著者プロフィール

原 武史(はら・たけし)

1962(昭和37)年、東京都生れ。早稲田大学政治経済学部卒業。国立国会図書館、日本経済新聞社勤務を経て東京大学大学院博士課程中退。現在、明治学院大学教授、専攻は日本政治思想史。著書に『昭和天皇』(司馬遼太郎賞受賞)、『滝山コミューン一九七四』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『「民都」大阪対「帝都」東京』(サントリー学芸賞受賞)、『大正天皇』(毎日出版文化賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 この書評は、初出の日付を見て頂ければわかるように、2011年3月9日に書いたものだ。「3-11」の二日前である。

 時代区分の問題について、戦前戦後を話題にしているが、すでに「3-11」を経験したわれわれは、いわゆる「戦後」はすでに終わりを告げ、「3-11」以後の世界に生きているという認識を多くの人が持ち始めていることと思う。

 わたし自身も、すでにこのブログで 「歴史の断層」をみてしまったという経験-「3-11」後に歴史が大転換する予兆 と題した文章を書いて、その感覚について記している。

 とはいえ、書評のなかで指摘した「鉄道を軸にして考えると、第二次大戦を境にした戦前と戦後の断絶よりも、1960年代を前後にした断絶のほうがはるかに大きい」という感想は、とくに現時点では変更する必要はなさそうだ。

 すでに経済学者の吉川洋が『高度成長-日本を変えた6000日-((20世紀の日本)』(読売新聞社、1997 現在は中公文庫)でも指摘しているように、日本独特の流通制度や農業など、江戸時代以来の産業が、明治維新後でも敗戦後でもなく、「高度成長期」に劇的に変化したことは、もうそろそろ「常識」となってもいいのではないかと思う。

 鉄道の変化も、その意味では「高度成長期」に激変したことは、おなじく同期(シンクロナイズ)した現象といっていいのかもしれない。





<ブログ内関連記事>

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 

「歴史の断層」をみてしまったという経験-「3-11」後に歴史が大転換する予兆

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・遅れてきた右翼少年によるテロをともなった「政治の季節」は1960年に終わり、以後の日本は「高度成長」路線を突っ走る。「世界の静かな中心」というフレーズは、 『危機の宰相』で沢木耕太郎が引用している三島由紀夫のコトバである。

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと
・・三島由紀夫と同時代の1960年代は、日本でもドイツでもイタリアでも「極左テロの季節」であった

「やってみなはれ」 と 「みとくんなはれ」 -いまの日本人に必要なのはこの精神なのとちゃうか?
・・三島由紀夫の割腹自決の一年前の1969年に創業70年を迎えたサントリー、これを記念して開高健が執筆した「やってみなはれ」は「高度成長」期の日本人のメンタリティそのもの

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した

書評 『鉄道王たちの近現代史』(小川裕夫、イースト新書、2014)-「社会インフラ」としての鉄道は日本近代化」の主導役を担ってきた

(2014年8月14日、2016年7月23日 情報追加)




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2011年6月23日木曜日

今年もノラネコの子ネコお披露目シーズンが到来!(2011年6月)


 今年もノラネコの子ネコお披露目シーズンが到来!
 
 梅雨空の合間をぬって晴れた日には、母ネコが子ネコを連れ出してピクニック(?)にでてくる。春に生まれた子ネコのうち、現時点で生き残ったものが、もう連れ歩いても安心とばかりにオモテに連れ出されるのだ。

 わたしがいま住んでいる地域は「猫町」みたいなものだ。これはフェイスブックでノラネコの写真を紹介しているうちに、フェイスブックの友人から命名されたものだ。村上春樹の小説『IQ84』にでてくるのだという。




 冒頭にかかげた母子ネコのツーショット。ウルウル光線だしまくりの子ネコがかわいい。この写真では、そういうわが子をみつめる母ネコの慈(いつく)しみにみちたまなざしにも注目したい。デジカメ越しに人間でるわたしをみる母ネコのまなざしとはまったく違う。




 たまたま風で飛ばされて落ちていた洗濯物のうえでくつろぐネコの家族。なんだかピクニックみたい。




 母ネコと三匹のきょうだいの集合写真。ネコの家族には「父親不在」。ネコどうしの親密な関係は、基本的に母子関係だけだという。きょうだいどうしのじゃれあいも、大人になるまでの学習期間のみ。

 よく見れば、似たような子ネコもそれぞれ模様が微妙に違う。個体ごとの違いは性格にも反映している。つまり個性が存在するわけだ。この子ネコたちもまた、ノラネコとしてたくましく育っていくことを期待したい。

 ノラネコと人間との共生、これもまた一つの生態系のなかでのものである。人間中心の考えを捨てて、ノラネコが生きる生態系のなかで生きているのが人間(?)という逆転した視点でものを眺めてみるのも、ときには面白いものである。


<ブログ内関連記事>

猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)

猛暑の夏の自然観察 (3) 身近な生物を観察する動物行動学-ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)

If Your Cat Could Talk 「あなたのネコがしゃべれたら・・・」

「学(まな)ぶとは真似(まね)ぶなり」-ノラネコ母子に学ぶ「学び」の本質について

子ネコが拉致誘拐された!ノラネコの自由を奪うな、ネコを返せ! 

ノラネコに学ぶ「テリトリー感覚」-自分のシマは自分で守れ!

必要は発明の母-ノラネコ合従連衡? 呉越同舟?

動物は野生に近ければ近いほど本来は臆病である。「細心かつ大胆」であることが生き残るためのカギだ

ノラネコも寒い日はお互い助け合い

今年もありがとうございました(2010年12月31日)






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2011年6月20日月曜日

書評 『漢字が日本語をほろぼす』(田中克彦、角川SSC新書、2011)-異端の社会言語学者・田中克彦の「最初で最後の日本語論」


異端の社会言語学者でモンゴル学者・田中克彦の「最初で最後の日本語論」

 ラディカルな本である。コトバの本来の意味で、日本語のありかたについて根源的な問いかけを行っている本である。

 せっかく受け入れたフィリピンやインドネシアからきた外国人看護士を実質的に閉め出しているのは、医療関係者以外は日本人でもまったく読めも書けもしないような難しい漢字の専門語をクリアしなくてはならないからだ。

 ワープロの使用によって、不必要なまでに変換されてしまう漢字にみちみちた文章。これは日本語への世界的な普及には、むしろ大いに逆行する現象だ。

 現在の日本語の状況は、ビジネス界の流行語をつかえば「ガラパゴス化」とでも言うしかない。

 本書でとくに重要なのは、「漢字に苦しめられてきた中国」にかんする第3章だろう。中国語をローマ字で表記するピンイン、そして簡体字。その先には、漢字の産みの親である中国ですら、漢字の廃止というビジョンが根底にあることを知るべきなのだ。本書には、中国語をローマ字のみで表記する少数民族の存在が紹介されているが、その大きな例証となっている。

 いわゆる「漢字文明圏」で、いまでも漢字を使い続けているのは、現在ではもはや日本と中国、そして香港と台湾のみとなっている。はやくからローマ字を採用しているベトナムはいうまでもなく、北朝鮮はハングルのみ、韓国もハングル中心で漢字はほとんど使わなくなった。

 そもそも言語というものは、耳で聞いてわかるものでなければ意味はない。日本人は漢字という表意文字に依存し、視覚に頼りすぎるので、外国語習得が得意ではないのは当然といえば当然である。

 著者の田中克彦は、言語学者でありモンゴル学者である。

 後者のモンゴル学者としての視点が面白いのは、漢字を拒否し続けた中国の周辺諸民族をふくむ、「ツラン文化圏」(トゥラニズム)にまで至る壮大な文明論に言及していることだ。

 西端は欧州のフィン族やハンガリーから東端は日本にまで至る、ユーラシア遊牧民につらなる「ツラン文化圏」。戦後日本ではほとんど言及されることのないこの概念に、あらたに息を吹きこもうというこの試みには、モンゴル研究にかかわった日本人としての「見果てぬ夢」を感じ取るものである。

 英語が優勢のグローバル世界のなか、人口減がそのまま日本語の話者の減少にもつながっていく。このような状況のなかで日本語を守るためには、漢字を段階的に廃止する方向にもっていかなければならないというのが著者の主張である。この主張の是非については、間違いなく反対論が多数派であろう。本書もまた、「品格」がないとして、多くの反発を生むことのではないか? 

