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2010年6月30日水曜日

書評 『脳と日本人』(茂木健一郎/ 松岡正剛、文春文庫、2010 単行本初版 2007)




「脳」を論じる茂木健一郎が、「日本人」を論じる "知の巨人" 松岡正剛の胸を借りた、実りある対話篇

 『脳と日本人』というタイトルは、「脳」は茂木健一郎、「日本人」は松岡正剛を代表させているということか。自然科学思想の素養のある "知の巨人" 松岡正剛の胸を借りて、人文科学の素養のある茂木健一郎が挑戦して、実りある対話が実現した。

 読んで直接ためになるという性質の本ではない。しかし、読むといろいろなことに「気づき」を得ることができる。自分の日々の活動の意味についても、少し違う視点から再考するキッカケとなる。知の饗宴としての芳醇な対話篇といえようか。
 ともに「脳」について語りながら、「五感」のなかで「視覚」のみ肥大化している現代日本人への警鐘ともなる、認知科学にかかわるメッセージをさまざまな形で発しあう二人である。
 二人の対話は、ときに同期し、ときに齟齬しながらも、実り豊かな対話空間をつくり上げているという印象の知的対話となっている。

 とりわけ、松岡正剛という知の巨人の形成史として、彼自身の若いときの個人史にかかわる重い体験のいくつかがが、空間や時間に関連づけられて語られるのを聴くとき、知的探求というものの出発点が、あくまでも個人の一回限りの体験と密接な関係にあることを知るのである。 そうした体験をどこまで知的に深掘りできるかが、知の探求者としての大きな分岐点となるのだろう。

 ここのところ、ビジネス書を量産しすぎの感ある茂木健一郎ではあるが、自然科学者である脳研究者としてのこだわりをみることのできる一冊でもある。


<初出情報>

■bk1書評「「脳」を論じる茂木健一郎が、「日本人」を論じる "知の巨人" 松岡正剛の胸を借りた、実りある対話篇」投稿掲載(2010年6月23日)
■amazon書評「「脳」を論じる茂木健一郎が、「日本人」を論じる "知の巨人" 松岡正剛の胸を借りた、実りある対話篇」投稿掲載(2010年6月23日)

*再録にあたって文章に手を入れた。





<書評への付記>

 目次は以下のとおりである。

第1章 世界知を引き受ける
第2章 異質性礼賛
第3章 科学はなぜあきらめないか
第4章 普遍性をめぐって
第5章 日本という方法
第6章 毒と闇
第7章 国家とは何ものか
第8章 ダーウィニズムと伊勢神宮
第9章 新しい関係の発見へ


 「松岡正剛という知の巨人の形成史として、彼自身の若いときの個人史にかかわる重い体験のいくつか・・」と書評に記したが、これは具体的には、子供の頃の全盲の叔父さんとのかかわり、そしてガス自殺を図った親戚の若い女性とのかかわり。
 全盲の叔父さんの聴覚についての驚きは、知覚機能を視覚に頼りがちな現代人の、まさに盲点をついたものであり、ガス自殺未遂の後遺症で記憶喪失になった女性が記憶を取り戻す瞬間についての気づきは、記憶と脳機能にかかわる話である。
 場所と結びついた記憶としてのトポグラフィック・メモリー(topographic memory) 、記憶を取り巻く文脈に結びついたコンテクスチュアル・メモリー(contextual memory)。認知科学への関心。
 このような原点としてのいくつかの体験が(・・ほかにもあげられているがここでは省略)、知的探求の原点になっていることに気づかされるのである。 


<ブログ内関連記事>

書評 『日本力』(松岡正剛、エバレット・ブラウン、PARCO出版、2010)






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2010年6月29日火曜日

「サッカー日本代表チーム」を「プロジェクト・チーム」として考えてみる


    
 「サッカー日本代表チーム」は、企業でいえば「プロジェクト・チーム」である
 こう考えると、いろんなモノが見えてくるし、代表チームの選抜されて実績を出している選手だけでなく、代表監督の言動の意味もよく理解できるだろう。

 そもそもプロジェクト・チームとは何か?

 プロジェクト・チームとは、ある特定のプロジェクトを遂行するために、アドホック(一時的に)に組成される組織のことである。
 企業内でいえば、プロジェクトには、新製品開発、人事制度改革、ミッション作成、新規システム導入・・・例をあげればキリがない。
 こうした特定の目的を実行するために、期間を区切ってメンバーが招集され、組織横断的に実行されるのがプロジェクトであり、そのプロジェクト遂行の主体となるのがプロジェクト・チームである。
 コンサルティング会社などでは、仕事はすべてプロジェクト・チームとして遂行される。

 プロジェクトチームは、人間集団である以上、かならずリーダーやマネージャーが必要とされる。というより、まずプロジェクト・リーダーが経営者などの組織上の上位者から指名をうけてプロジェクトチームを組成し、メンバーを一本釣りするなり、公募なりで招集、選別することが通常である。

 さて、これを今回の FIFAサッカーワールドカップ2010南アフリカ大会に出場した「日本代表チーム」にあてはめてみよう。

  ●プロジェクトリーダー:岡田監督
  ●目的(ミッション):ワールドカーップに出場し、一次リーグを突破すること 
  ●期間:ワールカップ予選開始前から、ワールドカップで日本の勝敗が決定するまで 

 以上のように整理してから、岡田監督の采配について見てみよう。


 岡田監督は、ワールドカップでベストフォーに入る、つまり準決勝まで勝ち残るという目標をぶち上げているが、日本サッカー連盟は、岡田監督にそこまで高いミッションは要求していないハズだ。おそらく、かつて韓国がベストフォーまでいったから日本も・・・というおとではないだろうか。
 しかし、ベストフォー進出という目標を掲げ、ミッションにしてしまった以上、引くに引けないのもまた現実である。岡田監督のアタマのなかに何があるのか、忖度しても意味はないが、もしかすると監督のコトバに鼓舞されて、できるんじゃないかという空気がいまや出来上がりつつあるのかもしれない。

 誰を先発メンバーに指名し、誰を補欠としてベンチで待機させるかという、いわば「人事」にかんする方針をみてみよう。
 勝負の世界においては、勝つためには最高の布陣を行う必要があるが、そのためには、たとえ実力があってもメンバーからはずすという非情な決断を行わなければならない時がある。
 12年前のワールドカップ・フランス大会において、岡田監督がカズこと三浦知良を斬ったのは記憶に新しいが、その時はワールドカップ代表チームの招集前だった。今回の中村俊輔はベンチ入りしているから、本人にとっては相当つらいことだろう。
 しかしまさに非情な決断であったのではないか。本田圭佑という24歳の寅年男は、完全に中村俊輔と世代交代してしまった。鮮やかな交代劇というべきだろう。きくところによると、カズを斬ったときと同様、チーム内の空気を読んだ岡田監督は、俊輔をベンチで待機させることにしたらしい。
 攻めるサッカーへの転換という岡田監督のポリシー(フィロソフィー?)を実現するために不可欠な「人事」であったといえる。非情な決断を行った岡田監督の賭は、今回は吉とでたようだ。

 企業経営の場合も、サッカー代表チームときわめてよく似ている。
 プロジェクト・チームの招集にあたって、メンバー選択はプロジェクト・リーダーの責務であり、パフォーマンスがあがらない時は、メンバーの交代を行い事もままあることだ。
 なによりもプロジェクトチームが初期のミッションを果たし得ないとき、プロジェクトリーダーの交代も行われることがある。私も他人が放り出したプロジェクトの後始末を多くこなしてきたが、自分が選んだメンバーでない場合は、チームをまとめるのはまた一苦労である。
 サッカーの場合も、利害関係者からさまざまな横やりが入る。岡田監督も騒音が激しかったが、上層部が土壇場で岡田監督を切り捨てなかったのは、後知恵ではあるが賢明であったといえようか。


 さて、いよいよ本日、日本時間23時から、決勝トーナメントで日本代表チームはパラグアイ代表チームと激突することになる。
 日系人も7,000人と少なくない南米の小国パラグアイではあるが、ベストエイト進出は悲願であるという点において、おかれた状況は日本より厳しいものがあるのだろう。
 今回の日本代表は、もちろん実力で一次リーグを突破したとはいえ、棚ぼた的なかんじがなくもない。つまり日本国民の期待度はパラグアイほど高くはなく、選手の感じるプレッシャーも、ノイローゼになるほどではなく、むしろいい具合にフォローの風となることだろう。

 日本人である私は、このプロジェクト・チームの成功、すなわち日本勝利を祈願するばかりである。


P.S.

 6月29日に行われた対パラグアイ戦は、90分で決着がつかず延長戦へ。しかし30分の延長戦でも決着せず、今大会初の PK戦に。結果は・・・ 
 結果は残念であったが、ニッポンよく頑張った。死闘だった。見ているこちらも、本当に死力を尽くした。悔いはない。(2010年6月30日 記)






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2010年6月28日月曜日

「知識が先か、経験が先か・・」-人生の「棚卸し」をつうじて考えてみる


                    

 「知識が先か、経験が先か・・・」

 なんだか「ニワトリが先か、タマゴが先か」みたいな話だが、最近の若い人たちがなかなか行動をしないいい訳として、「だってやったことがないから・・・」というのが多いらしい。これは、ある記事を読んで知った。

 最近の新入社員は、「できない理由を知識として知っているが、実際に自分が体験したことがないので行動するのが怖い」らしい。

 これではまるで「前例がないからできません」という役人の答弁と同じではないか。できない理由は、いままでに前例がないからといういい訳であるが、「怖い」という感情は同じである。


 その記事の執筆者によれば、最近の若者たちは「知識が多すぎて行動できない」らしい。知識過剰のため、身動きできなくなってしまっているという。ここまできたらほとんどビョーキだね。

 おそらくその「知識」とは、本であれ、TVであれ、インターネットであれ、自分が経験したことによって得た知識ではなく、他人の経験をもとに知識化された知識のことななおだろう。リアルな知識ではなく、バーチャルな知識。

 この文脈においては、知識は行動の阻害要因となっているわけだ。知識は行動を促すだけではなく、行動を阻害するという側面ももつということである。

 知識が過剰になると、経験していなくても知っているような気になって行動に結びつかないということだけではないのではないだろう。しかし、それは生きた知識ではない。

 喩えとしては適切かどうかわからないが、操作マニュアルを隅から隅まで読み込まないと情報機器をいじれない機械オンチな人のようでもある。

 若い人たちの大半は、マニュアルをみないでいきなり使い始めることができているハズだともうのだが・・・これが仕事になると怖じ気づいてできなくなってしまうのはなぜだろうか。


 「知識が先か、経験が先か・・・」

 ところで、いきなり話題がかわるが、「人生の棚卸し」について少し考えてみたい。

 ネット上の交流サイトの一つに、米国発の Facebook(フェースブック) というものがあるが、最近は日本語の機能が充実してきたこともあって、いま日本でも爆発的に参加者が増加中のようだ。
 先日、リタイア後に「自分史」講座開いている方と知り合いになったのだが、ネット上で会話をしていて、いろいろと気づかされることがあった。会話を再現してみよう。



(私)
 30歳台の方が受講者にいるというのは、正直いってオドロキです。まだまだ歴史をつくる世代だと思うんですが・・・

(自分史さん)
 「自分史」は仕事をリタイアした人がつくるものというのは固定概念だと思います。教職でクラス担任をやっていた時、夏休みの課題として「自分史」を出題したことがあります。

(私)
 私こそ、固定観念のかたまりだったわけですね・・・反省です。「自分史」は「履歴書」みたいに、書き換えていけばいい、ということですね。勉強になりました。

(自分史さん)
 一次情報、二次情報といいますが、一番大切な情報は第一次情報ではないでしょうか? マスコミの情報でも、人の話でもなく、自分の感覚で得た情報です。
 自分史は、自分が生きてきた時代と向き合って一次情報をしっかりと整理する作業である、と言えるのではないでしょうか?

