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2010年11月25日木曜日

「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)




「憂国忌」にはじめて参加してみた

 今年の「憂国忌」は第40回目である。
 「憂国忌」とは三島由紀夫の霊を慰める追悼会のこと、私が参加するのは今回がまったくのはじめてだが、今年はなんだか節目の年であるような気がするので参加することとした次第だ。

 1970年11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊でアジ演説を行ったうえで割腹自決、介錯人によって首を切り落とさせた事件から40年である。享年45歳。働き盛りの年齢である。生きていれば今年は85歳、老醜を嫌った三島由紀夫にはそんなことはありえないのだが、そう考えるとえらく昔の話のようである。
 1970年は昭和45年、大東亜戦争における敗戦から25年である。

 そして今年は、敗戦から65年。ある意味では節目の年であるといってよいだろう。
 時代の空気はすでに「戦後」から、あらたな「戦前」に変わりつつある。次の大きな戦争がいつになるのかはわからないが、それは侵略戦争ではなく、巻き込まれる形で応戦する形となるのではないか? 

 何ごとも自分の目で見て自分で判断したいものだと思う私は、今回生まれてはじめて「憂国忌」に参加することにした。



 会場は九段の靖國神社にも近い九段会館。かつての軍人会館そのものである。

 「憂国忌」のネーミングが取られた、三島由紀夫の『憂国』のテーマでもある二・二六事件の際には、三島由紀夫が自らをアイデンティファイしたかった叛乱軍の側ではなく、かれらを鎮圧する側に回った戒厳司令部が置かれた、いわくつきの昭和建築物である。

 なんとも皮肉なものであるが、主催者はどう考えているのだろうか。


没後四十年 三島由紀夫氏追悼会「憂国忌」プログラム

 会場は4時だったようだ。私は4時半過ぎに 1,000円を払って入場。

 すでに座席はほとんど埋まっていたが、なんとか一階前方の席を確保。

 会場に流れる音楽は、三島由紀夫の原作・主演・監督による映画『憂国』でも使用された、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「愛の死」
 40歳台に入るまでワーグナーは好きではなかったが、とくにこの「トリスタンとイゾルデ」は、ユダヤ系のダニエル・バレンボイム指揮のオペラを鑑賞して以来、私は虜になってしまった。

 式次第について、当日もらった小冊子によって記しておこう。

没後四十年 三島由紀夫氏追悼会「憂国忌」プログラム
(総合司会 菅谷浩一郎)

午後5時 開会の辞
第一部  鎮魂祭・式次第
(15分休憩)
午後6時10分 第二部「シンポジウム」開始
午後8時15分 閉会の辞 
午後8時20分 「海ゆかば」 合唱

 先にも書いたように、「憂国忌」に参加したのは、今回が生まれて初めてである。

鎮魂祭

 魂鎮めの儀式は乃木神社によるもので、まことにもって厳粛な儀式であった。

第一部 鎮魂祭・式次第

(齋主 高山亨・乃木神社宮司 祭員 乃木神社神職、伶人 乃木雅楽会)

先 修祓の儀
次 招魂の儀
次 献饌の儀
次 祭主追悼文奉読(松本徹 三島由紀夫文学館館長)
次 辞世吟詠(横山精兵 岳精流宗家。 尺八 奥本林山)
次 玉串奉奠
次 撤饌の儀
次 昇魂の儀
次 退下

(出席発起人 最後に参加者全員起立)


 乃木神社はいうまでもなく、明治天皇崩御に際して殉死した乃木大将を祀る神社。三島由紀夫の霊を祀るにはふさわしいように思われる。
 昭和の三島由紀夫割腹自決による諫死は、大正初年度の乃木大将夫妻の自決による殉死に匹敵するインパクトをもった事件であることはいうまでもないからだ。