 この「屈折した逆説的な日本語への愛」が、なかなか世間一般にはストレートには拡がらないのは、ある意味では仕方がないことだ。

 タイトルに強い違和感(!)を感じた人は、ぜひ手にとって読んでみてほしい。著者の主張の是非はさておき、日本語のありかたについて根源的に考えるための、耳を傾けるべき主張がそこにはある。


<初出情報>

■bk1書評「異端の社会言語学者でモンゴル学者・田中克彦の「最初で最後の日本語論」」投稿掲載(2011年6月2日)





目 次

はじめに
第1章 日本語という運命
第2章 「日本語人」論
第3章 漢字についての文明論的考察
第4章 「脱亜入欧」から「脱漢入亜」へ
あとがき
参考文献
人名索引


著者プロフィール

田中克彦(たなか・かつひこ)

1934年兵庫県生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科修了。一橋大学名誉教授。専門は社会言語学とモンゴル学。言語学をことばと国家と民族の関係から総合的に研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 本書は、すくなからぬ読者には、きわめて大きな不快感を与えているようだ。

 試みに本書の amazon レビューなどを見てみるといいだろう。圧倒的に否定的な論評が目白押しである。まともなレビューを書いたところで、レビューの内容ではなく、「漢字廃止派」だとアタマから決めつけて拒否反応が即座にでてくるようだ。面白い(笑)

 おそらく少なからぬ日本人の神経を逆なでする内容だからだろう。日本人はなぜか舶来の漢字をなくすことには抵抗感が強いらしい。不思議な話だ。

 ただし、タイトルは出版社の編集者がつけるもの。著者の本意とは微妙なズレがあるのは当然だろう。タイトルだけで判断するのは問題があるが、それもまた仕方ない面もある。著書は漢字全廃とまでは言い切っていない。むしろ慎重にすらみえる。

 わたしもいま漢字を使っているが、それは現在においては、漢字かなまじり文で書く以外、日本語を書くのがきわめて難しいからだ。カナモジであろうが、ローマ字であろうが、漢字語のせいで同音異義語がきわめて増殖してしまった現代日本語を、漢字抜きで表記するのはきわめてむずかしい。

 ただし、必要以上に漢字はつかわないように、意識的に大幅に漢字は制限している。目安としては、漢字対かな比率は、3:7 といったところか。

 もし漢字を廃止するなら、ひらかなあるいはカタカナでわかち書きをするか、ローマ字でわかち書きをすることが必要だろう。これは韓国のハングル表記をみれば一目瞭然である。ハングルもむかしはわかち書きをしていなかった。

 田中克彦の日本語にかんする言及はこれが初めてではなく、ずいぶんむかしから、さまざまな発言をつづけてきた。これまでに書かれた内容を編集して一冊にまとめる作業も必要かもしれないと思う。

 本書はあらたな書き下ろしであるが、問題提起としてはきわめて重要なポイントをついている。ただ、一冊のまとまった書籍としては、これが最初で最後ということだろう。このテーマで出版できただけでも、まだ出版界も捨てたものではない、という気にもさせられる。

 本書は、基本的に問題提起の本として受け止めるべき内容である。


「日本語という肉体に深くささったとげ」である漢字(田中克彦)

 田中克彦は、かつてこのような発言もしている

漢字は日本語という肉体に深くささったとげであると感じている。このとげを抜こうとすると肉体そのものも出血多量で死んでしまいかねないほど、それは急所の奥深くまで入り込んでいる

出典:『ことばのエコロジー』(農山漁村文化協会、1993)

 まったくそのとおりであると思う。それほど、抜き差しならぬところまで漢字という舶来品が入り込んでしまっているのだ。
 
 だから、本書でも田中克彦は「漢字を全廃せよ!」などとは一言も述べていない。むしろ、漢字全廃にかんしては、師匠や弟子筋のほうが徹底しているというべきだろう。田中克彦自身は、自分の名前を、ひらかなで表記するようなことはいっさいしていない。

 別の本では、漢字の造語力についても、冷めてた見方をしている。たしかに、日本人は明治維新後、西洋文明を貪欲に取り入れるにあたって、膨大な量の新語を漢字熟語によってつくりだした。社会や会社などの概念もそうである。その多くが中国に逆輸入されていることは、知る人は知っている事実である。

 最近は日本人の漢字運用能力が低下し、造語力が落ちているという議論が保守派からなされるが、これはかならずしもそうとはいえない。

 田中克彦が造語能力にかんしてよく例に出しているのは、モンゴル語とドイツ語である。漢字熟語の簡潔さはないものの、ともに既存のコトバを組み合わせてあたらしいコトバをつくりだすことはつねに行われている。ドイツ語の場合はめちゃくちゃ長い単語になってしまうし、この点についてはタイ語も同様である。




漢字語の魅力あるいは魔力になんとなくわかった気分にさせられやすい

 漢字語を使用したがる知識階層については、思想家の鶴見俊輔は、「ことばのお守り的使用法について」(1946年)という、日本の敗戦後いち早く書いた論文でも批判的に捉えていることを紹介しておこう。
 
 戦争中、「八紘一宇」「皇道」「肇国の歴史」「国威を宣揚する」・・・・。敗戦後も「民主主義的」「自由」などが「お守り言葉」として使われていた。意味もよくわからないまま、そのコトバを使用することで、何か発言したような気分になり、その時々の時流に合わせることで、世の中から後ろ指をさされることがない「お守り言葉」として。 

 この件については、スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929) に書いておいた。

 漢字研究にかんしては世界に誇る存在であった碩学・白川静博士は、漢字の起源はそのそも宗教的な呪術にあったことを、さまざまなところで明確に述べておられる。

 呪術としての漢字は、21世紀にいたっても日本人を呪縛し続けているようだ。中国の簡体字に拒否反応を示すのもそのためだろう。何を隠そう、わたしも正直なところ簡体字は好きになれない。慣れの問題といってしまえばそれだけなのだが。

 こういうことも一度は考えてみたほうがいい。


言語の本質は音声にある

 じつは本書で展開された考えは、なぜ日本人が外国語学習が不得意なのかを説明していることになる。

 文字ではなく音声(オト)重視の学習法をとらない限り、日本人が外国語に習熟することは難しい。これは、中国語をふくめてだ。徹底的に耳を開発し、聴くチカラを強化しなくてはならない。

言語というものは、本質的に音声言語なのであるという命題。田中克彦の立場は、ソシュール以来の正統的な言語学の立場にたっている。

 しかも、あくまでも民衆の側に立つという立場である。難しい漢字をちりばめてペダンティックなものいいをする評論家を、一貫して否定的に見てきた人である。

 世の中には、言語の本質が音声であることを、日本語をみていない論であるとして退けるひとが少なくないが、言語道断である。さきに音声があって、その後習得される文字によって足かせがはめられる、これが人間の言語の特徴である。

 かつては、文盲率が高い時代や地域があったが、日本語は問題なく使われていた。音声言語としての日本語については、話ことばとしての方言を考えてみればすぐに理解できるはずだ。


トゥラン文化圏について

 田中克彦が「トゥラン文化圏」について言及していることに対し、モンゴル研究にかかわった日本人としての「見果てぬ夢」だと書いたのは、わたしもかつてこの「ツラン文化圏」なるものにたいへん魅力を感じた経験があるからだ。

 日本語の起源、日本人の起源を考えると、かならずや半島から大陸にかけての遊牧民の存在がそのひとつの流れであることにゆきつく。


 『ツラン民族圏』(今岡十一郎、龍吟社、1942)という本がある。

 ツランとはトゥラン(Turan)のこと。この本は、戦前のハンガリーで日本びいきを多くつくりだした貢献者の元外交官が書いた分厚い本だ。昭和17年という戦時中の出版物であり、箱書きにもあるように、「大東亜共栄圏」というコンテクストをまとっているが、中身はいたって学術的なものである。このような形で、かつて連帯感の表明が日本でもなされたことがあるのだ。

 数年前になるが、ハンガリーを再訪した際、英語でかわした会話だが、ある初老のハンガリー人から、若き日の昭和天皇の愛馬がハンガリー産であることが話題になったことがある。われわれが思っている以上に、ハンガリー人は、同じアジア人としての日本人を見ているようだ。これもまた「ツラン文化圏」議論の名残であろう。