(私)
 おっしゃるとおりですね。そういった一次情報を、社会的背景のもとにキチンと客観的に位置づけてみること、これが「自分史」である。こういう理解でよろしいでしょうか?

(自分史さん)
 その通りです。「自分史」を作りながら、「人生の棚卸し」をしてみようということなんです。


 
 そう、重要なのは一次情報であって、他人から仕入れた二次情報ではない。一次情報とは、何よりも自分が経験したこと、体験することによって得た情報のことである。

 経験情報といってもいいし、体験情報といってもいいかもしれない。他人にとっては意味をみたないかもしれないが、たとえ主観的なものであったとしても、ある意味ではかけがいのない情報である。

 この情報が自分のなかで咀嚼(そしゃく)されることによって知識になることもあるし、たんなる情報としてとどまっていることもある。

 「自分史」執筆という作業をつうじて、自分の経験や体験の意味をあらためて考えてみるというのは、非常にに意味のあることのようだ。


 私自身はいまだ自分史執筆は行っていないが、未遂も含めて転職経験が多数あるので、その都度、履歴書の作成と書き換えを行ってきた。

 履歴書(resume)は、主に求職の際に作成されるものだが、この作業には自分の仕事を中心にした軌跡だけでなく、人生の過ぎ来し方を顧みるという行為が含まれる。

 そもそも、履歴書に書ける実績をつくるためには、行動しなくてはならないではないか。そして自分が仕事の上で経験したしたことを、客観的な形で相手にもわかるようなコトバで整理することことは、実はかなり知的な作業である。

 行動の軌跡は経験の集積であり、いいかえれば一次情報収集の蓄積である。この行動の軌跡を振り返り、内面的対話や転職カウンセラーとの対話によってその意味に気づき、自分の経験してきたことを知識として整理する。

 このプロセスは、履歴書を作成する際には顕在化するが、自分が経験して得た一次情報を知識化するうえで、きわめて有効な方法でわるといえるだろう。


 大学2年のときに大学生協で「棚卸し」のアルバイトをしたことがある。
 商学部の学生でない私は、「棚卸し」の意味を当時はまったく知らず、生協の職員の指示のままに、棚にある商品の名前を読み上げて個数を数えては、フォーマットに記入していった。そのときは、ただたんにアルバイトの一つとして作業を行っただけで、会計学を知らない私にとって、棚卸しの意味はカラダを使った作業の段階にとどまったままだった。
 棚卸しの意味を本当にアタマで理解したのは、就職して会計学についても勉強せざるをえなくなって、「棚卸資産」の意味を知ってからである。しかし、体験を先にやっていたおかげで、棚卸しというとリアルにイメージすることができるのだ。
 私にとって「棚卸し」とは、なんといっても、大学生協の店舗のなかで二人一組になって、腰をかがめながら、シャンプーを手にとって商品名を読み上げ、個数を記入していったという、具体的な画像記憶と結びついたコトバなのである。


 「知識が先か、経験が先か・・・」

 こんなことを書いてくると、それは経験の方が先に決まっているじゃないか、といってしまいたいところだが、本当のことをいうと、知識と経験がうまい具合に相互作用しているのが理想型だろう。

 私のように何も考えずにいきなり行動を始めてしまうというのでは、自分のやっていることの意味がわからないし、ときには危険なことであることも否定はできない。


 英語に A little Learning is a Dangerous Thing. という格言がある。日本語では「生兵法は怪我のもと」に該当するが、少しぐらいの怪我ならなんともないだろう。同じ失敗は二度繰り返さなければいいのであって、そのためには切り傷程度の怪我なら多少はしても致命的ではない。

 もちろん、ときには、「あたって砕けろ」Go for Broke. ということも重要だが、これは万人におすすめできることではない。


 毛澤東の「泳ぎながら、泳ぎを覚える」というコトバで締めておこうか。「畳のうえの水練」ではなく、水のなかでもがきながら泳ぎを覚える。スパルタ教育のような印象がなくもないが、『実践論』の著者ならではの発言ではないか。私は毛澤東のこのコトバが好きである。



 「要はバランスだ」、といってしまいたい誘惑にかられるのだが、「知識が先か、経験が先か・・・」というテーマについては、もう少し考えてみたいと思っている。



<ブログ内関連記事>
働くということの意味

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)
・・・「なにも僕が仕事好きだというわけじゃない。・・(中略)・・ただ僕にはね、仕事のなかにあるもの--つまり、自分というものを発見するチャンスだな、それが好きなんだよ。ほんとうの自分、--他人のためじゃなくて、自分のための自分、--いいかえれば、他人にはついにわかりっこないほんとうの自分だね。世間が見るのは外面(うわべ)だけ、しかもそれさえ本当の意味は、決してわかりゃしないのだ (中野好夫訳、岩波文庫、1958 引用は P.58-59)



(2012年7月3日発売の拙著です)


・・「自分史」についての考察は、この本でより深めています。











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2010年6月27日日曜日

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜 2010年6月26日)にいってきた




 昨日(2010年6月26日)は丸一日、パシフィコ横浜にて、来日中の "仏教界のスーパースター"、ダライラマ14世のセミナー(法話&講演会)に参加してきた。

 ホンモノのもつすごさを体験する貴重な機会になるのではないかと、ワクワクしてこの日を待っていたのだ。いってみれば、「ダライラマ・スーパー LIVE 2010横浜」といったものか。


人生は「一期一会」

 実は、ダライラマ猊下(His Holiness the Dalai Lama)のご尊顔を直接拝したのは今回がはじめてである。今年75歳のダライラマは、精力的に全世界を飛び回っているが、この1週間は日本に滞在して、日本各地で法話と講演を行っている。


 毎年のように来日されているのであるが、すでに75歳という高齢であり、この機会を逃したら、もしかすると私にとっては(・・ダライラマ猊下にとってではない)最初で最後の機会になるかもしれないと思って、大枚はたいて参加することとした。人生は一期一会であるから。


 地下鉄大手町駅の構内にポスターが貼られていたのをたまたま見て、ダライラマ法王の来日を知った次第だが、そしてまた、たまたま6月26日の予定がキャンセルになったので、2週間前に急遽申し込むことにした。弁当付きA席である。センターステージからやや離れているが、肉眼で見れる距離であった。

 「仏教界のスーパースターとってよいダライラマ猊下」(His Holiness Dalai Lama)という表現は、私が勝手に映画タイトルの『ジーザス・クライスト・スーパースター』からもじったものである。



来場者分析を思わずしてしまう私-セレブ見たさとスピリチュアル・ブームが背景にある??

 朝10時からの開演だが、会場のパシフィコ横浜は、長蛇の列でなかなか入場できなかった。9:30には会場に到着したのだが、結局なかに入れたのは10時になってからだった。開演時間がすこしずれて10分遅れくらいで始まったのだが、それにしてもすごい人である。一万人くらいの入場者があったらしい!

 見ている限りでは、日本人だけでなく日本在住の在日外国人もちらほら見られた。日本人でもとくに女性が多く、しかも若い女性が多いのには、ちょとした驚きを感じた。カップルもいるが、女性どうしという来場者も少なくないようだ。

 しかも左手首に数珠をまいた若い女性もすくなからずいる。それも法事というイメージとはかけ離れて、カジュアルな格好で来場している女性も少なくないのは、ダライラマという仏教界のセレブでスーパースターのコンサートという感じでもあった。

 宗教としてのチベット仏教の信者もいるのだろうが、多くはスピリチュアリティとしての仏教になんとなく惹かれるという女性が多いのではないだろうか、そういう印象を強く感じたのであった。データがあれば、詳細なデモグラフィック分析を来場者に対して行ってみたいという誘惑にかられるのだが・・・

 会場に設けられた臨時書店2カ所には、休憩時間中はものすごい人だかりで、ダライラマの著作やDVDが飛ぶように売れていたことも、その一つの証明ともなるだろうか。


 
 また、昼休みの時間帯、会場内を歩き回ってわかったのは、とくに韓国から仏教信者たちが団体で大量に来場していることだった。僧侶以外の在俗信者たちはみな、えんじ色の揃いのダライラマTシャツを着て、ああ韓国人らしいなあ、という感想も抱いたのである。

 このほか、在日チベット人の姿も少なからず、また台湾、中国、それからモンゴルからも来場者がいたようだ。

 チベット仏教圏のモンゴルは当然のこととして、台湾にもチベット仏教徒は多いのは、もともと清朝時代はチベット仏教がさかんだったことが影響している。ダライラマもときどき台湾にいかれているようだ。

 中国にもチベット仏教徒がいるのは、中国領内にチベット人居住区があるだけでなく、首都北京に北京の雍和宮(ようわきゅう)を訪れてみれば理解できるはずである。巨大な弥勒菩薩の木像が安置されており、参拝客は多い。



ダライラマによる「法話」と「講演」

 午前と午後に、それぞれ通訳をまじえて、約1時間半にわたって、ダライラマの「法話」と「講演」が行われた。



 内容については、ダライラマ在日代表部のチベットハウス(東京)の要約をそのまま転載させていただくこととしたい。

<法話> 縁起賛と発菩提心
The Virtue And Practice of Connectedness and Generating a Kind Heart
より幸せに生きるための智慧。それは、縁起と菩提心です。
一見難しそうに見える仏教の教えは、実は、毎日をより上手に生きていくための道しるべであり、日常生活の中で活かせるアドバイスばかりなのです。
今、あなたが抱えている悩みをうまく乗り越えていくためのヒントを、ダライ・ラマ法王が仏教的な観点からわかりやすく丁寧に解き明かして下さいます。
今日よりも明日をより幸せに生きていくための智慧に、あなたも耳を傾けてみませんか?

