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2011年4月21日木曜日

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」ー 白洲次郎の「プリンシプル」について


 白洲次郎(1902年~1985年)の人気は依然として高どまりしている。下降する兆しも見えない。これはここ数年の現象だ。

 もともとは、白洲正子(1910年~1998年)の人気から始まったものだ。

 日本美の世界を精力的に紹介し続けた白洲正子。凛とした姿と言動には、とくに女性を中心にしたファンが多い。

 1990年代に入って再燃した白洲正子ブーム、わたしも何冊か白洲正子の書いたものを読んでいて俄然気になってきたのは、配偶者であった白洲次郎とは何者か(?)という、強い好奇心にもとづいた疑問であった。

 『白洲正子自伝』では「一目惚れして結婚した相手」だとあるが、何をしていた人かについては断片的な記述しかないので、正直なところよくわからないままだった。白洲正子の本で、白洲次郎がクチにしていた country gentleman(カントリー・ジェントルマン) や grumble(ブツブツいう) というイギリス英語とその意味を知ったことぐらいか。

 これは私だけの疑問ではなかったようだ。多くの人たちが白洲次郎という「謎の男」に関心をもつようになったことから、白洲次郎の再発見になっていったのだろう。


「風の男 白洲次郎」


 そんななかで出たのが 『風の男 白洲次郎』(青柳恵介、新潮社、1997)。この本を読んで、白洲正子よりもはるかに面白い日本人がいたのだということをはじめて知って、驚きに満ちた喜びを感じたものだ。現在は文庫化されて新潮文庫から版を重ねている。
 
 白洲次郎については、だんだんと全貌が明らかになり、その後ついには白洲正子人気を上回るほどの存在となったことは、あえて書くまでもないだろう。

 なんといっても、占領下の日本で政治家・吉田茂の側近として連合国軍最高司令官総司令部と渡り合い、「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた男である。

 日本国憲法の草案作成にかかわった男である。

 米軍の高官に向かって「あなたの英語は下手だ」と言ってのけた男である。 夫婦のあいだの会話を英語でやっていた男である。白洲正子は米国仕込み、白洲次郎は英国仕込み。

 ケンブリッジ大学で西洋中世史を専攻し、のちに実業界で活躍することになりながら、トロツキイも熟読していた男である。

 この戦争に勝ち目はないとして、さっさと引退して東京郊外に土地を購入し、「武相荘」(=無愛想)なる和風の屋敷をつくって引きこもり、農作業に専念した男である。

 イネの品種「農林●●号」の発明者のことを誉めて、何かをインベント(invent:発明)することがえらいのだと断言していた男である。

 「葬式無用 戒名無用」と遺言を遺して、風のように去っていった男である。

 書いていればキリがない。あまりにもカッコ良すぎるのだ。長身で脚が長い、日本人離れしたその容姿と言動の数々。

 しかし、ほとんんど公的な発言を残さないまま、それこそ「風の男」として、さまざまな機密は墓のなかに持っていってしまった。


「プリンシプル」のある日本人・白洲次郎


 『プリンシプルのない日本-プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。-』(白洲 次郎、ワイアンドエフ、2001) は、そんな白洲次郎が自ら執筆した数少ない文章を編集して、一冊にまとめたものだ。ほぼ唯一の自著だといってよい。現在は新潮文庫に収められている。

 プリンシプル(principle)とは何か?

 思いつくままに、該当すると思われる日本語をあげていってみよう。

 原理原則、しっかりと伸びた背骨、バックボーン、ブレない軸、ゆるぎない座標軸、一本通ったスジ(筋)、コア・バリュー(価値観)。いいかえればインテグリティのことでもある。

 インテグリティ(integrity)とは日本語に訳しにくいが、一般に訳されている「誠実」という意味よりも、発言にブレのない、首尾一貫した姿勢をさしていると理解したい。つまり、白洲次郎の生き様そのものだ。