 なお、ツラン主義(ツラニズム)については、『陰謀と幻想の大アジア』(海野弘、平凡社、2005)の第2章 ウラル・アルタイ民族で取り上げられているので、ぜひ参照されたい。大東亜共栄圏のコンテクストで語られたツラニズムを、切り捨ててて見てみないふりをするのは、けっして好ましい態度ではない。日本人はもっと歴史的な重層性に目をむけなくてはならない。
 
 その意味では、この2011年という時点で、あえて「トゥラン文化圏」に言及した田中克彦の試みはじつに興味深い。




田中克彦と梅棹忠夫はモンゴルつながり

 書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)に、わたしは以下のようなことを書いておいた。

 ロングセラーの『知的生産の方法』(1969年)で、ずっと黙殺され続けてきたローマ字論について、そもそもの思想的根拠がどこにあるかがわかって興味深い。とくに、エスペラント語をめぐっての、モンゴル学者で言語学者の田中克彦との対談では、梅棹忠夫が筋金入りのエスペランティストであったことの理由が明確に語られており、ある意味では田中克彦よりもはるかにラディカルな言語思想家で実践家でったことがわかる。耳で聞いてわかる日本語の改革に生涯をかけて精力を注いでいたことに、失明後も旺盛な知的生産を行うことのできた秘密の一端があるようだ。

 この点については、あらためて「梅棹忠夫の日本語論」について書く際にあらためて触れたいと思うが、米国嫌いでモンゴル好きという点がこの二人に共通している。

 日本語の改革については、もともと理系であった梅棹忠夫のほうがはるかに過激であったといっていいだろう。本書ですら、梅棹忠夫のローマ字論やカナモジ論にくらべたら、言語学の専門家が書いたかどうかの違いだけで、内容的には過激さは低いとさえ思える。

 本書のあとがきで田中克彦は梅棹忠夫のことを、「最後まで果敢にたたかった、梅棹忠夫さんのようないたましい例」(P.264)と述べている。もうすこしくわしく引用しておこう。

 また、文字は人々の日常の慣習に深く根をおろしているから、文筆で地位を得ている人たちは、その足元をゆるがすような批判を加えるようなことは許しがたいから、文字を改革しようなどというあらゆる試みは不快であるだけでなく強く嫌悪し、敵視する。そして、このような本を書く私も、そのような文筆の徒の一人としてふるまわなければならないという深い矛盾をかかえている。こうした根本的矛盾をかかえながらも、最後まで果敢にたたかった、梅棹忠夫さんのようないたましい例も私のすぐ身近にある。

 梅棹さんのような素朴で明快で単純な果敢さを、私はそのまま引きうけて実行するわけにはいかないが、その精神を私のことばに翻訳して次のような-のスローガン=こころえとしてかかげ、読者の共感を得たいのである。

一、漢字をたくさん使って書かれた文章は、そうでないものよりもりっばで価値が高いという考えを捨てよう。漢字の多さは、むしろ書き手のことばの力のまずしさを示しているのだと思おう!
二、もっと問題なのはその人の国語力のみならず、漢字を使っていぼる人は、自分の言っていることをごまかし野心をかくそうという、はしたない考えの持ち主であるから、国語力だけでなく、徳性においても劣っているのだと思うことにしよう!

--とこう言っても、私じしんが今のところ漢字をきっぱりやめることはできないが、心がければ、時間はかかっても、目標に近づいて行けるだろう。(P.264~265)

 このように田中克彦は書いているが、わたしの印象では梅棹忠夫に言っていることとイコールでないのは当然である。

 ただし、ワープロの使用が漢字廃止を大幅に後退させたこと、ピンインという中国のローマ字化の試みとと簡体字の導入、国際語としての日本語についての見解など、梅棹忠夫と田中克彦には共通するものも多い。

 田中克彦のコトバでわたしが好きなのは、「かわいい日本語には旅をさせよ」というものだ。日本語が国際化することによって、日本語は日本人のものだけではなくなる。英語がそのような体験をしたように。

それ以前は、漢字を知らないアマテラスやアメノウズメやヒミコの時代であり、その時代の記憶をしっかりととどめているのが、ほかでもない私たちの日本語である。この日本語の可能性をよみがえらせることが、私たち日本語人の可能性を保障するのである。(P.261)

 田中克彦はこのように本書を締めくくっている。日本人ではない、「日本語人」である。

 梅棹忠夫のローマ字論については、あらためて取り上げることにしたい。



PS 梅棹忠夫のローマ字論について

この記事を執筆後、梅棹忠夫のローマ字論については以下の記事を執筆しているので、ぜひご覧いただきたい。(2014年7月18日 記す)


梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)





<ブログ内関連記事>

日本語と表記法

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)
・・カナ文字からローマ字へ。モンゴル学にかしては梅棹忠夫は田中克彦と先輩にあたる。二人の対談が収録されている

書評 『お馬ひんひん-語源を探る愉しみ-』(亀井孝、小出昌洋=編、朝日選書、1998)-日本語の単語を音韻をもとに歴史的にさかのぼる
・・田中克彦の言語学の師が かめい たかし(亀井孝)。日本語分かち書きも実際に行っている

書評 『日本語は亡びない』(金谷武洋、ちくま新書、2010)-圧倒的多数の日本人にとって「日本語が亡びる」などという発想はまったく無縁
・・たしかに日本語話者は減少するが「絶滅言語」になどなるわけがない


モンゴルとシベリア、そしてユーラシア

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)
・・モンゴル学者×社会言語学者としての田中克彦

書評 『「シベリアに独立を!」-諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす-』(田中克彦、岩波現代全書、2013)-ナショナリズムとパトリオティズムの違いに敏感になることが重要だ
・・モンゴル学者×社会言語学者としての田中克彦

書評 『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)-戦前の日本人が描いて実行したこの大構想が実現していれば・・・

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

ハンガリーの大平原プスタに「人馬一体」の馬術ショーを見にいこう!
・・「トゥラニズム」の西端はハンガリーである

(2014年7月18日 情報追加)






(2012年7月3日発売の拙著です)








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2011年6月18日土曜日

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)


はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思い。「近代日本」の解毒剤としても服用をすすめたい一冊

 戦国時代末期から江戸時代末期にかけての近世は、一般に思われているように「儒教の時代」ではなく、あくまでも「仏教の時代」であった。これが著者の基本認識であり、本書の主要テーマである。

 このテーマを、実に多岐にわたって、かつきわめて簡潔に叙述した本書は、「近世の仏教」については、ほとんど知識をもっていない私のような一般読者にとっては、とにかく初めて知ることだらけなので、大きく目を開かれたという思いでいっぱいだ。いままでの常識が大きく崩れてゆくのを感じる内容の本である。

 仏教伝来から奈良仏教、平安仏教を経て、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗といった、現在でも主流の仏教教派が誕生したいわゆる「鎌倉新仏教」から、いきなり江戸時代を飛び越えて現在にきてしまうのが、学校で勉強する日本仏教であるが、実際はそう簡単なものではない。

 織田信長による比叡山焼き討ちや石山本願寺との攻防戦、豊臣秀吉の切支丹弾圧などにみられるように、近世初期は宗教勢力と世俗勢力が激しくぶつかり合った時期であった。

 こののちに成立した徳川幕府は、徹底的に宗教を管理する方向に向かい、檀家制度を導入して、宗門人別改帳(しゅうもんにんべつ・あらためちょう)で一般民衆を管理する。しかも、葬式は仏教式以外はいっさい認めなかったので、仏教は一般民衆のものとして完全に定着した。

 中国や朝鮮とは異なって、儒教はあくまでも倫理の側面にとどまらざるをえなかったのが、東アジアにおいては日本の特色なのである。

 仏教寺院が徳川幕府と癒着して支配の道具になっていたというのは、実は革命政権である明治維新政府によるネガティブ・キャンペーンであり、われわれは学校教育をつうじてずっと洗脳されてきたのであったが、百数十年を経たいま、その呪縛からようやく覚めつつあるというわけだ。

 とくに本書で興味深いのは、中国大陸から江戸時代初期にあらたに伝えられた、座禅と念仏を行う黄檗(おうばく)宗の影響と、木版活字印刷の発展による出版文化の隆盛である。仏教の学問研究が深まり、一般には知られていないが、宗教意識のきわめて高かった仏教僧も多数現れている。これらをつうじて、仏教は信仰として民衆世界にまで広く浸透したのである。

 著者が指摘するように、江戸時代には、仏教がほぼ「国教」に近い存在であったことを知ると、なぜ明治維新に際して、「神仏分離と廃仏毀釈」によって、仏教が徹底的に弾圧されたかが、逆説的な形で理解されるのだ。