<講演>『幸せの本質』~共生と共存の未来へ向けて~
The Essence of Happiness and a Healthy Co-Existence

行き止まり感が強い、現代の地球社会。
戦争、経済不況、格差社会、環境破壊など問題が山積みの21世紀を私たちはどのような姿勢で生きていくべきでしょうか------。
ダライ・ラマ法王が環境、科学、経済の視点から“共生・共存”の大切さを説き、幸せの本質とは何かに迫ります。
「未来社会を生きるための心得」の数々を明日のためにお役立てください。


 ダライラマが外国で行う「法話」は英語だと思いこんでいたのだが、今回の法話も講演もチベット語であった。ダライラマが話して、そのあと日本語で解説がつくのだが、内容はやさしくはない。テーマは、縁起説についてであり、会場で配られたパンフレットによれば、ゲルク派(黄帽派)の宗祖ツォンカパの『善説心髄』という礼賛偈をもとにした法話であるとのこと。

 内容は聞いただけではわかりにくいが、一言で言ってしまえば、すべての事物は因果関係にあり、この因果関係はすべてつながっている、すなわち果がさらに因になり、その果がまた因になる・・・という網の目のような連鎖のことである。



 ダライラマが赤いサンバイザーをかぶっているのは、照明が強すぎるので眼を保護するためだとのこと。ヘッドフォン型マイクロフォンをつけているが、なんだかこういう姿もコンサートっぽくて面白い。

 ダライラマの話がすべてチベット語でなされて、そのあとチベット仏教に造詣の深い通訳者による日本語解説がつくので、なんだか通訳者の講演会みたいであったが(笑)、ダライラマ自身は英語よりも、母語であるチベット語のほうが当然のことながらラクなようであった。

 午後のダライ・ラマ法王の講演は、最初は英語で始まったので、ダライラマの肉声そのままで理解できるのはありがたいと思ったのだが、通訳の関係からまたチベット語に戻ってしまったのは残念だった。韓国語や中国語の通訳が英語の理解が不十分だったためらしい。

 私自身は、むかしチベットに凝っていたとき(・・1995年にはチベットのラサにも、インドのチベット人居住区であるラダックにもいったことがある。ただし、チベット亡命政府のあるダラムサラにはいまだ行っていない)、チベット語をやりかけたことがあるが、難しいので放棄してしまったので、ほとんど理解できない。知っているのはチベット語の呪文「オン・マニ・ペメ・フム」くらいか。



昼のステージでのパフォーマンス、なんと締めは世界のナベサダ!

 インド、台湾、韓国、モンゴル、日本の僧侶などによるステージ上のパフォーマンスがまた素晴らしかった。法話だけだとアタマが飽和状態になっていたので、歌あり踊りありのステージは、たいへん楽しい一時間となった。

 インド、台湾(中国語)、韓国(韓国語)、日本の僧侶たちによる「般若心経」の声明(しょうみょう)が実に興味深く、また素晴らしものであった。同じ原典をインド人は原文のサンスクリリット語にて、台湾・韓国・日本の僧侶たちは漢文訳のテキストを、それぞれの伝承スタイルで朗唱する。

 般若心経は最後のフレーズがいわゆるマントラ(呪言)であるので、これはみな基本的に同じく「ガーテー、ガーテー・・」である。漢文訳でも音をそのまま転写しているはずだが、台湾・韓国・日本では微妙なズレがあって面白い。

 なんといっても、取りを務めた日本の僧侶たちは、真言密教の真言宗豊山派(ぶさんは)の僧侶たちで、色とりどりのカラフルな僧衣に身を纏い、ステージ上の声明が終わると、導師が拍子木でリズムをとりながら朗唱する般若心経にあわせて、ステージ下にセットされた和太鼓を一糸乱れず叩き続けたパフォーマンスには圧倒された。ビートの効いた和太鼓の連打は迫力満点で、ステージ上でご覧になっていたダライラマも絶讃されていた。

 以上でパフォーマンスが終了だと思っていたら、大取(おおとり)の締めはなんと世界のナベサダのサックス・ソロ演奏二曲という贅沢なサプライズ渡辺貞夫の LIVE は私にとっては初体験だったので、これは実にうれしいプレゼントだった。

 日本を代表するジャズプレイヤーの渡辺貞夫は、世界のナベサダであり、仏教界のスーパースターであるダライラマとは旧知の仲であるようだ。渡辺貞夫の「玉手箱」:Sadao Watanabe's "Jewel Case"というブログ記事がネット上にあったので一部引用させていただく。

「あなたが他の人々の幸福のために働けば、あなた自身に永遠の幸せが保証されるだろう」
この書は渡辺貞夫が1998年春にチベットを訪れた際にダライ・ラマから直接いただいたものだそうで、そのとき彼はチベットの山をいくつも越える長く苛酷な旅をした結果、この言葉の真の意味を悟ったとのことである。

 ダライラマとナベサダの二人のツーショット(・・撮影禁止なので写真にはとってないが)というよりも、ステージ上でダライラマが聴き、ナベサダがソロで演奏するというこのジャズ・セッションは、これまた貴重な経験として、来場者の記憶に残るものだといっていいだろう。


ダライラマとの質疑応答セッション

 ダライ・ラマの法話や講演はさておき、質疑応答はたいへん面白かった。30分の予定が、10分のび、さらにまた10分のみで結局1時間になったが、ダライラマ自身が一般参加者からの質問を大いに楽しんでいるようであった。

 質問者のなかには、ダライラマに向かって「最高ですかー?」と絶叫するバカ女がいたが、詐欺罪で逮捕された教主のいた新興宗教のかけ声だったような・・・。

 一般参加者はみなあっけにとられたようで、「何をいっているのだ、このバカ女は!」、あるいは 「かわいそうにアタマがやられてしまったのね・・(-_-)」、といった憐憫の情で見ていたようだ。

 ただし、こういうおかしな人はあくまでも例外であって、質問者はみな、個人的な悩みにかんする質問が中心であった。この質疑応答は、私にもたいへん興味深かった。

 ちなみにこの「最高ですかー女」に対しては、ダライラマは誘導尋問はうまくかわして、冷静な回答を行っていた。東京のオペラ会場での「ベラボー男」に匹敵する大馬鹿者として、私の記憶に刻み込まれることとなった(笑)

 すべての質問に対してユーモアまじえた当意即妙の回答が実に面白く、ダライラマ本人も大いに楽しんでいるようだった。時間に律儀でパンクチュアルな日本語通訳の方の制止を振り切って、ダライラマご自身は興に乗って、何度も時間延長をOKしていたくらいだ。

 ときどきジョークで煙に巻く回答も、政治的な問題でもわたりあってきた百戦錬磨の精神指導者としてのたしなみといってもいいだろう。日本の政治家にはも爪の垢を煎じて飲んでもらいたいものだ。

 質疑応答のなかで面白かったものをいくつか思い出して書いておこう。ただし、これは私が聴き取ったかぎりのもので、しかも日本語通訳を介してのものなので、ダライラマご自身の公式見解ではないと断っておきます。


 (Q) 肉食の是非について(西洋人が英語にて質問)
 (A) かつて、いったん始めた菜食生活は、体調不良により2年間でやめた。そもそも生態系からいって新鮮な野菜に乏しい遊牧民の「チベット人は肉食はあたりまえで、チベット医学の観点からいっても、肉食は否定していない。もちろん菜食は望ましいことであるが、健康維持のためには難しい。インド人とは異なる。

 (Q) キリスト教徒であってかつ仏教を信仰することの是非(在日米国人が日本語で質問)
 (A) 神を中心としたキリスト教と神のいない仏教は両立可能。初級段階では問題ないが、中級から上級になってくると、キリスト教と仏教徒では、「空」の観念についてはまっこうから反対の立場になるので、両立は難しい。この点を踏まえていれば、キリスト教徒として生きてゆくことに問題はないだろう。


 このほかにも、日本人やそれ以外の人からも多くの質問がなされたが、おそらく後日出版されることもあろうかと思うので、ここにはこれ以上は記さない。

 質問内容はあくまでも個人の悩みからはっしたもので、抽象的なものではなくきわめて具体的なものであるので、たいへん興味深い。そしてダライラマの回答も個別性を重視しながら、普遍的な回答を行うという点で実に興味深かった。

 ただ一つ思うのは、ダライラマが属するのは、チベット仏教のなかでも顕教的要素の強いゲルク派であるが、チベット仏教は基本的に欲望を肯定する密教であることを失念している人が多いのではないか、ということである。


 ダライラマの LIVE はたいへん充実していたが、聴くだけの立場としては正直いってくたびれる。パシフィコ横浜は基本的に展示会場なので、固定座席はなく、臨時にパイプ椅子をもちこんでいた。A席までは座布団つきだったが、それにしても半日間パイプ椅子に座り続けるのは正直いって疲れるのは否定できない。

 とはいえ、なによりも精力的に語るダライラマの尊顔を拝することができたので、ありがたい一日となった。

 「ダライラマ・スーパー LIVE 2010横浜」の報告は以上のとおりです。




<関連サイト>

「ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演 2010」

ダライラマのコトバ・・Twitter においてスタッフが毎日、英語で配信

Hope for a More Peaceful World(YouTube 投稿動画)
His Holiness the Dalai Lama speaks to university students and educators in Yokohama, Japan, on June 24th, 2010. (www.dalailama.com)・・英語による日本の学生たちへの語りかけ (6月29日追記)

英文般若心経(Heart Sutra)


<関連映画>

『クンドゥン』(Kundun 1997)
・・中国人民"解放"軍によって武力侵攻されたチベットから、ヒマラヤを越えて命からがら脱出し、インドに亡命するまでの若き日のダライラマを描いた、米国の世界的映画監督マーティン・スコセッシによる作品。この映画は、東京の恵比寿でロードショー公開された際にみた。
 Trailer(英語版)はこちら

『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(Seven Years in Tibet 1997)
・・第二次大戦中、英国領インドで逮捕され脱走してラサに入った、ドイツの世界的登山家ハインリヒ・ハーラーと少年ダライラマとの友情を描いた原作の映画化。主演はブラピ(=ブラッド・ピット)、ロケは南米。この映画は、出張先のシドニーでみた。
 Trailer(英語版)はこちら

 1989年のノーベル賞受賞後、さらに1997年に公開されたこの2本の映画で、ダライラマは世界的なスーパースターの地位を確固たるものとしたのである。



<ブログ内関連記事>

チベット・スピリチュアル・フェスティバル 2009

アッシジのフランチェスコ (5) フランチェスコとミラレパ
・・チベット仏教カギュ派のミラレパ

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)

「チベット蜂起」 から 52年目にあたる本日(2011年3月10日)、ダライラマは政治代表から引退を表明。この意味について考えてみる

「チベット・フェスティバル・トウキョウ 2013」(大本山 護国寺)にいってきた(2013年5月4日)

チベット・スピリチュアル・フェスティバル 2009
・・ 「チベット密教僧による「チャム」牛と鹿の舞」と題して、YouTube にビデオ映像をアップしてある。ご覧あれ http://www.youtube.com/watch?v=jGr4KCv7sAA

「無計画の計画」?
・・量子力学的世界観と仏教

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・真言密教的世界観における因果と偶然による縁起

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」

書評 『知的唯仏論-マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う-』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)-内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談

(2014年8月20日 情報追加)




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2010年6月25日金曜日

サッカー日本代表チーム、3-1 でデンマークに快勝!!決勝トーナメント出場へ!!