 しかし、学習院院長としての乃木大将から大いなる薫陶を受けたのが昭和天皇であり、一方、二・二六事件を鎮圧を命じ、敗戦後は人間宣言を行った昭和天皇を呪詛してやまなかったのは、同じく学習院出身の三島由紀夫である。学習院を優等で卒業した三島由紀夫は、昭和天皇から恩師の銀時計を手ずからいただいている。
 乃木大将を媒介にしたこの二者の関係は、きわめて複雑で一筋縄ではいかない関係にあるように思うのは私だけではないのではないか。

 この文章を書きながらこんなことを思ったが、いや考え過ぎかもしれない。


 三島由紀夫と森田必勝(上掲の写真左)の辞世の歌が吟詠された。森田必勝は「楯の会」幹部で、三島由紀夫を介錯し、その直後みずからも割腹自決した。

三島由紀夫辞世

益荒男(ますらお)が たばさも太刀の 鞘鳴りに
 幾とせ耐へて 今日の初霜

散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて
 散るこそ花と 吹く小夜嵐

森田必勝辞世

今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の
 思ひを知るは 野分(のわけ)のみかは


シンポジウム「あれから四十年、日本はどこまで堕落するのか」を傍聴しての正直な感想

 鎮魂祭が厳粛な内容であったのに対して、シンポジウムはやや違和感を感じる内容だった。

 「あれから四十年、日本はどこまで堕落するのか」というタイトルとはあまり関係のない話であった。
 シンポジウムのパネリストについて、プロフィールを調べて簡単にまとめておいた。生年月日をみれば、1970年11月25日の立ち位置を知ることができる。

シンポジウム 「あれから四十年、日本はどこまで堕落するのか」
パネリスト
 井尻千男:1938年山梨県生まれ。評論家。日本経済新聞社で文化部に勤務、編集委員を経て拓殖大学名誉教授。立教大学文学部日本文学科卒業。
 遠藤浩一:1958年石川県生まれ。評論家。拓殖大学大学院地方政治行政研究科教授、同日本文化研究所所長。駒澤大学法学部卒業。
 桶谷秀昭:1932年東京生まれ。文芸評論家。東洋大学文学部名誉教授。一橋大学社会学部卒業。
 西尾幹二:1935年東京生まれ。ドイツ文学者、評論家。電気通信大学名誉教授。東京大学文学部卒業。
(司会) 宮崎正弘


 まず発言があったのは井尻千男氏、日本経済新聞社でのコラムや雑誌『選択』で氏の書くものは読んでいたが、評論家というものは、どうも書くものとしゃべる内容が違うように感じる。

 井尻氏が言うように、三島由紀夫が「古今集に帰れ」といったかどうかは私は知らないが、国風を強調するあまり「攘夷」などという井尻氏の発想には、ビジネスマンである私は強い違和感を感じた。
 私も個人的には「万葉集」より、王朝文学の精粋である「古今和歌集」のほうが好きだが、とりたてて「攘夷」と結びつけようとは思わない。

 ただし、ややアジテーションに近い響きがあったが、「尖閣問題は百年戦争」という言明には賛成する。
 すでに新しい「冷戦」が東アジアで始まっているという言明にも賛成する。いや、「新・冷戦時代」というよりもすでに「熱戦」が始まっている。
 すでに「戦後」ではなく、次の戦争の「戦前」である、という言明が井尻氏には必要ではなかったのではと思う。すくなくともこの人は三島由紀夫の言う「文を守るための武」が、腹の底からわかっているように思われた。


 シンポジウム参加者4人のなかで、私がきわめて強い違和感を感じたのは、西尾幹二氏である。

 三島由紀夫が決起したのは、実は「外敵」を想定してのものだったのだというのが本日の西尾氏の結論だが、その「外敵」とは米国主導で核兵器をコントロールする「NPT体制」であったという。
 「外敵の存在がなければ、意識できず、保つこともできないような、日本というアイデンティティ」ということを言外に言っていることになるのだが、これはあまりにもひ弱すぎる発想ではないだろうか? 
 もちろん「外敵」の存在は、アイデンティティを再認識する機会にはなるが、そもそも外敵があろうがなかろうが、日本人としての確固たるアイデンティティをもつこと、これこそが必要なことではないか?
 