 幕末になると儒教の水戸学と復古神道が勢力を増してきて、ついには尊皇攘夷イデオロギーとして猛威を振るうことになったのだが、革命政権というものは、打倒した前政権を徹底的に否定するものだからだ。

 本書を読みながら、何度も「そうだったのか!」と目を開かれる思いがしたが、この思いを多くの人に共有してもらうことによって、「江戸時代の仏教」の存在が一日も早く一般常識となる日が来ることを願うばかりだ。ぜひ一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思いをした」投稿掲載(2010年10月5日)
■amazon書評「はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思いをした」投稿掲載(2010年10月5日)





目 次

近世仏教を見なおす-プロローグ
 ・近世仏教は堕落仏教か
 ・新しい近世仏教像へ
 ・中世仏教観の転換

中世から近世へ
 中世仏教の展開
 信長・秀吉と仏教
 徳川幕府の宗教政策
 天海と家康信仰
 儒教と仏教

開かれた近世
 キリシタンの時代
 キリスト教と仏教の論争
 黄檗(おうばく)宗のもたらしたもの
  明末仏教の興隆/隠元の来日/隠元の教説
 ケンペル、シーボルトと日本の宗教

思想と実践
 大蔵経(だいぞうきょう)の出版
  写本から版本へ/鉄眼版の開版/了翁による鉄眼版普及
  /出版文化のもたらしたもの
 教学の刷新
  文献主義の興隆/霊空の本覚思想批判
 戒律の復興
  具足戒と大乗戒/戒律復興運動と安楽律騒動/普寂と慈雲の場合
 批判的研究
  鳳潭の華厳研究/普寂の鳳潭批判/富永仲基の大乗非仏説
 世俗の倫理
  鈴木正三の職分仏行説/ 盤珪・白隠・慈雲/仏教世俗化の問題点
 諸教との交渉
  排仏論の動向/新井白石の『鬼神論』
  /仏教側の三教一致論と『旧事本紀大成経』

信仰の広がり
 畸人と仏教
  畸人と僧侶/売茶翁高遊外/良寛の漢詩
 女性と仏教
  仏教における女性/祖心尼/橘染子
 民衆の信仰
  多様な庶民信仰/地下信仰と新仏教
 真宗の信仰
  真宗の特殊性/肉食妻帯論/三業惑乱の論争/妙好人の信仰
 信仰と造形
  円空と木喰/仏教絵画の自由表現/『仏像図彙』とギメの仏像収集 

近世から近代へ-エピローグ
 ・仏教から神道へ
   近世思想の変遷/平田篤胤の死生観
 ・近代仏教の形成
   明治初期の神仏関係/島地黙雷と新教の自由
   /近代仏教の重層性
 ・改めて近世を問う
   近世の位置づけ/「顕」と「冥」から見た思想史

あとがき
参考文献

(*江戸時代以降で重要と思われる「小見出し」のみ再録しておいた) 


末木文美士(すえき・ふみひこ)

1949年、山梨県に生まれる。1978年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、国際日本文化研究センター教授。主要著書は、『鎌倉仏教展開論』、『仏典を読む』。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 表紙に描かれているのは、現在の日本では知名度も人気の高い伊藤若沖(いとう・じゃくちゅう)による仏画である。白像の背中にのる普賢菩薩(ふげんぼさつ)像だ。

 伊藤若沖といえば、奇想天外なテーや超絶技巧によって知られるが、じつは熱心な在家仏教信者でもあったらしい。釈迦三尊像なども描いているし、なによりも多く描かれた白像も、実見したものではなく仏教説話からのものだろう。このほか野菜涅槃図なども、仏教的世界の表現であるようだ。

 近年、日本でも伊藤若沖や、曾我蕭白(そが・しょうはく)、また狩野一信(かのう・かずのぶ)といった「奇想画」の系列に属する絵師の作品が再評価され人気が高いが、これらは著者の表現を借りれば、世俗的な「顕」の背後にあらわれた「冥」の世界観の表現であるといえよう。

 本書は近世、とくに江戸時代の仏教の真相を知るうえでは出色の一冊といっていい。わたし自身も、大きく蒙を啓かれた。織田信長の激しい大弾圧によって、宗教としての仏教は弱体化したという固定観念をもっていたからだ。

 日本の仏教史の一般的な教科書的な理解としては、仏教伝来以来の奈良仏教に、平安時代初期に現れた空海と最澄という二大天才的宗教家が流れを作り(真言宗と天台宗)、鎌倉時代に展開した、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、禅宗、日蓮宗といった、いわゆる鎌倉新仏教が、現代にいたるまでの日本仏教の根幹をなしている、と。

 つまり鎌倉時代から、いきなり明治時代以降の現代まで飛んでしまう。鎌倉時代と明治時代にはさまれた近世、すなわち室町時代後期の戦国時代から江戸時代末期までの仏教は、特筆すべき特徴はないのか、という疑問がでてくるのだが、日本史の教科書では、徳川幕府が導入した檀家制度によって、仏教は形骸化して今日にに至るというような、はなはだしい誤解を与える教育がなされてきた。

 しかし真相は、江戸時代には「仏教はほぼ国教」の位置づけがされていたのである。明治新政府は革命政権としてのイデオロギー明確化の必要からも、徹底的に江戸時代を否定し、近代国家化と神道国教化という奇妙なアマルガムとしての政策を突き進み、大東亜戦争で大きく破綻することになる。

 こういう理解を欠いていると、なぜ明治維新において「神仏分離と廃仏毀釈」という、実質的には激しい仏教弾圧が発生したのか理解できないのである。これについては、修験道について体験記を書いた際に、庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ と題して、全面的に取り上げているので参照していただけると幸いである。

 近世初期に仏教が葬祭儀礼(葬式)をがっちりと握って以来、いまに至るまで、儒教も神道も葬式で主導権を握ることはできないままである。江戸時代においても徳川幕府が葬式は仏教式以外は認めなかったので、本居宣長などの国学者も菩提寺に葬られている。したがって、神道式の葬儀も明治以前は公式には存在しなかったわけだ。

 また、儒者たちも墓は儒教式の置き石にしているが(・・実見はしていないが、東京に大塚先儒墓所がある)、葬儀そのものを朝鮮のような儒教式に行えなかった。この事実から、儒教はあくまでも統治のための学問的基礎を与えただけであって、民衆レベルまで浸透していなかったことが明白である。浸透したのは、世俗倫理という形だけであって、儒教にとって肝心要の魂の問題には踏み込めなかったわけだ。

 「葬式仏教」と揶揄(やゆ)され、ときに非難されているが、知識人の世界とは違って、民衆宗教のレベルでは、依然として冥界についてどう捉えるかという課題は避けて通ることはできないのである。だから「葬式仏教」は根強く生き残っていく。仏教のワクがはずれれば、スピリチュアルに流れるだけの話だ。

 儒教の本質と、日本における儒教の意味については、書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007) に、<書評への付記>として「先祖供養」とはいったい何か?として書いておいた。

 また、書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) にも、日本が儒教国ではないことを朝鮮との対比で書いておいた。

 もうそろそろ、明治維新史観神話の呪縛という洗脳から、われわれは解放される必要があるのではないか? こういったやや巨視的な歴史理解をもとに、これからの日本再生も考えていかねばならないだろう。

 本書は、近代日本の解毒剤としても服用をすすめたい一冊である。




(宇治の黄檗山万福寺で購入した文鎮)


<ブログ内関連記事>

特別展 「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師・狩野一信」 にいってきた

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・このなかで紹介した『神々の明治維新』(安丸良夫、岩波新書)は必読書

書評 『お寺の経済学』(中島隆信、ちくま文庫、2010 単行本初版 2005)
・・経済学者による「お寺の経済」。歴史的背景もよく調べて書かれており檀家制度の意味を考える意味でも必読

書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007)
・・「先祖供養」とはいったい何か?について書いておいた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・日本は儒教国ではない!ということ

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・近代のくびきを離れたいま、ようやく江戸時代のほんとうの姿がわれわれに見えるようになってきた





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2011年6月17日金曜日

特別展 「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師・狩野一信」 にいってきた


 これはスゴイ。これがいつわらざる感想だ。もう一度くりかえすが、これはスゴイ。この特別展を見逃してはいけない!