       
 ついに正夢に! けさ眼が覚めたら、予想通り 3-1 でデンマークに勝利。
 バンザイ!バンザイ!バンザイ! この場を借りてバンザイ三唱。

 「果報は寝て待て」とはまさにこの通り。きょうあすと、けっこう用事が詰まっているので、日本時間午前3時からの中継を見るのはつらいものがあったので、申し訳ないが寝ることにした。
 「私が見ないから負けるということはさすがにないだろう」と思って早めに寝たのであるがこれは正解であった。

 朝6時のニュースを見る限りでは、日本代表チームがここまで攻撃的サッカーができるように進化したことは本当に驚きだ。
 とくに24歳の寅年男・本田の活躍は素晴らしかった。豪快なフリーキックの映像は、今後も長く繰り返し放送されてゆきうことだろう。「ビッグマウス」などと揶揄されてもいたが、「有言実行」の日本人は、新しい時代を切り開いてゆくことだろう。

 ありがとう。感謝。感謝。感謝。

 「やればできる」ということを示してくれたゲームだった。
 決勝トーナメントの対戦相手はパラグアイだが、もしかしたら・・・



   

                

2010年6月24日木曜日

シビリアン・コントロールということ-オバマ大統領が政権批判したアフガン駐留の現地司令官を解任


           
 オバマ大統領が6月23日に、公然と政権批判を行ったマクリスタル米陸軍大将をアフガン駐留司令官から解任した。これはいわゆるシビリアン・コントロール原則からいって、正しい行為であるといってよい。

 ではシビリアン・コントロールとは何か?

 シビリアン・コントロール(Civilian Control)とは、日本語では「文民統制」と訳しているが、文民(シビリアン)の政治家が、軍隊を統制するという基本方針であり、原則的に政治が軍事に優先することを意味している。

 米国ではこれは建国以来の基本原則であり、かつて朝鮮戦争において原爆使用を主張したマッカーサー元帥を解任したトルーマン大統領が歴史的に有名である。彼は The Buck Stops Here. という表現を座右の銘としていた。日本語でいえば、「最終責任はここにある」という意味だが、つい先日オバマ大統領自身も The Buck Stops with me. という発言を、メキシコ湾の海底原油流出問題で発言していた。

 今回のオバマ大統領によるマクリスタル将軍のアフガン駐留司令官解任については、さまざまなコメントもなされているが、基本的にはメディアを使用しての大統領批判は座視できなかったということだろう。このケースにおいては、任命権をもつ大統領がシビリアン・コントロール原則に基づいて人事権を行使したわけであり、けっして間違った行為ではない。しかし、任命権者としての信頼性がゆらぐことも否定はできないだろう。


 日本の内地にいるとシビリアンというコトバの語感は必ずしも明確なものではないが、沖縄ではシビリアンというコトバが日常に使用されているので驚いた経験がある。

 いまから20数年前の経験であるが、東京で「沖縄の二世経営者セミナー」のスタッフとして手伝ったことがあり、セミナーだけでなく視察旅行まで同行した経験があるのだが、その際に沖縄の経営者の方から「われわれシビリアンは・・・」という表現がでてきたのには少々驚いたものであった。ミリタリー(軍人)に対してのシビリアン(民間人)という意味である。

 ちょうど、豊田商事事件が発生したときで、テレビで殺人のナマ中継をしていたのであった。


 日本も戦前は基本的にシビリアン・コントロールであったはずだが、例の「統帥権干犯問題」が発生し、現役の陸海軍の軍人が大臣になるという形で原則が崩れてズルズルとなり、最終的には政治が軍事をコントロールできなくなってしまうという苦い経験を体験している。

 明治の元勲の時代は、軍人出身者が政治家としても大きな力量をもち、大局的な見地から国家利益の追求を行ったのであったが・・・


 また、先年には防衛庁(当時)の某次官がシビリアンコントロールの名のもとに専横をふるっていたことも記憶に新しいが、シビリアンコントロールの意味をはき違えた、とんでもない官僚であった。

 シビリアンコントロールとは、先にも書いたように、あくまでも政治が軍事に優先するという原則のことであって、官僚機構内部で文民官僚(文官)が軍事官僚(武官:いわゆる制服組)に優先するという意味ではない


 米国によるアフガン出兵の是非はさておき、シビリアンコントロールの意味はいまいちど正確に理解しておきたいものである。

 これとともに、現場の状況を熟知した現地部隊のコントロールも、実に難しいものがあることを語っている。机上の作戦計画と、現場の指揮官の行動には、どうしても齟齬(そご)が生じがちである。

 ついでだが、資格としての陸軍大将と、役職としてのアフガン駐留現地司令官は別に捉えなければならない。今回の解任とは、役職の解任であって、陸軍大将としての資格には変更はない。とはいえ、おそらく今回の件によって退役となることだろう。

 最終責任者であるトップの役割とは何か、考えるためのケーススタディとしたいものである。



P.S. (追記 2010年7月2日、7月14日)

 マクリスタル大将更迭の真相については、下記の記事を参照。

 極めて異例 クビになった「暴走司令官」マクリスタル駐アフガン米司令官解任の真相(菅原 出) http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100628/215169/?P=1
 不用意な発言をメディアに掲載されてしまった、フリージャーナリストに対する「脇の甘さ」が裏目にでたようだが、政権批判発言が許容されるはずのないことはいうまでもない。

 田中宇の「アフガン撤退に向かうNATO」に、マクリスタル将軍のプロファイリングがなされているので参照。政治的交渉を嫌うカウボーイ型軍人像が浮かび上がっている。http://tanakanews.com/100712afghan.htm (2010年7月14日 付記)






<関連サイト>

Stanley McChrystal: The military case for sharing knowledge TED2014 · 6:44 · Filmed Mar 2014
・・マクリスタル退役陸軍大将によるTEDトーク。軍事情報にかんする「文化」を、秘密主義から情報共有へと変化させたのはアフガニスタンでの非正規戦の経験からであった。だが、それがスノーデンによる秘密漏洩事件を招くことになるのだが・・・。軍人らしいストイックで率直な物言いが好感をもてるトーク。
When General Stanley McChrystal started fighting al Qaeda in 2003, information and secrets were the lifeblood of his operations. But as the unconventional battle waged on, he began to think that the culture of keeping important information classified was misguided and actually counterproductive. In a short but powerful talk McChrystal makes the case for actively sharing knowledge.


<ブログ内関連記事>

書評 『グローバル・ジハード』(松本光弘、講談社、2008)-対テロリズム実務参考書であり、「ネットワーク組織論」としても読み応えあり
・・ネットワーク組織としてのアルカーイダ

映画 『ローン・サバイバー』(2013年、アメリカ)を初日にみてきた(2014年3月21日)-戦争映画の歴史に、またあらたな名作が加わった
・・アフガニスタンにおける非正規戦

「沖縄復帰」から40年-『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一、集英社、2008)を読むべし!






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2010年6月22日火曜日

Two in One, Three in One ・・・ All in One ! -英語本は耳で聴くのが一石二鳥の勉強法


 「一粒で二度美味しい」というのは、手をあげて走る人のロゴマークで有名なグリコのキャラメルのキャッチコピーだが、一度に二つ(Two in One)、三つ(Three in One)、あるいはすべてを同時にやってしまう(All in One)のが、実は効率が良いだけでなく、効果的な方法論でもある。


「ながら」は悪いの?

 私が中学生の頃は、ラジオを聴きながら勉強していると親からよく「ながら」はやめろといわれたものだ。「ながら」とは、「何々しながら」の略だが、たしかに日本語の音声を聴きながらでは集中力が落ちるのは否定できない。どうしても面倒くさい勉強より、ラジオでしゃべっている DJ のトークのほうに注意がいってしまうためだ。

 私はいま英語の音声を流しながら書いているが、これはリズムつくりの上で非常によい。ビジネス情報専門のBloomberg TV がウェブサイト上で無料で放送しているので(・・無料だと画像の質が悪いが、音声は問題ない)、画面を見ないで音声だけ聴いている。いや聞いているというべきか。 英単語は断片的に耳に飛び込んでくるが、集中して聴かないと内容までは理解できない。まあ、これは日本語でも同じことだろう。

 むかしコンサルティングファーム勤務時代にやっていたのは、残業中にヘッドフォンで音楽を聴きながら、キーボードに向かって文章を書いていたことだ。
 これはきわめて効率的である。まわりの人間の雑音をいっさいシャットアウトし、音楽のリズムにあわせてそれこそリズミカルに両手の指が動くからだ。

 幼名を厩戸豊聡耳皇子(うまやどとよとみみおうじ)といった聖徳太子ではないので、すべての音声を同時に処理することは人間には不可能だろう。一説によれば、聖徳太子は10人が同時にしゃべる音声を理解できたのではなく、当時の国際情勢のなかで渡来人も多い環境のなかで、いろんなコトバを聞き分けていたということらしい。


行き帰りの通勤電車のなかで英語本の朗読テープを聞く

 音声にかんしては、会社にはいってからだが、こういうことをやっていた。英語の勉強のために、行き帰りの通勤電車のなかで英語のテープを聞いていたのである。これは、米国留学に出発した27歳より前のことである。