 核武装を主張する西尾氏の発言には、会場からは賛同者からの拍手が多かったが、私には、どうしても深く思索する「思想家」の発言とは思われなかった。この人は文学や文芸とは無縁であるだけでなく、社会科学的思考も持ち合わせないようだ、としか私には思われない。

 私には、西尾氏の発言は、三島由紀夫の「怒り」を矮小化するものとしか聞こえない。

 核武装についてはさておき、クーデタを肯定(?)するような発言をしていたが、デマゴーグの響きをプンプンとさせていた。軍服を脱いだ田母神元空幕長が何をどう主張しようがシビリアンである以上問題はないが、軍服を着た人間には絶対に許されない発言であったと私は考えている。

 また、三島由紀夫を論じるのに二葉亭四迷をもちだしていたが、意味不明な対比であった。私はこの人の書くものはほとんど読んでいないが、今回のシンポジウムの話を聞く限りにおいては、なにかしら次元の低い、思考が浅い人に思われてならなかった。

 「憂国忌」の代表発起人の一人であるが、西尾氏はパネリストのなかでは一人浮いていたように思う。ある意味では、他の三人のパネリストの引き立て役になっていたかもしれないが。


 桶谷秀明氏は、日本浪漫派の保田與重郎と三島由紀夫の関連と非関連について話をしていたが、「偉大なる敗北」について戦時中から語っていた保田與重郎が、文学者で保守思想をもつ文芸評論家であるのにかかわらず、戦時中の昭和19年、招集された件の話が興味深い。

 ロマン主義というのは、保守というよりも本質において革命家、この理解のほうが、三島由紀夫理解にも近いような気もしなくはない。

 NHKが大東亜戦争という表現を拒否して太平洋戦争に固執することも批判、これはまったくもってそのとおりであり異存はない。米国との戦争に限定すれば太平洋戦争でもいいが、日本が戦ったの総体はあくまでも大東亜戦争にほかならない。

 保田與重郎と同時代に生きた西田幾多郎との関係と非関係について語っていたことも記憶に残った。

 ちなみに桶谷氏は、大学の先輩にあたる人だ。
 『昭和精神史』『昭和精神史 戦後編』、この分厚い二冊の文庫本は読みたいと思いながら、残念ながらいまだに果たせていない。なお、『昭和精神史』については松岡正剛が「千夜千冊」で取り上げているので参考まで。


 おかしな人がいたから、よけいに際立っていたのだろうが、シンポジウムのパネリストのなかでは、私からみて一番納得のいく内容の話をしていたのは遠藤浩一氏であった。あくまでも相対的な評価ではあるが。
 私はこの人のことは、今日の今日までまったく知らなかったが、政治評論家のようだ。

 昭和33年(1958年)生まれで、私よりは4歳年上、ということは三島事件は小学校六年生で体験したことになるわけで、世代的にも、ものの考え方も、私とはそうかけ離れていないようだなと思われた。

 劇作家としても三島由紀夫とライバルの関係にあった評論家・福田恆存と対比させて三島由紀夫について論じていたが、今年上梓した本で詳細に書き込んでいるという。
 機会があれば、この人の書いた本や評論には目を通してみたいと思う。


 シンポジウムを聞いていてイライラが募ってきたが、なんだか「保守」というのが、正直なところ何をさしているのかサッパリわからない。
 たんなる守旧派とは違うだろう。まさか生活保守主義のことでもないし、左翼の対語としての保守か??
 国土防衛するのは、保守だろうとなかろうが、国家として、国民としての当然の義務であろう。私は自分のことをとくに保守派とは考えていない。
 これもまた、このシンポジウムで違和感を感じたことの一つだ。

