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2010年5月10日月曜日

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・



         
 今年もウェーサーカ祭(Wesak)に参加してきた。2010年5月8日(土)、日本テーラバーダ協会の主催、会場は東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターである。

ウェーサーカ祭2010

 プログラムは当日配布された紙によれば以下のとおり。

12:40 スライド上映
13:30 開会
13:40 読経、慈悲の瞑想
14:30 挨拶
14:40 記念講演:森章司博士「『釈尊伝の研究』をつうじて見たブッダの真実-釈尊教団は実在したか-」
15:25 休憩
15:45 スマナサーラ長老法話「」および質疑応答
17:15 祝福の読経
17:35 聖糸・聖水の授与
18:00 終了

 内容については、昨年のプログラムとほぼ同じのようだが、私は途中から参加した。今年は駐日タイ王国大使のタイ語によるあいさつとスリランカ大使の英語によるあいさつであった。

 記念講演は森章司博士の「『釈尊伝の研究』をつうじて見たブッダの真実-釈尊教団は実在したか-」というものだったが、学者の話は退屈なうえに、予定時間を平気で30分もオーバーしている。

 つまらない話なので途中眠っていたが、たとえ仏教学会では著名な人だとしても、スケジュールどおりに進行させない司会者にも大きな問題があるのではないか。終わる時間も30分以上ずれこんだので大変な迷惑であった。なんてことを思うこと自体ただしい心持ちではないとかいわれそうだが、主張すべきことは主張しておかないと。アンケート用紙にはその旨を書いておいた。


スマナサーラ長老の法話は、『スッタ・ニパータ』から


 スマナサーラ長老の法話は、『スッタ・ニパータ』の153から193まで、釈尊仏陀について Satagiro(仏教徒)と Hemavato という2人の「神霊」(=夜叉)の対話をパーリ語原文の読解。


 『スッタ・ニパータ』は南伝仏教(≒上座仏教)としてセイロン(スリランカ)に伝えられた、仏教最古の経典であり、中村元博士によって日本語訳され、岩波文庫から『ブッダのことば』(岩波文庫、1984)として出版されている。

 該当箇所を開いてみれば、中村博士は Satagira を「七岳」、Hemavata を「雪山に住む者」と訳している。「七岳」との対話において釈尊ブッダの偉大さを知ることとなった「雪山に住む者」は、最終的にブッダに帰依することになる。そういう内容である。

 詩文の形で書かれているので、スマナサーラ師によるパーリ語の朗唱を聞いていると美しい。しかし聞いただけでは意味がわからないのは残念なことだ。3月にミャンマーの結婚式でパーリ語の法話を聞いたときも意味はわからなかったが。

 スマナサーラ長老による法話の内容はよかったが、質疑応答の内容はイマイチであった。

 司会者が事前に集めておいた質問のなかからいくつかその場で代読して質問するという形式であったが、よくいえば意表をついた解答といえるのかもしれないが、正直いってちょっとピントがはずれていたような気がしないでもない。

 はじめてスマナサーラ長老の法話を聴いたときの新鮮な気持ちが、私からもはやなくなっているということなのかもしれない。もちろん悩んでいる人に対して、悩むこと自体が意味がないのだと突き放しているので、人生相談に対するこういう解答もありかな?

 質問者と直接に対面しての「対機説法」ではなかったので、話が一般的なもので終わってしまったのか。

 爆笑問題の太田光をえらく高く評価していたことは印象に残った。スマナサーラ長老は、太田"総理"と対談でもしたことでもあるのだろうか? 対談すれば面白いと思う。どこまで太田光が突っ込めるか見物(みもの)である。


聖糸と聖水


 今年もスリランカのお坊さんに聖糸(・・仏教のウィッシュリングのようなもの)を右手首に巻いてもらいながら祝福していただいた。

(右の手首に聖糸を巻いていただく)

 驚いたことに、ウェーサーカ祭が終了して、地下鉄千代田線にのって座席に座ったときに、ふと右腕をみたらなんと聖糸がほつれていた。聖糸を巻いていただいたときは、右手首にぴったりと巻かれていたので、糸が切れたわけではなかったようだ。

 この聖糸は、自然にほどけるまで自分ではずしてはいけないので、昨年は半年以上切れなかったのだが、今年はなんと20分くらいでほつれてしまったのだ。20分というのは、もしかして最短記録ではないだろうか!?