 むかし流行していた教材に「ヒアリング・マラソン」というのがあって、電車のつり革広告でいつもお目にかかっていた。オーソン・ウェルズが朗読するシドニー・シェルダンの小説をひたすら聞くという教材で、たしか『家出のドリッピー』とかいう小説だったと思うが、私はまったく聞いたことがないのでわからない。

 私がやっていたのは、米国のビジネス書を朗読したテープを、行き帰りの通勤電車のなかでヘッドフォンステレオ(≒ウォークマン)で聴くということだった。その当時の英語力では一回聴いただけではもちろん理解はできなかったが、「読書百遍、意自ずから通ず」ではないが、英語音声も何度も繰り返し聴いているとわかってくるのが面白い。
 こうやって聴いたテープでいまでも覚えているのは、「リー・アイアコッカ自伝」(・・クライスラーを再建したCEO)、「ドナルド・トランプ自伝」(・・不動産王、現在も復活して活躍)などなど。何度も耳で聴いた内容は、思った以上に血となり肉となっている(?)のである。

 米国ではいまでもカセットテープ版があるのは(・・現在は CD や iPod 向けもある)、自分でクルマを運転しながらこうしたテープを聞く人が多いからだ。目で読むことができないので、耳を使う。時間節約術としても、効果も点でも耳で聴くのは理に適っている。


通勤電車のなかで英語版新約聖書の朗読テープを聴く

 音声を使った勉強法で、私がやってみた最大のものは、通勤電車のなかで英語版新約聖書(New Testament)のテープを聴いていたことだろう。①新約聖書、②英語リスニング、③通勤時間活用、の3つの要素を一体化してしまうという方法である。

 大学時代、「新約聖書時代のユダヤ史」という授業をとったことがある。英語の文献を読みながら、イエスが生まれる前のユダヤ史を勉強するというもので、私はキリスト教徒ではないが知的関心から参加したのである。
 授業内容はさておき、教授がいっていたコトバで記憶に残ったのは、「国際ビジネスマンを目指しているのであれば、常識として聖書ぐらい読みなさい」というものだった。文語訳の旧新約聖書はもっていたが、当然のことながらほとんど読まないままビジネスマンになってしまったのである。

 勤務先が当時は大手町だったので、ときどき日本橋の丸善本店にいっては洋書売場にいっていたのであるが、あるとき見つけたのが英語版の新約聖書を朗読したカセットテープのセットだった。いくらしたのか忘れてしまったが、そんなに安くはなかったような気がするが、とにかく買ってしまった。
 New King James Version だったと記憶しているが、格調高い King James Version(欽定訳聖書)をより現代風に改訂したものだろう、これを最初から最後まで全部聴いたのである。
 気になるものは何度も繰り返し聴き、信者でない私にはまったく関心のないものは一回聴いたらそれで終わり、というやり方でとにかく全部聴き通した。
 「福音書」や「黙示録」といった面白い内容のものは何度も聴いたものである。おかげで、福音書のなかのさまざな登場人物のセリフが耳に残っている。イエスを主人公にしたハリウッド映画にもでてくるものだが、画像なしに耳で音声だけを聴いていると、なぜか非常に強い印象として訴えるものがあるのだ。

 Crucify him ! Crucify him !(その男を磔にせよ!)
 You will deny me three times until dawn.(夜明けまでにあなたは私を3回否認するだろう)
 
 こういったセリフは20年以上たっても記憶に新しい。
 視覚記憶よりも聴覚記憶のほうが、より人間の内面に訴えるものが強いのだろうか。

 というわけで、この通勤電車のなかで新約聖書の英語版のテープを聴く勉強法は、ぜひおすすめしたい。

 このほかにも、チベット仏教徒としても著名なハリウッド俳優のリチャード・ギアが朗読した、『チベット死者の書』(Tibetan Book of Death)や、『英訳 孫子の兵法』(The Art of War)など、いい教材がたくさんある。
 聖書は西洋文明の基礎教養だが、東洋の教養である「孫子の兵法」も、米国のビジネスパーソンのあいだでは比較的よく知られていることも付け加えておこう。たとえば、To win without fighting is best. などという表現がでたら、それはいうまでもなく「戦わずして勝つ」の意味である。


視覚だけでなく聴覚の活用も

 耳で聴くのは目が疲れないだけでなく、視覚情報とは異なる聴覚情報という特性がある。五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)をうまく活かした勉強法があるということは知っておいたほうがいいのではないか?
 現代人は視覚情報に80%以上を依存しているというデータもある。視覚以外の五感がフルに活用されているだろうか。

 一つの目的に一つの方法だけでなく、複数の目的達成を一気にやってしまうと、効率的だけでなく効果的なのである。相乗効果といっていいかもしれない。

 これが Two In One(ツーインワン)、Three in One(スリーインワン) あるいは All in One(オールインワン)という時間活用法である。




<ブログ内関連記事>

The Greatest Salesman In the World (『地上最強の商人』) -英語の原書をさがしてよむとアタマを使った節約になる!

いまあらためて「T型人間」、「Π(パイ)型人間」のすすめ-浅く幅広い知識に支えられた「専門プラスワン」という生き方で複眼的な視点をもつ

書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)

"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと 

(2014年8月17日 情報追加)




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2010年6月21日月曜日

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは


                 
 「ハーバード白熱教室」という番組が、NHK ETV(教育テレビ)で放送されていた。放送されていたと過去形いうのは、昨日(2010年6月20日)の第12回が最終回だったからだ。

 こんな中身の濃い授業があると知ったのは、実はつい最近のことだ。『これからの「正義」の話をしよう-いまを生き延びるための哲学-』(マイケル・サンデル、鬼澤忍訳、早川書房、2010)という本がベストセラーになっているらしいとネット書店で知ったからだ。この本は、内容紹介文によれば、「ハーバード白熱教室」の授業内容を書籍化したものを日本語訳したものらしい。

 だから、TVで授業内容を見たのは昨日が最初で最後、もっと早く知っておきたかったというのが本当の気持ちだ。ハーバード大学ではもっとも人気のある授業だという。

 NHK ETV で連続放送していた「ハーバード白熱教室」(Justice with Michael Sandel)であるが、第12回(最終回)のテーマは、「善き生を追求する: Lecture23 同性結婚を議論する、Lecture 24 正義へのアプローチ」の2コマ。かなり刺激的なテーマである。

 「正義」(justice)というと法哲学そのものずばりのテーマのようだが、そういった狭い捉え方をしてないのがこの授業の特徴だ。それは、扱ったテーマを一覧してみるとよくわかる。

第1回 「殺人に正義はあるか」
 Lecture 1 犠牲になる命を選べるか
 Lecture 2 サバイバルのための殺人
第2回 「命に値段をつけられるのか」
 Lecture 3 ある企業のあやまち
 Lecture 4 高級な「喜び」 低級な「喜び」
第3回 「「富」は誰のもの?」
 Lecture 5 課税に「正義」はあるか
 Lecture 6 「私」を所有しているのは誰?
第4回 「この土地は誰のもの?」
 Lecture 7 土地略奪に正義はあるか
 Lecture 8 社会に入る「同意」
第5回 「お金で買えるもの 買えないもの」
 Lecture 9 兵士は金で雇えるか
 Lecture 10 母性売り出し中
第6回 「動機と結果 どちらが大切?」
 Lecture 11 自分の動機に注意
 Lecture 12 道徳性の最高原理
第7回 「嘘をつかない練習」
 Lecture 13 「嘘」の教訓
 Lecture 14 契約は契約だ
第8回 「能力主義に正義はない?」
 Lecture 15 勝者に課せられるもの
 Lecture 16 私の報酬を決めるのは・・・
第9回 「入学資格を議論する」
 Lecture 17 私がなぜ不合格?
 Lecture 18 最高のフルートは誰の手に
第10回 「アリストテレスは死んでいない」
 Lecture 19 ゴルフの目的は歩くこと?
 Lecture 20 奴隷制に正義あり?
第11回 「愛国心と正義 どちらが大切?」
 Lecture 21 善と善が衝突する時
 Lecture 22 愛国心のジレンマ
第12回 「善き生を追求する」
 Lecture 23 同性結婚を議論する
 Lecture 24 正義へのアプローチ


 私が昨日みた最終回の放送では、受講する学生に発言させて、教授自身がうまくクラスでの討議を活発にさせるファシリテーター役を果たしながら、議論を収束させていく授業手法をとっており、お見事としかいいようがない。

 私も、米国でM.B.A.を取得した人間だが、M.B.A.の授業で多用されるケースメソッド(事例研究)も、基本的にはこれと同様の手法で行われる授業形態である。

 一方的なレクチャーではないのは、知識を伝授することが目的ではなく、学生に考えさせることが目的であるからだ。学生に自ら考えさせるためには、学生に問題を投げかけ、彼ら自身に発言させ、対論をださせ、活発な議論をさせる必要がある。

 もっとも重要なことは、議論の流れをうまく誘導しながら、何が論点なのか、どこに着目しなければならないかを整理しながら学生自身に納得させることだ。

 しかし、これがもっとも難しく、高度なテクニックと熟練を要するのである。

 
 「ハーバード白熱授業」の場合は、私がみた最終回だけについて話をするが、あらかじめ授業の前に議論の口火を切る役目を二人の学生にさせてから、その後は教授が質問を投げかけ、学生が発言して、さらに反論もさせ、問題点を整理しながら、最後はレクチャーで締めるという形であった。

 それにしても強く印象づけられるのは、現在の米国がいかに「多元的な価値観」のなかに生きている世界であることか、ということだ。

 学生たちも自分の意見を述べる際に、たとえばキリスト教徒でカトリックであるという立場を明言しているケースがあり、キリスト教徒であることは米国社会ではすでに自明の理ではない。こういう点は日本とは大きく異なる状況であろう。


 宗教、道徳、倫理が交差する地平に、さらに法律における判断(justice)が行われることになるのである。

 その意味では、日本語版タイトルが「正義」となっているものの、Justice というコトバの多義的な意味を考慮に入れると、ただ単に「正義」というだけでなく、正義、公正、公平、公明正大、正当、司法、裁判を含めたジャスティスとしたほうが良かったかもしれない。


 いずれにせよ、このような「自分のアタマでものを考えさせるための授業」を受講することのできるハーバード大学の学生は実に恵まれているし、こういう授業を若いうちに受けることができるのは、その後の人生において計り知れない大きな意味をもつはずである。



PS 読みやすくするために改行を増やした。内容には手は入れていない(2014年7月8日 記す)。


<関連サイト>

Harvard University's Justice with Michael Sandel (英語オリジナル版)
 http://www.justiceharvard.org/
・・無料で授業の動画すべてが公開されている!ただし当然のことながら英語(字幕なし)。