 発起人として参加していたロマーノ・ヴルピッタ氏や古田博司氏の話を聞きたいものだと強く思った。
 ヴルピッタ氏は保田與重郎についての著書を日本語で書いている、古田氏はいうまでもなく、中国と朝鮮を研究し尽くして「別亜論」という結論に達した論客。

 ムリに意見をすりあわせる必要はないが、見解はてんでバラバラにように思われた。だがそれでいいのだろう、三島由紀夫自身が多面体ともいえる人であったから、一つの像に押し込めること自体が無意味な話である。

 以上、メモはいっさい取っていないので、記憶にのみ基づいて記した。あくまでも私というフィルターを通した、独断に満ちた見解であることは断るまでもない。


「海ゆかば」合唱

 最後に全員が起立して「海ゆかば」を合唱、「憂国忌」の式次第のすべてが終わる。

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍(かばね)
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
顧(かへり)みはせじ

 大伴家持の長歌の一節である。美しい調べのこの歌は、私はとくに軍歌だとは思っていない。


「憂国忌」に参加してみての感想

 以上が、「憂国忌」に初めて参加した私の参加報告である。

 もしかすると「憂国忌」に参加するのは、今回が最初で最後かもしれない。いや、またいつか出席するかもしれないが、現時点ではなんともいいかねる。

 私は個人的には、このような形で集まるよりも、三島由紀夫がわれわれに向かって一方的に投げかけ続けているものを、一人の日本人として真摯に受け止め、反芻していくことのほうが重要だと思っている。
 つまり必要なのは深い思索である。考え続けることである。

 政治的なアジテーションの場として使う者がいるのであれば、「憂国忌」に参加する意味はない。私のような人間がいくべき「場」ではないのかもしれない。


三島由紀夫の「檄」に対して思うこと

 基本的に日本人が自分自身で日本を守るという姿勢と気概と見せることが大切だ。つまり「自主防衛」である。

 そうでなければ、たとえ同盟国といえども、米国が自分たちの血を流してまで日本と日本人を防衛することはあるまい。米国内の国民世論がそれを許さないだろう。
 
 この点においては、三島由紀夫の問いかけには、真っ正面から応える必要があると私は考える。
 
 守るべきものは何か、生命財産だけでなく文化である。文化を守るための武力、これは当然ではないか。これは三島由紀夫の「文化防衛論」での見解である。

 「自主憲法」制定には賛成だが、聞いていて不思議なのは、「自主憲法」をもちさえすれば、すべてがよい方向に変わると信じ切っているように聞こえることだ。

 重要なのは、憲法の中身だろう。

 私は、現行憲法の枠組みのなかで条文解釈で十分対応可能だと思うし、もし憲法改正するにしても、中身の議論を詰めるのが先決だろうと強く思う。

 1970年の「三島事件」は、それからちょうど25年後の1995年に、私と同世代の人間たちが起こした「オウム事件」と付き合わせると見えてくるものもある。

 「オウム真理教」の内部で、かれらにとっての「自主憲法」が作成されていたことを忘れるべきではない。これはもしかしたら三島由紀夫の「檄」に対する一つの解答であったのか? いやいや、しかしながら、そんなものが実現しなくて良かった。ほんとうに危ないところだったのだ。

 三島由紀夫が問いかけた問題は、書き出すと長くなるので、続きは別の機会に別の観点から書くこととしたい。




<付録>

ロマノ・ヴルピッタ氏による日本語著書『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』(中公叢書、2000)については、かなり以前に書評をbk1に投稿しているので再録しておこう。http://www.bk1.jp/webap/user/UpdReviewEvaluation.do