 法然上人八百年御忌奉賛 特別展「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」のことである。江戸東京博物館(両国)での開催だ。

日時: 2011年4月9日~7月3日(「3-11」の影響で会期変更)
場所: 江戸東京博物館
主催: 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、大本山増上寺、日本経済新聞社
監修: 山下裕二(明治学院大学教授)
企画協力: 浅野研究所
http://500rakan.exhn.jp/top.html

 昨日(2011年6月16日)、所要のついでに江戸東京博物館に立ち寄って、この特別展をみてきた。


そもそも五百羅漢(ごひゃく・らかん)とは?

 五百羅漢といえば、関東の人間なら、まずなによりも川越の五百羅漢を思い出すことだろう。埼玉県川越市にある喜多院の五百羅漢の石像は有名である。川越は、江戸時代の町並みを現在まで保存した「小江戸」の風情を残した町である。東京都心からはちょっとした小旅行にはもってこいの場所だ。

 その川越の喜多院にあるのが五百羅漢。羅漢さんの石像が500体、しかもどれひとるとして同じ表情をしたものはないという・・だ。しかもその五百羅漢のなかには、かならず自分とよく似た羅漢さんがいるといわれるほど・・なのだ。五百羅漢の画像は、wikipedia の喜多院の項目を参照されたい。

 わたしは、大学時代は東京都小平市に住んでいたので、いちどだけだが川越を訪れて五百羅漢を見てきたことがある。小平からだと埼玉県との県境は近いので、それほど遠いという感じではない。

 ところで、羅漢(らかん)は正式には阿羅漢(あらかん)、サンスクリット語のアルハット(arhat)の漢字表記。wikipedia にはこうある。

元々、インドの宗教一般で「尊敬されるべき修行者」をこのように呼んだ。
中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を十六羅漢と呼び尊崇した。また、第1回の仏典編集(結集(けつじゅう))に集まった500人の弟子を五百羅漢と称して尊敬することも盛んであった。ことに禅宗では阿羅漢である摩訶迦葉に釈迦の正法が直伝されたことを重視して、釈迦の弟子たちの修行の姿が理想化され、五百羅漢図や羅漢像が作られ、正法護持の祈願の対象となった。

 そういえば、『阿羅漢』というタイトルの少林寺拳法ものの香港映画にあったような? 

 さいきんだと「アラカン」といえばアラウンド還暦を略して「アラ還」、50歳台後半から60最大前半の人を指しているようである。以前ならアラカンといえば、 嵐寛壽郎(あらし・かんじゅうろう)のことをさしていたようなので、ときどき世代の異なった人どうしでは、話がチグハグになることがある。

 余計な話をしてしまった、本題に戻ろう。


特別展「五百羅漢」の見どころ

 今回の特別展は、法然上人八百年御忌奉賛とあるように、法然上人ゆかりの浄土宗総本山増上寺(東京・芝)に秘蔵の仏画を一挙展示したものだ。

増上寺は、関東大震災と空襲によって焼け落ちたが、「五百羅漢図」をふくめた寺宝は焼失することなく、現在まで保存することができたという。そのなかの一つが、今回はじめて一挙公開された「五百羅漢図 全100幅」なのだ。掛け軸として装丁されているので「幅」という単位をつかう。

 狩野派の最後を飾る幕末の絵師・狩野一信(かのう・かずのぶ 1816~1863)は、1970年代に再発見されて、現在の日本では人気の高い曾我蕭白(そが・しょうはく)や、さきに大規模な里帰り展が実施されて根強い人気をほこる伊藤若沖(いとう・じゃくちゅう)とならんで、今後の人気を集めること間違いなし(!)の絵師である。

 つまるところ、狩野一信の仏画は、まったく現代的なのだ。いや、現代人の眼が欲しているというか、明治から昭和にかけてひた走りに走ってきた「近代日本」が終わって、ようやくわれわれの視野に入ってきた存在だといえるかもしれない。

 中国風にインドを描いたらこうなる(?)といったエキゾチズム追求のようにみえて、かならずしもそうではない。画題が要求する、奇妙きてれつな画風という捉え方もあろう。とくに「六道地獄」は最高だ。どうも地獄というものは、洋の東西を問わず、アーチストのイマジネーションを最高に刺激するもののようだ。



 何といっても不思議感がつよいのは「神通」(じんつう)。神通力(じんつうりき)の神通のことだが、超能力やテレパシーといったものを見える化した図像表現の数々だ。多宝塔や鏡から発せられる光線は、ウルトラマンのスペシウム光線のようなもの。

 上掲の写真は、購入したワッペン型磁石に採用された図柄だ。羅漢のひとりがかかえた鏡のなかに写っているのはお釈迦様の頭部。鏡の周囲に後光(ハロー)のような光線が放射状に拡散、それをみる者がおそれいりましたといいう表情で描かれている。

 仏教のありがたい教えが可視光線として、目に見える形で大きな影響を与える図像。鬼や悪魔がひれ服すさまを描いたものは、民衆教化という目的にはピッタリ。なにかしらキリスト教世界のイコンを想起するものがあって不思議な感覚を覚えるのだ。あるいは、フランスの近代画家ギュスターヴ・モローの「サロメ」にも似ている。後光をはなつヨハネの首に似ている。まあ、このモローの絵も、宗教絵画の流れのなかにあるのだが。

 このほか、アニメのように、顔の皮をビリビリとはがしながらほんとうの姿をみせる不動明王や観音など(・・下図参照)、不思議感にみちみちた仏画がつぎからつぎへと並んでいる。

 全体的に、構図といい筆力といい、予備知識がなくても見たら圧倒されるし、思わず細部をのぞきき込みたくなるような緻密さも兼ね備えた一級の作品である。仏教の信仰と知識があれば言うことないが、かならずしもそれは必要ない。これでもか、これでもか、と過剰に迫ってくるこれら仏画は、日本のバロックといってもいいかもしれない。

 わたしにとって狩野一信の作品は、見るのは今回が初めてだ。狩野一信という絵師の存在だけでなく、精魂傾けて描いた「五百羅漢図」が増上寺に所蔵されていたということすら知らなかった。この展覧会の存在をしったのも、ある意味では仏縁といえるだろうか。

 今回の展示には、増上寺のために作成した「五百羅漢図」と平行して、成田新勝寺もために作成された仏壁画も展示されている。これまた成田山新勝寺との縁も感じて感慨深い。

 狩野一信は、全100幅の完成まであと4幅をのこして画家は力尽きて病に斃(たお)れ、けっきょく完成を見ることはなかったという。のこり 4幅は、妻の妙安と弟子によって作成されたのだが、あきらかにパワーを感じることができないものになっている。

 見どころについては、今回の特別展の監修を行った山下裕二氏が解説したビデオが、特別展「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画  幕末の絵師 狩野一信」のサイトにアップされているので、行かれる前に見ておくとよいと思う。22分強でやや長いが、見ておく価値は十分にある。会場でもビデオは流されている。



 できれば会場で図録(税込み2,300円)も購入しておくことをすすめたい。貴重な図録というだけでなく、現代人の眼からみても、またあらたなイマジネーションをかき立ててくれるものであるからだ。

 日本には、ほんとうにすごいものが、まだまだ埋もれているのだなあという感想をもつのは、わたしだけではないはずだ。

 最後にまた繰り返すが、これはスゴイ。
 この特別展を見逃してはいけない!