その他、「ハーバード白熱教室」で YouTube に動画が投稿されているので参照されたい。





PS サンデル教授の対話術について(2013年9月8日)

『サンデル教授の対話術』(マイケル・サンデル、小林正弥、NHK出版、2011)が、サンデル教授の思想であるコミュニタリアニズムと授業における「対話術」そのものについてのよい解説書となっている。

同書によれば原型は博士号を取得したオックスフォード大学におkえる少人数の対話型授業であるチュトリアルにあるようだ。これを1,000人近い大教室でリベラルアーツの授業として実施していることにサンデル教授の独自性がある。チュトリアルは日本の大学の少人数ゼミナールに近い。

サンデル教授の政治哲学はアリストテレス的でありながら、対話術がまさにソクラテス産婆術以来の哲学的スタイルであることが確認されている。

ぜひ一読することをすすめたい。






<ブログ内関連記事>

対話(=ダイアローグ)の本質

書評 『対話の哲学-ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜-』(村岡晋一、講談社選書メチエ、2008)-生きることの意味を明らかにする、常識に基づく「対話の哲学」


「NHK白熱教室」関連(ハーバード大学とその他の名門大学)

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは

「ハーバード リーダーシップ白熱教室」 (NHK・Eテレ)でリーダーシップの真髄に開眼せよ!-ケネディースクール(行政大学院)のハイフェッツ教授の真剣授業

NHK・Eテレ 「スタンフォード白熱教室」(ティナ・シーリグ教授) 第8回放送(最終回)-最終課題のプレゼンテーションと全体のまとめ

コロンビア大学ビジネススクールの心理学者シーナ・アイエンガー教授の「白熱教室」(NHK・Eテレ)が始まりました

「バークレー白熱教室」が面白い!-UCバークレーの物理学者による高校生にもわかるリベラルアーツ教育としてのエネルギー問題入門

慶応大学ビジネススクール 高木晴夫教授の「白熱教室」(NHK・ETV)

ビジネスパーソンにもぜひ視聴することをすすめたい、国際基督教大学(ICU)毛利勝彦教授の「白熱教室JAPAN」(NHK・ETV)






ハーバード大学関連

ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992
・・「教師の役割は、ソクラテスの産婆術に擬して語られることも多く、ケースメソッドは別名 Socratic method ともいわる。 この教育メソッドのキモは、ビジネスでは唯一の解答というものはありえない、ということを学生に体得させることにある」 記事ではプロフェッショナルスクール(専門大学院)の一つである「神学大学院」について、ビジネススクールとの対比で書いている

書評 『ハーバードの「世界を動かす授業」-ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方-』(リチャード・ヴィートー / 仲條亮子=共著、 徳間書店、2010)
・・ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)における、国際ビジネスをめぐる政治経済についてのディスカッション用ケーススタディ

映画 『ソーシャル・ネットワーク』 を日本公開初日(2011年1月15日)の初回に見てきた
・・ハーバード大学の学部の寮生活から生まれたフェイスブック


英国のオックスブリッジ関連

「オックスフォード白熱教室」 (NHK・Eテレ)が面白い!-楽しみながら公開講座で数学を学んでみよう

日本語の本で知る英国の名門大学 "オックス・ブリッジ" (Ox-bridge)

書評 『イギリスの大学・ニッポンの大学-カレッジ、チュートリアル、エリート教育-(グローバル化時代の大学論 ②)』(苅谷剛彦、中公新書ラクレ、2012)-東大の "ベストティーチャー" がオックスフォード大学で体験し、思考した大学改革のゆくえ

(2013年9月8日、2014年7月8日 情報追加)





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2010年6月20日日曜日

前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.6 (2010年6月20日)





「前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.6」に行ってきた。
 会場はいつもと同じく、六本木のアークヒルズにおのサントリーホール。「アフターヌーン・コンサート」は毎年催されているのだが、私にとって今回で3回目となった。ウィークデーの夜ではなく、ウィークエンドの午後のコンサートは、とくにビジンスマンにとっては、疲れが比較的少ない状況での開催なので非常に助かるのである。


■プログラム内容

<前半>

J.S.バッハ:G線上のアリア
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 op.24「春」
J.S.バッハ:シャコンヌ(無伴奏パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004より)

<後半>

シマノフスキ:アレトゥーザの泉
ヴィエニャフスキ:モスクワの思い出
ストラヴィンスキー:ロシアの踊り(バレエ「ペトルーシュカ」より)
チャイコフスキー:感傷的なワルツ
マスネ:タイスの瞑想曲
クライスラー:ウィーン奇想曲op.2
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン

(ピアノ:イーゴリ・ウリヤシュ)


 とにかく、前半の最後の曲、バッハのシャコンヌが絶品であった。この曲は私は何度も何度もCDで聴き込んでいるが、なんといっても前橋汀子のものが入神の演奏である。20年ぶりにレコーディングするそうだが、これをナマ演奏で聴けたのは実に幸いである。

 また、後半の最後の曲ツィゴイネルワイゼンも素晴らしい。

 前橋汀子人は、アンコールで好きな曲を弾きまくる人だが、ブラームスのハンガリー舞曲を立て続けに弾きまくって、神がかり的というか、何かが憑依したような演奏スタイルが頂点に達したのであった。しかしそれでいて実に品格がある演奏。

 前橋汀子の正確な年齢は知らないが、すでに60歳台半ばは過ぎているはずだろう。しかし、とてもそうとは思えない。まさに心技体の三拍子がそろって、現在なお技術の向上に加えて円熟味を増している、日本が誇るアーチストである。女王様のような、凛としたステージマナーもまた実に魅力的である。

 演奏からは少し離れるが、パンフレットのプロフィールに書いてあったことで少し感想があるので記しておく。それは、レニングラード音楽院(・・現在のロシアのサンクトペテルブルク)における前橋汀子が受けた教育についてである。

 それによれば、演奏実技のテクニックだけでなく、音楽にかんする幅広い教養教育を受けたということについてである。表現力の深みと濃さは、こういった教育と自己研鑽、人生体験などがあいまってできあがってきたものなのだろう。

 単なるテクニックではない、人間性そのものが表現されているのである。

 また来年のコンサートが楽しみだ。



<ブログ内関連記事>

「前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.9」(2013年7月14日)にいってきた-前橋汀子は日本音楽界の至宝である!

前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.5 (ピアノ:イーゴリ・ウリヤシュ)

師走の風物詩 「第九」を聴きに行ってきた・・・つれづれに欧州連合(EU)について考える
・・同じくサントリーホールのダイホールで行われるオーケストラ演奏会。価格設定の参考として。

(2014年2月13日 情報追加)

          


           

2010年6月19日土曜日

書評 『オランダ風説書-「鎖国」日本に語られた「世界」-』(松方冬子、中公新書、2010)-本書の隠れたテーマは17世紀から19世紀までの「東南アジア」




 情報と貿易を軸にした関係であった江戸時代の日蘭関係。

 日本とオランダという、現在でも実利優先のプラクティカルな傾向の強い二国民の関係を「オランダ風説書」の解読成果をもとに、時系列で通観した本書は実に面白い。

 本書の特徴は、海外商品と海外情報を必要とした日本側(=江戸幕府)だけでなく、商品の販売先としての日本市場を独占するために情報を徹底的に活用したオランダ側(=オランダ東印度会社、のちにオランダ東インド政庁)の状況を十二分に押さえたうえの、実に読みやすく、実に興味深い内容の日蘭関係史となっている。

 戦国時代を生き抜いて成立した江戸幕府は、現在の東南アジア海域を舞台にした欧州勢力の動きをつねにモニターしていた。

 武力ではとうてい欧州勢力に対抗し得ないことを熟知していたために実行した「鎖国」なわけだが、「戦わずして勝つ」ために海外情報を必要としていたのである。

 この点はもっと知られてよいことだ。しかも、様々なソースからの海外情報を付き合わせて、クロスチェックも行っていたようだ。

 江戸時代の日本は、朝鮮との「対馬口」、琉球との「薩摩口」、アイヌとの「松前口」、それにオランダ、シャム、清との窓口であった「長崎口」の「四つの口」による「管理貿易」体制が実態であった。だから「鎖国」とあくまでもカッコ書きとなる。そのなかでも、長崎だけは江戸幕府が直接管理していたのは、九州の諸大名のチカラを恐れていたからであり、西洋との窓口を一本化するためであった。

 当時のオランダは、世界最古の株式会社といわれる「東インド会社」の拠点をバタフィア(・・現在のインドネシアの首都ジャカルタ)に構えていた。17世紀はオランダの黄金期であり、欧州における貿易と情報流通の中心地であったが、最盛期は意外と短く、覇権は英国に奪われる。

 アジアが天下泰平を楽しんでいた間には欧州は激動期に入り、19世紀初頭には欧州の激動によりついにオランダは一時的に欧州の地図から消える。

 欧州によるアジアの植民地化が本格的に進行するなか、ついに米国主導により日本は「開国」、以後グローバル政治経済の波に再び飲み込まれた日本にとって、オランダ情報の価値は激減し、ついに「オランダ風説書」は廃止される。そして日本は明治維新を迎えることになる。

 日本とオランダの関係だけでなく、本書の隠れた主題である17世紀から19世紀までの「東南アジア」について関心をもつ人にも、ぜひ一読をすすめたい。


(国立歴史民俗博物館の常設展示より江戸時代の日蘭関係)


<初出情報>

■bk1書評「日本とオランダの関係だけでなく、本書の隠れた主題である17世紀から19世紀までの「東南アジア」について関心をもつ人にも、ぜひ一読をすすめたい」投稿掲載(2010年6月7日)
■amazon書評「本書の隠れた主題である17世紀から19世紀までの「東南アジア」について関心をもつ人にも、ぜひ一読をすすめたい」投稿掲載(2010年6月7日)





<書評への付記>

 いよいよ本日、FIFAワールドカップサッカー「日本 vs. オランダ戦」。欧州のスポーツ大国オランダは、もちろんサッカーでも強豪。

 日本とオランダの関係は、江戸時代の良好(?)な関係だけではない。大東亜戦争において、日本が蘭領インドネシアを軍事占領し、日本の敗戦後も「インドネシア独立」に日本人が多数関与したことが、長く尾を引いていたことは記憶しておくべき。

 また、南アフリカの白人には、オランダ系のブール人(ボーア人)が多い。

 とはいえサッカーはサッカー、ピッチでは実力がモロにでる。結果は・・・


P.S.
オランダ戦での敗戦。私の予想は3-1でオランダの勝利だったが、1-0で終わった。どうも、オランダは本気出さずに、体力消耗を避けていたように思われた。日本も攻めの姿勢は最後まであったのだが・・・posted at 22:54:04(twitter)