われわれには、いまだに「見えていないイタリア」があることを示してくれる本
サトケン
2001/03/28 22:06:00
評価 ( ★マーク )
★★★★

 ムッソリーニを独裁政治家としての後半生よりも、ファシスト党が政権を取るにいたるまでの前半生に重点をおいて描いた、戦後日本ではほぼ始めての本格的ムッソリーニ伝。思想家として、雄弁家として、政治家としてのムッソリーニ像はきわめて新鮮である。
 ファシスモ(ファシズム)にある種の「エラン・ヴィタール」(ベルグソンのいわゆる「跳躍する生」)を感じてきたイタリア人によるこのムッソリーニ伝は、統一国家となって以後の近代イタリア史についての、知られざる側面も伝えてくれる。現在のイタリアでいまだムッソリーニ人気が一部で衰えない理由もわかるような気がする。
 戦後の日本では、ネオリアリスモのイタリア映画を通じて、どちらかというと左翼的な、労働運動的なイタリア像がまずあり、これがバブル期にはイタ飯ブームによる「生活を楽しむ」イタリア人のイメージに変わっていったのだが、本書はわれわれにはいまだに「見えていないイタリア」があることを示してくれる点において貴重である。複眼的思考の重要さも教えてくれる本である。

 他に、『不敗の条件-保田與重郎と世界の思潮-』(ロマノ・ヴルピッタ、中公叢書、1995)がある。

PS  なお、2014年になってから上記の「書評」を再録し、かなり長文の追加を加えてうえで、(書評再録) 『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』(ロマノ・ヴルピッタ、中公叢書、2000)-いまだに「見えていないイタリア」がある! という記事にした。あわせてご覧いただきたい。(2014年6月17日 記す)



<関連サイト>

Yukio Mishima....Rare 1969 Interview In English
・・かなり流暢な英語で持論を展開している「知性の人」三島由紀夫。

●MISHIMA: A LIFE IN FOUR CHAPTERS (Paul Schrader, 1985) Trailer
・・緒形拳主演の幻の映画のトレーラー。日本では遺族が公開に反対したため未公開といわれている。緒形拳が少しマッチョすぎて三島由紀夫とは違うような気がするのだが・・・。その他の出演者は、沢田研二、永島敏行などけっこう豪華キャストである。YouTube で上記のビデオを閲覧したら、関連したビデオクリップも見ることができます。


●"YUKOKU" by Yukio Mishima
・・三島由紀夫の原作・主演による『憂国』。二二六事件で生き残ってしまった青年将校の割腹。









<ブログ内関連記事>

「行動とは忍耐である」(三島由紀夫)・・・社会人3年目に響いたコトバ

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・古田氏は「憂国忌」の発起人の一人である

(書評再録) 『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』(ロマノ・ヴルピッタ、中公叢書、2000)-いまだに「見えていないイタリア」がある!
・・ヴルピッタ氏は「憂国忌」の発起人の一人である

書評 『近代日本の右翼思想』(片山杜秀、講談社選書メチエ、2007)-「変革思想」としての「右翼思想」の変容とその終焉のストーリー
・・ユートピア論の観点からみると、日本ではすでに1936年には「右翼」は終焉し、「左翼」もまた1991年には完全に消滅した

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む
・・遅れてきた右翼少年によるテロをともなった「政治の季節」は1960年に終わり、以後の日本は「高度成長」路線を突っ走る。「世界の静かな中心」というフレーズは、 『危機の宰相』で沢木耕太郎が引用している三島由紀夫のコトバである。

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと
・・三島由紀夫と同時代の1960年代は、日本でもドイツでもイタリアでも「極左テロの季節」であった

「やってみなはれ」 と 「みとくんなはれ」 -いまの日本人に必要なのはこの精神なのとちゃうか?
・・三島由紀夫の割腹自決の一年前の1969年に創業70年を迎えたサントリー、これを記念して開高健が執筆した「やってみなはれ」は「高度成長」期の日本人のメンタリティそのもの

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した

マンガ 『20世紀少年』(浦沢直樹、小学館、2000~2007) 全22巻を一気読み

(2014年6月17日、8月15日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)






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