 先にあげた『プリンシプルのない日本』には収録されなかった文章や対談が、その後多数再発見されて収録されたのが、『総特集 白洲次郎-日本で一番カッコイイ男 (KAWADE夢ムック)』(河出書房新社、2002)である。白洲次郎が書いた文章、対談や鼎談などしゃべった内容は、この二冊でほぼカバーされている。

 基本的に評論家ではなく、実業の世界に長くいた人だから、コトバよりも実践という姿勢が強かったのは当然だろう。

 だが、白洲次郎が残したコトバの断片は、あまりにも鮮やかで、魅力的だ。行動をともなっていたコトバだから、評論家の空疎な響きのコトバとはまったく違うのだ。

 反原発論者の広瀬隆は、東北電力会長としての白洲次郎は原発導入にかかわった人物だとして、『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社、2009)で非難糾弾(?)しているが、この件については、わたしにはよくわからない。

 日本国憲法草案の作成に大きく関与し、その後は通産省(通商産業省、現在の経済産業省)にも大きくかかわっていた白洲次郎である、エネルギー政策にも当然関与しているはずだろう。その結果の東北電力会長就任だろう。

 実業家としての白洲次郎については、東北電力会長時代、みずからジープ(?)を運転して、いきなりダム建設現場を訪れたりすることを好んでやっていたというエピソードがいい。当時を知る人が、分け隔てなく接する人だったと回想しているのを読むと、かくあるべしという気持ちになるのは私だけではないだろう。

 敗戦後の日本で、国の行く末に深く関与した経験をもつひとであったから、全体を見据える「上から目線」の持ち主であったのは当然だ。だがその一方で、「下から目線」の意味も熟知し実践もできる人であった。

 私はそのように理解している。そこにまた魅力を感じるのでもある。


リスペクトすべき日本人。日本人は日本人として生きればよい

 白洲次郎は、私が尊敬する日本人の一人である。

 もし 10代の頃にその存在を知っていたなら、間違いなくその生き様をロールモデルとして、真似て真似尽くしたはずだ。

 だが、30歳台も半ばをい過ぎてからその存在を知ったのにかかわらずリスペクトしているのは、外見はせておき、気質的には近いからだろう。

 国際人とかそういった存在というよりも、まず人間であり、そして日本人であったという人間存在のありかたが実にいい。

 職業は何かと問われて、「人間だ」と答えた岡本太郎にも通じるものがある。

 あるいは、明治時代の岡倉天心などの国際人にもつうじるものといってもいい。国際人は、真に愛国者でもある。その一つの典型が、白洲次郎である。

 だが、白洲次郎のような生き方を貫けば、孤独とは縁が深くなる。これは岡倉天心も、永井荷風も、岡本太郎も同じだったことだろう。日本的な世間というものから距離を置いた生き方だからだ。脇目をふらず、我が道を行く生き方。

 「とかくメダカは群れたがる」という辛辣な表現をした作家がいる。当時のいわゆる「文壇」をさして言ったものだが、いわゆる「文士」に代表される文筆を業とする知識階層の日本人も、一皮むけば日本人以外の何者でもないことを、見事なまでに表現しきったものだ。

 その意味では、西洋の個人主義にどっぷりと浸かった体験をもつ白洲次郎はまさにその対極の存在であったといえよう。

 何からかの特定の「場」に属していなければ「安心」できないのが大半の日本人だが、「安心」と「信頼」が根本的に異なるものであるということに気がつかねばならない。

 そして「安心」がすぐに「慢心」に変わりやすいのも、わたしも含めて、日本人の悪しき特性である。根本にあるのは「甘え」であろう。独立自尊の精神とは対極にある「甘え」。

 実業の世界にいたが、白洲次郎は財界とは距離を置いていた。どこか特定の「場」に帰属していないと安心できないというような精神の持ち主ではなかったようだ。「群れたがるメダカ」ではなかったということだ。