両国駅と江戸東京博物館

 江戸東京博物館は、じつは訪れたのは今回がはじめて。特別展じたい、所要のついでに時間をつくって立ち寄ったのだが、博物館のある両国駅は、地下鉄都営大江戸線の開通によってずいぶん接続がよくなった。開通してからだいぶたつが、大江戸線を利用して両国にいったのは初めてである。

 両国は、国技館が蔵前から戻ってきてから、ふたたび両国国技館という形でセットにして記憶されるようになったが、かつては総武本線を経由した房総半島(内房線と外房線)と潮来方面行きの特急列車の始発駅としての意味をもっていた駅である。

 東京の都市計画はパリなどの欧州都市をモデルにしていたため、中長距離列車の出発駅は分散していたのだった。東北方面の長距離列車は上野駅、信州方面の中長距離列車は新宿駅、東海道方面の中距離列車は品川駅がそれぞれ始発駅だった。これらの駅をつなぐために敷かれたのが環状線である山手線。

 ネットワークの観点からは、すべてが東京始発になると利便性が増すが、駅ごとの個性や風情が喪失してしまったのは寂しいことである。

 国技館は JR駅の真ん前。江戸東京博物館も JR駅からは目の前なのだが、ぐるっとまわっていくことになるので 3~5分ほどかかる。地下鉄都営大江戸線の両国駅はすぐ近くである。

 両国駅からは東京スカイツリーも近い。両国駅のかつての風情はなくなりつつあるとがいえ、墨田区のあらたな魅力づくりによって、新生しつつあるといえるかもしれない。
 
 両国にとっては、あとはスキャンダルに揺れる大相撲が、一日も早く正常化することが求められていることだろう。

 江戸東京博物館はミュージアムショプが充実しているのがすばらしい。江戸がらみのおもちゃなど多数あるので、時間とおカネに恵まれたひとは、じくりと見て回る価値があるということを付け加えておこう。




<関連サイト>

特別展「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画  幕末の絵師 狩野一信」(公式サイト)

江戸東京博物館(公式サイト)



<ブログ内関連記事>

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)
・・狩野一信をより深く知るために、江戸時代の仏教の知識を与えてくれる本

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (総目次)
・真言宗の新勝寺、お不動さん(=不動尊)信仰、護摩、成田山と増上寺をつなぐのは祐天上人(1637~1718)

書評 『HELL <地獄の歩き方> タイランド編』 (都築響一、洋泉社、2010)・・上座仏教の地獄ジオラマなどなど極彩色の世界

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)
・・伊藤若沖に惚れ込んでコレクションをつくりあげた米国の実業家ブライス氏。彼の収集のおかげで、われわれは伊藤若沖を再発見することができたのだ。ブライス氏に感謝!

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・近代のくびきを離れたいま、ようやく江戸時代のほんとうの姿がわれわれに見えるようになってきた





(2012年7月3日発売の拙著です)







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禁無断転載!





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2011年6月15日水曜日

【アタマの引き出し】のつくりかたワークショップ を開催します (2011年7月5日 19時 東京八重洲)


    
 【アタマの引き出し】のつくりかたをテーマにした、「外部向けの対話型ワークショップ」 を開催させていただくこととになりました。2011年7月5日(火)19時から東京八重洲で開催します。

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【アタマの引き出し】のつくりかたワークショップ

 -「アタマの引き出し」は誰にでもある!? 
 - どうやって「アタマの引き出し」を増やすのか体感してみよう!

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<はじめに>

初対面の人と会話しているときに、「アタマの引き出し」がもっとあったらなあとか、上司からもっと「アタマの引き出し」を増やせとか言われたことはありませんか?

「アタマの引き出し」とは、対面コミュニケーションの際に、話題になっている事柄についての知識や情報のことを指した比喩的(ひゆてき)な表現のことですね。

何を隠そう、わたしは机のまえに座ってする「勉強」は子ども頃から嫌いです。でも「学ぶ」のは大好きです。「遊ぶ」のはもっと大好きです。
そんなわたしは、世界中どこへいっても、初対面のどんな人とでも話題をあわせる自信があります。では、なぜそんなことが可能になったのでしょうか?

ワークショップのテーマは「アタマの引き出し」のつくりかた。通常のセミナーではなく「対話型のワークショップ」を開催することにしたのは、みなさん自身のなかに、「アタマの引き出し」がすでにあることを「対話」をつうじて実感していただいきたいからなのです。あとはどう増やすかがカギになります。

これまでも個別に相談されることの多かった「アタマの引き出し」のつくりかた、ご要望にお応えして、今回はじめて外部向けのワークショップとして開催させていただくこととなりました。

「アタマの引き出し」がもっとあったならなあ、「アタマの引き出し」はどうやったら増やすことができるのかなあ、と日頃考えているみなさん、最初から最後まで考え、出席者全員の発言に耳を傾け、しゃべりつづけることになるワークショップを、「大人の学び」として一緒に体験してみませんか?

しゃべりたい、発言したいという「人間の根源的欲求」をみたしてくれるワークショップに参加して、さまざまな「気づき」を得ていただければと考えています。


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このワークショップに参加してほしい人は・・・
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✔ 「アタマの引き出し」を増やせといわれるが、方法がわからない人
✔ 「アタマの引き出し」を増やすメカニズムに興味がある人
✔ 「アタマの引き出し」を増やしてビジネスを超えた深い交流をしたい人

営業担当として「引き出し」を増やしたい、接客業として「引き出し」を増やしたい、企画担当としてアイデアをひらめくための「引き出し」が増やしたい、「引き出し」を増やして上司や部下とのコミュニケーションをスムーズなものにしたいなど、さまざまな悩みや目標がおもちですよね。

このワークショップでは、一対一で行う二人一組の対面型のワーク、それにワールドカフェなどさまざまな手法を使うことを考えています。目安としては8割がワークと対話セッション、のこり2割がレクチャーを考えています。わたしはファシリテーター役に徹します。

参加資格は日本語がしゃべれること、それだけです。年齢もバックグラウンドもいっさい問いません。

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このワークショップに参加した後、あなたは、
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☑ 「アタマの引き出し」を増やす方法がわかり 
☑ 「アタマの引き出し」ができるメカニズムも理解できて、
☑  豊富な「アタマの引き出し」で、仕事も人生も豊かになる

すくなくとも、「アタマの引き出し」がほかの誰でもない、コンピュータのなかでもない、まさに自分自身のなかにあることが実感されることと思います。
間違いなく、自分に自信がつくことでしょう。


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開催日時: 2011年07月05日(火) 午後7時~9時(開場6時半)
 「ワークショップ」のあと「コンヴィヴィウム」(Covivium:飲食をともにする交流会)も実施します(会費は別途)。引き続き御参加お願いします。
*ワークショップ会場では飲食ができませんので悪しからずご了承ください。

会場: TKP東京駅八重洲カンファレンスセンター ミーティングルーム3B
東京都中央区京橋2-3-19TKP八重洲ビルTEL:03-6202-6100


アクセス: JR 東京駅(八重洲口)より 徒歩5分。銀座線 京橋駅(7番出口)より 徒歩2分。都営浅草線 宝町駅(A5番出口)より 徒歩4分。有楽町線 銀座一丁目駅(7番出口)より 徒歩5分

地図:http://tkptokyo-cc.net/access.shtml

参加費用: 1,000円(今回限りの特別価格です! 当日会場でお支払いください 領収書をご用意いたします)

持参するもの: とくに持参が必要なものはありませんが、ワークのなかで携帯電話やスマートフォンの「検索機能」を使うことがあると思いますので、あらかじめ、グーグル検索ができるように設定しておいていただけると幸いです。

*なお、会場のスペースに限界がありますので、申し訳ございませんが 10名様限定 とさせていただきます。早めのお申し込みをお願いいたします。
***********************************************************************

 フェイスブックの「イベントの案内」  http://www.facebook.com/event.php?eid=214702011894159 もご覧ください。

 お問い合わせ、参加申し込みは、上記のフェイスブックの「イベント」ページから、あるいは直接メールでご連絡してください。

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 ぜひ御参加お待ちしております!
 



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2011年6月12日日曜日

「3-11」から三ヶ月-再生に向けての第一ステージは終わったハズなのだが・・・


 「3-11」から三ヶ月たった。再生への第一ステージは終わったハズなのだがいったい....

 きょうは2011年6月12日、「3-11」から三ヶ月、翌日の「原発事故」から三ヶ月、本来なら何ごとも最初の三ヶ月、すなわち最初の100日前後で勝負は決まるといわれる。

 革命政権の誕生であろうと、政権交代であろうと、新社長の就任であろうと、最初の三ヶ月はだれもが比較的あたたかく見守るものだ。いわゆる「ハネムーン期間」というやつである。

 「3-11」は未曾有(みぞう)の大災害であり、翌日12日に明らかになった「原発事故」もまた未曾有(みぞう)の人災であるが、衝撃度の大きさからいえば、革命政権の誕生であろうと、政権交代であろうと、新社長の就任などとは根本的に異なる。ある意味では、大東亜戦争の敗戦とも大きく異なるものがある。

 それは、「3-11」が突然訪れた大災害であったからだ。革命でも、政権交代でも、新社長就任でも、戦争の敗北でも、かならずその前にはその事件が発生する前兆やプロセスがあるのに対し、今回の大災害は、あとから考えれば数日前から比較的規模の大きな地震が東北地方を震源地として起こっていたことも思い出すが、あまりにも突然であった、われわれはまったく虚をつかれたのであった。

 これは寺田寅彦が「天災と国防」で指摘したとおりだ。これについては、「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみるに書いておいた。

 しかし、いかなる事態であろうと、沈着冷静に事態の進捗状況を把握し、粛々と対応していくのが、事件発生後の第一ステージにおけるトップリーダーの責務である。ここでいうトップリーダーとは、一国の首相のことである。

 ところが、本来ならすでに終了しているはずの第一ステージが終わらないどころか、危機管理能力を欠く首相のもと政治は空転し、肝心要の被災地の復興が進まないだけでなく、「原発事故」の終息のメドすらたたない。いったいどうなっているのか?