 「やばいな、結び直さないといけない」とその一瞬は思ったが、「いやいや自然にほどけたのだから、これは自然のままにしておかねばならない、いつの時点かはわからないが成功の前兆なのだ」とポジティブに捉え直すことにした。自分に都合のいい解釈かもしれないが・・・こうしたことは、自然のなすがままにしておくのがよいのだ。

 聖水もいただいた。ペットボトル入りの水である。

 聖糸や聖水などというと、なんだか呪術的(?)な色彩を感じなくもないが、基本的に仏教は極めて知的な教えである。

 出家者ではない私は、信仰としての側面よりも、仏教のもつ論理体系や実践倫理、あるいは社会思想や経済思想のほうに関心が傾きがちなのであるが。

 もちろん、ウェーサーカ祭の参加に際して、仏教徒であるかどうかはいっさい問われない。仏教の信仰を受け入れよとも強要されることもない。この点が気楽でいいところだ。


上座仏教の知識は東南アジアで仕事をする人の役に立つ

 東南アジアの上座仏教圏(タイ・ラオス・カンボジア・ミャンマー)とスリランカで仕事をする人は、上座仏教(=テーラヴァーダ)の知識は初歩的なものでいいので、少しはかじっておいたほうがいい。

 仏教界のプロテスタンティズムというべき上座仏教は、原始仏教に限りなく近づくことを志向したものだ。したがって、仏教界のカトリシズムともいうべき大乗仏教とは、同じ仏教はいっても大幅に異なる性格をもつ。

 なぜタイは同じ仏教圏なのに、人々の言動が日本人とは大きく異なるのか。こういう疑問を少しでも感じた人は、『タイ仏教入門』(石井米雄、めこん、1991)を読むことをすすめたい。外務省出身でのちに東南アジア学者になった著者は、外務省からの留学生としてタイにいたときに出家体験をしている。


 また、文化人類学者の青木保の『タイの僧院にて』(青木保、中公文庫、1979)も、学者による出家体験記。名著なのだが長期品切れ状態で入手困難なのが残念。



 バンコクで不動産業を起業して大成功していた京都出身のビジネスマンが、俗世のむちゃくちゃな人生を捨てて出家した話として、『タイでオモロイ坊主になってもうた』(藤川チンナワンソ清弘、現代書館、2003)という、それこそおもろい本がある。


 この人は出家するにあたって財産はすべて家族に譲渡して無一文になって出家した。出家することによって、現世の煩悩から解放された精神の自由とはこういうものかということが自然に伝わってくる。読んでいて実に面白い本である。

 上記の三冊はいずれも、タイで出家した日本人が書いた本だが、タイ社会についての本であり、上座仏教の出家生活について書かれた本でもある。

 出家までする必要はないと思うが(・・上座仏教では男性しか出家できない)、読むだけでなんとなく気分を味わえるので、一度目を通してみたらいかがだろうか。

 もちろん、スリランカのスマナサーラ長老の日本語の説法をまとめた一連の著作も面白い。 



PS 読みやすくするために改行を増やし、小見出しをつけた。また写真を大判にした。(2014年月21日 記す)


<関連サイト>

日本テーラワーダ仏教協会 (スマナサーラ長老の拠点)

仏陀の教えヴィパッサナー瞑想~オモロイ坊主こと藤川チンナワンソ清弘和尚のブログ
・・2010年2月には永眠された和尚、死後もブログは残っている


<ブログ内参考記事>

「ウェーサーカ祭2014」にいってきた(2014年5月24日)「記念鼎談」におけるケネス・タナカ師の話が示唆に富むものであった

「ウェーサーカ祭 2013」(2013年5月12日)に参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた+タイ・フェスティバル2013(代々木公園)

「釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭 2012」 に一部参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた

「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 に参加してきた(2011年5月14日)

ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2009

三度目のミャンマー、三度目の正直 (8) 僧院付属の孤児院で「ミャンマー式結婚式」に参列

三度目のミャンマー、三度目の正直 (9) 13年ぶりのチャウタン水中寺院(イェレー・パヤー)

三度目のミャンマー、三度目の正直 (4) ミャン猫の眼は青かった-ジャンピング・キャッツ僧院にいく (インレー湖 ③)・・猫もまた「生きとし生けるもの」

ミャンマー再遊記(8)-熱心な上座仏教徒たち

タイのあれこれ (4)-カオパンサー(雨安吾入り)

『ブッダのことば(スッタニパータ)』は「蛇の章」から始まる-蛇は仏教にとっての守り神なのだ
                     
(2014年5月26日 情報追加)

                                    




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