<関連サイト>

日蘭交流の歴史 (オランダ大使館・オランダ総領事館) (日本語)
・・400年に及ぶ二国間関係の歴史が詳細に記されている

江戸時代の日蘭交流 (国立国会図書館 電子展示館 2009年)
・・「第1部 歴史をたどる」「第2部 トピックで見る」 国会図書館の豊富な蔵書をもとにした電子展示館

(2016年2月24日 項目新設)


<ブログ内関連情報>

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③

書評 『ニシンが築いた国オランダ-海の技術史を読む-』(田口一夫、成山堂書店、2002)-風土と技術の観点から「海洋国家オランダ」成立のメカニズムを探求

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった
・・フェルメールとスピノザをつなぐものは光学レンズであった

政治学者カール・シュミットが書いた 『陸と海と』 は日本の運命を考える上でも必読書だ!
・・オランダのプロテスタント漁民による捕鯨業進出の話が触れられている

書評 『チューリップ・バブル-人間を狂わせた花の物語』(マイク・ダッシュ、明石三世訳、文春文庫、2000)-バブルは過ぎ去った過去の物語ではない!
・・17世紀オランダの「バブル経済」

書評 『植物工場ビジネス-低コスト型なら個人でもできる-』(池田英男、日本経済新聞出版社、2010)
・・・オランダの先進植物工場モデル。

書評 『中国市場で成功する人材マネジメント-広汽ホンダとカネボウ化粧品中国に学ぶ -』(町田秀樹、ダイヤモンド社、2010)
・・・グローバルビジネスの原型である「オランダ東インド会社」についての記述あり

書評 『「海洋国家」日本の戦後史』(宮城大蔵、ちくま新書、2008)-「海洋国家」日本の復活をインドネシア中心に描いた戦後日本現代史

書評 『帰還せず-残留日本兵 60年目の証言-』(青沼陽一郎、新潮文庫、2009)
・・・オランダからの「インドネシア独立」に関与した日本人たち

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

(2014年1月18日 情報大幅追加)




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2010年6月18日金曜日

書評 『日本は、サッカーの国になれたか。電通の格闘。』(濱口博行、朝日新聞出版、2010)




世界のサッカー・ビジネスを支えてきた電通の当事者による人物中心の回想録

 日本の、そして世界のサッカー・ビジネスを支えてきた電通の当事者が回想し、今後の展望を語る裏面史。本書のタイトル自体が、いかにも電通らしいコピーになっている。

 FIFAワールドカップに代表されるサッカービジネスは、ベースボールとは違って、サッカーが世界中で親しまれているスポーツであるだけに、スポーツビジネスのなかでは別格の存在であり、オリンピックと並んできわめつけに注目度の高いイベントである。
 世界的なイベントをプロデュースし、広告代理店業を越えた権利ビジネスとしての側面も強いコンテンツビジネスをマネージする電通は、まさにサッカー・ビジネスの誕生期から現在に至るまでの、バックヤードのメイン・プレイヤーであるといえるだろう。
 こうしたサッカー・ビジネス形成史の生き証人である著者による本書は、関わった人たちを実名で紹介する回想を記すことによって、ビジネスマンたちやサッカー関係者が、日本のサッカーを国際水準にするために、いかに奔走してきたかを当事者感覚で知ることができる。
 『W杯に群がる男たち-巨大サッカービジネスの闇-』(田崎健太、新潮文庫、2010)とあわせて読むと、サッカービジネスの舞台裏をよりよく知ることができるだろう。

 また、ビジネスマンの仕事というものがどういうものかを伝えてくれる本として、広く若い人にも読むことを薦めたい。
 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」、グローバルビジネスにおいては現状維持は衰亡への道であり、リスクを取らなければ未来はないということも。






<初出情報>

■amazon書評「世界のサッカー・ビジネスを支えてきた電通の当事者による人物中心の回想録」投稿掲載(2010年6月17日)
■bk1書評「世界のサッカー・ビジネスを支えてきた電通の当事者による人物中心の回想録」投稿掲載(2010年6月17日)

*再録にあたって、文章に手を入れた。


<ブログ内参考記事>

書評 『W杯に群がる男たち-巨大サッカービジネスの闇-』(田崎健太、(新潮文庫、2010 単行本初版 2006)





              

2010年6月16日水曜日

Eat Your Own Dog Food 「自分のドッグフードを食え」


               
 "Eat Your Own Dog Food" という表現が英語にあることを先日はじめて知った。直訳すると、「自分のドッグフードを食え」となる。かなりエグイ表現だな。

 ところで、高校で学ぶはずだが、よく知られた英語の表現に Mind Your Own Business. というものがある。「自分の頭のハエを追え」という日本語の表現とはほぼ同じコノテーションである。「自分のビジネスのことを考えろ」、つまり「あんたの知ったことじゃない」という意味

 坂下昇という、『白鯨』で有名な作家ハーマン・メルヴィルの研究者で翻訳家が、かつて敗戦後しばらくたった頃にビジネスマンとしてニューヨークに滞在していた人が、米国南部でこういう表現を聞いたということを紹介している。高校時代に愛読していた『アメリカニズム-言葉と気質-』(岩波新書、1979)にでているはずである。ここでいうアメリカニズムとは、アメリカ英語らしい表現のこと。著者のデビュー作だが、すでに亡くなってから久しい。

 前置きがながくなったが、米国南部の表現とは、こういうものだ。

 Mind your Own Funeral.

 funeral とは葬式のことだ。これまた極めつけにエグい。意味は同じく「自分の頭のハエを追え」=「あんたの知ったことじゃない」。


 さて、"Eat Your Own Dog Food" 「自分のドッグフードを食え」に戻ろう。

 これは、検索して調べてみたところ、米国のIT業界でよく使われるスラング的表現らしい。製品として市場で販売する前に、自社で使い勝手を試してみる、ということだそうだ。
 なるほど、たしかにIT業界では、自社を実験場としてテストしてからということが多い。また実際、ソフトウェアの場合、それができるのはIT業界の強みである。内部にいる社員は、次から次へと新製品を使いこなさないといけないので大変なようであるが・・・

 むかし米国に滞在しているとき、その当時はかなりの不況だったので、カネのない人間は、真面目な話、ドッグフードやキャッツフードを食べているという話を聞いたことがある。
 スーパーマーケットのコーナーの一角に、ペットフードのコーナーがあるので、カートを押しながらその前をとおるとき、いつもそんなことをよく考えていたものである。
 まあ、ペットフードは、栄養面にかんしてはまったく問題ないだろうが・・・

 私自身は、"Eat Your Own Dog Food" 「自分のドッグフードを食え」などといわれたことがないので、実際に食べたことはないが、ビジネス関係者の心構えとしては正しいといえるだろう。

 要は、「実証済みなのでご安心してご活用下さい」、ということになるのだから。「毒味済んでます」ということであるし。

 しかし、そうはいっても、エグイというか、えらくストレートな表現だなあ。



<ブログ内関連記事>

put yourself in their shoes  「相手の立場になって考える」

When Winter comes, can Spring be far behind ? (冬来たりなば春遠からじ)




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P.S. 写真とブログ内関連記事を追補した(2011年10月20日)



 
    

2010年6月15日火曜日

対カメルーン戦を振り返る-ニッポン初戦制す! バンザイ!!


             
 「ニッポン初戦制す! バンザイ!!」
 
 試合終了直後、このフレーズを Twitter に投稿してから寝た。昨日(6月14日)の日本時間23時に始まった試合は、翌日1時前には終了した。
 ワールドカップに日本代表チームが出場しているのに、寝るというわけにはいかないだろう。喜びも悔しさも、日本代表を応援するファンのみなさんと分かち合いたいではないか!!

 しかし、昨夜のカメルーン戦、前半は双方ともに今回の初戦というためであろう、ひたすら神経戦が続くような展開だった。日本の先制ゴールで1-0でリードしてから、試合の流れが一気に変わったのは、見ていてもたいへんうれしいものがあった。なんせサッカーにかんしては、カメルーンのほうが格上だから。
 岡田監督がワールドカップ開催前に漏らしていたことを思い出して、「念」を送った効果があったか? 電波ごしに「念」が伝わったどうかはわからないが(笑)。そもそも「念」というのは心的エネルギーだから波動そのものだな、世界各地で応援する「気持ち」としては伝わったはずだろう。

 先週、NHKスペシャルで、カメルーン代表のフォワード、サミュエル・エトオ(Samuel Eto'o)の特集を見た。流暢なフランス語をしゃべるエトオは、アフリカを背負う男、今回の FIFAワールドカップ南アフリカ大会のポスターにも彼の横顔が、グラフィク・デザインとして採用されているくらいの人だ。
 しかし、昨日はそのエトオがほとんどボールに触れる機会がなかったのが、日本勝利につながったのだろう。
 解説によれば、カメルーンは個人技のレベルは高いが、チームとしてのまとまりがあまりよくない。欧州のクラブチームで活躍しているカメルーン出身の選手は、ナショナル・チームとしては未成熟ということなのだろか。
 後半は、カメルーンの攻撃力が増してヒヤヒヤさせられるシーンが多かったが、なんとか切り抜けて初戦の勝利となったことは、素直に喜びたいものだ。


カメルーンと日本を統計数字で比較してみる

 今回のワールドカップで、アフリカをぐっと近くに感じることができるようになったが、こんな機会でもないと、カメルーンについて考えることもあまりない。
 前々回のワールドカップ(2002年)のとき、私は失業していたことを昨日思い出したが、その年は日本と韓国の同時開催であった。そのときカメルーンは中津江村で合宿したので、カメルーンの名は日本人にはけっして無縁のものではない。

 せっかくの機会なので、カメルーンを統計数字をもとに概観しておこう。今回、日本が属している予選E組はカメルーン以外は、オランダとデンマークという欧州の強豪だが、後者の二カ国については知らない人はまずいないだろう。

カメルーン統計数字(抜粋)

面積(㎢) 475,442 (日本:377,727)
人口(百万人) 16.6 (日本:128.2)

15歳以下人口(%) 41.8 (日本:13.9)
60歳以上人口(%)  5.4 (日本:26.4)
平均寿命(歳) 男性 50、女性 50.8(日本:男性 79.0、女性 86.1)
出生率(女性一人あたり) 3.8 (日本:1.3)

GDP(US$billion) 18.3 (日本:4,368 ≒ 500兆円)
GDP per capita(一人あたりGDP US$)1,100 (日本:34,080)

(Source: The Economist Pocket World in Figures 2009 Edition)


 サッカーの強い国は、サッカーが文化として定着している欧州と南米であるが、それに対してカメルーンも日本もサッカーは文化として発展途上といえようか。
しかし、カメルーンと日本の経済格差は、こうやって数字を並べてみると、あまりにも大きいことにあらためて驚かされる。
 このすうじからみれば、いかにカメルーンが頑張っているかが理解できる。

 それはさておき、せっかく初戦で勝利を収めたのだ、強豪オランダに勝つのはきわめて難しいだろうが、デンマークとは互角の勝負でぜひ勝利して、予選突破を願うばかりである。
 
 対オランダ戦は、6月19日(土)である。



<関連サイト>

NHKスペシャル FIFAワールドカップ 第3回「サミュエル・エトー アフリカを背負う男」

Wikipedia カメルーン






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2010年6月13日日曜日

惑星探査船 「はやぶさ」の帰還 Welcome Back, HAYABUSA !