 それは、自らのなかに確固とした「プリンシプル」があったからに他ならない。

 しかし思うにつけ、政治の世界はいうに及ばず、ビジネスの世界においても「プリンシプル」(原理原則)どころか、「ディシプリン」(規律)も持ち合わせない人たちが多すぎる。

 「経済二流、政治漂流」の日本が続く限り、白洲次郎の価値は衰えることはないだろう。

 しかし、いまは大東亜戦争の敗戦以来の「国難」のさなかにある。いまこそ、白洲次郎のような「プリンシプル」あるリーダーが求められているのではないか。

 いまは、日本が大転換する絶好のチャンスである。ピンチはチャンスである。

 だが、待望するだけでは未来は切り開けない。若い世代から「白洲次郎」たちが多く出てくることを切に願う。





<ブログ内関連記事>

「武相荘」(ぶあいそう)にはじめていってきた(2014年9月6日)-東京にいまでも残る茅葺き屋根の古民家
・・白洲次郎の「終の棲家」(ついのすみか)


欧米社会におけるルールとプリンシプルの違い

書評 『増補改訂版 なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか-ルールメーキング論入門-』(青木高夫、ディスカヴァー携書、2013)-ルールは「つくる側」に回るべし!
・・「ルールは外的で他律的、プリンシプルは内的で自律的、となる(P.34)。わたし的にいえば、プリンシプルが個人の内面を律する原理原則であるとすれば、ルールはしょせん決め事に過ぎない」


英国と英国仕込みの白洲次郎

書評 『ジェームズ・ボンド 仕事の流儀』(田窪寿保、講談社+α新書、2011)-英国流の "渋い" 中年ビジネスマンを目指してみる

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?


白洲次郎についての言及があるもの

書評 『歴史に消えた参謀-吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一-』(湯浅 博、産経新聞出版、2011)-吉田茂にとってロンドン人脈の一人であった「影の参謀」=辰巳栄一陸軍中将の生涯
・・辰巳栄一もまた吉田茂の右腕だった

書評 『異端力のススメ-破天荒でセクシーな凄いこいつら-』(島地勝彦、光文社文庫、2012)-「常識に染まらず、己の道を行く」怪物たちの生き様
・・週刊プレイボーイの伝説の編集長による人物評伝

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005)
・・スイスの銀行である UBS(当時は SBC)傘下に入っていたSBC ウォーバーグ(Warburg)にからめて、ウォーバーグの顧問を務めていた白洲次郎について触れている。実業家としての白洲次郎というのは、そもそもビジネスについては外に漏れる性格の話ではないので、よくわからないことも多い

書評 『失われた場を探して-ロストジェネレーションの社会学-』(メアリー・ブリントン、池村千秋訳、NTT出版、2008)
・・「特定の「場」に帰属しない関係、すなわち複数の「場」に横断的にかかわる存在も、日本では必然的に「孤独」を友とえざるをえない。たとえば、白洲次郎などの突出した、非日本的日本人がそれにあてはまるだろう。日本の大学を卒業せず、日本の会社には経営者としてしか働いたことはなく、財界とも政治家とも距離を置いていた人生だ。フツーの日本人にとっては、どこかの「場」に帰属していないことは、社会的に存在しないも同然とみなされるのである。この「孤独」に耐えられる者は少数派である」。


白洲次郎と同じ精神の持ち主たちのこと

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-
・・米国のボストンに長く滞在していた岡倉天心もまた「プリンシプルの人」であった

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・若き日にフランスに長期留学して西欧に触れた岡本太郎もまた「プリンシプルの人」であった

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む
・・アメリカとフランスで西欧に触れた個人主義者の永井荷風もまた「プリンシプルの人」であった

書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)
・・留学経験がなく、かならずしも西欧的個人主義者ではなかった折口信夫もまた「世間の外」に居続けた個人主義者であった

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?)
・・「世間」を対象化した歴史学者・阿部謹也による「世間論」、「空気」の存在を
対象化した山本七平は、ともにキリスト教に深く関わった人たちであった

(2014年7月23日、8月11日、9月11日 情報追加)
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