 一方では、みずから無謀なデッドラインを設定し、退陣に追い込まれた首相がいる。これは現在の首相の前任者だ。本日(2010年6月2日)鳩山首相が退陣-「デッドライン」の意味について にも書いておいた。

 こんどは、「メド」というあいまいな日本語表現で目くらましのデッドラインを設定した首相がいる。現首相の菅直人だ。日本語のメドという表現がきわめてあいまいなものであることは、試みに英訳してみたらすぐにわかることだ。具体的な日取りや達成目標を明示しないで「メド」とするのはよくあることではあるが、その解釈をめぐって誤解と混乱が生じるのは当然である。

 本来は、それこそロードマップ(工程表)を明示して、特定の政策目的が達成できれば、それをもってミッション完了とすべきだろう。そのためには、正確なロードマップと達成基準の設定が必要だ。

 一般論としては、デッドラインを意識していれば、やることはおのずから決まってくる。何を優先順位の上位にあげて、何を後回しにするか。つまりプライオリティをつけるということだ。

 自分のキャパシティを正確に把握することなくデッドラインを設定して、有言不実行のため自滅した前首相、あいまいなデッドライン設定をクチにして醜い様をさらしている現首相。いずれも、マネジメント能力を著しく欠いているといわざるを得ない。

 格言めいた表現に「三日三月三年」(みっか・みつき・さんねん)というものがある。このブログでもすでに書いたことが、最初の三日はさておき、つぎの三ヶ月は約100日、三年は約1,000日に該当する。人間は、このタイムスパンを無意識のうちに自覚する体内時計のようなものをもっているという時間感覚のことだ。100は10の二乗、1,000は10の三乗である

 震災被害者の救出も、地震発生後の最初の72時間、すなわち3日間がカギだといわれている。

 最初の三ヶ月のあと、つぎに 3が意識されるのは三年目だ。果たして三年後の 2014年3月11日には、再生のメドはついているのだろうか? 

 それとも... いや、そんなことはあってはならない!



<ブログ内関連記事>

三日三月三年(みっか・みつき・さんねん)

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 

本日(2010年6月2日)鳩山首相が退陣-「デッドライン」の意味について






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2011年6月11日土曜日

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える


 未完に終わった『世界の歴史 25 人類の未来』(河出書房)については、先日のNHK・Eテレで、ETV特集 「暗黒のかなたの光明~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~」として取り上げられていた。

 この番組を見逃した人も少なくないと思うので、番組紹介の文章をそのまま引用させていただこう。

2011年6月5日(日) 夜10時30分
ETV特集 「暗黒のかなたの光明~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~」

 大阪に国立民族学博物館を創設、日本の民族学研究の礎を築き、比較文明学者として数々の業績をなした梅棹忠夫(うめさお・ただお)が、昨年7月、90歳で亡くなった。梅棹は、大阪と生地京都を根拠地とし、世界中で学術探検を重ね、その知見をもとに戦後の日本社会に大きな影響を与えつづけた「知の巨人」だった。
 20歳からはじまった探検調査は60か国以上。著作は生涯で240冊に及ぶ。斬新な文明論を展開した『文明の生態史観』(1957)、情報産業を文明史に位置づけた『情報産業論』(1963)、ベストセラーとなった『知的生産の技術』(1969)など、その先見性に満ちた著作は、今も多くの人々に読み継がれ、新たな発想の源となっている。
 今春開催の「ウメサオタダオ展」(3/10-6/14国立民族学博物館)に向けて、梅棹の遺した資料が全面的に調査・整理された。その過程で、遺稿や映像、写真などの未公開資料も見つかり、その発想と活動の全貌を知ることができるようになった。
 また今回新たに発見されたのが、未刊行におわり、幻の書ともいわれる「人類の未来」の資料だ。そこには、半世紀近く前に、地球規模のエコロジーの視点から、人類の行く末について数々の予言がなされていた。そしてその先に人類にとっての「暗黒のかなたの光明」を模索する梅棹の姿があった。
 東日本大震災で、私たちの文明世界の価値観がゆらいでいるいま、番組では、梅棹忠夫と交流があった作家・博物学者の荒俣宏さんとともに、独自の文明論をもとにさまざまな予言をなした梅棹忠夫の未完の書「人類の未来」をめぐり、宗教学者の山折哲雄さんや他の識者との対話もまじえて、梅棹忠夫から投げかけられている問いかけを考える。

(*太字ゴチックは引用者(=わたし)によるもの)


 国立民族学博物館(みんぱく)の設立準備で超多忙のため書けなかった本の中身とは、いったいどんなものなのだろうか?

 内容についてみる前に、河出書房の「世界の歴史」シリーズの一冊として刊行される予定だったということに着目しておきたい。

 河出書房の「世界の歴史」シリーズは、企画力のすばらしさに、いまでも読む価値のあるものがあるとわたしは考えている。

 全部を読んだわけではなく、面白そうな巻だけ読んだのだが、わたしが読んだのはいずれも文庫版である。『世界の歴史 18 東南アジア』(河部利夫、河出文庫、1990)、『世界の歴史 22 ロシアの革命』(松田道雄、1990、単行本初版 1970)の二冊である。

 中央公論社の『世界の歴史』が戦後のこの分野ではパイオニアといってよいだろうが(・・その後、文庫化されている)、この時点ではまだ従来の枠組みである、西洋史と東洋史という区分に忠実であったといってよい。これに日本史(≒国史)をくわえて、世界の歴史を三分割するのは、明治時代以来の東大文学部(東京帝国大学)の歴史学の伝統である。

 これに対して、わたしが学んだ一橋大学では、「実学としての歴史学」であると強調され、そもそも西洋史、東洋史、日本史という厳密な区分を行ってこなかった。便宜上、わかれていないでもないが、中間領域で西洋でも東洋でもないビザンツ史などが精力的に研究されてきたし、相互乗り入れは当たり前であった。

 この河出書房版の世界史は、これまた東大の歴史学とは一線を画してきた京都大学の歴史学が執筆陣の中心にいる。

 このシリーズが面白いのは、先にタイトルを出した『世界の歴史 18 東南アジア』がはじめてまとまった一冊として登場したことに代表されることだ。東南アジア以外には、インドを中心とした「中洋」世界をまとまった枠組みとして提示したことにある。

 『世界の歴史 19 インドと中近東』(岩村忍・勝藤猛・近藤治、河出文庫、1990)というタイトルに注目していただきたい。

 インドはアジアではあるが、日本や中国、韓国をふくんだ東アジア世界とは異質の世界である。梅棹忠夫が『文明の生態史観』で指摘したように、そこは西洋でも東洋でもない「中洋」としかいいようのない世界なのだ。「インド世界」はむしろその西側に位置する、いわゆる中近東に近いことは、歴史をみれば明らかなのである。その意味では、現在にいたるまで『世界の歴史 19 インドと中近東』の価値は減じてない。

 『世界の歴史 22 ロシアの革命』(松田道雄、1990 単行本初版 1970)も同様だ。松田道雄氏はロングセラー『育児の百科』(岩波書店)の著書で有名な京都の小児科医。まことに得難いロシア革命史が書かれたものである。まさに企画力の勝利であろう。1970年という時点でイデオロギー的に偏向のないロシア革命史を叙述することがいかに困難であったか、現在からは想像もつかないことだ。

 このほか、会田雄次による『世界の歴史 12 ルネサンス』宮崎市定による『世界の歴史 7 大唐帝国』などがラインアップに並んでいる。

 こんなラインアップだったから、もし『世界の歴史 25 人類の未来』が出版されていたら、間違いなくベストセラーになっただけでなく、ロングセラーになったのではないだろうか?