 惑星探査船はやぶさが地球に帰還した。小惑星イトカワとの往復に7年をかけての帰還である。本体は大気圏突入に際して熱で溶解、耐熱性材料を使用したカプセルは無事に、オーストラリアの砂漠に落下したようだ。
 
 和歌山大学宇宙教育研究所による「はやぶさカプセルの帰還ライブ中継」が、日本でもここ最近話題になっている Ustream(ユーストリーム)を使っての中継が試みられたが、結局のところ、リアルタイムでの中継は、現地の回線の細さゆえ、あまりスムーズにはいかなかったようだ。私もパソコンで見ていたが、歓声があがった瞬間の音声はリアルタイムで流れたが、映像そのものは一瞬光が見えただけであった(写真)。

 「NHKクローズアップ現代」で先週放送された「傷だらけの帰還 探査機はやぶさの大航海」で、惑星探査船「はやぶさ」のストーリーが紹介されたが、やはりなんといっても、つくりものではないホンモノのストーリーには、人を感動させるチカラがある
 絶体絶命のピンチを何度もくぐり抜け、執念で地球に帰還させることに成功した科学者と技術者たちの物語、最近の日本では珍しいドラマチックな物語である。
 報道で何度も何度も繰り返し流されているので、あえてここには繰り返さないが、小惑星イトカワ着陸時の故障、一ヶ月半にわたる行方不明、エンジンの故障と復活、そして予定を3年オーバーしての7年目の帰還。まさにドラマではないか。
 三億キロ離れた小惑星との往復は世界初の快挙ということだが、それだけにとどまらないドラマに、人は興奮と感動を覚えるのである。「はやぶさ」は無人飛行船とはいえ、ハリウッド映画のアポロ宇宙船ものに、勝るとも劣らないものがある。

 一連の報道のなかでは触れられていないが、小惑星「イトカワ」も「はやぶさ」も、ともに糸川英夫博士(故人)にちなむものだ。日本の宇宙ロケット開発の父ともいうべき存在の糸川博士は、戦前はエンジニアとして陸軍の戦闘機「隼」(はやぶさ)を設計した人でもある。
 「絶対にあきらめない、不屈の精神」は、糸川博士を彷彿させるものがある。糸川(イトカワ)博士と隼(はやぶさ)については、このブログに記事を書いているのでご参照していただけると幸いである。

 今回のミッション成功に刺激を受けて、ぜひ若い人から宇宙科学を志す人が一人でもでてくることを願う者である。

 日本もまだまだ捨てたもんじゃない!
 日本国民として、素直に感動を共有したいものだ。






<関連サイト>

宇宙航空研究機構(JAXA:ジャクサ)の小惑星探査機はやぶさ
http://www.jspec.jaxa.jp/activity/hayabusa.html


<ブログ内参考記事>

映画 『加藤隼戦闘隊』(1944年)にみる現場リーダーとチームワーク、そして糸川英夫博士

映画 『はやぶさ / HAYABUSA』 を見てきた-この感動を多くの人たちと分かち合いたい!

(2016年2月16日 情報追加)




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2010年6月12日土曜日

書評 『W杯に群がる男たち-巨大サッカービジネスの闇-』(田崎健太、(新潮文庫、2010 単行本初版 2006)-全世界にまたがるサッカービジネスの舞台裏を描いたノンフィクション




欧州を中心に、全世界にまたがるサッカービジネスの舞台裏を描いたノンフィクション

 欧州を中心に全世界にまたがるサッカービジネスの舞台裏を、FIFA、UEFA、電通、アディダスといった組織や企業と、個性豊かなアクの強い登場人物たちとその人脈を中心にして描いたスポーツビジネス分野のノンフィクションである。

 南米大陸ブラジルのアベランジェが、なぜFIFA会長として、欧州中心のサッカー界でのし上がることができたのか。この問いに対する著者の探求から始まる本書は、欧州、南米、北米、アフリカ、アジアと、現在ではすべての大陸にまたがる巨大ビジネスと化したサッカー界が、いかなる構造となっているか、そのなかでプレイヤーとしての日本の存在がいかなるものであるのか、を知ることができる内容になっている。

 善戦してきたとはいえ力(ちから)及ばずというのが、偽らざる日本の姿であろうか。ピッチの上だけではなく、舞台裏でもそれは変わらなかったのである。

 私にとってもっとも興味深かったのは、この欧州中心のビジネスのなかに、なぜ、そしていかにして日本の電通が食い込み得たのかについて、その経緯を詳しく知ることができたことだ。

 登場人物たちが展開する権力闘争は、オリンピックもそうだが、限りなく密室政治に近い様相を示している。理事に選出され、インサイダーに成らない限り、情報を得ることができないという閉鎖的な世界。ビジネスにおけるポリティクスという観点からも面白いノンフィクションであった。

 2010年6月にはFIFAワールドカップ南アフリカ大会が始まるが、巨大ビジネスと化したサッカービジネスの行方については、ぜひ著者による続編を読んでみたい。


<初出情報>

■bk1書評「欧州を中心に、全世界にまたがるサッカービジネスの舞台裏を描いたノンフィクション」投稿掲載(2010年6月10日)
■amazon書評「欧州を中心に、全世界にまたがるサッカービジネスの舞台裏を描いたノンフィクション」投稿掲載(2010年6月10日)




PS FIFAの汚職構造についにメス

FIFA、"陽気な小悪党"が生んだ汚職の構造 なぜ14人の関係者が起訴されたのか (玉木正之:スポーツ評論家、東洋経済オンライン、2015年6月22日)
・・「サッカー界の総本山は、うわさどおりの伏魔殿だった。国際サッカー連盟(FIFA)のことである。事の発端は5月27日、米司法省が現職の副会長を含むFIFA関係者やマーケティング会社幹部など計14人を、贈収賄などの罪で起訴したことだ。同月29日の会長選で5選を果たしたゼップ・ブラッター会長は捜査対象に含まれていないが、6月2日に突如辞意を表明。その後も、捜査当局が関係先の家宅捜索に入るなど、事態は今も動いている。」

(2015年6月22日 項目新設)



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2010年6月11日金曜日

書評 『南アフリカの衝撃(日経プレミアシリーズ)』(平野克己、日本経済新聞出版社、2009)-グロ-バリゼーションの光と影




「南アフリカには世界がある」-グロ-バリゼーションの光と影-

 2010年6月に開催されるFIFAワールドカップ南アフリカ大会にあわせての出版であるが、アパルトへイト廃止後の南アフリカについて、新書版200ページで過不足なく解説した非常にすぐれた本である。

 私にとっては、マンデラ元大統領を主人公にした映画『インビクタス』を除けば、アパルトヘイト廃止後の南アフリカについて読んだ、初めての本となった。
 
 「南アフリカには世界がある」とは、著者の友人が語ったコトバであるそうだが、この表現がすべてを物語っているといえるだろう。

 アパルトヘイト時代の1980年代から、すでに新自由主義(ネオリベラリズム)の経済政策を実行してきた南アフリカは、アフリカ大陸の経済の中心であり、アパルトヘイト廃止後に経済制裁が解除されてから後は、グローバル世界の経済プレーヤーとしての位置を確保している。アフリカ大陸の製造業の中心でもある。また、物流の観点からいえば、アジアと南米のハブでもある。

 しかし、その反面、グローバリゼーションの負の側面も大いにもっている。殺人で年間2万人が殺害され、経済破綻国である隣国ジンバブエから低賃金労働者を移民を無制限に受け入れ、世界最大の所得格差国にもなっている。

 グローバリゼーションの光と影をともに体現しているのが、南アフリカなのである。

 本書は、JETROの駐在員として、アパルトヘイト時代もアパルトヘイト廃止後も南アフリカを観察してきた著者ならではの鋭く、かつ暖かいまなざしで描かれた南アフリカである。何よりも、ビジネスを中心とした経済についての記述が詳しく、日本とのかかわりの中心であるビジネスマンの存在に焦点をあてていることは本書の特色でもある。

 さらに政治や社会についても過不足のない解説がなされているのがありがたい。アパルトヘイトによる人種差別を否定し、基本的人権の保障という政治的理念が、経済的自由主義の根本にあるという指摘は貴重である。

 しかしながら、部族対立につながりやすい民族主義を中心に据えず、普遍的な基本的人権を重視したことから、産業社会の重要なモチベーターであるナショナリズムは不成立のままに今日にいたっている。
 
 ワールドカップを機会に南アフリカに興味を抱いた人にぜひすすめたい一冊である。本書を読むことで、アフリカが必ずしも遠い存在ではないという思いを抱くことになるだろう。



<初出情報>

■bk1書評「「南アフリカには世界がある」-グロ-バリゼーションの光と影-」投稿掲載(2010年6月10日)
■amazon書評「「南アフリカには世界がある」-グロ-バリゼーションの光と影-」投稿掲載(2010年6月10日)





PS 読みやすくするために改行を増やした。 (2014年8月30日 記す)


<関連サイト>

南アフリカ 企業が挑むもう1つの W杯(日経ビジネスオンライン 2010年6月に連載)


<ブログ内関連記事>

映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)は、真のリーダーシップとは何かを教えてくれる味わい深い人間ドラマだ
・・マンデラ大統領とラグビーワールドカップ南アフリカ大会

原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』
・・南アフリカでオランダ系のアフリカーナーとして生まれたローレンス・ヴァン・デル・ポスト

巨星落つ!-「超一級の本物のリーダー」であった南アフリカのネルソン・マンデラ氏(1918~2013)を悼む

(2014年8月30日 情報追加)




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