 なお、『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)に収録された、元河出書房編集者の小池信雄氏による「幻のベストセラ-『人類の来来』-暗黒のかなたの光明」によれば、京大動物学を代表する今西錦司が、『世界の歴史 1 人類の誕生』が梅棹忠夫との共著になることに難色を示したので、きゅうきょ梅棹忠夫に相談したところ、『人類の未来』というアイデアが瓢箪から駒としてでてきたということだ。

 今西錦司と梅棹忠夫は師弟関係であったとはいえ、「狩猟と遊牧」をめぐる考えには違いがでていたためだという。なにやら、民俗学の世界の柳田國男と折口信夫の関係をほうふつとさせるものがある。梅棹忠夫が影響を受けたのは柳田國男のほうである。

 『世界の歴史』シリーズが、『人類の誕生』ではじまり、『人類の未来』で終わる。もし『人類の未来』が完成していたなら、間違いなくベストセラーになっていただろう。じっさい、刊行がまだかまだかと読者からのクレームが多く出版社に寄せられたという。

 『人類の未来』とは、そのような本になるはずの本だったのだ。

 では、『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)から、『人類の未来』の「目次(案)」を紹介しておこう。写真版で収められている手書きメモによる目次だが、一部には判読できない文字もある。わたしなりに分かちがちにしておいた。

河出書房 『世界の歴史』 第二五巻

「人類の未来」 梅棹忠夫

プロローグ

第Ⅰ部

第1章 地球的家庭論
 -住宅問題
 -家族とセックス
 -女性の未来
 -有限系としての地球の発見
第2章 文明との競走
 -子々孫々の消滅
 -秩序の崩壊
 -現代の認識
 -情報の時代
第3章 増えることはいいことか
 -人口爆発
 -光合成能力の限界
 -交通戦争
 -遺伝子工学
 -戦争の功罪
 -ヒューマニズムに対する疑問

第Ⅱ部

第4章 欲望とエントロピー
 -地球は打出の小槌ではなかった
 -資源の浪費
 -資源の涸渇
 -廃棄物の処理
 -欲望の解放
 -物と空間の占拠
 -文明の意味
第5章 目標のない環境工学
 -有限性の発見
 -地球のシミュレーション
 -システム・エコロジー
 -大気の進化
 -雪と水 
 -人口氷河
 -地球の実験
第6章 進歩と永遠
 -永遠性の否定
 -永続観怠(?)の基礎
 -進歩という幻想
 -予定調和はなかった
 -科学の本質
 -破滅の諸類型

第Ⅲ部

第7章 分配の矛盾
 -地域と統合性
 -資源分布の不平等
 -生態史観
 -国家の時代
 -生態系の摩擦
第8章 地球国家の挫折
 -戦争の意味
 -弾道兵器と核
 -航空機と航空路
 -地球人の夢
 -大流行病時代
 -統合と分離
第9章 コスモ・インダストリアリズム
 -ホモ・エコノミクスの虚妄
 -能率の問題
 -産業主義
 -経済による地球の再編成
 -地球経済による精神の退廃

第Ⅳ部

第10章 人間存在の目的
 -なぜ「人類」でなければなければならないか
 -目標設定の諸段階
 -人種の意味
 -進化史的存在としての人類
第11章 不信システムとしての文化
 -国民文化の形成-
 -反訳の可能性
 -価値体系の摩擦
 -不信
 -「見知らぬ明日」
 -文化の責任
 -歴史は意味をもつか
 -記憶の悲哀
第12章 できのわるい動物
 -人間の構造
 -情緒の生理
 -エソロジー
 -人間改造の可能性
 -教育は救済になり得るか
 -宗教の終焉

エピローグ
 -エネルギーのつぶし方
 -理性対英知
 -地球水洗便所説
 -暗黒のかなたの光明


 こうやって詳細の目次を書き写してみると、1970年の時点で、現時点で問題になっていることは、ほぼすべて論じ尽くしていることがわかる。しかも、かなり暗い未来図である。

 じっさいに書き下ろされることがなかったとはいえ、SF作家の小松左京ををはじめとするそうそうたる知性とは、そうとうな量の取材とディスカッションを行っており、アタマのなかではすでに構想はできあがっていたようだ。しかし、国立民族学博物館(みんぱく)設立準備という超多忙のため、それにもまして、あまりにも暗い展望にモチベーションを喪失した(?)ということもあったのかもしれない。

 そもそも国立民族学博物館の前身であった大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」というものであったが、このテーマに反旗をひるがえしたような岡本太郎の「太陽の塔」だけでなく、かげの功労者であった梅棹忠夫じしんも疑問を抱いていたのである。岡本太郎を万博のチーフ・プロデューサーとして推奨したのは梅棹忠夫たちであるという。

 ETV特集によれば、梅棹忠夫は、「科学や知的探求は、人間の業(ごう)であるから制御できない」という意味の発言を1970年の時点でしていたという。自然科学者として出発しながらも、老荘思想の徒であった梅棹忠夫の思想の根源からすれば、当然の結論からもしれない。

 思えば、1970年頃は梅棹忠夫のような発言はけっして異様ではなかった

 有吉佐和子が『複合汚染』(有吉佐和子、新潮文庫、1979、初版1975年)で描いている化学物質による複合汚染という「公害問題」は、まさに日常茶飯のことであったのだ。当時でたローマクラブによる暗い未来図など、進歩がうたわれる反面でかなり暗い未来図が提示されていた時代であった。

 その当時、東京都練馬区に住んでいたわたしは、ひどい煤煙で鼻をダメにしただけでなく、毎日のように「光化学スモッグ注意報」が出て、電光掲示板が小学校の校庭にあるような劣悪な環境で生きていた。しかも、中国の核実験による放射能の雨も浴びている。

 ETV特集は、文明論の観点から、「3-11」以後の日本を考えるための、きわめて重要な視点にみちみちた1時間番組であった。再放送があったらぜひ見るべきだ。

 昨年(2010年)に90歳でなくなった梅棹忠夫氏は、番組では触れられていなかったが、1986年に66歳のときに完全失明し、文字どおりその後の24年間を「暗黒のなか」に生きる人となってしまった。

 失明にいたるまでの経緯とその後については、自分自身を対象にした科学的記録ともいえる『夜はまだ明けぬか』(講談社文庫、1994 単行本初版 1989)に詳しいが、「暗黒のなかの光明」は、「見えない両目」で、おぼろげながらも見ていたのかもしれない。

 強靱な精神力がそうさせたのであろう。安直な希望ではなく、自らを奮い立たせてきた勇気によって。





PS 梅棹忠夫執筆予定の『世界の歴史 25人類の未来』は残念ながら未完に終わってしまった幻の著作だが、その構想を可能な限り再現しようとした試みとして 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒のかなたの光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2011)として出版されている。このブログでも 2012年1月8日付けの「書評」で取り上げているので、ぜひご参照いただきたい。 (2016年2月9日 記す)。






<ブログ内関連記事>

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ


書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・大阪万国博覧会(ばんぱく)から国立民族学博物館(みんぱく)へ。志半ばでともに中心になって推進していた盟友の民族学者・泉靖一が斃れたあとをついだのが梅棹忠夫である。その泉靖一との対談記録で、フランンスで民族学を勉強した岡本太郎が議論をバクハツさせる! 岡本太郎が「太陽の塔」をつくった意図は、じつは梅棹忠夫とも共有していたことが『人類の未来』を貫くトーンからもみてとれる。チーフ・プロデューサーとしての岡本太郎を推薦したのは梅棹忠夫たちである。万博のテーマ館に民族資料を展示するアイデアは岡本太郎によるもので、自ら手がけたという。『行為と妄想』(梅棹忠夫)を参照。


マンガ 『20世紀少年』(浦沢直樹、小学館、2000~2007) 全22巻を一気読み

「生誕100年 岡本太郎展」 最終日(2011年5月8日)に駆け込みでいってきた

書評 『複合汚染』(有吉佐和子、新潮文庫、1979、初版1975年)

書評 『苦海浄土-わが水俣病-』(石牟礼道子、講談社文庫(改稿版)、1972、初版単行本 1968)
・・1970年前後はこういう時代であったのだ。いまの中国のようなものだ


*本日(2011年6月11日)は、「3-11」から3ヶ月。最初の約100日が終わろうとしている。しかし...


梅棹忠夫関連(追加)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録

書評 『人間にとって科学とはなにか』(湯川秀樹・梅棹忠夫、中公クラシック、2012 初版 1967)-「問い」そのものに意味がある骨太の科学論

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)にいってきた-日本科学未来館で 「地球時代の知の巨人」を身近に感じてみよう!
・・「「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるのである」(梅棹忠夫)

(2014年11月5日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)







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